はてなキーワード: みはしとは
キャンプ場の近くに、めちゃくちゃ小さい沢が流れている
その沢が町の拠点になりそうな集落を流れるそこそこの川に合流している
美咲ちゃんは、上級生が遊んでいる川原に向かったらしく、キャンプ場から坂を下って川に行く丁字路に行くまでは母親が見ていたらしい
つまり、ここでいう川って山中の沢ではなく、集落の川に行ったってことなのでは?とニュースの文面を見ていると思う
このキャンプ場は椿荘オートキャンプ場といって、集落にある民宿の椿荘が管理運営をしている
おそらく、バスは集落の民宿でとまり、キャンプ場までは歩いて行ったのでは?
で、あれば、一度歩いた道を下って川に行くなら、間違えるなんてある?
もしそうなら山中に迷い込むとは考えられないんだよ
いや、ここでの想像が全部間違えてて、山中の沢に向かったのなら山中に迷い込んで滑落した可能性もある
ただ、この沢はあまり遊べそうに見えないし、下って川に行ったって表現を見る限り、集落の方へ行ったと想像しちゃうんだよね
そうなれば可能性はふたつ
集落なので、人は住んでいると思われるし、人の出入りはあったはず
誘拐されているのかもしれない
集落の住民には聞き込みはしているようなので、怪しい出入りがあればすぐわかる、、、かと思いきや、この辺はキャンプ場だらけなのでそうでもないかもしれない
集落内で監禁されているなら、隠せるものではないだろうし、それはないんじゃないかと思う
もうひとつはやはり川だ
これはあまり考えたくない
下流まで捜索したけど手がかりがなかったとのことなので、川に流されたのではないと思いたい
捜索のボランティアも滑落して、救助要請したそうだけど見つからず、2日後に自力下山しているので、山中の捜索は全然十分にはされていないと思う
まあ、集落周辺の川に向かったのなら、いるのは山じゃないと思うから、丁寧には探してないのかもしれない
だからこそ、小さい子供のミラクルな発想でありえない場所に向かったことを想定して、あらゆる可能性を考えて山中を探して欲しい
うちにも娘がいるし、はやく元気で見つかってほしい
https://anond.hatelabo.jp:443/20190519061244
■絵師さんに表紙を頼んだ話
これは私の愚痴であり、悲しかったことを並べているだけの話だ。誰かにとって有益な情報もなければ、注意喚起の意味もない。
ただ、こういうことがあって悲しいという、けれどこれを話せる友人もない、寂しいだけの女の話だ。
お時間のある人はつきあってほしいが、私はこの件について意見を求めているわけではない。
誰かに聞いてほしくて、少しだけ慰めてほしくて、こうして綴っている。
初めて人様に表紙を頼んだのは、10年近く前だ。
以降、特定が怖いので、年数などに関しては明記はせず、フェイクも入れていく。
表紙を初めて頼んだ時には、どきどきした。
だが、出来上がった表紙を見たとき、「これじゃない」感がすごかった。
私はハッピーエンドが好きだ。そういう話を書いてもいる。
だが、その表紙はものすごく暗かったのだ。
キャラは浮かない顔で、背景も暗い。
見ていてめちゃくちゃ沈んだ気持ちになる絵だった。
けれど、せっかく描いてもらったものを「描き直して」とは言えなかった。
表紙サイズが違っていたからそのことだけ指摘して、絵の暗さについては触れなかった。
その後も、何度かそういうことがあった。
私が事前に「楽しい感じで」「笑顔で」と指定を入れておかないと、キャラは必ず浮かない顔で描かれる。
ハッピーエンドなのに、なんでだろうと思った。
ついでに記しておくと、背景もほとんどなく、たいていグラデかテクスチャが貼られているだけだった。
なぜ、指定を入れないと、いつもいつも似たような表紙になってしまうのだろうと思った。
絵師さんに表紙を頼むようになってから数年がたち、この間にもかなり悲しいことがあったのだが、それらを並べて記すと完全に身バレするので詳細には触れない。
ただ、人間不信になりそうなことはあった。
私は絵師さんに好かれるタイプではないのかもしれないと思った。
ちなみに私は、私の作品について好意的な感想をくれた絵師さんにしか表紙を依頼していない。
私のことを知らない絵師さんにはまず頼んでいないのだ。
それでも、悲しいことは起こる。
さて、さきに記した初めてから数年後の話だ。
あるていど事前に指定も入れていた。
〆切には余裕もあった。
ある日曜日、私は映画館に行っていた。前売りを何枚も買って楽しみにしていた作品だ。その日も二回は観るつもりだった。
その内容はこうだった。
私は一瞬、自分が受けとったものが何であるのか、よく分からなかった。
やっつけって何? と思った。
意味が分かったら悲しくなった。
反論する気力もなく、スマートホンでモノクロのラフを確認し、映画の合間にメールのやりとりをした。
悲しみや動揺で、映画を楽しめなかった。
映像を見ながらも、絵師さんからのメールの文面のことを考えていた。
そして、私が帰宅したときにはもう完成原稿が送られてきていた。
