はてなキーワード: 同人活動とは
1年前に初めて描いた同人誌の絵や話はめちゃくちゃで。でもたくさん感想をもらえた。凄く嬉しかった。本を出してよかったと思ったし勇気を出してサークル参加してみてよかったと、本当に思った。
それから今日までの約一年間割と早いペースでサークル参加をし、本を出してきた。
その前に出した本には自信がなかった。自分の中で解釈がまとまらず、でも時間がなかったから描くしかなかった。感想なんてもらえると思えなかったし落ち込んでいたからウェブ拍手のQRコードは巻末に載せなかった。
その後、ちゃんと考えをまとめてしっかり練って描かなければいけないと思ってわたしは一冊の本をかきあげた。内容に自信はあった。話のながれも面白いと思った。
ウェブ拍手のQRコードもしっかり載せて発行した。感想はいくら待っても来なかった。相互のフォロワーさんからも来なかった。
仕方ないと思う他なくて、次のイベントのためにまた作品と自分の解釈と向き合う。
同人活動なんだから無理なんてしなくていいとわかっているけど、自分の好きなCPのサークルが、本が、一冊でも多く世の中に出れば嬉しいという一心で漫画やイラストを描いている。
その時ハマッていたジャンルの有名なサークルさんの新刊がどうしてもどうしても読みたくて、真っ先に読みたくて、コミケの参加方法を調べて、交通機関を調べて、一生懸命メイクをして靴を履いて水筒と小銭を持ってコミケに行った。
人が多いと聞いていたけど、こんなに多いとは思っていなくて、足踏み散らかされ吐きそうになりながら目当ての新刊をゲットした。最高だった。
早く読みたい早く読みたい!! と思っていたのはそうなんだけど、せっかくなら、もうちょっと見て回りたいな、と思ったので少し会場を見て回ることにした。
当時の私は高校二年生だったので、参加費を勿体なく思ってしまったのだ。
他のサークルさんを下調べもしなかったし、一般初参加で勝手が分からない私は、取り敢えず会場をぐるぐるしてみようと思った。
取り敢えず見て、良き出会いがなければ素直に帰るか~という軽い気持ち。
そしたら、素敵なサークルさんを見つけた。私は最初「えっこんな…6ページしかないようなイラスト本が600円!?(ほんとうにごめんなさい)」とスルーしてしまった(ほんとうにごめんなさい、同人誌の値段にケチつけるようなクソ高校生だったんです)。
でもめちゃめちゃ絵が最高で、塗りも素敵で、見れば見るほど、「え、素敵…すき…欲しい…」って結局、踵を返して一冊購入した。良く覚えてる。
表紙を見て、「絵が素敵だって伝えてこよう。それはそれとして、もう一冊買おう」と思った。買った。
その後も、色んな同人誌を、高校二年生のお小遣いで買える範囲で買って、帰宅した。
帰宅して、当初の目的だったサークルさんの新刊を読んで「よ、良き~~~!!!」って感想をしたためて、早速送った。1週間後、もっかい送った(ファーストコンタクト感想と、後程落ち着いて考えた感想を送るクソタイプ)。
感想を送って満足した後に、ふと、「そういや高いけど欲しいなって思って買った本があったな(めっちゃ上から目線やんごめんなさい)」って、例の本を取って開いてみた。
最高だった。
上手く言葉にできない。なんだ、フランダースの犬の最終回、ルーベンスの絵を見れたネロの気持ちが分かった。死の淵にあっても、その絵を見れて良かったという心からの安堵。安らぎ。ハレルヤ。パトラッシュ、ほら、神同人誌だぞ。
え、え、え、?待って最高。早速感想を送って次の新刊もチェックだなって思って、奥付を見たのね。
書いてないの。
サークル名とペンネームと、印刷社しか書いてないの。サイトも書いてないし、連絡先も載ってないの。
いやいやいやいや~~~~www え? ん?
いや嘘でしょって思う人もいるかもだけど、マジで書いてないの。うそやん!っておもって一縷の望みをかけてパンフのサークルカットも見るけど、そこにも載ってないのやっぱり。当然だけど。
どうしようどうしようって、サイトを探すの、サークル名とペンネームで検索掛けて、ヒットしなくて、
検索エンジンでサークル名とペンネームで検索掛けて、ヒットしなくて、
イラスト集に描かれてたキャラを検索して、ひとつひとつサイトを見て行って、でも見つからなくて、
ジャンル仲間一人一人に神同人誌を見せて、この人、このサークル主、知らない?って訊いても、誰も知らなかった。
えっ………………………
あの時、この本を買ったあの時、サイト運営しているか、聞いとけばよかった。次も絶対買うのに。いや、買いたいのに。私はこんなにもこの絵が、この本が好きなのに。
自分勝手な感情だって分かっていたけど、でも、しばらく経ってもその思いは消えなくて、諦めきれなくて、自ジャンルの検索エンジン新着を眺めて、新しく登録されたサイトを見つけては、飛び込んで見ていった。
全部、やっぱりそのサークル主さんではなかった。それはそれとして巡回サイトは増えた。
ツイッターが流行った頃、ミクシィが流行った頃、ピクシブが風を巻き起こした頃、定期的にそのサークルさんの名前と主さんの名前を検索しては、0件に泣いた。
イベントに出かけて、サークルチェックをしては、その絵がないことに心が沈んだ。それはそれとして推しサークルさんは増えた。
就職しても、思い出した時に色んなSNSをチェックしては、「やっぱりいないなー」とちょっとガッカリした。その頃には、その人が見つからないことに慣れていて、神同人誌は読み返し過ぎてボロボロになっていた。
サークル名も、ペンネームも変えられたら、もう、見つける手がかりはないんだよな…と後ろを見ては、身体の中が冷たい不安で満たされるのを感じた。
でもやっぱりその人の新しい絵が見たい。それが叶わないなら、あなたの絵をずっとずっと、こんなにも好きで、つらいときも楽しいときも、あなたのこの一冊を読んでもっと心が満たされたんだって言いたい。伝えたい。人生が豊かになったって。どうした急にポエマーやな。
ずっと同人活動をしている保証も、その人がそのジャンルでずっと活動している保証もどこにもなくて、あまりにも見つからな過ぎて高校二年のあの夏は幻だったんじゃないかって何度も思った
ある時、というか、このブログ書いてる時期でモロバレなんだけど、あるイベントに友人がサークル側で出ることになって、私は丁度その時ヒマしてたので、売り子を頼まれた。
私はその時にはイベントから距離を置いていて、というか就職してからこのかた、ずっとイベントには出てなかったんだけど、丁度、そん時丁度ね、ヒマだったので、それを引き受けた。
ずっと売り子してたらええんかな~?と思っていたら、友人は昼ごろから買い物行って来ていいからね、って言ってくれたので、サークルとか一切チェックしてないけど、久しぶりのイベントだし、せっかくだから色々見てこようと思った。
いつもの調子で何冊か買って、さて、そろそろスペースに帰るかなって考えていた時にね、
あったの。あの絵が。あの絵の表紙が。
いや、そうじゃない、流石にあの絵ではない。でも分かる。この絵柄。あの人の絵だ!あの人の絵だ!あの人の絵だ!
あれから十年近く経っていた。でもあの絵だ!
ずっと探してた。書店とか行ってみたり、サイト巡りしたり、ペンネームが違うのかとそのキャラを扱ったサイトをひとつひとつ、ピクシブで一枚一枚探してた。
その絵が今目の前にある。新しいイラスト集だ!新しいイラスト集!
衝動的に一冊買った。既刊もあるのかな? と思ったら、特に無かった。何か言おうとして、でも何も言えなくて、「素敵な絵ですね」とやっと言って、スペースを離れた。
だって、十年もあなたを探していましたってなんか、…重くない?きもくない?って急に不安になった。人違いかもしれないし。
私はこういうストーカー気質なので、感想を沢山送っては、引かれることがあった。
私は、好きなものは好きだと伝えたいけど、相手を引かせたいわけでも不快にさせたい訳でもないから、気を付けている…つもりではいるんだけどやっぱりさじ加減が上手く行かないんだな。いや~~~こういう時に冷静になるとどうしたらいいのか分からなくなるな!!
