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2012-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20120112224104

バブル期バブル以前くらいから「ちょっとセックスたからって結婚期待する女ウゼ―」という男側のメッセージを女は受け続けてきたので

セックス前に色々求めるようになったのではないかと思う

2012-01-01

http://anond.hatelabo.jp/20120101204544

究極的には歳入と歳出の問題だから人件費だけつついてもしかたないってのはわかる。

たださぁ、赤字抱えてるっていう事実があるかぎり、しょうがないって部分だと思うけど。

例えばバブル期財テク失敗で負債を抱えてるオリンパスみたいな会社があるとするわな。

あるいは震災負債を抱えちゃった会社でもいい。

社員生産性の問題じゃなかったとしても、工場の問題じゃなかったとしても、ある一線を超えたら資産を売り払い従業員を解雇し、事業縮小しなけりゃなるまい?

自治体だったら、サービスの質を落とし、職員を減らし、それはやむなきこと。

公共サービスから質は落とすべきではない、というのも確かだけど、無限債権を発行してまで、というわけにはいかない。

借りた金は返す、返せない以上には借りない、というのは最低限守るべきルールだと思うよ。俺は。

亀井静香あたりは無限借金してでも公共サービスは、お金は刷ればいい、って立場なんだろうけど。

とにかくも、どこかで折り合いをつけないといけない。

このまま存続するためには、最低でもプライマリーバランスプラスに出来るまではやらないといけない。

踏み倒すにしたって、それなりに努力して、これ以上は返せませんってところまでは無駄は減らさないといけない。

公務員には気の毒だと思うけど、倒産すれすれの会社で働くってそういうことでしょ。

2011-12-20

早く終わってほしい

テレビ局の中でもフジのあの演出には引いた。

THE MANZAI って4時間くらいあったけど漫才部分だけ見たら単純に半分で済む量。とはいえ2時間無駄なくやったら尺足らずだし、それはまあ説明部分もあるからよしとしよう。でもなげーよ。

他にももう、終わったな、と思わせる演出が多数あったが、とにかくキビキビとやってないんだよ。キビキビと。ダラダラしてる。

問題1 ワラテン国民投票携帯投票)の参加者投稿数を強調。ワラテンのレビューとして同じ漫才を2回流す無駄

→参加意識を煽っているけれど、笑うたびにボタンを押すということは漫才面白さに集中できない。仕様ミス。先にアプリを落として一斉に送信させるというのも、問題がある印象。フジの企画に問題がある。

ワラテンのグラフと一緒に、同じ番組内で同じ漫才を再鑑賞するのは、前半見ていなかった人向けのサービスのつもりだろうが、間延びしてしまおかしい。参考にはなるが、「ほお」で終わり。ビデオなら絶対飛ばすところ。

問題2 慢心した優勝特典

フジテレビレギュラー番組漫才師だが漫才番組が貰えるわけではない。漫才番組が貰えるのなら嬉しいだろうが、単なるトークタレントとしての役回りが回ってくるのであれば矛盾しすぎている。副賞の各番組ゲスト、っていうのも結局はトークで呼ばれるのが半分以上だから名前を売る以上の意味が無い。まったく売れなかった若い人ならそれが価値を増すが、パンクブーブーではドラマを作れない。

結局は予算削減策でしかなく、フジも落ちる所まで落ちているとしかいいようがない。またフジ自分価値を高く見い出しすぎ。

ただ控えめに協賛した、日清のどん兵衛はいいと思う。あんな数(10年分)本人が食べたら確実に身体を壊すけど、楽屋において後輩にあげる分には後輩が何年も食に困らないからね。

問題3 無駄な演出

フジ番組全般に生でやるとダラダラとした無駄な部分+小難しい説明だらけである。進行押しの間の時間調節なら、わかるのだが、入場演出で無駄リムジンとか入れて、オープニングから30分以上漫才が始まらないってどういうことだよ。ワラテンの説明も長い、フジサイトにこさせるための小細工とはいえ。投票トラブルを避ける意味では完璧な説明であったが、視聴者にはまったく無駄チャンネルを変えさせるレベルの話。あんなの事前に別番組で説明して分散ダウンロードさせるとか、Dボタン側に逃がして文字で済ますとかできるだろ! 俺は一斉送信でサーバが落ちないかのほうが気になったよ。

あと、有名人を客席に散らせ「これくらい入れておけば受けるだろう」的な考え。

バブル期に入った人が作ってるんだと思うが、視聴者漫才が見たいんだよ。モデルの顔が見たいんじゃねえんだよ。制作者側がバカにするのも大概にしろ。有名人を呼ぶならコメントを全員取れよ。メイクまで入れて客席で笑うだけで、ノーコメでギャラ貰って帰る奴を許すほど度量はこっちにはねえよ。

問題4 THE MANZAIの本来的な部分を踏襲していない点

初代のTHMANZAIは元々洗練されてない舞台漫才をショー化するものであった。横澤さんが死んでいるとはいえ、当時のTHE MANZAIに敬意をはらっているのは西川さん位じゃないか…。2011年版としての進化がアレなのかもしれないし、余計なものを入れずに「4分見せている」ということは評価できるとはいえ、余計なものばかりつっこんでいる部分は「製作者側が漫才の力を信じていない」というようにしか取れないんだよ。

問題5 漫才コントと境が曖昧すぎる点

笑えるものを評価しよう、という意味合いでは、この矛盾があるものをあえて入れるという意味審査は厳正であったのだろうが、全体には今回はコントっぽい物が多かった。コントであろうと面白いものを評価する、というのは正しいが漫才としてちゃんと漫才な作品をもっと増やさないと絶対的にダメだし、これも制作側がコントのほうが面白いと思っている証拠としか思えない。

あとたけしの茶番ダブルブッキング演出は不要。(いい訳としてはわかるが、別に漫才師がつっこみでいった通りOPが長くなければ全部の漫才を見れるわけだし、あとハラハラしないものを入れてどうするのかというか、単にたけしがTBSに入るまで、という尺を稼いだだけでしかない)

生で見なくてよかった。

また、15年くらい不遇な人たちが多かったので、それに光が当たるのはとてもよいことなのだが、雇用されない関係のため数百円のギャラからスタートでも文句を言わず、売れないまま10年以上のキャリアが必要とされる日本では、漫才師として暮らしていくことが非常に難しいということがよくわかる。

皆主な仕事漫才にして女の人に扶養してもらったりしているようだが、本来的な収入はある状態で、漫才副業でやるのが適正だと思った。言ったらハングリーさがないといわれそうだが、べつに先輩たちが作ったストーリーに乗る必要ないだろ。黙ってればいいのだ。

2011-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20111207115844

溶かしとるわw評価の大原則は時価

バブル期の株をもって銀行にこれ担保に貸してくれって言えよw

絶対借りれないぞ

2011-11-16

永久お金が溢れ続ける泉がある

(個人的妄言です

日本には「永久お金が溢れ続ける泉」があります

この泉がある限り、日本財政破綻しません。

この泉は、ごく一部のお金持ち、金融機関、そして政治家などの特権階級の人々のみに独占されています

その「永久お金が溢れ続ける泉」とは・・・

日本政府が発行する国債です

国債政府が発行します。これにより、政府債務が発生しています。その額、1000兆円超。

かたや発行された国債は、民間の金融機関等が購入しています

1000兆円の国債に対し、償還されたときに支払われる金利はいくらか?年利1%だとしたら年間10兆円。

支払われる10兆円のお金、これ、当然購入した債権者に支払われています

さて、このお金の原資はなんですかね?

