はてなキーワード: テレビドラマとは
結論: 福岡ではかなり前から使われている表現ということで、福岡の方言とみなしてもよさそう。
ここで福岡の方言とみなされていることを知った。自分は福岡出身(社会人になってからは関東在住)だけど聞いたことないので調べてみることにした。
方言であった「なるほどですね」は、実はドラマの影響で幅広く拡散していきました。2011年7月9日から同年9月24日まで、日本テレビ系列の土曜ドラマ枠で放送されていた連続テレビドラマ「ドン・キホーテ。」そのドラマの中で、松田翔太氏演じる城田 正孝の口癖の1つがこの「なるほどですね」という言葉でした。
このドラマの脚本家・大石哲也氏が「福岡県」出身であることから、この言葉が起用されたと推測できます。こうして「なるほどですね」という言葉が他県にも広がったと言われています。
とあり、確かに大石哲也氏は福岡出身のようだけど、福岡でキャリアを積んだかは不明で、根拠としてはやや弱いように感じた。
2003/06/13。不思議な言葉として紹介されており、方言であるという説明はない。
2006/08/10 の質問。九州の方言であるという意見がようやく出てくる。
その人の喋りは「ですね」の連発で、
いわゆる標準語の「ですね」とは少し違うみたいです。
最初に地域性に関して言及のあった回答はこちら。(他にもいくつか情報はあるけど省略)
それに対する回答。
まいさん、私確かに九州在住です。でも、私のまわりでもそんなに一般的な言い方ではないんですよ。
はじめて「なるほどですね」を耳にしたのは、大学を卒業して社会人になった年に、福岡市出身の同僚が口にした時でした。22年前です。大学も福岡市内にありましたが、学生時代には耳にした覚えがありません(だからこそ、同僚の「なるほどですね」が新鮮だったわけで)。
その後、なじみになったビストロのシェフが「なるほどですね」って言ってました。そのビストロと件の同僚の実家が近いのですよ。福岡市の中心部でたぶん同じ校区内(小学校の)。ただし、年は一回り離れているので直接の接点はないはずです。
月曜のりきって火曜平日になれてきた夜になぜこんなテンプレサスペンスがよさそうだ!ってなったのか
そもそも平日の火曜の夜に2時間も、映画と違って出来のよしあしもわからないドラマをそんなに見る人間がいたのか
本番組初期のプロデューサーだった小坂敬は「哀しくなければサスペンスじゃない」が最初のコンセプトであるとして、「単なる謎解きに終始せず、きっちりとした人間ドラマを作ろう」ということで、登場人物はみんな何か重いものを背負っていることをじっくり描くことが最大のテーマだったと話している[1]。
第1回放送は、島田陽子主演の「球形の荒野」(松本清張原作)。1980年代は、松本清張作品などの日本の推理作家や海外ミステリーなどを原作として、ベテランのスタッフが映像化する重厚な作品が多く、全盛期には視聴率もしばしば25%を超える人気を誇った。日本テレビにとっては、1980年に放映の始まったよみうりテレビ制作の『木曜ゴールデンドラマ』に次ぐ2時間ドラマ枠であり、1988年からはさらに『水曜グランドロマン』を設けるなど、日本テレビ系列では2時間ドラマ枠が多くなったが、『火曜サスペンス劇場』はその中核であり、最も息の長い枠となった。1990年代以降は、主に50歳代から60歳代の女性を視聴者に絞り定番シリーズを放送する安定路線が敷かれた[要出典]。特に1990年代は、日本テレビの視聴率が全国的に好調になっていた年代でもあり、日本テレビのドラマ枠としては、最も高い視聴率を殆どの回で記録しており、ドラマ視聴率ランキングの上位にもしばしば食い込んでいた。
この番組の開始によって、『木曜ゴールデンドラマ』が、読売テレビ一社の制作に変更された(それまでは、日本テレビと読売テレビが交互に制作していた)。また、札幌テレビ放送やテレビ岩手や福岡放送といった系列局が制作することがあったり、系列局の地元の“お国自慢”などに絡んだ作品が制作されたこともある。
また、大林宣彦、神代辰巳、鈴木清順、実相寺昭雄ら劇場映画で名声を博している旬の監督たちを起用して演出家主導の意欲作を撮らせる試みもしばしば行われた。その結果、難解なストーリーや前衛的演出も辞さず、2時間ドラマのみならずテレビドラマの枠をも破るような作品群が少数ながら生まれている。
番組のスタッフロールは、当初は「最後に『制作(製作):日本テレビ、(担当の制作プロダクション)』」とクレジット表記されており、1985年4月以降は、「最初に『制作:日本テレビ』、最後に『製作・著作:(担当の制作プロダクション)』」当とクレジット表記されていた(同時に日本テレビ製作番組が製作から製作著作に表記が代わった)。当枠終了後、日本テレビは製作プロダクションとの制作を打ち切り関係も絶縁し、視聴者層を若年層に絞った路線に変更した。
