はてなキーワード: ランナーとは
元増田です
本来こういった際、後から本人が出てくるのは宜しくないことかと思いましたが沢山の優しいお言葉にどうしてもお礼申し上げたく、またいくつか訂正したく改めてこうして筆を執らせて頂きました
おそらくまた長くなってしまうかと思いますが先にお詫び申し上げておきます
正直申し上げまして、まさか夜中に思い付くままに書いた愚筆にここまで反応頂けると思ってもみなかったため本当に驚きましたし感謝しきりです
まず「甘えてない」「頑張っている」といって下さった皆様、本当にありがとうこざいます
昨日の夜改めて自分はなにが不安で不満であったのかと考え直してみたとき、恐らく「社会の中でなんの役割も果たせていない」という状態が不安だったのだと理解しました
元記事にて在宅で仕事をしていると書きましたが、恐らく皆様察されている通りアルバイト程度の賃金と仕事量に過ぎず
親の介護といっても転ばないように気を配るくらいのもので、一緒に出かけて遊んでいるようなもの、それこそ完全に甘えている状況
私は持病の関係で子供の頃から「仕方ない」が口癖となっておりました
「今は仕方ない」「しょうがない」と、この歳まで続けてしまった、抜け出そうと努力せず
その結果良い歳して自分が社会の中のどこにも入ることが出来ていない子供のまま甘え続けている状況が不安だったのだと思います
逆に、「ようするに甘えてないって言って欲しいんだろ」という言って下さった皆様
私は誰かに甘えを叱って欲しいし、誰かに甘えを許して欲しかったんだと思います
今まで、「でも歩けるし、そこまで酷いわけではないし」でサポートなど想像したことも無かったので目から鱗が落ちました
次に訂正となりますが
「一人暮らしをして一人前」と言われた際の話ですが
大変申し訳御座いません私の説明不足があり誤解を生んでしまいましたが
こういったアドバイスをくれた人は皆夢があり
そういった世界では「実家にいると甘えてしまって大成しない」という通例があるそうで
そのため、なにも夢もなく日々をなんとなくで過ごしているようにみえる私への親切心からアドバイスをしてくれたのだと思います
(勿論私も聖人君子ではないので、言われたときは「うるさーい!」とは少し思ってしまいましたが笑)
また、そういった際は介護をしてるからと伝えるべきというコメントも頂きましたが
後出しとなってしまい申し訳御座いません、こちらもはじめの頃何度かは親の介護をしてるからと伝えたのですが
母がまだ60代である事、世間の60代はまだまだ元気なこと、などからうまく理解いただけず
「言ったって歩けるんでしょ?」「親の体調が悪いなら余計面倒かけちゃ駄目だよ」など言われる結果となり
私の説明も下手なため説明を諦めてしまうようになった現状でございます
これは、介護に限らず何事も自分の見聞きしたことのないことを正確に判断するのは難しく、逆に私が無理解から失礼な発言をしていることもあるだろうと思いそういった発言をされてもなるべく気にしないようにして参りましたが昨日はついこぼれてしまいました
そして、逆に兄弟や母が私に甘えているという点ですが
それは本当に間違いです
母は常に私にやりたいことがあるならいつでもそれを優先してくれと言ってくれております
兄弟も、仕事が忙しいため直接手伝うことは出来ずとも常に相談には乗ってくれて、必要なものがあればすぐに送ってくれます
また、本筋とは外れますが私は幼少の折りより心臓に持病があった為、酷いときは学校の行き帰りすら一人ではままなりませんでした
そんなとき母は仕事もしている中で常に付き添ってくれており、それがどれほど大変なことかは今となってもなお想像を絶する程です
兄弟も、そんな私のせいで制限されたことも沢山あるでしょうにいつでも私の心配を第一にしてくれました
母も兄弟も私も、きっとあえて教えたりしないだけでホームで電車が通り過ぎるのを眺めるような日もあるのだと思います
私はたまたまそれが昨日であり、たまたまそれを文章にしたに過ぎません
自分のブログにでも書こうかなと思ったけど、だいたい https://www.metacritic.com/pictures/oscar-best-picture-contenders-for-2019?ref=hp からのパクリだしそんなに力いれて調べてないので増田に放流します。
本命は『スター誕生』、『BlacKkKlansman』、『グリーンブック』あたりか。ノミネーションだけなら『ファースト・マン』や『女王陛下のお気に入り』も。
