はてなキーワード: 暖かいとは
友人と二人で夜道を歩いていた。我々は苦学生だった。家はお互いに田舎で裕福ではなかったので、何とか現状を抜け出そうと高校時代にやみくもに勉強した。おかげで、通える範囲内で一番よい大学に合格できたものの、片道三時間通学だった。『往復六時間だぞ、一日の四分の一だ。四年通ったら一年間電車の中にいることになる』このフレーズを当時自虐ネタとして、よく使っていた。ただ、悲壮感はなかった。我々はおどけたピエロになるのは好きだった。
夜道は暗かった。実家の近くは8時を過ぎると人通りが無くなり、国道なのに車が通ることも少なかった。製材場の近くに通りかかったとき、道端に何かが落ちているのが見えた。自動販売機の明かりのしたにあったので気がついた。財布だ。特に変哲もない黒い長財布だった。見た目からして薄かったので大して入ってないだろうと我々は思っていた。ところが開けると一万円札が七枚。金には困っていたが猫ババをしようという気はなかった。ただ、警察に届けて三ヶ月落とし主が見つからなければ、そのお金は我々のものになることは知識として知っていた。我々は夜道を引き返し、交番にいき、財布を渡した。
三ヶ月後、我々は七万円を手に入れた。一人三万五千円。当時の我々には大金だった。そこから事件が起こった。
五月の暖かい日、鴨川でサークルのメンバーと川の中でふざけていたとき、身体を押され足を滑らせて転んでしまった。手を川の中でついたとき、尖った石がわたしの手のひらを突き刺した。傷口は大したことが無かったので、ほおっておくとその後、身体中に蕁麻疹が現れ、病院にいくと入院することになった。今まで入院なんてしたことがなかったので『なんだこれ』と思っていたが、かかった入院代金が三万五千円だった。
友達に『こないだの三万五千円、入院代に消えたわ』と連絡すると、友達から『俺も今入院している』と返事が返ってきた。後日確認すると、自転車に乗っていたときに電柱にぶつかったとかだった。そして、その友達の入院代金も三万五千円だったらしい。
実は我々は、財布を拾ったときに、一つしたことがある。財布にはお金の他にはほとんど何も入っていなかったのだが、数枚の名刺が入っていた。我々はその名刺をその場で捨てた。そのことが影響してるとは思えnwea
顔も本当の名前も知らない。でも、話していることや文字から伝わる人柄に無意識に惹かれることがある。
本の作家や記事の記者のような存在に対して感じる気持ちを、私はあるTwitterユーザーに抱いている。
まず、私自身のことを述べておく。
主に二次元の作品を好んでいるオタクだ。現場もちょくちょくあり、日々好きなコンテンツのことについて見たり聞いたりして人生を充実させてる、よくいるタイプの奴だ。
ただ、周りに同じ趣味を持つ人がいない。周りの友人の好きなコンテンツが(次元的に)真逆であることが多く、普段好きなコンテンツについて話すことがあまりないので、Twitterは「自分と好きなものが同じ人の呟きが眺めるもの」として利用していた。
そんな時に上記のような方、いわゆる「推しユーザー」に出会ってしまった。
自分の好きなキャラを描かれている絵を見かけて「素敵な絵だな」と思い、推しキャラが同じならまた見れるかも、という位の気持ちでフォローボタンを押した気がする。
めちゃくちゃ面白かったのだ。
自分にはない言語センス、自然な文体だけど伝えたいことがバリバリ伝わってくるツイート。絵がお上手な方はツイートも達者なのか!?と思ってしまうくらい面白かったのだ。今までフォローしていた方のツイートも好きだったのだが、その方のは何と言えば良いのか…なんかすごくツボにきたのだ。
それから、その方のツイートが流れてくる度にちょっと嬉しい気持ちになった。
さらにその方は、親しみやすい雰囲気からか、よくTwitter上で他ユーザーさんと会話をしていた。その様子がタイムラインに流れてきたときも、楽しそうな雰囲気を感じて無関係な自分も暖かい気持ちになっていた。
漫画みたいな例えをすると、憧れの人の様子を物陰から覗いて見ている気分だった。
だが、Twitterであるものが流行し始めたことがきっかけで、私の気持ちが揺らいでしまった。
なんと、それにメッセージを送ると設置者に匿名でメッセージが届くのだ。
友好的なその方は、是非にと、その箱を設置してくださった。普段話したりしない人からのコメントも歓迎している旨もツイートしてくださった。
その方がメッセージに回答しているのを見たり、自分からも質問やその方のイラストが好きだといったメッセージを送ったりするのが楽しかったし、その方との距離が少し近づいたような気持ちになった。
今振り返ってみると、ここで少し「あれ?」と思った。
匿名サービスはあくまでもこちら側は匿名で送っている。だから、受け取り側からは、誰が送ってきたのかは基本的に分からない。
