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はてなキーワード: オリジナリティとは

2015-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20150903203625

死ぬというより変わる可能性はあるかもな

なまじオリジナリティを主張するからパクリ批判される

ネタ元を明示してアレンジとして出すようになればアレンジャーという別の仕事になるよ

2015-09-02

理系大学生から見たエンブレム問題

「この研究オリジナリティは?」って耳にタコができるほど言われる大学院生だけど、色んな研究を見てきて、本当の意味オリジナリティがある研究なんて一握りしかないと思っている。

①○○を原料にして××を作った。

②××を△△に適用した。

このふたつの研究存在するのに、○○を原料にして作った××を△△に適用したら今までよりもめちゃくちゃよかったぜ!!なんていう、その2つの足し算みたいな研究が認められて論文になったりする。まあ、ある程度成熟した分野っていうのはニッチな方向に進むのも確かなんだけど……。

話題デザイン界の問題は、他人論文だけで自分論文を書いちゃったみたいなもので、それがレビュー論文ならまだよかったのだろうが、他人論文からデータを集めて、さら改竄まで加えてちょっと新しいでしょ?って発表しちゃったことだろう。

発表の場がマイナー学会の支部大会程度ならバレないのかもしれないけど、世界規模の学会基調講演じゃお手上げだよ。芋づる式に過去不正が見つかって、博士論文も取り下げられるかもね。

研究者が大切にしなくちゃいけないのは誠意だ、ってうちの教授はいつも言っている。そういうメンタリティ研究者研究者にしているのだと。

この問題はもう民意がズバズバ入っちゃっていて、本質なんてどうでもよくなってしまっているように思える。外から見ていてやるせないのは、デザイナーという職業が日に日に低く見られていっていること。まるで小保方さんのときみたいだ。

業界全体で「デザイナー」のメンタリティをしっかりと発揮してほしいと思う。ひとりひとりのデザイナーが、デザイナーメンタリティを見せて欲しい。

オリジナリティのある研究クリエイティブデザインは、素晴らしいメンタリティを持った人によって成されているはずだから

http://anond.hatelabo.jp/20150902064623

作成者思想

恐らくデザインをする際のポリシーというお話かと思われるので、そのお話を。デザインはいくつかの流派のようなものがあります。当該作品は「ミニマルデザイン」と呼ばれるものです。乱暴に言うと丸や四角や三角だけで様々なモチーフ抽象表現をするものをこう言います佐野氏も恐らくこういうポリシーをもってデザインを進めたものと推察できます

ただ、ミニマルデザインけがデザインではありませんので、様々なデザイン手法があり得ますラノベ装丁とかは大抵とてもポップですよね。あれはあれなりのデザインポリシーがあるわけです。ですから「ほぼ全てのデザイナー」が「ミニマルデザイン」を推奨するわけでも、推し進めているわけでもありません。

デザインの選定基準オリジナル性というものは入っていないのでしょうか?

これも本文に記載がある通り、「自己同一性」を求められる以上、オリジナル性は当然選考基準となります

どのデザイナーが見ても「類似酷似やすい」と思うデザインでもOKということでしょうか?

この質問意図が計りかねますが、似たデザインというのは、全ての制作物において発生する可能性を持っています。逆にもっと極端に単純な図案であったとしても、この世界に類似物が一切なければ、そこにオリジナリティはありますしかし、ただの正方形正三角形著作物として認められません。そういうものパブリックドメインというやつですね。ですから単純な図形はさらにそこに色彩やレイアウトという要素を盛り込んで著作物として成立させます。件の作品も、基本的には三角と四角と丸のレイアウトと色彩の展開ですよね。

2020東京五輪クリエイティブに思う事

まもなく四十路を迎えるWebクリエイティブ関連の仕事をしております。昨今、五輪関連でクリエイティブ問題が多々取りざたされているので、思うところをつらつらと書きます

エンブレム盗作疑惑

この問題については、盗作疑惑が持ち上がる以前から有識者から一般人まで、好きだの嫌いだの、良い悪いと倒錯(盗作ではなく)した意見文句罵詈雑言が飛び交っておりましたが、まず問題の整理として、いわゆる「有識者視点からお話しておかなければいけないと感じた事を簡単にまとめます

デザインダメだったのか?

まず、デザインの質はどうだったかについてですが、結論から言うと一定程度のクオリティは持っていると言えます

JOC組織委員会要求がどのようなものであったかについては文献が見当たりませんが、件の作品が発表された際の「パラリンピックとの並立」や「様々なメディアへの展開性」という選考基準に着目すれば、十分にそれを満たしていると言えます。また、図版的な面で言えば、黒・赤という色は白地を背景として視認性が非常に高く、かつシンプルな形状であるから人間認知作用的に受け入れやすい要素を持っていますキャンペーンロゴとして捉えるならば、第一の視認性・認識度は優れた機能性があると言えます。以上がクオリティにおけるプラス評価の点です。

次にマイナス評価として上げられるのが、過去文脈からの逸脱です。詳しくはNaverまとめあたりに歴代ロゴがまとまってるのでご覧いただきながら読んでいただきたいのですが、バルセロナ長野シドニー北京バンクーバー・リオ・平昌に共通しているのは、「人間」がモチーフになっているということです。途中で切れているだろと突っ込まれると思いますが、この文脈オリンピックの歴代ロゴの中で「スポーツイベントである」というアイデンティティ担保する大きなイニシアチブを持っています。これを逸脱するからには、それを代替するだけの文脈必要になりますが、件の作品にある「亀倉雄策」と「鼓動(日の丸)」というモチーフではそれだけの強い文脈を感じられません。

上記の総合評価としては、「アリっちゃアリだね」という評価です。悪いとは決して言いません。

パクリなのか?

正直、分かりません。情報錯綜し過ぎていて、どれが本当の情報判断が付けられないので、パクリであるという明確な断言はできません。それに、展開例として上げられた書体動画で展開していたテクスチャとしての分解要素などは「オリジナリティ」と呼べるものですし、それが仮にパクリ作品に擦り合わせられたものだとしても、その判別は難しいです。デザイナーは後から派生した要件デザインの中にマージしていく事も仕事のうちですから

何が問題なのか?

これはもうリエージュ劇場ロゴとの「類似性」に尽きます。まず法的な論拠についてですが、先発作品商標登録をされていなかったので、商標侵害という係争にはなりません。実際、訴訟となっているのは「著作権」の侵害についてです。「著作権」というのは、商標登録云々というのは一切関係がなく発生し、作られた作品過去作品に類似していた場合過去作品にその作家性等の支配権を有するというものです。具体的には「ベルヌ条約」という国際規程があり、条項ごとに各国が批准する形で国内法に継承されています日本批准しています

次に、デザイン機能としての瑕疵が、過去作品に類似作品があるという時点で発生しているという点です。例えば、コーポレートロゴ等を制作する際に、ロゴにまつわる使用規定や細かなパラメータ(配色の具体的な数値等)、ステーショナリー類などの派生製品制作指針をまとめますが、これを「ビジュアルアイデンティティ」と言います。その名の通り「アイデンティティ」というくらいですから、そのデザインについては「自己同一性」が求められるわけです。簡単に言うと他のロゴマークなんかと誤認されないような工夫が必要ということです。

件の作品は、その色にもアイデンティティが込められていると思いますが、実際は白黒メディアで伝えられる場面もあり得ます言いがかりっぽいかもしれませんが、仮にあの図式がモノクロ写真撮影され、かつ「鼓動」の部分が何か遮蔽物で隠れてしまったとします。すると、リエージュ劇場ロゴとの判別は非常に難しくなります。つまり場合によってはその写真印刷された情報が、リエージュ劇場情報と誤認される可能性を否定できないわけです。この点について、このデザインには明確な瑕疵があります

実は妥当デザインだったのではないか

まり一般には知られていないと思いますが、デザイン価格には業界団体がかなり具体的に指針を出しています

内容としては、デザインの料金は「作業料」と「質」「経費」「量的指標」によって決める事が妥当ですというものです。

「量的指標」というのは曖昧ですが、デザインが利用される事業規模と捉えてもらえば大体合ってると思います。これは事業規模が大きなものはそのデザインに求められる様々な機能性や今回のような「展開性」などがより複雑になります。これについて担保するものと考えてください。その上で、以下の内容、特に事業規模の数字についてご覧下さい。

東京オリンピック 2020 計画書(150ページ)を熟読してみました。 | コラム | Web制作 株式会社ワンゴジュウゴ WAN55 (東京千代田区http://www.wan55.co.jp/column/detail/id=124

