はてなキーワード: 自覚的とは
・5段階評価:4
・あらすじ
料理大会が開催され、ヒノモトの家族のために頑張るミツバ、卑怯者のピカロなどをくだし、流浪の天才料理人ヴァレリオが優勝する。
・印象に残ったセリフ
ピカロ「正々堂々戦って勝てるキミたちとは違う。」
・印象に残ったキャラ
ピカロ。
金を使って卑怯なことなら何でもするヤバいやつ、何だけど料理の腕前が無いから卑怯しかないと卑怯に自覚的なのが面白い。
・感想
まーた大会かよ。というところはさておいて、卑怯者ピカロのキャラが面白すぎた。
料理が下手だけど家族と代々受け継いできた店の看板を守るために卑怯なことをすると自分で自分の卑怯さに自覚的なキャラ。
名悪役としてグラブルとかプリコネやワーフリに出張してくれないかなあ。
「咎人は巡る、竜眼の軌跡」
・5段階評価:5
・あらすじ
結社にドラゴンと融合させられたアデルペインと、彼を支えるドラゴンのアンドロメダ。
アデルペインは家族を殺され、身体をこうされた原因である結社の博士を追っていた。
博士はユーディルの竜化能力を使い世界中すら飲み込むドラゴンを制御しようとするが、ユーディルとアデルペイン二人の竜化能力によってそれを打ち破るのだった。
・印象に残ったセリフ
博士「『悪』とは覚悟! 犠牲を払って進む覚悟のことだ! それが、たとえ自分の命だとしてもな!」
世界中の人間を不滅の書物にするという壮大な計画実行のためには自分の命すら平然とかける博士のセリフ。
悪を自認してるのが格好いい。
・印象に残ったキャラ
復讐鬼でありながら、アンドロメダとのイチャイチャや、冗談を言うシーン、きちんと謝るシーンなど、復讐以外のセリフも多くて好きになれた。
・感想
面白かった!
目的のためなら自分の命すら惜しまない悪を自認する敵の博士と、家族を殺された恨みと自らの身体を改造されたことへの復讐に燃えるアデルペインの熱いぶつかり合うの話。
そこに改造無しに血の力でドラゴンのなれるユーディルが絡むことで話が展開していくのだけど、竜化改造人間って設計がまず面白い。
そこの加えて、魅力的な悪役の博士に、今回の主人公のアデルペイン君も良い奴で、気を衒った展開はないものの王道で良き。
「仙光、暗晦に閃きて」
・5段階評価:2
・あらすじ
ゴクウイベント第二弾。前回封印したキンコジの封印が弱まり、ビコウオウが復活する。
しかしビコウオウは元々心優しい魔物だったが、自身の魔物を生み出す能力のせいで他人と暮らせない悲しい過去があった。
・印象に残ったセリフ
ゴクウ「ーービコウオウ…… 見ろよ。真っ暗じゃない。空っぽじゃない。光に満ちた、この世界を。」
ビコウオウと友達になり旅を続けることを選んだゴクウの優しいセリフ。
・印象に残ったキャラ
ビコウオウ。
優しさの表現でリスを守るっていう古典的なのが逆に新鮮で良い。
・感想
ストーリー自体は簡潔にまとまってるし、ビコウオウとゴクウの交流も端的に書きたいことをかけてて面白かった。
サンゾウやハッカイやゴジョウも半人前のゴクウを導くという点で目的がわかりやすいので、文量が少なさの割にちゃんとキャラ立ちもしてて好きになれた。
これでゴクウイベントが完結なのが惜しいなあ、旅を続けてゴクウとビコウオウの融合とか見たかった。
「あーしと私の共同戦線」
・5段階評価:5
・あらすじ
ヒューマンに育てられ先立たれた両親のことを忘れられないフォレスティアのリナーシュと、カメラで写真を撮るのが大好きなナディーンが、集落を守るために奮闘する。
・印象に残ったセリフ
養母「だからお別れの日がくるまで、愛された証を…… たくさんの思い出を残してあげたいの」
モブキャラながらリナーシュの母親と同じくフォレスティアを育てるヒューマンという立場から、思い出の尊さをナディーンと同じようとくところ。
・印象に残ったキャラ
ナディーンとリナーシュ。
正反対な二人が出会って反発しあって同じところが見つかって、大好きになる。
こういうのが好きなんだ。
・感想
最高だった。
今までドラガリアロストイベントシナリオでダントツで大好きなシナリオになった。
思い出を残すために写真を撮るナディーンと、思い出が苦痛なリナーシュたち二人のすれ違いから始まり、
それでもナディーンが思い出を残すことの尊さを実感を込めて語るところ、
モブキャラながらリナーシュと同様にフォレスティアを育てるヒューマンの家族もまた、思い出を残すことの素晴らしさをとき、
最終的にリナーシュもまた新しい思い出を作るためにナディーンに寄り添うところ。
最高の最高だった、大好き。
特にナディーンの「ひとり? ……ちがうょ。これゎ、あーしとリナちんの共同戦線。」
というセリフがタイトル回収感もありつつ格好いいきまってるすごく良いシーンだった、良き。
