はてなキーワード: 教員免許とは
わかった、わかった。
おじさんたちが、現代社会における三角関数の重要性を正しくわきまえていて活用例もたくさん知ってて教養ある立派な大人だっていうのは、よーーーーーーーーくわかったから、ちょっと僕の話も聞いてくれる?
人を批判するときはソースぐらい確認したほうが良いし、見出しの気になるキーワードだけ拾って脊髄反射で持論を展開しはじめるのはどうかと思うなあ。
教員免許の話の流れで、三角関数はあくまで例えとして挙げられてただけで、すべての人が学ぶ必要はないんじゃないか、選択式で良いんじゃないか、と言ってたよ。
あと、「橋下」だからね。
いやいや、他のたくさんのことと同じで、当然知らないよりは知ってるほうがいいし、「○○はすべての人が学ぶべき教養である!」の○○にはそりゃいろんな単語入れ放題だよ。
それと、義務教育で全員に教えるべきかどうかは全く別の話で、現実世界には有限のリソースしかないんだから、他に学ぶべきことが無限にあって取捨選択しないといけない中で、現実問題、みんなが簡単にそのレベルに到達するわけないじゃん。世界的に見て教育水準の高い日本においてでもだよ?じゃあ聞くけどおじさん、義務教育ですべての人が学んでる英語、どれくらい話せる?
今の学校教育に必要なのは、人の話を聞かずに自分の話ばかりして気持ちよくなるおじさんを減らすための傾聴力と謙虚な姿勢と、建設的なディベートをするための最低限の論理的思考力だね。
同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。
県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大進学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。
自分はというと文化系と運動系の狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器と寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。
親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器の練習をしない方が厳しく怒られたし、数学で10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しか許さない」と宣言されており、真に受けた私は私立のすべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学のテストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく。
これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校の担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。
正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテストは免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対うかると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学と英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語で高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベや推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史は文化史だけ異様にできた。
身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルがキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?
専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース(翻訳・通訳など)」と「海外の大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。
なんで大学編入が英語学科に属するかというと、ほとんどの大学の編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)
授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師も日本人講師もいたが、とにかく英語。リーディング・リスニング・ライティング・スピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEICや学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除、しかも学費も一部免除の特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初のTOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラスに所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。
残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなものを選択できる)の他、第二外国語、小論文対策、PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択で教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。
大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマなくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコースの人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。
【学生】
上記の通り様々なコースの人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単なテストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。
同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止めの私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後の最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。
コースの人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。
あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線で帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身で学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。
【学費】
高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除は簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準に学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)
本来国公立にしか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対に学費を無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人の努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境にお金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。
1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。
3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)
編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつは8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。
面接の練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月に試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験は受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶があいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学を卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入にチャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立や偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICでマックススコア出した人もいる。
