はてなキーワード: 制作会社とは
今、知り合いのつてでテレビ局の制作下請け業務のADやらないかって話があってそれを引き受けるかどうか迷ってる。
大学在学時に精神病んだり多重債務が膨らんだことで卒業してすぐ実家に戻って2年くらいニートしてた。
ニートって言ってもぼちぼち家業の手伝いして、とりあえず利息をなんとかするために日雇い派遣に行って、
グループセラピーに顔出したり、町おこしやってる地元NPOでボランティアしたりなんやかんやしてたけどどこにも属してなかったからニートはニートだ。
同じ面子と毎日顔を合わせていると不安でたまらなくなるから月に二日が限界だった派遣も、2年経つごろには週4~5で3つぐらいの現場をローテーションできるくらいには回復した。
そのころになってようやくとりあえずどこでもいいから腰を据えようと考えられるようになって週3のコンビニバイトと週2のホテル清掃を掛け持ちを始めた。
1年前にコンビニの時給が上がってからは週4にシフトを増やしてもらってそっち一本に専念して今もやってる。もうかれこれ4年になる。
当時はやっていたテキストサイトなりに影響を受けてhtmlを自分で書いてみたのが最初で、
それからお遊びで自分のサイトをCSSで装飾をしたりCGIプログラムを書いてみたりしてた。それも高校生になるころにはやらなくなったけど。
それでもずっとWeb周りの情報は集めていて、はてなも情報収集のためにブックマークを使い始めたのがきっかけだった。
2年のニート期間中に、ようやく落ち着いて勉強をできるようになったので、
ドットインストールでJavascript、PHP、Python、Rubyの基本的な書き方をさらったのち、ちょくちょく自主制作をやるようになった。
いってもPHPとPythonはWordPressとC4DのXpressoくらいでしか使ってない。Rubyは一回TwitterBOTとミニゲーム作ったあとなんか好きになれなくて弄らなくなった。
でももともとWebに憧れがあったからかサイト制作でJavascriptを使うということは結構長く続けられた。
通ってた大学はメディア関係の学部でイラレフォトショもそれなりに使ってたからそんなつまずくこともなく、ちまちまポートフォリオに制作したサイト溜めてた。
あと関係ないけど図書館でJavaの参考書借りてきて写経したり、XCodeでSwiftに挑戦したりしたけどアプリにあんま興味なくていつの間にかやらなくなった。
それもサーバー代が払えなくなったりHDDがおしゃかになって全部なくなったんだけどね。ここ最近はPCも持ってなかったし。
なんとか最近になって惨めな田舎生活から飛び出すだけのお金が貯まって、定職につくことまでようやく考えられるようになって
「ちょっと遅くなったけどだめもとでまた一から頑張ろう、まずはポートフォリオまとめていこう」と思ってた矢先にコロナショックで世の中おかしくなりだした。
自分も不安でたまらなくて、コンビニバイトをしていることから小売業の求人に応募しつつ、Web制作や、大学時代の経験から映像制作の募集に片っ端から応募した。
ADの誘いを受けたのはこの流れで、受けた企業の採用担当でない社員の方から別の企業を紹介されてそういう話になった。
履歴書も見たしもう一度会ったらもう内定を出すと言われている。
あからさまに怪しいと自分も思う。放送業界のハードさは周知の通りである。しかし自分にはトラウマがある。
大学卒業直後に第二新卒での就職を目指して3か月だけ就活をしていた時期がある。
そのときに「テレビの制作やってる部署に中途採用してあげるから一か月後に荷物まとめて東京に出てきて」と言われ結局自分はそれを蹴った。
当時はほぼ無収入なのに借金の返済に月6万かける生活で不安が大きかったのと、
クライアントや代理店から依頼された案件で企画から制作までじっくり取り組んでいきたかったので放送業界はやや不本意だったからである。
でも今になればあのとき飛び込んでいれば違った未来があっただろうと後悔する気持ちがある。
少なくとも今のようにぼんくらとして馬鹿にされ近所から白眼視されながら惨めに孤独に片田舎で生活するようなことはなかったのではないだろうか。
