はてなキーワード: 初恋とは
いつ結婚するのかと両親から言われ続けて数年だけど結婚したくない
その同性とは友情の延長線上の関係でもいいし、恋愛関係でもいい
だけど成人して数年経ってみて、男性と付き合いたいかといえばそうでもなく、自分が惹かれる女性と親密な関係になりたいと思うことが多くなった
だから自分はレズビアンかもしれない!と考えたものの、男性を好ましく感じる瞬間も無いではない
未だにレズビアンかバイセクシュアルかパンセクシャルかは迷っていて、まあその辺は迷い続けているままでもいいかなと考えているのだけれど、結婚しろと言ってくる外野はそうはいかない
一度、同性愛者のニュースがテレビから流れるのに合わせて冗談っぽく「自分も相手が女の子の方が気楽だから女の子と暮らしたい〜」みたいなことを母に言ってみたけれど、母からは呆れつつ否定された
父親は同性愛者を頭から否定して嫌悪しているから冗談でも言えやしない
このまま一人で生きていくのはさびしいからいつかパートナーを見つけたいとは思う
それを考えるといつも憂鬱になる
知っている方は少ないと思われるが、80年代後半に新潮社のウィングスで不定期連載している、漫画が好きだった。
新道高校の二年生の男子三人組が学園内の助っ人を便利屋と称して小遣い稼ぎしているお話。連載されている漫画の系統としては白泉社の花とゆめに雰囲気が似ていたが、BL色は控えめで、親の前でも読みやすかった。
三人組のメインキャラを紹介すると、
連載が終わって30年たち、読み返してみると、ひょっとしたら、このキャラクターは、この漫画の人がモデルかなあと思い出した。
熱血感の本田高弘→島本和彦の炎の転校生、滝沢昇。両者ともスポーツマンであり、頭に鉢巻きをしている。ちなみに炎の転校生も学園便利屋もOVAも出していて、滝沢昇役も本田高弘役も関俊彦氏。
元不良の川崎享→新沢基栄の奇面組、似蛭田妖。彼も普段はクールで温厚。カラーだと髪の色が緑色であり、髪型が類似している。似蛭田のバイクはカワサキ。声優さんは違う人なので本田高弘ほど類似点は乏しい。
そして、自分が一押しだった、メガネのインテリリーダー、鈴木斉のモデルがわからなかった。並外れて頭がいいけれど人に対してあたりがキツく皮肉屋で詭弁が多い、勉強だけでなく身体能力も高くオールマイティ、彼にメロメロな彼女がいる。そして、メガネを外すともちろん美形だ。一筋縄ではいかない魅力の彼のモデルは誰なのか。OVAで鈴木斉役をしていた、古川登志夫氏の役から辿っていくと、性格的には諸星あたるが近い。メロメロになってくれる彼女持ちだし。だが、諸星あたるはメガネ男子じゃないのだよ。屈折したメガネ男子のモデルにしては、彼は翳りがなさ過ぎる。次点で、究極超人あーるの、鳥坂先輩の線も考えた。メガネの下の素顔は原作内では、ごくわずかしか機会がないミステリアスさ、私生活の匂いはまるでしないのに、小学生の彼女がいる。ロボットを担いで肩の上でホールド出来るほどに身体能力が高い、だが、頭は良くない。……弁はたつけど。これといった決定打がないまま、あたるか、鳥坂先輩かと悩んでいた。ふとYoutubeで、ななこSOSを視聴したとき、ピンク色のパーマをかけたロングヘアーのメガネの青年が出てきたのだ。記憶喪失の超能力少女を舌先三寸で、自身の家に連れ込み、スーパーガールカンパニーなる、秘密結社を作り上げ、世界征服を企む少年。こいつだ、こいつが、鈴木斉だ。「誰も悪い事ができないよう、先に我々が世界征服をしておくのだ」この詭弁、カッコいい!こういう得体の知れない雰囲気が、女の子も男の子もついていきたいと思わせてしまうのだろうな。記憶喪失の超能力少女もメロメロになってるし。見たい、この少年をもっと見たい。ちなみにモデルの少年の名前は、四谷永一郎。ピクシブで彼の作品を漁ったけど、二件しかヒットしなかった…。それはそれとして、初恋の相手の鈴木斉のモデルをこの人ではないかとおぼろげながら掴んだ嬉しさでいっぱいだ。四谷永一郎の声は、古川登志夫氏ではなく、三ツ矢雄二氏だった。……まあ、声の質は、近いっちゃ近いよね?