これらの全てを、このデザインが網羅するとは言いませんが、「東京オリンピック2020の収入計画」という項目、オリンピックというイベントに直接関わる事業チケット売上とライセンシング(グッズ販売)に限って考えてもなんと911億円もあります。これを元に先のJAGDA早見表ではもう200億円以上ということで量的指数が上限いっぱいです。この表の上限でも1,200万以上と算出できます

この金額が妥当かどうかというと、私はこのレベルデザイン制作したことが無いので何とも言えませんが、しかし、オリンピック組織委員会提示したデザイン費は、たったの100万円です。特別招待席のチケット(笑)も付いてますが。

オリンピックという世界規模のイベントロゴですから世界最高級のクオリティが求められるのですが、与えられた予算はたったの100万円です。それなりに自分作品に対して責任を持つデザイナーであれば、この予算では受けられないと思います。ましてや、世界でも参加できる人間が300人くらいといわれているレギュレーションにあつまるデザイナーが、時間単価をどれくらいで換算すると思いますか。

以上の点から僕個人としてこのデザインは、予算と質が見事にマッチした、実に妥当デザインだったのではないかと結論付けるに至ったわけです。

2015-09-01

「無」を売ってみた

ステマ記事になりますが、kindleで本を出してみました。

無 菱村俊博

http://www.amazon.co.jp/dp/B013R6FGU2/ref=cm_sw_r_tw_dp_Eoz5vb0EER3WZ

なにも入っていない本です。

1月前にAmazonで「無」を販売している記事がそこかしこまとめサイトで取り上げられていたので便乗。

ただあの商品は包装に凝っていてぼちぼち値段もするので、本当の意味で「無」ではない気が。

逆にデータなら完全な形で「無」=nullを提供できるのではないかと思いだしてみました。

KDPの審査に通るかびくびくだったのですが、「無」ゆえにフォーマットのチェックなどもかいくぐりなんとかセーフでした。

ただ実際は完全にnullにすると、ダウンロード後に本が開けないという事象が発生し、

ある種本当に無を誘発することになってしまったので一部工夫がしてあります

初版を購入してくださった数名の方がにはここでお詫びします。

電子書籍の今後ってどう思います

さらはさておき、正直個人が電子書籍を出せるようになったからといって、

市販の本に勝るクオリティの内容を個人が出せるとは到底思えません。

プロの方の同人的な使用法はとてもいいと思いますが、

それ以外のkdpランキングに出てくるのはビジネス書まがいの情報商材が中心。

素人オリジナル小説は吐き捨てるほどありますほとんどがほんとに遺棄され、

うまい棒換算のおこづかいしか入っていない方がほとんどです。

そんな中ででた架空歴史ノートシリーズは私の中で結構インパクトでした。

架空歴史ノート-1 帝国史 分裂大戦編 設楽陸

http://www.amazon.co.jp/dp/B00CP7Y9IK/ref=cm_sw_r_tw_dp_jDz5vb1MN8WQF

こういった書籍こそが、個人出版電子書籍のもちうる力を前面に出した作品だと思います

そのスピード感コスト感、オリジナリティで従来の商業ベースでは到底出会うことのない作品です。

kdpが始まって数年経ちます

以来こういう電子初期だからこその面白い本がどんどん増えて欲しいと思っていたんですが、

なかなか増えない気がします。

どうしても「本」というコンテンツに縛られている本が多いと思います

一方で現実の紙媒体では円周率の本が話題になりました。

というわけで、

私の出している「無」は単なる便乗商品ですが、

これを見た人がもっと独創性のあるふざけた本を出してくれれば幸いです。

「無」を売ってみた

ステマ記事になりますが、kindleで本を出してみました。

無 菱村俊博

http://www.amazon.co.jp/dp/B013R6FGU2/ref=cm_sw_r_tw_dp_Eoz5vb0EER3WZ

なにも入っていない本です。

1月前にAmazonで「無」を販売している記事がそこかしこまとめサイトで取り上げられていたので便乗。

ただあの商品は包装に凝っていてぼちぼち値段もするので、本当の意味で「無」ではない気が。

逆にデータなら完全な形で「無」=nullを提供できるのではないかと思いだしてみました。

KDPの審査に通るかびくびくだったのですが、「無」ゆえにフォーマットのチェックなどもかいくぐりなんとかセーフでした。

ただ実際は完全にnullにすると、ダウンロード後に本が開けないという事象が発生し、

ある種本当に無を誘発することになってしまったので一部工夫がしてあります

初版を購入してくださった数名の方がにはここでお詫びします。

電子書籍の今後ってどう思います

さらはさておき、正直個人が電子書籍を出せるようになったからといって、

市販の本に勝るクオリティの内容を個人が出せるとは到底思えません。

プロの方の同人的な使用法はとてもいいと思いますが、

それ以外のkdpランキングに出てくるのはビジネス書まがいの情報商材が中心。

素人オリジナル小説は吐き捨てるほどありますほとんどがほんとに遺棄され、

うまい棒換算のおこづかいしか入っていない方がほとんどです。

そんな中ででた架空歴史ノートシリーズは私の中で結構インパクトでした。

架空歴史ノート-1 帝国史 分裂大戦編 設楽陸

http://www.amazon.co.jp/dp/B00CP7Y9IK/ref=cm_sw_r_tw_dp_jDz5vb1MN8WQF

こういった書籍こそが、個人出版電子書籍のもちうる力を前面に出した作品だと思います

そのスピード感コスト感、オリジナリティで従来の商業ベースでは到底出会うことのない作品です。

kdpが始まって数年経ちます

以来こういう電子初期だからこその面白い本がどんどん増えて欲しいと思っていたんですが、

なかなか増えない気がします。

どうしても「本」というコンテンツに縛られている本が多いと思います

一方で現実の紙媒体では円周率の本が話題になりました。

というわけで、

私の出している「無」は単なる便乗商品ですが、

これを見た人がもっと独創性のあるふざけた本を出してくれれば幸いです。

http://anond.hatelabo.jp/20150901082455

ジョジョトレースしているのは、ジョジョという作品全体の中のごく一部の要素に過ぎないから

漫画資料なしでは描けないし、写真映像を素材としているものの、オリジナリティを加えて漫画という表現に置き換えている。

が、佐野場合デザインを創りだすのに他のデザインを丸々登用しており、オリジナリティほとんど無い。

少なくともデザインを作るのにデザインを写してはダメだよ。

佐野罵倒している人を煽ってるんだろうけど、上で書いたような違いも分からないとアホだと思われてしまうよ。

ところでデザイナーやってる人がね。

問題として挙げられてるもんの中に普通依頼側が用意するもんが混ざっとるわぼけぇ!!!

って暴れてる。

 

最近はそんなことすらやってくれないところがあるのはわかってるけど、実際に使用されるものでもないもの、内部で流通させるための叩き案のオリジナリティが重視される。

そもそも単にその場で流れて使われない可能性がある内輪向けのものまで毎回デザイン本体と同じような扱いで全部描けと?! て言ってる。

 

私には業界の異常な慣習には見えないんだけど、違う人もたくさんいるんだね。

コピー禁止って、作品を守るためのものであって見る側の気持ちを守るものではないと思うよ?

http://anond.hatelabo.jp/20150901082556

2015-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20150831151527

増田は「佐野研二郎事件」を知らないのかな?(中略)

要するに現代情報過多社会に生きる我々は、まず「自分言葉」なんてものに大したオリジナリティはないと認めるところから出発しなくちゃいけないんだ。誰の影響も受けていない人間などいないのに、自分の頭だけで価値あるものを思いつけるなどという幻想を抱いているようだと、パクリではないにしても結局は既存の何かを無自覚模倣するだけに終わりかねない。むしろ何に影響を受けたかオープンにしていれば比較検証も容易になり、ひいては改善にも繋がりやすい。芸術であれ言論であれ、これからはこういう角度のアプローチが求められるんだよ。

東京オリンピックエンブレム

食傷気味ではあると思いますが、佐野問題について自分の考えをまとめるために文章を書きました。

もうこの話題うんざりという方はそっとスルーして頂けると幸いです。

■前書き

デザイナーではないけれど、クリエイティブ職に携わっています

私の立場としては、

オリンピックエンブレムはそんなに好きではないけど

オリンピックエンブレムは(ほぼ)問題なし

トートバッグはアウト

・このような炎上懸念しています

というものです。

以下、目次です。

デザインとは

- 編集レイアウト、選択というデザイン

- デザイントレンド

佐野エンブレム

- このエンブレムは一体何なのか

- 似ているのか

- 著作権見地から

- 商標権見地から

- 原案は似てる

トートバッグコネ問題

- お粗末なマネージメント

- そんなデザイナーに任せてはいけないのでは?

