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はてなキーワード: 携帯とは

2023-10-17

anond:20231017085136

チンコの長さはともかく太さを計ったことのある男は意外と少ない。

円周÷3.14で直径測ってみなよ。

俺は大昔にプロのお姉さんに「あんた太いかちゃんサイズ測って合うサイズゴム携帯ときなよ」て怒られた。

ちな目安としては直径3.5㎝が普通(M)、4.0㎝でL、4.5㎝でLL、5.0あるともう化け物級。

先輩が休みの日でも社用携帯を持って帰る。そして有給使って旅行行ってる時も社用携帯を持って行ってる。

まじで理解できないし私までそれをやらなきゃいけないような雰囲気出すの本当にやめてほしい。

かに休日関係なく動いててその管理しなきゃいけないか休みの日も連絡が入ってくることがある。けど旅行先までは流石にやりすぎでしょ。

あと仕事が私と先輩しか出来ないから、たまに支店稼働日本休みみたいな日があるけどそういう日必ずどっちか出なきゃいけない暗黙のルールを課すのやめてほしい。

そこまでの給料貰ってないでしょ。

海外旅行で1週間とか休んでみたいけど、休んだらその分仕事が貯まるだけで後々の自分の首絞めるだけだから休むに休めない。

これどこの会社行ってもこんな感じ?

2023-10-16

メシくらい好きに食わせろ

最近転職をした。

うちの会社にはかなりデカ食堂があって、ファミレスで同じものを食べるなら700円くらいしそうなものを200円ちょっとで食べられる。しかもかなり美味しい。

物価バカ高い今、コンビニで毎食6.700円のお弁当なんて買っていられない。だから社食はありがたかった。


ご飯を持って着席し、さあ食べるぞというところで声をかけられた。一回りも二回りも年上の業務が全く違うが同じ部の人たちだった。




「この間も1人だったでしょ?その時は声かけられなかったんだけど、1人だったらぜひと思って」

と言ってくれた。優しい人たちだ。同じ部の人だったし断ったら今後の関係性に響くかなと思い、お邪魔することにした。

しかしあまりにも、ありがた迷惑すぎる。辞書に載せたい。ありがた迷惑実用例として。





私は基本会社ご飯を食べる時、イヤホンをして動画携帯を見ながら食べる。別に人とご飯を食べるのが嫌とかではなく、友達ご飯に行くのは好きだし、ご飯中に色々と雑談するのも大好きだ。


ただそういう存在会社にいないだけだ。歳の近い女性もいないし、だったら動画携帯を見た方が有意義というだけ。



一回りも二回りも年上の人とご飯を一緒に食べて何が楽しいんだろうか。話す内容といえば、通勤手段の話や、最近スーパー野菜が高すぎる話。


申し訳ないが気まず過ぎて食べてるカレーの味がほぼしなかった。私だけじゃなく、向こうもそう思っている。普段ならもっと別の話題を喋ってるであろうに、私がいるせいで野菜通勤手段といった当たり障りのない話をするしかなくなっているのだ。

お互いにとって本当に得がない、何も生まれない昼食時間になってしまった。



しかもこういった経験は今の会社に入って2度目だ。前回も同じ課の年上の人が、私が1人で食べていると喋りかけて同じテーブルに座ってきた。


そんなに一人飯をするやつというのは側から見たら寂しそうに見えるのだろうか。一人行動はそんなに悪なのだろうか。

正直に言って共通話題がなく当たり障りのない話をするしかないような関係性の人と食べるご飯というものは、ひとり飯よりも圧倒的にまずい。


気を遣わなくて結構。もう放っておいてください。

メシくらい好きに食わせろ

2023-10-14

我が子がもうすぐ1歳を迎える。

人生において1番短く、1番長い1年だった。

辛いことや苦しいことは笑顔を見れば吹き飛び、生きる活力をもらえた。

だが、どうしてもひとつだけモヤモヤが残る。どうしてもかき消すことができないのだ。

私の心が狭いのかもしれない、私の常識が、私の感覚おかしいのかもしれない。それでも、モヤモヤがどうしてもなくならない。

私には弟がおり、弟にも子が生まれた。私と3日違いでの出産。両親は嬉しい悲鳴をあげていた。もちろん、私もとても嬉しかった。

私はおしるしがあった日に、車で30分の実家へと戻った。ほどなくして陣痛が始まった。

陣痛が7分感覚になった頃、弟が仕事から帰宅し「大丈夫?いきみのがしとか、YouTubeとかで予習してる?」と聞いてきた。予定日より1週間も早かったため、正直全く予習なんてしていなかった。夫も仕事で立ち会えない可能性があり、不安だった。そう答えると、弟は「こんな感じだよ。俺ナイスサポートだって誉められたんだよ」と言いながら携帯の画面を見せてきた。それは、義妹の出産に弟が立ち会う姿だった。もちろん細部やデリケートな部分は見えておらず、引きで撮影されているため義妹と弟の声が聞こえるくらいだった。1分ほど見たが、陣痛でそれどころではなく「ありがとう」と切り上げた。頭のどこかに「この動画見ていいのかな?」という疑問が浮かんだが、弟には聞かなかった。その日の深夜に入院し、午前中に出産した。

出産した3時間後、義妹からおめでとう!とメッセージがきた。先に出産した同じ病院入院していて、少し心強くも感じていた。

私は産後の高揚したテンションのまま義妹に返信を打った。純粋尊敬意味で「弟があなた出産動画を見せてくれてレクチャーを受けた、私はあなたのように冷静でいられなくて、たくさん叫んでしまって恥ずかしかった」という文言を打ってしまった。義妹から普通に返信がきて、お互い休み休み行きましょうね、というようなところでメッセージのやり取りは終わった。

