はてなキーワード: 動物病院とは
※追記あり
正確に言えば犬と猫を飼いたい。
・動物が好き
幼少期より生き物が好きで、将来は複数の生き物と一人でのんびり暮らすことを夢描いていた。
・何かのために生きたい
自分のためだけに仕事をし勝手気ままに生きる生活でいいのだろうか。
30代になり仕事も収入も余裕が出てきたので、自分以外のものに手をかけることができるようになったと思う。
自分以外の生き物にご飯を与えることに人間は喜びを感じるという。
また、生き物のぬくもりを感じることでオキシトシンがなんとかかんとか。
生き物は精神的にいい。
■なぜ犬を飼いたいか
終わっている。30代の未婚女がおなかが出てきているのは人として終わっている。
痩せたい。
現在は睡眠導入剤がないと日が出てからでないと寝付けないといったことはなくなったが、
いまだに朝が弱い。
睡眠障害になる前は生まれてからずっと朝方で、毎日23~24時就寝、5時~6時起床といった生活だった。
朝方に戻したい。
朝起きなけらばならない理由が欲しい。身体的に疲れて夜寝ざるを得ない生活がしたい。
自分以外のモノのためならできると思うので、犬の散歩がしたい。
・しつけがしたい
子供の世話をして、人として成長している。
このまま精神的に大学生のまま、40代50代、老後を迎えると思うとぞっとする。
何かを愛すること、
見返りのない愛情を注ぎ続けること、
思い通りにいかなくても嫌なことでも自分だけの責任で逃げずにやり遂げること、
自分の気持ちや相手の気持ちを読み取ることが生まれつき苦手だ。
コロナ禍になり人と会う機会が少なくなることでそれはますます悪化した。
犬を飼っている人を見ると、犬の気持ちに寄り添ったり、犬を褒めるときに笑顔になったりと、
感情を表現したり感情を読み取る機会が多いように見受けられる。
・脳に刺激が欲しい
一人だけで完結する生活は恐ろしく刺激がない。
最近一瞬で半年が過ぎていたことに気付き、いよいよここまできたか・・・と思った。
新しいことをしないと刺激がなく、ぼんやりとした時間を過ごしてしまう。
しつけや病気等の犬の勉強をしたり、犬が健康であるのかなど様子を見て判断する必要があるため、
頭を使うと思う。
■なぜ猫を飼いたいか
まんまるおめめ、しなやかな体、美しい声、
飼い主が家に帰ってくると走って玄関にきてお出迎え、
猫じゃらしであそんだり持って来い遊びをしたり、
■これからどうするか
・犬と猫の同居
調査の結果(増田調べ)、大型犬が1歳前後になったタイミングで、子猫を飼うのが同居のカギであると思った。
大型犬の理由としては、興奮しにくく、吠えにくく、愛情深いからだ。
キャンキャン吠えたり興奮する生き物を猫は嫌う。
また、1歳前後であれば犬は最低限のしつけはでき大人になりつつある段階であるものの
まだ社会化の途中であるため環境の変化にも適用しやすいのではないだろうか。
子猫の理由としては、猫は環境の変化を好まないため大人になってからでは犬と生活するのは難しいと思う(猫の性格頼みになる)。
ということで、まず小型犬ではない犬を飼い、犬が1歳になる前に猫を飼い始めたい。
しかしこれが難航している。
職場の品川駅まで30分以内で行ける場所で賃貸物件(大型犬・猫OK)を探すと、家賃15万前後となってしまう。
ペットの飼育費を考えると家賃は10万まで、出せても11万円までだが、物件がない。
1.5時間もかかると往復で3時間となる。それに1時間×朝晩2回の犬の散歩に、ご飯やトイレの世話等毎日できるだろうか。
体力的に厳しいと思う。
出張など家を空けざるを得ないことがたまにあるため(もちろん子犬の時期は出張はいかない)、
間を取って中型犬にしたとしてもケージ分のスペースを考えると1DKくらいはあった方がいい。
たすけて
皆さんは、どうおもいますか?
ペットを諦める?
大型犬を諦める?
将来もずっと在宅勤務の比率が高いと信じて遠方に住む?
根気強く条件にあう賃貸を探す?
いい物件があったら教えてください。切実です。
回答遅くなり申し訳ございません。
> 両親と三人ぐらしのおっさん。 「おれの犬」を飼っている。…
>YouTubeの動物動画、猫カフェ、ふれあい系の動物園で満足するのがおすすめですよ。…
→20代のころは飼いたくても金銭的理由で動物は飼えなかったため、
YouTubeの動物動画、猫カフェ、ふれあい系の動物園に行くなどしていましたが、
仕事にも金銭的にも余裕が出た今こそ家族として迎え入れたいと思っています。
>お花畑のなかすまんだけど、結構やつら好き勝手だし相性悪くても捨てられないからね?
→実家を出るまでは実家で猫を飼っていましたが、人間の思い通りにはいかないものだと思っています。
犬を飼っている人のYouTubeやSNSを見たりしますが(これがすべてではないと思っているので参考程度に)、
家具を破壊したり、家をぼろぼろにしたり、誤飲して病院で数十万の手術をしたり、病気をしたり、
大変なこともあるかと思っています。
それでも何があっても捨てるなどもってのほかです。
>マジレスすると大型犬は初心者かつ一人で育てるのは普通に難しいと思うよ…
多頭飼いに向く品種を選び相性が悪い確率は少しでも下げたいと思っています。
本人同士が相性が合うのかは実際やってみないと分からないと思うので、
犬の適性を見て、猫を迎える際はトライアル期間を設け相性が悪そうであれば猫は諦めます。
>犬の散歩してくるやつ、家の周りでオシッコさせて気持ち程度の水をかけて帰りやがるんだよな
→ご意見ありがとうございます。きれいに処理するよう心掛けたいと思います。
>中型犬でもそんなに吠えない子はいるからいきなり大型犬にはいかないほうがいいんじゃないかなー
親犬の様子を見たりブリーダーさんにお話を伺ってみたいと思います。
>まず自分をあきらめればいいとおもう まあ充実してるのはいいことだけどあとは老化ばっかだよ
→理解不足で申し訳ございませんが、意味がよくわかりませんでした。
>犬飼ってる。私も大型犬が好きだけど、結局飼いやすさ、家の大きさからトイプードルを飼うことにした。…
実家で猫を飼っていた時は2~3日開けていても平気でしたが、
犬は1泊でも預けなければいけないと思っています。
犬が亡くなった。
昼休憩の終わりに、母から電話がかかってきた。涙声で犬が死んだと伝えられた。いても立ってもいられず仕事は早退した。
家に帰ると目を見開いたまま動かなくなった犬がそこにいた。
犬は年老いてから腎臓を悪くしていて投薬治療をずっと続けていた。最近は薬だけじゃ足りなくなって点滴も打つようになった。少しづつ元気になって安心していた矢先に息を引き取った。
「まだ柔らかいからだっこできるよ」と告げられ犬を胸に抱いた。首がぐにゃりと倒れしっかり支えていないともげてしまいそうだ。しばらく抱きしめていると犬の冷たい体が私の体温で暖かくなった。まだ生きているみたいに感じて顔をそっと撫でてみた。反応はない。だらんと垂れ下がった舌を触る。まだ少ししっとりしている。肉球を触る。かさついているがやわらかい。お腹を撫でる。こうすると体を仰け反らせて気持ちよさそうにしてたのに。今は虚ろな目がこちらを見ているだけ。甘えたがりで人懐っこくて撫でられるのが大好きだった犬はもういない。
犬をベッドに寝かした。そっとまぶたを閉じさせると安らかな表情をしていた。体が傷まないように氷枕をお腹の下に入れる。さっきまで動かせていた体が硬直してきていた。もう抱きしめることはできそうにない。
私の服を見ると犬の毛がべったり付いていた。いつもなら、すぐテープで剥がすがそのままにしておいた。まだ犬の名残を残しておきたい。
