はてなキーワード: 突撃とは
来なくて結構
有料化に文句言う奴は何なの?未成年が来にくい?来なくていいよ。来て良いこと無いし
そんな事しても徹夜は無くならない?予算が増えて警備増やせるぜ。ID付ければ入場規制も可能
当日購入でスタッフが死ぬ?当日思いついて来るような奴は待たせとけば良い。事前購入と当日券の差はあって普通でしょ
どうせ暴徒が突撃してくる?どうせそんな勇気無いし、潤沢な予算の警備なめんな
コミケの理念に反する?精神論で語りかけるのは最後の手段、ほぼ論破寸前。あえて言うなら今の時代にそぐわないだけ。残念
他にもあるだろうが、有料化継続してふるい分けするのは有りだと思う。年2回1000~2000円程度払えない奴でマトモな奴は居ないから
@Sakus_goo1027: 人の気持ちも考えないで自分の私利私欲の為に売る事を強制させて何が『やりました!』だよ。
お前は何にもやってないし、買ったのは父親。
それなのに、勝手に使い方を決めやがって勝手に舞い上がってる。
糞みたいな女だし、糞みたいな番組だな。 https://twitter.com/Sakus_goo1027/status/1058942320530223104/photo/1
@hGYI06yPOyfqAFr: テレ東のしあわせ買取隊。お父さんのプラモコレクションを処分して娘の為にか。これに関してはお父さんも積みプラ何とかしたかったみたいだし笑顔で納得してるみたいだけど、父親が40年以上かけて集めてるものをガラクタ呼ばわりするなバカとは思う。多少理解はしてあげてよって感じ。 https://twitter.com/hGYI06yPOyfqAFr/status/1058098112026226688/photo/1
@knitters: 「突撃!しあわせ買取隊」…コレクターのしあわせを買い取って不幸のどん底に落とす番組か、、
https://togetter.com/li/1283689
@penguins726: 自分の大切なコレクションを不要だと言われ勝手に買取を行われることを「しあわせ買取隊」とぼやく。この顔のどこに幸せがあるのだろうか。しかも、これが「良いこと」みたいに取り扱われることに非常に一方的 https://twitter.com/penguins726/status/1058286704161767424/photo/1
@micchanmicimici: しあわせ買取隊とかいう、断捨離を共用してお父さんの楽しみを奪うクソ番組。
あれが許されるんなら、娘やら嫁の着てない服やアクセサリー、鞄も同じ理由で売られても文句言えんぞコラァ
@zolge1: 思うにTV業界は、オタクであるとかクリエイターであるとかを安く見てるのではなく、むしろ呪っているのではなかろうか。なんというかイジリや嗤いを通り越した明確な悪意を感じるのだが。「好きに生きやがって」「夢を仕事にしやがって」みたいな感じで。誤解だったら申し訳ないのだが。 https://twitter.com/zolge1/status/1059052871176470529/photo/1
いきなりですが自分は今回が同人イベント初参加だったのです。正確に言えばお○かけライブなんかには顔を出していたりしていたのですがあのイベントはグッズ参加だったりファンの交流会としての側面が強かったりしたので本を売買するのがメインであろう同人誌即売会への参加はこれが初めてということになります。
「分からねえ……分からねえよ! 自分には何が正解なんだかひとっつも分かりゃしねえ! いったいどうすりゃいいってんだ!」
このようなハラハラドキドキを抱えつつ準備を進めます。まずは小銭です。イベントでは300円や700円など100円玉硬貨があった方が支払いやすそうな価格の本が大量に並んでいそうなことは予想できました。ならば両替だ! と銀行に行ってぼそぼそとした陰気な声で「アノー……リョウガエタノンマース……」とか言わなきゃならないのか、憂鬱だな……とこの時点でコミュニケーション能力に難のある自分はテンションが下がりましたがここは快適な薄い本漁りまくりタイムのため、と銀行にて両替を敢行。無事に大量の100円玉と500円玉を入手するに至ったのです。
次はカバンです。カバンが無ければ本を入れられません。丈夫で大きいカバンの予備が無かった自分はその足で雑貨屋へと向かいました。ファッションセンスというものと無縁なので店員さんに勧められるままシャレオツっぽいものを買ってしまって「どうすんぞこれに合う服とかねーし! 合わねえし!」と内心焦りながら会計を済ませます。とりあえずなんとなく合いそうなものを近くの服屋で見繕いましたが終わった今となってはこのチョイスが正解だったのかどうか大いに疑問が残ります。やっぱ一人で買い物なんかするもんじゃねえや!