どうしよう、どうしようか。って思って、しばらくスペースの周りをウロウロした。勇気がない。いつもあんなに感想を人に送っているのに、いざという時にヘタレ。なんでやねん。
やっぱり言おう、この本、あなたのものですかって。スマホに保存していた表紙を見せて、これ、あなたが描いたものですか?って。いや相手さんにしたらめっちゃ恐怖やな。スタッフさん呼ばれたらどうしよう。
でもやっぱり、諦められないよ。これが最後のチャンスかもしれないし。それはそれとしてもう一冊買おうって踵を返してあのサークルさんのスペースに戻った。
サークル主さんは、さっき来た私の顔を覚えていて(そりゃそうか)、「ああ~どうも~」って感じだった。もう一冊ください。
買って、後ろに人が並んでいないことを確認して、すごい心臓バクバクしてるのを感じながら、あのあのあの、これこれこれ!!!ってめっちゃドモりながら、スマホのあの神表紙を見せた。
「これ、あなたのご本ですか?!?!?」って。サークル主さんはちょっと面食らったあとに、「ああー、そうですよ。ずっと前のやつですけど、そうです。随分前に完売しちゃって再販も予定ないです…」と、既刊希望の人かな?って感じの説明をしてくれた。やべえ。会話下手くそ過ぎて伝わってねえ。
いやいや踏ん張れ頑張れ!!ここまで言ったならもう最後まで言っちゃえ!引かれたらそのままこの人の前から消えて、諦めよう!何もかも!と上述した全てのことを、手短に話した。
だって変な女がスペースを離れないんですけどって思われたくないし、他の人にも迷惑だからね。
その人は、泣いてしまった。や、やべえ…神サークル主があまりの恐怖に泣いている…、時間にして2分くらいの犯行である…。
ご、ごめんなさいキモイですね…って言ったら、その人は「自分の絵でそこまで言ってくれる人には、十年間会ったことが無かった。ありがとう。」って答えてくれた。
いや恐怖にすくんで私の様子をうかがっただけかもしれないけど…、気遣いかもしれないけど…。
でも、その反応だけで、今までのことが全て報われたような気持ちになった。私が探して探したあの十年の時間は、あんまり意味がなかったのかもしれないけれど(だって、その日、そのサークルさんを偶然にも見つけたことに、あんまり関連がないものな)、でもやっぱり良かったって思った。
あなたのサークルを探して出会った沢山のサイトがあって、あなたのサークルを探して出会った沢山の素敵なイラストがあって、あなたのサークルが繋いでくれた色んな縁があるんだよ。
「縁」ってやっぱりあるんだなって思った。
新しく手に入れたその神同人誌の奥付には、普通に連絡先が載っていた。
いや載ってるんか~~~~~~~~~~~~い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(でも、伝えたことに後悔はないです)
追記:https://anond.hatelabo.jp/20180304161620
追記というか完全に蛇足なんですけど…許して…。
同人活動の話。
と、いっても私は同人誌は出してない。
創作活動もしてない。
もっぱらロム専。
なんにも生産はしない、人様の作品を消費だけするタイプの人間。
でも素敵な作品を読むと、その感想を書いた人にいつも伝えたくなった。
実際伝えてた。
私は感想を送るのが大好きだった!
漫画もイラストも小説も、自分が伝えたいと思ったことは創作してくれた人にいつも伝えた。
それでも下手くそなりに一生懸命感想を送った。感想を送る際は何処でそれを見たか、何が良かったか、何処に一番心動かされたか。図々しい時はキャラクターの心情を推測してみたり、続きを想像しては続編を楽しみにしてると素直に言ってみたりもした。
長いと10000文字を越したりする。
気持ち悪いなって我ながら思う。けど書いちゃったし。
誤字はないか、読み手が気分を害するようなことを書いてないか確認して、ドキドキして送信する。
あ、そう!一番好きなのは手紙!これこそ一方的にイベントで渡して逃げれば良いだけ!!
読んでるかなんて知らない。
捨てられても良い。
感想のお返事はいらない。こっちが素敵な作品に触れて勝手にそれについて書いて。自己満足。
それに対し相手に見返りを求めることはしない。してはいけないことだと思ってた。
どういう作品を作るかは書き手の自由。書くのをやめるのも書き手の自由。
でも返信不要とは必ず書いてるけど、時々お返事をくれる人はいた。
拙いながらも私の書いた感想を読んでくれて嬉しい嬉しいって。そう言われるとやっぱりこっちも嬉しくなった。
私が伝えたかったことをきちんと汲んでくれたり続編に意欲的なってくれた人もいた。
友人に「感想を書くのも創作をしてることになるよ」なんて、言われて正直うかれていた。
たまに感想を送ってブロックされることもある。感想なんていらないって言われたこともある。感想送るのが好きすぎて身内から辟易されたりもする。
ブロックされた時は失礼なことを言ったかな?って感想読み返したり、次の人にはそうならないようにしようと気を付けた。感想いらないって人は見かけたら直接の感想は我慢した。
あとで言われたらそれ以降は控えた。
感想です!と送っているのでメールを読むのも好きにしたら良いし、手紙も捨ててくれて構わなかった。さっきも書いた通り自己満足だし、書きたくて書いてるだけで、誰にも強要されたことはなかった。
人に感想を送ることも強要したことはない。感想送るのが良いことって風潮も実はあんまり好きじゃない。
自分が義務的に送ってるように思われたくないから。ただ!好き!ってことを伝えたいだけ!!それだけ!!!
何処が良かった、この表情が好きだった、この言葉はずっと胸に残ると思う、この部分で泣いてしまった、この距離に胸を打たれた。そんなことを書きたいだけいつも書いてた。
そして感想を書くために素敵な作品を何度も何度も読み返す時間がとてもとても好きだった。楽しかった。
あれが私は大好きだった。
むかし拍手と言うのがあって、それはもう感想送りたがりの私は好きな書き手さんの作品が更新されるたびにぱちぱちしてはコメントを送ってた。
そんな感じでたくさん言葉を投げた。
ツイッターでは気軽に感想を欲しいと呟く人が多かったので幸いどんな感想も拒否されることもなかった。
イラスト可愛いです。その色合いがとても好きです。何日前の妄想ツイートとても萌えました。
そんなことを色んな人に毎日暇な時に送ってた。
けど、やっぱり感想欲しい感想欲しいってツイートが多く見られる。あれ?送ったのになって思う。また送る。
前読んだ漫画のあの部分が好きです。あのセリフが本当に印象的で。
伝えたいことなんて山ほどあった。
過去作の感想も送ってしまえと最初は楽しく送ってた。もしかしたら以前書いたようなことを繰り返し書いていたかもしれない。でもそこ好きだし。どうせ匿名だし。
また、送る。足りないのかな?また送る。
だんだん感想を送る場所を見付ける為に作品を読んでる気になってきた。おかしい。義務的に感想を送るのは嫌いなはずだったのに。
でも、どうすれば素敵な作品を生み出して下さる書き手さんの飢餓感のようなものを満たしてあげることが出来るのか分からなかった。いや、満たすなんて烏滸がましいけど。でも、私の送った感想はまるでなかったことのように扱われてる気がした。
書き手の方たちは毎日必ず匿名コメントでいくつか感想を貰ってるのに、私も送っているのに。感想欲しい感想欲しい。そうみんな言っている。
感想を読む読まないは自由だと思っていたのに急に不安になってきた。
何をどうすれば良いのかも分からなくなってきた。
取り敢えず送る、ひたすら送る。
返事が更新されてる。返事なんて求めていなかったはずなのにそれを見て安心する。でも感想が欲しいと言われ、また必死に送る。
そんな風に送り続けているといつしか感想を送る楽しみもわからなくなってきた。
匿名のツール、気軽さ。それによって自分の感情まで消費していくような気がした。
そして今までなんの見返りも求めていないと言いながらいつしか感想を送って相手を喜ばして悦にいる自分の性格の悪さにも気付かされてしまった。
こんな奴が今だれになんの言葉を送ったって駄目だと思う。
もうなんだか言葉が上手く見つからなくて、ふと自分は感想を送ることに疲れているのだと気付いた。
そうだ、もう、感想送るのはやめよう。
感想を書こうと楽しみに積み上げた本を見ながら思った。
次のイベントに参加されるか調べて手紙を書こうと思っていた本たち。どれも素敵な本ばかりだ。
一生懸命感想を書く為に言葉を探すことが好きだった。その私の一生懸命にはなんの価値もないことに、気付いてしまった。
別に私がそれをやめたところで。
定期的に起こる同人誌(グッズ)の価格設定について思うことです。
それを、以降つらつら書いてます。
・歴5年くらい、斜陽ジャンル/マイナー寄りキャラクター・CPメイン
・オンリーイベント(が開催されることがあるという程度のマイナーさと思ってください)で
新刊を50〜100部刷って、イベント終了時までに完売するか10〜20冊くらい残るか、くらいの規模及びその程度の人気のサークル
・大型イベント(コミケのような総合ジャンル即売会)はほとんど参加しない
・平日は普通の会社員として勤務&残業が多い職種。の合間をぬって同人活動してます。
こんな感じです。
私の基本スタンスは「自分が楽しく同人活動を続けられるかどうか」
よく学級会になる「大手が価格を下げると中堅以下が苦しくなる」「これに対してこの価格?儲け主義かよ」この辺は自分にとってどうでもいいです。
各自が自分のやれる範囲でやれるだけのことやればいいんじゃないの?