それは本当にやっつけ感あふれる代物で、チェックしていて悲しくなった。
言葉の綾でもなんでもなく、まさに「やっつけ」だったのだ。
●色と指定したのに、「▽色にしておいた」と原稿に添えられたメールにあった。
▽色は、私の嫌いな色だ。相談もなしにその色に塗られた。
ミスだらけだった。
これもキャラは浮かない顔をしているし、背景の書き込みはなく、テクスチャが貼られているだけだった。(この本に於いてはそれ自体はいいのだが、この先のために記しておく)
とても悲しかった。
怒りより悲しみだった。
なんで彼女はこんなことを平気でするのだろうと思った。
記したもの以外にも頼んだことがあったが、それも彼女は実行しなかった。
だが、「今日中にやっつけちゃいたい」と言ってきた相手に、リテイクは出せなかった。
文句は言わなかった。
原因はこの件だけではなく詳細を省いた部分にもあるのだが、ともかく傷つきすぎて誰かに表紙を頼む気になれなくなってしまった。
悲しくてしょうがなかった。
そこからまた数年がたつ。
相変わらず、人様に表紙を頼むことには怯えていた。
またあんな目に遭ったらと思うと怖かった。
けれど、絵師さんに表紙を頼んで傷ついたものは、結局、やはり表紙関係で満たされない限り癒えないのではないかとも思った。
他の文字書きさんが絵師さんに表紙を頼んで嬉しそうにしているのを見るのが辛かった。
好きな絵師さんが他の文字書きさんの表紙を楽しそうに描いているのが羨ましくて苦しかった。
ぐるぐる考え込んでいたが、羨んでばかりの状態は健全ではないなと思えた。
そして数年ぶりに、絵師さんに頼んでみることにした。
その絵師さんは、にぎやかな楽しい絵を描く人で、この人ならキャラを浮かない顔では描かないのではと思えた。
それに、他の文字書きさんの表紙で、すごく緻密な書き込みをしていたのだ。
作中に記された背景、建物や自然物、小物等々、キャラクターだけではなく、いろんなものを丁寧にひろって描いていた。
羨ましかった。
私の作品もこんなふうに描いてもらえたら幸せだろうなと思った。
思いながら、でもきっとそうはならないんだろうなと、半分あきらめもあった。
依頼を受けてもらえて嬉しかった。
キャラクターは、浮かない顔をしていた。
背景の書き込みはなく、テクスチャが貼られる状態になっていた。
まただ、と思った。
また似たような表紙になってしまった。
何でだと思った。
私はハッピーエンドが好きだが、そこに至るまでは苦しかったり切なかったりする展開をさせることが多い。
だが、どうやら絵師さんたちは私の話の苦しい部分こそが重要だと考えているのではないかと、そこでようやく思い至った。
数年も分からなかったことが氷解したのだが、肝要だと考えている部分に私と絵師さんとでは大きなズレがあったことをここで思い知った。
私が思っている以上に私の話は暗いと思われていたのだということも理解した。
イメージの擦り合わせをしていないのだから、ズレるのも当たり前だった。
この点については反省した。
しかし先方が忙しいことも知っている。
思い通りにいかなかったことは悲しかったし、暗いと思われていたらしいことも悲しかった。
だが指定を入れなかった私が悪いのだ。
勝手な夢を見て、敗北しただけだ。
己の過ちに気づいてから、いろんなことを考えた。
なぜ私の本の表紙に背景を描き入れてくれる絵師さんがいないのか、とか。
これまで頼んだ絵師さんは、他の文字書きさんの表紙では背景を緻密に描いていたりする。小物を大事に表現したりしている。
ほとんどの絵師さんにとっては、私の本の表紙は頼まれたから描いているだけで、積極的に描きたい物ではなかったのだろう。
他の文字書きさんの表紙を見て、「こんなふうに作品を大事にして描いてもらえたら幸せだろうな」と思った。
でも、私にはそれはないのだ。
私の作品からひろいあげたい背景も、小物も、動物もないのだろう。
「やっつけちゃいたい」と言い放った彼女など、本当に描くのがめんどくさかったのかもしれない。
いろいろ考えていて、これはキツいなと思った。
気づかなきゃよかった。
好意的な感想を送ってくれる絵師さんでも、別に私の話の全てが好きなわけではないし、それは理解している。
けれど、こんなにも他の文字書きさんと比べて違うことをされるのかとショックも受けた。
しかもそれが、一人や二人ではないのだ。
例外もあるが、これまで頼んだ絵師さんのほとんどがそうしている。
依頼されて描いているだけでも、私のために時間を使ってくれていることには感謝もしている。
皆さん、忙しい合間を縫って描いてくれているのだ。
文句を言えるはずもない。
ただ悲しいだけだ。
単純に、私の書くものにそこまでの魅力がないということなのだろう。
悲しいけれど、それだけのことなのだ。
それなりに面白くはあるから好意的な感想をもらいはするけれど、でも、その絵師さんの「描きたい気持ち」を引き起こせないでいるのだ。
ほんっと、気づかなけりゃよかったな~~~~!!!!