このお金の原資は、「日本経済成長する」という信頼です

まり日本は、今後も右肩上がりに成長するという大前提の元、どんどんお金を作り出しています

そして作り出したお金は、ごく一部の特権階級の人々に自動分配されていきます

けっきょくのところ、国際的な信用を元にしてどんどん政府借金させて、その金利をかすめ取っている人たちがいるということです

これがなぜ破綻しないのか。

それは、バブル期に大痛手を追った金融機関が結託して、絶対に破綻しない、お金無限増殖させる仕組みを作る共謀者からです

金融機関は、自分たちが破綻しない限り債権を売り浴びせたりはしません。なぜなら勝手お金を生み出す仕組みだからです

もしどこかの金融機関破綻しそうになったら、必ず政府は「借金してでも」その金融機関を救済します。

政府財政削減などと言いながら、絶対に支出を減らすことはありません。

このお金を生み出す仕組みは、借金の額が多いほど、生み出す金利も大きいかです

国民監視の目が厳しくなっているため、パフォーマンスとして事業仕分けをしたり、公共事業を減らしたりしますが、一方で理由をつけて支出を増やし続けます

政府」という組織には、その借金責任を持つ人は誰もいません。

どんなに「政府」が借金しても、「借金取りに追われる人」というのはいません。

財政赤字が膨らんでも、債務者債権者が結託している限り、その債務は単なる見せかけに過ぎません。そしてその巨額な債務に対し「実際の金利」は支払われ続けます

「国の借金が危機的状況」とか「国民一人あたりの借金額がウン万円」とかいうのは全部嘘っぱちです

実際は国債という名の紙切れを元にして金利を掠めとる詐欺行為が堂々と行われているのです

本来であれば無駄借金を減らし、余剰資産は国力の増強に投資すべきなのに、それをぜず、子ども手当高校無償化被災地復興、高速無料化、原子力発電などなど、

政府が主導しなくてもいい」社会活動に巨額投資して、日本の国力を奪っていってます

それを主導しているのは誰か。

仮想敵国、中国韓国、ではありません。もしかしたらそうかもしれないけど、直接的には「強欲な国内金融機関投資家です

彼らは国に借金させることを推進して、自分利益にしています

そのために政治家を利用しています政治家はとにかくお金を遣うことに邁進しています

日本はしばらくは破綻しないけど、これが続くと、おそらくは大きく衰退します。

お金持ちはますます富みますが、一般市民蔑ろにされ、政治に対する当事者感覚を失い、愚痴っぽく不満ばかり言う烏合の衆に成り下がります

この大掛かりな詐欺から日本が抜け出すにはどうしたらいいか

まずは主導者たる行政府が「お金に執着しなくなる」必要があります

また、金融機関は、国債金利だけじゃなく、自律した経営力を身に付けていく必要があります

そして我々国民は、今以上に監視の目を強化する必要があります。そして直接民主主義の活動を強化していく必要があります

政府に対して国民が「お客さん」状態ではいけません。政府は我々の代表であり、代弁者ですからおかしなことを言う奴、する奴は徹底的に排除して、民意を反映させる努力をしなければいけません。

適正なバランスのとれた国家の形は、もっと別なものです

国民みんなで主体的に作り上げていくことができる、もっと自律した社会というのを求めれば、それはきっと叶います

その時には、「永久お金が溢れ続ける泉」のようなファンタジーではなく、みんなが物語の主人公になり得る、素晴らしい社会が実現できるはずです

2011-11-10

田舎者の呟き

僕の町はど田舎です。娯楽施設なんて何一つなく、ただただ雄大な自然が、端的に言ってしまえば山ばっかりが町を囲っています

人口は千人あちこち。移動に車は必須で、大きな買い物をするためには逐一近くの大型ショッピングモールいかねばなりません。

場所によっては携帯も繋がらない。光回線だって通っていない。冬には雪が降り積もり、色々とお金も人でも必要なのに、仕事はないわ魅力はないわで色々と積んでいるよくある田舎町なのです

そんな田舎町の、更に奥まった場所に、バブル期の名残でもあるホテルが建っています。僕はそこで厨房の手伝いをしています

その他に働いている従業員は皆都市部出身。額面通りの都市ではないにせよ、僕の町よりはよっぽど発展した町からやってきた人々たちばかりです

そんな人達が、ことあるごとに言う訳です。ここは辺鄙な場所だと。娯楽は少ないし、何かと不便であると。

その通りなんです。その通りなんですけど、なんだか腹立たしいのです

僕の中に郷土愛なんてものがあるからなのかもしれません。あるいは、お前たちがそれを言うなよと思ってしまからなのかもしれません。

持てる者だからこそ知っている優越感に、無意識の内に反発してしまうのです

この感情は、だから僻みと紙一重なのでしょう。もしかすると嫉妬なのかもしれませんし、羨望なのかもしれません。度が過ぎれば憎しみに変わることもあるかもしれません。

僕個人としては、少なくとも表面的にはどうでもいいと感じているにも関わらず、です

最初から持てる者として生まれた人が、自身の当然を口にするときは注意が必要です。たとえどれだけ相手が気を許しているように見えても、その実傷を与えているとも分からいかです

ヘラヘラ笑っているその裏で何を考えているのかはわからない、などというつもりはありませんが、自らの当然が当然足りえる空間認識する必要はあると思うのです

2011-10-30

歴史上の人物に対する人気の「相場」について

戦後、ほぼ10単位で人気となる人物が変わるのが「戦国三英傑」

正直どうして歴史上の人間が行った功績が相場の様に評価が変わるのか理解に苦しむ

経済成長期~バブル期だと大体豊臣秀吉90年代後半は徳川家康2000年代小泉政権下だと織田信長現在だとどうだろうか?

最近ではTVの力が弱いので歴史ランキング(笑)なる「ぼくのかんがえるりそうのにんげん」特集がめっきり減ったのは良い事だが

まあ徳川家康織田信長のどちらかだろう。

坂本龍馬ランキング1位から転落する時は何時になるのやら。

つらつらと、日本自動車産業の置かれた状況について考えてみた。

自動車産業が抱える問題って、現在の日本の置かれた状況を象徴するものだよなぁ、と思い、少し掘り下げて考えてみた。「推測」と書いたのは、バックデータ・統計資料にわざわざ時間をかけてあたる暇はないので、状況証拠だけで考えていくということだ。暇な人、もしくは自動車産業関係者のマーケターの方、もしくはマクロ経済の専門家様、データを元にこの推測、といいますか仮説を検証してみてくださいませ。

若者の嗜好が変われば万事解決、なのか

自動車の国内市場規模は縮小の一途。特に若者がクルマに興味を持ってくれない。」というのが、業界的に広く共有された悩みのよう。その典型的な事象の捉え方が痛いニュースのこの記事。

痛いニュース(ノ∀`) : “若者、車離れ” 日本国内で車売れない…トヨタ、本気でアイデア募集 - ライブドアブログ

この2ちゃんねるまとめブログで、板の題材として選ばれている記事がこれ。

国内で車売れない危機打開策 トヨタ本気でアイデア募集 (1/2) : J-CASTニュース

ま、痛いニュースJ-CASTなので、、、、、でも、こういうメディアって、一般的な状況の捉えられ方やルサンチマン的なストレスを推し量るには本当に都合がいい。でもJ-CASTの元記事にはファクトデータも載っている。ちょっと引用してみると、

国内での販売は2年連続の減少だ。ダイハツ工業日野自動車を含めたトヨタグループ販売は前期比同4%減の227万台と、米国販売との差が広がる一方だ。国内市場全体の落ち込みより減少幅が小さかったため、トヨタシェア軽自動車除く)は過去最高の45.8%まで上昇したが、トヨタ車単独で11万台の減では、シェア上昇も手離しで喜べない。

国内の自動車需要(全需)は、2006年度の軽を除いた日本国内の新車販売は前年度比8.3%減の358万台と、29年ぶりの低水準だ。登録車市場の低迷の原因としては、経済性や実用性を求めて軽自動車に人気が移っている影響とされてきた。しかし、軽を加えても同4.1%減の561万台であり、国内市場全体が収縮していることが鮮明になっている。

要は、

ってこと。ちなみにこの元記事は1997年という4年前のもの。

で、その対策として当時のトヨタは、

トヨタは06年末に社内横断的なチームを立ち上げ、国内低迷脱却のアイデアを懸命に探り始めた。

対策チームは、自動車という商品の枠内だけで解答は出さず、地域や社会全体の問題の中で消費を喚起する自動車を改めて模索している。携帯電話などの情報関連の支出が増えた若者の「車離れ」や、少子化による若年人口の減少による市場構造の変化を深刻に受け止め、車が売れなくなった構造要因に真剣に目を向けざるを得ない。地域ごとの特性や家庭の年代構成、消費者の行動なども踏まえて自動車市場全体を抜本的に洗い直そうというものだ。

少子化対策は政府でも有効策を打ち出せていない難題中の難問だ。それでも、トヨタ渡辺捷昭社長は「国内市場を活性化するためには、何よりも市場創造型のいい商品を投入することだ。地域の活性化を含めて、いろんな手を打っていきたい」と、社内チームの試みに大きな期待を寄せている。

というわけで、「国内市場をどうにか活性化させるための手を打ちたいと考え、具体的なアクションを起こしている」というメッセージを打ち出したわけですね。

それに対して2ちゃんねる側の反応はだいたい2分されていて、

  • 魅力のあるクルマを作らないメーカーが悪い (元記事がトヨタを取り上げているので、トヨタが槍玉にあがっているけれど、だからといって、他社のを褒めているわけじゃないから、国内メーカー全体に対して同じように思っているのだろう。海外メーカーはout of 眼中なのかな?)
  • トヨタを含む大企業が賃金を抑制するから、われわれは車を買う金を持っていない。そりゃ売れるわけ無いだろう!