ティッシュの箱が空になった。なんど拭いても鼻水が垂れてくる。犬は腎臓を悪くしてからは鼻水をよく撒き散らしてベッドを汚していた。今は私の鼻水が犬のベッドに染みを作る。
夕方かかりつけの動物病院からお花が届いた。色とりどりの花束を見て余計に涙が止まらなくなった。
従兄弟も別れの挨拶に来てくれた。泣きながら何度も頭を撫でてくれた。
動物病院に、犬のウイルス対策はどうすればいいかを啓蒙するポスターが貼ってあった。そこで知ったのだが、犬の毛には小さな孔があり、ウイルスはそこで留まるので皮膚まで行かないので大丈夫らしい。すごい。毛にそんな機能があって犬の体を守っていたなんて。
他にもある。犬の体を洗うとき、なかなかシャワーのぬるま湯が浸透しない。毛が堅牢なレインコートのような役割をして、本当にしぶといくらいになかなか濡れてくれないのである。いちいち雨で体温を奪われていては大変なのでこのように進化したのだろう。毛ってすごい。レインコートの役割までできる。
また便利だなあと思うのは、毛は保温効果も兼ね備えていることである。犬は雪の日でも裸(?)でぐんぐん歩く。人間は着込んでも縮こまってるのにな。
未だに興奮して眠れない記録魔の自分がすることはやはり記録することだった。
時間による記憶の喪失が愛しい者を失うことの感慨さえも洗い流してしまうなら
それは人にとって救いであり、希望なのかもしれないが私はそう思わない。
私の猫が死んだという事実は私が生きている限りにおいて永遠に記憶されるものであって欲しい。
死んだ瞬間は悲しくなかった。
実を言うと今も悲しくはない。
死んだ瞬間はその事実に気づき、やはり死んでいる、生き物ではなくなり
外界を認知し変化させることのなくなった物体に変化した、そう認識した。
だから後悔はなかったのかもしれない。
医学は専門ではないがわからないなりに病院に行き、母と二人で注射器での薬の経口投与を繰り返した。
本人がどれほど嫌がろうとも。
猫の体調が悪いと気づいたのは一ヶ月ほど前からだった。
食事後に餌を吐くようになり、吐いた餌を食べたり食べなかったりした。
3日ほどで病院に行くことになった。
猫の体調が悪化するのと逆に自身の長年の体調不良は回復していった。
糖分を取らなければもろもろの不定愁訴が解消していったのだ。
2年以上に渡る体調不良は米を取らない。その一つの行動から回復していった。精神科にも通った。薬の効果も実感している。
しかしながら生まれてきた中で思い出せる限りの長い期間常に自身は体調不良だったのではないかと気づいた。
薬理的な効果以上に炭水化物を取らないことが自身の体調に寄与していることは明らかであった。
猫に話を戻そう。
とにかく彼女は餌を食べられなくなった。
異物を飲み込んだのではないかと判断した医者は様子見の生徒剤の投与後、内視鏡による異物摘出を試みた。
その時点に至るまで二週間ほどがすでに経過していたと記憶している。
また、気管挿管の際にミスをしたのか、呼吸音が異常になっていた。
次にしたことは猫を飼い始めた時にノミ・ダニの薬とワクチンを打ってくれた看護師に連絡することだった。
彼女らはすぐに来てくれ、この食事が良い。だの、この時期に猫が吐いてしまうのはよくあること。だの、医者は変えた方がいい。だの、と違う立場で自由な意見を述べた。
親切にしてくれたし、変化が必要かもしれないと、私は彼女らの言葉を聞き、近くの病院に医者を変えた。
今思うに、この判断は貴重な時間を空費するだけに過ぎなかったと考えざるを得ない。
やはり、医者を変えたあとも猫は吐き続けた。
次の病院で行われた治療は元の病院とは種類の違う吐き気止めとステロイドを繰り返し投与だった。長い二週間だった。
彼女は嫌がった。苦しいので当たり前だ。餌も飲み込めず、後に水すらも飲み込めず苦しがるほどの猫に経口投与を繰り返した。
しかしながら呼吸音はステロイドにより落ち着いた。そのように思えた。
ただ、嘔吐は二週間の間に違う餌に切り替えた努力も虚しく、変化がなく無駄だった。
私は調べうる限りの症例を聞いたが、最後にガス性のイレウスではないかと聞いた際にはっきりとそうでない理由を伺うことはできなかった。
このままでは食事ができずに死にますよ。そう伝えると彼の助手である女性の看護師は二次診療専門の病院を提案した。
この病院でのカルテは渡すので、治療データがこちらより豊富な元の病院から二次診療専門病院に連絡をつけるようにと言われた。
元の病院に連絡すると少し驚いた様子であった。
事実上、さじを投げたと言ってもいいだろう。
二番目の病院からでも出せる診察依頼を出すことなく、元の病院に戻したので少し呆れていたのかもしれない。
しかし私はそんなことはどうでも良かった。
20万円ほどの少ない蓄えも底をつき始めていたが、友人に借金してでも治療を完遂させようと考え、友人にもその旨を伝え、了承を得ていた。
そこからは彼女なりの治療プロトコルに従わないので苛ついているような反応を返すノミ・ダニの薬を売ってくれた看護師に話を聞いたり
死んだ場合どうすれば良いのかを考え始めたり、たまに来る母親に猫を見てもらったりした。
モノになったのだ。席を立ち、ジョナゴールドの発泡スチロール箱を見てやはり実感する。
眠っているのではないことは知っている。もう彼女は外界に何ら影響を与えることを許されないのだ。
ただただ衝撃だけがある。
元の病院の男性の医者ではなく、別の女性の医者が対応してくれた。
彼女は胸にあるしこりと、胸水が気道と食道を圧迫していることに気づいた。
猫はここでも抵抗した。麻酔なしでは胸のしこりを生検することはできなかった。
また彼女は、胸水の原因を特定しようと試みたが確実にリンパ腫が原因であるとは判定できなかった。
もしくは、今の胸水を専門医に判定させる。
私はCTを受けさせることにした。
そして初診を予約できたのがそれから三日後だった。
初診の前に血液検査を行うことになった。
血液検査の結果、異常は特に無いように思えたが猫白血病ウイルスが陽性であった。
こうなると寛解はしない。高額な医療費を請求されて生きられるのは半年から一年程度。
そういった認識があった。
友人とは相談した。
つねづね私は話していた。
単純な功利主義だけでは世の中回っていかないが、重度のケアが必要な猫を一匹救うより、未だに健康を保てている猫を二匹救うべきだと。
友人と私は話し合ったが明確な答えは出ず、それでもざっくりとした方針をなんとか決定した。
飼い猫はまだ4歳前後であることから、一度治療に成功すれば5年以上の生存の見込みがある。
そのためにならば50万から最大100万円程度の治療費を貸し付けることは容認できる。
しかしながら、一年の延命治療のために高額な費用がかかるのは私自身の考えからは外れてしまうこと。
つまり、リンパ腫など予後が悪い病状の場合は安楽死、ないし積極的な治療を放棄することを決定した。
初めてあった時から肩に登ってこようとし、私の無茶な要求にも反抗しようとすることはほとんどなかった。
左耳の部分が腐ったのか落ちており、付け根は膿んで肉が露出していた。
さくらねこというのだが、猫は避妊処理の後のリリースされると耳の先をカットされる。
メス猫は普通左耳の先をカットするが、彼女には左耳がなかったので右耳をカットされていた。
彼女は飼い猫以上に友人であった。
自分の鼻をすぐに舐めたがる犬のような猫であった。
その癖意地を張ってウェットフードを食べない頑固な猫だった。
時に一緒に眠り、また、顎をブラシで撫でてやるとゴロゴロと音を鳴らした。
肉付きはよく、4.4キロほどあったと思う。
話を戻すが治療方針を決めて二次診療専門の病院の初診に向かった。
母親に車を出してもらい向かった先でしたのは、元の病院の女医の話す内容とほとんど変わらない内容の説明を受けることだった。
