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2022-11-12

アイドルやってたときの話

アイドルと言っても地下アイドルだし今はメンバー全員会社員になってるし全く売れてたわけではないです。

メンバーが6人いたのでどんな人達だったかを書きたいと思います

赤色担当絶対的センターだった。顔が良くて歌とダンストークが上手かった。普段は人見知りなので絶対飲み会交流会にに参加しないし、参加してもずっと端っこの席でスマホ見ながら死にそうな顔してた。

【桃色担当】あざといキャラだった。シンプルに性欲が強くてライブで散々歌って踊った後によくセフレの家に直行してた。精神的に安定している。

黄色担当】元気キャラだった。寝ているときに大きな声でハキハキと寝言を喋り続ける体質(?)で、一緒に泊まると何度も彼女寝言で起こされた。

紫色担当セクシーキャラだった。この文章を書いている。活動していた時期、メンバー唯一の処女だったのがコンプレックスだった。

青色担当クールキャラだった。揉め事が起きそうなときは録音機を使うし、めちゃくちゃ冷静に論破するからすごいと思ってた。でもめちゃくちゃかわいい

緑色担当ギャルキャラだった。コミュ力が高くてかわいくて1番ダンスが上手かった。カースト上位の人って感じだったから、同じグループじゃなかったら確実に関わることはなかったと思う。


大変なことも多かったけど、部活の延長みたいな感じでやれて楽しかったな。

2022-11-11

字書きになんてなるんじゃなかった

人は見た目が十割、という言葉があれば、人は見た目よりも中身が大事という言葉もある。結論から言うと、長く付き合うことが前提なら中身を重要視すべきだが、付き合いの長さ短さに関わらず優先すべきは容姿だと思う。「容姿が好みでなければ中身なんてみない」という某アイドル言葉が全てだ。

これって、創作の場に置いても同じことが言えると思うのだ。

まず、個人の好みはさておき、絵と小説なら確実に絵の方が目を引く。人間に置き換えると、美人からだ。

それでは次に、全く同じ内容の漫画小説があったとしたら?これも漫画の方が好まれる。人間に置き換えた時に、性格がいい美人性格がいいブスなら、当然前者を選ぶだろう。

それはなぜか。目を引くから、なんて単純な理由ではない。

私が思うに、絵や容姿は一目で善し悪しがわかるからだ。

絵や容姿は一目で美醜がわかる。もっと言うと「この人は目元はパッチリしていて綺麗だけど鼻は低いね」「この人は顔を書くのは上手いけど体はイマイチだね」といった個人の好みまで言語化出来る形で伝わってくる。

対して、小説は内容が面白いかそうでないか文体が好みかそうでないか時間をかけてじっくり読まないとなかなかわからない。

読書家でお気に入り作家や本がある人なら、その判断が早いが、普段書店で本を買わずピクシブssを読むだけ──という人も多い。そういう人にとって、読書とはある意味苦痛行為なのだろう。彼らにとって、読書のものは目が痛くて時間のかかる苦痛行為であり、結末がわかった時に初めてその本が好きか嫌いか判断するのだ。

近年、音楽業界で長いイントロや間奏、ギターソロのある曲は好まれないという風潮からもわかるように、現代ではとにかくコスパや結果が重視される。tiktokはその最たる例だろう。

まり、何が言いたいかというと、世の中の人は本なんて読まないのだ。面白いかそうでないか最後まで読まないと判断がつかず、絵柄と違って文体の好みもすぐにはわからず、逆にどこが良くてどこが駄目だったか言語化しにくい。そういうジャンルなのだ

字書きが授業中に教科書付録資料集に齧り付いていた時に、絵描きプリントの裏紙に絵を描いていたのだろう。極論、文章は誰にでも書けるが、絵は自転車と同じでただ思うように描くだけでも、ある程度の練習勉強必要になる。絵描きはそれをわかっているから、無意識に字書きを相手にしないのだ。絵描きは絵を見れば、そのクオリティから描き手の力量やセンスもっというと影響を受けている作者なんかもわかる。

だが、小説ではそうもいかない。書き手がこれまでにどんな本を読んで、それらにどのような影響を受けて、どんな作品を書いたのか、それがわかるまでに時間がかかる。よく知りもしない人の作品にそこまでの労力を割こうなどと、絵描きは思っちゃくれない。読書苦痛と思う人にとって、小説の結末はいわばサビで、そこに至るまでの起承転はイントロなのだろう。とにかく小説なら何でも読む、活字中毒という人が現代では杞憂なのだ。必ずしも、読書家=字書き、読書苦痛絵描きというわけではないが、字書きで漫画を読むという人は多いが絵描き小説を読むという人はなかなか聞かない。要するに、絵描きにとって読書は面倒くさい"作業"なのだ

私には表現したいことがある。でも、それらは見向きもされない。中身が面白いかそうでないか以前に、小説からだ。要は、ブスだからだ。美人と違って、ブスには興味も持たれない。

こんなことなら、学生時代資料集小説を読んでいる暇があったら絵を描いておけばよかった。小説が書ける、といっても何の価値もないが、絵が描ければ社会においてスキルになる。話題になる上に、仕事にも生かせる。もし、これを読んでいる方が創作に興味を持たれている学生さんなら、今すぐに絵の練習をした方がいい。何か表現したいとか、アンソロかに参加してみたいとか、創作仲間とワイワイしたいとかそういう願望があるなら、特に。仮に、通話で知り合ったとかそういう何かの気まぐれで絵描きや字書きと繋がれても、彼らはあなた作品なんて絶対に読まない。感想なんて気もしない。絵描きにとって字書きは「ダラダラと長ったらしいだけのコスパ悪いことやってる頭の悪い人」なのだ。そこに悪意はない。美人が生まれつき美人自覚していてブスを見下したり哀れみの目で見つめてきたりするの同じだ。そういう風に世の中は出来ている。

ついさっきも、毎日のようにTwitter交流をしている絵描きフォロワーにスペースで無視されたばかりだ。一体一でリプライを送り合うくらいならいいが、他の絵描きもいる前で字書きなんかと付き合っていると思われたくはなかったのだろう。社会で生きていれば、嫌というほどルッキズムに苦しめられるのに、創作世界でも擬似ルッキズムに苦しめられるなんて思っていなかった。なんで字書きになんてなってしまったんだ。

2022-11-10

意外と『ニセモノの錬金術師』が語られていない

近年において最もホットウェブ漫画の一つに数えられてもいい『ニセモノの錬金術師』が、はてなではあまり語られていない。満を持して増田で一本書いてみたいと思う。


『ニセモノの錬金術師』は、2020年から現在に至るまで連載されている、杉浦次郎氏によるウェブ漫画である

ジャンルはいわゆる異世界生モノだが、既存作品とは明らかに方向性を異にしており、その方向性とは作者特有とも言える人間精神性を執拗描写していくスタイルだ。

人を愛すること、人を呪うこと――主にその二つを軸に世界観が構築されており、そのような精神性は主に「呪術」という作中独自技術体系によって表現されている。世界は愛と呪いに満ちている――それが恐らくは、この『ニセモノの錬金術師』を語る上での基本的世界観であろう。


あらすじ

主人公は、かつて地球にて生を送っていたサコガシラという名前男性である。ある日交通事故に遭い、異世界へと転生させられる。

その際に神的存在によって高度な錬金術とも呼べる能力を与えられ、その能力によって彼は錬金術師として様々な困難を潜り抜けていく。そんな中、気まぐれに立ち寄った奴隷商人の店内にて、彼は一人の女奴隷出会う。