これが全ての始まりだった。

産後、私は実家に戻った。少し落ち着いてきて、産後2週間が経った頃だった。

母の携帯に、弟から電話がかかってきた。電話に出た母の様子が明らかにおかしい。ただごとではなさそうに思えた。話していたのは2時間くらいだろうか。げっそりした顔で戻ってきた母は、ものすごく困惑していた。

から電話は、出産動画を見た私と母に怒っているという内容だった。あとで聞くと、母もその動画を少し弟から見せられていたらしい。

電話を代わると、義妹と、義妹の母が劣化の如く怒っていると、憔悴しきった声で弟は言った。義妹の怒りは主に私に向いているようで、「夫から見せたもので、いくら陣痛とはいえ、そんなセンシティブ動画を見せられたら『それは私に見せるべき動画じゃないでしょう』と止めるべきではないか?私なら止める。そして、産後ハイとはいえメッセージで私本人にそんなことを言うなんて信じられない。」というものだった。

なんてことをしてしまったんだ。絶望感に襲われ、涙が止まらなくなった。必要なら直接謝りに行くと言った。

その夜は自分の行動を悔やんで眠れなかった。

次の日、弟が1人で話をしに実家へ帰ってきた。開口一番、離婚してもいいと言われている、と、憔悴しきった顔で弟は言った。

本当に申し訳ない、と、心から思った。

この際だから、義妹は私たち家族に言いたいことがあったという。特に私には、少し気を遣えない人だなと思っていたが今回のことで全てが繋がってしまい不信感しかないと。

これはどうあっても謝罪に行かなくては、今後の弟夫婦関係に響く。この段階では、謝りに行くのも辞さな気持ちだった。

以下の内容を聞くまでは。義妹の言い分はこうだった。

①弟夫婦結婚式が仮で決まった日程が、義母母の命日で一周忌の日だったため、私が母にどうしようかと相談したこと

→この件について、私が相談したことで母が「まだ日程は本決まりしてないなら変えられないか」と打診してくれました。結局義妹が友達に日程を告げてしまったということでそのままになり、時間がズレていたため私たち夫婦一周忌に参加した後式に出た。

慶事なのに、弔事を理由に日にち変更の打診をしてくる神経が分からない、私ならしない。ということだった。

私たち夫婦結婚記念日が弟夫婦と同じこと。

私たちの2年前に弟夫婦入籍。良い日の重なった日だったので入籍

これについても、私ならわざわざ同じ日を選びません。とのことだった。

弟には「同じ日にしてもいいか」と事前に相談済。弟はどうぞと言ってくれたので、そのまま入籍した。

③私の娘と義姉夫婦の息子が同じ学年になるように産んだこと。

→「普通姉弟で話し合って子ども同士の学年がかぶらないようにしませんか?私の母は叔母さんと話し合ってイトコ同士で学年がかぶらないようにしたそうです。比べられたりして嫌な気分になると思いませんか?」

ここで、私は謝る気が失せてしまった。

我が子の誕生ケチをつけられたようで、悲しく、情けなく、こんな考え方の人もいるのかと衝撃を受けた。どうしてそんなこと、言われないといけないの?と、人生いちばん悲しくなった。

私たち家族に近くに住まないでほしいこと。

→弟夫婦実家敷地に家を建てて住んでいる。確かに私たち夫婦も余っている敷地に家を建てるという話が出たことがあった。

子どもの学年がかぶっているし、学校が一緒になると比べられたりするし、気も遣うので絶対に嫌だと。私たちの近くには住まないでほしいですとのことだった。

元々近くに住む気はもうなかったし、私にも実家土地をもらう権利は当然あるのに、どうしてそこまで言われなくてはいけないのか分からなかった。

⑤義姉息子への育児行事など(写真撮影など)について。私たちが娘にしていることを参考にされたくない。

→同じ写真館を使われたり、同じものを使われたりするのが嫌。義両親が遊びに来た際に、娘のバウンサーを見て「○○ちゃん(義姉息子)にもこういうのあったらいいよね」と言っていましたが、真似されるのも嫌ですし、私の娘の前でそんな話をされたくなかったですとのこと。

真似する予定も、育児を参考にする予定も、一切なかったし、今後することも絶対にない。

私たち夫婦職業についてよく知らないことについて。

→夫は水商売をしており、私も会社員だということは知っているが何の仕事をしているか弟も義妹もよく知らない。

普通しませんか?不信感しかありません、とのこと。これも聞かれなかったからわざわざ話さなかっただけのこと。そしてその時夫のことを「あの人大丈夫なのか?」とまで言われ、私の悲しい気持ちは怒りの感情へと変わってしまった。

産後まさかこんなことを言われるとは思っておらずメンタルボロボロ自分感覚おかしいのかもしれないと思い、新生児期の我が子を抱いて、涙する日々を過ごした。

①-⑥まで、まさに青天の霹靂で、①②については配慮が足りなかったと思っていたけれど、③④⑤と続いて謝る気も引っ込んだ。

③については特に、授かり物である子どもに対してそういう感覚を持つという感覚理解できず、ショックしかなかった。

弟には、他のことはまだしも、娘の出生のことまでそんな風に思われるとは思っていなかった。動画を見てしまった件と失礼なメッセージを送ったことについては直接会って謝罪するが、それ以外には全く触れないでおくと伝えた。

