はてなキーワード: 幼児とは
って、オタクが何でも過激な言葉(オタクミーム)で感想/批判/宣伝を語ったり、公式のキャラをねじ曲げてお花畑のゆるふわキャラにして愛でる気持ち悪さ、そのまま公式に凸する痛さと、
オタクもオタクで、公式と二次創作の区別がつかないオタクや、そういうオタク間のエコーチェンバーでねじ曲がった悪ノリや特定のキャラ虐めに公式が便乗する気持ち悪さに似たやつを感じて、公式批判に回ったんだろうなという、
オタクコンテンツにおける典型的な気持ち悪さが詰まってて、とても良かった
参考:
紐引くとモルカーがブルブル震える『ぶるぶるずぬいぐるみマスコット』の発売告知が出るも、テディの紐の先がごみになっているのに気付き人の業に震える人達 - Togetter https://togetter.com/li/1662133
(テディは好奇心でゴミを食べて飼い主が便乗した結果お腹を痛くしたのであって、
飼い主が便乗したのはダメ。いくらモルカーが食べたがってもお腹を痛くするなら野菜/おやつ/ゴミ/食べ過ぎどれも止めなきゃダメだ。
そういうダメな飼い主として描いてるし、
ああいうことをするとモルカーが可哀想だし、飼い主もひどい目に合いますよって一連の描写込みで本編は正しい描写。
幼児向けのアニメだから慎重すぎるほど慎重でいい、モルモットの生態を下敷きにしてるキャラにゴミを食べさせて何のペナルティもないグッズは出しちゃダメって批判、大人のオタクが喜ぶからって越えちゃいけない一線があるのは理解できる。
が、テディちゃん可哀想とか、にんじん食べさせてもらえて良かったねとかは意味わからん。
普通の野菜じゃなくてブーストにんじんなところはテディの破天荒さが現れててかなり好き。だから結果的には良かったかな、と思っている。)
妻は発達障害だし、結婚した当時は割と重めにうつ病だったし、そこにパニック障害もあった。
そもそも、結婚したのはもちろん「この人となら~」とか「愛しているから~」とか、そういったことはあるけど、それ以上に、それ以上に医療・福祉面で家族でないと介入できないことが多すぎたから...という事情が大きい。
まず、彼女は分離不安が強い特性があった。だから、私が1人で仕事に行っている間、不安からパニックになることもあった。
それを薬と、それから認知療法的に...居なくなっても必ず帰ってくるという実績を積み上げて自信につなげていく...1年くらいかかったかもしれない。
次に、些細な失敗でもパニックや過度な不安、落ち込み、希死念慮につながる。
家に帰る前に「洗濯物をしておいて欲しい」と電話した。妻は洗濯した。けれど、洗剤を入れ忘れたことに気がついた。
家に帰ると泣きながら寝込んでいた。次の日にも泣いていた。
それを自分でやり直しながら「そんな落ち込むことじゃない」と教える。。。これも1年くらいかかっただろう。
とてもとても不快な発作から彼女は逃れようと、手元にある薬を何錠も何錠も飲む。
それを防ぐために、朝・昼の薬は分けて渡す。他は自分が持って会社へ行く。。彼女の心の支えを奪うのはいささか気が引けた。
けれども、パニックは改善しないし別の問題を引き起こす以上耐えるしか無い。パニックはいつも耐えるしか無いのだ。
パニックの頻度は減り、パニックとの多少マシな付き合いを覚えた妻はODしなくなり薬を任せられるようになった。
分離不安は、不安なときは自ら「ちょっと話せないか?」とこちらの都合も考えながらも、必要最低限の支援でやり過ごせるようになった。
失敗も...失敗はいっぱいだけど笑って「ごめんなさい」と言うまでになった。
そんな成長は次の段階になる。
「家にいるのはもう嫌だ」
「独りぼっちで家にいるのはもう嫌だ寂しい」
僕はひどく混乱し落胆した。
家にはきちんと帰っているから寂しい思いはさせていないつもりだったし、なにより「家にいるのはもう嫌だ」と、それが何よりも傷ついた。
妻はどうして家を拒絶するようになったのだろうか。
