はてなキーワード: 文科省とは
同じく会社経営だけど、元増田とはだいぶ意見が違うので簡単に書いてみる。
①最低賃金をめぐる経済学的な議論には、色々な立場がある。理論経済学的には、最低賃金を設定することで、死荷重(最低賃金以下での雇用機会の損失による非効率)が発生し、労働市場の効率が悪くなり、社会全体の効用が下がる、という予測が導き出されるけど、統計上はこの死荷重による負のインパクトははっきり観測されていない。最低賃金の存在が労働市場を歪めているという実証的な研究結果はない。
②最低賃金という制度の重要なポイントは「地域内では一律に設定される」という平等性にある。つまり、輸出中心の産業(海外の労働力コストと直接競争する産業)を除いたドメスティックな業種では、自社もその競合業種も、労働力の調達コストにおいてみんな同条件の上方シフトを被る。これは、各企業がこれまでと同じ収益性と雇用を維持し、同じ水準のサービスを提供しようとした場合、そのコスト上昇をすべて販売価格に転嫁しても競争力を失う可能性は低い、ということでもある。労働コストの上昇分を販売価格に転嫁しない企業があるとすれば、「企業の収益性を下げてでもシェアを取る」という選択をしたからで、これは人件費に限らず部材調達やその他諸経費の値上げなど、原材料費や外部経費のすべてに妥当する話だ。最低賃金に固有の問題ではないし、いずれは市場の機能によって均衡する。
→これは短期的には正しい。人員1人あたりに期待される労働生産性が上がり、その水準に満たない人は雇用できなくなる。一方で、長期的には正しくない。最低賃金が上昇すると、社会全体での労働財の単位価値が上がり、それによって「時給1500円の仕事」の水準が相対的に下がるからだ。
→労基法を遵守している企業なら、上のやつは不利益変更だからそもそもできない。普通の正規雇用社員の給与体系では、生産性の高い(職位が上、業績が良い)人材の給与が下がって、生産性の低い人材の給与が上がるような人件費の調整はできない。
元増田は、最低賃金アップを「生産性の高い/低い労働者間のバランスを変える問題」としてとらえているようだけど、認識がズレていると思う。ぶっちゃけ、単位労働の価格が上がることによって労働者間のバランスはほとんど変わらない。労働コストが上昇したときに企業が取り組むのは「労働集約的なタスクを、技術集約/資本集約的なタスクに振り替える」ことだ。労働コストが上がると、いままで人間がやってた仕事の中に、設備投資して機械化したりロボット化したりICT化して人を減らすほうが低コストになる仕事が増える。しかもその仕事は、必ずしもブルーカラー労働というわけではない。リンダ・グラットン『LIFE SHIFT』では、各業界の市場成長や機械化の可能性をもとに予測すると、これからの時代に雇用数が減っていく職種は①機械操作/肉体労働、②製造、③事務/管理部門、④セールス、⑤管理職の5職種で、伸びるのは①介護、②警備、③専門職、④技術職、⑤食品/清掃の5職種とされている。
→上で書いた通り、最低賃金アップは「生産性の高い/低い労働者のあいだの力関係を変える問題」ではない。最低賃金が変えるのは「人的労働と機械化のあいだの力関係」で、その影響はスキルの高低や学歴や職歴には関係なく、その職種の主なタスクの定型性が高い(機械化と相性がよい)かどうかによって決まる。だから、セールスだって管理職だって失業する。
→労働コストが上がると、労働者にはそれ相応の労働生産性を獲得してもらわないといけなくなるので、人材教育の重要性が高まる。社会変化によってスキルの陳腐化が加速しても、やっぱり人材教育の重要性は高まる。だから文科省も産業界もやたらとリカレント教育と言い始めている。そもそも未経験者を職業訓練しなければ、既存社員はどんどん高齢化して離脱していく。いまは経験年数の長いハイスキル人材の流動性もすごく高まっていて(顧問名鑑などの高度人材紹介業がそういった人材を活用している)、そういった人材を今の雇用条件で繋ぎ止めることは難しくなっていく。だから企業経営者として、将来的に職業訓練機会を減らしていくイメージが全く湧かない。逆にどれだけきちんと教育できるかを常に意識している。
