はてなキーワード: フォーマルとは
高校からの流れで、大学でも取材とかをするタイプの部活に入った。
このあいだ、ついに女性のOBから取材すっぴん禁止令のお達しが出た。すっぴんは裸と同じ、そのままで外に出たりましてや人に取材をしたりできると思うなと。
確かにその通りだと思う。取材受ける相手もその方が気分がいいんだろう。
ただ一点。めんどくさい。
だいたい化粧品、フルで揃えていくらするんだ。部費で出せよ。その季節にあったそれなりにフォーマルな格好とやら、いくらするんだよ。部費で出せよ。微々たるものではあるが月々部費払って活動している部活のために、私はバイトをして汗水垂らして金を稼がなければならないのか。
OBの先輩はご丁寧にどこからどうすれば芋っぽさが抜けるかまで教えてくださった。とりあえず眉毛だと。そう言われてさっきまで自分の眉毛を鏡で見ていた。芋っぽいの代表格みたいな眉毛だったが、自分の顔の眉毛はこれしか見たことがないので、どうした方がいいとかこんな形にしたいとかそういうことは一切思い浮かばなかった。というか眉毛の例すら思い浮かばない。これから私はその眉毛のサンプル集めのために人の眉毛に注目せねばならんのか。いざとなったらデパートの化粧品売り場まで行って自分に見合った眉毛を教えてもらって、そのままいくつか商品を購入しちゃったりしなきゃいけないのだろうか。
ていうか毎日化粧して練習とか、出かける15分前に起きてる奴にはハードルが高すぎる。
化粧、脱毛、爪、服、靴、その他もろもろ。全部のハードルをクリアするには合計で何円と何時間分くらいかかるんだろう。
嫌だなーと思うけど、それが人として生きていくハードルのうちの一つなんだろう。部活は辞めれば済むけど、たぶん就職とかはそうは行かない。部費で出せよと言える相手もいない世界に突入する。やらなきゃいけないことはわかってる。
https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181004-00099263/
上記URLは社会学者千田有紀氏の書いた『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』という文章。
この日記では千田氏の文章に沿いながら反論をしていきたい。なお千田氏の文章は内容にまとまりがなく錯綜しているため、項目ごとに小さく反論していくことになる。
千田氏の文章の全体像を掴みたいなら元の文章にあたってほしい。
(そもそも千田氏の文章は根拠の提示もなくお気持ち表明でしかない。誠実に問題点を指摘していたなら、千田氏は炎上せずにいただろうに。)
反論をすることができる表現の自由万歳。あとめっちゃ長いけどゴメン。でも千田氏の文章激ヤバだからできれば最後までお付き合い願いたい……。
4.「表現の自由」とはなにか?
千田氏は、キズナアイ自体には特に好悪の感情があるというわけではないらしい。
そして千田氏は「このようなキズナアイを好きな人もいるだろう。思う存分、ひとりでキズナアイを愛でて欲しい」と述べている。(棘のある書き方だ。)
それならば勝手に、『思う存分、ひとりで』キズナアイを尊敬させてもらおうと思う。
自分の場合は「愛でる」ではなく「尊敬」という態度を抱いている(『キズナアイ』の運営理念は「世界中の人と繋がること」だ。
そんなことを言ってしまえること、そしてそういう活動を実際にしていることが凄いと思っている)。
千田氏が想定しているような「愛でる」以外にも態度があっていいはずであり、態度は人それぞれ自由でいいはずだ。思想信条の自由万歳。
千田はこの章において以下の六点を挙げて、NHKのサイトでキズナアイを置いたことを批判し次回サイトを作る時には配慮をするようにと求めている。
2)教育的な教材で
5)女性が性的に描かれていて(ここの評価は分かれるようだが、やはり胸が強調されているのは否めないと思う。
思わないとしたら、脳内の女性の表象の「スタンダード」が違うのだと思う)
以下一点ごと見ていく。
千田氏が何を以て「こどもを対象にした」としているのかがそもそも不明瞭だ。
実際の対象は「キズナアイに興味がある人・こういった絵柄のキャラクターに興味のある人を対象にした」なのではないか。
キズナアイの主なフォロー層は子どもではないと思われる。キズナアイ自体の話ではないが、キズナアイを筆頭に括られるVirtual youtuberは、2,30代が視聴のメイン層とされている。それを起用したのだから、その層に読まれることを狙った特集であると考えるのが自然ではないか。
(ノーベル賞特に興味なかったけどこのおかげで記事全部読みましたよ。私にはキズナアイに乗って記事が届いた。)
そもそもこれはネット記事でありテレビ放映ではない。子供も企画の対象には入るかもしれないが、子供向けとはっきり言い切るには無理がある。
そして何よりキズナアイが載っているのはNHKNEWSWEBだが、NHKNEWSWEB”EASY”という小中学生その他向けの読みやすい記事が別に用意されている。
(そこにキズナアイの特集はないが。)記事の内容を比べればキズナアイ特集の難しさ、「こども向け」でなさが分かる。
2)教育的な教材で
前述したが千田はこの記事を大人が読むことは想定していないようだ。そのために「教育的な教材」などという言葉が出てくるのだろう。
「キズナアイのノーベル賞まるわかり授業」と特集サイトにはあるが、授業と書いてあれば子供向け、という考えなのだろうか。
大人も授業を受けていいはずであり、「解説記事」という方が適切だろう。
またこの記事が「教育的な教材」だったとして、教育は様々な層へ届いた方が良いし、そのためのアプローチが多いに越したことはない。
こういったキャラクターを好む層へのアプローチとしては「萌えで分かる○○」シリーズなどもある。キズナアイの起用は、キズナアイが届く層へのものだろう。
また千田氏はもしかしたらNHK(公共機関)=教育的な教材=子供向けとしたいのかもしれないが、NHKは子どもだけに向けた機関ではない。
また(1・(2のみから考えれば、子ども向けではなく「教育的な教材」でない場合にはキズナアイの起用は問題ないことになるのではないか。
NHKが作った教育的教材でないものは多いはず。(のど自慢とか?)それにキズナアイが起用されたならば、その時は千田氏は認めるのだろうか。
性的な相槌打ちでも批判しないのか。千田氏の主張は不明瞭であり、文中に明確な判断材料は示されていない。
この箇所自体はステレオタイプの存在の話で、キズナアイは無関係だ。千田氏の実感を根拠としておく。
(もしかしたらキズナアイがそのステレオタイプを助長させるのだと危惧しているのかもしれない。だがやはり具体的な指摘は見当たらない。
言わずに匂わせるだけにとどめる表現の自由の行使か。もしそうなら、そんな不誠実なことをするから炎上するのだ、と言いたいが。違うことを祈る。)
現実に進む人は少ない。さらに先日医学部の大きな不正も発覚した。不平等は現実にある。
