はてなキーワード: 武者小路実篤とは
現在のところ「煮詰まる」という言葉は、「議論や交渉がまとまって結論が出る」という用法が正しいとされ、「議論が進まなくなって行き詰まる」という用法は誤用であるとされている。「煮詰まる」という言葉がどのように用いられてきたのかに興味を持ったので、その変遷を辿っていこうと思う。ソースはだいたい国会図書館デジタルコレクションである。
注意として、ここでは「煮詰まる」と「煮詰める」を区別して、「煮詰まる」の用例のみを追っていくこととする。現在においても「煮詰める」のほうには「行き詰まる」という用法はなさそうだからである。
調べてまず気付くのは武者小路実篤が「煮詰まる」を多用していたことである。そして同じく白樺派の有島武郎や長与善郎、その影響を受けたという岸田劉生・木村荘八なども「煮詰まる」を用いている。まるで実篤から伝染したようである。それらは概ね「無駄な修飾を排して凝縮されている」あるいは「態度が一つに決まっていく」というような用法であり、いずれもポジティブな意味で使っているところが共通している。いくつかの例を挙げる。
心が二元的である間は、即ち或る機縁によって煮つまって一元的にならない間は、どこまでも二元なり多元なりの生活を押し通して行くがいいと思う。
牛のよだれのようにだらだらした書きぶりがいかんのは問題にもならぬ事であるが、さればと云って何でも只無暗に簡潔に端折って書きさえすればいいと云う事を一つおぼえて、まるで電報の文句のような言葉さえつかえば煮つまったいい文章だ、と思っている人の文章は又不自然な、とらわれた感じのするものである。
もちろん白樺派以外の用例も同時期にあった。意味的にはさまざまだが、ネガティブな用法も多かったようだ。
この説明には余程可笑しな点がある、で、僕は云った。
もとは『The Scarlet Empire』というタイトルのアメリカの小説である。原文は「It looks as if religion may correctly be said to have gone to seed, in this country.」となっており、「gone to seed」は「盛りを過ぎて衰える」という意味なので、つまりそういった意味で「煮詰まる」が使われていると考えられる。「加熱しすぎて水分が飛んでしまった」ようなイメージだろうか。
私が余りに余計なことを喋舌り、私の心の中で長い間煮つまっていたことを必要もないのに述べ立てたことを、而もそれに就いては私は書いたものから読むように話すことが出来たのだ
こちらも翻訳書。英文は「I had unnecessarily described what had long been simmering in my heart」。「心の中でくすぶり続けていた」とか「ずっと感情が渦巻いていた」といったイメージか。
真夏の暑い日に遠く法華宗のお題目が聞こえてくる…という場面で、この「煮詰まった声」は「重苦しく絞り出している」ような印象を受ける。ものが煮詰まったあとのドロドロとしたイメージだろうか。
「居た堪らない」というので、世界が煮られて、そこにいられなくなるような感じだろうか。ぎゅっと狭窄するような感覚もあるかもしれない。
議論が悪い方向に盛り上がってヒートアップしているという描写。結論が出そうにないという点では現在の「誤用」のほうに近いか。
かるが故に自己の生活を安泰ならせんが為には儼然として己れが階級の城壁を固守しなくてはならない。科挙制度がそれだ。かかる試験制度を採用することは一に権力者に反抗する意志を学問の為に煮つまらせ、又一には士大夫階級思想擁護の有為なる人材を作ることになる。
この式場隆三郎も白樺派との交流があったらしいが、「作品を見ない」ということは、ここでの用法は「行き詰まる」に近いのではないか。
勿論コチコチ官僚型で煮つまって、倒さにふっても水っ気もないような人ではなく、時代に対する感受性は強く、好んで人の長所を認識する感服癖さえある。
昭和10年 ギュスターヴ・フローベール『ジョルジュ・サンドへの書簡』
では左様なら。もう遅いのです。頭がまるで煮詰まりそうです。
翻訳書。英文は「Adieu, it is late, I have an aching head.」なので、普通に頭痛がすることを言っているのか、それとも「悩んで行き詰まっている」的な意味なのかはわからない。
戦前は武者小路実篤を中心に、小説・詩歌・戯曲などの文学的文脈で使われることが多かった「煮詰まる」だが、戦後になると現在のような「議論や交渉が煮詰まる=結論が出る」といった用法が登場し、やがて支配的になっていったようだ。
それに関してわかりやすいのは「国会会議録検索」で、戦前の「帝国議会会議録検索」では「煮詰まる」はほとんどヒットしないが、国会会議録では1950年代あたりから見られるようになる。さらに用例を確認していくと1960年代から爆発的に増えていったようだ。労使交渉の文脈が多いように思われるので、そのあたりをきっかけに流行りはじめたのかもしれない。
となると次に気になるのは「議論が煮詰まる」=「行き詰まる」という用法がいつごろ確立されたのかということである。どうやって調べればよいか。たとえば「煮詰まってしまった」みたいな形だとネガティブな文脈で使われていそうだ。ということで検索してみよう。
しかし日本側は表面上は「朝鮮総連を相手にせず」とその抗議を重視せず、裏では字句は修正せずとも運用面に幅をもたせるという妥協の動きに期待を寄せていた。それが、日赤が相手にせざるをえない北朝鮮赤十字から真向に攻撃を受けたのだから、問題は煮詰ってしまった。
やはり人間は災害にあってみないとなかなかわからないもので、そういったことで安堵感を持っている。しかしジワジワと危機に瀕してきているわけで、そのときの判断をあやまると、残念ながら煮詰まってしまう。
ハイ・スクールからジュニア・カレッジヘと進んだアリス達は2年間のカレッジ・ライフで煮詰まってしまい、カリフォルニアに向かったのである。
ああいう自由さが背景にあってのこの音楽じゃなくて、すごい煮詰まっちゃってて、つらいだろうなというところで出て来る音なんですね。
「でも、仕事ばっかりしていると煮詰まっちゃう」「煮詰まっちゃうってのは、息詰まる、退屈する、スランプに陥るって意味なんです。」
昭和60年 毛利子来・岡島治夫・末永蒼生『「体」発、宇宙へ』
「結論が出る」用法と比べれば圧倒的に少ない。とはいえ1970年代くらいからは、日常語として「行き詰まる」的な用法もわりと広まっていそうな感じはする。というか「結論が出る」用法は議論や交渉の文脈でしか使えず、それ以外のときは「行き詰まる」用法になることが多かった、という感じではないか。
ちなみに、この「行き詰まる」用法が誤用として問題視されるようになったのは2000年ごろらしい。実際、Google Booksで「煮詰まる 誤用」などと検索すると2000年以降の書籍しか引っかからない。
といったところか。
「煮詰まる」のコアイメージは「熱されることで水分がなくなっていき固形分だけが残る」というようなものであろう。
それをポジティブに捉えると「余分なものが削ぎ落とされて本質がはっきりする」といった意味合いになり、ネガティブに捉えると「瑞々しいものが失われて停滞する」といった意味合いになる。たとえば「議論」にポジティブなイメージを適用すると「論点が整理されて結論がはっきりする」になり、「思考」にネガティブなイメージを適用すると「新しいアイディアが生まれなくなり行き詰まる」になるわけだ。
もともとの料理としては「美味しくするために煮詰める」ことも「熱しすぎて煮詰まってしまう」こともあるわけで、どちらのイメージで使うのも自然な感覚である。当初から「煮詰まる」は多義的な比喩表現だったのだから、「これが唯一正しい用法なのだ」などとはあまり気にしなくていいのではないだろうか。
もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事の書類ばかりとなった昨今。
でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。
書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。
生まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖の詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。
頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初の感想だった。普通に文章だったからだ。
調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで
「韻」という言葉もその時初めて知った。
井上靖の詩集を手に取ったのは、国語の教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。
というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初の詩集だった。
小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。
季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなものが短歌や俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。
特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平の短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉のニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。
幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。
自分の世界の表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。
例えば、雪という詩がある。
雪
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
こういう二行の少年の詩を読んだことがある。
みつけた詩だ。雪が降って来ると、
私はいつもこの詩のことを思い出す。
中学生の私は、なるほどと思った。
詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉のなかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。
鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。
当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。
いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。
ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。
山頭火は面白い。普通の俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。
