はてなキーワード: 思い当たるとは
2012年頃、大人の発達障害者への治療薬が適用になったこと、発達障害が話題となったことがありました。その当時、ネットの発達障害チェックをうけると「その疑いが強い」の判断があり、
自分も発達障害であるのかど強く悩み、予約不要のメンタルクリニックを行くことがありました。しかし、そこの病院は大変に混雑していて、当時は相談することを断念しました。
そもそも冷静に考えてみたら当時の私にはいろいろな抵抗感がありました。
しかし、今年の1月末頃『宇宙よりも遠い場所』の主人公の玉木マリの「何かをしたいけど一歩踏み出せない」という人物像に共感を抱くようになり、次第に作品に嵌まるようになりました。しかし、彼女たちは南極へ行きたいという夢を実現するのに自分は余りに変わらない事に愕然として、次第に深酒をしないと眠れず、毎日耐えられない不安に襲われるようになりました。
しかし、最初はうつ病を疑ったこともあり、律儀に二週間様子を見ようと思ったことと繁忙期だったこともあり実際に病院への受診を決断したのはさらに一月遅れることとなり、2月20日頃病院に電話をして、5日後に受診の予約を取り付けました。
こうした状況になるおよそ半年前の昨年8月に遡らなければなりません。絵を描くことが趣味だったこともあり「1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える」という経営コンサルタント大前研一の言を間に受けてSNSのフォロワーをがらりと変えたことがあったのです。しかし、彼らの素晴らしい実績を裏腹に自分は何も変わることも無く、ものすごい物をインプットし続けて次第に疲れていったのか、時間だけがいたずらに過ぎていく日々が過ぎ、夏コミの本を整理していると「もう半年経ったのか」という時間の経過に愕然とするようになりました。
先生は普通には白衣だろうと思っていたのですが、普段着だったことに驚きました。ただ、そこの病院は正直その先生の物腰は優しいのですが、しばしば話が噛み合わず「あった先生」とは言えませんでした。そこの病院は先生が一人で臨床心理士が居なく発達診断の診断は出来ないので他の病院を探してくれ(おいおい紹介しないのか?)と言われる始末で、自分で今度受診する病院を探し、二ヶ月後に予約を取り付けましたが、それでも、抗不安剤と睡眠薬で随分私を救ってくれました。
今回、精神科医療における一番のハードルは親でした。すぐにキレる。お前は生きる価値がない等の暴言を繰り返す親である以上、病気への理解が全く皆無であるとしか思えなかったのです。診療を秘密にして自分のお金だけで受診をすることを本気で検討したこともありましたが、治療費を考え断念したこともありました。先述のメンクリの先生に(親の説得材料に)「診断書出してくれ」といっても「紹介状あるんだからいいだろ」の一点張りで結局自分でカミングアウトすることになり、それが一番のハードルでしたが、もともと思い当たる節があったのか、案外優しくむしろ繁忙期に病院に同行する事へのいらだちの方が多かったのです。
結局、自分だけで悩むと1年以上時間を無駄にしてしまいました。生きるのは厳しいかも知れませんが、しかし手を差し伸べれば差し伸べてくれるだけの手はあるのです。もし、今後(治療方針や検査など)が不安というならまず近くのメンクリで抗不安剤だけ貰うというやり方もあると思います。検査は25日でまだ自分がどういう精神状態なのかが解りませんが、一人でも多くの人が救われることを願っています。
病院とかへ行って、検診してもらったことはない。けれど、思い当たる節だらけなのだ。
そして、親もおそらくうちの子は発達障害を抱えていると思っているであろう、というところがさらに胃の痛いところなのである。
この前置きで察すかもしれないが、異常に人からどう思われているかが気になる性質である。大体ネガティブに想像してしまう。臆病になって、言いたいことが言えなくなる。
これはおそらく中学でいじめられていたせいのところもあると思う。小中ではいじめられていじめられた。恐らくコミュニケーションに難があったのだろう。(まあ難があってもいじめる側が悪いと思う)
今は当時いじめてきた側とも仲良しで、表向き人間関係の問題は抱えていない……が、人との距離感の取り方が異常に下手だ。静かに輪の外にいるタイプである。そーいう奴って、ハブられないけど相手にもされない。
おごられるのとかが異常に下手で、誰かに頼るのも下手だから抱え込みがち。
同時に二つをこなす器用さがない。よく慌てて失敗してしまう。異常に飽きっぽく、課された課題をスムーズにこなせない。アドリブに弱い。
こういう色々が細かく重なっていて、一つ一つは些細で、誰でもよくあることなのかもしれないが、発達障害の気がしてしまう。
幼い頃に、母に言われた。「できないことは出来ることでフォローするしかないのよ」
その通りだと思って素直に受け入れてきた。けれど大きくなってから、キッチンでホコリを被ったADHDの子供への接し方の本を見つけた。そこにそのまんまのことが書いてあって、わかってはいても気が重くなった。
やっぱり自分は、普通の人にできることができない人間なんだ。それがひどく苦しい。末の妹と仲が悪いのだが、それさえ、そんな愚かな自分をバカにしているんじゃないかと思えて、一人で勝手に落ち込んでしまう。
人は誰しもADHDの気質があって、それが色濃い人のみがそう扱われるのだとよく言う。そうだとおもう。けれど、人より劣っていると言葉にすることは本当に苦しいことだ。
今後もこれに向き合わなくてはならない。だからどこかに文に吐き出してしまいたかった。
自分は人より劣っているところがある。けれど、自分は自分を好きでしかたがない。楽しいと思えることをしている自分が大好きだ。
だからといって、自分の欠点で人を傷つけたり、人と上手く接することができないのは良くない。できないことが多くても、私は人に愛される自分でいたい。誰かを愛して、誰かに愛されたいのである。