となっている。

で、このあと2010年になってどうなったかというと、、、、市場動向、トヨタの対応、そしてネット民wの反応がツンダオワタ情報にまとめられている。(本当は産経新聞の元記事URLを引きたかったのだが、既に削除済み。というわけで、元記事の存在証明はないところはご容赦を。(だから、論文とかでは、データとしては使えないなぁ、、、増田で使うのが精一杯。)

豊田社長「マスコミは若者の車離れと言うが、離れているのは私達メーカーではないのか」 - ツンダオワタ情報

まずはトヨタがどのような手を売ったのかというと、、

トヨタは今年1月に「スポーツ車両統括部」を立ち上げ、スポーツカーの企画や開発に関する最終権限を経営陣から現場に移譲。スポーツカーの復活とともに、走る楽しみを演出する複数の

 プロジェクトが始動している。足回りの良さにこだわった特別仕様車を相次ぎ発売。4人乗りで世界最小の「iQ」6速MT搭載限定車は予約開始から1週間で完売。

9月3日。強い日差しの下、静岡県小山町富士スピードウェイで、1台のスポーツカーが強烈なエンジン音を響かせていた。12月から世界限定500台で販売が予定されている高級

 スポーツカーレクサスLFA」(価格3750万円)。報道関係者らを対象にした試乗会が行われていた。LFAの最高時速は325キロだが、この日は1周4.5キロのコースを約2分で駆け抜けた。「ハンドルを握ったときにドキドキ、ワクワクするクルマをつくりたい」自らレースにも参戦する豊田社長は常にこう言い続けてきた。

つまり、

のようにスポーツカーに活路を見出そうとしているよう。

でも、その結果は、、、、「文中の」ファクトデータを洗ってみると、、

クルマが売れない。昨年の国内新車販売台数は約460万台と、ピーク時(平成2年)の6割程度にまで縮小している。景気低迷が一因だが、一般的には若者のクルマ離れが最大の理由とされている。調査によると、大学生の「興味ある製品」でクルマは17位(20年度)と、40~50歳代が大学生だった当時の7位から大きく後退している。

要は、

  • 市場の縮小は継続している
  • 大学生の間で車に対する興味は薄れている

ということ。ただし、MTのiQは限定台数を売り尽くしたし、Wikipediaの記述を見るかぎり、LFXもきちんと台数は捌けているよう。要は、「作ったクルマはちゃんと売れたけど、市場全体の構造を変えるまでに至っていない」ってことですね。それに対するネット民wの反応は、1997年痛いニュースから、全く変わっていないというのも面白いところだ。

結局のところ、市場の縮小は人口減少トレンド下では不可避。でも、せめて若年層にクルマを運転する楽しみを知ってもらい、高付加価値のクルマを継続して買ってもらえるようにすることで、市場構造の問題を少しでも緩和したい、っていうところだと思われます。少なくとも、ここまでに取り上げた情報ソースからすると、、、、ですが。

クルマがすきな若者は本当にいなくなったのか?

まず、「若者」という括りに対してツッコミがあるというのは、甘んじて受け入れよう。というか、全面的に納得せざるを得ない。で、話を単純化するために、母集団を「大学生」という括りに絞ってみることにする。大学進学率が上昇し、それによって「大学生」という母集団の性質が変化したという点については、「なぜ大学進学率が50%を超えたのか? -大学進学人口と大学数との関連-」という小樽商科大学の学報掲載記事をご覧いただければ一目瞭然。(ああ、やっと真っ当なデータリソースを挙げることができた、、、ホッ。)

であれば、「大学生」よりも、より限定した形で母集団を設定しなければ、まともな時系列比較ができない、ということになる。でも、そんな統計はまともに存在しないだろうなぁ、、、、ということで、ここからは、私の実感という超主観的な状況証拠を絡めてで話を進めたい。私は30代半ばで、某都心から50kmくらいにある某大学を職場とする人間だ。で、自分の周りがみんな全くクルマに興味がないかというと、そんなことはない。R32スカイラインをシートを始めとしてひたすら改造しながら乗っている先輩、フランスオープンカーに乗る後輩、馬鹿でかいアメリカ製SUVで駅まで送ってくれた後輩、、、、普通にいる。しかし、キャンパスの周りが整備され、駐車場の確保が難しくなったなどの事情もあるのだろうが、昔はその存在を確認できた30万円で買った中古車で大学に通い、金はなくともバス/電車という公共交通機関の利用を忌避するタイプの層は、ほとんど見ることができない。つまり、エンスー、とまではいわないかもいれないが、クルマに対しそれなりのお金を費やししている層は昔も今も、少数ながら存在していて、がんばってクルマに乗ろうという層がいなくなったということになるだろう。

無理してクルマに乗る、というインセンティブは下がっている?

30万円の中古車というと、当時の車種で具体的に言えば、10年オチのファミリアハッチバックとか、カローラⅡとかですな。当然乗り心地は良くないし、内装はパットしないし、、、でも、なぜわざわざそんなクルマを乗り回していたかというと、一番大きな理由は「クルマが無ければ不便だった」ということではないかと思うのですよ。この15年ほどで、私鉄や地下鉄の延長、新規路線開業は相次いだし、JRも湘南新宿ラインなどの直通電車をバンバン投入した。職場近辺は、15年ほど前までは、各駅停車しか止まらない私鉄の駅までバスで15分。都心に行くには2時間じゃ利かないという状況だった。かつ周囲には自動車工場と関連施設、更には清掃工場とかしかない、街だったわけで、、、、そりゃ、がんばってバイトして、クルマ買うよなぁ。逆に言えば、今となっては、無理してバイトしなきゃ手に入らないならクルマなんて買わずに、大学が斡旋してくれるUQ Wimaxルータでも買って、電車の中で課題をこなしている方がよっぽど効率的だ。

これと同じ状況が広く各大学で生じている。また、首都圏関西圏のいたる大学で、文系を中心に、バブル期に都心から30〜50km圏に新たに取得した土地に移転させた学部を、都心部の本部キャンパスに戻すというプロジェクトが進められている。というわけで、大学生の多くがクルマに乗らなくなるのは必然、というべき状況なのだ。

Fun to Driveを実感できる層とは

"Fun to Drive"というのは80年代〜90年代(だったかな?)にトヨタが掲げていたコーポレートスローガン、というかキャッチコピー。今あらためて読んでみると、いいキャッチコピーだなぁと。クルマを運転するのはやっぱり楽しいと思う。車高の低い、重心の位置が決まっているクルマって、運転技術が下手な人間でも、走らせるとむちゃくちゃ楽しい。(助手席に乗る人はたまったものじゃないわけだけれど、、、)研究者の職場というのは、普通のホワイトカラーと比べて圧倒的に交通の不便な場所に設置されていることが多い。大学しかり、企業や行政立の研究所しかり。将来的にそういった職場で、ある程度の期間働くことになったとしても、個人的にはクルマで通勤するのはできるだけ避けたいと思う。だって、遅刻の心配しながら朝必死に高速を飛ばしたり、長時間デスクワークした疲れた体で夜道を長時間かけて走って帰宅なんてしたくないじゃあないですか。しかも、クルマに乗っている限り、酒が飲めないというオチまでついてくる。正直、Fun to Driveを実感するきっかけが、自分に巡ってくる機会なんてめったにない。

タイトな仕事に従事する層が通勤でFun to Driveを感じるというのはかなり厳しい。逆に言えば、サボってもいい授業を沢山履修していたり、帰り道にドライブデートする機会が多い学生というのは、Fun to Driveを感じるのにものすごく最適化された生活をしているのだろう。もちろん、クルマで通うことが正当化されるような大学に通っている場合に限るわけだけれど、、、、

それ以外では、「もともと自宅に乗っていて楽しいタイプのクルマがあって」「工場勤務で工場隣接の寮に住んでいるから平日は閉じ込められている。近所にろくに店もないから、週末はクルマで遠出するのが趣味。店がないということは、そもそも他にお金の使い道もないし、、、」という人くらいなのではないかと思いますよ。

クルマ文化先進国?ヨーロッパの状況

まあそれでも、ものづくりニッポンの文化として、モータリゼーションは浸透し続けるべきだし、それは可能だとおっしゃる向きもあるだろう。であれば、自動車文化先進国といわれるヨーロッパの状況を見てみたい。

ヨーロッパに行くと、日本ではあまりお目にかかれないブランドのクルマをよく見かける。SKODA、SEAT、そして90年代には多少日本にも乗っている人がいたけれど、、、的なOPEL、LANCIAなどもまだまだ現役だ。注目したいのはSKODAとSEAT。この2つのブランドはAudi同様VOLKS WAGENの一ブランドなのである。SKODAはもともとチェコ、SEATはスペインメーカー。それぞれVWによって買収され、現在は中〜低価格帯のラインナップを担っている。逆にVWの高級ラインがAudi。VWは、ヨーロッパで最も販売台数が多い自動車メーカーだ。ACEA - European Automobile Manufacturers' Associationの、Year 2011 by manufacturer and by vehicle category (Enlarged Europe) <※注1:エクセルファイルへのリンクです, 注2:1月〜8月までの数値>によると、メーカーとしてのシェアは23.2%。で、問題は23.2%の内訳だ。VWブランドは全体の12.3%。高級ラインのAudiは全体の5.0%、SEATが2.3%、SKODAが3.6%である。VWはフェートンやトゥアレグなどの高級車(というか、実質中身はAudi A8・Q7ね、、、)はあれど、代数的にはごく一部だろうから、23.2%のうち、15%くらいはBセグメント以下の中小型車と推測できる。そしてVWグループ低価格帯のクルマにスポーツカーは極少数だし、Golfにしても他の車種にしても、ホットバージョンのグレードは売上のほんの少しだろう。