5)女性が性的に描かれていて(ここの評価は分かれるようだが、やはり胸が強調されているのは否めないと思う。
思わないとしたら、脳内の女性の表象の「スタンダード」が違うのだと思う)
キズナアイが性的には描かれていないなら、ここでの問題はないということになる。その場合は千田氏のスタンダードは「違う」ということになるが。
ここで千田氏は評価が分かれるとしながらも、強調された胸という身体的特徴を持つキズナアイを性的なものだと見なして批判している。
このことから導かれるのは、性的に見られうる要素を持ったものは排除しようとする考えだ。
公序良俗に反しない範囲をキズナアイが逸脱していて、それにより不適切になるのだとすれば、キズナアイ以上に性的に見られうる身体的特徴を持った人は、それが現実の人間であっても、キズナアイよりも不適切ということになるのではないか。
特集を見ればわかるがキズナアイは自身の持っている身体的特徴に関しては何も強調していない。
その属性を持っているだけで「理系」から排除されるのであれば、どちらが「理系へ進む女性」への妨害になるのか。
(美形な、胸の大きな、などの特徴を持った研究者がいたとして、特集する側がそれを強調するようであるなら問題ではあるが。それは特集する側の問題だ。)
このことのみによって今回の企画を批判することはできる。しかしこの時千田氏が批判するべきなのはキズナアイが起用されたことではなく、この解説の内容、台本だろう。
『このキズナアイの代わりに、せめて白衣の女性が立ち、きちんと受け答えをしてくれていたら、女子学生はどれだけ励まされただろうか。
今後はぜひ、研究や教育にかかわる分野では、配慮をお願いしたい。』
上記の文は千田氏の『ノーベル賞のNHK解説に「キズナアイ」は適役なのか? ネットで炎上中』という文章にあったものだ。
ここではキズナアイへの批判と企画自体への反感が同一のものとして語られている。(そして今も主張に変化はないだろう。)
キズナアイであるか白衣の女性であるかが重要な違いなのか。(性的かフォーマルかということか。)きちんとした受け答えが重要なのか。
またこの主張は、相槌のみをする補助的な役割を行う女性を全て排除することになる。
千田氏にはぜひ、他のこうした不平等に対して、理系分野だけでも、今回のキズナアイ騒動のように頑張っていただきたい。
(この行動によって女性の不平等が変わるのなら。割と本気で賛同はしたい。ただそれによって相槌のみをするような女性の排除になるなら話は別だろうが。
そしてなにより大事なことに、おそらく千田氏はそのことを考慮していないだろうが。)
以上が千田氏が挙げた六点になる。
だがここで千田氏は、上記六点はただ挙げただけで、詳しい言及をすることなく次の話題に移ってしまう。
(正気か? 1)~6)が全て揃っているときに問題なのか、それぞれの観点で問題なのか、何もわからない。
それぞれの点に関しても一言で済ませられるものではないにも関わらず説明を添えることもない。不誠実。)
意をくんで(おそらくこういうことが言いたいのだろうが)、公共性の高いNHKで、女性の姿をしたものが、女性の役割を貶めるような振る舞いをしたことが問題であると言いたいのだとしてみたとして。(そしてそれが特に女性に厳しい理系分野で。)
そうした場合の千田氏の考えを想像するに、「公共の場で取り上げられてしまったことで、このキズナアイのような愚かな振る舞いを、現実の場でも女性に強要するような、そうした態度が人々の間に浸透するのだ」というところだろうか。具体的記述がないため想像するしかない。
次の話題で千田氏は、寄せられた質問(以前の文章への反応だろうか)への返答をし、そののち自身の体験を語る。
千田氏の体験はハラスメントにより自身の理系への道が閉ざされたというものだ。そのような状態は是正されなければならないが、その責任をキズナアイに求めるのはお門違いだ。
キズナアイは人々に向かって理系へ進むなとは言わない。そんなことよりもぜひ教育現場の意識改革に関して研究をしていただきたい。理系へ進める女の子が増えるのではないか?
(それかキズナアイ特集がくだらなすぎて理系進むの止める、みたいな女性がいると? そうなら他人を舐めすぎでは?)
以下は寄せられた質問とそれへの返答だ。
「女性を励ますことも大事かもしれませんが、子どもに科学に興味を持ってもらうことの方がもっと大切じゃありませんか?」
氏の返答
「科学に興味をもつ子ども」から、女の子が排除されていることが問題なのである。
ぜひ、「子ども」の半分を構成する女の子に興味をもってもらいたいがゆえの、お願いである。「子ども」は男の子だけではない
キズナアイが起用されることによって、科学に興味を持つ人から女性が排除されるのだろうか。端的に間違いだろう。(それか説明不足。)
キズナアイが起用されることで「記事」から排除されるのは、キズナアイに悪感情を持つ人であるはずだ。
科学に興味はあったがキズナアイは嫌だ、という人はキズナアイのノーベル賞の記事は読めなくなるだろう。だがそれは男でも同じだ。
女性だけがピンポイントで、さらに「科学から」排除されることが納得できる説明は、上記の文章の中にはどこにもない。
(だから書いて欲しいのだが、そういうことが書かれていないから炎上する。)
なお、千田氏が前回の文章でも挙げていたキズナアイと理系女性の話はもう出てこない。ここで、本当に言いっぱなしで終了する。
性的なのが問題ではなく厳しいゾーニングがあればいいと千田氏は言う。
(キズナアイ特集がゾーニングできていなかったか判断できるのか?どれだけ子供の目に触れたのか?ネットの記事が?キズナアイの性的さはどれだけのゾーニングが必要なのか?)
これに関してはデータがないので自分は何も言うことができない。(向こうもデータは無いんだろうけど。)
本題に戻る。千田氏はここでキズナアイ騒動に寄せて新たな主張、表現に関する主張を繰り出す。千田氏の主張は以下の通りだ。
人の行うすべての表現はさまざまな意味を持ちうる。そしてその表現は既存の社会規範、構造を再生産するという意味で問題になることがある。
キズナアイは「女性らしい」、現在の社会で求められる「魅力」的な体つきをしていて、女性に求められる美の規範をなぞっている。
そして現在の社会では女性の体は性的な対象として扱われており、よって表現があるだけで女性と性の結びつきが社会で再生産されていく。
このことをキズナアイに当てはめて具体的に書けば、
つまりは現在の社会では、キズナアイはどうしても性的に見られるから公共の場に出てくるときは注意しなければならない、ということになる。
(ちなみに男性の性的さは社会での文脈違うから同じには語れない、とのこと。)
もっとはっきり書けば、規制しろ、自主規制をしろ、出てくるな、ということなのだろうか。
(……本当に他にやれることはないのか? これが最善手と? フェミニズムの蓄積ってこんなにも何も無い虚無なのか?)
4もこの続きみたいなのものなので一旦先に進む。
4.「表現の自由」とはなにか?
