はてなキーワード: 虫唾が走るとは
もう本当に無理。漫画好きなのにカス共の感想共有が気持ち悪すぎて死にそう。
マジで、自分の感想が誰かを不快にしてるかもしれないって思いながら文字打ってくれよ。
気持ち悪いんだよ。
まさか、「これがこういう風に良かったです」とか「ここってこういう意味だよね」とか「ここのキャラカッコいい、可愛い」みたいな感想に価値あると思ってんの?
やめてくれよ。本当に。
虫唾が走るんだよ。消えてくれ。
なんで不特定多数が目にしかねないところにお気持ち垂れ流すんだよ。不快な思いをしてる人もいるんだよ。
せめてもっとクローズな場所でやってくれよ。仲のいい友達とLINEグループで会話するとか、方法あんだろ。
なんでそうしないの?理由は簡単だよね。友達がいないか、ワンチャン自分のお気持ちがバズって承認欲求を満たせるかもしれないからだろ。
そういうのが、本当に不快なんだけど。
SNSに脳みそがやられてんだよ。リアクション中毒。ベルマークに通知が来るのを何より楽しみにしてんだろ。脳みそ焼かれてるよ。スマホ捨てた方がいい。
他人の作品を出汁にして、名前も顔も知らない他人と感想共有して、コミュニケーション取った気になるなよ。頭おかしいよ。
他人がしたり顔で気の利いた感想を述べて、それを礼賛することに何の意味もねえよ。他人の感想見て馬鹿みたいに笑うのやめろ。狂ってるよ。
もしくはアレだろ?自分が抱いた感想が言語化されてて、安心感というか、「ああこういうことが言いたかったんだよね私!」って思いたいんだろ?
おかしいよ。漫画くらい1人で読めよ。感情や感想をアウトソーシングしようとするな。赤ちゃんかよ。共感してないと生きられないの????
ネットの感想の文法はキモいって気づいて。いちいち表現をひと捻りしようとしたり、大げさな形容を使ったり。馬鹿なの?
しかも自分で考えてるならまだしも、他人のテンプレ表現やミームに乗っかってるだけじゃん。
意味ねえよ。なんも意味ない。表現までアウトソーシングしたら、もうあなたの感情なんてどこにもないやん。
いや、そもそも感情をシェアしようとするなって思うけど、表現もせめて気を遣ってよって話。
気持ち悪いのに気持ち悪いのが乗算されて最悪だよお前ら。よっぽど、人が傷つくのを見るのが面白いんだな。
この文章読んで少しでもイラッとしたなら、あなた達のアホ丸出しの感想共有に対して私が抱いてる感情が、まさにそういうものだってわかってくれよ。
恥ずかしいよ。人として恥ずかしい行為をしてるって気づいて欲しい。
あなたたちが和気藹々と作品の感想を書いて共有するってことは、不特定多数の誰かを攻撃しているってことなんだよ。
本当にやめてくれない?
小山田圭吾氏のいじめで炎上した件、よく見るけど正直騒いでるほうもいじめと同じじゃんって思う。罪を償えと要求する方も正義を感じられない。というかはっきり言って誰もいじめが悪い物なんて思ってないよね。
誰かに対する罰を与えるための炎上じゃなくて、完全に他者への攻撃欲求から来る炎上でしょ?
そもそもこいつの障がい者に対するいじめって前から明らかになってたんでしょ?なんでオリンピック開催直前に騒ぎにしてんの?どうせまた週刊誌やらマスコミに焚きつけられたんだろうけど、
結局のところ反オリンピックのためのスケープコードとして障がい者いじめをした小山田圭吾氏を利用しただけでしょ。共通の敵を倒すためにいじめを利用している。
いじめで傷ついた人たちの気持ちなんてどうでもよくて他人を攻撃するための道具でしかない。
日本人はコロナみたいな災害で混沌としているときは団結のための敵が必要だから、とにかく何かを攻撃したい。そのための道具が小山田圭吾氏であって何もない平常時は見向きもしなかったよね。
正直いじめなんて大嫌いだし、こいつのやったことは虫唾が走るけど、でもこの炎上のさせかたは見ていて不愉快。
いじめが悪いなんて誰も思ってなくて、とりあえず他人を攻撃したいって心境から始まってる。
いじめを受けた被害者はそのための道具として利用するだけのものになってる。
結局週刊誌やらマスコミだって常にだれかに危害を加えなきゃイライラするようないじめっ子がなってるわけでしょ。
週刊誌の売り上げを上げたい、話題にしたいからオリンピック開催直前に発火させて炎上させて、いじめが悪いものだなんて思っていないように見える。
こいつがやめようがどうでもいいけど辞めたら別の人が仕事しなきゃいけないんだよね。結局周りに迷惑がかかる。その人は悪い事してないのに。それもどうなの?
