はてなキーワード: 幼児とは
世の中にはもっと大変な人がいるのもわかっている
それでも感じ方は人それぞれだと開き直ってもう一度言う
朝は5:30に起床する
妻子を起こさないように注意しながらシャワーを浴びて目を覚まし、朝ごはんを食べて支度をする
6:50には家を出てバスに乗り、電車に乗り継ぎ8:00頃に職場に着く
始業は9:00だが仕事は山積みなので職場に着くと直ぐに仕事に取り掛かる
仕事中は自分のキャパシティギリギリの力で走り続けているような感覚が続き、たまにキャパを超えてミスが重なり上司から詰められる
12:00〜13:00は休憩だが、今の職場では年齢的にも役職的にも一番下っ端なので、雑用や締切に追われ、15分くらいでおにぎりを胃に詰め込んで食事という作業を終わらせる
職場では仕事はしないがパワハラだけは大好きな60過ぎのおじさん(退職後の再雇用枠)に一挙手一投足を監視され大抵日に何度か怒鳴られる
退勤時間は17:30なので乖離時間が出ないようにタイムカードをきる
家に帰宅すると21:00を過ぎ
寝ている子ども(幼児)を起こさないように夕食を済ませ22:30〜23:00に就寝する
少なくはないが精神的にも肉体的にも疲労は解消されず積み重なっていく
そんな感じなので、休日も大抵数時間は家で持ち帰った仕事をする事になる
転職をするようなスキルもなければ、勉強をする時間もなく、やる気は労働だけで奪われていく
数少ない救いは家庭内が穏やかで、貯蓄こそ増えないがなんとか生活はまわせていることだろうか
マイホームはおろか車も買えず、健康上の理由で仕事が出来ない妻と子(幼児)を抱え、自分が転んでしまえば、吹けば飛ぶような綱渡りな生活の中で、日々また明日を無事に乗り越えられるようにと祈るように生きている
ここでは、福岡教育大学の初等教育教員養成課程(幼児教育選修は除く。以下、初等とします)の副免について、書いていきます。
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福岡教育大学の初等は、小学校教員の養成に重点を置いています。
初等では、原則として、中学・高校の教員を養成はしていませんので、注意をしてください。
普通の国立大学の教員養成系大学では、初等でも中・高の免許を取れるはずですし、初等から中・高の先生になることは、よくある光景です。
しかし、福岡教育大学の初等は小学校教員のみの養成に特化している、ちょっと特殊な大学です。
数年前の初等専修制では、普通の国立大学の教員養成系大学と同じでしたが、改組により、初等は小学校教員養成のみとなりました。これは、寺尾学長の独断による改革の結果です。現在の飯田学長も、その方針を堅持しています。
中学・高校の先生になりたい人は、中等教育教員養成課程(以下、中等とします)に進学してください。
なお、初等に進学した後に、中等に転課程すること(課程を移籍すること)は、制度上はそういうことは可能とされていますが、基本的にはおこなえません。
どこの大学でも、転課程はきわめて難しいと考えてください。
初等の学生は、小学校教員の教育職員免許の取得を前提にしています。
初等で得られる免許(小学校一種)は、主免(しゅめん)といいます。
主免とは、卒業時に主として取得する免許(必ず取得できる免許)のことです。
この主免以外に、他の授業を履修することにより、与えられる免許を、副免(ふくめん)といいます。
初等の学生は、幼稚園(一種・二種)、中学校(一種・二種)、高校(一種)が副免になります。
話はそれますが、教員免許の種類について、わかっていない人が多いので、簡単に説明します。
教員免許の「一種」「二種」は、取得単位数の違いによって区別されています。
二種は短期大学卒業程度の取得単位、一種は四年制大学卒業の取得単位になります。大多数の先生が持っているのが、一種になります。
ちなみに、高校の免許には二種は存在しません。したがって、二種の場合は、高校の先生にはなれません。
また、県や市の教員採用試験では、取得した免許の種類によって採用が差別されません。中学二種の免許で、県や市の中学校に採用されている人もいます。
ただし、二種の場合は、一種を取得するための努力が義務付けられています。そのため、教育委員会の研修や講習に参加しなければいけなかったり、給料に差がついたりします。
話をもとに戻します。
福岡教育大学の初等では、中学・高校の免許、つまり副免は、取ることが難しいです。
なぜなら、小学校の先生の養成に重点を置いている課程が、初等だからです。
「初等に入ったけれど、中学・高校の免許も取って、中学(高校)の先生になりたい」
という人は、残念ですが、それは諦めて、小学校の先生になられることに専念してください。
福岡教育大学の初等は、小学校の教員になる教育に重点を置いています。
初等では、中学(高校)の教員になる教育は、標準的に提供していません。
「それでも!どうしても!」というなら、中退して中等の試験を受けるか、他大学に入り直す(転学・編入する)か、一旦卒業した上で、働きながら通信制大学(放送大学など)で不足分の免許に必要な単位を修得する、ということしかありません。
