はてなキーワード: クラスメイトとは
娘が休校の電話がかかってこないので学校に行かねばならんと言う。
台風が来ているし、このままなら午後から放課になるから休めば良いと言うも、クラスメイトや友達からズル休みみたいに言われるのが嫌だと言う。
親の言うことが聞けないのか、と馬鹿の一つ覚えみたいな押しつけはしたくないが、それに近いことを言い、従わせてしまった。
学校に行けなかったことで、とても落ち込んでいる。信じられない。
こちらが悪者にならなければ、こんな状況でも安全を選ばせることすら出来ないなんて、教育の敗北を感じてしまう、というのは言い過ぎだろうか。
そもそも当日の朝になるまで休みかどうかわからんというのも意味不明だが、
平成も終わろうとしている現代に、電話で連絡回してる上、回線がパンクして繋がらないのもふざけている。
それは、悪天候の中飛び出しても、自分たちは絶対に死なない側だという証左ではないと思っている。
ある程度の予測ができている事象について、最悪のケースを想定して大事をとらせるのは、そんなにも愚かな振る舞いだろうか。
今後もこうして悪者になり続けないと、もしもに備えることすら出来ないのだろうか。ひどく悲しくなった。
今回の件に関しては、私個人の意見としてですが、選考はあったと思いますし、
これまでも“彼女”への贔屓はあったと思っているスタンスです。
選ばれた5名のうち、抽選をしたのがひとりもいないかはわかりません。
“特に必要事項ではなかったメッセージ”の書かれたハガキを読んで、順位付けして、
その結果同率でどちらか選んだ、なんてこともあるかもしれません。
2.5次元ミュージカルの火付け役になったり、
作品のオタクじゃなくても、名前は知っていてくれる人も多いほどです。
今初めて出会ったような人よりも長くこまめに応援してきた人を気に入るだろうし、
正直私が彼でも、ごくごく限られた人のみのディナーですし、ある程度自分が名前を見たことのある人を選びたいです。
混同するなと言われるとは思いますが、若手俳優とオキニもそんなもんです。
悪いことだとは言いません。
当選した“彼女”たちがこれまでそれなりのお金もかけながら“長い時間”応援してきた分と、
“抽選”だから“大金”を支払い、書籍を大量に買って、応募している人。
どちらに天秤が傾くかはもう先生次第です。
なんなら結果的にこの部分では、私は先生の思いが“彼女”たちに傾いてよかったとさえ思います。
最初から必要事項に『テニスの王子様への愛を綴ってください。それで選考します。』なんてことがあればよかっただけです。
ビジネスとして書籍を多く売りたい。CDや本もセット商法じゃなければ売れない時代です。
ですが、これが今の世の戦略です。多くの商品でそんなことは行われています。
テニプリじゃなければ、私もこんなこといちいち言いません。
素直に選考があったこと、熱いメッセージに押されて当選者を決めたこと、
それを認めたうえで、何らかの措置があればこんなに大きな問題にはなっていなかったと思います。
オキニとか彼女貶された時の若手俳優、声優もそういうことします。
許斐剛は神ではない。
歌も歌うし、曲も作るし、漫画も描く。
突拍子のない企画もするし、ひとたびドンドンタンすれば大きな波を生む。
これまで“彼の作品”が伝説を作ってきたことは紛れもない事実です。
彼はただの“漫画を描く人”なので。
とりあえず、書きたいこと適当に書きましたが、
ただ、人を神扱いするのはもうやめます。
LINEはSNSというよりもはやライフラインに近いので、初めての試み。
リセット癖と一括りにすると、メンヘラだのなんだのと言われそうなので
しかしながら想像以上にメリットだらけだったので記念カキコします。
比較的マメにバックアップを取っていたほうだったので、電話帳も継続していた。
TOでメールのやり取りなどもうしないであろう後輩や、「ただの」クラスメイトも含まれていた。
15年も経てば、違う持ち主の番号になっているものもあるだろう。
今まで見直しをしてこなかったがために、LINEの表示名(電話帳登録名)とLINEの登録名が異なるものもちらほら。
お前、誰だよ。
今回やりなおすにあたってのルールは2つ。
これで、ある程度の数に絞れるだろうと踏んだ。
結果、500人を超えていたリストは40人にまで減った。
ああ、その場ののりでQRコードをささげたような、
街コン関連で1回だけ顔をあせただけの他人以上の他人とか、「知り合いかも?」に延々登場していたやつらも消えた。
これだけでもかなりすっきりだった。
もう一生会わないだろうよ。あばよ。
これ、自分も含めて再調整。
花子だけ見て旧姓もでてこねぇような希薄なやつはもう友達じゃないという乱暴な仮説により全部統一。
長ったらしくなることもなく非常にすっきりした。
新姓のほうがよくわかんないだよね。
顔写真載せてたりタイムラインに誰かわかる投稿しているやつは1000歩譲ってまだよしとする。
でもタイムライン投稿ゼロ+犬だのカフェだの無難なプロフィール画像のやつ。お前はだめだ。
誰かバレたくないがためにわざとだったり、
本当にお前誰なんだよ。
今回のリセットで、こいつらも一掃された。
これはー、、ついでだね完全に。
LINEで「限られた人」とだけつながっていればいいという精神状況になったとき、
インスタが非常にあほらしくなった。
なんで個別で連絡も取らず会いもしないやつにストーリーとやらで現在地を共有してたのか。
そりゃーね、
だって指を上下に動かせば、タイムライン上で情報が入ってくるんだもの。
でもね、それってなんだか寂しくない?って思い始めた。
どうしても大事な友達だったら、会って目を見てしゃべりたいけど、
だから、消すことにした。
消してみたら、意外と平気なんだよ。
1個1個事例を思い出すと、ちょっと寂しくなるけど案外覚えてない。
…まあ仕事で情報収集しないといけないから、また作ると思うけどね。
急に話が戻るけど。
この1週間、いろんな人にあった。
今までは、会えるだけでよかった。
帰省して、今までと同じように関係が壊れていないことを確認して、満足して帰る。
でも今回は初めて違和感があった。
久しぶりに酒を酌み交わしながら、「人の」話をしてる。
「○○と△△が付き合ってるらしい」
「××は仕事ができない」
それさー、今話してどうなんの?
