はてなキーワード: 対峙とは
そもそも学校で「コミュニケーション」を教えてないからね。コミュニケーションできない人が、英語を教わったら突然英語でコミュニケーションできるようになる、わけがない。それを英語教育のせいにされても、と思う。
コミュニケーションとは、自分とは違う他者と対峙して、自分の見ている世界を相手に伝え、相手が見ている世界を読み取り、差異を明確にしてふたつの世界を接続することだ。あなたと私は根本的に違う、しかし、あなたがあなたの立場から、私と違うものを見ているということは理解できる、という点にお互い到達し、そこから必要ならば合意できる点を構築してゆく作業。
皆が同じように考え、同じように行動する集団内にはそういった構築的なコミュニケーションは存在し得ない。する必要がない。単に同じであることを確認する脊髄反射的なプロトコルがあるだけ。
そういった意味で、今の学校にコミュニケーション教育を期待できないから、外にトレーニングの場を求める、っていうのは筋が通っている。でも本当は、学校で教えるべきことなんじゃないかと思う。
これを最後にしたいと思います。私が感じた事、考えた事について書きます。
私がこのトラブルについて相談した人達からのアドバイスは、全て「第三者を通して冷静に対処すべし。」でした。例外はひとつもありません。私自身もそう思います。
けれども、あなた方は違うようです。
トラブルに友人や自分のまわりの人達を巻き込み、人を付け回したり嫌がらせをしたり脅したりする事を友達とウェーイなノリで楽しむ事が出来る人達がいる、というのは衝撃でした。待ち伏せをしたり、夜道を車で後をつけて来たり、個人情報をもらしたり、ついてきてマンションまで入り込んできたり(「ついてきた男をマンションから出て外でやり過ごしてから警察に電話をしながら反対に私がついて行って対峙した事」は警察官に怒られました。)となるともはや私には信じがたい世界です。
以前のマンションで不動産屋にクレームを出す前に友人の一人に「相手がどんな人間かわからないから難しいね。」と言われており、私もその難しさは理解していたので非常に悩んだ末に自分の判断でクレームを出しました。その後の怒涛の嫌がらせ、そしてついにもはや犯罪行為としか表現出来ない行為におよぶ姿を見るに相手の属性を知らずに関わった事を猛省しています。
恐らく私が犯罪行為というと「大げさ」と言って笑うかもしれませんが、あなた方の行為は『犯罪行為』です。または、一人の人間を複数の人間が攻撃する『いじめ』である、と思います。こう言うと、あなた方なりの理屈を主張するかと思いますが、いかなる理由があろうとも、自らの権利の主張のみで相手の権利を認めず、侵害する行為は許されない事です。
私が増田に書き込みをしたのは、いい加減ウンザリしたのでこちらの認識・主張を話してみようと思ったからです。私としては「あなた方の行為は理解し難いが、ある程度把握しており公的機関に相談・通報しているレベルである。さらに一線を越える事はお互いの利益にならないので、もう関わらないで欲しい。」という事が言いたかったのですが、驚いた事に、増田に書いた後につきまといが増えました。私の書いた増田がおちゃらけ過ぎだった為真意が伝わらなかったか、と思い少しだけ反省しましたが、この人達は本当に『己の他人を殴る権利を主張するだけの人間』なのだとも思いました。
本気でウンザリしたので、予定外のプチ増田を書きましたが、残念ながらこちらはあまり反応がありませんでした。年末は仕事やイベントや旅行など、皆忙しいものなので当然かもしれません。そんな中で人に嫌がらせをするのは余程の暇人なのでしょう。
(でも、また増田に書いてしまうかもしれない…本当にネタがあり過ぎて書ききれない。私はあなた方が考えている程鈍くないつもりなので、あなた方にされた嫌がらせやあなた方の不法行為、人を馬鹿にした行為はそれなりに把握しています。階下1軒だけではない事も承知しています。)
どんな喧嘩にもルールがあります。やり過ぎず、周りに迷惑をかける事なく、フェアに行う。
時には衝突する事で、互いに理解を深めることも出来ます。しかし、衝突するのみで理解を求めない、相手をねじ伏せる事のみが目的だったら、そんな争い事は意味がないし筋が悪いと言わざるをえません。