一時期は視聴率が20%を超えることもあったが、2000年代に入ってからは視聴率低下に歯止めがかからず、2005年9月27日の放送をもってを24年間の歴史に幕を閉じた。最終回の放送内容は火サス最多出演俳優の水谷豊主演の「事件記者・三上雄太III 逃走援助」で、放送時刻は19時からの3時間特番により通常より1時間遅い22時 - 23時54分であった。
なぜ火曜の夜だったのか。
近頃平野君と神宮寺君の、というか脱退ジャニーズ関連のニュースが世間を騒がせている。
ジャニーズが卒業・脱退・解散する、というニュースを聞くたびに、私は手越のことを思い出して苦しくなる。
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なんでこのタイミングで書き起こそうと思ったかというと、前述のキンプリの騒動をはたから見る中で、そろそろ一度振り返ってみてみてもいいんじゃないかと思ったからだ。
というか、オルタネートを書いた加藤さんではないけれど、あの出来事から3年という長い月日がたって感情的ならずに思出せるようになって、でもこれ以上離れてしまったらきっと気持ちも記憶も色あせてしまうから、「今」が最初で最後のタイミングなんじゃないかと思った。
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何を話すかといわれると難しいが、結局のところ手越のことをどう思っているかというお気持ちと思い出をたどるための文章である。
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どこから話そうか迷ったが、時系列順で話すのが一番いいのかもしれない。
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なんか女子が騒いでるなあという感じで、当時の関心ごとといえばサッカー観戦、ポケモン、イナズマイレブン、受験勉強、ライトノベル、あとはおままごととかだろうか。
でもVS嵐も、イッテQも、地獄先生ぬ~べ~も、鉄腕ダッシュも見ていたし、キスマイの光のシグナル(ドラえもんの主題歌だった)も大好きだった。
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彼女は歌がうまくて、カラオケが好きで、そして増田担だった。彼女とカラオケに行くと、親友は必ずNEWSの歌を入れる。
当時4+FANの合いの手のリズムがわからなくて苦戦したのをいまだに覚えている。
友達が歌う曲をどうせなら一緒に歌えるようになりたいと思うのがカラオケ好きの性である。
親友に頼んでNEWSのCDを貸してもらい、聞いてみたのが多分2017年。
まずNEWSの歌にはまった。
アルバムを4つくらい借りたのでそりゃ一曲くらい好きな曲もできるし、テゴマスは当時から歌がうまかった。
歌番組の時に親友からアナウンスがあったので、時間が合えば見ていた。
当時日テレっ子だった私は、イッテQで手越を、everyで小山さんを知っていた。
気づけば親友からはテレビドラマやバラエティの番組情報のアナウンスも入るようになり、私はNEWSをしっかり好きになっていた。
親が厳しかったためにファンクラブは入れず、ライブも行けなかったが、私は私なりの最大風速でNEWSのことが好きだった。
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それから2020年まで、のんびりと、自分なりの距離感ではあったが「好き」を貫いていた。
2020年2月、NEWS LIVE TOUR 2020 STORYの当落発表があった。
2017年のNEVERLAND、2018年EPCOTIA、2019年のWORLDISTA、最後に2020年STORY。
4つのライブの頭文字をつなげると「NEWS」になるこの4作品は、通称「4部作」と言われるもので、NEWSにとっても、ファンにとっても思い入れの深い、大事な大事なライブだった。
「STORY(アルバム)」にはファンの将来の夢が収録された楽曲や、メンバーからファンに向けてつづられた思いのこもった楽曲、9人時代からの気持ちに言及するような楽曲、インタビューなどがふんだんに盛り込まれていた。
チームNEWS全員にとって本当に大切なアルバムで、私たちはSTORYのライブの成功を心から願っていたし、心から信じていた。
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様々なイベントの中止が決まっていった。
「来月にはこのパンデミックが収まる」と信じて駆けずり回ってくれた方がどれだけいたのだろう。
大きな会場を抑えてファンのために準備してくれていた。
ライブ直前のラジオ内で行われたマジカルバナナ的なゲームでは、「準備万端といえば?」「「「「STORY!!!」」」」と4人で口をそろえて言ってくれていた。
