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2019年12月に文部科学省が打ち出した「GIGAスクール構想」。これは教育のIT化に向け、1人1台の端末環境を実現するという構想だ。当初は23年度までに整備を行う予定だったが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による自宅学習の需要から20年度中へ前倒しになった。
21年度に入ってすでに4カ月たつが、教育の現場はどう変わったのか。現職の教員から校長、教育委員会、有識者などさまざまな視点から現状を探ってみた。
GIGAスクール構想の中で子供の学習用端末として配られたのは、Windows搭載PC、Chromebook、iPadのいずれか。OSや機種の選定は各自治体の教育委員会が行った。学校ではそれらの端末を使ってさまざまな授業が行われている。
東京都内でChromebookを使う小学校に勤務する鈴木教員(仮名)は、画面に自由に文字や図を書けるデジタルホワイトボードを活用。「子供たちがホワイトボードに書いた意見を共有して、全員が同時に見られるようにしました」(鈴木教員)と話す。その結果、今までは授業で発言しなかった子が自分の意見を出すようになるという効果が生まれた。
鈴木教員は今後、デジタルホワイトボード経由で他校と交流する授業もやってみたいと期待を膨らませる。将来的には、遠方に住む人に授業してもらったり、他国の子供たちと交流したりできるだろう。
ある小学校の校長は「ITが得意な教員は今まではそんなに目立ちませんでした。でも今では子供にも他の教師にも頼られて大活躍しています」と話す。今まではITスキルが高くてもそれを生かせる場面がなかったのだ。
子供の方でも同じことが起きている。「発表資料に動画を使いたいという子が出てきたとき、もともとPCが得意だったインドア派の子供が教えてあげる場面があります」という話を複数の教員から耳にした。
教育面ではメリットもあるが、困りごともたくさんある。学校が苦慮していることの一つに、家庭への端末の持ち帰り問題がある。持ち帰りが始まっている学校ではトラブルも続出している。よくあるのが「子供がYouTubeを見るようになって困る」という保護者からの苦情だ。
「アダルトサイトなどはフィルターがかかっていますが、YouTubeやゲームは制限がなく、学校の方で閲覧を止められません。学校ではもちろん『必要以上に見てはいけない』と指導していますが、家の中のことは……。家庭のことは家庭で対応してほしいというのが正直なところです」と都内の小学校教師はこぼす。
端末の破損も課題だ。公立校の教師経験もある情報通信総合研究所・特別研究員の平井聡一郎氏によると端末の保険料が問題になっているという。
自治体によっては、端末を家に持ち帰って故障させた場合は、過失・故意問わず保護者負担とするところもある。
「しかし、そもそも破損時のための保険を付けていなかった自治体の方に問題があります。リースなら保険が付いていますが、端末にかかる費用を安くするために買い取りにしたのではないでしょうか」(平井氏)
子供の通う自治体が保険料を払ったか否かで、家庭の負担が大きく変わるリスクが生じるというのは、保護者の立場なら納得いかないのも無理はないだろう。
また、自宅の通信環境も問題になっている。家庭の通信状況は学校で把握できないため「通信できなかったから宿題ができなかった」といったことも起きる。
夏休み明け以降に端末の持ち帰りが始まる学校も多く、教師は戦々恐々だ。端末の持ち帰りについては、まだまだ試行錯誤が続きそうだ。
今回の取材で教師から最も多く聞こえてきた困りごとは「学習のためのアプリが子供たちの端末に入っていないこと」だった。
