はてなキーワード: 家庭科とは
家庭科と、保健体育の授業でやったぞ
羊の腸に、自分たちで味付けをしてこねた肉を入れ
くるくるねじってウインナーソーセージにして、
これが、今でも覚えているくらいに物凄く美味しかった。
一番好きだったのは、ドライカレー。おかわりが続出し、すぐに空になるほどだった。
美味しくて本当に好きだった。神奈川県大和市の給食センターに料理習いに行きたい。
レシピを貰ったことがあるのだけれど、「大和市」というだけであって広いからか
違うところの給食メニューレシピだった。味が全然違ったし、ドライカレーに入ってなかった具材まであった。
クックパッドにもあるけれど、給食で食べたことがないレシピばっかり。
また食べたいなぁ。
お金も一番かかる。
高校受験で偏差値70は才能がなくても努力だけで絶対到達できる。
それも中学受験みたいに馬鹿みたいなお金かけたブランド塾代も不要。
先取り学習で中学校ではトップクラスを維持し、高校受験で公立ナンバースクールか早慶MARCH関関同立付属私立を狙うべき。
特に地方で将来も地元に残る事を考えるなら公立ナンバースクールを卒業することは人脈の点で超有利。
今は先取り学習やってくれる塾もあるけど、なければ英検の塾と公文でOK。
とりあえず小6までに英検3級と公文Iまで目指そう(Hでも十分無双出来る)。
小5からゆっくりゆっくり始めても十分すぎるくらいに間に合う。
大丈夫、一定以上に頭が切れる子はみんな中学受験に行ってるから全然トップクラス取れる。
公立中学って親世代と違って絶対評価だから、体育(ラジオ体操だけ頑張ればいい)・家庭科&美術(提出物の締め切り守ればいい)も先生に歯向かわず休まないで手抜きせず頑張ってればどんなにスポーツテスト雑魚や下手くそな絵でも絶対3以上になる。
私は女で、高校生です。ちなみに星野源が好きです。私淑してます。
私は自分のことを「女子」だとは思っていません。女だけど「女子」じゃない。(初投稿)
私は趣味や考え方がどちらかといえば男っぽい方だと思います。工作とかパソコンとかが好きですし、感情よりも理性を優先して物事を決めたいです。家庭科より技術、文系じゃなくて理系(物理選択)。
「女子」が嫌いなわけじゃありません。感覚で理解ができないだけです。
一緒にトイレに行くのとか、「掃除行かなくてもいいよねー」と仲間内でサボるのを認め合うのとか、グループでの決め事で絶対「どうする〜?」から初めて絶対自分の意見を言わないとか、とりあえず「かわい〜」とか、とりあえず謙遜するとか、変って言わずに個性的って言うとか。人を傷つけないコミュニケーションというか(自分も傷つかない)(本当に仲良い人の間では別かもしれない)。私には理解できないけど、考えがあってやっていることだから、否定はするべきじゃないとわかってはいます。(でも毎回、もっと合理的にやろうよ、と思ってしまう)
でも、周りの女には自分と同じような価値観の人があまりいません。ましてやメディアなど目立つ場所で、自分と同じような価値観を持っていると期待できるような人をあまり見かけません。
なんなら世間から「「女子」の思考」を押し付けられているような気がします。雑誌の表紙なんかが特にそうだと思います。まあこれは好きじゃないなら買わなければいいだけの話かもしれません。
なぜ「女子」の思考を押し付けられているように感じるかというと、自分は女で、「女子」に属しているはずなのに、精神的には自分の居場所はそこじゃないと感じるからです。
つまり、なんで表面上の特徴で内面まで規定されないといけないの?おかしくない?ということです。
めっちゃ被害者ヅラして申し訳ありません。男友達を作ればいいだけですよね。