ここでの千田氏の主張を挙げる。
「表現の自由」は重要だと思っている。国家による検閲や介入は出来るだけない方が望ましいとも考えている。
そのためには国家に介入されないように市民がオープンに表現について語ることが必要。
だからこの表現は何を生み出すのか、誰かを傷つけないか。傷つく人は何が嫌なのか。
こういう議題は議論としてどんどんやっていくべき。
あと。表現は、他者への配慮で壊れるようなやわな物じゃないよね。だからもっともっと配慮をして、配慮の効いたものを作っていこうね、それはきっと素晴らしいものだから。
以上が千田氏の主張。……最後の一行、めっちゃヤバいこと言っってんじゃん。マジか。
(そして配慮に配慮を重ねた結果、その表現は、元のものとは姿かたちもかけ離れたものになっているのですね。わかります。)
……結論。千田有紀氏は、バリバリの表現規制論者。積極的に反論していかないと、今回みたいに延々と考え無しな表現規制論を振りかざし続ける。
あっきゅー。
性的云々は置いといて「TPOにそぐわない」という意見にずっともやもやしてたんだけど、NHK(その他メディア)におけるキズナアイの立ち位置ってデーモン閣下だと考えれば結構しっくりくる人が多いんじゃないかな。
キズナアイ:インテリジェントなスーパーAI(人間ではない)(さほどインテリジェントではない)
閣下:人間界においてフォーマルとは見做されない衣装を纏っている
キズナアイ:人間界においてフォーマルとは見做されない衣装を纏っている
キズナアイ:その衣装を纏った上でNHKのコンテンツに出演している
キズナアイ:2歳
でも閣下にTPOが…と言う人は殆どいない。それはもちろん偉大なる閣下の人徳のなせるところでもあるが、要は人々が「世を忍ぶ仮の姿」という文脈を受け入れているからなんだろう。
いつになるかは分からないけど、キズナアイも同様の文脈が受け入れられた時に「そういうタレント」として認められるんであって、今はその過程なんだろうなと思う。
だからその文脈を持たない人が予備知識なしに見てびっくりするのは理解できる。ただそこで一気に論理飛躍してしまったから炎上してしまったんだと解釈している。
本来であれば文脈の保持者・非保持者の間を仲立ちする言説が必要だったのかもしれないが、今のインターネットは断絶が深まりすぎてそれも難しいんだろうなと半ば諦めている。
で、それはそれとして、衣装の意匠そのものがTPOにそぐわないのだ、という意見もあるだろう。
ノースリーブにホットパンツという組み合わせ自体は確かに軽装だが、件のコンテンツはあくまでノーベル賞のゆるい解説がコンセプトであって、授賞式に出るわけでもないし個人的には許容範囲かなと思う。女性タレントの衣装としてもよくある組み合わせではないだろうか。それらもひっくるめて問題視するのであれば理解できる。
ただ、二次元だから、3Dモデルだから駄目だというのであれば、未知のものに対する感情が許容度を狭めている可能性も考慮してほしいなと思う。
あ、「閣下は好角家としての知見が評価されて起用されている」的なのは勘弁な。
専門知識の有無はタレントに求められる資格ではないと思うし、何より閣下ご自身が事あるごとに角界へのコメントを求められることをあまり快く思っておられないようなので…。
『閣下は相撲専門家として実力と実績=大義があるので。身もふたもないが大義の有無は割と大事だと思うなぁ。あと別のブコメにも記したが、あの格好リアルならかなり露出度高い方だよ…麻痺してるんじゃね? 』
→大義というと大袈裟だと思うが、起用に見合った価値を提供するのがタレントの仕事なので前半部分は同意。
ただ、キズナアイは地上波露出が始まったばかりの新人タレントだと私は解釈しているので、閣下が長年積み上げてこられた光輝燦然たる実績と比較してキズナアイ起用の是非を語るのは公平ではないと思う。
キズナアイのキャリアはまだまだこれから。今後視聴者へ独自の価値を提供できるようになるといいね。
後半部分、個々人の主観によるとしか言いようがない。アニメ的表現に親和性があるかどうかでも見解が変わり得るだろう。
ただ一点、「麻痺」という表現はいただけない。あなた個人の意見を以て、他者の認知能力に問題があるかのような表現を使うことを私は許容しない。
もちろん、キズナアイ批判に対する下品なまぜっかえしも私は許容しない。
あなたはあなた個人として堂々と「露出度が高く、不適切である」と主張すればよい。(これは私の解釈なのであなたの主張とずれがあったらすまない)
私個人としては「露出度は高いが、他タレントと比すると突出して高いとまでは言えず、メディア出演を制限されるほどのものではない」と考えている。
_
『>「閣下は好角家としての知見が評価されて起用されている」的なのは勘弁な。←これずるくない?閣下が評価されNHKに出演できてる部分ってまさにここじゃん。ただのイロモノタレント枠で語るのは片手落ちだよ。 』
→確かにこのスタンスでデーモン閣下について語るのは片手落ちだが、私は今「新人タレントキズナアイ」の話をしている。
これの意図は「専門的知識の有無はタレントの評価に必須ではないということ」を強調するためにあった。
なぜなら、「キズナアイを解説役で起用すればよかった」という意見が散見された際、キズナアイのようなタレントがメディア出演において何らかの専門的知識というハードルを課されるべきではないと考えたからだ。
先程も述べた通り、起用に見合った価値を提供できればそれは知識でもルックスでもトークでもいいわけだ。
それはキズナアイ自身がこれからブラッシュアップして提供していくものであって、
ミュージシャンでありながらベテランタレントでもあらせられる閣下の偉大な実績を持ち出して新人の間口を狭めないでくれというだけの話でさほど深い意味はない。
_
公明党と創価学会の関係は事実上政治団体と信教団体とが一致している。
支持母体と政党が独立しているから、政教分離できている、というが実質的にできていない。
さらに、公明党という与党を特権と見れば、これは解釈によっては違憲になりうる
この構図は、自民に属する、公明に属する、それぞれたった二人のみですら、意のままに操れる政治体制になっているではないか!
この忍び寄る魔の手を断ち切れ!
公明党は野党、特に、敵対する共産党との連携という師・池田大作のもみ消された(?)悲願をもういちど公然に照らす(詳しくは、「革命と生と死」を読まれよ)
また、野党全般、あるいは政策別にたたき台、まとめ案(俺だったらこうするというような政策)を、いくつかケース別に分け、処方箋のような形で提示することによって
(先の選挙に見られた野党の政策への"disり"ではなく、その"処方"が、事実上反映されたと解すれば)
"死票をなくすことができる政治形態"が可能であることを確認したい。
自民党は現首相のハリー・ポッターのファッジ首相の物真似ではないかと思えるほどの、権力の味を覚えた、独裁に近い政治となっている。
しかし、就任当初首相官邸でドヤ顔でアメリカのテレビシリーズを見ていると公言してはばからなかった人が本当の戦争の望むだろうか(ヴォルテモートは戻ってきてない ”He is not back”、というファッジ首相の姿と、戦争は再びありえないと断言する姿が重なってしまう)。
むしろ、家計問題のように、背後に交錯する思惑に目を向けるべきで、現首相ばかり叩いたところで話は進まない。
そう、アベはファッジなのだ。
戦争をヴォルテモートに置き換えればいい(仮にわかりやすく仏法であてはめれば第六天の魔王ということになりうるだろうか)
このような提案をする意義がある。
なぜなら、ありとあらゆる政治信条が実際の政策に反映されうるようになるのだから、むしろ、自民、公明、または共産党以外の特定の支持者や部外者の冷やかしめいた(?)じりじりと詰め寄る支援が必至になる。
また、共産党との連携が悲願であったはずの、先生の政治的信条の隠蔽は、師自身の思想信条の自由を脅かしている。
さらに、共産党との思いがいまだ本気であり、かつ、ご健在であられるのならば、その出方次第で、池田大作本人あるなしは(「影武者」ではなく、先生ご本人にしか決断できないであろうから)わかる。
(ちなみに、私は先生と呼ばせることを制度化したことには、観心の観点から反対であるので、できうる限り客観性を持たせるためにも敬称略というフォーマルで最も敬意を込めた形で先生をお呼びしていく。)
先ず急がれるのは、学会員の選挙投票先自由化と、外部の非学会員による公明党政策の公平かつ客観的な、正当な評価である(学会員の側の立場から論じられていたことは承知しているが、そういった主流派とは違う流れで)。
読者の興味・関心から何かしらのアクションにつながるような供給源となる情報・資料などを提供することによって、幾分かでも非学会員の今後の公明党政策の現実的な利益や還元、反映に寄与したい。
目前に迫ってきたCR69 Fes.
