2020-03-20

メメント・モリ靴下の穴

なんだかインターネットが異様なくらい一様にメメント・モリ空気に包まれているので、なんとなく思い出したことを書いていく。

先日親父が孤独死して、まぁ、そのあたり色々のゴタゴタは省くわ、そこに至るまでの家族確執とか、実際の臭いの話とか。

で、死んだ親父の部屋に行ったわけよ。

それでふと気になって、親父の使ってた箪笥いちばん上の棚を開けた。

乱雑に放り込まれ靴下つまみながらひとつひとつ確認したら、やっぱり全部に穴が空いてた。

だよなぁ。

埃に日の光がチリチリ反射する部屋のなかで、なんだか笑ってしまった。

自分自身20代の頃をほとんど鬱で過ごして、その頃全部の靴下に穴が空いてたんだ。親父と同じように。

その頃の自分一人暮らしで、誰に見せるでもなし、座敷で飲むような会には出なかったし、それに気を遣ってくれる人も、靴下に穴が空いてることに気づく人もいなかった。

困らないんだよな。べつに人から見えないところで、生活がどのくらい破綻してようが。

そんなことがあったからか、いまの自分は、靴下に穴が空いたらなるべく直ぐに捨てるようにしている。

自分にとってメメント・モリとは、穴の空いた靴下ことなんだと思う。

毎朝靴下を履くときに、穴が空いていないか確認する。

足をすっぽり包む布を見ながら、いまの自分はまだそれに抗う力が残されていると確認する。

いつかはそれを失う。それは決まっていることだ。

靴下の穴を思うとき、そこから流れ出していくのはきっと命なんだと思う。

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