はてなキーワード: 虫唾が走るとは
「自ら望んで風俗嬢にやってる女の子指名します!」とかはできないじゃん。出てくる女の子があ「風俗業大好き超楽しい!知らないおっさんとセックスするの大好きです!」なのか「コロナのせいで勤務先が潰れて、家族のために嫌々働いているシングルマザー」なのか、客側からは判別できないし。
だから、反社が蔓延る風俗業界が抱える貧困女性の搾取構造を糾弾されたときに「風俗全体が悪だと言うのか!望んで風俗嬢やってる人もいる!」みたいな反論って意味を為さないと思うのよな。
批判されているのはマクロな搾取構造そのものであって、一部いるかもしれない「望んで働いている層」はミクロの話でしょ。客からは嬢が望んで働いているのか嫌々なのか判別できないんだから、客として行った時点で搾取構造に加担しちゃうじゃん。
いや別に加担するのはいいし俺も風俗使ったことあるんだけどさ、人殺しの顔をしろという話。俺は搾取構造を利用して己の欲望を充足させる屑野郎です、って。
いい年したおっさんが、コロナで風俗に行けないなんて、なんてかわいそうな僕!かわいそうな僕には金で女を買う権利があるというのに!人権侵害だ!とかやってるの見ると虫唾が走る。ブコメみたいに匿名とはいえIDで人物が判別可能な状態で、よく恥ずかしくないなーと思う。
ワタ●がブラック企業として批判されたとき、「やりがいを持って望んで仕事をしている社員もいる」みたいな反論があったけど、それは反論になってないじゃん。批判されているのはブラックな企業体質・構造なんだから、望んで働いている奴の有無は問題に関わってこないでしょ。風俗業も同じだと思うけど。
「忠誠を誓う」とは「この人の命令には何でも従う」「この人の言うことは何でも信じる」と定義するとしよう。(ここで「違うよ、全然違うよ」という方は遠慮無く長文で突っ込んでほしい。)
ン十年の人生において「先生」「恩師」「師匠」と呼んで差し支えない人達、それは両手で数え切れないくらいには存在したが、ある人に対してこんな気持ちになった事は人生で一度も無いし、
むしろ「あーこの人、世間的には偉人扱いされてるっぽいけど控えめに言って屑やなー」とか「只の田舎のクソオヤジやなー」とか、結局人間って神様でも何でもなくて、いやむしろ神や仏ですら
「忠誠心」を獲得し一つ上野の意識高いステージにおわす賢人の皆様におかれましては、一体どうやって「忠誠」なるものを維持しておられるのか、その御神体や偶像を是非披露していただきたく存じ上げます。
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嫌味にしか目が行かなくて嫌味で返そうとしか考えが及ばなかった結果だと思うけど、「Please explain」の意味で合ってますよ。「共感」なんて虫唾が走る感情は地球上から全て滅び去ればいいので。「貴方の見解を求む」
駅で肩を突き飛ばされてもへなへなと笑って
ポジティブシンキングしないといけないから嘘だとわかっても前向きに取り繕って
そんなものが人生ならば今すぐやめてしまいたいのだがどう思うだろうか
我儘だ、とよく思う
当たり前に権利の主張を声高にする
傷つかないために決めた強すぎる自我の発露がたくさんあって
そのせいで疎まれたり嫌われたり距離を置かれることはいざ知らず
仲良くなるのは大得意
見限られるのも大得意
大丈夫大丈夫、来るもの拒まず去る者は追わないよ、っていうけれど
拒絶すれば寄ってくる?最初だけだよ。みんな本当は話せる僕を見てたじろいでいくんだ。
愛される真似をすればするほど、吐きそうになったのはいつからだろう。
前はうまく演技できたのにな、演技してもしなくても人が去っていくことは変わらないけど。
絵を描くことが好きだった。
でも誰一人、私の絵がほしいわけじゃなかった。
みんなそうだ。そうだけどさ。
若さ。女であること。望むコンテンツ。エロティシズム。いろんな理由から、邪に私の絵は消費される。褒めてくれるならなんだっていいよ。自暴自棄に陥ったらどんどん、空っぽになっていった。本当に好きなものを好きと言って否定されることが怖かった。
