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はてなキーワード: 「生きる」とは

2016-03-16

囲碁世界の縮図

囲碁ルールは、「周囲を全て囲まれたら盤上から排除される」これに尽きる。他の全ての細かいルールはこの派生に過ぎない。

その上で多くの地を囲えば勝ち、というだけのゲーム

そのシンプルから生じる多様性は、限られた素粒子が集まりわずかな規則のみで形作られる現実世界の縮図と言える。

一つ一つの石は単独では命を持たない。集まってある特殊形態を持って初めて「生きる」ことが出来る。

それはまるで、一つ一つの細胞が寄り集まって一つの生物成るさまを見ているかのようだ。

まり囲碁を解明するということは、この世界を解明するのと同じことなのだ。

その意味で、人工知能人間将棋で勝ったのと囲碁で勝ったのでは価値が全く違う。

しかし、人工知能には弱点もあった。石塔しぼりという中級者でもわかる手筋がわからなかった。

人智を超えた強さを持ちながら、素人レベルの手筋が理解できない。

不成や入玉という特殊ルール対応できなかった将棋とは質が異なる。石塔しぼりはシンプルルールからはみ出したものではない。単に人工知能が気付けなかっただけだ。

そのアンバランスがなぜ生じるのか、は示唆に富む。

人に簡単に出来ることを人工知能にさせられないのは、人自身がなぜそれが出来るのか、その仕組みが分かっていないからだ。

人工知能を知ること、そして囲碁を知ることは、人自身を知ることに帰着する。

ディープラーニングだけでもここまでの能力確認できたわけだが、それ以外にまだ人間しか持っていない、簡単なシステムがあるのだろう。

それを理解し、人工知能に導入すれば、さらに大きなブレイクスルーが起きる。

そのような大きな夢を見ることのできる、貴重な機会だった。

人間には勝ったが、まだ強化を続けて欲しい。

人でなくて良い。

神の領域に近づいた碁を、その知能をもっと見たい。

2016-02-19

年間映画数本しか見ないぼく、の親父がおすすめする映画

イラ映画館では確かに一本か二本くらいしかみないけどね。

前田さんの映画批評は好きな方。

今はもうなくなったけど、サイト名忘れたがなんかいっぱい映画評論やってたサイトがあってそこのほうが好きだったな。

 

亡くなった親父が黒澤明の大ファンで、黒澤明全集みたいなの持ってたな、ぼくは読んだ事ないけど。

ちっちゃい頃から七人の侍」は凄いとか、「生きる」を見ろ、とか「乱」は流石黒澤だ、とかよく聞かされたもんだ。

スターウォーズテレビで一緒に見たときは散々、この映画は「隠し砦の三悪人」の真似だ、とか言ってたっけ。

でもルーカスの事は褒めてたよ。スピルバーグも凄いって。

なので一発目はこれ。

 

用心棒監督は当然黒澤明

マニアックな事はおらっちにはわかんねーけど、めっちゃ面白いよね、これ。

三船敏郎演じる素浪人の「桑畑三十郎」がかっこいいし、仲代達也演じるやくざもかっこいい。

また殺陣が素晴らしいし、オイラ素人から専門的なことはよく分からんけど構図とか色々めっちゃ凝ってる。

七人の侍同様凄すぎて、アメリカ映画とかに真似されまくったらしいけど。

パート2に当たる「椿三十郎」も同じくらい名作だよ。最後の血飛沫が出すぎだけどw

 

ゴッドファーザー」フランシス・コッポラ監督

親父はこの映画コッポラも凄いって言ってたな。

でもオイラ最初の方にある馬の首のシーンが恐すぎて、ちっちゃい頃はそれ以上見る事が出来なかった。

最近改めて見てみると、凄い映画だなぁと思ったね。

マーロン・ブランド以上に凄みのある人なんて入るのかなぁ?と思ってしまうくらい。どう見ても明らかにほっぺた脱脂綿含んでるけどw

とにかく、マフィアこええええええええって映画ですけど、人間愛・親子愛・兄弟愛みたいなのが実に濃く描かれてます

なお親父に言わせれば、コッポラもこの映画で黒澤の真似してるんだってさ。

「悪い奴ほど良く眠る」だったっけかな、なんか真似されてるらしい。

 

パリ、テキサスヴィム・ヴェンダース監督

いやこれは正確には親父のおすすめではないんだけどね。

たまたま親父がテレビつけたまま寝てて、そこに映ってた映画がこれだったってこと。

なぜか親父がイビキするその部屋でじっと見てたわけ。

かなり昔の話なので、内容はあんまりはっきりとは覚えてないが、とにかくぼろぼろ大泣きした映画

わけも分からずに見ててこんなに大泣きした映画はこれしかないw

最後のシーンと言うか景色がめっくちゃ素晴らしいと言うのは強烈に記憶に残ってます

 

クラッシュ監督ポール・ハギス

偉い古い映画ばっかりの紹介だけどこれは最近。つっても公開は多分10年前かな。

ぼくは前評判も聞かず大した情報もないまま映画見て感動するのが好きで、なので10見たら9は失敗なんだけど、そんな中で当たった映画の1つ。

この映画アカデミー作品賞取ったなんて知らなかった。

いやこの映画マジで凄い。

脚本が物凄く良く出来てて、調べるとボールハギスは同じくアカデミー賞取ったクリント・イーストウッド監督の「ミリオンラーベイビー」の脚本書いた人って言うじゃないか。

とにかくすんばらしい!手放しで絶賛。・・・親父は何の関係もないがw

 