定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌のエントリーポイントとなって、
しかし俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。
いつしか手にしていたのは、興津要の解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。
剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代の言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。
その後は巴毎晩組み敷かれ
木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代の川柳で妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい。
一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。
俵万智のサラダ記念日がベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。
例えば、こんな一首。
あさま山荘事件を起こした連合赤軍の幹部、坂口弘が収監中の東京拘置所から毎週のように短歌を朝日歌壇に投稿していた頃だ。
朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌の表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。
風花って知っていますか
渡辺松男と太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇をリアルにみていた人にしかわからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱が発酵すると詠んだりする太田美和。
実生活で恋をしていた私は太田美和の言葉に自分を重ね合わせた。
でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。
大学を卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。
生活が一変した。
書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。
世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。
山頭火も武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接と資格だ!という日々。
就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。
たまに思い出しては、現代短歌の最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。
若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。
それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。
そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。
思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分が死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。
中年になっていいかげん自分の限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖の感覚がとてもよくわかるようになった。
これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。
詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。
どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。
鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯な子供の姿を思い浮かべる、という
文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワインと食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。
ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種やビンテージ、気候土壌などさまざまな情報がある。
しかしワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのときの話題、体調などに大きく左右される。
水だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。
マリアージュという言葉があるように、ワインは一種の調味料として機能するため、食べ合わせは重要だ。
ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見のワインでしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。
逆に偽の情報を表現豊かに補完してしまえば、コンビニで販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。
ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的な規律として表現することはできない。
詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。
井上靖が「小学校の教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき、井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。
その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。
どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときのメンタル、いわば偶然の力だと思う。
渡辺松男と太田美和が並んで歌壇に掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。
失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会。
そのときに自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。
ところで、先日、Yahooの芸能ニュースをみていたら、TBSのプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人が俳句の先生から5点と酷評されたと報じていた。
消しゴムが 白き水面に ボウフラを
というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味を説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。
ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人の俳句が酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組の演出・脚本としてはそれがオチなのだろう。
演出もさることながら、これは、他の出演者の俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。
虹の下 クレヨンの箱 踊り出す
天王山 黒ずむ袖に 薄暑光
薫風や 隣の君と 教科書を
こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。
バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージで作品のクオリティが補完されてしまうのだ。
しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校の児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。
消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月の番組で文房具だからまだ気持ちはフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。
ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。
それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。
いいかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。
一方で白い水面(ノートの隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。
ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。
と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ。
ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。
また、どんくさいもの、弱者がボウフラというノート上のより小さい存在に視線をフォーカスする、という手法は小林一茶の方法とも通じるところがある。
番組の評者は、この芸人の俳句を酷評したうえ、次のような添削をしたという。
夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。
しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組だからね。
ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界は一種のルッキズムだ。夏休みとかいって勝手におめかしさせようとするんじゃねーよ。
そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつの動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語や川柳で身につけたものだろうから、ゆりやんの一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。
本を紹介していくアドベントカレンダー,24日を担当している.
積読はようやく200冊から減少傾向にある程度にまではなった.
有名どころでは池井戸潤や恩田陸,宮部みゆき,赤川次郎なんか好きだ.