違和感を覚えつつ相槌はすごく興味ある風にする私。
でもね、すっごく興味ないことに気づいてしまったの。
今までそんな感覚になったことがなくて、自分でもびっくりしたよ。
田舎は情にあつく都会は冷たいって、おせっかい度でいえばそうだよ。
現状の文句や妬みを言うなら、行動しなよ。
そんなこと考えてたらさ、どうでもよくなったの、インスタのストーリーとかね。
実感したよ。
しばらくこっちでがんばるからさ、また会いたくなったら会おうよ。
そんなこと思いながら、駆け足で新幹線に乗った。
一番最初に攻略対象になる。(力学以外から攻略しようとすると詰む)
他キャラのルートにもちょこちょこ顔出してくるし好きな人も多いと思う。
もう一人のメインヒロイン。でも攻略対象になるのは終盤になってから。
高校からポッと出の波動 熱力学と違って中学校時代にも習っているので幼馴染ポジションでもありながら、出会い始めはかなりきついツンデレタイプ。髪の色は間違いなく金色になるだろう。
他の4人と比べると掴みやすいから多分主人公大好きの妹系キャラ。でもあまりcgが用意されてない不遇キャラでもある。問題集とかだとよく電磁気とセットになってるから電磁気とは仲が良さそう。髪の色は多分茶色
あんまり物理っぽくない不思議ちゃん系。力学と仲よさそう。波、音、光といろいろタイプがあるから頭良い、お嬢様、男が苦手と色々タイプを加えよう。
これまでの自分の人生あまりいいもんだと思ってないが、不思議と後悔したことはなかった。しかし最近、後悔するようになった。俺はスケベなくせにスケベなことをしてこなかったからだ。ラブレターくれた巨乳のクラスメイト、お尻の大きいパートの主婦、笑顔が素敵で童顔なわりにいい体してた高校生、不倫してたやけに色っぽい人妻、母親から虐待受けてた高校生、手相を見るのが特技の子、デートに誘ってくれた年上のお姉さん、控室でなぜか下着姿見せてくれためちゃくちゃかわいい元ヤン、乳首さわってきたメンヘラ痴女、私服が意外とセクシーで小麦色に焼けたいい体してた子、アンニュイな雰囲気のパンキッシュな同僚、動きがぎこちない眼鏡っ娘、等々。エッチしようってやりとりしたわけでもなければ、やれたかも委員会で描かれるような瞬間があったわけでもない。自分が勝手に思っただけかもしれないが、今思えばお互いにエロく惹かれ合う瞬間みたいなのがあったけれど、自分はそれに気付かないふりをして、そのとき何もすることなんてなかったかのように生きてきた。本当は近づきたかった、触れたかった。ただちゃんと相手をみつめればよかった。もうちょっと二人でいようって言えばよかった。手を握ることから始めていっぱいスケベなことすればよかった。単に自分はスケベでスケベなことをしたかった。
なんでこういうこと思うようになったかというと、自分も含めて人はとってもスケベであることに気付いたからです。若い頃はオナニーする回数は多かったけれど、今ほどに人をエロく見ない、人に対して自分が欲情してることに気付いてなかった。好意は持つし、かわいいと思うことはあったけど、こんなにもストレートにエロいことしたかっただなんて思ってもいなかったんです。したいことに気付いているかどうか、したくてもするかしないかっていうのはもちろんあるんだけど、けっこうな人がスケベなんですよね。
「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」を見たので感想。と言うか自分メモ。ネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。
「まさに千八百円と上映時間分の時間を投資する価値がある映画」を100点だと考えたときの点数は15点位。ひどみ。低評価。なんだこれ。
しかし微塵も揺るがない増田。なぜなら(自分的には大体似たカテゴリに入る)「ドラえもん のび太の宝島」が脅威のマイナス点数の失神級駄作だったので免疫がついたのだった。
シナリオの作りが野心的で100分という尺の中でなんと群像劇をやろうとしていた。
主な人物として「市長の娘ヒロインのラルゴ」「ギャルっぽいヒロインのリサ」「過去を抱えた市長オリバー」「後悔に生きる老婆ヒスイ」「コミュ障のポケモン学者トリト」「口からのでまかせで生きてきた男カガチ」あたりがいて、それぞれが内面に問題を抱えつつ生きている。物語の舞台フウラシティを訪れたサトシは、この街の生命線とも言える「風祭り」に参加。そこで起きる大事件に様々な人間と関わり合いながら立ち向かう……という映画のメインストーリー。
この「群像劇をやりたい」という企画性というか意気込みを、まずは評価する。……んだけど、それはやっぱり難易度は高い。脚本はあちこち駄目ぽだった。大きな問題点としては感情動線の理屈建て不足で、なんか悩みやトラウマがある→でも私の力が必要っぽい→周りが盛り上がってる→感動パワーでうわー解決! というのが群像劇分水平コピーされている。
そこには「今までの悩みやトラウマを超克するための内面的な気付きやきっかけ」みたいなものが不足していて、「今までダメだった理由」「今回は立ち上がった理由」が極めて薄いか、キャラによっては存在すらない。感動的な音楽がかかって背景で大火災とかあるからやらなきゃならないやったでーというわりと雑なほうりなげだった。そんなんだったらそもそもトラウマいらんでしょ。
そのほかにも、山の中で発見された聖火を市長が街まで持って帰れば時間は余裕なのに(また普通に考えて街の宝を放置するほうがありえないのに)、わざわざ間に合わないギリギリまで放置して女子高生ギャルにスプリントさせるとか、なんかこう……脚本レベルで穴が多い。
