はてなキーワード: バブル期とは
以前、
「大家が『孤独死リスクを恐れ』単身者に賃貸しなくなるリスクを考えると、
ちきりん女史のいうような『賃貸が分譲よりベター』理論は成り立たない」と投稿した。
http://anond.hatelabo.jp/20101202202019
これに対して2つの批判を頂いた。
①ちきりん女史は「多額の住宅ローンのリスク」を主張しているのであり、
「賃貸が分譲より勝っている」とは主張していない。
少額のローンで済むように、
年収相応な安価な家、つまり「狭い家」「古い家」「遠い家」を選べばいい。
②今後人口・世帯数が減少するので「借家需要」が減少するので、
「借家需給バランス」は「借り手市場になる」から、大家のワガママは通らない。
①については、確かにもっともな反論であり、分相応な家に住めばいい、と思う。
しかし、②については、一見もっともらしいが、実はカンタンに言い切れない点がある。
世の中には多量のアパートが存在しているが、これらアパートが建設された主目的、というのを
一般人はあまり理解していない。
確かに「借家ニーズがあるだろうから、そこそこ儲かるんじゃないか」という理由で、
つまり「純粋に借家需給バランスを勘案した上で建設された借家」も、それなりにある。
しかし、特にバブル期に建設されたアパートの類は、「借家需給バランス」以外の要因を
それは「相続税対策のために、アパート建設自体が自己目的になっているアパート」である。
そういうアパートは、必ずしも借家ニーズが強いから、という理由で建ったものではなく、
「相続税課税評価額が下がる」という政治的理由で建設されたのである。
恐らく、アパートを建てた大家=地主は、2010年までに「寿命」を迎えたので、
問題は、その次の代、旧大家の子供の代が、アパート経営を本気で行うか否か、である。
現時点ではまだ築20年だから、あまり老朽化することもないので、そのまま経営を続けるだろう。
しかし、これが2020年になり、2030年になり、相当老朽化した場合に、
「もともと自分の意思で始めた訳ではないアパート経営」を、そのまま続けるだろうか?
「旧大家の子供の代」も相続税対策に悩んでいるのであれば、彼らも本気になってアパート経営をし、
しかし、「旧大家の子供の代」が相続税対策するインセンティブは、2つの理由で希薄になっていると
考えられる。
①地価がじわじわ下がっているので、相続税そのものに頭を悩ませる必要がない。
②未婚率が上昇し、直系卑属(子・孫)を持たない大家が増えているので、
「相続人の心配」をしてやる必要性がない。
・・・となると、相続税対策意欲が乏しい「旧大家の子供の代」は、経年劣化が顕在化する前は
「消極的なアパート経営を続ける」が、いよいよもってアパートが老朽化した場合に
「高いリフォーム費用を掛けてアパートを新装」せずに、「入居者募集せずそのまま放置」、
もしくは「取り壊して更地化」するケースが、結構出てくるのでは?
「アパートといえどもカーボンニュートラルにしろ」と社会的要求が増してくれば、
ますます「消極的アパート経営を続けることのコスト」は増大する。
特に首都圏に多いアパートの相当数が「相続対策目的を主目的としたアパート」であるのであれば、
その「主目的使命を終えたアパート」は、経年すると「御役御免」となるのでは?
