私は女で、高校生です。ちなみに星野源が好きです。私淑してます。
私は自分のことを「女子」だとは思っていません。女だけど「女子」じゃない。(初投稿)
私は趣味や考え方がどちらかといえば男っぽい方だと思います。工作とかパソコンとかが好きですし、感情よりも理性を優先して物事を決めたいです。家庭科より技術、文系じゃなくて理系(物理選択)。
「女子」が嫌いなわけじゃありません。感覚で理解ができないだけです。
一緒にトイレに行くのとか、「掃除行かなくてもいいよねー」と仲間内でサボるのを認め合うのとか、グループでの決め事で絶対「どうする〜?」から初めて絶対自分の意見を言わないとか、とりあえず「かわい〜」とか、とりあえず謙遜するとか、変って言わずに個性的って言うとか。人を傷つけないコミュニケーションというか(自分も傷つかない)(本当に仲良い人の間では別かもしれない)。私には理解できないけど、考えがあってやっていることだから、否定はするべきじゃないとわかってはいます。(でも毎回、もっと合理的にやろうよ、と思ってしまう)
でも、周りの女には自分と同じような価値観の人があまりいません。ましてやメディアなど目立つ場所で、自分と同じような価値観を持っていると期待できるような人をあまり見かけません。
なんなら世間から「「女子」の思考」を押し付けられているような気がします。雑誌の表紙なんかが特にそうだと思います。まあこれは好きじゃないなら買わなければいいだけの話かもしれません。
なぜ「女子」の思考を押し付けられているように感じるかというと、自分は女で、「女子」に属しているはずなのに、精神的には自分の居場所はそこじゃないと感じるからです。
つまり、なんで表面上の特徴で内面まで規定されないといけないの?おかしくない?ということです。
めっちゃ被害者ヅラして申し訳ありません。男友達を作ればいいだけですよね。
でも、こんなに女子が無理とか言っている割に、小学校の時からずっと女友達だけの人間関係で生きてきちゃったので今更どうやって話したらいいかわからないんですよね(ただのコミュ障)。
女子とでも男子とでも明るく話せる人が羨ましいです。「女子」の集合に属しているのにそのしきたりに従わなかったのが、今こうなっている原因な気がします。従わないなら従わないなりにほかのコミュニケーションの方法を模索するべきでした。馬鹿だった。
引っ込んでいくーーー
確かに、「女子」という大きな集合に含まれているっていう安心感は絶大です。人類の二分の一。それにいちいち考えなくていいから楽だし。でも、そこが絶大だからこそ、心では含まれていないときの心細さがすごいんだよ!!!!わかっておくれ
で、世の中に何を求めているかというと、「女子」括りをどうにかしてほしいんです(こういうのは「私はこうしたい」とするべき?)。「女子」だからこう考えるでしょ?と言って発信する「女子」に、「女子」に含まれない(と感じている)女を認知して欲しいんです、理解できなくてもいいから。
価値観を外面で決めつけないでほしい。内面から純粋に思うことだけで決めさせてほしい。例えば、これはもう古いのかもしれないけど、青が好きだけど女だからピンクにしておこうかな、とかそういうことを後の世代に思わせてはいけない(思いたくなかった)。一回外面で内面を規定されてしまうとそういうものなのかなって(純粋だから)思って、自分が心から(genuine)好きなものがわからなくなっていってしまう。そうして画一化していく。
せっかく戦後豊かになってきたんだから、物質的な豊かさ(≒自由?)だけじゃなくて精神的な豊かさ(≒自由、多様性?)も認めていこうって感じだよね、世の中。だからもっとばらばらになりたい。
私はあなたの存在は認めるし、基本的な愛は持っているけど、でもどうでもいいや、ご自由に。っていうスタンスで、もっとばらばらにならないかな。ばらばらがスタンダードにならないかな。
「世界は一つじゃない ああ そのまま ばらばらのまま 世界は一つになれない そのままどこかにいこう」
去っていくーーー
(書きたいことが右往左往してしまいました。無理矢理ばらばらを持ち出してねじ伏せた感がすごい、、、初投稿ということで許されたし)
これはお気持ち増田の片鱗がある 成長に期待
文章の書き方に高校生、あるいは遅めの中二病を感じる…… 社会への不満から社会変革を真剣に考え始めるのはその年代にありがちなことですが、考えるなとは言いませんがまずは隅に...
その自己紹介を信じるとしてどういう経緯でこんなサイトに辿り着いたんだ?