→失業保険は一時的な問題だからここでは措いておこう。生活保護については、最低賃金の改定は、生活保護の支給条件である「最低生活費以下の収入」に対して正のインパクトも負のインパクトも及ぼす。たとえば最低賃金を500円にした場合、月20日フルタイムで働くパートタイマーの月収は8万円となり、現在の首都圏の最低生活費(約12万円)を下回る。最低賃金を下げることで、いまコンビニやスーパーや工場などで最低賃金で働いている非正規労働者が、みんな生活保護の潜在的対象になってしまう。逆に最低賃金がアップすることで、この最低生活費以上の収入を得て生活保護を脱することができる人々も出てくるだろう。
最後に陰謀論的な読み解きをしているけど、その前にこういう個別の論点をきっちり検証していったほうがいいよ。それが経営者の仕事。間違った前提で間違った舵取りをして、従業員を不幸な目に遭わせてはいけない。
反応するのが難しい、体(喉や目)を動かして表現するのが大変なだけで、知的障害自体はないのかもしれない。
意識はしっかりあるが、体が動かないことがつらいのかもしれない。
いずれ施設に預けるのもありだと思う。それを悪いことだとは思わない。
一緒にいることだけが正解じゃない。離れているから愛せるってこともある。
ただ、別れるまでに「愛された記憶」だけは植え付けてあげて。本人のためにも。
だから、今は諦めないで。
それから、最近の医学は進歩してる。ES細胞やiPSといった技術の発展のおかげだ。
こんなニュースもある
https://kansaibou.tokyo/%e8%84%b3%e6%80%a7%e9%ba%bb%e7%97%ba
この病院はちょっと怪しいが、高知大学も、臍帯血の幹細胞を用いた脳性麻痺の治験を始めており、こちらは文科省の承認を受けている。
人が足りないからもっと人員を投入しようと思うような価値のある仕事してないから人を増やせないんだよな。
なんの価値もない調査を学校にメールで流して、バラバラに返ってくる回答を一つのエクセルに転記して返すだけの仕事なんて、微塵も価値があると思えない。
シートが分かりにくいから電話で説明して、それでも分からんところの質問に電話で対応して、入力おかしいところには電話で確認して、てな感じで時間ばっかりかけてゴミみたいな仕事してる。
そんな仕事ばっかり。
本当に増田の言うとおり、文科省側で一回フィルターかけて、調査とか通達の数減らしてほしい。
何回同じ内容回答させてんだと。
学校数も児童数も大きくは変わらないのに、なんで調査の度に記入させるの?
本当に無駄ばっかり。
一味になるまで教育委員会は私にとっても遠く謎の組織だった。そして一生,縁遠く生きるつもりだったが悲しいことに一味になってしまった。
悪の組織のメンバー構成は,親玉の教育長を筆頭に教員が指導主事として教育委員会に配属されるのとその市区町村の行政職員が教育委員会に配属されている。他にも非常勤の教育委員とかいるが,メンバー的には謎の人員はおらず,みんな普通の公務員でしかない。私はもともとWeb業界界隈にいて、Uターンで地方の小規模都市の行政職員になり教育委員会に配属された。で,超絶ブラックだった。
新型コロナ関係でイベントが減ったからまだ去年はイベントがなく土日の動員がないけども,それまでは土日にたいてい教育関係のイベントがありそれに対応。土日の出勤手当など付くはずもなく代休処理される。代休はどんどん溜まっていき,おかげで年間を通して有給休暇を1日も取らなくて済む。
今年の3月からは本当に悲惨だった。それまでも月50時間以上は残業していたけど、3月から休んだのは家庭のやむを得ない事情と体調を崩した4日だけ(いずれも土日)。平日も0時近くまで残業して月150時間以上(色々控除済み)の残業。各種新型コロナ対策の処理やGIGAスクール構想,さらに4月からは謎の人員減に見舞われた。
前述のように残業代は申請しても休日出勤は勝手に代休にされるので実質サービス残業。仕事が終わらないから土日も働いているのに代休分を休まなければ1ヶ月だか2ヶ月で休む権利は消滅。割増になる深夜残業代も自動でなかったことに。まぁ上司から残業申請を減らすよう言われないだけ相当恵まれているけども、そのうち人件費の予算が尽きると「もう残業つけないで」と悪の組織の中枢である行政側の総務課のお触れが来る。
