はてなキーワード: 青年とは
セイバー…この物語の舞台は彼女のためにある。彼女は救われた。彼女は誰かを守った。彼女は世界を救った。そうして彼女は恋をして、夢を見て、夢から醒めて、いつかまた夢の野に降り立つ。はたまたそこは遠いどこかの現実か。
遠坂凛…聖杯戦争が始まるより前の衛宮士郎の人生において彼女こそがヒロインだった。送れてきた正ヒロイン。幼馴染属性に似ているような立ち位置。彼女がいなければ物語は始まる前に終わっていた。彼女はメインヒロインである。物語が始まる前までは間違いなく。
間桐桜…正義の味方というシステムに乗っ取られ剣の化身として生きまいとした衛宮士郎を人間へと戻した少女。王女のキスは井戸の中の蛙となった王子を救う。水至清即無レ魚、正義の夢は呪いの沼地、そこから引き上げられたエミヤシロウこそがヒロインなりや。
アーチャー…言わずもがなである。夢に呪われし衛宮士郎の成れの果て。救いたるは、恋した乙女の思い出と、かつての自分のひたむきさ。己を信じたゆえに己を呪った。今更引き返せぬ道で救いを得るなら、己を再び信じる事のみ。それを実現した彼もまたヒロインである。
言峰綺礼…君の願いはようやく叶う。それを向けた先は果たして目の前の少年のみか。かつての宿敵、その宿敵に今なお囚われる執着そのもの、それらにもまた向けられていよう。正義の味方が求めるは絶対の悪。ならばその反対もまた求めたるは絶対の正義。衛宮士郎を誰より長く恋がれたのはこの男なのでは。
イリヤ…お姉ちゃん属性イリヤと妹属性イリヤのどっちもかわいいのでどう考えてもメインヒロインです。
衛宮士郎…救われるのがヒロインならば彼こそがヒロインだ。正義を共有する盟友、未来を共有する強敵、敵意を共有する宿敵、正義の味方としてこれ以上無く恵まれた時を数々のルートで過ごした。そうして辿り着いた道は、正義の味方という呪いを解き平和な世界をありのままに愛せるようになった自分自身。彼の進むありとあらゆる道が、ありとあらゆる者たちによって肯定された。どう進んでもいいのだ。衛宮士郎であることを裏切らぬ限りは。
衛宮切嗣…正義の味方として生きる道の果てに救いがあることが証明された。彼の望みはようやく叶った。世界の平和を願った結果、自分の生きた道すら蔑んだ過去、それを救った最後の言葉は嘘偽りのない真実となった。それが本当に救いであればいいと願った気持ちは、本当の救いとなって形となった。彼は世界を救った。彼は少年を救った。誰かを救いたいという思いによって、確かに1人の少年は救われた。彼の意思を引き継ぎ、少年はまっすぐ逞しく正しく、そして幸福な青年となった。彼は確かに誰かを救った。これこそが救いである。彼こそが真のメインヒロインである。
一行目に書いたとおりです。
入学してすぐ出会って3年間も付き合った同学部の彼女と先週別れた。
曰く、彼女が春休みに2週間実家に帰って地元の友達と遊んだら、その人たちがあまりにも自由に・正直に生きてることに感銘を受けたからだそうだ。
彼女とは付き合いはじめた頃から同居(というか俺が彼女の家に居候)していた。
同居してると恋人が常に横にいるから相手が何をしてるかすぐわかる。
俺はそれに慣れすぎてしまい、また、「好き」が過ぎて、彼女を段々と束縛していくようになってしまっていったんだ。
例えば、彼女の帰りが遅ければすぐLINEで安否状況を聞く、とか。
「安否状況」なんて言ってるけど、心の奥では浮気してほしくなかっただけだよ。
あと逆に、サークルの仕事が忙しかったら、彼女が部屋にいて話しかけてくれても雑に返す、とか。
そうなるとさ、彼女ってあまり話したがらなくなったり、嘘ついたりするようになるんだよね。
この「自分では歩み寄らないけど相手を束縛する」って今考えればクソ人間のすることで、彼女もそれに気付いて何度か指摘してくれていた。
でも俺は彼女の悲鳴の深刻さに気付かなくて、自分をちょっとだけ変えては、また元に戻ったりしてた。
根が面倒くさがりなのもあるね。
それで、サークルの上位職が代替わりして、俺は3月は暇になった。
その時に、昔から仲良かったオタク友達に彼女できたって話を耳にした。
陰キャのあいつにか??って思って本人に連絡してみたんだよ。
俺が驚いたのは、LINEの頻度の低さと、デートの頻度の高さ。