あんまり規模が大きいと迷っちゃうかもしれないし、だからって寂しいのもなんだかなあと優柔不断な自分は迷います。泊りがけという選択肢はありません。日帰りです。日帰りは決定事項なのです。仕方ないのでピクシブにてサンプル巡りをします。
「……二日目だな。これは二日目だな。というか他の日にあまりにも人が……気のせいか?」
この時点では配置図は出ていませんでしたが、気のせいではありませんでした。しかしこれはこれで多そうだなあ大丈夫かなあと不安になりつつサークルチェックを進めます。と言ってもナンバーが出て居なかったのでカップリング別にサークル名をメモしておいたぐらいだったのですが。
ゴールデンウィークなんだよなあ、自由席って空いてるかなあ、いざとなったらこだまに乗るぞ! 不安が頭をよぎるたび、自分はイケるイケるとそれを頭の隅に押しやります。不安いっぱいでは恐怖に駆られてせっかくの買い物も思うように楽しめないだろうからという浅はかな考えですが、そうでもしないとこのときの自分は夜も眠れそうになかったのです。
朝早くに起き下手なメイクを施し慣れないスカートを履き荷物をせかせか準備します。財布はイベント用と普通に使う用を2個持ち、なんだかファンシーなデザインの大きいカバンを肩に引っさげ、支度は整いました。朝飯代わりのウイ○ーインゼリーを胃袋に流し込み士気を高めます。
怖え……人いっぱい居るとこ怖え……でも! 行かないと、そこにパラダイスがあるから! 自分は行かなければならないんだ! このような寒いことを考えでもしないと冷静ではいられませんでした。引きこもりをこじらせるとこのようになるので皆さんも気を付けてください。要らぬ心配だとは思いますが。
市内電車に乗って新幹線が停まる駅まで向かい、駅に着くと切符を買ってそわそわしながら列車を待ちます。し、新幹線か、慣れてないからなあ。席空いてるかなあ。立ちっぱは辛い距離だよなあ。考えている間に列車は到着しました。中を覗くと若干の空席があるようでした。よっしゃ! などと言おうものなら不審者まっしぐらなのでここはぐっと抑え、乗り込みます。
乗っている間は携帯をいじったり腕を組んで妄想に励んだり携帯用固形食をかじったりするぐらいで特にどうということも無かったのですが、寝ると荷物をすられやしないかと神経過敏な自分は警戒し続けていたのであまり気が休まりませんでした。とはいえ一人なので寝ないのが当たり前と言えなくもない気がします。
名古屋駅に着くと、そこは未知の国でした。「……デカい!?」というのは規模に対しての感想です。名古屋ってどんなところだろう、味噌? 味付けが濃い? モーニングが豪華? 程度のにわか知識しか無かった自分は大いに驚き、迷いはしないかとビビりました。が、案内板通りに進むことで無事方向音痴の自分も乗り継ぎ切符を買い豊橋駅に向かうことが出来ました。今回は観光出来ませんでしたが、次に来るときは周囲を散策してみたいなと思っております。
豊橋駅に着くと外がなにやら騒がしく、ふらふらと声のする方へ向かって行くとイベントをやっておりパフォーマンスとしてよさこいらしきダンスを披露していました。そのままぼけーっと眺めていましたが、はっと腕時計を見るともうすぐ開場時刻! しかもここバス出るとこと反対出口! 気づいた自分は慌てて早歩き。「待ってろよST豊橋2、もうすぐ自分はそこに着くんだぞ! 逃げるなよ!」逃げねえよ、と思うだけの冷静さはもう既に頭から無くなっておりました。
早足で外に出るとYOUの案内板を持ったスタッフが見え、その方の指示する方向へ向かいます。この時点で同じ目的と思われる方々に取り囲まれていました。会話の内容から彼女たちが誰萌え、あるいはどこ校萌えであるのかが窺い知ることが出来なんだか暖かい気持ちになりましたが、同時に一人で歩く自分に対しどこか寂しい気持ちになりました。しょうがないですよね、ぼっちで来たんですから。
「バスが……立派だ!!」
第一印象がコレか、と思われるかもしれませんが立派でした。観光バスを借りるとは、……儲けてやがるな!? などと下衆な感想を抱きましたがそこは脳内で流して乗り込みます。既に車内には何人か待機しており、彼女らもまたこれから向かう会場に対しての予想などを並べ立てていました。なんせ地図で見た限りは倉庫でしたから、会場として機能するのか不安もあったのだと思われます。かくいう自分もその通りで、大丈夫かなあとぼんやり考えながらバスに揺られていました。さあ会場はもうすぐそこです。
「うわ外観めっちゃ倉庫やん!」まんまじゃねーか、な感想は置いておきます。手荷物検査を受けるとシールを渡され目立つところに貼っておくようにと念を押されました。流石にセキュリティは厳重です。なんだかピリピリした雰囲気だなあと思いながら入口から会場の様子を窺います。
