高齢独身オタク=鬼とか無産様って煽りがマジ辛い。何が辛いって原作の内容から否定し切れないのが辛い。
最終回の、共同体のために若くして特攻死した鬼殺隊員はみんな生まれ変わり、生き残った隊員は順調に子孫を残した世界は辛さの極み。
鬼は子孫を残せないし、改心した者も誰も生まれ変われなかった。
煽りにいちいち傷つくように、鬼殺隊か鬼かと問われれば、自分が鬼側の生き方をしている人間だという自覚はある。
共同体への貢献とか子孫を残すとか全力で背を向けている。物欲があるから嫌々働いてニートにならずに済んでる程度の存在だ。
もし猗窩座に
「鬼になれば、老いて感性が衰えてることも、萌えが枯れることもない。百年でも、二百年でも絵を練習し続けて至高の領域に到達できる」
と勧誘されたらジャンピング土下座して血をもら……わないか、超絶パワハラ上司の下になりたくないから。
そもそも猗窩座に「虫唾が走る弱者」と蔑んですらもらえずに無視されて、破壊殺・乱式に巻き込まれて千八百の肉片になるモブが私だ。いや、煉獄さんならそんな私でも身を挺して助けてくれる。「君が死んだら俺の負けになってしまう」と言ってくれるはず……
そんなわけでして、鬼側の人間である自分を焼き尽くす日の光に満ちた最終回の世界に、最後に残った鬼である愈史郎が珠世様の絵をきっと自身のためだけに描き続けていることは、自分にとって救いだった。