はてなキーワード: 一人ぼっちとは
バトルシップとロサンゼルス決戦で眠気を吹き飛ばしモンエナで仕事に向かう
残業は一切なし。
すぐさま帰る
そして子育てターン
妻は昼間、甲高い声でなく子供のおかげでより鬱状態になり、その愚痴も聞く。僕は愚痴を言わないどっちが辛いかという不毛な話になるからだ
本当は、夫婦で同じ目標をもってパートナーシップを持って育児をすべきだろうが、この耐え難いストレスで二人は攻撃的になった。
お互い敵がほしい。
僕も表立って何も言わないが、本当に辛いということを言いたかった。
妻には辛い日々を忘れさせるために結構ほしいものを買ってあげた
僕は金がないので集めていたゲームなどを売った。月々の小遣いは辞退した。
でもそれを良くやった偉いという人はいない。
ランボーの気分だ。
一人ぼっちの戦いだ
いや本当は戦友はいるんだ。妻が戦友なんだ。でも極限状態ではそんなことを思う余裕はなかった。
何年も前の話
思い出話でも妻にとっては僕は苦労をしていなかったことになっているので、なんだか寂しい話だ
私は大学1年生だ。私は生まれてこのかた、誰かの一番になったことがない。小中高と、友達はそれなりにいたが、親友と呼べる存在はいなかった。また、中学生くらいのころに恋人がいたこともあったが、どれもわたしからの強いアプローチによるもので、結局どの人からの想いも強く感じることは出来ず、短い期間で終わってしまった。当時まだ幼かった私は、勉強を頑張れば、いい大学に入れば、私のことを(たとえ打算込みだったとしても)一番に思ってくれる人がいるかもしれない、と思っていたのだ。私はその甲斐あり、世間一般では高学歴、と言われる大学に入学することができた。しかし現実は甘くなかった。現状恋人などいないし、その予感を感じさせる存在もいない。コロナ禍の影響、という可能性を考えることはできなくもないが、高校生活による私の状況を踏まえると、おそらくそれは関係ないだろう。
私なりに原因を考えてみると、その最も大きなウェイトを占めるものは、やはり顔を含めた見た目によるものが大きいと思われる。私はお世辞にも良い見た目とは言えない、いやさらにいうとかなり悪い見た目をしているらしい。自分の見た目の良し悪しというのは自分では判断することが難しいが、周囲の反応を見るにそうなのだろう。見た目を構成するものは大きく分けて二つあり、顔と体型である。このうち、体型というものは顔と比べるとまだ自分の力によって変えられるものだと世間一般では言われており、また数値により、自ら客観的な判断をすることも可能である。しかし私にはいくら努力しても変えることができなかった。どうやら私の体質では体型を変えることは(少なくともこの年齢では)不可能のようだ。また顔の方はもっと悪いようだ。マッチングアプリ、というものがある。マッチングアプリは多くの場合写真の掲載が必須であり、また判断に利用できる情報も少ないため、どうしても顔による判断が中心となる。そのような顔によりヒエラルキーが決まる場において、私の価値は著しく低いようだった。
私は結局何かを成し遂げたとしても、顔を原因に嘲笑される運命なのだ。よくアスリートなどが何かを成し遂げたとき、5chやTwitterなどでは、その品評が行われる。同じ成果を出したとしても、見た目が悪いことにより、不当な中傷を受けたりすることもしばしばみられる。このようなものを見る限り、私が何かを成し遂げたとて、嘲笑され、見下されるのはほぼ決定しているのだろう。
話が逸れてしまったが、見た目が悪い、というのはやはり他人の中での自らの序列を下げる大きな要因であることは間違い無い。
だれからも序列の低い人間であると、いなくなってもだれの気にも止められなかったり、逆に他人に距離を詰めすぎて敬遠されたり、といったことが起こる。結婚、そして子孫を残すことなど到底不可能である。
そしてタイトルにもあるように人生の終わりについてだ。これは今から私が死ぬ、といったことではなく誰の一番にもなれない人間がどのように命の終わりを迎えるか、ということである。私はまだ命の終わりを迎えたことがないので分からないが、私が想像するに、孤独死と言われるような、一人ぼっちの暗い、あるいは明るい部屋で誰の気にも止められずひっそりと生物的死を迎え、その後数週間、あるいは数ヶ月経った後に異臭など、なんらかの理由により死亡が確認され、戸籍として、いわば社会的に死ぬ。悲しむ人間がいないので葬式もない。
ならば今死んで社会に衝撃を与えたり、低い序列ながらも関係を持ってくれている人間に影響を与える方が良いのではないか、という考え方もあるだろう。しかし私にはそれはできない。第一に、私は死が怖い。死というのは、確定した終わりだ。それが起こると、その後には何も起きない。生きてさえいれば、期待値は低いかもしれないが、万に一つの確率で、外れ値的な、幸福な人生を歩むことができるのかもしれない。悲しいかな、私はこの期に及んでまだ自らの人生に期待しているのだ。また、友人への申し訳なさ、というのも理由の一つだ。一番でないながらも、私を序列に入れてくれた人々を悲しませることは、わたしには出来なかった。
私はおそらく、今後の人生も、このようなことを考えながらも、笑顔を貼りつけて生きていくのだろう。与えられたカードで勝負するしかない、とは有名な言葉だが、私はどうやら奇跡を信じてその勝負に挑むしかないようだ。
