はてなキーワード: 使用とは
なんでもわかってるんだから、社長になればいいのに。アスペでもやってけるんだなって最初の社長でわかるじゃん。
ニッチな福祉用品で一つ広い特許とってずっとそれの改良版だけ作って売る会社でなんとかなりそうだけど。
当然ながら、改良版も他社にまねされるよりいち早く1年以内で次のを開発して庁に出す感じで。
女だから痴漢にあうとか、そういう話なんだが周りと比べて回数が異様に多い。
家を出る頻度が他人と比べて多いわけでもない。電車通勤を週五日、使用路線もまあそこそこ多くの人がそこそこ使う路線。一度痴漢にあったら車両は変えている。時間も始業時間よりだいぶ早く着くようにズラし続けてる。
スーツではない。制服支給なので職場まではリュック背負ってるし後ろ姿だけなら大学生に見えるかもしれない。
でも高校生のときから痴漢にあうし、大学生の頃もあったし、今もあう。
周りも痴漢にあったことない女はほぼいないが、自分ほどの頻度はない。手が当たっただけでは?とか言うが、正直今のご時世、冤罪と言われないように男性の多くは自衛している。鞄が当たってるだけで痴漢とは言わない。尻を揉みしだかれる、精液がかけられている、ストッキングを破かれるは多分痴漢だと思う。
普通にスカート切られたことあるが、ハサミが当たったので恐怖で動けなくなった。犯人を指摘とか言えなくて直後の駅で降りて、何車両目で切られたので気をつけようありますか?て聞くだけで終わった。優しくて毛布貸してもらった。ちょっと泣いた。
という感じでそこそこのペースで痴漢にあってる。
仕事の関係で金髪とかにはできない。強い女ファッションも考えたが仕事に行くから大体無理だった。ピンヒールは足を捻った。
ハイブランドも考えたがそれに精液かけられたら普通にお金に困るのでルイピトンみたいなパチモン持ったことはある。精液はなかったがバレたらしく痴漢された。
幸い職場はいいところなのでセクハラとかはないが、イベントで席隣の人が延々と喚く人でスタッフを呼ぶだとか、映画館でも痴漢されるとか、なんか単純に運が悪い。
最近某同人誌即売会で隣の男性が大喧嘩始めて自分のスペースに人が寄り付かなくなったことまである。運が悪い。
席順なんてよっぽど運なのに五回に一回くらいはなんかやばい人に当たるし、ナンパもめちゃくちゃされる。ナンパが駅で人待ってるときだけならまだしも、美術館とか公園とかスーパーとかでもされる。スーパーで疲れた顔してる女に声かけないでくれ。最寄りのスーパーだったのでつけられないかちょっと怖かった記憶がある。
全体的に、幸が薄そうな顔でもしてるのだろうか。カモにいいと思われるのだろうか。疲れ切ってるのが悪いのだろうか。
どうすればいいのだろうか。
正解がわからない
端子の上下を区別せずに使用できるケーブルは多くの人にとって大事な要素だと思う
一方で同じ外観でいくつも機能を盛り込んだ結果、一般消費者には訳がわからないものになってしまったよね
理想は何だったんだろうか
いわゆるOA分野とか、コンピューターを主に使用する作業の、自動化が流行っている。
製品で言えば、RPAとか、ノーコード、あるいはSaaSやパッケージソフトとか。
OfficeについてるVBAを使うとか、Pythonでスクレイピングとか、そういうのも併せて。
いわゆるマクロ的な何かで、タスクを自動化する、という考え方だ。これは昔からあったとも言えるし、製品や方法論がここ数年、急激に増えて、環境が激変したとも言える。
さて、個人が、その責任の範囲で、自己のタスクを自動化するのは、組織が禁止しているやり方でなければ、それについてとやかく言うつもりはない。
問題は、組織内部での自動化の推進や、それを補助するコンサル、あるいはソフトウェアのメーカーやベンダーだ。
すべてが駄目というわけではない。
「自動化で単純な作業から解放されて、クリエイティブな作業をすれば良い」
言い換えよう。今挙げたようなことを言う(書く)メーカーやベンダー、あるいはコンサルから個人まで。それらは皆、地雷だ。関わってはいけない人だ。
====
何故か。それは彼らが現実を見ていないからだ。そして、その現実を見ていないことが、軋轢を生むからだ。もしかしたら現実を見た上で、しらばっくれてる人も居るかもしれないが、タチの悪さは変わらない。
困ったことに、彼らの言う「単純作業から解放されてクリエイティブな仕事を」は、一見、理想的な環境に見えるのだ。
いや、実際、理想的ではあるのだ。現実的でないという問題さえ目をつむれば。
「世の中には2種類の人間がいる」という、使い古されたレトリックを、労働分野に応用してみよう。
すなわち、言われたことを淡々とやり続けることを好む人と、抽象的な指示や課題に対して、具体的な対応を行うことを好む人だ。