――というのが物語の大まかな粗筋である

あらすじだけを見れば、既存異世界転生系作品との差別化が不十分であるとも取られかねないと思う。とは言え、読めば分かるのだが、本作は既存の同ジャンル作品とは全くもって方向性を異にする作品である。現状では全話無料で読むことが可能なので、是非ともその目で最終的な評価を行ってほしい。


以下、この『ニセモノの錬金術師』について、個人的に魅力的だと思っている箇所を列挙していく。


呪い』について

『自らの愚かさに嘆き ただ苦しみ 痛み 辱められ 毎日に怯え震えて 生きることを命じる』

本作で描かれる『呪い』の描写は極めて綿密であり、作者の思想や、また恐らくは人生経験が濃密に反映されている。この『呪い』を巡る描写において、個人的特に感銘を受けたのは、節タイトルの「呪い」についての描写である

主人公奴隷として購入された異国の少女ノラは、かつて優秀な呪術師の父によって呪術の手解きを受けており、あるとき彼女と同じく奴隷商の商品であったエルフ女性、ココにかけられた膨大な呪い存在を察知する。ココは四肢を切断されており、また目と鼓膜と発声器官を念入りに損傷させられているため周囲の人々とのコミュニケーションを取ることができず、長い間その致死的な呪い存在に周囲の人間は気付くことができなかったのである

ノラはサコガシラ邸にてその呪い分析を行う。自らココにかけられた呪いの一端を体験しつつ、その呪い根本命題へと深く探訪するのである。最終的にノラは、ココにかけられた呪いが、ココを呪った何者かによるあまりにも深い慈愛からやってくるものであることを悟る。ココにかけられた呪いの奥深くに潜んでいた根本命題とは、「自らの愚かさに嘆き ただ苦しみ 痛み 辱められ 毎日に怯え震えて 生きることを命じる」という陰惨なものであった。しかし、同時にその呪いには深い慈愛の影があったのである。ノラはその事実に深く混乱すると同時に、自らが学んだ呪術という技術体系に対する深い侮辱の念を覚える。そして、その何者かに対しての憎悪を露わにするのだ。


呪いというものは誰しもの心に自然に生まれもので、それは人間の心にとってひどく自然な営みであると、作中では語られる。誰かを呪う気持ちなくして人間は生きることなどできないのである。その、人間にとって自然感情コントロールし、時に人間営為に役立てるために生み出されたのが、作中における呪術という技術体系なのだ少女ノラは、その技術に深い愛着を持っていた。それ故に、ノラはココの『呪われ方』――深い慈愛と共に、おぞましいほどにまで対象呪い抜く偏執性――に歪つさを見て取ると同時に、反発を覚えるのである

作中で最初に重度の呪いが描かれるのが、節タイトルのシーンであり、私はこの呪いのシーンが好きだ。呪いとは、自然な心の働きであり、それは愛することと同様に人間と切り離すことのできない営みなのである――だからこそ、ノラはその営みに深い拘りを持っており、その拘りが示されるこのシーンは作中全体における、『呪術』に関するハイライトとなっているのだ。このような、ノラが持つ『呪い』に対する自然な拘りは、ある意味では作者が抱える『呪い』に対する拘りと鏡映しの関係になっている。作中の様々なシーンから、作者の『呪い』に対する拘りの深さ、あるいは、含蓄の深さを覗くことができる。

相手禁忌を知れ、その禁忌を踏みにじらせろ』

この一節は、ノラの父によってノラに対して語られる、言わば呪術の基本のキに当たる基礎的な方法である禁忌を破ることと呪いを受けることはイコール関係になっており、時に呪術師はその呪いを強めたり、あるいは和らげもするのだ。

呪術は度し難い技術であるしかし同時に、呪術とは人間の心に自然と生じる、深い憎悪を鎮めるための技術でもあり、その背反性が作中では極めて自然に溶け合っている。


主人公サコガシラについて

本作の主人公サコガシラ自己評価が極めて低く、自身の命を極端に軽視するという傾向を持っている。これは、サコガシラ自傷的傾向があるという意味ではない。純粋自尊心が低すぎ、また、自己評価が極めて低すぎるがために、自分の命を消費可能手段であるしか認識できなくなっているのである

そのため、困難に出会い身近な人間が脅威に晒された際には、その救済のために自己犠牲を必ずといっていいほど為そうとするのである。誰かを救うための選択肢が幾つかあるとして、その第三候補くらいまでに必ず一つは、「自らの命を犠牲にして――」という選択肢が生じてしまう、そんな人物が本作の主人公である普段生活において全くその傾向をおくびに出すこともなく、またサコガシラ本人さえ無自覚であるものの、その傾向は歴然としており、基本的に彼は自分の命に価値があると思っていない。卑屈になっているわけではなく、自分の命に価値を見出すことが、どうしてもできないだけなのである。そのような歪つさを彼の周囲は彼との交流の中で少しずつ認識していくのだが、その危うさにむしろ惹きつけられていく。

また、彼の心理の内奥にあるものが作中で示されるのだが、それはあまりにも深い『好奇心であると本編で語られている。サコガシラは、目の前にいる人物がどんな悪人であれ、どんなに救いようのない人物であれ、その人物に何らかの『可能性』を認める限りで、その人物に対して強い興味――『好奇心』を持ってしまうという、彼自身にさえコントロール不可能な強い傾向を持っている。恐らく、このような他者に対する強い傾向は、上記自分自身価値を軽視する傾向と深く関わっているように思われる。

このような歪つさと純粋さが深く絡まりあったキャラクターは、主人公に限っての話ではなく作中に数多存在している。

歪んでいると同時に純粋であれ――その、作者によるキャラクター造形の原理が、この主人公の特徴からはっきりと伺えるのである


その他、魅力的なキャラクターについて

サコガシラの前に現れる敵について

主人公サコガシラの前には様々な敵が現れる。彼らは決まって忌まわしき存在であり、主人公の大切な存在を常に貶めようとするか、奪おうとするか、あるいはそれらの両方を為そうとするおぞましい存在である。とは言え、それにも関わらずニセモノの錬金術師において現れる敵はとても魅力的に描かれている。

ネタバレになるので詳しくは書かないが、彼らは必ず深く歪んでいて、そしておぞましいほどに純粋なのである。その純粋さが彼ら独自正義を追求していく過程で、彼らは度し難いほどに他害的な傾向を持つことになる――そのような背反性は往年のライトノベルブギーポップシリーズ』にも見て取れる傾向であると感じられる。

それはともかくとして、主人公の周囲に集まってくる純粋に善なる人々とは対照的に、それらの人々に対する悪の存在純粋で危ういものとして描かれる。その、悪役における人間性の絶妙機微が本作における重要な魅力の一つになっていることは、論を待たないであろうと思われる。


まとめ

以上、ひとまず思いつく限りで『ニセモノの錬金術師』の魅力について書き散らしてみた。

amazon(kindle)ニコニコ静画pixivといったウエブサイトにて、本作は現在無料で閲覧することができる。杉浦次郎氏の描く深く純粋で歪んだ世界観に、是非とも耽溺してほしいと思う。


2022-11-09

ネトゲに疲れてしまった

タイトルそのまま、オンラインゲームに疲れてしまった。(だと思っていたけど書き進めていくうちに友人に疲れた話だと気付いた日記

オンラインゲーム経験皆無な自分がある日ふと思い立ってとあるMMOを初めてみてそれなりに経とうとしている。

元々ソロで遊べるゲームはがっつり遊ぶスタイルゲーマーなのだが、MMOに関しては多少興味はあったものの伝え聞く他者との交流ありきなゲーム設計コミュ症で人との交流が苦手な自分には合わないと敬遠してきた。