居場所がなかった妻に居場所を精一杯作ろうと努力したし、独りぼっちも極力回避してきたつもりだった。それなのに...と。
僕と妻は何度も何度も話し合った。
「親離れの時期だ」と。
幼児はいつかまだ見ぬ世界を求めて、親の腕から離れて歩き始める。
最初は1歩だけ。怖くなって帰ってくる。けれども次の日には2歩。。。と。それが結果的に保育園でも良いし幼稚園でも良い。
いつしか、親の居ない時間を自分だけで過ごして新しい世界を謳歌していく。
妻にもそんな時期が来たのだ、と。
とはいえ理解は必要だし...。と、物は試しに就労継続支援を利用することにした。
これが効果覿面だった。
不安でパニックも再発した。それでも理解のある職員さんに支えられながら着実に通える日を増やした。
いつしか、朝の送り迎えは不要になった。妻は自分でバスに乗って通うようになった。
そこまで来ると妻にも私にも分離不安なんていうことは過ぎらなかった。
落ち込む日には落ち込む理由を探せるようになった。天気、昨日の出来事、体調...etc
着実に妻は成功と成長を重ねた。
それが結婚2年目の話。
そして3年目。
今までのこと以外にもなんやかんや色々とあった。
妻の家庭(実家)に、余計なことと思いつつ介入しある程度正常化したり、
時には眠れない妻に付き合い一晩起きたり。
何より妻以上に不安だったのは私だった。
「良くなるのか」
そんな葛藤の日々だった。
頼れる人も少なかった。
それでも、ここまでの私の苦労は人並み以上だったようだったらしい。
時には、、、あるいは1年目なんてほぼ毎日、、、お酒で寝てしまっていた。
「なんでこんなことになってしまったんだ」
気がつくと、私は妻にたくさんたくさん泣きついていた。
そんな日々で今までの自分と妻を振り返った。
「本当に大変な子育てだったね。ごめんなさい。お疲れ様でした。
今この瞬間、僕は娘と別れた。
そして改めて妻と2人で歩もうと決めた。
ひとまず一緒に自分の体をしっかり癒やそう。
いっぱい端折りました。推敲もしていなくてごめんなさい。
模写
右脳で描く
自分の描きたい絵柄が違っても骨格、筋肉は無駄にならない…、と思う
あと石膏デッサン、といっても石膏像でなくて代わりにフィギュアでもいいと思う
日本の漫画やアニメみたいな絵が描きたいのなら立体にウソを適度に混ぜて描くので、
そこに記号(立体としては破綻しているけどこう描くもの)をいい感じのバランスで混ぜる
というわけで、まずは模写ではないかと
あとは幼児用の塗り絵を本気で(レンブラントとか)光学的に考えて塗ってみるとか
漫画やアニメで絵が上手い人も意外と古典的な名画とかのうんちくも多く持っているものだと思う
自分が描きたいものにとらわれない広い視野も大事だと思うけど、
知らんけど
[B! togetter] 「自分は平気だから」という理由で家事をせず妻にも強制しないタイプの夫、かなり多い模様→どうすればいい? - Togetter
y_as ひろゆき「うちの妻は掃除好きなんですよね。僕が嫌でやりたくないことを彼女は好んでやってくれる」妻「好きじゃねーよ!」
sand_land 「自分は気にしない、気になる人がすれば良い、分業、適材適所」と言う人は往々にして、「気になる人」の提供する快適さにフリーライドしている事を自覚した方が良い。
mame_3 「炊飯器に一人分にも満たないご飯を残す」「冷蔵庫の牛乳パックにチャプチャプと音がするくらいの一口分を残す」「使い終わったトイレットペーパーの芯をトイレの中に置きっぱなし」削ってくるよね、こういう人。
dimitrygorodok いわゆるフリーライダー行為だし、家庭内の信頼関係醸成の邪魔にしかならないからいずれは高い代償を払う羽目になるのは明白。
kappateki 会話しろと言われてるけど要求したら平気って言われたんだろうし、要求高すぎるのではってのもこの人の場合ワンオペ育児の「乳児と幼児1人で風呂に入れる」「子守しつつ料理」に手を貸してほしいって程度じゃん…?