自分が客観的に見て大手〜中堅寄りなのか小手・ピコ寄りなのかはわかりませんが、他人のことは、一旦どうでもいいです。
・1人でも多くの人に手に取ってもらえる方が嬉しい
・基本的に平日は忙しいので通販はできない(平日でまで自由時間を削りたくない)、頻繁にイベントに参加できない
=通販・他イベントで売ることも見据えた長期的に見たときの多くの黒字、より、その場で捌けて多少の黒字が出る(もしくは印刷代がまるっと返ってくる)方が楽だし助かる
という感じなので、それを叶えようとすると、
その日のうちに捌けてくれると、精神衛生上も「いっぱい出たな〜!」という気持ちになるし、
在庫家に送らなくて済むので会場からの宅急便代はかからないし、帰りの荷物もその分軽いし、非常に気持ちがいい。
ぶっちゃけ小〜中部数で価格は抑えめなので、黒字はほとんど無いか赤字ばっかりですが、
あくまで趣味なので利益が出ず、旅費や参加費含めた時に最悪多少マイナスでも「趣味でやってることだし楽しかったし交流できたし」でいいかなって。
企業主催のユーザーの完全受動型のイベントに参加するのとそんな変わりません。
二次創作・同人ってキャラの権利とかを拝借して勝手にやってることですし、
あくまで自分はお金を落とす側(あわよくばちょっと黒字だとものすごく嬉しいくらい)かなと思ってます。
自分で書いておいて、商売下手かよ、と思います。(※同人で商売して儲ける気がそもそもない)
人気ジャンル大手サークルさんは噂によると500〜1000部単位で刷って公式か?というようなノベルティもつけてるみたいですが
すげ〜って。それ以上の感想は無いです。すげ〜。私にはできないな〜大手さんはすごいわ〜。と。
よく、「買い手は欲しいものは値段見て買わないから好きな価格設定でいいんだよ!!」っていろんな人が言ってますし、
それが言葉通りなら大手とピコ手が同価格でも、大手の方が安くてもその逆でも、買う理由に変わりはないんじゃないですか?
買ってもらえないのは、自分の実力なり人気なり需要がその価格で買うに至るにまで無いというだけで、他所様のせいにしちゃ駄目だなと。
装丁を豪華にするのだって結局は自分がやりたかったからそうしたのであって買い手の希望じゃないし、
装丁分100円上乗せしていつもより売れなくても「やりたいことやれたな〜もうちょっと出てほしかったけどな〜!」で終わりだし、
装丁分上乗せせずいつも通り売れても「やりたいこともできたし売れたし楽しかった〜」で私は終わり。
なんだかこう「同人=売り買い・商売」の印象が強すぎて楽しめなくなってる人が多いなって思います。
私の考えを押し付けるわけではないし(多分すごく少数派の意見です)、
ジャンルや界隈の雰囲気にもよるだろうし、サークル主様がどういうスタンスで同人活動をされてるのかによりますが
またフォロワーが1人、ジャンルのオフ活動から撤退した。泣きたい。
個人的には同人誌は売れること、感想をもらうことが全てではないと思う。
それでもジャンルが斜陽になり、サークルや海鮮が減るとそれに伴って人がいなくなっていく。
メジャーなジャンルはさぞかし楽しいんだと思う。行ったことないから分からないけど。
お金が儲かる?
承認欲求が満たされる?
じゃあこのご時世にマイナージャンルで同人活動をする意味ってなんだろう。
本を作りたいなら自分用に一冊だけ作れる。
中身はネットで公開も出来る。
同人誌にするよりもずっと多くの人に見てもらえる。
そもそも交流だけならツイッターで出来る。スカイプで通話も出来る。
同人活動ってなんだろう。
二次創作ってなんだろう。
私はなんでこんなマイナーなところで20冊も売れない本を、何ヶ月もかけて命を削って描いてるんだろう。
ものすごく好きな同人作家Aさんがいた。マイナージャンル、マイナーカプ。作風もすごくニッチ。
私は同じジャンル内の別のカプで同人活動してたけど、ツイッターでAさんをフォローして、熱い気持ちを込めた長文感想DMを送りつけた。
迷惑だったかもとは思ったけどそれより気持ちを伝えたいというのが上回った。
少し経ってから返信が来て、感想がすごく嬉しかった励みになるということが書かれててこちらも送って良かったなと思った。
その後ツイッター上でたまにやりとりをする程度には仲良くなっていった。
その後何度かイベントで会って話したり、本の感想を送りあったりしていた。
Aさんは優しいので別カプの私の本も読んでくれていた。
私もAさんの作品が大好きで新刊が出るたびに熱い感想を送り続けていた。
私はその後しばらく仕事やプライベートが忙しくて、同人イベントに出るのを休止した。
私はイベントには足を運べなかったから通販で買って感想を送る、という形になっていった。
その間にジャンルはアニメが終わり、原作も終了。元々多くはなかったけど、更に人が減っていた。
それでも私はジャンルが好きでオンライン上で絵を上げたり考察したりして楽しんでいた。
Aさんも変わらず萌えツイートや考察をしていたが、あるイベントに出たとき、サークル数がすごく少なくなってきたというツイートをしていた。
人が減ったとは思っていたけどそんなにいないのかと思って悲しくなった。
実際、本当に全盛期の1/10程度しか参加サークルはいないようだった。
そしてその次のイベントでAさんは新刊が全然売れなかった、とのツイートをした。
日常ツイートを見る限り、今回の修羅場は本当に大変そうで仕事をしながらすごく頑張って原稿をしていたみたいだったのでそんなに売れなかったのかと悲しくなった。
その次のイベントで私も復帰した。確かに全然売れない。初動は1/4以下だった。
私はあまり部数重視ではないけど、それでも手にとってくれる人が少ないのは悲しい。人がとにかく減ってるんだなということを実感してちょっと寂しかった。
Aさんのところに挨拶にいった。Aさんは人いないし今回も新刊全然売れないと言っていた。フォロワーの人が2、3人買ってくれた程度だと。
マイナーカプだしニッチだししょうがないですよねと自嘲気味に言っていたのが悲しい。
私は100%好きで買っていて楽しみにしてたし、義理買いじゃないですという意図を伝えて、前回の新刊もとても良かったと話しその場を去った。
ありがとう嬉しいですとAさんは言っていたけど、私1人の感想はもはやAさんを救えないと感じてしまった。
帰ってからいつものように熱く長い感想を送ったけど、語彙力の乏しさから言葉選びはマンネリ化していた。
本当に心の底から最高で、爆萌えな本だったということがどこまで伝わっただろう。
それからしばらくしてAさんはツイッターでオフでの同人活動を辞めると宣言した。
必死に描いても少しの人にしか見てもらえない、意味を感じないと。
私はとても悲しかった。Aさんの絵ももちろん好きだが、長いストーリーになっている、話がしっかりしている漫画という形で作品を読みたかった。
一応、また気が向いたら戻ってきて下さいとリプを送ったがどこまで響いたかは分からない。
その後Aさんはオフでの同人活動を一切していない。ツイッター上で絵を描いて発表している。それまでのジャンルも描いてはいるけど他のジャンルも描くようになった。
私はAさんとの交流の機会がとても減って最近は殆ど話さなくなった。
この間、Aさんがツイッターで「同人活動を辞めたら私生活がとても楽になった」と言っていた。
あの頃みたいなことはもう出来ないと。
確かに正社員で激務をこなしながら同人誌を出すのはとてもとても大変なことだ。
だからAさんが楽になったのならそれは良いことだと思う。
それでもやっぱり寂しい。
私みたいなファンが1人いても、どんなに熱い感想を送っても、どんなに気持ちを伝えても、数の前には勝てないのだろうか。
多分、Aさんの場合はそうだった。
昔は絵を描く趣味はイラストか漫画が普通だったが、俺はドット絵や16色CGを描いていた。昔のパソコンはファミコン以下の絵しか描けなかった。使える色も少ないし制限も多い。しかしその制限の中で絵を描くのが面白かった。制限がその機種の個性にもなっていた。使える色は多いけど解像度の低い機種、解像度は高いけど16色をやりくりする都合でセピア風っぽくなりがちな機種、CG性能は良いけどFDDでは役不足な機種、簡易アニメが作りやすい機種などなど。FDDが普及してCGが保存しやすくなり、高級品だったマウスも安売りで買った。
イラストや漫画ではなくドット絵やCGを好んだのは、何度でもやり直しが出来る事と、画材の出費が無いからだ。当時のCGソフトのアンドゥ機能は1回しか後戻りできないものが多かったが、そもそも解像度の低いCGなので時間さえかければ幾らでも描き直せた。実は紙のイラストも練習してカラーインクなどを買ったりもしたが、失敗すれば紙1枚が無駄になる事が大きなプレッシャーに感じた。ホワイトなどで修正するほど仕上がりは汚くなっていく。CGならばやり直せるしゴミも出ない。
就職先もゲーム会社を選んだが技量もなく不採用で、しかしCGをやめるという発想はなく、同人CG集を買うようになり、俺も同人でドット絵やCGを描くようになっていった。
…ここまでインターネットのイの字も無かった頃の話。
90年代の中ごろには「草の根BBS」というものも増えて、電話代を気にしながら上手い絵師のCGをダウンロードした。
