はてなキーワード: プレゼントとは
そもそもママ活って何? 受け取るお金の相場は1時間あたり3000円〜5000円
Aさんによると、ママ活とは“ママ”と呼ばれる女性と一緒に過ごして対価をもらうもの。やっているのは、現役の大学生が多いそうです。
その対価が“金銭”であれば「ママ活」、洋服やアクセサリーなど“モノ”である場合は「姉活(あねかつ)」と、区別されることもあるよう。
https://r25.jp/article/643810362916078840]
なるほど……
コロナ前に結婚式を挙げたんだが、夫婦で招待した友人Aのご祝儀が3万だった。
そこから、友人Aの粗が目に付くようになった。
まず、SNS。
挙式の何日前からか「スーツ新調。嫁とお揃い」とか、ブランド物のスーツを買ってたり、
挙式が終われば「うちの嫁が一番綺麗だった」と、式場でいちゃついてる写真をアップしたり。
嘘でも「花嫁さん綺麗だった」とか「いい式だったとか」書けよ。
「A様から挙式後『最後に食べようと取っておいた肉を、トイレに立ってる間に勝手に下げられた。サービス業としていかがなものか。また、全体的に味付けが濃く、口にあわなかった。』と"非常に強い苦情"を受け、謝罪いたしました。A様には、苦情を入れたことを新郎新婦に伝えないよう申し付けられましたが、誠に勝手ながらわたくし個人の判断でお伝えします」
わざわざ伝えるなんてリスクしかないのに、我々がおかしな人と縁切りできるよう信頼して教えてくれたのだ。(たぶん)
中盤に出てくる肉を残してたらそのうち下げられるだろ。それに、普通はクレームなんて入れない。
(式場の名誉のために言うと、食事は最高に豪華でおいしかったし、サービスも行き届いていた。)
そんなわけで、Aと縁を切ることにした。
思い返せば、あいつ、「今まで結婚式呼ばれたことない。友達いないから……」って言ってたな。
母宛に荷物が届いたので受け取った。ベッコベコになったダンボールに、中国語で書かれたラベルが貼ってあって、既に嫌な予感がしていたが、まあ受け取って母に渡した。
「あら〜ようやく届いたわ〜ウフフ」と言いながら嬉しそうに開ける母。ダンボールの中からはなんとディオールのバッグが登場。
3500円で買ったんだって。ディオールのバッグを。そんで中国から、ベコベコで緩衝材も入ってないダンボールで届いた。
ディオールのバッグがそんな雑な縫製で、裏地もついてない、ペラッペラな作りなわけがなかろう。
しかもタバコみたいな臭いが染み付いていて、ファブリーズして玄関のところに干して何日も放置してある。もう飽きてる。
母は何度言っても偽ブランド品を買うことをやめない。シャネルやコーチのバッグ、財布も沢山持ってる。偽物だけど。
お母さん、偽ブランド品を売ることは違法なんだよ。違法なお店にお金払ってるんだよ。お母さんはわかってて買ったんでしょ。3500円払ってそんな粗末なバッグ買うならもっとまともなのを買おうよ。
私と父2人で諭しても怒っても効果なし。
父と2人で言ってる時は少しはしおらしく聞いてる(理解はしてない)けど、私1人で話してる時は、すごい勢いで反論してくる。
「お母さんは偽物でいいもーん」「安くディオールが手に入るならお得じゃん」(それはディオールではない)「違法でもバレなきゃいいもーん」しまいには、「そんなに言うなら、あんたが本物買ってくれればいいでしょ!」
恐ろしいことに、これは40を過ぎ、大学受験を控えた娘を持つ女性の言い分である。
偽ブランド品の利益が反社会的勢力に流れているとかって噂もあるし、こんなペラッペラの偽物全開のバッグ持ち歩いて恥ずかしくないの?と思う。
我が家は決して貧しくないし、むしろ裕福で恵まれた方だと思う。母だって祖父の会社を手伝ってそこそこのお給料を貰ってるんだから、自由に使えるお金がある。
数ヶ月、衝動買いや無駄遣いを我慢すれば本物のバッグなんて普通に買える。
私だって、コツコツ小遣いやバイト代を貯めて、ディオールやシャネルとは価格帯がまったく違うものの、憧れのブランドのバッグと時計を買ったのだ。他のことは多少我慢しなくちゃいけないけれど、コツコツと努力して貯金して、届くのはまだかな、と待ち続けてやっと手に入ったバッグは宝物だ。
ということを力説しても効果なし。
正直、「あんたが買ってくれればいいでしょ」を聞いて、心の底からガッカリした。
本人は対して考えもせず軽い気持ちで言ったんだろうが、あー、私の母親ってこんな人なんだ…って感じ。
まあ母のお金で買ったものなんだから、家族であろうとあーだこーだ言うのは良くないとは分かってるが、ドヤ顔で偽物見せびらかしてるのが本当にダサいし恥ずかしい。
将来、就職してお金が稼げるようになったら母にブランドバッグや旅行でもプレゼントしてあげたいな、なんて思っていたが、この人は本物のブランド品を手にしたところで、すぐに飽きて、あれも欲しいこれも欲しいでまた偽ブランドを買いそうだからやめようと思う。
ちなみに、母が買った偽物の元ネタ?と思わしきバッグは、およそ30万円だった。
Vtuberにドハマりしている人間とホストにドハマりしている人間は似ている。
これはもうめちゃくちゃ似ている。私自身、ホストに800万くらい貢いだ経験がある。そして今、毎月Vに数十万投げるオタ友達に誘われてVを遠巻きから見ている。何かあるたびに赤スパチャを投げる友人は、それでも決して幸福そうには見えない、むしろ辛そうにも見える。私にはそれがなぜだか、わかる。
Vtuberとホストの一番の類似点は、意外に思われるかもしれないけど「一対不特定多数」だということだと個人的には思っている。「ホストは一対一じゃんでサービスしてくれるじゃん」と言うかもしれないが、実際にはホストは複数のお客さんを抱えている。その瞬間は私のことを見ていても、呼ばれれば別の女のところに行ってしまう。金を払って平等に相手をしてもらっているだけだ。不特定多数のお客さんの中の一人、それが私だ。