今年のカンヌで『万引き家族』の次点でグランプリを獲得した、黒人映画永遠のトップランナーの最新作。
黒人なのにKKKにもぐりこんでしまった潜入捜査官の実話を描く。
スパイク・リー監督作のなかでは『ドゥ・ザ・ライトシング』や『マルコムX』をも凌ぐ評価を獲得している(そして興行的にもここ十年で自己最高)。
公開時期が夏季であることと、ややコメディよりのタッチがノミネーションに不利に働くかもしれないが、トランプ政権下において「ブラック・リブス・マター」運動はまだまだ意気軒昂。「黒人映画」枠競争を勝ち抜くポテンシャルは十分だ。
ブラックパンサー(ライアン・クーグラー監督)
解説は不要だろう。今年米国内で最高興収をあげた作品にして、マーベル映画史上でも最も支持された傑作ヒーロー映画。
アメリカ国内外の黒人問題や歴史的視点にめくばせしてオスカー好みの社会性もばっちり備えているものの、やはり「アメコミ映画」のレッテルがネック。
まだまだ白人・男性・おじいちゃんが大勢を占めるオスカー会員にあっては弱い。ギリギリノミネーションがあるかどうか、といったポジションだろう。
余談だが一時期新設されそうだった「ポピュラー映画賞」部門はブラックパンサーを受賞させるために作られるのだという噂だった。裏返せば、作品賞本選に選ばれる格ではない、と会員からみなされているのだろう。
Can You Ever Forgive Me?(マリエル・ヘラー監督)
落ち目のライターが有名人の手紙や文章を捏造して高値で売る詐欺に手を出し、それが嵩じて博物館から実物を盗みだそうと企む実録犯罪コメディ。
日本ではあまり知られていないけれど主演のメリッサ・マッカーシーはアメリカで今いちばんアツいコメディアンのひとり。
夫のポール・フェイグと組んで『ブライズメイズ』、『SPY』、『ゴースト・バスターズ(リメイク版)』などの陽性の笑いでヒット作を飛ばしてきた。
そんなマッカーシーが一転してシリアスでブラックなコメディに挑戦し、見事大成功。本年度の主演女優賞ノミネートが確実されている。
演出したヘラー監督の手腕も高く評価されており、初の監督賞ノミネート、さらには作品賞も夢ではない。
とある気難しい現代っ子少女の中学生活最後の一週間を描いた青春コメディ。
中学生版『レディ・バード』にもたとえられる(中二病的な意味で)痛々しくも切ない、みずみずしくもどんよりとしたフレッシュなローティーンライフの描写が広範な支持を集めている。
監督は若干28歳のコメディアンで、なんとユーチューバー出身。アメリカ映画界における新世代の台頭を予感させる一本。すでに数多くの映画祭や映画賞にピックアップされている
オスカーはコメディを敬遠する一方で、サプライズ的なインディー作品を好む傾向にあるが、はたしてこの作品の出目は吉とでるか凶と出るか。最悪でも脚本賞ノミネートは固いか。
『ロブスター』、『聖なる鹿殺し』と強烈かつキテレツな作風で知られるランティモス監督最新作にして初の時代劇。
アン女王を演じるオリヴィア・コールマンを巡る二人の家臣(レイチェル・ワイツとエマ・ストーン)のバトルを描く百合時代劇……たぶん百合だとおもう。
すでに巨匠の地位を確立したランティモス監督の過去作のなかでも群を抜いて評価が高く、今年のベネツィア国際映画祭でも第二位にあたる審査員賞を勝ち取った。オスカー前哨戦となる各種賞レースにももちろん名前を連ねている。
今年の本命作のひとつとも目されるが、ランティモス特有の変態さ加減が(今回は脚本までは書いてないとはいえ)どこまでお上品なオスカー会員たちに受け入れられるか……。
『ラ・ラ・ランド』で幻の作品賞受賞というなんともかわいそうな結果に終わった(それでも本人は史上最年少で監督賞を獲っているが)デイミアン・チャゼルとライアン・ゴズリング。
そんな彼らのリベンジマッチが実録宇宙開発物語『ファースト・マン』だ。人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロング船長にスポットライトを当て、彼の視点からドラマを描く。
企画段階から作品賞ノミネートは当然、という空気のなかでプレッシャーを跳ねのけて見事高評価を集めた。ノミネーションはほぼ確実といっていいのではないだろうか。反面、今度こそ受賞なるかというと、今ひとつパンチがきいてないようで不安が残る。