1ヶ月全く休みが取れなくなり私自身に起こったことは,体に変調を来したのと仕事以外の判断が面倒になったこと。
前者は、私の場合は尿道炎か膀胱炎ぽくなり食欲がなくなって痩せた。「ぽく」というのは病院にも行けなかったので市販の薬で治したので正確なところは分からない。排尿するときに痛みを伴ったからそうなのだろう。食欲の方は,食べたい物がなくなった。と同時に食事を選ぶのが面倒になった。食べたいものがなんだか分からないから,選ぶのも面倒。だから,何か食べないととコンビニに行っても面倒になって何も買わずに帰ってしまうこともしばしば。効果抜群の過労ダイエット。さすがにまずいだろうと今は野菜スープを大量に作っておいてそれを飲み込んでいる。濃い味が受け付けなくなったから,余計にコンビニのお弁当や外食が選択肢から外れて食べるものがない。
後者は、食事の件と同じだが考えることをとにかく放棄したくなる。仕事以外で誰かに何か聞かれても「任せる」としか言えなくなる。思考が停止してしまい考えられない。プライベートで「忙しいだろうから」ということで声がかからなくなったけども、実は私の対応が悪いからなんだろう。考えるのを放棄した結果、とりあえず値段を考えずに必要そうと思った物を買う浪費癖がついてしまった。考えることを放棄しているから無駄なものを買っても後悔すらしない。ブラック企業から簡単に抜け出せないのは仕事以外で思考するエネルギーを奪ってしまうからなんだとよく分かった。
東京にいた時もそれなりに激務だったけど、「これが終わればひと段落」という未来があったけど、今はその未来がない。処理する数倍の速度で仕事が増えていき、取り繕うだけで精一杯。仕事をしているだけで泣きそうになってくるのは初めてで我慢するのがつらい。
そんな数ヶ月を過ごして分かったのは,職場の人たちは個人的に心配はすれど解決のために動いてくれる人はほぼいないということ。そして,病人か死人が出たところでそういった状態にさせた悪の中枢の人たちは責任を取らないということ。各課の人数を含めて人員配置は教育委員会が決めているわけではなく行政側が決めている。だが,仮に何かが起きたとしても教育委員会の問題となり行政側は表に出ることはない。
彼らは自分の都合のいい方向にすすめるため,実態と合わないのもお構いなしに自分たちにとって都合の意見を言う人物を重用しその意見を採用する。何かあれば「誰々がそう言ったから彼らに聞いてくれ。」となる。普通に考えれば,そんなトカゲの尻尾になりたがる人はいないと思うけども人の虚栄心というのは面白いもので喜んでそのポジションに付きたがる人がいる。そもそも,よほどの問題が起こらない限りは立場の弱い部下や他の部署が疲弊させられるだけなのでリスクは低いのだろう。
話がそれてしまったが,彼ら悪の中枢の現場を知ろうともしない無計画さで私達は疲弊し地域の教育が疎かになり子どもたちの教育水準も落ちていく。「人がいなくて出来ないなんて外部には言えない」と悪の中枢から言われたのには心底腹がたった。それをどうにかするのがあなた方の仕事ではないのかと。だが,どうにもならない。組織的な余裕のなさは新たな仕事が増えないよう,つまり問題が起きないようにすることが僅かに残ったモチベーションとなり学校も世間からずれた制約・ルールを生んでいく。子供のためのルールではなく大人のためのルールで学校が運営されてしまう。教育委員会側の人間がこんなことを言ってしまうのは心苦しいけれど,(少なくとも私の自治体の)お子さんをどうか可能な限り私立の学校に行かせてあげてほしい。公立の学校の先生方も(人によるが)とても頑張っている。けれど,私は子供ができたとしても公立学校には絶対に行かせたくない。
文科省にお願いしたいのは,GIGAスクールだなんだ言う前に申請や手続関係をデジタル化してほしい。
一番ひどいのが教科書事務執行管理システム。ググれば出てくるから興味のある人は見てほしい。児童生徒への教科書は国が無償提供していて申請システムになるのだが,マクロをごりごり使ったエクセルで出来ている。教科書を配るだけのシステムだがマニュアルは189ページもある。
