はてなキーワード: 全面的とは
>1年掛けて政府が自分で自分の信用を削ってきた。言ってることとやってることが見事に一致しない。成果と言えるものもほとんどない。
>時間稼ぎには大成功したが、稼いだ時間を空費する大失敗を犯した。
これには全面的に同意できるし、何を期待してたんだかって気分にもなるけど
>政府「このままでは医療崩壊が予測される」→ブルーインパルス飛ばして満足して終わり
崩壊しなかったから良かったって話で、じゃ崩壊すれば文句無いの?飛ばすのと関係あるの?
>マンボウ→何その名前ふざけてんの?緊急事態宣言との違い何?
河村氏、求められる「成果」 4期目の名古屋市政、難しいかじ取り
https://news.yahoo.co.jp/articles/62d75546b44bbf58ffdcd7321d2ef8bee966545d
市長給与の「引き下げ合戦」や新型コロナウイルス対策の「ばらまき合戦」ばかり目立ち、市の将来像を見据えた深い政策論争はなかった。
結果は当選だが、リコール運動の旗振り役だった道義的責任を不問に付したとは言えない。これまでさまざまな目立つプロジェクトを打ち出しては頓挫を重ねてきた河村市政が全面的な信任を得たとも言い難い。
「選挙モンスター」を前に明らかに及び腰だった。既成政党の地方組織が、勝てる首長候補を出せないほど弱体化していることが浮き彫りになった形だ。河村氏の勝利はその反作用でしかない。
単純化してしまうと、批判と、攻撃を区別することが出来ない奴が多すぎるんだよね。
で、批判の質が著しく下がっている。
特に政治的な話題になると顕著だけど、論理的にものを考えずに、気に入らないから気に入らないとしか言ってない様な難癖ばかりがメディアの上でも踊っている。
そんな社会になってるから、一般人が論理的に考えた上での批判と、感情から出てくる攻撃との区別をし続けられるはずがない。
伊是名案件でもそうだけど、伊是名の行動は批判に値するし、来宮駅に関しては移動手段の提示もなされたし既にバリアフリー化の計画もあるので全くの問題がないが、
一方でバリアフリーそのものは進めていけばいいというだけの話で、実際に来宮駅のバリアフリーも自民党が成し遂げている訳でしょ。
社会党がやった事は、火のない所に煙を立てようとして、JRに迷惑をかけただけでカス同然だが、それはバリアフリー自体の必要性を否定するもんでもない。
なのに、伊是名を全面的に肯定するか、否定するかで互いに罵り合ってて、今回はどちらかと言えば伊是名の方に大きな問題があったので、JRではなく伊是名が全否定されて燃やされている。
まぁメディアからして、政権攻撃の為に、こういう手法を取って来たのだから、今さら是々非々で一つ一つ正誤を判断して、論理的に批判をしよう。
何かを否定する為に、人格まで含めて全否定するような攻撃をするのはやめよう、なんて通らないのよ。
何かを否定する為の全否定が許されている世の中だから、そこで生きてる庶民が、論理的で冷静な批判と、非論理的で感情的な攻撃との区別がつくはずもない。
一つ気に入らなければ何もかも否定して良い雰囲気の中で日々のニュースを作って、馬鹿を利用してきた連中が、これは是々非々で一つ一つ論理的に考察してくださいって言っても
具体的にどうすれば責任がとれるんだろう。
自分の身に置き換えて考えてみると、部下同士が不倫したのは上司の責任って言われても知らんがなとしか言いようがない。当該社員の降格や配置換えなどの対応はできるだろうけど、「不倫の事実を会社で調査して謝罪しろ」って言っても会社として出来るのは「不倫はやめとけ」と口頭注意するくらいか。
学校だって生徒同士で校外トラブルが起こっても基本的には「知らんがな」としか言いようがない。体育の授業中の事故や教室の中の殴り合いならともかく、校外の出来事までいちいち真摯に対応していたら確実にキャパオーバーすると思う。ただでさえ万引きしたとか夜の街をうろついていたとかLINEで仲間はずれにされるとかそういうのも学校で指導してくれと投げられても、担任としては「もうやるな」と言うくらいしかできないのではないか。加害者生徒に頑張って指導しても「うぜえ」とLINEで愚痴られて加害者生徒たちが結束して担任の車に傷をつけたり親ぐるみで「ちょっとやりすぎよねぇ」と噂を流されたり子供がいた場合はそっちに加害がいくなどして担任自身が自殺レベルで病む恐れもある。保身と言われても先生たちだって人間だ。明らかな過失ならともかく、それなりに対応していたトラブルがうまく収束できなかったら「私が悪いって言うんですか」くらい言いたくなるだろう。先生がしゃしゃってきて解決するいじめならとっくに解決している。
問題なのは学校が無責任ということではなく、こういう子供同士のトラブルを解決できる機関がないことだろう。大人なら調停なり裁判なりで片付けることが、子供同士だと出来ない。学校にその権限はないし、警察にもトラブルの内容では限界がある。児童相談所や地域の家庭支援系が近いけれど、既にパンク寸前だろうしそもそもトラブルを抱えている加害者側が積極的に支援を求めるか疑問だ。
例の事件、実際学校はどう動けばよかったんだろう。弁護士も入れて「後は当事者同士好きに訴訟でも何でもやってください」にしておけば被害者の傷も少なかったんだろうけど、加害者家族からは被害者や学校が恨まれて今後の指導が出来ないデメリットもある。「加害者を庇う」と散々あるけど、どんなにクソでも学校は全ての生徒の味方をしなくてはいけない。そこが学校の限界だ。いじめを断罪するのは学校ではない。
私刑以外にどういう再発防止策があるか考えたけど、「子供トラブルに特化した警察の下部組織を立ち上げてそこに全面的に任せる」のがいちばん良さそう。スクールポリスとかいう胡散臭い奴じゃなくて、いじめ問題の他に盗癖や性犯罪みたいな疾病レベルの問題児の相談とか、児相と連携して虐待の発見とか登下校の指導とか出来そうなことはたくさんある。児相の学校寄りの機関という位置づけだけど、仕事過酷そうだから成手がなさそう。ごめん今の話なかったことで。
お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。という言葉が、自分の身体を上から下に駆け抜け、僕はそれで、頭から血が抜けていったように感じた。その言葉は、ある意味では間違っていなかった。けれど、間違っているといえば、全面的に間違っていた。
