はてなキーワード: 新書とは
見抜けると思ってるのはだいたい勘違いだから、まずその誇大妄想っていうか思いあがりを恥じるところからかな。
昔はてなに「見抜くのが得意」って自称して「釣り師を見抜く方法」って新書まで出した人と、その人の真似して金魚のフンみたいに同じ真似事をし始めた人が1人いたんだけどね。
自分は両方ともに増田で書いた事実に「釣り」判定された実体験があって、こいつらなんなんだって思ったよ。
エスパーじゃないんだから、推測はできても確実に見抜くなんてことは絶対に不可能なんだよ。
世の中に絶対はないっていうけど、人が超能力者ではない以上、隠された情報から推論を超えて確定させるなんてことは絶対に不可能なの。
ネイティブ香川民じゃなくて転勤で来た関東地方からの移住者だけど、香川で享受してる文化を挙げておく。
割と多い。もちろん京都・奈良の比じゃないけど、狭い県の割にはあちらこちらに文化財がある。やっぱりなんだかんだで讃岐国は中央に近かったからかな。四国遍路もあるし。
国宝も、建物だけで2件ある。増田の故郷の県は香川県よりずっと広くて人口も多いけど、建造物の国宝がないので、正直羨ましい。近所にある国宝も見に行った。京都や奈良で感じるような、荘厳! という感じではなく、地味な佇まいだったけど、ここで千年近くもの時を閲してきたんだと思うと自然と厳かな気持ちになる。
(追記)丹下健三の香川県庁東館忘れてたわ! 何も知らずに県庁に行ったときに「やたらと作りがオシャレだな???」と思って調べたら重要文化財にもなってる丹下健三作品でビックリした。初めて行ったときには渇水の注意喚起をする垂れ幕がかかっていてそこにインパクトを感じたんだけど、もっと建物自体を堪能すべきだった。
香川で外せないのはやはり金毘羅さん。参詣道にずらっと土産物屋が軒を連ね、色んな年代の奉納記録に出迎えられ、途中に戦後の掃海で殉職した人たちの顕彰碑があったりする。そっか、金毘羅さんって海の守り神だもんな。参道の途中にある表書院には円山応挙の作品もある! 応挙をじっくり見られるのは非常に嬉しい。そして奥社まで歩くとなかなかの運動になるし、何より奥社でしか売ってない限定お守りなんかもあるんで、ぜひチャレンジしてみてほしい。
屋島寺もいいよ。建物がすごい立派なのでそれだけでももう見る価値があるんだけど、宝物殿が地味に充実してて、立派な展示品に目を奪われてしまう。それに屋嶋城っていう、天智天皇の時代に作られた山城も残ってて、地味に観光地としてのポテンシャルが高いんだよな(屋島といえば那須与一、と思うかもしれないけど、古戦場がまったく古戦場感しないので……)。
あと、津嶋神社もレア度が高くてよい。沖に浮かぶ小さな島に作られた神社で、年に1度の夏季大祭(ちょうど今日だった! 忘れてたわ!)の日にだけ橋を渡って行くことができる。年に1度しか買えないお守りなので非常にレアだし、何よりその日だけは予讃線に臨時駅「津島ノ宮駅」が設置され、小さいお子さんを連れた親御さんと鉄道が大好きな大きいお友達がパシャパシャ写真撮影しまくっている。もちろん増田も撮影したよ! ミーハーだからね! 子供の健康と成長の守り神だから子供たちがいっぱいお参りに来ていてほっこりした気分になるし、海の上に架けられた橋を渡って参拝するという体験がもうたまらないよね。
(追記)お遍路さんもいいよね。白い衣装着てお経唱えてる姿を見ると、信仰が生きてるなぁって思って感動する。増田は信仰心薄いからお参りできれば満足なので……
香川県は、江戸時代、高松と丸亀にそれぞれ大名が封じられていた。なので高松と丸亀のそれぞれに当時の藩主の遺産がある。江戸まわりは天領のほかは小さい旗本領とかそういうのばっかりだったから、こういう「数万~十数万石の地方領主のお膝元」は逆に味わえないんよね。
高松の名物はなんといっても栗林公園。松平家のお殿様(水戸徳川家の親戚)が作らせた壮大な和風庭園で、「ザ・和風庭園!」って感じの景色が素晴らしい。秋ごろに行われる夜間ライトアップは絶景と言うしかない。園内にある掬月亭っていう茶屋には抹茶代を払えば入れるんだけど、ゆったりした畳の間で抹茶を飲んで菓子をかじりながら庭園を眺める時間は幸せ。あと、予約すれば手こぎの舟で園内の池を巡れるらしいので、優雅な殿様気分にひたりたい人はぜひやってみよう。園内の土産物屋が充実してるのもいい。「どうだ明るくなつたろう」グッズも置いてあるよ!(あれを描いた絵師は香川出身らしい。知らなかった)