河川敷をランニング中、桜の舞う中で聞いたその言葉を今でも覚えている。
しかし準備万端だったはずのライブは一公演一公演丁寧に中止を重ねていき、結局全公演中止になってしまった。
実はあの当時、ファンの間でうっすら「STORYが終わったらNEWSは解散or 何かしら節目を迎えるのでは?」という空気があった。
実際どうだったのかは本人たちに聞かないとわからない。
それでも、STORYに込められた気持ちはそれだけ大きかったのだ。
「この作品が最後なのかもしれない。そんなことはあってほしくないけれど、もしそうであれば、悲しいけれどきっとどうにか受け入れることができると思う。」
時が来れば必ず報われると思っていた努力が、世界規模の不幸によってぶち壊されてしまう気持ちは痛いほどわかる。
この辺は一回全員back number 『水平線』と 「入学から、この世界だった僕たちへ。」を聞いてきてほしい。
当時高校生だった私も何度も泣いた。
当時仲の悪かった母親に背中をさすられながら、夜中に号泣したこともある。
高校生活の中で最も大事な思い出になるはずだった最後の合宿が、文化祭が、体育祭が、すべてがなくなってしまうやるせなさに、どれだけ頑張っても結局行われなかったそれらにたいして、声をあげて泣くことしかできなかった。
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彼らは底抜けに明るかった。
少なくとも明るくあろうとしてくれた。
まあ彼らに救われたことに関して詳しく書こうとすると長くなるので割愛するが、ジャニーズWESTと出会ったことで私のジャニーズの世界は大きく広がっていた。
NEWSはびっくりするぐらいジャニーズ内での縦のつながりがない。
気がする。
あったらごめん。
小山さんと手越からちらほら後輩の名前が挙がっていたくらいで、残りの二人に関しては正直ほとんど思い出せない。
加藤さんは正門君と如恵留くんがまあ居るか?と思ったが、名前が出始めたのはコロナ後かもしれない。
少なくともグループ全体でかかわりの深い後輩グループみたいなのはなかったと思う。
NEWSしか見ていなかった時代、全員顔と名前が一致していたのは正直NEWSと嵐とTOKIOだけだった。
ジャニーズWESTはそこが大きく違った。
関西での縦の結びつきは、とんでもなく強かった。
WESTと仲のいいだれだれが出ているなら、時間もあるし見てみよう、という感覚で、芋づる式に「顔と名前とざっくり性格くらいまでなら把握している」程度のジャニーズが増えていった。
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とまあそんな時期、手越が飲んでた。
外で、女の子呼びつけて。
「ねーわ」って思った。
でもまあ手越だし。
そういうやつだし。
そりゃ謹慎くらいするべきやろうけど。
文春では退所報道とかもあった。
正直なところ不安も大きかった。
Johnny’s world HAPPY LIVE with YOUが発表され、NEWSが3人で出演すると知ったときは動揺した。
見るのが怖かった。
それでもNEWSが好きだったから、あとこれは余談だけど、同じ日の出演者がジャニーズWEST(推し)とHey! Say! JUMP(当時好きだった女の子の推し)だったのでその日の配信チケットを買わない選択肢はどちらにしろ無かった。
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泣いた。
それはもうボロボロ泣いた。
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「クローバー」:NEWSからファンへのメッセージソング、4人それぞれが自分のパートの歌詞を書いた。手越のソロパート前半は歌わず、後半は3人で向かい合って歌った。
「weeeek」:6人時代からずっと歌っているライブの定番曲であり、代表曲。
「UR not alone」:4人の代表曲。ライブの最後やアンコールで必ずうたわれる名曲。ラスラビの手越のソロパートはこちらも歌唱ナシ
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手越のソロパート部分を歌わないという選択をした三人を見て、三人は手越の帰る場所を守ってくれているのだと思った。
ほかの2グループがアイドルらしいきらびやかな衣装で華やかな曲を歌っていて、言い方を変えれば自分たちのファン以外の子たちにも楽しんでもらえるような、それでいて自分たちのファンにも愛を届けられるような、そんなバランスの取れたセトリを組んできたのに対して、NEWSははなからNEWSのファンと、それから手越のことしか見ていなかった。
状況が複雑な中、語ることを選ばなかったのかもしれない。
当然だろう。
でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う。