- コネ悪用なのか

個人的には

デザインとは

編集レイアウト、選択というデザイン

デザインは、社会に受け入れられることを目的の一つとしています

受け入れられるということは抵抗がない方がいいですから、あまりに新しすぎて意味理解されないようなものはよくありません。

しかし多くのデザインにおいては、新しさや独創性を伝えたいという想いもありますからデザイナーにとって受け入れやすさとオリジナリティというのは永遠課題であると言えます

多くのデザイナーにとって、ロゴオリジナリティについて語りにくいのはこれが非常に繊細な問題であることが理由だと思います

ところで、デザインは「計画」「設計」「応用美術」という言い方もされることがあります

あるいは例えば、◯◯デザイナーという肩書きなどについて、プランナー(計画者)、マネージャー(管理者)という言葉を入れ替えても近いニュアンスがあるということについて考えてもいいかもしれません。

これらの言い方からも分かる通り、デザインとは一から全てを新しく作り出すという行為ではなく、適切に設計する、配置する、選択するという行為であるとも言えます

では果たして佐野氏のデザインは適切なものだったのでしょうか。

デザイントレンド

その前に、デザインにおけるトレンドというものについて簡単に考えたいと思います

参考に、近年のロゴトレンドと言われているものをご覧ください。

http://photoshopvip.net/archives/78102

http://www.radflaggallery-design.com/blog/2015-logo-trend

ちなみに以下は、2008年トレンドと言われたものです。

http://coliss.com/articles/build-websites/operation/design/788.html

すでに2008年トレンドが古く感じてしまうのが分かるかと思いますトレンドというのは、新しく感じられ、それでいて受け入れられている、という一つのラインです。トレンドを押さえる(上手く選択する)ことで瑞々しい印象を与えることができますが、トレンドが去った後には古さを感じるようになるものです。

新しさがありつつ、普遍性のあるデザイン、というものが如何に難しいかが分かります

佐野エンブレム

・このエンブレムは一体何なのか

それでは本題のオリンピックエンブレムについて考えたいと思います

図像的には非常にシンプルものになっています。また、恐らくは1964年東京オリンピック亀倉雄策イメージオマージュしており、色彩は日本的トラディショナルもので、あまり目新しさは感じられません。そういう意味でこのエンブレムはあまりトレンドに乗っていないと言えると思います

なぜこのような選択・デザインになったのでしょうか。

トレンドに乗らず、非常にシンプルものにしたのは、普遍的エンブレムになることを狙ったものだと思います

亀倉雄策1964年オリンピックは今でも素晴らしいデザインと語られるもので、古さは多少感じさせても未だに迫力が伝わってきます

佐野氏のデザイナー仕事にはシンプルで洗練されたものが多くあります。また、近年世界アピールできている日本デザインシンプルものや余白を活かしたもの自然融合的なものが多く見られます

このように、佐野氏、あるいは日本の強みであるシンプルデザインであり、また一時的トレンドではなく普遍性をもつもの、として単純な図像になっているのだと思います

もちろんこれにより、トレンドに乗っていない、古めかしく見える、単純すぎる、単純すぎるために似たデザインが挙げられる、といったことについて意見が出てくることについては想定していると思われます

・似ているのか

さて、よく問題として挙げられているベルギーロゴ比較してみます

前述の通り、単純な図像なので、近いロゴがあることは避けられないと思いますしかプレゼンテーション動画などを見ると、このエンブレムアピールは以下のようなものです。

東京の頭文字T

地球や繋がりといったもの連想させる円

トラディショナルカラー

日の丸

正方形タイルデザイン

パラリンピックエンブレムとの対称性

このうち、ベルギー劇場ロゴと共通するのは円のモチーフくらいではないでしょうか。

以上のような点を踏まえると、佐野氏のエンブレム図像的にはベルギー劇場ロゴと近く見えるところもあるが、その他の点で大きく異なっている、と言えると思います

著作権見地から

著作権は、思想感情創作的表現した著作物保護するものです。

佐野氏のエンブレムベルギー劇場ロゴ思想感情的表現とは違う発想で出来たものであることは明らかだと思われます

著作権侵害しているという指摘は間違いでしょう。

商標権見地から

Wikipediaによると、リエージュ劇場公共性が高いためロゴ商標登録がなく、商標権については問題にしていないとあります

商標権侵害ということはなさそうです。

原案は似てる

エンブレム原案が公開されました。

色彩、配置的なアレンジはありますが、これはヤン・チヒョルト展のタイポグラフィ結構似てると思います

しか原案として過去デザインを参考にすることは問題ないのではないでしょうか。個人的には、なぜ公開したのだろう、と思いますが…。

これがこのまま採用されるとしたら大変ですが、最終案ではかなり変化しているので、これはある意味で事前チェックが上手く機能したと言えるのではないでしょうか。

トートバッグコネ問題

・お粗末なマネージメント

佐野氏ほどのデザイナーですと、事務所を構え、他のスタッフデザインをさせるというのは勿論あることです。しかし本人の名前で発表する以上、その監督責任は本人に求められます

トートバッグに関しては、明らかに佐野氏の失態です。佐野氏もそれを認め謝罪し、社会的な罰は十分受けていると思います

・そんなデザイナーに任せてはいけないのでは?

私が冒頭に書いた「(ほぼ)問題なし」という括弧はここが理由です。

本来なら大きな仕事は少し控えた方がいいと思いますが、今回はエンブレムの後に発覚したものですし、取り下げる程ではない、と思っています

コネ悪用なのか

そもそもこのコンペは、一定以上のクオリティを信用されているデザイナーへの指名コンペです。

日本有数のデザイナーであれば、色々な人間との関係性ができるのは当然ではないでしょうか。

コネ悪用された時に問題になるものですが、今回のコンペがコネ悪用したものかどうかについては判断できないと思います

個人的には

個人的には、もう少しトレンドを押さえたデザインが好きだなぁ、と思っていますしかしそれと、ダサいかカッコイイか、良いか悪いか、善か悪かといったことは無関係です。

個人としてはそこまで好きになれなくても、表面的な華やかさを控えて理念としての重要性を選択したということは驚きでしたし、思い切った決断だと思っています

ところで、オリンピックエンブレムはどれほど重要なのでしょうか。

私はもう北京オリンピックロゴを思い出せません。

東京オリンピック世界に向けて恥ずかしくない誇れるものにするために、私たちは何を大切にしなければいけないのか選ばなくてはいけません。

インターネットのお陰でどこまでも検索することが可能になり、どんな事象でもどこまでも批判できるようになりました。

無限選択肢のある世界で、どれだけ冷静に選択できるかがこれからインターネット課題だと個人的には思っています

なんだか自己陶酔的な文章になってしまいました。気持ち悪くてすみませんありがとうございました。

もし佐野氏が悪い人じゃないとしたら

すっかりパクリデザイナーとして批判されている佐野氏。確かに今回のエンブレムの件は、原案ベースチヒョルトポスターデザインがあるのは本当だと思う。

そしてここから自分想像の話。もし佐野氏がそんなに悪い人じゃなかったら、という話だ。

トートバッグの件は最初から謝罪していたけど(あれは完全にアートディレクターとしての監督不行き届き)、エンブレムの件で決して謝罪をしなかったり強気に出ていたりしたのは「エンブレムは何かをパクったわけではなく、自分の頭の中から出てきたものだ」という自信があったからだろう。実際佐野氏本人は、デザインをする際にチヒョルトポスターを直接参考にしたわけではないと思う。大体2013年展覧会ポスターをパクったら遅かれ早かれバレるに決まっているわけで、そんなリスクをあの大舞台で冒すメリットが全く無い。

エンブレムが選ばれた時のコメントを読む限り、彼は人生をかけてこのエンブレムを考えたと思うし、誇りをもって仕事をしていたと思っている。(そこを否定したい人は多いだろうけど。)トートバッグ以外は、参考ネタがあったとしてもそれをアレンジして別のものにしている印象だし、沢山の作品の中にはオリジナリティがあるものも多くあるように見受けられる。だから彼は自分デザインに誇りを持って仕事していたんだろう。

多分今回の件は、佐野氏の中の「あのデザイン素敵だな」という記憶が、エンブレムを考えるに当たって無意識で出てきてしまったのだと思う。だから本人の中では「何かを参考にしたわけではなく自分の頭の中から出てきた」になっていて、自信を持って反論していたんだろう。