丸亀城は……うん、遠くから見るとすごい立派だね! 松山城とか、他の天守閣と比べて明らかにサイズが小さいというか「大きめの納屋か?」という感じ。でも、よくよく考えたら香川県西部っていう狭い地域を統治してた藩の拠点なんだからこのくらいが適正サイズなんだろうな。全国各地にあったはずの小藩のリアルを今に残す貴重な建築だと思う。あとマジで実際のサイズと遠くから見たときの雄大さのギャップがすごいのでああいうトリックアートじみた建築を作れた江戸時代の職人さんすごい。登城しなけりゃ立派な城に見えるもんなマジで。
気軽に行ける離島が多い。そして離島にはそれぞれ独自の文化や趣がある。八十八ヶ所巡礼の島ver.ってのがあって、小さな島でもいくつもの寺が残ってたりする。これまで行った島で良かったのは以下。
次は小豆島に行ってみようと思ってる。地味に『からかい上手の高木さん』の聖地でもあるんだよね。楽しみ。あと離島が点在する瀬戸内海の景色美しすぎる。日本のアドリア海だろマジで。
意外と充実してる。香川県立ミュージアムは香川史に関する展示をわかりやすく纏めてくれてて満足度が割と高い。廃藩置県の時期に一時期愛媛県に併合されてたけど独立運動を繰り広げて置県を勝ち取ったあたりは溢れんばかりのパトスを感じられる。県庁、松山だったのか……そりゃ独立したいよな、四国の反対側だもん。高松市美術館はなぜか上田薫に力を入れていてよく展示している。デュシャンやらポロックやらはちっとも良さがわからん、という増田みたいな層にも魅力が伝わる絶妙なチョイスで良い。観音寺の道の駅には「世界のコイン館」という展示と大平正芳(香川選出なんだね。知らなかった)に関する展示が両方あって、世界各地のコインや日本の貨幣史を堪能したあと戦後自民党史が学べるという構成になっている。カネの意味が違ってくるでしょうが!
そして「四国村」は絶対に外せない。屋島にあるんだけど、四国各地から伝統的な民家とか農業用の小屋とかを移築してきてて、ぐるりと巡ることで四国各地の文化を体感することができる。一口に四国といっても、山岳部から沿岸部まで色々あって、それぞれの風土や生業に適した家屋の形があるんだな、という当たり前の学びをほんの数時間で得ることができるので、民俗文化とかが好きなら絶対に行くべき。
(追記)四国水族館のこと忘れてた。やっぱり地方の水族館はその土地の魚を展示してなんぼなところがあるけど、四国水族館は地元の魚の展示&解説が充実してるから好き。具体的には滋賀県立琵琶湖博物館の次くらいに好き。アカメの水槽はインパクトあるよね。こんなでかい魚が日本の河川に棲んでるのか……。あと琴平にある「金陵の郷」もいい。金陵っていう香川では有名な酒蔵が運営してるんだけど、日本酒の製造工程を原寸大の人形で再現してあって実質的に日本酒博物館。金毘羅参詣の帰りにふらっと寄って日本酒の歴史や製法について勉強したうえで美味い酒を直営価格で買ったり日本酒グッズを物色したりするの、最高ですよ。日本酒をあしらったマスキングテープ買っちった。
やっぱり何といっても瀬戸内国際芸術祭だろう。去年が開催年だったので増田も行ってみたけど、こんな小さな島にこんなに人が??? って感じになる。残念ながら増田にはあんまり魅力のわからない芸術作品もそれなりにあるんだけど、少なくともそれらが地元に根づいているのは感じ取れるし、国外からもアーティスト呼んできてるのは率直にすごいと思うんだ。外人さんもそれなりに見るしな……
オタク文化でいうと、上で書いたように小豆島が『からかい上手の高木さん』の聖地になってるほか、観音寺が『結城友奈は勇者である』の聖地なので、観音寺の観光案内所に行くとゆゆゆのパンフがもらえるしゆゆゆの絵が描かれた自販機もある。え? TVでアニメは見れるのかって? 聞かないでください……(『プリキュア』『鬼滅の刃』『進撃の巨人』『水星の魔女』は見れたよ!)。アニメ映画もなかなかやってないことがあるし、『プリンセス・プリンシパル』はわざわざ岡山まで見に行ったからね俺。あとやっぱり「仕事帰りにあの映画見てみるか」みたいなのは難しい。どうしても「今度の休日にイオンモールで映画見よう」になっちゃって、「空いた時間で試しに見てみる」的行動が取れなくなったから鑑賞本数は減った。
まあ……これは東京・大阪並を求めるのは無理ですわ。岡山と比べても明らかに書店の規模がショボい。書店めぐりはできるけど、池袋のジュンク堂みたいな大型書店めぐりは不可能。東京・大阪なら確実に置いてあって岡山でもたまに置いてあるあのシリーズが置いてないのか~! みたいなのがあるから、マイナーな本は諦めるしかない。もちろん売れ筋の本とか有名どころのシリーズを読む分にはなんも不自由はないわけだけど。