私は手越の部分の空席をあえて作るその演出を「3人は手越が返ってくると考えている、これはその表明である。何も案ずることはない。もう少ししたらまた4人のNEWSになる」と受け取った。
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違った。ダメだった。彼は帰ってこなかった。
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3人での配信ライブが行われた次の日、「18時半に手越に関する重大ニュースがある。おそらく退所報道である」という情報がリークされた。
昨日の配信ライブで得た確信なんてものはいつの間にか崩れ去っていた。
どうしてもその事実を受け入れたくなくて、夕方17時に布団に入った。
ただの現実逃避だ。
知るタイミングを遅らせたからと言って事実が変わるわけではないのに。
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朝起きて、ニュースを見た。
不思議とこの日の朝からの記憶はあいまいで、もしかしたら無意識で封じ込めてしまっているのかもしれない。
泣いた気がする。
気がするだけだ。
3人の側があれだけお前の居場所を作って待っていてくれたのに、なんて不義理なんだ。
あれだけ一生懸命準備してきたものを放りだして「今」退所しなきゃいけない理由があるのか。
事務所じゃできないことって何なんだ。
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でも結局彼がわからない。
今書いている恨みつらみが、どの時点で私の中に生まれた感情なのかも正直わからない。
「やめたくなかった」「まだ続けたかった」という発言も散見されていた時、「じゃあやめなきゃよかったじゃん」「今ならまだ間に合うから、戻らせてくださいって頭下げて戻ってきてよ」と思っていた。
それと同時に、私たちを、四部作を、3人を、すべてを放りだして知らない人たちと知らないところへ行ってしまったことに激しく怒っていた。
暴露にもならないような浅い内容の暴露本を出したことにはぶちぎれていた。
それでも、彼が好きな気持ちもまだあった。
心のどこかで彼を信じていた。
彼を嫌いになることで、彼がいた時代の楽しかった思い出たちまで嫌いになるのは嫌だった。
気持ちの整理がつかなくても手越は勝手にズンドコ進んでいっちゃうし、NEWSの3人も少しずつ動き始めていた。
少しずつ「3人のNEWS」が当たり前になっていって、人数が少なくなっていった自虐もたまに挟まるようになっていって。
あといつの間にかNEWSがKinKi Kidsに次いで上から二番目になっていたことにびっくりした。
ずっと中堅くらいの意識だった。
そういえばもう嵐もTOKIOもV6もSMAPもタキツバもいねえや。
あとたまに忘れちゃうけど、エイトのほうが一年デビュー遅いですよ、これは増田さんへ。
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脱退後のインタビューで、「多くの人は、アイドルや事務所という“魔法”にかかっている」と手越が話していた。
違う。
多分違うと思う。
“ただの手越祐也”ではなく、“ジャニーズ事務所のNEWSのアイドル手越祐也”だったから、私たちはあなたの素行を、すべてひっくるめて、「アイドルの個性」と思って愛することができた。
むろん愛すべきところがたくさんある人だ。
花が開いたようにパッと明るく咲く笑顔が大好きだった。
周りを巻き込んで笑わせてしまうような、自分の信じているものに対する絶対の自信からくるあの笑顔が大好きだった。
人の心に直接刺さるような、それでいて華やかで、のびやかで、何にも縛られないような歌声も好きだった。
いつだかジャニーズみんなでTOKIOの『宙船』を歌ったとき、一人きりで上ハモを担当していた。
あの時の誇り高さは、あれだけの大人数でも埋もれない美しい歌声は、きっと一生忘れない。
運動能力の高さと、周りの空気を作り上げてどんな難題だってこなしてしまうところは、天性のアイドルだと思っていた。
彼以上に「アイドル」という言葉が似合う人間はいないんじゃないかとすら思っていた。
どこにも行かないとは思っていなかった。
それでも、あなたの安住の地が、優しいあなたの探してた場所が、僕らの愛したここであればいいと思っていた。
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今でも正解がわからない。
「NEWSにいたころの手越が大好きだ」「2020年以降のことに関しては絶対に許せない、許さない」という、相容れない感情がいつまでもぐるぐる渦巻いている。
カラオケでSUMMER TIMEのMVなんか見ちゃうとやばい。
あのMV全員ビジュ良いけどその中でも手越さん可愛すぎないか?