福岡教育大学の公式ホームページに「福岡教育大学で取得できる教員免許状について」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/campuslife/academic_affairs/glb0i0000000126j-att/glb0i00000009mmy.pdf)との文章が公開されています。
「卒業要件を満たし、さらに所定の単位を修得することで取得も可能となる免許状(副免)」、「副免のうち、人数制限や修得する単位が多い等の理由により、特に取得が困難な免許状」とされています。
「取得も可能」=努力すれば取れるかもしれません、「特に取得が困難」=取るのはとても難しいです、ということです。
初等で副免を取ろう、という人は、かなりの努力を要すること、楽には取得できないことを、よく理解してください。安易に手を出すとヤケドをします。
よく聞くのが、副免の取得に熱心なあまり、主免の単位を落としまくって、副免は取れるけど、主免が取れず、留年する、という話です。
初等の学生が、副免で取得する講義などは、原則として中等の学生に向けて提供されている講義に、初等の学生が「参加させてもらう」ものです。
もし、その講義や演習などが、人数を制限する場合や受講制限がある場合は、中等の学生が優先されます。
中等の学生に向けての授業なのですから、そこに「参加させてもらう」初等の学生の立場が弱くなることは、おわかりいただけるでしょう。
初等の学生が、副免を取得したい場合は、まずは担任の先生に相談してください。
といっても、担任の先生も、副免のことがよくわかっていない先生もいます。
学生支援課の「学生なんでも相談窓口」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/campuslife/consultation/anything_consultation.html)に相談することが、てっとりばやいです。
副免を取得したい学生は、希望する科目の「教科基礎学力テスト」を受験し、A・B・Cの判定のうち、B判定以上を取る必要があります。
C判定(不合格)では、副免の授業の履修は認められません。
なお、この教科基礎学力テストは、不合格のC判定であっても、来年度も希望すれば受験できます。
もし不合格であれば、それを謙虚に受け止めて、勉強し直して、再受験をするか、もしくは副免は諦めるか、という二つの選択肢になります。
例年、教科基礎学力テストは5~6月に実施されます。2020年はコロナ禍のため、8月に実施されました。
教科基礎学力テストの結果は、遅くても夏休み中には告知されます。
B判定以上の学生は、後期から副免の授業の履修が可能になります。
そのため、前期の期間か、夏休み期間にテストは実施され、結果も後期の授業が始まる前にはなされるはずです。
テストでは、解答用紙とともに、問題用紙も回収されますから、受験したことのある先輩に過去問を見せてもらうこともできません。
問題用紙の回収は、過去問を見ることができた人間が有利になる/見ることができなかった人間が不利になることを防ぐ、公平性を確保するためです。
高校入試の問題がそのまま出た、センター試験(共通テスト)のレベルだった、国立大学の二次試験のレベルだった、など、さまざまな噂がありますが、出題範囲は示されるので、その範囲内の勉強をよくしておく必要があります。
とりあえずは、高校での履修内容の範囲内で出題されるはずですから、大学の受験勉強と同じような勉強しておけば良いでしょう。
この教科基礎学力テストを課す目的は、中学(高校)の基礎学力を備えているかをチェックするものです。
この基礎学力がなければ、副免の授業に出ても、単位の修得は難しいです。
教員側から見れば、基礎学力のない初等の人間が、中等の授業に出てくると、レベルが保てず授業に支障をきたします。
いくらやる気があったとしても、身につけておくべき基礎的な知識がないと、授業で先生の言っていることが理解できませんし、単位の修得は難しいです。
やる気のある無能な人は、周りに迷惑をかけるだけです。そういう人が、中学や高校の教壇に立つことが許されるはずがありません。
中学や高校の教員にとって、何よりも求められるものは、学力です。
「やる気はあるが、学力の低い学生に、再教育をしてくれ」「大学は、意欲のある学生に学び直しの機会を提供すべきだ」と主張する人がいます。
しかし、高等教育機関である大学では、「中学や高校の復習をしましょうね」という「復習の時間」はありません。
高等教育機関である以上、そのような「学び直し」の授業で単位を出すことは、制度的にも許されていません。
そもそも、そんなに「やる気」があるのならば、学力が低いはずはありません。
そんなに「学び直し」をしたいのであれば、自分で好きなだけ勉強すべきです。
それでも学力が低いままならば、予備校などに通うしかありません。
高等教育機関である大学に「学び直しの機会」を要求することは筋違いです。
福岡教育大学の初等の学生の特徴でもありますが、文系に偏重しており、理系の分野は不得意のようです。
教科基礎学力テストでも、その傾向は明らかで、英語、国語、社会の受験者数は例年、とても多いです。
