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2023-01-28

anond:20230128205621

そーね。自分もそんな印象。

昔のオタクってある程度教養がある人が多かった印象。博識とコミュ障キャラクターを併せ持つ感じ。

嗜好に対して自覚的な人が多かったと思う。

世間的な認知度も高まったせいかオタクを「自認」する人も増えて、なーんかおかしくなったと思うよ。今でも大体の人は自覚的客観視できてると思うけど、たまにそうでもない人達が騒ぐ…それは母数が増えたら仕方ないことなんだろうけど…

まーそういうのを「オタク」とか括るのもどうかと思うけど。

2023-01-27

anond:20230123095841

なんかブコメ読み返してみたら

まり元増田さんとしてはぶっちゃけどっちでもよかった・そこまで重く考えてなかったのかもしれんが、話し合う時点で「場合によってはこっちの主張を飲め」ということになるでしょ。

について、そうはならないとか、そんなの話し合いじゃない的なことを言っている人がいたが、お前らには文脈という概念が無いのかよ。

元々は元増田さんのマーガリンの事例であって、ここでの話し合いとは

ちょっとした生活習慣が夫婦で違う場合に、どちらの生活習慣を採用するか(=どちらが完全妥協するか)、あるいは妥協し合って新たな習慣を作るか」

という趣旨のものに決まってるだろ。「場合によってはこっちの主張を飲め」という話し合いそのものじゃないかよ(元増田さんがどの程度それに自覚的だったかは知らんが)。

お互いに無の状態から意見出し合っていい案作っていきましょーみたいなブレインストーミング的な話し合いじゃねーんだぞ。

というか既婚ブクマカからは概ね賛同いただいていたように思うが、細かいことでそんな話し合いなんてマジでいちいちやってたらストレス死ぬぞ。

想像してみろよ。

例えば

「えっバターナイフ1回使ったら洗うの?」

「そうだけど、なんで?」

実家では1週間くらい使ってたから」

「そうなんだ。私の実家では毎回洗ってたよ」

ここまでは日常会話の範疇だ。

俺が言っていたのは、この時点で、相手に譲れるかどうかを内心で検討しろ問題なく譲れるまたはどっちでもいい程度なら相手に従えということだ。

譲れると判断した場合なら

「今まで気にしてなかったけど、毎回洗う方が清潔だよねー」

「そうでしょ」

的な会話になり、サラッと流れるであろう。

また、内心検討の結果、「絶対に譲れない」または「ここまでなら妥協できる」を自覚した奴も話は早い。

最悪なのは、実は譲ってもいい、どっちでもいい程度の思いのくせに一々「話し合い」をする奴だ。

「どっちでもいいけど、ウチの実家のやり方じゃダメなの?」

「いや……だって毎回洗う方がよくない?」

「めんどくさいじゃん毎回洗うのとか」

「でも洗うの私だしいいじゃん」

「そうだけどさ……じゃあそっちのやり方でいいよ」

この時点でストレス抱えてイラっとしてない嫁がいるとしたら聖人の域だぞ。

2023-01-24

司法はパパじゃない

立法するのは立法機関だし、そこにもたくさん女性議員がいて、日々様々な社会問題に取り組みながら必要法整備のため活動しています風俗営業には多様なものがあり、少女対象とするものもあれば少年対象とするものもあります。その全てを不正業務断じて取り締まれ社会はよくなるのか? もしそれらを一斉に網羅的に取り締まる法律を作ったとすれば、その影響は不正とまでは言えない多様な業務にまで及びかねません。また、ひとつ穴を塞いでも、悪質な人は次なる法律の隙間を探して移動し、不正とまでは言えない業務に関わっていた人は塞がれた穴のせいで面倒になった業務に、社会不公平を嘆くことになる、というのも容易に想像できる状況です。決して「明らかに不正」であり「さっさと立法すればいい」で片付くような簡単問題ではありません。ましてや、そこから「さっさと立法すればいいのに立法しないのはなぜか? →女性への蔑視があるからだ」というのは、ほとんど陰謀論者(「俺たち社会弱者を救うのは簡単だ、金を配ればよい。なのにそれをしないのは社会が俺たち弱者搾取差別しているからだ!」「日本を脅かす連中を片付けるのは簡単だ、さっさと○●すればよい。なのにそれをしないのは、支配層が実は敵と結託しているからだ!」みたいな。)の理路で、ずいぶん危うい理屈です。イジメ問題にしてもね。誰かが怠慢だとか何もしてないだとか、外から気楽に批判して分かった気になるのは簡単ですが、それらの解決は決して「簡単じゃないから、なかなか解決しないのです。

社会も、そして司法立法学校も、望めばなんでも「簡単」に解決してくれる魔法守護者ではありません。平たく言えば「司法は『パパ』じゃない」のです。あなたに、おそらく伝わるような言い方を選んで言うならば、そういうことを無意識に望んでしま自分の中の隠れたパターナリズムに、あなた自身自覚的であるべきではないでしょうか。人と人がもっと連帯するためには、仲間内だけで通じる言葉ではなく、対立する相手にも届くような理路に基づき、議論することが必要だと思います

anond:20230124081036

2023-01-22

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-64357046

かにJ-Popはひどいが、それでも日本はまぎれもなく、ソフトパワー超大国だ。

でも、実際どうなんだろうな?