私はそんな無益な争い事には関わりたくありませんが、巻き込まれてしまったものはしょうがない、と諦めました。
けれども、私はあなた方のルールで争う事はしません。私は私の生きる世界のルールに従い、今後も『第三者を通して対処』していきます。
以上です。
さらに憎しみを吸収しきって人類絶対殺すマンになったフェストゥムのベイグラントに操られるジョナミツさんとの戦い。
他にも真矢とかジミーとかみうと弓子さんどうするのとかもういろいろいろいろ。
終わるのかこれと思ったら本当に終わりやがった。しかも前半15分くらいで。
まず人類軍との決着は一瞬でついたな。 前回でギャロップばあさんがデレたらあとは早かった。 くそバーンズに割く尺はねえから!って感じが露骨で笑ったよ。
ジョナミツ&ベイグラントとの終わり方はなんかこうもっとなんとかならんかったんかと思うが仕方ないのか。っていうかジョナミツは結局どうなるんや。
アルタイルとの決着の付け方はランスシリーズにおけるくじらの対処を思い出した。ここが限界ではあるが無理に解決するよりずっといい。ガンダム00のアレよりはフェストゥムはずっと食い込んできたし人間サイドもギリギリのところまで踏み込ませて耐えきってみせたの悪くない。 フェストゥムとはなんだったのかは皆自分でかんがえろちゅうことで。そーし由来のコアが対話のきっかけを作ってくれるのかどうかとかもうその辺りは視聴者それぞれが想像力はたらかせるしか。
ああそれにしても織姫や芹の最後はイブバーストエラーを思い出すな。マヤコさんの最期はそのあとプレイヤーを10年以上引きずらせたがファフナーの終わりを見た人たちはやはり10年くらい引きずるかもしれないね。乙姫と織姫のことをどうか忘れないでやってほしい。
そして残ったのはこのメンツか。想像以上に少なかった。本当に過酷な道のりだったなあ。溝口さん出てこねえと思ったら最後まで美味しいところを持っていくのでほんとにワロリンヌ。
しかしなんといってもまやだよ。明らかに一番いろんなもの背負わされてもう感情ぶっこわれたかに見えた真矢が最後に涙を流したシーンは本当に素晴らしかった。でも全然足りないぞ。頼むからこの子を幸せにしてやってくれよおおかずきいいい。なんでラストシーンにまやおらんねんかんべんしてええ。みうちゃんもこんな年でみりあを越える圧倒的なバブみ発揮してたけど、本当はそんなことしなくてもええんやで。そんなにはやく大人にならずちゃんと大人に甘えて生きるんだよ。
一応ケリはついたといえばついたけれど、生き残ったみんなのその後が気になりすぎるしこれで終わりとか言われると耐え切れないので劇場版頼みます。まじでこれで終わりとかいろいろと生殺しだよ助けてくださいお願いします
犯罪被害に会ったが被害届を拒否(犯罪の事実自体は事細かに報告した)された。
ここまではよくある話で、
で、タイトルの件について。
大なり小なり負担を強いられる。
次に費用。
傷害治療費はもちろんだが、傷害を受けなくても
これが薬合わせて5千円前後でそれなりにかかる。
月に四回行けば2万だ。
社会人にとってストレスによる胃痛、不眠、体調不良は死活問題である。
自分の場合は親しい人間が似た被害に合っていたので抑えることができたが、
カウンセリングと投薬を受けずに居たらと思うと
ゾッとする。
俺は最初、
という気持ちでいた。と思っていた。
違うのだ。
「自分を軽んじた相手が憎い。
警察に行きたいが、
被害者ぶるのは恥ずかしいし惨めだ。
信じてくれるかもわからない。
あくまで傷ついていないふり、
内心ではかなり腹が立っていたし、悲しかったが
「お前が来るのが遅かった。捜査は乗り気じゃない。起訴も無理。相手を呼ぶから対面で謝罪してもらえ」
との対応。
同時に、国家の力がここまでなら、
要は証拠が残らなければ罰されないのだ。
要は警察が動かなければ罰されないのだ。
要はバレなきゃ罰されないのだ。
要はバレなきゃ犯罪はなかった事にできるし、
相手が虚偽の被害者をしているという事にもできる。
法律で許される範囲で被害を訴え国家の力による処罰を願い出ていた。
カウンセリングをしてもこの経験は一生引きずるし思い出しては苦しむだろう。
そもそもカウンセリング料も民事訴訟費も時間も被害者の自分が負担しなければならない。
時間も金がなければどうしたらいい?