それがある日ちょっとした興味本位で、友人からソロでも出来る」という謳い文句で誘われたMMOを始めてみた。

人生何事も経験だし自分が踏み込んだことのない世界で遊んでみるのもいいかもな~~くらいの軽い気持ちだったと思う。

ソロで遊べると思い乗り込んだ世界で、実際半年以上ソロプレイ満喫した。

どうしても他プレイヤーと協力してこなす必要のあるコンテンツはあったけれども、それは一期一会インスタントマッチングをしてくれるシステムが用意されていたので特に苦労はしなかった。それくらいのオンラインプレイは他のゲームでも経験があったので抵抗も全くなく楽しかった。野良マッチング相手にたまに変なのがいるのもよくある事だしね。

自分のペースでストーリーを追いつつ成果物をコツコツ積み上げていくゲームプレイは性に合ってる部分もあったし、それが自分の操るキャラクター財産として形成されていくのも面白かった。

ちなみに自分オタクなので、プレイキャラクターを己のアバターではなく俯瞰で眺めるその世界キャラクターの一人として見る楽しみ方をしている。周囲にもてはやされる系主人公がそんなに好きではない自分最初はいきなりヒーローのように担ぎ上げられる立場になった自機に困惑していたけれど、最近は色々乗り越えてなかなか頑張ってるじゃん…と愛着もわいている。

閑話休題

ここからちょっと自分の醜い感情というか、あまり直視したくない部分になるんだけれど、まあ増田独り言なのでいいか

このゲームに誘ってくれた友人は元々他のMMOオンラインゲーム経験豊富でとても人脈が広かった。

それは各々の築き上げてきた環境の違いなので当然だし全く何も問題ない。熟練者のフレに支援してもらった話や、高価なアイテムをもらった話もMMOって温かいんだなあ、先輩優しいねえ良かったねえ、と楽しく聞いて装備も見せてもらっていた。

ただ、一緒に遊ぶうちにだんだんその感覚の違いがストレスになっていくのがわかってしまった。

初心者である自分が手探りでやり始めていることや味わっているストーリー、それらをちょっとでも話題に出すとすかさず友人が熟練者に聞いた話の披露や友人も知らない事はその場で直接熟練者に聞いてくれたりもする。そこには純粋善意しかなくて、自分と一緒にゲームを楽しもうとしてくれる気持ちしかないのはわかるのだが、どうにも楽しみをスポイルされてしまっているような感覚が拭えなかった。

自分は手探りで自分自身で世界を知っていきたい、けれど自分が感じたこ世界の話を友人していると必ず熟練から知識エピソード披露され、一緒に考えてみたいと思ったことも即座に熟練者に聞いてみようと言い出されてしまう。

多分一緒に遊ぶたびに毎回一度はそういう話をされていた気がする。その都度、なんだか自分好奇心や興味に水を差されたような気分になってしまう、の繰り返しだった。

友人から「先輩が」という言葉が出てくるとゲンナリしてしまうほどに嫌な気持ちになるワードとなってしまった。

…書いてて思ったけどこれってあれだな、友達とサシで遊んでる時に毎回その場にいないし自分の知らない「友人の友人」の話をされて微妙な気分になる不快感も含まれそうだな。

ああ、腑に落ちた。これが毎回されていたらそりゃなんだかな~という気分にもなるなあ。

自分がこのゲームを始めて友人は喜んでくれて、ゲーム内で一緒にいる頻度はめちゃくちゃ高かった。けどその一緒に遊んでいる際に毎回必ずこういう話が差しまれるのが地味にストレスだったというだけの話。

元々自分は色々な友人と遊んでいても相手の知らない人の話をすることはほぼないタイプなのだけども、友人は楽しい話だと思えばどんどん知らない人のエピソードでも披露してくれるタイプだった。

適度な距離の友人としてなら気にならなかったけれど、MMOという世界で急激に距離バグってしまった結果の悲劇ということかなあ。

多分自分と友人は、人付き合いの感覚ゲームの楽しみ方もあんまり相性が良くないのだろう。

自分が気難しすぎるのかもしれないな。

で、とりあえず現状は自分もそういうことを気にしないようにゲーム内で自分交流を広げ始めてそれなりに楽しくやれているのだけども。

まあその辺でも少し疲れてはいたのだけれど(ATフィールド5km人間だもんで)問題本質ゲーム関係がない所だったな。

わだかまりの正体が見えたことは収穫だった。ちょっと一旦麻痺してしまった諸々をリセットしたいところ。

2022-11-08

Twitter社員を叩きたい一心イーロン・マスクを持ち上げてた人たちが「Twitter有料化か?」という報道テノヒラクルーしてるの面白い

怖いのは課金されることそのものではない。それをきっかけにして「私が金を払ってでもツイートを読ませてほしい人」が発信をやめてしまったりカギにこもってしまうことこそが怖い。

すごい情報を発信してくれてる人って本業がすごい人たちが同業者との交流のため、私たちにではなく一部の同業者アピールするために情報を出してくれてるという側面が多い。お金なんか腐るほど持ってる人たちが、他人に対しては責任を負わずに気軽に発信できるからこそ書いてくれてることが多い。そこにお金が絡みだすと、しがらみとか責任感が発生して嫌になって別の場所に移動してしまうかもしれない。それが怖い。

課金それ自体はたいして気にならない

まんべんなく全ユーザー課金というのは多分しないと思うし、したとしても数百円だろう。全然余裕。

私がフォローしてる400名くらいの人が残るのであれば月3000円くらいまでなら余裕で金払う。

並みの有料ニュースサイトとかより価値のある情報ゴロゴロ転がってるのでやめられるわけがない。

今の時点でもメルマガかにトータルで月10000円以上金払ってるので感覚的にそれほど抵抗はない。

Twitter有料化したらやめる」とか言ってる人は有料化しなくても今すぐやめたほうが良い。

ぶっちゃけそこらの新聞なんかよりよほど価値ある。

ただ、Twitterにそういう課金機能をのせるとただでさえ煽り屋とか情報商材屋がウロウロしてる状況で

そういうやつらが余計に暴れそうだから、せめて情報商材屋をつぶすように動いてほしい

それよりはてなブックスターは有料のみにしてほしい

これにするだけではてな左翼は工作ができずに絶滅すると思う。

anond:20221108180254

それは世界からログアウトしないとたどり着けない。 

 

いやなに、死ねと言ってるわけじゃない。

ただニュースや最新情報を見なくなって、知らん奴との交流を断てば良いのだ。

世界の大半の人間はそうして生きてる

anond:20221108031128

創作するための時間管理の話ならうんうんって思うが

ありもしない人間関係の話は見ててモヤる

まぁ主目的創作ではなく交流ならなにもおかしかないんだろうけどな

2022-11-06

なんちゃって時代ものが描けねぇ

日本舞台の、時代ものっぽいオリジナル長編漫画を描きたくてずっとずっと構想を練っているんだけど、史実フィクションとの折り合いに悩みまくって描けなくて困ってる。

架空の藩で、架空人物けが出てくる権力争いものにしたいんだけど、時代ものという縛りがあるので、一応は時代劇っぽいものにしないといけない。でも時代もの言葉遣いやら髪型服装身分役職とかの縛りがでるし、それだけの知識も正直俺にはない。


現代ものなら、日本のどっかの学校って多少ぼやかせるところが、時代ものだとどっかの国のどっかの時代っていうのが誤魔化せない。

鎌倉室町江戸幕末時代ファッション文化全然違う。


日本昔ばなしも一見キトー和風ファンタジーに見えるが、あれ各地の伝承元ネタから地名とか寺とか人物とかちゃんと実在するんよ…墓もあるしな…。


江戸時代以降は徳川さんが仕切ってるからいちいち徳川気にしないといけなくて超やりづらい…あとどんなイケメンハゲにしないといかんのがツラい…どこまで嘘をついていいのかの加減に悩む。半端に歴史を知ってるが故にうまい嘘がつけない。


