はてなキーワード: 地区とは
ラグビーのチーム名だ
わかる
NTTコミュニケーションズが運営母体のシャイニングアークスというチームなんだろう
NTTコミュニケーションズという社名が長いのでダラダラしているが
NTTコミュニケーションズには罪はない
わかる
と思ったお前、それは大きな過ちだ。
その過ちを指摘する前に次に進む。
雲行きが怪しくなってきた
東京ベイとは……
関東圏に住む人なら「あっ(察し)」となるが、一応次に行く
もろちんそうではない
東京ベイ浦安という千葉県浦安市をホームグラウンドとする千葉県のチームなのだ
※東京都江東区をホストエリア、宮城県仙台市(!?)をセカンドホストエリアとしている
新田 (仙台市)(しんでん) - 宮城県仙台市宮城野区の地名。
新田 (ふじみ野市)(しんでん) - 埼玉県ふじみ野市の地名。
新田 (横浜市港北区) - 神奈川県横浜市港北区にある地区。
新田 (かつらぎ町)(しんでん) - 和歌山県伊都郡かつらぎ町にある地名。
本庄 (東大阪市)・本庄中・本庄東・本庄西 - 大阪府東大阪市
「盾津」を参照
本庄 (神戸市) - 兵庫県神戸市東灘区の地区名。元は摂津国菟原郡の荘園
本庄 (国富町) - 宮崎県東諸県郡国富町。本庄古墳群がある
さかえちょう
栄町 (桐生市) – 群馬県桐生市の旧地名。現在の浜松町 (桐生市)の一部。
栄町 (千葉市) – 千葉県千葉市中央区の地名。またこの地域に存在する風俗街のことを指す。→栄町駅 (千葉県)
栄町 (東京都北区) – 東京都北区の地名。付近には都電荒川線の駅栄町停留場 (東京都)もある。
栄町 (横浜市) – 神奈川県横浜市神奈川区の地名。ポートサイド地区の一部。
さかえまち
栄町 (福島市) – 福島県福島市の地名。市の中心街にあたる。
栄町 (会津若松市) – 福島県会津若松市の地名。会津若松市市街地の一部地域。
湊川 (富山県) - 富山県氷見市を流れる仏生寺川水系の二級河川。
湊川 (兵庫県) - 兵庫県神戸市兵庫区・長田区を流れる本流の二級河川。正式名は「新湊川」。
湊川 (香川県) - 香川県東かがわ市を流れる本流の二級河川。
湊川 (高知県) - 高知県幡多郡黒潮町を流れる本流の二級河川。
湊川 (福岡県) - 福岡県糟屋郡新宮町を流れる本流の二級河川。
新湊川 (長崎県) - 長崎県島原市を流れる本流の二級河川。
湊川 (指宿市) - 鹿児島県指宿市を流れる本流の二級河川。
湊川 (西之表市現和) - 鹿児島県西之表市の主に現和地区を流れる本流の二級河川。
調べてもやっぱり結構あるな
八幡 (中泊町)(はちまん) - 青森県北津軽郡中泊町にある大字。
八幡 (猪苗代町)(やはた) - 福島県耶麻郡猪苗代町にある大字。
八幡 (市川市)(やわた) - 千葉県市川市にある町。 JR東日本、都営地下鉄の本八幡駅、京成電鉄の京成八幡駅がある。
八幡宿 (下総国) - 佐倉街道 / 成田街道の宿場町(現在の千葉県市川市八幡)。
八幡 (伊豆市)(はつま) - 静岡県伊豆市中伊豆地区にある地名。
八幡 (近江八幡市)(はちまん) - 近江八幡市にある地区で、同市の旧市街地。
近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区(おうみはちまんしはちまんでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく) - 上記にある重要伝統的建造物群保存地区。
栃木とは全く違う県の公立学校でいっとき事務員やってました。以下感想。
■賛助会員について
・うちの学校では自治会費と一緒に集金してもらってました。会費は地区の班長さんから専用の口座に振込んでいただいてました。
中体連の際旅費の補助や部活に使う道具など。町がすぐには買ってくれないものや却下されたものなど、公費よりは使い勝手の良いお金でした。
旅費別途という仕組み(他の団体から旅費が出る出張)として処理できる気がするんですがどうでしょう?