GIGAスクール構想で子供の学習用端末の購入に充てられた補助金は子供1人当たり4万5000円が上限だ。この金額があれば端末代は賄える。しかし、教師たちが使いたかった学習用アプリなどが入れられなかった自治体も多くある。本格的に活用しようとなると現場では不足感が否めないようだ。
PCメーカー各社の多くは、GIGAスクール構想向けとして4万5000円程度のPCを展開している
4万5000円を超える金額について自治体が追加で上乗せするのは自由だ。アプリやサービスは各自治体の教育委員会が一律に導入を決めるのだが、教育委員会が自治体の財政部局に掛け合って予算を獲得しなければならない。
四條畷市教育委員会の植田篤司教育長(四條畷市のWebサイトより)
大阪府の四條畷市教育委員会はクラウド型の授業支援ツールを導入するため、予算獲得に奔走した。
「国の示す標準仕様の範囲でもITを活用した授業はできますが、ミドルウェア的な共通基盤となるツールを導入すれば、授業の生産性や効果、拡張性がより向上すると考えました」
そう指摘するのは、四條畷市教育委員会の植田篤司教育長だ。植田さんは日本IBMの出身で、大阪府立の工業高校の校長を務めたのちに四條畷市の教育長に就任したという異色の経歴を持つ。
IT活用のスピードも自治体によって大きく差がついている。同じ東京23区内でも、港区は20年12月時点で全員にiPadが行き渡ったが、足立区は21年7月の時点でも小学校で端末の配布が完了していない。
教育委員会がやるのは端末やアプリの選定だけではない。学校のインフラ整備も教育委員会の仕事だ。
校内の通信環境が悪く、インターネットに接続しづらい、通信速度が遅いこともある。これは必ずしも校内のアクセスポイントに課題があるわけではない。自治体によっては教育委員会のサーバを経由してインターネットに接続するようにしているケースがあり、通信速度の上がらない要因になっている場合もある。
データの保管場所にも問題がある。ある自治体ではセキュリティ上の理由で、教師たちのデータは教育委員会のサーバ、子供たちのデータは学校のサーバに保管され、互いのデータが送り合えない仕組みになっているという。そのため教師の端末から子供たちの端末に課題を渡そうにも、職員室にある専用端末にデータを移し、そこから子供たちに送付するという手順を踏まねばならないという。
情報セキュリティには敏感な一方で、パスワード管理には甘い部分があるようだ。
「子供がパスワードを書いた紙を持って帰ってきました。パスワードを紙で管理するのは非常識。娘にパスワードの重要性をしっかりと伝えて2人でパスワードを変えたのち、学校には『現状のパスワード管理体制には不備がある』と伝えました」
そう語るのは、横浜市の小学校に娘を通わせる前田さん(仮名)だ。IT企業のエンジニアであるため、学校でパスワードの重要性を説明すらしていなかったことに驚いたという。
こうしたさまざまな課題はあるが、GIGAスクール構想がもたらした変化の萌芽も確実に見られ始めている。これから現場はどのように変わっていくのだろうか。
前述の平井氏は「教師のITスキルはまだ高くないが、それは彼らが悪いわけじゃない。授業で使ったことがないからイメージが湧かないだけでしょう。問題は自治体がルールで縛ったことです。『iPadのカメラ禁止』『クラウド禁止』『YouTube禁止』なんて縛り方を間違えている」と指摘する。
「大切なのは『こういう授業をやりたい』というビジョンを持つことです。それがなければ、紙をタブレットに置き換えただけにすぎません」(平井氏)
「ある学校の美術の授業では生徒の自画像をクラス全員で共有し、いいと思ったところにみんなで付箋を貼る。こういう工夫が簡単にできるようになっています。現在の授業は、教師の知識伝達が7割、子供が情報取集をして自分で発信するのが3割という配分ですが、これを3対7に切り替え、子供が活躍する授業にしていくべきです。端末や通信環境の問題より、まずは教師が意識を変えないといけない。それが最大の課題です」(平井氏)