数年前、当時付き合っていた人と結婚する直前、何故かFacebookで元カノの名前を検索し友達申請をしてしまった。
その時何故そんなことをしてしまったのかは自分でも説明がつかない。気の迷いとしかいいようがない。もしかしたら結婚というイヴェントを前にして臆してしたのかもしれない。
その申請は承認された。特にメッセージがくることもなくまたリアクションもなく。
そうして数年が経ち、Facebookを見ていたらその元カノが結婚報告をしていた。
妻のことを愛していないわけではない。結果生活に不満があるわけでもない。子供はまだいないが、いずれ妻と子を為したいと思う。
わかってる。未練だ。いい別れかたをしたわけではない…….特に思い当たる理由もなく一方的に振られた。
この世界には数多の人がいて同じように数多の夫婦がいる。こういう話はきっとありふれたものなんだろう。
どうにかしたいわけではない。
ただただ、誰かに聞いて欲しいんだ。
そうしてできれば、こんなありふれた話に対してみんなどのように心の整理をつけているのか教えて欲しいんだ。
でも起きた時から具合が悪く、やりたかったことがほとんど何もできずに1日が終わってしまった
具合が悪いを具体的に言うと、8時間以上寝た(ただし職場の人が出てくる悪夢を見た)にもかかわらず眠気が異常にある、頭痛がする、腸内ガス?が活発すぎて動くのも横になるのも苦しい、寒気がする、特別思い当たることもないのに精神がやや不安定、足が痛い
など
最近ずっとこんな感じで、仕事の日はちゃんと朝起きて活動できてるのに、休みになると起きる時間も遅く、起きた時点で身体的にも精神的にも調子が悪く、せっかくの休日が無駄になることが多い
もともと読書が好きで休みに読もうと思ってた本なんか大量にあるのに、文字を読む気にすらならない
で、他の人は休みにも勉強したりしてスキルアップを図っているんだろうな、と思いますます落ち込む悪循環
人と会うと疲れるタイプなので起きた時に調子が悪いと遊びに出かけることもできない
最近はもう溜めてる洗濯物や皿洗いができればマシな方で、ほんとに一日中寝転んで何もできずに(スマホをいじるくらいで)夜になってしまうことも多い
なぜだかどうしても体が動かず風呂に入れない日もあり、そういう日は次の日早起きをしてシャワーを浴びてから家を出ることになる
ただ休日は夜ちゃんと寝つけないことも多く、これをすると睡眠不足になりがちなのでかなりつらい
せめて休日に家事をやらなくてよければいいのになと思うものの、台所が狭すぎて食洗機が置けない&住民専用ランドリールーム付きだけど自室には洗濯機置けるとこがない単身者用マンションに住むしかないカス人材なのでどうにもならない
どうすればいいんだろうな
まあ模範解答は「病院に行け」になるんだろうが、以前も何ヶ月か体調悪い日が続いて仕方なく病院に行ったら「食事がよくないですね」などと指摘され、「これでも出来るときは自炊などしていてもう精一杯なのですが…」などと浅はかにも反論したところ、「工夫次第でもっとやれると思いますけど」と医者をやりながら3人産んで育てたとかいう体力強者の女医にボコボコにされたので行きたくない気持ちが強い
わたしはうたプリが好きで、でもある時期しんどくなってしまって離れてしまった。それでもうたプリは続いていて、大好きな四ノ宮那月くんは今もみんなの前で歌って踊って、誰かの彼氏なんだろう。わたし1人離れても、たいした傷じゃないんだなと思っていた。コンテンツはそういうものだと思っていたのだ。たった1人の注ぎ込んだお金、時間は小さなもので、別の人が埋めてくれるような穴なんだろうなと。
逆に、応援していたものが終わることなんて、生きてきて何回も経験した。漫画だったり小説だったり、ドラマもそう。好きなスポーツ選手の引退、バンドの解散もあった。
全部わたしの手の届かないところで起こってて、どこか他人事のような気がして、悲しいと思いつつ何日か経てば忘れてしまって、また時間が経って「そうそう、応援してたんだよね」とか言える思い出になっていた。
長期出張で心が本当にボロボロになった時にアニメを見てハマって、アプリも始め、手を出したことのなかった若手俳優さんの応援も始めていた。ハマって約一年。この一年が長いのか短いのかわからないけど、とにかく働いて得たお金を注ぎ込んでいた。元気をたくさんもらって、頑張ろうと何回も立ち上がる勇気をもらっていた。バンドのライブにしか行ったことのなかったわたしが生まれて初めてペンライトを買って、それを振って応援した。ファンレターも初めてちゃんと書いた。ドリフェスに起用されてる、俳優さんを見るために舞台のチケットを初めて自分でとって、観劇に行った。初めてだらけだったけど、本当に生きている実感があった。出不精で人見知りのわたしが、こんなに人のいる場所に出て、たくさんお話ができる人もできて、夢みたいだなんて思ってた。握手とか行脚とか、今はいけないけど、勇気が出たら行きたいと思っていた、むしろ今年のささやかな目標にしていた。
でもドリフェスは終わるらしい。
全く心が動いていない。
状況が飲み込めていない。
知りたくない。
なにが足りなかったんだろうとしか思えない。
コンテンツは永続的なものじゃないことは知ってるはずだった。アプリのアクティブユーザーが少ないこととか、ツアーの席が埋まらなかったこととか、思い当たる節は沢山あって、でもわたしなりに沢山応援していたつもりだった。わたしの応援じゃ、足りなかったのだろうか。
うたプリから離れた時、誰かが埋めてくれたような小さな応援じゃ、ドリフェスというコンテンツは支えきれなかったんだろうか。
特番は観ていない。
いい知らせではないだろう。
思い当たる節があったんだねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