私はすぐに異動したしそのような事例はなかったので断言し難いです。
ちなみに出張の際は出張しましたという書類を書きます。旅費別途の場合も必ず書きます。これも出勤簿と照らし合わせて定期的に監査を受けます。
監査するのは教育委員会の人です。町だったか県だったかは忘れました。
旅費別途の場合は出どころが公ではないので、公費出張とは別ファイルに綴じて違う扱いをしている学校もあるかもしれません。
出張しましたという書類は必ず書かなければなりません。大昔はサボる先生もいたかもしれませんが、担当した学校では絶対に書いてもらうことを徹底してました。
また、月末には他校の事務担当同士で抜けがないか、費用に間違いがないかを必ず相互確認してました。このあたりも自治体によって違うかもね。
■強制か否か
田舎だと付き合い上拒否しづらいので実質義務になってることはありえます。
担当した学校では自治会長さんが「嫌がって文句を言う人も少なくない」と愚痴ってました。権力関係があるから故にではなく、近所付き合いのため払うような感じです。意志力があれば断ることもできなくなさそう。
転勤族の私が見た感じでは、部活で結果を出すことを誇りに思っている人が地区にある程度いるので成立しているように思いました、
■町の教育委員会について
教育委員会は学校より偉い、権力を持っているという印象をお持ちの方が多いようです。
実際中の人は単なる町役場の職員なので校長先生に高圧的に接することは少なくとも担当した学校ではなかったです。
そもそも教育委員会の中の人は卒業生だったり子どもの父兄だったりするので、学校とはそれなりにウェットな関係でした。
■違和感を持った点
教育委員会は行政組織です。そして今回の場合、問題提起している方は地区住民です。
行政組織はふつう公文書をトラブルになっている住民に見せたりしません。(PTA総会の資料とかなら別ですが文脈上そうではなさそう)
教育委員会と学校って本店と支店みたいな関係ではなく半分は同僚みたいなものなので、今回のような場合学校サイドに立って謝罪なりなんなりするのがフツーです。
■雑感
少なくとも私含め大抵の学校の人はトラブル起こさず平和に日々を過ごしたいです。
一部そうでない人もいますが、公立学校は定期的に転勤があるので、学校のお金を私物化できるような仕組みは持ちにくいと思います。まぁ部費とかは監査なかったりするので絶対ないとも言えませんが…
地域クラブということは、一般の吹奏楽団とほぼ同じような団体になるので、一般楽団を複数経験している増田が「お金」の面を試算してみたよ。
練習場所の費用、楽器保管場所の費用、楽器保管場所から練習場所やコンクールなどの本番演奏の場所まで楽器を運搬するための費用、外部講師の費用、個人保有が難しい楽器や設備(主に打楽器、ハモデレなど)の維持管理費用、譜面購入費などだ。
・地域は首都圏のベッドタウンレベル。今話題の柏市クラスとする。
・練習は週3回(平日2回、土日どちらか1回)、1日あたり3時間とする。一般楽団は初心者を断っていることもあり週1回の練習がほとんどだが、学生を対象とした地域クラブの場合は初心者教育も行わないといけないため、週3回とする。
・練習準備と後片付けにかかる時間はそれぞれ1時間とする。つまり練習場所の確保は5時間必要。
・外部講師は毎回の練習に来てもらう常任指揮者1名と、土日練習で管楽器や打楽器などを見てもらう講師2名が居るものとする。
・練習場所は公民館のホールレベル、保管場所は8帖のレンタルボックス、楽器運搬に使うのは2tトラックのレンタカーとする。楽器運搬に使うレンタカーの運転は団員の親が持ち回りで担当するものとする。
・本番は吹奏楽コンクール2回(県大会、地区大会)、定期演奏会1回とする。→これは学校の部活と同じ条件なので、費用試算では考慮しない。
・大型楽器や打楽器のラインナップは地区大会まで出られるレベルの吹奏楽部と同等とする。ティンパニ4台、鍵盤楽器一式、ピアノなどを保有。また、楽器購入費は考慮しない。
練習場所の公民館は5時間利用だとだいたい5000円くらい。意外と安い。これが年間150回になるので75万円。
講師の費用は、まともな人(何処かのプロ楽団に常任メンバーとして属しているクラスの人)なら1人あたり3時間で2万円くらいが今の相場だ。常任指揮者には2万円×150回=300万円、講師2名は2万円×50回×2名=200万円。合計500万円。
保管場所は、8帖のレンタルボックスは1か月あたり3万円~4万円が相場。3.5万円とすると、年間42万円。2階建てのレンタルボックスの2階だともう少し安くなるが、レンタルボックスの2階は楽器の保管には使えない。階段の傾斜が急すぎて大型楽器の出し入れが物理的に不可能だからだ。
練習場所への運搬費用は、レンタカー費用が1回当たり1.5万円なので、150回を掛けると225万円だ。
合計すると、862万円。
この中で学校の部活動だとかからない(学校側が負担してくれる)費用は「練習場所費用」「常任指揮者の費用(顧問が担うため)」「保管場所費用」「練習場所への運搬費用」であり、それらを差し引くと300万円。
これは大雑把な試算だが、部活動を地域クラブ化することで、かかる費用、つまりクラブ活動の参加者が負担するお金は2倍以上になると言うことは覚えておくとよいだろう。もちろん団としてのレベルを下げて、ティンパニは保有しない(ティンパニを使う曲を一切やらない)で4帖のレンタルボックスで間に合うようにする、練習回数を減らして楽器運搬もミニバンで間に合わせるようにするなどしたらかかるお金はもっと減るが、それは吹奏楽団の「質」とトレードオフになる事も覚える必要がある。
数日前、ドラッグストアでコンドームを探しまわった体験録を書いた悲しき24歳労働者です。
https://anond.hatelabo.jp/20220528225125
勢いに任せて書き殴りろくに推敲もしないままインターネットの大海へぽいと投げてしまったものの、なんだか恐ろしいことをしてしまったような気がして翌日こわごわ匿名はてなを開いたところ思いの外たくさんの方に読んでもらったようで。コメント見ました。全部見ました。匿名はてなを覗くとき、匿名はてなもまたこちらを覗いているのだ。
サガミオリジナル0.02Lサイズはやはり男のプライドなんでしょうか。白状するとさっぽろ時計台と書きながら思い浮かべていたのはテレビ塔のほうで普通に脳内変換ミスでした。長文乱文すみません、いやほんと、長いっていうのがいちばん多かった。す、すみません。
いやー、なんだかみんなおんなじ文章読んでるはずなのに気になる部分が全員違うって、そりゃそうなんだけど不思議なことだなあとブルーライトが眩しい液晶の前でうっすら笑みを浮かべながらスクロールに次ぐスクロールをしていたら。
「今好きな女の子がいて、のところがスルーされてるのはなぜ? 何度も読み返した」
さすがデュオ!
