それからしばらく経っても、俺の頭の中はゴールの居場所のことでいっぱいだった。
ハテナは頭の中で日が経つほど増えて、貯まる一方なのに減りゃしない。
けど、そのモヤモヤを払拭する方法が何かってことに関してだけ言えば、既に答えは出ていた。
俺は意を決して兄に宣言をする。
「あのジョウって人に従うようで癪だけど、やっぱり自分でゴールを探してみるよ!」
「そうか、頑張れよ」
やや強めの口調で、自分は付き合うつもりがないことを暗に示している。
「真実を探求したくはないの?」
学校の課題もこれ見よがしにやっている様子を見せ、「そんな暇はない」と俺に理解させた。
その状態のときに下手な関わり方をするのは危険であることも俺は知っている。
兄貴は温厚だが、万が一キレたら大変なことになる。
「あー……よく分かんないけど、課題頑張ってね」
なので、そう言うしかなかった。
俺には気になってしょうがないテーマだったが、兄貴にとってはどうでもいいことだったんだろうな。
兄貴なしで今回のミッションを遂行できるかは不安だったが、それでも俺はこの衝動を抑えることはできなかった。
「結婚はゴールじゃないらしい」
「ああ、そういうこと言う人いるね」
「でも、ゴールがどこにあるかは答えてくれないんだ」
「それ……その人もよく分かっていなくて、だから体よく誤魔化しただけじゃ……」
「いや、それだと辻褄が合わない。ゴールがどこにあるか分からないなら、結婚がゴールだっていう可能性も捨てきれなくなるだろ」
「なるほど、その人が結婚はゴールじゃないと断言した以上、少なくとも何らかの目安はあるはずだよね」
「つまりゴールを隠しているんだ」
「なぜホワイ?」
「僕たちにも関係していることかもしれないだろうし、知っておきたいかな」
「よし、ゴールを探そう!」
こうして俺はゴールを探す冒険に仲間たちと出かける。
俺は胸に温かみを感じながら、結婚式の様子を眺めていた。
そんな幸福の空間の中で、俺の近くにいた“とある出席者”はどこか虫の居所が悪いようだった。
どうやら有休をとってまで他人の結婚式に時間を使うことに意義を感じないタイプらしい。
確かに俺にとってもゲームのように楽しい時間ではなかったけど、あそこまで露骨に顔に出るってのもスゴいな。
「うーん、幸せそうだね」
俺のこの何気のない感想が、どうもジョウの癪にさわったらしい。
「そうですわね。でも、これからもそれを維持し続けることが大事ですのよ。結婚はゴールじゃありませんからね」
無粋な横槍だ。
「え? でもゴールインとかって言うけど」
「結婚した後の生活もあるんですのよ。ならゴールって表現は不適切ではございませんこと?」
「う~ん、俺にはイマイチよく分からないんだけど……兄貴、この人の言っていることってどうなの?」
兄貴の態度はそっけなかった。
まあ兄貴もOB相手にあまり角の立つようなことは言いたくなかった、というのもあるのだろう。
「なるほど~……」
俺はそれで納得しようとしたが、ふと気づいてしまった。
とってつけたような理屈だからこそ容易に浮き彫りになる、プリミティブな問題だ。
「ん?……じゃあゴールってどこ?」
「え?」
持っていた扇子を開いたり閉じたり繰り返す動作から、苦悩が見て取れるようだ。
そうして数秒後、ジョウはカっと目を見開き、大仰な動作を交えながら俺に言い放った。
拍子抜けな答えだった。
けど、便利な返しではある。
「知識は人に聞くだけでも身につきはするでしょう。ですが、それでは付け焼刃ですわ。自ら探さなくては」
大した理屈だ。
しかし、それなりに適当でテキトーな答えだったので、俺は邪推の言葉を飲み込んだ。
当然、それで俺が納得するかどうかはまた別の話なんだけど。
「なんだよ、それ~」
「さあな」
俺の「なぜなに攻撃」にエネルギーを割くことを渋ったのだろう。
「……どこにあるんだろう」
結局、ジョウがどういうつもりでそんなことを言ったのかは分からなかった。
だが俺の疑問はすでに、「ゴールはどこか」という方に体全体が向いていたのだ。
「いや、俺もよく知らない」
となると、母さんか父さんの知り合いか。
「ねえねえ、誰が結婚するの」
「ノムさんだと聞いたが、よくは知らないなあ」
「私も知らない」
どういうことだ。
「じゃあ、一体どういう経緯で俺たちは招待されたんだ」
おかしいな、さっき俺が聞いたときは「知らない」って言っていたのに。
兄貴はなんだかバツが悪そうで、最初から目があっていなかったかのようにそっぽを向いた。
「結婚披露宴ってな、すごく金がかかるんだぜ。そんなことしなくても結婚は出来るにも関わらずだ」
「その話が、俺の疑問とどう関係あるの?」
「まあ聞け。で、なんで結婚式なんてするかっていう理由についてだ」
「うーん……『私たちは結婚しまーす』っていうのを知り合いの人たちに見てもらうため、とか?」
「まあ一口には言えないが、有り体にいえば見栄を張るためのものってところだろうな。そして見栄を張るのには金がいるってことさ」
そこまでして見栄って張りたいものなのか。
……けど、依然話は見えてこない。
「その見栄のために俺たちまで招待されたってこと?」
「そういうことになるな」
「違う違う。俺たちは、あくまで当事者が見栄を張るためのエキ……おっと」
突拍子もなく、全く関係のないことを囁いてくる。
いつも通りの仏頂面なのに、声だけは不自然に優しいトーンでキモい。
「となるとゲームソフトも必要だ。やりたいのがたくさんあることだろう。今は多くなくても、これからドンドン増えてくる。時は待ってくれない。お前の小遣いだけで賄うのは大変だ」
兄貴はそう言いながら、おもむろに財布を取り出す。
「ましてや近年は娯楽も多様化している。ゲームだけでは子供の飽くなき欲求は満たされないだろう?」
財布から抜き出した一枚の紙。
そのデザインに俺の目は釘付けだ。
「この世には金で買えない物も勿論ある。だが金で買えるものの方が圧倒的に多いのも事実だ」
「余剰な金ってのは必要なものじゃないかもしれない。だが便利なものではある。そして便利なものに依存するのは人間の本質だ」
つまり、これ以上は詮索するなって言いたいようだ。
俺は喜んで騙されることにした。
無言で、小さく頷いて見せる。
「釣りはいらない。たまには兄の貫禄を弟に見せつけてやらないとな」
「オッケー! 兄貴は見栄を張ったってことだね。俺はそう解釈することにするよ」
「お前のような賢い弟をもって誇り高い」
兄貴の表情は変わらないが、その声の調子からホッとしているのが分かった。
「それにしても太っ腹だね。兄貴は財布の紐が固い人だと思ってたけど」
「なあに、安いもんだ」
俺たちからすれば無理やり辻褄合わせをしただけの内容だったのだが、これが意外にも教師からは高評価だった。
ヤケクソ気味な発表スタイルが真に迫っているように見えたのだろうか。
メンバーの一人であるタイナイの分析によると、他のグループがネットで簡単に手に入る文献からコピー&ペーストしたみたいな成果物だったので、俺たちの発表が新鮮に映ったのではと言っていた。
カジマはというと、各文献の記述をどれも否定しない、その姿勢が何より評価につながったんだと前向きな解釈だ。
何はともあれ俺たちは成し遂げたのだ。
しかし、課題のためとはいえテキトーなことをでっちあげた後ろめたさもグループ内にはあった。
俺も多少はあったものの、それも数日経つと薄れていく程度のもので、他のメンバーも同じだった。
ウサクを除いては。
「あの時は課題をこなすことで必死だったが、我々は大罪を犯してしまったのではないか? もし、我らの説が正史のように扱われてしまったらと思うと……早起きしてしまう」
会うたびに毎回こんな話をしてきて面倒くさかったので、俺はとある人物を紹介することにした。
正直なところ俺は未だにこいつの言うことをマトモに信じる気はないのだが、それっぽいことを見せたり言ったりはできるので、これでウサクに程よく納得してもらおうと思ったのだ。