もう少し具体的に書けば、「言われた作業を淡々とやる人」と「創意工夫して結果を出そうとする人」になる。
さて、前者の、言われた作業を淡々とする人にとって。自動化は、己の存在意義と競合する。つまり、自動化されてしまったら、仕事がなくなる。
意識の高い社員や、コンサル、ソフトウェアのメーカーやベンダーの言うような「クリエイティブな仕事」なんて興味がない。
そういう人を「意識が低い」「生産性が低い」と卑下するのは簡単だ。だが、それは何も事態の解決にはつながらない。
単純作業の自動化がなされた時、その人たちに襲いかかるのは、「クリエイティブな仕事」という、安定した手順も方法論もなく、それでいて成否は存在する、という苦痛のような仕事への移行なのだ。
そして少なからぬケースで、単純作業を淡々と行うことこそ仕事、と捉え、そう働いてきた人は、クリエイティブな仕事とやらでは成果が出せない。ただ苦しむだけになる。
おそらく組織としての生産性は上がるだろう。それをもって成果とするなら、それはそれで矛盾はない。
ただし「働き方改革」のような題目を掲げて、自動化を進めていたのであれば。それは善人面をして、人を地獄に蹴り落とす所業だ。本稿のタイトルで「信じるな」と書いたのは、まさにここにある。
この話には、日本の雇用に関する、法律、行政の態度や、判例なども影響してくる。
前述したような、単純作業を奪われ、苦痛に満ちた苦手な仕事にたたき落とされた人は、どうなるか。
第一に、会社を去るという選択肢はある。だが、このご時世だ。今と同等の条件すら見つかるかどうかは怪しい。
それを自業自得と嘲笑するのは簡単だ。改善を肯定し、生産性の向上を是とし、発展を求める価値観からすれば、矛盾はないのだ。それが倫理的に正しいことなのかは、私にはわからないが。
第二に、苦しみながら会社にしがみつくという選択肢もある。正規雇用の場合、これが簡単に成立してしまう。「クリエイティブな仕事」をさせた成果がボロクソに悪くても、本人の意図的な手抜きなどがない限り、会社は簡単には社員を解雇できない。
はて、本人も苦しんでいることが多い、機能不全の社員を雇用し続けることが、生産性の向上や、働き方改革、ワークライフバランスなどにつながるのか、私は甚だ疑問だ。
つまり、業務の自動化、省力化を目的にするのは、それ自体が破綻を招きやすいのだ。それで浮いた人的コストを、どのようにするか。適材適所で別の仕事をあてがえるのか、あるいは解雇して雇用コストを削減するのか。
どうあれ、簡単なことではない。配置転換の教育コストを見積もるのは簡単ではないし、非正規だからと大量に解雇すれば、それだけで負の風評が生まれたりもするのだから。
人は、自分と異質な人に対して、理解が及ばないことがある。これ自体は仕方が無いことと言える。誰しもがわかり合う、なんてのは現実的ではないからこそ、フィクションで度々取り上げられる題材なのだ。
しかしながら、業務の自動化を改善と捉え、自身が単純作業を嫌う人の中には、少なからぬ割合で、単純作業を延々と行い、その労働時間を以て成果となす考え方の人を、理解していない、あるいは想定していないケースが多い。
その不理解や想定不足は何を生むのか。自動化の導入失敗や、同僚からの強い反発だ。決してプラスの結果ではない。その現実から目を背けてはいけない。
だからね。
「単純作業から人を解放したい」とか「空いた時間でクリエイティブな仕事ができるようになる」なんて、手放しで言っていたら。
その人たちを、信じちゃあいけないよ。
蛇足。
筆者は、別に、「単純作業を淡々とやることで鬻ぎたい人」を肯定するつもりはない。
少なくともデスクワーク、パソコンでの仕事等であれば、そういった人は滅びるべくして滅びるだろうと考えている。
だが、彼らに引導を渡すのは、個人や、少人数程度による「カイゼン」的な何かではない。個人や少人数による「カイゼン」が引き起こすのは、せいぜいが内部分裂や、一部の人に苦痛を与えるだけなのは、前述した通りで。
引導を渡す、という次元の話で言うと、おそらくは、そういった非効率的な人員を抱え込んだ組織の崩壊(企業で言えば倒産など)のような、圧倒的かつ、個人で抗うことに意味がない流れになると考えている。
もちろんその場合、多くの社員が路頭に迷うだろう。クリエイティブな仕事がどうとか言っていられる状況ではなくなるのは明白だ。
そういう未来が見えているからこそ、ミクロな視点でしかモノを見ずに、「自動化で業務を改善して~」「クリエイティブな仕事を~」というおためごかしを唱える人には、関わってはいけないと考えているのだ。