また、治療方針として、胃ろうをして欲しいと言うと彼は自身が胃ろうは好きではないと話した。
ここでは結局治療をすることはなかったし、進展はなかったので詳しい話は省略する。
初診料として8500円ほどを支払い、帰路についた。
それからまた3日ほど経った日、水を飲んでも吐くようになった。
このままでは保たないと判断したので、点滴で水分だけでも入れてもらおうと元の病院に連れて行った。
体調が悪いこと、胸水を抜くのは抵抗されたので難しかったこと、9月1日にCTを取りに行く前にもう一度点滴を受けて万全の状態にすべきであることを女医は告げてきた。
次の日、つまり昨日(8月30日)その瞬間は訪れた。
呼吸音が異常ではあったが、それほど異常の度合いが高いわけでもなかった。
しかし母親が突然来訪し、ちゅーるを持ってきた。友人と話していた自分は母親と話すことになり、もう一匹の猫にブラシをかけるなどの世話を始めた。
帰ってものの十分程度で発作的な呼吸が始まった。
初めて失禁し、のたうち回った。
夜間病院に連れて行くかどうか、20分ほど思案した後、母親を呼び戻した。
母親が到着したのは35分程度後だった。
それまでに、死んでしまい、死後硬直が始まった時のためにダンボールとタオルは用意していた。
車で来てくれた母親に事前に電話した動物病院に行くようにお願いをし、移動を初めて20分ほどで呼吸音がなくなったことに気づいた。
助手席から降り、確認したがすでに瞳孔は開きっぱなしで力の全く入らない死体になった猫がそこにいた。
動物病院に行くのはやめ、大きいディスカウントスーパーに向かうことにした。
保冷を始めるためだ。
私はもう次の準備を考え始めていた。
アドレナリンが出て興奮していたのもあるが死体を腐らせる訳にはいかないと思っていたし、覚悟はしていたからだ。
スーパーに向かい、発泡スチロール箱の有無を聞き、もうなさそうだとわかると氷だけを買ってそこを出た。
23時になっていたのでコーナンなども空いていない。
家の近くにあり24時間開いているスーパー玉出に向かうことにした。
普段から無愛想なおじちゃんに声をかけるとそこになかったらないと言われたが無事キレイな発泡スチロール箱があった。
おじちゃんに礼を言って車で自宅まで移動し、母親と別れ、友人と話をした。
そんなにしんみりはしなかったが、衝撃はあったと話をし、故人の話をしてくれたりしたが、騒音が気になりほどほどで話は終わった。
風呂に入ったが猫を何度も風呂に入れたことを思い出し、喪失感を感じてすぐに出た。
もう一匹の猫を膝の上に乗せていると少し眠たくなったので寝たがやはり一時間ほど寝れずにこれを書いている次第だ。
これから葬式をどうするか考えないといけないし、行動している内、考えている内は悲しくなることはないだろう。
この文章も一時間半ほど書いて疲れたのでこのあたりで筆を置くことにする。
死ぬ前に考えた。
自身は無神論よりの不可知論者ではあるが、猫が死んだらどうなるのかと。
自分は肉体と精神に関しては唯物論的な思考でいるので肉になるのだと考えた。それでも悲しくはなかった。しかし救いはなかった。
私は幸いにも救いを必要としていないのだろうけれど、なぜ宗教が必要とされるのかは少しわかった気がした。
思うに愛別離苦、別れは経験であり、自身の糧にするべきで背負っていくべきものだ。
死は絶対で覆すことはできない。それはあらゆる命にとっての救いでもあるのかもしれない。
2022-08-02
■「猫はイージーモード」は本当か
猫はイージーモードってよく言われるけど、本当にそうなのだろうか。n=1ではあるが、私の体験談を話してみる。
私は生まれながらのブス猫で、まったくモテたことがない。顔も一度踏み潰されたような救いようがない顔だし、体型もガリッガリで可愛げがない。
猫だと「ブサかわいい」が成り立つらしいが、あんなの猫によるとしか言いようがない。
毛並みはクタクタだし、肉球も小さくてブツブツがあるし、誰も触ってくれない。
整形したいけど猫だしお金がない。猫は化粧もできないし、終わってる。
私は小さい頃からずっとペットショップにいた。でも、ずっと売れ残り。
周りの猫はどんどん買われていく中ずっと売れ残りだった。ブサ猫の宿命だ。
気がつけば、ペットショップの主みたいになっていた。
だからある日私はスキを見て店を抜け出した。
この容姿なのでモテることはなかったが、持ち前のバイタリティでエサと寝床だけは確保し、一匹狼ならぬ一匹猫として生きながらえていた。
ただその生活も長くは続かなかった。どうやら病気になったらしく、私は路上でバッタリと倒れてしまった。
気がつくと、温かいベッドの上。ある人間が倒れた私を見つけ、動物病院へ連れて行ってくれたのだ。
そのまま私はその人間に飼われることになった。
「いや、飼い主できてるじゃん。やっぱり猫はイージーモード」っと突っ込まれたあなた。もう少し話を聞いてほしい。
確かに飼い主は私を拾い育ってくれた。それなりに餌も与えてくれるし、家も居心地いいから、生活は悪くない。
庭にいる野良猫が窓越しにこちらを恨めしそうに見てくると、私は勝ち組かという錯覚に陥る。
だが、飼い主がTwitterに私の動画を時々アップしているけど、全くバズる様子がない。私がブスだからだ。こんなときは飼い主に悪い気がして悲しくなる。
また、飼い主は他の猫飼い主のアカウントを軒並みフォローして、猫画像を楽しんでいる。私では満足がいかないからだろう。そういうのを見ると嫉妬で喉が鳴ってしまう。
そういう悲しさはブサ猫だからこそ味わう悲しみだ。どうやったって飼い主に恩を返すことができない。
猫はイージーモードってよく言われるけど、本当にそうなのだろうか。n=1ではあるが、私の体験談を話してみる。
私は生まれながらのブス猫で、まったくモテたことがない。顔も一度踏み潰されたような救いようがない顔だし、体型もガリッガリで可愛げがない。
猫だと「ブサかわいい」が成り立つらしいが、あんなの猫によるとしか言いようがない。
毛並みはクタクタだし、肉球も小さくてブツブツがあるし、誰も触ってくれない。
整形したいけど猫だしお金がない。猫は化粧もできないし、終わってる。
私は小さい頃からずっとペットショップにいた。でも、ずっと売れ残り。
周りの猫はどんどん買われていく中ずっと売れ残りだった。ブサ猫の宿命だ。
気がつけば、ペットショップの主みたいになっていた。
だからある日私はスキを見て店を抜け出した。
この容姿なのでモテることはなかったが、持ち前のバイタリティでエサと寝床だけは確保し、一匹狼ならぬ一匹猫として生きながらえていた。
ただその生活も長くは続かなかった。どうやら病気になったらしく、私は路上でバッタリと倒れてしまった。
気がつくと、温かいベッドの上。ある人間が倒れた私を見つけ、動物病院へ連れて行ってくれたのだ。
そのまま私はその人間に飼われることになった。
「いや、飼い主できてるじゃん。やっぱり猫はイージーモード」っと突っ込まれたあなた。もう少し話を聞いてほしい。
確かに飼い主は私を拾い育ってくれた。それなりに餌も与えてくれるし、家も居心地いいから、生活は悪くない。
庭にいる野良猫が窓越しにこちらを恨めしそうに見てくると、私は勝ち組かという錯覚に陥る。
だが、飼い主がTwitterに私の動画を時々アップしているけど、全くバズる様子がない。私がブスだからだ。こんなときは飼い主に悪い気がして悲しくなる。
また、飼い主は他の猫飼い主のアカウントを軒並みフォローして、猫画像を楽しんでいる。私では満足がいかないからだろう。そういうのを見ると嫉妬で喉が鳴ってしまう。
そういう悲しさはブサ猫だからこそ味わう悲しみだ。どうやったって飼い主に恩を返すことができない。
安楽死って言うじゃない?
