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2020-11-26

anond:20201126020514

私はアラサーだけど悲しまずに1人で生きてるよ。

親元離れて、友人はいるけど、今同棲するような人もいない。

都内一人暮らし

全ての女性が1人で生きれるようになってるとは思ってないけど、あくまで私は自立して、今の性差による確執が異常だと思ったので所感を述べたのみ。

2020-11-03

anond:20201103102331

これも「御社広報戦略には問題があるザマス」系ネット軍師様だなあ。

確執云々がファン同士の邪推が生み出したものであって、製作者がそんなもんに付き合ってやる義理なんかねえだろ。

フォークダンスDE成子坂のクラファンは怪しい

https://natalie.mu/owarai/news/403217

https://camp-fire.jp/projects/view/339950

 

この監督さんは、元ヤオヨロズだ。たつき達といっしょにてさぐれのアニメを作っていたが、監督を逃亡しヤオヨロズを辞めた

その前にも一回監督を辞めている

この人がヤオヨロズを辞めた後に、けもふれがヒットした

お金については、金のことをいろいろいうような奴らは嫌いのようだ

https://togetter.com/li/1091169

 

現状たつき監督達に比べれば、全く知名度はない

そして、元ヤオヨロズであれば、たつき監督吉崎観音の…というかけものフレンズ確執について知らないわけがないし、多分相当の深いところまで知ってるだろう

その状況で、トラブルメイカーである吉崎観音を利用する、とかこんなんどう考えても只単に「フォークダンスDE成子坂」のためにやる、って範囲じゃない

何らかの裏の気持ちがあるに決まってるよ

本当に、このクラファンを成功させたいなら、吉崎を使わないのが一番だし、この人を使うだけで、たつき寄りのアニオタは金を落とさないだろうし、成功率が下がる

分かってるだろうに吉崎を使うのは、ヤオヨロズ喧嘩売ってるの?とか思わないでもない

フォークダンスDE成子坂は大好きだったので、協力したかったけど、監督が吉崎を使ったという時点で諦めた

監督ヤオヨロズを去ったのは別によかった、だが吉崎を使ったことには、絶対に口で言ってる以上になんらかの裏が透けてみえ

フォークダンスDE成子坂をこの人の知名度向上とか、炎上ネタに使って欲しくない

吉崎の絵に不満があるわけではない、「いろいろと揉めて大人の事情ヤオヨロズを途中で去った監督」が「ヤオヨロズといろいろ揉めた吉崎」を使うってのがもう、悪意が見える

[] #89-6「わたし超能力者

≪ 前

話を続けましょーか

前提を共有しておくけど

二度は言わないわよ

忘れないでね

この話を続けるのは

完全わたし善意

何の報酬も出ていないの

ジャポンボランティア

そもそもボランティアって

タダ働きって意味じゃないけど

それでも無償でやってるの

“やってあげてる”の

そこ忘れないでよ

これからする話を

理解できたか

納得できたか

共感できたか

そんなの関係ないわ

それはアンタの問題

そっちで解消しなさい


超能力者普通の人

このことは言ったわよね?

それは人間みんな平等だとか

そーいうのもあるでしょうけど

実際は取るに足らないからなの

超能力は大したことない

リミットがあるから

利点も弊害も予想の範疇なわけ

超能力のない人間でも出来ること

それを違うアプローチで出来るだけ

そーいう認識が広まっていった

から超能力者は「普通の人」なの

まー昔は色々あったらしいけどね

確執やら何やら

そんな感じのエトセトラ

でも細々と説明する気はないわ

どーせ覚えられないでしょ?

歴史教科書を一頁ずつ捲って

ひとつひとつ説明しても

アンタの御頭(おつむ)じゃあ

書かれたことを音読するだけ

から実用的な

現代社会で役立つ

明日から使える話をしましょ

次 ≫

2020-10-22

にじさんじファンあきらめて覚悟しろ

夢月ロアと金魚坂めいろの騒動について、色々twitternoteはてなお気持ちを垂れ流してるお前ら。悲しかったり苦々しかったり、燃えろ燃えろの気分で見てるんだろうが、燃えろ燃えろ組以外は諦めろ。にじさんじはこれからも定期的にこの手の炎上をし続けるぞ。

よく知らない人向けに1分で読める程度に騒動説明すると

1.夢月ロアというライバーがいた(ウリの一つが訛り)

2.金魚坂めいろというライバーデビューした(ウリの一つが訛り)

3.金魚坂めいろの訛りが、自分夢月ロア)の訛りのパクリだと思った夢月ロアが金魚坂めいろに抗議をした(夢月自分の訛りをオリジナルの訛りだと主張している)

4.金魚坂めいろは自分の訛りは自然に出るものからと主張して突っぱねた

5.運営仲裁に入った

6.金魚坂めいろは運営にも不信感をいだき、お気持ち配信したり、夢月ロアを暗喩するアレコレを配信tweetに仕込んだ。結果として多くの金魚視聴者夢月ヘイトを向けるようになった

7.金魚坂めいろがVtuberスキャンダルを燃やすことを専業にしている鳴神裁という人物に内部情報リークした

8.リークにより話題が一気に金魚坂・夢月界隈からにじさんじ外部まで広がった

9.外部へのリークを根拠金魚坂がクビになった

10.話題が大きくなりすぎたため、運営夢月ロアが内情や経緯を公開した

みたいな感じだ。詳細はググってくれ。


初見の人でもこう思っただろう「こんなもん、いくらでも回避方法があるやろ」

そのとおり。

夢月ロアが金魚坂を訛り仲間として引き入れる方針をとったら?」「金魚坂が夢月の主張を受け入れて訛りをフェードアウトさせていたら?」「運営仲裁金魚坂に不信感を抱かせるものでなかったら?」「金魚坂が視聴者にいたずらに匂わせをしなければ?外部にリークしなければ?」....

twitterを見れば何十種類でも回避案は見つけられるだろう。

「でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ、ロック。だから、この話はここでお終いなんだ。」

上記セリフ元ネタブラックラグーン)でもそうだが、いろんな要素が運悪く噛み合うと残念な結果になる。人間通同士の喧嘩はもちろん、飛行機事故現場猫案件もそうだ。だから絶対にこれからもこの手の炎上はなくならない。