これが何年前のことなのか、はっきりとは記せない。
特定とかはせずにそっとしておいていただけるとありがたい。
だけど、そのときには私はうるさく指定を入れるめんどくさいやつになっているだろう。
キャラは笑顔で、背景も小物もしっかり描いてほしいと伝えなくてはならない。
これまでの失敗を全て取り返すくらいの気持ちでやるだろう。
リテイクを出す勇気も持ちたいと思う。
悲しい思いはしたが、学びはあった。
傷ついたことは否めず、今も癒えずにいるが、書くことだけはやめなかったし、やめるつもりも現在のところ、ない。
冒頭に注意喚起はないと記したが、とりあえず、すべての文字書きさんは絵師さんとのイメージの擦り合わせはしたほうがいいとだけ伝えておく。
ここまでつきあってくれてありがとう。
今後おなじ被害の遭われた方の為の
参考としてあくまで
◎私はSNSをしていません。
なので文章の上手な方、
漫画の描ける方等、
とにかく今も停電の続いてる方や
今後同じく被災された方向けに、
【被災時の状況】
私は県外出身で旦那の出身の千葉県で24歳・妊娠8ヶ月の状態で里帰り出産の為単身滞在。
この時の家族構成は義父義母(60代半ば以降)と認知症の義祖母(91歳、この方は義父母の避難や生活において1つの課題になるので後述)と
【9月9日の午前4:00から停電被災〜11日午前8:30頃まで停電】。
●全て30~35度気温の日。晴れ、晴れ、雨(復旧日)のち晴れ。
●一軒家、停電開始が午前4:00からだった為エアコンが切れている事に違和感はあるがカーテンを開けていつも通り動いた為、最初停電に気がつかず。
→判明後は
少し今後の為の避難準備を開始する。
→水が出たので明るい内に洗浄する事でそれ以降は使用)
●信号がついていないのに外を車が走っている
●トイレは2つで1階が自動水洗な為機能しない。使用禁止の紙を貼る。
テレビ、冷蔵庫、携帯電話の充電、風呂が全滅で、最初はスマホで情報を得た。
→【①カーテンや窓が手で開けられる
※開けた所で蒸し風呂です。
【②コンロがガスで火がつく】
という条件だけで
精神面がきっとかなり違う。
加熱した物を後3日間
家では食べていない。
(ガスや食べ物を車移動をして
外に求める事にした為)
●家電関連で助かった事、
1500Wの日中のみ使用出来るソーラー発電パネルが家に乗っていた。初日は実働した事がない為不使用で、2日目の日中から義母の提案により使用。
→スマホの充電と冷蔵庫と扇風機が日中だけでも生き返る事により「電気のなくなる夜」への精神的な備えと安定をかなり得る。
★11:00頃
近所のセブンイレブンにておにぎりとパンのラックのみが全て空、食べられそうなサンドイッチや卵等を見つけたと思ったら
「3時間無冷蔵な商品は売れない」との規約の為売ってもらえず、
まず直面したのは食料確保。
「営業している同系列店の立地とエリア(例:千葉駅付近は営業している)」の情報を得る
●精神的にはまだ余裕がある。
★私自身の祖母がたまたま安否確認の為に家の固定電話に電話かけてきた為、固定電話が繋がる事が確認。
→スマホの連絡よりまずは被災地の固定電話が通じるか否かをまず身内は確認してください!
→「お見舞い申し上げます!」等のLINEは不要、淡々と終日空いている公民館や電力会社のサイト情報や「今電気が通っている県内地域」の情報を送ってください。
物凄く助かった。
「15秒で見られる被災者に関わる情報(通電地域の進捗や避難場所等)」しか不要です)
→★ただし被災地の方が弱音を吐いたりしたLINEがきた時等には、当事者としてはものすごく心の支えになるのでぜひ返信してください。
(①スマホの充電が刻々となくなっていく絶望感は凄いので、ニュースだけを得る機械として使用した方がいい。
③復旧地域の人の「千葉県●●町復旧しました」Twitterのつぶやきだけでかなり救われた。
→停電3日目には台風が過去の話となりニュースが入れ替わりホテルで見たテレビでバラエティーばかりがやっていてそれらの情報がかなり減ってしまう)
④夜は初日から蘇我地域が復旧していたので、車を出してみて、ショッピングモールで外食。
この時点では「翌日10日復旧予定」と出ていたので朝ごはんの時をしのいで昼以降はまた考えればいいと思っていた。
→帰路にて左右の町内は見事復旧していた為希望を持ったが、
最寄り駅を超えた瞬間、
徒歩数百メートル区間違うだけで「自分達の家が恐らく確実に復旧していない現実」に段々直面していく道中となり
さすがに常にプラス思考の姿勢を見せる義父母達も心にダメージを負っていた。
→★本格的な精神と身体的苦痛を感じたのは帰宅した18:00以降の真っ暗になった家に帰った夜から。
→真っ暗な風呂に懐中電灯をドア外に吊るす、最低限のシャワーとシャンプー等だけ入浴。
→認知症の義祖母は、風呂ではなく濡れタオルで拭いて着替える事になったが目を離すと浴槽の蓋をあけて浴室に入ったりし「いつも通り」の動きをするので静止する。
→実はこの日の正午に「辛うじて手に入ったセブンイレブンの片手分しかない人数分はないパンを、お腹がすいたのか正午になると時間通り触り出す」等
★認知症の方のこういう「1日の本来ならするはずの生活のいつも通り」の行動に、要介護者と初共存生活をする事になった妊婦の私は少し精神を削られる感覚がした。
→恐らく慣れている介護している方にも同じ様に心労が積もる。
→トイレはLEDのスタンドライトを常時設置した状態で、事前に案内したので認知症の義祖母も夜間きちんとそこで用足しをするが流せはしない。他の人が入った際気づいたら流す。
(せめての義父母の負担減になるよう寝られない私がメインでしていた)
→固定電話で旦那に連絡、非被災時の旦那には正確状況わからず、非被災地の友人達や親類のふとした一言や数秒で電話を切られる対応に傷つく。
泣きつつ現状の本音を1時間程話す。「頑張れ」と言われ精神的に持ち直す。
【2日目】
→前日夜間は自室にうちわと懐中電灯持ち込みはしたが到底寝られず、
肌に触れるベッドや布のシーツが全て気持ち悪く感じ、眠いのに横になっていられない。
基本的にうちわで仰ぎ、窓の外の景色を見て1:00~3:00位の時間位に気絶したのか寝られた。