「みんなの物語」「みんなで協力するという感動」という企画性は理解できるんだけど、脚本陣にそれを実装する能力が欠けていたように思われる。かと言ってそれは脚本家をけなしているわけではなくて、企画レベルで(つまり脚本の方法性や盛り込もうとした素材のボリュームレベルで)無理があったんじゃなかろうか? 登場人物を絞るなり(その意味でサトシのポケモンをピカチュウだけに絞ったのは良かった)、あるいは尺を圧迫しないおりたたみで内面を描写したりという工夫が足りなかったように思う。
ゼラオラは物語の舞台フウラシティ周辺のポケモンの守り神とでも云うべき存在で、フウラシティが成立する前から周辺のポケモンや自然を守ってきた。しかし、産物に乏しいこの地にルギアがあらわれて風を呼び、この風をもとにした風力発電でフウラシティは成立。人間はドンドコ森を切り開き、ポケモンの自然生息域を圧迫、その件でゼラオラとは対立せざるを得ないようになっていった。五〇年前、人間たちは自己から森林火災をおこしてしまい、火災からポケモンを守るためにゼラオラは負傷。当時の市長はゼラオラを守るために、山林は人間の立入禁止として立ち入ったものはゼラオラの呪いがあると嘘の噂をばらまいた――というのが物語の背景。
なんだけど、なんかもうこの時点で2周半くらい人間側がクズじゃねえ?
ゼラオラ何も悪い事してないじゃないですか。と言うか、その点ではなく、むしろ人間が人間の都合(街を拡張したい)で森林伐採をするならそれはそれで良いんだけど(なんせ人間はそういう存在なので)それならそれで、そのように述べてやれば良いわけで、「ゼラオラの呪い」なんていう相手の名誉を毀損するでっち上げをしながら、相手を救うとかいう恩着せをするのが全く救えない。んで50年もの間「かー、ゼラオラに呪われちゃうんであの山には入れないんだよなー。かーっ。呪い無ければ事故調査も開発もできるのになー。かー」とか責任転嫁をしてきたという醜悪さがある。
それがポケモンの世界観だと言えば世界観なのかもしれないが、そのゼラオラをサトシ&ピカチューは叩きのめすことで「ともだち」にして「ともだちだからもう遺恨はないよな?」とする脚本は、おいおいいくらなんでもそれマジで書いてるのかよ? 的な部分はあった。
ポケモンは三歳児程度には意思疎通な生命体なんだけど、ペット(守るべき対象)なのか、それとも一種の亜人(権利を認めるべき存在)なのか? って言うこの問題意識はポケモンの第一作から見え隠れしている。しかし今回は輪をかけて「ポケモンはともだち」というパワーワードとゼラオラが見かけ上はネコ科の獣人っぽい外見(人型)であるという2点で、極まってしまっているように思える。明らかに独自の言語的能力を有して、周囲の同族やポケモンを守り、森林火災から救助するほどの知能を持つ知性体を「呪い」扱いしてトラブルの責任転嫁をするって、どうなのよ。
そもそもフウラシティはルギアの呼んだ風を用いる発電で街を興し、毎年一度「風祭り」の日にルギアを招いては風力発電の維持を願っているような街である。風がとまれば電力も絶えて街は闇に包まれて住民たちはうなだれる。そういう関係を「ともだち」っていうのか? 母親の財布から毎月数千円くすねて上納することによって「ともだち」になってくれるクラスメイトより気持ち悪くないか。
そういう意味で今回の映画は、自分個人が楽しめないとか以上に「この映画を無邪気に楽しめるってやばくね?」的な心配が発生してしまった。この心配の方向性は「ドラえもん のび太の宝島」によく似ている(ドラえもんのほうがヤバさは上だが)。
ポケモン映画は毎回なんだけど、街の人混みの中や自然の中にちょこちょこと数え切れないほどのポケモンが登場していて楽しい。ウォーリーを探せ的な楽しさがある。その気持ちよさ楽しさは今回もたっぷり楽しめた。
主要人物の一人「コミュ障のポケモン研究者トリト」のパートナーポケモンであるラッキーがよい。
脚本や演出がどこまで自覚的だったのか怪しいのだけどこのラッキーの存在が、映画全体に対するアンチテーゼになっている。
トリトはポケモン研究者でいつも多くのポケモンに囲まれているんだけど、いつも一番近くにいるのが癒し系のラッキーで、おそらくこのラッキーは、トリトを飼い主であるとか主人であるとか思っていない。トリトのことを自分が保護すべき存在だと、あるいは下手をしたら、トリトは自分の子供だと思っている。
ポケモンが一体何なのか? 都合の良い労働動物なのか? 資源なのか? 生存権を保護すべき対象なのか? 人権さえ認めるべき存在なのか? というテーマはシリーズにグッサリ刺さった楔なわけだけど、それってあくまで人間を中心にした人間視点でしかない。
ラッキーはトリトのことを意気地無しで世話が焼ける存在だと思っていて(そしてそれは正しい)、そのうえ自分が世話をしてやる対象だと思ってる。
それはポケモンの側からみて、人間が「時々発狂して面倒くさいメンヘラの同居人」なのかもしれない、というシリーズのブレイクスルーになりうる(非常に薄くて小さな)突破口だ。
私が自分の性嗜好に、というよりその性嗜好の異常さに気が付いたのは中学生の時だ。
オナニーは小5の時からしていたし、その頃からゲイビデオをオカズにしていたが、どういうわけかそれが普通のことだと思っていたのだ。自分と他者との境界が見えていなかったことに気づいたのが、その境界が確固として存在することに気づいてしまったのが、中学一年生の時だった。きっかけなんてあったかどうかは、ついぞ忘れてしまった。