これは片山愁先生がモデルはこの人だと断言していなくて、古のやおい好きが、勝手な憶測をしただけど、モデルを妄想してとても楽しかった。
蛇足だけど、なぜ、ななこSOSを視聴しようと思ったか?それは、私が谷山浩子さんのファンで、「恋のたまご」がななこSOSのイメージソングで使われていたときいたから。
「背中で泣いてね、思い切り決めてね。そんなあなたを後ろで見つめていたいの」という歌詞が、ベタ惚れのダーリンを持つ、女心があっていい曲なんですよ。ニコニコ動画に置いてあるので、よろしければご視聴ください。
放送開始30周年記念としてYouTubeで公開されたのを知って観ている。もうそんなに経つんだね。
前年に放送してた「魔神英雄伝ワタル」より世間の評価は低いのかも知れない。でも自分の中では特別な作品だ。
当時11歳で小学生だった。クラスで隣の席の子は、登場キャラの「ラビ」が大好きで、下敷きなどのグッズを持ち歩き、絵もうまく、よく見せてくれた。
ガンダムの事で頭がいっぱいだった自分が、初めて異性を好きになり、それが初恋というものだと知るのはもう少しあと。
その子とは別々の中学校へ進んだが、短い期間だか文通をし、そのままになってしまった。
30年という月日は、人をすっかり中年にしてしまう。娘も高校生になり、自分には責務ある仕事に忙殺される毎日だが、スクリーンの中の世界は、あの頃のままだった。
仕事にかこつけて、若い女の子と軽井沢をドライブし、お土産屋に立ち寄る。別々の部屋をとってはいるものの、今夜は一緒のホテルに泊まる予定だ。
「これこれ、見て!」
お土産屋を見ながら彼女が差し出したジャムの瓶を手に取り、字が細かいので自然に眼鏡を少し持ち上げる。その様子を見て
「おじいちゃんだ!」
と言って彼女は天真爛漫な様子で笑う。
「そうなんだよ、老眼が進んでね」
二十歳の頃、2度目か3度目の恋をした時にはじめてわかったことを思い出す。
ちなみに初恋は小学生の頃、相手は手をつないで一緒に学校に行く近所の女の子だったから、右も左も分からない恋愛感情だった。その一方で、きょうだいが夢中になっていた歌謡曲や、手当たり次第読んでいた小説の中にもあった恋愛の話は、そのほとんどに共感できないし、興味もないと思っていた。むしろ世の中では、なぜこんなに恋の歌しか流行らないのだろう、と本気で疑問に思っていたくらいだ。
でも、その二十歳の恋を意識した瞬間、多くの歌や小説や、そのほかのスキャンダル、世界を動かす人々のモチベーションの半分か、いやそれ以上が、恋愛によってもたらされていることが手に取るようにわかった気がした。突然に、分かったと思った。
あの二十歳の恋以降、ずっと女性は自分にとって、多かれ少なかれ「狩りの獲物」だった。自分のものにできるか、できないか。それが価値基準だった。でも、この歳になって、そうでない女性の側面を見るようになった。男性とは少し違う存在として、自分の学歴やキャリアを築いていく不安、生活、結婚、病気などの不安、そういう女性たちの気持ちに多少なりとも共感できるようになった。二十歳の恋で、それまで見えなかった世界の半分が見えるようになったと思っていたが、残りの半分はいつの間にか見えにくくなっていたみたいだ。
自分にとって「狩り」に夢中になれる時代は終わりつつあるらしい。ときめくような感情は残っているものの、若い女の子を獲物としてではなく、一人の人間として感情移入し、また育てる対象として見る余裕が出てきたようだ。そういう自分に少し当惑しているが、でもこれも悪くないと思う。
デートの後、どうやって部屋へ誘おうかと悩む必要はもうないらしい。忘れかけていた世界の残り半分へ、自分がまた戻りつつある。
老いていくのも悪くない。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 58 | 16216 | 279.6 | 91.5 |
01 | 33 | 8703 | 263.7 | 104 |
02 | 42 | 3315 | 78.9 | 58 |
03 | 60 | 7445 | 124.1 | 36 |
04 | 15 | 790 | 52.7 | 48 |
05 | 16 | 1463 | 91.4 | 52 |
06 | 17 | 2297 | 135.1 | 55 |
07 | 51 | 4922 | 96.5 | 35 |
08 | 119 | 10698 | 89.9 | 45 |
09 | 119 | 6898 | 58.0 | 37 |
10 | 94 | 6690 | 71.2 | 32 |
11 | 147 | 12280 | 83.5 | 42 |
12 | 146 | 14928 | 102.2 | 33 |
13 | 118 | 11980 | 101.5 | 50 |
14 | 112 | 8748 | 78.1 | 44 |
15 | 165 | 12486 | 75.7 | 31 |
16 | 255 | 24078 | 94.4 | 34 |
17 | 151 | 17696 | 117.2 | 43 |
18 | 122 | 9527 | 78.1 | 35 |
19 | 134 | 19139 | 142.8 | 44 |
20 | 75 | 9084 | 121.1 | 39 |
21 | 66 | 5705 | 86.4 | 41 |
22 | 146 | 16034 | 109.8 | 42.5 |