砂の器野村芳太郎監督。でもこの監督よく知らんw

親父は生前、繰り返し「砂の器」がいいって何度も言ってたんだけど、オイラあんまりそうは思わんかった。

ハンセン病? これがよく分からんかったからかも知れんけど、何せ起きた犯罪殺人一件としょぼくて・・・ごめん。

ただ、親父も言ってたけど、ゴッドファーザーの曲を真似したとしか思えんテーマ曲はなかなかいいとは思った。

 

とりあえずこんな感じで。

2016-01-12

しぬかつ

新宿にAの説明会に行った。

成人式ということで新成人がたくさんいたが、東京新成人はとても品が良くて感動する。田舎とは大違いだ。

とりあえず意識を高めるために業界本を立ち読みしにBookFirstに向かう。がん保険1位とのこと。

会場に行くとカジュアルスーツスーツを着た人がたくさんいた。(案内には出来る限りスーツで来るなと書いてあった)

総合職と一緒の説明会なので女性が7割ぐらいでびびる。

説明会はアホでもわかるように「相互扶助精神」とか「収支相等の原則」とか「第一分野・第二分野」から始まる。

一番最初に「人生という航海に一つだけ持って行くとしたら何を持っていきますか」とかい文系のアホくさいアイスブレイク質問が入る。

会場内「スマホ」と答える人が3人もいてビビる。ちなみに僕は最初は妻が欲しいと思ったんだけどそんなことは恥ずかしくて言えないので奇をてらって「飛行機」と答えた。奇をてらったのはわかっているが、実際飛行機があって操縦できたらいいと思う。ちなみに模範解答は「コンパス」らしい。コンパス持ってても自分が今どこにいるかからなければ意味が無い。やっぱり僕は飛行機俯瞰したいね

「当社は外資系の張り詰めた雰囲気と違って、社員をとても大事にしています」「創業以来リストラを行ったことはありません」

「If we take care of our people,the people will take care of our business」とかホンマかいなと言いたくなる御託が並ぶ。

インターンで学ぶこと:自分自身大切なこと・どのように成長できるか・仕事内容・当社の強み弱み

とかはえんとりーしいとぉを書くときに使えそうだと思った。

人生の4大リスクとは:「しぼう・にゅういん・ながいき・かいご」と言っていて、さすが第三分野の人だなあと思った。

「生きる」を創る。というブランドプロミスには第三分野でやっていくという意味が込められているとわかると確かに面白い

てがきでえんとりーしーとぉ書かされる。字が汚すぎて絶望。その後帰ってすぐにえんとりーしいとぉ通過のお知らせがくる。

その後丸亀製麺を食べて帰宅する。ジム説明会に行こうと思っていたが寝落ち今日は7km走った。東京マラソンに出たいとか富士登山したいとか意味不明感情が沸き上がってきて僕自身知らないうちに心が病んでいるだなと思った。

2015-11-22

頭と肉体があってこその音楽

[書評] ハーバード大学は「音楽」で人を育てる 21世紀教養を創るアメリカリベラルアーツ教育菅野恵理子)http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/

音楽がなぜ重要かというと、頭と肉体とどちらも使うから、だから音楽大事なんだと。

頭というのは、音楽に関する理論や知識。肉体というのは、楽器演奏あるいは声楽

頭で勉強したものは、演奏として応用されないと意味がないし、肉体を通じて出される音・演奏は頭で勉強したものがないといけない。

どちらもいる。

頭だけでもダメだ、肉体だけでもダメだ、そのどちらも使うのが「生きる」ということだ。それを教えてくれる、一番わかりやすい形をしているのが、音楽だ。

から音楽をただ「聞く」だけでは足りない。享受するだけでは足りない。楽器を立派に演奏しろとは思わないけれども、せめてあなたが今聞いている音楽に対する積極的姿勢必要だ。そうすれば、その音楽もっと面白くなるだろうし、楽しくなるだろう。

音楽は、自分の外にあるものではない。iPhone に入っているデータイヤホンを通じて聞いているなにものかは音楽ではない。音楽自分の中にあるものだ。自分の中にあるものを聞くこと、それが音楽だ。

頭と肉体、どちらも働かせて音楽に接することは、そのことを教えてくれる。

2015-10-25

「忙しい」というフレーズ

忙しい。とにかく忙しい。今は●●で忙しいからと、先方から言われて断られる事が多い。

こちらから、お忙しい中恐れ入りますが。とビジネスマナー的なフレーズで使うけど、自らの行動が忙しいとは言わないようにしている。

仕事はお世辞にも能率が良いとはいえず、時間が足りないのは変わりはない。一件片付いたと思えば、また新たな課題を突きつけられる。

それでも、「忙しい」というフレーズは使わないようにしている。

言葉は生き物とおっしゃる方がいますが、そのとおりかなと思う。

「忙しい」の文字を分解すると、りっしんべんに「亡」と分かれる。りっしんべんとは、「心」部首名の一つで、「心部」という。詳細はWikipediaをご参照いただければと思う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E9%83%A8