目を凝らしても見えてくるのはパソコンの画面と荒れ果てた部屋しかない。右手の小指と薬指がその付け根にかけて少し痺れている。特にキーを叩いていたわけではない。パソコンの画面をつけて、何をしようかと思っていただけだ。すると、僕に言葉がやってきた。それは僕が望んだ言葉ではなかった。この暗い部屋は、僕が望んで生まれたものだった。この荒れ果てた部屋は、僕がどうしてか生み出したものだった。あの言葉は、ただ、とても嫌いな言葉だった。
望む、望まないなんてことを考えたことはほとんどなかった。あるといえば、望まないことばかりだ。いろんなことが嫌だ。特に、望むことは何よりも嫌だ。自分が何かを望んでいると思うだけで気分が悪くなってくる。自分が何かを望まなければ生きていけないのだとしたら、死にたくなる。何も望みたくない。何も望まれたくない。そうして僕はこの場所を作った。僕が今望んでいること? それには答えられない。ただ一本の煙草が吸えたらいいと思っているだけだ。それが望みなんて大きなものに含まれるのだとしたら、今すぐにでも僕は首を吊ってやる。セブンスターのソフトは残りわずかだ。一本取り出して、口に咥えた。火を付けずにパソコンの画面を見た。
さっきまではTwitterのホームが映っていたが、僕はもう少し孤独になりたくて、ウインドウを閉じた。デスクトップ画面には、雑多なファイルが、まるでこの部屋みたいな雑駁さで並んでいる。それの後ろには描かれた美少女(アニメの美少女なのかどうかはわからない。インターネットで見つけた、絵の美少女だ)が憂鬱げに体育座りをしている。彼女の右手には安全剃刀が持たされている。左腕にリストカットの痕はない。安全剃刀は文字通り安全なのだ。少女の足元には薬瓶が転がっていて、その転がる移動を堰き止めるように、本が置いてある。フェルナンド・ペソアの本らしい。表紙の白い部分には血痕のようなものが伸びている。
灰を落としてみると、煙草の1/3はなくなっていた。僕は考えごとをする前に、なにかと準備運動が必要みたいだ。考えるべきことというのは、僕の身体を駆け抜けて行った言葉についてだ。
僕は「望む」なんていう大掛かりなものが嫌いだ。望むとも、望まざるとも、嫌いなものは嫌いだ。だが、そこにばかり注目していては次の文がわからない。次に進む。すると、それがあらわれているという。
それがあらわれている。それはお前が望んだものだ。
というのであれば、僕はわかるような気がする。まずはじめに「あらわれ」があって、その説明、あるいは定義づけがされる。これは、わかる。あると思う。いや、あるべきなのだ。自分がいまどうして存在しているか? こうして暗い部屋で、食事に使って洗わないままで転がっている食器や、ゴミの類いが転がっている、この雨戸が閉められた部屋で、僕の身体は、パソコンは、煙草は、まず、「ある」。そして僕がその「あらわれ」を何らかの形で受け取る。受け取ったものには、それ相応の制限がある。それが説明であり、定義でもある。こうして抽象化すれば、わかる話だ。話がわからなくなっているのは、そこに「望む」という言葉が出てきているからだ。煙草を灰皿にすりつぶした。
「こうしていても埒があかない」
そう呟いた。こう言ったところで、あの言葉が離れていくわけでもなく、これから行動をとったところで、あの言葉が離れていくわけではないだろう。精々気晴らしにはなるだろうが、自分の中にある嫌悪感がぢくぢくと膨れていくか、いつの間にか消滅しているか、そのどちらかだ。経験的に、後者の方がよくあることだ。いつの間にか消滅するには、原理的に時間が必要だから。
家を出ると小雨が降っていた。庇の外に左手をかざすと、ほんとうに細やかに、少ない量の水が手のひらに当たった。深い青空は全国的に深夜であることを告げていた。振り返って家に鍵をかけてから、僕は肺にあるどんよりした空気を深い青の空気と入れ替えた。まるで僕の肺が一つの世界になっているみたいに青い深夜だった。その世界は二つあった。そのうちのどちらかに、隣部屋のお風呂の匂いが流れ込んできた。歩き出した。傘はいらないだろう。煙草とお菓子を買ってくるだけだ。
思った通り、雨ざらしの階段はそれほど濡れていなかった。足を滑らせる心配はなさそうだし、きっと降りはじめてすぐなんだろう。階段を降っていくと、
「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」
という、声がした。言葉ではなく、声がしたのだ。階段を降りている感覚が薄れて、ゲシュタルトが崩壊してしまった。階段を構成する線と線の繋がり、それがなす直角と、段差、線の全てが空白もしくは混沌の世界に放り込まれた。ポケットに入れていた鍵は、僕の拳から飛び出すことなく、音を立てることもなかった。目を閉じた。「うわあ」と思った、その頃にはもうすでに階段の一番下まで辿り着いていた。でも服は汚れてしまった。階段から転げ落ちたのだ。頭の裏、腕の曲がらないところ、脚の曲がるところ、何より腰が傷んだ。それから遅れて左手に妙な感覚があった。座り込んだまま、左手を開いてみると、家の鍵を強く握りすぎたからか血が出ていた。鍵に何かキーホルダーをつけていたわけではないから、純粋に鍵で傷ついたのだ。親指の付け根に小さな切り傷が付いていた。思ったより血が出てくる。なんとなく、右の人差し指と中指でそれを拭い、右の頬に付けてみた。この、なんとなくの一連の動きは、シネマスコープの中に映し出されているといいな、と思った。身体中が痛かったけど、おもしろかったから、よかった。僕は立ち上がることにした。雨は本当に少しだけ降っている。
ここからコンビニに行こうとしている。それなりに汚れてしまったが、仕方がない。自転車を見た。自転車に乗って行こうか、いや、この程度の濡れ具合で滑って転んだのだ(たとえ変な声が聞こえてしまったからといえど。またあの変な声が聞こえないとも限らない)、大事をとって、あと気晴らしのために歩いていくことにしよう。自転車を金網越しに見た。僕は歩いてコンビニに向かう。決めたからだ。ぶらぶらさせていた右手を鼻の前にかざして、匂いを嗅いだ。鉄くさく、砂っぽかった。これでコンビニに向かおうとしているのだから、笑えてくる。いや、これは気晴らしにすぎない。コンビニ店員も、適当に事情を察してくれるだろう。コンビニ店員は本当に飲み込みが早いから、わかってくれるはずだ。