でも、送り主からしたら「自分→相手」が成り立っているような気分になってしまうのだ。実際の自分は、実態を持たない霧のようなものなのに。
そりゃそうだ、だって自分が送った内容がどんなのかは知ってるから。だから自分のメッセージとして認識している。
何回かメッセージを送っていた当時の私は、いつからか眺めているだけで満足出来なくなってしまっていた。
そして、思ってしまった。
「見ているだけじゃなくて、話をしてみたい」
と。
単に一人のユーザーとして関わってみたいだけならまだ良かったのかもしれないが、匿名サービスという段階を経てしまったせいで、勝手にこちらは相手に対して親密な立場になっているのではないかという幻想を抱いてしまったのだ。相手からしたら、全然知らない人なのに。
そのことに気づけていなかった私は、後悔をする出来事を起こしてしまった。
先述の通り、私が好きなコンテンツは現場(イベント)が定期的に行われているジャンルだ。
色んな媒体で盛り上がる系のコンテンツにハマったことがないので分からないのだが、ファン内でしばしば(どちらかというと主観的な)暗い話題がされていることもある。
私は閉鎖的なオタクなので元のツイートが届くことは(運良く今までに)ないのだが、その方には届いてしまっているらしく、その話題について悲しんでいることがよくあった(そういう話に対して肯定的な姿勢でないところも良い人だな…と思う)。
それがたまたま続いてしまった際に、このようなツイートを見た。
「近頃悲しい話ばかりで寂しい。もっと楽しいことを言って欲しい」
その時に、私は行動を起こしてしまった。本当なら、物陰から覗き見しているような私でなく、その方と親しい方がアプローチしてくださるのを待つべきだったのに。
匿名サービスを使って、励ましとその方への感謝の気持ちを文字数制限ぴったりになるくらいの分量で送ってしまったのだ。
あなたのイラストや呟きが私のエネルギーになることも沢山あった。
こんな感じのことを送った。今思うと重すぎる。あまりに重すぎるラブレターだこれ。しかも我ながら、匿名なのめっちゃたちが悪い。
これでスルーしてくれたらまだ良かったのだが、その方から返答が返ってきた。
そこには、そのメッセージが嬉しかったということが書かれていており、まさかの返事に私は舞い上がってしまった。
「いつか現場でお会い出来たら、感謝の気持ちを直接言わせてください」
送った後に気がついた。
これは、送ってはいけなかった。
匿名であることで敷居が下がったから気軽に書いてしまったけれど、これはこのサービスを通して書くことではなかった。
そんな私の気持ちとは逆に、その方は「こちらこそ是非」といった優しい言葉を返してくれた。誰かも分からない私に対して。
ここでの後悔は、匿名であるにも関わらずその方へ近づこうとしてしまったことだ。
せめて、リプライをする勇気を持てていたら、こんな気持ちにならなかったと思う。
でも、知らない人から急にリプライなんて来たら驚かせてしまうだろうし、やっぱり出来ないというのが心情だ。
もし今後、本当に現場でお会いする機会があったら、私は「あの時のメッセージの者です」と言えるのだろうか。
今の私は言えそうにない。
きっと、話せても「Twitter見てます」くらいしか言えないのだろうな。
せめて、「あなたのイラストとツイートが好きです」くらいは言えたら良いな。
それか、あのメッセージのことだけは、忘れて欲しいと思ってしまっている。
そんな私は、やっぱり見ているだけの方が良いのかもしれない。
この話はあくまで日本国民一億2000万人いる中の、ある一人の意見であって、他の人たちに当てはまるかどうかはわからない。
ただ、小学校2年からいじめられて、おかげで中学~高校とパシリ生活を送り。
30過ぎるまで、その影響を引きづってた人生を送った結果たどり着いた結論として、
「もし自分の子供が出来て、もしいじめられる立場にあったら、絶対こういう風に教えてあげよう」と思っていた事だったから、これを機に書いてみたい。
や、マジはてな最高。 昔は増田の意味も知らなかったのに(俺の嫌いな元上司の名前でもあるから、なおさら敬遠してた。はてな)
ドラマ・リーガルハイで堺雅人演じる古美門研介が、岡田将生演じる羽生晴樹に対して「それが人間だ!(それが人間という生き物だ)」と一括するシーンがあるんだけど、まさにそうで、人間って生き物の中で生きてる以上はいじめは必ず発生します。
何故なら人間には感情があるから。 あなたも心当たりあるでしょう?
不潔な人とか、臭い人とか、電車で奇声あげてる人とか「キモイw」とか言って敬遠してるでしょ?
みんな、知らず知らずの内にやってんだよ。「身を守る」とか言ってね。
社会でも普通に仲間外しやらいじめは発生しますよ。あなたもその当事者の一人ですよ?