こういうと、「いや、飛行機事故なんかはシステム運用安全装置回避できるはずだ」というやつがでるだろう。それも一理ある、にじさんじ場合ならなんらかのルールづくりやサポート体制によって防げるものもあるだろう。でもそれは事故の要因になる要素が、人間人間である限り消えないもの思想、心情、無能、不注意、怠慢、体調不良)でないもの場合だけだ。思想をもって事故を起こす人間は止められない。無能問題を起こさない限り発覚しない。不注意も怠慢も体調不良も消えてなくなったりしない。

今回の例ではどうか

・あるライバーが他のライバーの特徴を「自分パクリだ」と思う可能性を消滅させられるか?ノーだ

・ライバー間のやりとりで、ライバー同士の確執軋轢が生まれ可能性を消滅させられるか?ノーだ

・あるライバーが他のライバーから要求を突っぱねる可能性を消滅させられるか?ノーだ

・ライバー間の揉め事運営仲裁に入った際、ライバー運営に不信感を持つ可能性を消滅させられるか?ノーだ。

・ライバー揉め事に関して匂わせ配信をする可能性を消滅させられるか?ノーだ。

・ライバーが外部に情報リークする可能性を消滅させられるか?ノーだ。

リスクを最小化していくことはできるだろう、今回の件の最後の2つなんかは、運営禁止事項として定めれば抑止できる部分があるだろう(というかリークはうまく抑止されてる方だと思う)し、今回の金魚坂の件もある程度抑止力として働くだろう(だからこそ、金魚坂はクビ以外なかっただろう)。でも可能性は消えない。そして、上記のようなことは無限バラエティがあり、大小あわせれば毎日のように発生する。

そこそこにじさんじを見ている人間なら、夢月とは全く関係のないところでも特定のライバー同士に明確な確執があったり(ある時期から絡みがぱったり消えたり)、ライバー自身が「誰々とマジ喧嘩した」と明言したり、あるライバーから別のライバー否定的言葉が出たりするのを聞いたことがあるだろう。でもそれらは炎上しなかった。でも、明日もそうとは限らない。

一応、ほぼ完全に封じ込める処方箋もある。ライバー権限を減らし、相互でのやり取りを制限し、配信内容を管理し、契約内容を厳しくし、それでもそこそこの待遇を維持できるなら、数年単位で無風を作ることはきっとできる。それが今のファンが期待するにじさんじかどうかは知らん。

まぁそんなわけだからtwitternoteはてなお気持ちを垂れ流してるお前、諦めろ、覚悟しろ

お気持ち発信をやめろと言ってるんじゃない(犯罪嫌がらせはやめろ)。自分たちは騒動が持ち上がるたびに悲しい気持ちになって、お気持ちを発信し続けるしかないのだと諦め、未来騒動について覚悟しろちょっとなれない初心者運転する車の助手席に乗った気分で覚悟しろ運転者が優良ドライバーになる可能性を夢見るくらいは許してやるから

2020-10-19

anond:20201019130358

ツイッター友達候補がおるで

2020-10-13

anond:20201013224849

女性がいると職場がチャラついてしまうからという理由らしい(ほんまかいな)。

社内恋愛から確執が起きたり、

女だからって理由で繁忙期に深夜残業させられなかったり

普通にリスク

2020-09-01

学術用語をたとえ話に援用するのは、馬鹿っぽいからやめてほしい

数学科学などの用語日常的な文脈暗喩として用いるのはやめてほしい。ものすごく頭が悪そうで、見ている側が恥ずかしくなる。

公共の場所で、「ウチの地元でタクさん知らない人なんかいねえよ。三中のフジモトとタメ張ってたからね」なんて言ってる人がいたら、学の無い人なんだなあ、と思うだろう。それと同様。

馬鹿っぽい言い回しの例

他にも、語学美術音楽などの用語まで挙げたらキリがないと思う。

2020-08-30

ゼロワン感想

不破さんカッコイー! おわり

🗣️✨✨✨✨✨✨✨✨終わるなビーム✨✨✨✨✨✨

はいじゃあもうちょい続きます

ゆうて話すのは不破さんヨイショぐれーなんですが。

マイナスの話してもしゃーないかんね。

不破さんの何が格好いいって設定ですよね。

偽りの記憶に振り回され怒りのままにヒューマギアを滅ぼそうとした初期のダークヒーローぶり。

自分の在り方に疑問を持ちながらも正義のために暴れ続けた中期。

カラクリが明かされた後に自分の怒りの空虚さに失望しながらも目の前の悪を見過ごさな正義の心で戦い続けた終盤。

そしてその思いにより敵サイドのヒューマギアの心を開いて味方につけ、ボロボロ状態で合体変身して産まれオルトロスバルカン

うーん(゜゜)あまりにもヒーローすぎる。

作品の裏テーマである「人と機会の確執」「破壊者としてのヒーロー」「テクノロジーの恐ろしさ」「思いはテクノロジーを超えるのか」をガッツリ背負った上で、表のテーマである「人と機会の共存」「残された希望としてのヒーロー」「テクノロジーに心は宿るか」まで網羅してしまってますからね。

最終話直前に敗北してラストバトル参加してませんが、いっそこれを龍騎みたいなもんと解釈すれば本当の主人公とすら言えるでしょう。

なにより強いのは、相容れぬ存在に思われた滅亡迅雷を説得して共同変身を果たしたことですね。

最終話直前に変身アイテムの投げ渡しという最高の展開をやってますからね。

変身アイテム渡すのって信頼の証なんですよ。

運命共同体として相手を認めてるってシーンなんです。

たとえば仮面ライダーオーズ/OOOなんてまさにそれですし、仮面ライダー剣の「俺を信じろ」でワイルドカリスになるのだってこれです。

「敵としてではなく手を取り合うパートナーとしてともに生きること」を仮面ライダー表現する方法としての最適解ですね。

アルトも「人と機械が共に戦う」というテーマゼロツーを作ってますし、そもそもシャイニングホッパーからしてライダー正義を信じるヒューマギアとの合作です。

が、アルト場合は飛電の社長という立場から全てが始まってるんですよね。

人と共存するという命令にまだ疑問を持っていないヒューマギア命令通りに協力してる姿なんですよ。

でもバルカン場合は、人と敵対する道も存在するのを知ったヒューマギアと改めて共闘するんです。

自由意志に目覚めたヒューマギア果たして人の敵なのか味方なのか?」という問に対して、「人の敵となったヒューマギアヒューマギアの敵となった人、それらに対して共に立ち向かえる仲間にだってなりうる」という回答を示してくれたのが、オルトロスバルカンなんです。

最高すぎません?