今の自分は映画「悪人」の妻夫木の役どころや「レズ風俗」の永田カビみたいなもんである。
今現在はその企業以外に2社映像制作会社(放送関係ではない)の面接選考が進んでいてそれも自分を迷わせる原因だったりする。
最近のはてブの話題からいろいろ考えてしまうんだけど、現実逃避するように誰に見せるわけでもないポートフォリオサイトを休日に作り続けてる。
「しんぐんデストロ~イ!」っていうバンダイナムコのソシャゲなんだけど
そのゲームで技名のパクリがある、と気づいたのは、それがサービス終了した後の事だった
「カタリナ・フォン・シュピーゲル」っていうキャラクターの必殺技が、「フェアツヴァイフェルト」と「クライゼンヴェー」という名前なんだ
それで、しんぐんのサービス開始の7年前に発売された、「ギルティギア2オーヴァチュア」っていう別会社のゲームなんだけど、
そのゲームに登場する「レイヴン」っていうキャラクターの必殺技も「フェアツヴァイフェルト」と「クライゼンヴェー」という名前なんだ
RAVEN - GUILTY GEAR2 -OVERTURE- @wiki - アットウィキ
ドイツ語の技名が単に被っただけ、という事も考え辛い
確かに「フェアツヴァイフェルト」というのはドイツ語の一つの単語で、それだけ被っていたなら、単に同じ単語を使っただけになるけど、
「クライゼンヴェー」というのは、「クライゼン」という単語と「ヴェー」という単語の二つを組み合わせた技名になってる
そして、「クライゼンヴェー」はドイツ語のことわざでも故事成語でもなく、ギルティギアの制作会社がオリジナルに命名した技名になる
だから、多分しんぐんは技名をギルティギアからパクったんだと思っている
ただ、サ終しているからしんぐんの問い合わせ先が無い。ので「技名パクったんですか?」と訊きようがない
某がクラウドファンディングを始めたね。
いつかはそうなる気がしてたよ。
でもさ、「舞台を救え」って、具体的にどうするか分かってるのかな?
配信サイト立ち上げるって云っても、劇場使えない限りは新規の舞台出来ないじゃん。
配信番組やるっていったらそれもう「舞台」じゃないじゃん。「映像」じゃん。
志は素晴らしいと思うよ。
でも「舞台界の代表としてお金募ります!」って謳っておいて、実際蓋を開けたら「人気者の力で新しいビジネス始めます!」ってならないよね?
何も実態がないのに盲目的に応援しようとしてる人見て不安になる。
演劇って観客の想像力で完成する娯楽だと思ってたから、提供した金がどこに行くのかちゃんと判断できる客層だと思ってたよ。
客が体の良いパトロンと化してるところ見ると、提供されてる娯楽の程度も知れてるなと思う。
友人に誘われた某大人気舞台、私の思ってた演劇じゃなくて乙女向けイケメンショーで観てるの辛くて絶望した時のことを思い出したよ。この演劇に推し作品の冠が付いてるのがマジで嫌すぎて全力で目を逸らしたね。(話が逸れた)
テニ●ュとか、2.5でも好きな舞台はあったけど、最近の何でもかんでも舞台ビジネスにして、人気キャラを演じれば自然と俳優が持ち上げられる感じが、原作原理主義オタク的にはとても気持ち悪いし、オタクが嫌ってる実写映像化と大差無くなってきてるなと思う。
原作リスペクトって云えば何でも許されると思うなよ、私物化してんじゃねーよと思う。
私はオタクだから原作好きの視点からしか語れないけど、演劇の人はどう思ってんだろうな。
少なくとも私は前述の舞台を観て「今の演劇ってつまんねーな」という感想になりました。
結局、今回のクラウドファンディングも、今2.5で幅聞かせてるドンがお気に入りの俳優と一部のクリエイター囲って守って、今後は限られた人しか2.5舞台作れない仕組みになってくんだろうね。
今回の協力会社見てたら一目瞭然でしょ。一番立場弱い小規模の制作会社ひとっつもないし。
ついに2.5もTHE芸能のヤクザ文化になってしまった感があるわ。
元から歪んできてるなと思ってたけど、この件で更に人を選ぶ感じの文化になってきてるなと思った。
何か、やるならちゃんとやってほしいし、ちゃんとやらないなら金輪際わたしの好きな原作が舞台化しないことを願います。