今まで俺は自分の彼女になんてとんでもないことをしてしまっていたんだ、って、本能を頼りに山の上に登った青年がツァラトゥストラの稲妻に打たれたような衝撃を受けたよ。
俺は彼女がいない日はほぼ毎日LINE送ってたし、デートなんか去年の秋にディズニーに行って以降どこにも行ってない。
普通のカップルはこんな感じなのか、ほんわかしてていいな、って思ったよ。
しかも俺には同居ってアドバンテージがあって、日々一緒にいる時間(朝やごはんや睡眠時間)があるのに、俺はなぜここまで彼女を束縛するのかと。
俺は猛反省して、彼女が帰省から帰ってきたらもう執拗なLINEは送らないことを決意し、また、デートプランを練った。
そして、今まで行った旅行の写真や、一眼レフで上手く撮れた彼女の写真を印刷して写真立てに飾った。彼女を大切にするしるしとしてね。
学校がなく彼女もいない期間の2週間って長くて、日々虚無をして過ごしてたんだ。
そういうところからも、普段いてくれる彼女の大切さがわかったんだよ。
2週間後、彼女が帰ってきた。
そこで、彼女から「あのね、別れてほしいの。これからは友だちになろう」……。
その時は頭が空っぽになったよ。今もだけど。
俺はもちろん反対して、本当に反省してるんだと伝えたが、彼女は「しばらく一人にしてほしい」と。
どうしても論破できなかったので、その日は諦めた。
次の日に彼女の部屋にもう一度お願いをしにいった。
……。土下座して伝えたが、断られた。
「これからは私のために稼いで、私のために生きるの」
「慈悲でまた付き合ったところで、私はもう俺くんのこと好きじゃないし」
表情と声の調子が重かった。
長くなったが、こういうことで別れたんだ。
おまえらは彼女がいくら好きでも独占しようとせず、適切な距離を取り、それがちゃんと彼女の要求にマッチしてるか、3日に1回くらいは確認するんだぞ。
友だちか。
短い期間ではあったが彼女と俺は友だちだった。
そこからどうやって恋人の関係に持っていけたかというと、奇跡みたいな話なんだが
1. 学部の新歓1で会ってお互いにややツイ廃なことで気が合う
4. 俺が元カノとの関係を相談したら「合わないと思うなら関わらなければいいじゃん!自由に生きるべきだよ!八方美人はもたないよ!」って言ってくれてインスピレーションを受ける
昔は「出会ったのって奇跡みたいだよね」って言ったら泣いて喜んでくれたのに、今回の彼女にこれを伝えても「だからなに?思い出は思い出だよ?」。
それでな、別れた後に学部の自由スペースを通りがかったら、彼女が違う男の人と死ぬほど楽しそうに話してるわけよ。
あの笑顔は、彼女と出会ったばかりの頃と、学園祭を完遂させられた時と、旅行に行った時と、ディズニーに行った時と、そのくらいしか見たことない。
つまり恋してる目なんだよな。
気になって聞いてたらね、その男の人はファッションに凝ってて、しかも高校は地理選択で、彼女と趣味が完全に一致していた。
おまけにトークが死ぬほど上手いのよ。しかも真面目そうな見た目で。
…… 彼女と付き合ってた頃、お互いの好きなところがお互いによくわかってなかった。
彼女とのカップル成立は、高校からの開放感から来る「自由」への渇望と、入学したてのノリと、学園祭という共通の大きな目標があったからこそ成立したと、今では思う。
だって今だったらさ、俺は「合う人と付き合いたい」じゃなくて「直前まで付き合ってた彼女と縒りを戻したい」だし、手段が目的化してる。
自分を変えても縒りを戻したいってことだし、全然自由じゃない。
俺が趣味を合わせるか?これも彼女は自由意志じゃないと、結論ありきだとして、認めてくれないだろう。
しかもな、イケメンで話がうまくて趣味が完全一致 な人が、たとえ彼女持ちだとしてもさ、そんな崇高な人を一度でも見てしまったらさ、
たとえ彼女がまた俺の元に帰ってきてくれたとしても、彼女は「俺くんはこの程度だけど十分か」、俺は「俺はこの程度にしかなれないけど十分か」って、お互いに妥協するしかないじゃんか。
いやでも、これに関しては、恋は盲目だし、付き合えばなんとかなるかもしれないが、でも付き合うのが成功しなさそうだなっていうのは上で述べてる。
新しい出会い…?おれのサークル女子いねえよ。4年から別サークルは入るのも気まずすぎるだろ。
後悔先に立たずとは言うが、意識してないおまえら多いんじゃないか?