・5段階評価:4
・あらすじ
盆踊り大会の準備に燃える田舎町の領主の娘カトリーヌ、隠キャの少年ユージンはそれを冷ややかな目で見ていた。
人手不足を補うため仕方なくユージンを誘うカトリーヌだが、仲違いしてしまう。
ユージンが飼っていたドラゴンの幼生スゥはそんな二人の喧嘩から人を許せなくなり分身を街で大暴れさせる。
スゥのために盆踊りを通じて仲直りをするユージンとカトリーヌだった。
・印象に残ったセリフ
カトリーヌ「王子サマだって、お仲間から無条件に認められたわけではないのでしょう?」
メインで第七王子としての血筋を怪しまれているところなので、カトリーヌ本人に意図はないのに意味深なセリフになっている。
・印象に残ったキャラ
・感想
傲慢お嬢様と隠キャ少年の恋愛一歩手前ぐらいの後押しを盆踊りでする中々にインパクトのあるシナリオ。
ドラゴンが人の喧嘩によって暴走する設定からして、恋愛ストーリーをやりたいからの逆算なんだけど、その先にあるのが盆踊りなのがすごい。
そしてその盆踊りで歌うマーベラスナオトなる謎の人物のインパクト。
なんかドラガリアロストと関係のない話を無理矢理当てはめた感すらあるけど、面白かったし、メインや過去のイベントストーリーとも繋がりがあって(マーベラスナオトはセイメイの部下)、納得は納得、けど盆踊りはすごいなあ。
・5段階評価:3
・あらすじ
彼らの任務を実行しつつバカンスも楽しむため、遊びを任務に混ぜ込みパティアは帝国兵と遊ぶ。
帝国兵は任務の目的であるヌシを呼び出してしまい、今度はそのヌシを楽しませるためにバカンスを満喫するのだった。
・印象に残ったセリフ
カルい帝国兵「ヌシを怒らせちまったのは、俺ら人間っす。だからそれを武力で正すのはなんか違うと思い……!」
そうなんだけど帝国兵に言われても感が。
・印象に残ったキャラ
・感想
帝国兵やドラゴンのためにバカンスの色々な遊びをするという、なんか若干の支離滅裂さを感じる考えるな感じろなお話だった。
絵で楽しめる漫画とかならまた違うのかもだけど、基本的に立ち絵とセリフしかないこのゲームのシナリオにこういうのは向いてない感じ。
・5段階評価:2
・あらすじ
最初はデスゲームに付き合う気はなかったが、次々と仲間が死んでいくに連れ面々はお互いを疑い出してしまう。しかし、ミコトとアマネの会話をキッカケにこのデスゲームのルールを推理し始めるノーストン。
猜疑の島では信じることが禁則とされるため、互いを信じることを口にすると死んでしまうルールだった。一向はそれを逆手に取り進行役のカルティをそのルールに巻き込み、黒幕であるスキュラを戦いの場に引き摺り出し勝利するのだった。
・印象に残ったセリフ
ユーディル「そうだな…… 「信じる」ことが禁止されたこの島で、おれたちは最後まで仲間を信じることをやめなかった」
・印象に残ったキャラ
・感想
デスゲームものでドラガリのイベストの中でも面白いと評判だったのでハードルを上げてプレしたのだけど、思いの外期待値は違った話だった。
悪くいうとデスゲームものの上部だけを真似てて、良くいうとデスゲームの面白そうな部分だけを抽出してる。
ちょっと流石に文量に制約がある上に地の文がない形式でデスゲームものは無理があったんじゃないかなあ。
とはいえ、いざとなれば自らを犠牲にしてでも最後の一人はユーディルがふさわしいとするエルフィリスとランザーヴの振る舞いは、王が作品の中で深い意味を持つドラガリアロストらしい展開でそこは面白かった。
「暮れる夏夜の灯篭流し」
・5段階評価:2
・あらすじ
カサンドラに助けられたお礼に彼女を祭りにエスコートするクーガー。
しかし祭りを勘違いした帝国兵の襲撃により祭りを中止しなければならなくなる。
クーガーの勘違いしやすい帝国兵に祭りを見せるという機転により無事祭りは開催でき、帝国兵も追い返すことができた。
カサンドラは灯籠流しでもう会えない彼へ想いを馳せるのだった。
・印象に残ったセリフ
クーガー「あんたも…… ひとりで回るよりはマシだろう?」
一人になりたがるカサンドラを慮っての一言。決め台詞じゃない時の方がクーガーは格好いい。
・印象に残ったキャラ
息子や娘たちが王族として覚悟決まりまくってるせいで誰も言及してないけど、アローラスが死んだことを悲しむ人は一人でもいることが嬉しい、
・感想
カサンドラとクーガーのイチャイチャお祭りデート、と思いきや、カサンドラがアローラスへの追悼の気持ちのお話しだった。
間抜けな勘違い帝国兵というコメディ要素はあるものの、都合八人もいる子供たちが特に葬式らしい葬式もしないなか、カサンドラだけが追悼のために四苦八苦するのは寂しいような嬉しいような。