でもさ、動物が自分で死んでくれるわけじゃないじゃん。動物医療で安楽死なんて存在しないのよ。
そこにあるのは安楽殺。殺すのよ。獣医師がね。殺すんです。
生きているだけ辛い末期の状態で、治る見込みがなく、でもしばらく生きてしまうかもしれない状況で、飼い主が望めば安楽殺することがある。
ここまで来てしまった以上、最終段階での判断は間違っていない。苦しみから解放してあげられたと思う。
肉を食べるためには生き物を殺しているわけで、動物の犠牲の上で日々の生活を送っている。
生き物を殺すことそのものは、ゴキブリ殺したりお前らもしてると思う。その時の何とも言えない気持ちと大差ないのかもしれない。
ただね、ペットの生死には飼い主の気持ちが乗るのよ。人の想いって重いんだよ。
飼い主が愛した大事な生き物を、殺すのよ。
俺が、命を、絶つのよ。
あなたはこの子を愛していたし、適切に動物病院に連れてきて、必要な検査や治療を行ったんだから、この子も幸せだったと思うし、これで良かったんだと。これは良かったんだと、ちゃんと伝えてあげたかった。
感情を支えてあげなきゃいけなかったのに、支えきれなかった。
上手くできなかった。
こんなのは年に一度あるかないかくらいなので、また次に生かすことなんてたぶんできない。
また上手くできないのかもしれない。
自分の技量には限界があるし、医療そのものの限界もある。治せない病気はなくならない。
死んだ飼い犬が闘病中だとうそをつき、治療費名目で支援金をだまし取ろうとしたとして2022年4月、奈良地裁葛城支部で26歳の女が有罪判決を受けた。女はインターネットで資金を募る「クラウドファンディング」を悪用。診断書などを偽造し、心配する愛犬家ら370人以上からお金を集めた。善意を踏みにじる行為の背景には、急成長するCF側のチェック体制の限界も見え隠れする。
女が死んだ飼い犬を闘病中と偽り、治療費を集めていたCFのページ
プロジェクト開始前に死んでいた
「時間がありません。たすけてください!」。21年10月、奈良県大和高田市に住んでいた女は、重篤な心臓病などを患うフラットコーテッド・レトリバーの愛犬「斗偉(トイ)」の写真とともに支援を募るプロジェクトをCFサイトでスタートした。
女が利用したのは購入型CFと呼ばれる種類でCFサイトを通じて支援者から資金を募り、お礼に商品やサービスを返す仕組みだ。
血液検査の結果や、診療費の明細書、エックス線写真……。女はCFサイトに“証拠”となる書類の画像を多数アップし、トイの闘病記録を克明につづった。
だが、プロジェクトを始める2カ月以上前にすでに死んでいた。にもかかわらず、女は診断書の日付を改ざんするなど小細工し、「病と闘う愛犬とその飼い主」を演出。手術代や検査費用に充てるとして最終的に計180万円の治療費の支援を呼びかけた。
反響は大きかった。「わが家も愛犬がいます。応援します」――。ペット愛好家らの応援コメントは400を超え、同12月には374人の支援者から計約184万円が集まった。
うそが発覚したのは、トイが死んだことを知る関係者からの通報だ。女は支援金を手にすることなく22年1月、詐欺未遂容疑で奈良県警に逮捕され、同罪で起訴。奈良地裁葛城支部は4月、「金目当てに支援者の犬を思う心情を逆手に取った悪質な犯行」として懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)を言い渡した。https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2205/19/news086.html
先週の月曜日の早朝、カラスに食われそうになっていた子猫をつい拾ってしまった。
子猫は獣医さんの見立てでは、拾った日時点で生後1ヶ月くらい。しっかり牙が生え揃っていたので、最低限の自分の身の回りの世話はできるはずと獣医さんは言ったのだが、実は全く何も出来ない赤ちゃん猫だった。
そんな子猫を育てるのは、まるで新生児育児しているようだったが、人間の赤ちゃんの世話と要領が似ているところがあったので、ヒトの子二人を育てている私には何とかなった。もしも子供を産む前にこんな子猫を拾ったらどうにもならなかった。
なんだかんだ、大変で忙しかったが、子猫の成長は想像のはるか上をゆく爆速ぶりで、何にも出来ない赤ちゃんだったのが、6日目には普通に皿から餌を食べ、決められた場所で排泄できるようになってしまった。
それはよかったのだが、10日目の朝には物凄いスピードで室内を縦横無尽に駆け回り、人の手で容易に捕まえられないほど機敏になってしまったのには焦った。もう我が家は子猫にとって手狭で、これ以上ここに閉じ込めておくのは子猫が可哀想だとおもった。
元から、我が家では猫を飼うことができないのは分かりきっていたので、子猫を拾ったその日から、いかに円満に子猫を手離すかを考えて動いていた。
子供の友達の家や私の仕事仲間などに猫を飼わないかと聞き回ったが、ほとんど断られた。これではらちがあかないので、動物愛護団体に頼ることにした。
動物愛護団体に問い合わせたところ、団体主催の譲渡会に参加できるのは生後2ヶ月以降の犬猫に限るという。また、寄生虫検査結果と生後2ヶ月の健康診断の証明書の提出、初回ワクチン接種を済ませることも、譲渡会参加の条件だった。
そんな訳で、少なくとも来月の上旬までは我が家で子猫の面倒を見るつもりだった。だが、子猫の運動能力の発達があまりにも目覚まし過ぎたので、10日目の朝には心が折れそうになっていた。
ところが、猫を引き取りたいと手をあげた人がいた。それはうちの下の子の友達だった。先週の木曜日、学校まで下の子を迎えに行くと、
「Aちゃんが猫飼うっていうからAちゃんを車に乗せてうちまで猫を取りに来てもらってもいい?」
という。唐突なことに、勿論本気とは思えなかった。Aちゃんの保護者の方にOKをもらわず勝手に車に乗せてうちに連れて来ることはできないし、子猫を連れて帰らせる事もできない。本当に子猫を飼えるのか、Aちゃんは保護者の方達とよく話し合うべきだ。そう下の子に説明して、Aちゃんにはご家族の方が迎えに来るまで学校で待つように言った。
その翌日、下の子はまた帰宅後に「Aちゃんは猫を飼えると言った。いつ猫をAちゃんにあげるのか」と問い詰めて来たが、Aちゃんの保護者から何も言ってこない限りはそんな話を本気に出来るはずもない。今すぐにでも猫を取りに来れるなんて言われたって……。
週末は子猫の世話に追われながらも成長ぶりを喜んでいるうちに過ぎた。
そして月曜日。子猫はたった一週間で赤ちゃんからやんちゃ坊主に急成長をした。動物病院に健診に連れて行った。どこにも具合の悪いところはなく、健康で順調に育っていると獣医さんは太鼓判を押した。次の受診は譲渡会に出す直前でいいとのことだった。
その日の夕方、下の子がAちゃんの母親からの手紙を持って帰ってきた。子猫の件で話をしたいので、電車をして欲しいとの事で、電話番号が書かれていた。
早速電話をしてみると、もうすでに猫をAちゃんの家に譲ることが決まっているかのような話になっていた。猫がまだ手のかかる子猫だという事すら先方にはちゃんと伝わっていなかったにも関わらず、翌日には引き取りに来ると言うので、その日はこちらの都合が悪いので、来るのは水曜日にして欲しいことと、それと子猫はまだ世話が焼けるので、もっと家族で話し合ってから決めて欲しいことを伝えた。
その頃、子猫はいともあっさりとトイレトレーニングを済ませようとしていた所だったが、まだ自分で上手く排泄の後始末をすることができず、しっぽや後ろ足をおしっこでびしょびしょに濡らしたり、うんちを踏んづけた足で歩き回るなど、危ういところがあった。しかし、先週の何にも出来ない赤ちゃんぶりよりはだいぶましだった。たった1日の間にも、子猫は見違えるほどに成長していく。水曜日にはよそにやっても大丈夫なほどに仕上がっているかもしれない。
とはいっても、子猫を飼うという事に全く迷い躊躇いがないというのもどうなのか。身体が小さいだけで成猫のように完璧な子を貰えると期待しているのではないか。
これまで、何人もの人達に断られ続けてしょげていたのに、いざ引き取ると言われるとマジかよと思ってしまう。子猫に情は湧いているが、だからといって手離したくないなんて無理を言うつもりはない。Aちゃん一家が子猫にとって良い飼い主となるのが心配なだけで。
そうやって悶々としている姿を子供達に見られると、期待させてしまうので、良くないと思い、子供達が寝静まってから夫と話し合った。やはり、あまりにも性急に事を進めようとする人を信用するのは難しい。だが、子猫の可愛い盛りが日に日に過ぎて行くというのも事実だし、本当に猫好きな人ならばどんなに手を煩わされたとしても、子猫の今を見て触れ合いたいと思うことだろう。譲渡会に参加できるまで、あと3週間以上あるので、なんなら数日試しに子猫を預けてみて、手のかかり様にどうしても我慢できなければ、返してもらって予定通りに譲渡会に出すことにしよう、と話した。
水曜日まで、いきなり活発度の上がった子猫の遊び相手をしつつ、後悔しきりで過ごした。自分達で猫の貰い手を探すんじゃなかった。譲渡会参加一本に絞ればよかった。譲渡会でなら、里親希望者にはスタッフから飼育環境や飼育の覚悟を厳しく問われる。日常の人間関係の中で譲渡先を探せば、人間関係を盾に良いように押しきられてしまい、必ずしも猫にとって良い結果になるわけではないかもしれない。
猫をやると言ったのに嘘だった。やると言ってた癖に直前になって気を変えた。そんな風にあちこちで吹聴されたら、私やうちの子供達はどんな風に見られるのか。