ホスト狂いがなぜ数十万、時には数百万もするボトルやプレゼントをホストに入れてしまうのか。それはその瞬間だけは彼らが自分のことだけを見てくれていると確信できるから。君が俺のナンバーワンだと言ってくれるから。
そしてより特別でありたいがために、ライバルの女よりもより高いものを、よりすごいものを渡そうとする。私たちは相手が「より多くの金を払わないと自分だけを見てくれない存在」だと知っている。
Vtuberは不特定多数を相手にしているけど、それを見ている側からは「ディスプレイに映る推し」と「自分」の一対一の空間。でも「推し」は自分の為だけに話してはくれない。
でも、金を払えば別だ。
スパチャを拾うとき、スパチャの読み上げをするとき、その瞬間だけは本当に「推し」と「自分」の一対一が成立する瞬間なのだ。1000人10000人いるなかでその瞬間だけは推しが自分を見ていてくれると確信できる瞬間。
その瞬間のためにV狂いは金を投げる。
徹底して青スパチャ(1000円以下)から赤スパチャ(10000円以上)まで平等に扱うVもいるが、多くの場合は赤スパチャを優遇する。高額だけ拾うようなあからさまな人もいれば、そこまでではなくても反応の速さだったり、大きさだったり、些細な違いは出る。そして、その些細なことこそがとても大きい。自分だけが他の不特定多数よりも特別であることの証明。身も震えるほどの喜び。
私にはその気持ちがわかる。
そして、そのあと別の人が同じ赤スパチャを投げたときに感じる、腹の底が冷えるような焦燥感や絶望感も、わかる。自分だけが特別でないかもしれないというジリジリとした気持ち。
怖くなってまた金を投げる。投げた瞬間だけは自分は特別だと感じられる。
でもいくら投げたって気持ちは満たされない。最後にはただ焦りだけが募る。
たくさんお金を投げられる人ほど、たくさんお金を投げられるのはそういうことだ。
ホストの世界でも上位層ほど雪だるま式にたくさんの売り上げを上げる。それは単に彼らのサービスが特別だというわけではなく、他の人がたくさん入れるから、それに負けじとたくさん入れずにはいられないからだ。
おそらくVに金を投げている総額上位人のうち少なくない人がもう「Vを応援したい」なんていう純粋な気持ちで投げられていない。「金を貢ぐことで自肯定している」。スパチャを投げずに不特定多数の中の誰でもない一人になることなんて今更耐えられない。
ホストの界隈では定期的に自殺未遂や借金で首が回らなくなって犯罪に走ったりまともじゃない商売をしたりする人が出る。Vの界隈でもそうなる日は遠くない。本質は同じだ。同じことになる。
私にVを勧めてくれた友人にも一応警告はした。だが止まらないだろう。私は止まらなかった。
残るのは空っぽの通帳と督促状だけだ。
多分本質の理解が違うんだと思うけどキャバホストと変わらないよ。
キャバやホストにつぎ込みまくる人って、1対1の会話で終わりじゃなくて相手の中で一番になりたいってのがあるからプレゼントしたり通ったりしてるんじゃない。会話で楽しんだ対価以上の何か見えない精神的な見返りを求めてる。
重課金者も同じメンタルじゃないかな。その一番かもって状態がオープンに可視化されて承認欲求が満たされるし、周りからそれが見えちゃうから気持ち悪さが加速してると思うんだけど。
気が狂ってるのには同意だけどね!冷静になったら終わりだよ!!
そのスパ茶にまわす10マンがあればいくらでも本でもファッションでも仕事道具でも買えただろうし
大切な人にプレゼントを用意したり食事に行ったり遊びにいったりもできたろう
なんなら高級な風俗にいけば極上の女性が数時間あなた一人と付き合ってくれるだろう
ひとの趣味だから云々ってアフリカの女子割礼を文化だから云々ってのと同じよな
まあがんばってくれ
いつものジャンプに「BAD SHIELD UNITED」が載ったのは1997年のことで、これが久保帯人(宣章)との出会いだった。
感想としては「こんな漫画が読みたかったんだよ!!」しかなく、小学生の自分はチラシの裏に何度も何度もその漫画のファンアートを繰り出していた。
初めてアンケートを出し、この漫画をもっと読みたい旨を書いて編集部に送った。
それから長いこと待った甲斐があり、1999年という世紀末の記念すべき暦にゾンビパウダーの連載が始まる。
絵柄ですぐにあの読み切りの人だ!とわかった。やはり世間もこの才能に気づいていたか…と嬉しくなり、今1番かっこいい漫画として学校の机に「ZOMBIEPOWDER.」と彫り込むなどして愛した。
しかしあっという間に掲載順は後ろになっていき、全4巻の短命に終わってしまった。
この時はとても悔しかった。もうこの人の漫画は読めないのかもしれないと思った。
だがそれは杞憂に過ぎず、2001年、こんにち誰もが知る漫画「BLEACH」の連載が始まった。やはり初回から面白かったしキャラは魅力的で、どうしようもなく自分好みだった。
ただ、また打ち切りになることが怖かった。
そのためアンケートをなるべく書くようにし、今度こそ失わないために努力しようと思った。
コンのマスコット全員プレゼントの告知が出た時は本当に感動した。グッズが手に入るなんて夢のようだった。
即注文し届いた後は学生カバンに付け、登下校の間も今1番面白い漫画をアピールした。
それからの時間の流れは速く、瞬く間にBLEACHはブレイクした。
アニメ化、師匠のサイト、KBTIT(淫夢)など色々あったがすっかり「久保帯人」は世の中に広く行き渡った。
心配せずとも元からこの才能は誰にも止められるものではなかったのだ。
長い年月が過ぎ、BLEACHは終わった。積み上げたものの大きさを踏まえたらしばらく漫画は描かないかもしれないし、今後どんなものを読みたいか読者としてもわからなくなっていた。
あんなにファンだった久保帯人の漫画。もっと読みたいという気持ちは充分満たされていた。
約20年の間に自分もすっかり大人になっており、漫画を読むこと自体疎遠になっていった。
そして、久保帯人は帰ってきた。
Twitterで「それ」を知り、え!久保帯人の新作出てたんだ!とワクワクして該当サイトへ読みに行った。