23 | 121 | 13957 | 115.3 | 39 |
1日 | 2382 | 245079 | 102.9 | 41 |
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もう10年以上も前の話。
発表が得意で、面白おかしく、周りの様子を伺ってはクラスの雰囲気を盛り上げようとする、そんな人を私は好きになった。
なんとなく、向こうから好意を感じる時もあったけれど、思春期真っ只中の私は何か行動に出るわけでもなく、ただただ席替えで近くになることを祈っていた。
サマースクールの話題で盛り上がる夏休み前、彼の口からはちょっと頭が良い学校の名前が聞こえてきた。
怠け者な私の内申点では厳しかった。同じ学校に通えそうになかった。
残念に思ったけど、進路で別れてしまうのは分かっていたから、悲しくはなかった。
特に行きたい学校がなかった私も、サマースクールに参加したことで、入学したい学校、入りたい部活を見つけることができた。
その学校はそこそこなレベルだったけれど、当時の私の実力では乗り越えなければならないハードルがいくつもあった。
不馴れな勉強に勤しむ秋頃、彼の口から私の目指す学校の名前が出た。
志望校は違うと思ってたから、当時は本当にビックリしたし、嬉しかった。
妄想も、それはもういっぱいした。
あとは私が頑張れば、その妄想が現実になると思うと、大嫌いな英語だって覚えてやろうという気になれた。
塾長からは「険しい道のりだ」と言われたり、模試の成績が酷かったり、などなど色々あったけれど、なんとか仕上げ、受験当日を迎えた。
試験会場には、もちろん彼がいた。
当時ハマっていた乙女ゲームのグッズである天然石を握りしめながら、試験に挑んだ。
試験の出来はなかなかのもので、塾長からも合格だろうと言われた。
安心した私は、受験からの解放を大いに楽しみ、あっという間に、合格発表の日がやってきた。
私の中学校は、結果を確認した後、報告する決まりで、受かった生徒と落ちた生徒は別の教室へ行くことになっていた。
無事に合格通知を受け取った私は、意気揚々と受かった生徒が集まる教室へ行き、先生に報告をした。
そのまま私は帰らずに教室に残って、受かった子達と高校での過ごし方を語らった。
受かった嬉しい気持ちを共有したいからではなく、彼を待っていたのだ。
しかし、彼が来ることはなかった。
私は受かって、彼は落ちたのだ。
家に帰って、私は一人で泣いた。親、塾の関係者、先生、友人、皆喜んでくれていた。それなのに、私は涙が止まらなかった。
もちろん、嬉し涙ではなかった。
同じ学校に通えると思っていたのに、4月からはもう別々になってしまう。春を感じさせる暖かな日差しが、より胸を苦しくさせた。
結局、その後は彼と距離が出来てしまい、連絡先も交換できずに卒業式を迎え、卒業。
高校に通うも、彼のいない高校生活を思い描いていなかった私の日々は淡々と過ぎていった。
どこかですれ違えないかと、駅に行っては姿を探した。見つけることはなかった。
彼の進学した学校は、体育祭も文化祭も非公開。繋いでくれる友人もいない。どうにもならなかった。
途中、気になる人もでき、初めてお付き合いすることもできた。それでもやっぱり、初恋の人は特別なのか、忘れることはなかった。
色々あって、その人と別れた後も、特別なままだった。
ただ執着しているのだと分かっていても、忘れられなかった。
疲れている時は、彼と幸せになる夢を見たりした。起きた後、更に疲れたことは言わずもがな。
この頃になると、思い出すことは僅かで、どんな仕事に就いているのだろうか、幸せな日々を過ごせているといいな、などの思いを馳せるだけで終わっていた。
結局、当時の彼とは遠距離がトリガーになり、振られてしまった。
相当なショックを受けた私は、忘れるのに随分と時間がかかった。
忘れるために、私は昔のことを良く思い出すようになった。
当然、彼のことも懐かしむように思い出した。
すっかり失恋から立ち直った頃、私はふと彼の名前を検索しようと思った。でも、勇気は出なかった。ストーカーチックな気がしたからだ。というか、たぶん、ストーカー。
それから数ヶ月後の昨日、中学の友人、高校の友人と立て続けに会って疲れた私は、いつの間にか眠りにつき、そして久しぶりに彼の夢を見た。
変な時間に寝た私は、変な時間に起きてしまい、妙なテンションになってしまった。
履歴に残るのが恥ずかしかったので、シークレットモードで検索した。
すると、彼らしき人物がヒットした。
作風を見る限り、本人に違いなかった。
私が何度も思い出し、夢で見た姿は、過去のものでしかないのだと、ようやく頭でも心でも理解できたのだ。
一緒に登校をしたかった私、一緒に文化祭を楽しみたかった私、告白をしたかった私。これらも、もう随分と前の私がしたかった、見たかった光景で、今の私が欲するものではないのだ。
初恋の人の名前を検索したら、恐ろしいことになるような気がしたけれど、そんなことはなかった。
きっと、これからも私は彼のことを思い出してしまうし、切ない気持ちになるだろう。
けど、今までとは違い、適切な距離をもって振り返ることができる。
なんか知らないけど、2chのメール誤爆スレのこのレスを思い出した。
634 名前:名無しさんの初恋 メール:0 投稿日:03/07/28 19:10 ID:bLJkwqT8
「Aって超ムカツク!!マジ死ね! 」を間違えて本人に送った時ほど
気まずい時は無い。
マジうんこだね(°∀。)あひゃひゃひゃ!!