でも、こんなに女子が無理とか言っている割に、小学校の時からずっと女友達だけの人間関係で生きてきちゃったので今更どうやって話したらいいかわからないんですよね(ただのコミュ障)。
女子とでも男子とでも明るく話せる人が羨ましいです。「女子」の集合に属しているのにそのしきたりに従わなかったのが、今こうなっている原因な気がします。従わないなら従わないなりにほかのコミュニケーションの方法を模索するべきでした。馬鹿だった。
引っ込んでいくーーー
確かに、「女子」という大きな集合に含まれているっていう安心感は絶大です。人類の二分の一。それにいちいち考えなくていいから楽だし。でも、そこが絶大だからこそ、心では含まれていないときの心細さがすごいんだよ!!!!わかっておくれ
で、世の中に何を求めているかというと、「女子」括りをどうにかしてほしいんです(こういうのは「私はこうしたい」とするべき?)。「女子」だからこう考えるでしょ?と言って発信する「女子」に、「女子」に含まれない(と感じている)女を認知して欲しいんです、理解できなくてもいいから。
価値観を外面で決めつけないでほしい。内面から純粋に思うことだけで決めさせてほしい。例えば、これはもう古いのかもしれないけど、青が好きだけど女だからピンクにしておこうかな、とかそういうことを後の世代に思わせてはいけない(思いたくなかった)。一回外面で内面を規定されてしまうとそういうものなのかなって(純粋だから)思って、自分が心から(genuine)好きなものがわからなくなっていってしまう。そうして画一化していく。
せっかく戦後豊かになってきたんだから、物質的な豊かさ(≒自由?)だけじゃなくて精神的な豊かさ(≒自由、多様性?)も認めていこうって感じだよね、世の中。だからもっとばらばらになりたい。
私はあなたの存在は認めるし、基本的な愛は持っているけど、でもどうでもいいや、ご自由に。っていうスタンスで、もっとばらばらにならないかな。ばらばらがスタンダードにならないかな。
「世界は一つじゃない ああ そのまま ばらばらのまま 世界は一つになれない そのままどこかにいこう」
去っていくーーー
(書きたいことが右往左往してしまいました。無理矢理ばらばらを持ち出してねじ伏せた感がすごい、、、初投稿ということで許されたし)
消しゴムを忘れた児童を3.5時間立たせた神戸市北区の25歳教員がニュースになっている。
はてブの中で「年寄りかと思ったら25かよ」などの意見があるが、個人的な感覚としては、「この時代がいよいよ来たな…」という感じだ。
これから変な教師は若い世代の中からもどんどん出てくる(昔にも居たは居たが、それより規格外のやつだ)。でもそれは教育のせいではない。政府と、それを容認してる“民意”のせいだ。なぜなら、この人1人で済む話ではなく、またこの数ヶ月や1年の「成果」でモンスターみたいな教師が出てくる訳では無いと肌感で思っているからだ。
前提として、この教師がやったことは体罰だし罪と罰のバランスが取れていないし、コメントを見てもうわぁ…と思う。でも、じゃあブコメにあるようにこの人1人を辞めさせたら解決かというとそういう問題じゃなく、点では無く面でというか、塊で発生してるのではないだろうかと前々から思っていたからだ。
まずは小学校の採用倍率。今年は過去最低の2.7倍。2.7倍だ。約5人中2人受かる。かなり低い。初任給は20万円程度で、手取りが17万くらい。これで定額働かせ放題だ。中年になれば世の中のサラリーマンの平均より高いというが、やることは1年目から変わらないし、若い世代のほど課外の活動はあり、親にナメられ削られる。生徒は20人〜40人(今はこんないないのかな?)を、1,2年で中身が総とっかえされながら気を配り親とも付き合っていく。小学校でも受験の相談とか最近あるだろうから、高学年だったら進路相談もありそうだ。バイトみたいな月収でこれをやりたい、と考えるだろうか。志がある人はもちろんこの条件でも受けるだろうが、そうではない学歴も能力も徳も備わった、いわゆる「親の皆さんがこれで良しと認める」ような人が、職業選択の候補の一つとして教員を選ぶのは、難しいかもしれない。(ちなみに大学で取る授業数は教員免許を取るには通常にプラスしてかなりの単位を取る必要がある。余分に授業を受けたり実技をしたり教育実習に行く余裕を捻出するのはかなり大変だ)
