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2022-10-21

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女性ははしたない恰好をすべきではない

2022-10-20

行きつけの立ち食いソバ屋で

「いつものやつでいい?」

はい

みたいに当たり前のように2枚盛りを頼んでる若者がいて、食べ方も江戸っ子みたいに蕎麦のたぐり方がプロかった。

ちなみに外に停めてたバイク恰好いいのを乗っていて、こういうのをイナセっていうんだなあと思った。

いっぽうワイはきつね月見コロッケうどんという全然ナセじゃないやつを頼んで恥ずかしかった。

anond:20221020111600

「今回の件」はUSJキャスト従業員)にそんな恰好をさせてたのではなく、

迷惑客が商売邪魔になる迷惑恰好して入り込んできてたのをお断りしただけなので、全く違うぞ。

 

USJキャスト服装に対してフェミニストいちゃもんつけて辞めさせようとしてたなら「表現の自由戦士」も反応しただろうけどな。

2022-10-10

ワークマン女子初体験してきたなり☆

 家からそう遠くない所に、新しめのワークマン女子がある。そう遠くないといっても、私の体力でもってチャリこいで行くのはかなり厳しい距離から、車で行った。

 駐車場はとても混んでいた。多種多様な数店舗ショップ飲食店との共有だから仕方ない。だが、遠目に見てワークマン女子の中には人がそんなに多くなさそうに見えたので、他店の客で混んでいるのだろうかと思ったら違った。ワークマン女子、かなり混雑していた。単純に、外から見える部分には簡易テント等のディスプレイがあったので人がいないように見えただけで、フロア奥の棚と棚の間は普通にごった返していたのだ。混雑レベル休日ユニクロ匹敵していた。性別ごとの客層にかなり偏りがあるのに。

 実をいうと、ワークマン女子にはあまり期待してはいなかった。たまに出かけるワークマン+の端っこに陳列してある、女子向けをうたった上着などがユニセックス上着に比べてかなりしょっぱく、もしもワークマン女子がそれと似たり寄ったりのクオリティのものばかり並べてあるのだとしたら、残念過ぎてやだなと。

 しかし、偏見はただの偏見に過ぎないのであり、やっぱり真実自分の目で確かめるべきっしょ☆ と思った。

 新しくて白を基調とした明るい店内は清潔感に溢れて、これがあのワークマン系列店なのか!? と目をぱちくりしてしまったが、やっぱりワークマンワークマンだった。ウェアの陳列の仕方に、どうしようもなくワークマン香りがする。そして、商品の全てがあの安心感のあるチープさとダサさだった。

 それでも、店内をうろうろしているのは綺麗めの30代以上の女性達ばかり。そんな人達が鋭い目付きで商品吟味していた。華やいだ雰囲気とはそぐわない猛禽類眼差し。ここがワークマン女子でなければ一体何事かと思う。こういう目で買い物している群衆昭和時代バーゲン以来に見たかも。

 私が求めていたのは、ここ最近くらいの朝晩は底冷えするけどダウンジャケットを出すのにはままだまだ早いシーズンに、買い物や通勤の際にサッと着て出掛けられるような、薄くて軽い上着だった。買い物の目的が明確な場合、こと訪れたのがワークマンであるならば、目当てのものをサッと取ってサッと会計してサッと帰るのが定石というもの。だけど、せっかく初めて来たので店内を端から見て回った。

 三面あるうちの壁の一面の半分くらいはメンズ上着が陳列されていた。もう半分のまた半分がユニセックスのもので今のシーズンというよりもこれからシーズンのものだ。それと棚一列がメンズユニセックスレインウェア。つうかレインウェア多いな!

 晴れの日でも着れるというのが謳い文句の種類豊富レインウェアの、その全てがどう見てもワークマンダサい上着である。色と形でワークマンを主張し過ぎなのだが、服の側に掲げられた着用見本写真では、綺麗めのモデルブランド服を身にまとったような爽やかな笑顔でごく自然ポーズを取っている。この写真撮った人、優秀過ぎんか。

 その隣の棚にはレディースサイズの大量のレインウェア。あれもこれもそれもレインウェア。遠目に見れば撥水加工の利いた薄手のウインドブレーカーだが、近づいて見ると一目でわかるワークマンぶりだった。ワークマン御用達デザイナーって、一人しかいないのかな。

 でもまあ、「ワークマン女子」なんてブランドになったらいきなり垢抜けたとしたら、その方がなんか気持ち悪いし、自分の来るとこじゃない感に圧迫されて返りたくなるから別にいいけども。

 去年、ワークマン+でレディース上着を見た時には、一見メンズユニセックスと似ているようでいて、温かさと機能性がしまむらだったのでふざけんなよと思った。ワークマン女子上着はどう見てもワークマン安心感はあるが、しかワークマンに求めるのは勿論、お洒落感を犠牲にした高い機能性なので、大事なのは色選びよりもポケットのチェックだ!

 ……え? スマホすっぽり余裕で入るくらいあるやん? なんならポッケに手を突っ込んだまま肘が伸びる。500mlのペットボトルは入るかな、どうかな。女性が持ちがちなゴツい長財布、余裕だと思う。雨降りの時はスマホはファスナーつきポッケに入れれば濡れなさそう。もしも梅雨時、これを着て散歩ちゅうに捨てられた子猫を見つけたら、計四つのポケットを駆使して一度に六匹くらい持ち帰れそう。薄手の上着から、内ポケットは無し。懐にタブレット仕舞ポケット無し。メッシュのついた排気口あり。懐かしの、中学部活動でお揃いで買う上着みたいだな……。「レディースディアドルパーカー」というらしい。買い。