J-Popはひどいのかもしれないけれど、それってもはや自覚的行為としてJ-Popをやっている人たちも多いと思うんだよな。

なんというか、ちょっと音楽業界の中でも頭がいい人系のひとが米国で売れる曲をつくれ、という課題を与えられたらやり遂げてしまうんじゃないかな?って思うところはある。

[] 細田守 バケモノの子 感想

公開当初、劇場で見て細田守を見限った作品(大好きな監督からサマウォ以前が好きな監督へ)。でもおかげで未来のミライフラットに受け流すことができた恩人(恩作?)でもある。そのバケモノの子を7年ぶりぐらいに見ることにした。もちろん酷評となるが、さんざ言われている人間界不要監督家族観とかとは違う部分を書こうかと思う。

アクションが退屈

改めて見た率直な感想がこれだった。

OPCG、でいいのかな。炎のシルエットで描かれる演舞はとても素晴らしくて、後を知ってる2回目視聴ですら否が応でも期待が高まるカンフー映画のようなケレン味のあるアクションが味わえるのでは、と。

しかし今作の大きな格闘と言えば鍛錬を除けば序盤と終盤の熊(熊徹)と猪(猪王山)(面倒なので略す)の2回のケンカぐらいだ。そして悲しいかな、これが見ていてさほど面白くない。二人の戦いは剣術はもとより、相撲闘牛ボクシングといったようなものオマージュのような動きが散見される。これが良くなかった。自分としては当初これら齧ったようなエッセンスの動きは小手調べだと思っていたのだが、実はまっとうな戦いの組み立ての範疇だったように思える。それの何が悪いって、二人に軸がなくなってしまたことになる。

古典カンフー映画のようなアクションを期待していた身としては、やはり「流派」は大事だったと思う。違う流派あるいは同じ流派の者が対峙して技を競う。それぞれの特徴的な動きの差異が画面に映えるのだ。それこそスターウォーズだってやってる。バケモノの子だと(恐らく)正統派武術を扱う猪と、師匠も居ない独学の熊との対決で、実に映えやすい。ところがそういうのは確かに所作に現れているものの、お互いあちこちからちょいちょいとつまみ食いした動きにしてしまったためにもう、流派のぶつかりもなにもない「ただのケンカ」になってしまった。もっと言えば観客が居るせいで「興行スポーツ」。年末格闘技かのようなエンタメになってしまった。「バケモノ」の活かし方が体当たりなのもマイナスだ。

長年練り上げた鍛錬を披露する、思わず唸るような動きではないせいでもちろんナイスバトルも生まれない。

どちらが勝つかわからない。であるとか、敗者をも称える歓声が起きる決着。なんてものは生じるわけがなかった。次期宗師を決める神聖(かはわからないけど)な戦いがリスペクトも生まれない野次馬がたくさんいるケンカに堕ちていたのは残念でならない。

(負けた猪も勝者並に称えられていたら息子も闇落ちしなかったりそれでも闇に落ちる姿が強調できたりしたかもしれない)

九太の応援が余裕で10カウント超えている賛否多そうなシーンもルールが最重要興行ではなく宗師を決める心も重要な要素の杓子定規でない神事として見ていたので許せたが、その後顔アップで剣を振り回すとかガッカリ


その主人公の九太なんかも悲惨で、やはり修行以外ではまともに動かない。成長後図書館のシーンで不良相手に鮮やかに立ち回るかと思いきや、得意の横長のレイアウトパンを使いつつなんと画面外で音だけでボコるという手抜き。団子ラリーは好きだけどそれぐらいかバケモノ界は闘争世界ではないし、武術を習った主人公人間ボコるのもよくないのは分かる。ただ素直に成長後九太で気持ちよくなれるシーンが欲しかったな。


直近の過去2作だけみてもキングカズマのOZ内移動含めた格闘やおおかみこどもの躍動感ある動きとかセンスは落ちてないはずなんだけどどうしてこうなったのかなあと不思議に感じる。

(剣が震えるところとかは好き)

世界観が見えない

バケモノの子映画にしては場面が少なく感じた。

熊の家を斜め上から見た図と家までの階段坂道、あとは修行場の廃墟っぽいところ?バケモノの子はだいたいこのイメージ。あと市場か。

渋天街という異世界に居るのに街全体の引きの絵とかがほぼ無いからせまっ苦しい。ワクワクしない。主人公視聴者異邦人なんだから、街をそれとなく見せて欲しかった。たとえば熊とケンカして街中をバルクールじみて走り回る追走劇とかはどうだろうか。アラジンの冒頭みたいな感じで。坂の上下を生かすならコクリコ坂もよく時代雰囲気を醸すことができていたと思う。

バケモノの子はとにかく「今どこに居るのか」がわかりにくい。賢者歴訪のシーンは渋天街に必要だった賢者の住む街の全景が描かれるが、それぞれ1秒未満ぐらいの一瞬しか映らない。振り返ってどんな場所に行ったかと思い出そうとしても難しい。結局思い出としては賢者の対面シーンと道中が繰り返される狭い印象になる。

絵作りができていないわけではなくて引きの絵も多くて背景もモブも全員書き分けるなど緻密なのだが、画面ごとにどうにもキャラクター支配的で背景が薄味。乾燥地帯イメージな砂色なのがそう感じさせるのかもしれない。逆に夜や昼夜の境目などの暗さと光は非常に美しくて心に残る。

今作は「時空」の時間を重視しているのかと思う。九太の成長自体がそれでテーマだし、同じ場面で季節が流れるシーンや同じ場所が繰り返されるのも時間の流れが見て取れるので効果的だ。あるいはその犠牲空間が少々ワリを食った形になったのかもしれない。

(季節が流れるシーンやミライの家の書き方は好きなので時間密室劇的方面が悪いのではなくバランスかなぁと)

これ即ち強さな

バケモノ界はたぶん全体的に武芸を修めることに重きを置かれると思う。そして武芸の強さが絶対指標じゃなくて弟子を取るとかも重視されてる。熊ですら過去弟子を取ろうとしたことがある。つまり剣術人口が多そうだけど学ぶのは剣術の裏にある精神性とかかと。それで九太は賢者の話を聞いて強いっていろんな意味があるんだなと理解したわけ。じゃあ数ある強さの中で熊と同じ道で強さを歩むことを自覚的選択しなくちゃならん。