オスカー前哨戦の最も重要とされるトロント国際映画祭で観客賞に輝いた作品。ここ十年で同賞を得た作品でオスカー本選にノミネートされなかった例はたった一回しかないのだ。
黒人差別が法的に是認されていた時代のアメリカで、自分もちょっとレイシスト入っている用心棒の白人男が南部へコンサートを開きに来た黒人ピアニストを送迎する仕事を命じられる。最初は「黒人のくせに上等なスーツを着てお上品にピアノなんぞひきやがって……」と反感を抱く用心棒だったが、行く先々で差別待遇を受けるピアニストに対してだんだんシンパシーが湧いてきて……という内容。
ほろ苦くもユーモアとメッセージ性に満ちた内容はまさしくオスカー好み。「分断されたアメリカ」というテーマのタイムリーさもある。ちなみに監督は『メリーに首ったけ』などのロマコメで知られるファレリー兄弟の兄。このところは過去のヒットコメディのリメイクなどで仕事に恵まれなかったが、もともと潜在的に持っていた社会派なセンスが一挙に花開いた。
If Beale Street Could Talk(バリー・ジェンキンス監督)
『ムーンライト』で一昨年の作品賞を獲得したジェンキンスの最新長編。今度こそはチャゼルにかっさらわれた監督賞もいただいて完全制覇を目論む。
原作は今年日本でもドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』が公開された、黒人小説家ジェームズ・ボールドウィンによる短篇。濡れ衣をきせられて収監された夫を助け出すために奮闘する若き妊婦のお話。
テーマの重厚さも話題性も十分だが、公開が当初予定していた11月から12月にのびたことが若干きがかり。クリスマス狙いのブロックバスター大作のなかで埋もれてしまう恐れがある。
Mary Queen of Scots(ジョージィ・ルーク監督)
互いにイングランド王位をかけてあらそったスコットランド女王メアリーとイングランド女王エリザベス一世を、それぞれシアーシャ・ローナンとマーゴット・ロビーという旬な女優が演じる。
脚本を担当したのは『ハウス・オブ・カード』や『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』などの現代政治劇の名手、ボー・ウィリモン。
いずれもオスカーノミネーション歴を有した名前ぞろいでクオリティも保証されている。同じくイギリスを舞台にした時代劇である『女王陛下のお気に入り』がライバルか。
ROMA(アルフォンソ・キュアロン監督)
世界的に見れば今年最も評価の高い映画といっても過言ではない。ベネツィア国際映画祭の最高賞。
1970年のメキシコ・シティで家政婦として働く女性とその一家のドラマをモノクロで撮る。
評価の高さと『ゼロ・グラビティ』でオスカーを獲ったキュアロンの知名度があれば当然作品賞も……となりそうなものだが、障害は多い。
まずスペイン語映画であること。長いオスカーの歴史のなかでこれまで十作品の外国語映画が作品賞にノミネートされてきたが、受賞にいたったものは一つとしてない。
次に Netflix 映画であること。カンヌみたいに公に締め出すことはしないにしても、アカデミー会員のなかでも動画配信サービス勢に対する反感は根強い。一昨年の『最後の追跡』やドキュメンタリー作品を例外として、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』『マッドバウンド』といった作品たちもその年最高クラスの称賛を受けながらもオスカーノミネートには至らなかった。
いちおうネトフリも『ROMA』については配信に先駆けて劇場公開を行うなどの「オスカー対策」をやっているが、はたしてどうなることやら。
ちなみに Netflix でも来月に配信される。驚くべき時代になったものだ。
アリ― スター誕生(ブラッドリー・クーパー監督)
ショービズ映画の古典のリメイク。この八十年で三回目の映画化です。
本年度大本命に数えられる一本。批評家・観客からの圧倒的な支持率もさることながら、商業面でも大ヒット(現時点で世界興収三億ドルを突破)を飛ばした。主演のブラッドリー・クーパーとレディ・ガガの演技もさることながら、これがイーストウッド降板を受けての初監督となったブラッドリー・クーパーの演出にも嬉しい驚きが満ちているとかなんとか。
だが、一昨年の『ラ・ラ・ランド』、昨年の『スリー・ビルボード』と「早すぎる大本命」はかならずバックラッシュに晒されるのがオスカーという場。12月以降に猛然と差してくるであろう後続期待作たちを振り切れるかどうか。