故に巷には、史実ベースにした実在人物キャラクターを絡ませる漫画が多いんだなぁと実感した。1からは全部はキツイ


まあフツー、史実ベースじゃない和風ファンタジーをやる場合は、バトルものにするか、妖怪との交流ものにするかの大体二択。ファンタジーから政治とか史実とか描かなくて済むからね。どっかで嘘つかんと。


で、俺が描きたいものはどちらでもないから参考にできる作品がなくて本当に困っている…単に知識不足で知らないだけかもしれんが。ギャグ時空なら何でもアリでいけるけども、残念ながらシリアスな感じになるからそれも難しいんだ…せ、世知辛ぇ…


あと、みんなドラクエみたいな西洋ファンタジーものには一切突っ込まないのに、和風ものになると途端に「この時代にこれはおかしい」みたいなガチな歴オタのツッコミいれてくるのなんでなん…?やめてくれ…俺にその言葉は強すぎる


時代もの知識がないと描けないし、背景にも気を遣うから作画カロリーが高いと聞いたことあるけど、本当にそれ

自分無知と無力さがツラい…

描きたいものと描けるものが一致しなくて悲しい

本来ならさっさと諦めたいところだが、描きたい話が設定上、どうしても時代ものじゃないと描けない話なので、知識がなくとも足掻かなければいけない。形にしたいから頑張りたい。


江戸時代っぽい雰囲気架空の国が舞台の、あやかしやらバトルが出てこない作品あったら参考にしたいので誰か教えて。

anond:20220921002506

人が来ないブログをほそぼそ続けているが

アクセスカウンターが1増えただけでも嬉しい

コメントは一度もついた事がないし

交流なんて皆無

ちょうどいい孤独だよ

シェアハウス帰国子女がうざいなあと思っていたんですよね

世界中飛び回って仕事してる友達を家に呼ぶ機会があって、シェアハウスのこと説明したら

キッチンに行ってみんなと交流する!!って聞かないので連れて行ったら

その時だけは帰国子女の連中の普段のイキリがなかったので

そんなもんかと思った。

 

特に目的もなくふらついてる連中だもんな。

オタクが集まるハウスって

要は「多世代交流センター」「なんとか文化センター」みたいなやつのオタク版が欲しいということだよね

しかにうちの地域交流センター囲碁将棋盤が置いてあるだけでほとんど利用する人がいない

時代に合わせて内容を変える必要があるんだろうな

我々の世代囲碁将棋に替わるものってなんだろう?

遊戯王MTG? TRPG?

アニメ鑑賞ルーム

ぼく勉ではなく漫画でのパラレルストーリーが悪い

https://anond.hatelabo.jp/20221105115632

ぼく勉と五等分、かぐや様とではクオリティに差があるのだからパラレルストーリーが悪いのではなくぼく勉が悪いのだという説が散見される。

これはぼく勉の話がつまらなかったから盛り下がったのだという趣旨で一理あるように見える。

しかしあえてぼく勉ではなくパラレルストーリー自体が悪いのだと私は主張する。

まずメディアミックスであるがぼく勉より単行本売り上げが低かったゆらぎ荘の幽奈さんですらゲーム化している。

単に人気が低いというだけではゲームより遥かにコストが低いボイスドラマが打ち切られる理由にはならないだろう。

またそもそもジャンプで2年以上連載していた作家に対してお前がうまく出来なかったから悪い、もっとうまくやれたはずだと言うこと自体傲慢まりないと一蹴しても良いだろう。

そもそもの話として、ぼく勉に話の良さは求められていたのだろうか。

ぼく勉は元々1話完結を繰り返す構成であり、長編と言われるものでも4話程度の連続した話しかない。その中ですら粗が目立った。

そして本編終盤の強引さを鑑みればその後のパラレルストーリーの出来についても推して知るべしであったが、そのような中でも多くのファンパラレルストーリーを歓迎していた。

同じ作者が描くのだから、話のクオリティが急に上がるわけがないのは誰しもがわかっていたはずだ。

まりぼく勉は話の良さなど期待されていなかった。強引でもいいか自分の好きなキャラの思いが成就することだけがまれていたのであり、実際にそれは叶った。

読者の求めていたことを叶えて、それでも盛り下がってしまったのだからこれはぼく勉が悪いわけではないだろう。

まとめると

ぼく勉に話の良さを期待していたファンなどほとんどいなかったのだから、話の出来が悪かったから盛り下がったのだという主張は失当である

となる。

ぼく勉はキャラの可愛さで人気を獲得し、長編の話作りが下手であることもわかった上でパラレルストーリーが歓迎されていたのだからファンが望んでいたのもキャラの可愛さだけのはずだ。話の出来の良し悪しは関係ない。

作者は今まで通りキャラの可愛さを引き出していたのだから、十分にうまくやったと言えるだろう。(理珠ルートキャラが出なかったのでまあうん)

もっともこれはぼく勉は話を期待されていない漫画から、話の出来が悪いのが悪いという批判は成り立たないということに過ぎず、話を期待されている漫画であれば話が良ければ受け入れられたのかという課題が残る。

そこでぼく勉が仮にストーリー面も期待されていたもの仮定して、以下にパラレルストーリー自体問題点を上げていくことにする。

必然的な読者の減少

パラレルストーリー問題点はまず読者が減っていく点にある。

読者が自分推しキャラが終わった時点で満足して読まなくなることは想像に難くなく、読者が減るのも当然である

ぼく勉の場合、頭3つほど抜けた人気のあった真冬ヒロインであった最後ルートですら大した盛り上がりを見せず(事実単行本売り上げが他より上回っているわけでもない)、最終回でもトレンド入りすらしなかった。

トレンド入り自体ジャンプ打ち切りになるレベル漫画(例:レッドフード)でもすることがあるものであり決して高いハードルではない。アニメ化していない作品ですら円満終了なら最終回トレンド入りは定番となっているので、ジャンプ連載作品ではむしろしないほうが珍しいと言って良いだろう。

読者が減少するということはすなわち作品が連載中であるにも関わらず、話が進むごとにどんどん盛り上がりが減っていくということになり、活気の減った漫画は余計に見向きがされなくなるという悪循環を生んでしまう。これはぼく勉に限った問題ではなく普遍的課題だろう。

作品内容が語られなくなる

他に読者が作品を語らなくなるという問題もある。

五等分の花嫁かぐや様では作中の描写がどうだ、ここの描写がああだと言った考察が盛り上がっていたが、ぼく勉はパラレルストーリーが始まった時点でこれまでの描写が語られることがほぼなくなり、考察ブログ更新を停止することが目立った。

これはパラレルストーリーが本編の描写連続するものでない以上、何がきっかけで彼を好きになったのか、何がきっかけで彼女を好きになったのか。そういったことを本編の描写から考察することが出来ないのだから当然だろう。したところで意味は無い。話を期待されていたのであれば、なおのこと虚しくなるだろう。

個別ルートは本編の描写と繋がっていない。であれば推しキャラを持つファンは本編の描写を語ることが虚しくなるだろう。それが個別ルートまでの間にあった出来事なのかどうかわからないのだから

全く語らないことはないだろうが、以前までと同じ熱を持って語ることは出来ない。同じキャラを推すファン同士であれば個別ルート話題で盛り上がれるだろうが、違うキャラを推すファンとはそれで盛り上がることは難しい。無意識にどこかで俺の好きなキャラルートではその出来事はなかったという冷めた目線が生まれしまう。