作品名は伏せるが、配信サイトで全話ビンジウォッチング推奨している某ダークファンタジースプラッターアニメ(今期アニメ)のスマホゲーム。
漫然とやりたいし事前登録しようかなと考えていたけどフォントがフリーフォントだったのでけっこう萎えた。
前もファンタジスタドールのスマホゲームで平成角ゴシックとか使いまくっていて萎えた記憶がある。
フォントはモリサワとかフォントワークスのようなプロユースのじゃないと3ヶ月ぐらいでサ終しそうな気がする。
読めればそれでいいという人もいるだろうけど(むしろそういう人が大多数だと思う)、個人的にはゲームのフォントにももうちょっとこだわってほしかった。
まあ深夜帯のアニメは1クールで使い捨てみたいな感じになっているし、放送終了後早期に撤退する線も考えられる。
商売として割り切ればそれまでだけど、作品を好きになった人の気持ちを踏みにじるような真似でもあるし首をかしげる。
当方ダークファンタジー系は苦手だが(基本日常系しか見ない)、同作も食わず嫌いで見てなかったが、アニメ自体は意外と面白い。ゴア描写も多いが個人的にはそんなに気にならなかった。
たとえ敵同士であっても、登場人物同士の百合カップリングにも言及する人がいて意外だった。
あと7~8年ぐらい前に放送されていたカルト的人気を誇る某アニメと制作会社や監督が一緒だった。件のカルト的人気のアニメは自分も好きである。
見てないのもそこそこ
一覧はアニメイトのサイトが便利(https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=5228)
前期で面白かったのは 異種属、イド、推し武道、ましゅまいれっしゅ、ドロ、シートン
感想には偏りが強い
都度見たのを追記していくかも
今期はターゲット外で見てないの多い
アルテ
王道系
男女逆だから今風だけどこれ男だったらなんの起伏もないまま進む恐れ
昔好きだった女とまた会えてどうたら系な話が好きならオススメ
若干雰囲気も含めて重い
前人生のギャルゲ世界へ転生かつ悪役だったとかどうやって閃くんだ
無心で楽しめる
隠し事の方にまだ明かされてない何かがあるっぽい、EDは今期トップ
かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦〜
ガンダムビルドダイバーズRe:RISE 2nd Season
期待してたのにこれは酷すぎる
主人公が変身できるのが鍵っぽいけどその辺の謎が解決しちゃったらもう特別感無いし
かといって引っ張り続けるとダレるから難しい
エロ要素でブレてる気がする
異世界転生かと思いきやスタンダードな世界観、最近流行りのスマホゲーのアニメ
人によって好みがかなり別れそう
超有名なスマホゲー
1話時点は作画脚本共にそこそこ酷い、てかプロローグなのかこれ?
新サクラ大戦 the Animation
新規が見ても楽しめればいいなぁってか2話も導入だったんだが…
話の流れとか諸々なぞってるのに…
あとはページめくる度に主人公がコロコロ態度変わる表現が欠けてんのかな?
既に作画がきつい
BNA ビー・エヌ・エー
またケモだ!
何か新しいことに挑戦しようとしてるのは凄いわかる
今後の展開次第
登場シーン、車のパレードを追突して退かしながら最後電柱激突とか悪い意味でどうかしてる
もうちょっと様子見だけどスマホゲーは一度崩れるともうあかんからどうなるか
放課後ていぼう日誌
こんなレ目が似合う主人公久しぶり
<追記>死にました
LISTENERS リスナーズ
どうなんだこれ…
1話時点は期待薄と言わざるを得ない…
2話見たけど主軸はどこだ、根幹の謎を謎で放置するなイドを見習ってくれ
ネガティブさが一切存在しないこれはすごい、疲れた人は見るべき
コメディかつストレスフリーさらに細かいリアルな描写も一切妥協してない強い
天晴爛漫!
そのレストランが休業している間の肉野菜を卸していた業者の損失はなんで政府は補償してないの?
その卸業者が仕入れなかった期間の食肉業者、農家の損失はなんで政府は補償してしてくれないの?