そんなことを考えていると、下には列車が通る小さな橋に辿り着いた。水色の塗装ははげかけているが、子供が手すりで遊んでいて怪我をするほどではない。おしゃれみたいに朽ちている。その下では電車が通る。橋の真ん中に辿り着いて、ここから落ちたら死んじゃうだろうと思った。いや、生きちゃう? 電圧注意と書いてあるから、落下して骨が折れたり、死んじゃう前にびりびりっと身体が破壊されてしまうかもしれない。それにいま僕は濡れている。電気はよく通ることだろう。でも、痛そうだ。さっきの落下でさえ痛く、血を流してしまったのだ。僕というのは風船みたいに壊れてしまうときには、弾けるように壊れてしまう。そして、壊れてしまうと、びっくりするし、うるさい。毎度この橋を通るとこんなことを考える。死ぬことはないだろうとは思うが、死んでいいかもしれないと思う。そして、橋の真ん中で線路を眺めるのをやめ、先に進もうと体勢を変えると、昼間子供達がよく遊んでいる公園が見えてくる。深夜の公園だ。いやらしいことを考えないわけではない。でも、重要なのは、いやらしいことを考えたその時には、もうすでに水色の手すりから離れて、コンビニに向かって歩きはじめていることだ。
公園に面した道路を進むとコンビニがある。だからコンビニに向かうまで、橋の上、橋の下り、道路、と少なくとも三つの視点から公園を眺めることになる。意図して見ないときもあるが、この場所から見た公園をその時に考えてしまっているから、大体いつもみているようなものだ。道路に面している側には遊具はない。公衆トイレがあって、それを二本程度の灯りが照らしている。公衆トイレはほとんど立方体の形になっていて、二つの光源から伸びるそれの姿は、三つの視点、どこからみても美しい。道路から見たとき前景に公衆トイレがあると、その後景にブランコがあって、その間くらいに滑り台がある。ジャングルジムと砂場は公衆トイレに隠れてしまう。
今日こうして家を出てきて、コンビニに向かっているのだけれど、いつもは見かけない、変な影が三つの視点全てにあらわれているのを見た。人影というには小さく、あまり動いていない。でも横に長いわけではないから、犬や猫の類いではないと思われる。霊でも無さそうだ。霊に影があったら、僕はその霊と仲良くできるだろう。
よくわからないその影は少し揺れているだけで、歩いたりしている様子ではない。ブランコ周辺でただ揺れている。こういうのはあまりない。不審な影を見かけることはよくあるが、それはその人物が不審だから影も不審に見えるのであって、影が独立して変な雰囲気を纏っているのはなかなかない。それに、徹底して影の主が見えてこないというのも、変な話だ。影しか見えない。特に怖がることはなかったが、
「変だなあ」とは思っていた。そのまま、コンビニへ向かった。
その前に、円柱状の灰皿に吸い寄せられていった。右ポケットには忘れずにセブンスターのソフトと、ジェットライターが入っている。ジェットライターは素晴らしい。片手で着火できるというだけで、なんだかカッコいい感じがする。喫煙にかっこよさを求めたことはないけれど。客観的にそう思う。絵になるというか。
セブンスターを咥えて、右ポケットからジェットライターを取り出して、先端に火を付ける。ゆっくり吸う。強く吸うと美味しくない。けれど今は若干の湿気があるから、どちらにしろ美味しいのかもしれない。
煙草を吸っていると、気分がいい。家から出てすぐ深夜の空気を吸ったように、身体の中の空気を違う空気で入れ替えているように感じる。手軽に自由を手に入れてるような気がする。これが自分の望んだものなのだと言われたら、認めてしまうかもしれない。この一本の煙草が僕の自由に繋がっているなんて、ちょっと詩的だ。けれど……
お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。
これはどういうことだったんだろう。
こと?
あれははじめ、「言葉」として僕の身体に降りかかってきた。「言葉」が身体を貫くような感覚は、実はよくあることでもある。だからそれはいい。問題はその「言葉」が「声」になって聞こえてしまったということだ。「声」になって聞こえたということは、誰かがそれを喋ったのだ。あのとき、僕の近くには誰もいなかったから、僕の「言葉」が「声」に聞こえてしまった(?)ということなのかもしれない。つまり、幻聴のようなものだ。幻聴ということは、幻? 幻には思えなかった。なぜなら、まずはじめに「言葉」が降りかかってきたからだ。幻にふさわしいのは、何の予兆もなく、何の脈絡もない「声」が聞こえてくるということではないのだろうか。あるいは、僕を貫いた「言葉」は「幻の声」を予知していた、とか。ファンタジーじみてきた。同時に自分は精神的におかしいと思われる(思われてしまう)ことを毛嫌いしていることに気づいた。言葉に則して物事を判断している。まるで、そうしないと生きていけないように。セブンスターは半分になっている。そうしないと生きていけないということは、僕は「言葉に則して物事を判断することを望んでいる」のかもしれない。それのあらわれとして、部屋があんなことになっているのかもしれない。数日間シャワーの浴びていない自分がいるのかもしれない。言葉に則して物事を判断することを望むというのは、ここまで代償が必要なんだな、とひとりごちて、笑った。口から煙草の煙が飛び出た。
コンビニでは煙草とお菓子を買った。煙草はいつものセブンスター。お菓子は適当にチョコ、なんだか寝付きが良くなるらしいチョコがあったからそれと、イカのゲソを買った。ゲソを買うとビールに手を伸ばしそうになる。でも僕はビールはあまり好きではないから、好きなのはゲソとビールという組み合わせだけだから、やめることにする。結構そこで戸惑う。けど、ビールは自分には必要のないものだ。煙草とチョコとイカのゲソは、自分に必要なものだ。
帰り道、公園が見えてきた。あの影はまだ居るだろうか? 僕としてはいないほうがいい。帰りは行きと違って、目に入ってくる視点が二つなくなっているからだ。橋の下りと、橋の上では、振り返らない限り公園の姿を捉えることができない。公園の姿を素で確認できるのは、今、この公園に面した道路でだけなのだ。だからこそ、ここでしっかりと、あの影がまだ居るかどうかを確かめる必要がある。そうしないと、公園を背にしてからが怖い。