そこに居たのは300スペース超のサークル参加の方々と、今日を楽しみに集まってきた一般参加の方々、その方々の熱気で構成された異空間、夢が形になった場所でした。ここにいる人たちは趣向の差はあれどおおむね同じ目的で参加しているんだなあ、そのことを実感し感動しました。生の空気というものはいいんだなあ。同人誌なんて通販で買えばいいじゃん、そのように冷めた気持ちが自分の中にあったことは否定できません、しかしこのときをもってそのような斜めに構えた気持ちは消え去ったのです。この熱を自分の肌で感じ、自然とそのようになったのでした。
ややまごつきながらパンフレットを買い、きょろきょろとあたりを見回しながら会場の隅に向かいます。パンフレットの配置図へ事前にチェックしておいたサークルをマーカーで引き、いざ出発! 果たして無事に買うことが出来るだろうか、そう思いながら横目で受付近くを見ているとなぜか地元の団体さんがはんぺんを配っていました。後で聞くとこのはんぺんは無料だったようで、というか放送でもそんなことを言っていたようで、しかも美味しかったという感想もあり、もらっておけばよかったかなあなどと今更現金なことを考えています。
目当てのCPの島に来ると当たり前ですが同じCPが固まっていて、そこで買い物をしている方を見て「あ、同じCPが好きなんだな」と思うとなんとなく嬉しく思いました。自分ではあまり買わないCPでもポスターやポップが来られているとついつい寄ってしまい「よし買いだ!」と買わせてしまう、そんな勢いや愛にも満ちていました。幸せな気分で今日一番の目当てだったサークルさんの所に足を運びます。無事に帰るだろうか、緊張しながらスペースに向かうと……。
誰も居ない。あれ、間違えたかな、と机に張り出されているナンバーとサークル名を見ました。間違っていません。すかさずツイッターで確認を取ります。今日になって急遽欠席が決まったようでした。しょぼくれましたが、気を取り直し他のサークルさんの元へ向かいます。ここで挫けてはいられません、目当ての本は他にもたくさんあるのですから。分かってはいても、やっぱり残念でした。またの機会があれば今度こそ、と思いつつ探索を続けます。
「おおう、やはり色がどこも派手だなあ。こういう彩のあるジャンルは見てるだけでも楽しくていいよね」
なんて他人事なコメントだと思われるかもしれませんが、現実の光景だというのに目の前で行われているイベントにリアルさを感じることが出来なかったのです。そこはさながら夢の国、すっごい遊園地。異世界でした。普通にレイヤーさんが歩いているのを見て○○が歩いてる……そんな風に茫然とするしかなかったのです。BGMとしてキャラソンがかかりまくり、人はごったがえし、そこらじゅうで普段は出来ないジャンルトークを楽しんでいる。夢のようでした。同人イベントっていいなあ、漠然と抱いていた憧れはここで実感に変わったのです。
コピー本コンテストに投票したり、同人誌なのにすごい厚いよ!? とアンソロジーを見て驚愕したり、「だって○○受けってここしかないじゃん……」とジャンル友達にぶっちゃけトークをしているのを聞いて複雑になったり、桃リコが可愛かったり、こんなCPあったんだーと驚いたと思っていたらいつのまにか買っていたり、委託本にも手を出したり、同じところをぐるぐる回って「へへへこのCPもいっぱいいるじゃんすげーじゃん」と悦に入ったり、……とにかく、普段では絶対に発散できない類の衝動を思いっきり発散できる場所であり、幸せが形になった場所でした。
「そういえば、このジャンルはしばらくイベントが開催できなかったんだよなあ……」
噛みしめます。無事に開催できて本当に良かった。これだけの人が喜びを分かち合える空間が壊されなくてよかった。どうかもう、中止などという悲しすぎることが起こらないように。改めて祈りました。
そろそろ会場を後にしなければ。腕時計を確認すると会場を出てバス乗り場に向かいます。クレープの屋台などが出ていましたが、どうも待ち時間的に食べられそうになかったので泣く泣く断念。ちくしょう、時間に余裕を持って行動しないとな。
バスに乗り込むとイベントの熱が冷めやらぬ人たちが熱心に語り合っています。これが公共の交通機関であれば眉をひそめられることなのでしょうが、ここはイベント専用の車内です。思う存分余韻を分かち合会えるこの空間もまた乙なものだなあと思いました。ただ、送迎用にバスを用意するなんて普通は無理だよなあとも思います。アフターがしたいならやはり2次会にしておいた方が良いようです。自分はぼっちなのでどうにもなりませんが。
バスから降りると、一気に現実に引き戻されました。もう夢は終わったんだ。でも、自分には思い出が出来ました。代えの利かない大切な思い出です。また行きたいな。今度もこのジャンル、いや別のジャンルか、ジャンル無しの大きいイベントにも勇気を出して行ってみようか。今までは恐怖が先立ちどうしても踏み出せなかった一歩をやっと踏み出したこの日、自分の世界は広がった気がします。今回のイベントに参加できてよかった。心からそう思っています。
最後に、主催のスタジオYOUさん、イベント開催お疲れ様でした! また次も頑張ってください、応援してます!