当初の九太は選択余地がなかった。家族を失って一人で逃げ出して置いておいてもらえそうなのが剣術家の熊んところだったわけだ。そこから8年過ごすわけだけど8年後の九太は人間界に重点されてバケモノ界のシーンがすくなるなる。だから8年間かけて(腕っ節以外に)身につけたものがあまり描写されず、思春期父親周りの不安定さがフォーカスされていってしまう。九太の成長は物語最後最後に持ってくる必要があるのはわかっている。でも8年も経ったんだから自主的な強さの理解をお出ししないと漫然と表面だけ模倣していたことになってしまう。それも家庭内で父の真似をする子が似てきたっていうつっまんない閉じた話になっちゃう。

同じく家族を失って別の家庭に入り込む「三月ライオン」では主人公は明確に「将棋が好き」と嘘をつき、契約をして将棋で強くなり続ける代償を払ってきた。そんな主人公将棋と向き合い続けてやっぱり将棋が好きで自分意思将棋世界に居ることを選択する。成長には同じことをするでも「そうせざるを得なかった」という消極的選択から「それでもしたい」と一歩進む必要がある。

九太にそういった前進要素がないのは必然だ。だって最後は熊を「胸の中の剣」にする必要があるから。上手な二人の父子なら8年の中で教えることができただろうけどお互い不器用な二人ではそれができなかったんだろう。感動のラストのために。九太は親近感がわく普通青年に成長した。心は普通程度にしかならなかった。武芸を通して技と体は鍛えられたが心の強さは(幼少期の気の強さの引きつぎはあるが)あまり感じなかった。物語最後には九太は剣を置くことが語られている。胸の中の剣を手に入れて現実の剣を置くのは修めた感がある。最強の剣士が無手となりにゃむにゃむするかのように剣を置くなら悟り理解を経てするが映えるというもの。でも九太はそんなに到達点に達してないし人間的にも彼女や熊の支えがあってようやくここからって印象の方が強い。そんな彼が剣を置いたってただバケモノから人間界に戻ったって記号しかなかった。

センスが良くていい旅もさせてもらっていい教師反面教師も居るなかで8年過ごして出来上がったのがただの思春期不安定青年って…。すこしも「強さとは」が染み入ってないのが残念なキャラだった。

なんなら熊とそれを見つける物語でもよかったけれど、最後は信頼・絆一辺倒で「父と子」をやっちゃったね。

からやっぱり

尺不足…かなあと。もっとバケモノ界やアクションや九太の成長を描いて欲しかった気持ちがとても強い。そして何のせいで尺不足だというと人間界パートなっちゃう。結局、不人気の人間界パート不要論に収束する。ヒロインの楓は細田ヒロインの中でもとても好きなキャラなのだが…。



そんな感じで当時細田にはガッカリしたわけだけど宣伝だけみるとそばかす姫はそこそこドハデで楽しめそうな映画ぽいんだよね。受け流したとは言ってもミライダメージもそこそこあってまだ見る気が起きないんだけど、評判はいいみたいだし。(変わらない悪い点もあるみたいだけど)

脚本雇えと一言で談じると楽だけどこうやって書いてみて自分オタクすぎる気もする。ポストジブリファミリー向けならちょっとクセがあるけどこんなもんなのかな。これが細田監督の味だとも思うから今後の作品賛否が大量に出つつも売れて行くんだろうね。

2023-01-12

anond:20230112141531

↓こんな風に厳密には流派があるんで「女性のためを思うなら誰もがフェミニスト☆」みたいなふわふわした事言わずポジション自覚的であって欲しいとは思う

https://anond.hatelabo.jp/20160307231710

2023-01-11

anond:20230111123544

だいたいにおいて、寄付を要するようなところというのは資本主義だと採算取れないか寄付募集してるわけでしょ。

平等市場原理では淘汰される存在を何らかの基準で選別してお金を流すということ自体絶対なんらかの党派性が生じてくるし平等とはいえないんだよ。

弱者全部を助けるのなんて不可能だし、何かのプロジェクト有益無益かなんてのも人によって考え方は全然違うはず。

赤い羽根とかある程度公共性が期待されるようなメジャー団体場合、多数の団体支援することで平等性を維持しようとするけど、そうなると人によっては賛同できないような支援先も出てきちゃう

メジャーでかつ増田が気に入るような支援先だけを都合良く支援してる団体なんて他人に聞いてわかるもんではない。

から、そういうのを気にするならば、寄付する側も適当じゃなくて、自分がどういう基準でどこにお金を渡したいかってことに自覚的になるべきだと思う。

どっかのNPOにきっちりコミットするとかして、信用に足るところを見つけて寄付するとかね。

それが難しかったら自分の好きな製品サービス作ってる企業の株を株価の動き度外視で買うほうがむしろ寄付に近いと思う。

2023-01-10

[]1月9日

ご飯

朝:なし。昼:カレーサラダ。夜:寿司

調子

むきゅーはややー。お仕事おやすみー。

ゴシックマーダー-運命を変えるアドベンチャー-

・はじめに

1920年イギリス舞台に、新人メイド女の子エリーが主人のアーヴィンが亡くなる夢を見る、彼女は両親が亡くなったときも同じように夢を見たことを思い出し主人の運命を変えるため奮闘するアドベンチャーゲーム

株式会社オレンジロマンティックミステリーシリーズ第一弾で、シリーズ間の繋がりとかはないのだけど、せっかくなので一作目から遊んだ

主人公女の子で、イケメンに囲まれて、意地悪な令嬢や同僚のメイドもいたりと、割と乙女ゲーム雰囲気もあるものの、大筋としては主人であるアーヴィンの身に巻き起こる様々な苦難を回避しつつ、その犯人を見つけるミステリお話主題