→旦那が置いていった自家用車に充電ソケットを忘れたとLINEが来た。少し救われる。
→
暑さに耐えきれず、思いつき
4:45~5:00まで、
夫の置いていった自家用車の
充電もしてみる。
低速充電モードだったが、
最悪少しは出来るのかと確認。
→スマホのバッテリーは40%台になっている。今日で電池切れになる事を覚悟をする。
→朝5:00頃諦めて起床(ほぼ完徹)、
私は軽度の熱中症により
フローリングの上で辛うじてまだ冷えていた保冷剤をタオルで巻き、2時間ほど寝ていた。
「日中の晴れた時にしか使えないが、リアルタイムで発電する為ものすごく便利」なシステムだった。
※Twitterにて、
→
1500W以内の家電の組み合わせ
冷蔵庫は40W、
使わない、
使わない)で
【スマホ、冷蔵庫、扇風機】の組み合わせで朝10:00程まで過ごす。
→★特に扇風機を出してきて使える点とスマホの充電が満了できる点。
→旦那の車が
テレビ・ラジオ・クーラーの役割を果たす事をこの日の朝確認した為、ガソリンを満タンに入れに行く事は早朝に決めて義父母に伝達。義父にも全ての車の操作を教え、この車をメインで使う事を共有。
★ついでに市街を周回、
★そこの町内のコメダでは待合時に備考欄に「電源」という文字が客側の欄に書かれていて、
→被害を免れた各店が
「我が家は水の汲み上げが電気システムなので、水も止まっている」との事。同じ境遇の人たちと話す事で気は紛れた。
店内は皆その住宅の住人らしい。
(近くの公的施設が9:00-21:00までは解放されていると町内会長が自転車で連絡周りをしていたが、
義祖母の環境が違うことによるストレスになるとの事でそこには行かず行けず、
飲ませないといけない為、
この時点で4人中2人が2泊エアコン無し家での2夜目確定で危険)
→
★ホテルの空室確認をタウン誌で1番最初から義父母がしらみつぶしに電話をかけて行くが見事に全て埋まっている。
全て埋まり、
空いてない状況。
→部屋の価格
¥20,000(空室紹介時)
→¥17,000(停電避難をしたい旨を伝え可能ならもっと安価はないかと問い合せて結局この部屋)
お世話になりました。
→夜にホテル室内で
12万戸まで減らす」と
電話あり、
どうかその12万戸には入りたくないと
ただその件は義父には伝える。
■この時、53万戸停電
【3日目】
「昨夜言っていた
悪天雷雨のため立たず」の
まあ、だよね.......」と
義母が言っていたが、
この朝65歳の女性が同じく亡くなるニュースをみて「同い年だよ!」と戦慄する。
→
★徐々に刻一刻と
「自分の身近に自分達と似た状況の死亡者が増え出す」環境になる事を自覚する恐怖が増える。
どこがどれだけ復旧したのかを教えてくれ!」と私と義母。
①9日初日は
「翌日の10日には復旧予定、
入っていなかった為
明日には復旧すると思っていた)」、
②終日復旧せず、
2日目の10日夜には
「翌日の11日には
減らす事を目指す
「目指す」なので
期待は当然してない半々の気持ち
③11日の3日目朝は
「本日中の復旧の見通しは
立たない(断言)」と.......
→
★延期発表が「明日中(以降)復旧」を
繰り返しすぎて少し振り回される。
初日から2日目ですでに復旧予定が覆っている為、非情な内容でも
正確な情報が欲しい。
→
が重なると
はなから今どこをやっていて、
どこが復旧したのかだけ情報が欲しい。
→チェックアウト後の、
過ごし方までも当然覚悟した。
→8:30頃
「もう一泊部屋を確保出来るならするか(テレビがある、電源がある状況を確保する事はとても心強く感じたが、
義父が3日連続して義祖母と家滞在になる為、義母は帰って公民館とかを
利用しないといけないか)」と
義父より「電気復旧きました」と
電話連絡があった為。
少なくとも我が家の
停電状況はここで終わる。
【今回の教訓〜停電編〜】
●認知症の方や妊婦や幼児等がいたり、高齢者のみだったりすると途端に避難場所の選択肢や「我慢できる事」の範囲が狭くなる。
でも例えば20代妊婦の私だけだった場合はネカフェやカラオケ等やラブホまで視野に入れて宿泊可能施設として使えるが、
今回は私以外が全て
65歳以上の高齢者だった。
そうすると本当にそこらへんの
電話をかけ続ける事になり厳しい、等。
少なくとも水ガスが普段通りの
停電になった際においては、
不足していない】。
→長期に渡ると必要かもしれない。
→ただただ充電が出来ない事と
明かりがつかない事と
暑さ寒さがしんどいので、
ただひたすら
日中は車のある人は
とにかく店が空いている時間は
【外に出た】方がいい。
→★家の中にあった方がいいものや
防災グッズを揃えるというよりか、
「もはや蒸し風呂に
なっている家が不愉快と
夜だけはどうにもならないので
だが本当に体感が厳しいのは
店が空いていない夜21:00以降
どこから誰から情報が入ってくるかはわからない為本当に情報と人の伝達頼り。
かなり精神的な安定を得られた。
早く見つかり、
また楽だったと思う。
多少のお金を出してでも、
空調設備の下に
逃げ込んで欲しい。
ガス火はガスにするか
卓上ガスコンロ常備。
(追記)
反応ありがとうございました。
もう被害の日数とレベルが私が経験した物をはるかに超え援軍物資が必要な被害レベルになっている為停電対策にはならないあくまで実録として残し、復旧進捗をTwitterにてRT協力していきます。
どの道具を備えるか、どういう行動を取るかは個々人のその時の判断で正解はないと思います。
今後参考になる箇所のみ使用して頂ければ幸いです。
そもそも子供を持とうとする人を蔑んだくせに自分を蔑まれるのは我慢ならないんですね
ただ、社会的貧困である事は蔑まれるべきではありませんよ。書いた時点では憐れみはあれど蔑みはしていません。
だが「フルタイムで働く女が育児によって失う自由(金銭的なものと時間的なもの)を償って欲しい。」
別の増田も書いてくれているが、社会からの投資は貴方に成されていることが、今この時点でも証明されている
貴方はなぜ読み書きができるのか?
貴方はなぜ、老後について金を積んだらヘルパーなる人が存在すると無邪気に信じていられるのか?