2つ目に実体験から。自分は29歳で教員免許もち。教育実習は高校に行った。偏差値70前後の公立高校。規模もそこそこあるために、自分の代で12人くらいの教育実習生を受け入れてた。そこそこ良い公立なので、実習生たちも有名大学ぞろい。そんな中で、偏りがあるのだが、同じ社会系教科で来てるのは6人いた。その中で教員志望は2人。しかし、超個人的な意見だが、「一般企業無理そうだな〜」というコミュ力が無く性格の微妙な2人が、よりによって教員志望だった。他の4人は自分も含め内定貰い済みで、他の人の内定先は官公庁、外資、大手製造などだった。
残る教員志望の2人は①某T大院、授業が早口独りよがりで下手。コールアンドレスポンスというか、人と絡もうとする意思が見受けられない人。コミュ力12/100くらいしかない。
②某K大、真面目キャラに見えるが負けず嫌いでプライドが高く、幼い。何か言うとすぐ上から目線で返してくる高圧的な人。自分が「かしこい」と思っているタイプ。日常会話でもマウント取ってくるので次第に周囲から話しかけられなくなっていた。授業も下手。
といった具合。数学や家庭科や古文など、他の教科で教員志望の子はちゃんとしてたので、教科的な性格もあるかもしれないし、2例だけで全体を語るのは全く的外れだし、2人も将来立派な教師になる可能性がないこともないが、その時点で「こんな先生いたら良いのにな」という好青年・明るくぐいぐいくる女子・授業がうまいやつは先生にはならなかった。何でか聞くと「内定もらったから・そっちのが安定してそうだし」と。この安定とは何か。教員は鬱パワハラ身体を壊す危険性があり、国歌を拒めば罰せられる可能性のある「安定した職業ではない」ものなのだ。(国歌は左右の話ではなく、思想的な強要を受けるという意味。思想に、理不尽な強要を受けるのヤバい)
マイナス面ばかり語ってしまったが、だから何かというと、教員の給料を上げ、勤務制度を整え、有料人材がもっともっと憧れて入る、競争率が高い職業になるように政府は教育にお金をかけて欲しい。大袈裟かもしれないが、国の未来は教育で作られる。尊敬する先生に会えることは子供に大きな影響を与えるだろうし、余裕が無ければ子供は育めない。親の皆さんは先生は値踏みするものではなく、自分が相対していない間子供を育てる相方だと思って協力しながら接してあげて欲しい。世間の皆さんは揚げ足を取る対象ではなく、頑張れ!いいぞ!疲れたら休め!と応援する気持ちで見てあげてほしい。そしてそんな相方に足る人材・応援したくなる人材が教員を志望してくれる世の中になるように、国の教育へのなりふりをしっかり監視してほしい。
言及を最後にしたが、小学校での児童に対する性的ないたずら・暴行事件は、皆さんが認識している以上にある。教師の質を上げることは本当に、人間を守ることにつながる。それは学歴だのではなく、志と人としての倫理観が高い、成熟した心を持つ学生を教師に向かわせる社会的な環境だ。
今も教育現場で頑張っているみなさんにはエールを送りたい。その中には自分が大学で一緒に大量の単位取得を頑張っていた友人たちもいる。教育は綺麗事だけ言えば、20年後の未来を作る崇高な職業であると思う。今日もおつかれさまです!