「アパート経営による経済的便益」を「アパート経営によるコスト」が逆転する日に、
一気に老朽アパートが賃貸市場から去って、需給バランスがタイトになる可能性は、ゼロとはいえない。
勿論、需給バランスがタイトになれば、それに対して一定の供給はあるから、
需給バランスは緩むのかもしれない。
そもそも「円を刷れば返せる」って言える時点で凄く恵まれてるんですね。
多くの国は、とっくに自国金融機関が買ってくれなくなってて
(アメリカは日本に米国債を買うように求めますが、円建てでと言うと渋りますよね。
未だしも「刷る」という選択肢が残っているのに、
座して「刷れない人々」と同じ運命を受け入れ、
伸ばせる寿命を縮める愚はありません。
勿論、「刷らずに済ませる」妙手が有るなら話は別ですが
「円を刷る事も手としてある」ことを認識し、
内外に対して「少なくとも次回の償還は絶対に大丈夫」とアピールするのは大事です。
できうれば、将来の国庫の不安(円に価値が少なくなるかも!)よりも、
今のお客さんの不安(あたしの国債が償還されないかも!)に主語を置いたアピールが大事です。
予想済みの出来事をパニックを起こさずに迎えれば、対応可能なのも事実です。
(国債償還と言えば2008年問題ですが、あれも当初恐れられていたような事にはなりませんでした。
現実問題としてデフレが深刻なので、インフレはいずれやるべきですしね。
後は個人的な考えになりますが、
「円が弱ってから外貨建て預金をやる」くらいなら、むしろ「今」やるでしょう。
普通のインフレなら金利も良くなるので、必ずしも預貯金者に不利にはならない。
(これも極端な例ですが、バブル期にコツコツ貯金したせいで今大損こいてる人っていますか?)
さらに、貯金に限定せず「金融機関にお金を預ける人」と考えるとこれは間違いなく増えるでしょう。
ありきたりですが、預金口座の代わりに有価証券の形で持つ事にした方がインフレ時は有利です。
さて、有価証券を持つ場合、多くはMRF/MMFを通すわけですが、MMFは御存じの通り公社債の信託商品ですので
世の中には、そういう風にして、「断ってるのにしつこい・・・。私困っちゃう☆」って言うバカがいるから。
これほんとに居るからね。
やっぱり人間には
「自分が求められている」ということを繰り返し確認したり
上の立場から人を振り回したり
っていうのを楽しむ奴は居る。
特に強気になって「人を人とも思わない女がイケてる」っていうバブル期価値観とその名残りは
アプローチしてきた男のどこかをあげつらって嘲笑したり引っ張ったりする優越感ゲームを生み出したけど
それが流行り過ぎて雑誌やテレビといったメディアに乗って垂れ流されるようになった。
そういうメッセージにも原因があると思うんだけどね。
アプローチで失敗したらただ断られるだけで済まされず
嘲笑された上で周囲に言いふらされるとなったら
よほど気か性欲が強い男以外は「二次元の○○ちゃん萌えー」になっていく。
それで世の中がこうなってくると
「草食系とか玉無しが多くてつまんない」と言い出してるんだけど
嘲笑とか陰口とか優越感とか、相手のことを考えないさもしい楽しみの為にハードルをガンガン上げといて被害者ヅラはただの馬鹿だ。
気に入らない時はキッパリ断ってそのかわり言いふらしたり馬鹿にしたりしない、簡単なマナーだと思うんだけどね。
こういう話をすると「キッパリ断ると逆恨みする男が~」っていう話を出してまた話を逸らしつつ被害者ぶろうとする人が居るだろうけど
昔はブ男でもみんな彼女作ろうとして頑張ってたみたい
この時期にブ男に掛けられる言葉って「てめーは何やっても無理だから引っ込んでろよw」だった
時は流れ
どうやらマジだって気付き始めた
草食がどうこうとか男に元気がないとかね
そうするとブ男に掛けられる言葉は
「顔じゃなくて性格に問題があるんでしょ!」に変わった
なんせブ男がそれなりに納得して平和な状態でいるのが気に食わない
底辺が競争から抜けると物凄く困るし怒る
自分が底辺になっちゃうし、下部の苦悩から抜け出た奴が許せない