受験者数が多いことは、ライバルが多いということになります。したがって、C判定をもらう学生は多くなります。
というのも、中等の学生向けの授業は、少人数を想定したものが多いため、そこに初等の人間が大挙して押し寄せると、中等の学生への教育の質が保証できなくなってしまう、との理由もあります。
たくさん受け入れてあげたいのはやまやまだが、合格者はなるべく少ないに越したことはない、と大学側は考えているようです。
中等の授業では、学力の低い人に、中高に遡って教え直してくれることもありません。初等の学生だからといって、評価の水準を下げることはできません。
先にも述べましたが、副免の授業は、中等の学生向けに設けられたものが多いので、そもそも初等の学生が授業に来ることを想定していません。
中等の授業で、初等の学生が多くなってしまうと、中等の学生の学習の機会を奪ってしまうことになります。
このようなことから、合格者は、受験者の10%ほどの合格率が多く、教科によって50%あたりのものもあるようです。
おおよそですが、教科基礎学力テストで7割あたりがボーダーラインで、8割以上取れていれば、ほぼ安心していられる、と言われていますが、これも受験者数や教科によりばらつきはあるようです。場合によっては8割以上の得点であっても、不合格ということはありうるでしょう。
狙い目の教科があります。
理系の科目です。数学や理科はそもそも受験者数が少ないようですし、その割に合格率は高めのようです。
ほかにも、美術や保健体育、技術や家庭なども、合格率が高いようです。
「中学・高校の教員になって、運動部の顧問をしたい」という人は、保健体育を選ぶべきでしょう。
小学校にも「教科担任制」が22年から導入されます。既に北九州市では教科担任制が導入されています。
小学校の教科担任制とは、小学校でも、高学年からは専門教科の先生が、その教科については教える、という制度のことです。
中学校の教科を思い出してください。中学校では、既に教科担任制ですよね。
中学校のように、小学校でも、高学年からは、教科の専門の先生がいて、その教科を教えるのです。
これらの科目の中学・高校の副免を持っていると、その教科の専門に強い先生として、小学校の中で教えることができるようになるでしょう。
経費節減のため、公立でも小学校と中学校を一貫にしているところが多くなっています(小中一貫)。そういうところは、小学校の先生でありながら、中学の免許を持っている先生を採用したいはずです。
採用する側も、算数、理科、英語の教科に強い先生は欲しいところです。
しかし、英語は、例年、副免の希望者がとても多いので、英語の力がよほどないといけません。
ちなみに、英語で求められる学力は、英検二級レベルと考えられます。英検二級は、高校卒業程度のレベルと言われているからです。
福岡教育大学の初等の学生で、副免を取りたい、という学生が多く、また副免に関して、学内外で、根拠のないデマが流れたりしたので、このような文章を書いてみました。
初等で副免をとる学生は、小学校の先生だけではなく、中学・高校の先生としても通用する、確かな学力を身につける必要があります。
そのために、よく勉強をしてください。
おつかれさま
とてもつらいですね
ほんとおつかれさま
まだまだ手がかかるし
おしゃべりできるのも先の話だけど、
決まった身ぶり手ぶりで幼児に伝える方法は聞いたことあります?
名前があったはずだけど思い出せなくて
ご飯は「まんま」って言いながら
口をもぐもぐさせながら手を口元で開け閉めする
おむつは「しーしー」って言いながら
……忘れちゃったんだけど
お尻か足を軽くたたく、とか
お風呂は「じゃばじゃば」
体を洗うまねをする
寝るのは「ねんね」
手を合わせてほっぺたの横に
無理にすすめません
「子供が言いたいことは、よく見ていればわかる」って説があるけど
あとTwitterの
#思ってたんと違う育児
でも見て笑って下さい
追記:
「ベビーサイン」だった!
書いてる人がいましたね
もちろん(事情を知らずに観察したかぎりでは)父親っぽい行動をする動物は多いよ
でもそれは父性でやっているのではなく「幼児の世話をしていると他のオスから攻撃されにくい」とか「有力なオスに対して優位に立てる可能性がある」からで
でも普通は乳児期間にその関係は終わってしまう、せいぜいベビーシッターぐらいの役目
たいていは若いオスとか群れの中で順位の低いオスが代わりにやったりする
メリットがないと世話役はやらないわけ、でも乳児を守ってるオスがメスと継続的に配偶関係を結ぶ可能性は低く、たいていは交尾すらしない
現代の社会で父親になりたがらない男性が増えているとしたらそれはインセンティブが少ないからだしなるメリットが考えられないから
子供にはいろんな可能性がある!って言うが、その子供じゃないといけない理由はない
あっ死んだ、次行こう!つって作った子にも同じくらい可能性はある
人間の価値、若者(15〜30)>中年(31〜50)>子供(0〜15)≧まだ動ける老人(50〜70)≧どうしようもない老人(70〜) くらいだと思うんだよな
可能性とそれまでに投じたコストのバランス的にそんな感じじゃない?