それ以外に犯罪被害者が救われる道はない。
自分はそう思った。
相手が呑気に生きているという心的ストレスを取り除けるなら
これほど価値のある事はない」
と思っている。
もちろん法律を犯すのはよくない。
犯罪被害に会ったが被害届を拒否(犯罪の事実自体は事細かに報告した)された。
ここまではよくある話で、
で、タイトルの件について。
大なり小なり負担を強いられる。
次に費用。
傷害治療費はもちろんだが、傷害を受けなくても
これが薬合わせて5千円前後でそれなりにかかる。
月に四回行けば2万だ。
社会人にとってストレスによる胃痛、不眠、体調不良は死活問題である。
自分の場合は親しい人間が似た被害に合っていたので抑えることができたが、
カウンセリングと投薬を受けずに居たらと思うと
ゾッとする。
俺は最初、
という気持ちでいた。と思っていた。
違うのだ。
「自分を軽んじた相手が憎い。
警察に行きたいが、
被害者ぶるのは恥ずかしいし惨めだ。
信じてくれるかもわからない。
あくまで傷ついていないふり、
内心ではかなり腹が立っていたし、悲しかったが
「お前が来るのが遅かった。捜査は乗り気じゃない。起訴も無理。相手を呼ぶから対面で謝罪してもらえ」
との対応。
同時に、国家の力がここまでなら、
要は証拠が残らなければ罰されないのだ。
要は警察が動かなければ罰されないのだ。
要はバレなきゃ罰されないのだ。
要はバレなきゃ犯罪はなかった事にできるし、
相手が虚偽の被害者をしているという事にもできる。
法律で許される範囲で被害を訴え国家の力による処罰を願い出ていた。
カウンセリングをしてもこの経験は一生引きずるし思い出しては苦しむだろう。
そもそもカウンセリング料も民事訴訟費も時間も被害者の自分が負担しなければならない。
時間も金がなければどうしたらいい?
それ以外に犯罪被害者が救われる道はない。
自分はそう思った。
相手が呑気に生きているという心的ストレスを取り除けるなら
これほど価値のある事はない」
と思っている。
もちろん法律を犯すのはよくない。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/11/07/2015110700529_2.html
【コラム】中・日と対峙する韓国、生存懸けて原潜建造計画を推進せよ
偶然にも韓国海軍が観艦式を行った数日前、日本の海上自衛隊も観艦式を行っていた。海自は質的には米国に次ぐ世界第2位と評価されている。今年の海自の観艦式には韓国からも駆逐艦が参加したが、現地に行った海軍関係者の話によると、海自の偉容もかなりのものだったという。日本は国民全体が海軍に大きな関心を寄せていることもあり、観艦式の参加チケットは一時8万円近い高値で取引されていたという。その日本が少しずつその野蛮な姿、いわば日本人本来のものかもしれない姿を示し始めている。必然かどうか分からないが、われわれの命綱である南シナ海でも尋常でない雰囲気が漂い始めている。
よその民族を「少しずつその野蛮な姿、いわば日本人本来のものかもしれない姿」と平然と憎悪表現を使用するレイシスト新聞が、大手紙の一つとなっているのが韓国の現状である。
オリンピック競技場、ロゴ、安保法案と一連の流れを見てて痛切に感じたのだけど、どうやら大人モドキが増えたっぽい。
顕著だなって思ったのは、デモに参加した若者が法案可決後に涙ながらにインタビューに答えている姿。
口をついて出る言葉は達者なんですよ。一見して知識があるっぽい。
「危険な法案の可決が悲しい」「戦争が恐い」「民意が無視されて悲しい」とかって言ったり言われたりしてはいるんですけどね、なんというか、兎に角まず悔しくて涙が止まらなくて、言葉はその後に付けられてる感じっていうんですかね。
要するに、「自分の思った通りにことが進まなくて悔しい」という姿にしか見えなかったんですよ。
なんというか「誰にも意見を聞いてもらえず、意固地になった挙句に泣き出す小学生」っていうんですかね。
誰でも一度はありますよね。振り返ると真っ赤になるくらい恥ずかしい経験って。
なんで恥ずかしいかって、あの時の本気さと、今考えればそれがどれだけ幼いことだったかがわかるからなんですよ。
つまり、それを恥ずかしいと思うのはそれだけ大人になったってことなわけですよ。
ところが、いい年になってもまだそんなことを平然としてのける人がいるんです。
一見すると知識とかあって口ばっかりは達者だったりするんですけどね。
運良く(悪く?)苦悩や挫折をしないで歳ばかり重ねてしまったような人たちっていうんですかね。
そういう人たちって、いまだに万能感を捨てられていないんですよ。
だから、どこかに最後には自分の思った通りになるっていう根拠の無い自信を持ってるんですよね。
身体縦に揺らしてラップのリズムでデモすれば法案が廃案になると思った?