ピラミッドの上位もまあ底辺の下支えが無くなると優越感や楽しさが減るから困る
だからまずピラミッドに戻ってきてもらう為にハッパ掛ける、という珍現象が見られるようになった
時代が下るに従い、恋愛弱者がガチで恋愛競争から引いてるのに気付いて論調に余裕がなくなってきてる
まあこういう人間の動きやヒエラルキーは恋愛だけじゃなく何の世界にもあるけどね
人の世は浅ましい
若者を擁護するつもりはないけれど、あまりにも「これだけのせい」にしすぎたあまり、遂に渡っちゃいけない橋を渡っちゃったなあ、というのが実感。
戦後世代の人もわかってると思うんだ。モノが売れなくなった本当の理由。若者の○○離れは、原因だとしてもほんの一部でしかないということを。でも「本当の理由」を認めるわけにはいかない、という立場じゃないかと。
あれだ、民主党と一緒。先日、参院選で負けた総括として「総理が消費税アップを不用意に発言した」ことにその理由を収斂しようとしてましたが、自民党だって消費税アップの立場だったんだから、誰がどう考えてもその総括がまるで見当違いなことくらいわかる。当然民主党の中の人だってわかってたはず。でも正直に「8月以降の失政や幹部の金銭問題」「小沢の選挙作戦の大失敗」を敗因だと公言すれば、それはすなわち政権交代以降政府が行ったことや、党の大ボスが存在している意味を全否定することになってしまう。党の立場としてそれを「敗因」として公式に認めることは絶対できないから、目につきやすいところにあって、かつ責任問題になりにくい単発的な失言をスケープゴート的に「理由」にしてごまかしてるわけで。
それと構造としては全く同じだと思うんだ。ホリエモンのあれとか、商品の安易で見栄えだけの広告・コマーシャル連発の結果、継続的に売上を維持できるような「モノづくり」が困難な状況に陥ったりとか、バブル期の売上が異常だっただけにもかかわらず、そこをスタンダードにしてロクに次の収入源になりうる別事業も想定しないまま現在に至ったこととか。それはもう完全な長期的経営戦略上のミスでしかないわけで。
だけど、役員だって普通の人ですから経営責任なんて取りたくない。そこに、ちょうどいいところにスケープゴートがいた。戦後~復興の時代は「節約」とかを貧困を理由に美化しがちだったのが、今は食べ散らかしたパイの残りカスをも漁ろうとするから「僕たちこんなに損してます!」と言いやすくなり、さらに一部に廉価で質の悪いコピー商品のばら撒きも発生してくれたおかげで「こんなに悪い奴がいます!」とも言いやすくなったから、これぞとばかりにそれに乗っかって責任転嫁。これまでの状況というのはそういうことだと思っている。
各社、そこまでならよかったんだよ。全部誰かの悪さのせいにして「だから俺のせいじゃない」と胸を張って言ってるだけのうちはそれでいい。でも今回、「悪い奴」を本当に成敗してしまった。責任転嫁できる「便利な」存在を。これを期に「悪い奴」は激減するでしょう。つまりスケープゴートが減るということ。何でそんなことをしたのかわからない。偉い人達は本当に気がついていなかったのか。ともあれこれで近い将来、経営陣は自分の首を締めることになる可能性が高い。首が締まっていることに気がついたとき、彼らは一体次にどうするんだろう。
もし、今度こそ自分の非を認めて責任を取り、または新たな方針でもって会社をきちんと立て直す、という方向に行くのであれば、今回の対応は結果としてよかった、ということになるかもしれない。でも、また別の誰かの別の「悪さ」のせいにしようとするのであれば。ホリエモンのときのように、また新規勢力全員のせいにしようとするのであれば。もしそうなったら、本当にこの国の会社の伝統なんかもういらねえ。
色白で、華奢で、本当に無口な子だった
そんな子が、当時の俺にはよく話しかけてきていたので、
「もしかしたら僕の事好きなのかな?」といつしか思うようになった
内部進学で中学生になってしばらくすると、彼女は突如不登校になった
教室を掃除する際、俺がその子の机とイスを移動させるとヒューヒューとはやしたてられる