「まあ、いいや。リダイアに関する記録だけど、マスダたちの説を後押しするような記録は未来にも存在しないね」
それは俺たちの発表内容がデタラメであることを示していたが、同時に未来には俺たちの成果物が禍根と共に残っていないことも示していた。
ウサクが信じるかどうかは分からないが、とりあえず気休めにはなるだろう。
「そうか……では、どのような記録が残っているんだ?」
「そうだなあ、例えば銀河大戦においてスパイとして、リダイアという名前の宇宙人が活動していた記録があるね」
どうしてそんなことを言うんだ。
それを周りに見られないよう、おもむろに自分の口元を左手で覆う。
「そりゃそうさ。君たちのいる時代から、数百年後の出来事だからね」
ガイドはそれに気づくと、慌てて取り繕い始めた。
「ええと、ウサク? 歴史ってのはね、あくまで歴史なんだ。ボクはそう思うよ」
訳の分からない説明に俺は思わずため息が出そうになるが、堪えてフォローした。
「ウサク、お前はちょっと難しく考えすぎなんだよ。リダイアがどんな人物であるか、何を為したかなんて、俺たちにはさして重要な事柄じゃないんだ。真偽がどうあれ、な」
後にウサクは、リダイアに関する資料を独自に纏め上げ、一部界隈で脚光を浴びることになる。
まあ、それはまた別のお話。
「ガイド、ウサクが書いた文献、記録は未来に残っているのか?」
「知らない」
こいつに話を聞いたのは失敗だったな。
期限当日。
俺たちの成果を、他のグループの前で発表する日ということだ。
他のグループの発表はというと、自分たちの住む町の歴史だとか……まあ何も言うことはない。
みんな課題をこなすことに必死だったし、他人の成果物に目を向ける心の余裕はなかったんだ。
そして、長いような短かったような時を彷徨い、いよいよ俺たちグループの番がきたのだった。
「英雄リダイアはこの町で生まれ育ったことは周知の通りです。リダイアは当時としては画期的な建築技術を発明し、この町の発展を大いに助けたとされます。ですが、これはあくまで彼の英雄たる理由の一つでしかありません」
このあたりはエビデンスがとれていることもあり、滞りなく進んだ。
「次に彼はアマゾンのとある集落にて、住人たちと槍を取り、侵略者から守ったという記録が残されています」
「アマゾンといえば、アマゾネス。しかし、そこでリダイアはこれといった人間関係のトラブルがなかったことが、記述内容から判断できます。つまり、リダイアは実は女性だったのではと推測できます」
聞いていた他のグループがざわつきだす。
一応の辻褄は合うものの、はっきり言ってとんでもない説だからだ。
念のため言っておくが、これは俺ではなくメンバーの一人であるタイナイが提唱したものだ。
それっぽくこじつけてはいるものの、タイナイが最近読んでいた漫画の影響をモロに受けていることは俺からみれば明らかであった。
さて、これが一つ目の策だ。
タイナイ、カジマ、ウサクでそれぞれ持ちよった説を全て統合して、後は無理やり辻褄を合わせてやろうというものだった。
当然そんなことをすれば、いずれ綻びが生じる。
そこで俺はとある説を用意しておくのだが……まあ直に分かる。
「戦乱の世が平定。落ち着きを取り戻し始めたころ、リダイアは医者を志します。今度は人を救う存在になりたい、と考えたのかもしれません。それから彼は西の島にて、医者として多くの命を助けました。汎用性の高い薬を発明したのも、この当時であると考えられます」
「医学が進歩しだしたころ、リダイアは芸術の分野で多彩な活躍をします。我らの町では建築技術、別の地方では絵画といった具合に」
周りのざわついた音は徐々に大きくなっていたが、意に介さなかった。
「そのように八面六臂の活躍をしていく内、またも世は戦乱の気配を漂わせていました。そこでリダイアは、再びその身を戦火の中へと投じていくのです」
説明も終盤にさしかかったとき、とうとう俺たちが予想していた言葉を一人のクラスメートが発した。
「ちょっと待ってくれ、さっきから色々と語っているが滅茶苦茶じゃないか。現実的じゃない」
当然の疑問だ。
そこで、俺たちは二つ目の策……いや、説を提唱することにした。
「仰るとおり。いくらリダイアが人並み外れた力の持ち主と定義したとしても、このとき既に64歳。現役を退いている上、当時の平均寿命を越えている。仮に生きていたとしても、物理的に有り得ない」
「我々はリダイアの活躍が書かれた文献をしらみつぶしに調べました。長生きの一言で済ますには、些か無理がある活躍の記録があることが分かりました」
「文献のいくつかは彼を英雄視する人々が作り上げた、偶像物語だと考えることもできます。ですが、それを踏まえてなお整合性のとれない話も多々あったのです」
「そこで、ある説が浮上します。リダイアというのは個人ではなく、各時代、あらゆる場所に複数いた、名もなき英雄の俗称ではないかと」
これこそが、俺の考えた方法……いや、説だ。
「あらゆる時代、あらゆる場所で活躍する英雄が多くいました。リダイアが様々な方面で才能を発揮したとされるのも、そもそも別人だと考えれば自然です」
「なぜ、それらがリダイアとされたかは、彼らに関する詳しい文献が個別に存在しない、つまり名もなき英雄だったことに他なりません。そこで当時の人々は、ある種の英雄の理想像としてリダイアを作り上げ、そこに実在する英雄を投影させました」
「時には自称し、時には伝聞によって。事実、真実、伝承入り混じり、『リダイア』という英雄の集合体が形作られたわけです」
一応の整合性こそ取れるものの、その実は文献の真偽を分別することを放棄した、苦肉の策だったからだ。
それでも課題を未完成にして出すよりは、それを完成品にするために帳尻を合わせるほうがマシだと考えたのだ。
どうしても後一歩というところで完成に届かない。
やはり問題はリダイアに関する情報の真偽、その取捨選択ではあるが、グループ内で意見が分かれるのも混迷の一因だ。
「やっぱり、こっちの文献に書かれたことが嘘なんじゃないかな。こっちに書かれたリダイアの容姿は、青年くらい。この時点で青年だとすると、40年後の彼はもう老人だ」
「こっちの文献にはリダイアの容姿について書かれていないから、矛盾はしないだろ」
「活躍の内容が問題なんだよ。スーパーアスリート並の身体能力で敵を蹴散らしたことになっちゃうんだ。ましてや人間の平均寿命が今より遥かに低かった時代だ。なおさら有り得ない」
「だが、そっちの文献は伝聞をもとに書かれた手記だろ。正確性に欠けるんじゃないか?」
「そんなこといったら、あっちの文献はリダイアと敵対する勢力が書いたものだろ。偏見が混じっている可能性がある」
こんな調子だ。
「というか、リダイアはこの町では建築家として名を馳せたんだよね。こっちの方だと天下無双の猛将ってことになるんだけど、どうもイメージが湧かないんだよなあ」
「医者として多くの命を救ったと書かれてるな、こっちは」
「うーん、この文献にはアマゾンの集落でヤマト魂を発揮したとか書かれているのが謎過ぎるな」
もう一つ厄介だったのが、リダイアに対するイメージがメンバーそれぞれで異なっていたことだ。
歴史的な英雄というものは、ある意味でそれを見た人間の理想という側面もある。
リダイアという英雄はそんなこと言わない、そんなことをしない、この主観が判断を鈍らせることもある。
文献をまとめるのに苦労した理由は、そういったメンバー間での価値観の違いによるところも大きかった。
こうして制作が滞っている割に、議論だけは白熱している状態が1時間ほど続いた。
沈黙を貫いていた俺もさすがに痺れを切らした。
「みんな、議論はここまでだ。意見を一致させるだなんてことが、そもそも無理だったんだ」
「方法はある」
そう、方法はあるのだ。
当然、俺がその方法を今まで提示しなかったのは相応の理由があるからなのだが。
しかし、このままじゃ判定すら貰えないかもしれないので、背に腹は変えられない。
「具体的にはどうするんだ。そもそも各情報の真偽を判断できず、取捨選択に苦慮しているから進まないのに」