 アウターだけじゃなくセーターやパーカーなども売られていた。薄くて温かい肌着類もあった。以前、ワークマン女子の1号店がオープンした時にその宣伝記事がバズッたので読んだ記憶がある。それを読んでただのアパレルじゃん? という感想を持ったのだが、自分のこの目で見たワークマン女子も大体ただのアパレルであって、鳶左官整備士などの女性昔ながらの女性仕事……看護師とか……で働く女性ニーズに合わせた服や物品があるかといったらあまりないように見えた。トップスボトムス普通に街歩き用、アウターアウトドア用、肌着冷え性の人大歓喜みたいな感じだ。なんというか、ちょっと郊外や市営キャンプ場など、自然のある所で遊びたいが、WILD-1で買うには持ち合せが足りない人が利用するといい所……なの……か……? それにしては客の綺麗度やお洒落度が高く……、この人達はいったい、ここに売られている品物を着てどこに何をしに行く気なのだろう? と疑問に思った。ウォーキングかな。

 あと、気になったのは、キッズ服もあったのだが、どれも男児用のデザインの様で、実際着用見本写真モデルもぜんぶ男児だったこと。もしかするとユニセックス服なのかもしれないが、これを娘の為にわざわざ買って帰る人がどれだけいるだろうか。差別的な考え方だと批判されるだろうが、現実女児自分性別への拘りはシビアで、わざわざ男装をしたがる女児は珍しいのである

 もっと隅々まで見たかったのだが、私よりも先に連れの家族がしびれを切らしてしまったので、すごすごとレジ上着一枚を持っていきお会計レジ接客担当の二人はどちらもアパレル関係仕事を長くしていそうな、お洒落女性だった。

 ワークマン女子……よくわからない。客層からして私自身はかなり浮いている感じだったのだが、そこにあった服は私の様にお洒落など知らん! と開き直って機能性と着心地に全フリした恰好しかしない人間には、どうしようもなく合っている。にも関わらず、ここにぶらりと買い物に来るには最低でもユニクロで買った服を着ていった方がよさそうな、謎のハレの気に満ちた空間だった。

2022-09-28

関東都道府県への偏見

東京神奈川含む):首都 特にこれと言ったイメージがない 神奈川東京の中の市町村区と同じ扱い

千葉東京に名を売って実を取る戦略を取っている 誇りは失っていない 関東地方への帰属意識が低そう

茨城栃木恰好をつけることをやめて、ゲームから降りた

群馬県グンマーネタがそろそろ滑り始めているのに気づいて、今後の立ち位置について悩んでいる

埼玉キョロ充 実質的カースト底辺

弟がやってたゲームキアヌリーブスみたいな恰好したやつが「俺は友達だと思ってたやつが、実は俺と同じ部屋にいるのもイヤだと思ってた」って聞いてめっちゃドキっとした

会社で慕ってくれてると思ってた部下とか後輩はみんなこう思ってるんじゃないかって思うと夜から朝までしかぐっすり眠れない

2022-09-25

anond:20220925215733

男性ファッションに対して強い抑制を強いられているのが現実なんでしょうね。

男らしくない恰好はいっさい許されない重圧の下で生かされているから、

その反動として女装趣味の男が発生するが、

女性比較自由恰好が認められるので、男装してもほとんど何も感じないという。

この社会女性差別的である分だけ、背後に男性差別がある。

問題:もしも「妻の男装性癖に悩んでいます」というエントリがあったら…?

予想されるはてフェミの反応

・女は社会から女らしさを強要されて疲弊しているんだ。プライベートくらい好きな恰好させてやれ

・お前(夫)が女らしさを強要している反動

そもそもお前が女らしいと思ってる恰好女装だ。女は普段から女装させられているんだ

相手価値観尊重しないクソ夫から早く逃げてほしい

嫁がファミニンな恰好するのをやめさせたいって旦那が居たとしたら

そんなの好きにさせたれやって、旦那の方がフルボッコに叩かれると思うけど

なんで旦那女装したら女装の方が叩かれるん?

意味わからん

好きなもん着たらええやん

anond:20220925011751

「ブラだけノーパン」という不可解な恰好する女子はたしかにそこそこデカいといっていた

他は気にする必要がないサイズとか既婚とかすぐ横たわるから重力関係ないとか結婚もお付き合いも必要ない派だろな。

おまえは美しく努力してもらえるのならブラ代くらいしっかり奢っとけよ。

2022-09-22

anond:20220921232326

理想的トランス女性というのは、女性のものなので、

一般的女性立場男性を愛するのが自然

一方、おかまは、おかまのものなので、

あくまでも男が好きだから女の恰好をしてるだけ。

フェミニストやTERFにとって、人畜無害であり、且つ、いざというとき強い味方になる頼もしい存在

問題は、実際のトランス女性には、

女性になりたがるくせに、女性が好きというレズビアン属性を持ってる人が少なからずいる。

2022-09-19

anond:20220919024915

すまんロクにツリーも読んでない横やりで申し訳ないけど

その手の恰好めっちゃ好きだわ。デートとか9割それでいい

2022-09-16

anond:20220915220513

それは、いかつくない人が「無理してイカツイ恰好をしてる異物感」に相手が反応して避けてる。

言われてみりゃそうだよな

避けるのはトラブル回避したいからで、ガタイがいいけど人格も良い(イメージのある)室伏広治と、syamuさんがいたらsyamuさん避けるもん

2022-09-15

道を譲らない人 研究のための個人的所感

避けないのは本当に女性に多い

「道を譲る側」共通認識としては、

「明らかに男よりも女の方が避けない」で一致していると思う。

これは自分経験のみならず、過去増田やその反応の数々(もちろん女性からの声も含む)からも、そろそろ結論づけていいのではないかと考える。

個人的な印象としては、単体では「スーツ女性」の避けない率の高さが異常。


十代の集団

制服の十代女子は、一人だと道を譲りがちだが、「イケてそうな集団」では高確率で避けない。

地味な集団は道を譲る。


十代男子集団もそこそこ避けない率は高いが、

なぜか女子より「人来たよ」と注意する率も高い。

ちなみに、小学生だと女子も「人来たよ」と注意する。

男子は何も考えていない。


大学生サークルなどの大きな集団だと、

そもそも「道を譲るグループ」「避けないグループ」で、自然小隊がわかれる。


イカツイ恰好は避けられる、は本当か

そして、たまに出てくる「イカツイ恰好をすれば避けてもらえる」というライフハックは、半分正解で半分ウソ

それは、いかつくない人が「無理してイカツイ恰好をしてる異物感」に相手が反応して避けてる。


イカツイ・ガタイのいい人が道で避けられるかというと、意外と全然そうでもない。

身長180㎝以上でガタイが良い、武骨な顔のいわゆるゴリラである自分は、全然避けられない。

薄いサングラスをかけるとか、スーツに黒シャツレベルまでいけば別だろうけど。

しかブコメには坊主タトゥーですら、若い女性は避けないという報告もアリ)