それが今回、ポスターと類似していることが判明して本人も「あ!」と思っているような気がする。外部から指摘されて初めて気付いた感じ。だから今回類似が見つかったことで、むしろ素直に過ちを認めたいという気持ちになっているのではないかと思う。「私のミスです。無意識に同じデザインをしてしまいました。撤回させてください。」と。

でもJOCメンツやらもあるだろうし、撤回するのは難しいだろう。自分デザイナーとして撤回したい、でも組織がそれを許さない。そして世間からは「厚顔無恥」と叩かれ続ける。これまでは「あのエンブレム自分の頭の中から出てきたオリジナルだ」という自信が彼を支えていたんだろうけど、それを失った今、彼は板挟みの中で相当苦しむのではないかと思う。

もし彼が「パクって丸儲け」と考えるような悪いデザイナーではなく、自分仕事に誇りを持っているデザイナーだとしたら。もし彼が今回のエンブレム撤回したいと考えていたら。

今見えているものけが真実ではないことも多いので、「もし佐野氏が悪い人じゃないとしたら」という仮定をしてみました。

2015-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20150824173456

馬鹿の考える「オリジナリティクリエイティビティ」=「これまでに発表されたありとあらゆる作品と全く異なり、かつ誰が見ても良いと思えるもの」ってことだから話にならんよ。

http://anond.hatelabo.jp/20150824161131

この↓認識が違うんじゃないの?

オリジナリティクリエイティビティが重視される業種の人が

業界の人が繰り返し言ってるのはそういう業種じゃないよって話でしょ。(皆無とは言わんが、一般の人が思い描いているようなものではない、ってこと)

そんで、今後も使えるかどうか判断するのは彼に発注する顧客であって、オリジナリティクリエイティビティ以外の本来期待すべき仕事ぶりが毀損されてないと考えれば今後とも発注し続けるんじゃないですかね。

名前を表に出すかどうかは宣伝効果を考えて顧客判断することで、今回のことで一般受けが悪いって判断されるようになったら名前をあまり表に出さないようにするだけの話では。

http://anond.hatelabo.jp/20150824083247

デザイン業界人間ってのはどうして何一つわかってない奴らばかりなんだろうな

オリジナリティクリエイティビティが重視される業種の人が悪質な盗用をしでかしました」

この時点でもうアウトなんだよ

しかも、

「本人は一つしか認めていませんが、他にも他者作品酷似したものが多数見つかりました」

こんなおまけまでついてきたら、当人のあらゆる作品にパクりの疑いがかけられるし、パクリではない証明がほぼ不可能な状態に自らを追い込んでしまった

から完全に「アウト」だよ

業界の内輪のルールなんて関係ない

当人名前価値は完全に失われてしまったんだよ

なぜそれが分からないんだ?

オリンピックエンブレム佐野氏の話と、「デザイナー」という職業

 

私の職業は「デザイナー」兼「イラストレーター」です。


高校デッサンなどの基礎美術を学び

大学では広告・冊子・WEB等の「ビジュアルデザイン」を学び

もちろん知的財産権についてなどの座学も受けて

卒業して、デザイン事務所に入って、その後フリー仕事してるような人間です。




まず最初に、件の話の発端である

オリンピックエンブレムパクリかどうか」について触れます

「好きかどうか」「良いか悪いか」じゃないですよ。

その辺は個人の主観によるので置いておきます



個人的結論を述べれば、

「まあパクリではないだろう」というところです。




「丸と四角と三角をTの形にいい感じに並べて、さら日の丸を強調した」

というだけのロゴであるわけだから、結果何かと似たとはいえ、

まあそんな話はよくあることだという印象です。




もう少し詳しい背景を説明していきます。読み飛ばしても良いです。




オリンピックロゴを含む、「大企業ロゴ」や「国家事業マーク」といった、

公共性の高い団体ロゴデザインというものは、簡単な図形で作られた抽象的なものが多いです。

理由は色々あるけれど、「万人に受け入れられるものであるべき」というところは大きいんじゃないでしょうか。

女性向けでも男性向けでもなく、大人向けでも子供向けでもない、そういう物を作らなくてはならないので、

あんまり具体的なモチーフを使うと偏りがちなんですよね。


そうはいっても、

近年のオリンピックロゴというのは、自由曲線で書かれた具体的な物が多かった。

その分好き嫌いの分かれるものだったわけです。


ロンドン五輪なんか

「夜中にヤンキーが高架下の壁にスプレーで書いてるアレ」を元にしてて。

それを「超クールだぜ!」って思う層もいれば、「伝統冒涜している、ありえない」と思う層もいて。

そんな流れから日本招致することになった今年。

振り返られる伝説、「亀倉氏の東京オリンピックロゴ」はその具体的なものと比べて非常に抽象的。

赤丸にゴールドの文字でTOKYO

これを嫌いだって言う人はそういない。だって「丸が嫌い」だなんて人は居ないもん。


佐野氏を始め、亀倉氏を信奉するデザイナーは非常に多いです。

オリンピックロゴを作りましょう」なんて話になったら、真っ先に思い浮かぶのがあのロゴ


最近は具体的なロゴの流れが来ているけれど、果たしてそれで良いのか?」

「亀倉氏のロゴのように、シンプルで迫力があって、それでいて繊細でモダンで…」


というイメージは、デザイナーだったら選択肢には上がったのではないでしょうか。

例に漏れず、佐野氏はそこから作り始めて。


東京から「T」を使おうと決めて。

伝統的なフォント「Didot」はとても美しいから、その形をモチーフにしよう、と考えて。

その特徴的なセリフ(Tの左右の飾りの部分)の曲線を見て、

これは円を内包しているようにも見えないだろうかと気付いて、

それを強調するためには、セリフの片方を右下におろせばいいのでは?なんて試して。

それだとTに見えないし、そうだ、ここに日の丸を置くことで、左胸の心臓(正面から見たら右側)を表せるのでは…




とか言って作っていったんじゃないかと想像が付くわけですね。




佐野氏や委員会著作権法が述べる「オリジナリティ」は、この過程にあるわけです。

出来上がったものだけ見たら、そりゃまあ似てますが、

結果的に似てしまった」

っていうのは著作権的には全く問題ないんですよね。

Tの形に丸や四角を並べただけで著作権に引っかかってちゃ抽象的なロゴなんか全部パクリなんです。

それじゃ困るし、実際「たまたま似ちゃった」ってことは頻発してるので、法的には許されてるんです。

ちなみに商標権的には「たまたま」でも法に引っかかるんですけど、

その辺はクリアしてるらしいので、やっぱり問題ないんですよ。







さて、以上がオリンピックロゴが「パクリではない」「問題ない」

と、私を始めとするデザイナーたちが主張する理由です。

あとは佐野氏の人柄が「パクるような人じゃない」とか、そういうのもありますが、

私は末端の人間なので佐野氏の人柄については存じ上げませんし、なんとも。






じゃあ何なら問題があるのか。



他人作品たまたま似ちゃった」

じゃなくて

他人作品意図して使用した」

だと問題が発生するんですよ。




まさにその例がサントリートートバッグ佐野デザイン




フランスパン写真自分で撮って配置したらたまたま似ちゃった」

かいレベルじゃないわけです。


そのフランスパン写真の角度や焼き目やキズは、

無関係の個人がブログに上げてたフランスパン写真完全に一致しちゃってるわけです。

これはもう言い逃れはできない。

誰がどう考えたってその写真パクってデザインに貼り付けただけなんです。大問題です。




しか特筆するならば、本人も言ってましたが

これはまあ、スタッフ仕業だろうな、ってところ。





そもそもデザイナーって職業は、

世の皆様が思っているほどクリエイティブオリジナリティ溢れる職業じゃないんです。



デザイナーからって絵が書けるとは限りません。

(絵を描くのはイラストレーター仕事です)

デザイナーからって写真が上手とは限りません。

写真を撮るのはフォトグラファー仕事です)

広告に書いてあるお洒落な文面もデザイナーが考えてるとは限らないし、

コピーを考えるのはコピーライター仕事です)