『劇場版 はいからさんが通る 後編 ~花の東京大ロマン~』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。
なんと100点。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。とは言え、これ、評価難しい。良いところと悪いところと混在しつつ、今の自分だからこの点数なんだけど、ちょっと違う自分だったらこの点数は著しく下がっていたんじゃないかと思う。いつにもまして主観的な点数であり他の人におすすめする自信がない。
アニメとしての出来は良かった。演出や音楽なんかも水準以上の仕事をしてたんだけど、キャラデザと脚本と声優の3点がそれ以上の出来だった。しかしそもそもの企画で疑問な点も多々ある。
大体の話原作マンガ『はいからさんが通る』からして相当ボリュームが大きい作品なのだ。TVアニメ42話やっても完結できてないのがその証拠で、その原作を100分ちょいx2の前後編にまとめるということが最初から無理難題。
だから素直に作れば駆け足どころかダイジェスト気味になり、点数なんて30点前後になるのが当たり前だと思うのだ。今回の劇場版は、その問題に対して、脚本とか演出技術とかをぶっこんで善戦してたことは確かなんだけど、それってつまり「ハンデを克服するための戦力投入」に他ならないわけで、100点から先に積み上げていく役に立ったかと言えば難しい。
原作ジャンルは一応ラブコメということになると思うのだけど、原作『はいからさんが通る』には実は様々な要素が詰め込まれている。主人公紅緒と伊集院少尉の間のラブロマンスを中心としつつも、大正期うんちくマンガの側面、スラップスティックなギャグの要素、膨大な登場人物の群像劇、そして女性の自立というテーマももちろん重い。
今回の映画企画では、これを前後編で本当にうまくまとめてある。駆け足感は否めないものの違和感は感じない。このへん優れた原作→映画脚本の特徴でもあって、印象は原作に忠実なものの、実を言えば改変は結構大胆にはいってる。
今回映画で例を上げれば、大震災後の炎上する廃墟をさまようのは映画では紅緒、少尉、編集長という3人なのだが、原作ではさらに鬼島を入れた四人だ。三角関係の描写とその解消をクライマックスの中心に持ってくる構成をシンプルに伝えるため、鬼島は退場させてあり当然セリフも再構成で圧縮されている。
しかし一方でそういう技術的な圧縮だけでは全く追いつかないわけで、群像劇的なキャラクターを絞り、ギャグパートもほとんど捨て去って、映画で残すのは「主人公紅緒を中心とした(はっきり言っちゃえば伊集院少尉と青江編集長との三角関係)ラブロマンス」と「大正ロマン期の女性の自立」というふたつの大きなテーマに絞った。その判断は正解だと思う。
正解だと思うんだけど、じゃあそのふたつが現代的な視点で見て満足な出来に達しているかといえば――この部分が評価に迷った原因だ。
『はいからさんが通る』の原作からそうなので、映画(だけ)の問題点というわけではないのだけれど、個人的な見解で言うと登場人物のメインどころのうち三人がダメんピープルだ。
初っ端から最大戦犯のラリサ=ミハイロフ。ロシア貴族である彼女は、満州出征中に部下を救うために突出して倒れた伊集院少尉を見つけ、その命を救う。しかし戦争の傷跡で記憶を失った伊集院少尉に、自分の旦那(死亡済み)の面影を見出し、都合よく嘘記憶を刷り込みして、自分の夫として病気の自分の世話をさせるのだった。
いやあ、ないでしょ。どんだけよ。しかも病弱な自分を盾にして伊集院が記憶を取り戻したあとも関係を強要するのだ。クズでしょ(言った)。一応言葉を丸めてダメんピープル(女性なのでダメンズではない)と呼んでおく。
じゃあ、そのラリサの嘘の被害者たる伊集院少尉(主人公紅緒の想い人)はどうなのかと言えば、彼もまたダメんピープルなのだった。記憶を失っていた間はまあいいとしても、記憶を取り戻し紅緒と再会したあとも、病弱なラリサの面倒を見るために彼女のもとにとどまり続ける。命の恩人だと言えばそりゃそうなのかもしれないが、周囲の誤解をとくでもなく、未来への展望を示すのでもなく、状況に流されて、紅緒のことが大好きなくせに「他の女性を偽りとはいえ面倒見ている関係」を続ける。続けた上でそれに罪悪感を覚えて、紅緒から身を引こうとする。
それだけなら海底二千マイルゆずってもいいけれど、ラリサが死んだあとは紅緒のもとに駆けつけるあたり、手のひら返しの恥知らずと言われても仕方ない罪人である(言った)。っていうか伊集院少尉とラリサの関係は明らかに共依存でしょ。カウンセリング必要だよ。
とはいえ、主人公紅緒もけして潔白とはいえない。病気のラリサに遠慮をして、二人の間の愛情を誤解して別れを告げられ、告げたあと、心がフラフラしている時期に、少尉の実家を助けてくれた編集長にほだされて交際を宣言。他の男性(伊集院少尉のこと)を心に宿したまま、編集長と結婚式まで行ってしまう。それは伊集院少尉に対してもそうだけど、青江編集長に対してはより罪深い。その嘘はやっぱり問題だと言わざるをえない。
――こういう恋のダメピープルトライアングルが炸裂して、映画の前半は結構ストレスが溜まった(この辺個人差はあると思う)。このダメんピープル共が。問題を解決しろ。
両思いの恋人がいい雰囲気になって決定的にくっつきかけたところで、理不尽なトラブルが起こり二人は引き裂かれる! どうなっちゃうの二人!? 以下次週!! で、次週になってトラブルを乗り越えて、またいい雰囲気になると今度は二人が(独りよがりの)善意から身を引くとか、ずっとお幸せにとかいい出して、誤解のすれ違い。神の見えざる手によってやっぱり二人は結ばれない!