・・こんな理由で辞めた人に対して、多くの人はこう思うでしょう
「次の会社大丈夫なの? また同じ理由で辞めない??(特に面接官なんかそうだと思う)」
今の学校のいじめを、あらゆる手(教師や周りの大人や何なら教育委員会とか)を使って潰したとしても
いじめが辛いのはわかります。俺もそうでした。30超えた今だからこんな事書けるっていうのも自覚はしてます。
ただ、探偵さんや教育委員会含めて第三者のおかげでいじめが解決した本人(俺もその一人に該当するだろう)は
全員が全員ではもちろんないけれど。
ほぼ全ての子が成長しない。
むしろ心の傷を負っただけで何もプラスにならない訳です。少なくとも自分はそうだった。
ドラクエで言うなら(第三者のおかげで)瀕死の状態で戦闘から逃げられた(ステータスゲージが黄色じゃなくて赤の状態)のはいいんだけど
答えは未だに治っていません。
(かなり治ったけど)
よく聞くでしょ。
いじめられるまでは活発だったのに、いじめられてから急に性格が反対になってしまった(おとなしくなってしまったとか・etc)
自分もその一人だと思っていて、小学校2年生まではクラスのリーダー的な感じだったと自認していましたが(小学校の話だけど)
いじめられてからは、一転しておとなしくなって嫌われるのが怖くなって衝突するのが怖くなって。
「嫌われる勇気」に出てくる主人公を地で行く感じになってしまった。
「かわいそう」「うちの子供にはそうさせないようにしよう」
共感よろしくって感じだね。可哀そうって一番嫌いな言葉なんだけど、まあそれはいいとして。
この精神状態になるだけで、社会に出てからも大分遅れを取ってしまうことは、ほぼ間違いないと思う
もちろん、子供のいじめに気付くってのが大前提なんだけど、気づいた前提で話を進めたい。
俺なら子供にこういうだろう。
「俺が後の責任全部取るから、そいつの所に行って殴って来い。言いたい事全部言って来い。言いがかりでも構わないから」
なんでこんな事を言うのか。
例のいじめ探偵さんと一緒に出演していた女性は(俺の見解では)かなり、思い込みが激しい状態だったと思う。
気持ちはわかる。俺も今でも似たような気分になる。ヒソヒソ話しをされてたら、俺の悪口言われてるような気分になるアレな。
いわゆるコミュニケーション不足。
といえば簡単だが、じゃあコミュニケーションって何なのよって話なんだよね。
それを埋める為の、話し合いが必要という事。 たぶんお互いの溝は埋まらないでしょう。殴り合いになってケンカ別れになるかもしれないでしょう。
でもそれでいいと思う。
この辺りのフェーズを学生時代に経験しておくことが大事だと言いたい。
社会に利用される人たちは総じて弱い人であって、自分を主張できない人。自分を通せない人
(全員ではないけど、その要素はあると思ってる)
(俺もそうだったから)
学生時代はその練習が出来るチャンスなんですよね。周りのクソ共が何と言おうと。
自分で(もしくは、周りの親に知恵をもらいながら)はねのけるのが、本当の意味の成長なんじゃないかな。
そうしないと、本当に「私は(俺は)過去にいじめられた事がある」だけで終わっちゃうんです。
そうじゃなくて、「いじめられた事があるけど、そいつら全部ぶんなぐってやったwwwww」ぐらいにしてくれれば、自分の傷も癒されるし、
何より「自分の意見を通すこと」の「加減」 ←ここ大事! が肌感覚で身につく。
加減がわからないから、喧嘩出来ないし、出来ないからいじめられるでしょ? みなさん。
(みんなじゃないと思うけど)
高校なんて、親もいて、教員もいて周りに迷惑かけてもある程度は許される時期じゃないですか。
ここで他人に頼るようじゃ、社会に出てからも同じだと思うんです。
自分は一度、小学校の時にいじめてくる主犯格クラスの奴に抵抗的な事をした事があったけど、それからしばらくいじめは無かった。
相手もビビったんでしょう。大人の今になったらわかる事ではあるけれど、小学生のあのころに戻れるなら言ってやりたい。
「気のすむまで殴れ」って。別にストレス発散したい訳じゃなくて、あそこでそういう事を経験しておくことっで
将来社会に出てから、不良なんかが隣に座った時にやけに動悸が激しくなる・・・なんて事もなかったと思うんですね。
(実際小学校~高校の間に起こしたケンカ(少なからずもあった)は、実は社会に出た今でもかなり人間関係の駆け引きの部分で役に立っている)。
から、子供が出来たらこの考えは変わるのかもしれない。みんな子供は大事だものね。
でも大事だからって生暖かいお風呂に入れっぱなしにしていると、いずれ一人では出られなくなりますよ。 それが今回の文章の趣旨です。
それだけです。
長くなりました。
おなか減った。
Day 1
羽田の深夜便だった前2回の旅行と違い、今回は成田発で、昼出発。
しかもややメンタルに不調を抱えているとあって、余裕を持った出発を心掛けたかったが、時間を勘違いして、ギリギリで成田エクスプレスに駆け込み、その上方向を間違えて折り返すという失態を演じてしまった。
肝心な時には何かバタバタする傾向がある自分なので、「またやってしまったー」と思ったが、どうやらチェックインには間に合いそうで、成田エクスプレスの車窓から畑を眺めながら、「この旅行に行って何になるんだろう」と愚にもつかない事を考えた。
別に何が起こるわけではない。
ただ若い頃からずっとボンヤリあった心象風景、雨のベトナムで川を眺めながらお茶や料理を食べる、その画をこの目で見て来るのだ。
メンタル不調なんて、ボンヤリするのに格好の舞台装置じゃないか。