「シフトって、どういう風に?」
「発想の転換さ。取捨選択が困難なら、取捨選択なんてしなければいい」
「……はあ?」
三人は全く同じ調子で、同時にそう声を発した。
そういうところだけは一致するんだな。
この手の英雄にありがちな像も当然のように作られていて、待ち合わせ場所としても定番となっている。
ただ、その知名度に反してリダイアという人物が何者か知っている人は少ない。
もちろん、俺もとある機会が訪れるまで知らなかった。
……いや、やっぱり現在進行形で知らないと言ったほうがいいかもしれない。
俺の通う学校では、授業と同じくらい課題について重視している。
今回は歴史だった。
数人でグループを組み、何らかのテーマについて取り組む方式だ。
俺のグループはというと、タイナイ、カジマ、ウサク、よく連れ立つメンバーたちである。
惰性で組んだというのもあるが、円滑にコミュニケーションを取れる相手のほうが、課題達成の作業効率が増すという理由も勿論ある。
俺たちは数分話し合い、リダイアについての経歴をまとめることになった。
この町を代表する有名な英雄だし、簡単だという目論見があったからだ。
だが、この考えは甘かった。
「まとめる」ってのは、ただ情報を抜き出して、それをくっつけるだけでは不十分だ。
いや、正確に言うなら、いくつかの文献を照らし合わせる度に整合性が取れない箇所がどんどん出てくるのが問題だった。
たとえば彼の活躍の記録を時系列順に並べると、離れた場所で同時に活躍していることになってしまったり、明らかに平均寿命より遥かに生きていることになってしまう。
他には多芸な万能超人だったり、その時代にいる著名人が大体友達になってしまうこともあった。
虚実入り混じっていることは明らかであったが、どれが虚構で事実か調べれば調べるほど区別ができなくなっていく。
「……気づくのが遅すぎたね。期限は待ってくれない」
今から別のテーマを選び、先生に判定が貰えるような成果物を作るのは様々な面で難しい状態だった。
「嘆いても仕方がない。確かに我らは困難な道を選んだ。しかし、それでも進むしかないのだ」
勿論、それはどちらかというと消極的な判断からくるものではあったのだが。
こうして弟たちはツクヒに言ったように、『アレコレ病』を吹聴して回ったのである。
その成果は目覚しく、シロクロが“アレコレ病患者”として世間に認知されるのにそう時間はかからなかった。
シロクロは常人目線で見れば公序良俗違反が服を着ているようにしか見えなかったのだが、そうじゃないのなら話は別ということだ。
「私、最初はどうかと思ったんだけど、予想以上に上手くいって良かったわね」
「“アレコレ病”なんて、俺たちが思いつきで名付けただけなのに、みんなシロクロへの当たりが緩やかになっていったな」
「僕たちは病名をつけただけなのに、こんなに認識が変わるんだね」
みんな病人には多少の同情はする。
みんな悪人にはなりたくないのだ。
杓子定規にしか物事の是非を判断しない人間には、こういった抑圧がよく効くらしい。
「とはいえ、みんなを架空の病気で偽って、シロクロを病人扱いしているのは少し気が引けるなあ」
「大丈夫さ。シロクロの言動はある意味で病的だと言っても過言ではない。僕たちはそれに名前をつけただけさ」
「そう。病名をつけられれば、それは立派な病気だ。病人は敬わないとな」
冷静に考えればとんでもないことをやっているのだが、弟たちはシロクロを守れたことに喜んで、そこには目もくれなかった。
話はこれで終わらない。
それから数週間後、この“アレコレ病”に対する認知度は俺たちの町すら越えて、世界に轟くことになった。
今や“アレコレ病”と、その病人(とされる者)たちは完全に認知されたのである。
「これなら俺たちも何らかの病気を名乗ってみたくなるな」
調子に乗った弟は冗談めかしてそう言うが、こいつなら本当にやりそうなので俺は笑えなかった。
「やめなさい」
見かねた母が弟たちの話に割って入った。
「そんなことしていたら、いずれこの世の人間がすべてが病人として扱われるわ」
弟が平等という言葉をどういう趣で使っているかは分からないが、大した理屈ではないことは明らかであった。
それでも母は毅然とした態度で説いた。
「考えてもみなさい。この世の人間が全て病人になってしまうということは、“病人に対して寛容でいようとする常人”もいなくなるってことよ」
「あ……」
だが弟たちはそれで納得したらしく、俺はツッコミの行き場を失った。
「そうだね、俺は常人でいるよう頑張るよ」
「僕も」
「ええ、頑張りなさい」
「イエス、アイ、マム!」
シロクロは事態をよく分かっていないのだが、弟たちに同調してハキハキと返事をした。
皆が何をもってして“常人”だとか“病人”を指しているのかよく分からなくて話についていけなかったが、それはもしかしたら俺も何かの病気だからなのかもしれないな。
町の中でも、特にシロクロを目の敵にしていたのはツクヒという子供だった。
「む、また、シロクロか……目障りだなあ。見た目が目障りだし、一挙一動目障りだし、特に声が目障りだ」
ツクヒは自身がコンプレックスの塊のような存在だと認識しており、その感情を同年代にばら撒く人生を送っていた。
あらゆることをコンプレックスに絡める卑屈さは傍からみていても気分の良いものではなく、彼の周りから人は自然と距離をとる。
ツクヒの困ったところは、そういう原因に含まれている「自分」という人格を、ある意味では甘く見積ってしまうことだ。
つまり、彼はそれがコンプレックスのせいだと意固地になり、それで人間を判断する狭量な奴らだと周りを判断してしまうわけである。
自分が嫌いだが、それ以外を更に嫌いになることで心の安寧を謀っているのだ。
そのため弟たちとも折り合いが悪い。
そんなツクヒにとって、弟たちと仲の良いシロクロは八つ当たりしやすい格好の的だった。
スリングショットは子供の玩具というイメージが強いが、極めれば立派な武器である。
そしてツクヒの持っているのは正にそれだった。
「やめろ、ゴミ!」
ツクヒが構えたとき、弟たちがすんでのところで止めた。
「そう呼ぶのはやめろ!」
当然、読みがそうなっているだけで別に悪い意味はないのだが、ツクヒにとっては呼ばれたくないものであった。
「……ツクヒ。いま、シロクロに当てようとしただろ」
ツクヒは最初ばつが悪そうな顔をするが、すぐに取り繕って弟たちに言葉を返す。
「そうだよ。だけど別にいいじゃん。こんなことやっても、マスダたち以外は誰も強くは止めないじゃないか。シロクロは、これ位のことはされても別にいい存在って周りに思われているんだよ」
ツクヒの開き直りに、弟たちは怒りの炎を静かに燃え上がらせる。
だが、それではその場しのぎにしかならないことは分かっていた。
そこで弟たちは、とある妙案に望みを託した。
「ツクヒ……シロクロはな、“アレコレ病”なんだ」
「アレコレ病? なんだそれは」
聞き覚えのない病名にツクヒは首を傾げる。
「見ての通り。シロクロみたいに、“ああ”なるんだ」
意外にも、ツクヒはそれであっさりと納得して帰っていった。
「シロクロの奇行は目障りだが、病気なら仕方ない。常人である自分たちは我慢しよう」
弟たちにとっては藁にもすがる思いで実行した作戦だったが、ツクヒの予想以上の反応に手ごたえを感じ始めていた。
俺の住む町にはシロクロと呼ばれる人物がいる。
その名の通り白黒のツートンカラーを好み、あいつの着ている服はいつだってその二色のみで構成されている。
その上、言動は不可解。
控えめに言って変人というやつだ。
だが、そんなシロクロに対して、この町は暖かく包み込む。
およそ2年前、あいつはこの町に出没し始めた。
どこの誰かは知らないが、誰もがみんな知っていた。
割合としては悪目立ちの成分が多めだ。
とは言っても、ジョギングしている人がいれば全力疾走で追い抜いて唐突に勝利宣言をしたりとか、せいぜいその程度のことだ。