貴方はなぜ、将来金を積んだら老人ホームに入れると思っていられるのか?
貴方がいま行なっている行動が書き込んだ言動が全てが、貴方に対して社会がコストを支払ってきた事実を証明している
でも貴方は持続可能な社会に参加してする能力を育めなかった、他人を愛する力を育めなかった
身体的に参加する能力がなかったわけではない、金銭的に参加する能力がなかったわけではない
ただ心の貧しさ故に、社会に包摂されているという自覚をもてないが故に、参加する能力を有せなかった
自分しか愛する力がなかったゆえに、周囲を愛する力がなかった故に、幼児の有する自己愛を大切に大切にいままで抱きしめているがゆえに
自分を抱きしめる事に夢中になるあまり、参加する能力を有せなかった
貴方が何歳なのかは知らないが、貴方は未だ「社会人」ではない、もし貴方が学生という特権階級でないのであれば、貴方はルンペンプロレタリアだ
なぜ、日本という国も世界も「個人の尊重」を目指すようになったのか?考えたことはあるだろうか?
貴方は先人達が残した「個人の尊重」を重視した世界を一代限りで食い潰したいのだろうか?それが貴方の「自己実現」なのだろうか?
きっとそうなのだろう、それはそれでもう仕方がない。
世界大戦から学んだ教訓を生かし個人を尊重し「自己実現」することこそが、社会を発展させ、持続可能性を増やすという
先人の考えも思いも間違っていた、ということが証明されてしまうだけだ
私はそれが失敗だったと証明したくはないが、貴方は証明したいのだろう
信じてもらえないかもしれないが
貴方が立派なルンペンになろうと行う自己表現は極めて不快だが、許せないほどではない
「元増田のような苦労をしてまで子どもが欲しいという気持ちが理解不能。」
などという放言は許しがたい、もし私の書いてあることの一端でも理解することができるのであれば
貴方の矮小なプライドのために、貴方の瑣末な人生を肯定するためだけに、子供が欲しいと思う人を蔑む真似は慎んで残りの人生を生きて頂きたい
最後になりますが、社会的貧困であることを恥じることはありません
貧しいことは恥ではないし罪ではないからです
「われわれは、私的利益を尊重するが、それは公的利益への関心を高めるためでもある。なぜなら、私益追求を目的として培われた能力であっても、公的な活動に応用可能であるからだ。」
「貧しいことは恥ではない。だが、貧しさに安住することは恥である。」
グラブル、メギド72、アズールレーンの3つを今やってて月の課金額が1万円以下になった。
グラブル:昔は天井しまくっていたが、そういうプレイをやめて古戦場をあまり走らなくなり、イベントとメインストーリーするぐらいにした。なんかあるたびにする無料10連でそこそこキャラが揃う。武器は無課金編成って呼ばれる物で召喚石の高望みはしない。サプライズガチャチケットとスキン付きの10連ガチャ券だけ買う。
メギド72:ストーリーキャラとイベントキャラが強いので課金してまでほしいキャラが一部しかいない。それもある程度所持済みなので今はよっぽど壊れてるなと思うキャラが来ないかぎりお金を入れない。スキンは買う。
アズレン:ほしいスキンがある時に5000円ぐらい入れる。始めた当初は少しばかりガチャ用の資材(キューブと資金)を買ったが、ガチャキャラコンプしてから、キューブは溜まっていく一方なのでスキン以外課金する必要がなくなった。
で、結局ほとんど課金しなくなった。アズレンが毎月いいペースでスキン出すので全く0ではないけども。
グラブルはTwitterで知り合い以外の騎空士を全員ブロックして知り合い騎空団にいたら、俺が編成がんばってたりガチャ回してたのは結局Twitterにガチャ結果乗せて拡散されたいからなんだなとわかった。9万天井して出てなくてもTwitterにSSのせて「😩あ~」とかいう文のせて反応貰えたらなんか別にいいなっておもってたのが癌だったなと思った。
メギド72は書いてあるとおり。石配布は少ないけど配布キャラと数体のガチャキャラがいれば詰まる所もないので課金ガチャする旨味がスキンだけもっているキャラがきてくれるたら嬉しいぐらいになってる。早くウァサゴ来てくれないか?