一方、スポーツブランドエンスーな人御用達ブランドはというと、、、ALFA ROMEOで1.0%、PORSCHEで0.3%。ボンドカーASTON MARTINもヨーロッパでは8ヶ月間で1,664台(0.0180630955651735%)しか売れていない。(これだけ売れれば十分か、、、?)ちなみにみんな大好きフェラーリは、FIATグループの中でもその他扱いされていて、数値が出されていない。っていうか、その程度のもの。ヨーロッパ階級社会が未だに色濃く残る社会なので、先祖代々馬車に乗っているような人たちが、相変わらず週末の嗜みとしてポルシェフェラーリ、はたまたブガッティランボルギーニなどのカロッツェリアリリースする少数生産の高級車に乗っているのだろう。ということは、ですよ。日本においてエンスー車のみをひたすら取り上げていたCar GraphicやNaviのような雑誌がそこそこ売れ、地方自治体立の図書館に配架され、なおかつテレビ朝日系で番組まであったというのは、どう考えてもおかしい事態、なわけですね。

じゃあ、アメリカはどうなんだ

というと、やっぱり車の運転が「好き」っていう人はそんなにいるように思えない。バック・トゥ・ザ・フューチャーの時代から、若者の憧れはSUVだったし、トヨタアメリカの若年層を攻略するために導入したサイオンだって、ラインナップはxB(日本名Bb)、xD(日本名ist)だし。アメリカ市場といえば、、、のホンダの戦略車種だって、ELEMENTやCR-VにMDX。ようは、SUVをカリフォルニアサーフカルチャーに振るか、ニューヨークヒップホップカルチャーに振るか、はたまた高級志向に走るかしか、手はなかったわけで、、、、

経済成長期にみられる特殊現象

経済成長期というのは、来年は今年よりも所得が増える人が沢山いるという状態のことだ。経済的に余裕が出来てくると、多くの人間が考えるのは生活の質的向上を図ろうというものだ。その結果、未知の様々な趣味にお金と時間を突っ込んで見ることとなる(これ、現在の中国沿海部がちょうどそういう状態)。そういった状況下で、日本のメーカーレビントレノ、MR-2、CR-X、ユーノスロードスター、FTOなど低価格でかなり走りが楽しめるスポーツカーを量産してしまうことに成功してしまう。ミドシップのツーシーターが200万円台前半とか、V−Tecエンジンを積んだ2ドアホットハッチが100万円台、車の歴史から見たら、おかしいだろう!ということですよ。更にホンダビートダイハツカプチーノ、極めつけはマツダAutozam AZ-1軽自動車なのに、ミドシップガルウィング。とんでもなさすぎる、、、、

で、いろいろ手を出してみるものの、そこそこ収入が安定する頃には、自分の趣味や可処分所得に見合った趣味だけに落ち着いていく。ま、もともとクルマで女の子にもてようと思えば、そこそこの外車や国産車でもレクサスになるだろう。中途半端に月3万円のローンとほぼ同額の維持費をクルマに突っ込むくらいなら、3万円を衣服費に使い、残り3万円でデートに誘う店のグレードを上げた方がよっぽどモテるだろう。結局日本という市場は、相も変わらず500万円オーバーのクルマを買い続けてくれる一部の層と、下駄として使うための安くて丈夫なクルマを選ぶ層(しかも、子育て期限定でワンボックスを買う層も多いと見た、っていうか00年代前半は、2シーター乗っていた人が、パパになってSTEPWGNやセレナに乗り換えを余儀なくされるというパターンが本当に多かったのですよ)と、クルマなんてそもそもいらないっていう多くの層によって形成されることとなる。下駄クルマは利益率は低いし、韓国・中国勢がブランド力を向上させていけば、取って代わられる事態も当然ありうる(それを日本にやられた先例がアメリカだ)。国内市場で利益をあげ続けようと思うならば、高級車のシェアを取りに行くしかない。そういう意味でトヨタはLexusを止める訳にはいかないし、他社は実質国内市場はあきらめかけているんじゃない、、、としか思えない。高級車ラインを展開できなければ、日本は欧州・アジア向けモデルを導入するone of themの市場という前提で戦略を立てざるを得ない(実際、日産、ホンダマツダなんかはまさしくこの戦略をとってる。マーチが全量アジアからの輸入になるなんてね、、、、)。

なぜダイハツは第三のエコカーのCMに瑛太を起用するのか?

で、以下のURLから1本のテレビCMをご覧頂きたい。トヨタグループの一員であるダイハツの企業CMだ。

テレビCM 企業CM「日本のどこかで 新しい町」篇【ダイハツ】

このCMの読み解きは、あくまでも僕の憶測にしか過ぎないのであしからず

都会でクリエイティブ(たぶん美容師とか、ショップ店員とかかな?)な仕事をしていた瑛太が、突如田舎にIターンUターン、じゃないだろうなぁ、、、)して、ガテン系(工務店)の仕事を始める。そこで、これまで乗っていたアメ車のシボレー・カマロを第三のエコカーであるダイハツの軽(ミラ・イース)に変える。生活の変化と平行して、地元の郵便局員である吹石一恵との関係が始まり、、、、というストーリーなわけだけど、設定の1つ1つに企業戦略として重要な意味合いが込められていると思うのだ。(あくまでも推測だけど、、、)

都心にはダイハツが売り込む市場など、商用車以外に大して存在しない(それでも、乳幼児を抱えるお母さんが、電車に乗れなくなったから必要に迫られて車を買うというケースは結構ある(タントのCMを参照。それにしてもダイハツのCMは、意図がすっきりはっきりして清々しいほど。マーケ的お手本ですね。)。だから、当然第一次・第二次産業(の生産部門)が経済の中心であるエリア、もっとわかりやすく言い換えると、でっかいイオンモールが唯一のデートコースという地域が、ダイハツ(とかスズキとか)の主戦場となる。

そういったエリアは、都心とは異なる理由で市場の縮小が進んでいる。まずもって、人口減少トレンドがものすごく強いということ。都心の場合出生率は下がっても、人口流入が大きいので若年層人口の減少トレンドはかなり緩和されている(というか、江東区とか、横浜市なんかは、保育園入園の待機児童問題がぜんぜん解決されないままで、、、、)。でも、地方は加速度がついて若年人口が減っているというのがまず前提となる。

その上に自動車市場を冷やす意外な要因というのが、実はイオンモールの進出ではないのかな、と個人的には睨んでいる。こう書くと、「イオンモールこそが、駅前商店街衰退の最大の要因で、だからみんなクルマを保有せざるをえないのじゃないか」というツッコミがきそうだが、たぶん逆じゃないかな、と。地方の駅前商店街なんて、もともと若年層が楽しめる娯楽や、ファッションを提供する機能を持っていなかった。だから、暇な若者に出来る時間つぶしって、女の子を誘ってドライブくらいしかなかったわけだ。例えば、90年代にものすごく売れたホンダ・S-MX は、フルフラットシートにできるだけでなく、ご丁寧にティッシュボックスまで備え付けてある。わかりやすくニーズのど真ん中をついていたわけだ。

それが、イオンモールができることで状況は一変する。シネコンタイトーとかセガとかの大規模ゲーセンやROUND1で時間は潰せるし、服を買うのも、ワールドイトキンオンワードといったアパレル大手のちょっと低価格ラインのショップレディースならば宮崎あおいがCMしてるEarth music & ecologyとか、OZOC、Melroseとか。メンズならTK Takeo Kikuchiとか。ユニセックスチャイルドで、UNIQLOに満足しない層のために、GAPとか、無印とか、COMME CA ISMとかも入っている。ABCマートがあれば、靴も含めてそんなにダサくない、というか都心で売っているものと遜色のないものが揃ってしまう。そりゃ、裏原宿テイストは無理だけど、池袋マルイサンシャインシティくらいのレベルは買えてしまう。片道30分でイオンモールにつけるのであれば、その短い時間にお金をかけるよりも、一日中過ごすイオンモールの中でお金を使ったほうが楽しいわけだ。つまり、人口が少ないだけでなく、残っている若者にもクルマに必要以上にお金をつぎ込むインセンティブがもはや存在しないということだ。

じゃあ、粛々とシュリンクする市場規模に対応するだけの資源投下をすべきか、、、というとそうは問屋がおろさない。それができない要因、それは地方に数多く存在する独立資本の販売店フランチャイジーだ。バブル崩壊後、自動車メーカーはそれぞれ、ドラスティックに販売網ネットワークを整理した。今となっては複数の販売チャネルを運営しているのは、実質的にはトヨタだけになってしまった。ただし、トヨタ・日産・三菱といったメーカーの場合、販社は一部自らが出資している法人が大半であり、スムーズに(とはいかないまでも、どうにか)店舗網の縮小、合併を進めることができた。ところが、ダイハツスズキスバルホンダ(の旧プリモ店)は、三丁目の夕日に出てくるような個人経営の自動車整備業にフランチャイジーとして販売を委託するという形態の店舗を数多く抱える。販売店網が密だということは、アフターサービスメンテナンスの質を向上させることにつながる。アフターサービスメンテナンスはアフターマーケットという業界用語があるくらい、利益率の高い市場なので、各社力を入れているわけだが、サービス水準を高めるためには、各店舗の士気が高められていることが重要だ。