効果音(こうかおん)とは、映画・演劇・テレビドラマ・ラジオドラマ・アニメ・ゲーム等において、演出の一環として付け加えられる音。舞台環境、状態を説明するための具体的な環境音(戦場の銃撃音、格闘の打撃、刀で斬る音、街頭の雑踏、駅の発車アナウンス、犬の鳴き声、海辺の潮騒等)や、登場人物の心象を象徴させるための音などがある。また、ノックの音を切っ掛けに、室内にいる役者が人を招き入れる芝居を始めるなどのように芝居の切っ掛けとしての使用法もある。音響効果(おんきょうこうか)、サウンドエフェクト (sound effect)、略してSEともいう。音楽コンサートにおいては開演前に客席に流す音楽や歌曲もSEと呼ぶ。
昨日アマプラ会員向けに配信レンタルが安くなるセールがやっていてその中に『花束みたいな恋をした』が入っていた。
普段ならこの映画の宣伝の仕方とか、ぱっと見の内容を想像するに見ないようなジャンルの映画だなと思っていたんだけど、
以前この映画の感想がはてぶでもホッテントリしてたりして、みたいなと思っていたのでこれ幸いと思い視聴した。
で、まあ、すごく面白かった。終始どこか痛々しさを感じっぱなしで、共感性羞恥?というやつをくすぐられ続けた。
ああ、自分もこうだったなと。主人公の二人の麦くんと絹ちゃんが、所在のなさを、自己の存在の価値をなんとか感じるために、
サブカルチャー(この表現が正しいのかはわからないけれど)で壁を築き、自分を感受性の高い特別な人間でありたいとするが、
同しようもない薄っぺらさが漂う。それは例えば、天竺鼠のライブを好きなはずなのに当日に放り出したり、二人とも作家の固有名詞を羅列する
だけで、内容に関する話がなく、そうではなくてまるでその作家や作品の固有名詞をいかに多く知っているかの知識に価値があるかのような二人の
やり取りの悲しさ。そうすることでなんとか自分たちを特別な人間であろうとし、周囲の人間をある種見下す特権意識の現れ。
じゃんけんに関するエピソードで、グーよりパーのほうが強いのは納得いかないと言った一度は誰でも思うような事をなにか特別なことのようにことさら感じたり、
「電車に揺られる」といったありふれた陳腐な表現なのに、そうした表現を使用することで自分たちは違うんだ、特別なんだと思いたい若さゆえの痛々しさ。
また、終電を逃し居酒屋で二人でいるとき、途中から入ってきた麦くんの同級生に対する絹ちゃんのと拍子のない態度や、麦くんのなんとなくのいけてなさ、
そこはかとなく、周囲から浮いている、居場所のなさを暗示しているように感じる。
麦くんが就職し、働き始め、忙しさから次第に、かつて好きだったものへの興味を失い、頭に入ってこなくなる。パズドラしかできなくなる。
ああ、そうだよなっとついつい共感してしまう。生きていくことだけに目を奪われ、自分の現状への焦りや、未来への焦燥感や不安が募り、かつて大好きだった作品が頭に入ってこなくなる。
いやそもそもそこまで好きではなかったのかもしれない。麦くんの書いていたイラストは所詮イラスト屋で代替可能なレベルのものなのだ。
一方で昔のまま変わらないであろうとする絹ちゃんに麦くんは苛立ちをつのらせすれ違っていく。
麦くんが麦くんなりに「大人」になったように、絹ちゃんは絹ちゃんなりに「大人」になって行くのであって、これはどちらが現実的だとかそういう話ではない。
そうして二人はすれ違っていくわけだが、最後に二人でカフェで別れ話をするシーンには、かつての自分たちを彷彿とさせる若いカップルを見て
涙を流す。ああ、自分たちは特別ではなくどこにでもいる代替可能なbotでしかないんだなと二人はそこでひしひしと感じる。
麦くんの言うように、彼らにも子供を作ってワンボックスカー乗って、ディズニーランドへ行くそういったよくある様な家庭を築けたかも知れない。
しかし絹ちゃんは言う、いや、そうじゃないんだと。そういうのじゃないでしょと。
全編を通して自分自身の若い頃の痛々しさ、未熟さ、滑稽さ、いやらしさを感じさせられ、本当にグサグサきた。
でも、麦くんは絹ちゃんがいただけ良かったなと。自分には何にもなくって、自我を必死に保つための選民意識で壁を作り、
もうどうしようもないぐらい取り返しのつかないとこまで来てしまい、本当に薄っぺらい代替可能なbotでしかないんだなと。
https://anond.hatelabo.jp/20220505163243
確かに、自分ももうどうしたらいいんだろう。仕事に興味もないし、パートナーも家族もいない。
好きだった、小説、映画、マンガも頭になかなか入ってくなくなって、スマホゲームすらすぐに飽きて、twitterやはてぶの記事を眺めるくらい。
本当になんにもないんだよ。
テレビのソースはないけど新聞の例やテレビゲーム悪影響論の波は下記の論文にわりといい感じにまとまってたよ。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasag/13/1/13_56/_article/-char/ja/