繰り返すが、おまえらは彼女がいくら好きでも独占しようとせず、適切な距離を取り、それがちゃんと彼女の要求にマッチしてるか、3日に1回くらいは確認するんだぞ。
おれはね、アルバイトするのも、おしゃれするのも、料理するのも、部屋を片付けるのも、すべて彼女のためにやってきた、彼女がいたからこそできたことだと思うんだ。
その生きるモチベーションをだよ、自分の怠慢によって失い、しかもそれを深く反省したのに、もう彼女には反省を活かすことができない。
ところでこういう話があります: https://twitter.com/_KEN_ZEN_/status/977716389011075072
Werthers
ここまで筆者の属性を書いていなかったが、自分はラブライバー兼ガルパンおじさんで、最近はリズと青い鳥やヤマノススメ3期を待ちわびている、キモカネおっさんの中では結構残念な部類に入ると思う。
そんな自分にとって2018冬アニメの一押しは、ゆるキャン△と宇宙よりも遠い場所の2枚看板に無事収まった。
タイトル通りだが、前者を静とするなら、後者を動と言っていい、どちらも極上過ぎるエンターテインメントだった。
親エントリは両方を3話まで見た時点で「尊い」と書いたが、これは撤回させてもらう。
全話完走して、両者はそんな形容じゃ済まない、まさに神々しい作品というのが結論である。
というか、この2作品にポプテピピックを合わせて、少々気が早いかもしれないが、平成の最後を飾る名作が出揃い始めた、そんな気分になっている今日このごろ。
ちなみに平成を代表するアニメはエヴァでほぼ確定かな?別にセーラームーンでもプリキュアでもいいけど。
そんな台詞をつぶやく「ゆるキャン△おじさん」が出てきても全く驚くに値しない。ゆるキャン△はそれくらい「美味しい」アニメだった。
前にも書いたが、冬キャンプなんてどう考えてもゆるさの対極にありそうなネタで、ここまでゆるく、そして趣味が良い内容に作り上げるだけでも驚嘆モノである。
その上で、
「どちらかがアクションを起こさなければ何も進展しないが、同時に双方の等価交換で収まるくらいに留めるべき」
というコミュニケーションの原則を決して崩さない中で、登場人物たちが仲良くなっていく過程が、見ていてここまで面白く、かつ最高に優しい時間になるとは知らなかった。
筆者は原作未読だが、聞けば原作とアニメオリジナル部分が超シームレスにシンクロしていて、原作クラスタの諸兄も大満足なのだとか。
何よりもまず原作ファンを最も大事にする姿勢は素晴らしいし、それが当たり前になって欲しい。
その原作について、2期を作るにはストックが足りないというファンの見立てが正しいなら、いっそガルパン形式(劇場版+OVA)にしてみてはどうだろう。
というか、そんな事を思ってしまうくらい、これからもずっとこの5人の時間を見ていたい。
全話神回という、恐らくは前人未到の記録を打ち立てた大傑作、それが宇宙よりも遠い場所という作品だった。
未見の人はニコ動に課金するなり、来月以降BS11での再放送なりで是非見て欲しい。絶対にがっかりさせないことを約束する。
南極をテーマにしつつ、描かれる内容は結構日常的なのに、まさしく「青春はジェットコースター」という、爽やかなアツさを見る人に否応なく植え付けてくるのが素晴らしい。
「青年は荒野をめざす」という言葉があるが、それを現代に体現しているのかもしれない。
そして「旅」を意識する限り、青春は若者だけのものではないという意味合いもあるのかなーと思わされた。
更に本作品で描かれる旅の根幹は、宮沢賢治の名作「銀河鉄道の夜」に通じる要素を感じたり。
そんなこんなで、とにかく最終話の最後のカットまで文字通り全く見逃せない。本当に寸分のスキもなく面白く、更にその面白さを超える感動をもたらしてくれた。
その感動は、今や制作陣への感謝の気持ちとなって胸にあふれている。
それにしても今冬は寒かった。
子連れで歩いてるとコープデリの営業さんにキャッチされることがある。
その日は冬でめちゃくちゃ寒くて、しかも保健所のミスでだいぶ待たされて、夫婦ともども疲労困憊。
「1秒でも早く休みたい!」
もう帰りたいから切り上げようとするが、それでも話を続ける営業さん。
こんな寒い中で足止めしないでくれよーと、この時点でコープデリ自体に悪い印象を持ってしまった。
「良かったらこれどうぞ」
と、超積極的。
住所を教えるのに抵抗があってやんわり断ったら、あからさまにガッカリな顔をする青年。
なんか傷ついたみたいな顔をされてしまった。
道端で話しかけてきて、話し始めるとすごく食い下がるんだよな。
ノルマでもあるの?
