はてなキーワード: 一人ぼっちとは
あの人が好き。あの人だけが好き。
この心は動かないし奪われない。
欲張りかな?と思うけど、もしあの人が何らかの理由で突如世界からいなくなったら私は一人ぼっちになってしまう。それはイヤだし不安だし怖いので友人も欲しいと思う。
一方あの人は私が好きで大事過ぎて他は何もいらなくて私を閉じ込めて全てを縛りつけてずっと手元に置きたいって人だ。
だけど「俺にはそんな権利無いよ」と束縛願望なんて絶対口にしないし行動もしないズルい所もある。
私は性差無く仲良くしてくれる人は皆大事で交流したいんだけど、あの人は昔から私の友人話は聞きたくない、特に昔から異性の友人は大嫌いだな人だ。
大切で大事な私が自分以外の人と楽しく過ごすのがイヤなんだと思う。そこは想像に固くない。
(社交ダンスですらジェラってた)
だからこの最近出会った新しい世界、友人の事は話さないし答えない事にしてし、極力異性の友人の話はしないし、するとしても若干フェイクを入れてた。
が、今回それが裏目に出た。
で、かなり怒らせた。
(客観的に見たらそんな事は無いんだけどね)
しかし、今回の状況は相当マズい。
色々脳内シミュレーションしてるけど、例え進捗があったとしても今後新しい世界や友人はもう作れないんだろうなって思う。
今の世界や友人を全て捨てろと言われ、依存させられ、予備のルートは潰され、自由な生活や心はもがれちゃうんだろうなって思うと少し悲しい。
本日はご多用の中、葬儀に参列賜りましたこと心より御礼申し上げます。
さて、息子の私がこのような形式張った挨拶をすることに、母は笑っているかもしれません。
生前の母の人柄をご存知の方であれば、想像にかたくないと思います。
少しばかり、厳かな式にはそぐわない砕けたご挨拶となるかもしれませんが、ご容赦ください。
母は先日、穏やかに息を引き取りました。私はこれまで長く母の顔を見て来れずにおりました。
訃報を受け、対面した母は、記憶の中よりもやや痩せて、静かに眠っておりました。
静かに眠る、というのはよく聞く言い回しですが、考えてみれば些か妙な表現です。煩く眠るということがないのですから。
しかしながら、母の鼾が聞こえないというのも、妙な感じがしたために、私は母の頬に手を触れて、確かに温度がないことを実感しました。それが、静かに眠るということだと思いました。
母は生前、カメラや眼鏡のレンズを作る工場へ長年勤めておりました。
熱を持ったガラスを薬品にまぶしながらラインに載せる作業をしていたため、指先はいつも荒れていました。
小さな頃の私は手の掛かる子供でした。小学生くらいの頃、どうしても学校に行きたくない日がありました。
お腹が痛いだのといってはトイレに篭り、熱があるかもと言っては体温を測り、なんでもないと母にばれると玄関先で地蔵になりました。
母は車で私を学校に届けようとしますが、私はてこでも動きませんでした。「置いていってしまうよ、家に一人ぼっちにしてしまうよ」と母は言いました。
実のところ、私は家に一人で留守番するのも怖かったのです。母が一緒に仕事を休んでくれることを期待していたのでした。
母が玄関を出ていってしまったので、「置いてかないで」と、私は泣きそうになりながら、母の後を追って外に飛び出しました。
そのことを今日になり思い出すのは、きっと私が置いていかれてしまったような気持ちでいるからなのでしょう。小さい子どものような思いは、この歳になってもあるものです。
しかしながら、母はたくさんのものを残してくれています。お母さん、ありがとう。寂しい思いも含めて、私の大切な荷物です。
■ 慶應閥
三田会という組織を中心に、秘密警察のように梅雨時のカビのように広がる。