外国物はほとんど読まないが,「ハリー・ポッター」シリーズにはわくわくしたし,「オリエント急行の殺人」や「そして誰もいなくなった」には驚いた.
こうなるとシリーズ物は難しくなってくる.はやみねかおるか「ミルキー杉山のあなたも名探偵」シリーズくらいなものだ.
相応しいの!
ということで私の1冊はアンソロジー「サンタクロースを見た」で.
https://www.kadokawa.co.jp/product/301312000298/
それではみなさん,メリークリスマス!
僕も八十九歳になり、少し老人になったらしい。
人間もいくらか老人になったらしい。人間としては少し老人になりすぎたらしい。いくらか賢くもなったかも知れないが、老人になったのも事実らしい。しかし本当の人間としてはいくらか賢くなったのも事実かも知れない。本当の事はわからない。
しかし人間はいつ一番利口になるか、わからないが、少しは賢くなった気でもあるようだが、事実と一緒に利口になったと同時に少し頭もにぶくなったかも知れない。まだ少しは頭も利口になったかも知れない。然し少しは進歩したつもりかも知れない。
ともかく僕達は少し利口になるつもりだが、もう少し利口になりたいとも思っている。
皆が少しずつ進歩したいと思っている。人間は段々利口になり、進歩したいと思う。皆少しずつ、いゝ人間になりたい。
いつまでも進歩したいと思っているが、あてにはならないが、進歩したいと思っている。
僕達は益々利口になり、いろいろの点でこの上なく利口になり役にたつ人間になりたいと思っている。
人間は益々利口になり、今後はあらゆる意味でますます賢くなり、生き方についても、万事賢くなりたいと思っている。
ますます利口になり、万事賢くなりたいと思っている。我々はますます利口になりたく思っている。
益々かしこく。
私はゲーマーである。最近では据え置きゲームをプレイする時間が無い為専らソシャゲ専門である。ただし、昨今売り上げトップクラスのゲームぐらいにしか手は出せていない。
私は本をたまに読む。現代の流行作家も好きだが、芥川龍之介氏や泉鏡花氏、太宰治氏の美しい文体に夢中になったり、吉川英治氏の宮本武蔵を読み、力だけの強さではなく精神の強さの高みに至るにはと考えさせられ、武者小路実篤氏の晩年の随筆を拝見し人間の老いとそれでも書くという意思を貫いた氏に敬服したりといった具合の文学研究者には程遠いレベルの本好きである。
それを踏まえた上で、昨今見聞きした件での所感を綴ろうと思う。
「文豪とアルケミスト」とはDMMゲームスより配信されているユーザー100万人突破、DMMランキング11位(本日19:00現在)Game-iの平均ランキング322位(売上予想131万円)の人気のある女性向けソーシャルゲームがある。世界観担当をイシイジロウ氏(代表作は2008年の「428~封鎖された渋谷で~」今後「新サクラ大戦」にも参加されるらしい)プロデューサーを谷口晃平氏が担当し、金沢で製作されている。
さて、この「文豪とアルケミスト」のゲーム内では文豪が実名でキャラクター化しており、ゲームの中のイラストの美男子達が芥川龍之介氏や太宰治氏を名乗っている。いや、それはいい。ご遺族にご挨拶して許可を事前に取っているのならそれは全然構わないと思う。そしてその文豪達を強くする為に召装という物が必要になってくる。それら召装には文豪の私生活や遊んでる風景などが描かれる。また文豪の衣装を変えられる権利も手に入れられる。もちろん無料ではない。世に言うガチャである。
さて、このガチャで2019/2/21に配信された「猫町ノ幻燈」でとある問題が発生した。召装イラスト内に於ける萩原朔太郎の着用しているお面が個人クリエーターである和兎庵氏(以下クリエーター様)がデザインし販売している猫面とデザインが同一であるという点である。
発見したのは某匿名掲示板で文豪とアルケミストを見守っていた方々と、皮肉にも文豪とアルケミストに対して疑問符を抱いていた人達であり、すぐにまとめがtogetterにて作られた
この事はすぐにクリエイター様の所に伝わり、早速問い合わせをし、弁護士にも依頼したという。これを受けてユーザーの中にもそれなりの人数の問い合わせをした人も居たと思われる。
しかし、その返信は「順次詳細確認中」という味気の無いものだったらしい。ユーザーの中にも不満を漏らす者が出てくる。
まずこの時点で普通のゲーム運営ではありえない。「調査中」と宣言して召装を取り下げるなりの処置を、文豪とアルケミスト運営はせずに、召装ガチャを売り続けたのである。その態度に不満が出るのだが、その声は悉く封殺されたのである。
何故か。
Twitterで「文アル」と検索するとサジェストに「文アル リンチ」と出てくる。
これはいついかなる場合でも運営に対して不満を漏らすユーザーを他の文アルユーザーがネットリンチをしているという事である。
主な手口としては不満を漏らすユーザーのツイートを引用RTしながら「何が悪いかわからない」「クレーマー」「要介護者」と言った罵倒を繰り返す。そして不満を漏らしたユーザーがアカウントを消去したり鍵を掛けるまで嫌がらせを続けるのである。
この嫌がらせは残念な事に 盗作されてしまったクリエーター氏にまで及んでしまった。
しかし数回にも及ぶ問い合わせにも文豪とアルケミスト運営はユーザーはおろかクリエイター氏本人にも誠意ある返信をしなかった。