とはいえ最後の方には恋愛の要素も絡んでおり、オマケ程度かもしれないがキュンとくるやりとりもあった。

主人公エリーが図太い良い子だし頭が良い

両親を亡くし幼いながらもメイドとして働いている主人公エリー

そんな生い立ちながら、かなりグイグイ事件に口を出す。

そこはもう少しおとなしくしておいたほうが…… と思わず心配になってしまう程度には事件屋敷の噂話に興味津々に質問や立ち聞きを繰り返すにが図太い。

性格的にというよりは、ゲームの尺の都合でそうしているようで、本人的には度々反省のシーンが入るのも図太い良い子。

とは言っても、10クリックほど文章を読み進みるとまたシレッと立ち聞き、盗み聞き、遠慮のない質問を繰り返すのが面白かった。

そしてミステリゲーム主人公だけあって頭の回転が早い。

これもゲームの尺の都合もあるのかもしれないが、犯人自白シーンをスラスラと先回りして要約していく頭の良さが素晴らしい。

特に1920年代の倫理観というか、価値観を踏まえた仕掛けなんかは遊んでいる僕の推測を大きく先回りしていくところは、作者さんの中でエリーが生き生きと動いている証拠のように思えて楽しかった。

また、朝寝坊のシーンが多く、身支度が苦手な描写が多い女性キャラのことをパトレイバーの泉野明以来僕が好きなのも大きいかもしれない。

・アーヴィン様のノブレスブリージュを掲げる姿が勇ましい

屋敷の主人であり、所謂攻略対象」のアーヴィン様。

貴族としての英才教育と、ロンドン学校での教育を受けていることで、貴族の中でも先進的なものの考え方をしている。

自身当主としての責任をとても重く捉えており、領民領地のことを常に考えノブレスブリージュを掲げる良い貴族としての振る舞いが格好いい。

それでいてまだ学校卒業したばかりなこともあり、主人公エリーの図太い捜査質問にはフランクに答えてくれるところが乙女ゲーしてる感があって良い。

しかし、彼の魅力はなんといっても、周りからすぐ殺されてしまう儚さだろう。

そういうゲームからと言ってしまえばそれまでだけど、何をするにしても選択肢を間違うと彼が殺されてしまう。

間接的なソレも含めれば主人公以外のほぼ全員に殺される可能性があるとても可哀想な人だ。

別に彼が悪いことをしたわけでは一才なく、貴族としても人間としてもすばらいしい立ち居振る舞いをしているからこそ、

主人公エリーがアーヴィン様を守るために奮闘する姿に感情移入でき、彼を救うためにゲームプレイするのが楽しかった。

・ユーインはちょっと苦手だった

そんな冷静なアーヴィン様に対してもう一人の攻略キャラであるユーインは、ちょっと取ってつけた感があったかな。

遺産相続の場に何故か呼ばれた平民で、あまり良い暮らしをしてこず、マナー知識もなく言動乱暴キャラ

捜査過程で仲良くなり最終的には結ばれることも出来るものの、3時間ほどのプレイ時間の中に二人の攻略キャラを詰め込むのは無理があった。

アーヴィン様と比べると単純に文量が少ない上に、エリーが何故彼に惹かれたのかがわかるシーンも少なく、ここはゲームの都合を都合として飲み込めずしっくりこなかった。

ミステリ部分は予知による死の回避が優しい

アーヴィン様の死を夢で知ることからまり、それを先回りする展開が面白い。

予知という武器があるものの、一足飛びにソレを言っても信用してもらえないので捜査や聞き込みが必要なので、ゲームプレイ感覚としては割と普通

しか予知による先回りが成功することで殺人事件を扱いながら人が死なないことで、加害者の罪が軽く再起の道も示されていて、優しい世界観になっているのが良き。

トリックらしいトリック、謎らしい謎の印象は薄かったものの、証拠品を集めて犯人対峙するオーソドックスADVとしての勘所である「指摘する快感」を抑えていて、こういうのでいいんだよこういうので、と納得できた。

・同僚のルイザがウザ可愛い

全体のボリュームとしてはとても少ないものの、同僚の女の子であるルイザは嫌味ったらしいし、かなり酷いことをしてくるんだけど、最終的には憎めないウザ可愛いキャラに感じられた。

ユーインのルートがしっくりこなかったのもあって、ルイザとの百合ルートがあればよかったのになあ、と妄想が羽ばたく。

同じ部屋で毎日寝起きしてるわりに交流が序盤しかないの勿体無いと思うんだよね。

・さいごに

ミステリの部分に関しては無理に気を衒った展開をせずに、物語の彩りとしてそっとやれるだけのことをやっていて、かつ丁寧でそれに自覚的なこういう作風が好きだな。

良い意味で小さくまとまっていて、余白を楽しめるのも好き。

シリーズの他の作品や、同じライターさんが書かれてるイヌワシ神宮寺三郎なんかもプレイしてみようと思う。

2023-01-01

anond:20230101221734

精神障害者「逆に何で発達障害でも知能障害でも無いのにググれば秒で拾える情報が拾えないの?

努力不足で怠惰なのか?おそらく違うだろ

自分特性には自覚的になった方が生きやすいぞ

足が速い遅いと同じレベルの話だから別に意不得意はあっていいんだぞ

そんで手帳取ると税金安くなるし、ジムプール美術館博物館無料になるし、

電話代も大手キャリアなら半額になるし、交通費無料または半額になるし、

首都圏なら障害者枠で名だたる大企業ポジションによっては無試験で入れるぞ」

anond:20230101221404

逆に何で発達障害でも知能障害でも無いのにググれば秒で拾える情報が拾えないの?