立方体の公衆トイレが二つの光源に照らされて伸びる影の先には、ジャングルジムがあり、わずかながらジャングルジムの影も砂場に広がっている。幾何学的な影は、砂場の凹凸に習って、あまりユークリッド幾何的ではない形になっている。ブランコにはあの小さな影はなく、滑り台にも影はない。灌木を含め、公園全体を見渡してもあの小さく、揺れていた影は見当たらなかった。僕は一安心して、煙草を口に咥えた。少しだけ、雨が強くなってきた。火をつける。
とりあえずは安心てところだろう。もともと霊とかは考えていなかったから、特に恐れることはなかったのだけれど、一応だ、一応の確認は必要だと思ってだ。それから公園から目を離して歩いてみた。なぜかまた右手の小指と薬指が痺れてきた。コンビニで買ったものは左手で持っている。右手は煙草を吸うために放っている。それにしてもあの影はなんだったんだろう。影があるのだから、影の主はいるのだろうが、僕はそれを見ることができなかった。するとやはり、影は独立したまま存在し続けるのかもしれない。僕の中でも。世界の中でも。
「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」
という声があらわしていたものは、僕の考えていたように、ものごとの素朴な存在を認めろ、ということなのかもしれない。だからこそ、影にはその元があるとは考えなくて良いし、「声」そのものも、「言葉」のように独立したツールとして、その元を探る必要はないのかもしれない。だが。
そうしたことを伝えるのであれば、やはり「言葉」に留めておくべきではなかったのだろうか? 「声」でこのことを伝えるというのは、そのものが矛盾しているからだ。通常のものの考え方ではたどり着くことができない。「声」には人を必要とするという考えは、どれだけ複雑な回路図だったとしても、確かなものだからだ。僕はそう思う。「声」が独立して、僕に警鐘を鳴らしていたというのは、考えられない上に、警鐘ですらない。現状の説明を、何か「声」を使って説明する必要はどこにあったのだろう。必要? では「言葉」で表す必要はどこにあるのだろう。普遍的で、使いやすいのがキーなのだろうか。それが必然に関わっているのか。でも、こうしてみると「声」も「言葉」も大差ないように思える。すると、なぜはじめに「言葉」があり「声」が生まれたのか、が問題なのかもしれない。僕はあの言葉から逃れられていない。いまだに考え続けている。もうすぐ橋を渡り終えるというのに、家に帰ってもずっと考えてしまうのだろうか。橋の下り階段に足を付けると、
「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ!」
明らかに声がした。それもあのときに感じた「声」ではなく、方角があり、ちゃんとした輪郭を持った声だった。だが、どこか浮世離れしている。それでも僕はびっくりした。何しろ深夜なのだ。僕は振り返った拍子に咥えていた煙草を落としてしまった。湿っていた地面に落ち、火が鎮む音がした。そこから煙が立ちのぼった。雨が止んでいた。
「お前がどう考えても何も変わらないが、お前はなぜか望むことができる。お前はそれを否定しているだろうが、それは、お前が望むことができてしまうことに勘づいていたからだ」
橋を上ってくる音が聞こえる。人にしては軽い音だ。
「お前が何かを望んでいたとしても、それが叶うことはまれだ。まれということは、叶うこともある。お前はそういう能力を持っているのだ」
橋の上に立って僕を心持ち見下してきたのは、高校一年生くらいの少女だった。それにしては身長が小さいし、逆光だからか影しかみえない。
僕は思ったことを言った。
「でもそれって、僕以外の人にも言えることじゃないですか?」
なぜか敬語が出た。
「そうなの?」
「たぶん」
影の少女はため息をついた。マジで……と呟いていた。僕は聞き逃さなかった。
「お前が考えていることは、実は大切なことだ。これ以上ないくらい大切なことだ。あまりそういうことを考える人はいない」
「わたしにもくれ」
それにしてもこいつはなんなのだろうか。深夜に高校一年生くらいの少女と一緒にいて、通報とかされないのだろうか。僕は影の少女に煙草を渡すために近づいたが、影の少女は、「少女」になることはなく、影の少女を保っていた。なんなのだろう?
「ありがとう。今日は煙草が美味しい日だ。君が思ったことだよ」
「そうだったかもしれませんね」
「だが、お前には足りないものがある」
「なんでしょうか?」
そこで少女は本当に長く時間をあけて、煙草を吸った。とても長い時間だったが、次に出てくる言葉がわからなかったから、僕は待っているという気分ではなかった。僕も僕で煙草を吸っていたのだ。
「お前は実は求められて、存在している」
「え?」
「お前はそれを拒絶している」
「そうかもしれませんが……」
「お前は求められているから、存在しているのだ。お前が求められなくなったら、存在しなくなる。死ぬとはまた違ったものなのだがな」
「わたしはお前に求められて存在した。類を見ないほどひねくれたやり口だったがな」
そういって影の少女は僕の手を取った。左手の血は止まっていて、傷になっていた。影の少女が、その手をぎゅっと握ると、傷はなくなった。影の少女は、影の少女にふさわしく、とても冷たい手をしていた。
「お前の考えていることは基本的に正しい。が、まずい考えでもある。それを警告しに来た。お前には知ってもらうことがひとつだけある。そのために来た」
そう言うと、影の少女は地平線の向こう側に指を差した。何も見えない、と言うと、耳を澄ませ、と言われた。それに従って耳を澄ませていると、軽く、高いが地鳴りのような音が聞こえてきた。信じられないだろうが、線路中に列車が猛スピードで走ってきている。どの列車も見たことがない。ここは新幹線は通ってないだろうが、新幹線と同じくらいのスピードで走っている。だからか、電車にも見えない。謎の列車が猛スピードでこちらに走ってきている。深夜なのに。どういうことなのだろうか。
「お前に足りないものは」
影の少女は、橋の手すりに立った。そこで、影の少女は少女になった。制服を着ていた。白いパンツが見えた。胸は小さく、確かにあった。ショートヘアだった。見覚えのある子だった。だが、会ったことはない。会ったことはないが、見覚えのある子だった。可愛い。少女は煙草を咥えたままだった。