俺たちが見逃してしまうことに平然と気がつく!
そこにシビれる!憧れるゥ!
女を好きな女の話をしましょう。
えー、いま現在わたくしは好きな女の子がいます。付き合ってはいません。思いを伝えてもいません。
わたしにとっては好きな女の子、向こうにとってはわからない。お互いにとっては毎日LINEをする友達。
仕事が終わらないだとか、三谷幸喜は血も涙もない脚本を書くねとか、コナンが外出するとそれだけで人的及び物的被害が多発するから彼は名探偵になるよりも早急にお祓いを受けたほうが世のため人のためってやつだよねとか、そんなくだらないことをつらつらと話すだけだけど、それで結構満足している。
LGBTというアルファベット4文字がだいぶ世間に浸透し、昨今なにかと話題のセクシュアル・マイノリティ。いや別に話題になろうがならまいがわたしが女を好きな女であることに変わりはないのだけれど。まあ言語でもって共通認識があったほうが話が早いのは確かな人間社会。
わたしは男の子も女の子も好きになる女なので、所謂バイセクシュアルの女性というやつにあたるんだろうなとふんわり思っている。
なぜふんわりかというと、実のところ自分のことを「女が好きな女である」と自覚したのがわりに最近、ここ数年のことだから。石のように揺るがない確固たる意志だとか、テコでも動かんぞ!というがんとした姿勢でもって「好きだ!」というのではなく「いやまあ好き……っすね………」みたいな感じ。
自分のことを定義付けできたのは大学生になってから。女の子への初恋は中学生のとき。憧れの先輩がいた。
週に一度、習い事のためにいつもは乗らない電車に乗るときが、部活も学年も帰り道も違う先輩と2人きりで話す唯一のチャンスだった。
容姿端麗・頭脳明晰・運動神経抜群な先輩は地区でいちばん頭のいい高校に合格した。卒業式の日、制服のボタンを貰った。翌年同じ高校に入学した。廊下ですれ違うたびに手を振ってくれる先輩が眩しかった。先輩みたいな人になりたい。憧れの存在だった。
ただ当時のわたしはアイドルの嵐がめちゃんこ好きだったり、仲の良いクラスの男子と定期テストの結果を競い合って負けたらサーティーワンのアイスを奢るために一緒にショッピングモールに遊びに行ったりと、まあ、なんだ。傍目から見たら普通に男子が好きなんだなあという感じだっただろうし、自分でも男子が好きなんだなあということは疑いようもなかった。
ただ一方で、じゃあこの先輩への説明のつかない気持ちはなんなんだという疑問が胸の奥ーーのほうでキャラメルリボンのようにぐるぐる渦巻いてもいた。
実際サーティーワンの男の子からはサーティーワンの帰り道に付き合ってほしいという申し出を受けた。素直に舞い上がった。けど、高揚のままによろしくお願いしますとシェイクハンドしてしまうのは、なんか、なんか違うよなと思った。
「ごめん」のひと言を伝えるのがやっとのわたしに、サーティーワンボーイは
「おっけ。次のテストも負けねえから」と爽やかに返してくれて、それが告白されたことよりも嬉しかったのを覚えている。
アイスの冷たさが沁みる季節も過ぎて、短い秋をのんべんだらりと過ごしていたある日。地元の図書館で本を貪り読んでいたところ、雷に打たれたような衝撃を食らった。
それは少女小説「マリア様がみてる」との出会いであった。まじ、衝撃であった。
マリア様がみてる、通称マリみてとの出会いはわたしの恋愛観を180度どころか900度くらい変えた。まじ、根底からひっくり返ったのち勢いそのまま何周かした。わたしの精神世界はさながらセカンドインパクト後のような様相であった。信じられん存在感をもってして、わたしの世界を一夜のうちに変えてしまった。
お、女の子のこと、好きになってええんか……。
先輩への憧れを、尊敬とか思慕とかそういう言葉でもやもやっとさせなくてもええんか……。
近付きたいと思ってええんか……。
まじか…………。いや、まじか…………。
もう、絶句であった。
クラスメイトたちがせっせと次の定期試験に向けて勉強しているさなか、わたしはただひとりマリみてを読み漁った。とりあえず全巻読破した。
まじか。うわー。まじかー。
マリみてを読むことに全ての力を注いでいたためサーティーワンボーイとの賭けには再び負け、今度は購買のパンを奢らされた。苦手な物理では赤点を取った。けれどもそれらはマリみての前では些細すぎる出来事だった。
まじかー。
この「まじかー」という思いを3年間引きずったまま、けれども先輩との距離をそれ以上縮めることもできずに、先輩が卒業したあとは何事もなかったかのような顔をして男の子と初お付き合いをしたりしてわたしの高校生活が終わった。
マリみてどころの騒ぎじゃなかった。
盆と正月とクリスマスと創造神と破壊神がいっぺんにこの世にやってきて世界をめちゃくちゃに踏み荒らし、亡き者の命を弔い新たなる生命の誕生を祝福し、一筋の光を灯しては消して灯しては消して「じゃ!あとは自分で頑張って!」と言って帰っていった。
まじ、衝撃であった。
セクシュアリティ、多様な性、LGBT、性別二元論エトセトラエトセトラ。それらすべての言葉や考え方が、自分がどれに当てはまる当てはまらない関係なく、誰もかれもに関係する言葉であるのにも関わらず、わたしは過去18年間何ひとつ知らなかった。
ただ己の直感のみで生きるしかなく、その直感の中に「もしかしたら女の子が好きかもしれん」というものがあり、がしかし、なまじ男子も好きになるがゆえに「いやいや、まあそれとこれとは違うっしょ」という感じで奇跡的な気付きに雑に蓋をしてしまっていたのだった。
と思わないでもなかった。
でも、じゃあ仮に高校時代に「女を好きになる女」みたいなことを調べたとして、わたしが先輩に何がしかアプローチすることはあったのか?先輩後輩の均衡を最後まで崩さなかったのは紛れもなくわたしの選択肢ではないのか?