そもそもPC使えないデザイナーだってそこそこ存在してます

(下っ端デザイナーが代わりにPCを使います




「じゃあデザイナー仕事ってなんなのか」というと、

端的に言えば「考える事」と「コミュニケーション」です。



お客さんに還元できるかんじの、夏っぽい企画を考えてくれ、って仕事が入ったとしましょう。



夏っぽいってなんだろう。

プール水着サングラスにビーチ。フランスパンとかおしゃれかも。女の人は鳥なんかも好きだよね。

そういうのでノベルティを作って…せっかくなら使えるものにしたいよね。

そんな柄のおしゃれなトートバックを大量に作るってどうだろうか。


っていう企画を考えて、クライアントプレゼンします。

「こんな企画どうでしょう話題になるとおもうんですよね!」なんて言って。


さて企画が通ったぞと。予算も決まって、デザインの開始だ、と。


フランスパンをなんとなくおしゃれに見せるためには、

斜めに置いたらいいんじゃないか?とか、はみ出したらいいんじゃないか、とか、

それっぽくていい感じのレイアウトを考えて、スケッチして。

じゃあ色は何色がいいんだろうか、とか、

大きさはどんなもんだろうか、とか、たくさんのことを考えて…




予算◯◯◯円でベージュ帆布生地を探して、業者と話つけといてね。

 デザインスケッチ描いといたから、それっぽい絵や写真を用意して×日までに作っておいて。」

って、事務所スタッフ達に伝える。




・・・ここまでが想像される佐野氏の仕事です。

あとはその×日に全作品をチェックして、「これはOK」「これは駄目、やりなおし」ってスタッフに伝えて。

数日後に出来上がった全てをクライアントのところ(サントリー)に持って行って、

「これでどうでしょう」って再度プレゼンするわけです。




完全に想像なので、実際にはもっとはじめの方からスタッフ任せかもしれませんし、

もうちょっとだけ手を動かしてるかもしれません。



つまるところ、

クライアントから依頼を受けて、細かく企画を考えてプレゼンして。

テーマに合わせてパーツを選んで、いいかんじに組み合わせて素敵な作品に仕立てる。

そういうのが「デザイナー」の仕事です。




世の皆様が想像する「クリエイティブ」っぽいことしてるのは、

実際に手を動かしてる写真家イラストレーターの方々であって、デザイナーはそれほどでもありません。


もちろん自分で絵を描いたり写真を撮ったりするデザイナーさんも居ますが、

かならずしも自分の絵や写真が、作りたいものマッチするとは限りません。

アニメっぽいイラストしか描けないデザイナーさんにリアルな画風のシリアス仕事が来ても描けないし)

そういう時には他のイラストレーター写真家を探して外注します。


車を作るメーカーと、そのパーツを作る下請け会社関係、みたいな感じ?

パーツは自社で作ってないけど、それをいい感じに組み上げる技術は持ってる、みたいな。

その技術活用するのが「車を作るメーカー」であったり「デザイナー」であったりするわけですね。






で、佐野氏の話に戻るけど

そういうわけで、

パクったのは佐野氏じゃなくて(本人の言う通り)事務所スタッフだと思うんですよね。



「こういうレイアウトフランスパンのいい感じの写真配置して」

って言われたスタッフが楽をして、ネットからフランスパン写真を探してきて配置したんでしょう。



とまあ、特筆したわけですが、だからといって佐野氏が悪くないわけでは全く無いです。




・「佐野デザイン」って銘打ってるんだからスタッフのせいだろうと責任佐野氏にある。

というのがよく聞く話で、それはもちろんのこと。




さら個人的には、

イラスト写真の分の対価はどこに消えたのか

という部分も気になります



ネット写真を拾ってくるのと、

実際にフランスパン看板を用意して写真を撮ったり絵に描いたりするのでは、

所要時間結構な差が出るはずなんです。

フランスパン看板を買うお金だって必要です。数百円かもしれませんが。


その差に誰も気づかなかったんでしょうか。

フランスパン領収書貰ってないけど、どうやってこの写真撮ったの?とか。

出来上がりがやけに早かったけど、この絵はいつ描いたの?とか。


素材をちゃんと自分で用意していれば、

その分出来上がりまでの時間が遅くなって残業代が出たり、

イラスト外注したりパンを用意したりした分の経費が出るはずなんですよね。

普通会社なら。


普通会社なら。




写真をパクったスタッフは、果たしてホントパクリたくてパクったんでしょうか。

さすがにデザイン事務所で働いてる人が「ネットから勝手写真を持ってきても良い」とは思ってないでしょう。

悪いことだとは認識していると思います

佐野氏はオリンピックエンブレムを作る程には大御所ですし、クライアントも大きなところですから

写真を購入する程の予算がどうしても捻出できない、とは考えられません。

でも、写真は購入していない。させてもらえなかったのか、スタッフ自身判断かはわかりませんが。

でも自分撮影するにはスケジュール的に無理があって。でもなんとかしなきゃ怒られる。

うーーーーん仕方ない、どうせバレないだろう。適当写真勝手に使ってしまおう。



という流れすら透けて見えるのです。


これは妄想ですよ。妄想ですからね。

スタッフがどうしようもないクズで、時間があったのにやらなかったとか経費をくすねたとかいう可能性もありますし、

事実だったとしてもスタッフが悪くないわけではないです。罪になりますからね。







デザイン業界というものは、おしゃれに見えて、わりかし体育会です。

残業代なんてあってないようなもの

普通サラリーマンに比べれば給料も安めです。

初任給は額面で15万〜20万ぐらい。手取りは13万とか15万とか。

多くの事務所関東にありますが、住宅手当も寮もないから家賃給料の半分以上が飛んでいきます

ボーナスはあったりなかったり。残業代も出たり出なかったり。

少人数で回している事務所では、そもそもそういうシステム自体が無かったりもします。

もちろんそうでない事務所もあるんでしょうが、そういう話はよく聞きます

なんでそうなっちゃうかって、代理店仕業だったりクライアント事情だったり色々な理由があるんですが。






結論として。


佐野氏がパクったわけではないだろう、とは思っています

でも、佐野氏の事務所では働きたくないな、と思ったし、

HH堂やD通はやっぱ噂通りにしんどい(色んな意味で)場所なんだろうなとも思いました。


佐野氏だけじゃなくて、デザイン業界全体の闇?みたいなものを再認識した一件でした。


追記


まあ書くまでもなかろうと思ってましたが、

トラックバックで突っ込まれたので追記。

デザイン業界ではよくあることだから別にいい」

とは言ってません。

しろ

デザイン業界ではよくあることだからデザイン業界はクソ」

ぐらいの話のつもりです。

ただそこで、

佐野氏がパクったか佐野氏はクソだ」とか

佐野氏にはオリジナリティがないからデザイナーを名乗るな」

とか言う論調になるのに疑問を覚えただけであって。

私としてはまず「佐野氏の事務所スタッフ管理はどうなってるんだ」と思ったし、

でも、自分の知ってるデザイン事務所を思い起こせば、どこもそんな管理体制だったわけで

(上は下の仕事文句付けるだけだし、下がまともに仕事をするためのロクな環境は整ってないし)

そうやって考えたときに、「佐野氏以前にデザイン業界の業務体制自体がクソだ」という結論に至った、ということです。

デザイン業界の横のつながりって「仲が良い」「飲み仲間」「一緒に展覧会した」みたいなレベルの話で、

業務自体基本的に、1クライアントに対して1デザイン事務所なので、自浄作用とかあんまり期待できない。

クライアントに対してのプレゼンが誠実で説得力があれば、クライアントからスタッフ給料とか実務時間とか見えないし。

デザイン業界」っていうのに明確なヒエラルキーがあるわけでもないので、

デザイン業界佐野氏を罰するべき」とか無理無理。佐野氏に上司なんかいないし。

せいぜい「昔の同僚と飲んだらもっとちゃんとしろって叱られた」とかそのぐらい。

クライアント側がこれから佐野氏に仕事発注するか否か。それだけ。

最初に述べた通り、自分フリーで細々と働いているわけだから、こういう話は蚊帳の外

誰に何を言おったってサントリーから仕事は来ないし、佐野氏に肩を並べることもない。

だってそのためにはその「デザイン業界の闇」の中を歯食いしばって勝ち抜かなきゃいけないんだもの

2015-08-23

デザインについて

そもそも、「デザイン」というものが世の中に認知されてないよね。

まず「デザイン」=「グラフィック」ではない。

デザインとは、記号機能を適所に配置していくことで、目的を完遂しやすくさせるためのものだ。

その目的というのは、全体のユーザビリティであったり、ロゴ視覚的な認知であったり、場合によって様々だ。

から、見かけが似ているから、これはオリジナリティのあるデザインではない、とは簡単には言えるものではない。

トートバッグはともかく、オリンピックエンブレムについての意見で、「似てる」という以外でまともな反論

いたことがない。

デザイン観点からいうと、あのエンブレムがパクっているのは、佐野氏も自ら言及しているとおり、

しろ亀倉雄策氏の東京オリンピックエンブレムの方である

なぜなら、デザインとは視覚的な構成ではなく、その背後にある概念を指すからである

デザイナーデザイナー仕事を、一般の人々に対して啓蒙してこなかったのが原因では、

という意見もあるかもしれない。

しかし、デザイン稚拙さはもちろん、巧みさにも気づかないようなデザインこそが巧妙なデザインであって、

それはデザインとしては成功しているのだからしょうがない。

何がそのデザイン本質なのか。それは答えがある問いでもあるし、同時に答えがない問いでもある。

2015-08-21

多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと

佐野研二郎盗作疑惑について(学生個人の意見です/2015年8月23日時点)。

彼はご存知の通り多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業し、現在アートディレクターをやりながら多摩美術大学統合デザイン学科の教授も務めています