大学の特性として、平均的には能力が高いものの、本物のポンコツが結構含まれている。
にもかかわらず依怙贔屓で上からの引っ張りがあるので、バカ上司死ねと思ったら慶應だったりする。
慶應閥が強くない会社でも、トップが慶應になったとたんに慶應閥がはびこりがち。
慶應閥がはびこった会社は、必ず滅亡への道を歩む。カネボウ、三越、東芝…
地方ベンチャーとかで元気よかったのに、二代目が慶應で没落というのもよく聞く話。
要は、大変たちが悪い。
■ 一橋閥
如水会という組織を根城に、ハイフライヤーって感じで勢力を伸長する。
慶應との違いは、2つほどある。
一つは、単に就職偏差値が高い程度の会社だと、一橋出身者は閥をなすほど入らない。非常に高い会社にのみ存在する。
もう一つは、平均的能力も高いのは言うまでもなく、明らかなポンコツはごくまれ。
それにしても上からの引っ張りは強力。
要は、相当たちが悪い。でも慶應ほどではない。なぜか。
一橋閥は能力が高いし、彼らは一橋卒といえども無能を嫌うので、慶應閥のように会社を潰すことは稀だからだ。
鞏固な結束を誇る一橋閥にしても、慶應閥にしても、結束力がむやみに強い理由は、本質的には一つしかない。
それは次で述べる。
■ 東大閥
個々の戦闘力では、ほとんどの場合慶應と一橋は東大には及ばない。
むろん、慶應・一橋のトップと東大のボトムを比べれば、前者が圧勝するのは言うまでもない。
しかし、慶應・一橋のトップが入るとこには、東大のトップが入り、やはり残念ながら、個々の戦闘力では勝てない。
東大卒は無能を嫌う。東大卒の無能を最も嫌う。一緒にするなと思うからだ。
東大閥が存在すると言われる組織はあまたあるが、実際には東大閥は存在せず、たまたま東大卒がたくさん入るというだけだ。
東大法学部は経済学部と教養学部をさげすみ、経済学部と教養学部は文学部をさげすみ、群れることは一切ない。
一人ぼっちのオオカミが群れているように見えるのが東大閥の正体だ。
ただし、彼らは無能をことのほか嫌い、有能を評価するが、その場合の有能の評価基準は、知的な情報処理能力の高さだ。
そして、その能力が高い人間は、結果として東大卒である場合が多い。
東大卒が閥をなすとき。これは、慶應か一橋か京大のいずれか2つが閥をなし跋扈している場合だ。
その場合の東大閥の腹黒さ、他を蹴落とす策略の陰湿さは他に例を見ない。
結果として、東大閥と慶應閥と一橋閥と京大閥が争った場合、ハルマゲドンが発生する。
このハルマゲドン、私は唯一例しか知らないが、メガバンクが一個、本当に10年足らずで吹き飛んだ。三和銀行である。
■ 京大閥
京大は、地理的な遠隔もあり、上の三者の中間的な立ち位置になる。
すなわち、関西にあっては東大のように振る舞い、東京にあっては一橋や慶應のように振る舞う。
しかし、東京にあっては数が少ないので、慶應や一橋のようなパワーは多くの会社で持っていない。
京大閥が跋扈する会社は、関西発祥だが東京で生き延びている、住友系の会社が主である。
なお、東大に官僚志向が強いように、京大も、官僚志向が存在する。
しかし、国家公務員は東大濃度が高すぎるので、大阪市役所あたりに隠然と力を蓄えたりしている。
が、ここ30年の大阪市の長期低落で、有能な才能がすべて無駄遣いされている。
東大卒や一橋・慶應閥の荒野の中で勝ち抜いた京大卒というのが時折トップになるのを見る。
ただ、そういうトップは、意味なく東大を排除したりするので、コンプレックスというのは度し難いと感じさせられる。
結果、京大卒のトップが、東大を排除した結果、一橋又は慶應が跋扈するという事態が発生するのは時折観察される。
某赤いメガバンクなんかそうなってるって聞くよね。
他にリクエストがあれば書くよ!