これの何が凄いって、人がヒューマギアを救うために、ヒューマギアが人を救うために戦うことなんですよ。

お互いが自分ではなく相手を救うために変身するんです。

なにこれ、ゼロワンの正解でちゃった。

ゼロワンって作品ストーリーが色々しっちゃかめっちゃっかで、肯定的にも否定的にも好き放題独自解釈できるのは私も認めます

からこの考えが単なるこじつけって言われてもいいように、今のうちにそうだねと白状します。

でもね、でもね。

私の中ではオルトロスバルカンは、マジでカッケー令和ライダー最高傑作なんすよ。

そしてそれに変身する不破さんの物語、それを取り巻く悪意に満ちていた人間関係が、人の悪意とそこからまれテクノロジーに対して正義感を燃やし力づくで道をこじ開けていくヒーローって最高に仮面ライダーな代物になってると解釈します。

悪意からまれ正義感を燃やしてんですよ?

力づくでこじ開けた道の先で、昨日の敵が今日の友になるんですよ?

成長、しちゃうんですよ?

でも、最初からかわらずずっと暑苦しいんですよ?

昭和ライダー平成ライダーが混ざり合って産まれ新時代ヒーローとして完璧でしょ

2020-08-12

好きだった漫画原作者逮捕された

思いのままに書き散らしているので、見にくいかとは思いますが。

アクタージュという漫画を、絵というよりは話が好きで読んでいた。

もっと言うなら、言葉選びが大好きで読んでいた。

羅刹女編より少し前くらいから絵も話も好みではなくなってきたので、あまり読まなくなっていたが、それでも銀河鉄道編の文学的なくらいの静かさと、わくわくする感じは大好きなままだった。

原作担当していた人物未成年淫行逮捕され、作画より原作推していた私のダメージはひとしおであった。

しかも、売春をすっぱ抜かれたのかなーと思っていたところで事件の詳細を聞き、あまりのダサさに卒倒しそうだった。

ガチのやつじゃん。ガチの小物がやる犯罪じゃん。

報道を聞いてから別人であることを祈り続けたがダメだった。

ただただモヤモヤが胸のあたりでずっと渦巻いている。

もう私には、彼が逮捕されたのが悲しいのか、自分が好きになった人物がクソダサ性犯罪者だったのが、自分の見る目がないようで悔しいのか、わからなかった。

思えば私は、アクタージュという作品にはあまり愛着はなかったのかもしれない。

夜凪ちゃん人生や、千世子ちゃんとの確執には惹かれなかった。

泣きたくなるような心理描写、ページをめくって鳥肌が立つような画面の力、「夜凪景」「黒山墨字」というようなフィクションっぽさは強いが耳にすっと馴染む綺麗な名付け、そういったところが大好きだったのだ。

ついでに言うと、絵柄も正直好みではなかった。

塗りなどが美しくて作風的に親和性は高いが、デフォルメときの腕が細いのや、涙袋?を強調しているのがイマドキのメンヘラ感が強くて苦手だった。

(ネームまでは原作の方がやっているらしいのに、正直上手いかと言われるとちょっと……な作画ばかり注目されたら私だったら発狂しそうだなと思う。)

これについては私怨っぽいのでこのくらいにしておく。

とにかく私は原作者の作り出す言葉が好きだったのだ。

あんなに美しい言葉を使う人があんなことで捕まって、人生を棒に振るのが悔しい。

ざっと見たところ私と同じ意見の人があまり見つからないのも悔しい。

アクタージュは別に終わってもいいから、またどこかで文を書いてくれないだろうか。

などと考えていたら、Twitter被害者気持ちを考えられんのか、という趣旨の文面をたくさん目にした。

考えてなかった。

ていうか興味がなかった。

知らない女子中学生気持ち云々より私をときめかせた言葉犯罪者の物として否定されていくのが辛かった。

私はひどい人間なのだろうか……?

自分ではそこそこ優しいと自負していただけに、アイデンティティを根幹から揺らがされた気分だった。

だって被害者気持ちを考えたい。

加害者ドン引きしてこの問題から距離を取りたい。

でも無理だ。

5、6巻を読み返してまた寂しくなった。

先日の掲載最終回になってしまった。

(物語を終わらせるのは作者の都合……ウッ……)