とか送ったとき背筋が凍えた・・。
641 名前:634 です・・ メール:0 投稿日:03/07/28 21:12 ID:bLJkwqT8
「汚れを知らない純な女の子」を装ってたのに
何もかもが終わりだぁああああああああ(°∀。)あひゃひゃひゃ!!
もうだーーーめーーーーーぽーーーーーー。゚(゚´Д`゚)゚。
小学4年生くらいの時にやってたけど
二次元の初恋はビアンカなんじゃないかってくらいハマった覚えがある
幼馴染、姉さん女房、ツンデレ、少女時代に大人時代、ボッチ属性
今から思えば王道萌え属性をこれでもかと詰め込んだよなキャラだ
快活なヒロイン良いよね
何周もプレイしたけど、結局フローラでエンディングを迎えることはなかった
これはしょうがない
これもしょうがない
この前スマホでやり直した時
メタルキングの剣は普通にカジノで即入手したけど、スラリンLv99のバグはもちろん消えていて
じゃあビアンカ入れるかって思って育てたんだけどやっぱり戦線離脱するからレベル差が出てしまうね
そもそもスラリンLv99だと1匹でミルドラース倒せるんだよなあ
子供の頃やってると、10年奴隷ですっ飛ぶみたいな展開は結構来るよね
そのあと8年石だしね
ビアンカは10年だっけ?結局20歳前後で同い年になったのかな?
若干残念なのは後半
父子 → ギャルゲー → 子供 → 母子 という話の流れだけど
パパスの印象が強すぎたのかもしれない
あと、二大ヒロイン制のためか、後半あまりビアンカが絡んでこないのが惜しい
そういやリメイクだとなんか変わってんのか?
デボラ?誰?
この暑い日に何故歯医者へ行かねばならないのかと、二日酔いで重くなった体を起こし歯磨きを終えたところで昨日風呂にも入らずに寝たことを思い出したが、どうせ汗だくになって診療所へ入るのだとこじつけたような理由を言い聞かせ外へ出た。
私の家は坂の一番上にあり、緩やかとも急な坂とも言えない道を下り続けて通りに出ると歯医者はある。
普段通勤で駅へ向かう方向とは真逆にあたるこの道は、何ヶ月ぶりかに歩く道だった。
途中、私の初恋相手が住むレンガの家があり、通り過ぎると小学校が見えてくる。小学校の向かいにあった豪邸はなくなっており更地となっていた。その隣には山一つを土地で所有している屋敷とでも呼べばいいのか家があり、家そのものは山の上にあるのだが、斜面は緑地公園のように4,5本大きな木が植えられた庭となっている。その庭の周りはフェンスで囲われており、子供の頃は大きな犬が3匹走り回っていたが、確かその家の主である爺さんが飼い犬を放したいが為のものだったようで、爺さんが亡くなる頃には犬も居なくなり、今では雑木林と化している。
さらに下ると右手にやや細長い土地に家があり、先日母が売りに出されたチラシを見てあの家だよと話していたのを覚えている。3億だかするらしい。手入れがされなくなったからかチラホラと垣根が溢れて中が見えるようになっていた。
坂の終わりにくると70度はあるだろうと思える斜面の山、というより崖があり、自転車なんかじゃまず登れない山の頂上にこれまた見たことない豪邸が建っていた。まるでハリウッド映画でみるようなプール付きかとも思えるその豪邸を見て私は、ありゃ10億だなと暑さで掠れた声で呟いた。
歯医者に着いて診察券を渡し待っていると名前を呼ばれた。今日は何も悪いところを直しに来たのではない。先日ビールを飲んで感じたことのない痛みが起き訪ねたら、詰め物が取れていたとかですぐに解決し、そのついでで歯磨き指導を頂けるとの事だった。
担当してくれた人は綺麗なギャルだった。この診療所を好いている理由はこれが理由でもある。院長が今でも学会でそこそこ活躍されていたらしい人で有ることと、やたらと丁寧な作業と説明をしてくれることと、スタッフが仕事もできる若くて綺麗な女性であることだ。いや、やはり最後のは聞かなかったことにしてくれ。
高圧洗浄とフロスと歯磨きと指導を頂いたことで私の口の中は血の海となっていた。お礼を言い、野口を2枚渡しお釣りを受け取って外へ出た。
時刻は12時前になろうとしていた。
何を食べようかと、うどんか、いや蕎麦も良いと思い、少しばかり歩くが蕎麦屋に行こうと決めた。
その蕎麦屋は私が高校時代にアルバイトで世話になったお店だ。夏休みのこの時期もガスコンロの前に立ち味噌煮込みうどんを作っていたのを覚えている。その当時一番長く共に働き世話になった社員さんが今ではそのお店で店長をしていると、今年はじめに地元友達と飲んだときに知った。
滋賀出身のその人は関西弁でよく喋るプレイボーイで、私が大学へ行くため辞めた頃、フロアの方に手を出し無事子を授かったという顛末である。
バイト仲間でもあったその地元友達は、口を揃えて子供ができてから当時のキレはなくなったと弄っているが、私は子供ができてからの彼を全く知らないでいた。
そんな事を歩きながら思い出していると途中で家族葬の小さな葬儀場が出来ているのに気づいた。こんなところに葬儀場かと思ったが、私が育ったこの町は所謂住宅地であり、私が大人になった年月から住んでいる人たちはみな60を過ぎたお年寄りばかりになっていた。