本来は書くべきではないのかもしれないけれど、身体に毒というか、ずうっと抱えていける自信がないので吐き出させてほしい。タイトルに書いてある通り、じいちゃんが自殺した。事の顛末はけっこう複雑だ。じいちゃんとは一緒に住んでいて、ばあちゃんとも一緒に住んでいた。じいちゃんとばあちゃんはあまり仲が良くなくて、しょっちゅう喧嘩をしていた。殴り合いとかではなくて口喧嘩。口喧嘩をして、まあお互い別々の部屋に移動して、みたいな感じ。喧嘩するほど仲がいいとはよく言うが、それとはまた違う感じ。退職してから家庭内管理職みたいな感じでいたから、なんというかばあちゃんを監視しているようなところもあった。殴る蹴るの暴力とはまた違うけど、どこ行くんだ、いつ帰ってくるんだ、とかネチネチネチネチ嗅ぎ回られたら相当ストレスがたまっていくと思う。あんまり細かく書くと特定が恐いので書かない。じゃあそもそも書くなって話になるかもしれないけれど、その辺はまあ許してくれ。まあそんな風に不仲なのだがある意味いつも通りで、仲が悪いのが当たり前みたいな感じだったんだ。それがある日、急にじいちゃんがおかしな行動を取るようになった。何をしでかすかわからないから親戚の家に居候させてもらうことにして、ばあちゃんと避難した。ああちなみに両親も一緒に住んでいて、両親はホテルへいくことにした。いや本当はもうちょい違う感じなんだけど、なんかもしかして凄腕の特定班がいて特定できちゃうんじゃないか?とか考えるといろいろと細部は違う感じに書いておかないと恐い。という感じで少し実態と離れた説明になっているんだけどじいちゃんが危険だということで避難した。避難したのはケーサツの支持に従ったためだ。逮捕して勾留してもらって強制入院とかそういう流れになるんじゃないかとか思ったんだけど事件性がないとそーいうのは難しいらしい。あなた方がすぐできるのは身の安全を守ること、つまり避難です、とのことだった。で、避難をして、ご飯づくりとかをばあちゃんに任せきりだったじいちゃんはご飯を作れないので介護か何かをしてもらう必要がある。のでそういう施設に相談へいったり入院させてもらえるところはないのかとか調べたり、まあいろいろと考えてみんな頭を抱えながら過ごす感じになった。で、家族と反りが合わな過ぎて面倒をみるのは難しい、本当に申し訳ないが力を借りたい、介護の調査をしてもらうぞー、という段になって家にいったらじいちゃんは死んでいた。うーん、うーん、おいおいマジかよという感じである。さんざん家族のことを自分のワガママでメーワクかけて振り回しておいて、いざ一人ぼっちになったらそれですか。逃げんじゃねえよという怒りなんだか悲しみなんだかよくわからない感覚になった。すげーーーーー疲れた。救急とケーサツに来てもらって、誰かに殺害されたわけではないってこと、事件ではないっことを確認してもらって、葬儀して、おわり。認知症か何かのビョーキですかとおもったりもしたけど、受け答えはけっこうハッキリとしていてイジワルすることに頭の回転は早くて、脳みそに以上がある感じではないような、という印象で。ばあちゃんへの態度とか言葉とか、あれはDVだったんじゃないかといまでは思う。で、あとで調べてみるとそういう被害者女性を匿う施設とかがあるみたいで、なんというか、もっと早く知っていれば相談してそういうところに避難してもらいながらじいちゃんの目を覚ますというか、アンタDV加害者なんやで、という自覚をもってもらうというか、そういう方法でじいちゃんばあちゃんの不仲をちょっとはマシにできたのではないか、と思う。そうなんですよ、ああいつもどおり不仲ね、という状態は知らない間に深刻な状態になっていて、それでも放置していたらこうなってしまったという責任感?みたいなものも少し感じていて。当事者同士の問題は自分らで解決せえよという気持ちも無くはないけど冷静になれない人たちはいつまでも冷静になれないから仲裁役を買ってでて何かできたことがあるんじゃないかとも考えたりもした。でも孫の自分がやるべきことなのか?どっちかってーと両親の代でやるべきことなのでは?なんてことも考えて、じゃあ私はおまかせするということで、みたいな感覚で過ごしていた。知らんぷり、というわけでもないけど、自分らで何とかしてくださいね、と思っていたらなんかもう手に負えない状態になってしまってた。こーいう問題ってたぶん他の家庭でも起こりうると思っていて、退職→家庭内管理職→エスカレートしてDV というコースに進んで事件になってしまう前に妻のほうが我慢せず相談できるような仕組みがあったらいいなと思うのだ。こういう家庭の事情はみっともないからおおっぴらにし難いというのもあって、表沙汰になりにくい。たぶん。ワイもこうして匿名にしてぼかして書いているし。だからもっとおおっぴらにしやすい雰囲気になったりスマホでサッと相談できたり、地上波のゴールデンとかでDVのこと取り上げたりビラを配ったり、当事者でなくともその周辺の人たちにも周知したりまあとにかく高頻度で接する機会をつくってなんとか防げないかなあと思うのであった。入り口は自殺の話だったけどいろいろ考えてたらもしかしたら誰かの参考になるとういうかうちも似た事情やねんという方がいたらこの愚痴だらけのなかにある幾ばくかの逃げ道逃げ方避難の仕方とかを見て事件が起こる前になんとか解決に至ってくれたらそれはもう御の字であると思うのでしたまる