Widows(スティーブ・マックイーン監督)
2013年にアカデミー作品賞を獲得した『それでも夜はあける』のスティーブ・マックイーン最新作。オスカー獲得後の第一作でもある。
シカゴでヘマをやらかして死んでしまった強盗たちの四人の未亡人(ヴィオラ・デイヴィス、エリザベス・デビッキ、ミシェル・ロドリゲス、シンシア・エリヴォ)が亡夫の後を継ぎ女だけの強盗団を結成するちょっと変わった犯罪映画。
マックイーンとヴィオラ・デイヴィスというアカデミー賞受賞コンビで鉄板の出来。
そのパワーでジャンルムービーを嫌うオスカーでノミネーションを勝ち取れるかが見どころだ。
Boy Erased(ジョエル・エドガートン監督)
厳格なキリスト教である両親のもとで育ったゲイの少年(ルーカス・ヘッジス)が教会の同性愛矯正プログラム(いわゆるコンバージョン・セラピー)に放り込まれ、セラピストとバトルする青春ドラマ。
近年では『ダラス・バイヤーズ・クラブ』のジャレド・レトがそうだったように、LGBTものは俳優にとってオスカー像への近道だ(スカーレット・ヨハンソンみたいに非LGBTの俳優がLGBTの役を演じることに倫理的な非難が高まりつつあるにしても)。
批評家筋からの評価的には作品賞には届かないかもしれないが、演技賞ではノミネートが有望視されている。
トランプ政権下でLGBTに対する抑圧が増しつつあるだけに、時事性も捉えているかもしれない。
GWブッシュ政権下で「史上最悪の副大統領」とも呼ばれたディック・チェイニー元副大統領をクリスチャン・ベールが激太り(何度目だ)+ハゲという負の肉体改造で演じたブラックコメディ政治劇。
他にも妻リン・チェイニー役にエイミー・アダムス、ラムズフェルド国防長官役にスティーヴ・カレル、GWブッシュ役にサム・ロックウェルなどアカデミー賞級の芸達者がずらりと並んでいる。
題材としてはなかなかトリッキーだがマッケイ監督の前作『マネー・ショート』がそうだったように、ツボにはまれば一挙にアカデミー賞ノミネートまで行ける。
同じく政治ネタでライバルだった『フロント・ランナー』(ジェイソン・ライトマン監督)の評判がいまひとつ芳しくないのも本作にとっては好材料。
The Old Man and the Gun Now(デイヴィッド・ロウリー監督)
名優にして名監督ロバート・レッドフォードの引退作。15才で逮捕されたときから人生を通じて強盗を繰り返してきた70才の犯罪者(レッドフォード)と彼を追う刑事(ケイシー・アフレック)、そして彼に惹かれていく女性(シシー・スペイセク)を描く実話犯罪コメディ。
作品賞ノミネートは微妙なところだが、レッドフォードはまず間違いなく主演男優賞候補入りするだろう。
ちなみにデイヴィッド・ロウリーの前作であるゴースト・ラブストーリー『A GHOST STORY』は今日から封切り。観に行け。
一方で、実話犯罪・老人・名監督にして名俳優と共通する要素の多い作品としてクリント・イーストウッド監督の『The Mule』にも注目しておきたい。こちらは80才の麻薬の運び屋をイーストウッドが演じる。映画祭などでもまだ未公開なため、どう転ぶかはまだわからないが、近年のイーストウッド作品に対するアメリカ人の冷め方からすると賞レース的な意味での期待はあまりできなさそう。
その他有望そうな作品
『シカゴ』でアカデミー賞作品賞をさらったミュージカルの名手ロブ・マーシャルがディズニーの伝説的名作の続編を制作。
エミリー・ブラント、ベン・ウィショー、こりん・ファース、ジュリー・ウォルターズといった英国の名優たちでがっちり固めつつ、リン=マニュエル・ミランダやメリル・ストリープといったミュージカルで定評のある俳優陣をフィーチャーし、万全の Permalink | 記事への反応(3) | 16:07
今シーズンからNPBで始まったリクエスト制度。名前のカッコ悪さもあるけれども、なんとも審判員にとっては格好悪い制度。
成功率が約半分。成功率と呼べばいいのか失敗率と呼べばいいのかは立場によるね。
ただ、少なくともベンチが「ん?」と思うジャッジをビデオでよくみると確率は丁半博打とほぼおんなじだってこと。
ずっと審判は一番近くで見ているので正しいと習ってきた。私自身、そんな風に思ったことはないけれど。
学童野球に携わり、アマチュア審判員のライセンスも取得した。3級だけどね。なんども講習会にも出席した。