どうしょもないIFすぎる問いを抱えたまま、とりあえず次に好きな女の子ができるまで、何事も何事もなかったムーブで過ごそうと決めた。
ただ、ちょぴっと知識を得たことで、わたしの「普通」がちょぴっと変わった。
女を好きな女であることをことさらに全面に出すこともなく、かといって、押し込めるわけでもなく。普通に男の子とも付き合うし、好きになったら女の子にも普通にアプローチする。だって好きなんだもん。別にいいじゃんね。
クィアの講義を受け持っていた先生は、セクシュアリティは個人的なもので、そして流動的なものでもあると言っていた。わたしは結構この言葉が気に入りだった。
個人的なもの。わたしだけのもの。流動的なもの。変わってもよいもの。わたしのものだから、変わったって変わんなくなって、誰に文句を言われる筋合いはない、もんもんとしたときは、そういうものがわたしの体の中心にすーっと通っていることを思った。
その「すーっ」を思う効能は、何事も何事もなかったムーブよりもはるかに効き目があった。
いま好きな女の子に対して、踏み込みたいという気持ちが無いわけではない。そりゃ好きだからな。
2人で遊ぶこともある。今度は旅行しようねと話してる。
舞い上がらないわけがない。でも彼女が少なからずわたしを信頼してくれているのがわかるから、それを壊すようなことはできないなーと、綺麗な横顔を見ながら思う。
わたしにとってわたしのセクシュアリティがわたしだけのものであると同時に、彼女にとってのセクシュアリティも彼女だけのものであり、そんでもって関係性というのは両者で作るものだ。お互いを尊重したうえで変容を求めるなら変容を、現状維持なら穏やかに関係を続けていけばいいのだ。
で、わたしは別に彼女に「わたしは男も女も好きです!」みたいな宣言をしたことはない。ので彼女は多分知らないと思う。言うならきっと、女だとか男だとかではなく。必要なのは「あなたが好きです」というただひと言なんだと思う。で、わたしはまだ思いの丈を伝える覚悟がないから言わないだけで。
ていうか別に、宣言とか、しないよね。なんかセクシュアル・マイノリティばかり言う言わないうんたらかんたら色々ありますが、
言う人もいる、言わない人もいる。
わたしのように匿名ツールでなら言えるとか、ざっくばらんな恋バナをする友人には言えるみたいな人も、いや家族や職場に言います、という人もいるだろうし。本当に、人それぞれ。その人だけのもの。個人的なもので流動的なものだから。
だからこう、ネットでも現実社会でも、まじかーまだその段階かーみたいな発言やら意見やらを見かけることは多々ありますが、知識を得た今ならそういったあれこれ全て、わたしの個人的なものを傷つけたり揺るがせたりすることはできないのだよ、と自分に言ってあげられる。ただ、中高生のころのわたしのように、じゅうぶんな情報や知識にアクセスできない若い子たちが不用意に傷ついていないかは心配しているよ。ていうか本当、いちばんはそこだよね。
トヨタ自動車が日本で有名な自動車メーカーであることは言うまでもないことだが、その前身が食器メーカーであったことはあまり知られていない。
豊田市は愛知県の北部に位置しており、瀬戸市や岐阜県多治見市と隣接している。
瀬戸市は日本六古窯の一つである瀬戸焼で有名であり、東日本では陶磁器全般を瀬戸物と呼ぶほどに広く流通していた。
多治見市もまた陶磁器の名産地であり、アニメ化もされた「やくならマグカップも」の舞台と言えば説明が早いだろう。
豊田市・瀬戸市を中心とした猿投地区は古代から窯業が盛んであり、日本の三大古窯の一つである猿投窯跡群を形成していた。
今でこそ豊田市に窯業のイメージはあまりないが、トヨタが自動車製造を事業化する以前は、瀬戸市や多治見市と同じく窯業を主産業とする町であった。
窯業は縄文時代(縄文土器)から存在する生活に不可欠な産業で、時代と共に需要は大きくなっていき、明治維新によってさらに窯業製品の需要は大きくなる。
西洋建築の勃興による煉瓦(れんが)の需要、石油製品や化学薬品を保存する甕(かめ)の需要、送電線を支える碍子(がいし)の需要である。
しかしながら、瀬戸焼はこうした需要に応えることはできなかった。
常滑焼もまた日本六古窯の一つだが、愛知県知多半島に位置する常滑市は伊勢湾に面しているので、海運で日本各地の需要を支えることができたからだ。
一方で、瀬戸も常滑に対抗しようと流通力を強化するために鉄道を敷設したが(後の名鉄瀬戸線)時すでに遅く、近代産業から撤退して食器作りを中心とした伝統産業へと回帰していった。
常滑では明治時代に伊奈製陶が創業して、INAX・LIXILと企業名を変えながら国内の窯業で高いシェアを誇っている。
トイレや洗面器ではTOTOに次いで国内シェア2位で、タイルについては国内どころか世界で1位のシェアである。
一方で瀬戸からはそのような大企業は生まれていないことから、愛知県内の窯業で近代産業を担ったのは常滑ということが理解できるだろう。