実際には、まだこの学科自体設立から2年目で、佐野教授自身講義を行うことは今までにほとんどありませんでした(というか、私はまだ彼の講義を一回しか受けていません)

統合デザイン学

統合デザイン学科は、多摩美の本キャンパスとは別の上野毛キャンパス世田谷区)にあります

学科長はプロダクトデザイナー深澤直人教授で、そのほかに、ウェブデザイナーインターフェイスデザイナー中村勇吾教授HAKUHODO DESIGNの永井一史教授、そしてアートディレクター佐野研二郎教授の4人と統合デザイン学専任講師先生構成されています

現状、学校によくいらっしゃるのは深澤直人教授統合デザイン論)と中村勇吾教授メディア技術概論)で、あとのお二人は統合デザイン論に前期で一度講義をしたぐらいです。3,4年から講義が「プロジェクト」という形態に変わり、そこで教授別にクラスが再度編成され、たぶんそこからお二人もがっつり学校にいらっしゃるようになるはず。

世間的に言えば「つぶしのきく」学科だと思われがちなのですが、実際には「デザインベーシック」つまりデザインの基礎を最初の2年間で徹底的に教わり、そのベースを生かして次の2年間で社会的ローンチできるプロジェクトデザインを学んでいきます。具体的には現在グラフィックプロダクト・インターフェイス描写などの必修と、そのほか選択を受けています教授の顔ぶれをみてわかる通り、細分化されたデザインあらためて"統合"することで、「これからデザイン」に特化した人材を育成する学科です。現在デザインのものが非常に広い意味をもつようになり、そんな時代において「グラフィック」や「プロダクト」などに特化しているだけでなく広い知識と経験を持った人材必要とされています一見デザインとは直接関係のないようなこと(たとえば佐々木正人さんによる『アフォーダンス』の講義)や、表面的なグラフィックの造形技法からCADを利用した立体物、Webやメディアアート作品などに応用されるプログラミングなどいろいろな技術を学ぶことと同時に、それに付随する感覚みたいなもの学習しているように感じます。実際、そういった感覚みたいなぼわっとしたもの現場で役立つこともあり、領域の垣根を越えることでみえてくることや繋がることもたくさんあります

武蔵美の基礎デザインとどう違うのか、と聞かれることがあるのですが、基礎デとは根本的に近いはずです。学科長は原研哉さんで、そもそも深澤教授は基礎デザイン学科の教授だった)

(とにかくやることが多いので、課題の量は半端ないです。たまに自分がなにやってるのかわからなくなります。あと先生たちもまだどのくらいの量の課題を出したら学生達の生存に関わるのかをよくわかってないっぽい。勘弁して欲しい。)

先ほども言った通り、まだ学科が生まれから2年しか経っていないので、3,4年を経験した学生はいませんし、卒業生もいません。だから就職先のデータもなく、倍率はそこまで高くないのですが、統合デザイン学科特有のコンセプトに魅力を感じて、たとえば多摩グラ受かったのに蹴ってこっちに入学したり、試験内容が東京藝大のデザイン学科に似ているところがあるので(平面構成)そこを目指す人たちが受けたりすることもあるみたいです。

〜〜

ざっと学科についてはこんな感じです。詳しくは学科サイトをみたり、各教授のNHKプロフェッショナルとか本をみたりしてみてください。デザインに興味のない人でも、おもしろいと感じる点はきっとあると思います

さて、たぶんこれを読んでるみなさんが一番興味があるのは佐野研二郎さんについてだと思うので彼の話題に。

オリンピックエンブレムについて

 関係ない話ですがエンブレム発表の前日に佐野教授現場の手伝いに行った視デの友人曰く、めちゃくちゃ笑顔だったようです。彼自身亀倉雄策さんのオリンピックエンブレムがかなり好きで、それを(いい意味で)引用して新しいエンブレムを作り出し、それが選考で選ばれたんだから、嬉しくない理由がわかりません。

 最初自分があのエンブレムをみたとき直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムとは一線を画すような新しいデザイン、新しい東京イメージを担ってくれるような力強いものに感じました。そしてそれと同時に、あ、きっとこれ佐野さんのデザインだ!と思いました。たぶんそう思った要因の一つに、中央の「黒」の棒の部分があります。完全な黒ではありませんが、こういったエンブレムで無彩色の黒を使うのは一般的にはわりと暴力的結構批判もきそうだなと思ったのですが、そもそも佐野教授自身黒色を多く用いることで有名なので納得がいきます。たとえば、「統合デザイン学科」のロゴやその周辺のデザインはすべて白と黒形成され、学科の、現状では異端であるもののそれがこれからベーシックになっていくはず、という考えや、力強い勢いを感じられ、学科学生の多くはこのデザインを気に入っています。他にも東京国際映画祭ロゴをはじめ黒を多用したものは多く、今回のエンブレムに関して喪章だなんだと言われていますが、まあそういうネガティブイメージで彼がデザインしたということはないかと思います

 造形的にベルギーデザイナーエンブレムと似ているということで炎上していますが、擁護派の皆さんが言っている通り、ああいった幾何学図形を利用したロゴマークである限り、なにか他のデザインと似てしまうのはしょうがないことです。というか、そもそもロゴの本とかをみると似ているもので種類分けされているぐらいです。造形的に似ているからといって、そのなかにあるコンセプトは異なります。造形的な点のみで「パクリ」だと決めつけてしまうのは、あまりにも強引なのではないでしょうか。今回のエンブレムは、エンブレムとしてのオリジナリティよりもその拡張性や普遍性を追求した、シンプルで力強いものだと感じています

 さらに、ベルギーデザイナーはそのロゴ商標登録していないとのことです。となると、エンブレム側にまったく問題がないと言っても大丈夫なのではないでしょうか。

 記者会見佐野教授感情的だったという話がありますが、もともと彼は自分自身でも「おれはキレキャラだ」とおっしゃっていたり、講義中に実際にキレてくれたりするので、まあ無理はないかなと思います。余談ですが彼は最近藤子・F・不二雄関係仕事が多く(映画TOYOTA広告成功から)、ドラえもんミュージアムにあるレストラン新聞広告用の写真を撮りに行った際「ジャイ子の“ハット”シュッドビーフ」がもう販売中止ということを聞いて、レストランの方に無理を言ってその場で作ってもらい、その写真新聞広告に載せメニューを復活させたという逸話があります。好きなものに対してのオシは誰よりも強く、普段から感情的にはなりやすいような人なのだと思いますhttp://fujiko-museum.com/blog/?p=18605/

 このエンブレムに唯一問題があるとすれば、なんとなく「高揚感」が感じられないところです。ただ、それは佐野教授問題があるのではなく、それはこのデザインをたくさんの候補の中から選んだ選考委員問題があるのです。他に、もっとオリンピックらしさ」があって、高揚感の感じられるデザイン案なんていくらでもあったはずです。

 その選考一般的選考会の方式をとっているのであれば、いまいわれている佐野さんのデザインから特別に選んだということ憶測もありえないのではないでしょうか。基本的選考名前を伏せるはずだし、原研哉さんや葛西薫さんをはじめ他にも応募した有名デザイナーはたくさんいらっしゃいます(応募基準も厳しい http://www.fashionsnap.com/news/2014-09-19/olympic-tokyo-emblem/)。

トートバックについて

 これについては、一人のデザイナーとしても、いち仕事人としてもありえない行為だと私は思います。まったく擁護できません。佐野教授下の人がやったとしても、「佐野研二郎デザイン」と書いてしまたからにはそれなりに彼にも大きな責任が生じるし、そもそも画像からまるごとトレース(というよりコピペ)するのはまさに「パクリ」で間違いないと思います。いかに制作環境が劣悪だったかがわかります一般的デザイナーであれば、なにかをトレースする際、そういう素材の揃ったサイトに月額とかでお金を払って利用したりしていることがほとんどかと。こんなやっつけ仕事お金がもらえるなんて、純粋に「いいなー」と思いました。バレてよかったですね(今後のMR_DESIGNのためにも)。

デザイン業界は"腐っている"?