前回の香港旅行では、事前に広東語のフレーズをいくつか覚えて行ったが、「話せるものの聞き取れない」という致命的な見落としがあり、結局中学校時台成績2の片言にもほどがある英語と、メモによる筆談で乗り切ることになった。
ベトナム語も広東語と同じ声調言語(音の高低と発音で意味が決定する言語)であり、しかもその声調というのが「コブシを効かせるようにいちど下げて上げる」「波のようにうねって上げ下げして上げる」という難解極まるモノで、もう「ありがとう」「これください」「トイレはどこですか」以外のコミニュケーションは投げている。
今回搭乗したベトナム航空は、ベトナムのフラッグシップのようで、エコノミークラスといえど、タイガーエア台湾や香港エクスプレスとはモノが違う。もちろんTGATやHKEXが悪いって訳じゃないけど、地上職員は日本語ができるし、機材も大型で安定していて、シートには枕やブランケットが用意され、機内食も出る。
さらに、シートにはモニターが設置されていて、映画その他も見られる。
海外に行くときはその地のポップカルチャーを予習して行きたいのだが(香港前に発見したアガサ・コンは最高だった)、ベトナムはまだYoutubeでの情報が少なく、これと言った映画やアーティストを発見できずにいた。
そこでモニターをポチポチやっていると、果たして良さげなベトナムのアーティスト(多分)を発見したのだった。
英語詞の曲とベトナム語詞の曲が半々。音楽性はR&BとEDM(ダブステップの様な強めじゃないムーディーなやつ)とジャズを掛け合わせた様な感じで、ジャスティン・ティンバーレイクを思わせる。
機内では検索できないので、あとで調べよう。
朝飲んだ安定剤が効いているのかな、憂鬱な気分が後退してきていい感じだ。
ややあって、海外旅行なら一度は聴いてみたい、「pork or fish rice ?」というフレーズと共に機内食がサーブされた。
ベトナムの航空会社なのに機内食で和食が出るという不思議仕様でもっぱら噂のベトナム航空だ。
ここで「fish」と答えれば和食が出て来る事は間違いなく、折角の海外旅行、しかも出発便の機内食が和食というのもどうかという事で、「pork」と答えると、豚の唐揚げの煮物をチャーハンにぶっかけたようなご飯と、海鮮春雨サラダ、パン、デザートが出てきた。
春雨の方はヤムウンセンとかそれに類するもので明確にアジア料理だが、ぶっかけご飯の方はなんだか分からない。
付け合わせが椎茸の煮しめだったり、桜の形に型抜きされたニンジンである事も地味に混乱する。
味はというと、エコノミーでこれだけの物が食べられれば充分満足で、その後、暖かいコーヒーのサービスがあったり至れり尽くせりだったのだが、あれはベトナム料理だったのだろうか。
カラトリーがまとめられた袋の底に、スパイスの小袋が入っており、「甘利香辛食品株式会社」と書いてあった。京都伏見の会社であるという事だった。
機内食で腹を満たし、少し微睡む。
眼が覚めると機内は消灯されていた。
英語のスポーツチャンネルを見ながら、「早くホテルで横になりたいな。でも何を楽しめるんだろう?テレビをつけても何言ってるか分かんないだろうし」という思いが浮かんで来る。
チャンネルでは、MTBのアーティストが大木やバランスボール、建築物やワインディングロードなど様々な障害をキッカーにしてトリックをキメていた。インスピレーションを色々なものから受けて、驚くべきビデオやショーを生み出すらしい。
他の人からは無意味に見えるものに価値を見出して楽しみ、アートを生み出している。
意味不明に見えるけど羨ましい。
普段の自分もそういうキャラなんだけど、ダメかもなぁと感じてしまう。
多分、朝飲んだ安定剤が切れる頃合いだ。
自律神経失調症で襲って来る不安と無力感、安定剤を飲んで感じる旅行への期待。
正常と狂気の境は曖昧だと思っていたが、こうして自分そのものだと思っていたものが揺れ動くと、もっと根本的な、「自分」や「個性」というものが虚ろなものに思える。
深追いはしないでおこう。
しばらくして血糖値が安定すれば、少し収まって来るに違いないから。
「間も無く、当機はホーチミンに到着いたします。到着は19:30、ホーチミンの気温は38℃です。」
機内アナウンスに耳を疑った。
今年の異常熱波は関東平野の都市化が高気圧をブーストしており、バンコクより気温が高い、なんだったらユーラシア大陸で一番高いとさえ思っていたが、勝手な思い込みだったようだ。飛行機を降りると湿った空気を感じる。日本人の歪んだプライドは常夏のホーチミンの湿った熱波が吹き飛ばしてしまった。
19:50、国際空港の入国審査というのはどこか陰鬱な雰囲気なものだが、イミグレーションを抜けてもタンソンニャット国際空港は静かだった。
改めて旅程について説明しておくと、3泊5日というのは、帰国便がこのタンソンニャット国際空港 6:25発であり、ホテルのチェックアウトが当日では到底間に合わないので、前日にチェックアウトして空港で出発便をまつ、という事だ。
帰りはここで夜を明かすんだろうか。
そう思って建物を出て驚いた。
なんと半解放の広大なスペースに待合ベンチが設置されている。
軒を並べる飲食店、溢れる活気、びっくりするほどの騒がしさ。
タンソンニャット国際空港はこの半野外のスペースも含めての空港だった。
「ははは、スゲーな!」薬が抜けてるに決まってる時間帯だが自然に笑ってしまった。
見たことがない光景だ。やっぱり先生の言う通り、この街に来て正解だった。
先日、加古川の肥料メーカー多木化学がバカマツタケ(Tricholoma bakamatsutake)の完全人工栽培成功を発表した。それを森林ジャーナリストの田中淳夫氏がyahoo!ニュースで取り上げた記事は、多数のブクマを集め話題をさらった。