王って孤独で寂しいんだなあとしみじみした。
・5段階評価:2
・あらすじ
封印が解かれた悪魔を使徒と協力して倒すも、使徒の中に裏切り者が……
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
味がしねえ……
所謂使徒イベントってやつでメインシナリオとも密接な関係にある重要なお話のはずが、設定の開示と顔の良い男子の絡みで精一杯なのか、内容が薄かった。
所謂昼行灯キャラは大好物なんだけど、ネヴィンはちょっとこうナヨっとしてる感があまり好みじゃないかなあ。
「天炎照らす幻砂のランウェイ」
・5段階評価:4
・あらすじ
死から復活したネファリエは自身の亡くなった国の血を継いでいるナディーンたちの祭りに参加する。
その祭りを妨害する帝国兵と戦う中で、自身が戦争で自らを犠牲にして民を守ったことを思い出す。
もう一度砂の国を起こすことを決意するが、ナディーンたちの自由に生きてほしいという先祖代々伝わる言葉を聞いて、自身が生きる新しい旅路を考えるのだった。
・印象に残ったセリフ
砂の民の女性「祈りが通じて、女王の復活が叶ったならば…… 二度目の生は、自由に生きてほしいと。」
ネファリエのことが大好きだった普通の人たちの気持ちがよく伝わる良いシーンだった。
・印象に残ったキャラ
ナディーン。
・感想
面白かった。
砂の国の民が女王に自由に生きてほしいと言う言葉を伝えてきたところは、本当に愛の強さを感じて、とても好き。
短い文章ながらきちんと伝えたいことが伝わってくる良いシナリオだった。こういうのをたくさん読みたい。
ただ、とはいえ、お祭りを妨害する話多くないか? キャラも祭りの趣旨も違うから別にいいんだけど、ゲームのシステム部分に縛られてる感じがしてそこがなんだかなあ。
・5段階評価:2
・あらすじ
そこでイリア、イリアの育ての母メーネ、イリアによって召喚された異界の生き物モルティスと出会い、ゼシアはイリア教誕生の歴史を知ることになる。
ゼシアの知る歴史とは違い、人を支配管理することが目的だったエリュシオンはイリアに攻撃を加え、モルティスは絶望しモルトメサイアへとなる。
なんとかモルトメサイアを封印するもののイリアも一緒に封印されてしまい、メーネがイリアを名乗りイリア教を広めることとなるのだった。
・印象に残ったセリフ
特になし。
・印象に残ったキャラ
イリア。
錬金術で色々発明するのが好きな活発な女の子で、教祖という前情報からの違いに驚いた。
・感想
イリア教の真実が明らかになり、モルトメサイアの目的も判明、要するにドラゴンへの復讐だったわけですね。
う、うーん、こう言ったらなんだけど、急になんか人間関係の中でぐるぐるしだしたなあ。
エリュシオンがイリアを攻撃したのも若干支離滅裂だし、なんか物語の大枠のために無理矢理感がいなめない。
・5段階評価:2
・あらすじ
アカーシャとメルサの二人で元締めの魔術師を倒し、ゾンビ達の無念も晴らすのだった。
・印象に残ったセリフ
アカーシャ「仲良き事は美しい哉。おふたりが戯れる様は、見ていて癒されますわね。」
確かに。
・印象に残ったキャラ
ゾンビを大量に召喚する技術力の高さなのに、モブだし、セリフが小物くさいの、敵だけのキャラの立ち絵を書き下ろせない事情を若干感じてしまった。
・感想
ほぼほぼメルサとアカーシャしか名前付きのキャラが出てこないが、掘り下げが深いわけではなく、やたらとモブキャラが敵味方問わず出てきた。
せっかくの掘り下げの機会なのにこれは少し勿体なく思ったなあ。
増田に限らずSNSや匿名掲示板は基本的に「中道」「うすい一般論」「穏健派」の意見は是も非も集まらない。
だから基本的には過激な方へ過激な方へと意見が先鋭化していく傾向にある。
問題なのは反応がもらえることを狙って自覚的に過激なことを言う奴ではなく
そもそも偏見が強い奴がそういった場に来ることでとんでもない自己肯定感を得られるという構造にある。
「女嫌い」「男嫌い」「若者嫌い」「人嫌い」など人前で話せば是も非もなく居場所を失ってしまうような偏見が
存在承認を得るために自覚的に手を染めているからにすぎないからだ。
それは裏を返せば、他の機会で存在承認を得られるならばいくらでも改善の余地があるということだ。
本当に終わってるのは、ただ自然とここに行きついて居心地の良さを感じちゃってるやつ。
今現在どんな「損」や「困苦」を味わっていようとも、10代、20代の頃になに不自由なく暮らしやりたい事を親にやらせてもらい、ちゃんと社会に居場所を得て最低でも「年齢と同額の月収」得て30代くらいまで穏当に生きてきた人間は、そのような道を歩めなかったヒトから無条件にサンドバッグにされるくらいの「不幸」は味わって然るべきだと思うし、なんも言い返す権利はないと思ってる。