サバイバル成功に向けてみんなで楽しく応援したい気持ちはあるけど、フェスについて個人的にめっちゃモヤモヤする事があるから自分の中で頭の整理をするために書いてみた。
基本的に服装についての事になるので、現時点で自分の服装に自信ある人と、自分だけ楽しめればOKって思ってる人には無駄な話なのでここで読むのやめた方が良いと思う。人によっては結構ショックな内容になるかもしれないし。
話は進みますが、ライブの服装についてずっとモヤモヤしていた。大まかに言うと、これは「ROCKのライブ」なのか「声優さんのライブ」どっちの解釈で参戦すれば良いんだろうという事なんだけど。
私の周りのオーディエンスは、後者のイメージで参加する人が多いように見える。その理由は後にも出てくるような心構えを見てそう感じるんだけど、公式はあくまでも前者の「ROCKのライブ(フェス)」をイメージしたいんだろうなって感じる。
公式の名目はあくまでも「ロックフェス」だし、ステージに立つ彼ら(=CRのヴォーカリストたち)は自分達を「ロックバンド」だって言ってるし、会場もスタンディングがメインのハコ、ドリンクチケ購入制である事やサインライト禁止な事、フェスに関する注意・禁止事項も含めてイメージは「ROCKのライブ(フェス)」だろうなって推測するには十分だと思う。
だからね、今回のライブについて「これは声優さんのライブだ」って割り切ってる人については、それはそれで間違ってないというか正しいけど、その考えが公式の意図に沿ってるか?って考えるとそうじゃないんじゃん?って思う。公式が「ROCKのライブ(フェス)」を想定している以上、これは声優さんのライブだけど、ROCKのライブ(フェス)として参加する人がいる、ROCKのライブ(フェス)で起こり得る危険な事も全くないとは言い切れない、って事だけ年頭に置いて、それが理由で楽しめなかったって事が無いように参加してくれたらいいと思う。
ここからは本格的に私の意見だけど、だったら公式に合わせて「ROCKのライブ(フェス)に参加するオーディエンス」として会場に行くのが筋なんじゃないかって思っていて。
「声優さんのライブ」ってどちらかというとアイドルのライブみたいなかんじで、オシャレしてもスカートはいてても大丈夫なくらい安全。でもロックのライブって全然違う。
髪の毛はぐしゃぐしゃになるし、服だってもみくちゃにされて引っ張られて最悪破れる事だって普通にあるし、もちろん人に危害を加えないように参加するのは大前提だけど、それと同じくらい危険な場所だって分かって参加するのも大前提。私はライブ慣れしてない友達には満員電車の中で暴れるようなものって例えて説明する。
なので、個人的には1Fスタンディングで参加する人達に関してはスカートは全面的にNG。(ちなみに公式では長いスカートのみ踏まれる可能性があるからNG)それでも、どうしても絶対スカートはいてくるって言う人は、もみくちゃにされて捲られて最悪破かれたりしても大丈夫、楽しかったって本気で言える心を一緒に持ってきてほしい。
ハコのライブ初めてだからわからない、バンギャじゃないからわからない、って言ってる人もちらほら見かけるけど、初めてなら知らないのは当たり前。だけどネットにはいくらでもライブの常識とか注意点とか載ってるから検索してください。服装とか持ちものとか、周辺のロッカーだって全部検索かけたら載ってる事だよ。ライブが決まってからすごく時間あったのにそれすら調べられないで参加する人がいるってびっくりするけど、もしかしたらROCKライブの服装に暗黙のルールがあるって事も、それを検索するっていう概念もないのかもしれない。「ロックライブ 服装」とかで検索してください。ぜひ。めちゃくちゃ詳しく載ってる。
フォーマルな場にはフォーマルな服装で行くように、ROCKライブにはROCKライブにふさわしい服装があって、その理由もあって、そういう場に行くならそういう服装で行くのがROCKって音楽に対する敬意だと思う。ユゥくんとかシエルくんが「ROCKは人生」って言った事もあったけど、ロックバンドを応援するオーディエンスだったら(あるいはその彼女なら)、作品の楽しみ方は人それぞれだから敬意を持てとまでは言えないけど、そういう常識がこの世界にはあるって事くらいは知っておいてもらえたらありがたいと思うし、ヴォーカリスト達の世界観もより深く楽しめるし、何より心構えがあった方が何かトラブルがあっても「こんなもんなんだな」って思えてライブもより全力で楽しめると思う。
目前に迫ってきたCR69 Fes.