アズレンは中華ゲーだなって感じ。金より時間をどんだけかけるか。中国や韓国のスマホゲーが日本語版になるにあたってバリバリ集金設定になる事が多いのにアズレンはそんな事なくてすごいなと思った。自分はスキン買ってるけど、スキンもいらないって人はマジで0円で出来るゲームなんじゃないか。
2年前に会社が倒産からの自己破産のコンボが決まり、不動産関係の仕事に就きたいからと無職のまま宅建の免許を去年の12月に取った。
しかし去年の12月から就職活動を行なっているのだが、全くと言っていいほど採用されない。
ほぼ書類選考で落とされてる。
自分でもこんなに採用されないのは予想外だったようで今になって焦っている様子
30代前半で外面だけは良いから別に偉そうではないし、日常会話程度の英語力、パソコンも簡単なホームページ作れるくらいはできる
知り合いの紹介は辞めにくいとか人脈は自分に使ったらなくなるとか
うだうだ言ってんじゃねーよ。こっちはバイト2つ掛け持ちしてんだよ。
話がそれました。
やっぱ元自営ってとこがネックなのかな
5/5追記
でも、どうしても不動産関係の仕事がいいみたいで大型の免許を使う職種には応募してない。なぜとった。
給料もそんなに高望みはしてないはず・・・できれば手取りで20前後はほしい・・・
何月から働くみたいなのを数ヶ月繰り返されて言われてると子どももいるから私もバイトがっつり入れないし
身内や親戚や友人も旦那が無職だって知ってる人はそれとなく伺ってくるし
旦那にはコミュニケーションが少ない、俺にはもう興味ないんでしょとか言われて平均一ヶ月に2、3回のペースで離婚を提案されてる
疲れてしまった
腐女子です。もうかれこれ三年ほど推しカプを拗らせていて本当にしんどい。
ここに書いて何か変わる訳じゃないだろうけど、いい加減一人でうだうだ考えることに気が狂いそうになったので吐き出す。
四年前、推し(以下Bと呼ぶ)のことが好きになった。今までのオタク人生の中で一二を争うぐらいのめり込んだ。ちょうど一人暮らしを初めて自由に使えるお金も増えた時期だったから、たまに出るグッズを買ったり、それまでずっとROM専だったのに専用のツイッターアカウントを作り、拙いながらも絵や文章を書いて楽しんでいた。
きっかけは神が描いためちゃくちゃ最高な推しカプ(A×Bとする)漫画に対し、B×Aだ!と逆カプだと勘違いして喜んでいるツイートを見たことだった。
私は左右固定厨だ。
正直、それまではたまにTLで見かける逆カプをなんとも思っていなかった。でも一切読みはしなかった。そもそも興味がなかった。
でも、そのB×Aだと喜んでいるツイートを見て、なんで?作者さんはA×Bだって書いてるのに。B×Aに見えるの?と疑問と怒りを覚えた。
その漫画がBがAのことが好きだという内容だったから、そう勘違いする人がいてもまぁおかしくはないのかもしれない。けれど、当時の私はわざわざA×Bを逆に変換して喜んでいる人を見て、もしかして世の中B×A推しの方が多いのではないかと絶望した。
それから私はピクシブやツイッターで逆カプを調べ上げ、推しカプと比較した。
推しカプはおそらくジャンルの中でマイナーと呼ばれる規模のカップリングなのだが、それでも逆カプより倍以上作品数があった。
それぞれのカプ名を検索して、ツイート数を一月単位で数えた。それも推しカプに関するツイートの方が多く、私は心の底から喜んだ。
私は逆カプが大っ嫌いになった。この世で一番尊いのは推しカプであるA×Bであって、逆カプなんて邪道だ、意味がわからないと思った。
数は推しカプの方が多い。それでも、逆カプを生産している人は0ではなかった。
逆カプ推しのアカウントはブロックし、極力目に入らないようにした。
本来ならそれで住み分け完了!あとは楽しくオタク生活を楽しんでね!となるはずだった。
それから私は異様に地雷である逆カプを気にする生活を送っている。もう自分でも頭おかしいんか?と思う。実際おかしい。
本当に逆カプが大嫌いなので、そのカプ名を字面でも見たくないし、逆カプの作品を見るなんてこの上なく嫌だ。
じゃあ見なきゃいいじゃんと思うだろう。私もそう思う。でも気になって仕方がなくて、わざわざ何もブロックしてないリア友用のアカウントから1日何回も逆カプを検索して、ツイートや作品が増えていないとこに安堵したり、増えていたら絶望したりしている。
逆カプの作品が存在することが嫌だ。書き手が存在することが嫌だ。
もちろん、そんなことを直接書き手に言いに行ったりなんかしない。そんなことをしたらそれこそ頭のおかしい奴だ。こんな自分勝手な感情誰にも言わない。
フォロワーの中に、同じくA×Bを推しているけどリバも大丈夫な人が何人かいる。
その方々の書く推しカプ作品は本当に最高で、いつもお世話になっているし大好きだ。だけど不意に逆カプをRTしたり呟いたりする。それがものすごく怖い。
もちろんミュートワードを設定しているので、漏れない限り私のTLに逆カプが現れることはない。だから私の目に入らないのでオッケー!と言えるのならばこんな風になってない。
私は同じBを推している人や、推しカプの攻めであるAを推している人をツイッターで見かけると、その人のユーザー名+推しカプ名、または逆カプ名で検索して、どちら派の人か調べる。
それで過去に推しカプのツイートをしていることがわかると大喜びし、逆カプツイートをしていることがわかると殺意の波動に呑まれる。
私と同じようなA×B固定厨で信頼のおけるフォロワーが過去B×Aもいけていたことを知った時はものすごく裏切られた気分になった。
正直、今は推しカプのことを考えるより逆カプのことを考えている時間の方が多い。むしろ仕事中なんか、ほとんど地雷のことについて考えている。