水曜日。午後にAちゃん一家がうちに来るので、私は子猫の遊び相手は返上して家の掃除に勤しんだ。子猫はちょうど平日休だった夫に面倒を見られていた。物がゴタゴタとあるから完璧にとはいかないが、こざっぱりとした。茶菓も用意した方がいいだろうか? と私が言うと、
「そうだなあ。猫を貰うというのに、まさか玄関先で済ませようとは思わんだろうし」
と夫は言った。
が、そのまさかだったのだ。放課後にAちゃん一家が揃って家までやって来たのだが、Aちゃんの母親は玄関先で猫を受け取ってさっさと帰るつもりでいた。猫の実物も見ずに連れて帰って、Aちゃんらお子さん達が「思っていたのと違う」とがっかりするのは避けたいから、実物を見てから飼うかどうか決めてくださいと私は言ったはずなのだが。
取り敢えず上がって、子猫を見てくださいと引き留め、夫にじゃらされて走り回っている子猫を見てもらう。Aちゃんの反応は今一つよくわからない。知らない家に来てはにかんでいるだけにも見えるが、無理やり「この猫でいい」と言わされているようにも見えた。
Aちゃんの母親に、試しに猫を抱っこしてみてくださいと言って、抱っこしてもらった。子猫は全然人見知りをせず、うちの家族に抱っこされた時のようにAちゃんの母親の手の甲を引っ掻いたり服の袖に噛みついたりした。しかし、Aちゃんの母親は可愛い可愛いを連発していた。私が子猫の排泄の世話のやり方を説明しても、嫌な顔をしないどころかなるほどと熱心に聴いていた。
Aちゃんが猫を欲しがったという話だったのに、Aちゃんの反応はいまいちで、だがAをの母親は一度抱っこした子猫を離そうとしない。どうやら本当に猫が好きで猫を飼いたくて仕方がなかったのはこの人のようだった。
この僅か数日の間に、Aちゃん一家は必ず猫を貰えると信じて疑わなかったらしく、子猫を迎えるための一式を揃えたらしい。猫ならなんでもいいです! と言い切ったのはどうかと思うけれど、この人ならちゃんと子猫を一生面倒見てくれそうな気がした。私の直感があてになるかはわからないが。
結局、私達に出来ることは限られているし、ここで外れクジを引いたとしたら、これは私の運というよりは子猫自身の運なのかなと思い、Aちゃん一家に子猫を引き取って貰った。
子猫と一緒に、子猫が寝床にしているキャリーケースとボロ布を持って行って貰った。それだけは譲れなかったのだ。何故なら、子猫はそのキャリーケース自体とボロ布をママだと思い込んでいるようだったからだ。子猫はモノを母親だと思って執着していたおかげで、うちの家族の誰かを母親と思って執着することはなかった。
キャリーケースとボロ布があればいつもママと一緒という気分でいるので、新しい家に行ってもちょっと見える景色が変わっただけで、何ともないと子猫は思うはずだ。
先週の月曜日に保護した子猫を譲渡するあてが出来た。うちの子供の友達が、子猫を欲しいと言っている。その子の両親も子猫を欲しがっている。
予定では明日、先方に子猫を見せてみて、気に入ったら子猫を持ち帰ってもらうことになっている。貰い手が見つからなければ、生後丸2ヶ月になるのを待って動物愛護団体主宰の譲渡会に参加することになっていた。思ったよりも3、4週間早いお別れとなる訳だ。
保護した当日の子猫はひとりで何も出来ず、ごはんを食べず、臆病で鳴いてばかりいたが、今ではばくばく餌を食べ、部屋中を探索して歩くし、トイレトレーニングが完了しそうなほどだ。
すっかり我が家に馴染み、よく食べよく遊びよく寛ぐ子猫を、また新しい環境に放り込むのは、ちと可哀想な気もする。だが、今が子猫の可愛い盛りで、育てば育つほど里親が見つからなくなるのだ。だから、貰い手が早くも見つかったことはいいことのはずだ。
が、まだ生後1ヶ月の子猫と知っても今すぐ欲しい! と食い付いて来た人が果たして本当にまだ世話の焼ける子猫を根気よく面倒をみられるのかということが気がかりだ。やっぱり、動物愛護団体主宰の譲渡会に出して、スタッフさんに里親を選んでもらった方が、第三者の目が入るぶんよかったのではないかと後悔してもいる。ただ、譲渡会に参加する要件として保護者は自分でも里親探しに努力しなければならないというのもある。
明日子猫を貰い受けに来る人の元で子猫が幸せになるかどうか、というのは、子猫自身の天命であり私にはどうにもならない事なのだと思うしかない。私はやれることはやったのだ。
完全同意。
日本で事故が少ないのは単純に住居の問題でピットブルレベルの大型犬を気軽に飼える世帯が少ない=母数が少ないせいだとは思う
チワワやダックスやポメラニアンのような小型犬が主流なため躾不足でも事故が起きないだけで、日本の躾に対する意識の高さが特別高いわけではないよ
アメリカの動物病院や動物保護施設で働いてたけど、来る犬種のほとんどは大型犬。ワイマラナー、ロットワイラー、シェパード、ドーベルマン、マスティフ、スタンダードプードル、みたいな。どの子もとてもおとなしかった。
アメリカンピットブルは特にアメリカ原産だからなのか大人気で、1日に何件も予約が来るほど超高頻度で出会う人気犬種だった。そしてその殆どの飼い主は物凄く熱心に躾をしていたよ。凶暴なピットブルには問題を抱えた飼い主の一度しか会ったことがない。
月曜日、カラスの落とした獲物だった子猫を拾ってからやったこととか、知ったこととか。
拾ったのが朝6時半で、受診できたのが9時半。こんなに短時間で受診にこぎ着けられるなんて、知らなかった。たまたま暇な日だったのか、電話をかけた一時間後に予約を入れてもらえた。
自分で飼う意思がない癖に捨て猫とも野良猫ともつかない子猫を受診させても、嫌な顔一つされなかったのが意外。
うちはペット禁止の戸建て物件のはずが、何故か隣人は犬を飼っている。すごくよく躾けられていて、無駄吠えをしない大人しい犬だ。
「増田さんも何か飼いたくなったら飼っていいのよ」
と以前大家さんは言った。謎におおらかだ。
猫を拾ったらまず交番に連絡するものなんだって。その発想は私にはなかったのだが、猫の保護の仕方についてググって知った。
こんな事で交番に連絡して「はぁ?」みたいな塩対応されたらやだなと思いつつ電話をしてみると、
「あーはいはい、猫拾ったのね。動物愛護団体に預けるんにまず警察に聞いてからにしてって言われるんでしょ。ではまず氏名住所と、拾った場所を教えてください」
と、慣れた対応をされた。世の中の人達は猫を拾ったら普通に交番に届けるものらしい。知らなかったぁ……。
お巡りさんから、飼う意思の有無を訊かれたので、飼う意思はないけど子猫を生かしたいですと答えたら、ちょっくら対応を審議するので折り返し電話するねと言われた。
一時間もしないうちにお巡りさんから電話がかかってきた。調べた結果、子猫を落としたという届はなかったので、子猫を自分で飼うなり人にあげるなり私の好きにしていいとのこと。子猫は落し物・拾得物扱いらしい。
交番で預かるとなると、元の飼い主が名乗り出ないまま預り期間を過ぎた場合、県営の動物愛護センター行きとなる。だがそこも預り期間があるわけで、期間内に譲渡先が見つからないと殺処分になる。従って、猫に生きていて欲しいとなると、自分で動物愛護団体を頼って譲渡先を探した方がいい、と。それで、お巡りさんは県営の動物愛護センターの電話番号を教えてくれて、そこに電話して訳を話して、民間の動物愛護団体の連絡先を教えてもらうように、と言った。
フレンドリーに対応されて驚いた。最近は、役所関係に電話するとどこでも親切対応ですごい。20年前のどこにかけてもクソゴミ対応された時代がうそのようだ。
言われたのはお巡りさんが言っていたのと大体一緒。
「ここはどうしても飼い主が見つからなかった時の最終手段だと思ってください」
だそう。収容動物の譲渡会も開いてはいるらしいのだが、里親が見つからないこともよくあり、収容期間も短いので殺処分になってしまう可能性があると。子猫の場合は貰い手が見付かりやすいから、ここではなく民間の動物愛護団体の開催している譲渡会に参加して貰い手を探す方がいいそう。信用出来る二軒の団体の連絡先を教えてくれた。私が自分でググってみたところ、県内に複数の団体があるようだったのだが、その中でどこが信用出来るかまではネットでは分からなかったので、有難い。
あっちこっちに声をかけて来たものの、芳しい返事はない。しかも、うっすらとキモがられてしまう。宗教やマルチの勧誘と同一カテゴリーなのかな。
そんな中、唯一ポジティブな反応をしてきたのが、仕事仲間の若者で、その人は未婚で両親と同居中。動物愛護団体の譲渡会だと審査に受かり難い属性で、動物を飼うには自分で拾うかペットショップで飼うしかない。本人もペットを飼ってみたいのだが、それ以上にご両親もペットを欲しがっているとのこと。
ただ、その人は数ヶ月前にペットショップで見かけた仔犬に一目惚れをしたが、仔犬は売約済みだったという悲しい思いをしたそうで、出来ればその時くらい可愛いと思える動物を飼いたいという。都合よく子猫に運命を感じられるのかどうか謎だ。
動物愛護センターから教えて貰った団体のホームページを閲覧したら、犬も猫も生後2か月まで親元で育てることと書かれていた。子猫は推定生後1ヶ月だが、親猫とは生き別れになってしまっている。それでも2か月、うちで育てていいのだろうか。
子猫は何も一人で出来ない状態で、とても世話が焼ける。他人に譲渡するならトイレトレまでちゃんとやって手間がかからないようにしてから送り出したい気持ちがありつつ、世話は大変とはいえ可愛い盛りなので、是非すぐにでも引き取ってお世話をしてみたいという人もいるんでないかと思うが、どうだろうか。
てかまず、団体の規約を読む限り、譲渡する子猫は捨て猫ではなく繁殖させた(させてしまった)子猫を想定しているような?