でもジュンク堂みたいな東京のチェーンよりも宮脇書店っていう地元チェーンの方が強いのは文化を感じる。ブックカバーのデザインと紙質はすごい好みだけど、文庫・新書のブックカバーは上下が固定されてない形式のやつだから、ハードカバーや選書を買うときは宮脇書店に行って文庫・新書が欲しいときはジュンク堂とか他の店に行ってる。宮脇書店は車がないと厳しい総本店と高松の市街地のド真ん中にある本店(いちおうビルがまるごと書店になってる)があるけど、総本店はまだ行ったことないんだよな。やっぱり総本店だと大都市顔負けの品揃えだったりするのかしらん。
あと、高松のアニメイト、ラノベのシュリンクが全ての本にかかってるわけじゃなくてすげえ牧歌的。まさかアニメイトでラノベを立ち読みして買うかどうか判断できるとは思ってなかった。東京だとそんな性善説運用は無理でギッチギチにシュリンクかけちゃうからなぁ。
(追記)ルヌガンガ、知らなかった! ありがとう! あと宮脇書店について書き忘れてたけど、地元チェーンだけあって香川や四国・岡山に関する書籍がものすごい豊富だし、県内のたいていの街に支店があるのもありがたい。香川の文化を支えてる企業だと思う。品揃えについて補足すると、本当に普通の読書ライフを送る上ではまったく支障はないよ! Y出版社から出てる◯◯学のガチ学術書シリーズが置いてない、とか、F社から出てる△△学のブックレットが見当たらない、とか、ぎゃああああ国内の××方言に関する本が2冊しかないじゃんジュンク堂書店池袋本店ならダース単位で置いてあるのに! とか、T大学出版会やH大学出版局の最新刊をちっとも見ないな……とか、そういう話だから。
ご飯はやっぱり、うどん! あちこちにお店があって楽しいし、セルフサービスの店に入ったらうどん玉を湯がくのも客がやるタイプの店で「セルフってそういう……」となったりした。あと釜揚げ専門店以外では釜揚げうどんを頼むべきではないという暗黙の掟もある(調理に時間がかかって他の客を待たせるので)。ただし基本的に地元民向けのファーストフードなのでまったく旅行者には向いてない。
旅行者向けなのは、むしろアレだろ、骨付鳥とかそういうのだろ。骨付鳥はやっぱり丸亀に本店がある「一鶴」。もちろん丸亀以外にも支店はあるけど、まあ一度は丸亀の本店に行っておきたいよね。鶏は雛が柔らかくてオススメ。ビール飲みながら骨付鳥食って、シメに鶏めしを食うのが最高。一鶴の鶏めしはマジで美味いから香川に行ったら絶対食ってくれレベル。一鶴以外にも骨付鳥の店は色々あるので、好きな店を開拓してみるのも楽しいぞ!
他にも、高松駅にある地元民向けの立ち食い寿司屋とか、三豊のラビオリ餃子屋とか(モチモチで超美味い。冷凍のやつを通販もしてるらしいよ)、香川産の食材を使った定食をお手頃価格で食べられるまいしょく家っていうローカルチェーンとか、色々美味しいお店があるので、ぜひ香川ごはんを味わってほしい。
そしてカフェ。香川県でカフェめぐりをしたらもう東京のカフェになんて入る気が起きなくなる。広々とした店内で好きに席を選べるスタバなんて初めて入ったわ……(丸亀のスタバは市民交流センターも兼ねてるから店内に本棚があって自由に本を取って読めるんだよな。最高かよ)。店主にとっては嬉しくないかもしれないけど、香川県の人口が「カフェが複数ある」「混んでない」を両立できる最適の人口規模なんじゃねーの感もあるな。あちこちに落ち着いて座れるオシャレな喫茶店がいくつもあって嬉しい。あと高松の商店街には和菓子屋さんが何軒もあって、そこの喫茶コーナーは和な甘味を堪能できてとてもよい。
イチオシは高松の片原町商店街にある「了見」。センスの良い家具が飾られた落ち着いた雰囲気の店内で窓際から商店街の行き来を見下ろしながらお茶が楽しめる。お茶も、ポットで出てくる紅茶以外に、県内産の緑茶を冷やしたガラス製の急須に入れて出してくれたり、県内産の緑茶を使ったソーダがあったり、と、独自メニューが色々あって飽きないし、スイーツも美味しい。そして特に混んでないので長居しても怒られない! 東京とか札幌だったらこんな店並ばないと座れず時間制限とかかかるだろ絶対。こんな良い店でのんびりできるんだから、やっぱ地方都市は住みやすいわ~。東京は人多すぎやきん、落ち着いて座れないんよ~。
とりあえず、東京暮らしが長い関東出身者だけど、香川の文化を堪能してるよ、というお話でした。やっぱり東京のメリットは集積にあるから、マニアックな本がいっぱい並んでる大型書店に毎週通いたい! とか、東京国立博物館と国立科学博物館と国立西洋美術館を全部めぐりたい! とか、マイナー映画を劇場で見たい! とかの逸般的な文化的ニーズに応えるのは東京の方が上。仕事帰りにちょっと立ち寄る、みたいな気軽な消費もしやすいし。でも、忙しなかったり混雑してるのは嫌だ、ほどほどにのんびり文化を享受したい、というなら、香川くらいの地方がちょうどいいんじゃないかなぁ、と思うのですよ、はい。