camellow これが怖くてルームシェアとかできなかった。トイレも風呂も掃除しなくていいという人と一緒になったらこちらが負けるの目に見えてるから。相手の意も汲む姿勢のある人とじゃないと共同生活はできない。
KoDoKu_Si 発達障害気味の孤独死予備軍男性宅を訪問すると高確率で部屋に虫が湧いているレベルのゴミ屋敷なのだが、話を聞くと「ずっとママ(母親や熟年離婚で逃げられた嫁)にやってもらってた」と口を揃えたように言われる
Aikoku_Senshi 受動型アスペルガー男性のご家族から「結婚後/出産後に豹変した」とよく聞く話で、本人としては「言わなくても嫁がやるのが当然」なのだろうhttp://htn.to/hdqcZEjybHエネルギーを離婚に向けて逃げられる準備を推奨している
diabah_blue うちは家事タスクをやっつけた方が相手の前でポーズを取り「ババーン!」と言っていいというシステムにしてる。自分がしたときは口にすることで満足感が得られるし、してもらったときは感謝を伝える機会になってる。
dogdogfactory 自分もそうだけど、やらない人は気にならないんだよ。ゴミが溜まっても床や換気扇が汚れてても。「家事を止める」をやってもダメージを受けるのは増田のほうで妻じゃない。気になるほうがやるしかないんじゃない?
k-wacky76 「公平感」という名の「どっちが得してる楽してるって発想」してるうちは、永遠にもめ事は解消しないぞ。相手に期待するな。出来るときに出来る人がやればいいのさ
screwflysolver 家事の分担自体より、それについてうまく話し合えない(増田の関心事を妻が蔑ろにする?)ことが不満なのかなとゲスパー。「私はやりたくないから君が全部やって」って言われちゃえば逆にスッキリしたりして。
zataku 「ちょっと手伝ってー」や「(今日は)自分がやるね」「ありがとう/ごめん」等日々のやり取りが気軽に出来ない状態なら、コミュニケーションが上手く取れてないかも。あまり重く考えずに軽い声掛けから初めてみては
hara_boon よくある相談の男女が逆になったバージョンぽい。結局家庭によるがFAなので、周りがどうとか考えずに夫婦間で話し合うしかない。結局気になる側が損するので、どこまで妥協できるか、を探っていくしかないと思うな
kawacchosan 同じような悩みを持ってて、同じように昔増田に書いた。あれから数年経ったけどあんまり解決してない。人は変わらないので、得意不得意で分業していくぐらいしか思いついていない。一緒にがんばりましょう
kitayama 多分だけど、綺麗さのレベルが違うんだろうな。ゴミ一つ落ちてないか、散らかってても気にならないかとか。そこ話してみてはどうだろう。
woodnotexx 精神論になってしまうが「すべての家事は自分でやる」と思い込んだほうがいい。妻に頼む気遣いややってくれないときの苛立ちというストレスがなくなり、月に一度でもゴミ出してくれたらありがたく思えるようになる
ameshonyan そんなに家事してもらいたければ家事好きな人と再婚すれば?としか言えないな。30年そうやって生きてきた人はもう変えられない。
そして、これらのうち重複するのは(つまりどちらの記事の人気コメにもスターをつけていたのは)以下の140人だった。
全体が952人のうちの140人なのでわずか14.7%である。
aco0, agnusdei28, aki-akatsuki, AKIMOTO, am1130pm2330, amtmt, ardx, Arturo_Ui, atahara, baronhorse, Baybridge, catryoshka, charleyMan, chuff_chuff, damedom, differential, dimitrie, drunkghost, dusttrail, eartht, emmie714, everybodyelse, ewiad420, ezmi4, far_niente, fried-tofu, fu_kak, furseal, gdsk, ghosttan, gorokumi, grandao, graynora, grisella, h1roto, hara_boon, haru-k, hatechan09, hinatadegorone, hirarino, hiSAtO, hitoyo14142, hogetahogeko, honeybe, hryord, humid, ipinkcat, ippeichangg, irasally, itacon, IvoryChi, Jinmen, kagecage, kanagawakama, kanicrap, kaorm, kareha98, ken-baan, khtokage, kico_wm, kidspong, kogumatan, kokekokekoke333, kpen, kumpote, kuniku, kuroi122, lavandin, layback, m4i, maaaaago, mak_in, mamikri, maroon, mawhata, MIchimura, MiG, Mikael4747, mimo_duck, misomico, mkotatsu, moandsa, mobile_neko, motiri007, mrescape, msdrmgmg, mtmt_id, nacady, neko_no_muzzle, nekowolf, Ni-nja, nicoyou, nippondanji, nobori_lupin, north_god, octa08, otsuno, Outrast, p-2yan, pandachoco, pandaman47, pega2s, pikopikopan, piripenko, plutonium, praty559, red_snow, rgfx, sabacurry, sachi_pop, saori-yamamura, sato0427, satovivi, shields-pikes, smallpalace, sociologicls, solailo, srng, straight_hair, susuharai, tapi423, tarako3016, tea053, tkggohan, torico16, tsubaki315, utabuti, uunfo, vkara, vlxst1224, wa_oga, waihasaruya, wantocat, white_cake, white_rose, wisboot, wuzuki, yamasei03, ykkkws, yumenoa
もちろん、この140人だって即ダブスタと判断できるわけでもない。
この二つの記事の人気コメントは、単純に正反対の内容というわけではないからだ。
真のダブスタはてなーをあぶり出すには、さらなる精査が必要となるだろう。
今日、インターネットでだれかの幼稚園の頃の記憶を読んで(思い出というには悲しい話だった)「すごくよく覚えているんだな、私はこんなに覚えてない気がする」と感心しつつ不思議に思えた。そして同じ歳の頃の自分はどうだったかな、と記憶を掘り起こしたので、思い出されたものを記したい。
*
私は保育園育ちだけど、多分3回ほど引っ越している。記憶に残る一番古い友達とのやりとりは、4〜6歳を過ごしたはずの最後の保育園でのことだと思う。
その時、たぶん私は5歳くらいで、教室のなかで輪になって座り、友達数人とごっこ遊びをはじめる相談をしているところだった。
みんな女の子で、初代セーラームーン全盛期だったので、当然セーラームーンごっこをするのだ。
だれがどのキャラの役をするのか、まずは女の子同士で話し合って決めていたようだった。
セーラームーンごっこには暗黙の了解があって、その場でなんとなく強い女の子から人気のキャラになれる空気感があった。
*
(以下の感覚は5歳のときには表現する言葉をもってなかったので、当時の感覚に今の言葉を当て嵌めて表現する)
一番人気は断然セーラーマーキュリーだ、大人っぽくて知的で一番お洒落な感じがして青いところもまた良かった。次はセーラームーン、ちょっとバカっぽいとこはマイナスだけどまっすぐだし何より主人公だし悪くない。次はビーナス、あんまり魅力はないけどまぁ悪くはない。セーラーマーズは人気がないのでやだな、なんかダサい、赤いパンプスとか特にダサい、なんでブーツじゃないの?一番不人気だったのがジュピター、マーズもダサいけどジュピターは超ダサい、緑ってカッコよくないし可愛くもないし、髪型もなんか魅力がなくて微妙。
そんな風にみんななんとなく思ってるから、その場で強い子か、それかそろそろこの子に決めさせてあげないとね、みたいな子からマーキュリーを選べるんだ。
*
ここまで思い出して、ルッキズムというのはこんな幼児でも感覚的に発生しているものなんだということにすごく驚いている。
それはセーラームーンのキャラクターの話だけじゃなくって、当時の5歳の私たちの間では、強い子とは、つまり可愛い子だったのだ!