「テレビゲームと暴力」問題の過去,現在,未来―社会心理学における研究の動向―
坂元 章
フリーでPDFを見れるから見るとよいよ。この著者の坂元章さんはいまお茶の水大学の教授になってるんだ。
あとは下記の東北大学の(たぶん卒業論文かなにかだと思う)PDFもデータ量が多くてちょっと面白かったよ。
http://www.law.tohoku.ac.jp/~inuzuka/lec/kumada.pdf
新聞や雑誌などのメディアの中では、テレビゲームが社会的適応性に対して悪影響を及ぼすことが定説であるかのように扱われてきている。木村が挙げた例によると、1993 年 2月 14 日号の週刊読売では、「テレビゲームはこんなに怖い!! あなたの子供は大丈夫か」との特集が組まれ、人づきあいが苦手になる、といった主張を軸に、様々な身体的・心理的悪影響を受けるとの記事が掲載された。同年 1 月 30 日号の週刊現代でも「子どもの心と体を蝕む『テレビゲーム症候群』」と題した記事の中で、テレビゲームの使用が他人とコミュニケーションをとるときに悪影響を及ぼす、といった旨の医師によるコメントが掲載された。また、新聞では、いじめから不登校になった中学生の自殺事件を報じる記事に、「テレビゲームでの遊びによって、対人関係能力が低下している。自分を保護してくれる人以外の人間とはつきあえなくなるなど、傷つきやすい人間になってしまう。」というコメントが寄せられることもあった(木村, 2003)。
12兆円の中には持続化給付金や雇用調整助成金、18歳未満への給付金で数兆円規模の予算執行があるようです。
普通に考えれば「インフレ対策」「原油高対策」に関して、使途を限定できないから予備費として計上してるって話なのは見ればわかるじゃん。
むしろこの人たちは、「インフレ対策の予算は今年は〇兆円までしかやらないよ」って限定されたら満足なんだろうか?
なによりも「今更!?」って感じだ。2020年の時からやってるんだけどね。今までしらんかったことを恥じるでもなく、知ったとたんに騒ぎ始めるとか。
https://nordot.app/851028029151608832?c=39546741839462401
コロナ感染が広がった2020~21年度に、政府が複数年にわたって事業の資金を支出できる基金に総額12兆8206億円の予算を投じた
そうはいっても、「国会の議決を経ずに政府の判断で使用できる」状態なのはやばいよな。
わけもわからず怒るんじゃなくて、
「だいたいこういう思惑だと思う。それぞれに対していくらくらい必要だと思う。本当にそれだけ必要なのか国会で議論しろ」
って方向でただしく批判してほしい。
https://twitter.com/nikkei/status/1517435566190731264
国会に使い道が報告された12兆円余りのコロナ予備費。日経が分析したところ、最終的な用途を正確に特定できたのは6.5%どまり。国会審議を経ず、巨費をずさんに扱う実態が見えてきました。
当初は5兆円の予算だった
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022042601011&g=eco
政府が26日決定した物価高騰対策には、国会の議決を経ずに政府の判断で使用できる予備費から1.5兆円支出することが盛り込まれた。使用した分は2022年度補正予算案で補充し、新型コロナウイルス対策の予備費は原油高対策などにも使用できるよう「衣替え」する。22年度当初予算では、コロナ予備費を5兆円、自然災害など不測の事態に備えた一般予備費を5000億円それぞれ計上。今回の支出後も両予備費は当初の水準を確保する。岸田文雄首相は26日の記者会見で、予備費の補充について「さらなる状況悪化など、いかなる事態が生じても迅速に対応できる」と強調。内閣府幹部は使途拡大に関し「コロナと物価高騰の両方の影響を受けており、機動的に対応する」と説明する
https://www.mof.go.jp/policy/budget/budger_workflow/budget/fy2022/seifuan2022/01.pdf
NHKでこういうページもある。
無知に訴える論証 (Argument from ignorance)
否定派「大麻を法律で解禁したとして日本の治安が今の状態を保てるとは到底思えない、だから大麻解禁はありえない」
論点先取 (Begging the question)
否定派「大麻が悪なのは、使用者自身が証明している、鏡を見てみろ」
循環論法 (Circular reasoning)
否定派「大麻は悪だ、なぜなら大麻は日本において違法だからだ」
誤った二分法 (False dilemma)