なので、「オッサンが命懸けで赤ちゃんを助ける」みたいな展開をフィクションでやられるとかなり萎える
赤ん坊、また生めるじゃん
物心すらついてねえんだし、さっさと諦めて次行ったほうがいいじゃん絶対
助けられた子供も母親も、シングルマザー家庭で若干しんどい思いをしながら生きていかないといけない
赤ん坊を見捨てて父親が生き残れば、そりゃ多少は悲しいだろうが、まあ全然立て直せる
年齢的に次の子が無理だったとしても養子なんかもあるし、DINKSだって楽しそう
とにかく、オッサンのほうが赤ん坊より価値があるのは明白なんだよな
日中はマジでやることないって言っていて、実際オンラインゲームを数ヶ月で2000時間とかプレイしていた
メシはしっかり作ってくれていたけど、俺(一人っ子)はわりと袋麺とか好きなタイプで、父は土日もそこそこ家を空けていたので、そんな感じの適当飯の日も多かった 俺はそれで十分喜び、うまいうまいと食っていた
弁当作ってくれたり、洗濯毎日やったり、その辺はまあ大変そうだと思うし感謝もしてるが、週5の40時間労働(ホワイト!)と比べたってあれの方が大変そうだとは思えん
俺が物心ついてなくてガチの幼児だった頃は大変だっただろうけども、そんなんせいぜい5〜6年だしな
5〜6年大変な仕事をすればあとは働かなくていいっていうんならそれは全然アリだよな
母、パートとかバイトの類は一切やってなかった 内職もしてなかったと思う
あれ見てると、専業主婦って勝ち組じゃねえか?という気がどうしてもしてしまうんだよな
家に縛りつけられるっていうんなら父も割とそうだったしな
つか、旅行ときどき行ってたような気がする 家に父しかいないことはときどきあった
なんつうか、羨ましいんだよな
もはや時代も違うんだろうけど、アレになりてえ
俺も毎朝弁当作って子供を送り出したあとは適当にダラダラゲームとかやりつつ夕方まで過ごし、あとは飯作って終わり!って生活やりてえよ
どうやってもやれる気がしねえ
美味しい
すげえ。こういう味なんだな。
小さい頃、魚食べるとアレルギーが出るようになった。
首や関節が痒くなり、呼吸が辛くなる。
食べてた物を全て吐き、それでも辛くて気を失う。寝込んで翌日のダルさはフルマラソン走った翌日よりキツかった。
慌てて吐き出しにトイレへ駆け込んでいた。
でも居酒屋ではエビもイカも手を出さない。包丁やまな板は同じものを使ってるだろうから。
魚の味がする。めっちゃ美味しい。
もっと早く知っておけば良かった。
魚に関しては味覚が幼児で止まっていたたね、おっさんだけど、サーモンめちゃくちゃ好きになった。美味しすぎて2回連続で食べた。
また行く。
鬼滅のマンガでは燃えなかった遊郭が、アニメになるとああいう反応が出たの、アニメは漫画と違って親子で同時に見るもんだからだと思うんだ。
で、それは端的に逃走だよね。子どもに遊郭の話を見せたくないんじゃないんでしょ。
子どもと遊郭の話をするのが嫌だからああいった反応になるんでしょ。
つか「性」から全力に逃げたってさ。
ママがコロナで死んだとして「ころな」ちゃんってつけられたらどう思うー、ぐらいの話できるだろうよ。
そうやって遊郭はいいところではない、ってイメージぐらいは与えられるだろ。
鬼滅の刃はちゃんと「性」を描かずにに遊郭のアレさを描くという難しいミッションをこなしてるんだよ。
フェミニストなら褒めたれよワニせんせ。
幼児の目の前から全部性的なものを排除しといて、思春期の子どもたちを相手する教師に全部放り投げといて
性教育性教育、私たちは声をあげました、社会のほうが悪いでーすみたいなのもうやめにしない?
あんたらが性を教えるのから逃げたいと思うのと同じように、ぶん投げられる「社会」の人だっていやなんだよ
だから誰もやらないんだし、それを非難できる側じゃねえだろうよ
この少子化時代にお前が男児に生理教えなくて誰が教えられると思ってるんだよ。
前提として日本の性教育は遅れてるねってのはマジでその通りなんだけれども。
あの謎の性教育万能論みたいな世界観、日本のフェミ全体でもツイッター母親フェミニズムに特異なものに思える。
6年間英語習ってpとqの区別がつかない娘を相手にしてるような性産業当事者の人たちがそれを回答だと思ってるのをみたことがない。
砂場でばあちゃん連れの幼児がうちの赤ちゃんの持ってた赤いトラックのミニカーを指差して「ア。ジョジョジャダ。」と言ったときの話。
ばあちゃんは幼児の言葉を「そうね〜乗用車ね。」と繰り返した。しかし私はこれは"乗用車"じゃなくて"消防車"と言いたかったのではないかと思う。小さい子供にとって赤い車といえば消防車に決まってるし乗用車という難しい単語は知らないはずなので。
みなさんも幼児語を聞き取るときは耳で聞いた音からだけでなく文脈(このケースの場合は幼児が指しているトミカの色や幼児が持つであろう語彙の範囲)からも意味を推測してみてください。
きゅきゅちゅ→救急車
ぱと→パトカー
たク→トラック
くゥあ→車
じいじ→高齢者
プタ→ヘリコプター
私は今まで大きな思い違いをしていた。
田舎より、中途半端な都会より、そんなものより文教地区のタワマンが立ち並ぶ街(かといって若者の商業施設が立ち並ぶわけではない街)の方が何倍も、人に対してフラットなものの見方をしているということに気づいた。