意味が分からないと思われるかもしれないが、そもそも意味自体あるのかどうかすら本人に聞いても要領を得ないのだから、他人が理解できないのも当然だ。
俺が把握している限りでは、シロクロのせいで誰かが何らかの実害を被った話は聞かない。
だが、奴の不可解な言動は周りには実害同然だったのかもしれない。
世間だとか他人だとか言ったものは、そういった人間に対して思いのほか冷たい。
シロクロの友人である弟たちは、世間の風当たりの強さをどうにか出来ないか考えていた。
過激派がシロクロをこの町から追い出そうと画策しているという話を耳にしたからだ。
それだけならまだしも、戦闘集団である自治体まで動き出すという噂まで出てきている。
今のところは大人しい自治体だが、もしも本格的に動き出したとなったら有無もいわさず排除されるだろう。
「俺、なんだか悲しいよ。確かにシロクロはちょっと変な奴だけど、こんな扱いをされるような悪人じゃないのに」
「しょうがないよ。僕たちはシロクロとそれなりに長いから理解を示せるけど、傍から見れば害虫が人間の形をしているようなものだから」
「ちょっと、その言い方は最低だわ。アレよ、アレ」
「非人道的……?」
「そうよ、非人道的。仮にシロクロが概念的公害だからって、こんな扱いは不当だわ」
「今のままだとシロクロが可哀想なのは同感だ。なんていうんだっけ、アレだよ、アレ」
「差別的……?」
「そうそう、差別的とかそこらへんに該当する可能性がなきにしもあらず」
「私もそう思うけど、シロクロを邪険に扱う人々にそんな言葉はもはや響かない所まで来ているのよ」
弟たちは揃って頭を抱えて、うんうんと唸る。
人道的な言葉で周りを諭すことが大して役に立たないことを弟たちは知っていた。
そんなことで解決するなら、弟たちがこうして心を痛めるような事態にまではなっていないからである。
シロクロに対して周りが今よりも寛容になれる、それが自然と受け入れられる方法でなければいけなかった。
「兄貴、何らかの案はない?」
話の輪に入ってもいないのに、いきなり話を振られて俺はギクリとする。
「んー……要はシロクロを常人目線で評価してしまうから、世間は変な目で見てしまうわけだろ。だったら、その目線を変えてやるよう促すことが必要なんじゃないか?」
「なるほど~、さすが兄貴。俺より早く生まれているのは伊達じゃないね」
だが妙に得心した弟たちの様子を見て、俺は少し不安になった。
スミレ「次回予告という名目の、私たちがふざけるだけのカットですね」
カナコ「次回も観る人は、予告なんてあってもなくても観るだろうからな。事実上の尺稼ぎ」
サクラ「身も蓋もない!」
カナコ「まあ、このセリフ自体も台本に乗っていることだから、それ含めて身も蓋もないよね」
スミレ「メタ発言もここまでやると、薄ら寒いか清々しいかのどちらかですね」
カナコ「そのセリフを私たちに言わせることで、暗にスベっているかどうかは私たちのせいだと言わんばかり」
サクラ「ちょっと待って、この語りどこまでが台本に乗っていること?」
サクラ「あー……宣伝オチの時点で視聴者は何となく把握したと思われ」
カナコ「放送当時にも本編並の長さでCM挟みまくっていたのに、ここでもそんなことするの?」
サクラ「本編並の長さはさすがに言いすぎだろ」
???「……マスダ、マスダ!」
誰かが呼ぶ声が聞こえる。
「ほら、起きろ。もう終わっちゃったぞ」
アニメがつまらなかったのか、バイト終わりで疲れていたのかは自分でもよく分からないが。
「なんだ……別に起こしてくれてもよかったのに」
「いや……なんだか無理やり起こしてまで見せるのもどうかと思ってさ」
オサカが柄にもない気遣いを見せる。
意外だと思ったが、オサカのしょぼくれ気味な顔を見て察しがついた。
どうやら俺より早く目が覚めただけのようである
「気にするなオサカ。お互いバイト帰りで疲れていたんだ。寝てしまったからといって誰も責めないし、この作品の評価を貶めるようなものでもない」
「毒にも薬にもならない話だしな」
「すまん」
「で、どうだった。『女子ダベ』」
さっきまで寝ていた俺に愚問過ぎやしないか。
「どうもこうもねえよ」
「面白いとか面白くないとかじゃなくて、俺の場合は“それ以前の話”ってことだよ」
サクラ「何だ、悟ったみたいなことを言いやがって」
カナコ「私たちの年齢でそういうこと言うと、ただイタイだけだよね」
サクラ「友達なんだから、もう少し優しい言葉でツッコんでやれよ」
カナコ「えー、じゃあもう少し女子高生っぽい、無意義な話に時間を費やそうよ」
サクラ「そうだ。もっと年頃の女子特有のフワッフワした感じの話を」
スミレ「だったら、そもそも最初の議題の時点で破綻していると思うんですけど」
スミレ「私たち、そういうの着たいと思うようなタイプじゃないですからね」
カナコ「でも……何かわからないけど、これじゃ駄目な気がする」
サクラ「何だよそれ」
サクラ「うげえ……」
スミレ「カナコさんが言いたいのは、エンターテイメントにおいて飾りっけなしの日常をそのまま切り取ることに『何か』は含まれていない、と」
サクラ「ほんとかよ」
カナコ「まあ分かるよ。私たち見目麗しい女子高生が日常を謳歌すること自体が、エンターテイメントとして成立するからね」
サクラ「お前のその、自分と女子高生に対する評価の高さは一体」
カナコ「分かった分かった。サクラのように取り留めもない会話のボケにすら、常に全力で、大声でリアクションしよう」
カナコ「ね?」
スミレ「なるほど。でも私にこれを真似しろってのは色んな意味で酷だと思うんですけど」
サクラ「遠まわしにディスってない?」
カナコ「ちょ……今は普通に会話していきたいから、いちいちツッコミしてくるのやめて」
スミレ「自分の役割を全うしようとする心意気は買いますが、もうちょっと弁えましょう、サクラ」
サクラ「この場は従うけど、別に自分の役割を意識してツッコミしているわけじゃないからね?」
カナコ「ね?」
スミレ「なるほど。こういう我を出しつつも、ちゃんとその場に順応しようとするスタイルを見習え、と」
サクラ「私が反応に困るスミレの分析力と、カナコの解釈力のエグさ」
カナコ「そしてボキャブラリがそこまでないけど、その上で表現に工夫を凝らそうとするサクラの努力」
サクラ「え、何この意味不明な趣旨の誉め合い。またちょっとディスり入ってるし」
マスダ:主人公がまた転校するのか、となって登場人物たちがアレコレ奔走しますね。
シューゴ:最終回ということもあって、多少の物語はあったほうがよいと思ってさ。
マスダ:このあたりはオリジナル要素多めですよね。
シューゴ:まあ、最終回ということを考慮しても、そうせざるを得ないんだよな。原作の都合上。
シューゴ:正確には、既に使い切ったと言ったほうがいいな。原作の漫画は全4巻で、今までも節約しながら作ってきたから。
マスダ:あー、そういえば。8話が放送されていた時くらいに、既に原作の方は終了していたんですよね。
シューゴ:原作者と話したことがあるが、それはデマだってよ。まあ、本人談だからって鵜呑みにするのもどうかとは思うが、大きな要因は売り上げ不調だろう。マイナーかつアングラな雑誌で連載されていた漫画だから仕方ねえよ。
マスダ:週刊ダイアリーってどちらかというと情報誌ですからね。連載漫画はあくまでワンコーナーだった。
シューゴ:『女子ダベ』が載っている当時の雑誌読んだことあるが、場違い感凄かったぞ。なんでこの作風の漫画を連載させたのか。
マスダ:そして、上はどこからアニメの企画を持ってきたのか(苦笑)
シューゴ:当時はこういった作風が一大ジャンルになりつつあったから、恐らく流行りに乗っかったってことなんだろうな。この手の出版社がよくやる、迷走じみた安易な企画だな。
マスダ:作品の出来自体は悪くないだけに、余計にそのあたりの残念感が滲み出ますよね……。
シューゴ:まあ余談はこれ位にして本編の話をしようぜ。
マスダ:いよいよ、クライマックスですね。劇半は地味だとシューゴさん言っていましたが、ここは結構良くないです?