とにかく、私はとても恥ずかしくなった。怖くなった。人と話すのが、人と会うのが、外に出るのが、怖くてたまらなくなった。誰と話すこともできず、全てをはぐらかし、いじめっ子にも呆れられるくらいに、私は独りになった。
接する人間の絶対数が少なく、それでいて理解されたいという願望の強かった私は、優しくされるとすぐ惚れてしまう、情けない男になり下がった。
中学二年生の時。同じようにいじめに遭い、たまたま趣味も同じで独りぼっちだった私に助けを求めたのか、優しく話しかけてくれたあいつを、俺は好きになった。
高校一年生の時。ふさぎ込む私を見かねて、クラスメイトに馴染めるように自分の長所を引き出して自信を持たせてくれた先生を、俺は好きになった。
高校二年生の時。たまたま隣の席になって、仲のいい人間がいなさそうな俺に笑いかけてくれたあいつを、俺は好きになった。
一つの恋も実るはずがなかった。自分の感情や思考を隠すことばかり考えて育った私に、正直に自分の愛だの、恋だのを伝えることができるはずがなかった。
恐る恐る、こっそり、気づかれるか気づかれないかわからないくらいの微妙さで、アピールをした。その全てがストーカーじみていて気持ちが悪いことは、自分が一番わかっていた。
自分で自分が気持ち悪くて仕方なかった。向こうは純粋な気持ち・やさしさで接してくれているのに、悉く裏切って、こんなに気持ち悪い接し方をしてしまう自分が、ひどく嫌いになった。
そんなことの繰り返しに嫌気がさして、故郷を離れて、男の少ない学部・学科を選んで、進学した。
女友達が少しできた。数人にはカミングアウトもしたが、大した反応も拒絶もなく、そんなもの無かったことかのように、周りにバレないように気を遣って、私がさもヘテロかのように振舞ってくれる、いい友達だ。
だのに、自分が殺されているような気がして、胸が圧し潰されるのだ。人の優しさを踏みにじること以外に取り柄がないのだ。
人と接することが苦手だということは、紛れもなく事実だ。人と会話していると、自分の感情が上手く言葉に載らないので、自分の言葉が上手く会話に載らないので、指先まで淋しさで凍って動けなくなる。
凍っている自分を見ている自分が、後ろから無愛想にあざけ笑う。そんなことになった原因を何だと考えているんだと、声にならない声であざけ笑う。
うるさい。
俺がゲイなのが悪いんじゃない。これは生まれつきだ。性嗜好が悪くて俺が悪いんだったら、俺はどこに救いを求めればいいのだ。
故郷を離れての生活は快適だった。大学には私に優しくしてくれるような、私の好みの男性はいなかった。昔思いを寄せた相手を思い出してしまうような景色も一切なかった。
人と接したくないからと他のコミュニティに関わることもなかったので、男性と知り合う機会は一切なかった。
だから、私は自分の重荷を忘れてしまうくらいに、自然に過ごしていた。孤独ではあっても、ふわふわとした幸せな時間があったのだ。
年上の、体の大きなあの人は、俺に優しく笑いかけてくれる。
失敗をしても、少し甲高いかわいい声で、大丈夫大丈夫、と言って励ましてくれる。
自分の視線が、自分の足が、あさましく、無意識に彼の方に近寄っていくのを感じながら、俺は、たどたどしい言葉を紡いで、他愛もない話をする。穢れた心臓をはち切れそうにさせながら。
バイトの先輩が新人に優しくするのは、法や条例の世界で定められるくらいの理であって、当たり前のことなのに。
あの人がたまにくだけた口調で冗談をいって笑うのは、俺にこんな、気持ち悪いまなざしを向けられるためではないのに。
俺が産まれ、育てられ、故郷を離れているのは、こんな些細なことで悩むためではないのに。
大好きな音楽を聴いているだけで生きていけたら、ずっと一人で、ずっと一人で聴き続けながら死んで、それでなんにも構わないのに。
事故だった。
特別親しい訳ではないし、最後に会ったのはみんなで集まる成人式の時の同窓会くらい。
毎日会ったり定期的に連絡してた訳じゃないからなんとなくここにいて働いててみたいなことを成人式で知ってたまに中学の同級生って何してるっけ?って時に思い出すくらい。
全然実感わかなくて、棺の中の顔を見て寝てるだけだって思った。
授業中に大胆に寝てた寝顔と同じだった。
なんの実感もなく日常生活に戻ってしまった訳だけど、葬儀に行ったら自分は泣いちゃうんだろうなと思ってたけど泣かなかった。
もちろん悲しかったけど胸を張って仲がいいって言える関係じゃなかったから、ここで泣いたら偽善なのかなとか思って泣かなかった。
また実家に帰ってアルバムとか日記とか見たら色々思い出すんだろうけど。
告別式で手紙を書く?みたいな紙が用意されてたんだけど書けなかったからとりあえずここに書いておく。
中学の時はやんちゃでいじられキャラで、でも意外にも字がきれいで。
字だけはきれいだよねーって言ったの覚えてる。
お菓子が禁止されてた中学で大胆にもお菓子を食べていじられキャラだったからかいつも見つかって怒られてたね、自分の好きな部活のことはすごい饒舌に話してたね。
いつかみんなで遊んでた夜にいきなり家にきてすごいびっくりしたけどらしいなぁって思って笑ったなぁ。
私が関わってたのは実質三年だけだけれど1クラスメイトとしてこれからはたくさん思い出すことになると思うなぁ。
お疲れ様って言葉をかけるにはまだまだ早いから言わないけどいつかめっちゃ若い君と年老いたみんなで同窓会しようね!