教えてくださる方によって異なる位置取りや理屈。毎年代わるフォーメーション。もう野球って100年以上行われているけど、まだそんなことも決めらんないのかと呆れていたし、よくよく聞いてみれば偉そうなことばっかり言ってるけど、肝心なところはやっぱり結局見えてない時もあるじゃん。
ある講習会で理事長がテニスの審判員のような椅子に座り、我々受講生の動きを見ていた。講習会では地元の中学の野球部員が協力をしてくれており、三塁のクロスプレーのケースを練習していた。
私の番が来た際、私はアウトのジャッジをした。しかし、そこでテニスの審判員の椅子にふんぞり返った理事長がメガホンで「セーフ〜」と言ってきた。「今のはセーフ、どこみてんだ、足が入っているだろ」のおまけ付きで。
たしかにサードの彼は足にではなくお腹あたりにタッグをしており、ランナーの足がベースに着くのとどちらのタイミングが先かという感じであった。そこで一番近くで見ている私がタッグの方が早いという判断を下し、アウトのジャッジを下した。
私は「俺が一番近くで見てるんだ!そっから見ている方が正しいのであれば、そっから見る形に変えろ!」と怒鳴って詰め寄ってしまっていた。
その他にも納得しかねるアドバイスの数々。もちろん、良かれと思ってアドバイスをして下さっているのは分かるのだけれども。キャッチャーが自分の膝より下でとったらボール。大差がついたらストライクゾーンを拡げて。
ストライクゾーンはルール上、キャッチャーが取ったところでは決まらないはずだし、大差がついたらストライクゾーンが広がるというルールもない。ましてや試合が決してからチャンスをもらう選手だっているのに、そんなご都合主義的なことできないだろう。
講習を通じて守らなくてはいけないことは「審判の威厳を保つこと」「試合進行を促すこと」であり、「プレイヤーズファースト」の観点が抜けているように感じました。
審判員はあくまでプレーの結果をジャッジするだけで、試合進行を促すとか、試合を演出するとか、ちゃんちゃらおかしい。威厳を保ちたければジャッジの公平さ正確さで尊敬を集めるしかないと思う。
プレイヤー側が審判は神だと思うのはいいと思うけど、審判員自身が思うのは奢りでしかないし、危険だと思う。ジャッジは迷うし、見えてない時は見えてないし。逆だったかなと思う時はあるし。
私は見えていないことやミスジャッジを責めているのではなく、神であるという態度や審判の威厳なんていう考え方が嫌なのよね。プレイヤーのプレーを正確に判定し、プレイヤーが時間を掛けたければそのようにするというのが良い審判員だと思います。
リクエスト制度によってはっきりしたのは、ジャッジの正確性など遠く(ベンチ)からみているのとそう変わらないし、むしろ見ないで判定しても、コインで判定してもそう変わらないということ。よって正確性によって威厳を保つことはもう無理。
ごめん、わかんないって言えば許すのに。人間のやることなのだから。
でも、結果は半々なんだね。
私は一度も見たことないんだけど、24時間テレビに貼り付いて見てる人っているの?24時間連続で一つの番組をやること自体が司会者やスタッフにとって拷問としか思えないし、全体的に感動を押し売りしている番組として認識している。
特に100㎞マラソンとか166㎞トライアスロンとか何?日頃鍛えているアスリートでもきつそうな内容をど素人の芸人とかにやらせるのは悪趣味だと思う。いちおうトレーナーをつけて練習とかしているみたいだけど、ある程度若くて体力のあるタレントがやるにしてもしょせん付け焼き刃だし、単なるいじめにしか見えない。ましてや年配者や日頃運動していなさそうな人がランナーに選ばれると、「ランナー倒れたらちゃんと日本テレビ責任とれよ」としか言いようがない。
私は長時間テレビに貼り付いているのは時間のムダだと思うので、似たような内容でもせめて2~3時間にまとめろよと思ってるし、逆に24時間テレビが好きな人にどこが面白いのか教えてほしい。
ズキズキとした後頭部の痛みで、目が覚めた。
部屋にも服にも見覚えがない…。
あわてて、昨日の記憶を探ってみても、なぜ、ここにいるのか思い出せない。
会社の忘年会の帰り、自宅の最寄り駅までは覚えているが、そこからの記憶がない。
記憶が飛ぶほど飲んだわけでもないのに…。
連絡もなしに朝帰りとは、妻にどれだけ怒られるか…と心配し、携帯を探したところで、手荷物がないことに気付いた。
昨晩、転んで頭でも打って病院に運ばれたのか?