「生後2か月までは、親兄弟との関係を通して社会性を身に付ける、大切な時期です」
そんな風に書いてあるけど、うちみたいに他に猫のいない環境で育った猫はどうなんだ。
そこで考えてしまい、まだ愛護団体に電話をしないでいる。今日電話するつもりだけど。数年前、動物愛護団体の譲渡会に(里親希望で)参加して嫌な思いをしたという増田を読んで、なんか動物愛護団体こわい……と思ったので、電話するのすごく緊張する。
拾った日は歩き方もお覚束無く、ミルクも自分で飲めず排泄もできずだったが、今はもう普通の猫のように歩けるし、皿から餌を食べられるようになっている。すごい成長だ。だが、排泄はまだ人の介助がないと出来ない。
カラスに食われそうになっていた子猫を拾ってしまった。まさか、こんなユーチューブみたいなことが、我が身に起こるとは。
パッと見生後一ヶ月ほどの子猫だが、世話をしてみると、実は何一つ自分で出来ない赤ちゃん猫だった。ミルクも自力で飲めないし、人の介助なしでは排泄も出来ない。世話が焼けるだなんてもんじゃない。
そんな訳で、新生児を育てているような日々がここ数日続いている。幸い、子猫は怪我も病気もしておらず、物凄く元気だ。
問題は、子猫を保護したのはいいが、我が家はペット禁止の賃貸物件なので、猫を飼えないことだ。子猫を引き取ってくれる人を探しているが、中々見つからない。
そこで、ネットで保護施設や動物愛護団体を探した。施設は県営のがわりと近くにあるものの、本当に行き場のない犬猫が最終的に行き着くところって感じだ。動物愛護団体には保護施設はないが、譲渡会を開催している。まずは譲渡会に参加することからか。
譲渡会に参加するには、子猫を最低生後2ヶ月になるまで育てなければならないらしい。思いの外、子猫との暮らしは長引きそうだ。だが、小さな子猫だから貰い手もすぐに見つかるんじゃないかと、希望を持って根気よく世話を続けようと思う。
今朝で子猫が家に来て4日目。これまで一度もうんちをしてくれなかった子猫が、食後に私の介助でねりねりと沢山うんちをした。一昨日動物病院を受診した際、三日経っても子猫がうんちしなかったら再受診と言われたのだが、今日は受診しなくてよさそうだ。
私は猫が嫌いだ。
というのは嘘で、猫好きな人が嫌いだ。
さらに言うと今の猫ブームや猫が好きなことを当たり前だとする風潮も嫌いだ。
最近は殺処分はかわいそうだ虐待だと言って、東京でも殺処分ゼロを目指し野良猫が放置されている。
そのせいで家壁に糞尿をかけられて悩む住民や、畑の作物に糞尿をかけられて嘆く農家のことなど気に留めてもいないのだろう。
保健所に連絡しても「殺処分はできません。ご自身で餌やりをする人に止めるよう注意してください。ご自身で捕まえて動物病院で去勢の処置をさせた後放してください」だそうだ。
補助金も港区や千代田区辺りはTNR(去勢)処置のほぼ満額を出してもらえるようだが、そうでなければ1万円は自分で負担する必要がある。
また、猫好きの人たちは病的なまでに猫が好きだ。もはや信仰と言っても過言ではない。怖すぎる。
猫はたしかに可愛いだろう。愛くるしい姿をしているだろう。それは否定しない。
だが、一度猫の話題でTwitterでバズると「そんな話題よりうちの猫を見てください!」と言わんばかりに自分が飼っている猫の写真を貼る輩が出てくる。
何か悲しい事故や事件が話題になると「うちの猫の写真を見て癒されてください☺️」と言って(無関係なタグと共に)猫の写真を貼る奴もいる。
猫飼ってる人は自己顕示欲を猫を使って満たそうとするさもしい人ばかりなのか?
検索の邪魔でしかないし、最近ではこういったツイートを目にするたびに不快になってしまうので自己嫌悪である。
ちなみに犬ではこういったツイートを見かけないので不快に思うことはない。
今なら心の整理がついたので、獣医学部に行って後悔した話を書きつづる。
学力的に言えば、国公立のかなりいいところを狙えるくらいの偏差値ではあったものの、思った通りの合格は勝ち取ることは出来ず、とはいえ資格さえもらえればどこでもいいかと滑り止めの私立大学に進学した。
もちろん、一握りのすごいお金持ちというわけではないが、安定して世帯年収1千万は超えていて、とくに浪費しない家だったので、私立大学の獣医学部の学費と、一人暮らしの生活費を与えられる幸運に恵まれた。
私は、昔からソロバンをはじいて行動する可愛くない子供だったので、浪人して1年分の年収が失われる損失、10代の1年が受験勉強に浪費されるという損失などを秤にかけて、資格を得られるなら食いっぱぐれることはないだろうということも計算にいれて(入れたつもりだった)、私立大学に進学した。
いや、違うかもしれない。
お金を出してくれるという安心があって、獣医になれれば私立でもまあいいや。と思ってたから、たいして勉強しなかった。
塾にも行ったことがない。
今あの頃に戻れるなら、もう少し勉強して、一浪してでも東大京大かに入っておけと自分に言いたい。
が、医学部なんかとは違って、一般家庭でも出せないこともない額ではある。
私立理系の大学の学費が120万くらいのところ、200万。高いといえば高いし、卒業まで6年だ。
といっても、理系は修士まで進学する人が多いので、獣医以外の理系なら4年で済むというわけでもないかもだが。
さて、入学して早々(正確には入学式の数日前から)、私はまた人生設計の続きを始めた。
とりあえず入学は果たした。たぶん、ストレートに卒業できるだろう。さて、卒業後どうする。
求人票をみてビックリしたのが、週休二日の社会保険完備が半分くらいだったこと。
社会保険完備だと初任給が数万安く、逆に初任給が高いところは代わりに社会保険が完備されてないか、あるいはボーナスがない。
今考えれば、個人事業主のところに就職するというのは、そんなもんなんだと思うけれども、当時は動揺した。
給与も、全体的に、当時の大卒初任給より1割くらいは高いような気がしたが、正直がっかりした。
そして、卒業を控えたと思われる6年生らの会話を盗み聞き、動物病院の勤務医を選んだということは、いつかは独立を考えなければいけないもの(少なくとも当時は)ということを知った。
考えてみれば当たり前だ。動物病院のほとんどは個人事業主で、終身雇用はあり得ない。
この、中小企業サラリーマンより少しいい程度の給与水準で、開業資金が数千万、無理ではないがかなり苦労するのは18歳でも解った。
自分のような奨学金の返済もないボンボンなら十分可能ではあるけれど、やりたいかと言われたらやりたくはない。
皆が喜びにあふれてるなか、将来への不安で悶々として新入生オリエンテーションに参加。
実際、知らないわけではなかった。
獣医といっても皆が動物の治療で生計をたててるわけではなく、公務員として公衆衛生や家畜衛生分野で生きる獣医が多いらしい。
そうはいっても、誰がなるんだ?と思っていた。
この記事を読む人にもご存じない人もいるかもしれないので、軽く説明すると、公務員として獣医が働く先は大きく二つ。
自治体によって部署の名称は違うのだけど、農業関係の部と、ヒトの衛生に関わる部のどちらかに配属される。
農業関係の部だと、家畜保健所に配属されて、自治体のなかの家畜保健所を数年ごと点々とする。
公衆衛生分野、つまりヒトの衛生に関わる部で獣医が活躍する場所というと、食肉検査所と保健所の二種類。
食肉検査所というのは、屠畜場で流れてくる肉にオーケーを出す仕事。
保健所というのは、スーパーのバックヤードの指導とか、食中毒が出たらその調査とかなんだけど、なぜそこに獣医なのかというと、もともとは、野良犬の捕獲の仕事が多かった時代に、狂犬病予防員野良犬捕獲の陣頭指揮という肩書で獣医の枠が用意されていたことに由来してて。
今だったらコロナでそれどころじゃないんだけども。
さてさて、仕事内容はとにかくとして、オリエンテーションを終えてからさっそくリサーチ。
給料はやっぱり高くない。6年出てるのに、修士よりも低い。このへんも自治体によるけども。
またまた落ち込む。
就職氷河期で仕事があるだけで勝ち組みたいなムードの時代ではあったけども、なまじ高校時代の偏差値に己惚れていたため、
