私が自分の性嗜好に、というよりその性嗜好の異常さに気が付いたのは中学生の時だ。
オナニーは小5の時からしていたし、その頃からゲイビデオをオカズにしていたが、どういうわけかそれが普通のことだと思っていたのだ。自分と他者との境界が見えていなかったことに気づいたのが、その境界が確固として存在することに気づいてしまったのが、中学一年生の時だった。きっかけなんてあったかどうかは、ついぞ忘れてしまった。
とにかく、私はとても恥ずかしくなった。怖くなった。人と話すのが、人と会うのが、外に出るのが、怖くてたまらなくなった。誰と話すこともできず、全てをはぐらかし、いじめっ子にも呆れられるくらいに、私は独りになった。
接する人間の絶対数が少なく、それでいて理解されたいという願望の強かった私は、優しくされるとすぐ惚れてしまう、情けない男になり下がった。
中学二年生の時。同じようにいじめに遭い、たまたま趣味も同じで独りぼっちだった私に助けを求めたのか、優しく話しかけてくれたあいつを、俺は好きになった。
高校一年生の時。ふさぎ込む私を見かねて、クラスメイトに馴染めるように自分の長所を引き出して自信を持たせてくれた先生を、俺は好きになった。
高校二年生の時。たまたま隣の席になって、仲のいい人間がいなさそうな俺に笑いかけてくれたあいつを、俺は好きになった。
一つの恋も実るはずがなかった。自分の感情や思考を隠すことばかり考えて育った私に、正直に自分の愛だの、恋だのを伝えることができるはずがなかった。
恐る恐る、こっそり、気づかれるか気づかれないかわからないくらいの微妙さで、アピールをした。その全てがストーカーじみていて気持ちが悪いことは、自分が一番わかっていた。
自分で自分が気持ち悪くて仕方なかった。向こうは純粋な気持ち・やさしさで接してくれているのに、悉く裏切って、こんなに気持ち悪い接し方をしてしまう自分が、ひどく嫌いになった。
そんなことの繰り返しに嫌気がさして、故郷を離れて、男の少ない学部・学科を選んで、進学した。
女友達が少しできた。数人にはカミングアウトもしたが、大した反応も拒絶もなく、そんなもの無かったことかのように、周りにバレないように気を遣って、私がさもヘテロかのように振舞ってくれる、いい友達だ。
だのに、自分が殺されているような気がして、胸が圧し潰されるのだ。人の優しさを踏みにじること以外に取り柄がないのだ。
人と接することが苦手だということは、紛れもなく事実だ。人と会話していると、自分の感情が上手く言葉に載らないので、自分の言葉が上手く会話に載らないので、指先まで淋しさで凍って動けなくなる。
凍っている自分を見ている自分が、後ろから無愛想にあざけ笑う。そんなことになった原因を何だと考えているんだと、声にならない声であざけ笑う。
うるさい。
俺がゲイなのが悪いんじゃない。これは生まれつきだ。性嗜好が悪くて俺が悪いんだったら、俺はどこに救いを求めればいいのだ。
故郷を離れての生活は快適だった。大学には私に優しくしてくれるような、私の好みの男性はいなかった。昔思いを寄せた相手を思い出してしまうような景色も一切なかった。
人と接したくないからと他のコミュニティに関わることもなかったので、男性と知り合う機会は一切なかった。
だから、私は自分の重荷を忘れてしまうくらいに、自然に過ごしていた。孤独ではあっても、ふわふわとした幸せな時間があったのだ。
年上の、体の大きなあの人は、俺に優しく笑いかけてくれる。
失敗をしても、少し甲高いかわいい声で、大丈夫大丈夫、と言って励ましてくれる。
自分の視線が、自分の足が、あさましく、無意識に彼の方に近寄っていくのを感じながら、俺は、たどたどしい言葉を紡いで、他愛もない話をする。穢れた心臓をはち切れそうにさせながら。
バイトの先輩が新人に優しくするのは、法や条例の世界で定められるくらいの理であって、当たり前のことなのに。
あの人がたまにくだけた口調で冗談をいって笑うのは、俺にこんな、気持ち悪いまなざしを向けられるためではないのに。
俺が産まれ、育てられ、故郷を離れているのは、こんな些細なことで悩むためではないのに。
大好きな音楽を聴いているだけで生きていけたら、ずっと一人で、ずっと一人で聴き続けながら死んで、それでなんにも構わないのに。
おれはホモじゃないが色恋をそれほどまでに重視して生きている意味がよくわからない バイト先で優しくしてくれる好みのタイプがいたら舐めたくなるのは普通のことだし そしてそれは...