すなわち、「忙しい」とは、「心が亡くなっている」ことを表している。

このフレーズを連発している人は、心が亡くなっている(柔軟に表現するなら余裕がない)と思ってもいいだろう。

最後に、「亡くなる」の対象語が「生きる」となるが、これにりっしんべんを加えれば、「性」となる。

「性」行為したい。

2015-09-16

結婚子供を作るための前段階なのか

長いので長文読むの嫌いな人はそっ閉じ推奨。

最近増田界隈で結婚というか子供の話がホッテントリ入りし始めて久しいので

結婚しているが子供のいない共働き夫婦である我が家の話をしようと思う。

子供がいないのは単に今までできなかったというだけのことだ。

できなかったけれど、お互い子供に関しては「いてもいい、いなくてもいい」というスタンスだったので

特別不妊検査をしようとか不妊治療をしようという話にもならなかった。

本当にどちらでもよかったのだ。

「いてもいい、いなくてもいい」などと表現すると、

結婚したなら子供は必ずつくるべきでしょうが派」の文章の主旨を読み取ることが苦手な人から

鬼の首を取ったように責められそうなので一応解説しておくが

「できたなら頑張って育児したよ、でもできないからといって頑張って作ろうとは思わなかったよ」

という意味なので、曲解されぬようお願いしたい。

子供のいる知人友人と子供を交えて会ったりすると「子供やっぱりおもしれえな」と思うし

はてブホッテントリ入りしたエントリにつくブコメを読んでも

未知ながらもやはり子供がいたら楽しい嬉しいということが多いのだろうなとは思う、

経済的にも肉体的にも大変だというのは大前提として。

なぜかリアルな子持ち友人知から子供を持つことは勧められないが

不妊で悩んでいる夫婦も多かろうから気を遣われているのかもしれない。

はいえ、やはり勧められようが勧められまいがスタンスは変わらず

いてもいいしいなくてもいいと思っている。

子供コスパ増田で「自分子供を持たなかったのに老後は誰かの子供の世話になるんだろ?なら叩くよ」

という主旨のブコメが沢山のスターを集めていて戦慄した。

このブコメをつけた人、それに賛同した人は、病気子供を持てなかった人や

結果的に未婚で過ごすことになってしまって老人になってしまった人たちについてはどう思っているのだろう?

「その人たちは仕方ない」?「仕方なかった人たちなのだから許してやる」のだろうか?

万一、我々夫婦にこの先も子供が出来なかったら、この人たち(恐らく子持ちの人たち)に

許しを得られないなら、この先ずっと叩かれながら生きていかねばならないのだろうか?

子供を持たないというのはそんなに罪なことだろうか?

確かに、種の保存という観点からいえば、子供を持たない・持てない生物は生きている価値がないともいえる。

しかし我々は人間だ。人間は、脳の発達・文明の発達に伴って「生きる」ということに繁殖以外の目的を見いだしてきた。

それは我々が文化的生活を営む「人間」だからだ。

そもそも子供を持つというのは、繁殖期をとうの昔に失った「人間」にとっては本能ではなく文化的活動だ。

人がその人の人生を生きるための考えとして、子供を持つも持たないも、いずれも認められて然るべき選択肢だと思う。

それを他人に責められる必要も、他人に叩かれる必要もない。

「俺いまニートだけど親死んだら俺も首くくるわ」

と言う人がたまにいる(ネットに)。

彼が本気かどうかはわからないが、日本ニート人口2014年調査で56万人らしいので

どうしても働くのがイヤであるだとか、身体的・精神的な事情で働けない場合

彼らの親御さんが亡くなり経済的な支えがなくなった場合

(そして彼らが生活保護を受ける権利を知らなかった場合

自死という選択をせずとも、そのまま亡くなってしまわざるを得ない人は少なくないように思う。

働けるのなら働けばいいのに、とは思うが、私には彼らを責める気はない。

親の金で楽して羨ましいなあ」とは思うし僻みもするが、責める権利はないと思っている。

自分の選択を他人から責められたくないのと同様に、他人を責めるのも嫌なのだ

自分は責められたくないが他人は責めるよ、というのは卑怯な気がするのだ。

多様性が認められているように感じられていたはてなでさえこの有様なのだから

それが世間にまで広がるのはまだまだまだまだ時間がかかりそうだ。

自分マジョリティな選択をしている可能性があるからというのもあるが

みんなが世間の顔色を伺わずに、好きに結婚したり結婚しなかったり

子供を持ったり子供を持たなかったりして

もっと多様な考え方を受け入れられる風土になればいいと思っている。

2015-06-06

明治大正昭和はすごかった

明治大正昭和初期は神に支配された正義のある社会であり,戦後地方には神がおり,

東京「生きる」という淫夢を全力でやっていた社会で活気があった。科学でもスポー

ツでも結果が出まくったし国家への国民の信頼は抜群だった。悪化したのは昭和50年だ。

国家は失敗してメンヘラ女になってしまい,平成になってからはそれが著しい。今では死

である。神もなければ淫夢もなく正論も活気もない。最悪だ。

2015-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20150129223619

個人の生産性がどれだけ増えようが分配する分が増えれば総量が増えようとも労働量は変わらんだろうがw

多くを得れば多くを使うのが人間「生きる」上で避けられない道理

しかったらタダ働きなり給与全額寄付なりして細やかに抵抗してろw

http://anond.hatelabo.jp/20150129222407

ケチンボではない。

これは「生きる」ということにおいての必然だ。

古来より人類は自ら生きるための糧は自分たちで稼いできた。

それは集団生活においても不変であった。

それを放擲するお前のような奴は死を選んだに等しいのだよ。

わかったら働け。わからないなら死ね。work or die.