気づいた人がいるかどうかはわからないけれど、私いままでこの文章の中で二回だけ「手越さん」呼びをした。
この段落での一回と、3人での配信ライブの内容に言及したときの「でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う」という文章の中。
この三年間、私は手越を恨み続けてきた。
コロナ前までは「手越さん」と呼ぶことも少なくなかったが、退所後はかたくなに「手越」と呼び続けてきた。
ちなみに残りのメンバーはずっと「小山さん」「増田さん」「加藤さん」「山P」「錦戸君」呼びだし、ほかのグループの人のことも呼び捨てをすることはめったにない。
これはささやかな反抗だった。
私は、「私はあなたを許さない」という気持ちを込めて「手越」と呼んできた。それでも、彼のことを愛おしいと思うときには思わず「手越さん」と呼んでしまうのだ。
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結局私は彼に対するこの矛盾した気持ちを抱えたまま生きていくしかないのだ。
退所前後の一連の行動は許していない。
きっと一生許せないけれど、彼が健康で、幸せでいてくれるといいなと思う。
今の彼のことを応援しているファンのことを盲目だとも思わない。
彼にはそれだけの魅力もある、訴求力がある。
あの奔放さを、考えなしな一面を、どうしようもない自我の強さを、許すことができるのであれば私だって今の彼の活動を応援したい。
もう一度あの伸びあがる歌声を聞きに行きたいし、はちゃめちゃさで成り立ってしまう天才的なバラエティ感覚を享受したい。
でもだめだ。
許せないのだ。
何一つ。
愛していたからこそ。
信じていたからこそ許せないのだ。
それでも愛しているのだ。
・
結局この話に結論なんてない。
せっかくなのではてなに挙げてみるが、誰かに届くかどうかなんて考えてない。
ただ、こういう折り合いのつけ方をした人間もいる。
・
”2017年10月9日、アップル社はワインスタイン・カンパニー(TWC)と共同で製作する予定だったエルヴィス・プレスリーの伝記ドラマへの関与を打ち切ると発表した[46]。12日、出版社のアシェット(英語版)がTWC傘下のワインスタイン・ブックスとの提携関係を解消[47]。13日、Amazonはデヴィッド・O・ラッセルが手掛ける予定だったTWC製作のテレビドラマシリーズの発注をキャンセルすると発表した[48]。18日、チャニング・テイタムはマシュー・クイック(英語版)の小説『Forgive Me, Leonard Peacock』の映画化をTWCと共同で進めていたが、その計画を一時中断するというコメントを出した[49]。後にテイタムはTWCとの絶縁を宣言した[50][51]。”
めっっちゃ久しぶりにFMラジオを聞いて驚いたのは、アニソン(ここではアニメタイアップをしている一般アーティストの楽曲のこと。つまりYOASOBIおかヒゲダンとか星野源とかの)をかけた時に、その曲がテーマ曲として使われてるアニメ作品に触れたりすること
昔からアニメタイアップはあった。有名アーティストが楽曲提供してたりもした。それが売れてFMなどでかかりもした
しかし当時FMラジオは「オシャレ村」の領域であり、他の村の習俗であるアニメにはなるべく触らないように触らないようにという配慮が見えたんですね。なんならテレビドラマとタイアップするときにはドラマの名前を出すのに、アニメのタイアップのときにはスルーみたいな感じで
それが一転、いまは割と普通にFMラジオのDJがアニメの名前をあげるし、なんならゲストで来たミュージシャンが、自分がいかに工夫してアニメ作品に合わせてこの曲を作ったのかということを語ったりする
「だから低学歴なんだよ」って石投げて終わりたい外野は黙ってろよ。
どうせお前も同じように何も思いつかないからそうやってマウント取ってるだけなんだから。
本当に分かってたらアドバイス欲を満たそうとするはずなんだ。
他人とのコミュニケーションを正しく相互利益によるものではなく、お互いが他者に対してマウントすることでしか得られない快楽を得る機会を共有するために実施する文化の中で暮らしてる奴らはこういうことをするんだ。
俺はこれがもういい加減無理だ。
インターネットはな、なんだかんだいって低学歴社会だったんだよ。
参入障壁として求められる知性・知能・努力が低い社会ほど低学歴になる。
長期的な展望を目指して努力することが出来ないから、短期的な気持ちよさや楽さに流れる奴らで溢れる。
そういう界隈における他者交流はマウントか、それを回避するための拒絶で溢れる。
でもそんな小さいことじゃ段々と刺激が足りなくなるが、そこで実行されるのが集団によるイジメだ。
ターゲットを決めてソイツを攻撃することで一人じゃ出来ない巨大なマウントという偉業をチームで達成したという快感に浸ろうとする。
くだらねー。