この一年間、仕事を一緒にやってる2年目の後輩にすごくイライラしている。
だいたい3つ以上のことを順々にお願いすると最初のことが放ったらかしになっていたり、かける時間の割に出来が雑(10分でできることに1時間近くかかって、しかも去年の日付が残ったままとか)だったり、仕事の順序立てが悪かったり(3日前に頼んだ明日までの業務の前に、今日見つけてきた1ヶ月先の仕事をやってたりする)するわけだが、全く仕事ができないわけではない、言ったことはやるし、私が忘れていたこともやってはくれることもある。それに、2年目ならまだまだ仕事の整理や順序立てがおぼつかないのは当然だし、それは私が指導すべきというのが正論だろう。
あと思い当たることといえば、私が2年間躍起になって変えてきたことを否定された(その時理想は語ってくれたので、文書に起こしてと言ったらいつの間にか忘れられていた。)し、周囲の評価も高くないし、いかにも知識が薄い(CX-3とminiどっちがいいと思いますか、と聞かれたときは全然車種違うぞって思ったり)とか、嫌いだからいろいろ目につくところは言えるんだけど、よく考えてみると、一般人ならそんなこともあるだろうと思う。まだまだ気に食わないところがあるのだけれど、もはやそれは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のレベルのように思う。
理由なく人を嫌うのはプライベートのつきあいなら切ればそれで済む話だが、仕事上のつきあいだし、ましてや仕事を一緒にやってる後輩なのだから、指導や助言、協力するのは義務だろう。しかし、それらも忘れられることもあって、どんどんやる気が減退していく。私は上司からは今年度で異動が確実と言われているので、今の仕事のことを何とか伝えなきゃいけないのだけれど、どうやったら伝わるのだろうか、と日々悩んでいるのだけれど、相変わらず後輩はマイペースに仕事しているのでイライラがまた募っていくのである、どうすりゃいいんだ。
聞いてほしい。
はてなー達の思考や言動は、次の2項3軸、計6つに分けられると思うのだ。
偽 ⇔ 真
悪 ⇔ 善
醜 ⇔ 美
これらを順に説明したい。増田であれ、ブクマカであれ、おおむねどの項目にも思い当たる人間がいることだろう。
はじめに「真」なるものの対極を考えよう。すなわち「偽」である。
あなたが他人を「偽」に導く傾向があるならば、あなたはソフィスティカルなのはの一派に属する。
あなたは圧倒的な説得力と拡散力を持って、嘘の情報を流通させることができる。
嘘の内容は、人や社会の行く末を左右する重大なものかもしれないし、身の回りの出来事のレベルに留まるかもしれない。
注意しなければならないが、本来ここに分類されるのは、意図して人を騙す者のみである。しかし「真」なるものを志向していても技術が不足すれば容易に「偽」に転じてしまう。
あなたがどの立場であろうと、何をもって真偽の判断を下すのかは慎重に考えるべきだ。
あなたがこの立場にいるならば、真理を主張するためには相応の技術、忍耐、慎重さ、そして誠実さが必要であることをあなたは知っている。
荒唐無稽な意見を見ても傾聴せよ。正しいのは相手の方かもしれない。
不快な放言を投げかけられたら自省せよ。あなたに見えていない真実を相手が見ているかもしれない。
あなたの考えが論理的であればあるほど、第三者からの攻撃には弱くなるだろう。それが論理の本質である。
真理に至れるのは、自身のその弱さに、そして弱いままで居続けることに耐えられる者だけなのだ。
それは利得のためかもしれないし、偽善者の自己欺瞞を白日の下にさらすため、あえて露悪的に振舞っているのかもしれない。
あるいは、純粋な復讐心に突き動かされているのかもしれない。はたして、苦しみに満ちたこの世の中で悪意を抱かずにいることは可能だろうか?
どちらかといえば、あなたの拠り所はあなた自身の中にある悪意であり、それをぶつける相手を具体的にイメージしているわけではないことが多い。
ただ、あなたが好むと好まざるにかかわらず、あなたの悪意は周囲に伝染し、永遠に新たな悪意を生み出し続けるだろう。
しかし場合によっては逆説的に、同じ苦しみを持つ人を慰める結果となるかもしれない。
あなたのあらゆる行動が、そしてあなたが取らなかったあらゆる行動が、常に無数の可能性を生み出し続け、あなたはそのすべてに責任を持とうとするからだ。
善悪の判断は何よりも難しい。あなたは悪を滅ぼすことこそが善だという考えに与するかもしれない。
あるいは、悪の敵は別の悪だと考えて、ひたすら悪から距離を置こうとするのかもしれない。
場合によっては、あなたはあえて深く考えず、ただ素朴に善くあろうとするだけかもしれないし、それが多くの人を元気づけ、本当に世の中を善くするかもしれない。
人をあざ笑ったり馬鹿にしたりすることを是とするあなたは、シニカルなのはの一派だ。
エビルなのはと異なるのは、相手の醜さと愚かさを強調し、相手を否定し不快にさせることを最も重視するという点である。
あなたの攻撃は的確に相手の精神と発言力を削り、場合によっては再起不能にし、ひいては社会をも動かすかもしれない。
あなたがこのような行動に出るのは、あなたの信じる正義のためかもしれないし、他の理由かもしれない。
あなたの言動は多くの人間の気持ちを代弁することとなり、非難と同時に多くの支持をも集めるだろう。
また皮肉や罵倒の技術を高めた者同士の口論は、一種の高度な格闘技の様相を呈し、見る者に活気を与えることになるかもしれない。
感傷を、情緒を、時にはユーモアを、快く美しい言葉を紡いで歌い上げることだ。
真偽や善悪がいったい何になるだろうか。よしんばそれらが重要だとしても、それはあなたの仕事ではないのだ。
美しければそれでいい。
その美しさは力となり、様々な効果を生むかもしれないが、それはまた別の話である。