「仕事があるだけラッキーじゃねーよ!年収1千万は目指してーわ!」
と泣きたくなる。
単純に、親の年収は超えたかったってのもありますけども。親よりは学校の勉強が出来た自負があったので。
さてさて、獣医学部を卒業しても、思った以上に楽な人生は送れなそうということに気づいて、いよいよ一年次の学生生活が始まった。
続く(まだ本題には入れてない)
フランスでのペットショップでの生体販売禁止や、繁殖屋「アニマル桃太郎」代表の逮捕など
これまでは、動物愛護法や虐待なんてまったく見向きもされないことがほとんどだった。
「ペットの闇ブーム」として素人知識ではあるものの、ここに軽くまとめておく。
【1:繁殖屋】ーー→ オークション/審査会 ー(通った)→ 【3:ペットショップ】
↖︎ │ /
(通らなかった) ーーー (売れなかった)
↓ ↙︎
購入したペットが死んだら「代替ペット」をご用意してくれるそうな。
https://twitter.com/nanamaru_mamy/status/1314331118271750144?s=12
売れない生体は半額(奇形はタダ)にする代わりに5年間フード定期購入の契約を結びつけたりと商売に必死。
もちろん途中解約は不可
最近は繁殖屋で使えなくなった犬を「保護犬カフェ」という名目で新たなビジネスを始めたようだ。
代表が若くして年商19億だとかマイバッハとかいう高級車を乗り回していたという話もある。
https://twitter.com/nizikotokeiko/status/1365161828506947590?s=12
沖縄浦添店での劣悪な環境が話題になったものの、そうではない良心的な店舗も多いようだ。
購入者が泣き寝入りしてしまう「子犬子猫の移動販売(わんにゃんフェスタ)」で有名。
どうみても体調が悪い状態で販売し、そのほとんどが先天性の病気を持っていたり
あるいはジステンパー、パルボウイルスなど致死性の病気にかかっており
連絡がつかず、被害者が泣き寝入りしている事件が相次いでいる。
https://twitter.com/jongjonnu/status/1455729412389830662?s=12
動物愛護法は今年6月に改定されたばかりだが、それ以前からこの狭いケースに展示していたというのはあまりにも可哀想。
同代表で「株式会社ASASHO」という法人も存在するが現地民ではないのでなんともいえない。
これも「子犬子猫の移動販売(わんにゃんパーク)」で有名。イベント名が適当シリーズ。
同様に購入した生体がことごとく病気持ちで死んでいく。
こっちの方が致死率が高く、イベント後には地元の動物病院は大忙しだとか。
一部の活動家による声明のおかげで先月のスッキリで取り上げられていた。
30〜50代あたりにとっては「動物愛護団体=触れちゃいけない人」みたいなイメージが定着していないだろうか。
しかし、近年こういった団体が動いているおかげでペットの殺処分数が10分の1にまで減っているのも事実だ。
気になる方はYoutubeチャンネルで検索することをおすすめします。和む。
今回ここに書いたのは少しでも実態を知ってもらいたかったためです。
などという趣旨ではありません。
できれば胸が痛むことは誰にも共有したくありません。
タイトルの通り、20年近く一緒に過ごしてきた愛犬を安楽死させました。2ヶ月と少し経ちますが彼のことを考えて毎日涙が止まりません。少しでも自分の気持ちに整理をつけられればと思い、はてなに新規登録し筆をとってみました。彼との出会いからまとめていこうと思います。
物心つく頃から過ごしてきたオンボロ社宅が取り壊されることになったのでペット可の新築のマンションに引っ越してから数ヶ月が経った頃。
せっかくペット可なのだから落ち着いたら犬を飼いたいね、とワクワクしながら家族で話していました。その当時は"どうする、アイフル〜"のCMが大流行しており母と私は、飼うならチワワでしょ!とチワワ推しだったはずなのだが夜遅くに母のコートで包むように抱かれながら我が家にやってきた仔犬はミニチュアダックスフントでした。生後2ヶ月のブラックタン。
生まれて初めて仔犬を見た小学校低学年の私は、そりゃーもう可愛がりたくて仕方がなかった。
しかし両親が彼を連れて来たのはブリーダーさんとのやり取りに時間がかかったこともあり22時を過ぎており、私はもちろん小さな彼もお布団に入る時間だったため寝るよう促す母に「連れてくるまで抱っこしててずるい!」「わたしもその分抱いて寝る!」などと悪態をつくも、一緒に寝たらケージで寝なくなるからダメだと言われ興奮する気持ちを抱えながら一人で寝ることになりました。
(翌朝、鳴いてて可哀想だったからという理由で彼と一緒に寝ている兄が発見された)
初対面したその日はスキンシップを取ることがほぼ出来ませんでしたがその後は勿論一緒に寝たり、名前決めで一悶着あったり、チワワに喧嘩を売って敗走したり、食欲旺盛で人間のご飯すら虎視眈々と狙ったり、参観日で留守番させたらケージ内に大を撒き散らしていたり、ここには書き尽くせないほど様々なことがあり、退屈しない日々が続きます。
共働きの両親や、部活や塾バイトで帰るのが遅い兄達。いつでもすぐそばにいてくれる彼の存在はとても大きなもので愛する弟でした。
2017年の2月。兄達はとっくのとうに家を出て、両親と私、彼の4人暮らし。私の出勤時に、眠っている彼を置いて買い物ついでに両親に職場まで送ってもらい、お昼休憩の時にiPhoneをチェックすると母から連絡が。
電話して話を聞くと、買い物が終わり家に帰るといつも走ってお迎えに来るはずの彼が居ない。珍しいと思い探すと私の部屋の隅でか細い声で彼が鳴いており、そのまま動かず様子がおかしかったのでかかりつけの動物病院にいったところヘルニアと診断されたとのこと。症状は重く、紹介していただいた隣県の専門医での手術を決めました。
当時14歳だった彼が全身麻酔に耐えられるか不安でしたが手術は成功し、リハビリをして多少フラつくものの介助もなしに歩けるようになりました。(後ろ足の筋肉が弱り前足の筋肉が強くなり逆三角形のムキムキ体型になって先生も笑ってた)
そして、家族の不在時にヘルニアになったため、今後は家には常に誰かが居るようにしました。
ヘルニア以外には手術することもなく、車に轢かれてもほぼ無傷だったという過去もあり我が家では無敵の犬と呼ばれていた彼ですが、2020年の冬頃歯が痛むのか食事しながら鳴くことが増えました。かかりつけで歯周病との診断を受けましたが高齢なので抜歯も難しく投薬のみとなりました。
父が亡くなり、かかりつけではなく、家の近所の動物病院に通うことも増えました。そのまま年が明け、20歳の誕生日には何をしようかと考えていた2021年の6月。歯を痛がる頻度が高くなり近所の動物病院にも不信感が募ってゆき、かかりつけの病院へ行くと歯石が口の中に当たっていることがわかりました。
麻酔なしでチョチョイと歯石を取ってもらいこのまま薬を飲ませて様子を見れば良くなるかと思いきや、次の受診時には歯石が当たっていた箇所が小さな小さな黒い腫瘍になっていました。
その腫瘍は癌の一種、メラノーマでした。大学病院に紹介してもらったり、顎の骨が溶けていたので胃瘻の手術をしたり、藁にもすがる思いで治験を受けたりしましたがみるみる彼の病状は悪化していきます。トイレに行くことも寝返りも打つこともできない彼のすぐとなりに母と並んで眠り、1時間半おきに彼の悲しい声で目が覚める。
その度に寝返りを打たせたり、撫でてみたりしながらまたうつらうつらとする日が続きます。
大きくなった腫瘍のせいで目も閉じられなくなり、てんかんの発作も起きはじめ、ついには腫瘍が喉に転移し呼吸も荒くなり落ち着いて眠ることもできなくなったため酸素室をレンタルすることにしましたが、2、3日もすると酸素室に入りたがらなくなりました。
酸素室に入れるとロクに動けない体を無理矢理動かして鳴くのです。
酸素の量は減りますが背に腹は変えられないので酸素マスクを口元に持っていきますが、顔の向きを変えて嫌がります。ご飯を吐くようになりました。