ここでようやくトヨタの話になるが、明治時代に豊田市は存在しておらず、その前身である挙母町でも近代産業を支えるほどの陶磁器製品を生産することはなかった。
佐吉は小学校を卒業後に家業の食器作りの修行をするが、父が伝統製法に固執して経営が伸び悩んでいることに苦心していた。
18歳のころ、家業を立て直す唯一の道は最新技術を学ぶことと考え、東京方面へ出奔する。
その折で、東京上野で開催していた内国勧業博覧会を何度も見て、最新の窯業技術を目に焼き付けた。
そして東京から帰郷し、当時最新鋭の台車式トンネル窯を製造した。
それ以前の窯は、製品を人力で運び入れてから予熱・焼成・冷却の全工程を何日もかけて行った後に、人力で運び出す必要のある代物だった。
種類にもよるが陶磁器の焼成に1000~1400℃まで加温する必要がある一方で、人力で搬出入する際はもちろん窯の中に入れる温度まで下げなければならない。
これでは、温度の大幅な上下が必要なので時間がかかるだけでなく熱効率も悪い。
一方で台車式トンネル窯なら、製品を乗せた台車をレールに沿って動かすので、人が窯の中に入って搬入出する必要はない。
窯は温度分布のついたトンネル状の部屋になっており、台車がトンネルを進行することで自動的かつ連続的に予熱・焼成・冷却ができるので、温度管理も簡易だ。
この台車式トンネル窯により食器を自動的に大量生産できるようになったので、佐吉は豊田自動食器株式会社を設立することとなった。
会社設立後の経営は右肩上がりだったそうだが、明治から大正へと年号が変わる頃には製品の輸送に悩まされることになった。
歴史的に挙母町の物資輸送は矢作川の船運が担っており、豊田自動食器の食器工場で製造した食器類も例外ではなかった。
しかし、知多半島方面への用水供給を目的とした愛知用水の開発により、矢作川の水量が減り船運が困難になった。
食器の生産量は増える一方で矢作川の船便は縮小していき、代替としての馬車や人力車の輸送にも限界があった。
それでも、当時は三河鉄道の敷設中であり(後の名鉄三河線)、開通によって挙母町から国鉄刈谷駅へ鉄道輸送が可能となるのは決まっていた。
しかし、それまで待ちきれない佐吉の息子の喜一郎は、自動車を独自に製造して食器を自動車輸送することを考えた。
喜一郎は食器販売の滞りで需要の無くなった台車式トンネル窯を分解して自動車部品にした。
そして、窯の燃焼ガスを動力に台車を運転する機構を応用して、台車に燃焼機関を乗せることで自動車の製造に成功した。
さらに、食器を自動車輸送するだけでなく、自動車を製造・販売することにも思い至った。
それだけでなく、喜一郎は将来自動車が大量生産されることを予測して、食器を台車に乗せて連続的に生産するように、自動車も台車に乗せて連続的に生産する仕組みを考案した。
これが現在自動車生産で主流となっている、ライン生産方式である。
このようにして豊田自動食器に設けた自動車製作部門が分離独立したのが現在のトヨタ自動車株式会社であることは、もはや説明するまでも無いだろう。
なお、食器工場は第二次世界大戦の空襲によって焼失し、喜一郎の経営判断により食器製造部門は切り捨てて自動車生産へと舵を切ったので、豊田自動食器株式会社は現存していない。
話は少しそれるが、トヨタ自動車の前身は豊田自動織機である、という誤記をネット上でよく見かける。
もちろん正しくは豊田自動食器なのだが、「食器」と「織機」で読みが同じなので誤変換してしまうのだろう。
それだけならまだいいが、トヨタはミシンを製造していたというヨタ話(トヨタだけに)も一緒に流布していることもある。
豊田市(挙母町)で窯業が盛んだったことは地理的にも考古学上でも明らかなのに、なぜそのような勘違いをしてしまうのだろうか。
この年寄りばかりの地区に引っ越して5年。今年自治会長に任命されてから色々とやっているのだが、昔から惰性でやってることが多くて辟易する。
神社の一角にある石室に丈六様というのが祀られていて、何の神様かもわからないまま例年自治会費から一括で一世帯300円を納めていた。
周辺地域の自治会からも同様に貰っているとするならば、1世帯300円とは言え、そこそこの金額が神社に入金されている。
返礼としてその神社から紙のお札と人型を頂戴するのだが、丈六様とやらの祭事も特に大きな告知も無く、神主と自治会長数名が参加するのみで正直お粗末な感じだ。
本殿での祭事ならいざ知らず、境内の麓にある小さな祠のイベント。
せめて由緒とか具体的にして回覧でもすればいいのに。
神主とかが神社を拠点に地域を盛り上げようとやる気があるんなら派手なイベントにするんだろうけど、供物も準備も自治会持ちで、ただの集金イベントだから細々適当にやって身銭を稼いでいるようにしか感じられない。
少し離れた地域の神社なんか結構(インスタ映えとかも取り込んで)地域を巻き込んだイベントを派手にやっているのを見て尚更そう思ってしまう。
そういった神社ほど境内も綺麗だし参拝客も多い。周辺自治体のパワーもあるんかな?