戦略的にはあっているなと関心をして、不謹慎ながら賑わうだろうなと思った。
蕎麦屋につくと12時前から5組ほど待ちが出ていた。私が子供の頃から変わらない。このお店は土日に必ず混むのだ。タブレットで人数を入力した後に番号札を受け取ってしばらく待っていると葬儀を終えた御一行様が予約をしていた者ですがと入ってきた。なるほど葬儀を終えたら御膳を食べに蕎麦屋に来ることにもなるか。また不謹慎ながらこの店も団体客には困らなそうだななんて考えた。
奥の方から聞き覚えのある声がする。いつ声を掛けようかなどと考えていたが、予約の御一行様がいるのであれば忙しくて座敷部屋から出てくることはないだろうとわかった。そのあたりは2,3年働いていたので分かる。
席が空いたので案内を受けた。メニューを見ると夏ということもあり鰻があった。そういえば今年は鰻を食べてないなと思ったが、値段をみて素直に辞めておいた。当初の目的通りざる蕎麦や天ぷらがあるものを選択して食した。
お金を払い店を出て来た道を戻ることにした。結局予約客に忙しくこちらには顔を出すことはなかった。今日はそういう日なのだろう。ラインを知っているので美味しかったと送ろうかと思ったがそれもなにやら気持ち悪いと気が引けた。今度地元のやつらが集まったとき、平日の夜が良いだろう。暇になる9時くらいに行って茶化してみよう。
家の前の駐車スペースで水遊びをしていた兄弟が居た。ラジオを聞きながらバイクを磨いていたおじさんとそれを眺める犬がいた。虫取りをしに行く小学生が走っていた。高校生が先輩の悪口を言いながらバス停へ歩いていた。
変わる景色と変わらないものがある。私はこの町が好きなのだと思う。
若いときはPMSや生理前後の精神症状で月に半分くらいは不安定というのと、
受診したものの診断はおりなかったが、まちがいなくボーダーラインで酷い有様だった。
その原因は、生来の精神的な弱さにあるのだろうと思っていたが、どうももっといろいろな背景があるのではと気がつき始めた。
中年にさしかかったところで、女性ホルモンの分泌が減ってきて、
それとともに、すがすがしい気分でいられることも増えてきたのだ。
すごく晴れ晴れとした気分。
もともと、心は男だなあ……
とうすうす感じていたのだが、おばさんになって、心から納得したという次第。
当時は私は、自分が女性だということは好ましいとは思わなかったが、
Mちゃんは違った。
いつも男の子がはく半ズボン(当時はとても短い丈)だし、ベリーショート。
先日久しぶりに彼女と再会した。
中年期を目然に、彼女は彼女なりに、アイデンティティを模索していた。
「生まれて初めて、髪をのばしてるんだ」。
知り合っているような感じがある。
ああそうだ、
わたしはしぶしぶ、婚姻関係を結んだが、抵抗に次ぐ抵抗の末であり、いまでも破棄したいと思っているくらいだ。
夫とも当然、仲は悪い。
長男の夫は当然、家事はするものの自分の仕事だとは思っておらず、私の至らない点に説教するのが趣味。
「俺の方が何もかも上。だまってはいと言えば良い!」というとうてい理解できない思考で凝り固まっている。
と気がついた。
小学校低学年〜中学校卒業まで好きな人がいた。初恋だった。
当時書いていたヒ・ミ・ツの日記(はぁと)には
「きょうはあの人とはなせた」だの「いっしょに〇〇した」なんだのと書かれている。
小学5年生くらいまでは普通に話したりはできた。
しかし小学6年生でメガネ・デブ・根暗なオタクへと変貌を遂げた私は、
小学生にして早くもスクールカースト最底辺となってしまった。
中学校に入ってからは初恋の人と話すことはおろか視界にも写っていなかったと思う。
高校〜専門学校ではちょっと痩せたり、
部活で社交性を得たおかげか彼氏ができたりした。
就職も決まり卒業後上京することになった。
成人式の後、中学の同窓会があり、私は当時の体重から15kg落とした状態で参加した。
カースト最底辺だったのでもはや「あんなやついたっけ?」という感じもあったけど、
いろんな人から痩せた容姿を褒められたので嬉しかった。
当時の自分から変われたという事実で勇気が出た私は、
同窓会帰りに初恋の人を呼び止めて「小・中学校と好きでした」と告白した。
相手は「え、まじで!ありがとう」とびっくりしていた、と思う。
その時、私はかなりテンパってたので、相手が喜んでいたか引いていたかどうか覚えていない。
さらに間抜けな話だが、その時は思いを伝えるだけ伝えて満足してしまい、
【付き合ってください】【連絡先交換してください】という次の発展につながることを言わなかった。
上京してから連絡先を交換しなかったことを非常に後悔した。
FacebookやInstagramで彼のアカウントを探したが見つからなかった。
そこから3年半、24歳になる年、今夏から実家でリモートワークをすることになった。
せっかく帰るんだし今度こそは、と改めて初恋の人のSNSを探したがやはり見つからない。
「いっそのこと中学校までいって、相手の実家住所探して直接会いに行くか?」