シューゴ:クライマックスで盛り上がる場面だからこそ、だな。実のところ主題歌をアレンジしただけだったりするんだが。
マスダ:へえ、これ主題歌アレンジだったんですか。印象が大分変わりますね。
シューゴ:最終回の盛り上がる場面で主題歌流すのは鉄板だからな。とはいえ雰囲気に合わないから、アレンジして使っているわけ。
マスダ:上手くできていると思いますよ。最後にいつものEDじゃなくOPの主題歌を流したのは、ここがアレンジって気づかせるためだったわけですか。
シューゴ:あ~、終わっっったあ。ぶっ続けで観るもんじゃないな、これは。
マスダ:うちのスタジオとしては“色々”と感慨深い作品でしたが、出来はやっぱり素晴らしいものがありますね。
シューゴ:そうだなあ。アニメで金も時間も人手もかければ良い物できるのは当たり前なんだが、それをしっかりとこなしたという点では自分やスタッフを褒めたいところだ。
マスダ:予算のやりくりが下手くそだったせいで赤字ではありましたが、アニメ自体はちゃんと評価されましたからね。
シューゴ:それが、こうして数年たってからボックスが出て。オレたちにこんな喋らせてくれる。ある種の禊感あるよな(笑)
マスダ:(笑) 利益という結果こそ伴いませんでしたが、得るものがなかったかといえば嘘になりますよね。
シューゴ:そうだなあ。原作の人とは妙な縁が出来て、今でも『ヴァリオリ』とかで脚本書いてくれることもある。
マスダ:そういえば、今は別の雑誌で描いているんでしたっけ。
シューゴ:1話でいきなりヒロインの出産シーンまでやるやつな。
マスダ:ジャンルというか、作風もガラっと変えて。新基軸として評判良いらしいですよ。
第7話
マスダ:いわゆる水着回ですね。
シューゴ:実のところ楽なんだよな。制服や私服のときより線が少なくなるから。
マスダ:受け手も求めていて、作り手も楽ができる。ウィンウィンって奴ですね。
シューゴ:というか、普段の格好が線多すぎるんだよ。キャラデの奴、なんで作画の事情を考えないんだ。原作者とファンに褒められたからって調子乗るんじゃねえ(笑)
マスダ:ははは(笑)
シューゴ:それにしてもこの場面、冷静に考えてみると変だよな。
マスダ:予想外なデザインの水着に主人公が憤っているシーンですね。お約束の。
シューゴ:『ちょっと~、なによコレ~』って、何で着てからそんなこと言うんだ(笑)
マスダ:ああ、確かに。着る前に気づかなかったんでしょうかね(笑)
マスダ:で、入浴シーン。テレビ放送とかだと修正されていますが、円盤のほうはそういうの無くなっていますね。
シューゴ:無修正だが、思っていたほど過激ってわけではないなあ。
マスダ:まあ、湯気が多少薄くなっている位ですかね。
シューゴ:ここらへんは入浴シーンでのお約束みたいなもんだな。スタイルがどうとか、触りあいっこだとか。
マスダ:ただ、『女子ダベ』ってこういうのは茶化したがる作風ですよね。ややメタフィクション的。
シューゴ:ただその上で、結局はお約束に収束する構成だし、かえって会話シーンが冗長になっているキライはあるよな。
マスダ:そうさせないように、色々と工夫しているわけですね。
シューゴ:んー……そうなんだが、作っていくと不安になっていくんだよな、こういうのって。方向性は間違っていないはずなのに、本当にこれで受け手は満足できるのかなって。
マスダ:シューゴさんは一時期この手のアニメを連続して作っていましたから、若干ノイローゼ気味だったとか?
シューゴ:かもな。多くの同ジャンル作品に関わっていくと、いずれ同じ作品にしか見えなくなってくるんだよな。細かな差異はどうでもよくなって、こだわりすら薄れていく。坦々と作っていくしかなくなる。
シューゴ:妙に人気だよな。モブキャラらしいんだが、その割にキャラデが凝りすぎじゃないか?
マスダ:キャラデザイナーの興が乗ってたんでしょうかね。声優の方もいい仕事してくれたというか、ハマり役でしたね。
シューゴ:ああ、『ヴァリオリ』のリ・イチと同じ子か、そういえば。
マスダ:あれ、リ・イチの声に起用したのって、そこで評価を上げたからだと思ってましたが。
シューゴ:オレはそういうエコヒイキしねえから。事務所がゴリ押してはいたが。
第5話
マスダ:おや? これ、シューゴさんにしては随分と不自然なストーリー構成ですね。
シューゴ:オレとしては原作からあるものとはいえ、欠点までそのまま再現するのはどうかと思っているんだけどな。『原作再現だから』は言い訳にならない。欠点は欠点。
マスダ:媒体が変われば表現方法だって変わるのは当然ですが、それでも残したんですね。原作と、そのファンを尊重したと。
シューゴ:それもあるが、どちらかというと当時はオレがクリエイターとしての自意識が枯れ気味だったのが理由だなあ。どうも身が入らなくて、消極的だった。
マスダ:まあ、シューゴさんだけじゃなくて、現場全体が緩いムードでしたよね。予算は過剰気味で、当時スタジオが携わっていたのもコレだけでしたから、スケジュールもユルユルだった。
シューゴ:ただ経営状態を分かっている関係者からすれば、かなりヤバい状態の前振りではあったんだよな。自転車操業でやってきたスタジオが、一本のアニメに金も時間も人手もかけるって。
マスダ:とはいっても、上がコレ以外の企画持ってこれませんでしたからね。仮に状況を分かっていたとしても、現場のスタッフが出来るのは目の前のアニメを作ることだけだったでしょうし。
シューゴ:……オーディオコメンタリーで話すことじゃないな(笑)
マスダ:まあ『ヴァリオリ』で当てて、スタジオが持ち直したからこそ出来る話ですね(苦笑)
シューゴ:今さらだが、キャラクターのリアクションがオーバーだなあ。さすがにちょっと疲れてきたぞ(笑)
マスダ:ここまで休みなく収録していますからね、オーディオコメンタリー(苦笑)
シューゴ:オレはこの手の作品に慣れているが、改めて考えてみると独特なノリだよな。
マスダ:漫画だとそれ位でも丁度いいのかもしれません。アニメだと様々な情報が付加されて視覚から聴覚から入ってくるから、それ目線で観てみるとちょっとクドくなるのかも。
シューゴ:自分でやっといて何だが、いま観てみると構成がちょっと過剰な印象もあるな。常に誰かが喋ってて、サウンドエフェクトやら劇伴が流れ続けている。一部から「音も画面もうるさい」って言われるわけだ(苦笑)
マスダ:この当時のシューゴさんって「間」を作ることをかなり怖がっていた節がありますよね。「絵でも音でも何でもいい、とにかく騒ぐのをやめるな。騒ぐのをやめた時点で視聴者は観るのをやめる」とか言ってました(笑)
シューゴ:言ってた気がする(苦笑) でもプロットが会話主体だからなあ。過剰だと分かっていても、これ位しないとキツいと思っていた。
マスダ:そういえば劇伴についても触れておいたほうがよいのでは?