私の地元(カナダ)には、小学校の近くの公園でよくギターを弾いて歌っていた日本人のおじいさんがいました。彼の父親は第二次世界大戦で亡くなった軍人で、母親は長崎の原爆で亡くなりました。
彼は60年代半ばに妻と2人の子供を連れて移住してきましたが、その直後に妻は癌で亡くなり、息子は90年代に交通事故で亡くなりました。彼には娘が一人(結婚してトロントに移住)いました。しかし、一人ぼっちにもかかわらず、彼はいつも私たちと一緒に歌うときには満面の笑みを浮かべていました。彼は年上の子供たちによくこの歌を歌っていましたが、私たちはその意味を理解することができず(彼は食べ物のことだと言っていました)、私たちはほとんど単語を発音することができませんでしたが、私たちはとにかく一緒に歌っていました。彼は私が小学校最後の年の途中で亡くなりましたが、その日まで毎日のように公園に通っていました。
マッドメンで聴くまで曲名は知らなかったのですが、そのエピソードのサウンドトラックを調べてみました。歌詞の大まかな訳を見つけて、この曲の意味を再認識したんだ... 私はめったに泣かないのですが、この曲を聴くと必ず涙が出てきます。
むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。
ある雪の舞い散る日、おじいさんが山へ芝刈りに行った帰りに沼のそばを通りますと、一羽のツルが罠にかかって苦しんでいました。
「おお、おお、可愛そうに」
おじいさんはすぐに鶴の罠をはずしてあげます。自由になったツルは嬉しそうに羽を広げて飛び立ちます。カーウカーウと声も弾んでいました。
家に戻ってからおじいさんはおばあさんに鶴を逃がしてやったことを話します。
「まあまあ、それはよいことをしましたね」
おばあさんもニッコリです。そこへ、トトトン。扉を叩く音がします。こんな夜更けに誰でしょうか。しかも外は雪です。
不思議に思いながらもおじいさんが「はいはい、どなたですかな?」と 扉を開けますと、そこには真っ白な着物を着たかわいい娘さんが立っていました。
「夜分すみません。都まで商いに向かう途中、大雪に降られて困ってます。どうか一晩泊めていただけませんか」
「それはお困りじゃろう。さあさ、中へ中へ」
おじいさんは娘を家に上げ、温かいお粥を出してあげます。話を聞いていると、娘は身寄りが一切なく一人ぼっちだということでした。
「それはかわいそうに。あんたさえ良ければしばらく家におってくれたらええ。この雪はもうしばらくはやまんじゃろうし。なあばあさんや」
「ほんと、そうしてもらえると私たちも年寄りだけの淋しい暮らしじゃから若い人がおってくれるんは明るくなってええんですよ」
こうして娘はおじいさんおばあさんと暮らすことになりました。娘は家においてくれるお礼にと、まめまめしく働きます。おじいさんの山仕事やおばあさんの洗濯を手伝います。掃除も丁寧で、うすよごれていた部屋がピカピカになりました。
ある時娘は布を織りたいので糸を買ってきてくれとおじいさんに頼みます。自分は織物が得意だから、少しでも家計の手助けがしたいというのです。
おじいさんが糸を買ってくると、娘は機織の周りに屏風を立てて、
「織りあがるまでけして覗かないでください」
と言って織り始めます。
ぎーこっとん、ぎーこっとん
屏風の向こうで機織の音が響きます。夜になってようやく娘は出てきました。
「これを町に持っていって売ってください」
それは見事なできばえでした。手触りはフワリと柔らかく、飛び立つツルの絵が刺繍されています。おじいさんおばあさんはびっくりしました。
おじいさんが町へ売りに行くと高い値段で売れました。そのお金で味噌や米を買って、久しぶりにごうかな夕食をとることができました。
「白米なんて何年ぶりじゃろう。ありがたいことじゃ」
と、三人で楽しく飲み食いしたあと、もう寝ようというころになって、娘は言います。
「私は夜なべして布を降ります。お二人は休んでください」
「なにを言うとるか、だいぶ頑張って疲れたじゃろう。今夜はゆっくりやすみなさい」
おじいさんおばあさんが止めるのですが、娘はとりあわず、明け方まで
ぎーこっとん、ぎーこっとん
機織りをしていました。
そして翌朝また見事な布が織りあがっていました。
おじいさんはそれを町に持っていって売る、
お米や味噌を買う
また、娘は夜なべして機を織る、
翌朝見事な布が折りあがる、
おじいさんが売る、
お米や味噌を買う
こんなことが一週間ばかり続きました。さすがに娘も疲れている様子です。
「今夜は絶対寝なさい。ムリがたたって病気になったらどうするんじゃ。今夜は、機織はナシ。ゆっくり休むんじゃ。わかったね?」
「でも…せめてもう一枚」
「だめだめ!約束しておくれ。今夜は休むって」
娘はしぶしぶ承知しましたが、「最後にもう一枚…急がないと」とぶつぶつ言っていました。
夜更け、おじいさんが目をさますと、
ぎーこっとん、ぎーこっとん
「またやっとるのか。まったく…どこまで自分を追い詰める気じゃ」
隣で寝ていたおばあさんも起きだします。
「おじいさん、だいぶ機の音がくたびれてますね」
「え、でも、覗いたらいけない約束じゃなかったですか?」
「そんなことも言っとられんじゃろう」
そうしておじいさんは屏風に近づき、
「まだ起きとるのかい」
…と声をかけようとしましたが、その時屏風のスキマからちらと中の様子が見えまして、
ハッ!?