よって違うキャラ推しとは思い出の共有が出来ないのだ。

SNS時代の今、語られなくなることは作品にとって致命的であるパラレルストーリー二次創作需要の先食いですらなく、ファン交流の土壌ごと奪っていることに等しい。

これは恋と嘘のように最初からマルチエンドにすると決めていた作品であれば回避できる問題ではあるが、現実的には難しいだろう。週間少年漫画誌で人気と伏線を両立させることは困難であり、ぼく勉のように途中でなんとなく決まることが大半のはずだ。

ファンを満足させることの困難さ

最後にたとえパラレルストーリーをやったとしても各キャラファンを満足させることは難しいという最大の問題がある。

パラレルストーリーに対する各キャラファンの主な反応はこうだ。

  • うるか派 とにかく発表方法やその他の扱いにキレている。※
  • 理珠派 ほぼ関城さんがメインで理珠がサブ扱いなので不満の声が目立つ。
  • 文乃派 話自体にはそれなりに満足しているがパラレルがなければ本来は文乃が勝っていたはずだという幻想に縋って不満が渦巻いている。
  • あすみ派 とりあえずやってくれたことに満足している。
  • 真冬派 圧倒的な人気なのになぜか先生と生徒じゃなく先生先生恋愛になるという扱いにキレている。

※参考

作者に嫌われているキャラクターを好きになってつらい

https://anond.hatelabo.jp/20200724234926

追記】作者に嫌われているキャラを好きになったら特典でも冷遇されてつらい

https://anond.hatelabo.jp/20210308181806

替え歌】作者に嫌われている。

https://nicovideo.jp/watch/sm40451991

このように手放しに満足しているのはあすみ派だけだ。

なぜ満足しているのかといえば、登場が遅く人気も低いためエンドヒロインになる芽が一切なかったのに、奇跡的にヒロインになる姿を見ることが出来たから満足しているのだ。

この点真冬も同じく設定的にエンドヒロインになる芽が一切なかった。ではなぜこちらはキレているのかと言えば、パラレルストーリーをやること自体真冬の圧倒的な人気を背景に生まれものだと信じられているかである

まりパラレルストーリーをやるきっかけが真冬の人気によるものなのだから、当然話のクオリティも素晴らしいものであるはずだという期待があったのに、その期待が裏切られたから不満を持たれているのだ。

このように元々芽がなかったキャラルートをやったにも関わらず、そのルートの出来が良くなければ恨まれしまう。

芽があったキャラであれば、話が良くても悪くても本来は勝っていたはずなのに二番手以降に追いやられたという逆恨みをされてしまう。

元々なければ諦めがつくが、中途半端に与えられると足りないものが目についてしまう。半端な救済は逆に恨みを買ってしまうという、社会問題でもよく見られる現象と同じことだ。

結局のところ満足ができるのは元々芽のなかった不人気キャラファンだけであり、人気キャラファンは余計に不満を持ってしまうのである

本来ルートがなければないであもので満足できる。五等分の花嫁を見ればわかりやすい。

一花のあの思い出だけは嘘じゃないんだよの泣き顔で切なくなれるし、二乃のあんたを好きって言ったのよという告白で痺れることができる。三玖の私は私を好きになれたんだという独白に感動できるし、四葉が私の分の仕事をお願いしますという台詞をようやく言えたことも胸を打つ。五月の私は私の意思で母を目指しますという宣言が嫌いな人間はいないだろう。

(各キャラ台詞は筆者の趣味ピックアップしたものであり、あくまで例である

結ばれようが結ばれなかろうがそれぞれのキャラに素晴らしいシーンは存在していて、通常キャラファンはいいところを見つけて満足できる。満足出来ないファンもこういうルートがあればよかったと理想を追える。

パラレルがある場合それは出来ない。各キャラファンが見たいのは結ばれるところであり個別ルートである

すなわちそれまでの話にいくらいいシーンがあったとしても、個別ルートの出来が良くなければ満足されないのである

そして一度公式提示された以上、それは違うこれが正しいと自分理想を追える気概のあるファンは少ないから、ファン活動ハードルパラレルの有無で段違いになってしまう。

自分の好きなキャラの思いが成就する場面をやるのであれば、誰だって自分の中の理想の形で成就することを想像する。当たり前だが多くの場合理想通りに行くはずはない。

漫画である以上、あまり長い話数は出来ないのだからなおさらだ

普通であれば期待外れに終わるのは一度だけ、一人のキャラファンだけだが、ぼく勉のようにした場合ヒロインの数だけ期待外れに終わることになる。

作者に対する失望が増えるほど作品に対する興味も冷めていく。当たり前のことであってぼく勉に限った話ではない。

失望されなければいいというのは一つの理想ではあるが、それは全教科満点取れば入試に受かると言っているようなものだろう。

まとめ

仮に話のクオリティが期待されていたとしても、パラレルストーリーを連載する以上

というパラレル自体問題点があり、仮に万が一クオリティが高かったとしても盛り下がっていたと考えられる。

よってぼく勉が特別うまくやれなかったのではなく、パラレルストーリーという形式そもそも悪いのだ。

なおパラレルストーリーという形式をぼく勉が選んだ事自体が悪いというのはそのとおりだろう。

ただその場合批判は、作品ではなくそれを選んだ作者に及ぶべきではないかと考える。


追記

ぼく勉のチャレンジ自体評価したい

マルチエンドをやろうとしたこと評価したい

これがまさにパラレルストーリーをやったことの弊害ではないだろうか。

作品の内容を評価される手前、パラレルをやった意義で評価されてしまうのだ。

この話題がぼく勉である意味は何もない。内容について踏み込まれいか作品理解を深めることは出来ない。

パラレル自体で盛り下がり、内容についても理解が深まらいから盛り下がったのだから悪かったのだろうとみなされる。

かにぼく勉は話自体も悪かったが、仮に良かったとしても内容について踏み込まれないなら同じ結果になるのではないだろうか。

anond:20220921002506

こういう奴って基本的コミュニケーションを軽視して怠っている率が高いよな。いいねもらえないと嘆く前にお前は誰かにいいねしたのか?と思うわ。

あと基本的交流しないと他人評価されないのってシンプルクオリティが低いからに他ならないんだけど、こういう奴って世の中の解像度全てが低いから本人のセルフイメージより学歴も低く仕事でも無能で外見も気持ち悪いわけだよ。だから他人から褒められなくて当たり前なのにそのための努力もしなければ見る目も磨かない。

一生他責で生きてろよ。

2022-11-05

貧乏ラブコメ三国時代の終わりとラブコメ漫画の終わらせ方あれこれ【追記

先日かぐや様は告らせたい最終回を迎えた。

これをもって一時代を築いた貧乏学生主人公ラブコメ貧乏ラブコメ)3作品※が全て完結を迎えたことになる。

かぐや様は告らせたいぼくたちは勉強ができない、五等分の花嫁のこと。

これらは同時期に連載していて同じような設定の主人公で同じような時期にアニメ化したことからまとめて語られることも多く、それでいて全く違う終わり方をしたことからよく比較対象になっている。

作品の終わり方

ラブコメ漫画はとかく完結後炎上やすく、どういう終わり方がいいのか議論になることが多い。

同じような時期に同じような設定で始まり全く違う終わり方を迎えた3つの漫画。これほど比べるのにちょうどいい環境もそうそうないだろう。

せっかくの機会なので各作品の軌跡を振り返っていきたい。

原作展開

かぐや様は告らせたい

ミラクルジャンプで連載開始。好評のためかその後ヤングジャンプ移籍

ラブコメというジャンル名でありながらほぼラブがメインなことが多いラブコメ漫画の中では珍しく、コメディを中心に据えた作風で人気を博し、貧乏ラブコメ仲間の一つである五等分の花嫁に抜かれるまでの2年以上、全週刊漫画誌で連載中のラブコメで売上No.1の座を守った。