シューゴ:とは言ってもなあ。いわゆるこういう日常モノって、曲調がすごい似たり寄ったりになるんだよ。
マスダ:ああ、あまり気にしたことありませんでしたが、言われてみれば。控えめで、主張してこない感じ。音源も似たようなものが多いですよね。
シューゴ:一応、これでも工夫はしている方なんだけどなあ。ほら、例えばここ。
シューゴ:そうか……だったらいいや。
マスダ:あ、「観賞用の花が、高嶺の花とは限らないだろ」ってセリフはここで出てくるんですね。
シューゴ:ここかあ。ネットスラングのイメージが強くなりすぎているから、実のところオレも正確な文脈を忘れてたんだよなあ。
マスダ:このセリフ言ったのって今話限りのモブキャラだったんですね。ということは、ネットで出回っている画像はコラか。
シューゴ:使い方もちょっと違うよな。ネットだと「分不相応な扱いをされている対象や取り巻きへのツッコミ」みたいな使われ方だが。行き過ぎた接触を図ろうとするアイドルファンの独善的なセリフで、どちらかというとボケとして使うのが正確なんだな。
そのブルーレイボックスの特典として、プロデューサーだった父と、監督のシューゴさんによるオーディオコメンタリーが収録されているらしい。
父が携わった作品とはいえ、作風が肌に合わないので個人的にそこまで興味がなかったのだが、オサカが見せてくれるというので一緒に観ることにした。
第1話
マスダ:はい、どうも。『女子ダベ』をご覧の皆さま、こんにちは。プロデューサーのマスダです。
シューゴ:監督のシューゴです。このオーディオコメンタリーでは、オレたちならではの制作よもやま話をしていこうかな~と。
マスダ:まずはオープニングですね。
マスダ:歌詞が聞き取れないですね……作詞と作曲、だれでしたっけ?
シューゴ:えー、作詞はマーク・ジョン・スティーブ、作曲はスズキサトウっていう人だな。
マスダ:あー『ヴァリアブルオリジナル』と同じ。ある意味で納得。
シューゴ:うわあ、ここのダンスするところ。改めて観てみたが、すごい枚数使ってる。過剰気味な予算を象徴するようだ。
マスダ:とはいえオープニングですからね。視聴者を引き込むためにも、まあ多少は。
シューゴ:これ、振り付けとかはテーマあった気がするけどなあ、あんまり覚えていない。絵コンテとかに書いてあったりしない?
マスダ:えー……振り付けの細かな指摘はありますけれど、どういう意図かは書かれていないですね。
シューゴ:うーん……あ、本編始まったぞ。
マスダ:第1話というのもあるんでしょうけど、すごい動きますね。
シューゴ:このあたりも過剰な予算配分を象徴するシーンだな。主人公が大した理由もなく走っているだけのシーンでこんなに枚数使われても感動しようがない。
マスダ:ド派手なアクションシーンとかで作画が美麗になったりするのは、それがより効果的だからなんですよね。メリハリがあることで映える。
シューゴ:そうそう、演出意図があるからこその神作画。だから、これは無駄遣い(苦笑)
マスダ:(笑) とはいえ本作はキャラの会話が主体というコンセプトですからね。普通に作ってたら口くらいしか動かすとこないので、これ位が丁度いいのかも。
シューゴ:作画といえばキャラの動きばかり褒められるが、美術背景にも注目して欲しいところだな。
マスダ:ここの背景美術は……虎美堂ですかね。
シューゴ:特徴的だからすぐに分かるよな。だが第1話だけなんだよな、虎美堂が手がけたの。
シューゴ:いや、演出的意図がちゃんとある。第1話は主人公の転校初日の話で、彼女にとっていわば未知の場所だったからな。その不慣れな間の、居心地の悪さを表現するため。
マスダ:だから、あえてキャラクターの画風から浮いている、非現実的なデザインをお願いしたってことなんですね。
シューゴ:そうそう、ほら、ここの主人公が家族と話しているときはリアリティ寄りの背景なんだよ。
マスダ:あ、本当ですね。ここも虎美堂が?
マスダ:ここ、実在する場所なんですかね。ファンの間では熱心に検証が行われていますが(笑)
シューゴ:特別これといったお願いはしていないが、もしかしたらあるのかもなあ。背景美術の人のみぞ知る。
つまり、こういうことだ。
「一個は売れたんだよな」
「うん」
「じゃあ、その500円で俺の石を一個買ってくれ」
「ええ?」
「で、今度はその500円で、俺がお前の石を一個買う」
「……魂胆が見えてきたよ。滅茶苦茶なことを考えるね、ホント」
そうやって互いの石を売買することを繰り返した。
そうして、俺たちは石を売り切ったのだ。
「な、なんて奴らだ。もういい、石を返せ」
「何言っているんですか。この石は僕たちが買ったんです。これがどういうことか分かりますよね」
経営者の顔が真っ赤に染まる。
まあ、そりゃあ罷り通らないだろう。
俺たちだって、これで納得するとは思っていない。
ここまではあくまで、その後に続く詭弁を押し通すための布石である。
「別にあなたが買っても買わなくても構いませんよ、僕たちは。ただ買わなかった場合、この石に価値をつけたあなた自身は『その石を買う価値がない』と暗に認めた、という事実が残るかもしれませんが」
赤くなった顔が今度は青くなる。
さすがに俺たちの思惑が分かってきたようである。
「この石に価値を最初につけたのは他の誰でもない、あなたです。それなのに『この石を買う価値がない』と認める。あなたはそういったものを売っていることになる。その意味をよーく理解してくださいね」
「もちろん、売る側が必ずしもモノの価値を信じる必要はありません。自分より欲しいと思っている人間に、より儲かる値段で売る。それは商売の基本だ。でも売る側が無価値だと評したものを、喜々として買う人間がどれほどいるか、経営者なら分かりますよね」
「ぐ……分かった、買おう! だが、その石には仕入れのコストがかかっているんだ。定価じゃ買わん」
少しでも値切ろうとするあたりに意地を感じるが、そもそも提案に乗った時点で俺たちは得をしている。
そういったことを考えられる余裕すら、その人にはなくなっていたのであろう。
酷い取引に見えるかもしれないが、何のことはない。
欲しい人が買い、売りたい人間が売る。
互いに納得した値段で取引しただけだ。
実に真っ当な商売だな。
こうして俺たちは、今回の職業体験を無事終わらせたのであった。
給料もちゃんと手に入ったし、学び取れるところもあったし、いい“体験”だったよ。
その後も様々な方法で売りぬこうとするが、成果は芳しくなかった。
「いや、そういう善良な人間はかえって危険だ。時と場合によっては躊躇なく人を殺す」
俺たちは、もはや正攻法では無理だと考えていた。
「この石にスピリチュアル的な何かがあるって謳ってみる?」
「いっそ今回のことを社会問題にでも仕立て上げて、有耶無耶にしてしまう?」
「それもいいかもなあ。でも色々と面倒くさそうだなあ」
アレコレ案は出すものの期日は迫っており、俺たちは内心ほぼ諦めていた。
おもむろに、唯一売れた石の売り上げである500円を俺たちは眺める。
そうタイナイが呟き、俺も心の中でそれを復唱した。
他に買う人……。
「そうだ!」
俺は気づいた。
「マスダ、何か思いついたの?」
タイナイは要領を得ないようだった。
「いや、マスダ。その買う人が見つからないからこんなに苦心しているんじゃないか」
「忘れちゃいないか。俺たちには買う人のアテがあるんだよ」
更に言えば、あのエセ経営者へ仕返しもできる一石二鳥の方法だ。
職業体験という名目で、学生を酷い商売に加担させた罪は重いぞ。
「マスダの目が据わっている……酷いことになるぞ」
期日の時。
売り上げ報告の日だ。
「それじゃあ売り上げを見せて貰おうか」
俺たちは無言で売り上げを渡す。
「総売り上げは……500円。全然売れなかったようだな」
「いいえ、全部さばけましたよ」
俺の言葉を聞いて、眉をひそめる。
見え透いた嘘に見えたのだろう。
まあ、それも当然のことだ。
だが、嘘は言っていないのである。
「だったらキミたちの持っている、その石はなんだ」
「これは僕たちが買った石ですよ」
「……んん?」
石を売る商売はアナーキーであり、このご時世に好き好んで買うような奴はちょっとしかいない。
ましてや“そういった目線”から評価して尚、この石に価値を感じる人間は皆無に近いだろう。
そんな商売の片棒を担がされているのは癪だったが、嘆いたところで事態は解決しない。
とりあえず訪問販売を試してみる。