サバイバル成功に向けてみんなで楽しく応援したい気持ちはあるけど、フェスについて個人的にめっちゃモヤモヤする事があるから自分の中で頭の整理をするために書いてみた。
基本的に服装についての事になるので、現時点で自分の服装に自信ある人と、自分だけ楽しめればOKって思ってる人には無駄な話なのでここで読むのやめた方が良いと思う。人によっては結構ショックな内容になるかもしれないし。
話は進みますが、ライブの服装についてずっとモヤモヤしていた。大まかに言うと、これは「ROCKのライブ」なのか「声優さんのライブ」どっちの解釈で参戦すれば良いんだろうという事なんだけど。
私の周りのオーディエンスは、後者のイメージで参加する人が多いように見える。その理由は後にも出てくるような心構えを見てそう感じるんだけど、公式はあくまでも前者の「ROCKのライブ(フェス)」をイメージしたいんだろうなって感じる。
公式の名目はあくまでも「ロックフェス」だし、ステージに立つ彼ら(=CRのヴォーカリストたち)は自分達を「ロックバンド」だって言ってるし、会場もスタンディングがメインのハコ、ドリンクチケ購入制である事やサインライト禁止な事、フェスに関する注意・禁止事項も含めてイメージは「ROCKのライブ(フェス)」だろうなって推測するには十分だと思う。
だからね、今回のライブについて「これは声優さんのライブだ」って割り切ってる人については、それはそれで間違ってないというか正しいけど、その考えが公式の意図に沿ってるか?って考えるとそうじゃないんじゃん?って思う。公式が「ROCKのライブ(フェス)」を想定している以上、これは声優さんのライブだけど、ROCKのライブ(フェス)として参加する人がいる、ROCKのライブ(フェス)で起こり得る危険な事も全くないとは言い切れない、って事だけ年頭に置いて、それが理由で楽しめなかったって事が無いように参加してくれたらいいと思う。
ここからは本格的に私の意見だけど、だったら公式に合わせて「ROCKのライブ(フェス)に参加するオーディエンス」として会場に行くのが筋なんじゃないかって思っていて。
「声優さんのライブ」ってどちらかというとアイドルのライブみたいなかんじで、オシャレしてもスカートはいてても大丈夫なくらい安全。でもロックのライブって全然違う。
髪の毛はぐしゃぐしゃになるし、服だってもみくちゃにされて引っ張られて最悪破れる事だって普通にあるし、もちろん人に危害を加えないように参加するのは大前提だけど、それと同じくらい危険な場所だって分かって参加するのも大前提。私はライブ慣れしてない友達には満員電車の中で暴れるようなものって例えて説明する。
なので、個人的には1Fスタンディングで参加する人達に関してはスカートは全面的にNG。(ちなみに公式では長いスカートのみ踏まれる可能性があるからNG)それでも、どうしても絶対スカートはいてくるって言う人は、もみくちゃにされて捲られて最悪破かれたりしても大丈夫、楽しかったって本気で言える心を一緒に持ってきてほしい。
ハコのライブ初めてだからわからない、バンギャじゃないからわからない、って言ってる人もちらほら見かけるけど、初めてなら知らないのは当たり前。だけどネットにはいくらでもライブの常識とか注意点とか載ってるから検索してください。服装,とか持ちものとか、周辺のロッカーだって全部検索かけたら載ってる事だよ。ライブが決まってからすごく時間あったのにそれすら調べられないで参加する人がいるってびっくりするけど、もしかしたらROCKライブの服装に暗黙のルールがあるって事も、それを検索するっていう概念もないのかもしれない。「ロックライブ 服装」とかで検索してください。ぜひ。めちゃくちゃ詳しく載ってる。
フォーマルな場にはフォーマルな服装で行くように、ROCKライブにはROCKライブにふさわしい服装があって、その理由もあって、そういう場に行くならそういう服装で行くのがROCKって音楽に対する敬意だと思う。ユゥくんとかシエルくんが「ROCKは人生」って言った事もあったけど、ロックバンドを応援するオーディエンスだったら(あるいはその彼女なら)、作品の楽しみ方は人それぞれだから敬意を持てとまでは言えないけど、そういう常識がこの世界にはあるって事くらいは知っておいてもらえたらありがたいと思うし、ヴォーカリスト達の世界観もより深く楽しめるし、何より心構えがあった方が何かトラブルがあっても「こんなもんなんだな」って思えてライブもより全力で楽しめると思う。
革靴、というかビジネスシューズだ。
今まで安物ばかり履いていていざ買うとなると、どんなものを買えばいいかわからない。だから教えてくれ。
利用目的は主に仕事。内勤。どちらかというとフォーマル(洒落た茶色とかを履いてる人はめったに見ない。)今まで履いていたのは1万円前後(しかもアオキとかに売ってるやつ)。
だがそれらの靴は、痛み方が激しい気がする(メンテをちゃんとしろと怒られるだけの案件かもしれないが…)。
とにかく今の靴に限界を感じていて、より良いものを買いたいのだが、高いのは海外ブランドが軒並み並び、一気に値段上がったりしてる。しかし革靴って関税で5000円くらい取られてるらしいので、コスパ的に?どうなの?とか思ってしまう。ならば、と思いお得に買える店=大手チェーン(具体的にはABCマート)に行ってみたのだが、今度は「2足目半額」とかいうキャンペーンを張っている。こうなると逆に「もともと安物なのを高値で表示してるんじゃねーのか?」と感じ、やはり価値に対して信頼感を無くしてしまう。
漠然と「英語を使う事務の仕事」を探していて、特許事務というものがあるというこを知った方もいるのではないでしょうか。
私はこの業界未経験で、接客業から特許事務所に転職しました。そしてやはり志望動機は「英語が使いたい」です。TOEICは一時期800ありましたが、今はもっと低いだろうなレベル。
特許事務所といっても100人単位の大規模事務所から弁理士1人でやっている個人事務所まで色々あり、私が働いているのは限りなく個人事務所に近い小規模事務所です。
地味な業界(実際、想像以上)ではありますが、もし興味のある方がいれば少しでも私のこれまでの感想が参考になれば幸いです。
→はい。
うちの事務所は小さいが故に、事務員も私1人、従って国内、外内、内外全てを扱うため、英語を使う頻度は高いです。
といっても読み書きオンリー。話すことは一切ありません。そもそも日本語の会話すらほとんどありません。ひたすらメールやレターの作成、簡単な翻訳の準備などです。
あ、でも何故か時々営業の電話がかかってきて、その度に慌てふためいてます。それと現地代理人が営業や挨拶に来ることもあり、その時は少し話すかなあ。単なるイメージですが、大規模事務所だとその頻度や食事会なども多そう。
ということで総合的に英語を使いたい方は外資系の会社、事務所を目指した方が良さそうです。個人的には会話がないのは残念ですが、何らかの形でほぼ毎日英語に触れるのでそれには満足しています。
そもそもビジネスレターやメールは大学でちらっと習ったレベルなので、今でもなかなかしんどいですが、ほとんどの事務所にはテンプレがあり、メールの文面も定型文でなんとかなるので、そこまでできなくても良いのかなという印象。
あとは専門的な知識はなくても、米国出願の明細書のここが日本の出願と対応してるとか、クレームも日本と米国は違う形式にしなくてはいけなかったりするので、語彙量は多い方がやりやすい。もちろん辞書も沢山使う。グーグル翻訳も結構使ってます。
あと機械翻訳された英語の明細書がきちんと意味が通るのかとかもたまに調べたりします。
これは英語のレベルというよりは慣れもありますが、郵便の宛名の順序とか国によってかなり異なるので結構苦戦しています。