○名前
ニック・ラモス
デッドラジング3
○デザイン
そのため、ツナギを着ていて中々似合っているので、珍しく着せ替えはあまりさせなかった。
デッドライジングシリーズの主人公だけあって、落ちているものをなんでも拾って武器にするのですが、
ニックはそれに加えて、それらを「その場で」コンボ武器にしちゃいます。
前作では、コンボ武器を作るところまで運ばないとダメだったので、すごい進歩。
さらに特徴的なのが、レベルを上げて行くと、アイテムの種類が大体同じなら、自由にコンボ武器ができちゃうところ。
例えば、大ハンマーとバッテリーを組み合わせた「電動クラッシャー」という武器は、ハンマー部分が強いだけでなく、電気を纏って周りのゾンビにビリビリを伝染させて一気に殺せるという超強い武器なんですが、
これが鈍器と電化製品の組み合わせならなんでもありになっちゃうんです。
これによって、落ちているアイテムを適当に組み合わせて適当に作ったコンボ武器で適当に戦うっていう、アドリブ性が非常に高い爽快なゲームになって、超楽しかった。
上で書いたいつでもコンボ武器の中にも例外があって、それがこのメカドラゴンスペシャルなどのスーパーコンボ武器。
これらは、種類が同じ他のアイテムでは代用できないため、これで指定されたアイテムでないとコンボできない。
その中でも、この「メカドラゴンスペシャル」は、空は飛ぶは火は吐くわで、もうメチャクチャなゲームを象徴するにふさわしいめちゃくちゃな武器だった。
のわりに、一つのエリアで必要なアイテムが全て揃うため、ボスの前などはよくそこに立ち寄ってこれを作っていた。
○名台詞
「一緒にするな」
レッドに「俺は一匹狼だ お前と同じくな」と言われた際の反論の言葉。
ニックは孤児で家族がいないため、そういう意味では同じなのだけれども、それを一緒にするなと言い切る胆力はまさにデッドライジングシリーズの主人公にふさわしい格好いいセリフ。
このアウトブレイクを通じて知り合った仲間や恋人がいる、という意味も勿論あるのだろう。
ただ、それにしてもこのシリーズの苦しくて物悲しいところが、これらの事件の根本にはカリートのアメリカ社会への復讐というお題目があることだ。
そして、その復讐へと駆り立てた気持ちもまた、家族や仲間への愛情だったわけで。
そういう意味で、ある種カリートと血は繋がってないもののゾンビウィルスの抗体という形で繋がっているニックに家族や仲間と呼べる人ができたことは当然喜ばしいことなのだけれど、同じぐらい、その道の先にある終わらない復讐の連鎖を感じてしまう。
なぜなら、この象徴的なゾンビウィルスへの抗体を発見しようと今回のアウトブレイクを企てたのは、1からのヒロインであるカリートの妹、イザベラだからだ。
以前知り合った男性が、某少年漫画が大好きだと言っていて、熱く語っていた。自分も知ってる漫画だったから楽しく聞いてた。後日、その漫画の作者が女性だと知ったらしく、途端にその漫画のダメ出しを始めた。その漫画家が女性であることは私でも知ってることだったから、当然知ってるものとばかり思ってた。まあ、知らなくても別に構わないんだけども。
何故漫画家の性別が女性だと分かった途端にいきなりダメ出しするのかが理解出来なかった。この辺の描き方とか女性っぽいと思ってたんだよ、みたいに言われたけど、前回お話しした時男のロマンだって言ってませんでしたっけ?
某少年漫画原作のアニメを観た別の男性が、面白かったけど作者絶対女だと思う。女性臭かった。男だったらもっと面白かったはず。と言っていた。
漫画家の性別ってそんなに気になるものなのかね?別に女性作家が少年漫画描こうが男性作家が少女漫画描こうが面白ければそれでいいのに、って思ってるから、男の人ってそんなに女性作家が少年漫画描くの嫌いなのか、って衝撃だった。
少年少女青年レディコミBL百合とジャンル問わずそこそこ色んな漫画読むけど、私は作家の性別とか気にしたことがなかったから余計に。
少女漫画も面白いから苦手意識なく読んでもらえたらいいのにな〜って思ってたけど、とても言い出せなかった。
別に、好き嫌いとか合う合わないはあって当然だけど、作者が女性だと分かった途端読むのやめたりダメ出ししたりするのは何なんだろう?
やっぱり自分には異性の作家は合わないから読まないようにしよう、で解決するのでは?
でも不思議なことに、今まで出会った作家の性別に拘る男性陣全員が「高橋留美子は別」って言うのは笑った。何でそこだけ特別扱いなんだよ。CLAMPもまあ許すっていう上から目線の人も複数いたけど何様なんだろうか。
イザナミの女神が先に「ほんとうにりつぱな青年ですね」といわれ、その後でイザナギの命が「ほんとうに美しいお孃さんですね」といわれました。それぞれ言い終つてから、その女神に「女が先に言つたのはよくない」とおつしやいましたが、しかし結婚をして、これによつて御子水蛭子をお生みになりました。この子はアシの船に乘せて流してしまいました。
小説家になろうにたくさんあるから!みんな読もうぜ女性主人公モノ!おっさんたちもみんな読もう!なかまになってよ!
ちょっと違うなと思ってもムーンライトノベルズにだいたいあるし!
なお女性開放する系統のフェミニストはワイルドなヒーローに無理やり幸せにされる系統の作品で地雷を踏み、実は家父長制大好きなラディフェミは自立した開放的な女主人公の作品で地雷を踏むであろう。
もっとリアル地球っぽく?ハーレクインのヒストリカルなやつ読もうぜ。カリフ!大航海時代!ジェントリが闊歩するロンドン!
もっと現代ぽく?やっぱハーレクイン読もうぜ!ギリシャの海運王!まだ王政の残る欧州の小国で出会った謎めいた青年!アラブのビジネスマン実は王子!アメリカンドリーム!南北戦争の前からの家柄!現代に生きるカウボーイ(牧場経営者やんけ)!