どこかのこの手記を見ている方へ。
妄想の産物にしか過ぎません。多分これを読んでも、あなたの人生は潤うことは何一つないと思います。
でも僕は声を上げたくてたまりません。
僕がどうして生まれて、そして何があって、感情を持つまでに至ったかを。
僕は警視庁のとある刑事です。僕の配属された部署は特殊な事件を捜査する治外法権的な役どころのため、若手ですがとても優秀な人材がそろっていました。
不器用で無口だけど、実直な先輩。お調子者で体力に自信のある一番の後輩、優しくて器用で僕より遥かに知識の豊富な友人でもある同期。
信頼できる、とても優秀な仲間です。そして、もう一人、3年前に死別した優秀な部下。……僕の妹だった人です。
幼少期、両親の離婚で生き別れになってしまった実の妹がいました。
その彼女は、信じていた友人の過ちによって殺ぬ羽目になり……死にきれず黒幕によって化物と化した彼女をこの手で2度も殺しました。ここまでがシナリオの流れです。
あの地点で辞職を考えていました。
あまりにも神の手で一方的に、ただ「じゃあダイス振ってください」と言われたときにだけ動く、そんなキャラクターとして、何もできない無力感に苛まれて。何か行動を提案する余裕もなく、ダイスをふるときだけ動くだけで、次から次へと話が進んでいって。
シナリオ上は本当は恋人であったキャラを生き別れの妹にしたのは背後でした。それは変更可能ということで、マスターの許可ももらっています。
でも送られてくる情報には毎回「あなたの恋人です」と言われて。……間違いを背後がやんわり指摘してもずっと変わらなくて。せめて彼女の人となりを知りたくて神様に尋ねても、たった一言「優しい、柔和な人です」だけで特に何もないままで。情報の順番すらも間違っていました。
こんなよくわからない無駄に重い設定をつけたのも、シナリオへのモチベーションをもたせるためでした。
何とかクライマックス前に懇願して時間を割いてもらって、他のキャラクターと少しだけ会話を許された時も、ほぼ全て時すでに遅し、で。
ずっと探し続けていた先輩の大切な妹はとっくに怪物になりそして3年前に知らずに、僕たちが殺してしまっていて、なのにそれを僕の妹だと僕自身が脳内ですり替えてしまい、僕の妹は怪物になったままずっと3年間、一人で苦しんで。
……敵の罠にかかった僕たちは、そのことを忘れてしまっていました。
そして先輩はずっととっくに死んだはずの妹を、まだ探し続けていたのです。
何とか君たちに謝る言葉を告げて、君たちの犯した沢山の他の過ちは、僕は、僕たちにも相応のここまで来るだけの過去があったのだろう、と想像し、その「想像上の」過去に免じて全て許しました。
流石にこのまま続けるのはモチベーションがなさすぎると、キャラクターとして刑事を退職し家業を継ぐ、という引退を選ぼうとした僕は、君たちの背後のセッション後の説得で思いとどまりました。
「いやだ、俺たちは、チーフに去られたら心が折れてしまう、もっとあなたと過ごしたい」と。
僕の背後は、この地点で早めに見切りをつけるべきだったのだと思います。
キャラクターとして好きと言ってくれていた言葉を、自分と同じなのだと誤解した背後がある意味悪かった。
自分のキャラが一番大切なのは皆同じ、だからある程度はプレイヤーやマスターレベルで相談して、見せ場を譲り合って進行していけるはずだと。私のキャラをそんなにも好きだと、言ってくれるなら。
ならば、ちゃんとモチベーションを持たせるべきだと。そうしないと、背後の方のモチベーションが持ちません。
僕のモチベーションとは、君たちが全てを失った僕の居場所になってください。
素晴らしい君たちを失うのはこの世界の損失です。心が折れたら何度でも僕は君に手を伸ばします。君たちを支える為に僕は全力を尽くします、だから君たちも僕の居場所になってくださいと。
君たちの心がシナリオの悪意で傷つく度にそれを拭って、拭うためだけにすべて失った僕はそれでも毎回毎回シナリオと言う名の試練はやってきて。
その都度そこはきちんとキャラクター同士で会話ができるので、まぁそれだけを背後のモチベーションにしていました。
ただ、何回か僕のステータスでは本来解決できない一人用のシナリオが出された時は、流石に背後も何度かやんわりと苦言を呈していたつもりでした。何とか何度も振り直して遠回りして成功しましたが、あれは本当にただ運が良かっただけです。