とりあえず、看護師さんを探そう。
そう思って部屋から出ようとしたが、ドアが開かない。
鍵がかかっている…?
混乱しているうちに、人工音声のアナウンスが室内に響き渡る。
「この部屋からは、ダジャレで10万スターを集めないと出られません。
繰り返します。この部屋からは、ダジャレで10万スターを集めないと出られません。」
一体、何を言っているんだ…?
数時間の混乱の後、俺は、この狂ったアナウンスが、どうやら本気だと悟りはじめた。
部屋でどんなに大声を張り上げても反応はなく、施錠されたドアを開ける方法は見当たらない。
外部に連絡を取る方法もない。
部屋の隅にあったノートパソコンは、かろうじてネットに繋がる。
しかし、アクセスできるのは、はてブ関係のページ(ご丁寧にも、俺のはてブアカウントでログイン済みだ。)とブクマされたページだけ。
webメールのログインや、ブコメ以外の書き込みなどはできなかった。
設定の裏をかけば、他のページに行ったり、助けを求めたりできるのかもしれないが、ITに疎い俺にはどうしようもない。
この狂人が理性に目覚める可能性や、警察がこの場所を発見する可能性にかけるよりも、スターを集める方が良さそうだ。
そう思い始めたのは、数回の食事(ドアについた郵便受けのような小窓から支給された)と、数え切れないほどの脱出のための悪あがきを終えたあとだった。
試しに何日かブコメをしてみると、いくつか分かったことがあった。
第一。ブコメで助けを求めようとしても、コメントは反映されない。
第二。ダジャレでスターをもらうと、その日の夜に、パソコン上に表示された数字が減る。
最初は、100000と表示されていたから、解放までに獲得すべきスターの数ということだろう。
それ以外の時間は、暇を持て余した。
政治関係の過激なコメントでスターを荒稼ぎしようとしたが、その試みは無駄に終わった。
その他、ありとあらゆる抜け道を試してみたが、全て徒労だった。
結局、地道にダジャレをブコメしてスターをもらうしかないようだ。
考えないようにしてはいたが、1週間も経つと、10万スターという数字の途方もなさに直面せざるを得なくなる。
1日に数十スターというペースでは、10万に達するのはいつになることか…。
数を撃つにしても、限度がある。
やりすぎて、垢バンされれば、それで終わりだ。
妻は、子どもは、一体どうしているだろうか…。
仕事はどうなっただろうか…。
焦りをつのらせた俺は、効率よくスターを集める方法を考え始めた。
監禁されて数ヶ月。
ダジャレブコメにつくスターの数は、大まかにいって、ダジャレの完成度とブコメの閲覧者数に依存する。
どんなにスゴいダジャレでも、数人しか見なければ、多数のスターは望めない。
ブコメにおけるダジャレの完成度は、①困難性、②新規性、③内容関連性で構成される。
①困難性とは、そのダジャレを思い付くのが困難な度合いだ。
濁音・半濁音・促音・長音符を無視せずともダジャレが成り立つ方が、高度でもある。
例えば、「布団がふっとんだ」より、「アルミ缶の上にあるみかん」の方が難しい。
②新規性は、既に人口に膾炙しているダジャレでないか、の基準である。
また、イカ関連のダジャレはイカ娘などで使い尽くされているので新規性が低い、といった具合である。
③内容関連性とは、そのダジャレが、ブクマ先の内容にどれだけ関連しているか、というものだ。
どんなに困難で新規性のあるダジャレでも、ブクマ先と無関係では、閲覧者に感銘を与えられない。
ダジャレがなくても完全なマジレスとして成り立つような内容が理想的といえるだろう。
スターを集めるには、ダジャレの完成度を上げつつ、ブコメの閲覧者数を増やすことが重要だった。
ダジャレの完成度をあげるに、絶対に必要なもの。それは、語彙力。
ダメ元で、「ダジャレのために辞書をくれ」とブコメしたら、コメントは反映されなかったが、食事と共に広辞苑が差し入れられた。
同様に、Wikipediaや韻検索サイトへのアクセスも認めさせ、語彙力のアップに努めた。
振り返ってみれば、ダジャレのためを装って、脱出のための道具を調達することも出来たのかもしれないが、この頃にはもう、破壊による脱出など頭になくなっていた。
ブコメの閲覧者数をあげるには、ホッテントリに入るページをブクマすること、早期に人気のコメントに入ること、お気に入られ数を増やすが重要だ。
ブクマが伸びるページを早い段階で見極めて、ダジャレをねじ込む必要がある。
また、お気に入りに入れてもらうには、ダジャレブクマカとしてのブランディングが必要だ。