炎上するならもっと周りに迷惑が掛からないタイミングで炎上させろよ。
こいつの炎上騒動は、被害者を受けた人の気持ちを思う他罰的な感情じゃなくて、他者への攻撃欲求が具現化したような炎上だから見てて気分が悪い。
推しのフルネームと一緒に残念過ぎるコス写真をツイッターに上げるのをやめてくれ タグを付けるな 虫唾が走る
推しの新規絵が見たくてフルネームで検索をかけたら、出てきたのはブスな男装レイヤー
はじめまして、さようなら 生まれて初めてブロック機能を使った
顔と首がシームレスで繋がってて、ろくに手入れしていないであろう自眉を晒して、はち切れんばかりのわがまま豊満ボディで推しの衣装に袖を通してカメラ目線
地獄以外の何者でもない この光景を地獄と呼ばずして何を地獄と呼ぶのだろうか これならまだ原作ゲーが不祥事でサ終してレイヤーが去っていくのを待つ方がマシだ
毎日カメコも一緒にブロックしてるはずなのに、新しいブスで丸顔のアイコンが増えていく 絵師は増えない 字書きも増えない 服を着ただけのブスな男装レイヤーだけが増えていく
何の縛りもしがらみもなくツイッターを見てみたい ブサイクなレイヤーを見たくない 私のために消えてくれ
通販で適当に選んだようなウィッグかぶって、ケバすぎるメイクでシミとソバカスを目立たないようにして、肌荒れをコンシーラーで直して、頑張ってメイクしてる!って思ってるんだろうけど
その姿でイベント会場歩かないで 写真をツイッターに載せないで きちんと人に魅せられるよう努力しているレイヤーまで汚さないで
推しと同じ衣装を着て、謎の絡み動画を撮って「おそくほ〜!」なんて載せるな 吐き気がする
アプリで加工してるのかしらないけど、不自然なほどにでかいカラコン怖いよ 眼科行っていい感じのコンタクトのサイズ見繕ってもらえよ 浮いてるよ眼球
イベント周回する暇があったらそのムダ肉を削ぎ落とす努力をしてくれないか あんたらは趣味だろうがこっちだって毎日趣味で推しの絵を見てるんだよ
神絵師がたまに描いてくれる推しが何より楽しみなんだよ 週6勤務で疲れた身体を癒すのは神絵師の新規絵だけなんだ 豚足レイヤーの自撮りを眺める暇はない
メディアを非表示にしても、トレンドをパプアニューギニアに変更しても、仲の良いフォロワーだけのリストを作っても、どうしたって奴らは来る
推しの新規絵は見たい でも我慢ならん 推しのつぶやきを見たくて検索しただけなのに トレンドをタップしただけなのに!
どうしてこんな地獄の所業を受けなきゃならないんだ 前世で追い剥ぎでもしたのか私は
どうして公式アカウントでもないのに推しの台詞とのっぺり顔の自撮りを載せてるんだ 公式ミュージカルに出演したとかそういうのじゃないだろ 関係者じゃないだろ
どれだけ気持ち悪くて体型に似合ってないレイヤーがいても、それを甘んじて受け入れてる風潮がマジでやばい 集合写真とか正気じゃない ブスで集まってコス大会とかふざけてんのか ツイプラをそんな哀れみの会に使ってやるな
身内でやってくれ ツイッターにブスな自撮りを載せるな コスプレイヤーズアーカイブでやれ 自己顕示欲を満たしたいならそれ相応の努力をしろ
キャラになり切って、キャラの口調を真似て、キャラの服装のままイベントに参加できる精神が羨ましい 推しはそんな顎してないし、軽率に女体化なんかしない!! その鋼のメンタル分けてくれないかな 冗談だよ
ブスなレイヤーが売り子をやってるせいで一度も即売会に行った事がない フォロワーとリアルで邂逅した事がない オフ会したい でも怖い
神絵師のスペースでブスレイヤーが売り子やってたら気持ち悪すぎておかしくなってしまいそうだから 会場でもどんな顔をしてすれ違えばいいのか分からない きっと一生トラウマになるだろうから
もしコスプレの写真を載せるのなら、それ相応の覚悟を持って載せてくれ SNSに上げる前に一度で良いから振り返ってくれ 黒歴史にならないか 晒し上げされないか 知り合いに見つからないか 一度考えてからでも遅くない
ブサイクなレイヤーが嫌いで嫌いで気が狂いそうなオタクもいる事を頭の片隅に置いてくれ 頼むよレイヤー
恨んでくれて良い これはわがままだ あなたがいるだけで迷惑なんだ ごめんな
特に理由があるわけではない。気づいたら生理的な嫌悪感があった。高校生になったくらいではなかったかと思う。
敢えて『ノーマルな』と書くのだが、それは現実世界の大半の恋愛関係であったり、二次元ならば主に少女漫画で描かれるような、男性と女性による、世間一般的に常識として扱われるような恋愛。
恋愛作品を謳った時に王道として取り扱われるような、性的関係を孕んだ、恋愛をメインとして描かれる恋愛である。
高校生の私はそのようなノーマルな異性愛が大嫌いで、恋バナや恋愛ドラマ、街中の異性愛を彷彿とさせる化粧品の広告や芸能人の結婚のニュースなど、現実世界にある全てのノーマル異性愛要素を忌避していた。
当時から今までのことを忘れる前に書いておこうと思う。
私は女子校に通う高校生で、いわゆる女の子らしい女の子ではなかった。
化粧品を買うよりは本やマンガを買い友人同士でゲームを持ち寄って遊ぶような生徒だった。
最初はノーマル異性愛を嫌悪するほどではなく、ただ苦手なことは自覚していて、そのような要素を扱った作品を避けて生活し、恋バナにも積極的には参加しなかった。
日常を過ごす中で徐々に自分の中のノーマル異性愛に対する感情が生理的に嫌だ、という方向へ深化しているのはわかっていたが、まだそれは個人の好みの範疇で、地雷に気を付けるように過ごせばいいと考えていた。