だいぶ待たせちゃうけど待っててね!
先に言うと別にフェミニズム批判じゃなくてただの文章下手の自分語りだから、そういうのがほしい人の期待には添えない。一方でフェミニストの人たちの気分も害すかもしれない。
自分は体が女のXジェンダーというやつで、簡単に言えば「心が男にも女にもなりきれない」という中途半端でLGBTの中でも批判する人がいるような人種である。そんな自分がかつてなぜ女性の権利拡張であるフェミニズムに興味を持ったかというと、ネットで「フェミニズムに出会って救われた」というXジェンダーの人を見たからだった。
Xジェンダーというのはとても定義が難しく、自覚する原因なども人それぞれであるが、Xを自覚する理由の一つに「社会的性規範と自分が合わない」というのがある。要するに「女性はこうあるべき」「男性はこうあるべき」という規範と自分を合わせることができずジェンダーを疑ってしまうということである。フェミニズムは「女性はこうあるべき」という概念から解放するものであり、それに救われるXジェンダーも多いという。当時はとにかく自分を救ってくれる何かが欲しくて、フェミニズムのコミュニティーに足を踏み入れたのだった。
フェミニズムという概念は今でも好きだ。フェミニズムの歴史がなければ自分は今以上に生きにくさを感じていただろうし、女性が解放されればもっと自分も楽になれると思う。けれど、フェミニストのコミュニティーの中で自分はどんどん神経をすり減らしていた。「男性」への批判を見るたび自分が非難されているように感じてしまったのである(自分はXジェンダーの中でも「両性型」というもので、女性であると同時に男性であるとも感じている)。ミサンドリストといわれる彼女らが男性を憎む理由があり、彼女らがそれを叫ぶことが解決へとつながる、彼女らが感じる不快感も含めて声を挙げなければ世界は変わらない。頭では分かっていたけれど、彼女らの文字は自分の心をじわじわと蝕んでいく。自分は彼女らにとっての悪である、しかも体は女のくせに。彼女らの批判するものに「男性の性的まなざし」というのがあって、それがあることで女性が対等にみられないという彼女らの理屈は分かっても、男性としての自分は本能を捨てられない。彼女らの敵の思想を捨てられない、体は女のくせに。
この中にいても自分は足を引っ張ることしかできない、どんなに理屈を理解したところで「わざわざ敵に回った人間」にしかなれない。そう思ったとき、いったん離れようと思った。作ったアカウントは放置したままである。
結局、自分は古い価値観においても新しい価値観においても省かれ、誰かの敵となってしまう人間なのだと思う。せめて新しい価値観の中に入れてほしかった、なんで普通の女の子になれなかったんだろうな。思えばかつてXジェンダーを自覚するきっかけになったのはクラスメイトの「男子」というものへの批判に深く傷ついてる自分に気づいたからで、二の舞になると事前に予測できなかった自分がバカなだけだったのかもしれない。
彼女らの理想はとても美しくて、それに自分は入れない。普通になりたかった、誰かの、そして自分がかつて描いた理想を目指す活動のせいで傷つく人間になんてなりたくなかった。
小学校低学年の頃買ってもらった。最初は赤と緑の2つが発売され、理由は全く覚えていないが赤を買ってもらった。
たぶん普通に緑より赤色のほうが好きで草より火のほうが強いということをゲームをする前から当時の俺はわかっていたのだろう。
主人公の名前はデフォルトのままレッドだ。これはその後何度もリスタートする度に変わらず貫き通した誇りある名だ。
この先の将来でもし現代のポケモンをプレイすることが訪れたとしても、俺はレッドという名前だけは絶対に変えない。
現代のポケモンは何色なのか知らないが、『ポケモン ダークマター』だったとしても主人公の名はレッドだ。
最初に選ぶポケモンはもちろんヒトカゲ。赤を最初にプレイした人間で植物や亀を選ぶやつがこの世にいただろうっか。
いや、たぶんいないだろう。同様に緑が最初のプレイの人間もここは、トカゲと亀は選ばんだろう。そうでなければ、筋が通らないではないか。
最初のバトルはたしか負けても大丈夫だったか?いや負けることなんてあったのか?たしかとりあえず終わったあとはHPは回復されてる親切設計だったはず。