これを持ってる男は凄く多い。女にも高すぎる事をコンプレックスと思う人が居るが、比では無い。
身長コンプは凄く多い。ネットのような言い捨てが出来る場だとそれが特に顕著である。
例えばある例として
「180cm位はあるロシア人くらいのデカいおっさんに絡まれてなぁ」
という発言が出たとする。ベターなリアクションとしては「こわいね」等の共感だとか、その人物に対する対抗策だが書き記される事が多いが
「ほーん。俺と同じくらいやなぁ」という反応が見られる。
これは自分語り族として、一番に数が多い人種である。大柄である程度逸脱している人種に対する対抗心で
青年期に見られるマウンティングに非常に酷似している。他人が会話している時に聞いていないのに自分の武勇伝を語るような人種である。
また別の例として
172cmの成人男性が居たとする。平均値としては極めて信頼できる実績の元からなる数値であり
高くも低くもない。20~40才くらいの世代としてはフツーの背丈である。
それに対して「小せぇ!」と言う人が居る。
平均値から算出するに、その発言は観測者個人の主観であり 全体を通して見た人種としての発言ではない。
ソレを総意かのように主語を大きくして発言する人が居る。彼らは日本人の平均身長がオランダ人並かのような発言を繰り返す事が多い。
ちなみに平均値のピークは10年以上前の話で、現代の身長平均値は減少傾向にある。(今時の若者は大きい。は現在においては勘違い)
理路整然と突っ込んでも「俺は180cmやけど都会だと埋もれるデェ!」みたいな返事が返ってくる。眼球が口の横に着いていると計算が合うのでこれ以上は触れられない。
チン長はというと、多少事情が複雑になってくる。
チン長の平均値はソース元が不明瞭でイマイチ正しい平均値が測れないのである。(せいぜい10cm以下は小さいだろうし、18cm以上は大き目だろうか?これも目算でしかない)
チン長は身長に比べると更に不毛で、AVのスレや雑談スレなんかでゲリラ的に発生する事が多い。
「コイツちんこ小せぇなぁ」「普通だろう」「15cmだって!ワイは20cmや!小せぇなぁ!」「黒人のがでかいぞ」etc...
平均値が定かではない上、国家間での格差が身長以上に広く、かつ体格からの想定もし辛い為非常にカオスな事となる。不毛極まりない。
これらは小さき者のみが抱えているものではない、大きい者も独自の拗らせをしていて
電車は混んでいなく、立っている人も少ない状況。
私は外の景色を見つつ、ドア横の手すり側に立っていた。
※ ドア横に手すり+1人分の謎空間があり、すっぽりハマれるので邪魔にはならない
「邪魔なんだよクソ」と言われた。ババアの肩が私の腕とバッグにゴリゴリ当たった。
乗り込んだ後、優先席にドカッと座った。
「他の座席も余裕で空いている」し「すいている」のに何急いでいるんだコイツ。
※何度も言うけど、私は手すり側からはみ出していないし、普通ぶつからない。
ドアが全開したとしても私は見えない位置に居る
あーぁ、朝からクソババアにタックルされたわ最悪…と思っていたんだけど
ドアの6割くらいを塞いでいた。
ババアは降りる駅に気づかなかったのか、慌てて降りようとして
変な体制になりながらアワアワ降りてった。泡のように消えてほしい、ホントに。
ここ数年のラノベは昔よりも酷いくらいに年齢の低い女の子を出演させて媚びていると思える。
読み手の年齢を下げるのは構わないが、別に登場人物の年齢を下げる必要はない。
別に女の子を出す必要はない。挿絵にすると当然のように媚びた絵になる。
そうしないと誰にも読まれないような魅力のない作品しか作れないのかと思える。
男にしたら人気が出ないというのであれば、それはやはり魅力のないテキストなんだろう。
少女を登場人物にする事がきっかけでテキストに作品にハマることも可能性はある。
しかし、媚びることからしかきっかけをつかめないというのは作家としては一流とは言えないのではないだろうか。
下手をすれば二流にすらなれない。
いくら少女が登場するからといってもテキストだけでは興味を惹かれない。
挿絵があって始めて興味をもたれるのだ。
挿絵がなければ興味の対象にすらならないが、挿絵があれば少女で目に止まってもらえるというのは、なんとも情けない話だ。
当然の事だが、媚びないラノベもある。
そういうラノベというのは、なかなか見つからないが年相応の登場人物で話が作られているので面白い。
じゃあそういう作品には、媚びている少女はいないのか?というとそうでもない。
脇役に近い、それほど活躍もしない程度でマスコット的な少女は登場する。
それじゃやっぱり媚びているだろと考える人もいるだろう。
冒頭から媚び媚びした低年齢の少女が登場した挙げ句、帯にその少女に注目させるようなキャッチがはいっているのと、
途中から登場して、読まなければ登場するのさえわからないような役どころでは全然違う。
作品の主役なんだから仕方ないだろと意見を言う人もいるだろう。
最初に書いたが、なぜ少女じゃないといけないのか?問題はただそれだけだ。
別に少女を登場させる必要はない。男だっていいのだ。低年齢じゃなくても良いのだ。
だが、ここ数年は特にひどい。何かと年齢が低かったり、幼い顔立ちで豊満な身体付きをしている少女だったりと、そういうものばかりなのだ。
そうしないと売れないのかもしれない。と、いうか読み手側がそういうものじゃないと興味を持たない輩が増えすぎているのも問題なのだ。
媚びる所は作家に問題があるが、そのようなものじゃないと読まない読み手側にも大いに問題はある。
どいつもこいつもコミュニケーションが欠けているからリアルでは女の子と会話もできないんじゃないか?と思う。
作品の中の少女は裏切らないがリアルでは裏切られるし理想もへったくれもない。
だから、そういう少女が登場しないとノベルもろくに読めないのではないかと。
仮に少女が冒頭から登場している作品が全部男に置き換えられたら、一体どのくらいの人がラノベに夢中になれるだろうか?