1日中目も虚ろで、苦しそうに鳴く彼。
母が、これ以上呼吸も出来ずに苦しむのならば、と。かかりつけに電話をして、安楽死をお願いしました。
いつも行っていた公園をカートでお散歩して、タクシーに乗り病院に。
最初の鎮静剤を打たれる時、少し身を捩って嫌がる彼を見て、病院では泣かないようにしようとしていたのに涙が溢れ出てきました。
目が見えてるかもわかりませんが最後まで視界に入りたかったので診察台の上に横たわっている彼とずっと目が合うようにしていました。
そして処置が終わり、彼は見ている限りではとても穏やかに息を引き取りました。
帰りは30分以上かかる道を彼と母と私の3人で帰りました。相変わらず9月の半ばだというのに暑くて暑くて汗と涙と鼻水でグシャグシャです。こんなに暑くなければもっともっとお散歩行けたのにね。
家に着き、母は何度も彼を抱きしめていました。私は力の抜けた彼の体を抱きしめることが怖くて、横たわっている時に撫でることしかしませんでした。そのうちに死後硬直が始まり、抱きしめておけば良かったと後悔するのですが。
2日後、兄にも見守られながら彼は骨になりました。
寝ている父の頭に粗相したり、兄の局部に噛み付いてぶら下がったり私達の躾が行き届いていないトンデモ馬鹿犬の部類に入る彼ですが本当に可愛い子でした。大切な家族でした。
会いたい、寂しいと思う度に殺した癖に、とも思ってしまいます。
でもやっぱり会いたいです。あのキラキラな瞳で見つめられたい。美味しそうにご飯を食べるところが好き。お散歩してる時の後ろ姿が可愛い。クリクリの耳毛を触りたい。お尻をもみもみしたい。肉球の香ばしい匂いを嗅ぎたい。また海にも川にも山にも行きたい。そんな思いでいっぱいです。
まさかこんなことになるとは思っていませんでした。天寿を全うして老衰で亡くなると思っていました。今年の誕生日も一緒にお祝いできると思っていました。
大切にしてきたつもりでも全然足りていませんでした。彼から、一言恨み言でも聞けたら楽になるのにな、なんてズルいことを思ってみたりも。
私はこれからも彼の命を奪ったことに責任を持ちながら、その重さを負いながら生きていくしかないと思っています。
何にもまとまっていませんがそろそろ終わろうと思います。
ここまで読んでくれる方がいるかわかりませんが、もし読んで下さったならありがとうございます。
たくさんの反応いただいていたみたいで驚きました。
一番初めについたコメントを見て、まあそりゃそうだよな、と思いそれから確認せずにいたら思っていた以上に暖かいお言葉をくださる方が大勢いらっしゃって……。今更にはなりますが全て読ませていただきました。涙がドバドバと溢れ出て大変汚い顔面になりましたが、本当にありがとうございます。
一部父について触れている意見がありましたが、意図的に省きました。予期せぬ父の死だったので母も私も心が砕けそうになり、更に翌年には祖父が亡くなるも葬儀に出ることも叶わずまた心がバッキバキ!…なんて事もありましたがその時の悲しみや苦しみを書くことは本筋ではないし、長くなりすぎると思ったので。でも、その辛い時に彼にたくさんたくさん助けてもらったので書いても良かったかもしれないですね。
で、なんでここを覗いたかというと先日とある出来事がありまして。
彼を失った時に苦しかったので新たにペットを迎える気は更々無かったのですが、たまたま寄ったペットショップで彼に瓜二つな子と出会って目を奪われてしまいました。いやいやそんなまさかと思いながら誕生日を確認すると彼の命日の次の日で。母と二人でショーケースの前で号泣。彼の生まれ変わりなんだとしたらまた辛くてもいいから一緒に生きていきたい、と思ってしまいました。生まれ変わりなんてあるか知らないですけど!!!!!!!!
先に言っておくが、犬はとても元気だ。
1日3回食事の催促をして、
そんな犬でも寄る年波には勝てないらしく、
少しずつ、少しずつ、眠っている時間が長くなっている。
膝に乗せると直立不動のままで居心地が悪そうで、すぐに膝から降りたがる。
犬がわかりやすく甘えるのは、
人間が床に広げた新聞を読んでいると新聞紙の上にわざと座ったり、
こちらに背中を向けて座り「撫でて」と催促する時ぐらいだった。
飼い主としては、膝の上で眠る愛犬の図に憧れていたので少し残念だった。
眠る時間が長くなる中でも、飼い主とのコミュニケーションを取ろうとしているのだろうか。
今、犬は人間がソファに座っているとソファに両前脚をかけて「乗せて」と甘えてくる。
嬉しい反面、犬とのお別れが刻一刻と近づいているのを実感して余計に寂しくなる。
その愛犬がずーっとお世話になってた動物病院があったんだよね。
まぁ動物を飼うにあたって、動物病院は絶対に関わる施設だとは思うんだけど。
うちは県内をちょこちょこ引越ししてて、お世話になった動物病院っていうのは、犬にとって3件目?とか4件目にあたる病院だった。
引っ越した先で適当に入った動物病院だったんだけど、先生がすごく丁寧で、治療費が安かったんだよね。
その土地から引っ越して、別の動物病院も行ってみたけど、結局お世話になった動物病院に戻った。
下道走って1時間半。高速乗ったら30分とか40分ぐらいだったかなぁ。遠方に住んでる時は2時間半ぐらいかかったこともあったけど。
高速に乗って動物病院に行くとき、いっつも家族と「高速代金払っても、近所の動物病院行くより安いわww」って笑いながら行ってたのをよく覚えてる。
最初は安いから、という理由だったかもしれないけど、私はそこでドクターに対する信頼を教えてもらったんだよね。
自由診療でいくらでもお金儲けができる仕事のなかで、本当に丁寧でさぁ。
動物にも飼い主にも寄り添ってくれる病院って、たくさんあるようでそう多くはないんじゃないかなと思う。
言葉の通じない生き物と生活するうえで、信頼できる動物病院がどれだけ重要なのか、それがどれぐらい安心感を与えてくれるのか。
尿管結石の手術、歯茎が膿んだ時、夏バテによる食欲不振、足ひきずって痛いふりしてる時も先生に診てもらった。
肉球の間までしっかり見て、さわって、診察台からうちの犬下ろしてさ。院内の奥に歩いて消えて、戻ってきて「折れてないですね」って。
「もしかしたら家に帰ったら「あっおれ足痛かったんや!」って思い出して足ひきずるかもしれないですけど、折れてないです。大丈夫です」って。
めんどくさくても、レントゲン取ったら金額上乗せできただろうに。
確かその日の会計680円。高速代金の方が高くて母親と一緒に大笑い。
老衰による腎不全で、最後のほうに元気がないからって連れて行ったときも、うちの犬の顔見てすぐ体調悪いの察してくれた。
先生たちが「もって一週間です」って行ったら本当にぴったり一週間で死んじゃった。老衰だからね。仕方ないんだけどね。
本格的な介護はその一週間だけ。痙攣一回、あっさりぽっくり一瞬で。苦しみ少なく、わが愛犬ながらよい最後でした。
愛犬が死んだのは数年前で、私は今は動物と生活をしていないので、ついさっきたまたまホームページを見て知ったんだけど。
先生の挨拶の最後には、救えなかった動物達、ごめんなさい。って書いててさ。
いやいやいや、救った命の方が多いでしょ。どう考えても多いでしょ。どんなに低く見積もっても救った命の方が多いでしょ!
おれはすごい医者だぞ!!いっぱい命を救ったぞ!!ってえばっていいでしょって思った。
犬を飼う上で、「先生のところに行ったら大丈夫」と思えるドクターに出会えたこと、本当に幸運だったと思っています。
愛犬を最後まで先生に診てもらえたことはもちろんですが、先生の作った病院は、飼い主にとってもよりどころで、安心できる場所で、信頼できる場所で、動物に対する不安を取り除いてくれる場所でした。
こんなところで言っても届かないだろうけれど、先生の丁寧な説明はいつも不安を軽くしてくれました。
胸張ってください。動物の命だけじゃなくて、ユーザーの心まで救ってくれる、本当に素敵な先生でした。
私またいつか犬を飼ったら、先生に診てもらうつもりだったのになぁ!笑
長い間お疲れ様でした。
救ってくれてありがとね。