販社としては、生涯価値の高い顧客、つまり長くお金を落とし続けてくれる顧客を捕まえたいというニーズを持っている。となると、地方にやってきた若年層というのが、一番欲しい顧客のプロファイルとなる。地方にやってきて、工務店という地域密着な仕事をし、地元の(たぶん)特定郵便局の職員とつきあって結婚して、、、というのは、まさしく地方の販売店にとって喉から手が出るほど欲しい顧客像だといえるだろう。こういう層に向けて、ストレートに刺さるCM、というのは、ミラ・イースの本当の想定顧客かどうかは関係ない。(実際、イースの車種CMは、ブルース・ウィリスを起用してダジャレを言わせているわけだから、瑛太のようなプロフィール、ではないことは明白。)「企業CM」して瑛太と吹石一恵が出演するCMを放映するということは、メッセージターゲットは販売店フランチャイジーなのではないかな、と。

長かったけど、結論。車好きの数は基本的には一定比率。高度成長期バブルが異常だっただけ。

小見出しで結論は言い切っちゃいましたが、基本はこれ。自動車メーカーボードメンバーや車種開発部門は既にわかっていてやっているはず。じゃなきゃ、瑛太が乗るクルマはミラ・イースにならないし、マツダスカイアクティブテクノロジ搭載車やホンダハイブリッド車に国内独自モデルが1つもない、なんて事にもならないはず。

ところが、販売部門、とくに販社といっしょにプロモーション計画を取りまとめる部門は、国内は縮小均衡で粛々とやっていく、なんてことは口が裂けても言えないはず。なので、国内販社向けマーケティング担当者が考えるべきは、シュリンクする市場環境下で、世界共通モデルをいかに低コストローカライズして、他者のシェアを奪うのか、しかないのが現状なのだと思いますよ。正直、ね。

2011-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20111012204454

ワープア定義って

「週40時間働いてるのにバブル期並みの贅沢ができない事」

だったっけ?

確かそうだったよね?

2011-10-01

テレビ局なんて入らなければ良かった

現在30歳手前、数年前にテレビ局へ中途で転職した。

色々な所で語られているほど華やかな場所ではなかったが

少なくとも給料は2倍になった(以前は手取り20を切っていた)。

マスコミはみんな1000万プレーヤーなんてのはバブル期以来の幻想なんだけど

それでも額面で自分の父親を上回るほど、立派な仕事をしているとは思えなかった。


兎に角、僕は子供の頃からの憧れだったテレビ局で働くことになった。

そして今、言いようのない閉塞感と絶望に打ちひしがれている。


時代を覆う閉塞感、いまを生きる方なら少なからず共有出来るものだと思う。

バブル崩壊後、右肩下がりの時世を過ごしてきた僕も同様、

表現し難い恐怖感、いや、得体のしれない魔物ぼんやりとした不安」が常について回った。

直接の危害がすぐに及ぶ訳ではない、けれど穏やかに沈んでいく日常が怖かったのだ。

在りきたりな言い方すると「沈みゆく船に乗り合わせた不幸」とでも表せるのだろうか、

常に「何か」からいかけられている様な恐怖がいつも隣り合わせにあった。


僕は父子家庭で育った。

そんなに賢くはなかったけど、要領がよかったので中学受験をすることになった。

一志望の麻布中学不合格、けれどそれなりに名の知れた進学校に進学した。

中高と奨学金を借りながら進学し

東大受験するも失敗、早稲田へと進んだ。

就職活動ではテレビ局を志望したが不合格

いわゆる下請けの関連会社ブラック丸出しな日々を送った。

そして数年後、テレビ中途採用に応募し

今に至ることになる。

こんな奴に何が分かるんだと怒られてしまうかもしれない。

お前は日々の生活に困ったこともないじゃないか、とか

今はブラック企業への就職すら困難なんだよ、とか。

かつて生活保護貰っていたこともあるけど、それでもやはり今の僕は恵まれていると思う。

(実際現在給与だって、自覚するくらい貰いすぎだ)

ただ、精神的には今の状況の方がずっとキツイんだ。

子供の頃も学生時代も前職にしても

常にアタマの中には「もう少しマシな日常があるんじゃないか」との思いがあった。

何というか、今日よりステキ明日があるのではと幻想を抱いていた。

けれど現在職場転職してきて、その可能性も閉じてしまったのだ。

これ以上の環境もそうは無いだろうと気づいてしまったのだ。

結局こんなもんかよ、との理解は想像以上にキツいものだったんだ。

よりよい未来、それが夢とイコールになるのかは分からないけど

夢すらも描けなくなったとき絶望の波は一気に押し寄せてくる。

現実を知って夢を打ち砕かれるくらいなら、テレビ局なんて入らなければ良かった。

僕は今、ホンキでそう思っているのだ。

(追記)

沢山のコメントtweet等有難うございます

どなたかが仰られていましたが、別に主語は「テレビ局」でなくても良くって

それこそ「起業する」だろうが「モテる」だろうがそこは本質でないと言うか…

具体性を敢えてなくしたのも、もうちょっと普遍的な悩みというか

現実を再認識して夢が閉じてしまうこと、それが一番キツかった」

ということを書いてみたかったんです

「その先に目標がない」というご意見も多数頂きました。

的を射ているというか…ただ自己擁護になってしまうんだけど

そんなに先の先まで夢や目標を描ける人ってこの世の中にどれくらいいるんだろうか?

少なくとも僕には、テレビ局面白いコンテンツを手がける

そんな在り来りな夢を描くのが精一杯でした。

2011-09-24

最強の上司、A部長 前編

最近多くのメールでどういう上司がいたかということをよく聞かれる。思えば変人が多かったな(笑)

一番印象に残っているのは、俺が25歳から30歳の頃のA部長だ。

最近はだいぶ社内の上下関係カジュアルになって来ているが、当時は若手社員部長と気安く話すなんてなかなか許されない雰囲気だった。

レポートや報告を上げるにしても、逆に何か部長から指示が降りてくるにしても、常に自分の直属の主任課長次長、そして部長と言う階層を通じて行われる、明確な序列があった。

しかしA部長は違った。いつも

「おい、タケシ!ちょっと来い」

と言ってオレを部長席に呼び出したり、向こうからオレの席にふらりとやってきたりして、オレをかわいがってくれた。

また若僧のオレにも

「オマエがオレなら、どうする?」

と忌憚ない意見を求めてくれた。

部長は当時、今のオレと同じくらいの歳だったと思うが、体型はスリムで、どんなに暑くてもスーツをきれいに着こなし、精悍な顔つきだった。今で言えば、かなりのイケメンで(当時、まだイケメンなんて言葉はかったが)、社内の女性らの中でも評判だった。

今の時代なら、GQやLEONとかの雑誌に出ていても不思議ではない、チョイ悪なオヤジだった。

すごいのは、このルックス以上にキャラクターが深くて濃いんだ。

哲学文学芸術ワインをこよなく愛し、食事に行けば、シェリーからまり赤ワインをたしなみながら、高級そうな葉巻を片手に、平気な顔をしてサルトル実存主義について語る。

そんな知的好奇心教養にあふれる人だった。

ヨーロッパ的な気品があって、高貴と自由があいまった雰囲気をこよなく愛する人だった。

でもさ、何かと理由をつけてすぐヨーロッパ出張してしまうんだ(俺も同行させられることが多かった)。

そして仕事がひと段落すると

タケシ、先に日本に帰ってろ」

と言って、自分は2週間くらいヨーロッパを周遊するんだから、困ったもんだよ(笑)

もちろん、本人は「視察」だって言い張ってたけどな。

電子メール携帯電話なんてない時代だったから、A部長ヨーロッパ周遊で不在の間、A部長に指示をあおぐのは大変だった。オレら若手は、A部長が泊まりそうなホテルに、片っ端から電話させられたもんだ(笑)

部長の緊急決裁が必要になり、どうしてもつかまらないA部長を探して部署メンバー総出で、居場所を突き止めるべくフランスのToulouse中のホテル電話をしたこともあった(前々からToulouseでフォアグラ白ワインを飲むのがいいと言っていたので)。

しかし、結局、どのホテル電話してもまったく見つからない。本当は権限規定違反なのだが、最後次長が代理決裁して何とかした。

それから数日すると、真っ黒に日焼けしたA部長会社に現れて、「地中海の島で彼女エンジョイしていた」とのことだった。オレたちは日本であわてまくっていたのにさ(笑)。あの時はあきれてものが言えなかったな。

こんなA部長破天荒ぶりを書くと、ただの遊び人趣味人しか見えないかもしれない。

しかし、仕事はすさまじくでき、社内だけでなく取引先や競合企業からも敬意を集めていた。

当時は、朝から晩まで働くようなモーレツ商社マンがもてはやされていた。しかし、ヨーロッパ人を自称するA部長は、そういう連中を「バリュレスな社蓄」と呼び軽蔑していた。