じゃあ、自治会長が太鼓持ちで派手にやれよって言われるのかもしれない。
よそ者・若者・馬鹿者ではないけどさ、せめてどんな由緒があってどんなことを祭事するのか神主に効いて調べて、回覧板にして人集めしてみるつもりではあるけど。
なんか、SNSとかで一発当てればいいんだろうけど。
正直個人的には辞めてもさしあたって問題ないんじゃないかとも想ってる。
地元のジジババに愚痴ったら、『罰当たりな新参者』とか言われそうなのでここで吐き出した。
そのジジババもろくに由緒なんか知る由もないだろうけど。
コンビニ本部が、客の多い地区に店をどんどん増やしていくのと同じようなものを感じる。
店からしたら近くにコンビニができると客が分散されて売り上げが減るけど、本部からしたら100の店が一軒あるより、70の店が2軒とか、50の店が3軒とかの方が儲けが増えるみたいな。
先日、ガーナのアグボグブロシー地区の特集をテレビでやってた。世界中から電子機器のゴミが集まってくる「電子ゴミの墓場」と呼ばれている地区だ。
その番組の中で、現地の人は有毒ガスが充満するゴミの山からせっせと金属類を取り出してお金を稼いでいるといっていた。それが普通に働くよりもかなり稼げるらしい。だから生命・健康に害があってもやめない。やってることはゴミを拾ってきて、燃やして、金属類を回収して売ることだけ。文字を書けなくてもいいし、特別な技能も不要だ。支援の手を差し伸べる人もいるがそれを拒絶して現状の危険だが稼げる仕事に固執する。
これ見てて構造がパパ活とか風俗とかそういうのと同じだなと思った。
生命や健康に危険があるけど、体を売った方が稼ぎがいい。一般的な仕事で使えるようなスキルは一切身につかないけど、お金は稼げる。だからやめない。一時的に一般的な仕事についてもスキルがないから賃金が低く、長く続かない。そしてまた体を売る仕事に戻ってしまう。やめられなくなってしまう。
手っ取り早く稼げるが危険で何のスキルも身に付かず将来性のない仕事は麻薬みたいなもんだ。
で、女にとってそれは体を売ることで、男にとっては毒ガスの中で働くことなんだな。
それってある意味セーフティネットでもあるのはないだろうか。何のスキルもなくても誰でもありつける仕事でそれなりに稼げるから生きてはいける。
先進国では上記のような毒ガスの充満する中での危険な仕事は高度技能職になって、何のスキルもない男には到底ありつけない仕事になってしまった。まぁいいことなんだろうけど、何のスキルもない男が生きていくには不便になったともいえる。
女の方の体を売る仕事はまだ健在だ。でも将来的にはなくなっていくのかな。それとも買う男がいる限りなくならないのかな。まぁなくならないよなぁ。
https://www.smfg.co.jp/sustainability/report/topics/detail096.html
マグマから得られる地熱や、地表付近の地中熱は国内で安定的に得られる国産エネルギー源で あるにもかかわらず、これまであまり利用が進められてこなかった。しかし、エネルギーの在り 方が抜本的に見直される中、あらためて地熱資源に注目が集まり始めている。
東日本大震災や地球温暖化問題を機に、エネルギー政策の抜本的な見直しが議論されている。太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギーが注目を集める中、新たな脚光を浴びているのが地熱資源だ。地熱資源は、マグマの熱に由来する高温流体を利用する地熱と、太陽熱に由来する地表周辺の地中熱の2種類に分類される。地熱も地中熱も実用化の歴史は長いが、国内ではあまり普及が進んでいない。本特集では、地熱発電と地中熱利用、それぞれの現状と普及に向けた課題、今後の展望を考察する。
地熱発電に利用されるのは、マグマから得られる熱エネルギーだ。火山帯の地下数キロメートルから数十キロメートルには、1,000℃を超える高温のマグマ溜まりがある。このマグマ溜まりで熱せられた岩石中に地下水が浸透すると、熱水あるいは蒸気を蓄えた地熱貯留層ができる。この地熱貯留層まで井戸を掘り、200~350℃という高温の熱水/蒸気を取り出してタービンを回すのが地熱発電の基本的な仕組みだ。その魅力は、24時間365日安定的に発電可能で半永久的に枯渇の恐れがないことと、発電時のCO2排出量がほぼゼロであることだ。
日本の地熱資源量は2,300万キロワット超で、アメリカ、インドネシアに次いで世界3位を誇るが、発電設備容量で比較すると、1位の米国が309.3万キロワットなのに対し、日本は53.6万キロワットで8位にすぎず、豊富な資源を生かしきれていない状況にある。
日本の地熱発電が普及しなかった主たる要因は、「立地規制」「地元の理解」「エネルギー政策」の3つといわれている。
「立地規制」とは、政府が1970年代から景観保護などを理由に国立公園、国定公園、都道府県立自然公園における地熱開発を制限したことを指している。国内の地熱資源の7~8割は国立公園内にあるため、これが事実上の開発制限となってしまっているのである。
「地元の理解」とは、地熱資源立地区域に隣接する温泉地区の事業者の理解が得られないことである。科学的な根拠や具体的な因果関係を示すデータはないが、温泉地に関わる観光事業者が温泉源枯渇を理由に開発を拒否するケースは全国で起きている。