いわゆるそこは環境の良い比較的お金持ちの街だった。本当にそこのママたちはフラットだった。
例えば子どもが保育園に行く家も、普通の幼稚園に行く家も、お受験をする家も、インターに行く家も、ほとんどが同じ割合でいたので、あらゆる家が“普通“だった。
0歳から保育園に行くと言っても誰も「可哀想」なんて言わない、幼稚園受験をすると言っても「そんな小さいときから…」なんて言わない、インターにいっていても「じゃあ英語しゃべってw」なんて言わない。
誰かの家に遊びに行く時も「うちはあそこのタワマンだよ、来てね」「うちはその横だよ」「いいなー、うちは賃貸だよー(笑)」そんな感じで誰も「うわ、タワマン?金持ち〜っ」なんて言わない。
旦那さんが医者でも弁護士でも社長も普通のサラリーマンでもどれも全く珍しくない。
お昼ご飯に、コンビニ弁当を食べていようか、2000円のステーキ弁当を持ってこようが誰も気にしない。「わー!お肉美味しそう!それどこの?」「あ、それコンビニの新商品!?セブン?明日それにする!」というような感じだ。
この街に引っ越す前、私は別の地に一軒家で住んでいた。文教地区でもなければ、近くに受験幼稚園もない、昔ながらの土地に最近子育てが世代が多く入るようになったような地域だ。
その時に散々言われた。
家の前を通った顔も知らない人たちに「うわっでかい家!金持ちはいいな!」「はぁ…金持ちが」
子どもを学区外の学校に通わせると「金持ちいいな」「ボンボンw」「うちは普通の家だから、そんなお金ないし」「あそこはお金持ちだから」
そんな事を散々言われた。
引っ越しをして本当に心が穏やかになれた。もう周りから差別されない、どんな家庭環境でもそれを“普通”と受け入れて貰える。それがこんなに尊いこととは。
子育ての話がぼかさなくても出来る、子どもの誕生日プレゼントに何をあげたいか相談出来る、息抜きにホテルランチに行こうと話が出来る、高いから無理!と笑いながら断れる、幼児から習い事をしていても「教室楽しい?いいね!」と子どもに話しかけてもらえる。
「母親ならウイグル人弾圧に抗議くらいしたらどうだ」の声に驚いて振り向くと、収容所で高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性はウイグル人の子供を手にして俯いたまま。
その先輩頭ヤベエだろって思ったけど、社会的信用MAXの社会人でも飲酒とか機嫌の影響で小動物や血の繋がってない女や幼児を殺せるような精神性の奴たくさんいるよな。
https://yt3079.hatenablog.com/
◎日本人は毎年数十万人単位で急減の一方で、移民(外国人住民)は毎年増加(コロナ渦で数年はずれるが)を続ける
→日本人と移民の人口比逆転は時間の問題「40年後の40才以下の3人に1人は移民?」
(出生率に変化がなければ、将来の人口動態もほぼ推計通りになる)
◎約90年で人口が半減するスピード(しかも子供が少なく老人が多い)。人種単位の持続性の観点では有事であり、危機的非常事態。それなのに対策は後手後手
→例えば、ウイルスの蔓延は現在進行形で悪化のスピードが早く、人権を制限してでも効果的で思い切った対策をとる機運も生まれやすいが、少子高齢化はダメージの時間的スピードが遅いために、切迫感が低く、結果、対策が「常に」後手に回る。
◎現状の育児支援中心で自由意志に期待した少子化対策は30年以上、毎年失敗の連続。政府自治体の対策の対象世帯である「産みたくても産めない人。結婚したくてもできない人」はどれだけ存在するのか。被害者感情に流される対策は効果が出ていないのが現実。
→本当はお金ではなく、大変だから子作りをしたくない。面倒だから結婚したくない。だから育児支援で保育所をいくら作っても、育休を増やしても結婚に結びつかず、子供は増えない。(平均年収の倍で待機児童のない東京都千代田区の出生率は全国平均以下)
◎出生率低下の要因は未婚率の上昇と多産の減少。その原因とされる「格差拡大説」はどこまで正しいのか。
→独身に低所得者が多いのは「原因ではなく、結果」。1970年代までは、低所得者(年収200万円以下)でもほぼ結婚して子供がいたが、現在は戦時中よりもはるかに低い出生率。日本を含む先進国は生活が多様化しており、コスト要因の結婚の必要性と優先順位の低下により、低所得者から結婚を回避するようになった。
◎子作りしたい人への環境支援ではなく、子作り「したいと思っていない人」に子作りを促す対策が重要
→既婚者の完結出生児数は約2人であり、現実として子作りをしたい人は支援に関係なく、子供を作っている。問題は出生率低下の要因である未婚者の急増であり、結婚を諦めている人、意欲に乏しい人にどう働きかけるかがカギ。結婚は個人の自由だが、その自由により、社会の持続性を大きく損ねている。
◎動機に働きかけ効果だけ求めた少子化対策は次の通り。「3大義務同様に子作りの努力義務化の指針」「第3子以降に1000万円超など、多産ボーナス」「子作り負担のなく福祉を受ける40才以上の独身は増税(実質的独身税)」
→早婚に金銭的メリットが生じて、相手の理想ハードルが下がり、これまで結婚できなかった層も結婚相手の対象に。育児放棄など社会問題の増加より、少子化放置で起こる社会問題の方がはるかに深刻。消費性向の高い育児世帯と若年人口が増えれば内需が復活。