つい先日ジャンプ作家が性犯罪で逮捕されたばかりというタイミングで性犯罪の漫画を描いていた。
かつて憧れた「どこを見てもとにかくかっこいい漫画、かっこいいキャラ」はなく、そこには腐った久保帯人の死体が横たわっていた。
当然ながらすぐに大きな批判を受けており、社会的にも久保帯人は終わりましたとハンコを押されているような気分で意見1つ1つを読んでいる。
加齢で古くなったりダサくなるのは当たり前だ。
でもその当たり前を乗り越えられる人が1番かっこいいし、久保帯人ならそれができると信じていた。
ずっとかっこいい漫画をかっこよく描き、大人も憧れるようなキャラクターや誦じたくなる台詞回しをクリエイトし続けてくれると思っていた。
今の久保帯人が1番読み返すべきは「BAD SHIELD UNITED」だと思う。
踏みにじる側になってしまったことを悔い、反省し、かっこいい漫画とは何なのか、今一度向き合ってほしい。
うえで、東洋経済がNexToneというJASRACみたいなことをしている株式会社のインタビューを公開したのを読んできた。
https://toyokeizai.net/articles/-/369759
オタクでavex(経営陣)アレルギーという、マジョリティからしたら徹底したはみ出しものなのだが、記事については「みんなが良いと思うからこうするべきですよね!」と言うにはやはりちょっと思慮が浅い…素直に言えば文句がある。端的に言えば商業主義と安売り精神が過ぎる。いや、これは結構どのアーティストもそうだと言えばそうなのだが、avexのギラついたソレはやっぱり酷い。今回のインタビューで「だからavexは嫌われる」ことを表す一文がある。
エイベックスは積極的なテレビCMや大量のサンプル版など、お金をかけてCDを売っていたが、使用料を徴収されると宣伝費は削られる。アーティストやプロダクションにも収入は入らないのに、著作権者にだけ使用料が発生するのは不合理だ。そもそも、プロモーションで著作権使用料を徴収するのは、世界的にも希少と言える。
この一文を読んで何とも思わなかった方向けに説明を入れると、テレビやラジオでJASRAC委託楽曲を流すと使用料が発生するのはイメージが湧くと思う。加えてCDを生産する、楽曲を使った映像を制作する場合も「作ったときに」著作権者に使用料を払う形となる。avexの言い分は「予算をうちが出して作った曲のプロモーションで、どうして作曲者や作詞家たちにお金を払うんだ」ということになる。ビジネス的には一応合っているが、著作権法に照らせばひとつの音源について各権利はそもそも作曲者、作詞者、編曲者、歌唱者がそれぞれ最初に持っているのだ。いくら予算を出すとは言えレーベルは使用料徴収含め権利は「契約で譲渡してもらわない限り保持も主張もできない」決まりである。まあ最初から契約でプロモ関連については使用料請求しないとか一筆書かせておけばいいだろう、と思われるかもしれない。しかし楽曲をJASRACなどの管理団体に委託する場合、実際の音源(CDに録音されるデータなど)とは別に、楽譜と歌詞もそれぞれ管理委託される。つまり「買い切り」の形にならないため、1000万枚売っても、歌詞を書いた人は1回分のギャラしかもらえなかった、ということは起こらないようになっている(無論現在でも買い切りの形式は取る事は可能)。これを踏まえてもとの文を読むと「不合理だ」の部分がちょっと変だと感じるだろうか。ものすごく悪意の篭った言い方になるが、漫画で言えば販促用のプレゼント色紙数十枚のギャラが1円も出ない!とか超大物作詞家が作りました!というネームバリューにタダで乗っているような具合のことをavexは言っているのである。
…
NexToneの姿勢にも若干妙な部分がある。3ページ最後、「権利者にしっかり配分、手数料も下げる」の大段落
「使えば必ず取る」という徴収の姿勢ばかりでは、街中から音楽がなくなってしまう。たとえば、『ジングルベル』や『きよしこの夜』といったクリスマスソングは権利の切れた楽曲も多いが、「使うとお金をとられてしまうのではないか」と萎縮し、流れなくなっている現実がある。フィギュアスケートなどの競技でも、「権利が生きている楽曲は面倒だからクラシックに限定しよう」といった動きもあるようだ。音楽がもっと流通するようにしていきたい。
見出しがもう蛇口締めながら「もっといっぱい水出ろ!」と言っているようなものだがそこは話が別なのでスルーする。
この辺はそもそもJASRACの怠慢のように言っているが、明らかに著作権法に関する世間の認識は全く成熟していないことを示しており、NexToneが高らかに「まともに教える気はないですよ」と宣言してしまっているのだ。著作権法にまともに取り組んでる人間から笑われるのでは?あともっと現場で音聴いてきなさいよ。クリスマス時期に店行けばどこもかしこもシャンシャンシャンだぞ。細かい話をすれば、楽譜の著作権切れてても5年前の東京フィルの音源だったら音源の著作権が生きてる。
音楽文化…もとい著作権法読み込んでる識者や、創作を長く続けてる人であれば、そもそも作った人を守れなきゃもっと早く文化が死ぬのがまず最初に来るはずだ。いや、JASRAC問題は識者同士でも紛糾する。確かに直すところいっぱいあるんで役員たちはいい加減にしなさいよ。…ともかく、そもそも「使ったらお金を取られる」という発想がおかしいというところから教えるのが著作権の委託管理を担う一端としての立場であり、全部が全部お金を取られるでもなく「これは自由にしてもいいんですよ」という部分も優しく伝えていくのが管理団体としての在り方ではなかろうか。
…
これ書いてて思ったが、一応の「権利者」である団体とかが利潤を求めてロビイングかけて、複雑なコピーガード周りの条文だったり、音楽用CD-Rを買うと価格に含まれてる保証金みたいな制度を作って著作権法の認識めちゃくちゃにしてるんだったっけ…なんで著作権厄介オタクになっちゃったんだろうな…
ぐだぐだ自分語り