あとTOEICのスコアで試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。
英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってからも英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。
小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人の文章センスや知識量がモノをいう感じだった。国語と世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。
編入試験の過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校で過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。
面接指導は就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生の研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。
【試験】
どの大学も小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格を覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。
第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかもバスからまた電車で移動するが乗換をミスり試験に遅刻。席に着くために荷物を通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろ楽しかった。1週間後には結果が開示され、無事合格。
そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり、面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドのライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブはギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。
進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。
上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位を大学の単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律や経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)
1年大学ライフを満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークル!バイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語の資格(TOEICスコア700前後と英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日の面接対策と小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身の編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。
大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。
色々書いたけどあくまで文系の話です。理系の編入はもっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。
東大や京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っからの文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。
あと社会人なってから編入で大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。
私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費の関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集や勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。
いよいよセンターが近づいてきて、不安な受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。
最近、実家に帰った時に自分が通っていた中学の前を通った時に思い出して、イライラがぶり返してきたので、書きます。
私は運動がめっぽうできない人間で、100m走や3000mの持久走などの走る系の競技は必ず学年でビリ。持久走大会は全校生徒全員で走るのだが、それでもビリになるかならないかレベル。
中学1年の時の体育教員は定年直前のおじいちゃんで、「頑張ることに意味がある。記録なんか気にしなくていい」と言ってくれていたのですが、新年度になりその先生が定年し、新しい体育教員が来ました。その教員が脳筋の頭が逝っている教員でした。
私の通っていた中学は某球技が全国でトップ10に入るほど強豪で、日本代表が出るほどでした。新しく来た教員は、この中学を卒業し、その後も某球技が強い高校に行った後、体育系の大学に行って某競技の研究をして、教員免許を取って来た教員で、某球技の部活の顧問として呼ばれたような教員でした。(教育委員会のお偉いさんが送り込んだらしい)
見た目は一般的な20台後半みたいな感じで(実際20台後半)、おかしい人だとは思わなかったのですが、体育の初回授業で豹変しました。新年度最初の体育の授業は体力測定なのですが、その結果を見た後、生徒ごとへの接し方の態度があからさまに変わりました。
運動が出来る生徒(クラスの上位5~6人くらい)には友達のような態度で接し、運動が全くと言ってできない私と数人にはいじめと捉えられるような態度になりました。体育の授業終了前の10分程度で器具の片付けをしなければならないのですが、それをいつも私達数人に命令をするような形でやらされました。その間、私達以外の生徒は先に解散させられ、その教員もそそくさと職員室に帰ってしまいます。最初のうちは他の教員が心配してくれましたが、1ヶ月もすると誰も気にしなくなりました(というより体育教員になにか言われたと思われる)。
そのうち、運動が出来る出来ないの序列で生徒に上下関係をつけ始めました。私達、運動が出来ない生徒は運動が出来る生徒に対し、敬語で話すことを強制させられました。体育の授業中だけだと思っていましたが、廊下などでも注意をされるようになり、ひどい時(学年で一番運動能力が高い生徒と話していた)には指導室で怒鳴られたりすることもありました。
この状況はおかしいと、運動が出来ず私と同じ扱いをされている生徒と相談し、担任や教頭に相談をしたのですが、全くとり合ってもらえず、口を揃えて「校長には黙ってろ」と言われました。
この頃、ちょうど定期考査の時期だったのですが、体育教員に「お前らは実技の点数が無いに等しい。筆記テストでそれなりの点数を取らないと、通知票を1にするぞ」と脅されました。
さすがにこれはおかしいと思い、友人の親(役所勤め)のつてで市の教育委員会に訴えを出したのですが、揉み消されたか、子供の言うことなんかを聴く必要はないという判断だったのかで、なにもアクションは起こりませんでした。
結局、これ以上何も出来ずに、親に相談するのも当時、嫌だったので、我慢するしか無いと決意を決めて、2年間 卒業まで持ちこたえるしか無かったですが、今考えてみれば、新聞に投書するなどの方法もあったのかなぁと思う次第です。
僕は現在修士課程2年の学生で,博士進学をする予定だ.ちなみに理系.
研究はめちゃくちゃ捗ってるわけじゃないけど,週5で1日10時間程度研究・勉強をしているのでじわじわ進んではいる.
修士での発表は国内3回で終わりそうだ.海外での発表と論文を出すのは叶わないだろう.
先生は,理論系にありがちだと思うがやや放置気味で,でも質問とか議論には何時間でも付き合ってくれる.
でも,毎日わからなくて行き詰ることばっかりで,こんな馬鹿が博士課程に進むなんてあっていいのか?とふと苦しいほどの怖さにときどき襲われる.
僕は自分に自信がない.頭もよくない.
先生と話すときもびびってるし,先輩につっこまれたりアドバイスを受けるときもびびってるし,何なら後輩に質問されるときもびびっている.
本当にこのまま進学していいのか?やっていけるのか?院に進学したときからずっと考えている.
そんな心持なら進学なんてやめてしまえ,生き残れるはずがないと皆言うだろう.だから人にはこう思っていることを黙っている.
だけど一番の不安を自分の内にずっと溜め込んでいるからどんどん辛くなってくる.
そんな状況で飛び込んできたのが件のニュースだ.
この事件のせいで震え上がってメンタルずたずたになっている院生・ポスドクはめちゃくちゃ多いと思う.
僕は旧帝の院生で,浪人をしているので人より遅れて大学に入っている ということも重なって余計に動揺してしまった.
正直言って,何してくれてんだよふざけんなと思った.そういう目立つ破滅の仕方はやめてくれ.