「北川悦吏子だ!」といったけどそれは北川悦吏子女史の発明品というわけではなく、自分の中での代名詞が彼女だと言うだけなのだけど。もっと言うのならば、年代的にみても北川悦吏子が『はいからさんが通る』やら『キャンディ・キャンディ』に影響を受けた可能性は高く、むしろ原点はこちらだ。イライラは軽減されないが。
そんなイライララブロマンス時空において癒やしは青江編集長である。
光のプラスワンこと青江冬星はまっとうで良い人なのだ。登場時は女性アレルギー(と大正時代的な女性蔑視)があったものの、雇用主として新人編集者である主人公紅緒を導き、支え続ける。その人柄に触れて、紅緒に対する愛情を自覚したなら、変にこじれぬように即座に自分の口から誤解の余地のない告白を行う。これ以上イライララブロマの炎症を防ぐその手腕。良いね。
しかも「お前の心に伊集院がいるうちは土足で踏み込まない」「いつかその気になったとき思い出してくれれば良い」といって加護者の立場に戻る。見返りを求めず、高潔で、慈悲深い。癒やしのキャラだ。
読めば分かる通り自分は編集長推し(原作当時からだ)なので、そのへんは差し引いてほしいのだが、ダメんピープルの中にあった彼が一服の清涼剤であったのは確かなのだ。
この映画のおそらく二大テーマである「紅緒を中心としたラブロマンス」はダメ人間どもの間違った自己犠牲でイライラするし(加えて言えば、何の罪科もない編集長の貧乏くじも納得し難いし)、「大正ロマン期の女性の自立」については、無邪気と言えば聞こえはいいが無軌道で体当たり主義の紅緒の迷惑を編集長が尻拭いし続けるという構造なので、本当に自立しているのか怪しく、どっちもそういう意味ではスカッとしない。
でも、そうじゃないのだ。そうじゃなかったのだ。
上映終了後、イライラ&60点だと思っていたら、意外なことに結構穏やかな満足感があったのだ。この気持ちはなんだろう? 不思議な気持ちで、言語化に時間がかかった。
なぜなのか考えた。
やったことや構造を追いかけていく限りイライラキャラではあるはずなのに、可愛い。
現代的に変更したキャラクターデザインと、作画と、なによりその声が印象的なのだ。
作中、紅緒は本当によく「少尉」という言葉を口にする。二言目にはそれだ。
このおてんば娘は作中のセリフの大半が「少尉!」なくらい連呼なのである。伊集院少尉のいるシーンでは脳内その声でいっぱいなのだ。声の表情というか、演技が本当に良かった。
少尉の事で頭がいっぱいで、東京から満州に行き、馬賊の親玉に体当たりで話を聞き、少尉を探して駆け巡る。東京に戻ったあとも諦めきれず、その面影を探して、亡命ロシア貴族にまで突撃を掛ける。紅緒は、たしかに、周囲を顧みない行動主義で、無鉄砲なおてんば娘で、そこにはイライラさせられる要素があるにせよ、少尉を求めてさまよう姿は、涙を一杯にたたえた幼子のように見える。
それでようやくわかったのだけれど、結局紅緒は子供だったのだ。
愛する伊集院少尉とはぐれて、彼を探すために声の限りにその名を呼ぶ子供だった。
それが胸を打ったし魅力的だった。スクリーンのこちらからも彼女を助けたいと思った。
『劇場版 はいからさんが通る 後編 ~花の東京大ロマン~』は迷子の紅緒をハラハラドキドキしながら見守り、応援する映画なのだ。
「大正ロマン期の女性の自立」というテーマに対してイライラするのも当たり前だ。彼女は行動力だけは溢れていて、家を出てしまうわ、死んだ(と思いこんでいた)婚約者の実家に行って支える手伝いをするわ、女性ながら出版社に就職するわするのだが、どれも力が足りずに周囲に迷惑を掛けてばかりで、そういう意味では「自立」はしきれていない。むしろトラブルメーカーだ。でもそんなのは、子供だから当たり前なのだ。
彼女はその実力不足から失敗してしまうけれど、チャレンジをするのだ。失敗はチャレンジの結果であり、チャレンジをするという一点で彼女の幼さは正しい。
前述したとおり自分の推しは青江編集長なのだけれど、彼は作中、何らミスらしきことをしていない。つまり罪がない。罪がない彼が、恋愛において自分の望んだ愛を手に入れられない(紅緒は最終的に伊集院少尉とくっつく)のが納得がいかなかった。その理不尽さにたいして原作読了時は腹がたったのだけれど、今回映画を見終わってしばらく考えたあと、仕方ないのかもと、やっと思うことができた。
なぜなら紅緒は(この映画の物語の期間では)未熟な子供だからだ。その子供である紅緒が、青江編集長という加護者とくっついてしまうと、その保護力のお陰で自立できない。青江編集長は全く悪意はなく、むしろ大きな愛情で紅緒を守るだろうし、その実力がある人だろうけれど、その愛情は空を羽ばたく紅緒にとっては重すぎる。
