なんだかインターネットが異様なくらい一様にメメント・モリの空気に包まれているので、なんとなく思い出したことを書いていく。
先日親父が孤独死して、まぁ、そのあたり色々のゴタゴタは省くわ、そこに至るまでの家族の確執とか、実際の臭いの話とか。
で、死んだ親父の部屋に行ったわけよ。
それでふと気になって、親父の使ってた箪笥のいちばん上の棚を開けた。
乱雑に放り込まれた靴下をつまみながらひとつひとつ確認したら、やっぱり全部に穴が空いてた。
だよなぁ。
埃に日の光がチリチリ反射する部屋のなかで、なんだか笑ってしまった。
自分自身、20代の頃をほとんど鬱で過ごして、その頃全部の靴下に穴が空いてたんだ。親父と同じように。
その頃の自分も一人暮らしで、誰に見せるでもなし、座敷で飲むような会には出なかったし、それに気を遣ってくれる人も、靴下に穴が空いてることに気づく人もいなかった。
困らないんだよな。べつに人から見えないところで、生活がどのくらい破綻してようが。
そんなことがあったからか、いまの自分は、靴下に穴が空いたらなるべく直ぐに捨てるようにしている。
自分にとってメメント・モリとは、穴の空いた靴下のことなんだと思う。
足をすっぽり包む布を見ながら、いまの自分はまだそれに抗う力が残されていると確認する。
いつかはそれを失う。それは決まっていることだ。
めめんと天こ盛り