小説を描くのが好きでちょっとくらいは書けないでもないので、思い切って小説賞に応募した。轟沈、2018年11月頃の話です。
鼻っ柱が天を突いてて、前年の受賞者の作品を見て読みながら「これ 勝てるんじゃね…?」とか思ってしまった〜。全然勝ててない! 今読み返すとどうして勝てそうだと思ったのかまったくわからん。鼻っ柱が綺麗に折れた。
ヴォーン次何に応募しよっかな〜〜いや凹むな〜なんて思いながらTwitter巡回していたら、友人が冬コミに発行するアンソロの書き手を募集していた。小説でもなんでもいいからとにかく人手が欲しい風だったので、あと好きな組み合わせでもあった、ダメなら別にお断りされてもいいかと思って、気分転換がてら手を挙げた。微妙な映画見ながらネカフェで原稿してみたり、やったことないことをいくつかやった。
結果、そこそこ喜んでくれた。いやわからん、相手は何かが気に食わなくてもあからさまに不満を出すような人ではないので……。人の本音を気にしすぎるとメンタルが爆発するので、割とボロの時に受け入れてくれたお礼に当日ちょっと良いプレゼントを渡したりした。本人には入れてくれたお礼兼クリスマスプレゼントです、とか言った。当日の話をするとCPの近いジャンル者ならほぼ特定できちゃうので伏せるが、面白いハプニングなんかもあって楽しかった。帰り風邪ひいた
話の流れで○○も本出そうぜ、みたいなことを言われた。この年の夏、ちょっと頭おかしくなるくらい好きな推しができてしまって1人だけのCPで暴れていたので、それでなんか出してみるのも悪くないな〜、と思った。この年の夏コミの申し込みセットを譲ってくれたのもその友人である。
それで出たのが年明けて5月。インテです。
この時はSTARBOOKSさんに大変お世話になりました。もう本当何から何まで教えてもらって……。ホワイト印刷という概念を知らなかった。白のインクだって普通に他の色と同じように使えるもんだと思ってた。高くついた。
ミランダの黒に、同じく黒でタイトルを箔押ししただけの表紙である。ホワイト印刷はR18マークに使った。勢いだなと思う
当日、机にデスノートだけが積まれている。ポスターはあるが、知り合いなんかいないし、誰も来ないだろうな〜と思った。作ると決めたら作るほかなく、売るときのことはあんまり考えてなかった。有名でもなんでもないし、その時売れたのは2冊。ありがとうございました。うち1冊は隣のサークルさんである。気を遣わせてしまって申し訳ない。長文感想送っときました。
話しかけにくる人は結構いたな……ジャンルを知らないようで、何度か自ジャンルを説明していた。聞きやすく見えたのか寂しそうに見えたのか。机の内側で、座ってダラダラ本を読んでいる時間が長かった。閑古鳥の鳴く古本屋の主人になったような気分で、目の前を通り過ぎる人を横目で眺めるだけでなんとなく楽しかった。帰る頃には3ヶ月後の夏コミが楽しみになっていた。
夏コミ。前回がデスノートだったので、ちょっくら自分で明るい表紙を描くか、と思った。こんなことを言っているが別に絵描きから転向したんでもない。まともに絵を描いていたのなんか中学生の頃までである。小説は遠目じゃ書いてても誰にもバレやしないが、絵はバレる。放課後の教室で「目から描いてるような人はうまくならない」「もっと毎日真剣にデッサンしなきゃ描いたことにならない」等々ありがたいアドバイスをいろいろもらい、面倒くさくなった。小説は楽である。完成するまで誰にもバレない。いや本当は絵もそうなんだけど…なんか身構えちゃうんだよね なんでだろ。当時は個人サイトで夢小説なんて書いていた。サイトに遊びにくる人たちは基本褒めてくれるから、楽な方に逃げてそのままなのかもしれない。
htr表紙とデスノートを並べる。まあ人の入りは大阪と似たようなもんだろと思ってタカを括っていたが、こっちは少し違った。前の冬にアンソロ寄稿をさせてくれた友人は「やっぱり一番売れるのは東京よ」なんて言っていたが、結構その通りかもしれない。
5月よりちょっとは知り合いが増えていた。これが互助会なのかはよくわからないが、Twitterでちょっと喋った人と現実で話すのは楽しかった。会えて良かった〜、なんて思いながら、思い出に1冊買って回った。私の本を買ってくれた島の人たちも、近いことを少しだけ考えてくれていたら嬉しいな〜と思う。通りすがりの人がどちらもください! と言ってくれた時はちょっと踊りたくなった。踊らなかった。踊っても良かったかもれない。
1万円札を持ってきた人もいた。私の本は1冊500円なので、いい両替になる。釣り銭がなきゃ謝るだけだし、あったし、買ってくれたのは事実だし、どこにも悲しむ要素はない。
フォロワーさんも遊びに来てくれた。暇なサークルなので隣サークルの人も交えてだらだら喋ったりしていただけだが、なんか楽しそうにしてくれていたので安心した。冬は遊びに行くだけに徹しようかなと思ったが、そうもいかなかった。
あの何から何まで世話してくれてしまってる友人に、「このCP書こうぜ、表紙と挿絵描くから」と言われてしまった。2回くらいいや〜悪いしウンタラカンタラ…と断った気がする。気がつけば本文を作っていて、打ち合わせなんかしつつ全てが現実味を帯びていた。表紙挿絵合わせて6枚くらい描いてもらってるな…。今でもちょくちょく頁を捲る。今まで自分の本がそんなに売れなくてもなんとも思わなかったが、これは売れてくれ〜〜と思う……牛歩ではあるものの通販は出ている、とらのあなで価格が下がるたびちょび…ちょび…と。カートにだけ入れておいて、セールになったら買ってるのだろうか? 覚えていてくれてありがとう〜。
通販の話に飛んでしまった。当日はサークルスペースを取っていなかったので、絵を描いてくれた友人のスペースに委託させてもらった。お使いしたり自分のフォロワーさんとこにご挨拶に行ったり、なんだかんだと忙しく、あと普通に歩き疲れた。なんかバッグが重いな…と思ったら、未開封のストロングゼロが出てきた。前の晩に買って突っ込んで忘れたものだった。流石にコミケ会場でカシュッとやる訳にはいかないので、泣く泣く捨てた。
