小学校低学年の頃買ってもらった。最初は赤と緑の2つが発売され、理由は全く覚えていないが赤を買ってもらった。
たぶん普通に緑より赤色のほうが好きで草より火のほうが強いということをゲームをする前から当時の俺はわかっていたのだろう。
主人公の名前はデフォルトのままレッドだ。これはその後何度もリスタートする度に変わらず貫き通した誇りある名だ。
この先の将来でもし現代のポケモンをプレイすることが訪れたとしても、俺はレッドという名前だけは絶対に変えない。
現代のポケモンは何色なのか知らないが、『ポケモン ダークマター』だったとしても主人公の名はレッドだ。
最初に選ぶポケモンはもちろんヒトカゲ。赤を最初にプレイした人間で植物や亀を選ぶやつがこの世にいただろうっか。
いや、たぶんいないだろう。同様に緑が最初のプレイの人間もここは、トカゲと亀は選ばんだろう。そうでなければ、筋が通らないではないか。
最初のバトルはたしか負けても大丈夫だったか?いや負けることなんてあったのか?たしかとりあえず終わったあとはHPは回復されてる親切設計だったはず。
あ~思い出した思い出した。最初にポケモン持たずして草むらに入ってしまったんだよな。あれは流石に危なかったぜ。ネズミに襲われるとこだった。
ヒトカゲは上級者向けなんだ。序盤のジムリーダーに対しての相性が悪い。だが俺はいつだって厳しい道の方を選択するんだ。
当時の俺もゲームをする前からそれをうすうす感じて赤を選んだのかもしれない。
カスミとかいう女もひどいぜ。しっぽの火が消えたら死んでしまうというのに、水鉄砲やバブルこうせんなんて。こっちは風前の灯火なのに自己再生なんて。
そういやハナダの橋で5人ぐらいに立て続けに戦いを挑まれてたな。なんかどんどん強くなる鬼畜仕様だったような。
船に乗ったな。いっぱいトレーナーがいた。電気のジムリーダーがピカチュウの兄貴分のライチュウ使ってたな。
フラッシュを覚えることができるポケモンは貴重だったな。貴重というより要所要所で必要になるからサブメンバー的に一匹は置いとかなきゃみたいな存在。
ただ技自体は使えないから、ただの懐中電灯代わりでレベル上げることもなかったな。フラッシュ覚えてくれたポケモンは何だったかな。思い出せない。
スロットしたなー。あれ目押しできるのか?確率なのか?マンションの階段で同じマンションのちょっと年下のガギとずっとスロットしてたな。
スロットなんてやらなきゃよかったぜ。知らなければよかった。あのとき手を出さなければ今頃どれだけお金が貯まっていたか。憎き任天堂。
ギャンブルの世界は甘くないぜ。俺はいつも厳しい道を選択してしまう。
ロケット団の悪さにはてをこまねいたね。ちょくちょく街々で悪さしてやがる。そのたんびにいつも俺が時間を使わなければいけない。
おんなじようなポケモンばっか使いやがって。組織ってのも確かに大事なのかもしれないが、個性が潰されてるぞ。社風なのかなんなのか知らんが、もっと自分たちの気に入ったポケモン集めればいいのに。ダーク系一色じゃないか。いやピッピとかもいたか。
サファリゾーンもよく行ったな~。餌あげたり、石ぶつけたり。なんかめちゃレアなポケモンもいたな。出現率数%ぐらいの。ラッキーだったか?
出てきたときはさすがの当時の俺も緊張してたな。そもそも歩数制限ありのテーマパークってひどくね。パーク内の最短コースを考えながら目的を果たすなんて、落ち着かなくてちっとも楽しめやしない。だからよく動かずにその場で釣りしてたよ。釣りをする分には歩かなくていいからのんびりできる。いい魚も釣れるしね。魚ってか龍!?
伝説のポケモンの目の前では必ずレポートを書いたね。いっぱいボールぶつけたな~。ボールがコツコツ動くタイミングに合わせてボタン押したりしてな。まあ意味なんてないんだろうがおまじないだな。あれもHP残量と状態異常を考慮した確率なんだろな。何度も何度も投げてさ。でもめっちゃ簡単にゲットできるときもあって、ゲームボーイ持った手がビクッてなるぐらい驚いたな。伝説のポケモンはゲットしたら即スタメン入りだ。街に戻ってすぐ伝説のポケモンと交換されパソコンに転送されるポケモンの気持ち考えたことなかったな。共にずっと旅してきてたのに。まったく、情ってものを知らない当時の俺だった。
『フリーザーが一番強く、サンダーが一番好きで、ファイヤーが一番美しかった。』
四天王との戦いにはまんたんのくすり?いっぱい持ってったな。ドーピングだよ全く。はかいこうせんがこわかった。アタラナイデクレッ!って祈ってた。やったと思ったら最後にライバル、グリーンの登場。強かった。が、俺のポケモンたちは頑張ってくれた。最強パーティーは結局なんだったんだ?ファイヤー、フリーザー、サンダー、リザードン、カビゴン・・・後何だ?プテラか?いやギャラドスか!あれ?リザードンとかいたか・・・・?
殿堂入りしたときのチャンピオン感やばかった。俺は強いっ!て思った。
で最後にハナダのどうくつだね。野生のポケモンのレベルにびびった。街の近くなのに危なすぎる状況だろ。街に攻め込まれたらチャンピオンの俺がいなかったら、あっという間に世紀末になってしまうぞ!