半分もいないんじゃないかと考えられる。
最近Twitterの創作界隈で #魔女集会で会いましょう というタグが流行している。やたら流れてくるのでTL上で一度や二度はタグを見たことがある方もいるだろう。
これら#魔女集会で会いましょう タグの付いた作品は、Twitter上で1作品概ね1〜4枚の画像としてアップロードされている。大まかなストーリーは、どの絵師が描いたかに関わらず「魔女が人間の男の子を拾い、育てる。時は流れ、育った男の子は魔女のナイト的な役割を担う」という感じである。
もちろん異なる絵師が各々作品を作っているのだから多少の違いはあるが、大体そんなところである。
これらの作品に対して、わかり手(@anbakurakoya)氏が非常に痛快な批判をしていたのでまずは紹介したい。毒親に育てられた身としては、「ああ、わかり手さんは毒親(母親側)問題について理解があるんだな」ということがよく伝わってくる。しかし、わかり手氏の批判はツイッター界隈の老害化の象徴であるかのようにも見える(これについては後述)
まずはわかり手氏の良さを伝えることからはじめよう
魔女集会タグからダダ漏れてる「彼氏みたいな息子が欲しい♡」という欲望、それリアルでやると毒親まっしぐらコースなんでマジで気をつけてな…。
「彼氏みたいな息子が欲しい」という願望を持つ母親(毒親の一種)が一部にいて、とんでもないことになっているのは経験上よく分かる。また、毒親が自分のキモさについて自覚的でないというのも共感できる。
さらに、下記のように「リアルと創作を区別しろ」と仰っているのも非常に納得が行く。
自己擁護の事例としてはこういうのね。いやその関係性が「幸せ」じゃねぇだろ、リアルでやったら毒親まっしぐらだろって話をしてるんだけど、どうも「虚構と現実の区別」とか言いつつ全く区別がついてないっぽくて怖いんだよね。
リアルと創作というのは別のものであり、明確に区別を付けるべきだという意見は全くその通りだと思う。
で、ここで立ち止まって考えてみよう、 #魔女集会で会いましょう タグとはそもそも一体なんなのか??#魔女集会で会いましょう タグを叩いたり援護したりしている人は当然趣旨をある程度は理解していると推測されるが、念の為確認してみよう。
このタグは九頭さん@coneshait という方が最初に始めたタグで、元ツイは以下のようである。
https://matome.naver.jp/odai/2151839444121733201
#魔女集会で会いましょう このタグで、『魔女が拾った男の子が成長して、魔女よりでかくなって(ごつくてむさくてがっしりしてて)魔女を全力で愛して守る男になる話』の絵を描きますので、誰か描きたい方いらっしゃればこのタグつけて好き勝手に…
ここに絵師が集まって、沢山の作品が投稿された模様である。2日後や3日後の「どんな設定盛っても構わん」という追加の発言もあるものの、多くの創作が1レス目のお題に沿った『魔女が拾った男の子が成長して、魔女よりでかくなって(ごつくてむさくてがっしりしてて)魔女を全力で愛して守る男になる話』というリファレンスに沿った内容となっているようである。
なぜこういったタグが流行るのかと考えると、絵師が「お題」に餓えているか、流行に乗っておいて自分の絵を少しでも見てほしいと思うからなのではないか。
絵を描く力と、ストーリーを考える力というのは全く別物である。一枚絵の画力はあるがストーリーはあんまり思いつかないというような絵師がこういったタグに飛びつくのも合理的だと思う。魔女と青年を絵にしたら映えそうだし。
ではここでわかり手氏の発言の話に戻ると、 #魔女集会で会いましょう タグに群がっている人に「毒親願望」があるのだろうか?これはTwitter上の流れを見た私の推測だが、タグに群がる人々の多くは毒親願望を持っておらず、「魔女とかショタとかのかっこいい絵を描いたり見たりしたかった」という程度の意思しかなかったのだと思う。
ここでもう一度わかり手(@anbakurakoya)氏のツイートを引用する。
魔女集会タグからダダ漏れてる「彼氏みたいな息子が欲しい♡」という欲望、それリアルでやると毒親まっしぐらコースなんでマジで気をつけてな…。
果たして、「魔女集会タグからダダ漏れてる「彼氏みたいな息子が欲しい♡」という欲望」なんてあったんだろうか?お題なんて記号にすぎず、毒親願望なんて多くの人が持ちあわせていなかったところにわかり手氏が「彼氏みたいな息子が欲しい♡という欲望」なるありもしない概念をいきなり持ち込んでしまったのではないかと私は考察する。
同時に、わかり手氏のこのツイートについても的外れであると思う
私がこのツイートを的外れであると思う理由は「ストーリーを考える手間を極力省き、決まったお題で絵を描く遊び」をしているところに「ストーリー考えろ!」と言うのは、ナンセンスだからである。
毒親についてであっても、そうでないことであっても、自分の意見を貫き通せるのは素晴らしいことである。また、経験則から色々なことを語るのは、後の世代にとって有益となる可能性が大いにある。
だがしかし考えてほしい。刑事モノのドラマを見て雑な気持ちで楽しんでいるときに「本物の刑事はこんなんではなくてだな...これは、現実に全く則していなくて...」とやたら絡んでくるオッサンがいたら「老害キモっ」と思わないだろうか?