その結果、クリエーター氏は裁判所を話し合いの舞台とせざるを得なくなる。 協議の為に3回も裁判所を訪れなければいけなくなった側の身を考えると他ゲームユーザーでも胃が痛くなる。
そして昨日2019/5/10
それを見てクリエーター氏も普通のユーザー諸氏も一ゲーマーの私も驚いた。
それはもう同じプラットフォームのカオスサーガの謝罪文よりも酷い文章だった。
文豪とアルケミスト運営は、文豪ゲーの名に賭けて弁護士に謝罪文の作成を依頼せずにスタッフに謝罪文を作成させたのだろうか。
むしろこれで謝っていると思える方が凄い。
そして現在のところイシイジロウ氏 も谷口晃平氏もこの件に関して全く触れていない。
この件に関して思う事は、「これが罷り通るようになったらゲーム業界本格的に終わる」だ。
この「文豪とアルケミスト」運営は過去にも様々な盗用をやらかしてきたらしい。その度に熱狂的なユーザーに庇護されてきた。
その一方で純粋に文学が好き、真っ当な倫理観を持ったユーザーは「文豪とアルケミスト」に拒否感を抱き、離れていった。離れないにせよ課金を控えるというソシャゲに取っては致命的な行動に出ざるを得なかった。
残るのはトンチキな理論でアクロバティックな擁護をする あまり運営に取って有益ではないユーザーだけ。
その結果が「ユーザーが100万人いってるらしいのにゲーム名を聞いたら眉を顰められる、課金もほとんどされないゲーム」の誕生である。
ここまで言っておいて何だが別に「文豪とアルケミスト」にさっさとサービス終了してくれとは言わない。
何故ならこの運営、スタッフ、狂信的ユーザーを箱庭のように永遠に「文豪とアルケミスト」の中に閉じ込めておいてもらいたいからだ。
この運営や狂信的ユーザーの倫理感で他のゲームや娯楽コンテンツが汚染される事が、ただただ恐ろしい。
でも付け加えるならば盗作盗用は二度とせずに、自分の好きな国内外の作家は出てほしくないし、出来れば今出ている好きな作家は取り下げてもらいたいなぁと思う。
面白いかな?どうかな?という期待と不安が入り混じった状態を楽しませろ
追記
なんかあんま伝わってないな
いきなり「これ面白いよ」って紹介するのはやめろって話
お前らが善意でやっている行為は結局その作品との出会いを台無しにしていることに気づけ
もちろん「何か面白いやつ教えて」と聞いてくるやつには自分が面白いと思うものを教えてやればいい
俺の友人は何も言わずにそっと本を渡してくるようになった
そのうちの8割は面白くなかった
今度こそは・・・と思いながら俺は友人から借りた本を読むんだ
さらに追記
はてなブックマークとかいうよくわかんないとこにわけわからんコメントするならこの記事にコメントしろ
返信するから
さらにさらに追記
あーちょっとわかってきた
自分が想定しているのはネットで不特定多数にものを勧める話ではなく、
Twitterとかブログとかでこれ面白いよって言ってる人にネタバレだ!消えろ!みたいなことは言わない
さらにさらにさらに追記
だいたいこんな感じな気がする
https://anond.hatelabo.jp/20180118133204
勧めるんじゃなくて紹介って言えば良かった
というわけで紹介して
north_god 常識的な解釈として筆者の言うような洗礼を潜り抜けて面白いと思ったから勧めた決まっている。勧めてくれた意図を読み取った上で自分の解釈で対抗する楽しい戦いを、単に消費するだけのくせに偉そうだなオイ
>せっかく勧めてやったのに文句言うなってこと?
egory_cat 面白かったら俺の手柄感がして嫌なのでは。「え、まだ見てないの?これからあれが楽しめるとか逆にうらやまし〜」
>うーん0ではないかも
emiladamasemiladamas ブコメとかひとり言なら面白いと気軽に言えるけど会話だと相手にプレッシャーになりそうで勧めにくいなんてことはたまに思う
>わからなくもない
pptppcpptppc めっちゃ追記してるけど案外頭ごなしに否定せず受け入れるところは受け入れてる増田。返信は雑っちゃ雑だが(数多いしな)/ところで「>」って引用した文章に付けるものじゃないのか?
>せっかくコメントしてくれてるし。「>」の使い方は確かにそうだ。自分用のメモとかだと>で下につなげて書いたりしてる
p-2yanp-2yan 恩田陸作品はヤバい/つまらないって分かってるならともかく、つまらないかもって思いながらみる位なら、好みに信用が置ける人とか嗜好が知りたい相手のお薦めみる方が有意義に思ってしまうので、なんか新鮮 4 clicks
>出会いを大切にしたいって感じ
deep_onedeep_one 主観の提示では情報にはならん。「悪いがそれの面白さは俺には分からん」って自体が普通にある。/まぁ古来より「誰それ好み」という分類がある。本来「なんとか文庫」って言うのも「誰それの集めた本」って意味。
>うーんよくわからない
atohatoh 娯楽で読む本で「面白くない」本をわざわざ薦める文化がないので、それを一般論として言われるとなぁ。増田が実際の知り合いだったら、めんどくさいので一切本は薦めないな。 増田
>それで良いと思う
suda0803suda0803 自分にとって面白かった作品とそうでもなかった作品を織り交ぜて紹介すればいいのか…?