◎少子化対策の失敗は、効果でなく倫理的視点(受け入れられやすい育児支援のみ)で選ぶから失敗する。本来、負担の大きい子作りに対し、反発のない対策は効果も期待できないはず(作用反作用の法則)。先祖の多大な負担があったからこそ、現代人が存在する。現代人が身勝手な倫理やモラルで負担回避を正当化すれば、将来世代は先細りの一方。
→目的(少子化解消)は手段(人権に問題があるが効果を見込める対策)はを正当化するのか。メリットがデメリットを上回れば導入すべき(人が減り続ける悲惨な社会になっても、子供を作らない自由意思尊重が大事なのか? 倫理観や同義性の遵守より、手段が受け入れ難くても「問題解決を優先」すべき)
★本稿のポイント
少子化対策の「思い込み=(人権やモラルは少子化解消よりも重要)」を解消し、少子化対策にのみ人権やモラルを我慢すれば、効果的な対策を実行でき、少子化問題は解決可能。昔の子沢山を成立させていた周囲のプレッシャーや後継、労働の担い手などの子供が生まれる要素が無くなった現在、「法律一本の施行」で制度を作り、子作りに動機を与えて出生率の上昇に繋がる具体策を提案する。それを実行するには、いかにしてハードルとなる人権や倫理観を我慢してもらうのかの説得が少子化対策の本質にして、本稿の最大のテーマだ。少子化が解消し子供が増えれば、内需が復活し日本経済も回復する。本書では、このままの少子化状況が続いた場合の日本人に訪れる悲惨な運命とそれを回避するための、効果を優先した対策を提案、解説する。
〜〜〜〜〜〜
近代社会学の祖オーギュスト・コントは「国の未来は人口構成で決まる」と見抜いたそうな。人口を減らしながら常に高齢者が多い逆ピラミッド状の人口構成では、衰退は避けられません。合計特殊出生率1.36(2019年)と低迷を続ける日本。このまま人口が減り続ければ、国の発展以前に現日本人が将来的に存続できなくなります。存続できない可能性が高いのではなく、日本人の出生率が2を切り続ければ将来的に存続できなくなるのは物理現象です。それに対し、どこか他人事の日本社会と政治に問題意識を投げかけたいと思います。
問題は解決するより、発見する方が困難です。個人も組織も、自ら気づかない潜在的な問題により、傾いていきます。少子化問題は極めて深刻な問題にも関わらず、政府の少子化対策関連予算は先進国の中でも総予算に占める割合が低く、口では声高に危機感を高めていると言っても、財政支出の観点からは本気度が極めて低く、問題視していないレベルと明確に言えるでしょう。2019年末に決まった26兆円(真水4.3兆円)の経済対策でも少子化関連には1円も使っていません。使い先は電線の地中化など。。
現状の少子化対策は育児支援など環境整備の観点しかなく、30年間も同じような方向性の政策しかとられておらず、改善の兆しが全くないのに、「地道にやるしかない。環境整備が大事だ」と言い続けています。一方、日本人が減り続ける中で、近年の政府は実質的な移民政策に大きく舵を切りました。100年後の日本列島は日本人と移民の混在する国になっています。さらに、それ以降も出生率が大幅に回復しない限り、容赦無く日本人は減り続ける一方で移民の割合は増え続け、その時の日本国籍のルーツは海外由来になっている可能性が物理的に極めて高くなります。公用語が中国語などに変わっている可能性も十分あるでしょう。
そうはならない為の少子化対策。現状の育児環境改善策以外にも、視点を変えれば効果のある対策はあるはずです。出産育児は個人の権利に関わる問題ですが、残念ながら環境支援だけで結婚、子作りの有無を自由意志に委ねた現在の少子化対策では増えていない現実があります。それを改善するためには、より、子作りの動機付けに導く政策が必要であると考えます。しかしそういった対策は、個人の自由意志に反する可能性のある対策であり、モラルや倫理観の問題で実行に大きな障壁があります。しかし、動機付けの対策に有効性があって少子化が改善される可能性があっても、現代人のモラルや人権を優先すべきなのでしょうか。その優先順位がどうあるべきか、問題提起したいと思います。
少なくとも現状の育児支援中心の対策より、効果が見込めそうな対策を、モラルや現代人の自由や権利を理由に放棄してもいいのか。現代人のモラルや価値観はその人種の存続や持続性以上に重要な価値観なのかーー。
このように、少子化対策の具体策だけでなく、タブー視される少子化対策問題に対し、「どう向き合って、どう考えるべきか」。そういった観点を問いただすような内容になります。現在出尽くしている対策や論点とは違った観点と具体的な対策を提案し、実効性のある少子高齢化対策に繋げたいと思います。
【要点・トピック】
現状の少子高齢化が改善しないまま、実質的移民の外国人労働者を受け入れ続けると、いずれ日本人と移民が「人口比で逆転」する事になる。日本人の為の日本ではなくなり、多民族国家に変わる。日本人と外国由来の国民・住民の人口構成逆転に繋がる現象はすでに進行しており、人口構成比の逆転は時間の問題。不可逆になる前に手を打つべき。