難しいと言えば、難しい。
基本といえば基本。
でもどうでもいい。間違いは、お給料が40万円もあること。
ずっと24万円でよかった。
それで満足で幸せだった。
程度問題はあるが、教えられないパソコンスクールというのは、さすがに無理がある。
むしろ我々が50万円を超える月収を取るのに、そのへんで簡単に教えられるようなことをやていると思われているのか・・・それとも初心者用の超簡単な教材しかみたことがないのか・・・
本屋でよく売られていたよくできるWORDというのは、俺たちでいうと幼稚園用 一番最初にやる教材
美術も音楽も家庭科も、社会も必要になるから、プログラマーがブリーチしないマットアッシュに門外漢として最低限のたしなみていど、教えてもらう。
卒業論文の提出が近づいてきた緊張からか、最近はなかなか眠れていない。眠れないと、お腹が空く。
深夜に重いものを食べるのは身体に良くないと聞くので、こういう時には味噌汁を飲むようにしている。
フリーズドライのナスの味噌汁にお湯を注いでいると、ふと、中学時代に同級生に言われたことを思い出した。
「おい、ナスが何か切ってるぞ」
陰口を言われたり、私が触ったものを○○菌が付いた、みたいなことを言われたり、
漫画で読むようなものよりは軽いけれど、いじめのようなものを受けていた気がする。
いじめられっ子ながら思っていた。
しかし、何もしなければ家庭科の評価が落ちてしまうので、確かカニカマを切っていた。
ナスに似ている、というのは馬鹿にされたことだとわかった。今なら、鏡見て出直したら?くらい言えるのかもしれないけれど、当時はそれはとてもショックで、同時にナスも嫌いになった。今でも自分の容姿はコンプレックスだ。
大学3年生になった時、キャンパスの変更に伴い、引っ越しをした。
そして、たまたま同じ専攻の学生と同じマンションに引っ越した。
彼女は自分とは逆の、クラスの中心にいるような人で、最初はどう付き合っていけばいいのかわからなかった。
しかし、私の部屋に黒い奴が出て、彼女に退治してもらってから急激に仲が良くなり、今では二日に一度は会うほどの仲である。
彼女は、良く私のことを褒めた。
真面目だということだったり、容姿であったり、とにかく色々なことを褒めてくれた。
卑屈な私は、それをお世辞だと思っていたけれど、自分の良いと思ったものを、憚らず良いと言う彼女と接していくうちに、
夕飯を作ったから食べに来て、と誘われ、
他人に出された食事だからと、無理をして食べたそのナスはとてもおいしくて、私はその時、ナスの味ではなくて、自分が嫌いなんだな、と気がついたのだ。
今でも、自分をいじめた奴らの名前は覚えているし、相談しても見て見ぬふりをした担任の名前も覚えている。
化粧を覚えても、服に興味を持っても、心のどこかでは、でも私はナスに似ている、というその一言が邪魔をする。
うちは収入にそこそこ余裕のある家庭だけど、増田くんと食べてるものがかなり似てる。
(鶏)肉、蒸し野菜、ブルーベリー、無縁ナッツ、オートミールなどなど。
我が家のルーチンは、野菜は買ってきたら適当にカットしてタッパーかジップロックに詰め込んで冷蔵or冷凍。それをホットクックに突っ込んで料理したり、毎朝スムージーに家族に振る舞ってる
それで、飯が貧相だと思ったことは一度もない。まぁ、牛肉も豚肉も普通に食べるから、ちょっと増田くんとは違うけど。
レストランはとりあえず味を濃くしがち。最近、久しぶりに人気ラーメン店にいったのだけど、塩と脂が強すぎて食えたもんじゃなかった。若い頃はあんなもんが上手いと思ってたのが驚き。
そういえば昔、上司に高級な和食店に連れて行かれても「味薄いな~」しか思えなかったし、舌がバカだったんだろう。。
それはおいて、増田に対してマウントを取る人の気持もよくわかる。
今思えば、俺も一人暮らし時代はとにかく外食に頼ってた。週に何回もラーメン食べてたし。
家事スキルが低い上に、仕事が忙しくて料理なんてやる気にならなかった。帰宅途中に立ち食いうどんで腹を満たしてた。
それでも結婚して料理し始めて約5年がたった今、一人暮らしに戻れば、どれだけ忙しくても、毎朝15分あれば、ちゃちゃっと最低限の下ごしらえができるだろうし、超簡単料理であれば、タッパー弁当にしてオフィスに持っていってたと思う。