とストーカー的発想まで考え始めた時、同窓会のグループLINEがあったことを思い出した。
グループの中にその人はいた。3年以上探し続けたが、意外とあっさりと見つかった。
数日悩み、平日の夜に勢いでLINEを送った。
「久しぶりー小中と一緒だった〇〇です!覚えてる?」
「覚えてるよ!」
「わー嬉しい、今地元のみんなってどうしてるのかな?」
「あー俺今△△(地方)にいるからわかんないなー」
…そこからやり取りをしてわかったのだが、彼は地方の大学院で大学院生をしているという。
距離的には私のいる実家から車で5時間くらい。間に2県あるので地味に遠い。
やりとりは4時間くらい続いた。
久しぶりに長時間LINEをしたので私の方が疲れてしまい、
「いろいろ聞きたいけど、明日仕事あるから寝るね」と終わらせてしまった。
といっても小学生の時の恋心が冷めたわけではなく、むしろ初恋が再燃した。
距離の問題や現在の容姿もわからないということはもう関係なかった、
LINEでやり取りしている彼の印象がその当時と変わらなかったから。ただそれだけだった。
この1週間後くらいに相手の誕生日があったので、
当日の夜に簡単なおめでとうLINEは送った。それ以来連絡はとってない。
もっと相手のことを知りたいし、会ってみたいと思う。
我ながら今の姿や性格がわからない相手に対し
過去の思い出と少ないやり取りだけで恋をしているのもバカみたいだとは思うが、
恋をするのはとても楽しい。
ガツガツは行かないけどアプローチは続けるつもりだ。
長丁場になることを覚悟の上で。
お盆は地元に帰ってきたりするんだろうか。
ていうかまず彼女いるかどうか聞こう…。
アニメなんてなくても生きていける。
そう論じるのは簡単なことだ。
だが
人間はそもそも不完全なものであり、合理性のみで人生を全うすることは難しい。
それが出来る人間もいようがその数は決して多くない。
アニメに限らず、ゲーム、酒、タバコ、異性、ギャンブル、車、ゴルフ、音楽、アイドル、スポーツ観戦、特撮、映画、小説…
多くの人間は一見非生産なものにひと時その身を浸して癒やしを得、日々の暮らしにおける心の糧にしているものだ。
まずこういったものに批判をすること自体禁酒法時代のアメリカや天保の改革の風俗取締令のようなナンセンスさがある。
すでに多くの批判が寄せられているが、大阪芸術大学の純丘曜彰教授の例のコラムの改稿前のものを長くなるが引用し、思うところを述べていきたい。
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/夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。/
あまりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった。たとえば、16年の小金井事件。熱烈なファンが豹変し、本人を襲撃。アイドルやアニメは、そのマーケットがクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。
もとはと言えば、1973年の手塚プロダクションの瓦解に始まる。同じころ、もう一方のアニメの雄、東映も労働争議で多くの人材を放出。かれらは、それぞれにスタジオを起こした。だが、これらのスタジオは、アニメの製作ノウハウはあっても、資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働が常態化していく。
そんな中で74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理と製作進行が破綻して打ち切り。にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。しかし、サンリオ資本のキティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおのマンガ『翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。
このアニメの実際の製作を請け負っていたのが、手塚系のスタジオぴえろで、その応援として、同じ手塚系の京都アニメーションの前身が稼働し始める。そして、その後のアニメ業界の大勢の方向を決定づけたのが、84年、この監督だった押井守の映画版オリジナルストーリー『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』。SF色を取り入れた学園コメディで、学園祭の準備が楽しくて仕方ない宇宙人の女の子ラムの夢に世界が取り込まれ、その学園祭前日を延々と毎日、繰り返しているという話。
アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、セル画式だけでも、『サザエさん』や『ドラえもん』のようなファミリーテレビ番組はもちろん、『ドラゴンボール』や『ワンピース』のような人気マンガを動かしたもの、『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSF、さらにはもっとタイトな大人向けのものもある。
にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回第24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクのファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12話から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みのエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。
もっと言ってしまえば、京アニという製作会社が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだった。学園物、高校生のサークル物語、友だち話を作り、終わり無く次回作の公開に追われ続けてきた。内容が似たり寄ったりの繰り返しというだけでなく、そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ。天性の善人とはいえ、社長の姿は、『BD』の「夢邪鬼」と重なる。そして、そうであれば、いつか「獏」がやってきて、夢を喰い潰すのは必然だった。
なぜ学園物が当たったのか。なぜそれがアニメの主流となったのか。中学高校は、日本人にとって、最大公約数の共通体験だからだ。入学式、修学旅行、学園祭、卒業式。教室、体育館、登下校。だが、実際のファンの中心は、中高生ではない。もっと上だ。学園物は、この中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた。それは、いい年をしたアイドルが、中高生マガイの制服を着て、初恋さえ手が届かなかったようなキモオタのアラサー、アラフォーのファンを誑かすのと似ている。
夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。グッズを買い集め、「聖地」を巡礼し、そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなものだ。
『恋はデジャブ』(93)という映画がある。これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公が精神的に成長するという物語。この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。つまり、主人公の成長を待ってくれる。だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。終わりの無い学園物のアニメにうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。記号化されたアニメの主人公は、のび太もカツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。しかし、現実の人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。こういう連中に残された最後の希望は、自分も永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。
起業する、選挙に立候補する、アイドルやタレント、芸人になる、小説やマンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした夢を見させられ過ぎた。だから、一発逆転も、また別の夢。かならず失敗する。そして、最後には逆恨み、逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ。
いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
まずはこの業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別する必要がある。もう学園祭は終わったのだ。休もう。番組も、映画も、穴を開けて休もう。あれだけの京アニの惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で黙々と規定の製作スケジュールをこなそうとしていることこそ、異常だ。こんなときくらい、京アニにかぎらず、業界の関連全社、いったん立ち止まって、仕事や待遇、業界のあり方、物語の方向性、ファンとの関係を見直し、あらためてしっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