政府、自治体の育児環境支援ばかりの少子化対策は結果が出ておらず、失敗との結論付けが必要。国民の自主性に任せれば、少子化は進行する一方。少子化の構成要素である未婚率の高まりは少子化現象の原因ではなく結果。日本を含む先進国が直面する少子化の原因は文明化による価値観の多様化で、結婚と子作りの優先順位が下がった事による晩婚化、非婚化が進んだ影響。現状の育児支援中心の対策の方針を「大幅に変えないと」今後もさらに日本人は減り続ける。子作りの動機付けをアメとムチの両面でやるくらいでないと解決は難しい。効果的な対策を打てば「翌年から」出生率は著しく反応する事が過去の事例からも分かっている。子供が増えだし、出生率が2を越えれば、日本の将来は明るい。
モラルや倫理観、自由意志を優先して、負担感のある少子化対策をせず、現状の効果が上がってない対策をなおもやり続け、その結果このまま滅びるか、逆にモラルや人権をある程度我慢して、有効性のある対策を実行し、安定した持続性のある社会にするかーー。
続きは以下にて
https://yt3079.hatenablog.com/
◆このまま人口が減り続けると、どうなるのか
政権に関係なく、労働や消費の担い手不足という現実問題に対応するため、政府や経済団体は、外国人労働者という形態で、実質的な移民(国連の定義では1年以上住む外国人)の受け入れをさらに推し進めるようになるだろう。実際、2018年の「骨太の方針」でも外国人労働者受け入れ拡大の方針が決まり、2019年4月には改正入管法が施行された。彼ら外国人が高齢者になった時、どうなるか。もちろん追い返す事はできず、いずれは外国人移民の高齢化問題も出てくる。
このまま、日本人の人口減少分を外国人で補おうとすると、コロナ渦で数年はずれ込むだろうが、基本的には時間の進行とともに、日本人と外国人の比率が相反し、やがて逆転することになる。この点ははるか先の未来の事として、ほぼほぼ論じられていない。このままでいいのだろうか。すでに東京都内ではかつて外国人が多かった街は新大久保と観光地くらいだったが、今や主要繁華街で昼夜問わず、その割合は静かに増え続けている感がある。
◆出生率の数字は「人口が減っていくかもしれない」危険指数ではなく、数値が2.0を下回る状況が続けば「いつまでに人口がゼロになるか」の確定年数を導ける指数。内戦中のシリア、アフガンや北朝鮮より先行きが危ない少子化日本。
出生率を人に問うても、いまひとつ危機感が薄い。出生率低下と言っても、「人口がゼロになる事は無いだろう」「単なる警告信号のような数字だ」と、漠然と認識する人は多い。しかし、出生率の1.41という数値は男女2人の親から約30年後の次の出産サイクル時の出生数は1.41人しか生まれてこない計算だ。これを分かりやすく1人に置き換えると約0.7人になる。1年間の出生数が87万人(2019年出生数)だとすると、この世代が、第一子を生む頃の30年後は87万×0.7の約60万人、その30年後は約42万人。その30年後は約30万人とどんどん減り続ける。そんなバカなと思うかもしれないが、実際、第二次ベビーブームの1973年は209万人の出生数で、彼らが出産適齢期になった30年後の2003年あたりは不景気の影響もあって、出生率が1.26程度まで減っており、その結果、113万人と親世代の半分程度の出生数に落ち込んでしまった。団塊ジュニア世代は就職氷河期世代で不況と重なる運の悪さがあったが、現実的に、出生率が2を切ると、容赦なくその数値の割合だけ、出生数は減り、人口が減り続けるのである。
この危機感の無さには、「出生率」と言う単語にも問題があるのではないか。2018年に国会を通過した「働き方改革」も「残業代カット改革」なら法案は通らなかっただろう。それほど名前は大事だ。言葉は悪いが「人口半減期」のような数字で、出生率を人口が「半減する期間」で示した方が分かりやすいのではないか。例えば、今の出生率が続くと人口の半減期はおよそ80~90年だ。つまり、2100年ころには日本の総人口は6000万人に半減している計算だ。今の出生率が続いた場合に、半減するまでの期間を書いた方が、危機感は伝わり易いだろう。
内戦のシリアやアフガン、独裁政権下の北朝鮮ではいずれも出生率が2を上回る。いくら、内戦や政治不安で経済状態が悪くても、それにより大規模な内戦に発展しない限り年間1万人も死亡する事はない。しかし、日本では団塊世代が平均寿命を迎える2030年頃は年間170万人程度の人口減を経験することになる。そして、今後70年かけて日本の総人口が6000万人に減少すると予測されている。結果的に早く滅びる国がいい国と言えるのだろうか。
◆現日本人が外国人(実質的移民)に徐々に置き換わり、日本人はやがて少数派に転落して、いずれゼロになる・・・100年後に純粋な日本人は消滅へ。アメリカではすでに16歳未満で白人が過半数割れ。
「移民が来ても、混血化するから日本人の血は残るはず」というのは大きな誤解である。出生率が2を割っていれば、人口減少は続き、その減少を補うために、時間の進行とともに、外国人移民が入り続け、日本人の血はゼロになるまで混血化しながら希釈化され続けていく。