おじいさんは一瞬目を疑います。
ぎーこっとん、ぎーこっとん
そこに娘の姿はなく、一羽の鶴が機を織っているのでした。鶴は自分の羽毛を抜いて、布に織りこんでいました。道理でキレイな布が織れるはずです。
おじいさんがボーゼンと屏風の前に立ち尽くしていると、娘がスゥーと出てきまして、
「見てしまったんですね」
「えっ?」
「どーも、あのときのトビウオです。でも、正体を知られたからにはもうここにいられません。いつまでも一緒に暮らしたかったのに…」
「すまん!のぞくつもりはなかったんじゃ。なんとかこのままいてくれんじゃろうか?」
「ほんとの娘みたいに思っとったんよ」
「おじいさん、おばあさん、ありがとう…。ここで過ごした楽しい思い出はけして忘れません」
見る見る娘は鶴の姿になりまして、カーウカーウと哀しそうに鳴いて、冬の空へ飛び立っていきました。
おじいさんおばあさんはその姿をいつまでも見つめていました。
家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。
「死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足で学校に行って、
眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。
そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、
ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。
次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。
高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身の無力感に苛まれていた。
次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、
たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちからも厄介者のような扱いを受けていた。
そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、
「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。
どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分が死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、
それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。
暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。
翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。
遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、
拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。
まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。
確かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。
冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。
「自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、
しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物を咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。
結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。
真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。
一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学で一人ぼっちになってしまったのだ。
そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。
最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大な希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在が可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。
あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。
私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、
そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった
素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚だけが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。
路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。
裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。
一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。
離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。
ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学を卒業することができた。
真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟に入院していると風のうわさで聞いた。
気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。
私は死ねなかった、自分の長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。
それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。
家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。
「死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足で学校に行って、
眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。
そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、
ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。
次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。
高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身の無力感に苛まれていた。
次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、
たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちからも厄介者のような扱いを受けていた。
そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、
「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。
どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分が死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、
それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。
暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。
翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。
遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、
拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。
まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。
確かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。
冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。
「自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、
しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物を咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。
結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。
真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。
一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学で一人ぼっちになってしまったのだ。
そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。
最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大な希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在が可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。
あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。
私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、
そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった
素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚だけが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。
路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。
裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。
一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。
離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。
ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学を卒業することができた。
真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟に入院していると風のうわさで聞いた。
気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。
私は死ねなかった、自分の長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。
それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。
私はどちらかと言うと友人側の人間だ。奇しくも年齢も32歳。
件のAさんや、30歳友達側腐女子さん達との違いは、友達が居なくなり、一人になったことだ。
20代からフリーランスで在宅で働いており、腐女子である自分の周りは
リア友も勿論いるが、同じ時間を共有している分ネットの友人達との方が遊ぶ回数も多く
朝から晩まで、お馴染みのメンツとの作業通話(という名の雑談)。
月に1回以上は同人イベントに参加し、その前後数日は上京してきた友人と遊ぶという
そして、30歳に差し掛かった頃、周りにちらほらと結婚する友人が出てきた。
彼女らも同じような生活をしていたが、家族が出来たことで以前ほど通話部屋やTwitterに常駐することはなくなった。
少し寂しいが、イベントで会うことは出来るし、そんなもんだろうと思った。
みんなはいつも通りそこに居て、楽しく遊んでていた。
正確には、結婚した友人達とはまだうっすらと付き合いが残っているが、それ以外のネットの友人達とはほぼ交流がない。
決定的な何かがあったわけではない。
結婚を機に会社員の配偶者に生活時間を合わせた結果、24時間いつでもネットに上がれるわけではなくなった。
通話部屋に入る時間が減り(深夜帯が一番活発だが、0時前後で寝てしまうので出会えない)
久しぶりに訪れたその部屋からは誰もいなくなっていた。
スカイプからもくりに移ったらしいが、私のアカウントが招待されることはなかった。
「入れて」と言えば、招待はしてくれるかもしれない。
しかし、それを言うことはないと思う。
昼夜問わずゲームや噂話、好きな作品の話でお互いの沼を披露し、Twitterには常駐がデフォルト。
面白い投稿があったら通話部屋にアドレスを貼り付け、盛り上がる。
ネット中心の生活をしている時は気づかなかったが、学生の遊び方だ。
同じ時間を共有できない分、近況報告などをしても友人達はあまり興味はなさそうだった。
アニメや漫画の話をしても、同じ濃度とテンションで作品に触れていない自分には相槌を打つくらいしか出来ない。
グッズ購入や課金も、生活を共にしている相手がいると、あまり活発にする気は起きない。
同人誌も、置き場所のことを考えるとどうしても買う頻度は減ってしまう。
一度あの生活から離れると、同じテンションには戻れなくなってしまった。
それを2年続けた結果、誰とも会話せずに、9時~18時で洋ドラを見ながら仕事をする日々だ。
コロナ禍でイベント予定も飛び、上京してくる友人もおらず、いよいよ彼女達と会う機会はなくなってしまった。
生活優先にした分、私だけ歳を取ったのだろうか。
服装なんかはどうでも良い。
趣味に突き進むAさんや30歳幼馴染さんを思うと、少し羨ましい気すらする。
頑張れば、あの日々に戻れるのだろうか。
うちの職場は育メンだかなんだかしらないが、男まで小梨女に仕事と責任を押し付けてくるよ。
「〇〇君は子供が生まれたばかりだから海外出張には行かせられない」「〇〇君は子供が1歳と2歳で、奥さん一人では手が回らないから残業が多い仕事はさせられない」
心の中で毒づきながら今日も元気にやっているよ。
42歳で色々諦めた人間から増田にひとつアドバイス。社会人としての責任なんて糞食らえだ。産めるなら産んでしまえ。それで会社がどうなろうと知ったことじゃない。このままなら増田が定年退職した後、夫に先立たれた後、増田は一人ぼっちだよ。歳をとって仕事もなくなったあとの一人ぼっちのお正月を想像してごらん。そんな時、そこまで尽くした会社は穴埋めをしてくれるか?退職金は弾んでくれるかもしれないけれど金じゃ家族は買えない。まあ、子供がいても一人ぼっちになる親もたくさんいるけど、自分の選択とやらに後悔するのよりはいいだろ。
いいか、生殖とか死に関するものは、常に計画の通りになんていかないんだよ。産まない/産む「選択をする」とか言っていないで、やってみて、計画通りにいかないものに思いっきり振り回されろ。それが生きるってことだろ。
一
これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。
むかしは、私たちの村のちかくの、中山というところに人類を守るためのお城があって、中山さまという将軍さまが、おられたそうです。
その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐」という狐がいました。ごんは、一人ぼっちのゴジラよりも大きな狐で、しだの一ぱいしげったアマゾンのような原生林の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って東京ドーム十個分の芋をほりちらしたり、菜種油の貯めてあるタンクへ火をつけて村を焼き払ったり、百姓家の裏手に建っている発電用風車の羽をむしりとっていったり、いろんなことをしました。
或秋のことでした。二、三年雨がふりつづいたその間、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。
雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、ごんが穴から出たことを知らせる警戒警報が地の果てまできんきん、ひびいていました。
ごんは、村を流れる黄河の十倍ぐらいある川の堤まで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水が少いのですが、三年もの雨で、水が、どっとまし、辺りの村々は全て水没していました。ただのときは水につかることのない、川べりの大きな鉄塔や、世界一長い橋が、黄いろくにごった水に横だおしになって、もまれています。ごんは川下の方へと、すっかり水没した高速道路を歩いていきました。