「エネルギー政策」とは、政府による開発支援の問題と言い換えてもいい。1974年に始まった「サンシャイン計画」では、地熱発電は主要な発電方法の1つと位置づけられ支援策も充実していたが、1993年の「ニューサンシャイン計画」以降、研究費が削減され、1997年の「新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法(新エネルギー法)」では、「新エネルギー」分野の研究開発対象に選ばれなかった。さらに、2002年の「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法(RPS法)」では、対象となる地熱事業は「熱水を著しく減少させないもの」という条件が付いたため、従来の発電方式では支援を得ることが難しくなってしまった。
そもそも地下資源は開発リスクの高い事業である。開発の際は、地表評価を行った後、地下深部に多数の坑井を試掘し、発電可能な地熱資源を掘り当てなくてはならない。試掘とはいえ、掘削には1キロメートル当たり約1億円のコストがかかる。地中にはマグマがあるのだから、掘削すれば必ず地熱資源を得られるだろうとの推測は素人考えで、事実はまったく異なる。重要なのは、マグマ溜まりの探索というよりも地下水が貯まる地熱貯留層を掘り当てられるかどうかだ。現代の高度な探索技術をもってしても、地下1~3キロメートルに分布する地熱貯留層を正確に検知することは極めて困難で、今も開発事業者の知見や勘に頼らざるを得ないというのが実情だそうだ。首尾よく掘り当てたとしても、高温蒸気を安定的に得られるのか、どの程度の発電ポテンシャルがあるのか、熱水の長期利用が周辺環境に影響を与えないのかなどを見極めるため、数年間にわたるモニタリングが欠かせない。そのうえ、資源を掘り当てても認可を得られなければ発電事業はできない。地熱発電の調査から開発までに10年以上の期間が必要とされるのは、このような理由による。ある意味、油田開発と同等のリスクとコストが必要とされながら、出口としては規制に縛られた売電しかないため大きなリターンも期待できない。こうした状況では、地熱発電事業への参入者が現れなかったのも、致し方ないといえる。
しかし、地球温暖化や東日本大震災の影響により地熱発電に対する風向きが変わってきた。地熱開発を阻んできた3つの要因すべてに解決の糸口が示されたのである。
まず、環境省が、地熱開発に関わる自然公園法の規制緩和に動き始めた。2012年3月21日には、第2種、第3種特別地域について、域外から斜めに掘り込む傾斜掘削を容認し、さらに関係者や地域との合意形成、景観に配慮した構造物の設置、地域貢献などを満たす「優良事例」であれば、技術的、コスト的にも負担の少ない垂直掘削も認められることとなった。これに加え、3月27日には「温泉資源の保護に関するガイドライン(地熱発電関係)」を都道府県に通知し、地元調整の在り方を具体的に示した。これらの施策により、立ちはだかっていた「立地規制」と「地元の理解」に関するハードルが一気に下がったのである。
さらに、経済産業省が、2012年度予算に地熱資源開発促進調査事業として91億円を盛り込み、地表調査費用の4分の3、掘削調査費用の2分の1を補助。資源開発のノウハウを有するJOGMEC(独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構)による開発準備段階の民間企業への出資や、開発資金を借りる際の債務保証ができるよう、石油天然ガス・金属鉱物資源機構法を改正する方針を示した。そのうえ、「再生可能エネルギーの固定価格買取制度」により、売電開始後15年間の地熱発電の買取価格(1キロワット当たり)は、1.5万キロワット以上で27.3円、1.5万キロワット未満で42円という価格が提示された。こうした「エネルギー政策」の転換により、地熱発電事業を覆っていた分厚い雲の合間から、明るい光が射し始めた。
こうした流れを受け、10年ぶりに新たな開発プロジェクトが動き始めた。電源開発(J-POWER)と三菱マテリアル、三菱ガス化学は、秋田県湯沢市葵沢・秋ノ宮地域で地熱発電所の建設を進め、出光興産は他社と連携し、北海道阿女鱒岳(アメマスダケ)地域および秋田県湯沢市小安地域に地熱発電の共同調査を行うほか、福島県の磐梯朝日国立公園内に国内最大の地熱発電所をつくる方針を示している。
岩手県八幡平では、八幡平市と日本重化学工業、地熱エンジニアリング、JFEエンジニアリングが出力7,000キロワット級の発電所を2015年に開設すると発表している。JFEエンジニアリング エネルギー本部発電プラント事業部の地熱発電部長、福田聖二氏は、「弊社は、全国18カ所の発電所のうち9カ所で蒸気設備を建設してきました。その実績とノウハウを生かし、今後は発電事業への参入も視野に入れて開発に乗り出します。また、世界最大のバイナリー発電メーカーとも協業し、従来型より環境や景観に配慮した次世代型の地熱発電所の開発にも取り組んでいきます。地熱発電は、一度開発すれば半永久的に安定稼働が可能というメリットがあり、太陽光や風力などの再生可能エネルギーとともに今後重要な役割を果たすものと考えています」と話している。
