「分かる」というのは自分という主体に正しく判断させるということだ。
「わかって」いないと、フールペナルティ社会ではすぐにおいていかれる。特に、インターネットによる情報の流通が発達したので、「自分がやろうとおもったことについて一度もスマホでググっていない」ということが「重過失(ひどい手落ち)」にさえなりうる、とされている。
だが、人間は「生きていたい」程度のことしか普段は考えていないものだし、そこで「生きる」ということの意味をいちいち考えるとそれだけでまともに「生きていけない」ほど考えるべきことが山積している。
明日のご飯どうしよう、とか、給料ちゃんともらえるかな、とか、壊れかけの自転車をいつ買い替えようか、とか。それで充分考えている。
現在の日本に生きる者は(もともとかかわりもっているのでないかぎり)ウクライナやロシアについては特段の判断をせまられてはいないと考えられるので、考えない、わからない、わかろうとしない、わかった顔をしないというのも一つの賢明な生き方である。
俺は文章を書くのが好きで、なぜ書くかというと支配するために書いている。 これは自分の動機を色々な意味で乱暴に表現した言い方だけど、実際この通りで、俺は世の中のたくさんの...
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たにかわしゅんたろう
ネットにいるから「わかる」増殖を感じるだけで 世の中は「わからない」に溢れてると思う。
増田の言ってる「同じになっていく」っていうのはたぶん、エコーチャンバーとかホモソーシャルってやつのことなんじゃないかと思う。 同じコミュニティの中では、お互いに「わかる...
全知の存在は究極の没個性、という話なんだろうか。でも没個性というのは『みんな』が同等の能力を獲得しているのが『普通』の時のものなので、神の如き全知は普通ではないと思う...
「完全に理解した」を文字通りにしか理解できないタイプの人