あ~思い出した思い出した。最初にポケモン持たずして草むらに入ってしまったんだよな。あれは流石に危なかったぜ。ネズミに襲われるとこだった。
ヒトカゲは上級者向けなんだ。序盤のジムリーダーに対しての相性が悪い。だが俺はいつだって厳しい道の方を選択するんだ。
当時の俺もゲームをする前からそれをうすうす感じて赤を選んだのかもしれない。
カスミとかいう女もひどいぜ。しっぽの火が消えたら死んでしまうというのに、水鉄砲やバブルこうせんなんて。こっちは風前の灯火なのに自己再生なんて。
そういやハナダの橋で5人ぐらいに立て続けに戦いを挑まれてたな。なんかどんどん強くなる鬼畜仕様だったような。
船に乗ったな。いっぱいトレーナーがいた。電気のジムリーダーがピカチュウの兄貴分のライチュウ使ってたな。
フラッシュを覚えることができるポケモンは貴重だったな。貴重というより要所要所で必要になるからサブメンバー的に一匹は置いとかなきゃみたいな存在。
ただ技自体は使えないから、ただの懐中電灯代わりでレベル上げることもなかったな。フラッシュ覚えてくれたポケモンは何だったかな。思い出せない。
スロットしたなー。あれ目押しできるのか?確率なのか?マンションの階段で同じマンションのちょっと年下のガギとずっとスロットしてたな。
スロットなんてやらなきゃよかったぜ。知らなければよかった。あのとき手を出さなければ今頃どれだけお金が貯まっていたか。憎き任天堂。
ギャンブルの世界は甘くないぜ。俺はいつも厳しい道を選択してしまう。
ロケット団の悪さにはてをこまねいたね。ちょくちょく街々で悪さしてやがる。そのたんびにいつも俺が時間を使わなければいけない。
おんなじようなポケモンばっか使いやがって。組織ってのも確かに大事なのかもしれないが、個性が潰されてるぞ。社風なのかなんなのか知らんが、もっと自分たちの気に入ったポケモン集めればいいのに。ダーク系一色じゃないか。いやピッピとかもいたか。
サファリゾーンもよく行ったな~。餌あげたり、石ぶつけたり。なんかめちゃレアなポケモンもいたな。出現率数%ぐらいの。ラッキーだったか?
出てきたときはさすがの当時の俺も緊張してたな。そもそも歩数制限ありのテーマパークってひどくね。パーク内の最短コースを考えながら目的を果たすなんて、落ち着かなくてちっとも楽しめやしない。だからよく動かずにその場で釣りしてたよ。釣りをする分には歩かなくていいからのんびりできる。いい魚も釣れるしね。魚ってか龍!?
伝説のポケモンの目の前では必ずレポートを書いたね。いっぱいボールぶつけたな~。ボールがコツコツ動くタイミングに合わせてボタン押したりしてな。まあ意味なんてないんだろうがおまじないだな。あれもHP残量と状態異常を考慮した確率なんだろな。何度も何度も投げてさ。でもめっちゃ簡単にゲットできるときもあって、ゲームボーイ持った手がビクッてなるぐらい驚いたな。伝説のポケモンはゲットしたら即スタメン入りだ。街に戻ってすぐ伝説のポケモンと交換されパソコンに転送されるポケモンの気持ち考えたことなかったな。共にずっと旅してきてたのに。まったく、情ってものを知らない当時の俺だった。
『フリーザーが一番強く、サンダーが一番好きで、ファイヤーが一番美しかった。』
四天王との戦いにはまんたんのくすり?いっぱい持ってったな。ドーピングだよ全く。はかいこうせんがこわかった。アタラナイデクレッ!って祈ってた。やったと思ったら最後にライバル、グリーンの登場。強かった。が、俺のポケモンたちは頑張ってくれた。最強パーティーは結局なんだったんだ?ファイヤー、フリーザー、サンダー、リザードン、カビゴン・・・後何だ?プテラか?いやギャラドスか!あれ?リザードンとかいたか・・・・?
殿堂入りしたときのチャンピオン感やばかった。俺は強いっ!て思った。
で最後にハナダのどうくつだね。野生のポケモンのレベルにびびった。街の近くなのに危なすぎる状況だろ。街に攻め込まれたらチャンピオンの俺がいなかったら、あっという間に世紀末になってしまうぞ!
この時のためにとっておいたぜマスターボール!これでミュウツーも一発だ!からのあれ?マスターボールない。どっかで間違って使った!?マジカヨ
ポケモン赤をまだやりこんでいる時期にローソン限定でポケモン青の発売が決定!めちゃほしい!ぶっちゃけ最近はヒトカゲ選んでません!ゼニガメ一択です!