これはクラブと酒屋でも起きるし、イベント会社とグッズ制作会社でも起きる連鎖。
これを全部いちいち業種を指定しては埒があかない。
なので個別に補償はしない。とは言っているが、政府は金を出さないといっているわけではなく
自粛して休業している間の損失や当面の運転資金がなくなるという場合は
・消費税の納税や固定資産税の納税は猶予するから手元に持ってろ
ということをいっているのだ。
今はそうならなければ広告がすべて淘汰されてしまうという意味合いが強い。
そういったものを「知らせる機能」を広告が多少担ってたのがweb普及前の時代。
ただ、もうみんなわかりきってるように
良いものは周りの評判になるし
無理矢理相手の視界に入れて押し売りするものでしかないわけだ。
邪魔なことこのうえない。
今の時代の広告屋なんて、世の中で最も必要とされてない職業だって自分では思ってる。
だからこそ、見た人が楽しめる、感動するものを死にものぐるいで生み出さないと存在価値自体がなくなってしまう。
そこで生み出された表現のひとかけらでも、文化として残っていくことになればせめてもの救いなんだが。
その結果、web広告のようなコスト極限まで抑えたゴミ一歩手前でレスポンスだけ取り続けるものと、
ブランディング文脈のメッセージ性またはエンタメ性の高いものとに二極化されてきてる。
なんとなくイメージつくと思うけど、IT系気取った勘違い野郎たちか、鼻持ちならない上級クリエイター気取りどものどっちかだ。
この表現にはやっかみも多少含んでるが、この業界にいる人たちならよく分かると思うけど、
年収1,000万オーバーの大手代理店のディレクターより、年収2〜300万しかない制作会社のディレクターのほうが優秀なんてざらにある。
元増田や自分のように、その中間で戦ってた多くのクリエイターたちは今後
その矜持を持ち続けてすり減っていくか、割り切って時代に適合するか、戦いの場を変えるかを選んでいかなきゃいけない。
かくいう自分も制作よりマーケティング系メインになってきてる。
そのうえで、なお古戦場に戻る戦友に幸あれ。
私は広告業界で10年ほど広告制作の仕事をしていた。最初は総合代理店で、最後の半年はWEB広告代理店で。
そして昨年末をもって退職に至ったので、退職エントリではないが、なんとなくWEB広告の実情について
広告業界の人たちにも話したかったので文章にまとめることにした。
私はそれは、奢りではなく、むしろ戒めだと考えている。
なぜなら広告会社は、そういった矜持を自戒の念を込めて持っていないと、
私は新卒でとある広告代理店に入社し、そこから10年ほど制作を担当することになった。
最大手というわけではないが、時々全国規模のTVCM制作も手がける、そこそこの代理店である。
そこは、今となっては「働き方改革」の標語ひとつで一蹴されてしまうような、徹夜と休日出勤を繰り返す昔ながらの制作現場だった。
私はこれは、他ならない「文化からの転落への恐怖」に起因していると考えている。
タレントは不自然に微笑み、手放しで商品を褒める怪しいコピーで溢れかえり、
だからこそ代理店の制作者は、1ミリでも多く、見る者の目を楽しませる努力をする。
広告の枠を超えて世の中全般を動かせるような言葉を発信できないか苦悶する。
「ゴミ」と「文化」の間に横たわる深い河を、靴一足分だけでも超えられないか、
誰だって、自分は人生をすり減らしてゴミを作ってる、とは思いたくない。
そんなミリ単位のこだわりを爆発させていくうちに、時間外労働は積み上げられ、
(ホントにダラダラやってるだけのヤツもいるんだけど)
私は土日の撮影や徹夜のプレゼン準備が反吐が出るほど嫌いだったが、
そういういい歳こいたおじさん達が、1ミリでも良い物を作るために
わがままを通そうとする姿を見ているのは嫌いではなかった。
情熱大陸とかプロフェッショナルでは、プロ達は綺麗なオフィスでキラキラ仕事している場面ばかりだが、
現実のプロ達は深夜の制作会社の会議室で、ボロボロになりながら臭い鼻息を撒き散らして仕事に食らいついている。
繰り返されるのは、誰かが「もうこの辺で辞めにしませんか?」と言ってしまえば終わってしまうような脆弱な会議である。
しかし「少しでも良いものを作らないと俺たち生きてる意味ないよな」という不文律が全員の頭の中に共通して存在するから、
「もう辞めよう」と口にする人は一人もいない。そして1ミリだけ良くなった企画書を持って徹夜明けでプレゼンに挑む。
その情熱大陸が映さないような種類の、リアルな感じが好きだった。
まぁ、そういうおじさんおばさん達の見えない闘争が積み重なって、
「広告は文化」と心の中で思っていても怒られないくらいの社会風潮は出来たのではないかと思う。