(追記)住み心地でいうなら、「雨が少ない」。これ。マジで水害がほぼ絶無。去年関東が台風で大騒ぎになってたときも特に被害はなく「あ、なんか大雨降って早明浦ダム埋まったわw」くらいの感じだった(被災地の人には申し訳ないが)。もちろん雨が少ないから常に渇水の危機はあって、一昔前は一般人も取水制限とか受けてたらしいんだけど、少なくとも増田は住んでて水に困ったことはない。「水を節約してください!」っていう行政からのお知らせは色々来るけどね。雪も降らないから滑って転んでタブレットを台無しにしたりしないので、気候で言うなら多分岡山の次くらいに住みやすいのが香川なんじゃなかろうか(岡山は水あるからね……)。
本棚を掃除していたら、マキタスポーツの一億総ツッコミ時代の中から5000円と紙が落ちてきた。
紙にはこう書かれていた。
『6年後のお前へ。お前はこれを見つけ次第、普段買っている物の高級品を買え』
何でこんなことをしたかまっっったく思い出せない。しかし面白いなと感じたので20個で5000円近くする生卵を買おうかと思っているが、急に迷い始めた。
何を買うのが正解だ?
馬鹿正直に従わなくてもいいんだが、折角だし何か買いたい。
※凄い伸びてる。本は新書ではなく2012年の方で、なんで6年前かは全然思い出せない。多分酔った勢いとかそんな理由なので、ブクマカ達が期待しているミステリーではない。。。
・39歳。
・男。独身。
・北海道在住。
・彼女なし。
仕事はあえて探していない。社会に出てからこれまでたくさん働いたし、ちょうどいいタイミングなので長い長い夏休みをもらえたと思って、のんびりできてうれぴーと思っていたらいろいろあってこんな状態になっている。
いつもは他のプラットフォームで日記のような文章を書いているが、関係者に見られたくないのでここで吐き出す。
会話をしているうちに、頭が整理されて行き問題が解決することよくある話だが、話し相手がいない自分にとっては、こうして文章を書くことが何か解決の糸口になるかもしれない。
もし解決にならなかったら、みんなの知恵を結集してわたしを助けてほしい。
今の状態はおそらくセルフネグレクトか、もしくはそれに近い状況なのだと思う。
朝起きてもベッドから起き上がる気にならず、シャワーを浴びる気にもならない。ごはんも一日一食。
参加人数200人程度のオンラインサロンの、それもごく一部の仲が良いメンバーとの1日数十分程度の、音声チャットが自分と社会をつなぐ唯一の接点。
家の外に出なくても、失業保険は振り込まれてくるし、ごはんはウーバーイーツで頼むことは可能。
1週間前まではそれでもよかった。何も問題はなかった。
むしろ、「自分は自由だ」と思っていたし、毎朝出勤する人たちを見て、「お前ら朝からご苦労さんww、お前らが遅刻しそうになっている間に、俺はのんびり体操して、そのあと街の中をウォーキングして、余った時間で図書館に行って、のんびり時間を過ごすぜ!悪いな!」と優雅な時間を過ごしていた。
状況が変わったのは、ちょうど1週間前、オンラインサロンでお世話になっていた人から「自分のマネージャーをやらないか?」と言われたことがきっかけだった
その人は働いてはいるが出社はせず、リモート業務で生きている人だった。ただ、人生勝ち組というよりは、どちらかというと生きづらい側に属している人で、出社するのがしんどいから、仕方なくリモート業務をやっているという感じの人。昨今のChatGPTの流れに乗って経験値の少ないプログラミングに挑戦してみたとのことだった。
ただ挑戦してみたが、業務量がコントロール出来ないので、俺にマネジメントをお願いしたい。ついては、「朝、9:00、13:00。16:00 18:00」の4回、リマインドが欲しいとの依頼内容。実働20日間で、報酬は5000円。
のちに、この報酬額は20000円でも少ないよなと思うことになる。
毎日好きな時間(おおよそ8~10時)に起きて、体操をし、ご飯を食べ、散歩をし、その後に図書館に行って閉館まで好きなだけ本を読んでいた自分にとって、1日4回違う作業が入ることは苦痛以外の何物でもなかった。
「引き受ける前に想像できなかったのか?」という批判はこの際無しにしてほしい。
依頼をしてくれた、彼からはこの数年多大な恩を受けており、断りづらい状態にあった。
私は現在図書館に日常的に通っていろいろな本を読むことが出来ており、おかげで古典や新書など本を通じて情報を仕入れることが出来ているが、数年前は本すらまともに読むことが出来なかった男である。そんな自分、ましてや最終学歴が高卒である自分に読書の手ほどきをしてくれた人物の一人が彼であった。