以上の分類は、複合・派生・細分化によって新たな分類を生み出しうる。エコノミカルなのは、テクニカルなのは、フィジカルなのは、などが代表例だろう。
他にも、ケミカルなのは、トロピカルなのは、マダガスカルなのは、なんてのもいるかもしれないが、このへんの人達の行動原理は不明である。
さて、いうまでもないことだが、もっとも知名度が高いのは「リリカルなのは」である。検索すれば分かるだろう。
しかし実態が知名度に追いついているとは到底言い難い。過去に栄華を誇ったかもしれないが、それは過去であり、今ではないのだ。
今こそ、リリカルなのはの再興が待ち望まれているのではないだろうか。それなくして、未来は暗い。
お分かりいただけただろうか。
(追記)
「それぞれに理由がある。」というブコメがうれしかった。大喜利要素で茶化しちゃったけど、ほんとはこれを言いたかった。(「偽」の項の理由がちょっと足りなかったのは失敗。)あとリリカルなのはが好きなのは本当です。
別に顔が良かったわけではない。何やら憎めない顔をしていたらしいのだ。
もともとの皮肉家で人をいじって笑いを取るのも得意だし、鋭い一言をぶっこんでくだらない議論に終止符を打つことも少なくなかった。
かといって別にそれで人に恨まれたようなことはないし、特別に嫌われるようなことはなかった。
自分の中では特別にきついことをいったつもりではないのだが、その後も周りからチクチクと小言を言われて、とうとう本人の前で謝ることになった。
いまだに最近の若者が軟弱なだけだと思っている反面、本人だけでなく周囲からも「あれはない」といった言葉を聞くようになって、何やら勝手が変わってしまったのではないかと疑い始めた。
そう思うといつものノリで話をしているだけなのに、店員が妙に萎縮していたり会社でも変な気遣いをされることが増えたような感じがする。
それで思い当たるフシと言えば加齢による見た目の変化以外になかった。
強面になったわけではない。些細な表情の違い程度かもしれない。
今更何を変えればいいのかも見当がつかず、これからはこの性格のまま人から嫌われていく人生を歩むことになるのかと思うとただひたすら気が重くなった。
何を言わんとしたか忘れてしまったのだが、見た目で許されているものはある日突然奪われることがあるので、日々内面を磨くことを怠るなということにしておこう。
昔はオリンピックともなれば家族みんなでいろんな競技を見て応援したな
今年のオリンピック、何にも見る気がしない
そもそも個人的にテレビはどうしても見たい番組以外見ないほう(テレビの音が苦手)というのもあるんだけど
何にも興味示さなくて
あれー?いつもこんなだったっけ?
なんかもう少しそれなりに試合が気になったりしてたような
歳をとったせいかもしれない
外的要因があるとすれば一つだけ思い当たるのは
父や母とテレビの前で観戦すると
彼らは必ず
あーなにやってんだよ
今のはそうじゃないだろ
あーもうだめだな
それ決められないでどうすんだよ
とか
文句ばっかり言う
私はこれが大嫌いで
ってずっと思ってる
なんでそう言うこと言うの?
うるさいんだけど
文句言うなら観るなよ
とか少しずつ
ちゃんと私はそういうの聞かされるのが嫌いだって主張してきたけど
私が一緒に観戦しているときでも気を使う素ぶりはない
そういうことが、ずっと重なったせいかどうか、
うげっ
って思うようになった
スポーツ観戦楽しめなくなったのは
そのへんも大きい気がする
好きに応援させろよって思ってるんだろうね
いいと思うよ
間違ってない
その権利はもちろんある
自分一人で見るときは私も自分の好きなように応援できるはずなんだけど
なんかもう全体的に嫌になっちゃった
あんた何様?
ルールもよく知らないくせに?
まだ競技の途中で
簡単に
もうだめだ
とか
言うな
お前があれ以上のパフォーマンスしてこいよ
私がしたい応援は
頑張れって選手の勇姿を見つめること
結果が出るその瞬間に息を詰めて見守ること
私は親みたいな人間にならないようにしようって決意したケースのひとつ。
以上
いいね。アルドノア・ゼロが良い作品だったのは自分も同感だ。ネットでは整合性やらをネチネチつついて喜んでいるアスペだらけだったが、戦記ものとして、群像劇として、生き方を鮮やかに描いた作品だった。スレインやイナホの境遇、どんな思いであの行動を起こしたのか、そういう人物を中心に見ていたからか幾度となく涙腺を刺激された記憶がある。物語の世界観に没入させ、涙が滲んでくるくらいに感情を揺さぶってくるアニメというのは例外なく傑作だ。そういう意味では、PSYCHO-PASSなんかもそうだったし、ラブライブやアイドルマスターシンデレラガールズもそうだった。ただ、没入できるかどうか、キャラクターの激情に共感できるかどうかは、観る人にその素地があるかどうかに依るところが大きい。ネットのどこの誰が大声で酷評しているか分からないような評価につられて、自分の受け取った感動を、感性をねじまげてはいけない。どちらかというと、ネットで批評ぶったことを言う人間ほどねじまがっていて、まともに創作を評する素地のある人間ではない事のほうが多いのだ。なぜだか「自分には合わなかった」と言って素直に去れない人たちが、独り善がりな「俺の考える『正しい』展開」を叫び続け、作品や作家を勝手に断罪してエゴを肥やす遊びをしてるのだが、付き合う義理はない。だいたいそういう精神性に留まっている人間は共感性に乏しいので作品鑑賞自体が苦手なのだ。それゆえ、取り沙汰する必要のないシーンで躓いて、頓珍漢なことを考えるうちに物語に置いて行かれてしまい、勝手に恨みをつのらせてしまうのだ。残念なことに。ただそうやって頓珍漢な取り沙汰をすることで、それを読んだ普通の人までも悪意的な視点に囚われてしまうので害悪でしかない。