 ネット上では佐野教授周辺の関係図みたいなもの話題となっています審査委員が同じだとか、広告代理店が牛耳っているだとか、いろんな話があります。つまりデザイン業界は身内のなかで行われているということです。残念ながら、それは確かにあると思います業界内で評価するシステムというのは確かにあるし、長嶋りかこは彼の直属の後輩です。

 自分の話になりますが、私は実はまったくデザイナーになりたいと思っていませんでした。多摩美の、統合デザインに入りたいと思ったのは、まさにそのコンセプトに魅力を感じたからです。深澤教授のおっしゃっていた「いいものを触った時、『これがほしかったんだよね』と人は言う。本当に欲しい物のかたちは、すでに決まっている。」この言葉が、デザインのみならず広い意味で今後の「デザイン」に応用できると思ったのです。だからいまでもグラフィックプロダクトをやりつつもそれが最終地点ではなく、デザインという思想や考え方をあらゆる事柄に応用していきたいと考えています。そういうことを学ぶには、ぴったりな学科です。そして受験勉強をするために、予備校に通い始めました。そこの授業ではあらゆる有名デザイナー作品が取りあえげられるのですが、その中にはどうしても理解できないものもありとても悩んだこともありました。もしかしたら、そういったものなかに現在問題視されているような業界評価システムの土壌でうまれものもあるのかもしれません。

 一般人に受け入れられにくいデザインは、果たして優れたデザインと言えるのでしょうか。なにをもって、ただのデザインは優れたデザインになりうるのでしょうか。その答えはまだ私にはわかりません。

そのほかのデザインについて

 いま、どんどん新しい「パクリ疑惑」のデザインネットユーザーによって見つけられてきていますが、デザインの歴史が深くなり文脈形成されていくと、そこには明らかな引用模倣も増えていきます。それはどんな文化でも同じで、音楽なんかもそうです。デザインスタイルであり、継承されていくものなのです。だから、造形的な面でなんでもかんでも「パクリ」と決めつけられてしまうと、デザインの歴史が続いていくことそれ自体否定することと同じになってしまます。なにかから影響を受け、文脈形成されていくことを「パクリ」の一言否定しないでください。

 今回の件で佐野教授問題があったことも明確になりましたが、一方で、彼の講義を受けていたからかもしれませんが、とてもじゃないけどオリンピックエンブレムにおいて彼は雑な仕事をするとは思えません。

亀倉雄策仕事で一番好きなのは1964年東京オリンピックエンブレムだ。シンプルで力強く、唯一無二のデザイン。いつの日かこのようなシンプル骨太仕事がしてみてみたい、と思うようになった。ニッポンを、世界を、あっといわせる仕事。一生に一度でいいからそういうデザインをしてみたい。シンプルであること。明快であること。太くあること。Simple. Clear. Bold. ある日から僕のデザインの指針となった。デザインとはなんだ。デザインにはなにができる。そういう自問自答を繰り返した。(中略)目の前の画面は世界に確実につながっている。デザインシンプルで深い。考え、それを超えるべく手を動かし、また考え、また手を動かす。邪念はいらない。デザイン思想だ。簡単に。深く。明快に。太く。でも簡単に。ストレスはある。でもいつも朗らかである。そういうデザイナーでありたい。デザインの道はまだまだ続くのだ。負けない。僕には亀がついている。亀はゆっくり、確実にやってくる。

佐野研二郎

 エンブレム問題トートバックの問題根本的にまったく異なるものです。そこを一緒にしてしまうことが、今後のデザインを殺すことにつながりかねません。

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(追記1) より主観的意見です

エンブレムについて、おそらく審査員も彼の作品だと見ただけで分かる人もいたかと。黒を使用したこと、そしてあのTOKYO 2020のフォント。あれは東京国際映画祭ロゴでもおそらく使用していましたし、彼のデザインだと一目でわかる点でもあります。正直、あのフォント幾何学図形を用いたあのデザインにとって最も理想的フォントであったとは思いません。

学生じゃないだろみたいな意見をみて「いや学生ですけど・・・」と匿名なりに思ったりしたしそれを証明できないのもなかなか悔しいのですが、多摩美術大学統合デザイン学科の学生です。「業界の端っこにいるみたいな気分になってる時点でこの界隈の闇を感じた」美大って、セミプロみたいな人が集まるんだと思います。それは、一般大学とは別の特殊試験内容が課せられるからで、それをクリアするために誰しもある程度のレベルの状態で入学してきます。そういった意味で、業界の端っこみたいな感覚私自身拭えない点です。生意気だと思われてしまったら、申し訳ないですが・・・

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(追記2)

ベルギー側が商標登録していないためエンブレム盗用疑惑について私は「まったく」問題がないと書きました。著作権がある、ということだけでエンブレムとの類似性を訴えられるのであれば、本当にどんなデザインでも訴えられてしまます商標というシステムは、そういう意味でも機能している。ただ、自分自身勉強不足でもあるのでもっと調べてみますhttp://ipfbiz.com/archives/olympiclogo.html たださっき調べたら、東京オリンピックエンブレムもまだ商標登録が済んでいないとのことで・・・w

佐野教授への評価は、私自身、下がりました。学生とき評価とかなにを偉そうにと言われるかもしれませんが。こんな仕事をするひとにはなりたくないな、と純粋に思いました。トートバックのような小さな仕事でも、しっかりと制作しなければ、大きな仕事、つまりオリンピックエンブレムのような仕事ダメになるというか、結局ものをつくるとき姿勢ってそのひとの評価デザインにもちゃんと反映されるんですね。この一件はデザイナー関係者、それを学ぶ学生、もしくはいままでデザインの外部にいたとされていた人たちにとって、デザインとはなんなのか、パクリ模倣とはなんなのか、そういったことを知り考えるきっかけとしては良い機会になったと思うのです。だからこそ、そこで歪んだ考え方や間違った見解が社会に浸透していくことは、できるだけあってはならないことだと思います。なにが正しくて、なにが間違っているのかすらよくわからない時代ではありますが。

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(追記3)

多摩美情デに関する批判は完全に話題から脱線している内容であり、改めて読んでも全く的を得ていないものです。訂正しお詫びします。大変申し訳ありませんでした。

・ご指摘の通り「在日」や「売国」などに関しては一部のネットユーザー根拠のない事実拡散しているだけだと認識しています。この一件を複雑化させるだけだと感じたので訂正しました。

2015-08-18

オリジナリティ呈示できないんだからロゴなんてもう作るなよ

音楽もそうだけど、いまどき何作ったってどっか似てるのしか作れない癖に開き直った挙句可能性やらオリジナリティやらほえる

アーティスト系のクソ共に生活費を与える必要はないと思う。徹底的に苛め抜いて業界の根っこから潰せ。

日本人は黙って西洋白人様のありがたいデザインを拝受していればよろしい。倭猿調子のるからこうなった。

中村さんの言い方はわかりにくいけど、一応考えてることはまともっぽい。…問題はこういうめんどくさい案件にさわってしまったことか。どっちについてもいちいち噛み付きそうなアホがいる案件だけに直接のコメントは損…という印象はあるかな

会うとまとも△面と向かって人におかしい言える人がそんなにいない○…オフ会で「思ったより良い人そう」と言われたことを書く人がいるけど、みんながみんなネットの中にいる時みたいに「あいキチガイだろ」という言い方はできないだけだと思ってる(つ∀-)

実際にパクリなのかどうかと言われるとパクリではないよね。似せたとかなんとか言われるならともかく、パクリという言い方をしちゃったことが引くに引けなくなっちゃった原因じゃない?