僕はあれが,僕の前に伸びている道のどれかであるような気がして仕方がない.
じゃあ就職すればいいじゃん?と言われると思うけど,
うまいこと今の時期から就職できたとして,ニュースでびびって研究を放り出したことを一生後悔するのは目に見えている.
でもこのままでいるのもつらい.
もう博士課程だったら,色々な意味で達観することができたのだろうか?
それにしても,焼身自殺なんてものすごい自殺方法を選ぶなぁと思う.
僕は痛いのも熱いのも怖いのも嫌なので仕方なく生きているが,もし万が一同じ状況になったとしても首を吊るかなぁ.
彼が睡眠薬とかお酒を飲んで前後不覚であんまり感覚もなく意識もぼんやりした状態で焼かれたことを願う.
[追記1]
こうやって見知らぬ人に心の内を吐露するだけでも少し楽になって驚きました.
今日はあまりにも気持ちが乱れすぎていたので,久々に平日に大学を休んで,海を見てぼうっとしています.飛び込む気はありません.
たとえ匿名であってもアウトプットしたことと,休んで海を眺めているおかげで少し落ち着きました(一時的なものかもしれませんが).
理科だけですが,教員免許は一応取得しています.真剣に教員を目指している人には失礼なことですが,ビビりなので保険のために.
学部時代は教職+専門科目で忙しすぎて,もうやめたいと思いながら結局最後までとることになりました.
こうやって保険をかけるところとか,優柔不断で一度はじめたことを辞められないところに僕の駄目な性格が顕著にあらわれていると我ながらあきれます.
専門によって全く状況は異なります。
物理学科で,素粒子ではないですけど,その例だとString寄りです.
誰かも書いてましたがまったく潰しがきかないです.きかなすぎて笑えるくらいのやつです.
[追記2]
https://anond.hatelabo.jp/20180919121421
https://anond.hatelabo.jp/20180919191533
今後の身の振り方・過ごし方についてのご助言を書いてくださった方ありがとうございます.
自分で自分に見切りをつけるタイミングを定めるということはとても重要であると思いました.
あのニュースは,一般的な院生やポスドクなら誰しも動揺せずにはいられないだろうと決め付けていましたが,
それは「メンタルがやられている」院生やポスドクに限っているのかもしれないなと気がつきました.
僕は心療内科に行ったりカウンセリングを受けた経験がありません.
もし行ったら色々なものが決壊しそうで怖かったのと,何より自分の弱さを認めに行っているように思えてならなかったからです.
(通院している人を蔑んでいるわけでは決してありません)
しかし自分でも気がつかないうちに,精神的によくない状況が慢性的に続いているのかもしれません.
[追記3]
https://anond.hatelabo.jp/20180919125143
きっと研究者の方ですよね.僕のような半端者の愚痴に対し時間を割いていただいてすみません.
ものすごく丁寧にアドバイスしてくださってありがとうございます.
論文にまとめられるほどの成果は出ていません.優秀だったらたぶん迷ってないと思います.
これまでの学会も,とりあえずのひとまとまりの経過を発表しているにすぎません.
僕の指導教員は,出来がどうであれ発表したい学生には発表させるタイプの人です.
迷っているのは,就職が厳しくなるからというのももちろんありますが,
ニュースを見てショックを受けたせいでどっちつかずになってしまったからです(そんなんで折れるような熱意だったのかと自分でも悲しくなりました).
修士で就職した自分が,研究を続けていれば発見できたかもしれない色々のことを考えて焼け付くような気持ちになるのが容易に想像できます.
でも「研究が大好きでたまらないか?」と言われるとわからないです.
だから,この感じでしがみついて博士に進んだ自分が,結局研究が何にもならなくて,
博士課程の途中で,僕みたいな阿呆がいっちょまえに思い上がってたんだと死にたくなるのも容易に想像できます.
やっぱりいちど指導教官に相談してみた方が良いように思いますね。
率直な評価を聞いて、就職と研究の道を決断する deadline を決めてもらって、その日まではひたすら研究に没頭するのはどうでしょうか?
このままだと集中もできないでしょう。
仰るとおり,あのニュースを見てから色々なものが手につきません.
集中して論文を読んだり勉強したりができないので,あんまり頭をつかわなくてもできるプログラムの修正作業しかほとんどやってません.