それは5歳くらいでお互いの顔の美醜を判断していたし、しかもどっちが可愛いとか可愛くないを考えた上で、可愛い子が偉いという感覚をなんとなくみんな持っていたのだ!
わたしは記憶を掘り起こして当時の感覚に言葉をつけながら文にして驚いてしまった。
みんなはどうだった?なんのキャラが1番人気だった?そのときの気持ちを覚えてる?
当時の記憶に言葉をつけたら、子どもというのは表現する言葉をもたないだけで、案外大人と同じくらい感じて考える心情をもっている侮れないものなんだなと考えてしまった。
俺もう水疱瘡治ったわwwえ、コイツら水疱瘡なの!?水疱瘡とかwwって幼児を見下しながら笑い散らかしてる奴いたら引くだろ
キモいがすぎる
黒歴史は誰にでもあるだろうし自分の黒歴史を思い出して転げ回るのは自由だけど、出た~~厨二~~~!!!みたいな態度を年下の他人に対してまで取るのはキツくね?
ブコメも書いたけど、増田さんの問題意識と違うこと書いた気がするので改めてトラバ。
えーと
増田さんの「やっつけること自体はいいけど直接手を下すのを幼児に見せるな」について。
「敵を滅ぼして良い」を分解すると、「なぜ滅ぼすのを選ぶか?」に触れないわけにはいかないとおもうんだよね。
寄生獣のシンイチは自分のエゴにすぎないと自覚して相手を殺す選択をしたわけだけど、ビョーゲンズも寄生獣と同じく、そのようにしか生きられない生物なんじゃないのかな(よく知らないので違ってたらごめん)。
(プリキュアのラストで描かれたのは、おそらく)人々を苦しめ傷つけたものを罰する≒正義だから手を下すと言う事だと思う(違ったらごめん)。それは大人目線では欺瞞なんだけど、その解決方法がのどか以外のデウスエクスマキナがうまいこと悪をやっつけてくれる…ってのは、どうなんだろう?手を下さなかったのどかは優しいねー?いやいや、大人目線ではのどかはシンイチのように無辜の病原体に手を下したエゴを噛みしめるべきだろうよと思うんだよ。でも、幼児にそれは難しい。だからとりあえず正義のように描写しといて、大人になってからノンマルトの使者やジャミラみたいに「アレ人類が悪くね?」って思うのもアリなんじゃない?
それは健康保険を例にして考えてみればいいのでは。国民皆保険制度で、患者の医療費の自己負担率は年齢(6歳未満・70歳未満・75歳未満・それ以上)だけで区切られてて、「年収1200万円以上のひとは自由診療になります」みたいなことはしないじゃん? それは、国が提供する社会保障制度の水準は、対象者の所得によらず一定に保つのが公平だという社会的合意があるからだと思うんだよね。あと、再分配の局面で年収とか資力の制限をつけると、制度や運用が複雑になって、行政処理のコストが跳ね上がっちゃうから、というのもある。
根本から考えてみると、政府がもつ重要な機能のひとつとして、租税制度と社会保障制度の組み合わせによる所得再分配があるわけだよね。お金持ちから取って、貧しい人に(手当や保障や行政サービスとして)配ることで、格差を是正して、社会的な公平性と活力を維持するということになっている。ここまではいいよね?