このくらいの料理なら10分で終わるんだ、っていう実感なんて昔は全然なかったけど、今なら「10分あれば」とか「今日は30分もあるから○○にしよう」とか考えられるくらいになった。
だから、中学高校で、家庭科の授業はもっと徹底的にやるべきだと思う。
例えば、30分以内にそれなりの料理ができたら、80点!みたいな授業があったらいい。
クラスで料理の鉄人みたいなコンテンツも盛り上がるだろう。限られた食材で何が作れるか考えさせる授業も面白いかもしれない。
そりゃ学校では年号を暗記するのも大事だし、電子回路も大事だし、数学も超大事だけど、生活力を鍛えるのはもっと基礎的で大事なことだよな、と今では思う。
学校って大学にいくためだけのものじゃないよね。入試だけじゃない、生きるチカラを学べるように、授業を改革してほしいなー。
んなこと言っても、もうオッサンオバハンです、、という人におすすめ鶏肉レシピ。
1. お湯を沸騰させる
3. ついでにブロッコリーとか人参とかも入れて野菜も入れて放置
4. 1時間経過したら、胸肉を取り出して低温調理の蒸し鶏の完成。
5. スープには味覇を入れて野菜たっぷりスープの出来上がり。野菜が硬けりゃ野菜だけの状態で5分強火で煮込む。
このスープは鶏の出汁が出てて、かなり上手い。味が足りなきゃ味覇か塩をたす。
冷蔵庫に入れれば3日くらいは全然日持ちする。毎朝レンチンして食ってけ。あるいは、帰りの立ち食いうどんや牛丼の代わりに食っとけ。
低温調理だと、安い胸肉でもしっとり仕上がるし、もも肉なんかよりも健康的。出来上がりまで時間はかかるけど、手間はほぼ野菜をカットするだけの実働5分。5分ですよ!食器洗っても10分でお釣りが来る。
包丁が使えないなら、100均で調理バサミを買ってきて、ハサミで野菜も肉も切ればいい。
つけダレは、刻みネギ+わさび醤油とか、ポン酢にラー油入れたり、色々やってみたらいい。てか、醤油だけでも十分いける。
やってみなはれ。
俺が本物の科学的で合理的で健康的な食事ってもんを見せてやりますよ
大学に進学して一人暮らしを始めた19歳(一浪)の俺は貧乏学生で、外食しようにも金がねンだわだった。
しかし家庭科では非実用的なおままごとしか習っておらず、米を炊くことすらできない。
図書館で栄養学についての本を読み、古今東西の人間がどのような食事を行っていたかを文化人類学から学んだ。
遠回りすぎるかもしれないが、なにか調べたい際には、地球の常識や文化について何も知らない宇宙人が一から調査するようにロールプレイングすると楽しい。
これまではその場の気分でなんとなくウマそうなものを食うという猿畜生のようなことをしていたが、この調査のおかげで一日の栄養素から逆算して何を食べるか考えるようになった。
そこで基準値として参考にするのが厚生労働省が5年ごとに改定する「日本人の食事摂取基準」だ。
日本中の専門家が集まり、喧々囂々と議論して作られた叡智の結晶がなんとタダで読める。正確には我々の税金で作られている。読まなければ損である。
食事摂取基準は学校の給食、病院で実施される栄養指導の根拠となる科学的データであり、今年2020年はちょうど改定される年だったため一部界隈では4年ごとの祭典オリンピックのように盛り上がった。
我々のような非専門家の凡夫どもはテレビで流れる「〇〇が身体に良い!」だとか本屋で並ぶクソみたいな「〇〇は絶対食べてはいけない!」といった情報に右往左往せず、これに基づいて食事を行えば良い。
専門家が無償で公開してくれる科学的データに基づいた食事はしないのに、やれ農薬が、添加物が、化学調味料が、と言うやつ。まずは毎日野菜350gを摂ってくれ。
俺はさらなる情報を得るべくインターネットで検索した。しかしその時代のインターネットはすでに書き散らされたゴミで汚染されていたため、英語で食事に関する疫学研究を漁った。
さらに住んでいた寮の部屋にはキッチンがなく、火を使うにはいちいち材料を持ってエレベーターで降りて共用部に行かなければならなかった。そのため、料理の工程を極力少なくする必要性があった。
そのような中で生み出され、適時改良されてきたコスト(お金、手間)が極力かからずパフォーマンス(味、栄養素)が高い最強の食事を教えよう。