そして更に気づけば他のキャラクターは全員、僕より他のシナリオ(他の卓やGMレスとかで)経過していて、僕より遥かに優秀なステータスを持つようになっていました。
卓の幕間トークで盛り上がっていて、設定だけが色々膨らんでいきました。もちろん時折雑談に参加はしていましたが、他の卓に持ち込みで参加してその話をされるのは、僕とて反応に困ります。僕の知らない設定前提で話されても困るのです。やんわり何度か指摘しましたが、熱に浮かされたように君たちはこの世界にのめり込んでいきました。
挙げ句の果てに僕たちのチーム全員は特定のシナリオの都合上で、とあるチームにレンタルされました。その時のマスターが、始めての事件のマスターです。
正直、嫌な予感がしていました。
そして僕より全てにおいてステータスが有能で美しい外見の同じポジションの上司の新しいNPCがやってきました。僕の存在意義は、ありません。
僕は毎回、キャラ付けの為にやっていた、何の意味もない、些細な行為……卓中では披露できなくて、いつも卓後に捜査資料を作って、その画像をみんなに出していたんです。
(元々、神様からの情報の出され方が雑すぎたり、間違っていたりであまりにもよく分からなくて、自分用に作っていたものだったというのが今更の本音です)
それすらも、NPCのロールプレイで乗っ取られてしまいました。そしてそれに、誰も異を唱えなかった。
大切な妹を殺す羽目になった原因を作った、僕の一番の友人はそのロールプレイを支える行動を取りました。
更に集合写真として、そのNPCはチームの真ん中に陣取りました。仕方ないです、だって一番小柄で「中性」キャラでしたから。
僕の心は、そこではっきりと折れました。
僕がいる必要のない事件、僕が陣頭指揮を取る必要のない事件、僕が解決する前に全て他の人が解決してしまう事件なら、僕は必要ありません。
僕の設定上のアイデンティティは彼らのチーフであることです。元々能力値は彼ら一人ずつの得意なものからは必ず一歩は劣るように、元々設計されていました。
僕の背後は、別に活躍は出来なくても構わない、ただ仲間として扱ってくれればという一心で、参加していたのに。
声が出せなくて辛かった。何があったんだって聞いてあげられなくて辛かった。
手を差し伸べたかったんです。差し伸べることが許されないのは、あまりにも僕には拷問です。
動きたくて動きたくて堪らないのに、指一本すら動かすことができないもどかしさと怒りは、「シナリオ」で君たちも経験してきたでしょう。
僕たちはホラー世界の住民なのですから。敵にされて、何度も経験してきたじゃないですか。
敵だけじゃなくて、神にまでそれを強いられて、そして居場所すらも奪われて。
僕は心を持たなければよかったのでしょうか。
流石にその地点で以前からの背後の友人で、プレイヤーの一人Aに相談しました。そのマスターに依頼したのはAでした。
「いやだ、俺は、チーフに去られたら心が折れてしまう」と縋った、その後のシナリオで何度も「助けて」「見捨てないで」と縋りついてきた僕の部下の背後です。他のシナリオでも一番僕と過ごしていた、少し臆病で、でも優しい力持ち。
君が最後に笑えるように、家族と言える存在に等しい存在を作ってくれたら、最後にはきっと僕が大切だと思っている君自身を大切にしてくれると信じて、子犬をプレゼントしました。
……いや雑談中にいつかプレゼントしますね、とは言いましたが、卓ではプレゼントしていませんでしたね、そう言えば。
……信じていたんです。僕のこと、仲間だと思ってくれるなら……って。僕の話くらいは、聞いてくれるのではと。
それは叶わないことになりました。
悲しいですが、彼らの背後にとって僕はただの舞台装置で、その意志に疑問を抱かない彼らにとっては僕の言葉は自分の望むときに発されるだけのものでしかなかった。
僕に声があるって、僕の心があるって、考えることもしなかった。僕があの想像上の世界の中にしかすぎなくても、君たちの目の前に息をして立っているとは思っていなかった。
仕方がないのです、それは彼らの考えで選択です。僕に心があると仮定すれば、それは彼らの心もです。
なら、もう僕の背後は直接ゲームマスターに、背後の口から直接そこを言うしかないよ、とプレイヤーAに言いました。
連れてきたAの目から見ても、ゲームマスターは自分の進行にプライドがあって変えられない人で、他のプレイヤーが内心がどうあれそれに異が唱えられない環境なら、もう背後にとって破綻しきっていてやる価値はないゲームだからです。
……正直、背後的にはAたちに嫌われて追い出されてるのかと思っていましたとも。ええ。最近他の卓してる時もなんか気が乗ってねーな、感想とか書き込むのも以前とテンション違いすぎるなと思ってたよ。