夜が静まりかえっていた。少女が決然と橋の手すりに立って僕を見下しながらも、夜空にはたくさんの星がきらめいていた。青い深夜は地平線見渡す限りに広がっていた。少女は僕を哀れむように見ていた。空間が張り詰めていた。それを揺らす列車の轟音。少女がふらっと動いた。
「圧倒的な喪失だ」
制服の少女は橋を飛び降りた。少女が地面にたどり着くころに、列車は飛び込んできた。衝突する。血が流される。さっきまで話していたあの謎の影は少女で、彼女は飛び降り自殺をした。僕が手を伸ばした時点で、少女は見えなくなっていた。なにもかもわけがわからない。僕は止められたかもしれなかったのに、影の少女から少女になったところで驚いて、何もできなかった。もしかしたら、なにもするべきではなかったのかもしれない。彼女は僕が求めたから存在したのだ。だが、彼女は自ら消滅することになった。ということは僕は彼女の自殺を願ったのだろうか。彼女の Permalink | 記事への反応(0) | 11:49
非モテ独身こそ、出産・育児支援とか教育支援を重視しなくちゃいけない。なぜなら、老後の世話を一人でできる人は存在しないから。たとえ、誰にも頼らずに済むように老後資金を貯めていたとしても、90の老人のケアをするのは、そのとき現役の人間であって、貯金そのものではない。今の子供や、まだ生まれていない将来世代にケアしてもらうことになる。当然、現役世代が多ければ多いほど、同じお金で得られるケアの質と量は高くなる。特に、子供がいなくて、全面的に社会が提供するケアに頼る予定なら、そのケアを担う世代を増やす政策を減らそうなんて、自分の首を絞めている。
あと、わかってないけど、育児支援とか教育支援は親を助けてるんじゃなくて、育児の際の負担を軽減しているんだからね。手厚い支援があったとしても、純粋に負担で見たら、子育てしている親の方が非モテ独身よりずっと大きい。将来の日本を担う世代、つまりあなたが老人になって一人で生活できなくなった時に社会を維持してくれる世代を育てている人たちにかける言葉は、文句よりも感謝だろう・・・。
特定の話題に絡めればそれなりの読者数が安定して稼げる。更にはリレー小説的に続いてブームになることも。でもブームの大部分は自演だと思います。あとツイッターでたまに回ってくるけどあれも自演だと思いますよ。
怪文書投稿サイトとして一時期圧倒的地位に上り詰めたサイト。今でもサザエbotの生き残りみたいのがいるけど、大して面白くもないことをダラダラ喋ってるなと思うばかり。
正直言って、本当に面白い人はいなくなってつまらん連中がボク面白いよアピールに必死なだけなので、そういう使い方はしない方が幸せになれると思います。全時間帯対応雑談チャットとしては今なお優秀。
告発最大手の座に上り詰める器だったのにその路線を伸ばすものが現れずに無事死亡。
でも内容が偏っているせいで怪文書の総数が少なくやや質が低いように思う。身内贔屓が多いのでかつてのTwitterのようなお友達を増やして相互にいいねしあう気持ち悪い空気がちょっと無理。
前もって用意した怪文書をさも今思い付きましたよ感を出しつつ読み上げることを競う新型のスポーツが大流行している謎の空間。対談形式で怪文書を投げ合うフリースタイル怪文書配信もあり、コンテンツの幅は広い。
フィクションの体をなしてその実はただただ怪文書であるというスタイルが全面的に許されているお気持ち長文投稿サイト。キャラクター同士の掛け合いを装えば1000000行の怪文書であっても読者は付いてきてくれるので、話しが長過ぎる人にこそオススメのようだ。
小説家になろうと違って二次創作が全面的に許されているので伸び伸びと特定作品の怪文書が投稿できる。エヴァンゲリオンやKANONの二次創作怪文書を書いてたような人種におすすめのサイトである。
ソウル市長補欠選挙で『女性一人でも住みやすいソウル』をスローガンにしてる女性議党のキムジナ候補って
結婚出産育児を女の人生の基本とする既存のフェミニストに対して批判的なフェミニストからも誉められてるけれど
性差別、性暴力の撤廃。誰かの妻や母、娘としてではなく、女性が一人で語られる事。
ソウルという大都会でのみ、そういう『女性一人でも住みやすい』が実現したところでそれってそんなに素晴らしい事?どうしてそれらを国会議員になって、韓国全土で実現しようとしないの?
日本でもし同じような候補が都知事選に立候補して勝ったとしても、上京できない地方在住女子には何の恩恵もないし東京と地方との格差に絶望するだけだと思うんだけど。
同じ主張を国会議員選の候補者が言うなら素晴らしいと思うし全面的に支持するよ
でもソウル市長選でしょ?そんなに誉める事?
あと自分の記憶では『女性一人でも住みやすい社会』を国会議員選挙で訴えていた女性候補者なら日本にもちゃんといたよ
そういう自国の女性候補者を応援しないで海外凄いだけ言われてもなー、って印象。
結局よくある出羽の守なのでは。
研究・教育・言論・メディアにかかわるすべての人へのオープンレター:女性差別的な文化を脱するために
https://sites.google.com/view/againstm/home
要旨としては、
「公正で冷静な学術的議論・論争を実現するために、中傷や差別的発言をアカデミズムから撲滅しよう」
で、その通りだと思う。
ただし、だとすればなぜ、このような曖昧な書き方をするのか。
また私たちは、中傷や差別的発言とそうでない発言との境界が時に明瞭ではないことも理解しています。
しかし、事実として両者のあいだに明確な線が引けない場合があることは、その概念的区別を求めることが無意味であることを意味しません。
明瞭な線引きが難しいにせよ、「何が中傷や差別的発言に当たるか」が最大の論点であることは、論を待たない。
「何が中傷や差別的発言に当たるか」についての基準を明確にせぬまま「私たちの思う中傷や差別的発言」を列挙するフェミニズムの不誠実なやり方を、今まで何度となく見てきた。
「お気持ちと揶揄するな」と言うが、そのように揶揄される原因は、毎度毎度、フェミニズム側の論理に内在している。
今回の件については、呉座氏の発言の中に、はっきりと中傷や差別的発言が含まれていたから、多くの人が声を上げたのだという以外にはない。
何が中傷や差別的発言に当たるかについて、定義することは不可能ではない。
例えば中傷については、
のように、不完全であっても、文言に起こすことの意味は少なくない。
フェミニズムの側は、今までそうした振る舞いと無縁だっただろうか?