頼まれたときは非常に迷い、LINEのメッセージを既読にもしない状態で30分程度保留にしておいた。
だが、彼がLINEのメッセージを送信取り消しにしたのを見て「しょうがないな・・・」という思いに駆られ、引き受けることにした。
あの時断っておけばよかったのかもしれないね。
これは決して彼には言えないので、ここで吐き出す。
彼は1日4回、決まった時間に「今日はこれから〇〇をやります!がんばります!」とか「今はここまでできました!進捗は遅れていますが頑張ります!」と報告してきた。
これが非常にしんどかった。文章を見るたび、そんなの勝手にやれよ。しらねえよっていう気持ちだった、このくそ真面目な文面を一日1回ならともかく4回も見るのが本当につらかった。
また彼はプログラミングの経験が少なく、業務量もコントロール出来ないため、業務はどんどん遅れて行き、当初の予定では19:00で終わるつもりが、気が付けば23:00でも終わらない状態になっていた。自分はなるべく、彼にかかわらないように関わらないように、最小限のコミュケーションで抑えるようにしていた。深く関わると、精神的に持っていかれるような気がしたからである。それに、こちらから介入すること彼は拒んだように思えた部分もあった。彼は、私に対してあくまで人間的なリマインダーとしての役割を求めていた。
それを行うことにより、一種の緊張感を作り出してほしかったのだと思われる(彼に聞いてはいないから、実際のところはわからない)
※彼はのちに、この開発を断念することになる。理由はスキル不足によるものだそうだ。
実のところ、彼のマネージャー業を引き受けて3日目にはもうやめたかった。
いや正確には2日目にはもう辞めたかったと思う。いや初日かな? でも、彼には多大なる恩があるし、近しい人間(オンラインサロン内)だから無下に断るわけにもいかない。これが問題を複雑にしてしまった。
自分のメンタルが日に日に病んでいくのがよくわかっていくのは面白かった。
4日目くらいからは、自分の体に鎖が巻き付くようなイメージがあった。ハンターハンターのクラピカのジャッジメントチェーンみたいな感じ(間違っていたらごめん)
この業務を始める前は気力がMAXに近かったが、たった1週間足らずで目に見えて不健康に近づいたのがよくわかって面白かった。
6日目。土曜日、彼がやろうとしていた開発内容が、実はWordpressの拡張機能を使えば実行することが出来る。要するにプログラミングなんて必要ないってことがわかったタイミングで「マネージャー業をやめます」といった。案外あっさり辞めることが出来た。
実は3日目くらいで、彼から「マネージャー業負担になっていませんか!?」と言われていた。私のあるツイートを見て、先回りして心配してくれたらしい。
正直それはそれで腹が立つ。ストーカーかよって思ってしまった。
今回はてな匿名ダイアリーに吐き出し記事を書いたのは、そういう理由もある。
おそらくいつものプラットフォームに書いたら、間違いなく見つけられるでしょう。
自分がセルフネグレクトになっている理由の大きな理由はここなのかもしれない。
本当は東京に遊びに行く予定だった。みんなは朝から仕事をしている中、自分は東京に行っていろんな世界を見てくるんだ。いろいろな人に会って、いろいろな世界を見てくるんだ。それを糧にして新しい仕事に就くんだ。それが、お前のせいでぐちゃぐちゃになったじゃねえか。スケジュールが台無しだよ。どうしてくれんるだよ。
おそらくこれが、わたしがセルフネグレクトに至ってしまった本質なのだと思う。
でもそんなこと言っても、何も始まらないし。これは会社をクビになった時と何も変わらない。
終わったことよりも、残っている日にちを考えた方がいい。 まだ100日以上失業の日にちは残っている。
と、さっきほっともっとのお弁当を買った帰りに気づいてえらいと思う。
だって一日中ベッドから起き上がれない。風邪を引いたわけじゃない。熱があるわけじゃないのに体がだるい。精神的なものであることは間違いない。
ただ、ウーバーなどに頼めば起き上がらなくったって、一応ご飯は届く。生活は成り立つ。でもたまに外に行ったらめっちゃふらつく。下半身の筋肉がとても落ちていることに気づく。
自分は無理やり友達?知り合い?にLINEをして予定を作った。これでもし無理ならもう無理なんじゃないかと思ってしまった。
とりあえず、気持ちの吐き出しと自分なりの解決策を書いてみた。文章を書いてよかったと思う。
なんかいい案があったら教えてください。