エクセルで必要数を入力して印刷して教育委員会に送り、教科書取扱業者へ。さらに、どの児童生徒に何を配布したのか入力していく。全国の各学校にこのエクセルを配布して、担当の先生が入力しているのだけど、ちょっと手順を間違えるとエラーが起きてバグるんだけど表面上はわからないし、わかりづらい。
オンラインのシステムじゃだめですか?むしろこういうのにマイナンバーを使う方向に持っていけないのだろうか。こんなのを全国の先生が使って時間を無駄にしていると思うとやりきれない。教師の労働時間短縮というならこういうとこから始めてくれませんか。そしたら教育委員会も余裕が出て学校を支援できるようになる。ただ,COCOAと一緒でまともな仕様を書ける人が文科省にいるとも思えないけれど。
GIGAスクールにしたって地方の自治体はやりたくても余裕が全くないんですよ。国が色々な補助を出してくれているんだけど、それに手を挙げる余裕すらない。手をあげれば補助金申請、仕様書作成、入札、業者との調整と仕事が増えるだけで,さらに疲弊するだけだから。とはいえ,全国的に一斉スタートとなったGIGAスクールの威力は絶大で(実情を理解されない)議員からありがたいことに多くの質問が来てまた疲弊させられる悪循環。もともと4年だか5年計画のものをコロナの影響で1年に縮めたのは余裕のない自治体にとって,いくら子どもたちのためとはいえ悪手だったのではないだろうか。
あと、教育委員会や学校への調査物の上限を決めていただけませんか?その上限を文科省内でやりくりしていただけませんか?通知や調査物で学校も教育委員会がその業務に追われるって本末転倒だし,おそらく文科省自体も集計やらで本来したいことを出来てないと思われるのです。
教育こそ地域の活力になるというモチベーションで頑張ってきたつもりだけれど,活力どころか衰退に手を貸している本当に悪の組織になってしまってこの組織から早く足を洗いたい。
「中国共産党が日本の学問の自由を浸食」専門家が危機感 北海道教育大の元教授拘束から2年:朝日新聞GLOBE+
これのブクマで、無理やり日本批判につなげる必死なはてサのコメントが酷すぎる。
[B! 中国] 「中国共産党が日本の学問の自由を浸食」専門家が危機感 北海道教育大の元教授拘束から2年:朝日新聞GLOBE+
私も自民党政府が完璧で素晴らしいとは言わないが、学者が政治的な発言によって逮捕収監されたり、行方不明になることなんて日本では無い。
せいぜい、干させるぐらい。干されることが禁止だっていうなら、アメリカのスポイルズ・システムなんて干すことを制度化しているようなもんだ。
それとも立憲が政権取ればが大月隆寛が復職し、呉座勇一がテニュアになり、高橋洋一が内閣官房参与に復帰するのか? そんなわきゃない。都合の良い学者を起用するだけだ。
id:grdgs 自民党も都合の悪い学問に抑圧の動きを見せている。自民党と中共は本当に似た者同士だよ。って事実を書くと、自国の話をするなと言う者達がワラワラと出るのも中共と同じ。日本保守と中共は本当に似た者同士だよ。
おいおい。確かに、自民党は政権に批判的な学問に対して否定的な立場だ。だが、文科省の官僚が、ジェンダー学者や社会学者、左派の歴史学者のの科研費をいきなり切ってるか? そんなわきゃない。それとも、政権に批判的な学者の首切ってるか? それも当然に無い。
id:RRD 中国共産党だけが事実の掘り起こしを嫌うんじゃない、全ての権力が嫌う。だから特に文系の学問は権力と対立する宿命を持つ。これを日本の権力に反すると叩くヤツが、中国の権力に反すると喜ぶのよ。付き合えるか!
まず、大学教授だって十分に権力だ。それに、事実と評価を切り分けずに、学問を僭称して道徳警察ごっこ政治ごっこやっている連中が何を偉そうに言ってるんだって話だ。
id:quick_past 日本の学問に最初から自由なんて無いよ
そもそも、完璧な自由なんて言うのは無いが、こんなのただの因縁付けだろう。中国やシンガポールにでも行っていろいろ味わってきたほうがいいんじゃない?