ちなみに地雷は逆カプだけではない。先にも述べた通り左右固定厨なので、誰が相手であろうとA受け、B攻めがゲロ吐くぐらい嫌いだ。実際嫌いすぎてゲロを吐いている。
地雷を検索した時に気になったものを不意に思い出して、それが何も手につかなくなるほど気になって、スッキリしたくてわざわざ見に行って、致命傷を負う。それをずっと繰り返している。
推しカプのことで気になって手につかなくなることなんてないのに、逆カプや他の地雷ではしょっちゅうある。気になって気になって、それが仕事中だったらもう仕事なんてしていられなくなる。そのことで頭がいっぱいになって、何もできなくなる。もう生活に支障をきたしている。
私は頭の中を整理するために壁や地面に指で文字を書く癖がある。それを所構わずしてしまうものだから(一応人に見られないように隠しているつもりだけど)、もしかして周りバレていて不審に思われているかもしれない。
ブツブツ小声で呟いて整理したりもするのでそれももしかしたらどこかで聞かれていたらどうしようとも思う。
私の頭の中はもう地雷で支配されている。そんな生活がかれこれ三年だ。
どうしたらいいのかわからない。考えたくない。でも考えてしまう。この生活が辛い。違うジャンルの漫画を読んでいたり、違うことをしていても、とあるワードが引っかかり連想ゲームみたいに地雷のこと思い出してしまうのなんて日常茶飯事だ。今日も地雷を検索して後悔した。毎日が全く楽しくない。
もう嫌になって、ツイッターをやめた。でもやっぱり地雷のことを考えてしまう。
いっそBのことを、A×Bを嫌いになってしまえたらと思うが、やっぱり好きだ。でもこれは好きというより執着なのかもしれない。
もはや病気なんじゃないかと思う。いっそ病名がついたら楽なのに。自分では強迫観念なのかもしれないとなんとなく思っている。
本当にこれが病気なら、治るんなら病院に行きたいと思った。実際メンタルがやられすぎて一度だけ行ったことがあるけど「私は腐女子で逆カプが〜」なんて説明できるわけなく言えなかった。
抱えていたことをやっと吐き出せた。
書きたいこと書いたので文章めちゃくちゃかもしれないけどもう知らん。
こんな悩み頭おかしいって分かってるから、誰にも言えなかった。そもそも周りに自分がオタクだとか腐女子だとか言ってないから、打ち明けたところで理解してくれるわけないんだけど。腐女子のリア友ほしい。
拗らせてるのは推しカプだけじゃなくて推しであるB単体に対してもなんだけど、ここからBのことを書き連ねるとなると文章量ハンパないことになるからやめておく。でもBのことも大概拗らせててしんどい。なんでこんな思いしてまで好きでいなきゃいけないんだろうね。でも好きなんだよ。つらい。
おひさしぶりです。
「非常に蓋然性の低い推定」って書いたのは、「この増田がマイノリティ男性を差別するだろうという質問の形をとった事実無根の悪質なデマであり中傷ですので、速やかに発言を取り消してください」と全否定で書こうとしたところを、ちょっとキツいかなと思って譲った表現をしていました。
せっかく話をしてくれる人だから、敬意を表して、全否定はやめようと思って。でも、隙を作っただけみたいだから、こういうのはもうやめようと思います。
のちに蓋然性の話をしてくれた別の方も、ごめんなさい。
それに、言葉尻を取って蓋然性の高さ低さというどうでもいい話に持って行くほど残念な相手だとも思っていませんでした。わかりやすい指標が入るとそちらに注視して他が読めなくなることについては気をつけてください。
そして、こともあろうに「啓発」とか。それこそ、場所もやり方も相手も違います。女性嫌悪から生じた予断を何も関係のない書き込みにぶつけて発散するのはやめましょう。何度も言いますがこの増田はマイノリティ男性差別を少なくともこの書き込みではやっていません。
もちろん、実際に自分が差別されたら、その差別的書き込みに対してはきっちりコメントしていってください。相手が男でも女でもです。流言を垂れ流すより、自分に正当性が認められることについて声を上げる方が精神にいいはずです。
理解してもらえないとは思うけど、もしあなたが生きづらさを抱えてるなら、たぶんあなたのせいじゃないし、女性のせいでもありません。
あとは、家父長制のことかな。まず家父長制の存在は認めてるんだなっていうのが意外でした。私の政治的立ち位置にどうのする義務はないとか言ってるから、別のことを言ってくるのかと思ってました。
存続に与する女性の存在を指摘していたので、家父長制が文化や制度として残存しているという前提は共有できているということですかね。(なお、あなたは女性の家父長制支持者の存在について、心理的要因があると言いましたが、そうした心理は大抵構造によって形づくられます。また、心理的要因をセックスによる生得的なものとするのは、今はやっぱりセクシズムです。あなたが今のところセクシストなのはご自分でもわかってると思うので、このあたりはあなたと私とは前提が共有できないんだなと思います。)
じゃああなた自身は家父長制の存続を望むのか、望まないのかが気になります。
質問じゃないので、答えなくていいです。
積極的な存続を望むか、どうでもいい(消極的に存続を認めている)あたりなら、マイノリティ男性への差別は維持され続けるわけで、それを望んでる、あるいは仕方ないと許容しているんだから「啓発」の書き込みはいらないということになります。
そもそもあなたは男性マイノリティへの差別を止めたいのか、止めたくないのかみたいな問題もあります。差別をやめようという人に、その人が抱えるであろう(これはあなたの予断でしかありませんが)差別の存在を「啓発」しようするってことは、差別を止めたいか、そこまでいかなくてもましにしたいんですかね?