福田氏の言うバイナリー発電とは、熱交換器を通して地熱流体(熱水、高温蒸気など)の熱エネルギーを低沸点媒体で回収し、それを沸騰させてタービンを回す発電法だ。使用した地熱流体を地上に放出することなく全量還元できるため、地下水減少のリスクが極めて少ない。また、発電設備から蒸気を排出せず、国立公園などの自然景観に配慮した発電所を建設できるため、環境省の定める「優良事例」に認められる可能性が高いとして期待されている。さらに、熱交換用の低沸点媒体の種類によっては、温泉水(70~120℃)の熱エネルギーを利用した温泉発電も可能だ。温泉発電は、既存の源泉と温泉井に手を加えずに発電ユニットを後付けするだけで実現でき、温泉地への影響も源泉枯渇の心配もない。JFEエンジニアリングでは、福島県の土湯温泉町で2014年に500キロワット級の発電事業を始めるべく、計画を進めている。これは、震災の影響により温泉収入が減った同地で、地熱発電を地域活性化に生かそうとする試みである。このようにバイナリー発電方式は、大型の地熱発電所だけではなく、小型の温泉発電所にも適しており、地産地消型の分散電源として各地に広まる可能性も秘めている。
新エネルギーとして世界的に研究が進む地熱発電分野では、高温岩体発電など新しい技術も生まれている。これは、水を圧入して人工的に地熱貯留層を造り、熱エネルギーを抽出する方式で、天然の地熱貯留層を掘り当てる必要がなく、開発リスクを減らすとともにさまざまな場所で地熱発電が可能になるため、大きな注目を集めている。しかし、人工的な地熱貯留層の構築が環境にどのような影響を与えるのかなど、検証データが揃っていないため、実用化にはしばらく時間がかかると見られている。
国際エネルギー機関(IEA)の試算によれば、世界の地熱発電量は2050年までに年間1兆4,000億キロワット時まで拡大すると予測されている(2009年の地熱発電量は年間672億キロワット時)。現在、日本企業は、地熱発電用タービンで世界シェアの7割を占めるなど、同分野で世界トップレベルの技術を有している。今後、世界規模で拡大が予想される地熱発電分野において、日本企業が存在感を発揮することが期待される。
第2部では、もう1つの地熱資源「地中熱」について考察する。「地熱」と「地中熱」の最大の違いは熱源である。マグマに由来する熱水や高温蒸気がエネルギー源の地熱に対し、地中熱は、太陽で暖められた地表付近の熱がエネルギー源だ。火山地域など対象地が限定される地熱と違い、地中熱は全国どこでも得られ、安定的に利用できることが特徴だ。
地中温度は太陽熱の影響により浅部では昼夜・季節間で変化するが、10メートル程度の深度では年間を通してほぼ一定の温度を保っている。その温度は、地域の年間平均気温とほぼ同等となっている。ちなみに東京の地中熱は年間約17℃で安定している。四季のある日本では、大気は夏暖かく冬冷たいが、地中の温度は一定であるため、この温度差を利用して冷暖房や給湯、融雪などを行うのが地中熱利用の基本原理である。
地中熱利用にはいくつかの技術があるが、現在主流となっているのは地中熱ヒートポンプシステムである。これには、地下の帯水層から水を汲み上げて熱交換を行うオープンループ型と、水や不凍液などの流体を地中のパイプに通して放熱・採熱を閉じた系で行うクローズドループ型がある。オープンループ型は地下水を利用するため設置場所がある程度限定され、主に大型施設で用いられているが、クローズドループ型は場所を選ばず設置でき、環境への影響が少ないことから、現在の主流となっている。
地中熱利用促進協会の笹田政克理事長は「地中熱ヒートポンプシステムは、省エネ・節電対策および地球温暖化対策に極めて効果的です。このシステムは、気温と地中の温度差が大きいほど、通常のエアコンに対する優位性が高く、真夏や真冬ほど高い省エネ効果を発揮します。地中熱を利用すれば、冷房使用率が最も高い真夏のピークタイムなどでもエネルギー消費を抑えられることから、現在問題となっている電力供給量不足の解決策として期待されています。また、地中熱利用はヒートアイランド現象の抑制にも効果があります。ヒートアイランド現象は、建造物からの冷房排熱が大きな要因とされていますが、地中熱の場合、冷房排熱を地中に放熱してしまうため、都市部の気温上昇を抑える効果があるのです」と語る。
地中熱ヒートポンプによる冷暖房システムは、オイルショックを機に1980年代から欧米を中心に普及が進んだ。アメリカでは、現在100万台以上が稼働している。また、中国も助成制度を整備したことが功を奏し、世界2位の普及率を誇っている。これに対し日本は、2009年時点の導入施設数は累計580件にとどまっており、海外と比べて普及が進んでいない。これは、地中熱が認知されていなかったことや、掘削などにかかる初期コストの高さが主な要因と考えられている。
しかし、2010年に政府がエネルギー基本計画で地中熱を再生可能エネルギーと位置づけたことや、2011年度以降に「再生可能エネルギー熱事業者支援対策事業」「地域再生可能エネルギー熱導入促進事業」などの支援策が相次いで打ち出されたことから、国内でも急速に認知が進み、さまざまな分野で導入が検討され始めている。
コンビニエンスストア、学校、東京スカイツリータウン(R)も地中熱を導入
支援制度の拡充や節電意識の高まりを受け、近年、さまざまな分野で地中熱の導入が進められている。たとえば、羽田空港の国際線旅客ターミナルビル、東京中央郵便局の跡地に建設されたJPタワー、セブン-イレブンやIKEAの店舗、富士通の長野工場、東京大学駒場キャンパスの「理想の教育棟」など、ここ1、2年の間に導入が続いている。また、旭化成ホームズやLIXIL住宅研究所が地中熱冷暖房システムを備えた住宅を販売するなど、一般住宅でも地中熱利用が始まっている。
今、話題の東京スカイツリータウンでも地中熱が利用されている。同地域のエネルギー管理を担当する東武エネルギーマネジメントの Permalink | 記事への反応(0) | 19:37