病院とかへ行って、検診してもらったことはない。けれど、思い当たる節だらけなのだ。
そして、親もおそらくうちの子は発達障害を抱えていると思っているであろう、というところがさらに胃の痛いところなのである。
この前置きで察すかもしれないが、異常に人からどう思われているかが気になる性質である。大体ネガティブに想像してしまう。臆病になって、言いたいことが言えなくなる。
これはおそらく中学でいじめられていたせいのところもあると思う。小中ではいじめられていじめられた。恐らくコミュニケーションに難があったのだろう。(まあ難があってもいじめる側が悪いと思う)
今は当時いじめてきた側とも仲良しで、表向き人間関係の問題は抱えていない……が、人との距離感の取り方が異常に下手だ。静かに輪の外にいるタイプである。そーいう奴って、ハブられないけど相手にもされない。
おごられるのとかが異常に下手で、誰かに頼るのも下手だから抱え込みがち。
同時に二つをこなす器用さがない。よく慌てて失敗してしまう。異常に飽きっぽく、課された課題をスムーズにこなせない。アドリブに弱い。
こういう色々が細かく重なっていて、一つ一つは些細で、誰でもよくあることなのかもしれないが、発達障害の気がしてしまう。
幼い頃に、母に言われた。「できないことは出来ることでフォローするしかないのよ」
その通りだと思って素直に受け入れてきた。けれど大きくなってから、キッチンでホコリを被ったADHDの子供への接し方の本を見つけた。そこにそのまんまのことが書いてあって、わかってはいても気が重くなった。
やっぱり自分は、普通の人にできることができない人間なんだ。それがひどく苦しい。末の妹と仲が悪いのだが、それさえ、そんな愚かな自分をバカにしているんじゃないかと思えて、一人で勝手に落ち込んでしまう。
人は誰しもADHDの気質があって、それが色濃い人のみがそう扱われるのだとよく言う。そうだとおもう。けれど、人より劣っていると言葉にすることは本当に苦しいことだ。
今後もこれに向き合わなくてはならない。だからどこかに文に吐き出してしまいたかった。
自分は人より劣っているところがある。けれど、自分は自分を好きでしかたがない。楽しいと思えることをしている自分が大好きだ。
だからといって、自分の欠点で人を傷つけたり、人と上手く接することができないのは良くない。できないことが多くても、私は人に愛される自分でいたい。誰かを愛して、誰かに愛されたいのである。