わかり手氏はまさにその老害の絡み方をしていないだろうか?
Twitterの特性上、TLに流れてくるのは基本的にはフォローしている人達の意見である。しかしフォローしている人の意見なんて小さな部分集合に過ぎない。フォロー外にはフォロー外の世界があり、当然自分より若い人達だっているし、そこにはそこの掟がある。
Twitterのはてな同窓会老人村界隈でゴチャゴチャ言い合ってるのも結構なことだが、所詮は老害化しつつある村であることをそろそろみんな自覚してはどうか。
検察と警察とか被告と被告人とかよくわかってないし、知識教養なしで書いてるからわかってる人が読むとイライラする日記になってそう。すまん。
平日に時間があったので前々から気になってはいた傍聴に行ってきた。
事前にネットで軽く下調べした。
・高裁以降は「地裁の続き」の話になる。地裁の「新件」のものが事件の話を最初からするのでわかりやすい
・地裁の作りや傍聴の流れは趣味の人や専門家などの個人のブログなどで予習ができる
という感じ。
午後は13時からと聞いていたので、12:45ぐらいに着いたのだけれど、開廷表と言う「今日のスケジュール」を見たら、刑事事件は実際は13:30くらいから始まりだすようだった。民事も傍聴できるみたいだったけど、ほとんど5分くらいしか枠がないやつだったり、そうじゃなくてもなんとなく傍聴者ほかに居るのかなって思って行きづらかったのでスルー。
「新件」は1事件50分が基本のようで、ただ授業の時間割表と異なり、興味のある複数事件を同日にハシゴしたくても、効率よく繋がるとは限らず、間が40〜90分程度開くことが多くなりそうだ。
開始時間の5分前くらいに傍聴席に着席する人が多そうだった。柵の内側の関係者で10分前くらい。傍聴席に入るドアや関係者席に入るドアに、目線の高さに小さい扉付きののぞき窓(外から中の様子が観れる)があるのが面白かった。
傍聴者は、常連っぽい私服の中高年のオッサン(失礼だがギャンブルとか好きそうな感じ)が各数人、被告や被害者の関係者っぽいスーツのリーマンが各数人、ひそひそきゃっきゃした女子大生二人組、修学旅行か課外授業かの中学生(私服だったから小学生か?)など。
道路交通法の方は、「ごく普通の一般人が、安易な気持ちで違反行為をしたら大事故になり、免許も取り消され、ついに今日、被告人と呼ばれて裁判に…」みたいな感じだった。
こんなこと本当にあるんだなぁと思った。被告人はわざとじゃなさそうだったけれど、しらじらしいくらいに最後まで「被告人は○○してください」の呼びかけに気づかず、えっ自分呼ばれました? みたいなもたつきがあった(毎回、弁護士さんが背後から小声で呼びかけてジェスチャーしてやっと動いた。)
検察が手元の紙を見ながらすごい早口で「したがってこの行為は○○法○条および○条に該当し被告人の行為は極めて悪質かつ重大と考えられます。」みたいなことをまくしたてるのがドラマっぽ〜いと思った。無駄に長い定例文だからあんなに早口になるんだろうな。
あの日はなんでそんなことしちゃったんですか? と、弁護士や裁判官、検察(警察?)から質問があって、被告人が青い顔でしどろもどろに答えるのを、素人ながらにそれ誤魔化して嘘ついてるだろって感じだったけど、裁判官も検察も、ねちっこく問い詰めたりは全然しないで、いや、それはないだろ…と内心思ってそうな間がちょっとあるだけでスルーしてたのが正直意外だった。悪い奴をバッシングして叩きのめす・いじめるんでなくて、どうすればよかった? これからはどう改めればいい? を、皆で考えましょうね、被告人はそれこそを心に刻もうね、みたいな。もしかしたらこの裁判は傍聴に中学生(小学生?)が沢山いたから、そういう傾向がひときわ強かったのかもしれないけど、(性質としても悪巧みじゃなくて事故だし)、自分の思い込みに気付かされた。