ともかく、思い当たる良作が少し前のものばかりなのも同感で、自分の実感としても確かに最近、涙が滲むほどの作品には出会えていない。先期はいろいろ見ていて、宝石の国、キノの旅、クジラの子あたりは良かったのだが個人的には目頭が熱くなるほどのスマッシュヒット感はなかった。だが佳作には違いないと思うし、原作はどれもすばらしいものだ。宝石の国に関してはこれ以上ない幸せな映像化だったとは思うが、一般に、アニメ放送枠という限られた時間と編成の中で十分にカタルシスを引き出すのはそれだけ難しい事なのだろう。それにボロ泣きできるものだけが良作なわけでもなく、決定的な場面がなくとも心臓を掴んでくるような良さがある作品もある。デビルマンcrybabyを引き合いにだして、主戦場はNetflixや劇場に移っているという論を言う人がいたが、それにも同意できる。でも、良いものは見たいけれどそこまででも…という、あくまで日常のルーティンの範囲で楽しめる娯楽作品を探す人がまだ多いのだろう。自分もその例に漏れず、今期はポプテピピックは惰性でみている。おそ松さんと同じで、いつ切ってもいいのだけれど惰性で見れるシリーズという感じ。あれはいろんな面で業界的な「お決まり」をぶち壊してくる作風で、アウトサイダーだからこそできるアバンギャルドな仕掛けには目を見張るものがある。コンテクスト消費の塊のような作品だ。ただやはり自称クソアニメだけあって「次が見たい!」となるような構成力があるわけでもなく、飽きたころに見切りをつけてもいいよ、と言わんばかりの懐の広い作品のように感じる。それ以外でひとつ今期のTVアニメで注目しているのを挙げるなら、宇宙よりも遠い場所を推す。青春ドラマなので、増田の好みに合うかは分からないが、引き込まれる、感動できそうな作品だと思う。完結していない物語作品を評するのは避けたいので現時点ではこれ以上言えることはないけれど。
バーチャルYouTuberを追っているのも自分と同じで、去年の夏頃からキズナアイだけは追っていたが、最近になってシロにもハマり、月も興味深く見ている。一つ一つの動画は他愛のない癒やしや元気を貰える動画に過ぎないが、最近の隆盛で「親分」と慕われるようになりVtuberのメンター役を演じるようになったキズナアイを筆頭にVtuber同士の交流が増え始め、現在進行系のドラマだかサクセスストーリーだかを見ているかのようだ。Vtuber全体がひとつの「物語」的コンテンツの域になっている。この感じはμ'sの奇跡的な躍進劇をリアルタイムで追っていた時と似ている。アニメにVtuberにと追うようになって、スマホゲームも断捨離が進んだ。増田はアズレンかと推察するが、自分は一時期デレステ/ららマジ/スクフェス/バンドリ/崩壊3rdと並行してどれも相当やりこんでいたが、前2つを残してログボすら辞める決意をして消した。これだけ並行できる時点でお察しの通りニートだけれども、それでもスマホゲーを続けるのは時間的にも気力的にも辛い。継続している2つも、最低限のプレイしかできなくなっている。その点でららマジはすばらしいゲームだ。あまり時間を奪わない作りだし、ストーリーがメインのゲームなので、更新が遅いアニメを見ているような感覚で続けている。プレイ人口は多くないが、思春期の少女たちの心の傷を解き明かして救いを取り戻す、その筆致が素晴らしいので万人に勧めたい「作品」だ。デレステを続けているのも、結局のところ、リアルタイムにアイドルたちに声がついていくストーリーに参加したいだけなのかもしれない。サービス開始からやっているが、正直リズムゲームの周回部分は飽きていて、必要以上にプレイする気にはならない。そういえばもっと以前はグラブルをランク100過ぎまでやっていたが、メインストーリーで詰んでからはやらなくなった。日課が重すぎるのもあった。結局自分はスマホゲーに対しても、物語体験を求めているんだろう。コンテンツ自体がもつ物語、プラス、ライブな体験が大事だと感じる。両方ないと、より深い充足感を得られない。よく考えればVtuberの動画だって後からイッキ見してもいいのだが、小ネタを把握してSNSなどのフロー上の話題をキャッチアップし、ライブ感からくる楽しさを得るためにはオンタイムで見ておく必要がある。そういった性質に注目すると、今見ておく必要があるコンテンツと、そうでないコンテンツが切り分けられる気がする。ただ悩ましいのは、「後で見よう」と思って積んだものは、結局何年経っても「よし見よう」という時がやってこない事だ。なので小難しいことを考えず、「今すぐに見たい!やりたい!」と思うことだけをやっていくのが一番幸せなんじゃないかと思い始めている。
※この記事は地雷過激派ヒステリックオタクが嫌いな雑食オタクが上から目線で語る記事です。
嫌な予感がした場合は閲覧をお控えください。
オタクをやっていて二次創作に触れていると、どうしても「地雷」という存在は避けて通れないと思っている。
人間だから、一人一人好きなものもあれば受け付けられないものがあることも当然だし、それを否定はしない。
雑種なお陰で色々なジャンルを楽しめているし、周りも交流しても好みで衝突することは基本的にない。
地雷を叫ぶ人からしたら、周りに対して「私はこれが嫌い!だから自衛するけど、周りも配慮してね!」というアピールをするこで、自分の居心地の良い環境を作るためなんだろう。
正直、個人としてはネットの中でくらいならそれくらいのワガママは通っていいと思ってる。
最高に面倒臭いけど。
しかし、最近よく目につくのが「私はこれが地雷!ホント死ね!流す奴は悪!」みたいなことを喚く奴。
古いオタクなので老害と思われそうではあるが、昔の同人サイトBBS交流時代はこんなことはなかった。
今はTwitterやpixiv等で対人のやりとりが容易になり、また若いユーザーが同人ネットマナーを学べる場がない。
そういう面もあるのかなとは感じている。
いや、お前がミュートするか鍵かけろよ。
何で周りがお前の目を気にして話したい話題を遠慮しなければいけないんだ?
そのくせ、TLで少しでも触れてしまうと不穏な発言をしてくる。
お前の言う自衛って何?