それで満たされるのは死ぬまで価値観を中学生のままにし続ける必要がある。
俺はもう無理だった。
いい加減大人になりたくなった。
偏差値45前後の高校・大学・会社でずーっと価値観中学生で生きて、ネットに還っても同じレベルの集団とガキみたいなネットリンチに無自覚なまま加担してた。
でもそれじゃ先がねえんだよ。
そういうときは子供を作れば嫌でも大人になってどうにかなるっていうけどさ、ありゃ嘘だよ。
子供がいた所で変わらん。
ガキみたいなオッサンが小さな子分に餌やって先輩風を吹かせてるだけで終わるんだ。
でも今更どうやればいいんだ。
ガキみたいな中高年に囲まれた暮らしから脱するためのルートが日本にはねえ。
転げ落ちることは出来ても這い上がることは出来ねえ。
人生の方針を早めにちゃんと決めて、淡々とそこに向けて積み上げた人間にしか入れねえ世界がある。
そこは別に椅子取りゲームはしてないけど、変わりに入門審査が底辺に対してはやたら厳しいんだ。
そりゃそうだよ。
一人の不純物が一人で「ねえねえコイツいじめない?いじめない?」と騒いでそれに愛想笑いを周りが浮かべさせられるだけで如何に職場の空気がゴミになるのかなんて俺もよく分かってる。
奇跡的に偏差値55ぐらいの民度になってた職場が、たった一人の無能クソガキが無能ゆえに仕事をろくに振られずそれ故に暇を持て余して「退屈だし誰かイジメよっかな~~~」とかニタニタした顔でマウントしやすそうな相手を探して全員にちょっかいをかけだすと、それでもう民度偏差値は45ぐらいまで下がっていく。
たった一人のゴミを、どう扱ったらいいのかも分からないゴミを、偶然職場に引き込んだだけでそれまでマシだった空気が終わるんだ。
クズが一番クズになるのは、振れる仕事がないから勉強しとけと言ったはずなのにフラフラと遊び始めてる時だからな。
会社に入ってヒマになることはありませんよと証明出来るのは実務経験ぐらいだ。
じゃあやっぱ25までに進む道を固めないと駄目なんだな。
ドイツは日本と違って10歳で進む道が決まるなんて聞くけど、実際どうなんだろうな。
まあ25まで時間あったのに「ひとまず低偏差値社会でも生きていけるだろ」ってテレビドラマの不良みたいな価値観で暮らしてた俺が間違ってたよ。
ここは辛い。
先がないよ。
成長が12歳で止まったままで生きるには80年は長いよ。
鳥羽さんならともかく広末さんの仕事まで奪われるのは、日本社会特有の「母だから」という呪縛があるからだとしか思えない。
キャンドルさんの会見にほだされた人はよく考えて。
ドイツでは子どもの片親が違うのも普通だし、子どもの父親が全員違う女優さんだって受け入れられてるよ。
誰も可哀想だなんて言わない。
父親はみんな近くに住んでいるというから、徒歩距離内で顔を合わせることだってあるかもしれない。
でも、それが当たり前のこと。
たとえばドイツで人気のテレビドラマに数多くの出演歴のある女優ムリエル・バウマイスター(Muriel Baumeister)さんには3人の子供がいて、全員父親が違いますが、同氏は「子供たちの父親は3人とも育児を積極的にしている。手伝うだけではなく本当の意味で子育ての役に立っている。3人と良い関係が築けていることを幸せに思う」と語っています。
彼女は子供たちの父親と同居していませんが、子供たちがいつでも父親に会えるように全員が近場に住むようにしているといいます。子供たちの父親は全員ドイツの芸能関係者ですが、ドイツのメディアはそのことを特に批判的に取り上げてはいません。世間から「子供がかわいそう」という声も聞こえてきません。
アニメ化された頃には作品に冷めてるということがよくあるんだけど、推しの子久々にアプリでまだ読んでなかったところ読んだら、インターネットで全てを分かった気になる人みたいで萎えた
一応自分の言ってることは実体験の裏付けがあるようにしてるんだけど、それがあるのか疑わしい推しの子
三田紀房作品にも、ひろゆきや落合陽一にも通じることなんだけど
「ざっくりとでいいからズバッと言って欲しい」
「分かった気にさせてくれるコンテンツが好き」
推しの子からそういうにおいがプンプンして全然好きになれない。今も昔も
僕の言ってることとか考えてることはそれはそれで偏ってるので、ご指摘やお叱りも受けるのですが…実体験かデータもしくはその両方がある上で言うようにしてるから、推しの子は「さもありなん。されど偏見多し」みたいに見えるのよ
嘘だったとしても本当だったとしても推しの子の、85から89話ぐらいは読むのしんどいわ。
何て言えばいいの?
作者の偏見か、もしくはブラック企業に勤めた人の愚痴か、インターネットでよく書いてあるマスコミの悪口?
そういうのをひたすら聞かされてる気分になって不快
単行本半分ぐらいの尺なのに
テレビが面白くなくなってるのは、コンプライアンスのせいだみたいなことを言ってる現場関係者って本当にいるのかね?
なんならコンプライアンスをテレビが守ってると本当に思ってんのかな?