ちなみにガタイと併せて、街中でテキトーな服に安いゴムサンダルとかを履いて歩くと、周囲は一気に避ける。

やはりガタイのよさ単体よりも、「不自然な格好」の方が避けられる原因だと思う。


ガタイがいい人間は逆に避けられない

ゴリラ自分が避けられないのは、先に書いたとおり。


特に若めの女性自身の魅力を信頼しているからか、マジで避けない。

まっすぐ前を見て大股で歩きながら、絶対避けない。

「オスゴリラなんぞを私が避けてたまるか」という気迫を感じる。

なんなら、こちらに対し「道を譲らなかったら分かってんだろうな?」とばかりに、バッグや肘等での攻撃を準備し、「半身ですら避ける意思がない事」を執拗アピールする。

偏見だという人もいるだろうが、「道を譲る側」の人間なら絶対わかってくれるはず。マジで多いんだよ)


これらはガタイがいいスポーツマンなら共感する人が多いと思う。

以前、同じゴリラ系の友人と二人で建物沿いの道を歩いてた時、

こっちは縦一列になってるのに前方からきた女性二人組が一切避けず、コントみたいに壁に貼りついて避けたことがあった。

友人はそのことについて特に何も言わなかったので、(ここまで極端なことは例外としても)ガタイがいい人が避けること自体あるあるなんだなと改めて思った。


ガタイがいい人間は避けるのが上手い

人混みを見ていても、ガタイのいい人ほど実は人を避けるのがうまいと思う。

ぶつかってトラブルになったときに、見た目で「加害者」扱いされてしまうのだから自然とそうなりがちなのだろう。

ガタイがいい人間は向こうから避けてもらえる」というのは、実情と乖離した偏見だと思う。


では、イケメン美女は道を譲られるのか

残念ながらイケメンではないので、わからない。

ただ、一時期髪型ツーブロックにしていたことがあって、その際、「前髪を弄りながら避ける女性」が少し増えた印象だった。

髪型を戻したらそういう女性はいなくなった。

この小さな出来事から、「イケメン美女は、道を譲られることが多いのではないか」と推測している。

イケメン美女自覚がある人からの参考意見が待たれる。


「避けない女性について」の仮説

先ほど、イケメン美女は道を譲られるのではないかと書いたが、

「避けない女性が多い」こともこれに絡んでいるのではないか、という仮説を思いついた。

「道を譲られない=美人扱いされていない」というプライドのために、「避けない女性が多数いる」のではないかという仮説だ。


実際、そうでもないと「若い女性に避けない人が多い」ことに、説明がつかない。

仮にもし、若い女性が「前方から時速4㎞(相対速度は8㎞?)で近づいてくる1.5m以上の物体」を認識して避けられないような空間把握能力なら、女性日常を生きていくことなどできない。

小走りになったらほぼすべての物にぶつかることになる。

化粧品売り場など、ライブ会場のモッシュ状態になっているはずだ。


序盤に挙げた、「十代女子イケてるグループは避けず、地味グループは道を譲る」も、この仮説を補強する材料だ。

もちろんこれはあくまで仮説にすぎず、安易結論を出すつもりはないが。


「心が広い方が避ければいいだけ」と言ってる人間こそが「避けない側」だ!

人を避けながら道を歩けばわかることだが、「周囲の観察」が必要だ。

簡単に言えば、ぶつかる直前で不意に避けると、避けた先でさらにぶつかったり、隣の人がビックリしたりと不都合が多い。


それなりの人ごみだと、「その場で反応し、瞬発力で避けて対応すること」が困難になっていくのだ。

(多すぎると、逆に密な流れが出来て避ける場面も少なくなる)


そのため、道を譲る人は「常に(事前に)薄く広く」周囲を警戒し続ける必要があり、何mも手前から警戒することで人を避ける。

これをしていると、大体の流れや傾向がわかってくるのだ。

道を譲る人は、こちらと同じようにそもそもかなりの距離から予備動作に入っている。

そして避けない側は「避けないスイッチ」(なぜだ)を入れていることが結構多い。


明らかに前方の人間認識しながら、避けない。

「道を譲る側の人間」なら、避けない相手がこういう状態なのが、容易に認識できる。


この感覚を知らず、呑気に「心が広い方が避ければいいだけ」などと言っている時点で、「日常的に道を譲っていない人間」で確定なのだ


あなた他人に避けさせてますよ」

「道を歩くだけで周りに迷惑かけてますよ」ということなのだ。


「避けない人間」が「道を譲る側の人間」の話に口を出す、

こういう傲慢さこそが、避けない理由ひとつなのだろう。


最低レベル社会常識として、必ず反省してください。


日常的に人混みを歩く必要がなく、その経験がないのか知れないが。だとしても、そもそも門外漢ということになる

※また、「前を歩く人間のあとをくっついて歩く」ことで、自分回避する手間を減らすこともできるが、それも結局自分で「道を譲っている」わけではない。前を歩いている人間の労力を想像もせず、タダ乗りしているだけである