『はいからさんが通る』は紅緒が自立していく物語ではなくて、未熟な子供である紅緒が、自立のスタートラインに立つまでの物語なのだ。だから作中で自立してないのは当たり前なのだ。
無鉄砲で子供で、何かあればすぐべそべそと泣き、でも次の瞬間笑顔で立ち上がり再び駆け出す紅緒は、この映画の中でとても可愛らしく魅力的だった。
その紅緒は自分の心に嘘をつくという罪を犯し、同じく自分の心に嘘をつくという罪を犯した伊集院少尉と結ばれる。伊集院少尉も少女漫画の約束として「頼りになる加護者」として登場したが、罪を犯して紅緒と同じ未熟者のレイヤーに降りてきた。降りてきたからこそ「これから自立するいまは不完全な紅緒の同志」としての資格を得た。
青江編集長は同志ではなくてやはり保護者だから、どんなに良い人でも、「これから一緒に成長していく同志」にはなれない。
考えてみれば、紅緒が少尉を好きになった理由は「優しい目で見てくれたから」だった。けっして「助けてくれたから」ではない。彼女にとって助けてくれる(実利)は重要ではなく、ただ単にそのとき自分を見ていてくれれば十分だったのだ。
そういう意味で、青江編集長はスパダリであり、伊集院少尉はスパダリから降りて結婚相手になったといえる。宮野Win。「立川オワタぁ!」とか「ちゃんかちゃんかちゃんかちゃんか♪」とか言い出さないんで、格好いい主要キャラみたいな演技だったからな。
そういうふうに言語化が落ち着くに連れて、紅緒の親友・環がしみじみと良かったな。と思えた。
「殿方に選ぶのではなく自らが殿方を選ぶ女になるのですわ!」と女学生時代気炎を上げていた彼女。大正デモクラシーにおいて「女性の自立」を掲げて紅緒とともに時を過ごした親友である彼女。
でも、彼女と紅緒の間にあるのは思想の共鳴なんかではなかったと思う。
「女性の自立」と言葉にしてしまえばそれはどうしてもイデオロギー的な色彩を帯びざるをえないけれど、本作においてそれは、そこまで頭でっかちな教条的なものでもなかったのだろう。
劇場版サブタイトルの元ネタはおそらく菊池寛の短編小説「花の東京」から来ているのだろうけれど、そこで描かれた女性(の自立と言っていいのかなあ)も、現代のフェミニズム的な意味でのそれではなかった。どちらかと言えば「どんな環境でもめげずに生き抜いてゆく」という、ただそれだけのことだった。
それはもしかしたら、現代の価値観ではむしろ非難される態度かもしれない。なぜなら、男性が支配的な社会で「めげずに生きる」というのは、ときにその男性支配社会に迎合しているようにも見えて、原理主義者には利敵行為とされるかもしれないからだ。
でも人間は結局与えられた環境でベストを尽くすしか無い。まだまだ男権社会的な大正期社会も、作中クライマックスで描かれる関東大震災で崩壊した東京も「与えられた環境」だ。
その与えられた環境の中で酔っ払って肩を組み、愚痴を言い合いながらも諦めずに笑い合う同志として、紅緒と環のコンビは尊い。
ことによると、紅緒と伊集院少尉のそれよりも確かな絆があったのではなかろうか?
いつどんなときでも、どんな環境でも、うつむかず、意気軒昂と拳を突き上げて、笑顔で生きていこう! 女学生時代の無鉄砲な友情のそのままに、二人は大正という時代に自分の人生を描いた。
「女性の自立」と主語をおけば、それは成功したり失敗したりしてしまう。でも彼女たちが持っていたのは、成功したり失敗したりするようなものではない。どんな環境でもくじけうず、へこたれず、転んでも立ち上がって歌を歌いだす。それはイデオロギーではなく心意気の問題なのだ。彼女たち二人のあいだにあったのはモダンガールとして時代を先駆ける思想などではない。ただ単に、お互いがかけがえのない友達で、楽しかったのだ。
「女の子は元気よく未来に向かって生きる!」。紅緒が愛しく思えたのは、多分その一点だったし、伊集院少尉が彼女を愛したのもその一点だった。本作では描写が欠如していた伊集院少尉も、そのテーマに沿うなら、大震災後の東京で意気軒昂と未来をつくるべきだ。紅緒同様「未熟者の仲間」になった彼はそれが出来るし、その義務もある(でないと編集長はほんとうの意味で道化者になってしまう)。
肉屋でセルフケアに40秒、タナトが乗ると42秒、狂気回復の時間を含めて53秒くらい
吊った後に治療を優先すると発狂で居場所が通知され、離脱を優先すると治療に時間がかかるという編成
索敵と考えてアドオンと鎮静秩序にするのもありか?