芸術には疎いので知識を得ようと買った『現代アートはすごい』という新書を地下鉄内で読んでいた
そのなかでナム・ジュン・パイクという芸術家が紹介されていた
何でも、電子テクノロジーを使ったメディアアートというジャンルのパイオニアらしい
暗い部屋の中にテレビモニタが上向きに置かれていて、そのテレビモニター群の間に観葉植物が置かれた『TVガーデン』(1974-1977)
テレビ受像機の上に強力な磁石を置いて、故意に映像をゆがませる『マグネットTV』(1965)などが文章にて紹介されていた
当たり前だが、文で読んでも全くどんなものかが浮かばず、実際に見てみたいなという気持ちになった
メディア・アートを観たことないどころかそもそもインスタレーション作品自体あまり見たことが無いから気になったのだ
そこでスマホを取り出し「ナム・ジュン・パイク 日本」で検索すると、福岡市内の商業施設、キャナルシティに作品が展示されていることを知った
壁に100台以上のブラウン管モニタを設置し、映像を流すという作品らしい
そして、あーあそこに設置してある何だかわからないやつ、あれ、現代アートだったんだ、そして有名アーティストの作品なんだ!となった
何か長らく壊れていたらしいが2年くらい前に修理して、一日の内決まった時間帯に映像を流しているらしい
ブラウン管モニタなので今度壊れたら修理できないかもしれないとのことで、見れるうちに見ていた方が良さそうだ
そのうちキャナルシティに観に行こうと思う
あと出身地の韓国にはナム・ジュン・パイクの美術館あるらしいし、よく考えたらこっちも近いなと思った
主にブックマークを半年ROMってみて思ったこと。あくまで自分が感じた傾向の話であって全部がそうとは言わないし、ROMの期間も量も少ないだろう。しかし少なくとも自分はこう感じた。
・住民の年齢は全般的に高めなのは見て取れるが、年相応の落ち着きや老練な知恵といった物は見られず極論や感情論、結論ありきの意見があふれている。
・自覚があるかは知らないが自己評価は高く自分を知識人、日本人の上位〇割側だと認識している。実際は新書一冊すら読んだことが無さそうな無知か半可通ばかりが目立つ。
・雰囲気は陰鬱、ネタ系の話でもなぜか全く明るさを感じられない。
・常に殆ど同じ連中が殆ど同じテーマで殆ど同じ内容の言い争いをしている。新しい知見が放出されたり取り入れられたりすることもなく、何十回と同じ試合が再放送される。
・しかし帰属意識や身内意識はどこよりも強く、喧嘩している相手も含めた「ウチ」と、それ以外の「ソト」の区別が非常にはっきりしていて「ウチ」には甘い。
・「ソト」には基本的に冷淡。「ウチ」とコミュニケーションをとるためのツールくらいにしか思ってないのではないか。
twitter・5ch・爆サイの悪いところだけ濃縮還元したような場所でここまでストレスフルになる場所は見てこなかった。
定住している住民は自分とは別のはてな村を見ているのか?それとも自分の感覚が異常なのか。どちらにせよここに戻ることはもうないだろうが。
このブコメで「専門書は電子にしてくれ!」「こういう本こそ紙でほしい!」って意見が分かれてる。まあ件の本は専門書というか新書なんだが。
「この品切れ重版未定本を重版してくれ、全部買い取ってウチで売り切るから」 書泉グランデが強気すぎる重版実施→すぐに完売して話題に(1/2 ページ) - ねとらぼ https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2303/28/news123.html
ようはニッチな需要のある本は在庫を抱えなくていい電子書籍で出せって意見をどう見るか問題。新たに電子書籍化するためのコストは重版コストより大きい。めったに売れないならかかったコストを回収できない。電子書籍には維持するためのサーバー代や維持費用、電子書籍用のシステム開発といった恒久的なコストがかかり、売れない本は電子書籍サービスの維持に悪影響しか与えない。サービスが維持できなければ電子書籍は一瞬で消えてなくなる。これは売れる本を買いまくってる客にも迷惑。紙の書籍にそんなことはない。
だから専門書こそ紙の本を購入すべき。
https://twitter.com/kanose/status/126516042754301952
ハックルさんが日垣案件化していると@soylent_green さんがブクマでコメントしていて、最初それは言い過ぎではと思ったけど、最新記事見たら、言い過ぎじゃない気がしてきたよ…
https://twitter.com/raf00/status/126540252662870016