オッサンは「最小限の動き」でかわしがち

オッサンが道を譲らないという話もあるが、個人的体感としては、

スーツを着てるときは避ける、私服スーパーなどにいるときは避けない、という傾向がある気がする。


駅や街中などでは、老人未満(定年以下)の中年男性は、道を譲るというか、最小限の動きで自然にかわす側が多い印象。

この(長年の通勤生活で身につけた)「最小限の動きでかわす」という動きが、実はオッサン最大の特徴だと思う。


オッサンが避けない」説への違和感

ここで思うのは、

世の中で「オッサンが道を譲らないでぶつかってくる」「ぶつかってきて睨んでくる」という説を提唱しているのは、

「一歩も避けない女性」ではないだろうか、ということ。


オッサンは最小限の動き(相手が少し歩幅をずらすか、肩を捻ればぶつからない)でかわしているつもりなのに、相手が「一歩も譲らない」ために結果的にぶつかり、「なんだこいつ」と睨んでいるのはないかと思うのだ。

「わざとぶつかってくるオッサン人間)」もいるだろうが、

そういう風に「わからせてやる」という意思でぶつかる人間は、ぶつかった後にわざわざ睨むことはないと思っている。


本来、「避けない」と「ぶつかる」は、厳密には違う行為なのだ

「避けない人間」はぶつかった後に睨むが、

「わざとぶつかる人間」は下を向いてそのまま通り過ぎることが多い。


これは「道を譲る側」として、「周囲を薄く広く警戒」し、わざとぶつかる人も含め、オッサンを観察していて感じたこである

しか自分オッサンにぶつかられる女性ではないので、詳しいことはわからない。


ちなみにオッサン私服スーパーにいるときは、

小学生男子レベル」でマジで何も考えないで歩き、突っ立っているのをよく見かける。

邪魔そうにして避けると、こちらに気づいて本当にびっくりしたような顔のオッサンとよく目が合う)


老人

老人になると、

男女関係なく、道を譲る譲らない以前に、

「改札の出口で立ち止まる」とかそういう状態なので、これは話が全く違う。

老人はいたわりましょう。

2022-09-13

日本の行先

世界のあらゆる国で住民自由のために変化して行ってるけど、生き方や考え方で法律とは別に超えちゃいけない線ってのがある。

ノブレスブリージュとか宗教とか

それがあるから色んな人たちの多様性を認め自由社会を作っても成り立ってるはずなんだ

だけど日本場合はどうだ?宗教観の全くない神道仏教、金を集めるだけの怪しいカルト。金を稼げれば何をしたって構わない意地汚さ

そういう軸の緩いままで自由だけ与えても無法地帯になるだけ

恰好スーツでも、中身はモヒカンと棘肩パッドの国民ってのがこの先の日本。というかもうすでになってるのかもしれない

なぜ共産主義独裁になりやすいのか

ある宗教党首の再選というニュースを見て、そういえば共産党独裁になりやすいなと思った。

各国の元首も第何選もしているし、独裁になりやすい。

アメリカはその逆で、絶対独裁ができないシステムになっている。最長でも2期8年。

この差はどこから来るのかというと、おそらく、共産党

人間は成長しないもの

という信仰にあるのではないかと思った。

現代共産主義というのはマルクス主義である

マルクス主義とはつまり唯物史観、この世は物質けがあり、物質法則を作るというものである

これはつまり共産主義者や新興宗教信者にとって

人間物質、肉の塊だから一定のもの進化しない

という強い信仰があるのだろう。

から残酷なこともできるし、犯罪もできる。しょせん自分ロボットなのだから神罰も何もない。

そういう思想を持つ人間に恐れはない。そして神罰を受けてからそれに気づく。

見た目は同じアジア人のような恰好をしているが、信仰が全く違う。おそらくクマライオンくらい違うのではないか

からアメリカ中国は、同じ人間のかっこうをしているが、

実は人間機械相克のようなものだと感じている。

今回の党首の再選でそれに気づいた。

2022-09-05

anond:20220905145431

倖田來未を聞くような世代環境の奴はこぞって倖田來未みたいな恰好しとったからな

浜崎→倖田のリレームーブメント社会現象って言っていいレベルやったで

2022-09-03

言うほど同級生でシコれるか?

実際、小学4年生くらいのころまでは同級生でシコってたような記憶がなくはない

写真とかは持ってないんで、使うのは"想像"だった

かなりクリエティティが高かったと思う

でも、その後、モバイルデバイスの登場で集合知から望ましいエロコンテンツを閲覧できるようになってからは、ガチで一度も同級生でシコったことない

同級生で、シコろうかな!!!という気持ちになったことはある

あるんだけど、やっぱ、一度想像力の翼がもげてしまうと、もう写真とか動画とか、そういうのがないとシコれないよ

いや厳密に言うと俺は4分の1くらいはエロ小説でシコってるから、そういう意味では想像力の翼ってまだ残ってるんだけど、なんていうのかな、具体的なエロコンテンツ必要といいますか、こう、エロ小説のなかで起きていることって、その世界においては"事実"じゃん

俺はそういう事実性を強く求めているところがあって、なので、二次創作エロよりも一次創作エロの方が好きだし、一次創作エロの中でもあきらかにエロありき、1話冒頭からエロシーン!ってよりは、10話くらいの積み重ねがあってからエロシーンが来た方がうれしい

すごく嬉しい

そういう作品って少なくて実際けっこうツラいんだ

なんの話だこれ

とにかく、俺が言いたいのは、「実在同級生に関して、実際には起きていないエッチ出来事や、実際には知らない裸体などを想像して抜こうとしても、FAKE感が先立ってしまうし、なんか申し訳ない感じがして、全然抜けない」ってことなんだ

同級生のアデ姿を想像してシコれるのは、離乳食をおいしく食べられるのとおんなじで、舌が全然肥えてねえから

少しでもREALさを伴うエロコンテンツに触れたら同級生では全然抜けなくなってしま

リアル世界で、リアルエッチをしている

これはAVなんかがそう

リアルエッチというのが重要で、これ明らかに本心じゃねえな、完全に演技だな、というのを感じるとかなりFAKE感が出てしまうので、実を言うと俺は通常のAVではシコれません!!!