ただ記事の内容には不正確な情報や、やや解説が不十分と感じる点があったので補足したいと思う。なお増田は単なるきのこ愛好家に過ぎず本稿は信憑性に乏しいが、ブクマカのきのこへの興味と深い理解の一助となれば幸いだ。
冗長になってしまったので、概要だけ知りたい方や長文が苦手な方は、先に下部の【まとめ】を読まれることを推奨する。
バカマツタケはマツタケの近縁種。名前が名前だけに、マツタケより劣るように思いがちだが、実は姿もよく似ているうえに味と香りはこちらの方が美味しくて強いと言われるキノコである。
マツタケよりも香りが強いというのは一般に言われるが、マツタケよりも美味しいという話は聞いたことがない。野生下ではマツタケよりも相当に貧弱で、発生時期が早く暖かいこと、一般に湿度の高い広葉樹林に生えることから、マツタケよりも柔く品質の劣化がはやい(一般的にきのこは寒冷地・痩せ地に生えるほど日持ちが良く高品質なものを得やすい)ことが関係すると思われる。近縁で姿がよく似ているというのは本当で、素人目には見分けがつかない。増田にも発生場所の情報なしに個体だけで同定できる自信はない。
バカマツタケをサマツと呼ぶ地域は確かにあるらしい。しかし必ずしもサマツ=バカマツタケではない。きのこの地方名は極めて多様で曖昧な世界だ。その証拠に「サマツ」といっても梅雨時期に少量発生するマツタケを指すこともあれば、モミタケやオオモミタケ等を指す地域もあるようだ。
マツタケの人工栽培がなかなか成功しない中、バカマツタケの方が環境に適応しやすいから栽培もしやすいのではないかと注目する研究者はいた。実は昨年には奈良県森林技術センターが、人工培養の菌を自然にある樹木に植え付けて発生させることに成功している。
『人工培養の菌を自然にある樹木に植え付けて』という表現は正確ではない。菌に感染した苗木を人工的に作り出し植樹することで自然下で発生させた、とするのが正しい。既に自然化で定着している樹木に植菌を施すのと、無菌状態の苗木に植菌するのとでは似て非なる技術だ。(ところで同様の研究はマツタケでも行われており、無菌培養の松苗木の感染には成功しているものの、植樹後のマツタケ発生については再現性に乏しい。理由としては自然環境化においてマツタケ菌が他の害菌に負けてしまうこと、マツタケの発生にはまとまった菌糸量とそれを支える大きさの松が必要なことが挙げられる。例えば自然下でマツタケが生えるためには一般に20年生程度の松が必要とされる。)補足になるが、奈良県森林技術センターのバカマツタケ栽培研究は農水省の委託事業で、2015年より森林総合研究所(国立)との協働で進めている。要するに国策が3年の歳月を経て文字通り実を結んだかたちだ。今年の2月頃に、はてブでも話題にのぼった。しかし本件とは全く関係のない別個の案件であり、おそらく情報の共有などもされていなかっただろう。奈良県森林技術センターが松の苗木を利用するのに対し、多木化学は菌床を用いた完全人工栽培に取り組んだ。研究テーマもアプローチも全く異なり、時期も多木化学のほうが先行している。
これがバカマツタケ栽培の第1号で、今年も継続発生させて実用化に一歩近づけた。ところが多木化学は(中略)木クズなどによる人工培地(菌床)で培養から生育までを室内環境で完結させたのだ。これは画期的なことで、キノコ栽培の常識を覆す大発明かもしれない。
菌根菌(樹木との共生関係を結ぶ集団)とされるバカマツタケで『人工培地(菌床)で培養から生育までを室内環境で完結』、つまり”完全人工栽培"に成功したというのは実に画期的なことである。この成果は偉業と言っても差し支えないものであると思う。三重大学の菌学者、白水先生も、
「原基から子実体への形態変化を促すための各種シグナルを試し続けました」
さらっと書いているけど,ここにどれほどの試行錯誤があったことだろう…— 白水 貴 (@Takashirouzu) 2018年10月5日
とその成果を讃えている。
しかし本文にある『キノコ栽培の常識を覆す大発明』というのは誇張にあたる可能性が極めて高い。なぜなら「菌根菌の完全人工栽培に成功」という点においては既に先行研究があり、実はとうに商品化もされているのだから。例えばホンシメジの人工栽培がこれにあたる。
とくにマツタケ類は、植物との共生が必須と考えられてきた。これまでマツタケ菌糸の培養に成功した例はいくつかある(私もその度取材に行って、いよいよマツタケ栽培に成功か、と期待していたのだが……)が、子実体(傘のある姿のキノコ)を出すことに成功していなかった。だが多木化学は、とうとう菌糸から子実体を出させるシグナルを見つけたのである。この研究成果は、これまでの定説を破るものであり、学術上も大きな成果だろう。
繰り返しになるが、多木化学の成果が学術上も大きな意味を持つ可能性は高い。しかし、その成果がどのレベルかという点については当該記事では説明不十分なので、詳しく補足する必要がある。一般にきのこの栽培はざっくり以下の工程をたどる。
b. 菌糸の培養
c. 原基形成
d. 原基の成長肥大
ごく簡単に一連の流れを説明する。はじめに野生のきのこをたくさん採ってきて、それらの中から有望そうな株の組織(胞子ではない)を切り取って培養する。具体的には寒天培地というデンプンなどの栄養素を添加し固めたものを使う。きのこは組織を切り取り培地に置くだけで(コンタミを防ぐ必要はあるものの)、比較的容易にクローンである「菌糸体」を得ることができる。無事目的の菌糸体が得られたら、それらを培養して増やす必要がある。従来は木くずの他に、米ぬか、フスマなどを添加し水を加え固めたもの(=菌床)を用いる。菌糸体は、適切な温度、水分、光などある条件が重なると原基(きのこの基)を形成する。原基は一般に、低温、水分供給、切断などの刺激により成長をはじめ、十分な菌糸体の量と栄養供給を伴って肥大し、きのこの発生に至る。