「えーと、石を売っているんですが、買いませんか?」
こんなセリフを一生のうちに言う日が来るとは思いもよらなかった。
「しかも売り物が石だと? 古今東西、石を売る人間にロクなのはいない! 今すぐ抹消してくれる!」
「まずいぞ、マスダ。彼らは本気だ。逃げよう!」
もとから期待はしていなかったが全くもって売れず、ただただ心身をすり減らすだけだった。
箱に入った石と、そこら辺に転がっている石を交互に見る。
もう一つは価値を感じたからといって買ってくれるかはまた別の話だという点だ。
俺も水切りとかで遊んだことはあるから、それを踏まえるならこの石も無価値だとはいえない。
だが、じゃあそれを金を払ってまでやりたいかといわれれば、そこまでしてやりたくはないだろう。
「まあ需要がないといえば嘘にはなるだろうけどね」
タイナイは意外なことを言う。
聞いたことがある。
なんでも売り物にすることができるサイトらしく、それ故にラインナップは玉石混合だとか。
「石を投げれば何とやら、か」
売り物にすることができることと、それが実際に売れることは同義ではない。
ましてや玉石混合でいう文字通りの石。
それが明らかなら尚更である。
「一個だけ売れたよ」
「一個だけね」
むしろ一個は売れたってのが驚きだった。
だがその後はさっぱりだったらしく、タイナイ曰くあそこで売れないならどこで売っても結果は同じらしい。
「そうか、それにしても現代ならネットを介して取引するって方法もあるんだな。さすがデジタル社会」
「まあ、近年ではデータ上の石を売るってこともあるしね」
現実の石を売るのすらアレなのに、現実に存在しない石で成立するわけがない。
いくら俺がネット社会に詳しくなくても、それが有り得ないこと位はさすがに分かる。
恐らく、そんな下らないジョークでも言いながらじゃないと、やってられない気持ちだったのだろう。
だが、それに笑えるほど今の俺に精神的な余裕はない。
「そのジョークは50点ってところだな。いっておくが、身内びいきした上での点数だからな」
「いや……冗談で言ったわけじゃないんだけど」
ウケなかったのが恥ずかしかったのか誤魔化し始めた。
「はいはい。売る奴も大概だが、架空の石なんてものを欲しがる人間がいるならぜひとも見てみたいもんだな」
結局、不人気の職業体験の面目を保つという意味合いも含めて、俺はアパレルらしきものを選んだ。
「そういうマスダもか」
「それで、僕たちは一体なにをすれば?」
「最初は店でレジでもしてもらおうかと思ったんだけど、いつ来るかも分からない客を待っていたり、かといって雑用作業なんてのも退屈だろ?」
「はあ……」
「そこで趣向を変えて、最近目をつけていたとある商品の販売に専念してもらうことにした」
俺もタイナイも嫌な予感がしていた。
思いつきの経営を、ましてや俺たちにさせるってのは、どうなんだろうか。
「これを見てくれ」
そう言うと、店頭にあった箱を指差す。
箱の中には小奇麗な石が十数個ほど並べられていた。
何かの原石とかだろうか。
「そう、何の変哲もない石だ。これを売ってもらう」
自信満々に言ってのける。
俺たちは戸惑いを隠せなかった。
「え……っと、何らかの使い道がある性質だとか、何らかの効能というか、そういうのがあるんです?」
「いや、別に。石は石だ」
つまり、それら石は事実上道端に転がっているものをちょっと綺麗にした程度のものであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
本当に道端から拾ってきたんじゃないかというほど不揃いで、使い道に困る不恰好なものばかりだったのだ。
「え、それを売るんですか」
「何の問題が? 別に商品説明を盛っているわけでもない。いたって誠実だ」
そうなのかもしれないが、そういう話ではない。
これといった用途もなく、宝石のイミテーションにすらならないものだ。
「売るって、いくらですか?」
「そうだなあ、ひとつ500円で」
恐らく「500円くらいなら文句を言う気にもなれないし、まあこんなものだろう」と消費者に思わせたいのだろう。
狡っからいと言いたいところだが、この石はそれ以前の問題な気がした。
値段をつけて売る価値があるかすら疑わしい。
俺たちの怪訝な表情を察したのか、その人はやれやれと溜め息交じりに語りだす。
「商売ってのは売りたい人が売って、欲しい人が買う。需要と供給は絶対正義だ。モノの価値ってのは人間が後からつけたものなんだよ。キミたちは価値を感じないのかもしれないが、オレはそうは思わない。後は欲しいと思っている人を探すだけだ」
本気かどうか分からないが、相手は経営者で、俺たちは商売の是非を把握しているわけではないティーンエイジャー。
「販売方法はキミたちに任せる。売れた数に応じて評価点をあげようじゃないか。大丈夫、大丈夫、簡単、簡単。」
この経営者が何を持って簡単だとのたまうのか、俺たちにはよく分からなかった。
少なくとも俺たちは、この石を主観的に見ても客観的に見ても価値を感じないわけで、仮にこれに価値を感じる人間がいたとしても特定できる気がしない。
しかし評価点を餌にされた以上、俺たちみたいな大人しい若者は大人しく従うしかない。
十数個の石が入った箱をそれぞれ渡された。
改めて個々の石を眺めてみるが、やっぱり売り物として成立するとは思えない代物だ。
「それらはキミたちがそれぞれ売る石だから、片方に押し付けたりしちゃ駄目だぞ。それに売り上げと、売れなかった分の石はちゃんと返してもらうから。誤魔化してもキミたちが損するだけだからな」
こうして俺たちは「簡単な商売」の職業体験をさせられることになったのであった。
俺の通っている学校では、公民のカリキュラムに特に力を入れている、らしい。
今回は職業体験であり、体育館には様々な仕事の代表者が集まって、生徒を募っていた。
「接客業はほとんどの職業に応用ができる基本であり資本だ。潰しがきくってのはそれだけで力になる。決して損はさせない体験を与えてくれるよ!」
「キミも警察官を体験してみないか? パトカーに真っ当な理由で乗ることができるぞ。あ、あと本物の銃とかも間近で見られる!」
俺たちにとってはあくまで体験ではあっても、あの人たちにとってはこれも仕事の内。
わざわざ学校にまで出向いたのに、誰も来てくれませんでしたでは困るのだろう。
ただ、まあ俺たちからすれば所詮は体験、そして所詮はティーンエイジャー。
皆が選ぶ職業には多少の偏りが出る。
俯瞰して見てみると、参加人数の差は顕著であることがより分かる。
現代社会の縮図ともいえ、これもある意味では学びの一環なのかもな。
そんな俺はというと、未だどれを体験するか決められないでいた。
「マスダ、何にするか決めたか?」
「まだです。どうもピンとこなくてですね」
「ははあん。『バイトをしている身としては、“職業体験”という名目でタダで働かされるみたいだから癪だ』とか思っているんだろ」
「お前は利己的なところがあるからなあ。深く考えず、何となく選ぶってのも一つの手だぞ。先生だってそうしたんだから。ハッハッハ!」
担任は大げさに笑ってみせる。
悪い人ではないのだが、距離感のとり方が俺とは合わなくて苦手だ。
だが人気のある職業体験は、参加数があまりに多すぎても対応しきれないので定員を設けていることも多い。
だが今回の俺は特に運が悪く、第二候補どころか第三候補もあぶれてしまっていた。
「まあ、それはさておき。やってみたいものが今回の中にないなら、あくまで学校の課題と割り切ればいい。単純に自分にとってやりやすいと思うものを選ぶのもアリさ。それだって働くための大事な動機だ」
「ハッハッハ! 全然そんなことなかったけどな! つまり様々な理由を総合して選べってことだ」
担任は大げさに笑ってみせる。
大げさに笑うときは冗談を言っているときなのだろうが、その時はあえてそれを利用しているようにも俺は感じた。
「まあ、どうしても選べるのがないなら、その時は先生と同じ教職の体験でもしてみるか」
「ハッハッハ! それがいい!」
音が聞こえるか 差別主義者の音が
足が不自由な人への 抑圧になるか
何が傷つけ 何が守られてるか
何が悪くて 悪くないとか 足踏みばかり
進め 或いは肩を貸せ それが道
天秤がゆらめく 音が聞こえるか
皿一杯に オモリの乗った天秤だ
天秤があっても 天秤にはなれない
誰も夢見ない 明日が来るよ
ah...ah...