それが変わってしまった決定的なきっかけは思い出せないが、強く印象に残っているのは学校行事としてミュージカル「リトルマーメイド」を見に行ったことだ。
『王子様』『お姫様』の典型的なノーマル異性愛物語であるリトルマーメイドは劇場に向かう前から気が重かった。
恋愛を素晴らしいもののように喜ぶアリエルを見ているだけで既に全く共感できず苦痛を感じていたが、決定的に駄目になってしまったのは幕間の休憩時間である。
隣に座っていた友人が、『王子様』のキャストさん、めちゃくちゃエロい、という話を振ってきたのだ。
もうそれを聞いた瞬間にそれまでかろうじて舞台の上にあった恋愛が観客席に侵食し、この目の前の友人の脳の中にも確実にそういう感情があるんだ......というのを認識してしまい、物凄い拒否反応が起こった。
友人とこれ以上会話はできないと思った。
私は黙って目を閉じ、そして幕が上がり、劇が終わるまで、ずっと微動だにせずひたすらに耐えていた。
周りから見れば相当おかしなやつだし寝たフリだとバレバレだったと思うが、そんなことを気にする余裕はなくひたすら推しのことを考えて現実逃避していた。
そして終劇、解散とともにコンビニに駆け込み、抹茶ラテを買って(推しは茶が好きだから)イートインスペースに陣取り、ひたすらに全てを忘れようと努めた。
だが、確実に友人たちと話ができなくなりつつあるのは感じていた。
直接的な恋愛の話は勿論、好きな俳優のタイプは?とかいう女子校定番の話題にも虫唾が走る。
テレビのバラエティも見るのが困難になっていた。どのバラエティでも恋愛関係の話題は死角から刺してくるからである。
とにかく少しでもノーマル異性愛を想起させる話題が出てくると途端に上手く表情を作れなくなり、言葉が出てこなくなる。
苦手な話題くらい誰にもあるんだし少しは話を合わせる努力をしろというのは全くその通りなのだが、もはや当時の私にとってそれは精神的拷問と化していた。
例を挙げてみるが、死体に興奮するんだよね~、どの死体が好き?俺は水死体、などという会話に笑顔で話を合わせられる人はおそらく少数なのではないだろうか。
生理的な拒否反応が咄嗟に起こり、思わず相手の価値観、人間性を疑う人もいると思う。
私は常時それを経験していた。
皆がそのような嗜好を当然のように持ち、話についていけないこちらが異端者扱いされる。
元々話が得意な方ではなかったし、もうここらが限界だと感じた。
突然黙り込んでしまう私に皆が気を遣っているのも申し訳なかった。
恋愛の話苦手なんだよね、と言うのも躊躇われた。
この耐え難い苦痛を真に理解してもらえるとは思えなかったし、仮に理解してもらえたとしても互いに気遣って気まずくなるのは目に見えていた。
おかしいのはこっちで周りに全くもって非はないのだ。
私はその後友達付き合いを一切やめ、高校生活をほぼ1人で過ごすことになる。
自分1人のことだけ考えていればよい環境はまぁまぁ心地よく、そして他クラスだが1人親友と呼べるような友人がいたのに随分助けられた。
その子とはとにかく趣味があったためいつも趣味の話しかしておらず、恋愛がどうとかいう話題は一切出てこなかったのだ。
後述する事に関わってくるのでここで少し性癖の話を挟むのだが、私はノーマル異性愛がめちゃくちゃに嫌いなだけで、それ以外の恋愛コンテンツは大体好きなのだ。
先ほど死体性愛の話をしたが、異性愛と死体性愛なら断然死体性愛の方が共感できる。
死体に興奮する趣味はないが、それに興奮する、ということに嫌悪感はないし、性癖の1つとして理解できる。
「死体性愛が好き」というより、「ノーマル異性愛でないから好き」という感じだ。
とにかくノーマル異性愛でさえなければとりあえず一律100ポイント入る感じだった。
高校時代は自分のセクシャリティに悩み、度々ネットの海を彷徨っていた。
今自分を鑑みるならおそらくフィクトセクシュアルかつアセクシャルが近いのではないかなと思うが、当時はどれを見てもピンときていなかった。
大学に進学した後も異性愛に対する嫌悪は消えることなく、結婚や就職などの将来や大学生活を考えるたびに不安になり、更に元々険悪だった両親の仲が更に悪化し、私自身が父親と衝突してずたぼろになったのも重なり、遂にうつ病になってしまった。
この頃の私はかなり限界で迷走しており、自分を励ますために自分の理想とヘキを全て詰め込んだ架空の女性キャラクターを創作し、その女性の面影を追って生活していた。
その女性と恋愛がしたいとかそういうわけではなくて、ただその女性が毎日見守ってくれて1日の終わりにお疲れさまと言い合えたらそれだけでいいのにな...というようなことをずっと考えていた。
考えすぎて辛くなってきたので実行に移した。
女性の容姿デザインを固め、その道の方に依頼してvroidで3Dモデルを作ってもらった。
そして既存の服データを買い込んで次々に着替えてもらい、外出する時はアプリでそのキャラをAR表示し写真を撮った。
キーボードに対応して稼働するデスクトップマスコットにし、課題でレポートを書くたびに見守ってもらった。
vroid対応のゲームにそのキャラを導入し、身体を借りてプレイした。
恋愛もできず友達付き合いも苦手な自分が将来どうやって生きていけばいいのか不安だったんだと思う。うつ病で趣味も純粋に楽しめなくなり、何を生きがいにして生きていけばいいのかわからなかった。
でもそのキャラモデルと過ごすうちになんだ、これだけで十分満ち足りるじゃないか、と思ったし、私はこういう架空存在との非恋愛関係がずっと欲しかったんだと思った。
同時期に心療内科に通い始めたのもあって心は徐々に落ち着き、趣味も再開できた。