一存で言語統制すんじゃねぇよと思ったりもする。
ブロックはしたらしたで共通フォロワーに被害者面をする奴もいる。
偏見かもしれないが、地雷過激派には粘着質で大変短気な方が多いとお見受けする。
「嫌いなものを見せられた!周りが悪い!」
「これが嫌い!何故好きな人がいるのか分からない!」と、基本的に人に原因を求める人間が多い気がする。
いやいや、嫌いなのはお前の好みであって周りが悪いわけじゃないよ。
「個人的な好き嫌いへの悪口」を「地雷」という免罪符を付けて喚くのをやめろ。
例としてあげるならグループで食事をするとき、ファミレス内で大声で
「アタシピーマンきら~い!!!!食べられな~~~い!!!ピーマン好きなやつ頭おかし~~~~い!!!!」
と叫ぶようなもんだ。
「ちょっとピーマン入ってる~!!!アタシピーマン嫌いなの知ってるよね~~!?なのに皆が勧めたのが悪い!!!アタシ悪くない!!!!」
「ピーマン嫌いなのは人それぞれだからアタシ悪くないよね?だから皆アタシに配慮して~~ピーマン食べるとこ見せないでよオエッ」ってことに近いのかなと。
極論かもしれないけど、私にはこう見える。
「地雷持ちは短気を我慢して一呼吸置いて自衛をしろ。もしくはブロックだ、だが後からぐちぐち言うな」
「雑食持ちは周りに地雷持ちがいたら、やんわり住み分けてあげようね。もしくはブロックだ、だが後からぐちぐち言うな」
で済むと思ってる。
だらだら学級会やるよりお互い自衛すればいい。
ただし、自衛してるのにあっちから難癖つけてくる強襲型地雷クソオタクはダメだ。
きっと雑食だったり、地雷持ちに辟易してる人は、ここまで読んで色々思い出させてしまうかもしれない。
申し訳ない。
地雷持ちで自分に思い当たる節があったり罪悪感を感じた人は言動を振り返ってみてほしい。
ちょっと地雷の自衛の仕方を変えるだけで、自分にとってもぐっと交流しやすくなるかもしれない。
ただ、この記事を読んで偉そうに!とか好きで地雷持ちなわけじゃないのに!と怒りを覚えた人はその憤りを周りにぶつけないようにして下さい。
地雷があることは決して悪いことではない。
その伝え方や地雷を武器にしてしまっていることが周りに不快感を与える事例をたくさん見てきた。
時には論争や周りを巻き込んだ喧嘩をしたいが為に地雷を振りかざしている地雷クソオタクだっているみたいだ。
そこまでいくと精神の異常を感じる。
ネットであれだけ地雷地雷言ってたら、現実でもあれがいやこれが嫌い、みたいなことも多そうだ。
心に余裕を持とう。周りの環境をよく保とう。
そうすればちゃんと住み分けできる。
私は地雷を喚いて一人で怒って、思春期のガキのように一人で不貞腐れる
本名 自分の思った通りにならなかったので「私は傷付いた!周りが悪い!」と悪口言う野郎
が大嫌いである。
叫ぶのを止めて、深呼吸して、自分の考えをまとめてからしゃべれ。
そもそもある原作の同人活動をしている(同人イベントに行く)からといってその原作が好きである証明にはならないんだよ。
ただ単純に自分を受け入れてくれる雰囲気の良い同人ジャンルやコミュニティを求めているだけである可能性はある。
「原作なんてどうでもいい」とまでは言わないけれど、「同人活動は原作そのものよりも、同人友達との盛り上がる会話が楽しみ」みたいな表現をすると、思い当たる人が意外に多いのでは?
ここ十年くらいで増加した新世代オタクは、そういう意味ではコミュ充である割合が多い。良い悪いではなく、そういう需要の仕方が可能になるほどオタク趣味が一般化したんだよ。
時々自虐を挟んで同情誘ってるけど、それは謙虚に自己抑制をしてますよーと見せかけてる。
自分はやべぇ奴なんだと言い出す人って、そう本気では思ってなくて、己のことが可愛くて正確に客観視はできてないんだよね。
他の方が言ってるように感想送ればよかったとは言わない。感想は本人のモチベ上がる可能性はあるかもだけど、送ったところで相手の活動を強制するものではないし、ジャンルにそのまま留まるとは限らないから。
というか何を作るなんて自由だし、創作する上での目的なんて人それぞれなのが創作でしょうよ。
最大限に気持ち悪いのが、なんで他人が増田の思い通りじゃないといけないのかってところ。
人の自由を認めてあげない時点で酷い。
増田の創作におけるその固定観念、何を根拠にどこまで通用すると思ってるんだろうか。宗旨替えしちゃいけない法律なんかどこにもないのに、何様目線?
増田からAさんのためにしてあげたこと、何一つないんでしょ。徹頭徹尾、貰いっぱなしの受身のままでいたのに陰で文句を言える立場?
「好きになったものは一途だと自称する増田こそが地雷を理由にAさんを裏切った」の間違いでは?
Aさんがまるで自分のために作品を作ってくれてたみたいに、勘違いしてるところあるよね。
感情に訴えて、脳内片想いBLや百合に変換できる人達に対して綺麗で共感してもらいやすい文章を書いてるけど、あの人自分のためのA×B萌え製造機ではなくなったんだよ!悔しい!ってだけじゃない。
ROM専ならまだしも、同じ作り手の立場で描くCP変えたら即裏切り者扱いとかね。
けどそれを絶対悪と責めていいのが当然なら、誰も二次創作なんかしなくなるね。
嫌だもん、ずっと私好みの話を作り続けろなんて面倒くさいのが粘着してくるなんて。
創作者は同じものを生産し続けるメーカーなんかじゃない。思い思いのアートを紡いで作品作ってるんだよ。それをわきまえずに創作者を名乗らんでくれ。
ずっと好きなものは変わらないといいながら、もうAさんのことは好きか嫌いかわからんみたいなことを述べる矛盾はどうなのさ。
当人の作る作品好きだからカプ変わっても好き、までには至らなかったわけでしょ。
結局Aさんの作品よりカプ優先。条件付きの好意だからカプにだけ一途ってことだよね。
作る作品が地雷になった=増田にとって都合が悪くなった、だからこうやって文章公開して攻撃してOK。
これだけ都合よく使われる一途ったらない(笑)
この話がAさんに届いたとして、察しのいい人ならもしかして自分のことかと思うかもね。
Aさんではなく思い当たる人も、傷ついたでしょう。
実際Aさんのこと、傷つけてやりたいんでしょ?