はあちゅうといいべにぢょといいハックルといい、今日は発狂した人たちが大量に湧いている一日だなぁ
ハックルさんの様子見てきた。あいかわらずのアノ押しの強さ、すさまじいなあ。冷静に操り糸引ける参謀なりソロバン弾ける番頭なりとタッグを組めば(組めれば)、広告代理業でも押売営業でも新興宗教開祖でもナンでもやれるだろうなあ。「もしドラ」もそうだし。すごいなあ。そのタッグ相手を、とある会社の経営者K氏へ一方的に因縁つけて白羽の矢刺しまくってる節操の無さも含めて、押しの強さハンパなくてすごい。「もしドラ」チームから放たれて野に返されたとか組む相手いなくなったとかなにかか。いやまあ、まじめに、ああいう、議論とか感性とか倫理とかぜんぶすっ飛ばして、コチラの主張をアチラへ丸飲みさせようとする力押しと心意気、人格としてじゃなくてヤクザな手法として学ぶところあると思いました。
広告代理業でも押売営業でも新興宗教開祖でもナンでもやれる、って書いたけど、そういう押しの強さで商売するのって手品のタネを明かさないことが大事で、インターネット普及しちゃってからは(書評が流布したりして)手品のタネすぐバラされるから、一発屋になりがちだしすぐ野に返されるなのでハックルさんもう文筆ではダマクラかせないんだから、文筆にこだわってるうちは組んでくれる相手あらわれないし、方針転換して筆は折って違う戦場でまた押しまくれば稼げるかもしれないな。あの押しの強さはひとつの才能だもの。ただ本人がベストセラー作家だけどとかやってるうちはアレだわ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%9E%A3%E9%9A%86
マーケティング手法には「電子書籍を日本一売った」「世界初&日本初の有料メルマガ」「5年で所得3倍」「数ヶ月でTOEIC900点超え」など煽るような広告宣伝が多かった。
2006年11月に刊行された「すぐに稼げる文章術」(幻冬舎新書)で盗作騒動が起きた。新潟大学教授(のちに慶応義塾大学教授)の山内志朗による「ぎりぎり合格への論文マニュアル」(平凡社新書、2001年刊)の一節と酷似した内容が掲載されていることが刊行の翌年にインターネット上で指摘され、平凡社が幻冬舎に抗議する事態に発展。問題とされた部分は増刷の際に書き改められた。
盗作騒動の影響か、2007年いっぱいで当時抱えていた連載[5](「新書一点賭け」(文藝春秋)、「MEDIA WATCH 売文生活日記 どっからでもかかって来い!」(WiLL)、「通といえば販!」(週刊現代)、「敢闘言」(エコノミスト)、「日垣隆のどこへ行くのかニッポン!」(日刊ゲンダイ))がすべて終了となった。以降、いわゆるマスメディアへはほとんど登場せず、ツイッターやフェイスブックなどのSNSによる情報発信、有料メルマガ、電子書籍による自費出版を盛んに行っている。
先日ホットエントリに入っていたブログエントリ、Colorful Pieces of Game『書籍「ゲームの歴史」について(5)』にて、
との言及があった(現在は修正済)ので、校閲業界では若輩者の私ですが、書籍の制作において「校閲は何をしているのか」を少しばかり紹介しておこうと思い立ちました。
まず前提としてご理解頂きたいのは、一冊の本が世に出るまでには様々な工程を経るわけですが、その中で校閲が関わるのは「かなり後のほう」という点です。
書籍の制作において最も時間を要するのは「筆者が原稿を完成させるまで」、次いで「社内の了承を得て刊行が決まるまで」のプロセスだと思われますが、校閲の出番は更にその後です。通常、校閲にゲラが回ってくる段階では既に発売日・刊行部数etc.が決定しており、余程の(筆者都合の)問題でも起きない限り(*1)動きません。つまり、「企画に無理がある」「内容がおかしい」といった理由で刊行を延期ないし撤回させる権限は、そもそも校閲には無いわけです。
校閲者でもフリーランスなら「降りる」という選択も可能ではありますが、企業に所属している場合だと、誰かが作業を引き受けざるを得ません。こうなると、多くの場合は「誤字・脱字etc.のチェック、および最低限(=具体的には固有名詞・年月日etc.)の事実確認のみ行う」という対応となります。
「ファクトチェック」という言葉も指す内容が広いのですが、最優先でチェックすべきは、前述したように固有名詞・年月日etc.です。その次に、筆者の行った引用・要約etc.の確認作業(*2)が来るのですが、その際に「筆者の主張は妥当か」という評価を下すことは、校閲の権限を超えています(*3)。