今にして思えば同類と思われていたんだろうな
その後ある日、「俺の名を呼ぶ子供」から電話があったが、電話に出た糞親父はベロベロに酔っていて相手の名をろくに覚えちゃいなかった
俺はもしや、と思い電話をかけたが、彼女の母には上品な物言いで否定された
外部の高校に進学してから、俺は彼女の家を訪ねてみようと思った。最初の同窓会でいい話を聞かなかったからだった
こう書いてて、ほぼ思い込みだけで動いた当時の俺は本当にキモイと思う
案の定、帰って!!と物を投げつけられて退散する事になってしまった
それから15年以上
ミッシングリンクの原因になった糞親父は会社を潰して姿を消し、大学を辞めた俺は一年ほどのニート暮らしの後にかろうじて地元の工場に潜り込めた
ストリートビューが出現して真っ先に検索した、JR線沿いの彼女の家があった場所には、分譲マンションが建っている
もう同窓会には行けない。彼女が今どうしているかなんて聞けやしない
その日本的経営の中で何故配当性向が低くなるか!っていうのが多分問題なんですよね。
最近はだいぶ変わってきたけどバブル期までは、そもそも株主がキャピタルゲインどころか配当さえ、あんまし気にしてなかったからなw
なんせ主要外部株主は、持ち合いとメインバンクで、株式は儲けるためでなく、おつきあいのために持つものだったんで。
しかし経済成長率では同じような国でも違う結果が出ているなら、やっぱ日本の経営者のマインド的問題になるのですかね。
なんせ、この20年、主要先進国の中で日本の成長率がぶっちぎりで低いんで、比較のしようがないんだよなw
資金面の柔軟さに欠ける日本の金融環境がもう一つ大きな要因だったんじゃないかと思うんですよね。
どうだろーなー。ここで議論の俎上にのるのは内部留保率がしっかり出てる上場企業、ってことになると思うんだけど、その辺の会社って仲良しこよしメインバンクがばっちりついてるから、必ずしも直接金融の方が間接金融より機動性が高いとは言えないとおもうんだよなあ。
10年前 23歳=年収0円
月ベースで50万円も増えてる。やったね!
これからも同じ金額が増える?
それはバブル期でも無理じゃないかな…。
本当にこの国の10年先は今よりよくなっていると誰もが信じて働いているか?生活しているか?
こつこつと働いてけば必ず幸せがやってくる?
無職ニートだった経験から言うと、働かない(働けない)よりは絶対に幸せはやってくるよ。
嘘だと思うならニートやってみ。
いや、欲しければ買えばいいと思うが?
欲しくて買っても5万ぐらいなんだから、悲観することもないだろって話をもともとしているわけで。
昔はよかったとかいう人もいるけど、昔だって野麦峠もあれば、炭鉱で死ぬ人もいたし、ついバブル期を含め最近まででも、ずっと高卒で肉体労働コースで事故して・・・という生活をしているひとがいないととでも思ってるのだろうか?
というか、ベクトルがオカシイって話だよ。
なんで、XXを買うぞってのがモチベーションになっているのかと。いや、わかるんだけど。
XXを作るぞ ってのが、本来のモチベーションだと思うんだよね。
それこそ、ビルを作るぞでも、作品作るぞでも、あたらしい食品を作るぞ、薬を作るぞ、なんでもいいけど、
もともと仕事って その仕事がしたい、先生になりたい、消防士になりたい、芸術家になりたい、という仕事について、その仕事をすることそのものがモチベーションなのに
仕事で金をもらって、何かを買うことがモチベーションじゃ、そら、続かねぇなぁと
まぁ、いいんだけどさぁ、昨今の買いたいものがないっては、物がないわけで、やっぱり、そういう作り手としてのモチベーションが無い人が多い社会なんだからじゃないかみたいなことは、たまに思うわけだよ。
というわけで、元に戻って、あんまり、何を買うのか?というベクターじゃなくて、自分が何を作りたいのか?というベクターで選んで、そこでお金稼いで、余暇として物を買えばいいと思うんだよね。金を稼ぐために働くから、モチベーションが下がるし、伸びないから収入も下がるんだろうと
―― 3年で辞めた若者はどこへ行ったのか?