白銀かぐやが付き合ってからコメディ割合が減ったり裏主人公である石上メインの話が増えたりしたために若干不評な時期もあったが、白銀たちが1年生のとき生徒会や思わせぶりな新キャラなどで考察好きのファンの間では変わらず盛り上がりを見せ、アニメ化成功実写映画化の大ヒットも手伝い最後まで人気のまま完結を迎えた。

シリーズ累計発行部数1900万部(Wikipediaによるとうち100万部以上はスピンオフ)。仮に原作が1750万部とすると1巻あたり発行部数は約65万部。

ぼくたちは勉強ができない

週刊少年ジャンプで連載開始。

ラブコメとしてはオーソドックスヒロイン主人公交流を繰り返していくタイプであるが、ストーリー連続性の薄さやヒロイン同士の交流がほぼ皆無であることなど、1話完結を繰り返しストレスなくキャラの可愛さを愛でるという構成ライトラブコメの一つの究極でもある。

単行本1巻発売時にはあまりの人気に重版が追いつかない事態となり、当時としては異例の紙書籍電子書籍がほぼ同時に発売するという措置を取られた。(当時は紙書籍から1ヶ月遅れ電子書籍配信されるのが当たり前だった)

その後アニメ化決定あたりをピークとして徐々に人気が落ち着いていったものの、本編最終回と同時に週間少年漫画としては前代未聞のパラレルストーリーを発表したことで大きな盛り上がりを見せた。

ただそれ以降はあまり話題には上がらず、その影響もあってか最終回でのTwitterトレンド入りを逃すという、アニメ化作品としてはある意味異例の結果を残した。

シリーズ累計発行部数は440万部。仮に原作が420万部とすると1巻あたり発行部数は約20万部。

五等分の花嫁

週刊少年マガジン読み切り掲載を経てから連載開始。

とかくキャラ人気に引きずられて話が本筋から逸れて冗長になりがち(キャラの魅力が大事ジャンルなので冗長になった部分こそが魅力だという面もあるが)なのがラブコメというジャンルだが、その中で珍しく一切の無駄を省いて本筋だけを通って完結まで走りきった。

元々人気作ではあったがアニメ化きっかけにさらに人気が爆発。貧乏ラブコメ仲間のかぐや様は告らせたいから全週刊漫画誌で連載中のラブコメで売上No.1の座を奪取した。

原作の完結時には結末に納得の行かないファンたちや駆け足での完結に反発したファンたちでネット上は荒れたものの、引き伸ばしがなく人気絶頂のまま完結したためか一般層の評判はさほど変わらず、完結後も売上が伸び続けるという異例の大ヒット作となった。

シリーズ累計発行部数は1600万部仮に原作が1500万部とすると1巻あたり発行部数は約107万部。

(2022年12月現在2000万部。仮に原作1900万部とすると1巻あたり発行部数は約135万部)

アニメ

かぐや様は告らせたい

クオリティ作画鈴木雅之主題歌という話題性も手伝いヒット作となる。

テレビアニメは3期まで放映され、新作アニメーションの劇場先行公開も決定。4期もおそらくやるものと思われる。

ぼくたちは勉強ができない

声優ユニットを組んでCDを出すなど音楽面には力を入れていたように思うが、アニメ自体はそれなり。ぼく勉の前クールに放映していた超豪華声優陣の五等分の花嫁や高クオリティかぐや様に食われてしまったためか、ヒットや原作読者の獲得には繋がらなかった。

緩いラブコメが好きな層からはそれなりに好評だったが、アニメ2期最終回で途中から唐突にアニオリ展開が始まり原作の完結より前に原作の結末が明かされ炎上した。何だったんだこれ。

五等分の花嫁

1期は不安定作画が、2期は原作の取捨選択がそれぞれ原作ファンからは不評。一方でヒロイン花澤香菜竹達彩奈伊藤美来佐倉綾音水瀬いのりという超豪華声優陣に恵まれアニメとしてはヒット(もちろん原作面白さがあってこそではあるが)。

YouTubeでの頻繁な無料公開で若年層の獲得にも成功し、今年上映した映画小中学生連れの家族女子高生など幅広い層が見に来たうえ原作ファンも絶賛。上映規模が100館程度の作品としては異例の観客動員数150万人以上、興行収入22億円以上の大ヒットを記録した。

余談:個人的アニメの出来の評価

かぐや様>五等分の花嫁映画)>ぼく勉>五等分の花嫁テレビアニメ


その他のメディアミックス

かぐや様は告らせたい

主人公白銀ジャニーズ平野紫耀ヒロインかぐや橋本環奈採用した実写映画興行収入22億円超えの大ヒット。続編も作られそちらも興行収入10億円を超えるヒットとなった。

スピンオフも活発で、かぐや様は告らせたい二次創作同人を描いていた作家を起用したかぐや様は告らせたい同人版をとなりのジャンプで連載したり、新聞部の2人を主人公にしたかぐや様を語りたいをヤングジャンプで同時掲載するなど幅広い展開を見せた。

その他にノベライズオリジナルストーリーが1冊。漫画映画ノベライズが計5冊。

ファンブックも1冊刊行されている。

ぼくたちは勉強ができない

オリジナルストーリーノベライズが2冊のみ。

強いて言えば単行本有償特典として付属したボイスドラマヒロイン5人中4人分存在する。

五等分の花嫁

スマホゲームとしてごとぱずと呼ばれるゲーム配信されており、その他にコンシューマーゲームとしてADVが2作発売されている。コンシューマーゲームADVは好評のため3作目も決定していて、さらにごとぱずの1年目のストーリーをまとめたものコンシューマーゲームとして発売することが決定している。

メディア展開とは異なるが、ごとぱずが公式Discordサーバーを設置しておりそちらでもファン交流が活発。

その他には映画までのアニメノベライズしたものが5冊。各ヒロインキャラクターブックが5冊。フルカラー版のコミックス原作と同数出ている。

終わり方の良し悪し

ここまで貧乏ラブコメ3作品の辿ってきた軌跡を追った。どれも押しも押されもせぬ人気作品と言って良いだろう。

ただ連載中の売上やアニメ化に伴う売上の増加は終わり方の良し悪しとは関係がない。終わる前の話であるから作品面白さやアニメの出来に左右されるものである

では何が終わり方の良し悪しを決めるのかといえば、やはり完結後のメディア展開や語られ方、盛り上がりといった雰囲気から見る他ないだろう。なのでそういった観点から、全く違う完結を迎えた3作品の終わり方はどう評価されたのか見ていきたい。

かぐや様は告らせたい

※終わって間もないが、付き合った時点で終わるのがラブコメスタンダードのため付き合った後も続いた場合はどうかという視点で考える。

付き合った後も続けるのは蛇足と言われがちだが、かぐや様は付き合ってからも3年以上連載が続いていた。読者からの不評の声がなかったわけでは無いが、人気が落ちたようなことは見受けられなかったため大きな影響はなかったと判断して良いだろう。

付き合った後もアニメは人気で、実写映画化も果たした。かぐや様を語ったり考察したりするファン大勢いた。最終回を惜しむファンも数多くいて、作者のツイートには27万以上ものいいねがついた。

そもそもハーレムラブコメではない、ラブよりはコメよりの作風だった、というのもあったかもしれないが、付き合った後も続けるという手法が悪いと言えないことは明らかだろう。

ぼくたちは勉強ができない

今ぼく勉について語られるのはパラレルストーリーの是非がそのほとんどを占める。作品の内容自体が語られることは限りなく少ない。

読者が一番見たい主人公ヒロインが結ばれるところとそれまでの話に連続性がないのだから、それまでの話を語る意義がないため当然ではある。実際にパラレルストーリーが始まった後に更新を止めた考察感想ブログもあった。