推しの子がインターネットに書いてあるテレビへの偏見を集めて作ってるようにしか見えない。(90話感想)
テレビが面白くなくなった分岐点は2006年の結婚できない男を見ればすぐにわかります。
2006年の深夜アニメってめちゃくちゃ面白かったんだけど、テレビドラマは80年代90年代から価値観がアップデートできてないままずっと来てる。
テレビが面白くなくなった。理由はつまり、テレビ自身が変化できなかったからです。
その結果、テレビが栄えた年代やテレビに出演する人の階級、そういうものを描くことしかできなくなっちゃって「おじさんがおじいさんおばあさんのために、芸をするとこ」
になっちゃったの。
アニメや漫画は常に子供のために解放している。部分と大人のために上に積み上がっていく部分と両方はある。
でもテレビって子供の頃にNHK とか朝のアニメ見た後に10代20代に見る番組って深夜アニメ以外なんだよって話になってくる
なんかテレビ番組内で原因の究明とかディレクターの謝罪とか、そういうのを企画としてやれば面白いんじゃないか?みたいなネタなんだけど…まずテレビが1億パーセントやらんやろ
子供も騙されない。
マスコミ様、そんな聞き分け良くないよ
マスコミの取材のヤバさで有名な話っていっぱいあるけど、噴火の取材をしていて非難している民家を漁ったり、マスコミから町を守るために立ち上がった消防団の人達まで後に発生する噴火事故に巻き込まれたりそういう事件があったんですよ
それでは、あまり一般的には知られていない興味深い知識をいくつかご紹介します。
量子もつれ: 量子力学には「量子もつれ」という現象があります。これは、2つの粒子が一度関連付けられると、それらがどれだけ離れていても、一方の状態を変更すると、即座にもう一方の状態も変更されるという現象です。アルバート・アインシュタインはこの現象を「スポーキーな遠隔作用」と呼んでいました。この現象は、量子コンピュータや量子通信の基礎をなす重要な概念です。
オクトパスの遺伝子: オクトパスは、その遺伝子構造が他の生物と大きく異なることで知られています。通常、生物の遺伝子はその種が進化する過程で徐々に変化していきますが、オクトパスの遺伝子は突然大きく変化することがあります。これは「エピジェネティックな進化」と呼ばれ、オクトパスがその特異な生態と高度な知能を持つ原因とも考えられています。
"The Room"という映画: 2003年に公開された"The Room"は、その稀有なプロット、不自然な対話、そして技術的な問題から、「史上最も悪い映画」とも評されることがあります。しかし、そのユニークさが反面、カルト的な人気を博し、今では多くの映画祭やイベントで上映されています。
デザート・ガラス: 約2900万年前、エジプトの砂漠に巨大な隕石が落下し、その衝撃で周囲の砂が一瞬で融解し、ガラス状に固まったものがデザート・ガラスです。古代エジプト人はこのガラスを宝石として利用していました。キング・ツタンカーメンの墓から出土したネックレスにも、デザート・ガラスが使用されていました。
"Noby Noby Boy"というゲーム: "Noby Noby Boy"は、その非常にユニークなゲームプレイで知られています。プレイヤーは伸び縮みするキャラクター、"BOY"を操作し、オブジェクトや建物、動物などを食べて長さを伸ばしていくというゲームです。プレイヤーが伸ばした長さは、他のプレイヤーと共有され、全員で「GIRL」というキャラクターの長さを伸ばすことが目的となっています。このゲームは、ユニークなアイデアとシュールな世界観でカルト的な人気を持っています。
タータグリア語の存在: タータグリア語は、実在する言語ですが、その言語が持つ音声と文法構造が非常に複雑であるため、話者が非常に少ないとされています。これは、カフカス山脈地域のダゲスタン共和国で話されている言語の1つです。タータグリア語は、多くの子音と複雑な子音クラスター、さらに複雑な文法を持っており、その独特の特徴から言語学者たちの興味を引いています。
ホヤの眼球: ホヤは、海の無脊椎動物であり、その中でも特に興味深いものが、ホヤの眼球です。ホヤの眼球は、進化の過程で退化し、非常に単純化された形状をしていますが、それでも光を感知する能力を持っています。この珍しい眼球は、動物の視覚システムの研究において、非常に興味深い対象となっています。
"Cory in the House"というアニメ: "Cory in the House"は、アメリカのテレビドラマシリーズであり、実写で制作されていますが、インターネット上のジョークとして「最高のアニメ」と称されることがあります。このジョークは、インターネットミームとして広まり、一部のアニメファンから愛されるようになりました。
このように、普通の生活ではなかなか知ることが難しい情報やトリビアがたくさん存在します。これらの知識が、日常生活に彩りを与え、さまざまな話題について学ぶきっかけとなることを願っています。