恥ずかしながら俺も幾つのサークルさんにお声をかけて頂き、ドット絵やCGや素材を作った。
90年代の同人事情というと、絵柄には個性があって当然という時代だった。絵を見れば作者がわかる。芸風とも言えるほどだ。デッサンの歪みなどはさほど神経質ではなかった大らかな時代で、初心者がしばしば眉毛を描き忘れたアニメ絵を描いているのも微笑ましかった。当時の同人でのアニメ絵は趣味性と個性を主張するアイコンだったように思う。
当時の同人での絵師はまだCGより紙に描くほうが普通で、マウスをカチカチ鳴らして絵を描く人は案外と少なかったようにも思う。上手い人はとんでもなく上手くて真似できないレベルだったのと、俺より下手な絵師も多かったので、俺は落ち込む事もなくCGを続ける事が出来た。
90年代半ば、Windowsが話題となりインターネットも流行し始めた。この頃ようやく現在のCGイラストの元となる環境が世の中に広まったわけだ。解像度の制限が(殆ど)無いフルカラー(最低でも256色)のCGイラストが描ける環境が整った黎明期だった。FDDには圧縮しても10枚程度しか保存できなかった事もHDDが当たり前になった事で解消された。
当時ようやくスキャナが一般的になり始めた頃でもあったが、まだまだ高級品で、アナログ画材の出費も惜しんでいた俺には手が出なかった。ハンディスキャナを買ったが歪んで使い物にならなかった。
この頃からCGイラストを描く事の楽しさが薄れ、苦労が付きまとうようになった。
そもそもWindowsが動くPCが高級品だった。専用ソフトも高いし、フリーソフトは殆どなかった。CGソフトもイラスト専用のものは少なく機能も貧弱だった。
俺の個人的な事情では同人での活動が次々とトラブルに見舞われる事が続いた。参加したゲーム制作の中止が複数重なったり、同人ゴロの被害にあったりした。
しかし一番の苦労のひとつは、理解され難い事だったのかもしれない。
PCで絵を描いてもPCが無ければ見れない。親からは1日中パソコンに向かっているうようにしか見えない。世間ではしばしばアニメやオタク趣味が悪者として魔女狩りが繰り返され、時代もアニメ絵ではなくポリゴン絵に移り変わっていった。…自分以外の何かを言い訳にしたい気持ちも大きいが、理解されない事をする苦痛が結構大きい事も事実だ。
16色とかの制限の多い時代には才能の乏しさはあまり目立たなかった。描ける絵には限界があり、その最適解を探し出す事がドット絵だった。カラーパレットをどのように振り分けるか、どの色をタイリングで済ませて色数を増やすか、1ドット未満の線をジャギー消しの手法で描き、ブラウン管の光度差で滲ませる、才能ではなく技術でどうにかできた。しかし色数がフルカラーになった事で俺は途方に暮れた。CGは技術ではなく才能こそが全ての世界になった。インターネットがどんどん一般的になって、上手い絵師だけが評価される世界になった。…それが当たり前だという事を認めるのに何年もかかった。
00年代になると、90年代に人気だった絵師の多くが姿を消した。フルカラーで90年代の彩度の高いイラストは古臭いものとなりつつあったし、個性もさほど求められなくなったからだろうと思っている。90年代に人気だったプロのイラストレーターの苦労も時々目にするので、90年代に人気だった同人絵師が姿を消したのも必然なのだろう。
00年代の俺は才能の無さは自覚していたので、当時流行していた3D-CGを始めた。当時の宣伝文句は概ね「絵の描けない人でも出来る!」だ。貯金を切り崩して六角大王や海外製3Dソフトを買い相当練習したが、結果は失敗だった。数年我慢してMMDを学べばよかった。俺は才能だけでなく時代を読む目もなかった。
2010年代、ドット絵の需要も懐古趣味しか無くなり、CGイラストは毎日毎日物凄く上手い人が出現し、俺はCG-TIPSを検索しては真似をしてなんとか時代に取り残されないよう苦労し続けた。しかしCG-TIPSを学んでいて気付いたのは、CGの塗り方の流行は結構短いスパンで変わってしまうという事だった。俺がなんとか使いこなせるようにあった頃には他の誰もがもっと上手く使いこなしていて、なんとか追いつこうとしているうちに次の流行に変わっている。CGがネット上に溢れかえっているから、目新しいものが求められ、俺のような才能の無い微妙な絵はネットノイズでしかなかった。
最近では長年CGを見続けてきた俺には誰が描いたのかまったく判別できない絵が増えてきてゾッとしている。とてつもなく上手いけど他の上手い人の絵と見分けがつかない絵。これはテレビアニメの多くがそういった傾向なので誰のせいでもない事だが、。
そして物凄く薄く繊細な塗り。フルカラーなのに明度差が微妙にしか違わない繊細なグラデーションは16色のカラーパレットでCGを覚えた俺には到底無理だ。こんな絵を目指さなければ人目を惹かないのかと思うと心が折れそうになる。しかし他人のCGからスポイトでカラーパレット拝借なんて出来ない。絵の才能だけでなく色彩センスもない俺自身が恨めしい。
上手い絵師には嫉妬心もわかず、ただ自分の才能の無さを思い知らされるばかりだ。
本当に絵の上手い人の特徴はとにかく早い事だろう。イメージを迷うことなく描画する才能がある人ほど上手い。
俺はイメージが貧相だしラフを描いている時も悩んで時間がかかる。出来上がるのはピンボケの絵にしかならない。
俺にとってCGは既に同人ではなく個人的趣味でしかなく、楽しいという気持ちも無い。苦労であり苦痛でしかない。しかしいまさらやめるわけにはいかない。色々な事を犠牲にしてきたのに、やめたら本当に何も残らなくなってしまう。同世代の人はみんな趣味はほどほどに、結婚したり出世してしっかりした人生を歩んでいる。いまさらCGやめたって人生で得られなかったものが手に入るわけでもない。歳を取って健康も不安が付きまとうようになってきた。いつ死んでもおかしくないが、死ぬ前に下手糞な絵の制作データは消去したい。
最近は愚直にデッサンの練習をしているが、デッサンに固執すると絵の魅力が薄れる感じもあって苦労している。正直に言うともう絵を描く事が好きではない。そんな底辺中年絵師の俺が誰に向けて描けばいいのか。ネットには上手い絵が溢れすぎていて需要なんてない。上には上がいる世界では下の物は叩かれるだけの存在だ。自分の為に描こうにも、俺が見たい絵さえググれば出てくる時代だ。
じゃあやめろよと言われるだろう。やめたら俺どうすればいい? 他には何もないんだ。
家業継いで院長になるから同人やめるってさ。オタ卒もするかもしれんとさ。
引き止められるわけもないし、頑張れって応援することしかできないけど、やっぱ寂しい。
同じジャンルで活動したのは2年ぐらいだけだけど、あの人には色んなことを教えてもらった。
同人活動への想いも似通ってて、いつも「ああ、この人と兄弟か幼馴染に生まれたかったな」って思ってた。
同人やめたらなんの関係もなくなる。お互い本名も電話も住所も知ってるけどさ。そうじゃないよな。
もっと色んな話したかったし、もっと相手のことを知りたかった。
「同人活動の時間はいくらでも作れるけど、その時間を同人に充てちゃいけない」って。
わかってるよ。俺もいつまでもこんなこと(「こんなこと」って言いたくないけど)してる場合じゃないってわかってる。
本当に尊敬するよアンタ。同人だけじゃなくて生き様までも…どこまでかっこいいやつ。
アンタに会えて本当によかったよ。俺はいつまでもアンタのことを忘れないと思う。
オフ会の席でポロっと俺のこと「頭の上がらない作家のひとり」って言ってくれて嬉しかった。
達者で。
その中でも絵は上手くないけど台詞回しが絶妙とか、雑な線画だけど世界観がシュールで面白いとか。
本当に色々。
私も自分なりの傾向がある。
絵はそんなに上手くはないけど個性はあるし、話も雰囲気も悪くない。
でもジャンルの中で似た傾向の人を見つけた。(Aさんとしよう)
Aさんも私もお互い雑食ではあるけど、カプも一緒。
めちゃくちゃ好み!と思ってしばらく見てたけど、段々嫌になってきた。
Aさんは私よりずっと年下(学生)だけど絵が上手い。
ネタを出すペースもすごく速いし、萌える呟きも多いし、絵を上げる頻度もすごく高い。
そのうちAさんはフォロワーもどんどん増えてジャンル内で有名になっていった。
私ももっとネタを出せればいいけど、同人誌を描く際に使いたいネタはあまり呟きたくない。
もっと速く絵や漫画を上げられたらいいけど、仕事もあるし、使える時間は限られているし何よりものすごく遅筆だ。
傾向が似てるので考えていたネタが被ることもある。
途中まで描いてた漫画がネタも演出も被ったときはさすがに気まずくなって没にした。
なにより私の作品よりAさんの作品の方がクオリティがずっと高い。
描いてて悲しくなってくるけど、私の作品はAさんの作品の下位互換なのだ。
もっと絵が上手ければとか、もっとスピード上げられれば、と思うけど中々すぐには解決しない問題だ。
原稿で苦しくなってくると、こんなもの私が描く必要があるのだろうか?とよく思う。
私が描かなくてもきっとAさんが似たようなネタを描いてくれる。
そんなことない!と思ってなんとか仕上げてはいるけど、ほんとに意味あるのかなとぐるぐる考える毎日だ。
今はAさんのツイッターや作品を見ないようにしているので彼女がどういうものを描いているか知らない。