能力や技術獲得する上で当人がどんだけ努力し工夫した的な事実は一切関係ない。
努力し工夫できる環境や知性を与えられた時点で一切合切全部「外的要因に基づく運の良さ」でしかないのだ。下地がちゃんとしてりゃ努力や工夫なんて誰でもできる。AIが描いた絵にちょろっと加筆するくらいの難易度でしかないからだ。
だから「運が悪い」ヒトは無限かつ無条件に運が良いヒトを叩いても良い、と僕個人は考える。
もとい、そうはいっても運良いサイドも腹が立ったら自分のこと棚上げして運悪いヒトに反論してもいいし、より運がいいヒトに対しルサンチマンをぶつけても良い。それによって被る「損」はそこれそ他罰などせず当人が自己責任やXX税として引き受ければよいだけ。「既に得している側」が損している側と同じカード切るならより沢山税金払うのは当たり前。
能力や立場の全ては「運」が生み出した格差でしかなく、各々が立脚する地平に見合った「正義」を信じて納得するなり怒ったり泣いたりしていればよい。
持つもの、あるいは「かつて持っていた者」は持たざるものの無限の愚痴と悪意をぶつけられても「仕方ない」と言わざるをえない。さもなければ不公平すぎる。
・
人間社会に属している限り絶対の善などというものはないし万人にとって得のある秩序などというものもない。
「真の自由」とはむちゃくちゃ厳しく何のフォローもないクッソ塩対応の「荒野」で暮らす事であり、その中で「自然(ネイチャー)」と対話できたと実感できた時こそ、真の意味で「自活できている状態」と言えるだろう。自由と安心は容易には両立できない。
人間が管理し親を努めている環境はことごとく「親の利益」を最優先にした環境となっている。親の利益が「強い子孫を維持する事」であれば、仮に子供の主観的には地獄のような体験をさせてでも「親を継ぐ事ができるだけの強度」を獲得させるべく「負荷」をかけるだろうし、それをしなければ子供はオートで親の財産や親が築いたインフラを食いつぶして「弱体化」するのは人間元来の性質的にも、歴史的にも自明の事実である。
「弱体化する方向に餌を巻いたりヒトを操る」事ほど邪悪で無為なアプローチはなく、エンタメというのは基本的にそういう性質(無責任甘やかし特性)を備えているので個人的には「悪カテゴリ」に入れてある。
「楽しい時間を過ごす代わりにむっちゃ無為に歳だけとってその責任は全部エンタメ摂取した人間の自己責任」。そんな残酷があってたまるかという話だが、世界は事実そのように仕組まれ、ユーザーを「嗜好品中毒」にする事を是として回っている。
抗いがたい魅力をふりまきながら「それに翻弄される側が悪い」と嘯く態度は「挑発的」だし「残酷」だ。
「魅力や快楽を用いて他者に何らかのアクションを起こさせようとする振る舞い」はことごとく「挑発」かつ「暴力」であり、これを無自覚アンド無責任に行う人間こそが「真の邪悪」だと僕は思っている。
普通の悪人は自身がやっている事の加害性を多少は理解しているのでまだ対話の余地があるぶん「相対的には善良」である。しかし、何故か世の中では自覚的悪人の方が無自覚なそれよりも悪者扱いされていて納得いかない。
「自身の加害性を理解できず加減無く加害してしまう人間」のほうがどうして純粋で可愛いという事になってしまうのだろう。力を持ったピュアな加害者の方こそ真の邪悪だろう。
しかしやはり感情的には「力加減を知らずに無自覚に加害してしまう赤ちゃんみたいな存在」は可愛いと言わざるをえない。ゆえに、私は邪悪なものが好きだと結論する。
「悪と邪悪を弱体化させる」ならば、まずは暴力的で挑発的な魅力に溢れたエンタメを共産国ばりに「制限」かけて抑制する必要があるだろう。
―と、そこまで話をシリアスに飛躍させずに「なあなあで終わらせる」為にはふつうにどん詰まりになるまでなんも考えずテキトーに現状維持して(エンタメ中毒のまま弱体化するに任せて)暮らしましょうねという話にしかならない。「真剣」になったら上記理屈にたどり着かないほうがおかしい。
「よくわからない」が攻撃というのはちょっと「よくわからない」。だって、それ、「私の文意を正しく理解しないのは攻撃だ」と言ってるも同然で、相互理解にかかるコストをはなから背負う気がないじゃん
こんなブコメが星集めててクソ笑った
元増田は別にすべての「よくわからない」を否定しているわけではないだろう
それはまさにブクマカこそが
奴らだからだろ
まぁ極端な考え方だとは思うが心情は理解できるぞ俺は
ブクマカは「よくわからない」と元ページのコメントに書き込むでなし、リプライするわけでなし、よくわからない他所のサービスから一方的にそんな言葉を投げつけられて何が相互理解なんだ?