否定派「大麻解禁による未来は既存のジャンキー達が堂々と外で吸い出して治安が悪化するか、ゲートウェイドラッグとしてさらに入り口を広げて薬物犯罪を増やすだけだ」
・そんな二択あってたまるか
単一原因の誤謬 (Fallacy of the single cause)
否定派「殺人を犯したこの男は、過去に大麻を所持していた容疑で逮捕されています、故に大麻は殺人を引き起こします」
・いわずもがな
否定派「大麻等のドラッグで人生を狂わせる、狂わされることは反道徳的だ、故に大麻は全面的に禁止すべきだ」
自然主義的誤謬 (Naturalistic fallacy)
肯定派「大麻はもともと地球に自生している生物だ、野菜、肉を食べるのと同じだ、何も悪くない」
動くゴールポスト (Moving the goalposts)
→否定派「その実験にしようした大麻の品種だけでは?アメリカの研究でしょ、日本人においてもそうだと言える証拠は?サンプル数が少ない、もっと多くのサンプルで実験すれば
科学の不完全性に訴える誤謬 (Science was wrong before)
→否定派「でも結果が覆って危険性が実は高かった可能性もあるよね?だって何百年も天動説が信じられてたけど科学の発展によって覆ったじゃん」
本物のスコットランド人なら (No true Scotsman)
否定派「でも純粋に大麻を解禁したいと願っているだけなら、そんな喧嘩腰で言ってこないよね普通。やっぱ大麻吸いすぎて攻撃的になっちゃってるんじゃない?」
否定派「君大麻解禁派なの?最終学歴どこ?え?高卒?wほらな、大麻解禁派の連中は揃いも揃って低学歴なんだよな、だから誰も相手しねえよ」
井戸に毒を入れる誤謬 (Poisoning the well)
肯定派「スティーブ・ジョブスは素晴らしい人間だ、そしてスティーブ・ジョブスは大麻を吸っていた、俺も吸っている、故に俺も素晴らしい人間だ」
同情論証 (Appeal to pity)
否定派「運転手が大麻を摂取した状態に起きた交通事故で家族を失った遺族のことを何も思わないのか」
肯定派「あのセレブもあのセレブも大麻を吸っている、大麻が悪いモノなわけない」
「大麻吸ってるジャンキー共に品がいいと思うか?あいつらはいつも汚い格好をして所得の大部分をドラッグにつぎ込んでいて貧乏だ、大麻が良いモノなわけない」
年代に訴える論証 (Chronological snobbery)
肯定派「え?未だに大麻は違法とか言ってんの?価値観古すぎでしょおっさん」
「大麻肯定派の大多数が違法なのに毎日ブリってる犯罪者集団だ、そんな連中と議論する意味も価値もないね」
※末尾に追記2(5/7 19:26)、追記3(5/8 01:45)を付与。
※園子音氏に関する一部表現を修正。週刊誌報道を認めての謝罪ではないと判断したため。こちらで係争中と見られる件の善悪についての判断をするのは不適切と判断し、関連する記述は削除した。(5/8)
何故、フェミニストの中では「たわわ」がNGで、園子温は"無罪"(論じる必要がない対象)なのか?何故、オタクがバッシング対象で、ホストは共感の対象なのか?フェミニストの性質の中にその答えが眠っている。
「フェミニストの活動家達には、何故こんなに一貫性が無いのか???」
こんな事を一度でも思った事のある方は、少なく無いのでは無いか。
何故、フェミニストは、実際の被害者が居ない「たわわ」にお熱になるのに、被害者と称する女性からの訴えが週刊誌に載った園子温にはさほど関心を示さないのだろうか。
何故、フェミニストは、「海、似合って無いね」動画における反応のようにインドア派の男性(というかオタク)への蔑視を隠しもしない一方で、実際に女性を搾取するホストに対しては、さほど怒りの声を上げず丁重に扱ってしまうのだろうか。
何故、成人指定でも無いお色気漫画のゾーニングを強く求める一方で、BLに対するゾーニングに抵抗し自由を求めてしまうフェミニストが出て来てしまうのだろうか。
フェミニスト諸兄は、胸に手を当てながら読んで頂き、自分に当てはまる点について、「アップデート」する事は出来ないか、じっくりと考えてみてほしい。
フェミニストは、「〜だから、ダメ」というタイプの論理を多用する。
フェミニストが火をつける炎上は、基本、この論理のタイプで起きる。
一方、フェミニストは「〜だから、良い」というタイプの論理を使用する事については慎重だ。
この論理を使用する場合、フェミニストでなくても言える以上の結論となる事は、あまりない。「性的表象」のような妙なフェミニスト用語を使うケースは滅多に見ない。誰もが「そりゃそうだ」と思えるレベルの、ある意味無意味な内容の時に、好んでこの論理を使う事になる。
これはどういう事を意味するのか。