「教師はティーチングが主から、ファシリテートを主とする役割に変わっていく」――植田氏もそう断言するが、それはつまり教師の存在意義の大転換である。
21年7月、まだ準備中のデジタル庁がGIGAスクール構想に関して教育関係者へのアンケートの募集を始めた。今現場で起こっている課題感をヒアリングするのが目的とみられるが、文科省へのプレッシャーという意味もあるだろう。過渡期の試行錯誤が続くが現場は全力で戦っている。「どこへ向かえばいいのか」を国や首長が明確に示すことがその支えになるだろう。
#教師のバトン は教師を目指す人に、現役教師が働き方改革の様子を教えてあげる的なタグ。
https://www.mext.go.jp/mext_01301.html
しかしまぁもちろんそんな平和なタグになってくれるわけもない。文科省マターではなく防衛省マターでは?となるほど殺伐とした戦場の墓標となっている。未来の教師が死んでいる。
基本は教師クラスタ内で弔われていたこのタグだが、あの多浪界の名脇役「苦労してます九浪はまい」のツイートによって多浪界にも訃報が走った。
これでもう、学力の培養土たる多浪から教師が生まれることはない。
https://twitter.com/hamaishogo1111/status/1421266953625239553?s=19
教師のバトンはいいぞ。部活などを押し付けられて切実なブラック具合を嘆く若年教員。それをなってないと叱る「校長先生」なるアカウント(もちろん体罰を推奨している)。門外漢の俺が言っても頓珍漢だ。まずはTwitterを開きなよ。そして教育の、つまり未来の死産された日本の、墓標を読んでみてほしい。
吉田光雄さんはTwitterを使っています 「小山田圭吾のいじめ発言は、悪趣味ブームだった当時(94〜95年)は別に問題にもならず、 その後だんだん世間の常識が変わってきてからは何度も「これはひどい!」的に掘り起こされてきたという経緯があります。そして、あれは小山田圭吾だけじゃなくて、当時の『QJ』とライターの責任も大きいかと。」 / Twitter
これはちょっと言葉足らずで当時知らない世代には誤解しかならないと思う。
今にも続くけど文科省、教委、PTAの「理想の学校」に対して白けながら「現実の子供は違うんだよw」って露悪してカウンター食らわせる。今は増田含め匿名ネットコミュニティでしか見ないけど昔は雑誌が発信の場だった。
増田にも大勢いるけど「障害者と同じ学級は嫌だ!」「言葉が通じないやつは嫌だ!」という差別心は当時以上に今のほうが支持されるのではないか。
90年代のカウンターブームは別に学校、教育に対してだけでなくて、男女雇用機会均等法への反発や、歴史修正主義みたいな政治分野も雑誌で担ってた
この記事も言葉足らずだからかおかしな反応が見られるな。「露悪的」「本音主義」というのは今で言うと「現実主義」「リアリスト」ってことよ。
当時はまだまだ「理想主義」に力があって「権威」になれた時代だったからカウンターとしていくらでも露悪的に過激になろうとしたし、大海の一滴のサブカルだからそう振る舞ってもスルーされる土壌だったというだけで、常識が当時と今とで違うからという話ではない。
でも公的資格でもうさんくさいのあるよね。臨床心理士とか英検とか。
正直いって、以前から英検も文科省主催の資格商法くさいとおもってる。大学受験にほんのちょっと役立つだけで大学留学ならTOEFL、社会人になったら経産省のTOEICだもんなぁ。
私は3年生で去年も同じゼミ所属なんですが、先生が適当な上オンラインだったので気づいたら終わってました。今年は対面で、係の仕事もあるから結構だるい。