なら、家父長制の存在を認めながら家父長制の維持を望みはしないということになりますよね。
であれば、書き込む対象はやっぱり女性じゃ、ましてや差別発言をしていない増田じゃありません。
家父長制の存続を消極的にでも望んだままあなたの言う「啓発」も行うための論理があるとしたら、「あなたも他者への差別心を自覚して、自分たちへの差別は我慢しろ」ということかと思います。
……が、これ、増田がマイノリティ男性への差別につながる発言をしてないのでまったく意味不明ですし、この論理が通るなら、あなたも我慢して黙ってなきゃいけません(マイノリティ男性当事者や支援者なら)。
さらに、当事者や支援者以外の立場でこれをやられると、それは権利獲得を目指して活動する当事者や支援者への迷惑行為です。
自分の立場すら筋の通った形で示せないまま、他人に難癖をつけるのはやめましょう。
反駁されたらその場しのぎの適当なことを言ってごまかすのもやめましょう。
では、さようなら。
増田にとって「信じる」というのが何を指すのか何を信じるのかわからんな
何を信じたいんだろ
「誠実」というのは何を指すのだろう
顔や彼女の流出については嘘でも本当でも「自分ではない」というしかないだろうと理解している
名前を変え職場を変えまでしているのに顔が確定として出回っては元の木阿弥だろう
また一部で言われている「グッズを個人的にあげていたらしい」などのことも
もともと無料配布しているものなのに加え住所不明のための返送も多いらしいし
制作時の余剰分も含めて手元在庫は相当だぶつくだろうなというのは容易に想像がつく
いままでのラジオのエピソードは嘘だったのか!というのもそりゃ多少は嘘もあるだろうし
どこまで嘘でどこまで本当と考えるかは聞き手の裁量の部分だろと思う
どうも「自分ががっかりしたこと」の代償を「坂本が悪いから」に転嫁しようとして
本来大したことではないことまでまるで大問題のように騒ぎ立てているような印象がある
坂本が希代の大悪人でなくては彼らの悲しみ苦しみには見合わないと思ってでもいそうだが
その悲しみ苦しみというのも掲示板に張り付いて同じような連中にまみれて無意味に増幅したものだろう
ただ、生放送のソロ化、動画の休止、企画の休止などのファンにとっての「実害」をもって
どうしても好感を持つことはできなかった
ただ好感を持てないというだけで
もともと坂本にはそういう風に他人の感情を操作しようという気質があることはなんとなく知れていたことだし
今回は追い詰められてその行動が出たのだと思う
けれどできればファンの感情を利用するような戦いかたはしてほしくなかったなと
これはただの私の感情
割と簡単に死にたくなる。
最初に死にたくなったのは親が死ぬのを想像したときで、その次が部活をやめたくなったとき。友達から仲間外れにされるようになったとき、受験が不安だったとき、両親が喧嘩してるのを見たとき、母が死んだとき、受験に失敗したとき、浪人してるとき、卒論が上手くいかないとき。死にたくなった。
みんなで遊んだ帰り道、すごく楽しかった日の夜布団に入ったとき、燃える夕焼けを見たとき、夜中一人でキッチンに立つとき、死にたいな、とふと思い出したように考える。
悲しいとき、死ぬなら劇的に死にたいな、と思う。たとえば交通事故に遭う、通り魔に刺される。小さい頃はよく、家出中にそのまま死んでしまって後から発見されるっていうのを想像していた。
そうでないときは、今この場で消えてしまいたいな、というくらいの気持ちで死にたい。もしくは、寝ている間に死んでしまって、いつまでも起きてこない私を心配した家族が私が死んでいるのを見つける。
私の死をみんなが悲しむ。私がいなくなって初めて、どんなに私が大切な存在だったか、どんなに良い子だったか、気がつく。死んだ私の前で私に生き返ってくれるように望む。目覚めない私を前に泣く。
「死にたい」とGoogleの検索窓に書いてみる。いのちの相談窓口を紹介される。それを無視してYahoo!知恵袋や教えて!gooの書き込みを見る。眺める。読みはしない。
うつ病診断や不安障害診断のチェックリストやテストを受けてみる。重度の結果が出る。病院への診断を勧められるけれど、病院へは行かない。
私はうつ病や不安障害なのかもしれないけれど、病院へ行けばそうではないと言われるかもしれないし、これはただの性格の問題や一時的な気持ちの落ち込みなのかもしれない。あなたは正常ですよと言われるのが怖い。うつ病や不安障害の人は自分を健康だと思っていて、うつ病や不安障害の診断が下されることが怖いらしい。だから私はきっと健康なんだろう。だから病院へは行かない。Googleでもう一度「死にたい」と検索する。
別に死んでしまいたいわけではないし、やりたいこともたくさんあるような気がするから長生きしたい。けれど先のことを考えると不安になってしまうし、失っていく若さのことを考えると未来が怖い。
楽しそうな友達が分からない。理解できない。なぜ彼らは不安なんて何もなさそうに毎日を過ごしていられるのだろう。でもきっと言わないだけで何か抱えているものは誰にでもあるんだろう。それでも私とは見えている世界が違うように感じる。他人のことが分からなくて怖い。
Twitterは見られない。
きっとただ考えることが面倒くさいだけで、ただ明日学校から帰ってきたら何をするかってことしか考えていない小学生時代に戻りたいと思っているだけなんだと思う。それが死にたい気持ちの正体なんだと思う。
本当は明日何がしたいかってことだけ考えていれば毎日は楽しくて十分なのに、考えることに慣れすぎてしまって、多くを望みすぎるようになってしまった。
職務遂行能力って何で構成されてるかって考えてみると、現状を把握するための情報処理能力とか、把握した問題を解決するための能力とか、その結果を上手く伝えられるコミュニケーション能力があるよね。
金っていうのは生み出した価値との交換で生まれるものだから、この歳で金がないってことはそもそも若年時にもそういう能力が無かったってことだよね?
自分は見た目が醜悪、いわゆるキモいおっさん(36)で、自分が就職活動の時は氷河期だったけど、容姿が悪かったことで差別されたと感じることは特になかったし(僻みはしたけど)、ちゃんと言語化して伝えた想いを真摯に受け止めてもらえてたよ。
キモくて金の無いおっさん問題で本当に問題なのは、自分の無能力さを年齢や容姿に責任転嫁してることだと思うんだよなぁ…
助けて欲しいならそれこそ現状を正しく把握する能力、その問題はどうやって解決できるか考える能力、それを伝えられるコミュニケーション能力が必要だし、結局その能力の無さが現状に繋がってるんだと思うんだけど…
私は今、専門家として行き詰っている。
それを改善する必要性を感じている。いくつかの試みはしたものの、大幅な改善がされているとは言いづらい。
私は課題に直面した際に、それを分析し、解決策を案出し、実行するというプロセスのなかで、アセスメントをする力に乏しい。
少し表現を変えるのであれば、私が課題のあり様を捉える時に私は「よくわからない」と感じるし、問題の機序を把握した上で解決策を案出している訳ではない。
これまでの経験で比較的上手くいった方法を、そのままくり返しているに過ぎない。
そして、自分の成果を公の場で発表していない。
それを改善しなければ、今の自分の状態をブレークスルーすることはできないだろう。
「アセスメントをする」ということを、より細かな行動に分けることが必要だ。
それを実行する頻度を高めることが必要だ。