後日、義妹の父親実家へ来て私たちに「本当に失礼なことをして申し訳ない」と頭を下げた。その後、弟夫婦は2人で実家へ来て、夫婦解決すべきことを大きな騒ぎにしたと謝った。

私も、動画を見たことで辛い思いをさせてしまたことは誠心誠意謝った。

動画を見たのは陣痛中でとてもそんなことに気付けなかったことや、産後時間でのメッセージのやりとりだったため、産後ハイのようになっていて気が遣えなかったことなどを伝えた。

今、全く普通の顔をして弟と義妹は過ごしている。実家にも普通に出入りしているし、4ヶ月の頃に会った我が子を見れば「かわいい〜抱っこしていいですか?」と言い抱いた。

私は、かわいいはずの弟の子かわいいと思えず、抱くことが恐ろしくて抱かなかった。

いつまでも終わったことを考え続けている私の心は狭いのかと何度も自問自答している。

情けないけれど、あの時弟の口を通して伝えられた言葉の全てを、じきに産後1年が経とうとしている今も、どうしても忘れることができず、モヤモヤとした感情を捨てられないままでいる。

2023-10-13

ゲームしてときに画面に携帯かざすと関連グッズ買えます!とかやるとダメなん?

売りやすそう

2023-10-12

「しんでください」と言われた

暗い用事でほうぼう駆けずりまわりくたびれてふと見た携帯の歩数が18000を越えていた夕暮れ、

ようやく戻った自宅近くの紅茶専門店の、LEDの赤文字が下から上へ流れ去るタイプの店にそぐわないびかびかの電光掲示板

面食らって思わず立ち止まり店主によって設定された短いッセージが一周回ってまた初めからくり返すのを呆然と眺めた

その掲示板はほんとうは「世界各国から集めたすばらしい茶葉を楽しんでください」と言っていた

2023-10-11

anond:20231011202632

しかしこの円安で3万円台となるとその辺の安スマホレベルになってしまうわけで世代交代させる意味がなくなってしまうんだよな

任天堂次世代機に求められているのは最低でもPS4級の性能なわけで、それを携帯機にとなると5万円越えも覚悟しといた方がいいか

女性だけ徴兵してみてはどうか

anond:20231010143347

女性徴兵することで体力が向上し、結果つらい仕事にも就きやすくなるため、男女の経済格差は徐々に解消される。

また、「女性にだけ銃の携帯許可せよ」という意見もあるが、それよりも女性徴兵して護身術を覚えさせたほうが良い。

女性にだけ銃の携帯許可したとして、ホストに金を貢ぐようにやくざに銃を貢ぐ女性が出てきて治安悪化するだけである

それよりも女性だけの徴兵の方が現実的だ。お隣韓国では男性だけの徴兵を実際に行っている。性別を逆にするだけなので特に問題はないだろう。

女性だけの徴兵はまさしく女性エンパワメントするということになる。

一応言っておくが、なぜ女性がわざわざ護身術を覚えないといけないのかという反論は、でもなぜ女性がわざわざ銃を携帯しないといけないのかとは言わなかったですよね?で論破完了となる

なるほどと思った方はブックマークよろしくお願いします。

anond:20231011175826

社用の個人携帯ではなく、プロジェクト用の携帯フツーにガラケーやぞ

多要素認証SMS受信とか音声認証はそれで出来るし・・・やね

 

クライアントの音声対応ちょっと前まではプロジェクト用の携帯ガラケーだったが、

2020年からはTeamsで対応が主やね

2023-10-10

今の高校生に昔の携帯事情を話したら驚かれた30代後半の男です

親戚の高校生に「ちょっとおっさん高校時代スマホ事情はどうだったのか教えてくれや」と言われたので2000年前後携帯事情を一通り話したのだが、特に驚かれたのはこの8つだった。

1.スマホなんてなかった

スマホじゃなかったのは知ってたらしいが、その後の話で実感が湧いて衝撃を受けたらしい

2.ちょうど自分高校入るころが過渡期で、卒業の時に携帯番号を交換するのがステータスだった。

→俺は持ってなかったからそこで同級生との連絡が途切れた→ふーん

3.メアド携帯番号そのままだったか電話番号の交換とともにメアドもゲットできたが、怪しげな業者がでてきて対策として今の様な自分メアドを決める方式になった。

4.メール文字数制限があって、いか漢字をうまく変換するかが鍵だった

「夜」という漢字を打ちたかったら、「よる」で変換すると2文字使うから「や」で変換して文字数を稼ぐ

5.キャリアが違うと電話できなかった

6.カラー液晶というのが出たが今の様なカラーではなくサーモグラフィの様な気持ち悪いカラーだった。むしろ緑とかオレンジバックライトに黒文字だった。

7.携帯アンテナがあって髪の毛を絡めると電波の通りがよくなると言われてた

8.IDO

→ナニソレ

他にもなにかあった気がするが、なにか今の高校生ぐらいが驚く携帯事情ってあったっけ

新海誠の好きなところと微妙なところについて書く

あんまり映画を観る方じゃないけれどね。

ほしのこえ

記憶は定かではないが、おそらくこれが最初に見た新海アニメ

大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。

この作品が好きだったのは、クラークイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星風景描写があったことだ。僕が映像作品評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星イオあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインから携帯メールにも確かクラークへの言及があった。

また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。

敵方宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨エヴァの影響を受けているし、詩的な文章村上春樹フォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督作品もっと見てみたいと感じた。