委託先のスペースにいると、友人のフォロワーさんが絵を描いていたりする。人が来ると売り子して、特に誰も来ない時は耳に鉛筆が紙を擦る音がさりさり入る。遠くに聞こえる人のざわめきと奇妙に響き合って面白かった。打合せにまで呼んでもらってしまい、Twitterを知ることとなった。互いにいいねをするくらいだが、それでいいか〜と思う。御縁があれば喋ることもあるでしょう。
同時進行で実は漫画を描いていた。当然ドヘタクソである。iPad版クリスタをダウンロードして、まずなんなんだこの用語は、というところからやっていた。先の友人とはまた違う人で、学生時代から一次創作を主戦場にしている人である。好きが高じてその一次創作のオンリーを年明け1月に開くと決めたと言っていたから、ちょっと何か引っ提げて持っていくことにしたのである。冬コミの原稿を早めに終えていたので、なんとか何が描いてあるかは伝わりますように……と祈った。祈ってたりなかったら、コマの中に文章を突っ込んだ。
私はおだてられると結構なんでもやってしまうので、漫画も随分褒めてもらってだいぶ調子に乗ってしまった。調子に乗った結果が8月の本につながっていく。
しかしこう書いてみると流されてばかりだ。自分の意思でしっかり本を作っているつもりだったが、人におんぶにだっこですね。
1月の身内オンリーの少し前。推しジャンルのオンリー開催が伝えられた。開催は2020/08/22。当時はこんなことになるとは露も思っておらず、またこのジャンルでオンリーをやってくれることももうないと思っていた。なのでというかなんというか、自分の同人トロフィー解放も兼ねて、前々から気になっていたテーマを据えてアンソロジーを作ることにした。
私は高校時代、文芸部にいた。年に何度か部員の原稿を取りまとめて本を作り、大会に出ていた。別に中心人物でもなかったが、アンソロジーの作り方の概要くらいは知っているつもりでいたのだ。
対応できた部分もあったし、甘かった部分もあった。いろんな人に助けてもらいながら作った本はやっぱりきらきら光って見えた。箔も押したし。
当日は推しのコス売り子さんも来てくれることになっていて、もうこのオンリー終わったら死んでもいいかもな…なんで思っていた。
これでもう全部めちゃくちゃである。6月くらいまでは現地に行くつもりだったが、もう諦めた。通販がメインになるのかな、壁でもなんでもないのでとんでもなくきついが。
いつかコロナが落ち着いた時、以前と同じような形でのイベントはできるんだろうか? そもそも落ち着くってなんだろう。観るつもりだった演劇が次々払戻しとなる。行き帰りの感染を警戒して自分からキャンセルする。舞台クラスターなんて単語を見た瞬間、ふーっと心が沈む心地がした。
本当は、もう少し賑やかなところに置いて、もう少し多くの人の手にとってもらえる筈だった。せめてもの罪滅ぼしに、アンソロ参加者には予定していたより多めの謝礼を出した。でも同人って別に謝礼が楽しみでやる訳じゃないんだよな…オマケが本番みたいになってしまった、ただただ申し訳ない。
1年に小説本2冊、漫画本1冊出せたらいいな〜、なんて思っていた。まあ未来は誰にもわからないものです。せっかくだし、もう1度小説賞に挑戦してみようか。どうせ遠出なんてできないし。
しかしやっぱりこう書いてみると彼女にはすごく世話になってるな。次東京に行けたら、ちょっとお酒でも奢ろうかな! と思います。
おわり
増田に投稿するのは初めてなので読みづらい長文だと思うが許してほしい。
自分が他人に恋をできるかわからない。もうできないかもしれない。
何年も恋をしていなかったけどこんな恋愛してるよ、とかあったら教えてくれ。
前提として、自分は出歩いているとちょっと周囲の目を引く「そこそこかわいい」部類の人間だ。自他ともに認められているので多分そう。
人付き合い>趣味(オタク)なタイプで、特定の人と会うのは月1くらいで満足するようなドライと言われがちな人間だ。
これまで24年の短い人生の中で一度も恋愛したことがないわけでもなく、それこそ多感な高校生辺りまでは一丁前に好きな人が居て、ドキドキや不安やわくわくなんかに駆られていた。
(今思えば思春期特有の周囲の恋愛至上主義的な雰囲気に流されていた節はある)
好きな人ができて、自分なりにアピールして、デートして手つないだりなんかして、相手に告白してもらうように仕向けるというプロセスを経て、高校生らしさ全開のかわいいお付き合いもしてきた。
それがどうだろう。大学に進学していやいや化粧を覚え、外見をメンテナンスするようになると幾人かに惚れられ、「今度は好きになれるかも」と不誠実な内心を抱えつつ付き合い始めてみるものの。
付き合えたということは相手に対してそこそこの好感度を有していたはずなのに、好きになれないし信頼しきることもできない。(自分は若干人間不信のケがある)
心を開ききれないのでキス以上の関係を持つこともなかった。いざそういう雰囲気になっても相手の体格や匂いなんかが気になってセックスしたくないな、と思ってしまう。
幸い自分の相手は優しい人間ばかりだったので全員こちらに無理を強いることはなく、セックスには至らなかった。
部活の後輩で、ジャニーズjr.にちょっといそうなかわいい系の顔で背が低い男の子だ。
部活体験に来たのを少し指導して、その時にはすでに彼が気になっていた。多分一目惚れ。もしそれが言いすぎだとしても一目見た時から惹かれていたことに間違いはない。
当時の自分の好みのタイプは優しい年上だったので「年下なんて好きになるわけねえ!」と抵抗もしていたが、
顔見るとドキドキするし何かしてあげたいし部活以外にも会いたいしなんかうまく話せないし少しでも長い時間を一緒に過ごしたかったので、恋愛的に好きなんだと認めざるを得なかった。とにかく顔面が好きだった。今思い出しても彼はかわいい。性格はそこそこくそだった気がしないでもないが。
好きだと認めて交際に至るまでが春~夏だったので、数回のデートを経て2回花火大会に行って2回目で勝負に出た。成功。やったぜ!