フェミニズムは「何が良いのか」「何がダメなのか」という事の境界線をきっちり引くことに、正面から向き合っていない、ということだ。
そして、境界線がないが故に、個々の事象に対する良し悪しの判断が、個々のフェミニストに内在する、明確な境界線のない嫌悪の反応(つまりは「お気持ち」)に委ねられてしまう事になる。
「一人一派」と言う表現は、その現状を言い換えているだけに過ぎない。
次の論戦を見てみよう。
https://togetter.com/li/1873195
この議論で最も重要な指摘はCDB氏による以下のコメントである。
小宮先生は『まずUN WOMENの主張を理解せよ』と仰いました。なので、『UNWは広告表象を問題にしており、表現を修正すれば掲載可能である』と主張していると解釈されるのか、それともUNWは作品そのものが広告掲載に不適切であると主張している』と解釈されたのか、小宮先生の解釈を伺っています。
「たわわ」の広告表象が問題であるのか、作品が問題であるのか、という質問である。小宮氏はこれに直接回答する事を避けている。
小宮氏を少し擁護すると、これは小宮氏でなくとも回答が困難な問いであろう。何故なら、UN WOMAN側がどちらの解釈が適切なのかを提示していないからだ。そもそもフェミニズムが、この場合にどう判断するかという線引きに十分に向き合ってこなかったのだから、小宮氏にはどちらとも言えないのである。
UN WOMANのコメントがなければ解釈が出来ない、という構造は興味深い。つまり、結論が先にあって、その理論付けは後から行う、と言う実態を示唆しているからである。
多くのフェミニストの主張では、個々の事象に対して、それを許すか許さないか、についての個人の無意識的なバイアスに基づく判断が先にある。そこから理屈が逆算される形で構築されるのである。
最近、「当事者性がある人が批判するべき」「当事者性がなくても批判できるべき」と、シチュエーションによって主張が安定しない論者が話題になった。
理由は簡単で、その場その場で結論から後付けで理屈を構築しているからである。
シチュエーションによって、議論の構造と前提が異なるため、その場で自分に都合の良い形(言い換えると「お気持ち」)で論理を組む事になる。結果として、ダブルスタンダードな主張が散見される事になる。
良し悪しに関する客観的な物差しの不在はまた、男性に向ける物差しを自分に適用しないように巧妙にサボる事も可能にする。
「海、似合ってないね」という例の動画を見れば、これがジェンダー的にかなり多くの要求を男性に課している事は間違いない(性別を逆にして、スタイルの悪い女性に「海、似合ってないね」と言ったら大炎上するのは、火を見るよりも明らか)。しかし、何人かのフェミニストはこの動画を絶賛した。
それは、彼女らが自身の中にジェンダーについての規範をインストールしてこなかった事を強く示唆している。言い換えると、相手に求める厳しさを自分に適用していない、という事である。
「たわわ」や「宇崎ちゃん」に怒りながら、BLの不健全図書扱いに怒るフェミニストもまた、非常にわかりやすい例である。男女間で別の基準を適用することの狡さを、本人の中で言い訳をしながら共存させてしまっているのである。
フェミニストは、ダブルスタンダードと言われても意に解さない。
自分が悪者になりうるような基準を、そもそも自分の中に持たない(もしくは言い訳、という形でパッチを当てる)事で、「自分がおかしいのではないか」と懐疑心を持たなくても済む、という構造があるからである。
なので、フェミニストが自分が責められた時によく使うロジックは、「それには当たらない(だから自分は悪くない)」である。常に自分は(何やかやと言い訳をして)安全地帯にいることになっているのだ。
私見だが、
この文章を読んだフェミニストは恐らく「これは、きちんと書けていない。だから自分の話では無い」と矮小化するか、「この論理は破綻している。だから認める必要はない」と全てを排除するか、の大きく2つの類型に向かうのではないか、と予想している。
フェミニストの一部に非常に性格の悪い人間が居る。多分本人は気づいていないだろうが、周囲からは丸わかりである。これはフェミニズムが他責型の人間にとって居心地が良い構造にあることと無縁ではないだろう。
フェミニストは行動を起こした結果がどうなろうと、その事にはあまり関心を持たないし、結果に責任を取ろうともしない。ましてや「これはやり過ぎたのでは?」と思う事もない。
大量の人間を集めて、一人の人間を徹底的に糾弾するほど、社会的に強いメッセージを発している。にも関わらず、問題が起きても、誰も責任者が出てこない。これはあまりに情けない話で、呆れている。何故フェミニストはこんなにも無責任な人間の集まりなのだろうか?