そんで、ここが重要なんだけど、もともと「収入のレベルに応じて多く取って貧富の差を緩和する」という仕組みは、租税制度(=徴収の側)に組み込まれている。だから、再分配の大枠はこの時点で調整するのが好ましい。租税でやれる調整を社会保障でもやるのは二重処理で無駄が多いし、全体として貧富の差がどの程度緩和されたかを定量的に把握・調整するのも難しくなるから(一応、再分配所得ジニ係数という指標では手当・給付系も算入されているけどね)。
再分配の程度を強めたい時には、高額所得者への課税強化で対応して、社会保障制度のほうはなるべくシンプルで一律な仕組みのままにするのが筋が良い。増田が例に出している児童手当も社会保障制度=分配の側での所得再分配なので、ここには収入制限を設けないで一律に15000円にしてしまい、原資は高額所得者への課税強化で賄うほうが良い制度設計といえる(だから児童手当についての「960万以上は5000円」という減額枠も、高校教育無償化にある所得制限も、自分はなくしたほうがいいと思ってる。ちなみに幼児教育・保育の無償化には所得制限はない)。
「所得での調整だけだと子あり高所得者世帯と子なし高所得者世帯に不当な差が付くのでは」という反論もあるだろうけど、そこは子供の数による非課税限度額という項目でも調整できると思う。といっても自分は、子供を1人生み育てることによる社会全体への効用(貢献)は、世帯収入によらず同じだと考えてよいと思うので、子供を持つ高所得者世帯にも所得が低い世帯と同じように再分配することには何の問題もない気がするけどね。
念の為断っておくが、当方は自己犠牲を礼賛する立場でもなければ、悪役に対しても性善説で接しよというつもりはさらさらない。
件のプリキュアにおけるメッセージはカギカッコ付きで「正しい」。
だからこそ大人として世界に向き合う責任と自覚を放棄した歪みがあると思う。
現在ツイッターでプリキュアおじさん(見る限りほぼ全員独身の高齢アニオタ男性)が
「もし本当に反省しているなら悪行をして笑ったりしない。
都合の良い時だけ私(主人公)を利用しないで!」
よく言ったこれでこそ令和だ正解だ画期的だ脚本ブラボーと褒めそやすツイートである。
この悪役が例えば映画版とTV版のキャラ違いを往復するジャイアンの如く、何度も何度も何度も何度も利用されて裏切られるを繰り返してきたならば、確かに悲しいけど仕方ないねと腑に落ちる。
自分のみならず世界人類全体に迷惑をかけていたなら、これも仕方ないけど自分ひとりで許すのも違うからわかる。
でも文脈上はそうではないらしい。(プリキュアの敵なので世界人類の敵であることは事実だが、伝えんとする意図は別にある)
命乞いから実際裏切られた、裏切られる可能性うんぬん以前に、丸1年間の放送でずっと主人公陣営を傷つけてきたボスに不快感を抱く事は間違っていないと全肯定する。
そして何より自分の心を守るために「お前が不快だから助けてやるもんかざまぁみろ」と堂々と拒否をする。
そういうある種の「人生n周目のループもの主人公が書き換えた正解の世界線」じみた、自分の繊細ハートが傷つく前に敵を殺れ!という心の防衛を至上とした完璧なる護身メッセージなのだ。
ヒーローだけど無理して全てを愛さなくていい。弱り目を承知で悪意をぶつけてやりたい憎い奴を憎んでもいい。そうやって自分の心を大事にしようと。
これに爽快感を覚えるのは基本的に自分を「つけこまれる側の被害者」と認識している人間と思われる。それでいてもろい自己を他者に守ってもらいたくて仕方のない人間だ。
おそらく自称つけこまれた被害者の彼らは思い思いに己の人生の闇をフラッシュバックさせて
勝手に「救われた」気分になっているんだろう。
散々陰キャの俺をいじめておいて、卒業間際あるいは問題化された時に、保身で都合よく和解を申し出てきた学生時代のイジメっ子。
イジメっ子が放つ軽々しい「ごめんね」の言葉に、事を荒立てなくない教師から許しを強要された思い出。
無能だと罵倒しながら、人手が欲しい時、辞めてもらいたくない時には急場しのぎでチヤホヤと引き止める嫌な上司。
もしかしたらアニメスタッフが現場のちょっとしたトラブルを思い出しながら書いていたのかも知れない。
そんな彼らを悪と断じられる程の信念や自己肯定感も持てず、うまく対処したくても出来ないフラストレーションを、「この叫びは陰キャの俺のものじゃない」「女児向け思想だから」と言い訳が出来る投影先のプリキュアに代弁してもらった、射精せんばかりの絶頂感。
そういう失敗陰キャおっさん達の泣きシコ汁に塗れたくっさいくっさいツイートだらけで鼻が曲がりそうだ。
でもな。
お前ら「人生あそこでやり直したかった」塗れのプレイ時間だけは長い低レベルプレイヤーには良心的な教えでも、まっさらな状態から人生ゲームをスタートする子供にはそれじゃダメなんだよ。
なぜか?