でも媚びたところで、結局何にもならなくて、私は社会の歯車として生きる一生のみを嘱託されてこの世に生れ落ちてきたのかと思うとこの上ない絶望に苛まれた。それはきっと、いい年してろくに恋愛もセックスもこなしてこなかった虚しさと、学歴すら擲った自分の愚かしさにある。その上まだ過去の虚妄に執着し美しい偶像をだれか一人に求めてはその個人を消費し、自分自身を優位化することでしか自我を保てない惨めさに打ち震える自己はなんて、なんて情けなく、醜く、地獄のような許されない存在なんであろうか。
私は私の作るものが全て大好きで、大嫌いだ。
正直、才能はないと思う。でもやりたい気持ちがあるから、ずっと下手の横好きを続けている。望まれない夢を描き続けている。「特別な何か」なんて幻想を諦めればすぐに普通に生きられるのに。でもそれはあまりにも、あまりにも苦しい選択だった。あの家に居続ける限り、家族はいつまでも優秀な私という過去の幻影に縛られ続けるだろう。私もその幻影を忘れることはできず、しかし生活を迫られるだろう。母親はこの盛大な自己矛盾を理解していながら、血縁という親が子供に振るえる最大の暴力でもって自己矛盾を正当化し続けるであろう。祖母は疲弊した私に思考停止を勧め、父は自立を促すであろう。最悪だ。本当に、最悪でしかない。
マジで何も面白くない。というか、自分の空っぽさ加減に虫唾が走る。結局言いたいことなんか何にもありやしないじゃないか。単なる幼児のわめきだろ、構ってほしいだけだ。構ってほしいと言って許されるのは一部の才能を持って生まれた人々だけだというのに。愛されるべく生まれ、生きるべくして生きている人々。素晴らしい。本当に最高のことだ。そういった人間を生かし、この世に少しでも美しいものを増やしていくことが、われわれ人間に課せられた最大の使命なのではないだろうか。これは嫉妬などではなく、本当に心の底から思っている。対して、、、、自分の無力さ加減はどうだ。もう自分自身にアイデンティティや価値を感じずに生きれるようになりたい。傷つくことに鈍感でありたい。自分自身は所詮この世を回遊するために与えられた必要最低限の肉体であり、利用されるべきコンテンツなのだ。
だれか一人に期待したり、何度も神を掲げたり、忙しすぎていやになる。
美しくなければ存在意義はゼロなので、こう考えてしまう限りは私は美しくあるための努力が足りないのだな。何でもできる人間になりたいが、未だ私にフィットした「できること」が発見できないのはどういうわけであろうか。
仕事にできるほどのことが何もないのに事務職で金銭を傍受しており、そしてまたそれがないと生命を維持できず、いつもなんだかんだ「本当にヤバイところ」には飛び込まずにのうのうと生活をしてしまっているのはどういうわけなんだろう。
インド哲学はこの世は全部幻だという、若き日のロバート・M・パーシグはそれに絶望して履修を停止したと自伝で読んだが、絶望しすぎた生活の中でその考え方に何度救われたことか。あ、これを教えてくれたのは私の随分と年上の友達です。優しくてスピッてて適度に狂ってて怖くて面白い人。近づくと逃げてくのに時々追ってくる謎なひと。でも、愛される人だ。いいなあ。私はいつになったら人に愛されるに足る人間になるのだろう。
もうちょっと学をつけて、自分を好きになれたときだろうか。母の言うように「女の子らしく」なれたときだろうか。初対面で大好きな音楽の話や、SF小説の話をしなくなったときだろうか。それはもう私ではない。
SNSに美しいモデルがビフォーアフターの写真を載せたとき、よく「前のほうがかわいい」「前のほうがよかった」とリプライを送る人間たちのことを想う。本当にそうだというのなら、その時可愛いと言ってくれれば良かったのに。きっと彼らは彼女が普通の女の子だったころは見向きもしなかったに違いない。純粋に標準体型の女子を賛美し、きちんとパートナーとして選択するだけの度量があるならばすごい。本当に尊敬する。私は考えに考えた結果この世には美醜しかないという結論に至ってしまったから。美醜というのは顔かたちの美しさに限らず、その人の持つ輝けるばかりの才能や、声、スタイル、頭脳など、あらゆるもののことを指す。パーシグに倣うなら「クオリティ」だろうか。結局唯美主義に落ち着いてしまうのだ、空しくなるほどに。