過去の名作広告をまとめて本や番組が作られるくらいなのだから、一応文化と言っても差し支えはないだろう。
その会社で9年働いた後、私は縁あってWEB広告の代理店に転職することになった。
これが同じ「広告代理店」を冠しているが、とても同じ広告を作っているとは思えないような職場だったのである。
ここが広告という文化を殺して食べる、屠殺現場のような場所だった。
それは「数値化」だ。
WEBで広告を作る、ということは、制作物の全てを数字に置き換えることができる、ということなのである。
この広告が何秒見られたのか、どんなクラスターの何%が見たのか、何%が商品を買ったのか、広告のコスト効率はいくらか。
広告の全て数字で語ることができるのがWEB広告の独自性であり、実際私が居た会社はその強みを最大化するような戦い方をしていた。
すると何が起こるか。
たとえば、必ず視聴率やクリック率が高く出るような広告をつくる。
それはどういうヤツかというと、始まってすぐに「お得なキャンペーン」とか「今だけ何%ポイントキャッシュバック」といった数字を画面に大きく出すようなアレである。
誰もがあれに反応するわけではないが、一定層そういう数字に反射的に反応する人種の人たちがいる。だから結果的に数値はわかりやすく上向くのである。
コスト効率を上げる方法は2つしかない。前よりも大きく結果を出すか、制作費を削るか、である。
そういうわけから、WEB広告代理店では撮影や外注を行わない広告制作が奨励されている。
ストックフォトやフリー素材だけで制作すれば、地獄みたいなクオリティになるが原価はゼロに近づく。
そして前述の視聴率アップの手法があるので、不思議とそんなものでも視聴率が高かったりする。数千万かけて作ったTVCMより高かったりする。
その結果、コスト効率は上がり、「クライアントも喜んでいます!」という嘘みたいな報告が営業からは来るのだ。
私にはこれが、数字に裏付けされたゴミを作っているようにしか見えなかった。
始めにこのクオリティの広告を見た時「まともなクライアントがこれにお金を出すはずがない」と思っていた。
しかし実際は違う。喜んで買っている。そりゃそうだ、クライアントの持っているお金は「広告宣伝予算」であって「広告文化への投資予算」ではない。
RADWIMPSが歌うデザインされたTVCMであれ、フリー音源とポイント還元キャンペーンだけで出来たWEB動画であれ、効果が高そうなものにお金を払う。
なんとなく効きそうなだが高価な胃薬と、見た目はチープだが安価で効き目が数字で裏付けされている胃薬だったら、後者を選ぶ人は少なくない。
私が在籍していたのは半年程度だったが、WEB広告会社が大手代理店から仕事を奪ってきた、というようなニュースを度々耳にした。
かくして、広告という文化は、数値に裏付けられたゴミによって貪られ、じわじわと瓦解し始めている。
今なお「広告は文化だ」と思っているのは広告制作者を始めとする一部の広告ギークだけなのだろうか。
もしかしたら多くのクライアントサイドも、今では広告を文化だとは思っていないのかもしれない。
(思っている希少なクライアントもいる。代理店はそういうお客さんを大事にしてください。)
少なくとも、WEB系の広告会社にはそもそも広告を文化と思うような発想はない。
ただ忠実に、広告は言葉通りの「広告」なのだと彼らは思っている。
彼らは非難される立場ではない。だってそっちの方が本来の「広告」の語義には近いのだ。
「経済を回すための1つの因子」みたいな感じに思っているんだろうなぁ、きっと。
文化もろとも倒壊しているのにも気づかず勝ち気になっているのが我慢できなかった。
懐古趣味の「昔は良かったおばさん」みたいな話にはしたくなかったのだけど、
2019年、ついにWEB広告の出稿費がTVCMのそれを超えたという。
この先の広告業界がWEB業界を中心に回るのは日を見るより明らかだし、その時のエースプレイヤーは私が辞めたあの会社かもしれない。
しかし、あの地獄クオリティのWEB広告達を元に大学の授業が行われることはないだろうし、それを論じた本が出るようなこともない。
広告という「文化」は静かに解体され、彼らに食いつぶされ、いつの間にか消滅していることになるだろう。
私はそんな「冷たい熱帯魚」みたいな解体現場で確かに働いていた。
これは救命ボートからタイタニック号に乗り換えるような所業かもしれない。
ただ無邪気に文化を貪り続けるよりはマシだと思っている。
急になんですが、これは一人言の形を取ったフィクションです。
実在の人物や組織とは一切合切、何も関係ありません。真に受けないでね?