ハッキリいってこの構成はもう弱いと思う
どれだけ心音広げてもマップ全体はカバーできない(ギデオン除く)
オバチャをつけていったとしても人数減らせなければ泥沼になる
ドクターは妨害遅延に強いけど結局歩いて殴るしかないのでデボアで補強
電撃は直線で35m~40mくらいまで届くからよっぽど広くない限り間に合う
ただネタ構成に過ぎないし、チェイスで電撃が使いにくくなるのが欠点
ドクターのアドオンは基本メリットしかないからなんでもいいけれど
とにかくLv3に早くする構成
巷じゃレア電極使えない、特に遅いから板グル窓グル拒否に使えないとか
電撃は広ければ広いほどチェイス以外にも索敵や破壊行動修理行動の拒否に使える
潜伏や都会を一切させないスタイル
不安とセットで爆音化や野蛮セットで幻覚(秩序の効果)加速でもいい
抑制懲罰でオーラやステインが見えて、服従でデッハしなやかバランス阻止
さらに秩序の幻覚で逃げ場所ミスを誘い隠れても抑制で見えるドクターが長生き
一発攻撃を当てたらなんとかなるから意外と初心者向きかもしれない
Lv2になってしまえば天敵のモロコシや竹藪がメリットになるし、壁エリアはなおさら
観虐の代わりにタナトを入れてより治療意識を高めるのもありかも
マイケルのLv3は射程がめちゃくちゃ長くて板前待機で相打ちを取りやすい
思い出髪束にして野蛮の代わりにファイヤーアップもあり
オブセを利用する構成
オブセ一人の凝視で欠片発動できるくらいになる(はず)
大幅強化されて強キラーの仲間入りか
アドオンは無くてもいいけど距離増加、罠範囲拡大、幻像時間増加がいいかも
ミントがあれば一番良い
一回吊ったら救助者か被救助者どちらも一撃になるから吊りループを狙う
罠に触れたらワープして攻撃して再設置、治療して触りに来れば遅延になるし放置するなら万々歳
一度吊ってからが本番
天秤で一撃も可能だし、デボアが溜まれば天秤無くても一撃になる
やったことはない
罠が作動すると本体の心音が消えて、幻像の心音が広がるアドオン
肉屋タナトナスコのテンプレ構成でかつ心音が消えたならかなり攻撃しやすくなる?
ただ本体の心音がどの程度消えるのかが疑問で幻像が消えるまでだとかなりシビアになりそう?
幻像が出現せず、罠を踏むとチェイス中に突然ハグの心音が消えるかもしれない
とするとあらゆる戦法が使えそう?
後で検証してみたい
板窓を封じるだけじゃなく、狭い通路を封鎖できるから救助されて離脱するときに閉じ込めれそう?
とすると天秤や肉屋との相性が良さそうか
靴で鈍足化できるけど、手で通行止めにするなら要らない気もする
アマンダは心音範囲が狭い+背が低い+しゃがめば心音消失があるのでナスコがより刺さりそう
這いずり放置特化
ノックアウトとフェイスマスクで鯖の治療をとにかくしにくくする構成
重傷アドオンが肉屋と重複するという情報があるのでより遅延になるはず
ただアプデでダウン中に95%まで貯めれるからノックアウト無しでナスコの方がいいかもしれない
地道に吊ったりトークン貯めたりして、通電前にオブセを殺せたら準備完了
ゲート近くで待機して開けに来たところを襲い、罠をつけて吊る
ノーワンでダウンして罠をかけたら通常より30秒早い罠を急いで解除しに走り回る
ハグと一緒に強化されて、それなりにまた見かけるようになってきた看板キラー
アドオンはあればいい程度
何とかダウンさせたら無理やり地下まで運ぶ。小屋タイプが一番いい
吊ったら罠を地下周辺に置きまくって救助者を地下に運ぶ構成
虹色の石があれば解除されてもそのうち空くから再設置に戻る必要が無い
祭壇 - 地下吊り加速だけどそんな恩恵無さそう
天秤 - 救助して罠意識してもたもたしてるところをザクっとただそんな離れないよなあ
死恐 - 救助を促す 血塗れのコイルをもっていけば罠解除にもリスクがつく最適解か?