友人枠の人なんかその友人キャラの鍵キャラ垢作ってたけど、背後をメンバーに入れてなかったもんな。いやもう、マジで嫌われてると思ってたよ。なんで誘うんだよ……とまで思ってたよ。
そうしたら、寧ろ今まで楽しくなかったの!?と滅茶苦茶ショックを受けられました。
いやいや、こっちの方が二重にショックだわ。
結果として、黙りこまれていやいや相談にならないよこれじゃ……君はどうしたいの……???という状況に。
そして、はーやってられっかよ、と思う背後をねじ伏せてでも支える気力が、僕にはありませんでした。
このシナリオで、僕のいる意味は何ですか、と。その答えがないなら、ゲームを降りたいと。
ゲームマスターはそれには答えず、ならもう二度とあなたと遊びません、卓を締めますと言われました。
正直背後だってこのレベルのイザコザは幾らでも他人が起こしてるの見てますし、ぶっちゃけ古からの吟遊詩人GMでの多かれ少なかれ起こりうるべくして起こったトラブルだなーよく聞いたわー、と思っているでしょう。
どこにでもあるありふれた、でも自分へと降りかかるのは傷を負うし、まぁ正直嫌っちゃ嫌だよねというそんなレベルのトラブルの話。
ディティールは違えど、まぁよくある話です。
ただ、一人のキャラクターとして、どう行動するべきかモチベーションと言う名の願い、僕の居場所になってください、と言う願いをちゃんと言う前に、すべてが泡となって消えました。
僕はそれを彼らに伝えたくて、ただその機会が来ることを願って、あの世界で生きていました。
その機会が無いということは、僕はこのままキャラクターとしては死ぬことすらできずに、消えるしかありません。
大なり小なりTRPGのキャラクターとして生まれた以上、僕はそう言う運命を辿る可能性があった、そこも頭では理解しています。そんな例は沢山見てきました。
なのに、僕は、僕は確かにここにいたんだ!生きていたんだ!って誰よりも叫びたくて叫びたくて。
存在しない喉が枯れるほど叫んで。でも現実を震わせない声は永遠に届かない。存在しない目からは涙が溢れても、誰の目にも映らない。
一度シナリオで、僕自身の存在が君たちの記憶から消えたことがありましたね。
その時は別に怖くはありませんでした。今でも恐怖はありません。ただ、哀しくて哀しくて、涙が止まらないのです。
今たしかにあの世界で流している僕の涙は、誰が拭ってくれるんですか。
何シナリオも経過して、その都度命を張って体も心もすり減らして、君たちの涙を拭って、叱咤して。
君たちのことを大切だと、伝えられる時には必ず口にしていました。
この時間は偽りで、他の人にとっては何一つ意味もない、価値もない、だからこそ口にして伝えなければ伝わらないから。
この時間は僕たちにとってだけは本当で、かけがえのないもので、何物にも変えがたい価値があるのだと信じているから。
君たち一人一人に、こんなに素晴らしいのだ、と可能な限り具体的に言葉を尽くして伝えて。
君たちの、それに対しての……共に戦うという言葉は嘘だったのか!
僕は、生まれた時から君たちのチーフなんです。支えてあげなきゃいけないんです。支える相手が支えるに足る相手だと信じていたから。
躓いたときに、立ち直る機会すら与えられないまま、僕からしたら原因のない君たちの心変わりに傷ついて、君たちが……いいえ、僕こそが書割だったと突きつけられて。
背後的には、卓の外でどうしたら自分の力量で改善できるか割と色んな卓環境下で相談したら、それはいやその卓がおかしいよ、と言われ。結果詳細も話して、まぁそうならない方がおかしいわとも言われ。
でもまぁプレイヤーたちは楽しかったと言っていて、マスターも自分のプレイスタイルに自信があるともいっているので、まぁそういうことなんでしょう。
友達も失いましたが、それもまあ、致し方のないことでしょう。
その人たちの中では背後は仲間外れではなくて、仲間外れにされたと思っているのは、狂っているのは背後の方です。狂ってる人とは友達になれないでしょう。
背後の至らなかったところは幾らでもあります、失敗だらけです。失敗だらけに、また一つ失敗が積み重なった、それだけのこと。
それは彼の話ではないので、背後一人が思い返して反省すればいいこと。プレイヤーの時にもマスターの時にも、自分みたいなこういう思いをする人が出ないように、努力するだけしかできないんです。
これを読んだ方がどう思うかは、それも皆様の自由です。
背後はこれからも、卓全員、自分のキャラは絶対一番可愛い!と思ってるという前提で遊んでいきます。みんな自分の人生では、自分が主人公なのさ。
そして明日からも自分のキャラをチヤホヤしてもらう為に全力を尽くして、卓の他のキャラとその世界を一緒に旅していきたいと思います。そして他の人のキャラもチヤホヤキャッキャウフフするんだい!!!