この時のためにとっておいたぜマスターボール!これでミュウツーも一発だ!からのあれ?マスターボールない。どっかで間違って使った!?マジカヨ
ポケモン赤をまだやりこんでいる時期にローソン限定でポケモン青の発売が決定!めちゃほしい!ぶっちゃけ最近はヒトカゲ選んでません!ゼニガメ一択です!
任天堂は戦略的だ。というか革命的だ。売れる構造を演出してる。
赤緑青で出てくるポケモンが少し違ったり、そもそも一つの色ではポケモン図鑑を完成させることが不可能というゲームソフトとしては革命的に今考えればそりゃないよ的な話だ。
いやしかしケーブルで友達と交換できるってのは考えたやつほんとに素晴らしいよ。友達との交流の場にポケモンを持ち出し、それでみんなで遊ぶ。楽しかったよ。
あれとあれ交換しようみたいな。商売的にもほんとにすごい。あんな環境じゃみんなで遊ぶときにGBはもちろんポケモンは絶対持ってないといけない。
そんな環境であれば親が与えるのもこれはしょうがない。爆発的にはやらせたよねほんと。
俺の両親はまあまあわがまま聞いてくれるタイプだったから、ゲームボーイとゲームボーイポケット、ポケモン赤青と買ってくれた。
これは最強の環境じゃないか。自分ひとりで好きなように必要なポケモン交換できるじゃないか。赤の俺VS青の俺みたいなドリームマッチだってできる。
クラスメイトには三色揃えてた人とかもいたし、ほんとにこの仕組はやばいよ。任天堂さん儲かっただろうね。素晴らしい。最高のゲームをありがとう。
スロットを覚えさせ、その後の人生で俺をギャンブル依存症にしたのはいただけないが。
青が手に入りこれをメインカラーとすることにした。さらば赤よ。人が新しいもの好きなのは知っているだろう。伝説のポケモンと一緒だ。だが変わらないものもある。
青でも変わらず主人公、いや、俺の名は!!誇り高き名『レッド』だ。
パソコンがある家だったんだ。当時はXPぐらいかな?スマホはおろか携帯電話もまだ普及してないポケベルっての?そんな時代。
親が買い物に行って、姉もいない間に2次エロ画像を見るばかりか、インクジェットプリンタで印刷して部屋の本棚に隠してた。15枚ぐらいのお気に入りを。
印刷の途中でインク切れしたりエラーで中途半端に止まってしまい、心臓がちぎれそうなぐらい焦ったこともあった。そんな時代。
ネットの世界で禁忌に触れることとなる。『ポケットモンスター 裏技』だ。レベルを100にする方法、ふしぎなあめを99個手に入れる方法、なみのりピカチュウをゲットする方法。
なんでもありだ。街をワープする、所持金をマックスにする。だが当時の俺にとって裏技というのはかなり危険であり罪という認識だった。
やってはいけないこと。ゲームボーイが壊れたりポケモンができなくなる可能性も考えた。親にも怒られる。
俺はすごく悩んだ。何日もだ。夜も眠れなかった。やっていいことなのか、思いとどまるべき事なのか。だがあまりに魅力的な内容ではないか。
俺はポケモン赤を裏技専用ソフトとすることにした。青は汚さない。大切だから。赤に犠牲となってもらおう。
もう、やったね。ほんとにやった。やりまくった。裏技と名のつくものは全てやった。
たまにデータ消えたり電源が落ちて最初からとかあるぐらいで、わりと大丈夫だとわかり、親にも公認で裏技しまくってた。ウェブのページを印刷もしてた。印刷したのを得意げにみんなに持ってったりしてた。小3病とでもいうのだろうか、俺ヤバいやつ、すごくねって思ってた。
ミュウを手に入れたときは眺めたね~。ステータス眺めたね~。図鑑の151番めを眺めたね~。
裏技ブームも過ぎ、メインカラーの青を最強、そして図鑑完成を目標に真面目にプレイした。青に出現するポケモンは青で。青に出現しないポケモンだけ赤から送ることに。
ケーブルつないだときはドキドキだった。裏技がわりと大丈夫とわかったとはいえ、汚れた赤とメインカラーの青がケーブルで繋がることに恐怖を覚えた。
なるべく手短に、必要なポケモンだけをというミッションをこなした。
そして苦労はしたがやっと図鑑完成。自分の好きな最強パーティーもできあがり、メインカラーの青が完璧なものとなった。
カメックス カビゴン フリーザー ファイヤー サンダー ミュウツー といったところだろう。
図鑑を完成させると、タマムシシティのプログラマーとかいるところで表彰状がもらえるのだ。それを眺め思った。
唯一心残りなのは図鑑が151匹でなく150匹だというところだ。
裏技でミュウを手に入れる事はできたのだが、それを青に送る勇気は当時の俺にはなかった。いやおそらく今手元にあっても俺は送らないだろう。
勇気とは違うのかな。完璧な青にまがいもののミュウを送り込むことにやはり抵抗がある。ミュウを送ってしまったら自分が仕上げた最高の作品にドロを塗るような気がして。
公式のプレゼントが当時まだやっていたらな~。というのが心残りなのだ。
ちょっとネタで軽く書くつもりが、クソみたいに長文になってしまい、クソみたいに時間を使ってしまった。
匿名ダイアリーに投下するのがなんかもったいないと思える労力を使った。
しかしもともとこんな話に価値なんてない。自分のブログに載せてどうなるんだという内容だ。ここが妥当な場所だろう。
少しでも懐かしんで貰える人がいれば幸いです。