若手社員残業していると、

「今すぐ資料をしまえ」

と言って、ことあるごとにオレら若手を食事に誘い出した(その後、会社に帰って仕事しなきゃいけないから、ますますモーレツ社員をやらざるを得ないんだけどさ・・・)。

食事の席では、普通なら社内政治や昔の武勇伝を聞かせる上司が多い中、A部長の口から会社仕事の話しが出ることはなかった。

文学論、芸術論、音楽論、人生観までをゆっくりと語ってくれた。ウィスキーの飲み方、酒の種類、ワインテロワールホステスへの接し方、葉巻の吸い方など今の遊びの基礎はすべてA部長に教わった(笑)

九州田舎からニセ慶應ボーイになってバブル期調子に乗りまくっていたオレは、「こんな洗練された人がいるのか」と憧れだったものだよ。

おっと、A部長仕事ぶりを書くつもりが、ついつい遊び話になってしまった。

だが、この記事を書いていたら、オレもBourgogneワインを飲みたくなって来た(笑)

部長仕事人としての顔は次回に譲ろう。

続く

http://ameblo.jp/shousha/entry-10969332499.html

2011-09-07

http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20110906/1315295815

想像するな、知れ、カス

すくいぬ バブル期の就活ってどんな感じだったの?

276 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/10/28(木) 11:10:32.34 ID:zJ5BMr/fO

バブルの話とか聞いても信じられん

伊達に生まれて20数年間「不況」の二文字しか聞いてない

好景気って何だよ畜生仕事寄越せ


自信の無さ(笑) 怯え(笑)

長文でどや顔か? 虫酸が走る。

どうでもいいけど、「最も大きな原因の一つ」ってなに? ”もっとも大きい”のがまだあるの? ゆとり大学生にもわかるように説明してほしいです^^

2011-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20110811043039

CDの全盛期を憶えていれば全然売れてないしヒットでもない

バブル期の話を持ち出して、今は全然ダメかいう奴の話は、話半分で良い。

国民全員が一つの物をありがたがった昭和の頃を持ち出す奴の話も、話半分で良い。

そういう物をごっちゃにして、「今の流行り」を語る奴の話は、聞く耳持つ必要もない。

2011-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20110806001650

私が居る紙媒体デザイン会社も、そんな感じだよ。

デザイン業界は、製造業的な一面も持っているけど、

いわゆる工場みたいな製造業的な「効率化」を忌み嫌う。

人材の育成とか人材の再配置とか。作業の効率化とかルール決めとか。

普通会社なら普通に考えることなんだが、デザイン業界人間は、

そういうのを指さして「おれたちは選民だからそういうのは必要ない」って言う。

バブル期成功した層が居るデザイン会社は大抵はそんな感じ。

 

それが嫌ならフリーランスになるか独立するかだ。

2011-07-25

今を生きる若者達へ

どうしていいかからなくないか

  

日本は確実にダメになるだろう。関東以北は原発の影響で、今楽観視されている以上に無茶苦茶になると思う。今後1020年以上はろくでもない土地としてあり続けるのではないだろうか。北海道の方はよく知らないけど、少なくとも東北関東あたりまでは水俣病枯葉剤チェルノブイリと同様に、長く険しい道を辿ると思う。影響が目の当たりにされない今だからこそ楽観視されているだけで。

そんな細かいことは抜きにしても、日本という国には我々20代以下は誰も期待していないだろうし、今後は生ける屍として実際の死ぬ日を待つ他はないだろう。

私は普通会社員で、そこそこ普通の、ブラックとは言えるか言えないか微妙なラインの会社につとめて3年になるけれど、辞めたくてしようがない。日本会社には未来がない。日本というマーケットにも未来がない。そんな気がする。これが、昔で言う753現象杞憂であって欲しいとせつに願う。

実際はどうだろうか。日本社会は50代以上の社会である。50代以上の50代以上による、50代以上のためにある社会である20代の私は、50代以上のために働いている。50代以上が住みよい社会を作るために働いている。それも実際は、現実が見えていない50代以上の意見に従って、なんとか現状維持を、50代以上の、高度成長期からバブル期に実現した夢の灯火を消さないための努力を、行わされているような気がする。日本ではイノベーションが起こらない。それは、若者が実権を握っていないから。高度成長期にたくさんのイノベーションがここ日本においてでも起こり得たのは、若い世代が多数存在たからだと思う。若者が多数派である、ということは、若者意見も取り入れざるを得ない市場存在するということになる。今の多数派は老人である。老人には先が見えているのだろうか。新しい技術を理解できるのだろうか。受け入れることが出来るのであろうか。老人が老人同士で老人のご機嫌取りに奔走している間に日本は良くて斜陽、没落、マーケット存在意義も、ゴミクズのように消え失せてしまうだろう。どこかが日本に取って代わるということは無いと思う。日本の築いてきたポジションも今の状況も特殊だから日本という国が第一線にいた事すらそのうち忘れ去られるだろう。

  

どうすればいい?海外に逃げるか。海外で何が出来る?その前に、英語ができるか。ほとんどの人間が出来ない。その上で、付加価値もない。日本企業専門職を除いて、一般社員付加価値は付けない。少なくとも、外国では通用しない、日本というムラ社会での掟に従う術しか教えない。外資とか商社とか、外国バンバン渡り合ってる人もまた別だろうけど、大多数の、一般企業に勤めている、なんの価値もない、どこにでもいるような、大多数のただの大卒の一般社員は、行く宛を見失った。今の新卒就職前線はその煽りを直で受けてるんじゃないか。無価値であるということの。

  

さあどうする。

2011-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20110630033445

横だけど。

20年前ってバブル期だべ?

そのころの方がチャンスは無いと思うよ。

フリーターの方が得だと、真面目に考えられてた頃だし、将来設計やら子育てやら、そういうのがバカバカしいと言われてた時代。

あえて悪い言葉で書くが、女子供だろうが何も考えずに適当に働いて、人並み以上の稼ぎができてた。

一部地方を除いた、ほぼ日本中でな。

それが「一億総中流」なんて言葉を生んでしまうわけだが。

んでその、何も考えずに金が稼げた奴がエラそうにして、自分成功体験で部下を育ててダメになったのが、まさに今。

20年前なら、方法論とか関係なく、とにかく動けば金になったからね・・・

2011-06-25

私が知ってるのはバブル期常識だよ?

http://anond.hatelabo.jp/20110624224955

アッシーくんだのメッシーくんだの、世の中の、誰も彼もが羽振りが良くて、男も女もお祭り騒ぎの真っ最中だったころだから、女は奢られてなんぼ。男は奢ってなんぼ。会計時に財布だそうもんなら「バカにすんな」と男に去られるような時代の話になっちゃうよ?

「目上の人と食事をするときは、目上の人より安いものを頼む」とか「奢りのお礼は3度言う(奢ってもらったとき、翌朝会ったとき、次に会ったとき)」とか、そういう同席した人に気をつかう良いマナーは伝えるけどさ。

自分の若いころのマナーしか知らない母親なんて、まったくマナー教育には向かないよ。

それに母子家庭予算2千円の外食できる家なんて、どのくらいあんの? うちは食い物には贅沢してるほうだけど、それでも2千円って3日分の食費だよ。外食なんて、年に1度あるかないか

2011-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20110613124740

関係ないけど、ちょっと前にバブル期JAL入社式の服装が話題になってた。

http://www.tachibana-akira.com/2010/10/807

これで「日本人進歩価値観が衰退した」みたいなこと言ってるけど、実際は全然そんなことなくて、

単にそういうバブリーな価値観調子ぶっこいてただけだと思う。

あり得ないけどまたバブルになったら皆ぶっこくだろうし、そうじゃなかったら何か適当に大人しくやってると思う。

本質は何も変わってないよね。

2011-06-07

二次元礼賛の話からバブル期飲み会の頻度の話へ

これが増田の懐の深さだ…!

2011-05-11

バブル期の消費電力」で可能な生活って?