それに答えるために言われた側が歩み寄らなければならないのか?そんな態度を取っておきながら「勝手に攻撃と受け取るな」なんてブクマカは一体何様なんだ?
追記:言いたいことがふわっとしてしまったかもだけど、ASDとカミングアウトしたりプロフに書いてる人はここで書いてるような「擬態」をやって来てる可能性が極めて高いので、概して普通にコミュニケーションは取れるし、妙な垣根は設けて欲しくないかなとは思う。
最近は、一般書はもちろんのこと色々なWebページで発達障害について書かれるようになってきたので、これを見てる人のほとんどが発達障害については聞いたことがあるだろうし、なんなら身近にそういう人もいると思う。ただ、当事者としては発達障害、特にASD(旧称アスペルガー)については発達障害専門でもない医師などによる誤解が蔓延してて、ひどくめんどくさい。てわけで、当事者目線から見たASDへの誤解について書いとこうと思う。一応、正式な診断はないけどWAIS-IV知能検査は受けてて、ADHDよりはASDの方が傾向強めという感じで言われたくらいだとは書いておく。
幼い頃って意味ではかなり正しいんだけど、結構多くのASDが思春期辺りで「あれ?俺ってなんか浮いてる?」てことに気づいて「擬態」という形で定型発達の模倣をするようになる。成人して社会に溶け込めてる発達当事者は擬態をかなりの精度でやってのけるから、字面のまま受け取るタイプのASDは存外少ない。むしろ、擬態がうまいタイプは相手の言葉をかなり疑り深く分析してることも多い。発達当事者の多くは擬態をやってることに自覚的で「擬態」の他にも「ASD修正パッチ」、「模倣」とか色々な言葉で表現するのだけど、近年の発達障害研究でようやくこの模倣行動が知られるようになったみたい。参考: https://www.city.himeji.lg.jp/bousai/cmsfiles/contents/0000020/20708/zidou3.pdf ここで「カモフラージュ」て書かれてるやつのことね。カモフラージュ行動が記されるようになったのは発達研究でもかなり新しいらしく、まだまだ当事者にとっては当然のことでも知られてないことが多いと感じる。
性質が悪いのは「ASDへの配慮として」字面通りに受け取ってあげましょうとか、率直に言ってあげましょうみたいなマニュアルが一部で出来上がってることで、思春期から訓練してむしろ「字面通りに受け取らないように」してるタイプにしてみればそういうマニュアルで行動されるのはたまったものじゃない。TwitterでプロフにASDと書いてる人に「字面通りに」伝えたり、相手の言葉を受け取ったりして当事者の神経を逆撫でするなんてのも見たことがある。
前述の擬態を過剰にやるタイプだとむしろ、(たぶん)定型だと普通やらんだろってくらい相手の意図を深読みしたりもする。人間って案外その時点での感情を意識してないことが多いのだけど、このタイプの人は滅茶苦茶深い精度で理屈で考えて他者の感情を読み取るから、すっごい気遣いさんになることも多いし、頭いいタイプのASDだとこの予測精度は定型より高いことも多い。
知る限りでは、これは全く事実に反しているのだけど何故かそう思ってる人は多い。もちろん、共感能力が低いASDも少なくないけど、むしろ極めて高いタイプもいて、弱者に対して普通以上に思いやれる人も多い。それゆえに普通そこまでやる?くらいの自己犠牲型になることもあったり。この辺は今だ未解明ではあるけど、ASDであるかどうかと共感能力については直交概念じゃないかなあ。
もちろん、「傾向としては」そういうのが見られる人も多いんだけど、それはASDの症状というより成長過程で社会不適応に気づけなかった結果として現れる感じ。
じゃあ、ASDの本質とは何よって言われるとこれはまだ研究途上で色々難しいんだけど、「物事をパターンで把握したがる」傾向じゃないかなあってのが個人的な仮説。ゆえに、
みたいなのが表面上現れる感じ。ただ、これも擬態してる人は元来の傾向を理性で巧妙にセーブしてたりするから、そもそも発達当事者と気づかれないことも多い。周囲から見た時に、「なんかこの人、毎日同じような行動をしてるなあ」とか、多人数での飲み会なんかだと無口になってたり消極的になってたりして「ちょっと人付き合いが苦手なのかな」程度に見えることも多いってのが実感。
他の問題として、知的障害と発達障害がしばしば混同されるというのがある。知能が一定水準を切るといずれにせよ「空気が読めない」ので外から見ると発達障害と区別がつかないのだろうけど、とある発達当事者の精神科医のツイートを見る限り、このケースは結構多いらしい。実際、巷で「発達」「アスペ」と呼ばれてるタイプの人(こういう蔑称は好きじゃないけど)は知的能力が低いというか境界知能じゃないか?レベルのケースが散見されてて、それが発達障害、特にASDへの偏見を増す結果になってるなあと思う。