2014-06-07

とあるひきこもり叫び

ロバートエドウィンピアリーは、その生涯をかけて北極点到達に挑んだ探検家

幾度もの失敗の中、彼は凍傷で足の指8本を失うが、1909年、西洋人として初めて北極点に到達した。

自らの死に向かって突き進んでいるとも思える彼ら探検家を、常人は、ただの自殺願望者と理解を示さないだろう。

ただ少なくともオレには、彼らは「死ぬ」ことを含む「生きる」自由を叫んでいるように見えた。

それに比べて今のオレはどうだ?

安心安全保険保障生レバー一つも自身の責任と選択で食うことを許さない国に生まれ、過剰に擁護され、片時も「死」を意識させない環境に育ち、いったいどうやって本来の「生」を感じろというのか?

もういい。

一日も早くオレをこの仮住まいから出してくれ

2014-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20140423205809

悪意をもって書かれた文章だと分かったので、こちらからも悪意をもって返しますね。

 

増田を見ると酷いしつらい。

「酷い」という状態と「つらい」という感情を並列しているのでおかしい。

低学歴でも生きてたりしてたらいけないの?

「~たり」は並列か例示で使うが、「生きる」の他には並列しておらず例示としても使われていないのでおかしい。

収入でも生き地獄でも頑張っててもダメなの?

「でも」「ても」は前後で対立する内容を示し、「頑張ってても」以外は関係的に順列とした方が妥当なのでおかしい。

彼女居なくたっていいじゃないか。

親友がいなくたっていいじゃないか。

社畜だって別にいいじゃないか。

特におかしい部分は無いけれど、縦読みと横読みでほぼ同じ言葉(いいじゃない)を使っているのはナンセンス

がんばってるのにいい加減けなしてくる増田がだいっきらいだ

この文だけ字数稼ぎのために「がんばってる」を平仮名にするのはナンセンス

また、「いい加減」は「だいっきらいだ」を修飾するが、「いい加減だいっきらいだ」と被修飾語の直前に置かないと読みにくい。

 

人のことを生きている価値が無いと言う前に、いくら縦読み仕込んだ文とはい

まともに文法を使えず満足な日本語も書けない自分存在価値を見つめ直してみてはいかがでしょうか。

2014-03-25

人間らしい生きかたとは

われわれ人間にとって、「生きる」とは何だろうか。一体、何がわれわれの生と死を定義付けているのだろうか。医療技術の発展は、このような問いをわれわれに投げかける。

一般に、死は心機能あるいは脳機能が不可逆的に停止し、生物としての機能を失った状態であると考えられている。またいくつかの国では、脳機能の一部が停止し意識消失しているものの、呼吸や心機能など無意識的な人体の基本機能が残存している場合にも、それを「人間らしい生」の終息として、尊厳死安楽死として「死」と定義している。

医療技術の発展は、人の「体」の寿命をのばすことに成功したが、同時に「人間らしい生き方」「心」とは何かという疑問を提起した。その結果として、尊厳死安楽死の考え方が生まれたのである

だが、「人間らしい生き方」を追求することは、死の定義を過剰に広げてしまわないだろうか。そもそも「人間らしく生きる」とはどういう状態のことを指すのだろう。

例えば終末期のがん患者場合、完治の見込みがなくなった際には、重い副作用のある抗がん剤による治療をやめ、自宅に帰り家族とともに「人間らしく生きる」ことを選択することがある。この場合、「人間らしい生き方」とは家族とともに普通日常生活を送ることを指すこととなる。

この考えに従うと、ホームレスなどの自宅も家族も持たない人々は人間として死んでいることになる。

あるいは、自己認識する「意識」を人間らしさであると考えてみよう。

すると重度の精神障害者認知症の人々はどうなるのだろう。彼らは自己認識を持たないゆえに、人間として死んでいるのだろうか。

医療の発展が投げかけた生死の問いに対して、人間らしさを追求することは大切である。だがその危険性を忘れてはならない。

2014-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20140316184726

痛覚は、基本的には生きるのに危険だと感じて、対処すべき、とした時に出るもので正しくない?

勿論、生物の体だって完璧じゃないから無駄な痛みとかもあるけども。

別に、「個の幸福」とかそういうのはまた別の話だし、それ、動物に求めるのもまた別の話だと思うし。

基本、生物は「生きる」事が目的で、それに対して最後まで体があがこうとするのでは?

苦痛とかあると逆に死にたくなるっていう矛盾に関しては、

例えば、ホントに苦しい時、生命にその苦痛が直結してしまうようなときは、アドレナリン自己麻酔する様な機能すら生物にはついてるわけで。

そうでない限りは、基本的に、体としてはなんとかして対処してくれ、対処出来るはずだ、対処しないとやばい!って考えてる状態だろう。

2014-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20140305113310

神様なんていない。

いや、より正確に言えば、増田よ、あなたの「外側のどこか」に神様はいない。

神様世界のどこにでもいて、そして、あなたの中にいる。

から増田が死んでしまえば、増田をほめてくれる神様もいなくなる。

増田が生きている間に、増田自身に居る神様からほめられるようになれ。

それが「生きる」ということ。

我々「神様というもの意識してしま人間」が、「生きる」という事は、そういう事なのだ

IQ140がうらやましい?