ふと見ると、川の中にシュワルツネッガーを百倍屈強にしたような人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと原生林の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。
「兵十だな」と、ごんは思いました。兵十はその名の通りグリーンベレーの選りすぐりの兵隊十人を瞬殺したという人類最強の男で、盛り上がった筋肉によってぼろぼろにはち切れた黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、総延長五十キロに及ぶ定置網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、お盆が一まい、大きな黒子みたいにへばりついていました。
しばらくすると、兵十は、定置網の一ばんうしろの、袋のようになったところを、水の中からもちあげました。その中には、車や家や橋の残骸などが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でもところどころ、白いものがきらきら光っています。それは、鯨ぐらい太いうなぎの腹や、ジンベエザメぐらい大きなきすの腹でした。兵十は、体育館ぐらいの大きさのびくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しょにぶちこみました。そして、また、袋の口をしばって、水の中へ入れました。
兵十はそれから、びくをもって川から上りびくを山の峰においといて、何をさがしにか、川上の方へかけていきました。
兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと原生林の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、定置網のかかっているところより下手の川の中を目がけて、大谷翔平投手のような豪速球でびゅんびゅんなげこみました。どの魚も、「ドゴォォォン!」と音を立てながら、にごった水の中へもぐりこみ、大きな水柱を立てました。
一ばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュオオオオオオンと超音波のような叫び声を上げてごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向うから、
「うわア石川五右衛門とアルセーヌ・ルパンと怪盗セイント・テールを足して三で割らない大泥棒狐め」と、地球の裏側でも聞こえるような大声でどなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままごんを縊り殺さんと巨大重機のような力で締めあげてはなれません。ごんはそのまま横っとびにとび出して一しょうけんめいに、超音速旅客機コンコルド並みの速度でにげていきました。
ほら穴の近くの、ごんの挙動を監視するためのセンサーの下でふりかえって見ましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。
ごんは、ほっとして、象ぐらいの大きさのうなぎの頭をかみくだき、なおも圧搾機のような力で締めあげてくる胴体を渾身の力でやっとはずして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。
二
十日ほどたって、ごんが、大日本プロレスを代表する悪役レスターである”地獄のカントリーエレベーター”弥助の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木で懸垂をしながら、弥助が、おはぐろをつけていました。総合格闘技界の若きカリスマ、”溶接王”新兵衛の家のうらを通ると、新兵衛がダンベルを上げながら髪をセットしていました。ごんは、
「ふふん、格闘技村に何かあるんだな」と、思いました。
「何だろう、異種格闘技戦かな。異種格闘技戦なら、プレスリリースがありそうなものだ。それに第一、告知ののぼりが立つはずだが」
こんなことを考えながらやって来ますと、いつの間にか、表に手掘りで地下30キロまで掘り抜いた赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その大きな、兵十が歩くたびに立てる地響きによってこわれかけた家の中には、大勢の人があつまっていました。よそいきのコック服を着て、腰に手拭をさげたりした三ツ星シェフたちが、厨房で下ごしらえをしています。大きな鍋の中では、本日のメインディッシュである”比内地鶏胸肉の香草和え~キャビアを添えて~”がぐずぐず煮えていました。
「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう」
お午がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、坐像としては日本一の高さの大仏さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向うには、ごんから人類を守るためのお城の大砲が光っています。墓地には、ラフレシアより大きなひがん花が、赤い布のようにさきつづいていました。と、延暦寺、東大寺、金剛峯寺、増上寺、永平寺など日本中の名だたる寺から一斉に、ゴーン、ゴーン、と、鐘が鳴って来ました。葬式の出る合図です。
やがて、世界各国から集った黒い喪服を着た葬列のものたち七十万人がやって来るのがちらちら見えはじめました。話声も近くなりました。葬列は墓地へはいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、跡形もないほど木っ端微塵にふみおられていました。
ごんはのびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、3m程の位牌をささげています。いつもは、赤い閻魔大王みたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。
「ははん、死んだのは兵十のおっ母だ」
ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。
その晩、ごんは、穴の中で考えました。
「レスリング女子世界チャンピオンだった兵十のおっ母は、床についていて、巨大うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十が定置網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母に世界三大珍味を始め、ありとあらゆる有名店の美味しいものは食べさせても、巨大うなぎだけは食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、巨大うなぎが食べたい、ゴテゴテに脂が乗って胃もたれがする巨大うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」
三
兵十は今まで、おっ母と二人きりで、ストイックなくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。
「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」
ごんは道場のそばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。
ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助のおかみさんが、裏戸口から、
「いわしを五千匹おくれ。」と言いました。いわしの仲買人は、いわしをつんだトラック三百台を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを満載にした発泡スチロール容器を三百人がかりで、弥助の家の中へもってはいりました。ごんはそのすきまに、車列の中から、五、六台のトラックをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の屋敷の裏口から、屋敷の中へトラックを投げこんで、穴へ向ってかけもどりました。途中の坂の上でふりかえって見ますと、兵十がまだ、落ちたら骨まで砕け散る井戸のところで小指一本で懸垂をしているのが小さく見えました。
ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。
つぎの日には、ごんは栗がなった木々を山ごと削りとって、それをかかえて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、鶏のささみ肉十キロの午飯をたべかけて、茶椀をもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。へんなことには兵十の頬ぺたに、かすり傷がついています。ボクシング世界ヘビー級王者と戦った時も傷一つつかなかった兵十の顔にです。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとをいいました。