さらには、精神疾患と発達障害の混同、パーソナリティ障害と発達障害の混同なんてケースもある。これは発達障害のせいでイジメや親からの虐待を食らってその結果精神疾患を患ったみたいなケースもあるので、あながち無関係とも言えないのだけど、二次的な障害と元来の傾向による苦労が混同されるのもややこしいことだなあと。
実際問題セックス以上に楽しいOR気持ちいいことってないんだよな大体の男にとって
だからこそさほど面白みのない女とでも付き合えてるみたいなところはあるし
いや別に女の話はつまらないとかそういう話をしたいわけじゃなくて、セックスが気持ち良すぎるんだよ
女友達と一緒に遊んで楽しいとか話をして面白いとかもちろんあるよ?でもセックスできない相手だからそれで妥協してるだけ
このままダラ飲みを続けますかそれともセックスしますか?って言われたらセックスするけど、そうはならないから次善の策としてダラ飲みしてるんだよ
でもそればかりだといずれセックスのできない関係になることがわかりきっているので相手が満足するように自分としては二番手三番手になる旅行などのアクティビティを行うわけ
こういうこと言うと、いや自分はそうじゃない、って男が出てくんだわ
そりゃ出てくるよ そういう態度でいるほうが最終目的であるセックスに最も近づくんだから
女性もそうだと信じたいだろうしね 女性がそうだと信じたいものを提供できるオスが最もセックスに近づくからね
自制心のある賢いオスはそーするよ 誰だってそーする 俺だってそーする 増田じゃなけりゃ なんならブクマでもそのように振る舞うさ
穴モテなんて言葉あるけど、男のほぼ全てが渇望するその器官を自覚的に使えたら強いに決まってんのよ
オスの欲しいものを提供する自制心のある賢いメスはモテるに決まってんだわ
わかってると思うがそうでないメスが愚かという話ではないぞ 論理学のできる女性がいることをちゃんと知ってるよオレは
そもそもモテ・生殖に興味がなければ何の関係もない話だし、男性と比べると女性は一般的にそういうことに興味が薄いしな だからセックス以外の接待が必要になるという論旨なわけで
女性にも性欲はあるが男性のえげつないソレと比べたら可愛いものよ もちろん個人差はある
何が言いたいんだっけな
とにかく男マジヤベエってことだよ
私は現在、見た目のよさで得をしている。ニコニコ愛想よくしてれば大抵のことが上手くいく。ルックスのおかげで仕事は成功しやすいし、人脈にも恵まれやすい。
とはいえ、自分語りをさせてもらうと、もちろんルックスがいいことで損をすることもあった。
同世代と大人どちらからも強姦未遂や傷害事件の被害にあったし、PTSDとノースリーブを着れない傷跡が残っている。
ただ子供の頃は同級生や先生とのトラブルが頻発する理由が分からず、知らない大人がよく話しかけてくるのも普通のことと誤認していた。
成長してルックスに自覚的になれば上手く自衛もできるし、頑張って稼いでセキュリティ高い物件・防犯アイテム・タクシー移動に課金すれば苦労はだいぶ減る。
そのためのお金も、ルックスがプラスに働く仕事をすることでどうにか確保できている。
あとは嫌われないためにコミュニケーションや話し方の本を読んだり、しわしわになっても生き残るためにスキルアップに勤しんでいる状況だ。
過去の損・現在の手間と得で、プラマイゼロかちょっとマイナス寄りくらいかなと思っている。過去の損がデカい。
さて、もしこの世から完全にルッキズムがなくなり、これまでの常識がまっさら漂白されるのであれば、とてもいい社会になるだろうとは思う。そんな時代に生まれてみたかった。
ただしルッキズム撤廃の周知が中途半端になってしまうと、(現基準で)ルックスの良い子供・悪い子供の被害が増えそうだと懸念している。
きちんと性教育をしないせいで性被害に遭っていることに気付けない子供がいるように、表面的な道徳教育程度では外見差別や様々な被害とその原因に気付けない子供たちが増加するのではないかと。
「自然と容姿の良い異性を好きになってしまう傾向」という、最早本能にも近い概念を無いものとするのには途方も無い時間がかかる。いきなり切り替えるのは無理がある。
ルッキズム反対派は、せめてカーボンニュートラル計画のように段階的な目標を立ててほしい。ざっくりでもいいので。
プラスチックストローの廃止すらなかなか上手くいかないのに、数千年レベルで刷り込まれた価値観をハイ今日からやめましょうといきなり覆すのは厳しいだろう。