オープンレターでもう一つ興味深いのは、「教授」などの肩書きをとても重要視している事だ。単なる署名であれば肩書きは不要であるはず。肩書きをつける事で権威を付けて相手を攻撃しようと言う意図を読み取る事ができる。
たわわの件でも「UN WOMAN」が日経新聞に抗議するというアクションが取られている。
演繹的な議論を嫌う性質と、結論ありきの権威主義は相性が良いといえば言い過ぎだろうか?
この文を読んで、「アカデミックなバックグラウンドを持つ人物かどうか確認出来ないからダメ」と考えるならば、それはつまり権威主義の病が膏肓に入っていると言えるだろう。
フェミニストは自分を省みないので、まともにこれを読まない人間がきっと多数だろうが、フェミニストでなければ首肯する点が多いのではないか。
また、上記の逆になるように行動するようなフェミニストは健全であるとも言える。皮肉ではなく、そのようなフェミニストであれば全力で応援したい。
他者にばかりアップデートを求めるフェミニストに自らのアップデートが出来るとは到底思えないが、実現すれば結果としてもっとジェンダー的にフェアな状況が生まれるように思える。
若い世代でフェミニズム離れが進むのは、こういうフェミニスト・フェミニズムの(卑怯な)特性に嫌気が差している部分も大きいと考えるからだ。
面白いなー。園子温への対応の話以外にも一貫性の無さを取り上げているのだけど、園子温の件を否定できれば俺無罪!!という感じのブコメが多くて興味深い。通底するテーマは批判するかしないかに関する基準の無さ、一貫性のなさだよ。園子温に対する考え方をちょろっと批判した、という程度では揺らがない部分。
BL無罪の人なんて、フェミニストの矛盾を体現するようなアクションだったけど、そこには全く目を向けない。まー、フェミニストは、自分に問題があるかもしれない、という論理は受け入れ無いということが良くわかる。
lacucaracha:
有罪だから語るべきものがない、って不思議な論理だね。UN WOMANが、園子温(や榊秀雄)のような現在進行形の問題よりも先に、たわわのように複雑な議論が必要な事象を糾弾したのは何故?
cinefuk:
「女性差別的な文化を脱するために」と、特定の人間を貶めるためにフェミニストが結集し、オープンレターを叩きつけ、失職に追い込んだのと比べると、今回は弱々しいですね。名指しでないオープンレターぐらいはあってもよかった。
(女性原作者のオープンレターをフェミニストの手柄にするような下衆しぐさはしませんよね?)
「たわわ」との違いは、園を免罪しようとする擁護が出なかったからでは。炎上案件は、フェミの批判より反フェミが盛り上げてる印象
たわわには反論すべき論理もあるけど、それ故に炎上の責任を負わされる、という構造があるのであれば、それは容認していいの?
ウクライナが抵抗したから戦争が激しくなった、みたいな論理ですよ、それ。
todomadrid:
園子温を支持しているフェミニストなんて存在するの?そしてそもそも、広告のバッシングは広告主や媒体、もしくは痴漢をバッシングしているのであって、オタクをバッシングしてるわけじゃないので勘違いでは。
何で「園子温を支持している」にすり替えてるんだよ。こういうフェミニズムの卑怯さの構造を説明したんだからしっかり読め。
フェミニストのオタクバッシングは結構見苦しいものがあるので、これも話をすり替えないように。だから、たわわと園子温事案の熱量の差は何だよ?という話をしている。
kohgethu:
誰が性的加害やらかした映画監督どもを無罪と言ってるんだ?奴らは粛々と社会的制裁を受けてるし騒がなくても罰せられている真っ最中なので騒ぐ必要が全く無い。もしも当人が足掻いたならたわわレベルに炎上するよ。
https://www.jprime.jp/articles/-/23703
Domino-R:
一昔前に、一部の女性が自分はフェミニストをやめたと、怒りながらに距離を置くのを見ていたが、理由が分からなかったんだな。
フェミニストとの議論を通じて気付いたのは、フェミニストの立論が場当たり的で、論理がなく、端的に不誠実だという事。何故か自己中心的で、話のすり替えに余念がないクズが多くて、腹が立つ事がやたら多いんだよ。
フェミニストは、ツイフェミに限らず、例えば立憲民主の中で、まともな議論を尽くさずに議員を辞職させたりしている。害悪が大きくなるばかりじゃん。その構造がクリアでなかったので、まず見える化をしようとして書いた。
今回まとめた特徴に合致しないフェミニスト、ほんと見つからないね。居たら連れてきてよ。1人でも居ます?