おそらくレベルの高い人は外内案件であれば翻訳したりできるのではないかなぁ。もちろん後で弁理士が確認しますが。あと同じクライアントだと過去の案件がそのまま使えたりしますので、似てるところを探したりもします。
うちの所長は実体的な事以外は基本定型文を用意して、その中で適切な文面を事務員に取捨選択させて、レターや拒絶理由通知書などの翻訳の雛型を作らせています。
→はい。でも極めて地味。
私がこの仕事を好きな理由のひとつにこんなにも地味でありながら国際的である、多くの国の事務所とやりとりがあるということがあります。マドプロを含めると20ヶ国程度でしょうか。お互いに仕事を依頼し合うという関係も面白い。
とはいえビジネスライクなメールだけの関係で、用件以外のことを書くことも一切ないなで、文化を知るとか視野が広がるみたいな体験はごく僅かです。
思い出しながら書いたのでまとまりがないのですが、経験も実力もあり英語を使いたい人は外国の特許事務所の日本支所が良いかもしれません。私のように経験も実力もないけど英語が使いたい人は国内案件と外国案件の区別がないような5人以下の小規模事務所がおすすめです。
「英語を使いたい」って漠然と希望するだけじゃ本当はダメだし、国際的に活躍なんて夢のまた夢です。でも何故かそこから進歩できなかった自分に特許事務の仕事はある程度の具体性を与えてくれたと思います。同じように漠然と考えている人の参考になりますように。
実に根本的な問題として、服屋で一般に「礼服」として売られているものが古式ゆかしいドレスコードとしては「略礼装」であって「礼装」ですらないことが全ての認識をゆがめているのではないかと感じられる。
実のところ、あの「礼服」はぎりぎりで平服の分類だから普段着ていてもおかしくないはずではないか。
何かで「平服」を指定されて困ったら「カラージャケット」にすれば皆がカジュアルに寄せてきてもフォーマルすぎないし、皆がフォーマルに寄せてきても浮かないから大丈夫だ、って書いてあった。
「平服を指定されたら基本スーツで」というのはそれと同じで、「それが一番無難ですよ」って事なのである。
なお、自分のセンスに自信があるのであれば、何を着ていっても構わない。外すと恥をかくだけである。
その点では女性は大変で、これという決まった礼装が規定されていないために礼装が必要な時には常にセンスを試されているのである。(和装だと紋付き留め袖とか規定されていそうだが、洋装ではマナーブックに「ふさわしいもの」としか書かれてなかった。)
違う違う。今問題となってるのはフォーマルレベル7の礼服に対して「平服でお越しください」が本来レベル5のドンキスーツとかでいいはずのところが何故かレベル6のブラックスーツだとかになってて、どっちが正解かが文字からではなく発した人側にあるってところが問題なの。
レベル6は本来「略礼装」であって「平服ではない」のな。「平服」を指定しているのに暗に「略礼装」を求めてるのっておかしくね? って話よ。
最初の頃は「怖い人」だった。
入社前、若手の先輩が内定者と社内の人の懇親飲み会を開いてくれた時、今の上司と出会った。
大学生でフォーマルな装いとしては就活スーツくらいしか持っていなかった私は、何を着て行くべきか散々迷った末、先輩の「普段通りの服でいいよ」との言葉を信じ、ジーパンとセーターで参加した。それが本当にいつもの装いだった。
のちに上司となるその人は、パリッとしたスーツを着たキャリアウーマンで、周りがおじさんばかりの中、負けずタバコを吸いお酒を飲んでいた。こういうバリバリした人もいる会社なんだなあ、と思った記憶がある。
飲み会も終盤になった頃、上司は吸っていたタバコを消しながら、「その服装は社会人と飲むにはカジュアルすぎる。それくらい気遣いをしなさい」と言った。
正直、先輩の言うこと違うやん、社会人こええ、と思った。
入社後はしばらく関わりはなかったが、案件の相談をすることがあった。「あの人は厳しい」という噂を聞いていたので、いつもビクビクしながら相談していた。
毎度、その場限りの解決策ではなく、私の提案内容に一歩踏み込んで「もっと営業として自分で動かないと」と、檄を飛ばしてくれていた。上司でもないのにそこまで首を突っ込んでくれる人はいなかったので、珍しいなと思っていた。
二年目になって直属の上司になった。それからは、もうひたすら怒られた。最初の半年くらいは様子見でそこまで怒られなかったものの、何か相談するたびに一点は怒られた。やる気あるのか、本当に決める気あるのか、お前は記憶する気があるのか、バカなのか、お客様のこと考えてるのか、それで相手が満足すると思うのか。
怒られるたびに周りが聞き耳立ててるように感じるのも辛かった。上司ほど仕事に熱意を持てないことが苦しかった。営業の仕事はイエスだけでは進まない。相手に無理を言ってお願いしたり、嫌がられてるものをなんとか進めなきゃいけないこともある。そんなとき私は人に嫌われるのが嫌で逃げてしまうが、上司はそんな弱さを許さない。やりきるところまでやりきって、それで案件に負けるなら仕方ない。やりきる前にやめてしまうのは何も意味がない。私が日和った案件は上司が最後まで取り組むこともあった。
一度マジギレされた後、自分のフロアにいられず他のフロアで先輩に愚痴をこぼしていたことがあった。わたし、営業向いてないのかもしれないです。毎日怒られてるし。そういう私に、同じく上司の檄をくぐり抜けて来た先輩は、あの人がそこまでいうのは育てたいと思ってるからだよ。と諭してくれた。そのとき上司から電話がかかって来て、さっきは感情的になってしまったことの謝罪と、アドバイスの要点を再度伝えられた。上司のような大人でも感情的になること、またそれを反省して改めて電話してくれたことに驚き、なんだかツンデレのような対応に笑ってしまった。
上司の下で働いて三年目、相談した際10回に1回は褒めてもらえるようになった。考えが足りなくても、とりあえず行動力を生かして客先にひたすら行ったりする姿勢を評価してもらえた。相変わらずアポの日付を間違えたり、持ってく契約書を忘れたり、粗忽者としかいえないようなミスで怒られることもあった。
四年目、大きな案件が取れた。今まで上司に80%力を借りていてやっていたが、その案件は30%くらいの力を借りて、残りの70%は自分で決められた案件だった。初めて、ではないが、心から大きな笑顔で褒めてもらえた。契約書をもらって来たときにはやったね!と両手を広げて抱きしめてもらえた。ふくよかな胸元が暖かかった。そういえば母にももう何年も抱きしめてもらってないな、女性に抱きしめてもらうなんて何年ぶりだろう、そんな風に思ったのを覚えている。
その案件以降運が続き、大きな案件が複数取れた。私だけの力ではないが、度々表彰されることで自分も仕事ができるような気になって来た。昇格もさせてもらった。気づけば後輩もできて、それなりに数字も持つ、中堅どころになっていた。
同時に、慣れてしまった仕事について物足りなさを感じて来た。もっと大きな挑戦がしたい。その思いが強くなった。
前からいずれ他の部署で挑戦してみたい話はしたことがあった。今の部門でやりきってからにしろ、と頭ごなしに否定する上の人もいた。上司にその話をした際には、真剣に聞いてくれた。自分でいくつか異動先を交渉し、新しい部門に移ることになった。
異動するいまになって、この想いを書き留めておこうと思ったら、上司のことしか出てこなかった。上司の存在が自分の会社人生の中でどれだけ大きかったか、今更になって思い知った。
上司とはプライベートな話はほとんどしない。電車の移動中も案件やチームメンバーのことばかり話している。社内で人と距離を詰めるには、プライベートを少し曝け出したほうが仲良くなりやすいが、上司にはそれは関係ない。仕事の距離感で、純粋に仕事の結果、仕事の姿勢で評価してもらう。それが心地よかった。自分が、”若い女性”として、何かを許してもらったり軽んじられたりすることもある中、上司はそういった甘えはなかった。人として、営業として、評価をしてもらっていた。