パラレルストーリー発表後の連載中も作品の盛り下がりは顕著で、掲載順はぼく勉史上初の最下位を記録し、単行本も右肩下がりを続けた。最終回では作者が全感想リプライ返しをするという読者サービスをしていたにも関わらずトレンド入りを逃してしまった。

メディアミックスという点で見ても、ボイスドラマという低予算でできるであろうものすらヒロイン5人中4人で打ち切りと相成った。(作者に嫌われているから残り一人は出なかったのだという過激派散見されるが、おそらくさすがにそれはないだろう)

これはぼく勉のそれまでの実績から見れば異常と言ってよく、パラレルストーリーによって読者の熱と興味が失われた結果だろう。

発表当時は二次創作需要を取り込んだといわれていたが、むしろファン活動の土壌ごと壊してしまったという印象を受ける。

作品の内容が語られることはなくなり、ファンの熱意が冷め、メディアミックスも打ち切られる。

パラレルストーリーという終わり方は悪いと言って良いだろう。

五等分の花嫁

完結当時から結末に納得の行かないファンや終わり方が駆け足だったことへの批判は少なからずあったものの、同時に考察好きなファンが今までの描写を振り返って数々の伏線を見つけ出すなどファン交流は非常に活発だった。

完結後に配信、発売されたスマホゲームコンシューマーゲームもヒット続きで、グッズも出せば出すだけ完売するなどファンたちの熱量も衰えず映画の大ヒットへと繋がった。

完結してから2年以上経つ今でもファン同士の交流は活発であり、今も新規グッズが毎週のように発売されて完売している。新しいゲームも発売するなど今もコンテンツとして生き続けている。

原作が本筋だけを描いたために、脇道に当たる部分をゲームが補完している面もあるので一概にこれが正解だということは出来ないが、少なくとも主人公ヒロインが付き合って終了という終わり方が悪いと言えないことは明らかだろう。

ラブコメにおいてオーソドックスな終わり方だが、オーソドックスになったのには理由があったということがわかる。

まとめ

貧乏ラブコメ三国時代を彩った3作品はそれぞれ人気作であったが、終わり方によってその後の評価に大きな差が出てしまった。

五等分のようなスタンダードな終わらせ方も、かぐや様のような付き合った後も続けるやり方もそれぞれに良い面があるが、ぼく勉のようなイレギュラーは望まれていないと言って良いだろう。

貧乏ラブコメ三国時代は終わったものの、その後もカッコウの許嫁や甘神さんちの縁結びなど貧乏ラブコメの灯火は絶えることなく続いている。

貧乏主人公勉強などを通してヒロインと仲を深め、ヒロインはその人間性主人公を成長させる。王道類型であり、個人的にも好きな設定だ。今後ともこういった設定の漫画を読みたいと思う。

後に続く貧乏ラブコメたちもこれらの人気作たちの終わり方を参考にして、それぞれがより良い最終回を迎えることをいちファンとして期待している。

追記

主人公貧乏ラブコメサンデーだとハヤテが一つ前の時代を築いたのでは

それはそうだけどこの増田では同時期に争った三国志の話をしたので始皇帝の話を持ち出されても……(ハヤテが始祖という意味じゃないよ)

時代が違いすぎて受容のされ方もまた異なるだろうし、そもそも最後まで付いていった読者が減りすぎてるので比較対象には適さないかと思う。

ラブコメと言えばサンデーたけど食い込んでないの寂しいよね

似た設定のラブコメでどうだったかという趣旨比較なので。

すでに言われてるけど古見さんとか高木さんとかトニカクカワイイとか人気よね。最近も帝乃三姉妹あるし。

同じ時期のサンデーラブコメなら"古見さん"かな?メディア展開は最も遅かったけれどコメディ重視で群像劇風かつ未だ継続中。発行部数からいってもハブられる存在じゃないと思うんだけど。

只野くん貧乏じゃないし……

ニセコイ千葉のyさんが起こした奇跡についてもなんかコメントください。

大量投票を重ねたら他ファンも対抗してきて、泥試合になりそうになった最後最後投票では目先を変えてガラスの靴を贈ったのはスマートすぎて惚れる。

マリーの見合い相手になったのはまあマリファンじゃなかったか個人的には素直におめでとうなんだけど、マリファン的にはどうなんだろね。楽が嫌われてたかOKなんだろうか。

ニセコイ実写映画エキストラにも行ってたみたいで愛が深くて偉い。

anond:20221105085215

まずそうやって色々考えてることは、すごく好感度高いと思う

その中身を女性の前で口に出すべきかはともかく、考えたことって態度に出るから大事

下心を無くすには、下心ってなんだろう?なんでだめなんだろう?って自分なりに考えたらいいよ

そこで「これは良くないよね」って気づけた部分に関しては、やめようって思いやすいはず

逆に、そこが自分なりにわからないままだと付き合ってもコミュニケーションもできずにボロが出て終わる

もちろん人それぞれなんだけど、一般的に遊びでないきちんと恋愛をしたい女性自分が好感を持ってない男性からの下心(この女と絡みたいなあ以上の気持ち)は気分悪く思う

大して交流もないくせに見え見えの下心は、相手のことを知ろうともしない、女性を人として見ていない軽薄な奴だなと思う

自分女性と接するとき脳内言動が、男性と接するときとなにか違わないか考えてみるとイメージやすいと思う

全く同じでなくてもいいけれど、その差はなんで出ているんだろう

最後に、漫画キャラ女性にだけ優しい男とかいるけど、あれはよほど本人の中にポリシーがあるから成立してるのであって、異性との交流が下手な者は余計にキモくなるだけだから気をつけてね

2022-11-04

大阪ハコアムのオフ会へ二度と行くかと思った話

正直身バレしてもいいやと思って書きます

ここ数ヶ月以内にハコスタジアム大阪オフ会に参加しました。

わたしは最推しキャラAのコスをして参加しました。

そして、その日イベントMCさんが同じAのコスをしていました。

わたしは心からAが好きで「Aがいる〜!」って大喜びしてたんですが…たとえそのMCさんのウイッグの被り方がおかしくても、多分愛があってやってるわけじゃないんだろうなと一目瞭然でも、それでもAがいるのがうれしくて手をふってみたりしたのですが無視されました。(他の方には愛想良くニコニコしてらっしゃいましたのでわざとでしょうね)

そしてMCさんはAとよく組み合わせられるキャラIに対しては異常に近づいていたのでこの段階で「あ、この人は同担拒否なんだな」って気がついたんですが仕事としてそこにいる以上はオフ会がはじまれ大丈夫だろうと思っていたのですが…

マジでわたしの方は見ない。一切見ない。

ゲーム中にわたし名前が出たので手を上げたらあからさまに微妙な顔しましたよね。

それでもまだわたしにはAがいる嬉しさが残っていたのでやっとこっちを見たMCのAに手を振ったんですけど苦笑いしてましたよね。

ここで本当に近寄らない方がいいんだなと感じたので交流タイムでも距離を置いてました。

交流タイム中に同じグループ的なキャラを集めて集合写真撮りましょうと誘われたので行くと、もちろんMCのAがいるわけで…話しかけない訳にもいかないので先程までの「Aがいる〜」テンションをなんとか持ち直して接したのですがその時にMCさん、ウイッグをなおしながら「(わたし)さん見てここのぴょいんが出てないの思い出したんですよ」って言ったんですよね。

ツッコミどころはふたつ。

そのキャラが好きなら忘れるはずないんですよそれ…ほんと愛なんかないんだろうなって気がついてしまった事と、

オフ会中みなさんキャラ名前出呼んでたんですよ。でもMCさんわたしのことはAとは呼ばずコスネームで呼んだんです。自分のことは「Aです」って名乗るけどわたしの事はAとは認めてないって事ですよね…