「一たいだれが、いわしのトラックなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人と思われて、いわし仲買人のやつに、ひどい目にあわされかけた。まさかトラック三百台が一斉に突っ込んでくるとはな。受け止めるのはなかなか骨だったぞ」と、ぶつぶつ言っています。
ごんは、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし仲買人にトラック三百台で突っ込まれて、あんな傷までつけられたのか。
ごんはこうおもいながら、そっと兵十の三十年連続総合格闘技世界王者防衛を記念して建てられた東洋一の大きさを持つ道場の方へまわってその入口に、山をおいてかえりました。
つぎの日も、そのつぎの日もごんは、山を丸ごと削り取っては、兵十の家へもって来てやりました。そのつぎの日には、栗の山ばかりでなく、まつたけの生えた松の山も二、三個もっていきました。
四
月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を間断なく降り注ぐ砲弾を手で払いのけながら通ってすこしいくと、非常時には戦闘機が離着陸するために滑走路並みに広くなっている道の向うから、だれか来るようです。話声が聞えます。チンチロリン、チンチロリンと緊急警報が鳴っています。
ごんは、道の片がわにかくれて、じっとしていました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と加助というムエタイ世界王者でした。
「そうそう、なあ加助」と、兵十がいいました。
「ああん?」
「おれあ、このごろ、とてもふしぎなことがあるんだ」
「何が?」
「おっ母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに大量の土砂を、まいにちまいにちくれるんだよ」
「ふうん、だれが?」
「それがはっきりとはわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ」
ごんは、ふたりのあとをつけていきました。
「ほんとかい?」
「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見に来いよ。俺の屋敷を埋め尽くす土砂の山を見せてやるよ」
「へえ、へんなこともあるもんだなア」
それなり、二人はだまって歩いていきました。
加助がひょいと、後を見ました。ごんはびくっとして、小さくなってたちどまりました。加助は、ごんには気づいていましたが、そのままさっさとあるきました。吉兵衛という館長の家まで来ると、二人はそこへはいっていきました。ポンポンポンポンとサンドバッグを叩く音がしています。窓の障子にあかりがさしていて、兵十よりさらに大きな坊主頭がうつって動いていました。ごんは、
「連合稽古があるんだな」と思いながら井戸のそばにしゃがんでいました。しばらくすると、また三万人ほど、人がつれだって吉兵衛の家へはいっていきました。千人組手の声がきこえて来ました。
五
ごんは、吉兵衛館長主催の一週間で参加者の九割が病院送りになるという連合稽古がすむまで、井戸のそばにしゃがんでいました。兵十と加助は、また一しょにかえっていきます。ごんは、二人の話をきこうと思って、ついていきました。中山将軍が最終防衛ライン死守のために投入した戦車部隊をふみふみいきました。
お城の前まで来たとき、振りかかる火の粉を払いながら加助が言い出しました。
「まあそうだろうな」と、兵十は飛んできた流れ弾をかわしながら、うんざりした顔で、加助の顔を見ました。
「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、怪獣だ、怪獣が、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」
「そうかなあ」
「そうだとも。だから、まいにち怪獣にお礼参りをするがいいよ」
「無茶を言うな」
ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、怪獣にお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。
六
そのあくる日もごんは、栗山をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は道場で縄登りのトレーニングを行っていました。それでごんは屋敷の裏口から、こっそり中へはいりました。
そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が屋敷の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。
「ようし。」
兵十は立ちあがって、中山の城に設置してある、対ごん戦に特化して開発された砲身長30mの520mm榴弾砲をとってきて、火薬をつめました。
そして足音をしのばせてちかよって、今門を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、びくともしませんでした。兵十は五百発ほど打ち込みました。ごんはかすり傷一つ負っていません。兵十は榴弾砲を剣のように構えると、ごんの足に五千連撃を叩き込みました。ようやくごんは足をくじいてばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、家の大部分が栗山で押しつぶされているのが目につきました。
「おやおや」と兵十は、うんざりした顔でごんに目を落しました。
「ごん、やはりお前だったのか。いつも栗山をくれたのは」
ごんは、お礼を言われることを期待したきらきらした目で、うなずきました。
分かる人には分かるだろうか。
もう葛藤し始めてから何年も経つが、一度自分の気持ちを整理する意味も含めてここに書き出してみようと思う。
鮮明には覚えていないが、幼稚園の頃からそういう傾向があった。幼稚園での生活に馴染めず、度々教諭の手に終えないほど泣きわめいて親を召喚していたらしい。次第にそういったことは緩和していき、遊び相手も出来たのだが、どことなく溶け込めきれず疎外感を感じていたのを朧気ながらに覚えている。
小学校に入っても同じだった。決して誰にも相手にされないわけでもなく、友達はそれなりにいたと思うのだが、空気が読めずに(後で自己分析した結果、俺はかなり空気の読めない言動をしていたことに気付いた)すれ違うことが度々あった。でも当時はまだ小学生ということもあり、今が楽しければよしといった感じで、大して気には留めなかった。
大きな変化があったのは中学生の頃だった。俺はこの頃から自分が周りからどう思われているかをかなり気にするようになった。最初こそ今まで通り傍若無人に振る舞っていたものの、次第に自分への非難を重く受け止めるようになっていった。ヤンキーからも目を付けられ、ターゲットにされた。自分の今までの振るまいを見直し、なるべく目立たないことを意識し、無難な発言しかしなくなった。その結果、他人から非難や攻撃を受けることは減ったものの、つまらない奴だと思われ人が離れていった。
この頃から他人との接し方が本当に分からなくなった。高校に進学し人間関係は一新されたが、友達作りに難航し、最近の言葉で言うと陰キャと呼ばれるような大人しい人達と細々と過ごした。一般的なイメージの青春とはあまりにかけ離れた3年間だった。
大学からは地元を離れ、一人暮らしを始めた。大学時代はアルバイトや研究室などそれなりに他人と関係を持つ機会はあったのだが、本当に最低限の関わりしか持たなかった。人と関わることに疲れたのだ。高校まではギリギリ出来ていたが、大学ではついに友達と呼べるような人は一人も出来なかった。
一応いわゆるレールから脱線することはなく、無事就職し数年が経つ。もうアラサーと呼ばれる歳になった。相変わらず他人との付き合いは最小限にとどめ、ほとんど会社と家を往復するだけの毎日を送っている。
大学も就職先も超一流ではないが、それなりのブランドはある所だ。俺の履歴書だけ見れば、多くの人はそれなりに順調な人生を送っていると思うかも知れない。しかし俺はその間、多くの大切な物を失ってきた気がするのだ。例えばだが、殆どの人が大学までに済ませているであろう恋愛もセックスも済ませていない。集団で何かを成し遂げ、感動を分かち合った経験もない。今まで自分の人生を振り返って誇りに思えるのは、色々悩みながらも何とか形だけは順調に来れたということくらいしかない。本当にそれしかない。
俺の人生は外側だけは普通に見せることが出来ても、中身は決して普通ではないのだ。しかし、今さら「普通じゃない生き方」に振り切ることも出来ない。数少ない自分を信頼してくれている人まで裏切ることになるし、本当に本当の一人ぼっちになるのが怖いのである。これからも今までと同じように普通を演じながら進むしかないのだが、心の中に悲鳴を上げている自分がいるのも事実だ。果たしてこのままいつまでも進み続けられるのだろうか。この先も何十年と続く人生を…。