虚構世界を作り出し、そこで虚構エッチを行う

これは、マイナスマイナスをかけるとプラスなるみたいな話で、虚の世界において虚なら、それはもう実だって話なんだ

なので、エッチ漫画は抜けるし、企画モノのAVも演技がちゃんとしてたら抜ける

わかりますかね?企画モノのAVに求められる演技と、素人モノのAVに求められる演技は、本質的に違うものだと俺は思う

虚構世界におけるエッチに寄せる演技か、現実世界エッチに寄せる演技か そこが違ってくるんだよ

そんで、エロ同人があんまり良くないのは、「虚構世界」という構成要素が2回出てきてしまうことで、「虚構世界さらに真似た虚構世界で、虚構エッチを行う」ということになり、結局FAKEになってしまうということだ

ただ、ここについては、虚構世界さらに真似た世界を、一つの独立した世界とみなすことである程度解決することができて、それはそうじゃないですか、人間自分の頭の中にある世界を出力したんだったら、元ネタがあろうとなかろうと、それはもうやっぱり一つの世界であり、そこでエッチは"実際に"起きているのだから、REALだとみなしていいと思うんですよね

まり俺が言いたいのはあ、俺は、"同級生とのエッチ"が存在する世界を、頭の中に、ひとつ世界として認められるほどの強度で、生み出すことができなかった、ってことなんですよ!!!

俺は自分を信じられなかったんだよ

俺は自分クラスメイトエッチしている姿を思い描いたが、それはひどく不恰好で、いわばembarrasingという感じで、世界として扱うには到底足りなかった

クラスメイトとのエッチを思い描こうとするたびに、ひどく粗雑で曖昧儚い世界が俺の中に生み出されては、かき消えていくだけだった

実際、同級生エッチ写真とかが手元にあったりするとだいぶ話は変わってくると思うんスけど、そんなもんないですよね

なので、やっぱ、俺が言いたいのは、

知り合いについてのエッチ妄想だけでシコれる人間は凄い

これなんですよ

本当に凄いと思う

俺は世界を信じる力を身につけたいし、逆に世界を生み出す力も身につけたい

世界を信じたりしなくてもシコれる力も欲しいよ

俺には力が足りない

2022-09-02

お客様は神様です」について

三波春夫オフィシャルサイト

お客様は神様です」について

https://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html

三波春夫」といえば、『お客様は神様です』というフレーズがすぐに思い浮かぶ方が少なくないようです。印象強くご記憶いただいていることを有難く存じます

 ですが、このフレーズ真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くございますので、ここにちょっとお伝えさせて頂きます

 

 三波本人が生前インタビューなどでこのフレーズ意味を尋ねられたとき、こう答えておりました。

 『歌う時に私は、あたか神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですからお客様神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様絶対者、神様なのです』

 歌手として歌を歌う、「セリフ入り歌謡曲」や「長編歌謡浪曲」で歴史上の人物物語を歌い語る、その折の三波春夫の心構えを表現した言葉であり、お客様に歓んでいただくことを歌手人生第一義として追及して生きた、三波春夫らしい心情を表したものでした。

 また、三波春夫舞台お客様が楽しみにお越しになり、三波も一所懸命舞台をつとめるといった、楽しさや高揚感がいっぱいの、歓び合う場での思いを表したものでした。

 そしてその始めは、「お客様は神様です」という型にはまった言い方ではありませんでした。いきさつについての本人の著述最後にご紹介いたしますが、“お客様神様とみる”という心構えであることを舞台の上で話したことが始まりで、それは芸能生活としては22年目、歌手デビューから数えると4年目の1961(昭和36)年のことでした。

 その後、漫才トリオレツゴー三匹さんが「三波春夫でございますお客様は神様です」という表現流行させて、「お客様は神様です」という言い方が世の中に定着したというのが経緯です。

 三波にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。また、「お客様は神だから徹底的に大事にして媚びなさい。何をされようが我慢して尽くしなさい」などと発想、発言したことはまったくありません。

 しかし、このフレーズ真意と離れて使われる時には、「お客様」は商店飲食店乗り物のお客さん、営業先のクライアントなどになり、「お客様イコール神」となります

 例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様神様でしょ?」という風になり、クレームをつけるときなどには恰好の言い分となってしまっているようです。店員さん側は「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」と嘆かれています

 また、クレーマーカスタマーハラスメント問題を取り上げている番組などでは「“お客様は神様です”というのがありますからね」と、真意を紹介することなく引き合いに出されることもあります

 このようなフレーズへの誤解は三波春夫生前から有りましたが、言葉文章などでの短い説明ではこと足りないと思うのは、生前三波春夫も、現在の私もです。説明となるものを挙げるとしましたら、三波春夫ライブをご覧いただいて心意気を感じ取っていただくことだったのかもしれません。

 “雑念を払って澄み切った心で歌う”というような心構えに至ったのには、三波春夫のそれまでの人生経験が土台としてありました。

 16歳で初舞台を踏んだ浪曲世界は、芸がまずければ「下手くそ! 聴いてられないぞ!」と、お客様舞台に上がって来てサッサと幕を引いてしまわれるような、目や耳の肥えたお客様ばかりでした。幸いに途中で「やめろ!」と言われたことはなかったそうですが、舞台に立つ時は常にお客様との真剣勝負でした。

 20歳では応召して陸軍に入隊することとなり、戦場を駆け巡り、終戦後はシベリア捕虜となり、4年間の抑留生活を送りました。

 抑留中、絶望の中にある仲間を励ますために、また自分自身希望を持って生きるためにも時間を見つけては一所懸命浪曲を語って聞かせ、皆で演劇も創りました。藝で、いかに人に喜んでいただけるかを徹底的に追及し始めたのは、このときからでした。