……アニメ会社の制作って、社員に支払うのは給料なんですよね。お給料。
じゃあ監督費とか脚本費って誰が出すのかって、そりゃ製作委員会ですよ。いや別に監督費や脚本費じゃなくても何でもそうですが。
製作委員会制度なら製作委員会(の経理)が代表でお金を受け取って、それを各会社に分配するんです。
で、この製作と制作って紛らわしいことに意味が違うんですよ。語義が違う以上に、アニメの場合は「製作が権利や金を管理して、制作が実際に作る」というのが道理なんですね。だから制作委員会というのは無いんです。全て製作委員会です。
で。アニメとか番組のクレジットってのは言うなれば「この人がこの仕事をしています!」という責任表明なわけで……つまり製作に視点を絞って言うなら「この製作がこの人/会社に制作費を渡します」って表明にもなるわけです。
勿論、製作委員会の中でも「どこが何を管理するか」という窓口は違うわけですが……
どちらにしても製作としてクレジットに名前を表明している以上、その製作が代表して監督費用なり何なりを出すのが筋なんですね。勿論、製作の代表は営業であるプロデューサーです。
そりゃ制作会社が監督とかを雇う以上、代理で受け渡しに入ることもあるかもしれませんが……本来的な流れとして「制作会社が脚本費を出してない!」とかいう流れは「ありえない」。いや「起こしちゃいけない」ということですね。なにせ脚本は必ずしも制作会社内部の人材とは限らないですし、制作とは関係ない各種の使用料……アニメ絵の使用料とか脚本印税みたいなものになれば尚更、ちゃんとクレジットされた本人に許可や使用料を支払わないといけない。監督が制作会社を離れたら制作が監督費をせしめるんです?違うでしょ。
だからこそ本来、製作が責任を持って本人に渡さないといけない。それが果たされないなんてのは、クレジットから降りるべきレベルの怠慢ですよ。制作に渡しましたから後は知りませ〜ん、問い合わせられても何も答えませ〜ん……じゃあ済まないんです。そんな澄まし顔するヤツは許しちゃいけない。そんなら最初からクレジット公開すんなや。
そんな金に杜撰な信用できない会社がもしあるとしたら、そんな会社は手形でも平気で不渡り起こすんじゃないですかね?人の信用を裏切って支払いしないって意味じゃあ、どっちも一緒ですしね?個人相手でもビジネスはビジネスです。普通の会社なら営業宛に大クレームの謝罪回りでしょ。
まあ要するに、皆さんが流し見してる無数の名前それ一つ一つに全て、それぞれ一人分の責任と権利とが付き纏ってるわけです。ゲームでもそうですね?
ま、完全オリジナルの作品だと原作の権利を持ってるのも製作というパターンが多いので、その場合は制作側が降りる方が早いんですけどね。勝手にしろって感じですわ!HAHAHA!!
まあ……そういう事ですね。いや別に、自分はアニメ業界と何も関係ないし?何の役職も無い部外者なので?何も知りません。一切合切どうでもいい。
ただ、そうでないマジモンの関係者は、もっと然るべき責任と義務を果たし、それに見合うべき権利と報酬とを得るべきだと僕は思いますよ?まあ今も生きてるかどうか知りませんけど。
……改めて言いますと、これは一人言の形を取ったフィクションです。
ttps://twitter.com/mikien10
ももねいろの人の離婚→再婚が最高にゾクゾクして自分でも意外だったから吐き出す
ttp://www.ikemenmusuko.net/entry/zokuzoku
主婦ブロガー。そこそこ人気があったが、家庭を顧みずオフ会で知り合った若い男と不倫して炎上。言い訳に終始した記事をアップするものの炎上は収まらず、ブログの収益力が格段に下がってしまった。
増田で元夫(?)が暴露話を書いたりしていたので、覚えている人もいるかもしれない。夫と子供を捨てて、前記のオフ会がらみで知り合った年下の男遠藤(ttps://twitter.com/eroura800 鍵垢)と再婚した。まだこいつとは離婚していない。
旦那のカギなし垢(ttps://twitter.com/uszero800)
■忠犬はーちゃん
ttps://twitter.com/inucai_24
ttps://www.sankei.com/affairs/news/191016/afr1910160044-n1.html
エヴァの版権は自身にあると主張してカラーを脅迫して逮捕された男。主張内容をまとめていたアメブロのページはさすがに削除されている。(ちなみに主張内容は完全な電波だった)
おそらくは執行猶予あたりですぐに出てきたと思われる。ツイッターを確認するに、現在もエヴァ版権は自分が持っていると思っている様子。
■いらじ(twitter凍結)
リベンジポルノを行った最低絵師いらじ 、被害者の彼氏と話し合いを行う
ttps://togetter.com/li/1187537
ネットで知り合った女性を好きになってしまい、その人に彼氏がいるとわかると女性の個人情報をばらまいた人。その後もほうぼうで問題を起こしている為か、一部ネット民から異様と言っていいレベルのヘイトを向けられている。
なんか話題になってたので。
あのスカートの影、
当然だけどアニメの中だったら喜ばれはしても炎上はしないよね。
ラブライブというアニメ自体(もしくは今放送されてる深夜アニメの殆ど)がそもそもそういう表現をしてきたコンテンツな訳で。
深夜で放送してる物をコラボで公共の場に持ってくるんだから、こういうことが起こるのは必然という気がします。
あと実際のスカートはそういうシワできない!とかそういう話じゃないと思う。絵なんで。
自分も乳袋とか好きじゃないし、意図した物しか形にならないのが絵ではあるけど、
アニメの絵には形骸化したパターンもたくさん存在しているので(共有化された手癖)
周りが是非をどうこう言おうが、意図的にエロくしたかどうかなんて本人ですらハッキリしているかどうか分からない。
ただ東京メトロで炎上が起きたのを知ってて、炎上させたくない人はああいう影の付け方は避けると思う。
萌え系にずっと関わってるアニメーターやスタッフはそういう表現に抵抗が少ないというのもあるだろう。
アニメはエロとか萌えじゃないんだっていうアニメーターは萌えじゃない作品に行くだろうし(少ないけど)
作品の視聴者もそういう表現に抵抗がない人が見てる訳で(表現の是非の話ではない)
あと内部事情を言っておくと、こういう本編以外に使われる版権絵は
アニメと同じく、大半はまだアナログで紙に鉛筆と色鉛筆(赤と青)で描いたものを渡して、
仕上げとか撮影は別の人なので、一人で全部描くイラストと違って、
最終段階までいって出来上がった物が「あ、なんか色付いたらイメージと違うな」とか「今回思ったより影の色濃いな」とか思っても
ので、新人とか気の弱い人は自分からは言い出しづらかったりする。
まあでも結局本人も制作会社側も発注した側の人たちの中でも最終チェックしてるはずなので、
話題になってポリコレ的には失敗、商法的には成功みたいなことにならない?
酔っ払っている。
映像研。
今、アニメ6話まで見たところ。
設定を作り、動画を割り、資金や環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。