これな、意外と保育園は充実してるんだけど小学生から先がむずかしいのよ。
学童ない(あっても子供が特殊とかで使えない)ママ専業化の要因ですね
3歳児神話とかいうけど、今学校がとても硬直化して、ママ代わりに細やかに動こうなんて気が一切ない。
中学まではそれでもマシだけど高校からものすごく子供をすりつぶす動きをするようになってる。
高校1年生、15歳が一番心が折れる子が多い。いじめが多くなるのも子供同士が全般的に抑圧がきつくなるから。
もうとにかく文科省が無能で子供が一人で学校にいけないようにしてしまったの。昭和のモーレツサラリーマン扱いしてる。
ほんとマンガとかで炊事洗濯掃除ができる子供とか大人(読者を投影したKKOおじさん)の面倒みてる子供とか夢みたいなことばっかりかいてるからそうなる 普通は大学でもろくにできません。ママ奴隷、ママ黒子が前提になってるんだよこの社会
だからって生活科をどうにかしろとまではいわないよ、そもそもカリキュラム詰め込みすぎだし野球とかへんな才能ばっかり伸ばしすぎ
読ませていただきました。
我が家も絶賛2Eです。しかしツリー読むと酷いね。画一的な同調圧力にこなされてきた人々のフラストレーション凄いね。
日本の教育は、ある時期から支配されてます。だからtwitterで#教師のバトン なんていうハッシュタグ投入したのも文科省の「ご意見頂戴」アピールですよ。やる気なんてありませんよ。経済産業省と一部組んでますから、利益を損なう様な革新的な発明などされては困りますからね。たまに気鋭のある知識人がこのままではヤバい。日本が終わるという危機感は感じている様ですが…
うちの場合ですが勿論学校で出される宿題については「宿題ってのは、教師のアリバイのためだろ?何処に意味があるんだよ?」と言いながら、でもまだ学校はまだ辞めないらしく、渋々やっては行きます。ただ、今は様々な学びの可能性はある時代ですので、我が子へは学校へ行きたくなければ辞めてよし、と伝えてあります。
そもそも第一次産業革命以降、殆んど変わらぬスタイルでやってるんですよ?おかしいと思いませんか?
教師のことは「いろいろ考えさせないよう」わざと忙しくさせてる側面、ありそうです。ギガスクール構想で、更に教員は忙しくされてますよ。一人1台のパソコンを看板にすれば、政府が「お金使ってる」アピールも可能なんです。だから宿題の無限ループは終わらないのです。
学校見てていろいろおかしい事に気づいたら、早く足を洗うといいかもしれませんね。それだけで高いIQでしたら、気付きも多いので周りとは話合わなくなってくるでしょうね。好きな事があるなら、とことん追及させてあげてほしい。「社会でコミュ力マスト勢」が沸いて来そうですが、あなたのお子さんが「価値を生み出すかもしれない」人材になれば、自然とプロモーションを申し出る人間がいるはずですから。
普通はクラス単位で授業をうけるけど、授業を学力で3つか4つにレベル分けして、適した学力に合う授業を受けるようにすれば、イジメを防ぎ、野蛮な連中からの嫌がらせからマトモな奴から守ることが(ある程度)できると思う。
ここで言う「授業のレベル分け」っていうのは、学力でクラス分けを行うという意味ではない。同じ時限にレベル別で複数の授業が開講し、学生のレベルにあった教室で授業を受けるという感じ。
私の作文力が無いために良く理解できてない人がほとんどだと思う。そこで、私が考えたカリキュラムを導入した中学校に通う、たかしくんのモデルケースを紹介しよう。
たかしくんの学年は全4クラスで、時間割は下のようになっている。
それぞれの授業で、レベル別に4つの授業が開設される。たかしくんは数学の成績が良いため、1時間目の数学の授業は最も難易度が高い授業を受ける。しかし、たかしくんは国語が苦手なため教室を移動し、2限目は下から2番目の授業を受ける。3時間目も教室を移動し、学力に合う授業を受ける。授業を受ける教室が定まっていない所は大学に近いと思う。
このシステムのメリットは、自分の学力に合う授業を、自分の学力と同じくらいの学生と受けられることである。真面目に勉強したい奴はやる気がある奴と切磋琢磨できるし、授業中に騒ぐ野蛮な連中をゾーニングすることができる。
そして、学生の流動性を高められることで、イジメが勃発するリスクを軽減できる可能性がある。イジメや嫌がらせは、強制的に集められた集団の中で行われることが多い。クラスの中にいる気に入らない奴を排除したいがために行われるようなイジメは、この仕組みを取り入れることで軽減できるだろう。さらに、中々友達が出来ない陰キャぼっちも、クラス以外の学生と接触する機会が増えれば、友達ができるかもしれない。
というわけで、わたしがかんがえた超絶スーパーマジカル凄いこの仕組みを全国の中学に取り入れて下さい文科省の皆様お願いします。
今年中学になった子がいるが
・このデジタル時代にもかかわらず、相変わらずの教科書利権すごいな。「子どもには重い教科書を背負わせて成長曲線を緩やかに!かつ苦痛を味わせるべし!」みたいな二宮金次郎崇拝でもあるのかと思うレベル。
・宿題無理やりやらせてると本当に勉強嫌いになる可能性見えてます?(あっ、そもそも奴隷は勉強好きじゃなくてもいいのか)そしてスクールGIGA構想で一体何がしたいんすか?SDGs掲げてるんだったらもうちょっと多様的用途あるでしょ?(そうか格好だけでやってんのか〜現場大変だしね〜)
・人様の子どもに主観的な評価を下す内申制度、まだあるんですね?笑っちゃいます。
ここまで書いても腹立たしいけど、文科省と経産省仲良くやってるくせにこれは酷いわ。イーター計画やムーンショットなんかぶっ飛んだ構想掲げているくせにこれはあんまりじゃないの。相変わらずの「奴隷」教育。
考えるな!従え!!