 戦後浪曲世界に戻り、33歳で歌謡界に転向して歌手となったのですが、プロとして藝を向上させるには自分自身の心を磨き、鍛えてゆかなければならないと思い、“求道者”と言われるほど真面目に生きました。男性歌手初の和服歌手であり、歌手座長の芝居と歌謡ショーの大劇場の1ヶ月公演の一番手であったことを始め、前例が無いなどということは恐れずに、「常に新しい藝を、新しい作品を」をモットーにしておりました。

 永六輔さんは三波春夫のことを「歌う学者」と呼んでくださいましたが、酒タバコは嗜まず、空き時間は本を読み、作詞エッセイ歴史本を書くために原稿用紙に向かっている人でした。

 笑顔トレードマークのようでしたが、いつも人に笑顔を向けられる自分であるようにと、心がけていました。日常、腹の立つこともありますし、不愉快な思いもしますが、そのまま仕事に入ってしまっては良い舞台はつとめられません。ですから、心の持ち方のスイッチをいつでも切り替えて笑顔が出来るように、と努力していました。

 これらは、若い時に先輩から普段暮らし方が舞台に出るんだよ」と教えられたことを心におき、より良い舞台をつとめられるように、お客様に歓んでいただける歌手であるために、の切磋琢磨でした。

 

 三波春夫が藝一筋に生きた姿勢は、DVDなどでお目にかける舞台などに表れているかと存じます。ご興味がおありになりましたら、どうぞご高覧くださいませ。

 最後に、三波春夫自身が「お客様は神様です」について著述している文章をご紹介させていただきます

                       

株式会社三波クリエイツ 代表取締役 三波美夕紀

 

三波春夫著『歌藝の天地』

1984年初刊 2001年文庫化 いずれもPHP研究所)より

   

お客様は神様です」の発端

 お客様は神様です」という言葉流行ったのには、びっくりした。よく、この言葉真意はどこにあるのかと聞かれるが、私も、その答えに困ることがある。テレビなどで、短い時間で喋るには、うまく説明が付かない。

 皆さんのほうでは、面白がって、「お客様は仏様」だの「うちのカミサンは神様です」とか、「選挙民は神様じゃ」などといった言葉になって広まっていった。いやはやどうにも賑やかなこと。

そのあげくに、「こんなふうに言われるのは、どう思います?」とくる。

 しかし、振り返って思うのは、人間尊重の心が薄れたこと、そうした背景があったからこそ、この言葉流行ったのではないだろうか?

 私が舞台に立つとき敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実の藝は出来ない―――と私は思っている。つまり、私がただ単に歌を唄うだけの歌手だったらならば、きっとこんな言葉は生まれなかったと思うのです。浪花節という語り物世界を経てきたからではないだろうか。

 つまり浪花節台詞の部分は「瞬時のうちに一人で何人もの登場人物を的確に表現」しなくてはならない。そうしなければ、決してドラマは語れないのである

 われわれはいかに大衆の心を掴む努力をしなければいけないか、そしてお客様いかに喜ばせなければいけないかを考えていなくてはなりません。お金を払い、楽しみを求めて、ご入場なさるお客様に、その代償を持ち帰っていただかなければならない。

 お客様は、その意味で、絶対者の集まりなのです。天と地との間に、絶対者と呼べるもの、それは「神」であると私は教えられている。

 あれはたしか昭和三十六年の春ころ、ある地方都市学校体育館だった。

司会の宮尾たかし君と対談の際にこんなやりとりがあった。

 「どうですか、三波座長お客様のこの熱気、嬉しいですね」

 「まったくです。僕はさっきから悔やんでいます

 「!?

 「こんないいところへ、何故もっと早く来なかったんたろう、と」

ここで、お客様はどっと笑ってくれる。ここまでは、昨日通りの対談内容。

すると、宮尾君はたたみかけて、

 

 「三波さんは、お客様をどう思いますか?」

 「うーむ、お客様神様だと思いますね」

ウワーッと客席が歓声の津波!私ははっとしたが、宮尾君もびっくり。客席と私の顔を見比べて、

 

 「カミサマですか」

 「そうです」

 「なるほど、そう言われれば、お米を作る神様もいらっしゃるナスキュウリを作る神様も、織物を作る織姫様も、あそこには子供を抱いてる慈母観音様、なかにゃうるさい山の神・・・・・・

 客席はいっそうの笑いの渦。その翌日から毎日このパターンが続いて、どこもかしこも受けまくった。宮尾君は、お父さんが落語家であり、本人も研究熱心だから司会者としても一流。漫談うまい

 こうして、このやりとりを続けて全国を廻るうちに、レッツゴー三匹舞台を見て、おおいに流行らせたのである

追記

“翌日から毎日このパターンが続いて…”とありますが、三波と宮尾さんが自発的にしたのではなかったのです。山陰地方を廻るツアー中のこの出来事でしたが、”三波春夫が、お客様神様だと言う面白い場面があるよ”という評判がすぐに広まり、各地の主催者さんから「あの場面、必ずやって下さいねお客様も待っていらっしゃいますから」と言われ、連日この2人のトークの場面をやらなければならなくなった、というのが真相です。

2022-08-29

ぼったくりバー店員だったことがある 其の一

かに話したくなってきた。

まだ二十歳ほどの頃、地元広島特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。

福山駅付近にある繁華街だった。福山といったら知名度ほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパート暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。

地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。

すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。

ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ?