「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分好意を寄せている女性視点失恋の話だった気がする。

雲のむこう、約束の場所

僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空歴史知的早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道メガストラクチャーという、自分想像力はるかに超えた世界を見ることができた。

もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど主人公のやっていることはテロリズム肯定だ。

テロ組織名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン樺太先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロイン祖父名前キノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族悲劇は、ごくわずしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。

にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。

そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれ北海道の美しさで息をのんだ。

自分青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲映画呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。

秒速5センチメートル

退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星風景は、僕が創作していたSF小説舞台として何度も用いた。

そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。

振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期から初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。

後に、貴樹をはじめとした新海アニメ主人公たちはどうやって童貞卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。

星を追う子ども

激しくツッコミを入れながら観た作品

統一感のない固有名詞(※僕はファンタジー名前を付ける際には一貫性必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数言語から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写主人公明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカ揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠思い入れを持っているように感じてしまったところだ。

愛するもの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワード村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか

冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。

この頃から、新海アニメを僕はさら批判的に見るようになる。

しかし、作者の意図性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。

言の葉の庭

言いたいことはたくさんある。

けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞説明してしまうこと」だ。

最後タカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽映像がうるさいなので、台詞なんていらない。

海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画受け手を見くびるな」とも感じた。

そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。

ただ、この頃から日本古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやか愛国心が満たされる。

僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。

君の名は」「天気の子

観ていない。

言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。

君の名は」の予告の「スカート注意、男子目線!」といったセリフにも、新海誠性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。

これは男子出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。

「すずめの戸締まり

ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。

「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。

被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性自分自身だったってのも良かった。周囲の支援必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。

ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。

今まで肯定的だった(あるいはマスコットしかなかった)猫が、ダイジンという善悪不明存在になったのも面白い。

今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。

恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督大人になったんだな」と感じた。

それでも無念な個所はある。人口希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代から出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。

あとは、震災描写リアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。

ところで、この作品村上春樹かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車ドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松ドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。

そのくせ、村上春樹オマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。

疑問点。すずめの三本足の椅子過去自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか? 

その他

どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。

当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。

あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。

でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けクリエイターから国民監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。

まとめ

こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?

これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情ラブコメ苦手だし。

2023-10-09

早く老人ホームに入りたい

もう人生で何もしたいことはないんだ。朝昼晩飯が出て、風呂に入れて、後はなんか携帯とか読書とか散歩とか出来れば。後は寝ていたい。

金があればずっとホテルとか旅館暮らしでも良いんだけど。とにかく疲れたんだ。能力投資勉強、外見、健康、対人、保険、…とにかく疲れた、何もしたくないんだ

2023-10-07

いつから夫婦共働き普通になったんだろう

実家に戻ると誰が買ったかあずきちゃん(1995〜1998年までNHK放送)のDVDがあったので懐かしいと思って再生している。世代として完全ドンピシャな俺からすると「懐かしー!そうだったそうだった!」と共感することが多く、

ヨーコちゃん携帯学校に持ってきて一躍人気者になったり、運動会父親ハンディカムを奮発して購入したりだとかはもうなんか逆に泣けてくるぐらいだ。

その中で、お母さんが友だちの運営するブティック(?)を手伝う回がありそれを聞いたあずきちゃん顔面蒼白になり

「お母さんが働く!?うちってそんなに貧乏だったっけ!?

というシーンがあった。たしかに言われてみれば俺も当時共働きは少し貧しい家庭というイメージがあったし、同時に鍵っ子という言葉もあった。

しかし、今は女性社会進出もあり共働きはむしろ普通だし鍵っ子という言葉自然に聞かなくなった。

ここで思うのはタイトル通りで、だいたいいつ頃から共働き普通になったのか?ということだ。自分イメージだと2003年前後だと記憶しているが、どうだろう?

2023-10-05

二度名前を消されかけた馬鹿な私の話

これは仕事で疲れ切っていた若くて馬鹿な私が、云年越しの真実に打ちのめされる話かもしれない。

どこか嘘かもしれないし全部本当かもしれない。ただただやりきれない気持ちだけで書く。

この日記を一行でまとめると下記の通りだ。

業務時間外に書いた云十万字の小説権利が、一切自身になかったことを知った話、である

* * *

学校卒業後に就職したのは小さなさな編集プロダクションだった。執筆編集者がやるタイプ編プロだった。

ニッチな界隈の本を細々と出していた会社で、今はもう存在しない。

好みの分野を扱うことが多かったので仕事自体は楽しく、担当していた界隈がにわかに盛り上がったときは激務に次ぐ激務だったがかなりのやりがいを感じていた。

編集者のいいところは、自分の関わった商品本屋という身近な場所に陳列されて、しかも奥付に自分名前が載ることだと思う。

「私はこれを作ったんだ」という実感は激務を忘れさせるほどの麻薬だった。

会社はいろんなタイプオタクがいて、コミケサークル参加するような同人作家も在籍していた。

スタッフ創作であることは仕事に生かされ、それが会社の強みにもなっていた。

私もそんな創作者のひとりだった。小学生のころから二次創作小説を書いていたような、生粋創作する側のオタクだ。もちろんコミケサークル参加したことがある。会社でも小説を書くことは隠していなかった。

前述したとおりいろんなオタクが集まっているのはこの会社の強みであり、取引から面白がられていたので、何かとそれは話題にあがった。「あなたは何のオタクなの?」という感じの雑談から、私が小説を書くオタクであることは取引先にも知られていた。