差別的表現でないもの、例えばただ性的な表現について、根拠なく「差別的表現だ」と呼んで糾弾する行為は、誹謗中傷に相当する。
タイトルに尽きるんだが
半月に一度くらい上司とキャリア面談しているんだが、その度に成長のプランが感じられないなどのご指摘をいただく
パワハラとか厳しすぎるということはない。怒鳴られることもないし、会社辞めろみたいなことも言われない
けどとにかくそれが憂鬱で仕方なく、上司に対しては何をしても不十分と言われるに違いないと思ってしまうので、事務連絡や飲み会(リモート)ですら気乗りしない
会社(業種)向いてないのかな
お前、主人公に無理矢理協力させられてるだけだった癖に、なんで主人公がピンチの時でも献身的に支えてるんだ、というギャップ萌え。
そういうキャラに増えてほしい。
こういうキャラは、チャラくてセコくて悪くてゲスい、油断のならない空気出してるおっさんキャラがやった方が良い。
銀英伝のバグダッシュは、割と最初から全面的に白旗揚げてたので若干萌えない。
あと、心情の変化を描写しない方がより良い。
『しゅ、主人公・・・』みたいな、ああこいつもう裏切りそうにないな、という描写をされてしまうと萎える。
ベジータはチャラさやセコさやゲスさが足りないからイマイチ。(結局何度か敵に回って迷惑かけてるし)
リヴァイアスのエアーズ・ブルーは、主人公に肩入れするのがかなり遅かったのと、もうちょっと活躍してくれてればな。惜しいキャラだった。
これで終了です。
前回記事『2018~2019年頃に執筆したwrwrd二次創作ガイドラインについての自己解釈』を執筆するきっかけとなった出来事についての記事なので一部同じ内容が含まれています。
どちらか一方しか読んでいなくとも問題はないような作りとなっています。
↓以下、本文
放送参加者のリスナーがMinecraftで『黒歴史ガチャ』と言うものを製作。
それを先にTさんが回し、「貴方は○○番目のアリス」と書かれた紙が出て来た。
次にKさんが回したら「森頁」(実際は正式名称が書かれていた)とだけ書かれた紙が出て来た。
端的に言えば、そのサイトは現在ナマモノや半ナマと呼ばれる実在する人物を元にした二次創作が席巻していた。
そして、キーワードランキングは彼らの略語が1位となっていた。
各個人が運営するサイトはその界隈を知る人達しか分からないパスワードがかけられていたが、アピール文と言う『サイトの内容を示す文章』がサイト名の下には掲載されていた。
そこにはCP名やR系を示す内容、サイト運営者の趣向などが書かれていた。
実際には分からないが、恐らくKさんはそれらを見てしまったと思われる。
数分間の無言と困惑したような呟きから、「虚無の塊」と言う言葉が出て来た。
見た感じではかなり引いている様子で、フォローのような「世界は広い」と言う言葉も残した。
いつも明るくどんな事でも笑い飛ばす彼のテンションが明らかに下がっているのが見受けられた。
ナマモノと言うジャンルは隠れて行うべきもの”と”本人の目に晒してはいけない”と言うタブーが破られた。
『黒歴史ガチャ』を作った人に、ナマモノを本人に見せる意図はなく、
「おや、見つけてしまいましたか。うんたらかんたら、ごゆっくりどうぞ」
などが盛んだった頃の話を想定したもので、今の20代・30代が過去に通ったであろう夢小説などオリジナルHP作成が盛んだったあのサイトは外せなかった。
黒歴史=あのサイトは分かる人には分かる、今の若い世代には分からない公式である。
黒歴史ガチャの意図を汲めば、彼に悪意はなかった事が理解できる。
本放送を見てもいないのに憶測で勝手に決め付け、責めるのはお門違い。
責めるのであれば、
誰の目にも触れられる可能性のある場所で活動していた、検索避けもろくにしていなかった、ランキング1位に躍り出ている危険性を理解できなかったサイト運営者達である。
結果として、
ナマモノの界隈ルールを明確に理解出来ていなかったサイト運営者たち
その全てが衝突して起きた事故であり、一部によっては自業自得である一連の出来事であった。
まず、この問題は”ご本人様の目に晒されてしまったこと”と”ナマモノ界隈のルールを守れていない”と言う点が一番の問題であると考えています。
そして、もう1つは事態を正確に把握できていない人達が憶測で話し合い、それを鵜呑みにしていることです。
ナマモノと言うのは非常にデリケートでつついてしまえばすぐに崩れてしまう。そんなものです。
何故かと言うと、現実世界で生きている生身の人間が、二次創作と言う人の想像によって自由に動かされているからです。
つまり、簡単に言えば他人を自分の想像の中で思いのままにしていると言うことです。
例えば、生身の人間を二次元に置き換えて、動物の耳や尻尾を生やしたり、TS(性転換)をさせたり、同性同士で恋愛をさせたり、団体であればメンバー同士でそう言った関係にさせたり。
同性同士の恋愛と言うのは現代社会においても理解がされにくいものとなっています。
だからこそ、他人に不快な思いをさせないためにも、ナマモノと言うのは隠れて行うべきなのです。
当然、その他人の中には題材にされているご本人様達も含まれます。
自分に置き換えて考えると分かりやすいですが、長く付き合いのある親しい友人と自分が第三者の手によってカップルにされている。そう言った行為を描かれている。となれば不快に思うでしょう。
これは、友人が同性であろうと、異性であろうと同じだと思います。
「全然大丈夫、気にしない」など、強気の発言をする方も中にはいるかと思いますが、それは相手にもよるでしょうし、誰とでも問題ないと言うのであれば、少々貞操概念を見直した方がよろしいかと思います。
自分自身が、顔も名前も知らない人に好きに描かれているのは不安や恐怖があるものです。
内容によっては嫌悪感を抱き、名誉を汚されたと訴えを起こす方もいるかも知れません。
我々だ内では公式でガイドラインが出されているので、それはないかも知れませんが。
万が一もありえますので。
そして、そのガイドラインですが。
曰く、
「○○の主役は我々だ!」に関するリアル、ネットを問わないあらゆる逸脱も含めた二次創作表現を全面的に歓迎しています。
利用者間では
・作劇上、我々だの中の人の感情や事実を配慮せず、忖度もしない
と、書かれています。