もう携帯ゲームやオタク・コンテンツで思考停止して分かり合ったふりをするのには疲れてしまったから、私は今度こそ哲学と心中しようかな。本当に無理です。さようなら。音楽が理論化された数式でしかないなら、私は多分いま理解できない時点でたいして好きではないし、漢文と英語と思想を頭に詰め込むだけで救われた気になりたい。本当に仕事なんかやめてしまいたいよ、たとえ後がなくても。出来てしまうことは最悪だ。狂っているのに気づけないから。逸脱しているのにしていないよ、ってふりして生きるから辛いんだ。はみ出してしまうのだ。あなたのことが好きだという気持ちが最大にして最悪のノイズだから、どうか勉強して勉強して一般化することで濾過しきって永遠に浮かび上がらないように細かくして細かくして細かくして葬り去ってしまいたい。限界になって君に好きと言ってしまったことが、ものすごく汚くて情けなくてどうしようもないことのように思える。君がそばにいてくれないと辛くて気が狂いそうなのに、君にはきっと僕以外のほうが相応しくて、君自身もそれを渇望していて、だがしかし私は私にできる最大限の力でもってそれを捻じ曲げ君に愛されたいのだ。もう、それがかなわないのならこんな地獄のような生活に世界、どう期待して生きろというのだろう。調べたらユニテリアン教会だけは信仰できそうなので、私も私なりに信頼できる哲学の教会に身をおけるようにもっと思考を研ぎ澄ませたい。頼むから救い出してくれよ、知性の神様よ。もうこりごりなんだ。息が苦しいんだ。
この前渋谷で新興宗教に勧誘されたとき論破してやろうと思ったらまだキリスト教知識が薄くてできなくて、本当に惨めだった。こんなことではダメなんだ。ちょうどオウムが台頭していたころに生まれたから、幼少期はサリン事件の指名手配ポスターを目にすることが多くて、新興宗教に騙されたくなくて宗教学に興味を持ったんだろう?ああもう本当に情けないよ。生きているのが、つらい。
ツーリング先で乗った船内泊を伴うフェリーで男性客にしつこく絡まれた。
予約したベッドはカプセルホテルのような半個室で狭かったため、私はロビーで本を読んでいた。
男「2人で飲まない?」
私「私飲めないんで結構です」
男「夕食ごちそうさせて」
私「コンビニで買ってきてるんで」
私「私も既婚なんで」
妻子残してツーリングに出かけておきながら道中で女ひっかけようだなんてほんと虫唾が走るわ、クソ野郎めちんこもげろ
ツーリングの話したいなら他のバイク乗りのおっさん連中に話し掛けてろよ、女じゃなくていいだろ
色々思うところはあったが、結局何かされたら怖いので適当に断って席を立った。
しかしその後も何回断っても着いてくるし、どこ行っても話し掛けてくるし、船内は狭いし海上なので逃げ場がない。地獄かここは…
偶然ロビーで船内でのマナー啓発ビデオが流れていたので、その付近に陣取ってみた。「しつこく誘うのはセクハラ行為です」とやっている。
そしてひと席空けて隣に座りこちらを窺うクソ男。いいから私じゃなくてビデオを見ろ。そして私に奢ろうとしたそのお金で奥さんと子供にお土産を買え。せめてもの罪滅ぼしをしろ。
そんな時フェリー乗り場で会ったカブのおじいちゃんが話相手を探していたので、ツーリング話を聞きつつ男除け(まよけ)になってもらった。
話を聞いてほしいだけのおじいちゃんは無害である。ちんちんをしゃぶれと要求してこない(偏見)。次のツーリング先の参考にもなった。
どうでもいいけど美人でも不細工でもない中途半端な顔って本当に不幸だよなと思う。私のことなんだが。
(こいつなら俺でも行けるんじゃね?)って思う勘違い男がわんさと湧く。こっちにも選ぶ権利ぐらいあるわクソ野郎。こちとら面食いなんじゃ。
ちなみに夫は男前で、中身もいい男です。すみません惚気けました。
そんなこんなでその後は狭いベッドに引きこもって目的地まで過ごした。こんな男のせいで残念な船旅になりました。
というわけでこの男が奥さん以外に挿入しようとしたらちんちんが折れて役に立たなくなる呪いをかけました。せいぜいしぬまで苦しめばいいと思う。
おわり