暇を持て余してもマジレスすることはやめて、ダジャレブクマしかしないことに決めた。
そのうち、俺は、尊敬するジェイ氏と並び、ダジャレブクマカとして認知されていった。
ネットができる時間をフルにダジャレのために使えることも重要だ。
昼の集中のためには、栄養ドリンクとスマートドラッグを差し入れさせた。
もはや俺は、ダジャレのために全てを注いでいた。
やがて、そのときは来た。
扉が開く重厚な音のみが部屋に響いた。
自由の身になったということだろう。
しかし、そこでふと考える。
妻子の世話も面倒くさいし、
室外に行ったら、ブコメの質が維持できない。
いろいろ話したけどうまく話が通じなかった。
定められた仕事を定められた命題に沿って遂行するためにどうするべきかを問うているのだ。
できますか?ではなく、やってくださいなのだよ…もうレールは敷かれてしまっているのだよ…。
そこを走り抜ける為の、その為の手段を話し合いたいのだ…。
なぜできるできないの話になるのだ…。もう走るんだよ…。
走れないならランナーを変えないといけなくなっちゃうんだよ…。君に走って欲しいんだよ。
カレーにするかコロッケにするか肉じゃがにするか、誰が切るか揚げるか煮るかの話をしたいのに、僕お腹空いてません、僕料理できません、カップラーメンなら作れます!ではないのだ…。
高知市職員ですが、以前のエントリーが思った以上に反響がありましたので、書きます。
以前のエントリー
https://anond.hatelabo.jp/20180728154743
https://www.kochinews.co.jp/article/203672/
高知市の横田寿生教育長が31日付で辞任。7月上旬の西日本豪雨のさなかに、北海道へ市幹部ら7人で競馬旅行していたことに批判が高まっていた。岡﨑誠也市長が記者会見して発表。
7月4日から発生している豪雨災害のさなか、今回辞任した横田教育長、教育次長、総務部の弘瀬優総務部長、諸石信広総務部副部長、その他副部長級2人、課長級1人の合計7人が函館に競馬観戦の旅行に出かけていたことが発端です。(この7人というのが、競馬好きで20年以上の付き合いで趣味で、全国の競馬観戦をしている「有馬会」のメンバーであり、後述しますが、事実上の高知市役所の人事権を牛耳っているメンバーでありました。)
このうち、横田教育長と弘瀬部長は、災害対策本部のメンバーであることから、庁内外はもちろん、市民からも非難の声が集まり、全国区のニュースとなりました。
ここで、誤解してほしくないのが、単におじさん7人が趣味で競馬旅行を行っていたのが問題ありません。公務員だからといって、競馬をしてはいけない、という理由は無いと思います。ただ、タイミングが最悪だった。豪雨災害で西日本を中心に被害が発生しており、高知県内では3人が死亡している最中、この7人は競馬観戦をして、すき焼きに舌鼓を打っていたということ、道義的責任が生じるとともに、公務員にとって最もと大事な「信用」失墜行為にあたるということです。
なお、出発した時点は大きな被害は出ていなかったと、それに代理を立てて準備をしていた等、一部弁明していますが、これもおかしな話です。
というのは、そもそも災害対策本部というのは、当該自治体における防災対策の最高意思決定機関であり、避難所開設、避難指示、避難勧告といった市民の生命に直結する、非常に重要な決定を行う機関です。
責任が非常に重いのでそもそも課長、課長補佐といった代理で務まるわけがありません。そのような理由もあり、大きく報道されました。
後述しますが、この報道に対して当の教育長が「道義的責任はない」と開き直ったことから、市議会の与党会派「新風クラブ」「市民クラブ」「公明党」が激怒し、公明党出身の市議会議長も市長に文書で申し入れをする構えを見せたことで、事態は急変しました。
今回、競馬旅行にいった有馬会のボスである横田教育長は道義的責任はない、と高知新聞7月28日付朝刊においてコメントしていました。
「(旅行期間中は)学校も休みで行事もない。用意周到に必要な指示を出し、態勢を敷いていたのえ、(私が不在でも)特に支障なはなかった。道義的責任も生じない」という認識を示した。
避難所として小中学校は機能するにかかわらず、教育委員会トップと思えない軽い認識で、道義的責任を生じないというコメントには、失望しました。
しかし、冒頭のニュースにあるように、本日付で横田教育長が辞任しました。