この日を境に、『超絶平等』に対する反対意見は徐々に大きくなっていった。
中には「むしろ五体満足な人たちが、そうじゃない人たちの真似事をするって方が、かえって差別になるんじゃないか」なんて意見もあったほどである。
そういった意見に対して市長も聞こえないフリをするわけにもいかず、程なくしてこの政策は取り下げられるのであった。
「この『超平等』を取り下げることは真に遺憾ではございますが、皆さんに何らかの“理解”を深めさせた側面はあったと確信しています」
酷い詭弁だと感じたが、ウサク曰く「政治屋は自分のやったことに『全くの無駄でした』なんて口が裂けても言うわけにはいかないので、全くの嘘でなければ大体はこういった文言になる」らしい。
だが何にしろ、マトモな筋道で実行するということを“理解”してほしいと思ったのだった。
俺たちのそんな鬱屈とした思いを、誰が真っ先に爆発させるか。
だがシガラミで雁字搦めになった大人に、そんな役目はあまりにも重たすぎた。
いつ、自分が反逆者として後ろから刺されるか、それに怯えていたんだ。
社会に順応した大人たちは刺される人間にはならないし、場合によっては刺す側にだってなることも厭わない。
そんな強迫観念に捉われないのは、いつだって社会をよくも知らぬ子供だ。
例えるなら俺の弟である。
弟は市長のやり方がどう間違っているのか分かっているわけではなかった。
すると、その場に居合わせた俺ですら恐れ多いことを口にした。
「俺のやってることは差別?」
それは他の人たちも、弟に尋ねられたその人も同じだったに違いない。
その人はどう返すべきか、迷っていた。
いくら自分が関係者だとはいえ、あくまでその中の一人でしかないという自覚があるからだ。
なまじ自分の第一声が『差別』という概念を象徴するものになってしまうのも如何なものか、と感じていたのかもしれない。
だが、ここで有耶無耶になってしまうと、このバカげた政策はしばらく続いてしまう。
その割を、これ以上食わされるのは俺もゴメンだ。
それに、弟にばかり“差別主義者”を負わせるわけにもいかないしな。
二人の間に入ると、新たなアプローチをした。
「ひとまずシンプルに考えてみよう。俺たちがあなたの真似事をして、あなたは救われたのか、守られたのか。『理解をされた』と感じるか?」
設問は些か誘導じみたものだったが、その人にとって答えやすいものであったのも事実だ。
市長のやっていることがおかしいと確信に至るものであればよかった。
「うーん……全くないとは言えないですけど……そんなことで“理解”されるよりも、快適に生活が出来る環境にするだとか、ちょっと困った時に手を貸してくれるだとか、そういった“理解”のほうがいいです……」
その人の言葉は、別にこの政策の定義する差別の是非を、根源的に批判するものではなかったかもしれない。
だが、今回の政策で鬱屈とした思いを抱えていた人たちを奮起させ、団結させるには十分なものであった。
「そうだ! これは差別じゃない!」
「ああ、そうだ。仮に差別だっていうんなら、もう自分は差別主義者でいい。存分に後ろ指をさせばいい!」
人々は杖を武器へと変え、口々にこの政策への不満を吐き出し始めた。
俺はおもむろに持っていた杖を壁に立てかけ、その不可思議な光景を溜め息交じりに眺めていた。
これはこれでどうかと思う展開だが、もはや俺の頭では何が差別でそうじゃないのか、それに思考リソースを割く気にすらなれない状態だった。
ただ、まとわりついていた妙な倦怠感が、徐々に離れていく心地を味わっていた。
俺はウサクにその時の出来事を話す。
「それは……あの市長もまた妙なことを」
「おかしくないか? 二足歩行で歩いただけで、足が不自由な人を差別していることになるのか?」
「そうだなあ、時と場合による……」
「ふむ……まあ、それだけでは差別ではないだろうな。仮になったとして、その解決方法が『自分たちも同じような移動方法をする』ってのは、すごく間抜けな話ではある」
あまりに市長の態度や、周りの対応が不可思議だったから不安になったが、やはり俺の違和感は気のせいではなかったか。
「そうか……だが、どうしてみんな市長のやり方に大人しく従うんだ」
俺みたいに面倒くさいから建前だけ従ったりする人ばかりでもないだろう。
「みんな“差別主義者”にはなりたくないのだろう」
差別にはならないはずなのに、それでは辻褄が合わないじゃないか。
俺の怪訝な表情を察したのか、ウサクはそれを補足するかのように言葉を続ける。
「とある至言があってな。『相手が差別されたと思ったら差別』なんだよ」
「おいおい、それが大した理屈じゃないってこと位さすがに分かるぞ」
「字面通りに受け取るもんじゃあない。この至言の本質は、『差別じゃないかどうかを安易に決められない』という点だ」
ウサクの言いたいことが何となく分かってきた。
みんな慎重になっているってことか。
「そういうことだ。何かを『差別じゃない』って明言することは、シガラミの多いこの社会ではかなり難しいことなのだ」
市長みたいな人から言わせれば、俺たちがそうやってオカシイと考えるのも差別的だからってなる。
恐らく他の人たちも、それを踏まえた上で批判しにくいわけだ。
ウサクのいう「差別主義者になりたくない」ってのはそういう意味なんだろう。
「この調子だと、『ヘテロセクシャルは差別的だから全員バイセクシャルになれ』とか言ってきそうだな」
ウサクは乾いた笑い声をあげながら、冗談めかしてそう言う。
俺には差別がどうのとかはよく分からないが、今回の市長のやっていることがおかしいってことだけは分かった。
ただ、いかんせん今回は“デリケートな問題”な分、声を大にして反対することが憚られたのだ。
そして、それは俺やウサクだけではなく、他の住人たちも漠然と抱えていたものだった。
例えそれが市長の定義した頭でっかちなものだったとしても、みんな差別主義者になることや、その予備軍の疑いをかけられることすら恐れていたんだ。
少し焦ってはいたが、それでも急げばギリギリ間に合うレベルだし、何より俺には打算があった。
喧騒が煩わしくて普段は避けているが、そこの交差点を利用すれば余裕で間に合うのだ。
呼び止めてきたのは市長だった。
市長は怪我でもしていたのか、杖をつきながらこちらに向かってくる。
しかし、なぜ呼び止められたのだろうか。
「え!?」
『差別的』ってどういうことだ。
「杖や車椅子での移動を余儀なくされている、足が不自由な人もいるのですよ。だのに、あなたは公の場で何も考えず悠々と歩いている」
どうしてそれで俺の行動が差別的ってことになるんだ。
「えーと、あの、市長さん?」
「そして、自分のしていることにまるで無頓着だ。よくない、ああ、これはよくない、よくありませんよ、よくない、よくない、全くもってよくないよ」
「誤解してほしくないのですが、私は二足歩行自体を否定しているわけではありません。ですが、それができない人間の気持ちを少しは考えるべきです。足の不自由に配慮して、“歩み寄り”ましょう」
このままでは遅刻する。
俺はテキトーに話を合わせて、この場を切り抜けることにした。
「はあ、一理ありますね。それで、俺はどうすれば?」
「これです、わたしのやっている通り。杖をつくなり、車椅子に乗るなりしなさい」
俺は引きつる顔をさとられないように手で覆い隠しつつ、もう片方の手でそれを受け取る。
「どうです。これで多少なりとも“理解”は深まることでしょう」
「そうですね」
「これからもそうやって移動するように」
周りを見渡すと、他の人たちも似たような様子だった。
俺は市長のやっていることは理解に苦しむのだが、みんな何も言わないで従っている。
奇妙な光景だと感じるが、それは俺が差別主義者だからなのだろうか。