上司からは、営業とは何かを教えてもらった。人を育てるとはどういうことかを教えてもらった。人の叱り方を教えてもらった。諦めないとはどういうことか、やりきるとはどこまでやるのかを教えてもらった。大きな案件に取り組むチャンスをもらった。給与も上げてもらった。昇格もさせてもらった。後輩育成のチャンスももらった。
私は上司に何が返せたのか。数字はベテランに比べれば全然できないし、まだまだ未熟なところも多く、相変わらず逃げてしまうこともある。今朝も怒られた。後輩とは仲良くなれるものの、育てたとは言い難い。ダメな部分をあげればキリがないが、完璧になることもない。そう思って新しい挑戦をすることを決めた。もらったものほど返せてないのは痛いほど実感している。それでも自分のわがままを通して異動を決めた。だから、これからの頑張りで返すしかないのだと思う。
こんなに面倒見のいい、厳しくも優しい上司の下で働けることは、もうないのだと思う。その機会を棒にふる自分も馬鹿だと思うが、それでも他に行きたいと思ったのは自分だ。自分で決めたことだから、自分で納得するまで、今度は上司に教えてもらったことをとことん他の場所で実践しながら、結果を出せることころまで、頑張り抜きたい。
言葉にしきれないが、本当に上司のことを尊敬している。いつか私が部下になったら、あなたのようになりたい。上司そのものになることはキャラクター的にできないけど、あなたの哲学を受け継いで、愛に溢れる、影響を与えられるような人になりたい。
最初の頃は「怖い人」だった。
入社前、若手の先輩が内定者と社内の人の懇親飲み会を開いてくれた時、今の上司と出会った。
大学生でフォーマルな装いとしては就活スーツくらいしか持っていなかった私は、何を着て行くべきか散々迷った末、先輩の「普段通りの服でいいよ」との言葉を信じ、ジーパンとセーターで参加した。それが本当にいつもの装いだった。
のちに上司となるその人は、パリッとしたスーツを着たキャリアウーマンで、周りがおじさんばかりの中、負けずタバコを吸いお酒を飲んでいた。こういうバリバリした人もいる会社なんだなあ、と思った記憶がある。
飲み会も終盤になった頃、上司は吸っていたタバコを消しながら、「その服装は社会人と飲むにはカジュアルすぎる。それくらい気遣いをしなさい」と言った。
正直、先輩の言うこと違うやん、社会人こええ、と思った。
入社後はしばらく関わりはなかったが、案件の相談をすることがあった。「あの人は厳しい」という噂を聞いていたので、いつもビクビクしながら相談していた。
毎度、その場限りの解決策ではなく、私の提案内容に一歩踏み込んで「もっと営業として自分で動かないと」と、檄を飛ばしてくれていた。上司でもないのにそこまで首を突っ込んでくれる人はいなかったので、珍しいなと思っていた。
二年目になって直属の上司になった。それからは、もうひたすら怒られた。最初の半年くらいは様子見でそこまで怒られなかったものの、何か相談するたびに一点は怒られた。やる気あるのか、本当に決める気あるのか、お前は記憶する気があるのか、バカなのか、お客様のこと考えてるのか、それで相手が満足すると思うのか。
怒られるたびに周りが聞き耳立ててるように感じるのも辛かった。上司ほど仕事に熱意を持てないことが苦しかった。営業の仕事はイエスだけでは進まない。相手に無理を言ってお願いしたり、嫌がられてるものをなんとか進めなきゃいけないこともある。そんなとき私は人に嫌われるのが嫌で逃げてしまうが、上司はそんな弱さを許さない。やりきるところまでやりきって、それで案件に負けるなら仕方ない。やりきる前にやめてしまうのは何も意味がない。私が日和った案件は上司が最後まで取り組むこともあった。
一度マジギレされた後、自分のフロアにいられず他のフロアで先輩に愚痴をこぼしていたことがあった。わたし、営業向いてないのかもしれないです。毎日怒られてるし。そういう私に、同じく上司の檄をくぐり抜けて来た先輩は、あの人がそこまでいうのは育てたいと思ってるからだよ。と諭してくれた。そのとき上司から電話がかかって来て、さっきは感情的になってしまったことの謝罪と、アドバイスの要点を再度伝えられた。上司のような大人でも感情的になること、またそれを反省して改めて電話してくれたことに驚き、なんだかツンデレのような対応に笑ってしまった。
上司の下で働いて三年目、相談した際10回に1回は褒めてもらえるようになった。考えが足りなくても、とりあえず行動力を生かして客先にひたすら行ったりする姿勢を評価してもらえた。相変わらずアポの日付を間違えたり、持ってく契約書を忘れたり、粗忽者としかいえないようなミスで怒られることもあった。
四年目、大きな案件が取れた。今まで上司に80%力を借りていてやっていたが、その案件は30%くらいの力を借りて、残りの70%は自分で決められた案件だった。初めて、ではないが、心から大きな笑顔で褒めてもらえた。契約書をもらって来たときにはやったね!と両手を広げて抱きしめてもらえた。ふくよかな胸元が暖かかった。そういえば母にももう何年も抱きしめてもらってないな、女性に抱きしめてもらうなんて何年ぶりだろう、そんな風に思ったのを覚えている。
その案件以降運が続き、大きな案件が複数取れた。私だけの力ではないが、度々表彰されることで自分も仕事ができるような気になって来た。昇格もさせてもらった。気づけば後輩もできて、それなりに数字も持つ、中堅どころになっていた。
同時に、慣れてしまった仕事について物足りなさを感じて来た。もっと大きな挑戦がしたい。その思いが強くなった。
前からいずれ他の部署で挑戦してみたい話はしたことがあった。今の部門でやりきってからにしろ、と頭ごなしに否定する上の人もいた。上司にその話をした際には、真剣に聞いてくれた。自分でいくつか異動先を交渉し、新しい部門に移ることになった。
異動するいまになって、この想いを書き留めておこうと思ったら、上司のことしか出てこなかった。上司の存在が自分の会社人生の中でどれだけ大きかったか、今更になって思い知った。
上司とはプライベートな話はほとんどしない。電車の移動中も案件やチームメンバーのことばかり話している。社内で人と距離を詰めるには、プライベートを少し曝け出したほうが仲良くなりやすいが、上司にはそれは関係ない。仕事の距離感で、純粋に仕事の結果、仕事の姿勢で評価してもらう。それが心地よかった。自分が、”若い女性”として、何かを許してもらったり軽んじられたりすることもある中、上司はそういった甘えはなかった。人として、営業として、評価をしてもらっていた。
上司からは、営業とは何かを教えてもらった。人を育てるとはどういうことかを教えてもらった。人の叱り方を教えてもらった。諦めないとはどういうことか、やりきるとはどこまでやるのかを教えてもらった。大きな案件に取り組むチャンスをもらった。給与も上げてもらった。昇格もさせてもらった。後輩育成のチャンスももらった。
私は上司に何が返せたのか。数字はベテランに比べれば全然できないし、まだまだ未熟なところも多く、相変わらず逃げてしまうこともある。今朝も怒られた。後輩とは仲良くなれるものの、育てたとは言い難い。ダメな部分をあげればキリがないが、完璧になることもない。そう思って新しい挑戦をすることを決めた。もらったものほど返せてないのは痛いほど実感している。それでも自分のわがままを通して異動を決めた。だから、これからの頑張りで返すしかないのだと思う。
こんなに面倒見のいい、やさしい、母性溢れる、厳しくも優しい上司の下で働けることは、もうないのだと思う。それを棒にふる自分も馬鹿だと思うが、それでも他に行きたいと思ったのは自分だ。自分で決めたことだから、自分で納得するまで、今度は上司に教えてもらったことをとことん他の場所で実践しながら、結果を出せることころまで、頑張り抜きたい。