容姿主義を無くすのではなくて、たとえば(かつての裸婦像のように)贅肉のなだらかな曲線を堪能するとか、そばかすをまるで星空のようだとありがたがるとか、そういう美の基準をちょっとずつ増やしていった方がいいと思うんだ。
「他人を美しさで評価する」ことを悪とするのではなく、「多様な美しさの評定基準を当たり前とし、受け入れ合う」の方がまだ広めやすいかなと。
フールプルーフとかフェイルセーフとかいう考え方が浸透し始めてる昨今、人間にはある種の脆弱性が存在しているという前提が認められつつあるように思う。
人間の脆弱性は至るところに転がっている。脆弱性とは何だろう? 簡単に言えば、長期的には利益にはならないことを利益だと錯覚し、実行してしまうのが人間の脆弱性と言ってもいい。ないしは、明らかに不利益であることを利益だと錯覚して実行したり、ないしは不利益をもたらすであろう行動を、そうと理解しながら確信犯(誤用)的に実行したりとか、そういうのが人間の脆弱性なんだろうなと思う。
要は、不利益を自覚的にしろ無自覚的にしろ行ってしまう性質を、この場合には脆弱性と呼んでいいのだと思う。
本テキストにおいて使用する「フェミニズム」の語彙は、あくまで「男女同権主義」を意味している。性の公平視を意味している。「男性中心的社会において、相対的に損なわれている女性の権利の回復および増進志向」を表してはいない。あしからず。
人間には脆弱性がある。自覚的であるにせよないにせよ、不利益を為すという脆弱性である。例えばどんなものだろう。
例えば、恐らくネットで日常的に喧嘩をするのは長期的に不利益を招いている気がする。相手の攻撃性を目の当たりにし続け、自身の攻撃性を発露し続けることは、攻撃性を意識レベルで固定してしまうからだ。これは人間の脆弱性の最たる例である気がする。
話が脱線するが、僕の好きなゲームに「たいようのしっぽ」というゲームがある。その中でこんな詩が登場する。
その日、こんな夢を見た。
常に攻撃を受けていた。
また、攻撃もした。
憎み戦うことがすべてと感じた。
それでも戦い続ける。
全てが敵である。
憎しみがすべてを覆い尽くした。
自分自身さえも強く憎んだ。
いっさいが気に入らない。
すべてを消し去りたい。
深い闇が心を覆う。
もはや感情はなかった。
攻撃性が日常に定着することのいびつさを端的に表した詩であるように思える。常に攻撃性に曝露され続け、あるいは攻撃性を発露し続けることで意識レベルに攻撃性を固着させていく行為はどう考えても長期的に人生をいびつにさせるように思われる。
それでも人間はネットでの喧嘩をやめることができない。彼(女)らはそれが利益的行為であると思っているからだ。恐らくこれは人間の脆弱性の最たる例であると思われる。
他にはどんな脆弱性があるだろう。色々ありすぎてこれという代表例を挙げることができない。
仮に代表的なものを挙げるとすれば、それは人間の「習慣性」である。
人間の習慣性は、つまり処理能力の効率化である。「不必要な情報を捨象し、認識と行動を能率化していく」というのが人間に備わった習慣性である。かつて行ったことのある行動を、もう一度行う際には、「慣れ」が生じている。簡単に言えば不必要な事柄を省略して、必要な事柄のみを行うようになっている。これが、人間の習慣性である。
逆説的なことに、この「能率化(効率化)」を志向する習慣性は、人間に不利益をもたらすことがある。
例えば、ゴミ屋敷に住んでいる人間の例を考えよう。彼(女)は、自身の行動を効率化し能率化し――習慣化することによって忌まわしい状態に至ったのである。
つまり、ゴミを捨てるという作業のコストをできるだけ減らしても、畢竟、自分は生命を維持することが可能であることに彼(女)は気付いてしまったのである。「ゴミ捨てなんて無駄な行動……完全に無駄であるとは言えないにせよ、生きていく上で絶対に必要とは言えない行動……。こういう行動は、必ずしも必要じゃないから省略しよう。その方が効率的だ」といった具合である。
人は各々の論理や立場によって、様々な事柄を省略し、各々の志向性において習慣化していく。あるいは効率化していく。全ては各々の利益のために行われているはずなのに、結果としてそれが不利益をもたらすことはままある。要するに、人間の「利益」に対する意識は概ね長期的な利益に繋がっていないのである。人間の習慣性という、生存に関してコアな(バイタルな)性質においてさえ、そのようなエラーはしばしば起こっている。人間の根本的な行動規範システムでさえ、時にエラーの温床となるのである。