努力不足で怠惰なのか?おそらく違うだろ

自分特性には自覚的になった方が生きやすいぞ

足が速い遅いと同じレベルの話だから別に意不得意はあっていいんだぞ

そんで手帳取ると税金安くなるし、ジムプール美術館博物館無料になるし、

電話代も大手キャリアなら半額になるし、交通費無料または半額になるし、

首都圏なら障害者枠で名だたる大企業ポジションによっては無試験で入れるぞ

2022-12-25

anond:20221225191233

日本神話って天津神大陸から侵略しにきた渡来人勢力のことで国津神原住民のことって言われてるじゃん?

からけっこう自覚的に作ってたと思うよ

2022-12-20

anond:20221220114243

それ系もそうだな。

かつては詐欺広告とかで使われてた方法で、やってる方も下品詐欺だって自覚的だったのに

今は人を欺くことに自覚がない感じがする。

2022-12-19

ウエストランド河本に対する井口の態度

M-1における井口河本に対する態度を見て「相方を見下している」だとか「当たりがきつい」だとか「パートナーへのリスペクトがない」だとか、色々言われておりますな。

初めてあれを見る人はみんなそう思うと思います。その感想は正しい。

でもね、井口の態度はあれで正解なんです。

YouTubeの「ぶちラジ」やSpotifyの「週刊少年ツヤマ」やらをともかく20本くらいずつ聴いてからもう一度振り返ってみてほしい。

https://www.youtube.com/@buchiraji

https://open.spotify.com/show/5KW9o9GXeZZnq0KbUSMOf4

これらを聴けば、いか河本お笑い芸人としてポンコツで、自覚的井口人生ぶら下がって生きているかがよくわかります

このコンビを男女関係としたら、ヒモです。河本は、井口ヒモ

 

井口にはピンの仕事が多くてコンビ仕事は少ないため、河本基本的にヒマで普段内装工事バイトをしています

たまに河本テレビ仕事があっても雛壇に座ったまま何一つ言葉を発することはできず、たまに何かを喋れば場を凍らせるような発言をして当然放送ではカットばかり。

なのにコンビ結成初期にふたりは「ギャラはコンビ折半」という取り決めを交わしており、そのため「休みなく働いている井口よりも、ネタも書かずお笑い仕事ほとんどない河本のほうがバイトの分だけ収入が多い」という逆転現象が起きています

独身非モテキャラとして文字通り身を削ってネタを作っている井口の稼いだお金で、河本は妻子を養い幸福な家庭を築いています

なので、ウエストランドファンの間では井口河本罵倒するのは当然、という共通認識があるのです。

知らない人がいきなりあれを聞いたらびっくりするのも当然なんですけどね。

井口はことあるごとに「私ひとりの力でM-1決勝に行きました」と言っています河本自身もそれは否定していません。悪びれもせず笑顔で「連れてってくれてありがとな!」と言っています井口は「頼むから邪魔だけはしないでくれ」「早く解散してえわー」と返します。

そういう関係性なのです。

 

ヒモではありますが、とにかく従順井口につき従う姿勢河本は貫いています

「ぶちラジ」を見ていると、ほんのたまにですが、井口河本に対してとても素敵な笑顔を見せる時があります。一瞬のことなのであやうく見逃してしまいそうになりますが、それは普段井口の心の闇から想像もつかないような、純粋で穏やかな、やさしい笑顔です。

この笑顔がすべてを物語っています

このふたりがお互いを心の底から信頼しあっていることは間違いありません。

 

別にフォローしているわけではありません。

おそらくインタビューでもこうした関係性は当人たちの口からは語られないことでしょう。

でも、上記ラジオ等で彼らのやり取りをとにかくたくさん聴けば、きっとわかると思います

ふたりを結びつけている絆は、ちょっとやそっとの、いや、見ている者が引くくらい辛辣罵倒であってもビクともしないくらい強いものだということが。

2022-12-18

人に好かれない・興味を持たれないことに、人生で何度となく傷ついてきた

同じ部活の友人から来た年賀状、書きっぷりが自分と仲の良い別の友人で違うらしいことを会話から読み取って少し落ち込んだ

卒業式に後輩が挨拶しにきていた同じ部活同級生嫉妬した

別れの場でもらう色紙には、通り一遍記述で何の感慨もない言葉が並んだ

はっきり嫌われた、ということがあったわけではない

けれどいつもどんな場でも自分はどうでもいい人間だった

じゃあ自分が人に注目され、慕われるほどの活動をしていたかというと、当然ながらそんなことは無かった

好意を持って積極的に接したり、ということも無かった

興味無かったのが半分、内向的で臆病つまりコミュ障チキンだったのが半分

自分人生目標とか憧れみたいなものがあるとして

それは人気者ってやつなのかもしれないとふと思った

そんなものに今更なれるとも思わない、なるための努力をしたいともできるとも思わない

が、しかし、長らくこのような痛みをこっそり抱えていたことには自覚的に生きていきたい

身の回りの、当たり前の人たちに感謝するとか、好意ちゃん言葉や形にするだとか

もう何十年も前の痛みをふと思い出したので書き捨てる

anond:20221217131116

https://togetter.com/li/2010063

パブリックエネミー」なんて犠牲者をわざわざつくりだしてボーイズトークしないと絆が保てない暴力性について自覚的であってほしい

anond:20221218002014

またそういうこと言い出した

キミは毎回ワンステップずつ区切っても理解出来んがな

でも別にそれで構わないんだ

好きなマンガゲームが楽しめたり、命や健康に関わる注意書き説明書文章理解できれば不都合はない

 

ただ、文字通りの意味で長文読めない・体調不良では無いのに集中力が持続出来ないっていう特性には自覚的な方が生き易いぞ

2022-12-15

ひきこもり」のファッション

ひきこもりという言葉ほどスティグマに満ちた言葉はない。ひきこもり話題になるときは決まって「親を○した」だの、「親の亡骸を放置した」だの、悲惨事件ばかりだ。

つい数日前にも、ひきこもりが起こした目を背けたくなるようなニュース世間を騒がせた。

ところが海外では、このネガティブに満ちたワードが一風変わった受容のされ方をしているようだ。

https://mobile.twitter.com/miladymaker/status/1596187054219694081

上のリンクを開くと表示されるポップなスタイル商品一覧には、「HIKKIKOMORI CONDITION」と大きく書かれた黒いパーカー確認できる。

ひきこもりコンディション、要するにひきこもり状態を指しているのだろう。

日本で「ひきこもり状態」と書かれた服を着ようものなら失笑されるか狂人扱いされるのがオチだが、どうやら海外ではある種のファッションとして受け入れる動きがあるようだ。