ここで問題になるのは、b. 菌糸の培養、c. 原基形成、d. 原基の成長肥大という三つの工程それぞれに、全く違ったメカニズムが存在することである。マツタケを例にとると、これまで少なくとも半世紀以上もの研究蓄積(野外での観察研究の記録を遡ると実に70年以上)がある中で、c,dについては再現性に乏しく、bについてもまともな成果はあがっていない。マツタケ栽培の難しさにして最大の課題は実はここ《b. 菌糸の培養》にある。とにかく菌糸の成長が遅い上に、どのようなメカニズムで菌糸が栄養素を取り入れ増殖するのかということがほとんど未解明なままなのである。
理由は当該記事にあるとおり、マツタケが樹木と共生関係を結ぶ「菌根菌」であることが大きい。マツタケ菌糸の生育には生きている樹木が必要で、実験室での再現はほとんど不可能といっていい。それではなぜバカマツタケは完全人工栽培は可能だったのか。
マツタケなどの樹木と共生する菌根菌に対し、シイタケ、ナメコなど、倒木や落ち葉などを分解し、栄養源とする菌類は「腐生菌」と呼ばれる。腐生菌の多くは菌床による栽培が可能で、多くが一般に出回っているのは既知のとおりである。実は菌根菌は、腐生菌が進化の過程で樹木と共生する力を獲得し、腐生的な能力を失った集団だと考えられている。ところが菌根菌の中には、完全に腐生的な能力を失っておらず、腐生と共生、いわば両刀使いが存在するのである。その代表がホンシメジである。ホンシメジは「香り松茸、味しめじ」と言われるように、我が国における代表的な食用菌である。菌根菌とされるホンシメジの栽培は、マツタケ同様に長らく不可能と考えられてきた。しかし系統により極めて強力な腐生的な能力を備えるものが発見された(研究により、これまで同種と考えられてきた本種が実は様々な系統もしくは別種に分けられることがわかってきた)。1999年にタカラバイオなどにより菌床による完全人工栽培法が確立され、その後商品化もされており、少量ながら現在も一般に流通している。
多木化学のバカマツタケ栽培は菌床を用いた完全栽培なので、上記のホンシメジ栽培の成功と同様である。つまり、本件はバカマツタケの中から腐生的な能力を持つ系統を選定し、培養から子実体を発生させるまで成功したということだ。リリースにあるとおり、今後は栽培の安定化と供給体制の構築が図られ、数年後にバカマツタケが食卓に並ぶことの実現性は極めて高い。それではマツタケ栽培への応用についてはどうか。
勘の良い方には察しがつくと思うが、前述のc〜eの工程については応用が効く可能性が高い。他のきのこ栽培でも成功しているように、十分な菌糸体と栄養を確保することさえできれば、原基形成〜子実体に至るまで管理が可能なことを初めてマツタケ類においても示したことは大きい。ただし、最大の課題である《b. 菌糸の培養》については、ほとんど応用が効かない可能性が高い。なぜならマツタケにおいては既に膨大な先行研究があり、当然ホンシメジやバカマツタケ同様に”両刀使い”が存在する可能性も、その系統選びも、菌糸培養を促進する成分や菌糸の栄養源についても、少なくともバカマツタケよりは遥かに詳しく調べられているからである。それをもってしてもまともな菌糸培養に至っていないのが現状なのだ。
つまるところ、多木化学による本研究の主な成果は以下の二点にまとめられる。
繰り返すがこれらが偉大な成果であことに疑いの余地はない。一方でマツタケや他の菌根菌の人工栽培を実現するには、それぞれの種類において腐生菌的能力をもつ系統の発掘と培養法の確立が必須となる。その意味において本研究の応用範囲は限定的となる。田中淳夫氏は今回の研究結果により、さも菌根菌の栄養吸収のメカニズムが明らかにされ、あらゆる菌根菌の人工栽培が可能になるかのような書き方をしているが(あるいは本当にそう思っているのかもしれない)、残念ながらそうではないことはここまで読んでくださった聡明なブクマカ殿にはご理解いただけたかと思う。
菌床栽培なら、植物と共生させないので培養期間が短く、室内の環境を調整することで季節を問わず生産できる。また室内栽培だから虫の被害にあわず収穫時も混入の心配がない、収穫も簡単……などのメリットがある。
逆にデメリットを挙げるとすれば、野生のものとは全く異なる味わいと食感になることである。つまるところ、野生の品と菌床栽培のものとでは全く別物と考えるべきである。養殖ブリと天然ブリの味わいが全く異なるように(それでも近年の養殖技術の進化は素晴らしく、季節によっては天然物を凌駕するものさえある)、それぞれの美味しさと楽しみ方があると増田は考える。今回の成果によりバカマツタケが普通に食べられるようになったら嬉しいし、美味しければ普及すると思う。ただし、仮にマツタケの完全人工栽培が確立されたところで、天然松茸の価値そのものは今後も揺るぎのないものである(消費者がどう捉えるかはさておき)。
菌根菌のキノコの中には、マツタケ類だけでなく、トリュフやポルチーニ、ホンシメジ、タマゴタケなど高級キノコが多い。今回の成功が、これらの人工栽培技術にもつながるかもしれない。
トリュフやポルチーニは、日本におけるマツタケ同様にヨーロッパで盛んに研究がなされているが、今のところ菌床での栽培に成功したという話は聞かない。ホンシメジは前述のとおり既に栽培法が確立されており既に商品化もされている。