作者と作品は別なのだと考えられたら良かったが、それほど器用じゃなかった。

彼も作品も嫌いになれたら良かったのに。

2020-08-01

人が亡くなる時期なんだろう。僕の家の祖母他界した。

明日葬式なのだが、二回も抜いたのに眠れず、このエントリーを書いている。

祖母最後時間を共にしたいのだろう。

霊の存在を信じない妻も同じ経験があり、そう言っているからそうだろう。

祖母は天真爛漫だった。自身教室を開いたり、祖父の勤める会社社員の面倒をよくみてた。

父方の祖母だが、機能不全の家庭だったらしく、

幼少期は父を溺愛していた。

その結果、今の今まで妹との確執がある。

僕は祖父母宅で同居するも、僕が生まれる頃には祖母は伯母の家の子守で家を不在にすることが多かった。

おかげで僕らは大のおじいちゃん子だ。

幼少期の記憶はあまりないけど、いつか母に

「おばあちゃんは、お母さんのことが嫌いなんだって」と言ったことは今も覚えてる。

専業主婦の母は祖母との折り合いが悪かった。

僕が中学の頃には大喧嘩の果て、別居することになった。

我が家機能不全の過程で、僕には居場所がなかった。

場所を作ってくれたのは祖父母だった。

なんとか社会に出たある日、母から祖父の家が売りに出されていることを知らされる。

伯母の借金抵当に売られたのだ。

祖父母は伯母に懐柔され、乗っ取られたのだった。

不当に祖父の金を使い込んだ挙句にこれだ。

僕は次男だが、兄は引きこもりのため両親のバックアップ可能な限りした。

祖父が亡くなり、祖母を叔母の手から守るために

両親との同居を勧めたのが最後の会話だった。

「叔伯母からいじめられてないか?両親との住んだ方が賑やかで良いよ?」

初期の認知だった祖母からは明確な回答はなかったものの、明確なNoという意思は受け取れた。

ホコリだらけの、我々があげた線香しかない仏壇を横目にしながら僕の意思は固まった。

まぁ、死後も墓の問題で揉めてるらしくさらにその意思は固まるわけだが。

何もしないのに徹夜で出勤とかさらイラつくが、やむなしだろう。

2020-07-29

特に生活には困っていない

将来どうなるかは分からないけど今は普通に食べていける

友人も少ないけどいる

出不精な私を懲りずに誘い出してくれる

今も過去にも家族との確執的な事も無い

すっごい仲良しって訳でもないけど年に数回は帰省するし連絡はまぁ頻繁な方かな

8年付き合っているパートナーもいる

お互いバツ1だから結婚にはもう興味が無い

一緒に帰省したり両方の家族も納得済み

徒歩5分のとこに住んでいてちょうど良い

わかってはいたけど、改めて書き出してみると文句なしで恵まれていると思う

でもこの1ヶ月ぐらい急にいろいろな事に興味が無くなり本が読めなくなって睡眠は取りすぎのような気がする

あと急に今消えてしまっても満足な人生だったぐらいの事を考えている

ググってみるとうつ病に当てはまるみたい

病院に行くほどではないと思っているし薬とか嫌だなとも思っている

特に理由が見当たらないけど流行りのコロナ鬱とかかな

一時的ものだと良いけどこの気力の無さは恐ろしい

少しずつ私を削っていかれてる感じがする

2020-07-22

ライザのアトリエ精巧青春の再演だ

 君の青春時代を思い出してほしい。部活動サークル活動に明け暮れ、あるいはそうでなくとも仲の良い友人たちと過ごした日々を。同年代の仲間たちが集まって、同じ目標に向かって努力し、でも皆個性的バラバラだった。得意分野も違えば、目標を目指す理由も違って、かける熱意も時間も、家庭環境物事価値観だって違う。ただ同じ場所にいる、同じ目標を持つ、同年代なだけの子供たちが集まった歪な空間青春譚はそんな中で紡がれる。皆バラバラからいつも仲良くというわけにもいかず、時には激しく争ったりして、仲間が去ることもあったろう。対立の末に互いを尊重するようになることもあったろう。決して順風満帆ではないその起伏に溢れる日々は、フィクションの中にとどまらない、現実物語として青春時代支配する。

 青春譚の世界は狭い。子供たちは自分たちの目に見えて手の届く範囲世界を生きる。仲間たちを見て、この先いつか出会う他の集団を思い、自分たちのこれから歩む道を見据える中で、その下に埋もれた大勢に思いを馳せることはない。自分たちと同じくらい努力して、けれど自分たちと今後出会う事のない別の子供たちに対して、仲間意識や同情が芽生えることもない。だからいつも青春譚の主人公は「自分」になる。青春の熱気が、自分こそが物語主人公かのような錯覚に溺れさせる。だから青春時代に、例えば「僕はこんなに頑張っているのに!」とほかの仲間たちも同じくらい、あるいはそれ以上頑張っていることを知っていたとしても、つい思ってしまうのだ。クラスメートGでも部員その16でもない、自分こそが主人公なのだから、その主人公というまやかしアイデンティティにすがってしまう。子供たちにとっての青春譚は、自分自分たらしめるアイデンティティを探し求め、特別になろうとする物語とも言えるだろう。

 しかしずっと青春謳歌しているわけにもいかない。歳を重ねるごとに見なければならない世界は広がりをみせ、将来という現実が重くのしかかり、広い世界の中で自分いかにありきたりで普通な存在なのかを自覚せねばならない時が来る。受験就職勉強スポーツの成績、資格試験引っ越し失恋、身内の不幸、怪我もっとささいな下らない会話かもしれない、そのきっかけは様々だろう。子供たちは転機を迎える。そうして子供たちは青春を過ごした集団から引退する。「成長」して「大人」になって、青春譚は終わりを告げるのだ。

 けれどそんな期間限定青春譚をずっと紡ぎ続ける者も中にはいる。青春を捨てることな集団から去って「大人」のひしめく社会へ赴く彼らは、その「子供」的な部分をあるときは称賛され、ある時は幼稚だと批判され、けれどそのどちらであれ特別存在であることには変わりない。大半の子供たちが普通大人になる中で、普通ではない者だけが特別存在として「子供」であり続けることができる。選ばれし者だけが終わらない青春譚を謳歌する。

 ライザのアトリエ青春であるしかしライザのアトリエ青春譚として異質な部分がある。

 青春譚の多くは主人公物語の中心に据えつつも、仲間たちにまつわるエピソードを描く。例えば青春を題材にした傑作部活もの響け!ユーフォニアム」はアニメ化成功しており知る人も多いと思うが、この作品主人公久美子を通して物語が進むものの、個々のエピソードの中心には様々なサブキャラクターが据えられていて、彼女たちの問題にぶつかりながら、彼女たちの力で先に進むつくりになっていることが分かるだろう。「響け」ではある種記号的な主体性のないひとたらし主人公を設定することで、疑似的に吹奏楽部全体を主人公として描き、仲間たちの物語を繰り広げる。青春譚は仲間たち「みんなの物語」だからこそ、多くの作品は幅広いキャラクターの幅広い問題を描くことになる。

 けれどライザのアトリエにはサブキャラクターイベントほとんど存在しない。したがって仲間たちの物語ほとんど描かれず、物語の節々からその成果だけが見え隠れするにとどまる。そんな主人公だけにフォーカスした青春譚は、いつのまにか、まるで主人公ひとりの英雄譚かのような様相を呈してくる。そう、青春譚が「みんなの物語なのはあくま大人目線の客観的ものにすぎず、そのさなかに居る子供たちにとってはそれが「自分主人公英雄譚」かのように錯覚してしまうのだ。ライザのアトリエ青春譚だが、ただの青春譚ではない。青春の熱に浮かれた主人公ライザの視点から見た、錯覚英雄譚なのである