精製されていない炭水化物:オートミール 100g コスパと手軽さ
炭水化物:パスタ100~180g GI値を考慮したkcal/¥当たりのコスパでは最強
肉:鶏肉 調理が面倒な場合はプロテインで代替可 牛肉豚肉などの赤身肉は月一程度に控える
果物:バナナ1本 キウイ1個 冷凍ブルーベリー20g等 一日の果物摂取量200g推奨
その他:無塩ミックスナッツ28g ヨーグルト100g キムチ30g 納豆一パック オリーブオイル15g 焼海苔1枚 オートミール用に乾燥ワカメ、乾燥シイタケ、卵
まるで栄養を摂取するためだけのエサのようだと思ったかもしれない。
その通りだ。
しかし、人間が毎日ごちそうを食っていた時代なんてここ数十年だけだ。残りの数千年は毎日同じような質素な食事を生きるために食い、行事のようなハレの日にだけ特別なものを食べていた。
良妻賢母教育を受けた専業主婦が料理する近代の都市部上級国民限定の文化に過ぎない。
しかも、厚労省の食事摂取基準や世界保健機関が定める一日の塩分摂取推奨量5gを満たす食事は、プロの栄養士が設計し、給食のおばちゃん部隊が大量生産を実行してようやく実現可能な代物であり、一般の家庭料理では到底不可能だ。
だいたい、普段は質素な食事をして、たまに力を入れて作るごちそうやジャンクフードが身に染みて美味いのであって、毎日それらを食っていたら限界効用逓減の法則しかり、快楽は段々と小さくなっていくのに、デメリットだけは増えていくのでコスパが悪い。
こういうドケチ人間でも、旅行では外食や中食をするが、最初は快楽が大きくても長期の旅行の場合はどんどん小さくなって最終的に残るのは胃もたれと脂肪だけだった。
そんな状態で我が家に帰ってきて食うゲロみたいなオートミールの安心感。
学生時代は毎日この食事で月1万円台後半、就職してからは白米を食べたり野菜の種類を増やしたり週一のごちそうを自炊、月一の外食をしたりしても月2万円前半でまかなえた。
毎日酒池肉林をしている富豪から見たら一般国民の食事は惨めでとても耐えきれないものに見えるだろう。
しかし、あなたは毎日惨めで耐えきれないと思いながら食事をしているだろうか?
もし快楽を数値化できるとすれば両者は大して変わらないかもしれない。
それにパターン化は素晴らしい。毎日ゼロからレシピデッキを構築するよりも、構築済みの「型」を基準とし、調味料や材料の一部を季節や気分、体調、割引に応じてカスタマイズしていくことで、献立を考える思考コストが大幅に削減される。お金や時間、体力と同じように脳で計算する力は有限であり、できるだけ日常生活での消耗を減らし、浮いた分を自分にとって重要なタスクに振り分けると良い。
一人暮らしの自炊がめんどくさいという主張において根拠とされるのは、
・そして実際に調理すること
の3つがめんどくさいというものだ。
この合理的食事においては日持ちする材料を一定のペースで食べ続けるので補充も規則的になり、スーパーで何を買うか迷うことなくカゴにいれてすぐに終わる。
レシピも型に基づいて行えば良いので考える必要はなく、調理はタッパーに材料をぶち込んでレンジで蒸すだけだ。調理工程が単純化されたことで、洗い物も僅かしかでない。
焼いたり茹でたりすると過程で栄養が減ってしまう。蒸すのが手間でも栄養でも最強。
欲しくなるようなストレス下の環境に置かれていることが問題なのではないだろうか。
日常的に嗜好品でストレス解消しなければやっていけないというのはもはや依存である。
健全な環境下では月一、自分はクリスマスにケーキを食う程度のイベント毎で十分だ。
カフェインも毎日摂取しているとすぐに耐性がつき、ほとんど効果がなくなるので週一程度で十分だ。
タバコのように、最初は確かに効果があったのかもしれないが常用することで耐性が付きデバフだけは多くなる。ニコチン中毒者がタバコを吸って一時的にデバフがなくなった最高の状態が、健常者の平常の状態となっているようなものだ。
丁度いい機会なので正月休みにはカフェイン断ちすることを勧めたい。数日は離脱症状で頭痛や吐き気で苦しむことになるだろうが、それに耐えきった後に飲む久しぶりのコーヒーの効き目に驚くはずだ。
これは娯楽においても同様で、大金を使ってもドーパミンの耐性が付き、同じものでは満足できなくなる。前回よりもっと高価なもの、刺激的なものを求めるようになるだけとなってしまう。