落ち着くにつれてキャラモデルを起動させる回数は減っていったが、今もずっと特別な存在だと感じている。
ノーマル異性愛に対しては未だに全く共感はできないし自分からそのような作品には触れないのだが、嫌悪感は少し緩和されたように思う。
テレビのバラエティで出てくる恋愛談議にふーんと思えるようになったくらいだ。
恋バナも多少聞けるようになった。自分にその矛先が回ってくるとまだ上手く喋れなくなってしまうのだが、他者のそれを聞く分には良い。
高校時代は周りを取り巻く全てのノーマル異性愛に苦しんでいたため随分生きやすくなったなと思う。
今思い返すとそんな状態は明らかに異常なので、学校のカウンセラーなりに早いとこ相談しておくべきだった。
当時はそんな発想すらできなかったのだが。(家庭環境について耐えられずカウンセラーに相談したことはあった。しかし、ノーマル異性愛嫌悪については完全に自分がおかしく悪いと思っていたので誰かに相談するという考えがそもそもなかったのだ)
つらつらと書いてきたが、どうしても疑問なことが1つある。
中2の時に「18歳の私へ」というていでタイムカプセルのような手紙を書いたことがある。
高校卒業のタイミングでその手紙は自宅に届き、懐かしくなりながら封を切ったのだが、書かれていた文面を見て驚愕してしまった。
「彼氏はできましたか?」と書かれていたのである。彼氏!!!!?!?!?
あまりに衝撃だった。自分が書いた文だと思えなかったが筆跡は間違いなく自分だった。
しかもニュアンス的には彼氏はできましたか(笑)、のような感じで、彼氏/彼女ができないと人間として一人前でないとするような、私の一番嫌いな価値観が透けて見えるような文章だった。
本当に自分がこれを書いたのだろうか...?自分がそういうことをしたいのだと心から考えていたのだろうか...?と思い始めると気持ち悪くなってくるので感情は一旦おいて事実のみを考える。
中2ということはノーマル異性愛嫌悪を感じるようになる高校まで大体1年半くらいだ。
1年半で人間の考えはここまで180度逆に変わるんだろうか?
しかも手紙を受け取るまで自分が彼氏がほしいと思っていたことなんて全く忘れていたのである。最初からそんな考えはなかったものだと思っていた。
そして前述した「ノーマル異性愛以外が好き」というマイナス検索のような好み、これらを合わせるとどう考えても中2から高校までの間にノーマル異性愛を嫌いになる何かがあったのでは?と他人事のように考えてしまうのだが、何も思い出せないのである。
気づいたときにはノーマル異性愛に対する多大な苦痛だけがあった。
ネットを見る限り性的指向が変わることは往々にしてあるようなのだが、正直指向が何の理由もなくこれほど変動し実生活に支障をきたすというのは堪ったものではない。
原因があるなら特定したいし、今大好きなものもある日突然見るだけで苦痛を感じるようになったらどうしようと思ってしまう。
心療内科の先生に打ち明けた方がいいんだろうか...と思うものの(先生には家庭環境でうつになったとしか言っていない)、打ち明けるということは迷走時代の寄行も告白しなければいけないということなのでできれば避けたい。
ここまで読んだ方でもし心当たりある方がいれば教えて欲しい。
お前が誰かなんて知らねーんだよ。
入ってきたかったらしれーっと入ってきて、あ、これあかんなと思ったらしれーっとフェードアウトしろ。
何が「横」だ、バーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーカ。
そもそもお前本当に横なのかよ。
本当は「自分の論を強化したろ」と思って「客観的に見てたんですけどww」みたいなテイで
自演してんだろ?そうなんだろ?
FFガイジですが失礼します野郎と同じで存在するだけで虫唾が走る。
失礼だと思うなら入ってくんな。失礼しますって言えば失礼が許されると思ってんのか。
だったら犯罪ですが申し訳ないって言いながら全裸で街中歩いてろよウンコたれ蔵。
ハゲ!
職場の還暦ジジイが他人にものを頼めないプライドの高い人間で迷惑している。
一応お飾り役職あるんだから明確に指示すれば良いのに、責任取りたくないからやらない。
気の弱そうな人間を見つけてはデカい声で別の人間に「応接の電気が暗くてさ…」と話しかけるフリをして
ひたすら仕事してほしい事を匂わせる。
そして「別に俺は頼んでないけど○○がやりますって言うから〜」とやる。
こうして相手が気付かなかった場合、まともな人間は「○○さん電球を変えといて」とストレートを投げてくるが
キレ気味に「昨日応接でさ」「さっき応接で」と謎の消える魔球を投げてくる。
そして察しが悪い、気が利かない、空気読めないなどと喚く。
ムカつくのは「気が利かない」と吹聴する事によって周囲にお気持ちのお察しを強要する所だ。
察するのはいい心掛けなんだが、それ施しを受ける側のお前が言うなと。
なんでお前が察させる気満々なのかと。
なんか、ロクな躾をしてない親が「お互い様だから〜」「子どものした事だから〜」と擦り寄ってくる時並みに虫唾が走る。
撮り鉄ばかり自浄作用がない奴らとして語られてる昨今の風潮に凄い違和感があるんだが。二次元・アイドルヲタクども(特に男性)のうち一定数を占める体臭キッツイ奴ら。ヲタク界隈的にあれはどうなんだよ。放置していて良いのか。
きつい体臭が公共空間において著しく周囲に迷惑をかけているのはわかるよな。中には体質で改善しようがない奴だっているだろうが多くの場合は風呂と洗濯の習慣の欠如が原因だろう。何故彼らをなんとかしようと思わないのか。自浄作用ないんじゃないの?