当時高校生だった私のクラスで、くじ引きによる席替えが行われた。
くじの結果、ボス格だった女子の隣に、無口で周りから忌避されてた男子が座ることになった。
そのとき、女子の方がこれ見よがしに、くっつけていた机を離し、「何でこんなのが隣に座るんだ」と喚いた。
私は不快に思ったが何も出来なかった。先生も、クラスの誰も女生徒を咎めることができなかった。
もし、自分が教師の立場になって同じ場面に立ち会わせたとき、どうやって場を収めればいいだろうということをずっと考えていた。
教員免許を取っても、上手く立ち回れる気がしない。どちらかというと空気の読めない性格をしている私はきっと、女生徒の方を咎めて、クラス全体の空気を悪くしてしまいそうな気がする。
そう思ったら、生徒の心に傷をつけてしまう自分は教師になってはいけないのだと思い込んでしまい、結局、教育とは関わりのない仕事に就いて今に至っている。
たぶん、罪悪感のせいだと思う。
学校でのいじめ問題に対する、学校や教育委員会の対応と世の中の人の意見をみて思ったことを書いてみようと思う。なんとなく書いたら長くなったので、流し読みしてください。
昔からいじめが原因で自殺する中学生や高校生はたくさんいたと思うけど、国が大きく動いたのは、2011年の「大津市中2自殺事件」
市立中学に通う中学2年生の男の子がいじめを苦に亡くなった事件で、この時に明らかになったのが教育委員会と学校のいじめに対する対応の悪さ。
亡くなる数日前にいじめの報告が学校にあったにも関わらず、単なる生徒同士の「喧嘩」として扱い十分な措置を行わなかったこと、教育委員会が自殺の原因を家庭内に問題があったとして、当初認識していたことなど...
「大津市中2自殺事件」がきっかけとなって、「いじめ防止対策推進法」が成立。
教育現場がいじめ問題にどう対応すればいいかの方針が決められた。
しかし、いじめで自殺する学生らは後を絶たないし、大津市いじめ事件の後に起こった別の地域のいじめ問題では教育委員会の隠蔽が判明。
いじめを調査した教育委員会などの調査報告書に納得できずに、再調査を依頼する遺族も少なくない。
教育委員会は地域行政のなかでも、少し変わった組織で、教員免許を持った職員と持たない職員で構成されているし、首長の直接管轄でもない。それらが教育委員会の組織風土を硬直化させてしまっているのかなと思う。
各自治体でそれぞれに教育委員会が組織されているといっても、他自治体でこれだけ問題になっているのだから、自分たちは適切に対応しようとはしてるはずなんだけど、何かしらの不適切な対応が目立つ。これが意味するのは、教育委員会という組織自体がきちんと対応できる状況、組織ではないということなのではと感じる。
教育現場の先生たちも毎日忙しい。先生は授業を教えることが仕事なのに、中学校では部活動の顧問まで任される。その上、いじめが起こったら業務はさらに増える。日々の業務にいっぱいいっぱいで、いじめに適切に対応する余裕が十分にあるとは考えにくい。先生が余裕を持って働けるように、働き方も見直さなければいけないことの1つではないかな。
加えて、いじめはどうしても起こってしまうものだということ。小学生〜中学生っていうのは多感な時期な上に、1つの教室に様々な事情を抱えた子が押し込まれてる。1つもいじめが起こらないほうが不思議なぐらい。地域差もあるだろうけど、学校でいじめられたり、いじめたことがあったり、いじめの傍観者だったなんてのは大小あれど誰にでもあることだと思う。
学校が社会的居場所で、いじめがあってもなかなか逃げ出せない、休めない。
子どもたちに、自分ではどうしようもないことがあったら逃げてもいいっていうことを大人はもっと言ってあげてもいいのではと思う。学校だけが全てじゃない、学校に行かなくてもどうにかなるってことを。
そもそもなんで医師免許イコール医者として最大限尽くさねば、になってしまったんだろう。命にかかわる職業だからどうこうってのはもちろん分かるんだけど。
医師免許が与えられた人間の内何割かが医者になればそれでいいとか、そういう形式だったら入学の時点でどうこうは起きにくいものだと思える。
現実として、基礎研究医などの医師免許が厳密には不要だけど実際的には医学科卒であることが求められる職業もあるけれど、
医師免許すなわち医者として最大限、はそういう職種への人材不足にもつながるわけで。
レベルも意味もぜんぜん違うけど、教員免許なんて大量の免許だけ持ってて教員でははない人間が生産されている。
その中では、教育学の研究に携わったり、教育系の企業に就職して免許取得のための勉強を生かしている人もいる。
女性教員は寿退職するかもしれんから教員養成課程に女は少なめにするとか、そういうことがおきないのはどうかんがえてもやはり、
免許が与えられたからといって全員がその職に就くわけではないという構造であるからだと思うんだが。
いまさら社会構造をかえれないからどうしようもないけど、やっぱり免許があればすなわち臨床医師、って構造そのものに無理が来ているのではないかなあと・・。
嘘みたいだが本当の話である。
難易度を示す偏差値(河合塾基準)が35以下となる入試を通じて
実際に教壇に立つ教師のことで、誇張や叙述トリックでもなんでもない。
子供たちを教え育てていることになっている。
そんな信じられないことが学校現場で起きているのだ。
旺文社のサイトで「偏差値35以下」「教育・教員養成系学部」で
数多くの大学から、毎年、偏差値35の教師が世に送り出される。
僕の調べた限りでは、この大学数は近年なぜか急増しているのだ。
教師といえば、子供たちに正しい知識を正しい方法で伝えるプロ。
この認識はそれほどまちがっていないだろう。
実際のところ、偏差値35の教師は中等教育(高校、中学)よりも、
子供たちの基礎的なリテラシーを育てる重要な仕事だが、大丈夫だろうか。
偏差値35の教師が説く道徳を学んで議論する(通知表に特別な評価記入あり)。
事ここにいたっては、恐怖しかない。
偏差値がすべてではないと人は言う。
その通りだと僕は思う。
しかし、教師たるもの、ある一定以上の水準が求められるのは必然。
例えば、2018年のセンター試験結果から計算すると、以下の数字が出てくる。
英語:200点中、63点
国語:200点中、48点
ご承知の通り、センター試験は基礎知識を問う問題がほとんどで、
わからなくても選択肢を選べば一定の確率で正解することもある。
つまり、それがこれほどまでに解けないということは
少子化によって大学全入時代となったことだけでは説明がつかない。
ベテラン教師の大量退職と、教員免許更新制によって教師になる資格を持つ者が
不足しているのが大きい要因だ。
詳しくない人でも、ニュースで教師不足を嘆く声を聞くことがあるだろう。
現行の制度は、教師のなり手そのものを減らす結果となっているのだ。
そうして、本来、教師となりえる有能な人間(会社員経験者、研究者上がりを含む)を弾き飛ばし、
人生経験も学識も浅いが免許だけは持っている「偏差値35」の教師が誕生する結果となった。
あなたの子供の教師は、賢そうなふりをしているが、本当は偏差値35かもしれない。
教室は偏差値35の教師に支配され、子供たちは偏差値35から学ぶ。
我々はその先の未来をまだ知らない。
以下、予想される反論にあらかじめ回答を。
A. 現行の入試制度では、私立大の場合、AO入試・推薦入試での入学が
半数を大きく超えるのが通常だ。
すなわち、がんばっても偏差値35にしかならなかったということである。
A. もし本当に人柄や人間味が秀でているとしたら、
人としてわかりやすい魅力を備えていないこともわかる。
低ければ経営に関わる問題なので、一生懸命試験対策に取り組むのだろう。
また、幼稚園教諭に知的能力が必要ないというのは大間違いだと思う。
A. 何を言っているのか。
採用後に何を積み重ねていくかが重要であり、教師たるもの日々勉強だ。
A. 論外な考えだ。
自分の子供はいいかもしれないが、偏差値35の教師から教育された
私がマッチングアプリで彼女を探すようになったのは、転職がきっかけでした。実は転職するまでは教師をしてまして、「自分は人に教えるのが好きだから、向いているだろうな」と最初は思っていたのですが…いざやってみると、全然ダメでしたね。