「消費電力をバブル期の水準に戻せば、原発は全廃できる」という人がいる。

かにバブル期の消費電力は今の3/4程度だから、ちょうど原発を無くしたぐらいの発電量で賄えるだろう。

じゃあ我々がバブル期にどんな生活をしてたか、具体的に列挙してみよう。

まず、ごく一部の金持ち以外は携帯電話自動車電話、ショルダーホン)を持っていなかったし、

パソコンも一部のマニアがいる家庭しか持ってなかった。

ISDNが始まったのが1988年で、電話回線モデムを繋げられるようになったのが1985年

パソコン通信が始まったのがこのくらいの時期。衛星放送はまだ始まっていなかった。

ビデオデッキ電子レンジがようやく半数の家庭に普及した程度。ウォシュレットがある家が珍しかった。

エアコンも一家に一台あればいい方。今みたいに全部の部屋にエアコン付けてる家庭は稀。

家庭用ゲーム機も、今みたいに100Wぐらい電気を食うPS3ではなく、4Wしか電気を食わないファミコン

会社仕事するときも、社員全員に1台づつパソコンが行き渡っているわけではなく、

書類を手書きしたり、電卓を叩いて計算してる人も多かった。

ちょうどワープロ中小企業まで普及し始めた時期だったはず。

コンビニ店舗数は今の1/4くらいで、ドン・キホーテのような24時間開いている店は珍しかった。

駅にはま自動改札がなく、駅員が鋏で切符を切っていた。地下鉄はま冷房車がなかった。

青函トンネル瀬戸大橋が開通したのが1988年。それまではフェリーや連絡船を使っていた。

南北線大江戸線副都心線りんかい線ゆりかもめ成田エクスプレス長野新幹線等の路線は未開業

何もかもがそのまま20年前に戻るわけではないとしても、消費電力を当時の水準に戻すのは、

実はものすごく大変なことなんじゃないか

2011-05-07

信用できる奴が誰もいないと思った時

社会人を10年もしていると、いろいろな人と知り合って一応女と付き合って結婚することもでき、それなりの仕事もこなすようになってきてやっとさあこれから子供とき想像していたようなバリバリ働く30代に突入と思っていたけど、やっぱり仕事プレッシャーに負けそうになってへこんだり、ひとりになってゆっくりこれからの将来のことを考えたいって思うこともある。

そんな時に、腹を割って話せる人が誰もいないことに気づいた。

会社でそんな弱いところを見せると変な噂話が充満したり、そもそもそこまで自分のことを打ち明けることができる間柄の人を持っていない。

学生時代の友人とも疎遠になっていまさら再会もできない。。。

そういえば、自分の親父は30代のころ、仕事をがんばっていたように覚えている。

あの時、子供であるはなんで毎日同じ時間に家を出て、なんで毎日同じ時間に帰ってくるのだろう。つまらないことしている大人だなと思っていたけど、

今なら分かる。それはすごかったことが。

毎日定時で帰宅していたし、たまには会社の部下を家に連れて帰ってきて飲んだり、愚痴を聞いていたり、泊めていたり、ということはある程度信頼関係があったということだ。

しかバブル期はいえ、30代で年収1000万はあったと思う。

そんな苦労してがんばってきた親父が傍にいるじゃないか。この週末、ちょっと昔はどんな気持ちで仕事してたのか?って聴いてみよう。

実は親父とも腹を割って話したことがない。。。

2011-02-06

[]正社員既得権ってまだタブー視されてるの?(´・ω・`)

正社員既得権ってまだタブー視されてるの?(´・ω・`)

http://anond.hatelabo.jp/20101111151244

中の人です

結構多くの人に読んでもらえたようで嬉しいです

トラックバックの中の内、http://anond.hatelabo.jp/20110202044044に対して、自分の分かる範囲で答えたいと思います。

自分もすべての事に関して詳しいわけではないので、わからないところもあります。その点はご容赦頂きたい

http://anond.hatelabo.jp/20110202044044

ということで,

と言えると思いますが,どうですか.

まさにその通りだと思います。

正社員職が(契約社員派遣フリーターなどの非正規雇用職に比べて)特権的なものであると薄々自分でもわかっているからこそ、解雇規制に反対する。まさか、自分の今の地位的経済的な裕福さが、非正規雇用の人の”犠牲”の上になりたっているという厳然たる事実を、正社員の人は明示的にでないにしてもわかっている。無意識的に理解はしていても、それを事実であるとは(口に出して、明示的に)認めたがらない。「自分が、他人の“犠牲”によって成り立たせるような”悪い”人間はない」と思い込みたがるというバイアスがかかっているから。

実際に、民間企業正社員として勤めてる友達に話そうとしても、仲がこじれそうで気軽に言えないわけですよ。理解力ある人ならいいけど、そうでない人に関しては絶交されるのも覚悟するくらいの意気込みで(それくらいの強い意志をもって)話さなきゃいけないのは辛いです。

ということで,

と言えると思いますが,どうですか.

的確にまとまっていると思います。私にこれだけキレイにまとめるだけの文章力はないですw

5.については、あまり深刻に考える必要はないと思います。

解雇比較的自由な理想的な労働市場想像してみればわかると思うけど、今の正社員職と非正規職の垣根がなくなるわけです。つまり、(理想的な市場であれば)全員が正社員といってもいいし、全員が非正規雇用者になるようなものだと思います。解雇されやすい代わりに再就職もしやすい、そんな環境です

解雇規制緩和脊髄反射的に反対している人は、「会社に必要とされていない」と本人が一番感じているから反対するのかもしれない。解雇規制が緩和されたとして、会社労働者解雇しだすのかどうかというと実際はそんなことはないと思うのですだって企業が、その企業に固有の慣れ(職場人間関係や慣習)を身につけている人をわざわざ解雇して失われる利益と、新しい人間を雇ってその企業に慣れさせるコスト比較したら、手間をかけて解雇して手間をかけて新たに雇うのはバカバカしくなるだろう。

だとしても、「自分解雇されてしまう」と思う人は、「自分のやっている仕事は誰にでもできる仕事だ」ということに薄々感づいていて、言ってみればその会社に見切られたときに、他に行くあてがないということが分かっているのだと思う。つまり、その会社にしがみついていて、放り出されるのが怖い。クビにされたら再就職もままらいから怖い。それは労働市場において自分価値が低い、と自分でもなんとなくわかっている人だと思う。

日本雇用終身雇用年功序列新卒採用- を撤廃させるには、つまり雇用が流動化されるには少なからず混乱が起きるだろし、 落ち着きを取り戻したとしても決して全員の給料が良かった時代には戻れないだろう。 雇用流動化によって損をするのは既得権をもった人★29だ。誰も損をしない革命★30なんかありえない。 彼ら、いやあなた自身が血を流さなければ状況は全く変わらない★1-10

「彼ら,いやあなた自身が」というのは誰なんでしょ?

解雇規制により恩恵を受けている人(既得権を持った人)ということなですかね.

解雇規制により恩恵を受けている人(既得権を持った人)

そういうつもりで書きました

上にも書いたとおり、労働者の大半をしめる正社員職の人にこそ、むしろ読んで欲しい、考えて欲しいと思って、先のエントリを書きました

ちなみに http://anond.hatelabo.jp/20110130114254 のつっこみによると,

解雇規制や法の問題ではなく,企業労働者ルールの問題らしいですね.

その辺の「具体的に何を変えるべきか」も明らかにしていかないといけないですよね.

法的な問題は詳しくないので、あくまでも、一人の法律に関する素人として、日本社会の一人の市民としての意見として読んでください。

http://twitter.com/theophil21/status/26808239597289472#

(1)同感です。周知のように日本の法制度は、ドイツなどと異なり「正当な理由がない解雇違法」というルールを設けてはいません。先進国ならどこでも違法である差別解雇や、期間を定めたにも関わらず期間途中で解雇する場合規制しているほかは、労契法16条があるだけです

労働契約法に関してです

解雇)第16条: 労働契約

http://roudoukeiyakuho.seesaa.net/article/89148150.html

◆ 定年制 ◆

 就業規則に定めた定年制が、労働者の定年に達した日の翌日をもって、その雇用契約自動的に終了する旨を定めたことが明らかであり、かつ、従来この規定に基づいて定年に達した場合は、当然雇用関係が消滅する慣行となっていって、それが労働者にも徹底している限り、解雇の問題は生じない。    

しかし気を付けなければならいのは、定年後引き続き継続雇用されるという慣行があり、特定の労働者だけを継続雇用しないということになったら、定年による退職はなく、解雇の問題が発生してきます。☆   

まさにこの法律が反映された司法判決に関して城繁幸氏が指摘したことがある

http://twitter.com/joshigeyuki/status/8467969965297664

これ結構キツイかも。ますます内定率が落ちていく様子が目に浮かぶ。:定年後の雇い止めは無効「雇用継続期待できる」 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/policy/467815/

http://twitter.com/joshigeyuki/status/8483360695394304

裁判官コメント意訳「業績悪いか嘱託雇い止めしたいっていうけど、新卒採っちゃダメでしょ。まず新卒採用から中止しないと」 もう無茶苦茶http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/policy/467815/

http://twitter.com/joshigeyuki/status/8629180774227969

問題の企業、従業員46人の中小企業なんだな。よく中小はクビ切り放題って言う人がいるが、だいたいはこういう風に法律守ってる。つまり、この判例はそういった多くの中小企業にも「負の影響」を与えるということ。

定年後の人を解雇できずに、新卒採用が絞られる。

この司法判決一つで、数百、数千の新卒採用の枠が狭まっていく。

それはつまり世代間格差を助長させる。

http://twitter.com/theophil21/status/26813074828697600#

(8)わかりやすく言えば、「雇用は保障するから企業に服従せよ」という使用者側の提示に労働者側も応じていた、というのが実態でしたしたがって、それにもかかわらず使用者が「めったなこと」も生じていないのに解雇することは、約束違反になるので、裁判所はこれを「裏切り」と判断してきました