任天堂は戦略的だ。というか革命的だ。売れる構造を演出してる。
赤緑青で出てくるポケモンが少し違ったり、そもそも一つの色ではポケモン図鑑を完成させることが不可能というゲームソフトとしては革命的に今考えればそりゃないよ的な話だ。
いやしかしケーブルで友達と交換できるってのは考えたやつほんとに素晴らしいよ。友達との交流の場にポケモンを持ち出し、それでみんなで遊ぶ。楽しかったよ。
あれとあれ交換しようみたいな。商売的にもほんとにすごい。あんな環境じゃみんなで遊ぶときにGBはもちろんポケモンは絶対持ってないといけない。
そんな環境であれば親が与えるのもこれはしょうがない。爆発的にはやらせたよねほんと。
俺の両親はまあまあわがまま聞いてくれるタイプだったから、ゲームボーイとゲームボーイポケット、ポケモン赤青と買ってくれた。
これは最強の環境じゃないか。自分ひとりで好きなように必要なポケモン交換できるじゃないか。赤の俺VS青の俺みたいなドリームマッチだってできる。
クラスメイトには三色揃えてた人とかもいたし、ほんとにこの仕組はやばいよ。任天堂さん儲かっただろうね。素晴らしい。最高のゲームをありがとう。
スロットを覚えさせ、その後の人生で俺をギャンブル依存症にしたのはいただけないが。
青が手に入りこれをメインカラーとすることにした。さらば赤よ。人が新しいもの好きなのは知っているだろう。伝説のポケモンと一緒だ。だが変わらないものもある。
青でも変わらず主人公、いや、俺の名は!!誇り高き名『レッド』だ。
パソコンがある家だったんだ。当時はXPぐらいかな?スマホはおろか携帯電話もまだ普及してないポケベルっての?そんな時代。
親が買い物に行って、姉もいない間に2次エロ画像を見るばかりか、インクジェットプリンタで印刷して部屋の本棚に隠してた。15枚ぐらいのお気に入りを。
印刷の途中でインク切れしたりエラーで中途半端に止まってしまい、心臓がちぎれそうなぐらい焦ったこともあった。そんな時代。
ネットの世界で禁忌に触れることとなる。『ポケットモンスター 裏技』だ。レベルを100にする方法、ふしぎなあめを99個手に入れる方法、なみのりピカチュウをゲットする方法。
なんでもありだ。街をワープする、所持金をマックスにする。だが当時の俺にとって裏技というのはかなり危険であり罪という認識だった。
やってはいけないこと。ゲームボーイが壊れたりポケモンができなくなる可能性も考えた。親にも怒られる。
俺はすごく悩んだ。何日もだ。夜も眠れなかった。やっていいことなのか、思いとどまるべき事なのか。だがあまりに魅力的な内容ではないか。
俺はポケモン赤を裏技専用ソフトとすることにした。青は汚さない。大切だから。赤に犠牲となってもらおう。
もう、やったね。ほんとにやった。やりまくった。裏技と名のつくものは全てやった。
たまにデータ消えたり電源が落ちて最初からとかあるぐらいで、わりと大丈夫だとわかり、親にも公認で裏技しまくってた。ウェブのページを印刷もしてた。印刷したのを得意げにみんなに持ってったりしてた。小3病とでもいうのだろうか、俺ヤバいやつ、すごくねって思ってた。
ミュウを手に入れたときは眺めたね~。ステータス眺めたね~。図鑑の151番めを眺めたね~。
裏技ブームも過ぎ、メインカラーの青を最強、そして図鑑完成を目標に真面目にプレイした。青に出現するポケモンは青で。青に出現しないポケモンだけ赤から送ることに。
ケーブルつないだときはドキドキだった。裏技がわりと大丈夫とわかったとはいえ、汚れた赤とメインカラーの青がケーブルで繋がることに恐怖を覚えた。
なるべく手短に、必要なポケモンだけをというミッションをこなした。
そして苦労はしたがやっと図鑑完成。自分の好きな最強パーティーもできあがり、メインカラーの青が完璧なものとなった。
カメックス カビゴン フリーザー ファイヤー サンダー ミュウツー といったところだろう。
図鑑を完成させると、タマムシシティのプログラマーとかいるところで表彰状がもらえるのだ。それを眺め思った。
唯一心残りなのは図鑑が151匹でなく150匹だというところだ。
裏技でミュウを手に入れる事はできたのだが、それを青に送る勇気は当時の俺にはなかった。いやおそらく今手元にあっても俺は送らないだろう。
勇気とは違うのかな。完璧な青にまがいもののミュウを送り込むことにやはり抵抗がある。ミュウを送ってしまったら自分が仕上げた最高の作品にドロを塗るような気がして。
公式のプレゼントが当時まだやっていたらな~。というのが心残りなのだ。
ちょっとネタで軽く書くつもりが、クソみたいに長文になってしまい、クソみたいに時間を使ってしまった。
匿名ダイアリーに投下するのがなんかもったいないと思える労力を使った。
しかしもともとこんな話に価値なんてない。自分のブログに載せてどうなるんだという内容だ。ここが妥当な場所だろう。
少しでも懐かしんで貰える人がいれば幸いです。
https://yomou.syosetu.com/search/cross/
小説家になろうに投稿されている「58万3176作品」のなかから、
詳細検索で「キーワード検索範囲指定」を「作品名」にして検索していきたいと思います。
35位 な件…153作品
最下位はラノベタイトルでもブービーだった「カンスト」でした。
もはや元増田が「カンスト」にいったいどんな警戒をしていたのかが問われるところです。
「な件」は少ないですが、「た件」で検索すれば1481作品なので、実質的にはかなり多いようですね。
「パーティ」に関連して、先日話題になった「追放」も検索してみましたが、こちらは321作品に留まりました。
27位 最弱…814作品
「クラス」は、クラスメイトたちと集団召喚されるタイプの作品と、RPG的なジョブとクラスという意味の作品があって面白いですね。
「生きる」については、「生きて」でも検索してみましたが1064作品でした。
19位 嫁…1449作品
15位 学園…2515作品
14位 妹…2737作品
この健闘は「なろうはファンタジーだけじゃないんだぞ」と主張しているかのようですね。
「召喚」は惜しくもトップ10入りを逃しましたが、「転生」とはずいぶんと差がつきました。
9位 最強…4307作品
8位 姫…5299作品
確かに、転生して赤ん坊の頃から魔力を鍛えたり、オリジナルの魔法を作ったりする主人公が多い印象があります。
ラノベのほうでは1位だった「姫」がこの位置。お姫様よりも庶民志向なんでしょうか。
「勇者」は第5位でした。
主人公自身が勇者として召喚されるパターンはもちろん、元・勇者、親友が勇者、勇者より強い庶民、悪堕ちした勇者など、
メタとパロディによって生み出されるバリエーションに富んだ「勇者」像はなろう作品の特徴ですね。
なろうで「少女」というとどういう作品かピンと来ませんでしたが、
単純に主人公が少女だったり、あとはTS物で「美少女になりました」というのも意外に多いでしょうか。
「転生」が第三位でした。
ちなみに「転移」が2212作品、前述の「召喚」が2906作品、「ゲーム」が4182作品ですから、
この手のジャンルのなかではやはり「転生」が図抜けているようです。
2位 俺…14393作品
「俺」が第2位でした。
「私」が12150作品、「僕」が12208作品なので、それぞれ実力伯仲ですね。
ちなみに、Web小説の地の文における一人称率は、ラノベの一人称率よりも高いらしいですよ。
栄えある第1位は、やはりというべきか「異世界」でした。
とはいえ、全体で58万作品あるうちの2万作品というと少なく感じてしまいますね。
意外に警戒しなくてもいいのでは?