まず元凶は先生が変わったこと。サバティカル(研究休暇)という制度があって、研究に専念するため授業など諸々の業務をお休みするらしいです。当然ゼミも代理を立てる。で、現れたのが今年の先生です。最初にzoomで顔合わせをしたとき、なんかその先生の様子がおかしいんですよ。「君たちは去年もこの授業とってたんだね」みたいなこと言ってきて。そう、この人そもそもゼミのシステムを理解してないんですよ。この時点で「は?」って感じなんですが、それから「このゼミは学生主体でやっていきたいと思います具体的にはこうこう」って提案してきて、いやいやシステム理解してないやつが勝手にカリキュラム変えるなやと思いつつ話し合いは紛糾。オンラインだったせいもあり台風のような一時間に。
こいつはやべえと思った学生たちで裏で打ち合わせて、とりあえずゼミ長など役職を決めました。誰か先生に対抗する立場の人間がいないと無理だと判断したため。次のゼミは対面でやり、授業方針を決めることに。
これだけならまだいいんですよ。でも学生サイドにも地雷があって、あるゼミ生(以下A)がほかの女子どもに嫌われてるんですよ。で、話し合いの場面でそのAがヘイト買うようなこと言うわ言うわ。
うちは文芸創作をするゼミで、夏には学生の作品を載せたゼミ誌を作ります。当然費用が発生するんですが、Aは「オンラインで作っちゃえば?」と提案しました。その提案自体は何も問題ないんですけど、ようはAの主張は「ゼミ誌制作には金がかかる。だから紙の形で欲しい人達だけで作って他はオンライン(電子書籍ではなくPDFのことらしい)でいいじゃん」。私は提案自体は悪くないと思います。現実的には全員紙媒体の方が都合は良いんですが、旧弊ならガンガン変えてけば良いとも思います(紙媒体は旧弊だとは思いませんが)。でも、二年生含め過去のやり方=紙媒体のゼミ誌を作る前提で参加したわけで、当然賛同者は少ないんです。ただでさえ嫌われてるのになんで自ら分断されにいくんだお前は。反骨精神は結構だけどゼミ内の不和を増やすな。嫌われてることは本人も認識してるはずなんだけどな……。
結局全員紙媒体で統一することになり今後の授業計画の話し合いへ。で、先生が曖昧なことしか言わないんですよ。「実際の小説作りのようなやり方をするべきだ」だの「全員が作家で編集である」だの。それを具体化して授業計画立てるのがあんたの仕事やろがい。
大学の授業にはシラバスがあって、教員がそれを作成の上文科省に提出するはずなんですよ。そこには授業のスケジュールや最終課題とかも含まれるわけで、それを一切考えてないのはもう教員の仕事をしてないのと同じなんです。「学生主体」と言えば聞こえはいいけどただの怠慢。
幸いゼミ長が頑張ってくれて毎回実践的(この言葉も曖昧ですが)なことをするという方針に。後期はゼミ誌の合評なので前期さえ乗り切ればこんなことはしなくていいのが救いか。
で、ここまでが授業開始当初の終わってる話。ここからは現在直面中の終わってる話です。
私はゼミ誌係をしていて、ゼミ誌の原稿を集め印刷所に依頼をして等々の仕事を担っています。もう一人のゼミ誌係はゼミ長と兼任でどっからそんなバイタリティが出てくるんやという感じですが、まあ何とかやってます。
で、どいつもこいつも締切を守らないんだこれが。もちろんこちとら織り込み済みなので、遅延を見越したスケジュールを組んでいます。が、それにしたって酷い。「遅れます○日までに出します」とか言っといてそれを破るやつ、書式を指定したのにガン無視する(しかも自覚してる)やつ等々。まあ全員Aというやつなんですが。そら嫌われるわ。別授業の出欠代わりの課題を毎回LINEで訊いてくる辺り人として終わっているのは気づいてましたがまさかここまでとは。この前ついに「俺も今日休んだから分からねえわ(大嘘)」と言いました。
で、この前先生がそれに苦言を呈したんですよ。それは当然なんですが何故かその矛先がゼミ誌係にも及ぶ。「お前らがもっとちゃんと管理せんかい(意訳)」ということなんですがまず授業計画の管理もおぼつかない人に言われる筋合いはないし、「お前作品出てないからゼミ誌に載せないから」とか簡単にできるわけがない。それはつまりゼミの単位をその人に与えないということであり、一介のゼミ誌係ができることではないんです。原稿出てないからこの学生は単位なし! なんてする権限はありません。