言葉にしきれないが、本当に上司のことを尊敬している。いつか私が部下になったら、あなたのようになりたい。上司そのものになることはキャラクター的にできないけど、あなたの哲学を受け継いで、愛に溢れる、影響を与えられるような人になりたい。
全く好意的なことは書いていないので、ご留意のうえお読み下さい。
Shazamで調べると、「踊ってばかり国」というバンドの「東京」という曲だった。
(以下引用)
1 2 3と歩幅を 皆合わせて
肉を食って進む 花を踏んで生きる
命の尊さ気付かず 哀れな働き蟻
(引用終了)
(詞ということを考慮して、多少の意味の通じなさに目を瞑ったとしても、)
「東京」「政治家」「子供」等々どれも、パッケージ化された単語で、実在を感じない。
そこに浮かぶものは、まるで、90年代のティーンエイジャー向けドラマの亡霊のようだ。
本当に真剣に対象と向き合って、それを自分の中で咀嚼して世界に吐き出した結果がこれなんだろうか。
アイドルやポップグループのように、一種の工業的な音楽ならいざ知らず、こういったスタンスのバンドで、ステレオタイプな文字の羅列しかアウトプットできないのは、致命的じゃないだろうか。
感じたものをそのまま表現することは、一部の特別な才能を持った人々以外には、
とても困難なことだ。
「二流の詩人は自分が感じようと思ったことを言い、三流の詩人は自分が感じねばならぬと思い込んでいることを言う。」
ということになるだろう。
東日本大震災から、雨後の筍のように現れたこの手の音楽や言説には、もういい加減うんざりだ。
中学生になれば高校生になったら可愛くなれるだろうと信じていた
大学生になって、二十歳になって、ああ勝手に変わるものじゃないんだなってやっと気づいた
色々頑張ろうとするけど、如何せん知識も技術もない自分はオシャレもメイクもだめだめだった
そのまま社会人になって、オシャレというよりフォーマルな格好でいることが増えて
いかに朝ギリギリまで寝て、夜帰ったら好きなことに時間を割くかに重点を置いて行った
肌のお手入れとかダイエットとかオシャレとか相変わらずダメダメだった
つけまつげですら付けられない人だった
いつか可愛くなりたいなと思いながらそのまま三十路になって、可愛くなれず現在に至った
容姿はダメなままだけど、愛嬌をふりまく(相手の顔をうかがう)術だけはたけていった
容姿について忘れかけていた自分にとって、凄くショックだったと同時に思い出した
そこからまたふつふつと容姿や見た目、オシャレについて受け身じゃなくて綺麗になりないって欲が出てきてる
世間では見た目気にしてるなんて子供もいるのに、母親なのに何考えてるんだって言われることが多いと思う
でもいつか復讐してやりたい。
今まで私はドラッグストアに売っている安い化粧品しか使ったことがなかった。 敏感肌なのでファンデーションは何を塗っても1時間ほどで痒くなってしまう。そもそも私はソフトウェアエンジニアで、会社には人よりPCやスマホのほうに興味がある人ばかりなので、仕事に行くのにキッチリしたメイクをする必要がない。どうせ誰も見ていない。
社会人としての最低限の身だしなみとして、日焼け止めとパウダーをちょっとはたくくらいで日々のメイクは義務的に終わらせていた。
きっかけは友人の結婚式だった。普段のほぼすっぴん状態で、結婚式のようなフォーマルな場に出ることはできない。
そこで、少ない貯金をおろして初めてデパートの一階にある化粧品売場に出かけた。目的は外資系のとある高級ブランドのファンデーション。なぜかというと、若かりし頃に親戚の結婚式に出たとき、式場でメイクしてもらったのがそのブランドの化粧品だった。そして、そのブランドのファンデーションは、私の敏感肌でもまったく痒くならなかったからだ。その某ブランドなら大丈夫だという確信があった。ただ、そんなに必要と思えないモノに高い金を出すことを渋っていたので、今まで買うことはなかった。
友人の結婚式がなければ一生縁がなかったであろうキラキラした空間に初めて足を踏み入れた。
きっちりメイクした威圧感のある店員さんたち、おしゃれな女性客たち。高級ブランドの化粧品はお金持ちのマダムが使っているというイメージがあったが、意外にも20代、30代が多く、10代の女性たちもちらほら見かけた。
目的のブランドの売り場に近づき、化粧品を眺めていると店員さんに「何かお探しですか?」と声をかけられた。ジーンズにカーディガンとカジュアルな服装で行ったのにちゃんと話しかけてもらえた。それだけで少しうれしかった。
フォーマルな場に出るためのキッチリしたメイクをしたいと伝えると、あれよあれよという間に鏡の前の椅子に座らされた。店員さんが見繕ってくれた、私の肌色に合うファンデーションをその場で試してくれた。コスメカウンターの椅子に座っている間は異様に緊張していた。変な汗が出てくるので店員さんがしてくれたメイクが崩れないかすごく心配だった。結局大丈夫だったけれども。
ファンデーションだけ欲しいと伝えてあったのにチークと口紅も塗ってくれて、あっというまに華やかメイクの見慣れない私が鏡の中にいた。
ほのかに化粧品の香りがする。高級な香りだ。それまで化粧品の匂いは苦手だと思っていたけど、自分で付けてみると案外気にならなかった。満員電車で強烈に香る女性が色々付けすぎなだけなのだろうか。それともブランドが違うだけなのだろうか。自分でつけると気にならなくなるのかもしれないから、それは気をつけたい。
ともかく、一式メイクをしてもらった私は目的のファンデーションを手にして店を出た。お金を使ったあと独特の奇妙な満足感があった。
後日、試しに仕事へ行く時にその化粧品を使ってみた。一日付けていても全く肌が荒れなかった。感動した。今まで1000円〜3000円ほどのファンデーションを気まぐれに買ってはいたものの、どれも痒くなってしまってすぐに落としていた。しかし、この某ブランド化粧品はすごかった。値段もやたらと高いが質もいいということを、その時ようやく理解した。夕方になっても肌が汚くならないし、荒れることもなかった。(でも、どう考えてもパッケージに2000円以上かかってると思う)
その後ネットで化粧品に関する情報収集をして、ベースメイクとリップは良いものを使ったほうがいいという意見を多く見かけた。そして、同じブランドの口紅も買うことにした。数週間後に同じ店に行き、店員さんにフォーマルな場でも使える色のリップを探していると伝えて、いくつか見繕ってもらった。二回目なので私も慣れてきた。手入れをまともにしていないカサカサの唇を綺麗にしてくれて、「唇は皮膚の入れ替わりが早いのでこまめにスクラブすると良いですよ」と教えてもらった。知識が一つ増えた。
それまで数百円の安い口紅しか付けたことがなかったが、この高級リップもすごかった。とにかくつけ心地が物凄くいい。スルスルとすべらせるだけで唇に色が着く。リップはベタベタして気持ち悪いと思いこんでいたが全然ベタベタしない。つけても不快感が全くないのだ。そして色が落ちない。安いリップはこまめに塗り直しが必要だが、これは数時間たってもきれいな色のままだった。そして何より、見た目が豪華なので持っているだけで気分が高揚する。(でも、どう考えても半分はパッケージの値段だと思う)
その後、そのブランドのファンデーションとリップでメイクして街に出かけた。お金持ちではないので他の部分は安い化粧品を使った。しかし、一部でもちゃんとしたブランドの化粧品を使っているというだけで気分が高揚し、自信が湧いてきた。人混みは苦手だが、その日は人の多い場所でも気にならなかった。これがメイクの威力なのかと思った。アラサーにして、ようやくそのことに気がついた。これが女子力なのか……。
君のおかげで私は少し、大人になることができた。