その後デートをしたり一緒に勉強したり映画見たりと幸せな日々を送っていたが進路の事や2個下でちょっと価値観が違う事などを理由に11月に振られた。
高校生っぽく短期間の交際だったがこっちは無茶苦茶好きだったので傷ついたし半年くらい引きずった。
自覚している中で一番恋愛っぽかったのはこの人が最後だったと思う。
交際したのはバイト先の先輩、後輩の2人。それぞれ期間は全く被っていないが、どちらも私に一目惚れしたといっていた。そんなことある?
この2人は私のことを爆裂好いてくれてとてもよくしてくれた誠実な人たちだったが、残念ながら恋愛的に好きになれなかった。
とても優しくて紳士的で尽くしてくれたり私を第一に考えてプレゼントもくれたけど、好きになれなかった。雨天や気分次第でドタキャン上等だった不誠実くそ野郎な私にはもったいないくらい良い人達だった。その節は本当にごめん。幸せになってね。
あと先輩の方は1か月記念日に赤いバラをくれたがうれしくなくて「重いな…」としか感じなかった。帰りに最寄りのコンビニで捨てた。くそ野郎である。
後輩はやたら私の頭の形が好きで二人でいるとめちゃめちゃに頭を撫でてきた。私は愛玩動物ではないと2千回くらい思った。
大学4年間そんなかんじで人を恋愛的に好きになれることはなく、2人きりで会う男の子は居たがお互いクズで関係に名前を付ける気がなく安心感のある「友達以上恋人未満」だった。こいつは私のことが明らかに好きだったが「わかってるでしょ」とストレートには伝えてこなかった。はっきり言葉にされるとこちらもちゃんと答えなければいけなかったので言葉のない関係性がとても楽だった。キスはなんとなく避けていたが抱きしめあったりネカフェで一晩だらだら過ごしたり胸揉まれたりはした。
一通り都内の定番デートコースはこいつと楽しんだが、クズゆえに当日ドタキャンをお互いに繰り返してなんとなく授業も被らず疎遠になっていき、やつの留年を契機にもう連絡は取っていない。
いつか恋愛できる日が来たらこのくらいの緩さと温度感がいい。かっちりしすぎてたり愛が重いと私は答えられない。誠実すぎる男とはすぐに別れたくなる。居心地が悪い。
なんとなく今までの恋愛っぽい経験書き連ねたが、書き出してみて
「もしかしたら私は自分から好きにならないと恋愛対象として見ることができないんじゃないか」と一つの仮説にたどり着くことができたのでこの記事を書いた意味はあったと思う。
社会人として漸く落ち着いてきたというか自分の生活に若干の余裕が見えてきたのでそろそろ恋愛したいなーと思っていたのだが、
ここ数年で私の中のトキメキセンサーが故障していて誰かを好きになれそうな兆しがない。そもそも出会いもないが、出会いがないのはコロナのせいという面もあると思いたい。
数年間趣味第一に過ごして、人間不信で人にあまり興味がない干物な自分に、この先恋愛の好きを抱ける相手ができるのだろうか。
自分が他人を好きになれない性質なのかもしれないという懸念もある。
2020年における先進的な女性の卵子凍結・代理母に対する率直な考えが現れている非常に重要な対談だと思うので記録のため引用する。
*VERY2020年4月号「卵子凍結事業も始めるスプツニ子!さんに訊きました シンマイさんと学ぶVERY世代と卵子凍結」
https://veryweb.jp/life/106461/
https://web.archive.org/web/20200817141554/https://veryweb.jp/life/106461/
以下引用:
海外(欧米)ではもはやメジャーでカジュアルな「卵子凍結」。自然分娩や母乳育児が尊ばれる日本ではまだまだSF感の漂うマイナーな分野。でも、女性だけにタイムリミットがあり、仕事もノッてる時期に、伴侶を探し、結婚・妊娠しろ、ってどうよ。と立ち上がったのが、自ら26個の卵子を採取したアーティスト・スプツニ子!さん。結婚前に凍結を検討していたシンマイこと申 真衣さんと意気投合!