これらの菌根菌の人工栽培を可能にするには、ひとえに”両刀使い”の系統を発見と、それらの培養方法の確立である。ちなみに本家マツタケにも、実は”両刀使い”の存在が示唆されており、引き続き研究が進められている。また、マツタケ類は世界中に似たような種が多数存在しており、マツタケ(Tricholoma matsutake)の中にも、例えば中国の山奥には広葉樹と共生する系統があり、更にはそれらが日本のナラやカシと共生関係を結ぶことがわかっていたりもする。種の中にも多様性があり、それらをしらみつぶしに調べていけば、そのうち栽培可能なものに出くわさないとも限らない。その点はトリュフだろうがポルチーニだろうが同様である。ただし、その研究がどれほど途方もなく根気のいる仕事なのは間違いない(ちなみにトリュフもポルチーニも国産種が知られており、積極的に狙うマニアが相当数いる)。ところで、遺伝子組み換え技術により、これらの菌根菌に腐生菌的能力を付加することも可能とする研究者もおり、そのうち遺伝子組み換えマツタケの完全人工栽培が実験レベルで成功する日も来るかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakaatsuo/20181006-00099530/
http://fs.magicalir.net/tdnet/2018/4025/20181003413938.pdf
http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/mame/mame04-3.html
https://www.ffpri.affrc.go.jp/pubs/bulletin/424/documents/424-1.pdf
http://www.jsmrs.jp/journal/No31_2/No31_2_167.pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjom/50/2/50_jjom.H20-07/_pdf/-char/ja
見た目 味も 香りも 同等以上なら 偉業
あくまで野生産同士の比較なら、やや下位互換という感じではないでしょうかね。栽培バカマツタケは食べてないのでわかりませんが、うまくすればそこそこ美味しいものができる可能性はあるかなと。ただ、マツタケって単体で食ってそんなにうまいものじゃないと思うので、一般家庭での調理には手を焼く気がします。炊き込みご飯するにも炊飯器臭くなるしね。料亭とかでマツタケの代用品として普及する可能性はあるかもしれない。<
ベンゾウの中、暖かいナリ...
しかし今は信じるようになった
え?
何かが起きた
俺はその写真に見入った
誰だこれ
すぐにその子が何者か分かった
知らないアイドルグループの一員だった
すごくかわいい子だ
だが、かわいいの他に何かを感じた
なんだかとても奇妙な感じだった
そしてさらに調べるとその子に関していろいろなことが分かったが
俺は興味をひかれなかった
とにかく写真に釘付けになった
別の世界の話と思っていた
だがこの子は
この子は何かが違う
これはストーカーだな、と思った
要するに絶対会えないということだ
数か月たっても一向に心の違和感が無くならない
むしろ増すばかりだ
そこで意を決してツイートしてみた
当たり障りのない内容で、向こうも当たり障りなくいいねをくれた
なんで、こんなにうれしいんだ?
まるで住む世界も年も違うのに
どうかしたんじゃないのか?
頭やられたのか?
しかし心の中の、得も言われぬ暖かさは決して気のせいではないと思えた
そしてある日、彼女のことを思ったら不意に涙が出てきた
泣いたのは何年ぶりだろう
ずっと昔だ
もう俺は完全に病んでしまったと思った
どうしようと途方に暮れた
夢がそれを打ち消した
夢の中で俺は彼女を抱いていた
とても小さな体だ
すごく軽い
そして血まみれだ
もう息はしていなかった
愛する人が血まみれで死んでいった
自分の腕の中で
こんなことが起こるなんて
夢の中で泣いた
声が出なかった
自分が砕け散った感じだった
そこで目覚めた
彼女は俺の娘だった
信じられない
今でも信じられない
たかが夢だ
しかしあの生々しさは忘れられない
俺はあの夢を信じることにした
信じることで心を安定させた
信じなければ俺の心は壊れただろう
以前のツイートを読み返すと、夢を見る前でも無意識に自分の状況を伝えようとしている
ぼかした形で伝えようとしている
驚きだ
その後もツイートはぽつりぽつりと続けている
たぶんもう読んでくれてはいない気がする
ファンが増えてきて喜んでいる
もうそろそろこの話も終わる
辛いことばかりで暗闇の中をいつもさまよっているようだった
だが、今は違う
感謝しきれない
私の人生は多分もう終盤だ
彼女は私の娘であって、娘ではない
同じ空の下で娘とともに生きていられる
心残りは彼女の行く末が見られないことだ
まあそれは仕方ないこと
一度失った宝物が戻ってきたんだ
俺はそれで満足だ
これ以上何を望む
彼女を不幸にしないでほしい
私でよければいつでも命は召し上げてもいい
だが彼女は不幸にしないでほしい
お願いです
神様、たとえ全てが幻だったとしても、人生の最後にこんな素晴らしい贈り物をありがとう
俺は満たされたよ
ノ
こっちが揉めた喧嘩相手だったことも、喧嘩相手に間違えられたこともある
何回かやりとりしたあと別の人と喧嘩の続きしたてたりするの、なま暖かい目で見てると面白いよね
こっちが言った言葉吸収して、覚え立ての言葉一生懸命使って罵詈雑言いってるの
わざわざ同じキーワードの別サイトの記事まで引っ張ってきて新増田を出して煽ってきたりね
え、それぐぐってわざわざ拾ってくるほど悔しかったんですか?