ある日、上司に呼ばれて席まで行くと、「小説を書いてみないか」と言われた。

とある人の半生が面白いので、脚色を加えて小説にする企画があるのだが、書き手ライター)が見つからない。

そういえば御社小説を書く人がいたよね? ――と、取引からお声がかかったらしい。

素人の思い出話を物語として成立させるには、筆力のほかに構成力も必要になってくる。

小説が書けて、編集者視点も持っている人にお願いしたい、というのが私が選ばれた大まかな理由だ。

人生何が起きるかわかんねぇな」と思いつつ、正直先方の正気を疑ったが、特に断る理由もないので「自分でよければ」と答えた。

そして、企画が動き出した。

当時私は中堅の社員で、後輩の教育も任されており、わりと大きな継続企画も抱えていたので、まあそこそこ忙しかった。

そこそこ忙しくはあったが、後輩に任せられることは任せ、溜まりに溜まっていた有休を無理くり使い、執筆作業に当てた。

徹夜もよくしたし、午前中にネカフェ執筆して午後から出社、終電後まで働くみたいなことも多かった。

執筆はすべて業務時間外にしていた。これは単に会社にいると仕事が降って来るので落ち着いて書けないし、原稿料をもらうからには切り分けねばと思ったからだ。

会社を空けることが多くなり、雑用確認作業が頼みにくいと上司からはよく嫌味を言われた。

通常の仕事に加え、睡眠時間を削りながらの執筆、「自分で書くのだから」と資料作成・装画周りにも関わり、とんでもなく忙しくはあったがやりがいも楽しさも感じていた。

初稿が上がり、大勢の人の目が入り、製作も大詰めというときだった。

上司が、軽い調子でこう言ったのだ。「著名は原案者だけにするかも」と。

反射で「私の名前が載らないってことですか?」と尋ねると、「そういう案も出ている」と言われた。

忙しくて頭の回っていなかった私は、ただただ「そんな話が出ているのか」とショックで、会話はそれで終わりになったと記憶している。

デスクに座ったまま、ぽろっと言われたくらいのノリだったように思う)

その日の夜になってようやくだった、「いや、私の名前が載らないのはおかしくないか?」と怒りが湧いてきたのは。

前述したとおりこの本は、とある人物の半生を脚色して小説化するというものだ。

当然、この「脚色」は私の創作である些細な話題を膨らませてドラマチックにしたり、つなぎになるエピソード創作して物語を盛り上げた。

たとえば登場人物の紹介をするのに、設定にある特徴から勝手エピソードを作ったりした。

こうした追加エピソードについては、原案からも「まるで本人を知っているかのような描写で驚いた」とお褒めの言葉をいただいている。設定から妄想を広げるのは二次創作同人屋の得意分野だ。

そう、この小説は相当私の「創作」が含まれているのだ。それなのに何故、ゴーストライターにされてしまうのか。

怒りのまま、とはいえギリギリビジネス文章に落とし込んだ形で、私は上司出版社担当者にメールを書いた。

個人アドレスから送ってやろうかと思ったがそれはやめた。不審メールとしてはじかれたら元も子もないかである

要は「私の名を出さないのなら、創作部分をすべてカットする」という内容だ。原案者が著者なら創作部分は生まれなかったはずだから、という理論だ。

私のガチギレぶりにめんどくささを感じたのだろう。私のペンネーム原案者と併記されることになった。

ガチギレメールについて上司から小言をくらったが知ったことではない。私のやることなすこと気に食わない上司文句などすでに聞き飽きていた。

今思えば原案/著で記載されるべきだったのだろうが、この後の出来事を考えるとこの時からすでに事は動いていたのかもしれない。

その後無事本は出版されたが、ろくな広報はされなかった。

発売後、今度は社長に呼び出された。社長と総務の前へ、何事だろうと寝不足の頭で棒立ちになっていた。

印税についての話である

個人出版社契約でなく、会社出版社契約を結び、入金された印税の中から褒賞として私に支払う形にする、という通達だった。

当時二十代半ばの私は、この言葉意味をよく理解しないまま、印税がもらえるならいいかと了承してしまった。

ここがすべての間違いであったのだが、そんなことは当時の私が知る由もない。

その後、若い私にとってはそこそこの額の執筆料をもらったが、当然のことながら重版などかからなかった。

なんやかんやあってその数年後、いろいろ限界を感じた私は逃げるように辞職した。このままでは飼い殺される、という危機感が一番強かった。

同じ家に暮らす家族から最近顔を見ていないけど元気?」とメールが来るような日々だったのだ。

それなりに「できる社員」として取引先にも認められていたので、おかげで再就職比較スムーズに進んだ。

* * *

それから結構時間が過ぎたころ、なんと前述の本のメディアミックスが決まった。

私がそれを知ったのはネットニュースでだった。

起き抜けのTwitterTL巡回中、見覚えのあるタイトルが目に入って一気に目が覚めた。それは結構な規模のメディアミックスで、有名な人も参加するプロジェクトだった。

何事かと思って公式サイトに飛んで、さらに驚いた。

スタッフクレジットの「原作」欄には、原案者の名前しか書かれていなかったのだ。

とはいえ、今も同人活動をしている身としてはあまり名が売れてほしくない思いもあり(商業活動をしているわけでもない)、それについてはそこまで怒りも湧かなかった。

何よりかにより私が衝撃を受けたのは、原作欄に掲載された書影から私の名が消されていたことだった。

ぱっと見た瞬間、変だと思った。画像の一部に雑な加工の跡があったからだ。何故加工されているのか、よく見たら名前が消えている。そういう順番での認識だった。

なんだかんだ長く出版界隈に居座っているので、画像加工については見慣れている。本職デザイナーの手にかかれば、あたかも初めから存在していなかったような「画」を作れることも嫌というほど知っていた。