別に個別に直接注意しろって言ってる訳じゃない。例えばSNSで#1日1回風呂入れとか#3日に1回服洗えとか拡散すりゃいいじゃんなんかそういうキャンペーンみたいなことすらしてないじゃん。
軽度知的障碍者が嫌いだ。社会的弱者の振りした卑怯者だと思っている。
生後7ヶ月から児童福祉施設で育った僕は、比較的知的障碍者と多く関わる環境にあった。
僕のいた福祉施設は、家庭の事情で入所する0歳から18歳までの児童がいて、その3割は軽度知的障碍者だ。
僕が入所したのは生後1歳未満。5歳の頃に同い年の知的障碍者Mが入所してくる。Mの障碍については詳しく知らない。中~重度の知的障碍者は対応しない施設だったので、軽度であることは間違いない。
Mは、日常会話はできるしコミュニケーション能力もあるが、ただ人前で発言ができない。教室のような数十人の面前では以ての外、5~6人以上の前で発言となっても頷くくらいしかできなくなる。多数決で手を挙げることすらできない。会話もできるし、意思もあるのに。ただ、出会ったばかりの5歳の僕はそんなこと気にする由もない。物心がつき始めた時期だし、当然だ。Mの障碍を意識し始めたのは小学校入学以降。入学式で名前を呼ばれても返事ができなかったり、自己紹介も担任が代わりにしていたり。入学当初こそ、緊張しているものだと思いきや、授業中も終わりの会でも、6人程度の班会議であっても、人前だと一切発言しない。一人ひとり全員と仲が良くてもそれが複数名となると何も話さなくなる。そうこうしているうちに、Mは3年生の夏以降、国語算数理科社会の授業は特別支援学級たんぽぽクラスへ通うようになっていた。
僕はMの世話を焼くのが好きだった。帰宅先が同じなので毎日Mを迎えにいって下校していたし、なにか意見を発表しなければならない場面では、施設でも学校でも僕がその代役を務めた。Mも僕にべったりで、行事ごとの班分けは同じに、席も隣に配置された。
喧嘩をすることもあったが、何かある度にMは僕を頼りにしたし、僕もMには僕がいないとダメだと思っていた。
障碍者に対する優越感あっての行動と言われれば、そうだと思う。小学生なんて、差別や偏見よりは「周りから褒められるから、頼られているからやってる」が最大の動機だし、それが優越感だと言われれば間違いないと思う。
前置きが長くなったが、事が起きたのは小学5年の春。
福祉施設は1部屋6人に施設職員1人の担当制でグループ分けされている。総勢60人程度の施設になるのだが、年齢で分かれているわけではなく、一部屋に0歳~18歳までの同性の児童が振り分けられる。当時は、18歳の高校生H・僕・M・小学2年生の軽度知的障碍者N・中学3年生2人というメンバーだった。
小学生は9時に就寝なのだが、僕は大体毎日こっそり夜更かしをしていてカーテンで仕切られたベッドで読書をしていた。ある日、高校生のHが担当と話しているのが聞こえる。かいつまんで話すと、Hが友人からもらった地域限定版おっとっとが盗まれたそうだ。僕を完全に寝ていると思い込んでる二人は、お菓子の空き袋がNのロッカーから見つかっているのにも関わらず、犯人を僕という前提で話していた。理由は簡単で「中学生2名は修学旅行中でアリバイ有。ゴミを自分のところに残すようなことを犯人はしないだろう。かといって他人のロッカーに入れることも、障碍者にはできない」という理由らしい。本来就寝時間のため、その場で違うと否定できず、眠れないまま朝を迎えた。学校へ行くと僕はさっそくNを問い詰める。「知らない」とNは即答した。Mの元へ向かう。答えは同じだ。もちろん他の部屋の人が盗んだ線もあるが、僕は長年Mといた経験から、Mが嘘をつくときの癖を知っている。Mは、そんなことつゆ知らず目を泳がせながら知らないという。本当のことを話してとお願いしても知らないの一点張り。詰んだ。まぁ僕じゃないことを証明できればいいと帰宅した。
だが、一度「犯人」と思い込まれた人間は、その濡れ衣を払拭できない。もちろん日頃の行いは影響するだろうが、僕は学校で児童会役員を務め、成績も悪くなく、大人からは好かれていた。はずだった。
部屋で正座をさせられ、施設長・担当・高校生・N・Mが僕を囲む。鼻から「お菓子を盗んだのはお前だろう」と決めつけられ、否定しても「もう一回聞くぞ、犯人はお前だろう」の繰り返し。どれだけ否定しても「わかってる」「お前しかいない」と話しすら聞かない。その上、知的障碍者Nが「今日学校で私が盗ったことにしろと言ってきた」と嘯いた。知的障碍者の小学2年生がだ。は?