IQ140の人間は、IQ100そこらの人間には見えない世界が見えている。

IQ100人間が見ても何も見出せないものを見て、IQ140人間は何らかの法則性をすぐに見つけ出す。

その中には、IQ100人間には見えない不幸や苦しみや不条理も見える。

見えない事、達しない事が、幸せという事もあるのだよ。

2014-01-11

anond:20140111162709

コスト人生を考え出したら人生なんて無駄だらけだよ。

数字で計れないもの「生きる」って作業にはあるんだろ。たぶんきっと。

いや、正直自分がそう思いたいだけだがな。

2013-11-09

普通」とそうでない人のハザマで

ここでいう「普通」というのは正社員人材市場価値があり結婚して子どもも作れる社会親の期待値に応えられる能力を持った人の事

資本主義社会では金を稼ぐのに不要個性企業にとっていらない

「気配り」「見た目」「そこで仕事をするのに最低限の知的能力」「意思疎通能力」「やる気」すら取り揃えられない「歯車」にもなれない人の世界もある

それが「普通」とそうでない人とのハザマ

消費者」としての価値や他の事で社会に貢献という奇麗事言っても始まらない

他の才能に特化していれば不利なのも覆せる人もいるけど

普通」未満の「知的能力しかない人はどこかに雇われなければ生きていきにくい

一人で稼いでてもより大きな組織化された資本が表れれば負けやす

普通」でも磨り減って「歯車」としての価値が無くなれば見向きもされなくなる

この手の人達は「ポジティブ教」「自己啓発」「情報商材」でご飯食べている人のいいカモになりやす

ネット言論有名人になりたい」「まとめサイトつくってアフィでご飯食べて生きたい」「ソーシャルなつながりをビジネスに生かしたい」

知的能力に欠ける人が持つそういう「願い」って危うい 

将来の「夢」や「希望」を持たずに生きるために経験値を溜める為にこつこつ働くしかない そして人材市場価値が無くなったら年金貰える前に飢え死に

それが「私」の未来予想図 「夢」希望」「ポジティブ」それは「普通」以上の知的能力を持っている人達けが持てる特権 

見た目どころか考える能力にすら大いに欠けている人達が 普段は「普通」の人達から見向きもされない透明な背景としての存在が行き場が無くてたむろっているのがSNS

普通」の人達はどこかに雇われて社会必要とされている人達は 「普通」でない人達の「絶望」が邪魔っけで「ネガティブ」すら見たくなくてネットからすら汚い醜い

モノすら消したりたくてたまらない そういう感情は「穢れ」だから 

でもそういう人たちには「SNSしか生き場所が無い 現実に戻っても「普通」の社会には参加できない「使い捨て」もしくは「使い捨てにもなれない」 

雇われて稼いだお金から生活費引いて貯蓄引いて「今日自由に使えるお金は数百円かあ 正月おせちお年玉の為にお昼は自宅から持っていく海苔おにぎり

弁当だけですまそう」と考えていると頭の良い人達が奇麗事いっているの見るととても嫌な気分になる

「やればできる」(その言葉の裏には本当はその人にそんな知的能力は無いことがわかっているのに「ネガティブ」を取り上げて「ポジティブ」を押し付けポジティブマッチョ

今ある手持ちの能力パラメータこつこつ経験値貯めて伸ばして食いつないでいくしかない できなきゃ寄る辺も無い人は飢え死にするだけ

力尽きて死んでいった人には冥福を 私も力尽きるまで一生懸命「生きる」そこには「夢」も「希望」も無いけれど 

2013-09-07

「この世界は生きるに値する」という言葉凶器

「この世界は生きるに値する、それを子どもに伝えるために僕は映画を作ってきたんです」

http://mogmog.hateblo.jp/entry/2013/09/07/020317

http://b.hatena.ne.jp/entry/mogmog.hateblo.jp/entry/2013/09/07/020317

はてバカは、生きるを単純な意味にとらえて

さらに穿った自虐をしあって星をシコシコしてたのが気持ち悪いので一言

この言葉の本当の意味は全く正反対だ。

「この世は生きるに値する」については、..、少しも褒めことばではなく、そんなことでは生きていけないぞと言っているんですが、本当に胸を打たれました。

僕が発信しているのではなく、僕はいっぱい受け取っているのだと思います

... 僕が考案したものではない。繰り返し言い伝えられてきたもので、ほんとかなと思いながら死んでいったのではないか、それを僕も受け継いでいるんだと思います

これは表現活動者達が必死に受け継いできたバトンリレーの話であり

バトンリレーが行われてきたこの世界価値があると信じる意味で、生きるに値すると表現している。

すなわち、ここで言われる「生きる」というのは、「必死バトンリレーである

人生賛美とかそういうものではない。必死に生きるこそ正しいという哲学の表明であり

自身がそれを実施することで、表現してきたという吐露である

穿った見方をすれば、必死じゃない人間達は、宮崎から見たら「生きて」いないのである

飛べない豚は、ただの豚になるこを許されていたが

飛ばない人は、生きていもいないのである

生きねば

2013-06-22

生きたいというよりは死ぬ理由がない

http://anond.hatelabo.jp/20130620120542

人間というか動物というか生物の生死スロットデフォルト値が「生きる」なので、

生きる意味を探すのではなく(デフォルト値だから意味を問うなら設計者に問え)、死ぬ理由を探すべきでしょう。

なお、生きる意味が我々から不明である以上、生きる意味価値がないか死ぬ、は理由として不十分です。

ぜひ死ぬに足る、人に誇れるような、墓に刻みたくなるような、そんな理由を見つけてください。

あなた人生に幸あれ!