あと、弁護士からの被告への質問は、ヤラセというか、打ち合わせ済みなんだろうけど、被告が弁護士の誘導と違うことを答えちゃってそうな場面がいくつかあって、緊張するんだろうなぁ素人っぽいなあ(?)とハラハラした。なんなら検察側も、しおらしく反省してもうこんなことは二度と起こしませんそのためにはこういう風にします、という言葉を言わせようとしているんだけど、なかなか被告がそれに乗らなくて、聞かれてもないことをペチャクチャ喋っちゃって、見ていて大変に歯がゆかったです。被告人、事故は辛く思ってやらかした認識はあれど、道交法違反の方の、自分は犯罪を犯したんだって意識はあんま無さそうだったな…。
求刑って最後の最後に言われるものなんだね。最初かと思っていた。この裁判は求刑の直後くらいに判決があって閉廷だった。道交法の初犯テンプレ事件だったからかな。
判決では執行猶予について、小学生や素人被告を意識してか、裁判官から丁寧な説明があった。牢屋の中じゃなく社会の中にいながらの更生期間ということらしい。意識したことがなかったので勉強になった。
2件目は窃盗。被告の両サイドを制服の警官が挟んでいて、おおおーと思った。
開廷表からは罪名の「窃盗」と被告の氏名しかわからないんだけど、最初に検察?警察?から、詳しい説明があった。スーパーの万引き常習犯の被告はもともと警備員にマークされていて、ある日、酒とツマミを万引きして店から出た瞬間に警備員に肩を叩かれ、カバンを捨てて逃走。監視カメラの映像と、カバンの中の私物から後日警察が来て逮捕。窃盗と公務執行妨害で前科があるし、犯行は前回の裁判が終わった直後で執行猶予中。とのこと。
途端に傍聴常連っぽい人が何人か「なーんだ万引きかぁ」という感じでぞろぞろ離席したのが面白かった。
さっきの道交法といろいろ対照的だった。席もなんか左右逆だったし。さっきのは検察側が3人いたけど今度は1人。かわり?に、被告側に制服警官。下世話な話だけど、被告の身なりもホームレスみたいなヒゲ伸び放題のくたびれた初老で、弁護士が若くて化粧濃いめのお姉様で、検察がスポーツやってそうなアゴヒゲ青年で、キャラ濃かった。
ちなみに裁判官は2件ともなんかお医者さんっぽかった。熱が出たのは何時頃ですか?とかここ押すと痛いですか?みたいな感じで、スーパーに行ったとき手持ちの現金はいくらでしたか?とか訊いていた。インフルエンザは陰性でしたみたいな感じでアナタの執行猶予は何年ですと言った。
窃盗の方も、なんでそんなことしたんですか? 同じ過ちを繰り返さないためにはどうすれば? を詰めていく流れはだいたい同じ。被告は淡々と、とつとつと反省の思いを挟みながら適切に答えていった。慣れている。進行もスムーズ。ただしこちらは、嘘っぽくねそれ?という供述はつぶさに突っ込まれたいた。ただし被告の受け答えも短く適切。面接で受かるやつ。突っ込みに対しても予習済みだったのかなという感じでそれっぽく言い訳できていた。判決は数週間後の後日だった。
全体として、まあなんていうか、下世話な楽しさがあった。他人の本物の人生の、やばいことになってる部分を切り抜いて生で見ているわけで。ネットの炎上とか小町とかコピペブログの胸糞悪かったりスカッとしたりの話を見ちゃうタイプの面白さがあって、楽しいし刺激的だけど、悪趣味な楽しさだなとちょっと後ろめたい。
社会勉強になったなぁという気持ちもある。一回見といて良かったなという感じ。今回の二件とも、そういうことがあると知っていながらも、関わりはなかったので、「本当にこういうことってあるんだ…」と体験できたのは、漠然と経験値積んだというか、実績解除したぜ感がある。
本当にこんなことあるんだといえば、今回は2件とも、被告のプロフィールがわりといかにもそういうことしそうな感じというか世間的な偏見通りだったのが印象的。被告の生い立ちだ家族だ仕事だって裁判の場で言われちゃうのも個人的にはコレつらいなと思ったし、聞いて正直、あ〜ぽいわ〜と思ったし。偏見で決めつけるのはよくないと今でも思ってるけど、偏見が存在するだけのことはあるもんなんだなあと。
またいくかは微妙。平日に暇になったらタダで楽しめる…とも思うけど、時間割が当日朝現地でしかわからないし。組織的なプロの犯罪とか裁判員裁判みたいな重大なものならまた違った印象があるかもしれない。裁判員裁判は事前に日程がわかるけど傍聴は抽選制(当日朝抽選券配布)なので行けるかどうか一長一短。