イベントに行ったら一応本は買うけど、100%萌えの気持ちで読めなくてモヤモヤする。
そして彼女の本は自分の本の数倍売れているみたいなので複雑になる。
そんな考えしてる自分も嫌だし、もっと純粋にジャンルと同人活動を楽しみたい。
この同人誌最高!描いてくれてありがとう!って萌え転がりながら本を読んでたときに戻りたい。
自分の作品最高!って思いながら周りを気にすることなく描いてた頃に戻りたい。
Aさんとはこんなに萌えポイントが一致してるのに、なんでどうしてこうなったんだろう。
でも近くにいたらもっと苦しかったと思うのでフォローなどしなくて良かったと今は思っている。
同族嫌悪も感じる。
Aさん側には何とも思われてないと思うけど。
はじめに、これは私の醜い心の内を整理する為に書くものだと明記しておきます。
今日、2年描いた自ジャンルから撤退して、推しカプを描くのをやめることにした。
私は同人活動をしている。インターネットでぽちぽちサイトをつくって遊び出してから、同人誌を制作している今までを含めて大体10年ぐらい。カウンター機能やアクセス追跡機能をつけてもアクセスしているのは自分だけ、という時代を経て、ピクシブで小説なり漫画なり描けば、ランカーとまではいかなくても、タイミングが良ければランキングに載るレベルの評価を貰えるようになった。
私が今日まで描いていた自ジャンルは、オリジナルアニメ作品で、規模としてはかなり大きい。その上、その作品のカップリングの中でも、二番手人気のカプにハマったので、書き手も読み手もかなり人口が多かった。特に、初期は書き手も少なめだったので、その頃ピクシブに投稿された人気作品には、10000単位でブックマークがつくほどだった。
私の漫画にも、10000以上のブックマークがついた。そのカプにハマってから初めて描いた長編漫画だったので、思い入れを込めて描いたものだった。そこから、フォロワーが2000人ぐらい増えた。それ以降、私がピクシブに投稿した作品は、必ず1000以上のブックマークがついた。
もちろん、ジャンル効果なのは分かっていた。漫画が評価されたけれど、私は決して絵が上手いわけではない。元々小説を書いていたから、ある程度ストーリーをつくり慣れていただけで、褒めていただけるのは話の内容が殆どだ。更に、その頃の推しカプ作品では10000ブックマーク越えなんてざらにあったので、今改めて当時の投稿者たちにランクをつけたとしたなら、私は中の下ぐらいだろうなというのが本当のところだった。
実際、イベントに出たところで、新刊は売れてもせいぜい100冊。他の参加者が新刊完売と嬉しそうにツイッターで報告する中で、私が新刊を完売したことは一度だけ、それも100冊だ。
そう分かっていたけれど、それでも、嬉しかった。
元々同人活動よりも早く、インターネットで作品を投稿するばかりだったので、お金を払って本を買ってもらうよりも、私は、自分の作品を読んでほしかったのだ。読んで、ブックマークしてもらって、タグ付けでもコメントでもメッセージでもツイッターにリンクを共有して一言添えるでも何でもいい、出来れば感想が欲しかった。
それが、自ジャンルに来て変わった。私の作品を好きだとメッセージをくれる人がいれば、イベントで面識もない私の為に手紙を書いてきてくれる人がいて、更にはメッセージで「翻訳する為に転載させてほしい」と拙い日本語で断りを入れてくる人もいた(これに関しては二次創作、腐向けなのもあり、丁重にお断りしたが)。
私の、私の為でしかなかった作品を、好きな人が沢山いる。おそろしい喜びだった。私の、推しカプに対する熱を表現する為の作品づくりは、いつからか、その人たちの目を気にし始めた。
ツイッターの存在もそれに拍車をかけた。ツイッター上には、推しカプの絵を日々量産しては、1000RT、10000RTを稼ぐような人たちがかなりの数いた。更に、ピクシブで人気のある投稿者は、おおむね1000人以上のフォロワーがいた。
しかし、私にはそれがなかった。元々、ツイッターであまり呟かない性格だし、上記の理由で、絵も全くと言っていいほどに描かない。ツイッターに上げた10RT程度の漫画が、ピクシブに上げた途端1000ブックマークつく、というのが私だった。
羨ましくて、絵を描く用のアカウントをつくって、そこで毎日むりやり描いたが、100RT程度が限界だったので、打ち止めた。
そんなふうに数字を気にしているうちに、周囲に敵対心までもがわき始めていた。
くわえて、推しカプはアニメ(原作設定)で現代に生きる兄弟なのだが、パロディというか、パラレル設定も多い。アイドル設定もあれば、妖怪設定もある。更に、アニメが終わってからは、アプリゲームのパラレル設定からしか供給がなかったので、溢れるほど派生がある。
けれども、私は、原作である本来の兄弟の推しカプ以外、何一つ萌えなかったので、兄弟の推しカプを永遠と描いてきた。しかし、書き手が多ければ似たような話が増えるのも仕方なく、そのうちに、推しカプ内ではパラレル設定が次から次へと流行り、もてはやされるようになった。
敵対心というよりは、山月記風に言えば、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」というやつなのかもしれない。好きな書き手がいても、自分より評価されているのが――それも自分の好きではないパラレル設定で――が悔しく、また、ツイッターでフォローしても他の人のようにフォローバックしてもらえないのが恥ずかしく、私はとうとう、ピクシブで絵を描く他の人の作品を見れなくなっていった。
そうなると、自然、イベントに参加しても、ほとんど交流することがない。数少ない仲良くしている人がその場にいなければ、もう、ずっとスペースに座っている他ないのだ。
それも、盛り上がっている初期の頃ならよかったのだろうけれど、アニメが落ち着いてからは、目に見えて右肩下がりだった。同人誌が売れない。差し入れが減って、手紙どころか、ピクシブでメッセージも貰うことはない。私を好きな人と交流したくて、ツイッター上で自家通販をしたけれど、申し込んでくれた3人中2人に連絡なくキャンセルされた。新刊の告知ページに、コメントはつかない。私の本の通販の有無なんて、もう誰も気にしていないのだ。
描く意味があるのだろうか、と思ったことがショックだった。描き始めたはじまりは、間違いなく、私がこのアニメを好きで、このカプが好きだ!と思ったから、描いたはずだったのに。いつからか、人に褒めてもらう為に描いていた。作品ではなく、私を見てほしくて描いていたのだ。
私の本を買いに来てくれる人がいる。本を買ったあとから、以前に出したこの本が好きでした、と直接一言くれる人がいる。
でも、私は、それでは足りなかった。ごめんなさい。
WEB拍手やask、質問箱、いろんなツールが流行したけれど、そのどれもに手を出さなかった。同人誌の奥付にもつけたことはない。手を出すべきだったんだろうか。私も、他の人みたいにツイッター上で返事をしてみたかったけど、もし誰もメッセージをくれなかったら、どうしたらいいんだろう。
自ジャンルが好きだ。推しカプが好きだ。自分の描く推しカプの話が好きだ。でも、そんな気持ちで描き続けて、疲れてしまった。だから、今日でおしまいにする。
同人自体はどうせ辞められないけれども、次に何か描くのはまた気が向いたらにする。そうじゃないと、いつか誰かにとんでもない迷惑をかけるような気がするので。
私はかれこれ15年ほど同人とか二次創作という界隈に身を置いている、しがない字書きだ。
ここ数日、ツイッターのタイムラインでやたらと「同人誌の作者に感想を送るべき」だの「感想を送ったところで引き止める理由にはならない」だのと議論されているのを眺めていた。
これは、特に目新しい議題ではないだろう。
学級会と称されて、既に何度となく同人活動に関わっている人たちのツイッターでは話題になっている。
作者視点でも読者視点でも各々数パターンの意見傾向があり、いつも泥沼化しており、結論が出ないまま風化し、またふとしたきっかけで議論が行き交っているのだ。
私も二次創作をしている立場であるから、色々と思うところはある。
まず、私が何よりも強く感じているのは、議題テーマを「感想」にするからややこしくなっているのではないか、という点だ。
作者の目線に立てば、感想が欲しい!という意見が大多数だ。当然である。
読者の目線に立てば、感想を送るのは難しい!と躊躇する人も多い。理解出来る。
だが、ここで意見が噛み合わない原因は、各々が抱いている「感想」がどのようなものであるのかが食い違っているからのように思えてならない。
読者が想定している「感想」は随分とハードルが高いような気がするのだ。
どの場面のどのキャラクターがどうであったのがどう良かったのか…と読書感想文さながらの「感想」を送らなければ、と身構えている読み手が多いのではないだろうか。
もちろん、そういった感想をいただけるのは嬉しいことであるだろうし、幸せなことだろう。(私は長文の感想はいただいた経験が無いから想像に過ぎないけれども。)
ツイッターで「あー!最高の同人誌読んだー!マジ尊すぎてしんどい!しんどい以外言えねぇ…」などと呟いたりしているが、その本の感想を作者本人に伝えたことが無いという読み手は割と多いだろう。