というわけでクイズ「警戒する単語」もそろそろお別れの時間です。
またどこかでお会いしましょう!
クラスメイトとバリクソ上手くやれなかったキモオタク中学生だったから、「体育の体操で〇〇さんと触り合うのめっちゃ嫌なんだけど」って言われたじゃない?
「自分はされて嫌なことは人にしてはいけない」という教育が行き届いていたものだから、それ以来人に触ると不快にしてごめんなさいね嫌わないでくださいすみません体積があって…毛とか生えてるし…肌に穴が空いてて体液が出てくるのもヤバい…キモい!!なんで罪悪感って死因にならないんだ?人に触るくらいならここで死にてえ…ってなるようになったじゃない?
フォークダンスするくらいならキャンプファイヤーで腕燃やした方が楽しいしな
もちろん私からは人に触らないけど、「触られる」も肌が接触して「私が触ってる」と区別つかないじゃん?
人に触るのも触られるのもめっちゃ嫌っていうかゴメンって気持ちになるんですけど
フレンドリーな友人後輩、すれ違うときふざけてハグのポーズするのは勘弁してください ハグを断るのとハグ嫌さでギクシャクしながらハグするのどっちが失礼なんだ?ってなって困っちゃうからよ〜〜
でも本当に好きな人なら触るの嫌じゃないはずって思ってて
その人への好意、触りたさが触るのしんどさを上回る日が来ると思ってて
だから趣味が合う同期の男性から花火大会に誘われたときも浮かれて行ったんだけど
人混みだから手をつなごうってなって手を繋いだら普通にしんどかった
しんどくなった原因は500%私にある ごめんな…触ったのはしんどかったけど花火もすごかったし浮かれた容器入りのかき氷も楽しかったしりんご飴も美味しかったんだよ…
二度と触りたくないけど
でもコレってデートだよな…触りたくないのにデート第2回に応じるのは良くない と思ってそれ以降のアポを全て断ってごめんなさい
ていうかじゃあどうすればいいの?
自分よりも大柄で背も高いゴリラ。電車で尻を触ってくるゴリラ。今触りましたよねって言った途端、触ってねえよって唾を飛ばして怒鳴るゴリラ。それを何も言わずに好奇の目で見てくる周りのゴリラ。
夜歩いていたら自分の5m後ろにいるゴリラ。家までの帰り道、後ろについて来るゴリラ。ふいに襲ってくるゴリラ。自分を殺そうとしてるのか犯そうとしているのか分からないゴリラ。
ニコニコしながら何を考えているのかわからないゴリラ。話しながら全身を舐めまわすように見てくるゴリラ。クラスメイトの顔をアリかナシかで判別するゴリラ。
渋谷のセンター街を歩いていても半分がゴリラ。一度も犯罪を犯したことがないゴリラ。馴れ馴れしく話しかけてくるゴリラ。無視したら舌打ちして足を蹴ってくるゴリラ。
ちょいちょい話題になるけど、いじめって被害を受ける本人以外はクラスメイトも先生も含めて、残念ながらとてもメリットも多いものなんだよね。
ここで問題になるのはいじめられる側のデメリットが大きすぎることだと思う。
なんのメリットもなく弱者の立場を強要されて、いじめという名の犯罪被害に遭うのはひどい話。
だからこそなんだけど、学校でも会社でもいいんだけど、いじめられる立場を役割としてきちんと配置して、そのポジションの人間に膨大なメリット・報酬を与えたらみんながハッピーにならないかな?
いじめられる側以外は今までと変わらずそのメリットを享受できて、いじめられる側は押し付けられたロールではなくてメリットとデメリットを天秤にかけて選択したという立場になるわけだ。
会社であれば報酬のイメージは単純に給料だし、学校であれば内申とか将来の指定推薦・就職とかかな?
荒唐無稽で馬鹿げた話ではあるけど、正直いじめってなくなる気はしないから、こういういじめられる立場をあえてメリットあるものとして確立するみたいな方向性の考え方もありかもしれないなって、帰りの電車の中でふと思った。