しかも提出された原稿を先生が読んだ後、学生と面談をすることが急遽(思いつきで)決まりました。これも普通のゼミなら毎年やってしかるべきなんですがうちはいかんせん先生が適当なので、去年はそんなこともしておらず。まず先生zoomよく分かってなかったしね。それだけなら良いんですが、このとき先生が結構注文をつけるんですね。話の大筋に関わるアドバイスが多くて、当然書き直す箇所も続出。つまりスケジュールに「面談を受けての校正期間」を組み込む必要が出てきたわけです。なんで思いつきでやるかなそういうこと。ということで今、絶賛校正期間中。しかも面談の日は学生によりけりなので、面談が遅いとその人の校正期間も短くなります。その中には件のAも含まれてて今から絶望的ですね。今回の締切破ったら問答無用で初稿の状態で出すので良いんですけど。
あとゼミ誌の表紙絵をゼミ生にお願いしてるんですけどなんかその子に嫌われてるっぽいです。俺なんかしたかな。スケジュールがグダってるのが原因なら返す言葉もございませんって感じですけど。でも嫌うのは良いけど事務連絡のときに既読無視するのはやめてほしいですね。公私混同するなよ子供かよと思いながらやり取りしてます。
とまあ、以上がゼミの状況です。先生が最初にしっかりシラバス組んでくれてたらこんな地獄見なくて済んだんですけどね。解雇されねーかな。
財務省が文科省の金を握ってる時点で教師の労働問題は解決しません。
理由は、文科省はいかに教師が大事かを説くためだけに教師の事務仕事を増やしてるから。
教師の事務仕事を増やして実績を見える化して、それを開示することで財務省から何とか予算を貰えてるのです。
今は教師のバトンで教師の労働環境が劣悪なことがバレて、どうにかしようという動きになってます。
しかし1、2年後にはそんなことは忘れて前のように教師の事務仕事を増やしては、財務省からお金をもぎ取ることにだけ専念してるでしょう。
ただボトルネックが財務省にあるということは、文科省に対するヘイトを財務省に向けさえできれば教師の労働環境が一気に解決する可能性もあります。
しかし恐らくそれは賭けであり、失敗すれば文科省の予算は半減し、教師の労働環境は今より悪化することになるでしょう。
今でも教師の労働環境が悪いのにそれ以上に悪化するとか、ヤバイですね☆
文科省 「慰安婦」閣議決定受け教科書会社対象に異例の説明会 | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210618/k10013092571000.html
いやもちろん表題の件も悪いんだけど、
今、高校の地理歴史科では、どこも来年からスタートする「歴史総合」の教科書選定作業に苦しんでいるはずなのだが(というのは7社12冊もあって、その全てについて一応「調査」した体で記録を残さないといけない)、
ざっと見た限り、従軍慰安婦について記述している教科書、一冊もないのよ(うっすら匂わす程度はあったかも知れない)。
ちなみに7社12冊の内訳は以下。
・東京書籍(2)
・実教出版(2)
・清水書院(1)
・帝国書院(1)
・山川出版社(3)
・第一学習社(2)
・明成社(1)
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/tenji/mext_01383.html
何がまずいかと言うと、新学習指導要領における必修の歴史科目は歴史総合のみで、
しかも扱う内容は近現代を中心に置く構成なのに、その記述が1冊もないようでは、
日本として慰安婦問題に真摯に取り組んでいるという建前が崩壊してしまうのよ。
遅かれ早かれメディアでも取り上げられて、隣国からの追及を受けることになるだろう。
いやマジで、1冊もないってどういうことよ?
ちなみに歴史総合の発展科目である「日本史探究」「世界史探究」の教科書見本はまだ出来上がっていないが、これらは必修ではない。