「自分を信じろ」「自分の心の声に従え」と言われても幼児~小学生位の子供には信じるべき自分が物理的に存在しない。まだ形成途中にある。まず目の前の世界と他者をありのまま認識する作業を経て、そこに存在する自分の姿を経て自我を形成するのだ。
児童本人の自主性なんてものはハッキリ言って幻想にすぎない(大人ですら固まってないのが山程いるのを考えればわかるだろうに)。
大人に出来るのは「子供が学びを楽しいと思ってくれる」「家族や友達を思いやってくれる」よう、監視の目を絶やさず巧みに線路を引いて神経質に誘導しながらも「君自身の意志で選択したんだよ」風を装ってそらっとぼけることだけである。
いわばチクタクバンバンの動く時計とマスをカチャカチャ動かすプレイヤーと同じ関係だ。
だから半ば幼児の情操教育が存在意義である幼児向けアニメは裏側にどれだけ深淵な設定を重ねようと、「メッセージ」だけはシンプルで単純で子供でも反射レベルで実行できる、主観を廃した絶対の指示性がなければいけないのだ。
(一部高齢オタクに幼児向けコンテンツマニアが居るのは、物語の綺麗事に対する絶対的信頼感と安心感、そこに含有される複雑怪奇な人間社会の闇を幼児にもわかるシンプルな言葉で解き明かす性質に魅了されているのだと思う)
なのに件のプリキュア見捨てエピソードは「悪人の都合の良い言葉で利用される正義ワイの心の痛み」とかいう、複雑かつ理解に経験則が必須で子供にとって一番アテにできない自我を拠り所に「相手から発せられた言葉の意味と反対の事をしろ」と言ってしまってる。
端的に言って複雑な無茶振りがすぎて処理落ちするレベルなのだ。
「先生やご両親の言う事を聞きましょう」という子供が生活するうえで必要な基本メッセージに唾を吐いて「いやいや、教師や親というだけで信じるのは危険だからやめろ。奴らの嘘集をあげるから悪い奴から身を守ってくれ」と言って
毒親やパワハラ教師の体験談を未就学児にプレゼントしてしまうが如き「余計なおせっかい」である。エルサゲートを見せて社会勉強になると言ってるようなもんである。
確かに現実はそうかも知れない。でも子供にいま一番必要なのは「世界をとりあえずそのまま受け入れて信じて自我を確立すること」なんだからお前らのしてる事は発育妨害でしかない。
まずありのまま信じさせてやれ。
大人が子供に出来るのは、子供に敢えて綺麗事を示して「安心して世界を信じろ」と断じる事だ。
自己護身のために「その時は悪い事を言っていない他者」を疑え警戒せよと煽る事じゃない。
わざわざ言葉の裏を疑えうんぬんと世界に不信感を持たせる事を言う位なら何のために勧善懲悪のキレイゴト物語のフォーマットを用いているのかわからない。
自我どころか言語認識すら途上で危うい子供には綺麗事を疑う事を前提としたメッセージ処理できないから、メッセージは「自分といったん敵対したからには悪は悪だからやつの口にする反省は嘘だ」になる。
小さなガキは四六時中間違いを起こすし、友達とは毎日ケンカと仲直りを繰り返すような生き物なんだけど、これ自分が悪役側になることだって充分あり得るのに、みんなが鵜呑みにしちゃったらどうなるんだろうね?
お母さんの無償の愛に甘えてイキって困らせてそうなオタクおじさん達は「プリキュア(俺)に我慢を強いる無償の愛を求める敵をよく倒してくれた」と言いながらウットリしてるけど、
悪役とされる側への寛容ってヒーローヒロインに犠牲を強いてる訳じゃなくて、自分がもし道を誤って悪役とされる側に堕ちた時の為の救いでもあったはずだ。
そういう可能性を僅かも考慮しない高齢オタクおじさん達は卑屈な陰キャのくせに、どうしてそんなにも頑なで自分は絶対に被害者のままで断じて加害者に回らないと言い切れるんだろう?