その書影の加工は、どこから見ても素人仕事で、スタンプツール連打したんだろうなって感じのものだった。私でももっとましに作れる。

加工者が誰であれ、私の名は意図的にその画像から消されたという事実に変わりはなかった。

少し前に好奇心から知財の本を読んでいた私の頭には、人格権翻訳権、氏名表示権などなどいろいろな言葉が浮かんでいた。名を消されたことに関する影響も危惧していた。

それと同時に、ずぅっと謎だったけれど、見ないふりをしていた疑問も浮かんでいた。

私の印税ってどうなっているんだろう。

前述したとおりこの本はほとんど広告が行われていなかったため、重版など夢のまた夢だと思っていた。だから、それまで考えないようにしていた。

メディアミックスされるとなると話は別だ。

この時私は打算的にものを考えていて、名前を消した理由を尋ねるところから入り、この本に関する私の権利について確認を取ろうと思っていた。

正しくない書影掲載したという非が向こうにはあるので、多少強気でかかって話を引き出せると思ったのだ。

微々たる額でも印税がもらえたら御の字だなと考えていたのだ。なんたって印税契約をしていた会社はすでに倒産していた。

小狡い私はこの問い合わせを、出版社ライツ部に送った。

担当部署に直で聞くのが手っ取り早いが、権利に関する問題であるし、内々で片付けられても困る。よそを巻き込んで大事にしてやろうと思ったのだ。

結果、私は惨敗することになる。

なんと、当時の担当者がライツ部に異動になっていたのだ。こんな偶然があるのだろうか。

午前の早い時間に送ったメールは、午後には返事が来ていた。

お久しぶりです!」の文字にくらくらした。

この本が出たのはもうずいぶん昔の出来事で、だから、当時を知る人がもう社内におらず、だから、私と連絡が取れず、だから書影から名を消していたのだろうと、そう思っていた。

問い合わせのメールには、連絡が取れないか名前を消したのだろうか、だとしてもこんな雑な方法で消すのはどうなのか。何故名前を消したのか理由を知りたい。権利にかかわる問題はらんでいる恐れがあるためライツ部に連絡をした。製作時も記名に関してひと悶着あったというのに残念だ。そんなようなことを書いた。

当時を知る人がいない前提の文面だ。

だというのにどうだ。その担当者は私が転職したあとも仕事のやり取りがあり、だから、私の連絡先は知っていた。なんなら携帯番号も知っている。

連絡しようと思えばいつでもできたはずだった。

返信には、非常に軽い調子でこう書かれていた。

「先方に間違った画像を送ってしまった(入稿のものだったのかも?)。今正しいものを送ったので即時修正されるはずだ。今後の重版に関しても名前が消されていることはないので安心してほしい」

あのずさんな加工画像を、製作過程画像だと言い切った。

製作に関わっていた私が、そんな画像存在しないことくらい知っているだろうに、そう、本当に軽い調子で書いていた。

誤魔化すつもりなのだ公式サイトに私の名を記載しないが故、書影との差異を出さないように雑に消したのだろう。バレないとでも思っていたのだろう。これだけ対応が早いということは、この人が本件に関する責任者なのだろう。

まり、あの時私の名を本から消そうとしていた担当者が、私の名を表紙から消したのだ。

大事にしたかったのにならなかった。この時点でもう打つ手はないなと感じつつ、「当時を知る人がいるとは心強い!」とよいしょしながら、本書の権利について尋ねた。

念のため最初からメール署名から電話番号を消していた。電話では余計なことを口走ってしま可能性があるし、丸めまれる恐れがあるからだ。諸々のことを文章として残しておきたかったのもある。

この時点ですでに、職務著作という言葉が頭をよぎっていた。簡単に言うと、業務制作した著作物の著作権は会社帰属するというものだ。

わざわざ業務時間外に小説を書いていたが、契約会社に委ねてしまった時点で私は著作権を放棄したことになっているのだろうなとほぼ確信していた。

とはいえ契約である会社はすでに倒産しているわけだし、そこはどうなっているのだろう。この際だからという気持ちでいろいろ疑問をぶつけてみた。

会社在籍中は印税の一部は会社から支払われることになっていると聞いたが、という話も伝えていた。

(誤魔化そうとしているのは明白だったので、雑な加工については「画像の送付間違い」ということで流した。一応修正前の魚拓は保存している)

結果、分かったことは以下のとおり。

著作権は原案者のみが所持、会社とは業務委託の契約しか結んでいない。

印税契約は元社長が持っている別会社が引き継いでいる。

はあ、つまりだ。

職務著作どころでなく、はじめっから私の権利は知らんところで放棄されていたのである

ずいぶん話が戻るが原案/著表記にしなかったのは、こうすると私が著作者として確立してしまうからだったのでは?みたいな気持ちもある。

こんなめんどくさい人間を絡めるといろいろやりにくいと思われたのだろう。事実暴れてしまった前例もある。

そしてこの本がいくら売れようと、印税が入るのは案件ノータッチの元社長の懐だ。

結局、知識のある人間が得をするのだ。悪いのは無知な私だ。目の前の仕事で目を回していて、いったん持ち帰るということができなかった、仕事に疲れ切っていた若くて馬鹿な私なのだ