施設長が嬉々とした顔で「Mもそういわれたんじゃないか?」と聞いた。Mは人前で発言できない都合のいい能力者だ。「盗ったことにしろとは言われていないが詰問はされた」と話せず、首を縦に振った。施設長が怒鳴る。頭に入ってこない。最初こそ「なんで最初から僕だけを疑うのか」と聞いたが、「障碍者は純粋だからそんなことをしない」との一点張り。バカか。MもNも通常クラスの勉強にはついていけないし、九九も言えないが、そこまで馬鹿じゃないぞ。嘘もつくし施設内であるいじめにだって加担する。人の陥れ方も媚の売り方も知っている。
想像してほしい。小学5年生が頼れる親がいない状態で、最初から人を疑い話を聞かない大人3名に囲まれ怒鳴られる3時間。感じたのは恐怖よりも、呆れと絶望だった。
気が付いたら僕は、「僕がやりました」と言っていた。心が限界だった。土下座しろと怒鳴られ、頭を下げる。これで解放されるという清々しさがあったが、頭を挙げた瞬間にバツが悪そうに目をそらし、でも口元は笑っているMが視界に映り、舌を噛み切ってやろうかと思う。
後日、Mに聞いた。やはり、Mがお菓子を盗みNとともに食べたそう。僕に濡れ衣を着せるつもりはなかったが、人前で発言ができなかったため結果的にそうなってしまったと言った。僕が自殺する素振りを見せると泣きながら謝ってきた。
Mを同席させ担当に伝えたが、一度目を見開いて驚いた表情をした以外では、謝罪もなく「そうなんだ、じゃあ肯定しなきゃよかったじゃん」と言っただけだった。すでに大人へなにかを期待しなくなっていた僕は、その対応に驚きもしなかった。
未だに、社会的弱者な知的障碍者を応援しよう的なフレーズをみると虫唾が走る。シャワーを浴びる瞬間、頭を下げると、卑怯な知的障碍者2人の前で土下座させられた事実を思い出して吐き気がする。たくさんの人の支援を受け、福祉的に優遇されている知的障碍者を見ると反吐が出る。あいつらは、世の中が想像しているほど純粋でも馬鹿でもないぞ。
高齢独身オタク=鬼とか無産様って煽りがマジ辛い。何が辛いって原作の内容から否定し切れないのが辛い。
最終回の、共同体のために若くして特攻死した鬼殺隊員はみんな生まれ変わり、生き残った隊員は順調に子孫を残した世界は辛さの極み。
鬼は子孫を残せないし、改心した者も誰も生まれ変われなかった。
煽りにいちいち傷つくように、鬼殺隊か鬼かと問われれば、自分が鬼側の生き方をしている人間だという自覚はある。
共同体への貢献とか子孫を残すとか全力で背を向けている。物欲があるから嫌々働いてニートにならずに済んでる程度の存在だ。
もし猗窩座に
「鬼になれば、老いて感性が衰えてることも、萌えが枯れることもない。百年でも、二百年でも絵を練習し続けて至高の領域に到達できる」
と勧誘されたらジャンピング土下座して血をもら……わないか、超絶パワハラ上司の下になりたくないから。
そもそも猗窩座に「虫唾が走る弱者」と蔑んですらもらえずに無視されて、破壊殺・乱式に巻き込まれて千八百の肉片になるモブが私だ。いや、煉獄さんならそんな私でも身を挺して助けてくれる。「君が死んだら俺の負けになってしまう」と言ってくれるはず……
そんなわけでして、鬼側の人間である自分を焼き尽くす日の光に満ちた最終回の世界に、最後に残った鬼である愈史郎が珠世様の絵をきっと自身のためだけに描き続けていることは、自分にとって救いだった。
「ほうれん草偉大すぎて草」
「いや、他にもあるだろ」
「たとえば?」
「老害乙」
「根性論をやめろ。ヒューマンエラーをなくすにはコミュ力じゃなくてフールプルーフ設計が必要」
「柏の葉食べてて草」
「え?食べるが?え?」
「ガチで食べてて草」
「ほうれん草を讃えよ」
「そんなにほうれん草が好きなら一生ほうれん草だけ食って生きてろ」
「草でも食ってろ」
「ポパイかな?」
「ポパイとは?」
「ポパイだが?」
「なんだポパイか……」
「ローリエ食べてて草」
「パセリなどもある」
「葉じゃん。草」
「茶葉は普通食べないしね」
「茶葉をモリモリ食べてる姿を想像して草」
「人類などと主語の大きいことを言っているが貴殿は古今東西のあらゆる食生活を熟知しているとでも?」
「そもそも草とは一体なんだ?」
「草を見たことがない?」
「草の定義の話をしている」
「定義など知らん。ペンペン草のように草と明言されているものだけが草だ」
「マジレスすると野草とか食べる専門家とかいるしペンペン草とかも食べる人もいるかもしれない」
「だとしても、ほうれん草のように日常的に食べられているわけではあるまい」
「ベジタリアンだったら何か知ってそう」
「それじゃ日本語だけじゃん」
「一方パンダは笹を食ってた」
「みんな海草を忘れてる」
「改めて考えてみるとほうれん草の「ほうれん」ってなんだよ」
「知らんのか?ほうれんとは報告と連絡を意味する」
「巫山戯るな。真面目に議論する気がないなら帰れ」
「ギ、ギロン?」
「今丁度ほうれん草を食べてるとこ」
俺に無断で俺を含めたみんなの物事を勝手に決めるんじゃない______。
学校でよくある話だが、声のデカい奴らの意見がクラスの総意のように扱われることがある。
わかったわかった。お前らが団結したのはわかった。B組の絆もわかった。だけど、それを俺にも押し付けるな。
とにかく、私には嫌いなことがある。
1つは、花言葉を“語られる”こと。