>最終的にはそうなるかも
Wafer はてなブックマークおもsいやなんでもない。匿名ダイアリーよりブックマークの方がわかりやすい場所にあると思うのだが。
>同じはてなの匿名ダイアリーをはてなブックマークしてコメントをする意味がよくわからなかった、記事にコメントすればよい
sthya 増田は、「これ面白いよ」系を切ることを推奨する。実際にそういうテンプレートで書かれている文章は、わざわざ観に行く値にならないっと推測されると考える。 5 clicks
>ネットの情報は見ないようにしてる。見てしまっても別に怒ったりしない。
qripjfpq2fhiwqripjfpq2fhiw それはネタバレとは言えない。 映画 考え方
>ネタバレという言い方は少し違うかも
hz75hzhz75hz ネタバレとはちょっと違うが、「これ調整面白いよ!マジで!絶対読んだらハマるから!!」みたいに勧められるのが嫌なので、自分はどんなに好きでも「まあ読んでみてもいいと思うよ…もし合えば面白いかも」くらい
yukari_gohanyukari_gohan 面白いよは許せるけど、泣けるよとかトリックがすごいとかはネタバレだと思うから聞きたくない派。序盤出てこないキャラの話とかも。
>まぁそうだね
maturimaturi 初見時、腹筋に全く力を入れていない状態で不意打ち腹パンくらったような衝撃を受けた作品があるんだけど、どう紹介してもそれを相手に再現させ感じさせることは原理上不可能なので勧めていない
>それはわかる
takenoko7120takenoko7120 undertaleとか気になってはいるけど、面白いよバレで萎えてやってない
CujoCujo まずすべてのさくひんをだれよりもさきにかんしょうしましょう(むり/あまぞんびでおはいいぞ(ふーるーでもいいけど。。。。。 ネタ マジレス
>ネットでの評判を見ないようにすればよい(見ても自分のせい)
sukekyosukekyo ネットが普及していいよなあ。必要なだけの「おすすめ具合」を自分の責任で知ることができるから。そして普及したおかげでネタバレにキチガイ反応する人が多い事も知った。キチガイ多いよなこの世界。 13 clicks
>追記したけどネットの話じゃない
minotonminoton "いいね" だけの世界ってこういう関わりなのかも
>たしかにそうかも
fktackfktack 面白いけど君にはどうかな、みたいな言い方はたまにされる 5 clicks
snowmann129snowmann129 武者小路実篤「愛と死」
oaiforignwfesoaiforignwfes ちっちゃいのぉwww 映画 増田 ネタ
>どのへん?
>え?
kastro-iyankastro-iyan その前に俺にリコメンドするなって言えよ。
>言ってるって書いてる
shinichikudohshinichikudoh 「これ面白いよ」と勧めた相手は絶対その作品にハマってくれる。理由は簡単で相手がどういうものを好きか事前に熟知している場合にしか「これ面白いよ」と言わないから。というか自分と趣味が合う人にしか言わない。
>もしかしたら相手の面白いかどうかどきどきするところを奪っているのではないか。
losingtouch14losingtouch14 逆に面白いとつまらない以外の評価ってないだろ、それ以外の勧め方が出来ないのかと増田は問うけれど逆に増田は出来るのか…?
shima2tigershima2tiger 相手の言い分をちゃんと受け止めて、素直な人だ
occurstaroccurstar 面白いの定義なんて色々だろう。 どんな面白さかを考える方が面白いだろ? 映画 増田
>そこを色々で済ませずに
pbncpbnc さすがにそれはねぇ…。俺の面白いがあんたの面白いとは限らないからとしか…。 増田 映画 ネタ
>別に一致するしないを言っているわけではなく、面白いか面白くないかの判定をされた状態で見たくない
wdnsdywdnsdy 「これオススメ」「これ良かった」「これグッときた」「これマジヤバイよ」「これ見て人生変わった」とかならいいのか…そこに違いはあるのか…
>うーん「これ良かった」「これグッときた」はちょっと微妙かな
perfectspellperfectspell まあ、クソみたいな作品を面白いと言って勧めている例を山ほど見てきたのでセーフ。その「面白い」には確実性がない。
>そうなんだけど、面白いか面白くないかを判定された状態で見たくない
masao_hgmasao_hg >の使い方が俺と違うやんか。
>えっそう?
fal-worksfal-works その不安を楽しめるなんて余裕あるなあ / メタフィクションが好きなんだけど、本質に触れずに紹介するか「とにかく面白い」としか言えなくなるかでいずれにしてもモヤモヤする
>不安も含めて作品なのでは(別に毎回必ず不安を感じろとは言わない)
scorelessdrawscorelessdraw 「逆に面白い」「ある意味面白い」「興味深い」
>うーん興味深いはセーフ
beerbeerkunbeerbeerkun 作品だけボソッと告げる文脈というか会話を想像できない。急に言われても「はっ?」てならないのかな。
>いやそこは会話の流れでなんとかしてよ
GiveMeChocolateGiveMeChocolate そんなに気になるレベルではないけど、地味にわかる
>よかった
renosrenos オモコロかどっかで「どこまでがネタバレか?許容できるか?」みたいなのあったなあ
>見てみよう
conlbstars リアル〜完全なる首長竜の日〜(面白いとは言っていない)
>助かります
gcyngcyn スイート❤︎❤︎❤︎
>これ作品名?
beauty_lake 「はてなブックマークとかいうよくわかんないとこにわけわからんコメントするならこの記事にコメントしろ。返信するから」/これをしない変質者がブクマカになります。彼らは欲するのは一つだけ。星、星、星。
>はえー
TETOSTETOS まず善意じゃない。俺が好きな物を読んでないやつが嫌いなだけなんだ。だからネタバレもする。ああ、あとはてブ面白いからやってみるといいよ。
>せっかく好きなものなので最高の状態で読んでもらいたくない?はてブよくわからなかった
olichtolicht やだぁ 増田
>はい
>はい
kenken610kenken610 世に出ている時点である程度の水準に達しているというネタバレだぞ
>うーん
ducktduckt 「面白い」の意味を狭く捉え過ぎ。きょう日「クソアニメ」すら褒め言葉になる。
>よくわからないけど面白いという表現抜きでなんとかしてほしい
bettychangbettychang いや勝手にランダムにみればいいじゃんって思ったんだけど、つまりは友達がみているものをみたいのでは。あとで話とかできるし。10分位考えてしまった。
>それはある。
camellow 「面白くないから勧めるよ」なんて人間いるのか?勧めると言うことは少なくともそいつの視点では面白いかもしくは何か有益だと思ってるに決まってるだろ。
YoshitadaYoshitada ……お前、ネット向いてないよ。今すぐ回線切って、布団かぶって寝ろ。
y-woody-wood 増田の国語力
>増田って何
bjitabjita 「これ面白いよ」は「これ読んだけど俺はそこそこ面白かったよ。お前も読んでみたら?」くらいの意味だろ。全部言わせんなよ恥ずかしい。
blackseptemberblackseptember とはいっても「これ酷いよ!クソだよ!」って勧められるのなんてゾンビ映画とサメ映画ぐらいじゃん?