いろいろ教えてくれたことに感謝はしつつ、とはいえ雑に私の名を消した恨みは募っていたので、最後っ屁のつもりでやり取りの最後はこう締めた。

本来書影に書かれている名が意図的に消されていると、『この消された人物は何者なのか』と無為な詮索にさらされる危険性がある。それが一番の懸念だった。もう二度とこのようなことが起こらないよう留意してほしい」

シンプル名前が消された怒りもあるが、この危惧もあった。メディアミックスに際して名を消された著者。もし、私がこのペンネーム商業活動をしていたとしたらどう思われるだろうか。

消されるだけのことをしでかしたのではないかと思われる危険性は高い。これは信用問題になってくる。

それに、今のネットの「面白そうなおもちゃ」に対する残虐性は認識しているつもりだ。自分が掘り出した“真実”を喧伝し、当事者炎上させる。何かあったら嫌だ、と身構えるのは致し方ないと思われたい。

とはいえ、これを読んでいるような人なら理解してくれるだろうが、出版社のこの手の人間には理解されないだろう。

それでも、もう二度とこんな雑に人の存在を消さないでほしい、という訴えは届いてほしかった。

* * *

若人よ、契約書を作れ。契約書を読め。

この件に関して、私は別に詐欺にあったわけでも、法を犯されたわけでもない。ただただ無知で、己の権利に鈍感だっただけだ。

手痛い授業料だと思っている。このエントリーは半ば逆恨みだし、書いてすっきりして忘れたかったのかもしれない。炎上させたいわけではない。

自分無知で痛い目にあった私ができるのは、二度と同じ過ちを犯さぬよう、そして後進たちが同じ轍を踏まぬよう努めることだけだ。

提案は一度持ち帰って調べろ、即決するな。とくに寝不足とき危険だ。

教訓として、とりあえずこの一連についてはいたるところで語っていきたい。

なんせ、私と出版社は(ついでに元社長も)、なんの契約も交わしていないのだから

ほんの少しだけよかった話をする。なんと印税をもらえたのだ。

印税契約譲渡した元社長の現会社から連絡があり、お小遣い程度の収入を得た。夢にまで見た不労所得である

連絡をくれたのが元総務の人だったので(元の会社上層部がそのまま現会社に移っていた)少し話をしたのだが、出版社担当者の話題は一切出てこなかった。私とその人がやり取りしたことは知らないようだった。出版社から入金があったので粛々と対応した、という感じだった。

献本は送られてこなかったので自分で買った。初版と第二版の年月日を見比べると渇いた笑いが漏れた。ずいぶん長い時間がかかったものだ。

メディアミックスについてはとくに興味も湧かず、とはいえ周囲から話題を聞くこともないので、爆死も盛況もしていないのだろう。

もう一回ぐらい重版からいかな、と思っているが難しそうだ。

2023-10-04

anond:20231004101012

電波についてそんな知識があるわけじゃないから変なこと言ってる可能性はあるが、

普通に無線通信用に使えばいいんでは。民間業務無線通信でもいいし携帯の帯域拡張してもいいし、自衛隊とかが使ってもいいし。

anond:20231004092054

から相手に払う分+ホテル代分の現金しか持って行かない、財布と身分証クレカ類は携帯せずに車かコインロッカーにでも置いとけ、先渡しはせずに現金はお互いに見えるとこに置いとけっていう男側の自衛策が男から男へ伝えられるんやで

2023-10-02

S◯ftBankショップ◯ねよ◯◯が

Google Pixel 5aが突然ブラックアウトして電源が入らなくなった

調べるとこの型は同じ事例が頻発してるみたいで、修理に出すと無償修理や、次世代機になって返ってきたという報告もあった

それからS◯ftBankショップへ修理に出すために持っていったんだけど、受付して若い女店員に用件を伝えてから奥に引っ込んでやたら待たされる

なんとなく隣の家族連れの会話を聞いてるとPixel 5aの電源が入らないって同じ状態らしい

やっぱり問題の多い型なんだなあ

30分くらい待ったか

ようやく戻ってきて言った言葉

「電源トラブルは修理しても再発する可能性が高い上に修理代も高くなるので機種変しましょう。キャリアを変えたほうが安いのでキャリアも変えましょう」

…は?そんな用件は伝えてないんだけど

って呆気にとられてる内に機種変した場合見積り説明突入しだしたから慌てて

「いや、修理に出してください」と語気強めで遮ったら、物凄い目が泳いでる

それで、裏で長々と時間かけて見積り作ってたこと、この機種をGoogle無償修理か無償交換してると店員は知っていること、知った上で契約を取りたいがために機種変を勧めて騙そうとしていること、客が情報を持っていて見抜かれたと察して狼狽えていること

それが一気に伝わってきた

携帯ショップの悪評が広がって久しいので、騙そうとすることは想定内別にそこはい

けど、先に機種変する気があるか聞け!

先に騙せそうな客か探りを入れろ!