悪意の意図が透けて意地汚い。
今までさんざん行動しなかったのに、遅きに失したところで遠回しに恨みつらみを吐くなんて陰湿極まりない。
つらいよーってドタバタ騒いでるけど、あなたは間違いなくつらいと話す他人の痛みは100年我慢できる。
愛憎とかタイトルでカッコつけたこと言ってるけど、Aさんはただの作品製造機であり、好きなのは一貫して萌えるA×Bだけ。
他人に供給源作ってもらえなくなった!!ヤダーー!!って話を大袈裟にしたまでのこと。
仮にもファンだったこと、自身も創作者を謳っておきながら、こんな安全なとこで自己愛に酔うってのが片腹痛い。
みんな優しい言葉コメントしてあげててめちゃくちゃ気を使ってて、ほんと聖人だと思った。
これに賛同したり許容して、中には私は過激な行為した、同じ考えだからメールしてとかくだらないことほざいてる人もいて笑うけどさ。
私が言いたいのは固定がダメ、雑食ぐらい許せってことではないよ。
昔はつらかった。
日々鼻がつまって、とくに冬場は寝られなかった。あっちむいたりこっちむいたりかんだりして鼻づまりと戦ってた。よく鼻をかむから鼻の下がかぴかぴになって皮がむけて貧相だった。鼻が弱いからかしょっちゅう耳も痛くて熱が出た日には耳鼻が痛いかゆいでひどかった。
これがここ数年ですっかり治った。もう鼻づまりはない。耳も、外耳は触りすぎとかで痛めるけど、中まではいたくない。
なんで治ったか??実は思い当たる原因がほんとにひとつだけあって、頭が悪く聞こえるかもしれないけど、運動…なんだよね…。38歳なんだけど、三年前からジムに通いはじめてずっと走ったり筋トレしたり、それしか変えたことはない。単純に年齢的に変わるものなのかもしれないし。
最近、「女だけの街があればいいのに」という発言が話題になっている。
女性陣の反応はまあ置いておくとして、
ふと思い当たる事があったので書こうと思う。
4月の新人研修がやっと終わり、
無事に配属先も決まって生活に落ち着きが見えてきた6月。
その日はしこたま飲まされてヘロヘロになった。
お酒には強いので頭はハッキリしていたけど、
つり革がないと倒れる
そんな感じで酔っぱらいらしくつり革に掴まってフラフラしていたら、
優しそうなOLのお姉さんに声をかけられた。
あまりにもみっともなく揺れているのでみかねたらしく声をかけてくれたらしい。
お姉さんの最寄り駅でもないのに埼玉県某所の駅に一緒に降りて改札まで送ってくれる。
なんて優しいお姉さん。
タクシー乗り場までと言ってくれたが、
「久しぶりじゃん!こんなところでなにやってんの??」
あう可能性は確実にない、お前誰だ。
ああ、これはナンパかと思う。
そりゃ簡単にお持ち帰りできそうだもんね。
「知り合いじゃありません、離してください」
とキッパリ言って逃げる。
殴るとかそういうのはやっぱり咄嗟には出てこない。
でもまあ、地声が大きいので、大きい声をだしたからお兄さんもしぶしぶ離してくれた。
いきなり抱きつくとか勘弁してくれ、
フラフラ歩きが気になるのかちらちらこっちを見ていく通行人が多い。
横を通り過ぎたサラリーマンのお兄さんが、ちらっとこっちを見た後に自販機に行き、
なにかを買った後に私の方に走ってきた。
「これ、水、飲んでください」
それだけ言って走り去っていった。
なんて良いお兄さんなんだ。
さっきの軟派やろうとは大違い。
ありがたく水を飲み、
夜道を歩いた事でだいぶ頭がはっきりしてきたのでさっさと帰宅した。
なんていうか、凄い。
実はもっと声はかけられてる。
たった15分の間に歩けば歩く程声をかけられる。
そら声もかけるよね。
今にも転けそうな感じで危うく歩いていたら声もかけます。
あわよくばお持ち帰りできるんじゃない?
とか思いますわ。
家に帰ってからお兄さんにもらったお水を飲み干して、
ちょっと冷静になってぞっとした。
ああ、
危ないんだなあと心底思った。
優しく声をかけてくれるお姉さんもお兄さんもおじさんもいて、
水だけ置いてささっといなくなる硬派なお兄さんもいて、
でもやっぱりナンパもある。
頭がハッキリしていなかったら正直ホテルとかに連れて行かれてもおかしくないよね。
だからさ、帰り道って気を抜けないんだと思った。
酔っぱらっていても酔っぱらっている事を悟られてはいけない。
こんなに目立つのかと思った。
「うわ、酒くさ」「こっちくんなよ」
とかみんな避けて通るのにさ、
お姉さんとお兄さんの優しさに触れて、
その心配してもらうっていう状況はありがたいなとも思った。
でもやっぱり、窮屈は窮屈だよね!!!
おじさんが羨ましい!!!!
私も!!一目を気にせず!!!