 ライザのアトリエはライザの英雄譚だ。自身こそが主人公である錯覚に溺れるライザは、仲間たちにも同じように物語があることに気づけない。例えばタオはどうだろうか。勉強を頑張っている場面が何度かあったかと思えば、いつのまにか遺跡古代文字をそらんじて見せた。他にも、例えばライザとの確執を乗り越えたボオスはあっという間にライザをも超える決断力と行動力を見せるようになった。彼らの成長はそれだけでひとつ物語になりうるほど大きいものに違いなく、彼らは全員が物語主人公たりうるのだ。けれどライザはそのことに気づけない。気づけたとしても気にしない。青春の熱気で仲間たちへの関心さえも浮ついてしまったライザは、自身英雄譚に溺れていく。

 ライザのアトリエファンタジーRPGであり、プレイヤー主人公ライザを操作してゲームを進めていく。走り回り、素材を採取し、アイテムを調合し、依頼をこなし、戦闘をし、そしてテキストボックスをおくって物語を進めていく。そんなゲームとして当たり前な行動に対して、ライザのアトリエもまたゲームとして当たり前の快感プレイヤーに与える。素材採取の爽快感、調合の楽しさと達成感、報奨金を得てうれしく思い、戦闘では調合の成果に一喜一憂する。RPGにおいてプレイヤーゲームシステムから特別感や万能感といった快感享受することになる。

 そしてライザのアトリエでこの快感享受するときプレイヤーは気付かぬまま物語に没入してしまうのである。ライザの英雄譚を進める中で、ライザ本人は自分特別さや万能さといった錯覚を抱えて自分物語主人公だと信じており、一方プレイヤーゲームシステムから特別感や万能感といった快感を与えられながら「ライザが主人公ゲーム物語」を進めることになる。ライザの描く錯覚物語プレイヤーの受け取るゲーム快感はゆるやかに、けれど確実にシンクロしていく。プレイヤーは気付かぬうちにライザの錯覚英雄譚の支持者となってしまう。プレイヤーもまたライザと同じように青春に溺れてゆき、サブキャラクターにも物語があることを重要視できなくなってしまう。タオ古代言語研究も、ボオスの精神的成長も、レントもクラウディアもアンペルもリラのことも、しっかり評価しているつもりでもどこか軽視してしまう。青春譚がみんなの物語であることをつい忘れてしまう。だってライザのアトリエはライザの英雄なのだから

 ライザのアトリエは、誰もが英雄ではないからこそ面白い青春譚を、英雄譚を語るためのフォーマットであるRPGを用いて語った時いったい何を表現できるのかという問いに対して、ひとつ面白い答えを示せているだろう。

 やがて夏が終わり物語エンディングを迎える。けれどそこに訪れたのは英雄凱旋というハッピーエンドではなく、別れだった。自分の将来という現実、親の都合という現実、これから生活という現実、ライザがそれまで見て見ぬふりをしてきた様々な現実が、仲間たちとの別れとともに押し寄せる。英雄譚を共にした大切な仲間たちが「大人」としてライザの前に立つ。青春譚を経て特別になれなかった子供たちが「大人」としてライザに別れを告げる。ここでライザははじめて、仲間たちにも同じように物語があったことを理解する。ライザが青春の熱に浮かれて目の前のことだけに躍起になって満足している間に、仲間たちはもっと広い世界を見つめていたのだ。このひと夏の出来事は、決して英雄譚なんかではなく、仲間たちみんなの物語だったという現実がライザを襲う。自分が見て体験してきたひと夏が一気にひっくり返されて、言葉を失うほどのショックを受ける。

 けれどライザも特別存在でないのなら、現実とは向き合わねばならない。ライザは「大人」になることを決める。皆を引き留めない。隠れ家は解散。遠く離れてもまたいつか会おう。そんなありきたりな結末を選ぶ。ライザは特別にはなれなかった。子供のままではいられなかった。「なんでもない」ライザは青春の夢に生まれ、そしてなんでもないまま「成長」という名の死を迎えた。青春を生きたライザというキャラクターは、青春の終わりとともに消える。ライザは「大人」になっていく。

 ライザが「大人」になることを選んだように、プレイヤーもまた青春の夢から覚めなければならない。ずっとこつこつ積み上げてきた錯覚英雄譚は、エンディングの場にきて一気に崩される。プレイヤーの支持した英雄譚なんて最初からなかったのだ。エンディングプレイヤーに、ゲームシステムからもたらされる特別感や万能感を物語解釈にまで持ち込んでいないか咎めてくる。ライザ視点しか見てないのに物語全体を理解した気になっていないかと冷酷に突き放される。ずっとおだててきたくせにエンディングにきて突然「なんでもない」の世界に突き落としてくる。プレイヤーも「大人」にならなければならない。

 平和後日談もなく物語ピーから急に始まる決してハッピーではないエンディング。いつか訪れることを知っていた仲間たちとの別れ。その別れを祝福したい気持ち。けれど自分だけ取り残された焦燥感もある。どうにかハッピーエンドには行けないのかと歯がゆく思う気持ち自分特別さを否定された時の居心地の悪さ。

 そんな複雑に絡み合ってモヤモヤした、けれど無性に懐かしいあの青春喪失感を、「ああ、明日からこの部室に来ることは無いんだ」と思うあの青春残響追体験したいなら、これほど適したゲームは他にないだろう。

 ひと夏の濃密な時間を過ごして、結局特別にはなれず「なんでもない」まま青春時代を終えた少女、ライザリン・シュタウト。そんな少女に、3年の年月を経て、2度目の夏が訪れるという。

 「ライザのアトリエ2 ~失われた伝承秘密妖精~」は今冬発売予定。アトリエシリーズをよろしくお願いします。

風俗ってかわいそう?