正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿いで生まれた。加茂、という地域だ。歴史のある地域に付けられる名前らしい。

幼稚園の頃は、今頃の時期になると数日に一度は木造の家が床下浸水していた思い出がある。江戸時代はいわゆる部落というやつだったらしい。小学校の頃から家の近くにある集会所に近所の子どもらと一緒に夜集まっていた。学校先生が来て普通に勉強を教えてもらうこともあれば、平和活動やら差別糾弾やら総括やら、物騒な単語が飛び交う学びを体験することもあった。

官公庁の前に100名くらいで出かけていって、平和活動(という名のデモ)をしたこともあったっけ。市役所や県の事業所の前で大きい横断幕を持って、大声でシュプレヒコールをやっていた。

それで、くだんの集会所には、たまに偉い雰囲気の人が来て「昔は食べる物にも遊ぶ場所にもトイレにも困る環境でしたが……君たちは我々を含んだ先人のおかげで……君たちも皆のために必要あらば社会と戦って、これからもいい時代を作りましょう」みたいな話をしていた。

なんでも、その先人が高校生の頃、県立府中高等学校先生が授業中に被差別部落のある辺りを指さして、「あそこにのう、四つが住んどる!」と大きい声で生徒に注意を促したことがあったらしい。それで、キレたその先人は、その先生に何度も何度も何度も挑んで、巧緻を尽くして作戦を練り、仕舞いには証拠を突き付けて皆で糾弾して転勤させてやった、というのがその偉い人(当時国会議員。故人だけど一応伏せる)の話だった。

当時の自分は目ヤニを擦って話を聞いていた。自分達が隣保館に通っていた最後世代だ。中学生になる頃には学習活動はすっかり無くなっていた。今ではただの地域集会所になっている。

親は、あんまりよくなかったかもしれない。言うことを聞かなかったら暴力暴言は当たり前だった。内容的には、農業の手伝いや畑の草刈り洗濯物を畳むなどのまっとうな義務もあれば、親の張りぼて見栄を張るためのアイテムになることも多かった。要するに、母親の親戚や友達の前では『優等生』でなくてはならなかった。

ちょっとでも問題発言をすると、家に帰ってからボコボコに殴られ蹴られする。あれは今でも覚えている。小学校5年の時、叔母にからかわれてキレてしまった時、母が木刀で俺の後頭部を強打したのだ。今でも頭を触ると分かる。あの時殴られた箇所が凹んでいる。あれは痛かった。



というわけで、そんな環境で育った人間がまともになるはずもなく。中学校に入る頃には、すっかりと暴力癖のあるキッズへと成長していた。

当時の地元中学校は、荒れに荒れていた。原動機付自転車で通学する者や、青い髪で授業を受ける者や、卒業式特攻服を着る者や……。学校トイレは○○の場になっていた。月一くらいの頻度で、女子中学生が体を売っているか、無理やり犯られているかのどっちかだ。オリジナル制服としてセーターを作って着用する女子生徒もいた。けっこう可愛かった記憶がある。

先日、母校のホームページを見てみたが、当時とはまったく違った様子で驚いた。無邪気に笑って学校活動をする中学生達が映っていた。平成10年代の当時は、あん中学生は少なかった。ヤクザみたいな見た目の男子だとか、娼婦みたいな目つきの女や、死んだ魚の目をしたような(≒いじめを受けている)雑魚どもや、無敵の人の予備軍みたいに無気力になってる奴とか、そんなのばっかりだった。

それで、ついにある時、新築に近い状態体育館タバコの不始末が原因で全焼してしまう。いやあ、あれには参ったね。体育館での授業や部活動、好きだったんだが。

グーグルマップ。クチコミを参照

中学生がごく普通に喫煙していた。あの日、俺が4時間目に体育の授業でバレーをしていた(※だらしない恰好をして髪も染めていたけど、授業はちゃんと受ける方だった)ところ、3年連中がステージ上の柔道場でタバコにしけ込んでいた。先生に止める様子はない。当時の中学校では、校内でタバコを吸うのは暗黙に認められていた。

休みチャイムが鳴った後、俺も先輩方にタバコに誘われた。生意気な1年坊主だったと思うが、可愛がってくれる先輩がいた。が、当時は鬼のように厳しい暴力教師しか部活顧問)がいて、そいつが苦手だったので、見つかるような嫌な直感がして断った。あの時の俺はツイていた。

荒れ放題の中学校だったけど、それでも何とかなっていたから、教師も生徒も油断してたんだろうな。その3年連中の吸ってたタバコのうち、柔道場の畳に押し付けて消し忘れたやつが段々と燃え広がって、昼休憩になると「ジリリリリ……」と自動火災報知器が反応した。

しかし、それでも誰も何もしなかった。なぜなら、週に一度は誰かが校内にある自火報をイタズラで鳴らしていたからだ。感覚がマヒしていた。

昼休憩の中頃、体育館ステージ後ろの屋根から煙が出始めてようやく、教師連中が消火器を持って体育館突入したが遅かった。昼休憩が終わる頃には生徒は全員校庭に避難していた。体育館を見ると、2階部分の廊下に何十枚と並んだガラスが熱で一斉に割れていく光景があった。なんかもう、凄かった。同じく窓ガラス沿いのカーテンも50m分は並んでいたと思うが、最初カーテン燃えたと思ったら、僅か3,4秒ほどで全てのカーテンに火が付いた。

担任先生が、「いつかは起こると思っとったわ。馬鹿じゃのう」なんて呟いていた。それで、消防車が到着したのを確認すると、校舎への延焼の危険がないとのことか、またみんな教室に戻って、何十分か待たされて、先生が来て、その日は非常階段を通って裏口から下校となった。マスコミが押しかけていたのを覚えている。下駄箱まで進入していた朝日新聞記者を、先生らが怒号とともに追い払っていた。

なんか、ここまで書いただけで精神力ほとんどを使ってしまった。拙い文章力で恥ずかしい。ほかの長文増田は、明らかにもっといい文を書いてる。

火事があった次の日には、あの3年連中は全員しょっぴかれていた。家庭裁判所審判を受けて、ほぼ全員が少年院にぶち込まれた。ほかに、彼らと交流があったり、間接要因になったと思われる生徒は裁判所に出向いて証人として発言することになった。俺もその一人だ。最低でも二回はいたか