「人間の理性と人間の行動規範システムのどちらが優れているか?」などという質問を立てても恐らくは無意味だ。その質問に解はない。「人間の行動規範システムである習慣性においてしばしばエラーが生じるにせよ、人間の理性はそんなものとは関係なく利益を産出し続ける」などとは決して言えないからである。人間の理性と、人間の行動規範システムである習慣性――いわば本能――という二者を対置させ、その優劣を量ったとしても、その二者のいずれもエラーを生む温床(脆弱性)になり得るからである。それは歴史と我々の習慣が証明している。
要は、人間の行動規範システムや理性に「エラー性」を認め、常にそのエラー性への恐怖を持たなければならない、と言いたいだけなのだが、これを空虚な逆説とみなす人間もいると思う。そのような人々が正しいのか、それとも、ここで書かれたことが正しいのか、どちらなのかは、よく分からない。
紙とさま~ずにて「胸なんて寄せて上げたりしないでいいから、胸なんて小さくていいから、面積のちっちゃい水着を着た方がいい」と三村が言っていた
(大竹も同意しつつ「あの可愛い素直な子が寄せて上げちゃったかあと思っちゃう」と言っていた)
「小さくていい」「着た方がいい」
それは女性にとって「いい」わけではなく、あくまで「見る側」であるオッサンにとっての「いい」なのである
三村(大竹)本人はそのことに自覚的であり、番組内でアシスタントの女性アナウンサーに「ごめんな。変なこと言ってて。おじさんの意見だから」と何度か断りを入れていた
しかし。このご時世で後先考えずにこういった発言をするのはなかなか度胸が有るというか、何も考えてないというか
番組なんだから編集が入るものであり、しかもこの番組は収録した全てを公開せずに未公開シーンをサブスクで流している
で、テレビで流れる(視聴者がより多い)方でこの話を流しちゃうんだな…と思った
女は水着買うとき「自分が着たい水着」を手に取るものだ(勿論男の目を意識している女も居るだろうが)
一緒に水着を買いに行っている彼氏に「これ可愛い?・似合ってる?」と意見を求めたとしてもだ。本気で意見を求めてはいないのだ。結局自分が気に入ったもん買うんだから
何故胸を寄せて上げるか・詰め物をするかというと、「フォルムが綺麗になるから」だ
「男の視線を集める為の水着」を買うなら「布面積の小さいもの」や「極限まで露出するもの」なんかを選ぶだろう
相手がどんなに良い人で、友人関係として問題がなくても、触りたくならない相手と結婚まではできない
けどそこを我慢できてやり過ごせる人もいるんだろう
性的なことには目をつぶってまで結婚したんだから、結婚にセックス以外の意味で必要性があったはず 肩書きかもしれんし経済性かもしれんし、それ以外の何かがあるのかも
けどそこで否応なく子供できちゃう、のは女性側ならわかるけど、男性なのにそれはどうなの?とは思う
子供ができて
相手が無理、となった?
これも女性側ならよく聞く話ではある
子供を産むとホルモンバランスが変わって母親としての体質になり、育児疲れもあって夫との行為が無理になるという話はよく聞く
百歩譲って、子供ができたことではじめて性自認に自覚的になり、違和感を感じたんだとして
必要だから結婚した、子供ができて夫が嫌いになった、けど子供はかわいいし育てるにも二人いた方がいい、だから自分から離婚を申し出たりはしない
ホルモンバランス変わって夫に愛情なくなった、子供はかわいいけど夫が面倒見てるから自分が育てなくていい、たまに会うくらいで十分 そうなったらやっと離婚を考えるくらい
…
具体的には、下請けの工数をうまく水増しして儲けにつなげるような、政商的なスキルが求められる。
「エンジニアリング」が本来は研究・開発という意味であることに立ち返ると、
「いかに自分は動かずに金を儲けるか」を研究する職ともいえるし、「トリックエンジニア」と言えるかもしれない。
根本は金を巻き上げる政商、いわゆる時代劇に出てくる越後屋のスキルである。
半数は真面目にエンジニアリングをしているが、半数はそのような人材なのが実情。
これを見て、自分がどちらに属しているかは、本人が一番わかるだろう。
どちらに行きたいか?という精神で人間が二分されるのも、フィルタのようで面白い。
究極はウイグル人を躊躇なくレイプして臓器を抜ける人間か、そうでないかの違いであろう。
まさに闇と光である。
おそらく前者のほうが少ないだろう。
人数比的に、SIerで上流を目指す人や、好んでSES業界で起業する人が少ないのに合致していて面白い。
闇を自ら選んで魂を生贄にする人は、なんだかんだで限られるということだろう。
多くの人は売った結果どうなるかを、無意識に知っているのかもしれない。