こっちに移動
合衆国憲法には、最高裁が違憲審査権を有するとは「一言も書いていない」、その権限は判例に基づいているが「そもそも憲法に書いてない権利を認めた判例は間違っている」ので無効である。
なので立法府、つまり議会が違憲審査権は国民投票で決めるとでもしてしまえば人工中絶権維持派がアメリカの多数派だから勝つ。
そんな立法は違憲だ、と最高裁が言っても無視。違憲判決出す権限ないので。
こう書けば判例の一切を無視して「そんなの憲法に書いてないもん」でちゃぶ台返しする右派判事論法がどんだけやばいもんかわかろうもん。同性婚も避妊具の使用も、異人種間婚姻すら否定できてしまう。
在庫が多いのは好ましくありません。
しかし、私はそうは思いません。
分かります。
例えば、コーラを生産して店頭に並ぶまでに1週間かかるとします。
店員に尋ねると、
「1週間お待ちください。」
おそらく待たずに別の飲み物を買うでしょう。
事は起こらなかったでしょう。
1週間という時間を、コーラの在庫を持つことで買っているのです。
ここで、1つ注意があります。
仮に、コーラが1日当たり約100本売れるとすれば、
コンサルティング先などでよく見かけるのは、
これは、何ですか?
と聞くと、「いつか売れると思うので保管しています」
と言います。
これは非常に危険な答えです。
もし、会社の中に「いつか売れると思う」在庫がたくさんあると、
どうなると思いますか?
Macでは迷惑メールになると本文のリモートコンテンツが読み込まれないのでアクセスログから迷惑メールにされてるのでは?という判断されてんのかな
ググると、読み込むことで「あなたのメールアドレスが実際に使用されている (有効である) こと」を確認してるみたいだし
迷惑メールに設定したとたんぱったり届かなくなったのはそう考えると納得がいく
アメリカが集団的自衛権を発動するのは問題ないけど、日本が集団的自衛権を発動するのは問題だからね。アメリカの決まりと日本の決まりは
違う。アメリカの権益を守るために国土と領空を献上して基地を使用させ、国民の血税から思いやり予算を垂れ流してるのだから米軍だけに負担があるというわけではない。
あと自衛隊が違憲だ!って騒いでるのはむしろ改憲派のみなさんですよね。だからこそ改憲して国防軍と明記すべきなんでしょ?
そして自民党は日本国憲法はGHQに押し付けられたものという嘘までついて全体的な改憲の議論を行おうとしているのに9条に矮小化して話すのは何故なんでしょうねw
GW名物の絶対に右側車線を譲らないマン、10台以上遭遇しました
高速道路において右側車線は通常追い越し車線です
それ以外のときに使用すると「車両通行帯違反」となり1点、6,000円の罰金になります
「左から追い抜けよ」
とでも言いたげですが、左側から追い越しをすると「追越し違反」となり、2点、9,000円の罰金になります
1点の違反をしている人のせいでこちらが2点の違反をすることになりますね
(追い抜きなら違反にならないのでしばらく左側車線を走れば大丈夫ですが)
ちなみに後ろから車が来ているのに道を譲らないのも1点、6,000円の罰金になります
「煽り運転やめて!」
と言うのは当然の権利ですし、もちろん煽り運転はいけないことですが
Q1:年度の予算が決まっており、上限を超えないようにしたい
A1:選択肢1の場合、AWS Budgetsを使用してあらかじめ設定した予算のしきい値を超えたときにアラートを発信する設定が可能です。また、AWS Budgets Actionsを使用して予算がしきい値 (実際の金額または予測金額) を超えたときにアカウントで実行するアクションを定義できます。このレベルの制御により、アカウントでの意図しない過剰支出を減らすことができます。
選択肢2の場合、請求代行業者によっては”バウチャー”によるAWS利用も可能です。”バウチャー”とはAmazonギフト券のように、事前に一定の金額分を購入頂きAWSをご利用いただくものです。予算のコントロールが容易になります。