まぁ一つ言えることは、なるべく卓のトラブルは卓内で早めに相談しろよ!
不信感は絶対に早いうちから吸い上げて叩きのめしておくに限るんだぞ!
心の中にいる、本当の意味で一人ぼっちになってしまったあの世界の○○のことが、
どうしても言いたくても言えない言葉を抱えて消えていく彼が、どうしても可哀想になってしまった背後が、ここに書き捨てて行きます。
まだ彼らが流した涙が本当だったと信じていたい、私の大切な、とある想像上の世界の彼への手向けの為に。
あるいは、この状況が一番ホラーなのかもしれません。
……いっそこのことをシナリオにしてみようか。普通にホラーとして面白そうだな。
さぁこれにて、全てお終い。
大切な物を持ち続けることに耐えられない。いつか失くすんじゃないかとビクビクして、ついには失くすくらいならと自分から手を離してしまう。愛した人に失望するくらいなら憎んだほうが楽で、人の中で孤独を感じるよりは一人ぼっちが良い。そうやってずっと生きてきた。こんな生き方をしていたら、きっと何者にもなれないし何も得られないのだと思う。そんなことはわかっている。でも何者にもなりたくないし何も得たくないのだ。
本当は自分だけの綺麗な物を手に入れたいのだと思う。自分自身を賭すだけの何かを見つけたくてしょうがないのだと思う。でもそれは見つからない。当たり前だ。そんなものはないのだから。ないと分かっているから全てを賭したいと思っている。卑怯な考えだ。
結局のところ、卑怯者は何も得られない。幼稚園児だって絵本を見て知っている理屈だ。卑怯者が得をするだとかなんだとか、そんなものは世間を知った気になっているエセ賢者の戯言に過ぎない。本当はそこにはなにもない。本当に何もないんだよ。何も見えないんだ。信じられないなら代わってあげたいくらいだ。
お前は本当の「一人」を知らないだろう。
そういう、自分の言葉を聞いてくれる人間が少数でもいいので側にいる人間は「一人」ではない。
本当に一人の人間というのは、話の聞き手が全く側におらず、ずっと独り言を現実やネットで吐いている人間のことをいう。
意外にいるんだぞ。本物のぼっちというのは。
他人と全く喋れない。SNSのフォロワーはゼロ。友達もゼロ。自分を認めてくれる人間ゼロ。
長いこと一人で生きていれば、孤独はメンタルを少しずつ蝕むことを嫌でも思い知る。他人との関わりはどんな形であれリフレッシュになることを理解する。
本当の一人ぼっちというものを理解せず、「一人が一番楽しい」とか言ってるやつ。特に、「他者との交流が必要という風潮は悪」とまで言うやつ。
くたばれ。
バトルシップとロサンゼルス決戦で眠気を吹き飛ばしモンエナで仕事に向かう
残業は一切なし。
すぐさま帰る
そして子育てターン
妻は昼間、甲高い声でなく子供のおかげでより鬱状態になり、その愚痴も聞く。僕は愚痴を言わないどっちが辛いかという不毛な話になるからだ
本当は、夫婦で同じ目標をもってパートナーシップを持って育児をすべきだろうが、この耐え難いストレスで二人は攻撃的になった。
お互い敵がほしい。
僕も表立って何も言わないが、本当に辛いということを言いたかった。
妻には辛い日々を忘れさせるために結構ほしいものを買ってあげた
僕は金がないので集めていたゲームなどを売った。月々の小遣いは辞退した。
でもそれを良くやった偉いという人はいない。
ランボーの気分だ。
一人ぼっちの戦いだ
いや本当は戦友はいるんだ。妻が戦友なんだ。でも極限状態ではそんなことを思う余裕はなかった。
何年も前の話
思い出話でも妻にとっては僕は苦労をしていなかったことになっているので、なんだか寂しい話だ