その次の年度は確か、校長ほか数名が異動になって、最強に厳しい先生方が教委から強権を委任されて当中学校に赴任し、不良どもを善悪あらゆる手段で抑え込んで、俺が高校生になる頃には不良は全くいなくなっていた。

俺の下の代には、強面の奴とか異常体格の奴がいなかったという事情もある。教師暴力を働くような狂犬タイプもいなかった。東京リベンジャーズの1巻で喩えると、当時はキヨマサ君みたいな中学生が最低5,6人はいた。一方で、俺の下の代のヤンキー(予備軍を含む)は、タケミチみたいな標準体型の子が多かった。

当時の俺ですら、何となくわかってたんだ。背伸びしてタバコを吸ったり、チャンスがあったら酒とか飲んだり、女子モテたくて喧嘩をしたり、セブンイレブンの前で駄弁ってたりしたけど、本当はわかっていた。勉強するのが一番いいんだって。最善なんだって

俺の父親会社経営者だった。祖父地元市役所の偉い人で、曾祖父町長だった。親戚だって職業はそれぞれ違ったけど、みんな金持ちだった。親戚同士の集まりには、うちの家の駐車場に高そうな黒塗りや真っ白の乗用車が並んでいた。

彼らに共通していたのは、社会が認めるであろう分野で相当な努力を積み重ねていることだ。俺みたいに、学校先生にとりあえず反抗してるだけじゃなくて。信念があって、そのために動いてる。

法律も慣習も、常識非常識も、論理的思考人間関係の機微も、曲がったこともまっすぐなことも、とにかく何でもかんでも現実をまっすぐに見て、あの人達が何が正しいかをいつも考え抜いていたって、今ではちゃんとわかる。

あの当時の俺も、今の俺も、これらのことができていない。だからこんなに落ちぶれた。血筋はいいのに。俺はくずになってしまった。

そろそろ筆を休める。いい文が書ける気がしない。また明日投稿してリンクを貼っておく。

https://anond.hatelabo.jp/20220830220250

2022-08-27

anond:20220827095928

人の恰好をじろじろ見るのは失礼ですよ

2022-08-16

エンドレスエイトIII

今日は第14話「エンドレスエイトIII」

冒頭の電話プールでの既視感喫茶店、全体的になんとなくBGM洒落た風で来ているような感じがする。洒落たっつか、ちょっと浮いてる。気のせいかもしれないが。

映像プールだの花火だのバイトだの、静止画が多くなった。気がする。

「我々は同じ時間を、延々とループしているのですよ」古泉、その恰好はさすがに暑くないか? 深夜とはいえ襟付きのシャツジャケットて。

声優陣、杉田智和小野大輔がふざけ出すのは4話めからだっただろうか?と思ったが、ちょいちょい古泉が崩れてきているように見える。

最後喫茶店ハルヒ薄着だなー。さむそー。つか今回のハルヒワンピース率が高いような。

2022-08-07

婚活で初めて女性と会うんだけど、服装こんな感じで良い?

30代の公務員恋愛デート経験ほとんどなし。場所ホテルラウンジ結構いいところのホテルでお相手もきれいめの服装で来るらしいから、こっちもそれなりの恰好しようと思って用意した。今は亡き祖父祖母お見合い写真を参考にした。

服装

ブラウンスリーピーススーツ

スーツと同じ生地で作ったブラウンのハット

・黒檀と象牙ステッキ

懐中時計

・色を合わせたネクタイポケットチーフ

・黒革の手袋

2022-08-06

やっぱITは内製が進むと思う

SES多重下請け構造だと、基本的スキルというよりは単純労働力が求められる。

人を増やして、時間工数を水増ししたほうが儲かるからである

新しい技術を使って100時間で開発するより、Excel作業2000時間かけたほうが20倍もうかる。

ここに商売としての邪悪トリックがある。

よって、多重中抜き元請けには、IT技術というより「人売り」「奴隷商人」のスキルが求められる。

その結果、本当にIT以前のレベル人間もちらほらいる。

異業種のトップ人材のほうが確実にITツールを使いこなしていると感じるレベル

「それで肩書エンジニアなの?」という失望感から怒りに変わることも多いので、

根っからエンジニア気質人間は、内製の会社に行った方がいい。技術社会貢献できるだろう。

あと人売りのポンコツの多くは、あまり自分レベルアップに興味がなく、

会社にしがみついて人生を平凡に逃げ切るプラン実践してるので、人間的に合わないことが多い。

悪い腐り方をして、腐葉土になりきれず、滞留して社会という森を腐らせてしまうような生き方である

SES多重下請け構造以外ではあまりお目にかからない人材たちである

自ら奴隷商人を選んだのだから当然であろう。

あと彼らに共通するのは、徹底して自信がなく、ビクついていることである

構造被害者といえるし、自ら「負け戦」を選んだともいえる。

おそらくそ中間点で、心地いいポジションを見つけた結果の滞留物・腐敗物なのだろう。

彼らもまた、奴隷商人恰好をした奴隷なのである

ただ、みずから望んで人権侵害に魂を売り払った以上、簡単には逃げられず、深刻度は高い。

ヤ〇ザを利用してメリット享受したら抜けられないのと同じである

しいてメリットを挙げるとすれば、タイトルの通り、ポンコツ反面教師として学びがあるということである

臆病な卑怯者になってはいけないというサンプルを提供してくれている。

YouTubeでコバンザメの動画を見てみると、どうしても滑稽に見えてしまう。

https://www.youtube.com/watch?v=BtE2NNzxpvw

政商・竹〇さんがこの構造を作ったのであれば、罪業のカルマで顔が白く浮き上がってしまうのも無理はない。

本来、いろいろな才能を持っていたはずの、無数の人間ポンコツにし、腐敗させた罪は重い。

2022-08-04

anond:20220804204032

男のファッションに大きなポケットが付けられてるのはクソださい恰好を強いられてるんだ

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