2013-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20130206020853

ない。

ありそうで案外ない。

あったとして、楽に死ねるような危険材料規制されてることが多い。

何より、楽に死ねたかどうか言ってくれる人がいない。



この「楽に死ねない」が、本気で自殺考える人にとっての第一の壁ですね。

すると、異常に多い年間失踪者数との関連が見えてくると思うのです。


自分を殺めるのは怖いから、社会から自分を切り離し、

到底生きていけるとは思えないような環境「生きる」のですね。

2013-01-15

ほんとに「生きる」のってしんどいよね。

家族のため、とか、友人のため、とか、会社のため、とか、社会のため、とか、国のため、とか、人類のため、とか、地球のため、とか。

そういうもののために生きろって自分に言い聞かせても。

あるいは、死ぬんじゃない、残されたひとたちのことを考えろって言われたとしても。

結局そういうのって「自分じゃない何か」のためでしかなくて。

生きがい、ってなんだろう。

生きる意味ってなんだろう。

人生意味自分の外部にある人もいるんだと思う。だけどそれは自分にはピンとこない。「~のため」って思えば思うほど、苦しくなるだけだ。

だって自分は本当に~のためになっているのか?」「~のためにもっと頑張らなきゃいけないんじゃないか?」って考えてしまうから

精神力が強い人達は、「まずは自分のため」っていうのがしっかりある気がする。そしてその先に「誰かのため」。強ければ強いほど「誰かのため」に頑張っている姿が目立つけれど、そういう人たちを根本で支えているのはやっぱりしっかりとした自己愛なんだよな。

もっと自分大事にしたいと思った瞬間、それは甘えだっていう気持ちになってしま自分はいつまでたっても負け犬だ。

2012-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20121120232557

なんかあずまんにつぶやかれたしQ見て良かったわ。

https://twitter.com/hazuma/status/270937897249693696

https://twitter.com/hazuma/status/270943010051719169

それはさておき、庵野はひどい。

ヱヴァQは間違いなく凄い、主人公をどうしようもない加害者に叩き落としたという点でどうしようもなく凄い映画だと断言できる。

ひどいのであって、凄いのかどうかは判断が別れる所だと思う。

座談会でも言われていたけど、なんの理由があってシンジにこれだけのものを背負わさせるか…

共同戦線はっていたはずのミサトやアスカ勝手に成長して実年齢的に大人になってしまうし。(アスカ精神だけだけど、それがまたキツい。グロい。

90~00年代セカイ系覇者であるエヴァがこれだけまっすぐに残酷セカイ系いじめシンジ押し付けるというのは、ある意味では圧倒的に正解。

「君を失いたくない、そのためにセカイが滅びてもかまわない!」という無茶な行動に普通セカイ系作品ならハッピーエンドで答える。

破で新鮮だったのは「それをあのエヴァがやるなんて…」という意外性に尽きる。その意外性に大して庵野がどう答えるか?これはもうわからんね→といった所でこの裏切り。また旧エヴァかよ!この構造はたしかにシビれる。坂上がシビれるのもわかる。圧倒的な新規切り捨て、古参いじり。

さておき、ヱヴァQおよび庵野が凄いorひどいのはセカイを代償にレイを救わせようとしておいてセカイもだめになっちゃったレイも違うレイなっちゃったしと、ALL代償をシンジ押し付けたその点に尽きる。このひどい代償、並のアニメがやっていたら一笑に付されて終わりだろう。そんな壮大なおしつけ成立するはずないだろ!と。だがエヴァ場合これが成立する。なんといってもセカイ系覇者なのだから、これくらいの壮大さじゃないとむしろ釣り合わないくらいだ。

そう考えると、「庵野監督が旧エヴァ狂気に対抗するために理詰めで導き出した回答」という点はかなり納得が行く。庵野さんは狂気理論を同等に扱うことができる天才なのだろう。

からここで俺が気になるのは、あずまんがシビれるくらいの解答というのはどういうものなのか、に尽きる。他は正直どうでもいいのであしからず

キーワードとなるのは「狂気」や「世界(セカイではない)」だと思われる。あとおそらく「狂気」は必要条件であって十分条件ではない。

おおかみこどもの雨と雪」をあずまんが絶賛したのは「狂気」は関係ない。彼はあの作品に普遍的なものを見ていた。

普遍的なものとはつまり、親であるかそうでないかなどに関わらずすごいと感じられる作品だ。

おおかみこどもの雨と雪」は一見すると親である人間のほうが多くの感動を得られるが、そうではない。

では何が良かったのか。人間自然関係か。はたまたジブリ的な「生きる」ことの素晴らしさか。

俺はそれらのどれでもないように感じた。あくまであずまんツイートからだが。

おおかみこどもの何が良かったのか、ヱヴァQには何が足りなかったのか。言葉にするとそれは普遍性、または世界に通用する何かなのだろうけど、あずまんの口からそれはまだ具体的に語られていないように思う。ていうか正直よくわからないのでゲンロンカフェとかで語ってくれたら嬉しいです。

2012-08-27

何のために生まれて 何のために生きるのか

からないまま終わる そんなのはいやだ!