halmalihalmali 突き詰めるとこれは金曜ロードショーで前作を放送するのが最高のおススメ方法なんだろうね。 4 clicks
>うーんよくわからん
karinkonkarinkon これ面白くないよ、といって勧めるのは現象として存在しないだろ。クソして寝ろ。な?
xKxAxKxxKxAxKx だるい
>はい。
shiteruyoshiteruyo そんなにツッパるな! もっと肩の力を抜くんだっ!
>はい。
botpbotp 友人w 仲良しだな~ ネタ
>うん
primedesignworksprimedesignworks ぼくの好みをよく知ってる人からの勧めでない場合は聞き流してます。 4 clicks
>はい。
Arturo_UiArturo_Ui 「これ面白いよ」という勧め方は、審美眼について信頼できる相手にしかやらないものです。増田と相手の間では、それほどの信頼関係が築けていなかったのでしょう。 マジレス
>え、そうなの?
baca-aho-dojibaca-aho-doji こんなことも言えないような人にはおすすめなんてしなくていいんじゃないかな。。。勝手に名作探せよ。 ネタ 増田 4 clicks
ulstaulsta 逆に「世界中の誰かが勧めた一冊が勝手に届くサービス」って面白いかもね。
>いいね
orenonihongogayabaiorenonihongogayabai 何も言わずにダンサーインザダークや秒速を渡す行為は正直テロだと思う ネタ
>よくわかんないけど凄く暗い作品とか別に言うほどじゃないよね
RIP-1202RIP-1202 まずは自分が勧める側になってみるところからはじめてみれば。
>安易に人には勧められない。
tomtatomta どういう勧め方されても判断するのは自分なんだからどうでもいいじゃない。期待しすぎだと思う。ツンデレなのかな?
>そうなんだけど勧めるからには相手に最高のパフォーマンスでみてほしくない?
RM233RM233 まんじゅうこわい
>はい
murishinaimurishinai 直感的に思ったのは、何かものについての評価を「面白いの?」って問うてくる人があまりにも多すぎるので、それに対する最適解なのでは、と
>なるほど
inforeginforeg 「これ、めっちゃグロいよ。吐くよ」だと、怖いもの見たさで見たくなる 増田
>いいじゃん
hard_corehard_core 随分なマウンティングをする増田であった。やらせてやれ。マウンティングしたいんだそいつは。大人になれよ。
>何の話?
carl_scarl_s 感性は人それぞれだから“君に合うかはわからないが俺は面白いと感じた”と言うようにしてる。“駄作!時間を損した!”みたいな評価を聞くほうが辛いな。わくわくして仕事が手につかなくなる。 増田
madronmadron わかる。自分の場合、「奴をして『面白い』と思わしめたのはここか?それともそこか?」という答え合わせを始めてしまい、結果、まっさらな自分の感性で楽しめなくなる、ということが稀によくある。
>まぁだいたいそんな感じ
nanoha3nanoha3 じゃあ「この小説の叙述トリック最高だよ!」と言って薦めるよ・・・
>なんでそうなるの
IfatherIfather 「これつまらないよ」という勧め方をやめろ
imashimash 面白いかは知らないがオススメするぜ。と言われても困るんだが。
yuki_furuyuki_furu 「スティーヴン・キング絶賛!」←この人、ジャンルも質も問わず絶賛するからな。懐が深すぎる。
>キング絶賛なら安心して見られる(面白いか面白くないかわからないので)
tori-tori-pontori-tori-pon 城之内死す!(空前絶後のネタバレ)
>まぁあれは・・・
toppoggtoppogg 勧める時点で大差ないような気もするが。ただ、このマンガがすごい!とかを読まなくなった理由は同じなので、気持ちはわかる。ネタバレというかハードルが上がるんだよね。んで、素直に楽しめないんだよ。
>そうそう、そんな感じ
shira0211tamashira0211tama (クソ過ぎて、つまらな過ぎて逆に)面白いよ(俺だけ時間を無駄にしたの悔しいからお前にも)オススメだよ という可能性も 増田
iuhyaiuhya セガサターンしろ! は素晴らしい売り文句という事だな!(違う) ネタ増田 10 clicks
>そう思います
laislanopiralaislanopira 「これ面白くないよ」 (ネタバレ) ネタ 9 clicks
hoshinasiahoshinasia 無駄に長いだけで面白くない作品を無言でスッと差し出したい。のぞみウィッチィズ 42巻(野部利雄)とか。
>それでいいと思う。面白くないって言っちゃってるから読まないけど
viperbjpnviperbjpn 楽しんで!