元増田に対して消費や浪費ができない生活なんてつまらなそうという意見があるが本当にそうだろうか。
人間なんて毎日最低5分から30分朝日を浴びてセロトニンを分泌させ、中強度の有酸素運動をするだけで楽しく過ごせる単純な生き物だ。最近はコロナでステイホームしているのでFitbitで心拍数を計測しながらOculus Quest2でアニソンに乗ってビートセイバーしたり卓球したりして昔の王侯貴族なんかよりよっぽど快適に暮らせてる。地位財を追い求めるのを控え、非地位財を求めるとよい。
一生かかっても図書館の本は読み終わらないし、ネットでは世界中の音楽が聞けるし、アマプラの映画もドラマもアニメもまだまだ見ていないのがたくさんある。
・幸せについて科学的に追求したい場合はWell-being studyを調べると良い。俺みたいな匿名個人の説教や体験談なんかよりよっぽど参考になるだろう。
・有酸素運動の強度については、「今日は頑張ったなー」というような曖昧な感覚ではなく、心拍数に基づいて行うとよい。数値化されることでゲーミフィケーションの仕組みが働き、やる気に繋がる。個人によるが中強度の運動=心拍数120~140程度を中心に、高強度の運動=心拍数140~170程度を全体時間の30%行うとさらに良い。
・このように自己定量化(Quantified Self)し管理することは、RPGゲームのようで楽しい。酒を飲んだ日の睡眠スコアが著しく低くなっていたりすると人体実験のようで面白く、たまに不摂生をしても「まぁよい。貴重なデータが取れたから今回は大目に見てやろう」ゴッコをしてポジティブに受け止められる。
・有酸素運動の時間についてはアメリカ身体活動ガイドラインは一日20分程度推奨、JAMA Internal Medicineの論文によると最大1日64分
https://jamanetwork.com/journals/jamainternalmedicine/fullarticle/2212267
人間の尽きることのない欲望を煽って儲けてる産業にお金を費やしても満たされることはないんよ
元増田を「資本家が考える理想の労働者・奴隷」と評価する意見があるが、本当にそうだろうか。
労働ですり減った精神に塩分油分糖分と消費浪費で脳内麻薬キメて、効き目がなくなればもっと稼ぐためにバリバリ労働に励む労働者のほうがよっぽど資本家にとっては理想の存在なのではないか。
イギリスの食文化がマズいと言われているのは、産業革命により都市に移住した労働者たちが、伝統的な食文化から断絶されたせいという説がある。
日本の大学生(私大)への仕送り額は1994年の12万5000円から毎年下がり続け、今では8万3000円。
これからは一人暮らしの貧乏大学生が外食(牛丼屋等)やコンビニ弁当、カップ麺をかっ食らうというステレオタイプも廃れていき、自炊を強いられるようになるだろう。
家庭科が男女必修になってからも未だに良妻賢母教育時代のまま、手間暇かかるコスパの悪い塩分過多の家庭料理の作り方を教えている。おそらく多くの生徒が初めて生きるために料理することになる一人暮らし生活に適合した知識ではなく、使えない。
今ではメタアナリシスを中心としたエビデンスに基づく最適な食事についての情報が簡単に手に入るようになった。昔は食材の栄養素を知りたくなったら辞典を引かなければならなかったが今ではGoogleで検索すればすぐに出てくるし食事摂取基準を目標としてアプリで個々の栄養素別に計算することができる。
現在の社会状況に適合できていない近代的食文化ではなく、これからは上記に類するような”科学的で合理的で健康的な新しい食文化”がゆっくりと普及することになるかもしれない。多くの人たちにとっては食に対する冒涜であり、貧困がもたらした退廃のように見えるだろう。
しかし、少なくとも現代の金銭的時間的知識的に余裕がなくまともな食事を行えない者たちにとっては一つの選択肢として十分に検討価値のあるものであり、精神の安定を助け、健康寿命を伸ばすことに役立ち、高齢化に伴う医療費問題や人手不足の解決にも寄与することになるだろう。