という歌があるが、

自閉症やその他の障害で、芸術やその他の才能がある人は奇跡の類である

自分のように社会的スキルもなく、それを補う才能もなく、

そもそも生きる意味存在しないものは、

ただ飯を食って糞をひりだすマシーンとして「生きる」しかないじゃないか

まり、そのうち食うメシもなくなる、お先真っ暗だということだ

そして自分には当然、好きなものに対する才能はない。だから死ぬしか無いじゃない!

2012-06-26

独り暮らし経験がない人間とは長く付き合えない

「自立」という言葉を使うと定義曖昧なので、「独り暮らし経験がない、もしくはしていない人間」とは基本的に長く付き合えない。男女関わらず。友人として遊んでいても、価値観の相違が非常に大きすぎてダメだ。

私はというと、18の頃に実家を飛び出して、海外放浪したり、好きな子を追いかけて関西移住したり関東に戻ってきたり(実家と仲悪い訳ではない、むしろすごく仲良い)、仕送りも受けたことがない。超貧乏パスタしか食えない生活もしたことがある。まあ、そんなこんなでずっと独り暮らしをして、30手前の今も独り暮らしで、犬一匹を飼っている。

遊んでいると、たまたま都心実家があってずっと実家暮らしなんです、的な人とは本当に話が合わない。もちろん全員が全員ではないが。ただ、ほぼ全員と言っていい。

自分一人で生活したことがない人とは、友達として仲良くなろうとも、異性であれば付き合ったり生涯の伴侶になってもらおうとは全く思えない。いや、付き合いはした。したんだが、やっぱり圧倒的に日々の生活への執着というか、自分の力で責任を持って生きるという人間力が感じられない。もしかするとそういうのを「女子力」って言うのかもしれない。

少し前に「実家パラサイト」なんて言葉流行ったが、やはり人間としての魅力は、「生きる」という行動を、あくまで独りでコントロールできているという部分に出るんじゃないだろうかと最近つくづくと思う次第である

本業勉強である学生さん仕送り受けてまで無理に独り暮らししろとは言わないが、自分収入がある会社員のような人間であれば、どんなに実家が今働いている会社のそばだろうと、自分で作った自分の根城を、自分の拠点を自分独りで構えるのは、人間としてもっと大事な事のように思う。

「何を今更」「当たり前過ぎる」私もそう思う。でもやっぱり都心にいると意外にいるんだ。「東京生まれの東京育ち」「東京まで京葉線で通ってるよ」「埼京線は私の路線」。私はあなた人間としての魅力を感じない。

2012-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20120611000359

リンク先見ると1本3万か・・。風俗もそうだけど、たった1日数万で自分の娘が裸になって、一商品になってしまうのって、親としてどんな気分だろうな。それこそ「生きるか死ぬか」だと思うんだよな。で、だいたいは「生きる」を選択しているとは思うが、そこに行き着くまで相当な葛藤と後悔があるだろうし、その心中察すると何とも言えなくなるな

2011-03-04

京大だがaicezuki不正入試事件についてちょっと書かせて欲しい

個人情報を明らかにしたくないという理由で自分ブログには書けないので、ここに書かせてもらう。

現役京大だが、今回の入試不正問題で感じたことを書く場がほしかった。

自分が思ったことを書きつづるだけなので、論理とか矛盾とかあまり気にせずに書く。

からもし読んでくれる人がいれば、あまり重く受け止めず読んでほしい

俺は、aicezuki逮捕は妥当だと考えている。

2度ほど誤報したマスコミ馬鹿だと思ってるが、逮捕は正統だと思っている。

でもそれは、自分京大入試経験したってのが大きいのかもしれない。

俺は現役と浪人、あわせて2回京大受験した

4大学の中では同志社受験したが、俺が書きたい話にはあまり関係ないので今回は触れない。

受験当時の俺は、とにかく京大に行きたい京大以外の大学には行きたくないと思ってた。

今になって振り返ると、そこまで京大にこだわる必要なんてないだろって自分でも思うけど、当時京大しか目に入ってなかった。

その理由は話すと長くなるから、要点だけ書くけど、

俺は高校生の頃、高校がすごく不自由な場所だと感じていて、とにかく息苦しいし生きにくいと日々思っていたので、

おそらく「自由の学風」で「放任主義」、おまけに「変人が多い」と噂の京大に入りさえすれば、自由が手に入ると信じきっていたんだと思う。

(これは今になって思うのであって、当時はまだそこまで自分を客観視できていなかったけども。)

現役で落ちたときは悔しい思いをしたし、受かってた滑り止めには行かず、浪人することに決めた。

浪人ときは、aicezukiもそうだったようだけど、センターで点がとれず、D判定だったときは、追い詰められた気持ちになった。

俺は模試でもD判定のことが多くて、二次試験で挽回できる見込みも低かったし、受かる自信はほとんどなかった。

それでも上述のように、京大へのこだわりは異常だった。

今思うと、高校の頃から少し精神病んでたんだろうな。

俺はそのとき京大に受からなかったら自殺する決意をした

滑り止めも受かってたけど、京大に行けないなら死ぬと決めた。

センター試験後に決めたというと語弊があるかもしれない。

心の中で、可能性としてずっと考えていたものを、確信に変えたという方が正しいだろう。

(余談だが、だから俺は、aicezuki自殺の方法を質問していた日時がセンター2日目終了後だと知って、ものすごく納得した共感した。)