終身雇用年功序列賃金とは、若い時の給料を不当に安くされるかわりに、ある程度年をとってからその分を貰うという後払いのことだ。

今までなんとなくは分かっていたのだが認めたくなかった。

それはつまり、今まで(バブル以前まで)の経済発展はある意味虚構だったのだ。

それはつまり、使用者は本来支払うべき賃金を後回しにして、その分を設備価格競争投資して業務拡大してきた。それが通用したのは団塊世代が40を超えるころになる1990年ごろまでだった(下記の画像参照)。1990年代バブルの後処理でおわれたのでなんとなくやり過ごした気になっていたかもしれないが、団塊世代が高年齢化していくにつれ構造的に人件費が膨らんでしまう。

そして、そのツケは先の氷河期世代が負ったわけだ。なぜ、1990年以前はそれが通用したのかというと、すべての人、低所得者も含めての人の賃金があがっていったからだ(少なくともそういう幻想を抱けた)。それができなくなったのは、先の構造的欠陥もあるのだろうが、一番大きいのは物価が上がらないことだろう。そういう意味財務省日銀が(インフレ目的した)大胆な財政金融緩和を打たないのかが皆目わからない。

団塊世代が引退していく2006-2008年だけは特に景気が良く新卒採用も活発だったが、2010年から次の就職氷河期がツケを払っている最中だ。

今、画面の目の前で「んなモン、今の大学生勉強してなくて馬鹿なだけで自己責任だろ」なんて思ってるそこのアナタに朗報!

そもそも、いつの時代も8割の大学生勉強なんかしてないでしょう。団塊の世代学生運動ばっかだったし、バブル期入社の人も研修旅行と称した拘束旅行に行ってたわけで。ちゃんと勉強している2割の人はいつの時代でもちゃんと就職出来てるわけで。ダメ人間で何もしない2割の大学生はいつの時代でも就職できないわけで。で、俺が問題にしているのは、遊んでいたとしても6割の普通の人は昔は就職できたのに、今の時代に生まれちゃっただけで就職できないっていうのは可笑しな話でしょう?

百歩譲って、そのことは認めたとしよう。それでも、この上下世代間格差と同一世代内の格差をどうにか吸収できるシステムを構築しないと、勝ち組アナタも結局不幸になるんですよ?え、だって、今の30代(=氷河期第一世代)って、世代内でものすごく格差があるでしょ?(参考→格差世代 - Chikirinの日記 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080421)

これ、ほっとくと危ないですよ。まだ、30代で派遣だったら今のところ問題がないように見えるかもしれないけど、20年後、30年後は間違いなく社会に負担が掛かる。それは生活保護受給者の激増という形に現れてくるだろう(予言)。正直、今の生活保護制度が問題ありすぎるから、そのころまで今のままの制度っていうのはありえないと思うけど、それに変わるセーフティネットに負担がものすごく掛かるだろう。それを負担するのは「自己責任だ!」と叫ぶ我々自身だろう。

この国の労働構造を変えないで子ども手当も何もあったもんじゃない。

そもそも定職につけなければ子供を生もうなんて思えやしない。

それが大半の人の思うところだろう。

日本GDP画像http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/04122001/013/image/001_002_01.gif

(ソース)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/04122001/013/001.htm

http://twitter.com/theophil21/status/26814303956897793#

10)これに対して、濱口桂一郎先生が強く指摘されているように、中小零細企業では、「解雇の自由」という原則がずっと定着しており、国際的にみてもそれほど日本が異質なわけではありません。 他方で労働者の移動も頻繁であり、雇用保障と絶対的人事権の取引関係は希薄です

中小企業にとっての解雇規制大企業にとっての解雇規制は大きく異なる。

大企業は、裁判沙汰になって信用が失墜するのを恐れて今の法制度(法律司法判断、省令等)では整理解雇をできない。事実上倒産したJALですら整理解雇違法であるとして元従業員から訴えられている。普通に考えればそこまでリスクを取って整理解雇しようと思わない。

一方で、中小企業社会的信用はそこまで気にしなくてもよいので、バシバ解雇してしまう。

下でも言うように法律による解雇規制はそこまで厳しくないが、規制を頑なに守って身動きがとれない大企業規制を建前として遵守しようとしないブラック中小企業に二分化されている。

参考↓

規制”と“規制監視監督”の違い - Chikirinの日記

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090112

世代間格差若者犠牲者!? 老人天国ニッポン~」 - BLOGOS編集部 - BLOGOS(ブロゴス) - livedoor ニュース

http://news.livedoor.com/article/detail/5061847/?p=7

一方で、解雇規制の緩和方向に法律を変えたら、状況も変わると言う人が多いけれど、もっと根深い問題ですよね。実は法律上の解雇規制はそんなに厳しくない。大部分は司法でやっています。しかも、その司法判断を支えているのが、マスコミ正義感です労働弁護士とか、昔ながらの左翼的な人がたくさんいますよね。現在日弁連会長を含めて、正義の味方でメシ食っている人がいっぱいる。そういう人たちがマスコミは大好きなんですよ。

解雇規制に関しては、法律による規制が問題・なんじゃなくて、それの法律を元にした(城繁幸氏が指摘したような)司法判断が問題になっている。

このことは池田信夫氏が言うように非常に根深い。そして、私自身は(法律に疎いので)法律をいじれば解決するのかどうかはわからない。解雇規制法律上の問題ではなくて、司法判断の問題だとしたら、そしてそれがマスコミ正義感(つまり日弁連社民党共産党のように、正義を実践しれいるつもりなのだがそのことによって構造的に不幸を作り出している偽善的な正義感)に支えているとしたマスメディアの問題でもあるし、そのマスメディア情報を無批判に受け取っている我々自身の知性の問題であると思う。

参考↓

マスメディアの凋落 (内田樹研究室)

http://blog.tatsuru.com/2010/04/02_1243.php

正社員既得権ってまだタブー視されてるの?」というタイトルだけど,

個人的には別にタブー視なんてされていないけど,それでメリットを受けている人がたくさんいるのでつっこまない,

つっこみを入れる人は意見を言うだけにとどまって具体的なアクションにつながっていないので変化が見えない,

>個人的には別にタブー視なんてされていないけど,それでメリットを受けている人がたくさんいるのでつっこまない

私は、上にも書いたように、頭の硬い友人には「話せない」わけですよ。

別に本人は自分幸せならいいのかもしれないけど、彼は社会がどうあるべきか、という理念がない(ようにみえる)。

で、鋭い友人は先のエントリとこのエントリくらいのことなら大体分かっている。

で、大半の人(私の周りの友人含めて)は前者なわけであって、リアルではカンタンに話せることじゃない。

それを、私は「タブー」といっただけです

>つっこみを入れる人は意見を言うだけにとどまって具体的なアクションにつながっていないので変化が見えない,

これはまさにそのとおりだと思います。リアルにしてもネット上にしても。

2011-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20110129140308

貴方は環境のせいにするためにごまかすために聞こえのいいフレーズとして使ってるだけ

あんたみたいなやつはバブル期だって不幸だわww

2011-01-13

孤独死」自体が、「消極的アパート経営大家」に精神ダメージを与え、アパート取壊しのトリガーになる

  以前「賃貸主義は、「孤独死を嫌がって大家高齢者に家を貸さなくなる」というリスク

  未対応だ」(賃貸推奨のちきりん女史は間違っている)と投稿し、

  http://anond.hatelabo.jp/20101202202019

  「アパート経営はそもそも1990年前後バブル期相続対策が主目的から

   次世代が相続対策の必要性が薄れてきたら、アパートも経年除却されるから

  賃貸戸数は実は減るのでは?」とも投稿した

  http://anond.hatelabo.jp/20101216162937

  「次世代のアパート大家は、先代の経営を「消極的に」引き継ぐが、

   経年劣化とか防災対応耐震性の義務付け)とか環境対応カーボンニュートラル義務付け)の

   マイナスインセンティブがあると、アパート経営をその時点で見切るのでは?」と

   書いたのだが、よく考えると「孤独死」自体がマイナスインセンティブの引き金(トリガー)になる。

  つまり、5戸のアパートで、1戸に孤独死が発生し、その対策費に70万円も掛けてしまった、という

  苦い経験した大家は、「もうアパート経営はこりごり」と思ってしまう可能性が出てくる。

  経済的に「70万円掛けたくない」というのもあるが、それ以上に精神ダメージを受けてしまって、

  「アパート経営で月10万円程度の小遣い銭は入るケド、別にカネに困っていないし

   二度と死体なんか見たくないから、アパートとりこわしちゃえ!」と思っちゃったりするかもしれない。

  いきなり残4戸を追い出すことは借地借家法的に難しいが、「去るものは追わず」で、

  退去・(孤独死した場合に追加募集を掛けず、数年~十年で完全空室化して、除却する、というイメージ

2011-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20110111010241

バブル期大学生だった人間(俺のことだ)が一番バカだったって話でしょ?(笑)

それはまったくもって否定できないな。

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