実際、このパーカーを着た自撮りをアップする人もいる。

https://mobile.twitter.com/xxtarlit/status/1601799355077623808

https://mobile.twitter.com/MyersZombie1/status/1603108581280124929

いやいや、単にわけもわから外国語を使っているだけだろう、と思う向きもあるかもしれない。

かに外国人がわけもわからず妙な日本語のタトゥーをいれて笑いものにされるなどというのは珍しくないが、パーカー製作であるNFTアートプロジェクト原宿ファッションオタク文化といった日本サブカルチャーをわりとガッツリ参照していることもあり、ある程度自覚的にやっていることは明らかだ。

https://twitter.com/networklostsoul/status/1536127030047145985?s=20&t=m0XGuxfshp_PC2b-wTv_Vg

メンヘラファッション化して久しい昨今だが、Youtuberなどにおいても、わざと陰キャ独身自称し、自分を低く見せることで視聴者共感を集めるという集客方法流行っている。

こうした「極端に自分を下げて見せる行為」がメリットとなる時流において、ひきこもり日本でもファッション化するのは時間問題かもしれない。

anond:20221215160904

バズって承認欲求満たして集金もできてるし本人は自覚的にやってるんじゃね?

自民党絶対に巻き込まないのも支持層をよく理解してる

2022-12-12

anond:20221212133010

かにその傾向はあるのかもしれないけど、百合に男挟むな!とか~するな!系の話ってノリ、ネタの度合いがあるにしろ結構見るよね

やめろって言われても配慮より「うっせえ俺はこっちのが良いんだよ!」で通せる空気ってことかな?

そうだね。

「はあ?知るかボケ誰やねんお前」とか「こいつ頭おかしいわ」で終わる。

そもそも知らん奴の個人的な好みで「やめろ」とか言われてそれに配慮しなければと思う発想が理解できない。

例えば俺はちいかわが大嫌いであれを「かわいい」とか言って喜んでる奴全員死ねばいいのにくらいに思ってるけど、だからといってちいかわ側が配慮するとは微塵も思ってないわ。

自覚的にやってるのかちいかわ並に頭お花畑なのか知らんが、白痴ネタにして「かわいい」というラベルをつけるカスみたいな人間性の連中だなと思ってるだけ。

anond:20221212001114

当たり前だ、誰にでも党派性はある

問題はそこに自覚的かどうかだ

大抵の人はそれに耐えられずに切断する

自分たちは正しいのだと

なんだかんだともっともらしい事を並べてな

その最たるものが、SNS跋扈してる自称知識人のリベサの方々だ

で、さらに滑稽なことには、どっちもどっち論を言い出したりする

ぉぃぉぃ、いいのかい

自称知識人のリベサの方々と、下劣低俗ネトウヨ如きを一緒にするだなんて

とか思ったりするんだけど

やつらは一瞬一瞬のカウンターホルホルするのが楽しいらしくて

ついやっちゃうみたいなんだよ

ネトウヨとの同レベルな争いをさw

2022-11-30

わりと幸せ日常生活を送っている創価学会2世だけど、質問ある?

最近、某襲撃事件の影響か、宗教話題ホットエントリー入りすることが多く、概してネガティブな内容を目にする。

そうした記事ひとつについたブックマークコメントに、「宗教ネガティブでない側面を知りたい」というものがあった。

日本人の多くは実質的無宗教であるし、宗教のことで話題になるのはネガティブかつショッキング事件ばかりだ。

宗教をしながら普通に生活している人とはどのようなものだろうか、気になる人がいるのも当然だと思う。

そこで、タイトルの通り、創価学会学会員2世である私が、みなさんからブックマークコメント質問を頂いて、追記する形でいろいろお答えしたいと思う。

何か書いてみようかと思ったけれど、あまり普通に生活していて事件らしい事件もないので、質問募集する形にしたい。何か聞きたいことがあればお気軽にコメントしてください。できるだけお答えします。

なお、2世とは書いたが、厳密にいえば3世4世くらいにはなる。ここでは、生まれときから学会に属しているという意味2世と称します。


以下追記

特に疑問を感じたことは無いな。生まれときからそういう環境から「受け継ぐ」っていう感覚そもそも無かった。気づいたら学会員という属性を持っていたって感じ。それに対して、別に良い気持ちも嫌な気持ちもなかったから疑問はなかった。そういう家に生まれたんだなってだけ。後々ネットで叩かれていることを知ってちょっとショックを受けたりはして、そのせいで思春期創価学会に対してマイナスイメージを持っていたりしたけど、今は特にプラスマイナスも感じてない。俺の家も同じように仏壇があって、子供の頃から座って勤行するように教育されてきたけど、そんなに嫌な気持ちはなかった。ちょっと面倒くさいな~って程度。歯磨きするのめんどうだなーってのと同じ感覚かな。反省を促されたりしてたら嫌になってたかもしれない。自分自身は両親ほど熱心な学会員ではなくて、死後の世界を信じていないから、境遇は近いかもね。


あんまり歴史得意じゃないか一向一揆時代に何があったのかわからないんだけど、「他者攻撃することが是とされる暴力装置として生まれ」たっていうのは私のことを指してる?創価学会暴力装置ってこと?あんまり賢くないのでもうちょっと嚙み砕いて教えてほしいかも。他者攻撃しているつもりはないのだけれども、仮に自分暴力装置なのだとしたら、そのことには自覚的でいたいね