もう1つは、今日は〇〇の日だという“話題を振られる”ことだ。
だが、さも当然、私もそれに納得するものだという前提を持ったまま、その話題を振られるのがなによりも嫌いだ。
例えば、日本の園芸協会みたいな、とにかく花言葉を管理している団体(知らんけど)が、バラの花言葉が“愛”や“美”であると決める。そうか。勝手にやっていてくれ。
だが、誰かが私に対して「バラの花言葉は“愛”なんだよ」と話しかけてくる。
私はそれに同意していないし、私がバラに対して持っている権利、否、すべての人間がバラに対して等しく持っている権利を、団体という一部の人間によって侵害された気分になる。
私にそれを押し付けるな。
〇〇の日も同様だ。例えば2月22日をネコの日として盛り上がる。いいじゃないか。
だが、私に対して「今日はネコの日なんだよ」と2月22日に話しかけてくる。馬鹿言え。私がネコに対して持っている権利を侵害するな。私はそれを認めていない。
「みんなのもの」に対して「一部」が定めたルールを「みんな」に適用することが、非常に苦手なのである。
前置きが長かった。本題に入る。
私は塾でアルバイト講師をしていたことがあった。基本的になんでも教えるのだが、特に国語の授業を担当することが多かった。
そうすると生徒に漢字に関するアレコレを言われることがある。
答えは、“生”もしくは“下”だ。純粋な質問なら答えるし、自慢したい風ならば、わざと知らないふりをして生徒に言わせる。
だが、それは限定的な話だ。
そして常用漢字表の“生”の音読みは「ショウ」と「セイ」が、“下”の音読みは「カ」と「ゲ」が載っているだけであり、ほかの漢字と大差ない。
つまり、こいつらは「訓読みで読みの数を稼いでいる」のである。
例えば“生”は、「苔生(む)す」と読めるが、これは常用漢字表にはないし、“下”は「ひく(し)」など、おおよそ“低”のような感じで読むことがしばしばある。
そして“生”や“下”以外にもそのように色々な読み方(特に訓読み)をできる漢字は無数にあるわけである。
訓読みは「漢字の日本語での意味」を出発点としているから、どこまでが訓読みでどこからが意読かは判然としない。
したがって、どの字が一番読み方が多いか、などというのは、そもそも成立しない質問なのである。
多様な読み方ができるはずの漢字に対して、「文科省が設定した常用漢字」が、唯一絶対の真実かのように、私に向かってくる。
これが嫌なのである。
また、筆順の話もしておきたい。
筆順なんてものは文部省(当時)が設定したものであり、しかも、文部省ですら、参考であって絶対の基準でないと明言している。
そもそも、現代の筆順があるのは、単に「そういう順番で書くと伝わってきた」からである。
字というよりも図のニュアンスが強い甲骨文や金文などから当時の筆順を判別することは難しく、また、仮に史料から筆順を解析できたとしても、一定の基準があったかもわからない。
完全に推測なので根拠はないが、当時の人は特定の筆順を持たずに、その場その場で書き(描き)やすい順番で書いていたのではなかろうか。
日本において文部省(当時)が国語を教える上での筆順を策定する際には、流派によって筆順が違う字も多く論争があったというし、日中で筆順が違う漢字も多い。
また、常用漢字以外には筆順が設定されていないという現実もある。
もちろん、私は筆順が不要という論者ではない。
漢字を書く際の大原則(上から下、左から右、など)を理論でなく体で体得することは非常に重要で、それこそ教育漢字の筆順を習得することでその後の漢字も自然な筆順で書くようになることができると思うし、
しかし、筆順の問題を出題するような学校や塾のテスト、特に、テレビのクイズ番組は本末転倒であり、無意味と言わざるを得ない。
多様であるはずの筆順に対して、「文科省が設定した基準」が、唯一絶対の真実かのように、私に向かってくる。
これが嫌なのである。
いわゆる異体字というやつで、現代の活字文化で目にすることは少なくなってしまったが、手書きではよく見られるものである。
当然だが、文字の絶対的に必要な要件は、“意味を伝えること”である。私たちは本質的に意味を伝えたくて文字を紡いでいるはずである。
したがって、字形も当然“同じ字として認識できる範囲で”揺れていいはずである。
もちろん、学校の漢字の書き取りで異体字を書くのは勘弁してほしい。そこは国の定めた基準に従ってほしい。しかし、それ以外の場面で漢字が基準と違ったとしても、とやかく言うのはどうにかしてほしい。
伝わることに意義があり、伝わったから正しい字形を指摘できるのだろう。じゃあいいじゃないか。
当然だが漢字は漢字を使う皆のものであり、文科省が完全に管轄できる存在ではない。
しかし、子供たち(否、塾で対面するのが子供というだけで、大人の大部分もそうだろう)はそれを唯一絶対の真理として内面化している。
子供のうちはそれでいいだろう。一度型に嵌めて教えたほうが色々考えやすい(それでも筆順を徒に問うようなテストには反対だが)。
しょーもない漢字の雑学本やら、漢字のクイズやら、最近だと特にバラエティ系Youtuberのクイズ企画/学力テスト企画に顕著だが、大人たちが無意識的にこの基準を唯一絶対の真理かのように誤解しているさまは、見ていて虫唾が走る。
11月11日はポッキーの日。これはいい。ポッキーはグリコが完全に管轄しているから。