少し前に某芸能人が原因で「性風俗オチしなきゃいけないなんてかわいそう!」とネットで話題になった。

 

自分性風俗にあまりよくない印象があった(性病とか)ので頷いていたのだが、性風俗で勤務されている複数の方々が「勝手に憐むな、わたしプライドを持って仕事をしている。お金に困っているから仕方なく就いたわけじゃない」と毅然とした態度で「かわいそう」を否定されていた。

 

えっ、そうなんだ!と驚いたと同時に、なぜ自分が「性風俗仕事としている人はかわいそう」という感想を持ったのか思い返してみることにした。

 

自分性風俗でお世話になったことはないし、友人親族性風俗店に勤めている方はいないので性風俗界隈が身近じゃない。漫画ドラマで触れた性風俗はいわゆる遊郭なので現代性風俗店とはだいぶ異なるだろう。

じゃあなんでかわいそう?

 

思い当たるのが性風俗に勤めている方々の実録エッセイツイートだった。そこに書かれているのは、お金にとても困っていて、親と確執があるためまともな教育を受けられず、惨めな思いをして、とき性病や性暴力コースにないプレイ強要など)に苦しみ、底辺だけど地べたに這いつくばってでも頑張っている、性風俗で働いている方々(性別関係なく)の姿だった。

 

あ〜…自分ビジネスを真に受け過ぎただけか。実際に苦しむ方々がいないわけじゃないけど、他の職業だって苦しむ方々がいるし(友人が土木関係なのだが脚の骨を仕事で粉砕していてそのレントゲンを見せてもらった。印刷会社に勤める友人はその友人が、ではないけど印刷機に髪が巻き込まれた方のエピソードとか)、どうも自分は「性」というだけで過敏に反応していたのかも。

 

辛くない仕事はないんだろうけど偏見さら他人が「酷い仕事」のレッテルを貼ることはできてしまうから、気を付けないとな…

 

2020-07-15

腐女子は逆カプをミュートするか

長文隙自語

人気が爆発してから10年くらい経ち弱小では無いが緩やかに斜陽である我がジャンル。具体的には、オンリーが開催されると50~3桁行かないくらいのスペが参加している。

私は昔から、ある腐カプABが好きで好きで好きでしょうがないし、カプ固定厨なので断固A×Bじゃないと受け付けない。そして何故か今熱が上がり続けており、燃えるようにABを求め続けている。余談だが、pixiv過去遺物たちを漁るときにカプタグじゃなくてキャラ名と腐向けだけ登録してあって逆を匂わせられたときは死にそうになった。

最近(といっても2年ほど前だが)の公式では、私がABにはまった二人の確執や、そこから認め合い仲間として成長していく話を無かったことにしたパラレルワールドが展開され、あの作品からこのジャンルに来たり再熱した腐女子はABをカプ化することが少ない。そもそも私もABといえば旧作のことで新作の方は全く興味がない。旧作好きのAB絵師や字書きも存在するが、供給量が燃えまくっている今の私にとっては少なく感じる。

AB者だけでは足りない…となると、まずはコンビ作品を求めるが、強欲な腐女子なのでコンビじゃ足りない、いちゃついて欲しい。

ツイを眺めていたあるときリツイートで流れてきた絵があった。見たことのない絵柄でAとBがMK5の最高にかわいい絵だった。興奮してどんな人だ!?と少しスクロールしたところ絵の説明として「おうちBA」みたいなことが書いてあった。

こっ、ああああああ!???本当に絵も二人の空気感も好みでめちゃくちゃかわいくて最高のこの二人が、逆カプ……?どうして…?どうしてもクソも無いのだが傲慢腐女子は自カプが正義なのだ。でもめちゃくちゃかわいいし実際このBAという作者の宣言が無ければABんんんかわいい!!!で終われただろう。私のABカプ観として、棒と穴が固定という部分以外はBもかなり積極的だと思い込んでいるので正直逆っぽくてもその直接的な部分に言及が無ければおいしい。ただBAという字面にすらダメージを受けるほどには地獄の固定厨なので目にしてしまときつい。それでも成人指定作品以外はABだと自分洗脳することで今までの数割増しくらいABを得ることができるのでは?けれどもし直接的なBA被弾してしまったらッッヴァ!!!!!!ってなること請け合いであり、リアルでもジタバタし苦しむだろう。そんなことになるくらいならBAをさっさとミュートしてしまえばいい。だが、本当に足りなくて飢えている。もう作者がBAと言っていようが勝手にABと解釈して萌えてにこにこしたい。自分の考えた最強のABも大好きだが、人のAB尊い。『BA』をミュートすべきだろうか。

そして私も創作をする方の腐女子だ。もし私がABだと言って発表したものを「BAむしゃあ!」されたらは????ABですけど????と思う、不快になる。そんなことをしてしまうのが本当に嫌だし申し訳ない。でもABが欲しいBAに見えるけどABなんだっていう積極的Bがかわいいでも同時に作者への申し訳無さとそうやって見てしまうことへの後悔が生まれる。私にとってこの二人というのは絶対にどんなときでもABなので私の世界にはBA存在しないのだが、他の世界を覗かせていただくときはその限りではなく…でもABなんだもんどう見ても二人はABなんだもん。AB読みたい。BAという字を目にしてうっとなってでもBAって作者の発言無視して外からBAに見えるABかわいい!したい。でもそんな作者への冒涜したくない。『BA』をミュートすべきだろうか。

2020-06-30

anond:20200630222407

ああ、女性が人の感情が好きっていうのは何となく分かる…芸能人のドロドロとかに興味を持つ人が多いのもそこら辺だろうし

恋愛に限らなくても親子間の確執とか兄弟間の劣等感の話とかも好きな人が多いような気がしているか

最もポピュラーな人の感情のやり取りである恋愛」の人気が高いのもそう言う所なのかな…少し分かった気がします、どうもありがとう

2020-06-15

anond:20200615211227

小学生のうちは女児の方が体格よくて口も達者だから男はあまり関係なくて

同じクラスキラキラ女子グループになじめなかったとか同性間の問題のが大きいんじゃないか

あと一番は母親との確執


あなたスマホの中身を全部親に見せられますか?」小学生の娘の子育てに悩む母親から相談です

https://cakes.mu/posts/30437

今日ちょうどこんな記事を読んだけど

世のお姉ちゃんは多かれ少なかれこういう体験してると思うし

弟に対しては「母親にとっては二回目の子育てだから私の時と違ってある程度気持ちの余裕を持って育てられやがった」「母親性別が違うから歪んだ期待と支配欲にまみれた言動で縛られる体験を免れやがった」とうっすら嫉妬の念を抱えてるものだと思う(主語デカ