で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。
しかし悲しいかな漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。
完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。
それだけじゃない。
アニメを制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場の感覚をアニメの作り手自身が持ち込んで足している。
強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。
映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメのプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。
「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」
粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ。
祝福をもって、受け入れられたのだ。
そして、アニメのプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。
エンディングにアニメーターとして参加したことがその証左だろう。
原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。
で、このアニメは、アニメ界からの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。
エンディングの動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。
それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。
これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。
原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、
「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。
それでいて、そのラブレターに勇気づけられたことに感謝も示す。
偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬でしかないでしょ。
お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。
それが傑作に、ならないわけがない。
余談
それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。
そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。
アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。
そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。
酔っ払っている。
映像研。
今、アニメ6話まで見たところ。
設定を作り、動画を割り、資金や環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。
で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。
しかし悲しいかな漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。
完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。
それだけじゃない。
アニメを制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場の感覚をアニメの作り手自身が持ち込んで足している。
強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。
映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメのプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。
「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」
粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ。
祝福をもって、受け入れられたのだ。
そして、アニメのプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。
エンディングにアニメーターとして参加したことがその証左だろう。
原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。
で、このアニメは、アニメ界からの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。
エンディングの動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。
それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。
これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。
原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、
「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。
それでいて、そのラブレターに勇気づけられたことに感謝も示す。
偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬でしかないでしょ。
お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。
それが傑作に、ならないわけがない。
余談
それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。
そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。
アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。
そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。