>はい
kaanjunkaanjun これおもしろいよ。ポプテピピックっていうんだけど。
>うん
kori3110kori3110 勧める時点で、面白いと思ってるのでは……とはいえ、帯でトリックのネタバレするのはやめて欲しい。あれとかあれとかあれ
>そこが勧めるのの難しいところ。帯ネタバレは何なんでしょうね
ChinosokoChinosoko 「どつかれてアンダルシア (仮)」「メテオマン」「ギャラクシークエスト」「ビルとテッドの大冒険」「マーズ・アタック!」「フラッシュ・ゴードン」「ザナドゥ」…どうお勧めなのか書かない事がこんなに怖いとは。 映画
>助かります。
sakurako_nyasakurako_nya そいつの人となりでわかるので誰から聞いたかがわかるようじゃダメ。
>そこをうまくカモフラージュして勧めてくれ。
lovevoiceryulovevoiceryu それはネタバレじゃない。
>ネタバレという表現は違うかもしれないけど作品の楽しみ方を一つ削いでいるのでは
>まぁね
kibarashi9kibarashi9 けっこういいよくらいがいいかな。
>いいかも
ertedsfdsddtyertedsfdsddty あらゆる作品に関して「まったく事前知識がない状態」で見聞きするのが好きなので、増田の言ってることはわかる。ただ同時に「ヤツが勧めたか……なるほど……」みたいな楽しみも別にあったりする。
>まぁそうですね
buubuu 何も読むな。 hatena 13 clicks
>Why
PalantirPalantir コジョモス
>助かります
jabberokkiejabberokkie 作品名だけ言ってくる様になったら「勧めてくるだけで面白いというネタバレになるからやめろ」って言い出すでしょ 9 clicks
toshi20toshi20 Twitterやってると周りが騒いでるのに自分にはそれほど響かないとか、まわりが騒がないけど自分にはめっちゃ刺さる映画があったりする。何が言いたいかというと「他人の意見、意外とネタバレじゃない。」 映画 31 clicks
>他人の評価と合ってるか合ってないかじゃなくて、他人の評価を聞いたこと自体が作品との関わり方を変えてしまう
ustamustam もっと具体的に「全米が泣いた」とか言わないとダメだよね。
>そうです。
xevraxevra アスペは大変だね。お大事に 20 clicks
>アスペ?
abekohabekoh とどのつまり「ガルパンはいいぞ」に落ち着く 増田
>はい。
minesweeper96minesweeper96 勧められてる時点でだめ、自ら見つけろ
>それも正しい
gui1gui1 スターウォーズ#9はむらさきばばぁの一代記と思ってみれば面白いよ(´・ω・`)
>はい。
eggheadoscareggheadoscar どんな環境で育ったらそうなるんだ
>えっ変?
if_elseif_else ガルパンは
>はい。
cider_kondocider_kondo 関係ないけど、友人が「この映画の“秘密”だけは誰にも話さないで下さい」がコピーの某映画を見て暗い気分になり、今度はコメディでも見るか、と選んだのが「エース・ベンチュラ」だったという事件を思い出した(謎
>謎
zakusunzakusun 友達の好みはある程度わかるから、その人が好きそうなジャンルの作品を教えてあげる。もしくは教えてもらう。相手の好みが大切。自分や、世間の評価ではなく。
>えーっとなんの話?
ko_kanagawako_kanagawa この人の意図とは違うんだろうけど、これ面白いよって勧め方めちゃめちゃ上から目線な気がするから、せいぜいおれこれすきくらいで留めるけど本当はあーここすきここもすきワイトもそう思いますわかる?わかるマン?
>わからなくもない気もしなくもない。やっぱわかんない
arukamarukam 他人を鵜呑みにするのやめろ、迷惑だから。
>誰に迷惑?
sin4xe1sin4xe1 由緒ある「つまらないものですが」の出番 増田
>はい。
okumuraa1okumuraa1 かなり同意!
>よかった
kiyo_hikokiyo_hiko 大体のものは一度はやってみて不愉快になれたそのときは即座に辞めるって寸法よ他人の評価って自分の評価とは違うものなので 生き方 7 clicks
>???
zazenzazenzazenzazen 面白いよ!って勧められると『本当かよ、俺の感性は一味違うから君らと一緒にすんなよ。俺が判定してやるからな!』的なまるでアオイホノオ的な心理になりませんか?
>それは少しわかる
htnmikihtnmiki 俺は臆病なので「俺はなかなか面白かったよ。でも他の人がどう思うかはわからないかな。」とか言ってじゃあ貸してと言われたら貸すクソ野郎
shinoppieshinoppie これ少数派だろ。そうやって勧めても人によってつまんなく感じるから。
>少数派っぽいけど合わせてくれ
FuggiFuggi 「全米が泣いた」を深刻なネタバレとして怒るタイプ。
>うーんそこまでではない
gunihtongunihton これは上原亜衣
>え?
dev-masahirodev-masahiro 無言で作品を投げつければいいのかな
>はい。
linus_peanutslinus_peanuts 「なんか面白いのない?」って聞いてきてこの言い草だとちょっと、と思うかなあ……
>いや流石にそれはない
lnimroderlnimroder ドロヘドロ
>はい。(読了
wata-nabewata-nabe こんな神経質なくらいネタバレを気にする人は、インターネットをどう見てるんだろうか。
>ネタバレは嫌だけどそこまででもない。トリックより面白いか面白くないかを知りたくない
wow64wow64 アマゾンでレビュー数多いのに星3つ作品とか、見ててムズムズするのが多いけどそういう不安を楽しみたいのか...