長年、高知市役所において、人事課長、財務部長を歴任し、最終的に教育長という副市長クラスの特別職として君臨していた男のあっけない退場でした。最終的な肩書が「人事の横田」「競馬旅行の教育長」という肩書とともに。
今回の競馬旅行事件は、教育長の辞任をもって幕引きとなるでしょう。本来的には、職員の人事権や綱紀粛正などを統括する総務部長が一定の処分を受けると思いますが、今のところ、減給程度で終わるようです。
しかし、有馬会のナンバー2である弘瀬部長がこのまま総務部に留任ということは、ありえないと一般的に思いますが、仮に弘瀬部長こそ、次期副市長の最有力候補であり、やもすれば、市長の呼び声も大きいので、ここでキャリアに傷をつけるのは、何としても避けたいところでしょう。
それに、現在の岡崎市長の最側近でもあり、かつて、弘瀬部長が課長時代に、同和問題で部落解放同盟に糾弾された際も処分はせず、現在の総務部長のポストにつけたことから、その信頼の強さがうかがえます。
よって、道義的責任は生じないと言っていた横田教育長が辞任したことは、有馬会トップの座を弘瀬部長に禅譲することも意味します。
高知市役所も結局、組織でありヒエラルキーが存在し、派閥も一定存在します。そのような派閥で最大の力を誇るのが、有馬会です。
有馬会は、報道ではただの競馬大好きクラブといったような趣ですが、そうではありません。(ちなみに有馬会の由来は、有馬記念から来ています)
そのメンバーが、今回のニュースで明らかになったように、教育長、教育次長、総務部長、総務副部長、さらに副部長級があと2人、課長級が1人と上級幹部ばかりです。
今回旅行行ったのは、有馬会の中でも有力メンバーであり、その他にも有馬会のメンバー、もしくは有馬会「系」の派閥も存在しています。
彼らの力の源泉は、財政課、企画課、人事課、行政管理課といった役所内の中枢出身者ばかりということです。
では、なぜ有馬会がここまでの力を持つようになったのか?これは、前市長にまで話はさかのぼります、が、長くなっても仕方ないので機会があれば書きます。
ただ、一般的に役所の世界で出世したければ、上記のセクションに配属され、市長に最も近い派閥に属することです。
役所という世界は、実力云々というよりも、どこに配属されていたか?ということが重要ですので、下手を打たずレールにいれば、そこそこのポジションにありつけます。そのメインストリームが有馬会というわけです。
今回の教訓を単なる、競馬大好きおじさん達の軽率な行動というレベルで片づけるのではなく、このおじさん達が庁内で権力を握り、人事権を牛耳り、誰も文句を言えなかったという事実です。普通の職員ならば、台風災害中に旅行には行きませんし、まさか役所の仲間と行くなんてありえません。異常です。異常ですが、そのように感じないほどの空気が役所内にはありました。
なので、今回の報道でも職員も「大げさすぎる」という意見も一定数あったので、役所内世論も完全に2分していました。なので、今回議会の指摘があったのは、不幸中の幸いです。ある意味、民主主義の自浄作用が働いた形です。しかし、この災害中に飲み会というニュースは、既読感がみなさんあったと思います。あえて言いませんが、同じことが今回、悲しくも私の高知市役所でもありました。
では、指示で動くのは誰でしょうか?動くのは、主事、主査補、主査、主任、係長、課長補佐、課長といった人々です。部長、副部長といった上級管理職以下の職員です。上司が部下を見るように、部下も上司を見ています。とはいえ、職務命令があれば動きます。これがルールだからです。気に入らないという個人的に思いはありますが、役所という完全タテ社会では、それが言えない空気があります。
高知市は、これから全国でも例をみない、高知県ほぼすべての市町村が連携中枢都市圏を構成する巨大プロジェクトを進めており、そのフロントランナーが高知市です。そんな他市町村を束ねる役割を担う高知市でこのような報道があったことは悲しく、情けなく、それ以上に怒りを感じます。
現場の職員は、災害時だろうと、市民の暮らしを守るということ一番に考えております。これまでの高知市は三位一体改革や前市長の極端な積極財政による財政危機のため、職員給与がカットされるとともに、職員数も減らされて中核市でワーストクラスとなりました。
つまり、しわ寄せは少ない人数で、時間外手当も限られている中で現場は工夫をしてきました。だからこそ、今回の事件は、これまで築き上げてきた高知市の矜持を深く傷づけているのです。それが職員の綱紀粛正の大本営である総務部長、副部長ということが、何ともいえない気持ちになるわけです。