生徒に勉強を教えるのは楽しいし、熱心に質問してくる生徒は本当に可愛くて、私もみんなの成長を楽しみにしていました。しかし、先輩はお小言が多いし、一部の生徒の親は理解に苦しむことを言ってくるし、「教師って、こんなことまで請け負うのか…」と思うようになったのです。
結局はそういう人間関係のしがらみが嫌で、教師を辞めることになりました。ただ、辞める少し前に「今、塾の講師を募集しているんだけど、良かったらどう?教えるの上手いし、教師よりも仕事に集中できるよ」と知り合いにスカウトされまして、そっちに行ったのです。
その結果は、大正解でした。塾の講師は教師よりも勉強を教えることに集中できるし、子供を塾に通わせる親は良識のある人が多いのか、そういうクレームを気にすることもありません。また、塾には学ぶ意欲の高い学生が多く、こちらも教え甲斐がありました。
こうして私は仕事にも慣れ、気持ちにも余裕ができたので、やっと念願だった『彼女探し』を始めたのです。マッチングアプリのことは教師のうちから知っていましたが、あんな仕事をしているときだと気持ち的な余裕はなくて、彼女ができても優しくすることはできないでしょう。
その点、今は「彼女を作って、いつかは結婚もしたい…」と思えるようになったので、マッチングアプリの利用にも乗り気です。乗り気なまま使うとさらに相手と仲良くなりやすいのか、同い年のA(仮名)という女性と仲良くなりまして、とても会話が弾みました。
Aの仕事は普通の会社員でしたが、実は教員免許も持ってまして、「実際に教師をしてみて、どうだった?」と聞かれたのです。その際に自分の体験談を話すと「そっかぁ、やっぱり大変なんだね…」と納得してくれて、これがきっかけで仲良くなれた感じですね。
Aとはその後も順調に仲良くなり、何度かデートをしたら、そのままお付き合いもできました。昔なら女の子とデートしていてもイライラしていたかもしれませんが、今は余裕もあるので、ちゃんとAにも優しくできています。
マッチングアプリはいつでも使い始めることができますが、精神的な余裕がないと相手にも優しくできないので、利用の際はそういう点も考慮すると良さそうです。
「精神健康の増進」という国民的課題に対して、いちばん当事者意識がないのは東京大学でしょ。
初回のオリエンテーションからひどかった。フィンランドの精神療法のリフレクティングというのやらされました。
こちらは援助職じゃないんです、当事者なんです。当事者に精神療法をやらせる。無茶振りもいいところです。
回りくどいことをやらせずに、ストレートに話をさせ、来たことを褒めてくれれば、いちばん精神衛生にいい。
協働というのは、来ただけでエラいので。自腹で来ているだけでえらいんですから。
ミルグラム実験を思い出しました。閉鎖的な環境下での学者の心理実験には要注意。
非人道的だと思ったら外部に助けを求めること。ぜったい密室にさせないこと。
向こうは「場の安全」とか言いますけど、いちばん危ないのは君たちでしょ。
倫理委員会に「一般から募集した障害者に対して、ミルグラム実験のようなことをやらないでほしい」と相談しました。
しかし倫理委員会によれば、監視対象は研究(主に医学部で行われる)なので、学習は対象外との回答。これはおかしいと思う。
一般から募集した障害者というのはいちばんストレス脆弱性が高い層なので、注意深くあるべき。
第二回からは冒頭で「気分が悪くなったら休んでください」というアナウンスが入るようになったので、多少は気合が入った様子でした。
本当は保健所とか、労基署とか、独立した外部機関が入った方が、ガバナンスとしては正常だと思う。
精神障害者から身体障害者まで、あらゆる障害者を募集しちゃった。
小学校でも、普通の小学校と特別支援学校とでは必要な教員免許がちがうわけですが。
受講生が生物学的に耐えられるかどうかではなく、自分たちの都合(政治的な正しさとか)を最優先した。
いつもの駒場の論理で盛りだくさんのカリキュラムを組み、つめこみ教育をやった。
自分たちは日本でいちばんの大学の教員だから、指導力があるはずと奢っていたんじゃないですか。
一流大学の教員に指導力なんて求められない。応募してきた学生を振るい落とすのが仕事だから、誰だってできる仕事。
生徒ひとりひとりの個性を見抜いて、褒めて伸ばすなんていうことはできない。