>そんな感じ
>はい。
tomatina24tomatina24 (都市伝説の関暁夫風に)「面白いか面白くないかはアナタ次第です」
>はい。
ymm1xymm1x 過剰にネタバレを嫌う人とそうでない人は何が違うのだろうか
>過剰かなぁ
another2017another2017 つまり「これ」「はい」「見て」「はい」って事か。会話力の低い上司と部下かな?
d346prtd346prt 暗示にかかり易いのか? そう言わなくても、勧めてくるからには「これ面白いよ」と思ってるに決まってるだろ。 ネタ増田 7 clicks
>だから面白くないものも挟んでくれ
hackapellmandahackapellmanda いっぱいちゅき
>はい。
hiruhikoandohiruhikoando こういうので一番好きな文句は「綾瀬さんはいいぞ。心が豊かになる」だったりする。 増田ネタ 5 clicks
>はい。
key_llowkey_llow 「エモバレ」とかいう単語の亜種だ。
>そうなの?
usk-uskiiiusk-uskiii 人に直接勧めるより、思いっきり楽しんでる姿を見せる方が効果的な気がする。最近だとハイローとかバーフバリとか、その界隈は楽しそうで興味湧くもん。
>まぁわかる
FunnyBunnyDizzyFunnyBunnyDizzy シュタインズゲートはやっても良いし、やらなくても良いと思うぞ。
>はい。
bean_herobean_hero これ勧めるけど、面白くないから、絶対見るなよ絶対! とかだったら良いのかな ネタ
>面白くないってことも言うな
axkotomumaxkotomum 情報を撹乱するためにクソ作品もおすすめしないと!!
>そうです。
naberyaunaberyau トラバの“時折つまらない作品も混ぜろ”で笑った
>いや真剣に
xxxxxxxxlargexxxxxxxxlarge 面白いよって言われるけどだいたい面白いかどうかは50/50なんで、ネタバレだとは思わない
>面白いって言われることであいつは面白いって言ってたけど・・・という評価になってしまうことが問題
hase0510hase0510 わかる。全く面白くない作品をランダムに織り混ぜて勧めるのが一流のキュレーター。/似た話で、俺がワンピースを読むのやめたのは「この漫画この先も絶対面白いんだろうな」と確信した時だった。
>同意いただけてよかった
kmartiniskmartinis 例えばその“面白いかな?どうかな?”で Permalink | 記事への反応(23) | 16:35
http://anond.hatelabo.jp/20161226200010
婚活サイトにいるくらいだから、「男性側も結婚したい」という仮定のもとに話をする。
多くの女性が勘違いしているが、結婚するためには下記の2段階をクリアする必要がある。
2段階だ。ふたつをごちゃ混ぜにしてはならない。
1)女性として気に入られる
ここで陥りがちなのは1をクリアしたあとに別ルートに進んでしまうことだ。
男性側もなんでこうなったんだクソって思うことが多々あるので1と2の間は本当に重要だ。
たまにCからAにクラスチェンジすることもあるけど30歳超えたらそれはないと思って欲しい。
さて「どうやったらおつきあいできるか」について書く。
まずは方法を考える。
Z)寝る
元増田がXが出来ればそれで話は終わる。
Zは2Cルート一直線。
だからYを目指すこととする。
・嫌いじゃない女性
を好きになるという特性を持っている。
長くなりそうなので諸々はしょる。
とにかくLINEしよう。
・10日に一回くらい平日に送らない日を作る
・クラシックのコンサート、プログラミングの勉強会などふたりで出かけられそうなイベントを会話に盛り込む
・珍しいカクテルが飲めるバー、クラシックが楽しめるピアノバーなどの情報を調べて会話に盛り込む
・少し遠い場所の遊園地、夜景などの情報を調べて会話に盛り込む。この時期は水族館がおすすめ。寒くない。
あなたの容姿がよっぽど悪くなければ、3回デートすれば彼から何かアクションがある。
4回デートして何もなければ、男性のことを真剣に考えている旨を手紙に書いて渡そう。
ただし200文字以内に収めること。それ以上の長文は相手が引くだけだと心得よう。
なお2Aルートに行く場合、実はもっとも大事なのは金銭感覚である。
ブスは3日で慣れる。
今日はこの辺で。
健闘を祈る。
全体的に納得感はあるけど、手紙は短くても引くかな。
元増田の習慣として手紙を書くことがなければ、手段として相応しくないでしょう。
viberでもwechatでもskypeでもemailでも、なんでも構わないと思う。
一番得意なやり方を選択すると良いでしょう。(ただし長文厳禁)
なるほど、ショーペンハウアーはためになりますね。っていうか、武者小路実篤が「ためになる」ってのもスゲーけどな。
男が男にチンコをぶっこみ、サディズムマゾヒズム趣味全開で突き抜け、当時発禁処分を食らって有害図書認定された
アポリネールが「健全でためになる」んですか。いやすげー、意味がわかんねぇ。
ホモのおっさんが書いた処女への憧れを「健全でためになる」と読むわけですか。
「お膝に女の子乗せててたら射精しちゃった。でも聞いてよ、その子ビッチだったんだよ?」で有名な
芸術とゲームの間に線引きとかムリですって。アートとエロ本の区別くらいムリ。
まぁ、つまるところ芸術なんて社会がそれを芸術とみなすかどうかだけで線引きされてるし、
クソワロタ。
アポリネールが、ジッドが、ナボコフが、ロブ・グリエが、バタイユが
「健全」で「ためになる」んだ。あんなの有害図書以外のなにものでもないと思うんだけど。今も尚説得力あるんだ。
なるほどなるほど、スタンダールの恋愛論を真顔で読んじゃうんだ。
歴史的選別を経てないものは芸術じゃないんだ、つまり現代「芸術」は存在しない、と。
ピンチョンやデリーロもダメか。っていうか、その理屈だと「太宰」は「健全でためになる芸術家」か。
教養なさすぎじゃない?「健全でためになる芸術」ってほとんどないと思うけど。
武者小路実篤の熱烈なファンとかそういう珍しい人なの?芸術なんてほとんどがクソの役にもたたない
不健全不健康不道徳なものですよ。ドストエフスキーが「健全でためになる」んだ。