全く好意的なことは書いていないので、ご留意のうえお読み下さい。
Shazamで調べると、「踊ってばかり国」というバンドの「東京」という曲だった。
(以下引用)
1 2 3と歩幅を 皆合わせて
肉を食って進む 花を踏んで生きる
命の尊さ気付かず 哀れな働き蟻
(引用終了)
(詞ということを考慮して、多少の意味の通じなさに目を瞑ったとしても、)
「東京」「政治家」「子供」等々どれも、パッケージ化された単語で、実在を感じない。
そこに浮かぶものは、まるで、90年代のティーンエイジャー向けドラマの亡霊のようだ。
本当に真剣に対象と向き合って、それを自分の中で咀嚼して世界に吐き出した結果がこれなんだろうか。
アイドルやポップグループのように、一種の工業的な音楽ならいざ知らず、こういったスタンスのバンドで、ステレオタイプな文字の羅列しかアウトプットできないのは、致命的じゃないだろうか。
感じたものをそのまま表現することは、一部の特別な才能を持った人々以外には、
とても困難なことだ。
「二流の詩人は自分が感じようと思ったことを言い、三流の詩人は自分が感じねばならぬと思い込んでいることを言う。」
ということになるだろう。
東日本大震災から、雨後の筍のように現れたこの手の音楽や言説には、もういい加減うんざりだ。
ゴミを語るな
でも音楽もアートだし、あらゆる芸風が許容されると思うね。 だからそういう薄っぺらい体制批判みたいな作風もアリだと思うし、それを面白いと感じる人や時期があるはずなんだ。
血肉のある音楽()