深夜食堂とかワカコ飯的なジャンルのものじゃん…。女くどき飯とは別物だし、パクリと言っちゃうのもちょっとなぁ…。

あんまり言いたくないけど、パクられるほど女くどき飯ってそんなにブームしたの?いや、経験豊富キャラ峰なゆかさんですらぐるなびに6回分しかネタを書いてないようなモノをそこら編の人がパクれるほど敷居の低いお題なの?もっと言うと、峰なゆかは本当にキャラ通りその手のネタを持ってるの?本人はGTO比較してますが、タイトルとあらすじ(コンセプト)がGTOほど奇抜だったり、パクリようがないものを扱ってるかというとそれは違いますよね…。○○飯も女の子ごはん食べる系のマンガ別にありふれたテーマですし。女が飯食うマンガよりも男が飯食ってぼやくマンガのほうが最近は少ないから孤独のグルメのほうが女くどき飯よりもずっと大きな発明だと思ってる。(いや、みんなそう思ってるから商業化した時の展開が全然違ったわけで…)

そもそも論を言うと、パクリパクリと言う時と「簡単にパクれるもの」を扱ってると思われるから損だよなぁ…。参入障壁があるもの技術必要ものはパクられたところで勝てるし、そもそもパクること自体が難しいからね…。まして、安価版も必要になる製造業や食料ならともかく創作物下位互換ゴミ。いやさ、うちなんて誰もやってないことをやろうとしてるのは川崎スポット紹介ぐらいで、フリゲ時事ネタ躁うつ病体験記も全部先発・後発ともにいますよ…。ただ、その人らに勝てばいいし、パクられたとて足を引っ張られたことにこそなれど、その人はコピーなんだから負けることはないんだよなぁ。

だいたい愛着を持たれてる作品ならファンが「○○と似てる」「○○のパクリ」「○○の影響を受けている作品」「まるで○○さんみたいなことを言う」と言うんですよ。オリジナリティってそういうものだということがわからない人の発言を見るとなんかしんどい

僕もはてなブックマークでは「失言王」扱いですが、彼女もなかなかすごいようだ…面白そうだからじっくり見ていこう

この定義で行くと「貧乳好き・バカっぽいところがかわいい・一途で盲目乙女さがかわいい・背が低い女性が棚の上のものが取れなくて背伸びするのがかわいい」辺りもロリコンに入りますなぁ…恐ろしい恐ろしい

完全に別概念ですな/今、「あなたモテないのはあなたが(女の子から見て)気持ち悪いからです」と断言する本を選んでるんだが、気持ち悪いの基準がこんだけ論理破綻してる女性とはちょっと関わりたくないなぁ…

モテ本を読んで僕が「この本は目的を成し遂げるためには正しいけど、目的を成し遂げた先にあるのは本質論や客観性がない地獄のような世界だ」と途方に暮れてる様子をそっくりそのまま言葉にしたのが「峰なゆかさんの定義するロリコン」なんだよなぁ…。男も男で主観的な人いるが主観への依存度が違う

テレビゲームから囲碁将棋みたいなボードゲーム、あるいはもっと広義な理数系科目全般でも良いんだけど、基本的に男のほうが数量化客観的ルールのあるゲームが得意なんですよ。だから優れてるとは言わないけど、少なくともルールプレイ関係キッチリしてるからわかりやすいよね…だが、悲しいかな。人は童貞として生まれてくるし、性欲があって、メンツがあって、承認されたいから童貞をこじらせる卒業もしたくなるものなんだよ…(ただ言いたかっただけ)

から女性的な「(何をしたとか、スペックがどうこうよりもまずは、)キモチ悪い」が基準になってるもの理由が説明しにくいし、それがルール基準になったら、それを攻略するための対策や傾向を見つけるのが大変なんだよね…。そこに対する恐ろしさを男で気づいてる人がどんだけいるかという話。

しかも、なゆかさんとかフェミがかった人って「女性主観的価値観で動いてる部分」を問題視もしなきゃ、ヘタすると主観正当化するためのゲームとしてしか論理を使おうとしないところがあるからこわいなぁ〜って思ってるわけ。男にもそういう人はいるし、男でもそういう人なら嫌いだけどさ。


僕のフェミ嫌いはフェミを突き詰めていった時に出てくる「主観的感情を果たすためなら言葉ジェンダーも態度も何もかもを相手を叩く道具に使っていいし、ダブルスタンダードになってもいい」と思ってる一部のクズに対する反感なんだよね…僕の人生には女性の、特にフェミが多いんよ。傾向的に。この話、おしまい。なんかズルズルと体が自分意図しない方に引きずられていくのを感じるからやめる

範囲攻撃範囲攻撃で返すようで恐縮なんだけど、なんで元AV女優作家と元AV監督作家の人気がある人達は両成敗で読者をバカだ臆病だロリコンだ全身無印・全身ユニクロだと簡単に罵り倒せるし、言葉もすごくざっくりしてるくせにドヤ顔なの?あの界隈は「俺様正しい」でできてるの?と困惑してる。はあちゅうとか古市みたいにイメージ戦略大事にする人はライト信者ディープ信者媒体を分けてネタ提供するようにしてるからなぁ…。誰も彼もやなゆかさんみたくノーガードで戦えるタフガイ(?)じゃないのよ。少し前は戦わない人・ホンネを言わない人は信用できなかったけど、本当に伸びてる人はホンネを言うところをゾーニングしてるだけで言ってないわけじゃない。そういう人の方がアンチがいてもリア充っぽく見えるんだよね。まぁ、主にはあちゅう古市のことですけどねw



嫌いな相手はなんでもkanoseか本物川界隈かフェミ界隈に入れて区別なく叩く雑な話しか出来ないのに自分ではあたまいいと思ってるのが気の毒

2015-08-15

デザインのコンペって何で試験方式にしないの?

プログラムオリジナリティ証明として、外部と接続していない開発環境を用意して、よそのソースコピペしていませんよとアピールしているソフトウェアハウスがあった。

この方式を応用すれば、変な疑いを持たれることはないんじゃないの?

何でオリンピックロゴほど重要なコンペが、提出方式なのか。

オリジナリティ担保するのであれば、デザイナーを1日山奥の温泉ホテルにでも缶詰にして、紙と鉛筆を与えて取り組ませればええやんと思う。

途中のメモとか証拠を残しやすいし、余計なカンニングはできない。

http://www.drillspin.com/articles/view/895

このコラム行間から英米の音楽シーンの流れに乗ってないから日本音楽シーンは劣っているみたいな西洋コンプレックス丸出しの感情が溢れているように感じる。

音楽とか芸術多様性があってオリジナリティがあったほうがおもしろいじゃないか。

個人的には別に洋楽ロックは嫌いじゃないというか、むしろ全然好きなんだけど世界ロックの潮流に日本が乗ってなくて本当に良かったとは思う。

今の日本音楽シーンはこれまでにない程にガラパゴス化が先鋭化してて洋楽と全く違う方向に突き進んでるから最高に面白いとこにきてるんじゃないだろうか。

2015-08-05

東京五輪エンブレム問題についてのよくある質問への回答


Q.「T」がかぶるのは分かるけど「L」に見える右下配置の△は何なん?

A.デザイナー佐野氏は、ベルギー劇場ロゴが表す「TとL」ではなく「Tと円」をモチーフデザインしたと発表してます。Tの背後に巨大な円のシルエットを表すために右下に銀色の△が必要となりました。この巨大な円は1964年東京五輪エンブレムあやかったものです。

Q.会見で「A」~「Z」まであると発表してたけど、ますます「T」の右下がおかしくない?

A.会見で公表された「A」~「Z」のデザインは、あくまエンブレム拡張性を示したものであり、最初に「Tと円」のエンブレムありきのものなので何もおかしくないです。この拡張性は最初からデザインの一貫として含まれていたので、今回公表された「A」~「Z」や数字デザイン盗作疑惑以後に後出し作成されたものでもありません。

Q.「Tと円」がモチーフだとしても「TとL」のベルギー劇場とやっぱりかぶってるしオリジナリティ何もないんじゃない?

A.今回のエンブレムオリジナリティは、単に見た目だけではなく、エンブレムを分解して「A」~「Z」としても使えるといったデザイン拡張性にあります。この展開の分かりやすさが評価されるところです。一方ベルギー劇場ロゴはそれができません。

2015-07-29

俺はオタク

俺はオタクダ。知識にかけては自信がある。インプットばかりじゃなくて、いつかはオリジナリティあふれるアウトプットをしてやろうと狙っている。

から、俺より先に稚拙オリジナリティで世に出た奴は徹底的にたたく。パクりだと指摘する。たった一コマ、一行、ひとつセリフを俺の知識をもってして、パクリだと突き詰めてみせる。そんな俺に判る程度のパクリで、俺をだまそうなんて片腹痛い。俺の考えるオリジナリティは本当にオリジナリティにあふれているんだ。お前が安易に世に出ようとしてパクったのとは志が違うんだよ。むしろ、お前のパクリを見つけて糾弾するのは、オリジナリティを持っている俺の義務だ。お前のようなパクった奴が俺より先に評価を得ようなんて言うのがおかしいんだよ。評価した奴も同罪だ。どうして俺のオリジナリティに気付かないんだ。俺に一言声をかけてくれたら、すごいものを書いてみせる自信がある。

今日もまたアイディアを思いついたが、まだ温めておいて、他のアイディアと組み焦ることで、さらなる完成度を目指していこう。パクッてる連中なんて、後から簡単に追い抜ける。

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