国民生活白書によれば、95年以降、
彼・彼女らの人生は、多様性に富んだドラマでちりばめられており、
読み応えがある。
もちろん、新卒社員の離職率の上昇という社会全体での大きな変化は
単なる若者気質といった理由だけでは片付けられず、
原因と考えるべきだろう。
もはや日本は、これまでのような年功序列を基本とした雇用制度を
国全体で支える事はできなくなったのだ。
大きな理由は二つある。
なっていることを前提に維持可能なものであった。
つまり、この仕組みはねずみ講の規模が大きいものと考えることができる。
かなり安定的に予測することができるため、
もはやこのねずみ講を本気で信じる人はいなくなったということだ。
官僚主導で非常に安定した流動性の低い年功序列・終身雇用の労働市場を作り上げ、
従業員のインセンティブを高めることによって、
製造業の生産性上昇という面では極めて優れた経済体制を作り上げた。
ということが、最早、たいした富を産まなくなったということだ。
変化と不確実性を受け入れ、新しいことに取り組むことこそが、
長期的に大きな富を産む。
そんな社会では、むしろ年功序列は積極的に破壊しなければならない。
著者は、弊害の多い年功序列という歪んだ利益配分システムを一刻も早く捨て、
労働法を改正して流動化を進めよと主張する。そして、新しい社会では、出世のような
共通の価値観ではなく、各人が多様化することによる豊かさを求めるべきだと説く。
一見奇異に見える会社を辞めた若者達のいくつものストーリーは、
そうした多様性の具体例である。
――― 「こちら側」と「あちら側」の温度差
城氏の主張は説得力があるし強く共感できる。
私も、低成長下で多くの人が豊かになるための唯一の道は価値観の多様化である
と思うし、それが究極的には社会のためにもなるのだと信じている。
一方で、本書を手にとった人の多くが私と同程度の共感を感じることができるか、
といえば、私は少し悲観的にならざるを得ない。
有名な大学を出た圧倒的に多くの人は、依然として厚く保護された伝統的企業の
正社員として勤務している。例え社内では「割を食う世代」であったとしても、
非正規の労働者として安定しない身分で働く人との既得権益の格差は極めて大きい。
そういう人たちも「究極的には」年功序列の崩壊や人材流動化が進むと考えている
だろうが、それはあくまでも「段階的に」進むもので、自分達の既得権益について
「多少の妥協」を強いられることはあっても、生活を脅かすほどではない、
と捉えているだろう。これは、中高年に限らず20代の若者でもそうだ。
そして実際、その認識はある程度正しい。
本書のような読み物やネット上で行われる言論では、
既得権益を壊して新しいものを創造しよう、という勢力のプレゼンスが非常に大きい。
しかし、リアルな社会で経済的影響力を持つ既得権益層との認識の乖離は
本書に共感できる人には、なぜ社会の変化がこんなにも緩慢なのかを考えて欲しいし、
本書に共感できない人には、既得権益層とアウトサイダーの温度差を知って欲しい。
今日はじめて書き込みます。
私は36歳独身男性です。 今から10年位前に鬱が始まり、その三年後に「解雇」され、その後11ヶ月にわたり引きこもり状態でした。 鬱の原因は以前勤めていた会社の昇進試験でした。 その試験の項目に昇進後の目標とこの会社でやり遂げたいことのレポートを書くことがありました。 しかし、私はこのレポートを書くことがまったく出来ず試験に失敗。それで鬱になり解雇されたのです。 今考えてみれば「バブル期にとりあえず入った会社」だったわけで、こうなってしまったのも自分の甘さだったのです。
その後医者に通いだし、まったく何もする気もなくなってしまい「とりあえずの安定」を保っていたのですが、ついにある日、母がキレて、私をガンガン殴りだし、怒声を吐き散らし続けたんです。 それまで暖かい母親だったんですが。それは明らかに 「引きこもりをまったく理解しない親」の姿でした。