→それマジ?でも、誰かの知りたいって気持ちにこうして応えられる人生で良かったと思ってるよ。そんなに嫌な目に合ってるわけでもないしね。


選挙前に公明党投票よろしくってお願いするやつは実際にやってるね、親がお近所さんを回ってたわ。やめてくれって言われたら素直に引いてるみたいだけど。法的に大丈夫なんか見てて不安になりますわ。ちなみに俺はやったことないし、実を言うと公明党以外の党に投票したりしている。

勧誘っていうのは、創価学会入りなよってやつだよね。やってる人はやってるみたい。でも、そんなにたくさんの人がやってるわけではない気がする。よく聞くのは、人生に悪いことがあって落ち込んでいる人を折伏学会員に誘うことを折伏と言いますしましたーみたいな話。うまくいったら学会員の集まる大会とかで、感動エピソードとしてスピーチしてたりする。「悪いことがあった→折伏→うまくいくようになりました→宗教最高」みたいなパターンよく聞く。で、折伏は、学会活動の中でも大事な行いだとされているから、熱心な人はがっつり取り組むと思うけど、別にノルマがあるわけではない。俺はひとりも誘ったことない。そういう人が多数派だと思う。けれども熱心な人は熱烈勧誘してるかも。それも、単純な善意でやってると思う。よく効くサプリを人に勧めるみたいな感じかな。悩める他人を救うことが世界平和につながるって考えがあるから、本当に悪意なく救おうとして熱烈勧誘しちゃってると思う。それで、何十人折伏しましたーってスピーチしたりすると褒められるのよ。だから熱烈勧誘ちゃう人ができる。でも、勧誘される側からしたら、かなり嫌な気分になることもあるだろうなと想像つくね。熱烈具合は人によるけど、ダメ勧誘する人もいるんだろうなと思うよ。


マジでそんなとこあんの?ヤバない?違う看板ってアレか、例えばサッカーサークルみたいに銘打ってるのに、実際は部員たちが部室で勤行してるみたいな感じってこと?そうだとしたらちょっとびっくりですわ。そこが創価大学だったら入学者の殆ど学会員だろうからまだわかるけど、普通大学でそれやってるんだったらドン引きです。いままで全然そんな話を聞いたことがなかったので、内部的な評価はわからない。けれども、一学会員としては、それは良くないと思う。そういうことすると、ただでさえネガティブ感情を持たれているのに、余計にマイナスイメージ付くし、おっしゃる通り自分たちで首を絞めている感じする。別の看板掲げてるんだったら、それに沿った活動をしなさいよって思うね。


  • 自覚しながらのらりくらりで草」

→?どういう意味


葬式形式と居心地が若干違うかな。学会員友人葬では、坊さん的な人を呼ぶんじゃなくて、集まった皆で題目を唱えて供養をするんだよね。友人が代表になって唱えて、それに皆で唱和する感じ。題目自体普段から唱えているから馴染みのある文言だし、坊さん的な立ち位置の人が部外者じゃない友人だから終始アットホームな感じがある。もちろん葬儀から厳かさもあるけどね。坊さん的な人を呼ぶ場合って結構当たり外れがあるじゃない。なんか説教下手だなーとか素人ながら感じる時もあるし、お金もかかる。そういう問題は無いか個人的には友人葬の方が好きかな。ただ、学会員じゃない人が友人葬に出席する場合、周りの出席者が急にお経みたいなのを唱えだすからちょっと驚くことになるかもね。でも、出席者みんなが葬式に参加している実感が得られて不謹慎かもしれないけど面白いと思うよ。

あと、これは非科学的でかなり主観的な話になってしまうから話半分で聞いてほしいんだけれども、信心している人は死に顔が違うってよく言われるんだよね。生前学会員だった人は死に顔が穏やかだって言われるの。そんなもん眉唾だろうって思ってたんだけど、実際に今まで出席してきた葬儀を振り返ると、学会員の故人の顔色が穏やかなのは本当に思える。というか、学会員じゃない人の葬式に出るたびに、棺桶から覗く顔色の悪さに驚くんだよね。単純に経験してきた葬式の数が少ないからそう思うのかもしれないし、化粧の問題も大きいのかもしれないけど、死に顔を穏やかにしたい人は入会するのもありかもねって思う。


  • 「結局、悪い部分は他人事なんだな」

→良い部分もたいがい他人事だよ。自分あんまり積極的活動してないからね。同じ属性を有しているからといって、他人の行動の責任を負うことはできないでしょ。


自分あんまり熱心な学会員じゃないから、毎日は唱えてないのよね。悩み事があったり、神頼みしたくなったりしたときに、思い出したように勤行してるわ。なんとなく頭をすっきりさせたいときかに唱えると、気持ちが落ち着く感じがある。自分は、最近流行マインドフルネス一種みたいな感じで題目を捉えてて、そんなに無駄時間とは思わないよ。どうせ気持ちが落ち込んでるときなんて、意味もなくYouTubeでだらだら動画見たりしているだけだし、それに代わる行動としてはやる分には無駄の程度は変わらないんじゃないかな。両親はほぼ毎日題目を唱えているけど、瞑想毎日やる習慣にしてる人もいるだろうし、それと同じ感じだろうと思えて疑問を感じることもないかな。しかも、唱えたら(ざっくり言うと)幸せになれると言われているからお得感あるよね。