30分も時間無駄にされたことが腹立たしい

その後は萎縮した店員淡々手続きを進めて10分後に店を出た

隣の家族連れは機種変の流れで進んでるようで、後味は悪いが出来ることはないので仕方ない

ほんと腐ってんな

2023-10-01

競輪で3万まけた。まじ発狂しそう

能無しキチガイ無気力八百長乞食が集まった運動会で猿以下のカスがどう動くか予想してに金かけるのは馬にかけるよりイライラする。

大体その予想は期待の斜めしたの決着になるからマジイラつきしかない。

どれくらい酷いかって身内の元競輪選手とかがブチギレ呆れるくらい酷いレースばっかり。

じゃあなぜやるかって、携帯の後払い決済やクレカで手軽に遊べるギャンブルが他にないから。

マジでそれ以外魅力がない。ストレス借金選手関係者への殺意をためたい末期患者か、サラ金で金借りるのもできなくなった末期患者クレカ現金化のために金をつぎ込むギャンブル競輪

こんなスポーツ他にないだろ?

anond:20231001224532

善良な人間だけ銃の携帯を認められてるのがアメリカだが

anond:20231001022413

自分写真全く残ってないなあ

引っ越しときかにゴミとして処分ちゃうし、

携帯に入ってる写真とかも必要ものでなければ機種変ときにいちいち転送しないし、

何かの拍子にSD必要になったらフォーマットしてしまうこともあるし

親も賃貸転々としてるからすべて散逸してしまった

免許証証明写真とかそういうのしか残ってない

anond:20231001020709

元増田なんだが、実はワイadhdで、写真とか撮るの極度にめんどくさがるタイプだったんで、プリの携帯転送?とかもめんどくさがってやんなかったんだよね

そしたらガチで一枚も無くなったってわけ

同じような人いないかなと思って書き込んだんだけどガチレアっぽいな私

中学大学時代自分を写した写真ガチで一枚もない

今27の女なんだが、本当に無い。

言っておくがいじめられていたとか帰宅部だったとかではない。でも本当にないのだ。

家の方針で、高校卒業まではガラケーしか持っておらず

中高は学校携帯を持っていくことを本当にかなり厳しく禁止されていたので学校での写真は無い。

プリクラは何度か撮ったことがあるのだが、プリ帳なるもの引っ越しの際に紛失し、ごっそり無くなった。(これに関してはちょっとだけやってしまった感はあった)

卒アルくらいはあるのでは?と思われそうなのだが、学校が嫌いだったので(親の方針で入れられたクソみたいなお嬢様系の中高一貫難関校)届いた瞬間捨てた為それも無い。

卒業式や修学旅行などの行事デジカメを持って行くことが許されていたのだが、めんどくさがって持っていかなかったので行事写真も手元には無い。(友人が私を写してる可能性はある)

ここまで写真がない人ってあんまりいないかもしれない。どうだろ。

あ、大学時代写真が何でないかって?普通に生活してたら自分写真撮る機会ってなくない?

サークル入ってなかったからかもしれんけど。

ゼミは入ってたけど、合宿とか食事会とかの集まり全部ボイコットしてたから(バイトとかしてたので優先度低かった)撮る機会、無かった。

楽天ウェブ検索ポイント山分けは山分けじゃなかった

楽天ウェブ検索というサービスがある。楽天会員がこの楽天ウェブ検索検索を行うと、その回数分に応じてポイント山分けされて配布されるという謳い文句だ。

しかしこの山分けというのは嘘だった。

人でなしと思われそうなので今まで口外していなかったが、東日本大震災の時、私は楽天ウェブ検索を当時は検索ツールバーでいつも通り行ってみた。

被災地の人々は命の危機さらされ、日常生活は送れず、大規模停電の真っ最中だった。その被災地の人々にも以前から楽天ウェブ検索をしていたユーザーはいたはずだ。彼等は被災ネットにも繋がり辛く、PC携帯もそんなポイ活に回している余裕などない。

理屈の上で言えば、東日本大震災の間は被災地でないユーザーにとって山分け分が増えるチャンスだった筈だ。

しかポイント履歴を見ても震災前後と比べてポイント付与数に変化は無かった。

これは

…のどちらかになる。

楽天ウェブ検索2023年も続いている。もしかしたら内部ロジックは変更されているかもしれない。しか東日本大震災当時の楽天ウェブ検索は、山分けではない何かを嘘をついて提供していたのだ。良い嘘か悪い嘘かは中の人以外には分からないが。

2023-09-30

9/30 復讐は私にまかせてを観る

今日バイト休みだった。


消退出血で朝から下腹部痛がする。ガスだまりなのかみぞおち辺りもキリキリする。それに、昨夜ささいな事でbadモードに入り、大泣きしたので目もパンパンだ。そういう日は外に出て散歩した方がスッキリするのだが、痛みや浮腫みを言い訳にして、一日中家にいた。ああ、憂鬱だ。


昨日のbadモードが抜けきれず、あんなに性格の良いカレと別れようかと思い始めたので、気分転換映画でも観る。まさかアマプラ100円セールに、以前、新文芸坐で上映されていて興味があった、復讐は私にまかせてがあったので、クリックする。”アザだらけになりながら、恋に落ちていく―”に惹かれた。


全体的にフィルム撮影の画面のざらつき、大味でシュールストーリー唐突なENDといった荒削りな感じが、どこか70~80年代アジア映画彷彿させる。好きだぞ、こういうの。最近映画にありそうな綺麗な(笑)背景に繊細で傷ついたやつらがでてくる辛気臭いタマでっかちがつくる映画よりもな。それにバイオレンスではあるが、殺伐としていなくて、インドネシアの緑豊かな自然のせいか、どこか湿気を感じるスロー不思議映画だった。観葉植物好きとしては、エバフレッシュがそこら中に自生していたり、アデニウムが鉢植えされていたりと植物観察も面白かった。もう一度バリ島に行きたいなぁ。


映画が終わって、ふと携帯を覗くとカレからLINEがきていた。それだけでもう別れようなんて思いがどこかにすっ飛んでいった。しょーもないなぁ。

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