受講生同士の横の人間関係を育てるという視点が欠落。ホームルームや学級会に相当する時間をまったく設けなかった。
エビデンスを認めない。文科省の報告書でも「実証」という言葉で叱責されていますが、理屈にこだわる。
建前を向こうは並べ立ててくるんですけど、こっちは体でストレスを感じている。エビデンスベースドで話が進まない。
安冨歩さんの『原発機器と東大話法』を読んでいるんですが、この本は東大人の行動を理解する上で示唆に富んでいると思う。
「対人操作をやる」というのは納得。
交渉力が高い。雄弁・多弁で、すごいしゃべります(文科省は「対話」という言葉で叱責)。感受性は低いです。
それってパワハラなのよ。
「都合のいい福島県民」を見つけてきて、自分たちは東大話法でちゃっかり傍観者を装う。
ただでさえややこしい福島に、ややこしい東大文系が近づき、もっとややこしくする。
そうやって生成された摩訶不思議な「哲学論文」とやらを英訳して海外に発信。
中身を少し読んだが、自己満足の作文って感じだったので、そっ閉じした。
私たちの税金は社会の中でこんなふうに「有効に」生かされているっていうわけ。
20年ほど前
「うちの学園では4大卒は事務室でも教育職で取っている、君は教員免許はないが教育職で取る」といわれた
担当の教授に相談した所「それはいい!学校内での立場がまるで違うはずだし、給与もいいはずだ」といわれ、そういうもんかと思い就職した
「実はサッカー部の顧問がいなくなりあいてしまう、君やってもらえないか?」といわれた
「いや、サッカーどころか運動のようなものはやったことがない」
「でも、君は教育職として採用しているので部活動をやる義務があるんだ」
といわれ、やることになったもちろんそこからはおきまりのコースだった
事務室は勤務時間が7:30から16:30と9:00から18:00を一週間ごとに変えるという勤務体系だったのだが僕は学校から離れたところにあるグラウンドに行かねばならないので7:30固定になり16:30になると急いでグラウンドに行った
そして18:30まで部活をやりその後残業という勤務になった。もちろん土日は部活動でなくなることが多くなり平均の月の休みは2日ほどになってしまった
教員はなんだかんだいって夏休みは半日程度の部活動のことが多いが事務室はそういうことはない、部活がないときは事務室で通常業務、部活があるときは夏休みでも残業になった
そこまではまだよい(よくはないが)、あるとき僕と同い年の同僚の給与と僕の給与を比較するチャンスが有った
なんとその同僚のが高かったのだ!
これはなぜかというと教育職はいくら残業をやっても残業代は出ず、基本給の4%のみ最初からついてくるという特例で、逆に事務職は勿論普通に残業代が出る
僕らは月に平均40時間ほど残業があった、そのため同年齢の高卒の事務職の方が基本給は安いものの基本給にプラス30%ほど割増の残業代がつきトータルの月給はぼくより多かったのだ、ボーナスを含めたらどうなるかわからないが、これにはすべてのやる気を失ってしまった
なにしろ普段の日は僕のほうが部活の分、仕事が多少遅くなり帰宅時間自体は僕のがいつも遅く、しかも、土日は部活動で休みがないのに、普通に休んでいる人のほうが給料が高いのだから精神的に参ってしまった
もちろん、このことを事務長にいい、校長に報告がいったらしかったが結局、部活をやめるのにその後4年かかった、僕より若い男性教員がなかなかはいらなかったからだ
私(女)独身
ベンチャー企業→即退職→中小企業→1年後鬱病退職→3年間無職→バイト→自営業
A(女)独身
B(女)独身
C(女)既婚
D(女)既婚
在学中できちゃった結婚
E(女)既婚
F(男)既婚
G(男)既婚
H(男)既婚
I(男)既婚
J、K、L、M(男)既婚
N(男)既婚
当時新卒採用は絶望的で誰も内定もらえませんでした。ちなみにきちんと就活してたのは2,3人。求人なかったんで。
男友達は全員結婚してました。ブラック企業という声も聞きません。
私は無職の期間が長く、精神病がよくならなかったので自宅でできる仕事をはじめてうまくいったので独立しました。でもまだたまに悪くて親のスネかじってます。