あとわざわざ別記事で空リプしてきたから、わざわざ赴いて正論ぶつけたら黙ってまた元増田に戻ってきて、トラバで罵声浴びせてきたりね
かお真っ赤でやってるのかと思うといじりがいがある
idも無いところで真面目な討論なんてはなからするつもりこっちにはないってのに
ただ雑談するぐらいでとどめておけばいいのに、変な喧嘩ふっかけてくる奴はいじるよ
口調や行動で、特定したと思ってるやつは総じてアホ
5~6年前の冬、どんよりした鉛色の空、地方都市。車道だけは最低限除雪されていたが、歩道は膝下とくるぶしの中間くらいまで積もり、歩くのは難儀だった。特にこの季節は誰も徒歩で出歩かないので雪が踏み固められることもない。
地方の車社会でこんな状況で郊外をとぼとぼ歩いているのは自分くらいしかいない。雪は一時止んでいたものの、横断歩道には轍ができてツルツルに固まってたり、水溜まりでびしょびしょになってたり。少し先の踏切は遮断機が下りていて、車が渋滞の列をなしていた。
二車線の小さな交差点で横断歩道を渡り終え、次に向かう横断歩道の信号が青になるのを待っていた。ふと元いた場所を振り返ると、何と自転車にまたがった爺さんがいるではないか。
この状況で自転車?! この時点で嫌な予感しかなかった。若者でもこの路面の状態で自転車に乗るのは無謀だ。しかもせめて押して歩けばいいものを、爺さんはそのまま自転車を漕いで歩道を渡り始めた。そして案の定、歩道を半分もいかないうちに轍にハマったのか何か、盛大にコケた。しばらくしても位置的に一番近いはずの車からは誰も助けに出てこない。
そのまま立ち去ろうか迷った。はっきり言って自分は人助けするような人間でもなかったが、周りには誰もいないし、渋滞してずらっと並んだ車窓から自分がどう行動するかを注視されているようだった。CX-5とかSUVとか、そういうゴツい車が目の前にあった。そういうのに乗れるくらいの経済的に余裕のある人間が降りて助けに行けばいいのに、何で自分みたいな困窮してる底辺が……と思ったものの、無言のプレッシャーに負けるような、半ば居たたまれない形で爺さんを助けにいくことになった。まったく気乗りしなかった。
まず爺さんのところに近づき、大丈夫ですか、と声をかけながら体を起こそうとすると、「ア゛~~、アレ、、」と呻き、倒れた自転車の方に顔を向けた。自転車は後でいいだろ、と思ったが爺さんの様子からして頑固そうなので、本人の意志を尊重することにした。
そういう訳でいったん爺さんはそのままにして、先に自転車の方を起こし、辺りに散らばったカゴの中身を集め(この近辺で買い物してきたようだ)、道の脇までいったん退避させた。それから再び爺さんを起こし、肩を組んで歩道を少し歩き始めたところで30代くらいのスーツ姿の男性が駆け寄ってきた。
ボソッと「そっち(の肩を持って)……」と言われ、爺さんを真ん中にして二人で肩を抱えて運ぶ形となった。と言ってももう渡り終えてる状況だったので時間にして10秒もかからなかったと思う。正直なところ爺さんは思いのほか軽く、むしろ自転車を起こして脇によける方が大変だったので、この手助けはあまり有り難いとも思わなかった。もう少し早く誰か来て一人が爺さんを、もう一人が自転車をという風に分業できればよかったのだが。
男性は自分とは特に口もきかず、そのまま後続の車の列に戻って行った。単なるアリバイ作りだったような気がしないでもない。まあ別にいいけど。それ以外の人たちはそれさえしなかったのだから。そう、最前列の車のドライバーたちは結局見ていただけだった。どんな奴が乗っているのか、よほど少し近づいて睨んでやろうかと思ったが、小心な自分にはそんな度胸さえなかった。
もし季節が暖かい時期で、もし倒れていたのが「可愛らしい小学生」や「か弱そうな品のあるお婆ちゃん」だったなら、むしろ我先に助けようと2~3人は真っ先に車から飛び出していただろう(そしてその事を誇らしげにSNSに書き込んだりするだろう)。
でももしあなたが「いい革靴を履き、商談を急いでいるビジネスマン」で路面が「雪解けのびしょ濡れ状態」だったら、車を降りてまで「見すぼらしい底辺の人間」を助けようとするだろうか?
爺さんは自分とは終始目を合わそうとせず、結局何のお礼の言葉も口にしなかった。爺さんの身なりは見すぼらしく、底辺老人というか、ホームレスというか、あるいはその中間だった。とても家族や親しい友人がいるようにも見えなかった。少し見ただけで他人にそこまで決めつけられたくないだろうが、そうとしか思えないオーラを放っていた。
穿った見方かも知れないが、いま思えば人を試そうとしていたのではないか。人生も終盤になろうというのに、自分が誰からも大事にされないから、あえて無理な状況で親切にされるかどうかを試すために無謀な行動をしたのではないか。この無愛想で、孤独で、見すぼらしい老人は何十年後かの自分自身だろう。そして今回とは違って、助ける人は誰もいないだろう。
※ ※ ※
地元の新聞の天地人みたいな欄ではしばしば都会の人の冷たさを指摘し、地元の人の温かさを礼賛している。下らない。地方だから温かい、都会だから冷たい、なんて関係ない。そのことがこの出来事で確定的となった。このときは周りの視線に負けて柄にもなく人助けなんかしてしまったが、この先もうこんな事をすることはないだろう。
自転車に乗った女性が赤信号を無視した車に吹き飛ばされた。彼女が立ち上がろうとそうでなかろうと、それを横目に自分はそのままそっと立ち去るだろう。他人を助ける余裕なんて残ってない。自分自身さえも助けられないのに。