この恐怖に逃げるように、私は外にでることが出来たのです。
今、引きこもりでお悩みの方には非常に酷なお話になってしまい、反論、抗議、その他この発言に不快感を感じる方も沢山沢山いるとは思いますが、これは私の経験を書いたまでです。 決してみなさんを不快にさせるつもりで書いたものではないことをご理解ください。
「suteacco 単なる偶然かもしれないが「この世代」にある何かをまじめに考えた人いるのだろうか。いるなら話を聞いてみたい。」
ネット右翼的ルサンチマンだと感じるかもしれないけど。たんなる自伝(?)にすぎないかな。
・実質的な「ゆとり教育」最盛期。否定する論者はほぼ皆無(むしろ、「ゆとり教育」という言葉が出たときには、反発する層が活発化し、かなりこの思想は相対化された)
・ニューアカ的左翼思想の全盛期、朝日新聞的意見が社会の主流。
・住専問題だの、ノーパンしゃぶしゃぶだの、とりあえず政府や官僚、役人を叩きまくる風潮が強かった気がする。
特にそういうワイドショーの視聴率が高かった。あと芸能人叩きもひどかった。「○○が付き合った」「別れた」どーのこーの。
・個人的には、すごく窮屈で息苦しい時代だった。子供ながら、建前的な正義(≒朝日新聞的正義)に嫌気が差していた。でも、それが唯一の正義だとも思っていた。
□中学生……1995年=阪神大震災、地下鉄オウム、そして「エヴァ」
・被災者はともかく、個人的には「(ほぼ)中二でエヴァ」が圧倒的影響力を持つ。
当時の中学校では同学年の男子は9割、女子でも5割程度は見た感触。(再放送時に録画したビデオテープの貸し回しが凄かった)
・高校や大学等で色んな人に聞いてみたが、この世代へのエヴァの影響力はものすごい。「エヴァなら全校生徒観ていた」と断言されたこともある。
もちろん、エヴァは時代の風潮を反映してつくられた作品である。
しかし、「この世代」にそれをダイレクトに、強烈に、過剰に伝える媒介を果たしたのが「エヴァ」だった。
それ以前の「建前の世界」を全て取り剥がして、「本音」を初めて自分たちにぶつけてくれた、と感じた。(今でも感じているよ)
・小6か中1で酒鬼薔薇事件が起こった。多分同年齢だけど、当時はその社会的意義をよく理解できなかった。「同じ年なのにすごいなぁ」とか程度の感想しか出ない。
たぶん、あの子は僕らの中でもとりわけ世相の雰囲気に敏感だったのだと思う。単なる精神異常者ではなかった
……と大澤真幸前京大教授(セクハラにより引退、でも個人的にはまだ崇拝してる)の授業を受けて気づいた。
□高校生
(・エロゲーの隆盛 『To Heart』 『ONE』 『加奈』など)
・「ネオ麦茶事件」・・・酒鬼薔薇よりネオ麦茶のほうがよっぽど親近感を持った。「あーあ、やっちゃったよ…」みたいな。
・世相の右傾化。今まで「正義」とされてきたことがことごとく否定される。個人的にも従来の「正義」には違和感を覚えいたので大きく賛同する。
☆分かりやすい図式でいえば、バブル崩壊とネットの進行によって価値相対化が起こり、虚無感が広がる。ニヒリズム化。
これは今までもよく言われていたこと。
「日本は」とは言って欲しくない。職人ができない人が増えたのは、むしろここ最近、バブル期以降の一時的に例外として顕れている今の日本だと言うべき。
↓
「学問はできても、職人ができない人が、多すぎるんだよなぁ・・・。日本は。」
話は飛躍するけど、その職人としての遺伝子を維持してきたのは、「見合い制度」にあったと思うんだよね。優秀と見込まれた者が、その才能の社会的な保護として、所帯を持たされる。
そう考えると、当人同士の自由恋愛が推奨されるようになってきた時期と、職人が消えていった課程は、わりと相関するのでは?
馬鹿な一個人が目先の利得や情欲によってのみしか、遺伝的に評価されなければ、職人の生き方を歩もうとする者が減るのも道理。ミーハーな女からは暗い汚い理解できないで終了だもんね。