ながらくイライラしてるだけで理由について考えたことなかったけど、花言葉とか〇〇の日と同じなんだなって気づいた、だいたいそういうお話。
ーーー追記あれこれーーー
〇その1
当たり前だが私は瞬間湯沸かし器ではないので、他人に花言葉/〇〇の日の話題を振られたからと言ってブチ切れるわけがないし、たぶん不愉快な表情一つせず、無難な会話を続けることができる。
〇その2
誤読してほしくないが、常用漢字や教育漢字の否定をしたいわけではない。それが必要だから存在していることはわかっている。ただ、それを“ただ一つの真実”かのようにすること、
つまり“それ以外を誤りである”とするような態度に対して非常にイラついているのである。多数の正解を認められないことにうんざりしているのだ。
〇その3
花言葉は例が悪かった。バラが美の象徴であることは(記事と矛盾しているが)私は実は了承している。漢字という伝統を受け継ごうという意欲を見せている私がバラの花言葉(というか花のもつイメージ)に反対しているわけがない。
もっとこう、バラがn本の時はこれこれこういう意味で~、とか、〇〇は色によって意味が変わってX色では~、とか、明らかにその品種“伝統”がないよな?みたいな花とか、そういうタイプの花言葉を私は了承していないのである。
了承していないだけなら問題がないが、そうした“話題を振ってくる”のが苦手なのだ。
〇その4
この話題は、誰もが経験したことがある「お前の普通を俺に押し付けるな」という話題に決着する。
子供に顕著だが、自分の常識は他人にとっても常識だと思ってしまうことがある。子供は平気で友達の名前に代表される固有名詞を説明なしに会話にぶち込んでくる。
これには理由がある。ピアジェの発達理論に従えば2~7歳の子供は自他の認識の区別がつかないらしい。
だからかくれんぼで目をつむれば他人から自分の姿が見えていないと思うし、自分の知っている友達は当然会話の相手も知っていると思っている。
子供ならかわいらしいが、大人にこれをやられると「自分への配慮を蔑ろにされた」気がして腹が立つだろう。
人吉球磨(あさぎり町)で生まれ育った。正直いい思い出はない。
幼稚園と小中学校でいじめを受け、高校(H高校)は苛烈な管理教育が行われていた。
いじめの内容は思い出したくもないが、ウルトラマンごっこと称して男子全員からリンチされたり、無理やり服を脱がされて全裸にされたり、すれ違いざまに睾丸を握りつぶされたりと散々だった。
管理教育も苛烈で、問題を間違ったら罵声を浴びせられたり、宿題を間違えたら廊下につまみ出されて捕虜の姿勢をとらされたり、眉毛をそったりカラオケに行った人は生徒指導室に直行されるなど散々だった。
とにかくあの場所にいたら精神が壊れると思い、高校3年の頃はほとんど精神が壊れかけていたが、なんとか我慢して関東の大学に進学した。
土井隆義氏に憧れ研究者志望だったので大学院にも行ったが、適性がないとわかったので修士だけとって退散。紆余曲折の末都内の研究所に就職した。
しかし小中高の経験が尾を引きストレスで破綻、今は都内で細々と自営の手伝いをしている。
ただもうお金もないのでそろそろログアウトしようかと思っている。
とにかく幼稚園と小中高の体験から人吉球磨にはいい思い出はない。あの場所には二度と住みたくない。とにかく民度が最悪すぎる。
正直ああいう民度の土地には一度壊滅してほしい。東日本大震災や熊本地震の時は心が痛んだが、今回ばかりは天誅が下ったとしか思えない。
「わしら純情放火団」ではないが、一度水害により荒野になって自分たちの行いを反省してほしい。
ついでにああいう土地を美化した『夏目友人帳』は糞アニメだと思う。見るだけで通勤ラッシュの中央線ばりに虫唾が走るのでちょっとだけ見て後は見ていない。
「自ら望んで風俗嬢にやってる女の子指名します!」とかはできないじゃん。出てくる女の子があ「風俗業大好き超楽しい!知らないおっさんとセックスするの大好きです!」なのか「コロナのせいで勤務先が潰れて、家族のために嫌々働いているシングルマザー」なのか、客側からは判別できないし。
だから、反社が蔓延る風俗業界が抱える貧困女性の搾取構造を糾弾されたときに「風俗全体が悪だと言うのか!望んで風俗嬢やってる人もいる!」みたいな反論って意味を為さないと思うのよな。
批判されているのはマクロな搾取構造そのものであって、一部いるかもしれない「望んで働いている層」はミクロの話でしょ。客からは嬢が望んで働いているのか嫌々なのか判別できないんだから、客として行った時点で搾取構造に加担しちゃうじゃん。
いや別に加担するのはいいし俺も風俗使ったことあるんだけどさ、人殺しの顔をしろという話。俺は搾取構造を利用して己の欲望を充足させる屑野郎です、って。
いい年したおっさんが、コロナで風俗に行けないなんて、なんてかわいそうな僕!かわいそうな僕には金で女を買う権利があるというのに!人権侵害だ!とかやってるの見ると虫唾が走る。ブコメみたいに匿名とはいえIDで人物が判別可能な状態で、よく恥ずかしくないなーと思う。
ワタ●がブラック企業として批判されたとき、「やりがいを持って望んで仕事をしている社員もいる」みたいな反論があったけど、それは反論になってないじゃん。批判されているのはブラックな企業体質・構造なんだから、望んで働いている奴の有無は問題に関わってこないでしょ。風俗業も同じだと思うけど。