要は、その「最高」「しんどい」を一言でもいいし匿名でも全然構わないから作者本人にぶつけてくれると嬉しいな、という話なのだ。
文章になっている必要など無いし、「あなたの○○大好きです!今回も最高でした!」で十分であり、その一言が生きる糧となる作者は多い、という話だ。
同人活動をしている描き手(書き手)が作品を公開しているのは、人によって程度に差はあれどレスポンスを期待してのものだ。
何の反応もいらないのであれば、自分のノートなりスケッチブックなりPCなりで創作欲を発散出来ればいい。
そうではなく、見てほしい!読んでほしい!そして私のこの萌えに共感してほしい!という気持ちがあるからこそ、作品を公開している。
ポイントは、見て!読んで!だけではなく、何か反応して!という期待を抱いている創作者が大半だという点だ。
これは、同人誌即売会でもピクシブでもツイッターでも個人サイトでも共通している、創作者の欲であり目的なのだ。
気持ちを込めて創作した作品を見てもらって、それに対してのポジティブなレスポンスが貰えると喜びに繋がり、もっと頑張りたい上手くなりたい更に共感を得たいというやる気に発展するわけである。
ピクシブであればいいねやブクマ、ツイッターであればRTやいいね、個人サイトであればWeb拍手など、必ずしも言葉を必要としない手段だってある。
「感想」ではなく、この作品を創り出してよかった、描いてよかった、書いてよかった、と作者が感じられるような「手応えのある反応」が欲しいのだ。
イベント会場で自分のスペース前で立ち止まってくれる人がいない寂しさと、ネットで公開している作品の閲覧数だけがただただ増えていく切なさは、とてもよく似ていると思う。
このジャンルにいてもいいんだ、このCP界隈で自分を必要としてくれる人がいるんだ、という安心感が欲しい。
その安心感が、居心地の良さが、創作欲へと繋がっていき、ジャンルやCPへの愛着にもなる。逆もまた然り。
個人的な話ついでに。
私はいくつものジャンルを渡り歩いてきており、前回までのジャンルではいつも寂しさと孤独を抱えていた。
作品はそれなりに閲覧されているのに反応が全く無かったり、普段は何も反応が無いのに何かちょっとした不備があれば鬼の首を取ったかのように文句だけは長々と叩きつけられたり、SNSやイベントで仲良くしてもらっていると思っていた人たちから突然無視をされるという苛めに近いことがあったり。
最終的には心が折れて早々にジャンルから立ち去っても、気にしてくれる人など誰もいなかった。
ジャンルにはまる時の気持ちの大きさや熱量は同程度で、現在いるのは今までの中で一番マイナーである界隈なのに、なぜ現ジャンルが一番長いのか。
前ジャンルでSNSに疲れ切った私は、ピクシブもツイッターも退会して個人サイトにひきこもった。
(※創作者としてはアカウントを持っていないが、ROM専用の別名アカウントは持っている)
サイトサーチの運営者様には感謝しているが、正直なところあまり機能はしておらず、ピクシブを利用していた頃と比べれば閲覧数は格段に下がった。
しかし、サイトを訪れてくれる数少ない人たちは、皆さん懸命に「頑張れ!」「頑張れ!」と背中を押してくれる。
しかし、定期的にWeb拍手を押してくれたり、何か更新すれば一言掲示板に「新作読みました、面白かったです」と本当に一言だけだけれど書き込んでくれたり、イベントに出れば本を手に取ってくださる時に「いつも読んでます、これからも頑張って」と一言声を掛けてもらえたり。
そのひとつひとつに心から「ありがとう」と思っているし、その感謝が新たな作品を創りたい欲へとなっているし、口下手ではあるがなるべく御礼を伝えている。
頻度は多くなくとも、あたたかく手応えのある反応があるからこそ、私の同人活動は続いているのだ。
だからどうか、読み手の方は好きな作者の方へ「手応えのある反応」を贈ってほしい。
それは次の作品を催促しているとかジャンルへ留めておくための手段などではなく、作者の創作魂を殺さないための支えのひとつだ。
同人活動は趣味であるから、作者も読者もジャンルから離れることはあるだろうし、それを止めることなど出来ない。
だが、同じものを好きだという気持ちを共有している間は、「作品」と「手応えのある反応」を贈り合うレスポンスループが幸せなのではないかと、私はそう思う。
※長くなるし、まとまってないし、ただの独り言です
私は雑食でそれもリバ厨だ
なんでもおいしい
絵柄、内容、作風、どれかにヒットすれば、いや、ヒットしなくても好きなジャンルの話なら読んでいた
地雷という言葉がはびこる世界で、地雷を理解しているつもりでいた
どちらの意見も
地雷です!って言う方の気持ちも、地雷地雷うるせぇー!って言う方の気持ちも
私にも好みじゃないものがあった
だけど目に入っても手に取らないそれだけのもの、だった
そう、過去形
とても苦しい
その気持ちわからんわ〜という人は理解する気すらないのだからわかるわけがないし、
例えば身内とか、友人とか真剣に寄り添いたい人への気持ちでも30%もわかってあげられない
自分が同じ立場になった時、あの時全然わかってなかったと絶望すら感じる
同じ立場の人への理解度はそれでも50%あればいいところだと思う(これは地雷以外のことでも)
だから、地雷地雷うるせぇー!自衛しろ!って騒いでる人たちをみるとこの人は地雷を理解してないんだよな…って気持ちになる
地雷ですってぎゃんぎゃん騒いでる人の気持ちも私は理解しきれないのだけど
やっと本題に入ります
そう、私は地雷なしいや、地雷があっても反応しないという立場から地雷あり、反応してしまう立場になってしまった
前のジャンルでA×B好きの人はB×Aを読むけど、B×A好きの人はA×B好きの人を先行ブロックしてるって話を聞いてゲラゲラ笑って大変だなーとか言っていたのに、地雷持ちになってしまった
原作は映画で公開されたばかりということもあり二次創作をしている人が少なかったからその作品の絵を描いてる人をツボにはいれば大抵フォローした
私はA×Bというカップリングにはまった
作品の評価が高まってファンが増えると劇場でのマナーの悪さが目立つようになった
あまりのファンのマナーの悪さに劇場へ行くことをやめた、作品を嫌いになりたくなかったから
そこで出会ったマナーの悪いファンはBとCのカップリングが好きな人ばかりだった(B×Cか、C×Bなのかまではわからない。あまり見ないようにしていたから)
ツイッターでえ?と思うような発言をしてる人もBとCのカップリングが好きな人がおおくて私の中でモヤモヤした気持ちがうまれていった
ここで地雷が発動したのだろう
叩かれるようなことを起こすのは大抵BとC好きの人たちだった
何か起こるたびにまたか…またBとC好きか…そんな気持ちになった
そのジャンルで同人活動をしている商業作家の方がそこに寄稿することになった
その方はB×C好きで、でも絵が好きでフォローしていた
もともと私はアニメよりも少女漫画、BL漫画が大好きでほぼのお金は単行本を買うことに使っていた
商業作家が大好きだったし、同人活動するぐらいすきならきっと素敵なものを描いてくれる!と思うタイプの人間だった
だけど、B×C好きの商業作家が公式の仕事をすると知った時、とてつもない嫌悪感を抱いた
絶対B×C描くやん、抑えてるつもりでも心の奥底で溢れる想いは無意識に出てまうもんやで
そう思った
結果やはりめちゃくちゃB×Cだった
あ〜私めちゃくちゃ地雷発動してる…くそ…自分くそ…BとCが悪いわけちゃうやん…悪いのは頭のおかしいファンやん…
頭ではわかっているわかっているけどどんどん嫌いになっていく
そんな中で続編決定や、雑誌にSSが載ったりなど公式にも動きがあった
グッズ展開も増え、BとCはセットで売られたりすることも多くなった
BとCのカップリングはジャンル最大手ぐらいのカップリングになった
一方私の好きなAとBは自分でいうのも悲しいがドマイナーだった
AとBがドマイナーなのは全くもって意味がわからないが人気キャラ同士のBとCのカップリングが人気なのは仕方ないことだと思う
仕方ないとわかっていながらも、ちっと舌打ちしたい気持ちでいっぱいだった
だけど、待てど暮らせどpixiv投稿数は0のままであまりにも悲しくて初めてSSを人目のつく場所に公開した
そんな日々を送っていると続編の公開が決定した
歓喜した打ち震えた
みろ!これが逆転ホームランというやつじゃかいか!すごい!公式が味方だった!公式が味方強すぎる!!!
実にバラ色の人生!そう!始まるの!と思われていたがそうでもなかった
AとBの組み合わせはめちゃくちゃ貶された
顔カプ、余り物コンビ、なんであの2人?
そんな言葉が飛び交った
いやいやいや、お前ら作品みた?本気で言ってんの?
私はそんな気持ちでいっぱいだったけど、何もできないし、貶す言葉は止まらなかった
作品の中で一言も言葉を交わさないし、目線も合わないキャラのカップリングでさえそこそこの人気で、それこそ顔カプなのに何も言われず
体に触れ、名前を呼び合い、目線もがっつりあってるAとBが顔カプ扱い…?
特にBとC好きの人が貶していた
顔カプ、余り物コンビ
BとCなんて同じ場所にいただけなのに
Cには恋い焦がれてる憧れの存在すらいるのに
そっちのほうが!人気キャラ同士でくっつけたそっちのほうが!顔カプじゃん!!!