2020-06-07

twstをやってるDオタの話

最近、というかリリースされてからずっとだけど、Twitterでツイステに関する主義主張が流れてくる。反ツイステだったり反『反ツイステ』だったりと色々だが、それを見ていて自分意見したくなったのでここに吐き出させてもらう。

タイトルにDオタと記載したが、Dオタにも種類が沢山ある。私の場合共通年パ持ち、日本フロリダのパークには行った、DisneyDELUXE加入済み、松屋銀座とかでやるディズニーの展示はそこそこ行ってパンフ買う、タイプのDオタだ。ディズニー作品ディズニーのパークの両方がそこそこ好きな人である

それとともに普通オタク(?)でもある。FGOは終局特異点リアタイした。

まり何が言いたいかと言うと、ディズニー作品もパークも好きで、アプリゲーム好きな人間がこれを書いている、ということである

・「本当のハッピーエンドを見せてる」

ツイステのキャッチコピーであるこの言葉原作への冒涜ではないか、という話を聞いた。まあちょっとわかる。ただのゲームでもディズニー公式から出ている作品が「本当の」ハッピーエンドとか言ってしまったら、原作否定になりかねないのではないか。ただ、現在公開されている範囲(4章)でこのキャッチコピーへの言及、あるいは想起させる描写はない。ハッピーエンドが何にかかるのかわからない以上、判断するのは時期早尚だと思う。ただ原作への冒涜だと思われるのは仕方ない。

あと原作の悪が肯定されてるのが無理、という意見には「ツイステッドワンダーランドなので」、としか言いようがない。鏡の向こうの世界示唆されている現状では、原作の悪が肯定されない世界存在する可能性あるし。

・男しかいない

原作には存在する女性ポジション男性で塗り替えているのはミソジニーすら感じる、みたいな主張。言いたいことはわかるけど、これは単純にマーケティング問題だと思う。女性ターゲットにするなら、登場人物は全て男性にした方がわかりやすいし売れるんじゃないだろうか。女性向けで恋愛ゲームではないものの、男性ばかりのゲームは沢山ある。原作があるのにそれを無視して女性存在を消した、ということを問題視されているのはわかるが、需要があったからそうした、ということではないのか。

・パークでの振る舞い

これは正直私が1番危惧していることである。パーク内で痛バを持ち歩いたりグッズを出したりコスプレすることを危惧する人と、それのなにがいけないんだ、という人。がっつり二分化されているなと思う。

痛バもグッズも周りの迷惑になる(写真を撮るために場所を取りまくるとか)のでなければ、いいんじゃないだろうか。たまにディズニーに全く関係ない作品の痛バで来てる人とかいるし。

コスプレ絶対まずい。ソースこちら(https://faq.tokyodisneyresort.jp/tdr/faq_detail.html?id=14148&category=&page=1)。仮装コスプレはこの場合同義だ。公式禁止されていることをやるのはあまりにも愚かすぎる。コスプレイヤーさんならご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、とある作品キャラコスプレをしてパークを訪れた人達話題になったことがあった。ぱっと見普通普通服装ウィッグカラコンを着けていたため、エントランスで何も言われなかったか、あるいは言われても私服です、と言ったのだろう。まあアウトですよね。グレーゾーン行為を行うのは、本人たちは楽しんでるかもしれないが、その作品好きな人やパークに来てる人はそうとは限らない。

ツイステは間違いなくディズニー作品なんだしハロウィーン間中ならいいだろう、かというとそうでもない…かもしれない。キングダムハーツキャラクターは去年までは許可されていたので今年もできるだろう。だがツイステは新規作品のため、今年から仮装できるのかどうかわからない。ハロウィーンの告知が来れば対象作品確認できるため、その時期にきちんと確認するかお問い合わせするのが確実だ。

あとこれは完全に私が被害妄想を働かせすぎたやつなのだが、一番パーク内で見たくないのは、パーク内でツイステをこすることである。例えばバンケットホールを見て「ハーツラビュル」、アラビアンコーストを見て「スカラビア」、ホーンテッドマンションを見て「オンボロ寮」、クルエラ様を見て「クルーウェル先生」、なとである。改めて言葉にしてみると被害妄想っぷりに唖然としたが、実際にホーンテッドマンションインスパイアのオンボロ寮寮服とか見てしまったりした(そういったイラストを描いた方を批判しているのではなく、ただ私の地雷だっただけです)。

ヴェネチアを見てメディテレーニアンハーバーと言ったり、エッフェル塔を見て東京タワーと言ったりする感じといえば伝わるだろうか。何言ってんの、と思うし、それではしゃいでたりするのを見るのがきつい。カスバカレーを食べたいが、そこでスカラビアなんて聞こえようものなら二度と行かないかもしれない。

ちなみにここまで完全に想像しかない。なぜならパークが閉園しているから。実際に行けないのでどうなるかはわからない。しかし再開したときに、今想定されているもの杞憂となることを願う。

正直ツイステに嫌悪感を抱くDオタといっても色々いるのだ。作品が好きだから嫌とか、パークが好きだから嫌とか、ファン層が無理とかもあるのではないだろうか。なので確執がなくすのはまず無理だろう。

ただ軽減することは可能だろう。きちんと棲み分けするとか、パークマナーを守るとか。

今騒がれているのは、ツイステが旬ジャンルであることも大きな要因であると感じる。過去の旬ジャンルは客が多い故に荒れていたように感じる。今の人気が少し落ち着いたころには、騒ぎ立てたいだけの人がいなくなってるといいなあ……。

2020-06-03

教えて!恋リアって、ヤラセなのに死人出るの?皆バカなの?