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「京アニは学園ものだけ」という言説に対し、傷痍軍人の女性が戦後を生きる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の存在意義が改めて燦然と光り輝いているという事実。劇場版も企画されており以降もシリーズ化されればそれはもう「学園ものだけ」という批判にはあたらない、はずだったのだが…。
また京アニオリジナルの源流をたどればMUNTOという異世界ファンタジーもあり、今後何が飛び出すか、その可能性は無限に満ちていた。
日本のオタク作品の大半が確かに学園ものなのは事実であるが、それは世界観の説明が容易であること、多くの視聴者が経験していて没入しやすいこと、といったアドバンテージがある、いわば「手堅い」ジャンルゆえ。
京アニは決して裕福な会社であったとは言い切れないし、またアニメ業界自体流行り廃りが激しく、そんな中で一定の収益を手堅くあげる選択をとっても批判されるいわれはあるまい。
エンドレスエイトがいまだに物議を醸す存在であるのは事実だが、話題性が1期よりは希薄になりがちな2期ハルヒを「語る」上で大きな要素になっているという点では意義のある存在ともいえるのかもしれない。
終わりなき学園祭としてひとつの象徴となった「ビューティフル・ドリーマー」、
うる星やつらが漫画版で約9年、アニメ版で約5年もの長きに渡り「途切れることなく」続いた学園ものであった記憶もあって、ことにアニメに対して古い感性の人間ほど「終わりなき青春」を延々続ける印象もあるが、
近年の製作ペースは1クール12話、月にならせば3ヶ月ほどのスパンが基準で、シリーズが続いても2クールか長くても4クールあたりが殆どで、1年を通して続くことはもはや一部の例のみで、1クールないし2クールベースの途切れ途切れの発表ペースになっている。しかもうる星が3年を超えて学生生活を描き続けたのに対し、妥当な時間経過とともに終わり即ち「卒業」があるのも近年の特徴。
しかもアニメファンは常にコンテンツの新陳代謝にさらされる中で、コンテンツの完結を一区切りとして、同じ制作会社だからといって次に提示される新コンテンツを必ず追い続けてくれるとは限らない。
1期で好評だったシリーズ物の2期ですら、1期以上に人気を得るのは実際難しい。
そしてこの御仁が憂うまでもなくアニメ自体卒業していく人間も確かに存在する。
そういった熾烈なレッドオーシャンで波間の泡のように浮いては消えていくのがアニメ制作会社の非情なる現実。
そんな熾烈な世界にあって健気に誠実に作品を作り続け、また大きな落ち込みもなく良質な作品を供給できる会社を存続させてきた、業界の良心の要石のような会社が京アニであって、それはこういう批判の俎上に上げるべき存在ではそもそもない。
事件前からかねがね用意されていたであろう「ぼくのかんがえた日本アニメ概論」をここぞとばかりに持ってきたのだろうが、世界的に見ても比類なきほど理不尽な、そして悲惨な事件に対して論じるにはあまりにも適さない代物であったと言わざるを得ない。
このケースは犯人の特性も含めて極めて異常であり、安易な因果応報的論説にははめ込めないほどの歪さ不条理さがあるのだ。いやしくも大学教授を名乗る立場にふさわしくない浅薄さであったと言わざるを得ない。
この御仁が禄を食んでいる大阪芸大は早くからサブカルチャーに特化した今やオタク御用達の大学であり、辺境にありながら高い人気を持ち続けているのはそれ故もあるのに、そこからオタク批判をすること自体、あたかも親の庇護を受けながらヤンキーやってるイキリ中学生のようであり甚だ滑稽でしかない。
まぁ一方で確かにアニメ作りすぎなのは事実であるが、それは業界全体レベルの話であり京アニを論って言う話ではない。それは数を作らないと食えないという業界構造にこそ問題があり、是正されるべきものであるのは論を俟たない。だが、かつて勇名を馳せた会社ですら粗製乱造なものも見受けられる中、ひとつひとつの作品を売れる売れないに関わらず本当に誠実に作ってきた会社を取り上げて言うことではない。まして「麻薬の売人以下」とまで蔑まれるいわれはない。
あとアニメうる星はその後綺羅星の如く多くの俊英を生み育てる土壌になり、アニメ産業及びアニメ文化の嚆矢ともなったという意味で意義深い作品であり、とりわけビューティフル・ドリーマーはアニメ制作班の若き野心とオリジナリティに溢れた傑作であったことも付け加えておく。だがそれに内包されている批判精神は今や一周回って定番になってしまい、それをもってアニメ批判オタク批判をするには「今更感」で一杯で陳腐化していることも。
最後に
人的物的、そして心理的にも大きなダメージを負い再起すらも危ぶまれる中、これからの再起を表明した八田社長と京アニには、深い敬意を表しつつ、事件前に比肩する制作体制を整えるのはおそらくまだ時間がかかるであろうとも、その行く末を見守っていきたいし、微力であれ力添えもしていきたいものである。
そして、亡くなられた方のご冥福と、負傷された方のご快癒をお祈りしつつ、件のコラムのような浅はかな批判論を払拭する新たな可能性に満ちた作品群を期待したい。それがいつになろうとも。