まさか自分が病んで追い詰められて道を外した時には潔く「僕は擁護のしようもないクズですううう」と叫びながら一切の救済を拒否して誰にも迷惑をかけずに腹でも切るのか?
なわけねーよなぁ?自分が僅かでも救済されるかも知れない余地があるなら見苦しく立場の一貫性もかなぐり捨てて縋りつくよな?正義のヒーローの犠牲なんか知ったこっちゃない、ヒーローなら俺をも救ってくれるはずだと。
そういう人間の業と弱さを認めて見放さずチャンスを与えることで、他者も自分自身も許せば楽になれるよというのがこの手のエピソードの肝だったはずだ。
「罪を憎んで人を憎まず」は無念を押し殺して涙を飲んで敵を許せという意味ではなく、人として自分も含めた人の業と折り合いをつける知恵だったはずだ。
他者への潔癖な非寛容は自分自身を縛って生きづらくするという事は、他ならぬポリコレ叩きのオタクおじさん達が嬉々として口にしている言葉だろうにな。
なんか、自分を大事にとか理不尽な犠牲の否定とかじゃなくてこういうものが生まれる根底に、陰キャキモおっさん目線の失敗を過剰に恐れる間違った完璧主義と「俺は被害者なので何があっても絶対に悪(加害者)に回ることはない」という勘違いと、
幼児向けアニメなのに高齢オタクである自分のためのものだと思って子供目線で想像しようともしない傲慢さ(女児向け云々はアリバイ工作の時に口にするうわべワード)が鼻につく。
そう言えば別の某アニメで「若い子供のうちは間違っても取り返しがつくことが特権なのだから、迷ったり悩んだりして動けなくなるくらいなら思い切ってどんどん間違えてみればいい」と中学生の子供にアドバイスした親がアニオタ達から結構叩かれていたのを思い出した。
これも連なる話なのかね。
たとえば
犯罪の使いっぱしりにされるとか、性的虐待とか受けてしまう人が多い
これは共感能力が高い、といえるだろうか?
まあ高すぎて暴走しているとは言えるかもしれないが、異常ではある
そして、挙げられていたような活動家たちや支持者も
これがポイント
ウィリアムズ症候群のように共感能力が高すぎて暴走しているとかではない
単純な心とものすごい複雑な心まで全部推論すれば誰にでも共感できるが
当事者性だけで判定するのが単純だというのはそのとおりだ
複雑な人間に共感し、単純な人間に共感しないのは共感能力が高いか、といえば微妙だろう
誰にも共感できない極限と誰にでも共感する極限が共感能力がぶっ壊れている人間であり
まして、同一の対象をみんなで叩くのは
男性の体に生まれたトランスジェンダー女性が女子スポーツに参加することに反感を持つ人向けの例え話。
ジャングルの奥で文明社会に関わらずに暮らしている未開の部族がいたとして、その部族の女性にスポーツを教えてトレーニングしたら、生まれつきの身体能力と幼児の頃から厳しい自然の中で鍛えられているおかげで物凄く優秀なアスリートになり、女子スポーツの試合で上位を独占するようになった。
他の女子選手は誰もこの部族には勝てない。多くのプロ選手やスポーツ奨学金での進学を狙っていた学生選手が諦めて競技を去ることになる。
それでも、この部族が女子スポーツの試合に出るのは不公平だとか、今まで厳しい練習に耐えて頑張ってきた他の選手たちが可哀想だとか、そういう理由で出場を禁止すべきと訴える人はいないだろう?
トランスジェンダー女性は、この未開の部族と同じで、「これまで発見されていなかった女子スポーツ選手」なんだ。
しかもトランスジェンダー女性は、例え話の未開の部族とは違い、我々と同じ社会で暮らしていてずっと隣にいたのに昔から無視され、今も無視され続けている「女性」だ。