悲しくて悲しくて、だけどどうしようもなかった
そっちはそっち、こっちはこっちでほっといてくれればよかったのに
AとBのカップリングを貶す人が目につけばブロックか、ミュートした
BにはCしかいないという発言にすら気持ち悪さを覚えてブロックか、ミュートした
地雷は加速し、B関連のカップリングA以外は全部嫌になって、フォローをどんどん外していったし、ミュートした
地雷があるのでA×Bしか受け入れられないともプロフィールにも書いたし、ツイッターでもつぶやいた
だけど、例えば赤と青のカップリングの名前が赤青だとしたら、かーあおとか伸ばし棒つけて呼び出すのでミュートワードに引っかからなくて意味なかった
なんで伸ばし棒にかえんだよ
そんな中で私ひっそりとSSを書いていた
嬉しかった
ブックマークをしてくれる人のホームに飛んでツイッターを見に行った
…C×B好きだった
同じことを繰り返した
わかったことは私の作品を読む人はBとCが好きな人だということ
絶望した
どうしたらいいのかわからなかった
そして続編が公開された
公式がAとBを大プッシュしていて、公式が大手すがて私の心が復活した
とても心強い
余り物コンビ、顔カプと呼んでいた人たちもこれには認めざる得なかったみたいで、AとBいい!という発言にかわっていった
もちろん貶したり、見なかったことにされたりもあったけど
せやろ
そう言いたくなった
なぜ、なんで、わからん
だけど、BとC好きの方だった
嬉しいけど素直に喜べないし、フォロバもできなかった
私のことをリストに入れてる人もBとC好きの方で気持ち悪くてブロ解した(この気持ち悪いという感情を理解できる人とできない人がいると思う)
何度ブロ解してもリストに入れられる
そのうち諦めたのかフォローされた
A×B好きを増やすためにこういうことしようかな!?と呟くと真似されるBとC好きの方に
心底気持ち悪かった
そんな日々で監督が
「BとCは別に仲がいいってわけじゃなかったけど、ファンの方の意見を取り入れて絡ませました」
顔カプが腐女子の力で原作にまで影響を及ぼすなんて吐き気が止まらない
BとC好きで私のことフォローしてくれてる人は申し訳ないけどみんなブロ解した
鍵もかけた
時は過ぎていき、イベントでたまたまB×C好きの人と仲良くなった
その人がいい人だったのでB×Cに対する嫌悪感は薄れていった
地雷MAXの時はBとCの応援カラーが並んでるだけでも吐き気をもよおしていたのに
今も地雷は続いているし、グッズ展開の媚び媚び商法を見るたびにおぇ〜って気持ちになる
だけど、だいぶまっしだ
そんな今になってこのブログを書いたのか
私は前のようにブックマークしてくれた人のツイッターを見に行った
ブロックしていた、私が
フォローしてないのに鍵開けたらすぐいいねくれるから怖かったし、BとC好きだからブロックした
覚えてる
申し訳なかった
その人は私の作品を評価してくれているのに、私はブロックしているのだ
私が地雷もちなばかりに、もしかしたら、私の知らないところで誰かを傷つけているかもしれない
何も感じてなければいいけど、もやもやさせているかもしれないし、私がファンのせいでBとC地雷持ちになったように私のせいでA×Bを嫌いにさせてしまうかもしれないと思うと怖い
私がされた立場ならこの人地雷もちだからか〜となんとも思わないかもしれないけど、感じ方は人それぞれなわけで
他ジャンルで相互フォローになった人が急にB×Cの話をめちゃくちゃするようになってリツイートやら、絵も描くようになったのでそっとフォロー外したらめちゃくちゃ貶された経験もあるのでなんとも言えない
あ〜私が傷つくのはまだいいけどA×Bを嫌いになられるのはやだなぁ
某アイドルユニットの中でもっとも人気のなかったCPが紆余曲折をへて王道CPになって今はそのCPしか考えられないってなってるどんでん返しが現実で起きたみたいにA×Bも王道CPになるって私は信じてるんだよ!!!
いや、私が傷つくのも傷つけるのも嫌だけどさ…はぁ…まとまらないし、答えが見つからない
こんな気持ちになるなら二次創作やめた方がいいのかなーとも思う
かくことは好きだからやめないけど、このジャンルをさったり、公開をやめた方がいいのではと思う
でも私がかくことをやめたら悲しむ人がいることも知ってる
どうやったら地雷ってなくなるのかな
地雷CP好きな人に自分の作品読まれてるってみんなどんな気持ちでどう受け止めてるの?
逆に自分の好きなCPのこと地雷って言ってる人の作品をどんな気持ちで読んでんの?
私が地雷なしの時は自分の好きなCPのこと地雷って言われてもその人の各作品が好きだったら何にも思わず作品読んでたけど、雑食だったから強いこだわりがなかっただけなんだよな
今ならA×B地雷の人がかいた他のCPなんて絶対読めないしブロックしまくるよ
あ〜ここまで書いたけど答えが見つからない
AとBが原作で付き合えばいいのに
ABが好きということですが、anond:20180123200155さんはABを書いたり萌え語りをしたりしていたのでしょうか?(読み落としていたらすみません)
私もマイナーカプにはまることが多いですし、作品も公開しますが、感想がほしいからやってるんじゃありません。同士の方と萌えを共有したいからやってるんです。
感想は送らなくてもいいです、あなたはAさんに届くような形でAB作品を書いて公開しましたか?
いくら感想をもらっても、Aさんだって描く機械じゃありません。
きっとAさんだってABが読みたかった、自分と同じようにABを描くくらいにABが好きなひとに出会いたかったんだと思います。
同士がいなくて、たまに感想言われてるだけじゃむなしいです。
オリジナル作品だったら感想だけで頑張れますが、二次創作です、同人活動です。同じ好きを共有したいんです。
承認欲求が~と仰られてましたが、確かに承認欲求も満たされていたでしょうが、それだけを満たしたい人ならまずマイナーになんか手を出しません。
この手の話をすると私は下手だし、書けないしと言うかたも多いですが、Aさんだってプロじゃありませんよね?ABが好きなだけの、あなたと同じ一般人ですよね?
それなら当然、Aさんだって他のひとが書いたABを読みたかったはずです。
同人は仕事じゃないんです。下手だって良いんです。少なくとも、マイナーに今はまって描いてる私はそうです。毎日自分の好きなカプが増えないか探して、増えないから自分が描いてるだけです。
もしanond:20180123200155さんがABを書いたりしてたなら、ごめんなさい。この記事は無意味ですね。
けど、同人イベントにお客様がいないのと同じ。同人活動に書き手と読み手は本来いるべきではないと思うんです。好きをぶつけあうものだと思うんです。好きなら叫んでください、いまならツイッターでもpixivでもなんでもあります。
昔Aさんがしていたように、作品をアップして、萌えツイートしてください。
下手とか上手いは関係ありません。
同人活動やめようかな、という迷いの話
タイトルも含めて、とりとめなく自分の同人活動を振り返ったり脱線したりするだけの話です。
ありきたりな前置きですが本当にまっとうな思考の人間による文章ではありません。
小中学生の頃は、好きな作品に触発されながら、毎日のようにノートやコピー用紙に絵を描いていた。多いときは週に10作品以上ビデオ録画をしてアニメを観て、絵を描いていた。
当時SNSがあったのか知らないけれど(それこそ2chしか記憶がないし、2chはSNSではない)、とにかく今のようにSNSが当たり前の時代ではなく、また家族にも友人にも、誰にも披露するわけでもないのにアニメの感想やゲームレポをイラスト付きでたくさんかいていた。多少、「アニメディア」や「ファンロード」の影響があった。
はじめて二次創作の本らしきものを作ったのは中学2年の頃だった。鉛筆で描いた漫画をコピー用紙に印刷して、ホチキスで留めただけのもので、しかも複製せず一冊しか作らなかった。
次に本を作ったのは高校1年の頃で、友人3人と合同誌を作った。その時はペン入れしたりトーンも使ったりしてアナログ原稿を作った。オンデマンド印刷本だった。はじめてイベントに出て本やラミカを頒布した。
ほぼ同時に、その頃から徐々に界隈に広がりはじめたデジタル原稿にも挑戦して、これもオンデマンド印刷ではじめての個人誌を作った。
どちらも、自分の漫画はネタも作画も本当に拙くて酷かったのを覚えている。
漫画を描くのは普通にイラストを描くよりも、何倍も難しかった。
それからしばらく受験や何やらで忙しくなって、本は出さなかった。暇を作ってはイラストを描いたり、鉛筆描きの短い漫画くらいは描いていた。
高校を卒業したあたりからpixiv、Twitterを始めて、二次創作の世界を広がりを感じた。自分はpixivにらくがき程度のものを少量しかアップせず、ほとんど見る専と言ってもよかった。
大学生になり、大きなジャンルにハマって、描く量が一気に増えた。人生で最大級に大きなハマりっぷりで、グッズにも相当お金を使ったし、それまであまり買っていなかった同人誌もたくさん買うようになった。大学生で時間もあったのか、熱に浮かされたようにずっとそのジャンルのことを考えていたし、ずっと絵を描いていた。Twitterの二次創作アカウントも作り、大学2年か3年のあたりだったか、ついにそのジャンルで本を出し始め、イベントにも出はじめた。
大学院に入ってからは、1年目はびっくりするほどイベントに出ていた。2~3ヵ月に一度はイベントに出ていた。これは自分にとっては驚くべき頻度だった。ジャンルがとても盛り上がっていたこと、また院生の研究生活がわりと孤独だったことも大きな要因だったと思う。いろいろなご縁をいただいて、アンソロジーに寄稿させていただくことも何度かあった。
