2018-03-05

コンテンツの終末

しがない社畜オタク女だ。

わたしうたプリが好きで、でもある時期しんどくなってしまって離れてしまった。それでもうたプリは続いていて、大好きな四ノ宮那月くんは今もみんなの前で歌って踊って、誰かの彼氏なんだろう。わたし1人離れても、たいした傷じゃないんだなと思っていた。コンテンツはそういうものだと思っていたのだ。たった1人の注ぎ込んだお金時間は小さなもので、別の人が埋めてくれるような穴なんだろうなと。

逆に、応援していたものが終わることなんて、生きてきて何回も経験した。漫画だったり小説だったり、ドラマもそう。好きなスポーツ選手引退バンド解散もあった。

全部わたしの手の届かないところで起こってて、どこか他人事のような気がして、悲しいと思いつつ何日か経てば忘れてしまって、また時間が経って「そうそう、応援してたんだよね」とか言える思い出になっていた。

ドリフェスという音楽ゲームアプリがある。

長期出張で心が本当にボロボロになった時にアニメを見てハマって、アプリも始め、手を出したことのなかった若手俳優さんの応援も始めていた。ハマって約一年。この一年が長いのか短いのかわからないけど、とにかく働いて得たお金を注ぎ込んでいた。元気をたくさんもらって、頑張ろうと何回も立ち上がる勇気をもらっていた。バンドライブしか行ったことのなかったわたしが生まれて初めてペンライトを買って、それを振って応援した。ファンレターも初めてちゃんと書いた。ドリフェスに起用されてる、俳優さんを見るために舞台チケットを初めて自分でとって、観劇に行った。初めてだらけだったけど、本当に生きている実感があった。出不精で人見知りのわたしが、こんなに人のいる場所に出て、たくさんお話ができる人もできて、夢みたいだなんて思ってた。握手とか行脚とか、今はいけないけど、勇気が出たら行きたいと思っていた、むしろ今年のささやか目標にしていた。

でもドリフェスは終わるらしい。

全く心が動いていない。

状況が飲み込めていない。

ラインツイッターも通知を切った。

知りたくない。

なにが足りなかったんだろうとしか思えない。

コンテンツは永続的なものじゃないことは知ってるはずだった。アプリアクティブユーザーが少ないこととか、ツアーの席が埋まらなかったこととか、思い当たる節は沢山あって、でもわたしなりに沢山応援していたつもりだった。わたし応援じゃ、足りなかったのだろうか。

うたプリから離れた時、誰かが埋めてくれたような小さな応援じゃ、ドリフェスというコンテンツは支えきれなかったんだろうか。

特番は観ていない。

いい知らせではないだろう。

大げさと言われればそれまでだけど、一体明日からどうやって生きていこうか?

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