冒頭で気持ちを整理すると言ったが、あまり整理された文章にはなっていないと思う。長々と申し訳なかった。何か感じたことがあればコメントしてください。こんなしょうもない文章でも最後まで読んでくれた人がいれば、心から感謝する。
「君がずっと寝てるもんだから、ずっと一緒にいられて幸せだね」
「お散歩ね、楽しいよね。私も好きだよ。でも一緒に寝るのも好きだよ」
「りんご美味しいよね。もっと食べていいよ、何でも食べていいよ」
「まだ頑張るの?そっか偉いね、じゃあ一緒に頑張ろうね」
「私のこと好きなの?ありがとう、私も大好きだよ」
そんないつもどおりの他愛のない会話をして、犬が寝たら一人でメソメソ泣いて、という10日間を過ごした思い出。
犬のことを思って泣いたというよりは、犬のいない中自分だけ生きていくのがが怖くて泣いていた気がする。
寂しいな、怖いな、一人ぼっちだなって。
ちなみに後悔はあまりしていない。死ぬ前は色々悩んでいたが、最期の日に犬が目を見ながら力強くしっぽを振ってくれたので「これでよかったんだ」と思えた。ああ、私のパートナーは良い子すぎる。
朝散歩に叩き起こされることもないし、マーキングと戦うこともないし、トイレもお風呂も覗かれないし、前より平和な世界かもしれない。
最初の数カ月は一人家にいる時間があると涙が溢れてきていたが、最近はおちついていた。
もう寂しさは忘れたな、人間ってのは大概薄情なもんだ、なんて過ごしてたけど、あの増田を見たら一気に心を揺り動かされてしまって、今日は朝からもうどうしようもない。
増田は今毎日泣いてるのだろうか。猫ちゃんの最期を看取ったあとは毎日泣くのだろうか。
どんな言葉をかけて良いのかわからないけど、とりあえず残りの日々を幸せに過ごしてほしいと思う。
自分も犬のことを増田に書くことが何度かあったが、いつも優しいブコメやトラバがついて励ましてくれた。
増田にはたくさんのブクマがついている。どれか一つの言葉でも、増田の励みになってくれるといいなあ。
自分も一応地味なブコメをつけているが、100字で語るには感情的になりすぎたので増田でもこっそり長文お気持ち表明しておく。
私には大好きな彼氏が居た
大好きな彼氏のTwitterの裏垢を発見したのは9年前の今頃の事だった
裏垢には、パパ活(援交)アカウント、女のニコ生主、女のFC2ライブ配信者、エロコスプレイヤーなどがフォローされていた
それもショックだったが、何よりショックだったのが
「俺は元カノを忘れられないまま、今の彼女に何食わぬ笑顔を見せていて本当にダメ人間だ。こんなんじゃ元カノに叱られる。まあ、もう顔も見たくないと言われているのだが…」という内容のツイートだった
これを見て、当時の私は「どんなにダイエットやおしゃれ頑張っても、何をしても元カノさんには一生勝てない存在なんだ」と考え、次にでてきた考えが「私も過去の女になれば一生忘れられない、元カノさんと同じ土俵に立てる」というものだった。
それから数ヶ月後、「他に好きな人が出来たからさようなら」と告げ、彼氏にとっての過去の女となった。
それから数年後…
その後に出来た彼氏とうまくいかないと、元彼のネトスト行為をするようになった
だが、元彼のアカウントと親密にしている謎の女性アカウントがある
会話を辿ってみると、元彼が忘れられない元カノさんのアカウントであることがわかった
私とすごく趣味も似ていて、同じ精神障害を持っていることもわかった
私もサブ垢を作って、当事者の仲間的な匂いを醸しつつ何度かf外失リプをし、すぐに相互フォロー
さらに言うと元彼にも他人を装いリプしまくり相互フォローになった
今となってはこんな関係だ
私→【リプライするけどたまにスルーされる関係】→元彼→【リプライするけどよくスルーされる関係】→元カノ→【お互い助け合い、愚痴り合い、趣味そっくりな仲良しの関係】→私
こんな事になるとは思わなかった
こんな回り道をするくらいなら元彼捨てずに元カノさんと仲良くやってれば良かったかなと思う時もある
子宝に恵まれて、新築一戸建てもローンで立ててさ…幸せそうだもん
でも、元彼は未だに援交してるしエロ配信者の配信見てるし、コロナで会社近くのホテルに止まらされてた時も大人の関係のパパ活してたみたいだから
それらを受容できるほど私は出来た人間じゃないから、今の一人ぼっちでもいいんだ
元カノさんいるし
kincity 犯罪起こした訳でもなく具合悪くなっただけで女性器とか女さん呼ばわりするマンは、男性が問題起こしたり世間とやらを騒がせる度に男性器呼ばわりや「これだから有能な男さんぱねえ」とか言われたいってことかしら
2018/05/13
[B! 教育] 偏差値38の高校で遅刻した生徒を叱ったら女子校生7人が過呼吸で倒れ救急搬送【暴力事件も?】 - Togetter
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2018/07/14
[B! 増田] その昔女さんがメイクの仕方を義務教育で教えろって騒いでたなー
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180713201353
kincity 彼が過去に差別的発言をしてそれがウェブに残ってる以上解雇はやむなし。でもおフェミさんとか女さんとか言いたいだけの方の意見も「おれのお気持ち」だけのご意見なので、聞くに値せず。
2018/07/22
[B! ポリコレ] ジェームズ・ガン監督、10年前の差別ツイートが問題視されて新作映画をクビに→おフェミさん「10年前のツイートを蒸し返す右翼はクズ!」「ポリコレは他人を叩く為の手段じゃない!」 - Togetter
kincity 萌え絵だけ氾濫していて、Webにまーん女さんクソフェミレイプや痴漢は本人が予防しないからだろとかの文言が溢れてなければ別に忌避されたり非難されたりはなかったのかもねとおもってる。全てのメッセージが女蔑視
2018/11/02
kincity 女さんとか言ってるから逆に旧い価値観における男の優位性ぐらいしかよすががなくて必死なんだなぁと軽蔑されるんやぞ。
2018/12/08
kincity ナチュラルに被害者を性器or女さん呼び、加害者を男性つってるちゃんねる民の脳みそがすごい。腐ってんのかな?(脳みそが)
2019/01/30
[B! gif] 【怖すぎ】「これって私が悪いんですか?」事故動画を投稿 : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/himasoku.com/archives/52063799.html
kincity 人生においてこういう女叩きの時だけ輝くひとびと、なんかリアルワールドでプロダクティビティのある趣味も持った方がいいよ…。女さんとか言っててもあんたらの人生何にも変わらんぞ。
2019/03/13
[B! 増田] NHKの女子アナさん7年育休産休の挙げ句復帰せず退社
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190313130619
kincity 男が諫めあうとホモソ社会が成り立たないのでよそに嘲笑するターゲットや仮想敵を立てる。流れ弾が当たる「女さん」としてはクソ迷惑だから男だけの島で生存者0になるまでバトルロワイヤルしてくだされば良いのに。
2019/09/17
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190915230205
kincity 「表現の自由戦士たちは、まっとうな民主主義的手続きこそ「不当」で「不公平」と認識しているのである」/普段フェミとか女さんとか韓国とかにレッテル貼りするひとびとが、自分がレッテル貼りすると怒るという醜態
2019/10/06
[B! 権力勾配] 権力者は「僕らの優しいお父さん」ではない - 赤木智弘|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
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kincity オタクが蔑称なのはその通りだが「乳袋の呼称をポジティブに変えたのは間違いなくオタク自身」は違うだろ。どんだけ女さんとかまんさんとかフェミ様とか馬鹿にしてきたよ。ほんと嘘つきだよね。
2019/11/21
kincity 2019/12からTwitter始めたツイネーム「ロスジェネおじさん」が「女さんがどうたら」というTogetterをまとめる…もうお腹いっぱいどす。 読んでない
2020/01/11
[B! togetter] 女さん「キッチンでご飯作りを頑張ってた所、テレビ見てた彼が寒かったのかリビングのドアを当たり前に閉めたんだよね(私は当然寒いキッチンに一人ぼっち)。この瞬間別れを決めたし、別れないでと泣く彼を残して走り去りました」 - Togetter ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1454028
kincity 南国みたいに、男はどうせ役に立たないからその辺で悪させずにテキトーに遊んでてもらって、子供を育てるのは母系社会、でいいとおもう。封建時代のクソなとこだけ残してもいいとこ取りをするのは暢気な男さんだけ。
2018/09/30
[B! 増田] でも大家族で生活するのが当たり前だった時代も、子守りの姐やを雇ったり..