そしてよき駒であれ!!
(我が子には、無理だとおもったら直ちに抜けろと伝えてある)
予想通りゆだぼんアンチ沸いててワロタ
・もっと真面目に言うと、支配構図が変わらない限り日本の公教育はまず良くはならない。これが分からないなら話にならない。おそらく大多数はこの話の意味すら分からんだろう。可能なら親(自分)がかけられるだけの金を子どもに投資するもよし、(但し将来見返りがなくても子どもを責めるなよ)支配構図の影響が出来るだけ及ばない生き方を模索するもよし。ちゃんと自分の頭で考えましょう。
菅義偉首相が創設に意欲を示す「こども庁」について、内閣府と文部科学省がそれぞれ作成した組織案が判明した。水面下では与党の目玉政策に乗じ、新組織の主導権を握ろうとする関係府省の綱引きが始まっている。
新聞や雑誌の風刺漫画に、泣き叫ぶ子供を引っ張り合う2人の親 (和服で顔に内閣府、文科省とそれぞれ書いている) と、その真ん中でどちらにしようか、汗と?を浮かべて首をひねる大岡越前の格好をした菅首相、という絵が載るのが想像されるね。その時、「親」の性別をどちらにするかでもうひと悶着ありそうだけど。「子供のことを第一に考えた『大岡裁き』が菅首相に下せるだろうか」「これにて一件落着とはいかないようだ」とかクソみたいな文章を添えて。
職場では勘違いした部長崩れが、怒号と不機嫌と人事配置で恐怖政治を敷く。社員は上を怒らせないように事勿れと忖度が日常化する。ストレスが溜まりその矛先はさらなる立場が下の者へ。そして下のものの矛先は社会的弱者へ。
学校現場では、文科省が学校を、学校が先生を、先生が生徒を。そして生徒の矛先は、さらに弱いものへ。
今の日本はどこに行っても自民の作った構造と相似形。「ハイヒエラルキーの者には逆らうな」のピラミッド構造は完成し、安定して社会の隅々まで行き渡っている。
パンティー
夫:30代、会社員
子:1歳6ヶ月
区内の認可保育園に入れるには両親共にフルタイム勤務が最低条件。年度によって異なりますが年間10コマ(週3日程度)ではこの条件に遠く及ばないため、認可外保育園を検討し、産後7ヶ月で近隣の企業主導型保育園に入園しました。
基本的な預かり時間は9:00〜16:00まで。授業の日程上、どうしてもこの時間内の送迎が難しいときは開始を30分早めたり、18:30まで延長してもらいました。
前期は以下の日程で仕事をすることに。
この日程に合わせて送迎時間の変更を園に打診したところ、勤務時間+通勤時間しか預かりができないとの返答がありました。
勤務時間として拘束されるのは1コマ90分の授業時間のみですが、当然ながら授業準備等の時間外労働があります。その旨保育園に訴えたものの、国から就労実態がない時間の預かりについて指導が入り、就労証明書に記載されていない時間は預かりが認められないとのことでした(ちなみに企業主導型保育園は内閣府所管)。
大学、専門学校と交わしている労働条件通知書に記載される勤務時間は授業時間のみ。時間外労働は「命じない」と明示している学校もあります。
とはいえ実質的に授業を行うためには以下の時間外の業務を必要とします。
〈事前準備〉
〈事後の業務〉
〈期末の業務〉
補足1:資料作成について。基本的には前年度の資料を再利用しますが、前年度に授業をやってみた感触や学生の授業評価アンケート等を受けて、内容を精査し、手直しすることも多いです。また、新規に担当する科目についてはイチから作らねばならないため、教科書や論文等を読み込み、授業の構成を練るのに膨大な時間を要します。
補足2:出欠について。昨今、文科省が唱える単位の実質化の名の下、出欠を厳格に管理する流れがあります。出席回数が3分の2を下回ると評価を受けることができないと明示する学校もあり、毎回出欠をカウントする必要があります。(なお、学生証のタッチ認証で自動的にカウントする学校では、ありがたいことにこの業務から免れています)
補足3:成績評価について。私の学生時代には試験やレポート等の単一指標で評価するのが一般的だったように思いますが、現在は評価の妥当性の観点から、複数の指標を用いて多面的に、ポートフォリオ的に評価することが求められています。このため、最終試験や最終レポートのみならず、授業内課題を合わせて総合評価を行なっています。
以上より、授業1回につき、通勤+授業+時間外業務で丸1日以上潰れることがご想像いただけるのではないでしょうか。個人情報保護の観点から通勤の電車内で課題を採点することも難しくなり、授業時間+通勤時間で上記の業務をこなすのは不可能と言えます。