そもそも筆者は誰よりもその分野に詳しいから本を書いているのであって、その内容を筆者以上の緻密さでチェックできる人間は、論理的には存在しないはず。そして、筆者の主張を世に出すことが妥当ないし有意義だと編集者・版元が判断したから、企画として動いているわけです。こうしたことを踏まえれば、校閲者の有する権限が編集者に比べるとかなり限定的なものに過ぎないこともお分かり頂けるかと存じます。言い換えますと、筆者・編集者が「内容はグダグダでも構わない」と開き直っている場合、校閲に抵抗する余地はありません。結果として事実誤認のオンパレードと化した本が世に出てしまった場合、その咎は筆者と編集者が負うべきである、と一介の校閲者としては考えます。
また、「チェックしようがない事柄」も存在します。例えば、筆者が行ったインタビューを基に書かれた原稿ですと、発言内容の真偽(*4)、あるいは遡って「本当にインタビューは行われたのか」を問うても意味がありません。また、専門的あるいはマニアックな内容(*5)だとか、そもそも記録が残っていないために手も足も出ないという例も、ままあります。
最近ですと、漫画・アニメ・ゲーム・音楽etc.に関する記述・論評をチェックしたい場合に、「信頼の置けるデータベースが見当たらない」という問題もあります。有名なシーンやトピックなら各所で言及されている場合もあるにせよ、本来なら現物を取り寄せて実際に確認するのが望ましいのでしょうが、実際の校閲作業でそんなことをしているわけにも参りません。最終的には筆者を信用せざるを得ず、どうにも頭の痛い問題です。
ついでながら、校閲を通す場合の金銭的なコストにも触れておきます。
例えば物議を醸した『日本国紀』の場合、一般的な相場ですと、素読み(=ファクトチェックは行わず、誤字・脱字etc.のみ指摘する場合)は初校なら15万円程度、再校で10万円程度(*6)。更にファクトチェックも求められた場合、かかった時間に応じて別立てで請求することが多いのですが、作業可能な時間は刊行スケジュールに制約されることを考慮すると、20万円程度が上限かと思われます。当然ながら「作業量を考えると、この日程(or支払額)では無理」ということもあるわけで、そういう場合は「できる範囲で確認作業は行うが、手が回らなかった部分は、ともかく著者を信用する」という対応も起こり得ます。
気の利いた編集者ですと、先回りして「ファクトチェックは不要です」と言ってくれることもあるのですが、実際には「ツッコミどころが多過ぎることを編集者も自覚しているが、それを筆者との間で摺り合わせる時間も気力も無い」だけじゃないのか?と、一介の校閲者として邪推したくなることはあります。『ゲームの歴史』の制作進行は、どんな感じだったんですかね。
ともあれ校閲者としましては、単純な誤変換の見落としetc.の指摘に関してはひたすら恥じ入るばかりですが、「文章が破綻している」「内容が間違いだらけ」といったレベルのご批判でしたら、できれば筆者か版元へ向けて頂きたいと願う次第です。
(*1)個人的に経験した中で最もアツかったのは「筆者の不祥事(新聞沙汰になりました)が発覚して、既に校閲済=刊行間近の新書の企画が飛んだ」という事例です。誤訳の指摘も含めて、ファクトチェック、すげえ頑張ったのに……。
(*2)挙げられている資料がアクセス困難で詰む事例は珍しくありませんが、中には筆者自ら資料を開示して「引用や要約が適切か確認してほしい」と依頼してくる例もあります。そういう場合は当然ながら、校閲者が責任を持って作業に当たることになります。
(*3)もっとも「前段と後段で主張が食い違うのでは?」といった指摘は起こり得ます。
(*4)無論、明白な事実誤認(記憶違い、言い間違いと思しき例など)が含まれていれば、その旨は指摘します。
(*5)とりあえずネット上で検索を試みたものの、ほとんど筆者自身による論文しかヒットしない、という事例は実際に経験しました。
(*6)ここを著者と編集者で校正することにしてしまえば多少ともコストを圧縮できるわけですが、その結果どうなるかというと……
なので、人型ロボットを使って精神科の診察や、面接の練習をする研究をしている。
ということがこの前発売されたこの本に書かれてるみたい。目次と関連記事を読んだ限りでは。
『「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか ブルーバックス新書』
https://www.amazon.co.jp/dp/4065283639/ (アフィはないです)
https://www.med.nagasaki-u.ac.jp/psychtry/miraimental.html
気になったので紹介しておきます