そしてやっぱり女性が酔っぱらってフラフラ歩いていると危ない。
水買って、タクシー呼んで、送り出してあげたくなる。
誰も優しくはしてくれないかもしれない、
でも少なくとも、
後ろから抱きついてきて
「久しぶり!」とか言ってくるナンパやろうにはあわないと思う。
窮屈さから抜け出したい、
たぶんそれだけ。
引越しが好きなので、ミニマリストというほどではないにせよ、身の周りのものはできるだけ少なくして生活したい。
服もできるだけ少なくして、着回したい。
センスのいい人は、素材も仕立てもいい服をちゃんと着こなしているイメージがある。自分もそうしたい。
でも気がついたら、安い服ばかり買ってクローゼットがいっぱいになっている。
原因として思い当たるのは:
ベーシックなデザインのものを買って着まわそうとしても、なかなかうまくいかない。
どうすればいいんだろう。
ヨーロッパに住んでいると、毎日同じような服を着ている人が結構いるので、自分としては抵抗がないけど、日本で暮していると、そうもいかない気がする。とくに、職場に毎日同じ服を着ていったら、何この人? と思われそうだ。
それ自体は別にどうでもいいことで、どうでもいいと言ったらファンからは怒られるだろうが、ここではその出来事自体は重要ではない。
彼女とはもともとインターネットで知り合った。お互い同じアイドルが好きだった。
時期は忘れたが、いつのまにかツイッター上で相互フォローになり、リプを飛ばしあうようになっていた。
ある時開かれたコンサートで「せっかくなので会いましょう!」とDMから誘ったら、彼女は快く会ってくれた。
そこからコンサートの度にカフェや会場で会うようになり、ツイッターのDMを卒業して、LINEを交換した。
インターネットで知り合った人とのひとつの「壁」でもある、本名と普段の仕事
も教えてもらった。「実はこういう仕事してるんです」と恐る恐る話しを切り出すと、とても近くに住んでいて、かつ同業者であることが判明した。
そこから距離が縮まるのはぐっと早かった。オタ活動の話はもちろん、仕事や恋愛についても話した。
いつだって気さくに何でも相談にのってくれた。無駄な話も同じくらい沢山した。毎日LINEを送って、たまに電話もした。
遠征先のホテルで語りあって、朝日が昇るまでコンサート映像を見続けたり、「打ち上げ」と称して高級料理を食べにいったり。
お泊りだって何度もした。実際、彼女から連絡が来なくなるついちょっと前も、一緒に旅行に行っていた。
アイドルが自殺したその日夜、一報を受けて送りあったLINEを最後に、彼女から連絡がぱたりと来なくなった。
様子が気になって彼女のツイートを見ていた限り、すごくすごく落ち込んで、ショックを受けているのはわかっていた。
自分もそのニュースにはひどく驚き、悲しい気持ちになったが、正直彼女ほどではなかった。
それから何日か経ってから、ツイッターのフォローが外されていることに気付いた。リプも読まれていなかった。
そういう結果になったことに、思い当たるふしが全くないようで、あったといえばあった。
例えばニュースが飛び込んで来た夜の自分のツイート。彼女に送ったLINE。
どんな風に声をかけていいかわからず、かけた言葉すべてが彼女を傷つけてしまったのかもしれない。
今となっては言い訳にしかならないが、彼女が悲しんでいる姿を見るのが辛くて、ただ元気になって欲しかった。
その気持ちは嘘ではない。
年末に会う約束は、丁重にお断りの連絡が届いた。会いたくないとか嫌いとかそういう内容ではなかった。
「色々考えたけど、やっぱり今回は遠慮します」ということが書かれていた。それっきり。
インターネットで出会った人と、ここまで仲良くなれるのかとずっと浮かれていた。つかの間だったが、一番の友達が出来て嬉しかった。
でも終わりは何ともあっけなかった。これが学生時代の友人であれば、嫌でも顔を付き合わせ、彼女の反応も何となくわかるものだが。
時間が解決してくれるかもしれない。でも何となくもう彼女と会うことはない気がする。
アイドルが死んでしまったことより遥かに重大ではないけれど、でもよっぽど現実的で切実な問題である。
ここではその出来事自体は重要ではない。それはあくまできっかけでしかない。
彼女とはもともとインターネットで知り合った。お互い同じアイドルが好きだった。
時期は忘れたが、いつのまにかツイッター上で相互フォローになり、リプを飛ばしあうようになっていた。
ある時開かれたコンサートで「せっかくなので会いましょう!」とDMから誘ったら、彼女は快く会ってくれた。
そこからコンサートの度にカフェや会場で会うようになり、ツイッターのDMを卒業して、LINEを交換した。
インターネットで知り合った人とのひとつの「壁」でもある、本名と普段の仕事
も教えてもらった。「実はこういう仕事してるんです」と恐る恐る話しを切り出すと、とても近くに住んでいて、かつ同業者であることが判明した。
そこから距離が縮まるのはぐっと早かった。オタ活動の話はもちろん、仕事や恋愛についても話した。
いつだって気さくに何でも相談にのってくれた。無駄な話も同じくらい沢山した。毎日LINEを送って、たまに電話もした。
遠征先のホテルで語りあって、朝日が昇るまでコンサート映像を見続けたり、「打ち上げ」と称して高級料理を食べにいったり。
お泊りだって何度もした。実際、彼女から連絡が来なくなるついちょっと前も、一緒に旅行に行っていた。
アイドルが自殺したその日夜、一報を受けて送りあったLINEを最後に、彼女から連絡がぱたりと来なくなった。
様子が気になって彼女のツイートを見ていた限り、すごくすごく落ち込んで、ショックを受けているのはわかっていた。
自分もそのニュースにはひどく驚き、悲しい気持ちになったが、正直彼女ほどではなかった。
それから何日か経ってから、ツイッターのフォローが外されていることに気付いた。リプも読まれていなかった。
そういう結果になったことに、思い当たるふしが全くないようで、あったといえばあった。
例えばニュースが飛び込んで来た夜の自分のツイート。彼女に送ったLINE。
どんな風に声をかけていいかわからず、かけた言葉すべてが彼女を傷つけてしまったのかもしれない。
今となっては言い訳にしかならないが、彼女が悲しんでいる姿を見るのが辛くて、ただ元気になって欲しかった。
その気持ちは嘘ではない。
年末に会う約束は、丁重にお断りの連絡が届いた。会いたくないとか嫌いとかそういう内容ではなかった。
「色々考えたけど、やっぱり今回は遠慮します」ということが書かれていた。それっきり。
インターネットで出会った人と、ここまで仲良くなれるのかとずっと浮かれていた。つかの間だったが、一番の友達が出来て嬉しかった。
でも終わりは何ともあっけなかった。これが学生時代の友人であれば、嫌でも顔を付き合わせ、彼女の反応も何となくわかるものだが。
時間が解決してくれるかもしれない。でも何となくもう彼女と会うことはない気がする。
アイドルが死んでしまったことより遥かに重大ではないけれど、でもよっぽど現実的で切実な問題である。