産前は土日を仕事に充てることができましたが、現在は家事・育児で手一杯になってしまいます。このため、授業のない残り2日間は時間外労働に充てるために何としても預かり時間を確保したいところです。
(子どもが寝静まった夜間に時間を取れば良い、との意見も聞こえてきそうですが、私自身がロングスリーパーで睡眠時間を確保しないと不調をきたすこと、長年患って最近ようやく回復したうつ病の再発が怖いことから、できるだけ無理をしたくない)
各学校に対して「就労証明書に授業時間外の業務があることをせめて備考欄に書いてほしい」と伝えていますが、なかなか叶いません。
園からは区による「保育の必要性の認定」を受ければ預かれると言われたものの、「週4日以上、1日当たり4時間以上の勤務時間」が区の認定基準…週3日、3時間未満の勤務ではこれを満たすことができません。
1. 保育園(国)や区が、会社員のように固定された労働時間しか想定しておらず、多様な労働のあり方を認めていない。したがって個人事業主であれば提出できる就労状況の自己申告すら受け付けてもらえない。
2. 大学・専門学校が雇用条件として授業準備等の時間外労働を認めてない。
1.については内閣府に意見を送ろうかと考えています。2.については地道な交渉が必要なのでしょうが、個人レベルの交渉では埒があかず、すでに心が折れそうなので、非常勤講師の労働組合に入ることを検討すべきなのかもしれません。
仕事を全部辞めてしまおうかと自暴自棄に考えてしまうこともありますが、いずれは専任になりたい願望もあり、諦めきれずにいます。
睡眠時間を犠牲にして、勤務日の夜間+1日、適当なバイトを入れて、区の認定基準をクリアするぐらいしか思い付きません。
はてブでは、「文科省の若手が、敢えてネガティブな意見を引き出した確信犯」説が大人気だが
私は違うと予想する
と、いうのも、「教師のバトンプロジェクト(文部科学省)」公式が、炎 上 前 にnoteにした
↓
https://mext-teachers-gov.note.jp/n/n1effc43cd146
2021/03/26 08:50
こちらに書かれてあるプロジェクトの説明、一見はてブでバズッた内田良さんがYahoo!ニュース個人コーナーで語った内容と、ほぼ同じに見えるが
以下にまとめてみた
↓
(引用はじめ)
・私たちは、プロジェクトを検討する中で、多くの教職を目指す現役学生や、教職を断念した学生・卒業生と意見交換をしてきました。
「教師の魅力・やりがいはわかっているけれど、報道されているような長時間勤務に耐えられるか不安」
「実習先の学校で見た教師たちが保護者対応や事務作業など、教える以外の業務対応で忙殺されていて 教師になれるか自信をなくした」
・学生の生の声を聞き、私たちは考えました。【一部の報道や、実習先など一部の学校の印象で教職を諦めるのはあまりにももったいない】し、現職の教師が行っている、全国の学校現場の日常の創意工夫や広がる改革の波について、教職を目指す学生や社会人の方々に対して十分に発信できていないのではないかと。
・【教師は子供たちの人生を変えるくらいに大切な価値ある職業であること、文部科学省も現状の課題をふまえ時代に対応した制度改革を急速に進めていることを改めて社会に共有したい】と考えました
・こうして「#教師のバトン」プロジェクト の構想が固まってきました。
・また、教師だけでなく、【保護者や地域の皆さまからも、例えば、「娘の担任のここが素敵」、「地域と学校をつなぐ自慢の教師たち」など、教師へのエールのシャワーをたくさん浴びせていただき、社会全体で教師を応援するという雰囲気をつくることができれば】、こんなにうれしいことはありません。
・このバトンを教師だけでなく、【社会の多くの方々につなぐことで、教師を社会全体で応援する雰囲気を醸成したい】という思いも込められています。
(引用おわり)
特 に 【 】 で 括 っ た 箇 所 を 、 よ く よ く 読 ん で ほ し い
見比べると、かなり印象が変わるのではないだろうか
【疑問】
上記の文章を読むと、文科省に対して、こんな疑問を抱くのではないだろうか
・文科省は『一部の報道や、実習先など一部の学校の印象」で働き改革が進んでいないかのごとく受け取られているが、実際は急速に進んでいる』と印象づけたい?