諸事情でこのような食事をする必要に迫られている人間、面白そうだからやってみたいという奇特な人間、日常で得られる快楽やパフォーマンスを最大化したい人間などは、ぜひ実践してその過程の中で見つけた苦痛なところ、改善できるところをアレンジしてほしい。そうした人々の営みを経て”食文化”が洗練されるとよい。
https://twitter.com/Suika1109/status/1337366205183639553
①10歳の頃に中学生くらいの男の子に道端で呼び止められ、下半身を触られた。女性器の形を確かめるように触られ、ビックリして固まってしまった。加害者の男の子は納得したのか去っていった。あれから20年、任天堂DSでポケモンをやっていた時のこと、
午後8:58 · 2020年12月11日·Twitter for iPad
ゲーム内で町にいるおじさんに話しかけると、こう言われた。「きんのたまをあげるよ、おじさんのきんのたまだよ、おじさんのだよ」だったかな、この台詞を見た瞬間猛烈に気分が悪くなり起き上がれなくなった。冷や汗が出て昔のわいせつ事件を思い出して苦しくなった。#あなたのフェミニズムはどこから
午後9:03 · 2020年12月11日·Twitter for iPad
この台詞を変えて貰わない限り、私は安心してこのゲームを続けられない、そう思って任天堂にメールした。数日後、アプデのお知らせがあり、台詞を変えてくれた。速やかな対応に感動したと同時に、今までこんな台詞が許されていた事に失望した。#あなたのフェミニズムはどこから
午後9:08 · 2020年12月11日·Twitter for iPad
現実でもゲーム内でも痴漢にあう。ショックだった。だけどもうこんな台詞は出てこないと思う。少なくともポケモンでは。私がメール送ったからね。大人になって、やっとNOと言えるようになった。声を上げることが大切。
午後9:12 · 2020年12月11日·Twitter for iPad
②私はもうNOを言えるようになったんだ、と思っていたが、相手が学校の先生だとなかなか言えない時がある。つい最近、先生に家庭科室で「男と女、二人っきりだね」と言われたところです…。私が成人女性だから上手く受け流すとでも思った?すごいショックだったよ号泣 #あなたのフェミニズムはどこから
エヌユル
@ncaq
あったとして数日でアップデートできる訳ない
金の玉おじさんはORASでも続投してた
なんでこんなすぐバレる嘘つくの?
前提条件として、全ての男性が子育てに興味がないという意味ではなくあくまで一部の人ということ。
これを疑問に思ったのは海外のホームビデオ(YOUTUBEとかで)等をみると男性が子育てに積極的に参加しているように感じられる。
よく聞くような子育て中にスマホをいじって子供を見ていないというような感じはしない。
なぜなのか?
歴史的に見ても日本は亭主関白で家事をしたり、子供の面倒を見たりすることは女の仕事で家庭科が学校の授業として取り入れられたのも最近の話である。
子供は親がどのように子供に接するのかを学習して、自分が子供ができた時に自然と同じように子供を育てていく。
最近は夫も子育てを積極的にやろうという風潮があるが、少なくともネットが発達する以前、つい最近まで日本はずっと女性が家事を行い男性が仕事をするという強い流れがあった。
その中で育てられた子供たちは子育てをしない父を見て育って、子育てのやり方を知っているだろうか?
大人になったのに彼らが子育てに対して関心がないのを本人の甘えだけで片付けて良いのだろうか。
まあ確かに生徒を惹きつけるカリスマ性はあるんだろう。生徒のためなら体も張るし、人間としてはとても魅力的なんだろう。
でも教師としての能力はどうなんだろう。国語ってあんまり受験対策でも重視されないからよくわからないんだけど、文章読解法とか漢字の書き方とかちゃんと教えてるイメージはない。確かに生徒に論理的に説くシーンもあるけど、それは国語の授業ではないよね。まあ普通に国語の授業はやってるんだろうけど、国語の先生として特に優れてるってわけでもなさそう。
むしろ数学の乾先生とか社会の北先生の方が教師としての能力は高そう。実際にこの2人の教え方はポイントを押さえてて、抑揚もあってうまいし。
金八先生はこの2人には劣るよなーって感じだね。