うん、同担拒否なんだね。多分メジャーカプのI×Aは大好きなんだろうね…めっちゃアクティブにIに絡んでましたもんね。

同じ参加者であれば同担拒否の方は本人の意思なので距離を取ればいいだけなのですが。相手は司会進行するMCなんです。塩られてるのを感じながらずっとMCさんの話を聞くのは途中から苦痛しかなかったです。

わたしはこのオフ会に参加するのにハコアムの入場料とオフ会参加費で4500円払っています。この金額、決して安くないと思うんです。

あのMCさんはお金もらって仕事でやってるんですよね?仕事である以上これはどうかと思うのです。

わたしコスをはじめて8ヶ月ほどなのでいろんな同じジャンルレイヤーさんなお会いできるのを楽しみにしていました。実際楽しかったです。

でもこの人がMCを続ける限り行かないだろうと思います

ていうか二度と行くか。

2022-11-03

anond:20221103221417

はじめは1桁でも感謝感激する

次第に2桁つかないと数字が気になって仕方なくなる

3桁つき始めると周りの4桁台が気になってイライラし始める

←この辺りでは通知ONにして通知が来るたびににやにやす

4桁台に突入(1000〜3000くらいか?)するとFFからコメがつき始めて1桁の頃の感動が再来。RT先を巡回する

4桁後半になると通知がウザくて通知FF内のみに変える。知らない人から引用RTもくる。アンチも現れクソリプもくる

5桁〜 絵をぽいと載せておわり。雑談交流は鍵垢でやる。絵師日常人間性が見えることで逆にいいねRTが減る現象が起こる

anond:20221103194019

なんで文化交流がうまくいってるからといって政治問題までカバーできると思ってるの?

たとえ1割でも反日嫌韓が双方の国に残ってれば暴れまわって影響力を行使できるのが政治じゃん

若い世代が年を経て反日嫌韓も引き継いで行くんだよ

もし変えたければ政治問題で落とし所を作るしかないけど過剰な否定か過剰な妥協かを双方に求めるバカ勢力がいるんだからできないじゃん

父親とのコミュニケーションが成立しない

身内の愚痴

父とのコミュニケーションはいつも父から一方的説教に終始する。

以前は納得がいかないとき意見をしていたがそれが聞き入れられないと分かったときこちらの意志相手に伝えることを諦めた。

諦めてからこちらは一言言葉を発さないようにしている。

それでも父は説教に終始する。

廊下でのすれ違いざま、食事中、こちらへの説教が話の内容すべてを占めている。

そしてその説教こちらの心を打つことはない。

振り返ると以前は自分他人とのコミュニケーションは何かへの批判説教に終始していた。

実家を離れ時間が経ち、相手感情や考えを踏まえた会話をするよう心掛けるようになった。

そう心掛けるようになったのは、人間関係が変わり父などの家族以外との人間コミュニケーションをとるようになったのが原因だと思っている。

いまでもたまに説教のクセが出そうになるので気を付けている。

時と場に応じて人を喜ばせたり楽しませるコミュニケーションができるのが自分理想だ。

(自分は何か学びや利益を得ようとしたり疑問を納得・理解しようとするようなコミュニケーションをしてしまう。相手はそんな会話を欲していないタイミングもあると思う。)

それから実家に戻ったが、やはり父のコミュニケーションは変わっていなかった。

正確には実家に戻ってから父のコミュニケーション一方的であることを認識した。

これは様々な人と交流することで得られた気付きだと思う。実家を出て良かったことの一つだと思う。

兄弟実家には戻っていない。分からなかった戻ってこない理由ひとつが分かったような気がする。

父の一方的コミュニケーションは父自身幸せにしているのだろうか。

自分が父の説教を受けてその理想像を実現するのは難しい。

もちろん尻を叩いてもらっているありがたみの側面もあると思う。

双方向コミュニケーションができるようになる時が来ることを信じて生きる。

anond:20221103134034

まあアピールだけ取っても、例えばデスクマイメロを置いてる人がいたとしたら

マイメロ好きなんですか?私もです〜」って会話が発生するかもしれんし、何処か行った時のお土産マイメロお菓子かにしてくれる人が出るかもしれんし、横で(デスクになんか置いてる…キショ…こいつはあかんわ…)って思ってるお前とは一切関係くそいつら同士の交流が生まれるんだから

輪に入れない奴は転職してね

Twitter Blueプライシング茶番に感じる1ユーザー蚊帳の外

10年くらい毎日見ているし、毎日ある程度のRTつぶやきを行いながら、特別増やそうとも減らそうともせず、1000人程度のフォロー/TwitterフォロワーTwitterを利用している。

Twitter Blueプライシング茶番を遠目で見ていて海外の状況はわからんが、Twitter経営移管によって日本のある程度ヘビーなユーザーが感じている問題が、解消されるかどうかは疑問に思っている。

日本のある程度ヘビーなユーザーが金払ってでも得たい機能って

あたりだと思っている。(そもそも、現時点で日本Twitter Blueって提供されてないけど)

タイムラインの表示上限は仕様として十分把握できていないが、最近は明らかに表示されないフォロワーツイートのほうが多いと感じている。

直近で交流を持っていないフォロワーの近況を把握したくてホームに行ってみると、明らかにタイムラインに表示されていないツイート存在している。この経験は一度や二度というレベルではなく、かなりの頻度で経験している。

最近プロモーションフォローボタンを表示する機能が追加されたが、このような条件の中でそのボタンを押すか?ただでさえ表示されていないフォロワーツイートもっと表示されなくなるかもしれないのに?私は少し面白いものや関心のある企業アカウントプロモーションであろうとも、この機能で表示されたボタンを押す気にはなれない。

そもそも、見たいのはフォロワーツイートであり、それを寸断して執拗に高頻度で一番目立つ位置に表示されるプロモーションを見て何かを買いたいと思うことなんかない。

そもそもTwitterがここまでの場所になれたのは匿名でゆるい交流が出来た場所からだと思っている。薄い交流度合いのフォロワーと繋がっている感覚が得られるのが優位性だったと思っているし、Twitterでよく交流するような人とはディスコードか何かで交流すれば良い。(実際いくつかのサーバーを建ったり建てたりしている)もともと関心のあるユーザー発言を見るだけの場所ならば、Facebook的なものが半匿名で利用できればいいだけであり、Twitterというサービスポテンシャルもっと高いところにあったと思っている。

シャドウバンの方は、スパムとか捨て垢での罵詈雑言とか見てるとしょうがない部分もあるのかもしれないが、今後金払ってやられてたら流石にキレていいやつだと思う。

この辺の話って基本的には機能が期待通りに動いてほしいってレベルの話だと思うし、何年も前から少なかぬ人々が思っていることだと思う。

まあ、俺やその近隣がそう思い込んでいるだけの可能性もあるが。

Twitterヘルプセンターにはお問い合わせフォーム機能改善要望を受け付けるような窓口がろくにないし、特に求めていない機能ばかりが追加されるし、むしろ今でもよく人が居ついているもんだとは思う。

逆にこの辺の問題が緩和される有料プランが出てくるなら興味があるが、イーロンマスクの動向見るに、本国でのTwitterの使われ方は違うみたいだし、ゆるい交流ツールとしての幻想を捨てきれない自分のようなユーザーの居場所がある世界なのかは疑問だ。

そんなことを思いながら、なかなか人口流入とかの問題マストドン界隈も栄えてないし、ほかに代替が無いという理由だけで文句言いながら惰性でTwitterを使い続けている。

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