※この対談はVERY2020年4月号掲載時(取材は2月)のものです。申 真衣さんは、同年7月に第2子妊娠を公表しました。
申 実際にカウンセリングに行ったこともあるんです。もうすぐ30歳だな、と思っていた頃にちょうど未受精卵子の凍結が日本でもできるようになって(*注1)興味が湧いて。結婚願望はなかったのですが子どもは欲しいと思っていたので選択肢のひとつとして話を聞いてみようと思ったんです。でも、当時はまだアングラな雰囲気で……。躊躇しているうちに結婚したので凍結までは至りませんでしたが。
スプツニ子!(以下ス) 私は33歳の時に初めて卵子凍結のカウンセリングを受けました。結婚もしていないしパートナーもいない。仕事もめちゃくちゃ楽しい、でも子どもが欲しかったらそろそろ考えないといけないのかな。じゃあどうする? と思った時に、日本の価値観では出産の前に結婚しないといけないらしいし、結婚するには恋愛しないといけない。やらなくちゃいけないこと多すぎない?と思って、じゃあまず卵子を凍結しようと。昨年2回採卵して26個凍結しました。
ス 自分でやってみたら気持ちが変わったのを実感して。凍結卵子による妊娠は100%ではないから保険みたいなものではあるけど、すごく解放された感じがあった。あぁ、これで私はもっと自由に生きられるんだって。女の人は意識していなくてもbiological clock(出産可能年齢)という枷がある。子どもを産みたかったら何歳までに○○しなくちゃ、と。日本では凍結した卵子を使えるのが45歳未満までだから、あと10年くらいの猶予がある。それだけでもこれだけ明るい気持ちで仕事に取り組めるんだ、と思い、この経験をもっと多くの女性にシェアしたいと思いました。
申 米国だと福利厚生として導入している会社(*注2)もありますね。
ス 2018年には米国の大企業の17%が導入しています。過去3年で3倍になっているから、今年は30%くらいに増えているかも。米国で有名な卵子凍結クリニックはNYの5番街にあって内装もオシャレ、女性が自分の人生の選択肢を広げるために訪れるポジティブな空間。英国では、採卵した卵子の半数を提供するならほぼ無料で卵子凍結ができます。でも、日本ではまだ広まっていないし、中国やシンガポールでは社会的適応による卵子凍結がまだ認められていない。それってもったいない!
申 私も自分が興味を持った時にリサーチしたことがあって。日本でも潜在的な需要は高いはず。それなのに供給はなされてない。これって事業になるんじゃないのかな?と思ったんです。
ス 実は今年、卵子凍結バンク「Cradle」をオープンします。興味はあるけれどよく分からないから手が出せない、そんな空気を変えたかったので情報もクリアにしてもっとハードルを低くしていく予定。いくつか報告はあるのですが、35歳以下の卵子を凍結しておけば子どもができる確率は10個でおよそ50~70パーセント、15個採ると70~80%。この数字を高いと見るか低いと見るかは人それぞれですが、ブランドバッグや海外旅行とそう変わらない金額で人生の選択肢を増やせることを知ってもらいたい。
ス もともと私は女性とテクノロジーに関連するアート作品を作ってきました。テクノロジーって人類にとって平等に進化しているように思われるけど、実は男性中心に動いてきてしまった歴史がある。例えば避妊用ピルは日本では承認にものすごい時間がかかっていて米国から30年以上遅れていて、国連加盟国の中で最後まで承認されなかったのは日本と北朝鮮だけ。承認前も「女性の性生活が乱れる」みたいな論争が起きて。でもバイアグラが出てきたら、多数の死亡例もあったのに、たったの半年で日本の議会は承認したんですね。
ス It’s a Men’s world なんですよ。残念ですがこれまで男性目線で科学が進歩してしまった。ハタチの時にそれに気づいてしまって、人類は月に行ったのに私はまだ毎月生理になっているし、妊娠・出産も原始時代から変わらない。周りは「女だから・そういうものだから仕方ないよ」って受け入れているけど、私は『なんでだろう、おかしいな』と思っていた。だから、卵子凍結という選択肢が出てきた時に、これは人類にとってすごく大事な第一歩だと思ったんです。
ス 社会で活躍する女性が増えているのに、仕事がいちばん楽しい時期と子どもを産まなくちゃいけないとされている時期がドンピシャっておかしい。どれだけ女の人の活躍が進んでも、最後のガラスの天井が肉体のタイムリミット=妊娠・出産。卵子凍結はまだ新しい技術だけど、怖がったりタブーにしておくのはもったいないと思います。
申 私は入籍から1年、31歳で妊娠。このタイミングはタイムリミットから逆算してそれしかないという感じでした。子どもは欲しいと思っていたし、娘のことはかわいくてたまらないので後悔はもちろんないのですが、妊娠のタイミングがキャリア的に最適だったかというと難しい……。昇進の時期を控えての産休だったので、復職後に頑張りすぎてバーンアウトしかけたり、と余裕のない状況にはなってしまいました。少子化に問題意識を持つ男性と話すと、早く結婚しろ・早く子どもを産め、という話になりがちですが「相手もいないのにどうやって」と思います。そして、結婚すると今度は生殖可能年齢のタイムリミットが迫っているのでせっせと妊活に励まなければ、となる……。
――2人目・3人目を望むのであれば猶予がない状況も。
申 晩婚・晩産化で初産が遅れていて(*注3)、1人目が1歳になった瞬間から、『2人目は!?』というプレッシャーを自分自身にかけなければいけないし、仕事もある。忙しすぎです……。子どもの年齢はできるだけ離した方が子育て的にはずっと楽だと思うのですが、生殖可能年齢のタイムリミットがそれを許さない。
ス 30代の間にAMH(*注4)は大きく変化するから、針の穴に糸を通すような感覚ですよね。今の生き方と生殖のバイオロジーが嚙み合っていない。だからこそ、卵子や受精卵の凍結はもっと知られるべきだと思います。すでにパートナーがいるVERY世代であれば受精卵の凍結もアリ。個人的には多様な可能性を残すために未受精卵も凍結することをオススメしますが!