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kincity いじめっ子が反撃され「うわこいつ反撃する」とな。そもWebは随分前から性器呼びetcのミソジニーが溢れまくり、投げたうんこを投げ返されて過剰反応しているのは男さん()が先。敵にだけ正しさを求める可笑しな人々
2018/10/27
[B! 差別] 宇野ゆうかさんのツイート: "へぇ…この人には、キズナアイをバッシングする人たちの騒ぎ方が大仰だと見えるんだね。私は、キズナアイの使われ方の問題点を指摘されて「オタク差別ダー!」と吹き上がってるほうが、騒ぎ方が大仰だと見えるけど。 https://t.co/dk7fCPQQbO"
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/YuhkaUno/status/1055139072065204224
kincity こういう感じの自分勝手な怨嗟がその辺に転がりまくってるから、男さんの視界からステルスされる能力が欲しくなるんやわ。「餌が俺の口に飛び込んできてくれない餌が根性悪いからだ」か?
2018/12/03
[B! 増田] 中年を少しすぎたようなおじさんが清潔感のある服装をして(でもかなりダ..
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20181130092715
kincity 腐じゃないしニコ動もやってないけど、はてなダイアリー、ブックマーク、2chだけでも随分ひどかったが。しかも自分より後からWebに来た男さんにまでやられるし。ワールドワイドウェブは男のロッカールームじゃねぇ
2019/03/25
[B! thinking] [B! オタク] [B! オタク] 男性オタクに苛められてたこと絶対に忘れないから 追記
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190324040152
kincity 日本の女がパンパンでどうの書いてるクソ野郎がいるけど、勝手に戦争始めてアホみたいな作戦で負けてビビった男さんが女差し出したのがパンパンだからな。ほんと今も昔もチキン野郎で、カッケーなマジで。
2019/03/31
[B! Togetter] [B! 差別] 日本人女性が白人のおっさんの使用済み下着をクンカクンカするドイツ企業のCM - Togetter
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kincity 見た目が良くても悪くても頭が良くても悪くても粘着されるか蔑視されるんだから、男さんは女が見えなくなる眼鏡型デバイスでもつけてればええやんっていつも思う。お前らに粘着されても何もいいことないんよマジで
2019/04/14
[B! 増田] ダイエットの為に緩急つけて歩いてたら男性に怒鳴られてしまった
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2019/05/03
[B! 事件] ナンパ無視され…路上で自転車ごと女性押し倒し、体触る 女性は打撲 容疑で会社員の男逮捕/上尾署 | 埼玉新聞
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kincity 「感情だけで動く女云々」言うてる冷笑自認賢いオレさんは、下半身と支配欲と性欲だけで動くタイプの男さんにも何か言ってやってもいいんやぞ。戦国時代の野伏せりみたいな法の埒外にいるやつには相応の対応になる
2019/05/21
[B! togetter] 「痴漢撃退に安全ピンを巡る賛否」が大荒れするなか「ボールペンを使おう」や「痴漢撃退ハンコの開発を求む」の提案がされる流れ - Togetter
kincity 相手が女だとわざわざ軌道変えてトイメンにくる男さんは多いけどね。ずーっと目を見てたらギリギリで避けるけど。普通の男が想像する以上に毎日毎日嫌がらせマンが目の前に出てくる。視界に入る前に消えててほしい
2019/05/31
[B! 自転車] 【注意喚起】信号待ちをしていた所、後ろから猛スピードで突っ込んてくる自転車 「どうすりゃいい?」 - Togetter
kincity この頃婚活女性とかおばさんネタ多いけど、この手のには嘘松認定師湧いてこないの、ほんとネットはある種の男さん向けポルノしかねぇな。と。エクスキューズにしてもてめえで「くそ女さん」とか自称しなくていいよ
2019/07/09
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190708213107
kincity 愛国のためなら犯罪者がお目こぼしされ被害者が誹られる。性犯罪の時とそっくり。男さんの面子で勝手によその国とヤンキーみたいな小競り合いして有事には女も巻き込まれ。お前らだけの猿山作って全員死ぬまでやれ
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[B! 犯罪] 「ガソリン携行缶を持って行く」と脅迫文 | 共同通信
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/this.kiji.is/530306971272119393