ごめん、恋リア自体まり詳しくない者です。

詳しくないなりの解釈としては

1.売れない役者、売出しタレントを起用した、男女のドキュメンタリータッチ描写恋愛ドラマカメラワークも含め。

2.奪い合い、確執も当然台本通り

3.ビューアーもヤラセとわかっていながら見ており、フィクションとして楽しみつつも、ドラマよりもリアル描写のため共感性が高く、推しキャラSNSでヨイショしたり、嫌いなキャラを叩いたりして楽しめる。

4.そのSNSでの掛け合いも含めてのエンタメ映画でいう4DX的な。

◆よって叩くビューアーはエンタメの一貫としてやってるのでセーフ。

◆司会的なパーソナリティーも台本に沿っているので仕事。よってセーフ。(山里とかなの?知らん)

台本書いた作家も当然仕事なのでセーフ

バカなのはフィクション感情移入し、マジに受け止めすぎた、プロ意識が欠如したプロレスラー。って事じゃないの???

間違ってたら教えて。

2020-05-31

鬼滅の刃兄弟ネタが多いな

丹治郎とねずこ、霞柱、風柱、蟲柱、ぎゅうたろう、善逸と兄弟子もそんな感じだったし、炎柱家はどちらかと言うと父子か。さらに上幻の一でまた兄弟確執が出てきた。

丹治郎は長男長男言うけど、作者のワニは下の子のような気がするな。長子のイメージがなんか固い。

それになんというかナチュラル下から目線を感じる。年上の柱たちがこぞって面倒見たり教えてくれたりするあたり。

逆に年下と関わる描写殆どない。

関係ないけどチェーンソーマンの作者は長男な気がする。早川君の長男感がすごい自然

の子に対して若干突飛で理屈が効かない存在という印象を持ってる感じがする。

2020-05-22

anond:20200520235810

異能バトル→ハリポタ異能バトルではなく魔法

・表社会から秘密世界→近いのはBLEACHの尸魂界くらいだがBLEACHの連載開始はハリポタより後。

学校生活部活動→いずれの漫画ハリポタほど学園が舞台であることは徹底されていない。全寮制でもないし、学年が上がっていくこともない。

絶対悪→ヴォルデモートは最初から最後までラスボスとして存在感があったが、ワンピNARUTOBLEACHにそこまでの悪役はいない(ボスを倒せば次のボスが現れるステージクリアである)。

事情を持つ敵→漠然としすぎ。

少年に秘められた特別な力→ハリー特別な力はない。

血統主義最近はよく揶揄されているが言われるほどジャンプ血統主義ではない。主人公の両親が重要役割を果たすのはNARUTOくらいで、ワンピでもBLEACHでも親の存在希薄である

・親世代から続く確執ハリポタが「親から引き継いだ宿命」を物語の根幹に据えているのに対し、ワンピBLEACHでは枝葉の一つにすぎない。NARUTOでは両親のことが描かれるが、ラスボスと強い因縁があるわけではない。

・空白の過去の謎→なにこれ?

道標となる先達→そりゃどの作品にも出てくるだろ

ヘテロ主義的な恋愛シーケンスの処理→なにこれ?

2020-05-20

「鬼滅は日本版ハリーポッターかもしれない」じゃあないんだよ

ハリーポッターがもともとジャンプ漫画なんだ

異能バトル・表社会から秘密世界学校生活部活動

絶対悪事情を持つ敵・少年に秘められた特別な力

血統主義・親世代から続く確執・空白の過去の謎

道標となる先達・ヘテロ主義的な恋愛シーケンスの処理

書かれた時期もそうだがNARUTOワンピースBLEACHあたりと偶然とは思えないくらい一致する要素がある

ここら辺のことを誰かきちんとまとめて論じてくれないかなってずっと思ってるんだが

2020-05-10

anond:20200510234758

韓国との確執も解消してただろうな…少なくとも安倍みたいな被害者を煽るような真似はしなかった。

2020-03-20

メメント・モリ靴下の穴

なんだかインターネットが異様なくらい一様にメメント・モリ空気に包まれているので、なんとなく思い出したことを書いていく。

先日親父が孤独死して、まぁ、そのあたり色々のゴタゴタは省くわ、そこに至るまでの家族確執とか、実際の臭いの話とか。

で、死んだ親父の部屋に行ったわけよ。

それでふと気になって、親父の使ってた箪笥いちばん上の棚を開けた。

乱雑に放り込まれ靴下つまみながらひとつひとつ確認したら、やっぱり全部に穴が空いてた。

だよなぁ。

埃に日の光がチリチリ反射する部屋のなかで、なんだか笑ってしまった。

自分自身20代の頃をほとんど鬱で過ごして、その頃全部の靴下に穴が空いてたんだ。親父と同じように。

その頃の自分一人暮らしで、誰に見せるでもなし、座敷で飲むような会には出なかったし、それに気を遣ってくれる人も、靴下に穴が空いてることに気づく人もいなかった。

困らないんだよな。べつに人から見えないところで、生活がどのくらい破綻してようが。

そんなことがあったからか、いまの自分は、靴下に穴が空いたらなるべく直ぐに捨てるようにしている。

自分にとってメメント・モリとは、穴の空いた靴下ことなんだと思う。

毎朝靴下を履くときに、穴が空いていないか確認する。

足をすっぽり包む布を見ながら、いまの自分はまだそれに抗う力が残されていると確認する。

いつかはそれを失う。それは決まっていることだ。

靴下の穴を思うとき、そこから流れ出していくのはきっと命なんだと思う。

2020-03-15

世論を味方につけたいだけじゃん

ファミもオタク

弱者を護りたいんじゃなくて世論を味方にして強者成り上がりたいだけ

からわざわざ自分が何をやってきたかじゃなく世間の流れがどうとかあの有名人がどうとか「世間は俺の味方だが?」というマウント合戦しかしてない

宇崎ちゃんポスター世論うまいこと釣り合った

でも負けを認めたら世論が向こうについてしま

からわけのわからん延焼をして手に入れたのは丈先生新規イラスト

赤十字社が失ったものもなくフェミオタク確執を深めるだけの結果

アホらし

一生そうやって強者を夢見て弱者を踏みにじったろ

こういう増田を書けば

なんとバズってしまうんです

ブクマつくたび年収1億 ちょろすぎワロタ

ってタイトルyoutube動画作って年収1億、2億、3億稼いでやるから

覚悟しろ強者になりたい奴らと強者ども

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