自分年収は300万程度。まだまだ新米社会人から薄給ですわ。寄付額は0円。全く寄付していない。学会から家族から寄付のお願いはされてないね。されたとしても多分断るかな。薄給なので自分ひとり生きるのに必死なんだよね。将来大金持ちになったら少額寄付したりする可能性あるかもしれんけど、いまのところは余剰金が無いし、あったとしても投資信託とか買うかなー。親の年収推定だけど1000万無いくらいだと思う。寄付は毎年しているみたいだけど、どのくらいの額かは知らないんだよね。でも、世間問題になるようなウン千万円の寄付とかでは絶対にない。多分多くても10万円以内じゃないかと思う、少額と言ってるのは聞いたし。寄付によって家庭が壊れたりとかは無いです。自分大卒なんだけど、奨学金を借りずに親のお金卒業させてもらえたし、金がないか必要ものを買えなかったとかも無い。自分の住んでいる地域では、高額な寄付によって苦しんでいる人は見たことないかな。ニュースでそういう人たちがいるみたいなこと聞いて、マジでいるんだーって初めて知る感じだ。親が身の丈を超える高額な寄付して苦しんでいる子どもとかって大変やな、可哀想だなと思う。何とか救済されるといいっすね。

2022-11-28

ロリコンは脳の病気」「YES、NOタッチ」という概念があるから奴らはまだマシに感じる

本当にヤバイ奴らってそれに自覚がない奴ら。

たとえば反ワクチンみたいな自分たちの行動こそが絶対に正しいと思っている連中がヤバイ

酒飲みが「百薬の長」と言い張り一切の自浄作用を失って暴走している状態もソレに近い。

気持ちよくなれる行為の中に「正しさ」をこじつけた奴らの末路ほど悲惨ものはない。

世の中にある気持ちのよいことは基本的に「過ち」と隣合わせだよ。

それに自覚的なだけロリコン共は真っ当な生き物に感じる。

anond:20221127203636

追記3

(伸びててびっくりした…)

お気持ち重ね突っ込んでくれてありがとう…)


規制には反対(難しい)と思っている理由は、

場所に関しては、例えば人通りが多くても怪しげな闇市での広告JR新聞広告とでは場の印象が違う。

後者のような場所サービスでマスに向かって公開されてる情報は、ある程度世間お墨付きがあると思っている気がする。実際自分もそうだったし。

無垢状態での受動的な情報自分商品価値みたいなのを無意識に植え付けられている気がする。(自分過去テレビを通じてそう感じたけど、そう思わない人もいるだろう)

もちろん家族で話をしていくのも重要だしやってるけど、そこから受け取る印象は大きいと思っている。

ただ、その場やサービスの印象ってそれぞれだろうが、となる。ごもっとも。

子供自分自覚的に見に行っているコンテンツに関しては、誰もが通る道として注意喚起をたまにしている。一般的ものではないことくらいはわかってるだろうが…)

画に関しては、他の人からも出ているけど、露出や目の大きさ、胸の大きさで一概に判断できないだろうということ。まさに文脈というやつで。

なんだそれいちゃもんつけ放題だな!って突っ込まれるのもわかる。

規制かけてきっちり線引きしてくれよ!オラって迫るのもなんとなくわかる。気持ち悪いもんね…

個人的にはセクシーやるなら大人の見映えでやれよと思うんだがね。大人ならそれなりの個人境界線はできているだろうし。大人の見映えってなんだよからループ…)

自分サイバーパンクの裏通り猥雑な感じ好きだし、ディストピア小説みたいな過度な規制や過度な自主規制同調圧力世界は怖いと思っている。

ずるい言い方なのは理解してるけど、大人自重してほしい、ってのがしっくりくる。(ここでまた叩かれるんだろうな…)

もちろんみんな目指す社会世界が違うので、意見が合わないのも理解している。

なので自分はここで愚痴り、叩かれるしかないわけで。こういうコストは仕方がないと思っている。


売る側は売上上がれば成功なので、際どく攻めて盛り上がってくれてラッキーくらいに思ってるんだろう。率直に嫌いだ。

もし原作があるものだったら、そのファンだって駅や新聞広告集客目的の画を見せられてもうれしくないと思うけどどうなんだろうな。周知されてうれしいもの

自分は頭もエネルギーもないので、こんなところでちまちま愚痴ってるだけ。

あとはその手の商品サービスは極力避けているくらい。

わーっと書いておかし文章になっているかもしれない。読みづらく申し訳ない。釣りではないよ。

ブクマ共感してくれる人もいてうれしい。

anond:20221128110232

結局みんな本能に抗えてなくて、理性で必死で押さえつけてるだけだし何が良くて何が悪いかみたいなのも絶対的合意は得られないのに

盲目的に自分達の正しさを信じる集団がいて、そういう人たちが多ければ多いほど目障りになるっていう

諸々のことに自覚的であってほしい

バイセクシュアルって便利に使われてない?

アメリカのZ世代って今めちゃくちゃバイセクシュアルが多いのよ

割合にして10%以上

でもさ、すげー思うわけ

「拙者、バイセクシュアルでござるwwwwコポォwwwwww」って言ってる奴で

実際に同性とセクロースできるやつどんだけいんのって

先進的な人間であるべきという観点から

「男も女もカッコいいカワイイはいるよね。どっちも好き」

みたいな軽い気持ちバイセクシュアル名乗ってんじゃないの?

いざお付き合いしてセクロサしなければならないってなったら「まぁ、異性がいいかな?」ってなるんじゃないの?

って思っちゃうわけ

 

ちなみにこれに近い概念LGBT世界言語で「バイロマンティック」と言うものはある

これは「男女ともに恋愛感情が向くことはあるが性指向は異性に向かう」というもの

これに対して自覚的で「ワイはバイロマンティックや!」って言ってるんならまだいいと思うの

 

でもさ、軽い「バイロマンティック」風味の奴がさ「先進的な私はバイセシクシュアルなのよ」って言ってさ

ガチの「バイセシクシュアル」もしくは「ホモセクシュアル」の人とお付き合いしちゃってさ

いざセックル!って時に「やっぱ生理的に無理だはwwww」ってなったらさ悲劇すぎない?

 

ワイなんだけどさ

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