二次試験までは、勉強の間、ノートの余白に「死にたい」と書きまくっていた。

二次試験が終わった後、合格発表までは、後期試験勉強の傍ら、遺書の下書きや自殺方法を真剣に考えていた。

そして迎えた合格発表の日。俺は受かっていた。

その瞬間のことは今でも鮮明に思い出せる。

自分の番号を見た瞬間、涙がグワッと溢れてきた。

そして、「あ、俺、生きてていいんだ」と思うと、涙が止まらなかった。

俺は信仰心とか全然ないんだけど、そのときだけは神様から「死ぬな、生きろ」って言われたような気がした

それまで死ぬこしか考えてなかったのに、いきなり「生きる」という道が目の前にバーッと、それこそ白い強烈な光みたいに開けてきた。

なんだかこれ書いてる今も涙出てきた。あのときほど強く「生きよう」と思ったことはない。

後に成績開示したら、合格最低点より数点だけ上だった。

今だからこんな風に言えるけど、俺は京大入試に文字通り命をかけていた。

から、俺はaicezukiが許せないんだと思う。

俺の例は極端かもしれないけど、京大に限らずどこの大学でも、入試を受ける一人ひとりに、いろんな思いがあると思う。

そしてその思いは、極論かもしれないけども、実際に入試を体験しないとわからない部分もあるはずだ。

「追い詰められていた」っていうのは、カンニングの理由にはならない。

追い詰められてる人間なんていくらでもいるし、俺やaicezuki以上に追い詰められていた受験生もたくさんいるはず。

京大入試の特異な点は、試験を受けるほぼ全員が第一志望だという点だと思う。

学生受験生の人には申し訳ないし、今から書くことに悪意は全くないんだが

早稲田同志社ですら、東大京大などの国立大志望者からすれば、滑り止めとしか見ていない場合も多い。

けれども京大は違う。ひやかしでもない限り、全員が並々ならぬ決意と共に受けに来る。

京大じゃなかったらマスコミがここまで騒いでない」「京大は大騒ぎしすぎ」という意見もよく見るけども、この点を考えれば、京大から大騒ぎになっているのは当然のことだと思う。

俺は、入試人生に大きく影響し、人生を変えるものだと思っている。

けれどもそれは、「良い大学に入れば良い就職ができる云々」という意味はない。

大学なんてものは、「どこに入るか」よりも、「入ってから何をするか」の方が重要だと思う。

特に、京大なんかだと、「京大に入ること」が目的になってしまい、

いざ入った後に何をしていいかからなくなり、無気力になってしまったり、受験から解放感が強すぎて、授業にも行かず毎日家でダラダラと過ごしてしまったり、という状況に入学早々陥る人も珍しくない。

就職活動でも、聞かれるのは「大学『で』何をしたか」ということだ。入るまでの努力の日々なんか聞かれやしない。

じゃあ俺が「入試人生に大きく影響する」と思うのはなぜかといえば、

それは、「勉強の末、第一志望に合格した達成感」や「頑張ったのに第一志望には入学できなかった挫折感」を感じるという経験は、非常に大きなものだし、人間生き方や考え方にも影響を与えるものだと思うから

挫折感を味わった人は、その後奮起して、負けず嫌いな努力家になるかもしれない。また反対に、虚無的になり、努力を放棄する道を選ぶかもしれない。

入試での体験をどう受け止めるにせよ、その体験があることで、その人の人生は間違いなく深みを増すはずだ。

しかし、達成感も挫折感も、カンニングをし、他力に頼って入試を切り抜けた者には味わえないだろう。

もちろん合否という結果は出るのだから、ある程度の達成感や挫折感は得られるはずだ。

しかし、完全なる達成感、完全なる挫折感は、自力で入試にぶつかっていった者にしか感じることはできないと思う。

繰り返しになるが、俺は一個人としてはaicezuki逮捕は妥当だと思ってる。感情論だと自分でもわかってはいるが。

aicezukiは「偽計業務妨害」の容疑で逮捕された。

このことについて、「カンニング偽計業務妨害にするのはおかしい」という意見の人も多い。

実際に2chTwitterでも、そのような議論が数多く見られる。

でも俺が気になることが、ひとつある。

それは、そのような議論をしてる人たちの中には、罪状について「業務妨害」「業務妨害」と、「偽計」の部分を略している人が非常に多いということだ。

俺は、このことに強い違和感を感じている。

カンニングされたのは大学監視体制が悪かったからだ、だから自業自得であり、業務妨害にはならない」という意見の人も多いのだけれども、

みんな「偽計」の部分の重大さを忘れているように感じる。

今回の件で真に重大なのは、「業務妨害」の部分よりも、「偽計」したという事実だと思うのだが

「偽計」の省略され具合から見ても、みんなその点を忘れてるんじゃないだろうか。

俺は法学部じゃないから、法律について正しいことは言えない。

でも、カンニングは罪に問われてもおかしくない行為だと信じているし、

もしカンニングを罪に問える適切な法律が現時点存在しないのならば、早急に作るべきだと考えている。

最後に、これは一人の京大生の一意見であって、京大関係者全員がこう考えているわけではないことは留意してほしい

匿名なのに最後まで読んでくれた人、もしいるのならばありがとう。感謝します。

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