演劇嫌いじゃないけど劇場に見に行くのはあんまり自発的にしない。誘われたら行くけど。
なんていうかこう、芝居ってコストが割に合わないなーと思う。
この前行った舞台がS席(一万五千円)で前から19番目の列で、確かにいい席なんだけど双眼鏡使わないと人の顔なんかほぼ豆粒サイズ。
自分の視力だとやってることは見えるけど全体の流れを見る感じ。役者は一生懸命やってるんだから顔の演技もちゃんと見たいけど、双眼鏡覗いてたら全体が見えないジレンマ。
あと、「主人公が話してる横でサブキャラが何かやってる」とかも演劇が疲れる一端だと思う。面白いし好きなんだけど、初見だとどっち見ればいいのか目があっちこっちして疲れる。テレビドラマだとズームインとか勝手にしてくれるし、顔もはっきり見えるし、見返せる。
ライブ感というか、その時にしか存在しない芝居とかが演劇のいいところだとおもうんだけどそれってマイナスでもあるよな…
ついでに言うとソシャゲ廃人でも演劇チケット代は高いと思うよ。
たかが画像のキャラクターをガチャで出すのに1万使っててもそのキャラクターはサービス続く限り手元にいるし何度でも見返せるけど、演劇チケットは1~3時間の視聴でおしまいだし。
ニコニコとツイッターのせいで根付いた実況文化の影響もあるのか知らんが画面をずっと見てねえんだよ。
あのさあ……「主婦が料理しながらでも話がわかるように全部セリフで説明するのがテレビドラマの最強方程式」とか知ったことっちゃねえんだよ。
登場人物が状況をセリフで全部説明するせいで結果的に感情の部分を表現してる時間取れてねえし、内容も他のことしながらでもついけるようにそもそもペラペラだしさ。
そりゃあんなの倍速で見られても仕方ねえよ。
最初から普通に作った作品の30%ぐらいの内容しか載せてねえんだからさ。
ふざけんなっての。
映画なんて映画館で画面に集中してる前提で作ってんだから瞬きより長い時間目を離せる用に作ってるわけねえだろ。
倍速でいいから画面にずっと齧りついてろっての。
内容わからねえから考察サイトであとで確認したとか言ってんじゃねえよ。
倍速でいいから2回見ろよ。
タイパ重視で作品ゴミにしておいて知らん顔してるっててんじゃこっちのが100倍害悪だろ。
つうか最近はドラマもアニメも実況コメント目当てみてな作りしてるのマジで辞めろよ。
いい加減ちゃんと作れ。
つうかそのノリで映画まで作ってる奴らいんの本当頭おかしいから辞めてくれ。
なんで映画までながら見前提で全部セリフで喋って説明すんだよ。
無音が続いても画面が続いてたら問題ねえだろうに……ラジオドラマと間違えてんのか?
アイツらのせいで文化壊れてんだよ
かなりの頻度で。
それってこういう事なんですよ。
めっちゃ金かけてホームシアター作った所で映画館以外での鑑賞は「映画体験」とは呼べないんです。
たとえ劇場に居たのが自分一人だったとしても、自宅で一人で見るのとは絶対に違うんですよね。
映画館にいる時点で映画館のルールに縛られるし、自分しかいない映画館で独り占めしているって気持ちや、もしかして序盤は飛ばして盛り上がり所から入ってくる人がいるんじゃないかって予感とかがあるわけですよ。
それに映画って一緒に見る観客も含めての体験で、たとえばカメラを止めるななんてまさにそうだったじゃないですか。
お手並み拝見って気分で見に来てる人達のつまらなそうな雰囲気や、上映開始20分ぐらいで離れていく人、後半で思わず吹き出しちゃってる人、そういうのって映画館でしか味わえないでしょ。
自宅で友達と見て誰かが笑っても、それは友達の家で見てるって空気の中での笑いで、静かにしなきゃいけないシアターの中で思わず溢れてしまったのは別物。
確かにね、友達と一緒に家で見るとか、一人で好きなように止めたり巻き戻して見るってのもいいと思いますよ。
映画として体験したって言えるのは、映画館で見たときだけでしょ。
そうじゃないなら等速だろうが倍速だろうが別に大きな差はないと思いますよ。
録画したテレビドラマを見るような気持ちで好きなように飛ばしながら見れば良いんですよ自宅で見る映画なんて。
オシッコしたくなったり郵便配達が来たら自由に一時停止できるような環境で見てる時点でね、もうそれは普通の映画じゃない。
おかしな映画になっちゃってるわけで、そこで再生スピードがちょっとぐらい変わろうがどうだって良いんですよ。
そりゃまあ5倍速とかにして声がもう聞き取れませんっていうんじゃ流石にどうかと思いますけど、倍速ぐらいならまだ言ってることは分かるでしょ。
ならどうせ大差はありませんよ。
時間の感じ方なんてそもそもが人それぞれなんだから「この速度で見ないと絶対におかしなことになる」なんてことは起きませんよ。
実際、この映画のテンポ早すぎるな遅すぎるなって皆あると思うんですよ。
そんな違和感に対してリモコンの速度変更ボタンを押せれる環境にあるなら我慢せずに押してしまえば良い。
そもそもそうやって「押そうと思えば押せる環境」なんかで映画を見てる時点でもう既に何かがおかしいんだから。