私は大学1年生だ。私は生まれてこのかた、誰かの一番になったことがない。小中高と、友達はそれなりにいたが、親友と呼べる存在はいなかった。また、中学生くらいのころに恋人がいたこともあったが、どれもわたしからの強いアプローチによるもので、結局どの人からの想いも強く感じることは出来ず、短い期間で終わってしまった。当時まだ幼かった私は、勉強を頑張れば、いい大学に入れば、私のことを(たとえ打算込みだったとしても)一番に思ってくれる人がいるかもしれない、と思っていたのだ。私はその甲斐あり、世間一般では高学歴、と言われる大学に入学することができた。しかし現実は甘くなかった。現状恋人などいないし、その予感を感じさせる存在もいない。コロナ禍の影響、という可能性を考えることはできなくもないが、高校生活による私の状況を踏まえると、おそらくそれは関係ないだろう。
私なりに原因を考えてみると、その最も大きなウェイトを占めるものは、やはり顔を含めた見た目によるものが大きいと思われる。私はお世辞にも良い見た目とは言えない、いやさらにいうとかなり悪い見た目をしているらしい。自分の見た目の良し悪しというのは自分では判断することが難しいが、周囲の反応を見るにそうなのだろう。見た目を構成するものは大きく分けて二つあり、顔と体型である。このうち、体型というものは顔と比べるとまだ自分の力によって変えられるものだと世間一般では言われており、また数値により、自ら客観的な判断をすることも可能である。しかし私にはいくら努力しても変えることができなかった。どうやら私の体質では体型を変えることは(少なくともこの年齢では)不可能のようだ。また顔の方はもっと悪いようだ。マッチングアプリ、というものがある。マッチングアプリは多くの場合写真の掲載が必須であり、また判断に利用できる情報も少ないため、どうしても顔による判断が中心となる。そのような顔によりヒエラルキーが決まる場において、私の価値は著しく低いようだった。
私は結局何かを成し遂げたとしても、顔を原因に嘲笑される運命なのだ。よくアスリートなどが何かを成し遂げたとき、5chやTwitterなどでは、その品評が行われる。同じ成果を出したとしても、見た目が悪いことにより、不当な中傷を受けたりすることもしばしばみられる。このようなものを見る限り、私が何かを成し遂げたとて、嘲笑され、見下されるのはほぼ決定しているのだろう。
話が逸れてしまったが、見た目が悪い、というのはやはり他人の中での自らの序列を下げる大きな要因であることは間違い無い。
だれからも序列の低い人間であると、いなくなってもだれの気にも止められなかったり、逆に他人に距離を詰めすぎて敬遠されたり、といったことが起こる。結婚、そして子孫を残すことなど到底不可能である。
そしてタイトルにもあるように人生の終わりについてだ。これは今から私が死ぬ、といったことではなく誰の一番にもなれない人間がどのように命の終わりを迎えるか、ということである。私はまだ命の終わりを迎えたことがないので分からないが、私が想像するに、孤独死と言われるような、一人ぼっちの暗い、あるいは明るい部屋で誰の気にも止められずひっそりと生物的死を迎え、その後数週間、あるいは数ヶ月経った後に異臭など、なんらかの理由により死亡が確認され、戸籍として、いわば社会的に死ぬ。悲しむ人間がいないので葬式もない。
ならば今死んで社会に衝撃を与えたり、低い序列ながらも関係を持ってくれている人間に影響を与える方が良いのではないか、という考え方もあるだろう。しかし私にはそれはできない。第一に、私は死が怖い。死というのは、確定した終わりだ。それが起こると、その後には何も起きない。生きてさえいれば、期待値は低いかもしれないが、万に一つの確率で、外れ値的な、幸福な人生を歩むことができるのかもしれない。悲しいかな、私はこの期に及んでまだ自らの人生に期待しているのだ。また、友人への申し訳なさ、というのも理由の一つだ。一番でないながらも、私を序列に入れてくれた人々を悲しませることは、わたしには出来なかった。
私はおそらく、今後の人生も、このようなことを考えながらも、笑顔を貼りつけて生きていくのだろう。与えられたカードで勝負するしかない、とは有名な言葉だが、私はどうやら奇跡を信じてその勝負に挑むしかないようだ。