これを見て、何人かの方は「あぁ、自由にやっていいんだ」と思ったかも知れません。
しかし、よく見て欲しいのですが、
と書かれていますが、本人に見せて良い、不特定多数の人々の目に触れられる場所に無遠慮に置いても良い。とは書かれていません。
作劇、と言うのは物語やイラストの事です。現実世界、ネット上の事ではありません。
『イラストや小説などの中では、実際の中の人の感情や事実(年齢や性別、性格)などに拘らず好きに変えても構わない。また、それを製作するのに、自分たちへの配慮は要らない。』
と言う事になります。
また、
“どんな創作表現にも、とてもおおらかに”と“各人の解釈や方針に干渉しない”ですが。
これら二つは利用者間、つまりこれらのジャンルを楽しむ人たちの間の決まりであり、作劇上の表現の仕方は自由である。と言うことにすぎません。
何が言いたいかと言うと、この3つは『多くの人の目に触れる場所でナマモノの二次創作をして良い』『これまでのナマモノ界隈のルールを無視して良い』とは言っていないということです。
注意して欲しいことに、
コスプレなど「どこで何の表現をして良いか」はそれぞれの場を提供する主催者によって制限されていることがあります。
そうした場で発表をする場合、主催者の定めるルールを優先してください。
と、書かれていますが、これはコスプレを例に出しているだけで、限定している訳でもありません。
これまで何年にも渡り、先人様達が築き上げてきたルールを無視して良いとは言っていないのです。
コスプレなど、と書かれていますが、言外にイラストや小説などの二次創作物も含まれています。
その界隈のルールに則り楽しむように明記されているのです。
ですから、ナマモノを取り扱う際は検索避け、パスワードの完備、TwitterなどのSNSでは鍵垢にする。など、○○の主役以外のナマモノのを取り扱っている方達を倣って活動するべきなのです。
散々ナマモノと書きましたが、腐を匂わせるもの、事実を大幅にねじ曲げたものは全てナマモノになります。
ファンアート、と言われてしまえばそうかもしれませんが明らかにファンアートの域を越えたものは全て鍵垢など大多数の目に触れない場所に隠すべきかと思います。
これら全てが出来ていないから、他のナマモノに携わる方々やそうでない方々からも民度が低いと言われるのです。
もちろん、きちんとしている方々がいるのは存じています。
しかし、今回のことでそれを証明してしまった。守れていなかったことを露呈してしまった。
更には最悪の結果としてご本人様の目に晒されてしまったのです。
これは数年前に◯◯の主役は我々だ!にはまっていた頃に公式から出されていたガイドラインを自分なりに噛み砕いて理解が追い付けていない人に向けて注意・警告を目的に執筆したものです。
(当時は分別が出来ていない方が多かったため)
自己解釈が多分に含まれており、これが全て正しいと言うつもりはありません。
ファイル整理をしていた際に誰にも見せずに閉まっておくのは少しもったいない気がしたので自己満足のために放流しておきます。
ちなみに私は2019年の冬辺りからとあることがきっかけで2年ほど彼らから離れていました。なので、現在とはガイドラインが違っているかも知れませんので、正しいガイドラインは公式が掲載されているサイトの閲覧をご覧下さい。
↓以下本文
ナマモノと言うのは非常にデリケートでつついてしまえばすぐに崩れてしまう。そんなものです。
何故かと言うと、現実世界で生きている生身の人間が、二次創作と言う人の想像によって自由に動かされているからです。
つまり、簡単に言えば他人を自分の想像の中で思いのままにしていると言うことです。
例えば、生身の人間を二次元に置き換えて、動物の耳や尻尾を生やしたり、TS(性転換)をさせたり、同性同士で恋愛をさせたり、団体であればメンバー同士でそう言った関係にさせたり。
同性同士の恋愛と言うのは現代社会においても理解がされにくいものとなっています。
だからこそ、他人に不快な思いをさせないためにも、ナマモノと言うのは隠れて行うべきなのです。
当然、その他人の中には題材にされているご本人様達も含まれます。
自分に置き換えて考えると分かりやすいですが、長く付き合いのある親しい友人と自分が第三者の手によってカップルにされている。そう言った行為を描かれている。となれば不快に思うでしょう。
これは、友人が同性であろうと、異性であろうと同じだと思います。
「全然大丈夫、気にしない」など、強気の発言をする方も中にはいるかと思いますが、それは相手にもよるでしょうし、誰とでも問題ないと言うのであれば、少々貞操概念を見直した方がよろしいかと思います。
自分自身が、顔も名前も知らない人に好きに描かれているのは不安や恐怖があるものです。
内容によっては嫌悪感を抱き、名誉を汚されたと訴えを起こす方もいるかも知れません。
我々だ内では公式でガイドラインが出されているので、それはないかも知れませんが。
万が一もありえますので。
そして、そのガイドラインですが。
曰く、
「○○の主役は我々だ!」に関するリアル、ネットを問わないあらゆる逸脱も含めた二次創作表現を全面的に歓迎しています。
利用者間では
・作劇上、我々だの中の人の感情や事実を配慮せず、忖度もしない
と、書かれています。
これを見て、何人かの方は「あぁ、自由にやっていいんだ」と思ったかも知れません。
しかし、よく見て欲しいのですが、
と書かれていますが、本人に見せて良い、不特定多数の人々の目に触れられる場所に無遠慮に置いても良い。とは書かれていません。
作劇、と言うのは物語やイラストの事です。現実世界、ネット上の事ではありません。
『イラストや小説などの中では、実際の中の人の感情や事実(年齢や性別、性格)などに拘らず好きに変えても構わない。また、それを製作するのに、自分たちへの配慮は要らない。』
と言う事になります。
また、
“どんな創作表現にも、とてもおおらかに”と“各人の解釈や方針に干渉しない”ですが。
これら二つは利用者間、つまりこれらのジャンルを楽しむ人たちの間の決まりであり、作劇上の表現の仕方は自由である。と言うことにすぎません。
何が言いたいかと言うと、この3つは『多くの人の目に触れる場所でナマモノの二次創作をして良い』『これまでのナマモノ界隈のルールを無視して良い』とは言っていないということです。