この頃——というよりずっと昔からだったが、自分は本当に締切が守れない人間だった。個人誌についてはそれが顕著で、新刊を落とすか、割増入稿をするか、常に二択だった。
ただ本当にだらしないせいだと思うけれど、病気か?と本気で疑いたくなるくらい、ギリギリになるまで原稿に手をつけなかった。心を改めるどころか、年々それは酷くなっていった。
さすがに研究論文の執筆が佳境を迎えたころは同人活動を控え、修了までの1年間は本を出さなかった。イラストはたくさん描いていたけれど。
社会人になってから、以前よりずっと絵を描く時間が減った。社会人になってからの同人活動は大変だと聞いてはいたものの、身にしみてそれを感じた。社会人1,2年目は本は出せないだろうな、と学生を終える前にも思っていたけれど、いざその状況になってみると、それでも本を出したい、という思いが湧いてきた。同人活動をしばらく抑えていた反動だった。
久々に本を出した。……酷かった。
全然時間が足りず、というよりは原稿計画がしっかりしておらず、後半の作画は目も当てられなかった。ストーリーも読み返すと良くなかった。
かなり、後悔した。
それでも買ってくれる人や、感想を送ってくれる人がいて、とても励みになったし、次は頑張ろうと思った。
わりと昔から自分の作品を貶したくなる癖があった。癖というか、実際本当に、自分は話作りが下手だったし、それを補うほどの努力もできていなかった。
それでも、見てくれる人、買ってくれる人がいる中で自分の作品を貶すのは失礼だと思って、なんとかこらえてきた。
また新しい本を出した。
……前よりもっと、酷かった。
あんなに前回後悔したのに、まるで活かされていない。反省できていない。明らかに時間をかけられなかった。努力できなかった。
イベントから日が経つほど心は冷え冷えとしてきて、多少通販もしたが、これ以上世に出すのが耐えられない、と感じて、早々に打ち切った。
最低限、きちんとした本——手抜きせず、自分が納得できるもの——を出すことができなくて、自分の所業ながらただただショックだった。
「何がなんでも出さなきゃ」、という思いだけがあまりに強かった。
納得できないならどうして無理矢理出してしまったのか。落とす、という選択肢はなかったのか。いつもすべて過ぎてから、後悔が襲ってくる。
今はかなりマイナーなCPを描いていて、こんな自堕落ぶりで同じ界隈の人にも申し訳なくなったし、自意識過剰かもしれないけれど、CPのイメージが悪くなるのではないかとまで思っている。それでもまだ、好きだから描きたいという思いはある。
しばらく、休んだほうがいいんじゃないかと自分でも思う。実質最近は大きな仕事を任されていて、同人活動は休止状態に近い。
でも今までの休止期間以上に極端に絵を描かなくなっていて、それが少し怖い。
もしこのまま、絵が描けなくなってしまったらと思うと、漠然とした不安が頭を埋める。
絵を描くこと、同人活動をすることは、自分の人生においていつの間にかとても大事なことになっていた。10年くらい前は、なんとなくいつかは絵を描くこと、同人活動をやめる日が来るんじゃないかなと思っていた。「こういう職に就いてこういうことをしたい、それに打ち込みたい」と、自分の創作とは関係しない夢を当時は持っていて、同人活動の時間が自然に淘汰されるのだろうという予感があった。けれど今になって、これからもしばらく同人活動を続けていきたいと思ったし、その終わりが見えてしまうのが怖くなった。
同人活動は趣味に過ぎないと思う。つらいなら、できないなら、やめてしまえばいいと思う。
休止じゃなくて、……本当にもうやめてしまおうか?
そう思う時もある。でもそれがやっぱり怖い。
自分の不甲斐なさで好きだったことがつらくなって、自滅以外のなにものでもなくて、本当に馬鹿だなあと思う。
いい年になりつつあるが、浮いた話もとくにない。結婚というのも、同人活動をやめるきっかけとしてよくあることなのだろうか。知り合いでは結婚しても同人活動してる人がたくさんいるけれど。
仕事をして、日々が、月が、年が過ぎていく。仕事は嫌いではなく、むしろ好きだ。でも絵を描かない日々は、少しずつ自分の心を色褪せさせている気がする。
これからどうするかは、まだ決められていない。
「同人活動続けようよ、あなたの作品は素敵だよ」と言ってくれる人よりも、「あなたの作品はこういうところがダメ。活動姿勢もダメ。改められないなら、つらいならやめてしまえば?」と言いきってくれる人がほしい。
でもそれも独りよがりで、続けるきっかけ、またはやめるきっかけが他人からほしいだけなのだと自分で思う。方向はどうあれ、背中を押すか蹴るかしてほしいだけなんだと思う。
よしなしごとは、以上です。
弱気なこと、不安なことを言える機会がなかったので、ついここにしたためてしまいました。
読んでくださりありがとうございます。
気持ちはわかる。
でもその場合あなたの承認欲求を満たしてくれるのは同人活動ではない気がする。
他に誰もやってなくて自分が満たされるものを見つけるという方法もある。
とりあえず文でも絵でもかいてみたら?
やってみて人から反応をもらえたら、次に進めるかもよ。
平成生まれ、今までずっとROM専だった私が、結婚してから同人活動を始めたらとんでもなく楽しいっていう話。
腐女子になったのは小学生だったかな?きっかけは従兄弟に読ませてもらった某少年漫画のweb二次創作小説。今までそんな世界があることを知らなかった私はそれはもうのめり込んだ。だって今まで原作しか語られなかった好きなキャラの、過去や未来やifが読めるなんて!元々本を読むのが好きだったのもあって、好きな作品のありとあらゆる小説を、漫画を、BLもオールキャラギャグも夢も読みまくった。
ただ、きっかけがwebだったから、イベントの存在なんか知らなくて、もちろん二次創作雑誌も知らなくて、リンクやサーチを廻ってはROMするだけの毎日。周りの友達にそういう話は一切しなかったから、感想などをいう人もいないし、自分で二次創作もしないし、ただただ読むだけの受け手だった。
ROM専だったのは、自分の知らない物語を読むのが好き、から入ったせいで完全雑食なのも理由だと思う。本当に駄目なものがなくて、周りには沢山の知らないお話があって、それだけで満たされていたから。自分で創作する必要がなかった。
もうどうしても感想とかを言いたくて、ツイッター垢をとって。そこからイラストを描きはじめて。ツイッターでみんな即売会の話をしてるから興味を持って。
実際行ったら私の知らない世界だった。みんなとってもキラキラしてた。熱気が凄かった。一体感があった。みんなの好きが溢れてて、テンションマックスになって、思わず涙ぐんでしまった。
スポーツとかで感動した時とか、心臓破裂しそうになってドキドキして、涙が出そうになるときあるじゃん?あれと同じだった。本当に凄かった。みんな、こんな楽しい空間を知ってたのか!!って思った。
一度その空気を味わったらもう駄目だった。向こう側の空気も知りたくなった。一般参加でこんなに最高の空間なら、サークル参加してしまったらどうなるんだろう?って。気がついたらサークル申し込みをしていた。
サークル参加するからには、なんとしてでも本を出したかった。スペースの上に本があるのに憧れたから。全然慣れないイラストで、人生ではじめての入稿をした。
最近はいいよね、知りたいことは大抵ネットに載ってるから。同人友達がいなくても、気軽に聞ける人がいなくても、自分だけでなんとかなるもの。
当日。
3人の人が本を買ってくれた。まさかだった。実はジャンル最大手CPなので他に沢山の素晴らしい作品があったから、お世辞にも上手いとは言えないイラスト本(愛と気持ちは込めたけど)に出すお金は余るとは思えなかったから。だって凄くない?沢山あるスペの中で、沢山ある本の中で、限りある予算の中で、私の本を買ってくれるなんて!!って。3人だよ3人。凄い。
他にもハンドメイドグッズを出してたんだけど、わざわざお品書きを印刷して買いに来てくれた方とか、通りすぎようとして戻ってきて買ってくれた方とかいて。本当になんかもうサークル参加してよかった、って思った。
買ってもらえたとき、買わなくても立ち止まって見てくれたとき、もう心臓バクバクで。例えるならスポーツで一発逆転大チャンスのときみたいな興奮で。これは病みつきになってしまう、って思った。
同人誌出したら、出さなかった頃の側にはもう二度と戻れない、って言われる理由がわかった。
誰にも買ってもらえなくても、全然気にしないつもりだったから余計にそう思ったのかもしれない。
このジャンルにはまるまではROM専だったから、イラストなんか描いてなかったし、お世辞にも上手いとは言えない絵で。
ただ大きなジャンルだからサンプルはまあまあの人に見てもらえたんだよね。それだけでもテンション上がってて、もう満足だった。
沢山の人に見て欲しいとか、勿論承認欲求もある。でも元々ROM専だから感想もらえたらラッキーぐらいのテンションだったし。サークル参加の空気を吸いたかっただけで参加したから。
でももう私は知ってしまった、他人に自分の創作物を認識してもらう快感を。手にとってもらえる感動を。イベントの空気を。参加者の一体感を。あれはシャブだね。本当にすごい。死ぬほど楽しい。やばい。語彙力がないけど本当に本当に筆舌に尽くしがたいものがある。
ここまで書いて結婚のけの字も出してないことに気づいてしまった。
同人活動にはまるのに年齢は関係ないし、遅くてもすごく楽しんでるよ、って世の中に言いたい。私は今毎日楽しいし、次どうしよう、って何を描こう、って思ってる。
勿論パートナーの理解があるからこそ楽しめてる、っていうのはあるけど、結婚してるから、って思わなくていいよ、って言いたい。