申 日本は不妊大国。体外受精で生まれる子どもは16人に1人の割合でいるはずなのにオープンにしている人は少ないですね。自然に授かることを良しとして生殖医療の話題は触れにくい風潮も。
ス でも、『#MeToo』運動もあって女性の性や生理に対する意識もやっと変わってきてる。その流れで、生殖医療に対する意識も変わってほしいと思う。もっと、自由に産む時期を決める権利があることに気づいてもらいたいです。
ス 卵子凍結をしても自分で産むにはリミットがあるから、その流れは必ず来ますね。
申 日本だと向井亜紀さんが代理母出産(*注5)して話題になっていたけれど、米国ではサラ・ジェシカ・パーカーやキム・カーダシアンのように代理母で出産するセレブがいますね。費用的にはなかなか手軽にはならないのだと思いますが、選択肢が増えることは良いことだと思います。
ス そもそも男性って女性のパートナーに代理で産んでもらって、親として認められているのに、女性だけが自分で産まないと認められない、なんておかしいですよね。大事なのは子どもに愛を注ぐことではないでしょうか。
申 憧れの女性の先輩が精子提供を受けてシングルで子どもを産んだんです。もちろんシングルマザーにはそれなりの大変さもあるかもしれませんが、仕事でも成功を収めていて人間的にも素晴らしい人なのでその決断にはかっこいいという言葉しか見つからなくて。きっとお子さんはたくさんの愛を受けて幸せに育つだろうと思います。
ス 女の人だって仕事があって自立していれば、子どもを産むために結婚する必要はない。恋愛や結婚と関係なく、望んだタイミングで子どもを産める自由がある。夫というパートナーがいなくても、現にアメリカやヨーロッパでは充実した社会的支援のもと精子提供を受けて生まれた子どもがすくすく育っているから、家族という形式にこだわりすぎなくていいと思います。
申 国や社会は家族の在り方や女性の生き方を枠にはめようとしますが、子どもを持つというのは本来すごく個人的な選択。その人らしい選択をできるようになればいいと思います。そのためにはまず選択肢が増えていかないと。卵子が冷凍されていて子宮も借りられるとなると、何歳になっても子どもが持てる。子育てに要する体力的な問題はありますが人生100年時代のこの先、50代、60 代になってから育児をするなんて選択肢があってもいいのでは、と思います。
ス 私たちが当たり前に思っている家族の在り方――何歳くらいでママになって子育ては何歳くらいまで――というのがこれからどんどん変わっていくはず。好きに生きて、好きなだけ仕事して、好きな人に出会えたらラッキーだし、そうじゃなくても「精子バンクで子ども産むもん!」って思えたら楽しいと思う。私はそっち派です (笑)。
申 私はもっと早く知っていれば20代のうちに卵子を凍結していただろうなと思います。娘には本人はその時は必要性を感じていなかったとしても卵子凍結を勧めたいと思っています。免許取得を大学入学祝いにプレゼントするのと同じ感覚ですね。大学生の時間に余裕があるうちなら採卵もしやすい。それに結婚を考えるパートナーがいないうちなら意思をすり合わせる必要もなく、誰かの合意が必要ないから。スプツニ子!さんみたいに爽やかな方が卵子凍結を勧めれば、ポジティブなものだと広まりそう。
ス 私もそうしたいと思っています。20代なら数も採れるし質もいいから、成人式の振り袖より卵子凍結をプレゼントする方がずっといい(笑)。申さんには卵子凍結のアンバサダーになってほしいです!
申 ぜひやりたいです(笑)。
1985年生まれ。東京藝術大学デザイン科准教授。ロンドン大学インペリアル・カレッジ数学部を卒業後、英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)で修士課程を修了。マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ助教、2017年東京大学特任准教授を経て現職。「東京減点女子医大」(2019年)などジェンダーに関する作品も多数。今年、病院と提携する凍結卵子保管バンク「Cradle」(https://www.cradle.care)をオープンする予定。※サイトは5月ローンチ。
1984年生まれ。東京大学卒業後、外資証券会社に約10年勤務したのち、現在はベンチャー企業の取締役を務める。2019年6月号でVERY初登場、効率を重視するワーママらしいロジカルなファッションやライフスタイルが注目を集めVERY世代のオピニオンリーダーに。2020年3月号からVERYモデル。30歳で結婚、31歳で長女を出産。(2020年7月現在、第2子妊娠中)
電動歯ブラシが良かったので両親にプレゼントしてあげようと思い、amazonで見たら値段が倍近くあがっていた。
「この商品は、〇〇〇が販売し、Amazon.co.jp が発送します。」
でたよ、謎業者。
値段の少し下に目をやる
「新品 (51)点: ¥〇〇〇 より」
でたでた。
プラグインの値段遷移グラフを見ると、amazon販売のものは1年前に在庫を尽きたらしい。
同時期に価格が倍以上にあがっている。
最近、こんなのばかりだ。
ユニクロのコラボTシャツ、薬品、ホットケーキミックスまで転売野郎の不快な影を見ない日はない。
購入行為をするたびに正規価格かどうか調べるコストが生じている。
どんどん買い物が不自由になっている。
お金じゃないんだけど、友達と会う度に五百円くらいのお菓子やら雑貨やらをプレゼントしてしまう。
「こんな私と会ってくれてありがとう。LINEで絡んでくれてありがとう。時間も手間もかけさせてるよね」って気持ちで、勝手にともだち料を払ってしまう。
もちろん、消耗品もしくは食べ物で、遊びの邪魔にならない小さくて軽いもので、溶けたりカバンの中で砕けたりしない物で、アレルギーとかに引っかからなさそうな物にはしている。
相手に「貰ったから何か返さなくちゃ…」というプレッシャーを与えてしまう事はわかってる。私もこんな事したくない。
友達と会う約束をする度に「今回はお土産無し!!」と決めているのに、会う日が近づくとどうにも不安になってお土産を買ってしまう。
お土産を持っていかなくても自信を持って友達と会う方法がわからない。
友達ごめん。次会う時お詫びを持って行くよ…。