注意して欲しいことに、
コスプレなど「どこで何の表現をして良いか」はそれぞれの場を提供する主催者によって制限されていることがあります。
そうした場で発表をする場合、主催者の定めるルールを優先してください。
と、書かれていますが、これはコスプレを例に出しているだけで、限定している訳でもありません。
これまで何年にも渡り、先人様達が築き上げてきたルールを無視して良いとは言っていないのです。
コスプレなど、と書かれていますが、言外にイラストや小説などの二次創作物も含まれています。
その界隈のルールに則り楽しむように明記されているのです。
ですから、ナマモノを取り扱う際は検索避け、パスワードの完備、TwitterなどのSNSでは鍵垢にする。など、○○の主役以外のナマモノのを取り扱っている方達を倣って活動するべきなのです。
散々ナマモノと書きましたが、腐を匂わせるもの、事実を大幅にねじ曲げたものは全てナマモノになります。
ファンアート、と言われてしまえばそうかもしれませんが明らかにファンアートの域を越えたものは全て鍵垢など大多数の目に触れない場所に隠すべきかと思います。
これら全てが出来ていないから、他のナマモノに携わる方々やそうでない方々からも民度が低いと言われるのです。
もちろん、きちんとしている方々がいるのは存じています。
しかし、今回のことでそれを証明してしまった。守れていなかったことを露呈してしまった。
更には最悪の結果としてご本人様の目に晒されてしまったのです。
現状の我々だ内のナマモノの取り扱いを見直さなければ近い未来、確実に飛び火が多方面に行ってしまうかと予測できます。
そうならないためにも、ご自身の作品の取り扱いを今一度見直してください。
ご一読ありがとうございました。
人生最悪
就労支援施設3カ月くらいで自信つけて再就職しようとしてたのに、質問したときの値段は各々で違いますってはぐらかされて、(年収225万退職後)実際通ったら8回通っただけで
毎月9千円以上払わされて、半年たっての全然変化ないし、女らしさを強要してくる女集団やら傍若無人な男集団の変な生徒ばかりで全然集中できない。
オタク男1人女1人がオタクアピールして耳からも目からもうるさいくて、オタク大嫌いになった。
日本男尊女卑の2次元オタクばっかし、イライライライラしてる。
日本って一建物に若い美少女キャラを模した物を置かないと気が済まないみたいで、他の国はそんなことないのに、もうこんな国に生まれたくなかった。
萌えキャラのボイスレコーダーで発表会なんて日常使いされたら集中できないから、スタッフに頼んだら話通してもらえると思ったのに、
「それの何がいけないんですか?私はそう思いませんでした」「あの場にいた人達は誰もそんなことを言っていなかったので、問題ないです」って、なんやねん
そこは、「辛かったですね」、とか、「本人にこういう意見がありましたと伝えておきます」、とかではないの?
落ち着いたアナウンスボイスとか色々あるし、わざわざ小学生を想定したような萌えキャラボイスレコーダーをチョイスする理由なんなん?って感じ
「女の子の声の方がみんなもうれしいでしょ」って、そんなこと思ってないから、もう思考が異常!!
面談無駄にして言ったら2・3週間かかって、「みんなそんなに気にしてませんでしたが、言っておきました」ってちょっと嫌な感じで解決。
で、考え方は変わらなくてあの手この手で、オタクが手法を変えて、発表会してた。
こっちは理解する姿勢で一緒勉強しようとしてるのに、この態度。
なんか言う度に、担当スタッフが否定的で荒い言動目立って最悪。
こっちも言いたくないんだからさ、いい加減方針決めるなりして、オタク生徒の異様な行動について考えてくれよ!
資格に力を入れているところにすればよかった。
社会人としてじゃなく、社会全体で女としてしか見てもらえないなら、死んでもいいんじゃないかと思うねんけど、男が頑張って妊娠してくれないかな?
就労支援施設で新しくできたメイクアップの単発授業がでて、担当スタッフも勧めてるしメイクに興味あったから受けたら、ひどかった。
いつもおしゃれしている(資格を取っているのか不明な)女性生徒に授業任せて、
メイク内容より相手に対しての敬意の表れであり最低限のマナーですって、化粧は絶対ですみたいな言い方の方が強かった。
その場で指摘しないと許容した扱いにすると前に言われたから、面談で発表の仕方に文句言って怒ったら担当スタッフがカンカンに怒って
「発表会の前に目を通してこれでいいと思いました、みんなそう思っています」って、全面的に文句言った方が悪いみたいな対応。挨拶無視してガン飛ばしてきて最悪。
2021年なんだからもっとアサーション教えているくせに棘のない言い方を考えないのかな。
人に教える授業だからちゃんとしようとか考えてないのが、ひどい。
適当すぎ、授業生徒に任せるとか超手抜きだし、怒ったら怒り返してきて女性担当スタッフとか、この就労支援施設、最悪。
メイクで一時の容姿気にしてもそれで昇進するわけでもなくただ肌とお金と時間に消費されるだけなのに、同性だけはそういう目で見ているとか普通に仕事できなくなるやん。
男の髭と化粧が同レベル扱いなの腹立つ。
毎回毎回就労支援施設に萌えキャラ人形とひざ掛けとか持ってきて周囲に見せびらかして自分誇示してきて最低、社会人になる気ないだろ!死んでほしい!!!
パパに言えば解決すると思ってるとか、夢見がちな奴だな。
パパに行っても解決能力ないし、日本の男は害悪行動しかしないよ。
この前友人と歩いていた18歳の男の子が、走行中の車に「うるさい」と注意したら、
3人組の男の子らに背中付近を刃物で複数回刺されて、死亡したニュースがあったけど、
男甘やかしてほったらかしたせいで、そのうちお前もひどい目にあうんだよ。
パパが解決してくれるかな~
男嫌い、就労支援行ってるけど、固まって席に座らないでバラバラに座って最悪、隣同士座れよ、固まって座れ!
急に萌えキャラ毛布持ってきたと思ったら、休み時間の度に毛布羽織って立ち上がって壁の方向いて、毛布の柄丸見えで気持ち悪いんだけど!
お前冬も半袖だったくせに、悪意あるだろ!無自覚でしてるとかだったら、死んでほしいんだけど。
スタッフも屑だし!