以上
タイトルでムキムキ日本人と想像しただろうけど、そういうことじゃなくて
アイドルの追っかけでも、宝塚でも、ローカルルールに縛り付けてファンがお互いを監視しあってる
地下に潜ってスラッシュで検索避けとかもそうだし、破った人見つけると界隈で突撃してツイッターやらで晒しあげて脅す
こういうのが男がやってる活動にイラついたらキズナアイみたいなことになるんだなって思ってる
勇気がなくて新しい分野に飛び出すことができないからだっていう
とりあえずやってみようっていう人がでてくると
何か起こったらどうするんだって言い出す連中がわく
日本人の特徴と言われるゼロリスク志向だけど、とりわけ女はそうで社会的成功しないのもこれだよね
男がまず特攻かまして場所作って家作ったあとに、成功したとわかったら女も入れろとか言い出す
男の特攻が失敗したら?男ってなんで野蛮なの?っていうよねw
匿名による彼らの書き込みには生命が宿っているが、その価値は著しく軽い。
なぜなら彼らは匿名で書き込むことで自我を減らしているからだ。
匿名である彼らは同じ人間ではあるが、同じ人間から少し引き算をした存在なのだ。
彼らはいかにアイディンティティと呼ばれるものを保持できているのか?
私が書き込んだものは変わることはない、その不変性によって維持できている。
そうでなければ、私が書き込んだものが侮辱されたり、過小評価されたりしたときになぜ落ち込むのかわからない。
wikipediaは書き込んだものが修正されるが、修正された履歴として残る。
匿名の人が人間から少し引き算をした存在だとしても、同じ人間であることは変わらない。
私達と同じ感情を有しているのだ。
一方では匿名は劣った存在だが、もう一方では同じ存在として扱わなければならない。
彼らはいかにアイディンティティを保持できるのかも私は書いた。
一方で彼らは匿名でのアイディンティティを簡単に捨てることもできる。
なぜかといえば、私が書き込んだものを削除すれば消えるし、私が書き込んだことを忘れてしまえばなくなるだろう。
(忘れる方法について、簡単ではないように思えるだろうが、人は大したことではないことは簡単に忘れられるようにできている。)
まず家族がいるだろうし、私のそのままの暮らしそのものであったりするからだ。
それが毀損されれば、どうなるかここでは書くことはできない。
そのアイディンティティは匿名では自分の意思によれば簡単に捨てられる。
匿名世界でも、アイディンティティは尊重されねばならないが、本人がどうでもよければ価値はないのだ。
それは一方の論理を受容するとき、一方の論理もまた受容するというものだ。
匿名世界で会話をすると気にはこの論理の取引がほとんど不可能である。
いや、私のアイディンティティは守らねばならないが、相手のアイデンティティはどうでもよい。
捨てればいいだけだからだ。私のは今は捨てたくない。
匿名同士の会話はこのように成り立っているようで成り立っていない。
常に死者が出ているのだ。
彼らがマッチョ思想に染まるのも当然で、むしろそれを貶す奴らのほうが狂っている。
もちろん匿名同士では私の言っていることは逆に間違っている、貶なせるのなら貶すのが正しいだろう。
これがアイディンティティを簡単には捨てられない世界との衝突では大変なことになる。
匿名の人はいかにもアイディンティティを大事のように振る舞うのだ。簡単には捨てられないほうが価値が高いことを知らないか、
私はあなたの論理を受容しましょう、だから私の論理も受容してください。
これを拒否するのなら、匿名の人はアイデンティティを捨て、もう一度同じことを繰り返すだろう。
取引をしたとして、彼らが味方になることは無いのだ。なぜなら彼らはすぐに死んでしまう。
死を覚悟して、人の論理に突撃していく、彼が正しいか正しくないかなど関係ない。
それは死者が出ることが分かっているものに、私の論理はそれほど正しいのだろうかという疑念も出るだろう。
人の死より正しいものがこの世にあるのだろうか?
それに会話するルールを毎回のように破らなければならないのは、一般的なことではない。
私はこれは解決すべき問題だと思っているが、私にはやることない。もう世界がすでにそう動いている。
アイデンティティの価値について、よく吟味するしかないだろう。
さっきの話。
事務所はWEBショップ担当の自分以外営業で外に出ていて自分しか居ない状況。
電話がかかって来た。
「お電話ありがとうございます。増田株式会社でございます。」
と言うと、大体のお客さんは「私○○株式会社の□□という物ですが、(担当者)様いらっしゃいますか。」と来る。
はずだった。
私が「はい、ございますが、どのようなご用件でしたか」と聞こうとすると、「どのような」の「な」を言いかけたあたりで「ありがとうございます。」といって電話を切られた。
え?どういうこと?と思い、とりあえず、スケジュール表をみるが、来客予定はない。
すると10分立った頃に車の音がして、インターホンがなる。
「すみません、先程電話したものですが、御社の△△という製品がほしくて来ました。」とだけいい、よくよく話を聞くと取引先の競合他社の担当者が、ノーアポで突撃してきたような形だった。
「いま、担当が不在でして…」と話すと「いや、困るよ、わざわざ遠いところから来たのに!いいから君が説明してよ!」と怒鳴られて、上司に電話して急遽戻ってきてもらい、対応をしてもらってる。
案の定、今聞いてる限り怒鳴り散らしているみたいだ。