・文科省は
「教師は子供たちの人生を変えるくらいに大切な価値ある職業であること」
「保護者や地域の皆さまからも、例えば、「娘の担任のここが素敵」、「地域と学校をつなぐ自慢の教師たち」など、教師へのエールのシャワーをたくさん浴びせていただき、社会全体で教師を応援するという雰囲気をつくることができれば」
「社会の多くの方々につなぐことで、教師を社会全体で応援する雰囲気を醸成したい」などの記述があるように
教師という職業のやりがいや社会的価値の『誇示』に主眼を置いて、更にやる気を搾取する方向での解決を目指そうとしているのではないか?
私は、文科省がこのプロジェクトを始めた意図はこの二つにあると強く感じた
〇更に「敢えてネガティブな意見を引き出した確信犯」を否定する状況証拠として「公式Twitter上での文科省の振る舞い」がある
炎 上 時 に彼らが「何をリツイートし、何にいいねを付けたか」確認していきましょう
#教師のバトンプロジェクト【文部科学省】 (@teachers_baton) | Twitter
https://twitter.com/teachers_baton
↓
・#教師のバトンプロジェクト【文部科学省】さんがリツイートした教員エピソード(3月31日時点)
(引用はじめ)
大野 睦仁
@m_tongarikids
離任される先生の中で、ボクより経験を重ねてきている先生が「この学校に来て、授業研究が初めて楽しくなったことが一番の思い出です」とおっしゃっていた。確かに疲弊している学校研究だけど、やり方あり方次第で、まだまだ可能性は残っていると思う。若手大量採用の時代だからこそだ。#教師のバトン
大野 睦仁
@m_tongarikids
「この学校に来て、一番学んだことは、学ぼうと思えば、どんなことからも学べるということです。そして、どんなことからも学ぼうとする人は、カッコよくて、ステキな人だと思います。6年間ありがとうございました。どうぞお元気で」11人も異動者がいたボクの30秒ほどの離任の挨拶。#教師のバトン
(引用おわり)
う ん 、 働 き 方 改 革 と は 縁 遠 い ね ?
・#教師のバトンプロジェクト【文部科学省】さんがいいねしたツイート(3月31日時点)
↓
(引用はじめ)
@senoo8masatoshi
応援します。ネガティブな報道なども多いなかですが、当の先生たちの思いやがんばっている姿、なかなかニュースなどでは取り上げられない声も共有していこうという取り組みかと思います。もちろん、やりがいだけPRしてもダメで、働き方や職場環境などもよくしていくことと両輪です。
(引用おわり)
【注】妹尾昌俊は、文科省『公認』のプロジェクト応援団の一員(鼻から応援する立場の人間)。一見中立的なコメントを装っているが、その実全く中立ではない
・ネガティブな報道も多いですが、当の先生たちの思いやがんばっている姿、なかなかニュースなどでは取り上げられない声も共有していこうという取り組み
→「ポジティブなツイートでネガティブな印象を払拭したい意図があった」
「このプロジェクトはやりがいPRが目的だ」という文科省のお考えが
【結論】こうした文科省の動向をみると、やはり文科省は「敢えてネガティブな意見を引き出した確信犯説」ではなく「教師のイメージアップを図ってやる気解決を目指してる説」の方が有力
少なくとも「はてブでバズッた内田良さんが投稿したエントリや、炎上後の文科省の言い訳だけを読んで、文科省の真意を読み取ろうとするのは避けるべき」と言えるのではないだろうか
こちらは教師ではありませんし、こういう表現がよろしくない事は分かって書く。
厚労省・労働局・労基署がただ飯食っているからじゃねぇか?教師という面では文科省も
勿論真面目に労働問題に取り組む方々がいらっしゃるのも理解する、だがそれならば公務員だって都市銀行の行員だって名前言えば書けば誰でも知っている自動車メーカーや電機メーカーの社員から過労死や自殺者が出てくるのか教えてくれよ
教師に限らず現場を見殺しにするんで有れば大陸や半島の国々と何も変わらんよ。
こんな話は社会人1年目の2006年頃には俺は散々見聞きしてました。もう15年経って何も変わらないならただ飯食ってるって言われても仕方ないのでは?