2020年6月には国勢調査局の統計を基にAP通信がまとめた情勢によれば、アメリカではすでに16歳未満で白人人口が初めて半分を割ったという。流入が急増するヒスパニックや黒人、アジア系に対し、白人人口が増えなかったためだ。アメリカでは1990年に75%だった白人の割合は2020年現在は60%に急減。たった30年で約20%も人種割合が低下したことになる。さらに2045年までに白人人口が半分を割るという推計がある。白人の出生率が2を切り続けて増えず、白人人口がゼロに向かい減っていく一方で、ヒスパニックとアジア系の流入がその穴を埋めているためである。アメリカの出生率は2を上回っているが、それはヒスパニックを中心に移民の出生率が高いためである。現在、アメリカは多民族国家だが、そのうち白人が減り、やがて黒人とヒスパニックだけの国になり、逆に多様性は少なくなっていく可能性が高い。
「間違えた体で生まれた…」6歳の園児が明かした“性別への違和感“ 無断で市がホームページに公開(関西テレビ) - Yahoo!ニュース
幼児は性別をまず「所属」として捉えると聞いた。クラスをさらに分けるとき、分類として「男の子はこっち、女の子はこっち」と性別を用いるためらしい。「かわいい服は女の子」は親でなくても社会に刷り込まれるよね
要するに、社会の方が性別をある意味、強制している、と考える人がかなり多いようである。
ところが、トランスジェンダーの人たちはそんな風には全く思っていない。
トランスジェンダーにも様々な人はいるけれど、代表的なトランスジェンダーの言う性別違和は、ずっと本人自身に根ざしているものであり、社会が刷り込んだものではない、と思っている。
MtF(MtFを代表例とするが、FtMにしてもいい)な人がよく言うのは、「私は女性です!」である。
彼女らは、好き好んで自己性を主張しているのではなく、自分が女性である、としか本心で思ってないからそう言っているのだ。
MtFは女性になりたい人、では絶対にない。生物学的にも女性になりたいと思っていたとしても、彼女らは生物学的性別が真の女性とは認めておらず、正真正銘の女性なのである。
散々このことは以前に調べて、いろんな人がいるのも知っている。イギリスでは性別変更を繰り返す人だっている。あるいは性別がわからない人もいるようである。
それらの人たちの「内心」それ自体は知ることができないため、物質的客観的な診断方法もないため、外部からは信じる以外に今のところ方法がないが、心と肉体の性別が反対になっていたり、よくわからない状態になっていることは、ほんとにあるとしか考えることはできない。
私も散々考察したけど、非常にこれは理屈では理解し難い状態なのである。
いずれにせよ、「ジェンダー」なるものは、実際には、生得的・先天的に人に備わっている何かに基づいているのであって、決して後天的に社会が与えるものを無意識で享受してる、わけではない、としか言いようがないのだ。
正直、何がどうなってるのかさっぱりわからないけど、事実としてそうなのだとしか考えることはできない。
MtFは最初から(生まれた時からと言う意味ではないことに注意。成長につれて気づくことがほとんどだから)女性なのである。
だから女性的なものを選びたがり、女性っぽく振る舞おうとするのである。
俺は叫び声はまあ別にいいんだけど、幼児~小学校半ばくらいの男の子の喋り方の独特なイントネーション(普通の人なら「子供らしくてかわいい」とか感じてそうなやつ)が苦手で聞くとしんどい気持ちになる。
ずっと理由がよく分からなかったけど、ふとその喋り方が知的障害者の弟に似てるからだと気づいた時には愕然としたよね。完全にPTSDじゃんっていう。
って、オタクが何でも過激な言葉(オタクミーム)で感想/批判/宣伝を語ったり、公式のキャラをねじ曲げてお花畑のゆるふわキャラにして愛でる気持ち悪さ、そのまま公式に凸する痛さと、
オタクもオタクで、公式と二次創作の区別がつかないオタクや、そういうオタク間のエコーチェンバーでねじ曲がった悪ノリや特定のキャラ虐めに公式が便乗する気持ち悪さに似たやつを感じて、公式批判に回ったんだろうなという、
オタクコンテンツにおける典型的な気持ち悪さが詰まってて、とても良かった
参考:
紐引くとモルカーがブルブル震える『ぶるぶるずぬいぐるみマスコット』の発売告知が出るも、テディの紐の先がごみになっているのに気付き人の業に震える人達 - Togetter https://togetter.com/li/1662133
(テディは好奇心でゴミを食べて飼い主が便乗した結果お腹を痛くしたのであって、
飼い主が便乗したのはダメ。いくらモルカーが食べたがってもお腹を痛くするなら野菜/おやつ/ゴミ/食べ過ぎどれも止めなきゃダメだ。
そういうダメな飼い主として描いてるし、
ああいうことをするとモルカーが可哀想だし、飼い主もひどい目に合いますよって一連の描写込みで本編は正しい描写。
幼児向けのアニメだから慎重すぎるほど慎重でいい、モルモットの生態を下敷きにしてるキャラにゴミを食べさせて何のペナルティもないグッズは出しちゃダメって批判、大人のオタクが喜ぶからって越えちゃいけない一線があるのは理解できる。
が、テディちゃん可哀想とか、にんじん食べさせてもらえて良かったねとかは意味わからん。
普通の野菜じゃなくてブーストにんじんなところはテディの破天荒さが現れててかなり好き。だから結果的には良かったかな、と思っている。)