逆に聞くけど、それを理由に廃案にするような国に住んでいたいの?
こういう大人モドキが増えてるのって、抗えない運命に対峙する機会のない平和な世の中の弊害なんだろうな。
もちろん今でも良く腹を壊す。深夜に泥酔してラーメンを食した翌朝など酷いものである。どのぐらい酷いかと言えば、ここに書けないほど酷い。
小学生の時分は、なぜか「大の方のトイレに入ると自動的にコミュニティの晒し者にされる」という厳格なしきたりがあり、大きな方をぶりぶりっと出していると、トイレの壁をよじ上って誰かしらが覗いて来たり、偉大なるウンコマンの誕生、登場を大勢で迎える。というのが流行していた。
もちろん、俺もその偉大なるウンコマンとして降臨したこともあれば、尊大なるウンコマンを迎えたこともある。
やがて中学生になり、異性への興味が花開く年頃になると、さすがに男子のウンコマンへ対する興味、情熱も薄れていくのだが、今度は授業中に腹が痛くなってしまった場合、好きな異性の目の前で「ちょっとトイレに……」と手を挙げて行くのが恥ずかしいという、なんだか今の日本人が忘れてしまった、恥じらいにも似た初々しい事態に直面するのであった。
そう言えば、中学の教師に「ウンコに行きたい」というと「あと10分で終わるから待てないのか」と言われた記憶があるが、そもそもウンコを我慢出来ないからわざわざ手を挙げているわけで、終業まで待てる奴が「ウンコしまーす!」と手を挙げるわけが無いのである。思い出したら腹が痛くなって来た。
そうした甘酸っぱい春色の青春も終わりを迎え、受験の後、俺は男子校に入学するわけであるが、男子校と言えばもともと肥溜めみたいな場所であるので、つまりはウンコみたいなものである。
休み時間、授業中に関わらず、勝ってくるぞと勇ましく、大手を振りながらウンコをできる環境に「これが大人ってやつか」としみじみ感じ入ったものである。
そんな糞まみれのうんこく時代を過ごした高校生活であるが、友達も居たし、彼女も居たし、いつでも気兼ねなく脱糞出来る余裕からか、胃腸の様子も少しは良かったように思える。
そして高校を無事にノー漏れで卒業し、死にたいくらいに憧れた華の都大東京に上京することとなる。
3年ぶりに女性と同じ屋根の下で学ぶことになった専門学校であるが、もはや18年毎日行われた胃腸との対峙、対決の結果により向かうところ敵なしとなっていた俺に死角は無かった。
ただ、死角は無かったと言っても、腹は痛くなるので、この頃より将来の夢は「家で出来る仕事」となる。
また、このぐらいの年になると、車に乗って何処かへ行ったりと、遠出をすることが多くなるが、その時は、さすがの玄人である俺もかなり困った。電車のようにその駅ごとにトイレがあるわけでは無い。
冷静に自分の腹具合と相談しなければ、腹腹時計が爆発し、車中脱糞という壮大な悲劇と、ちょっとした喜劇が待ち構えている。
そんな時には、気管支炎喘息の症状を活かして多目にもらっておいた、リン酸コデインが役に立った。
この鎮咳剤は、基本的には咳を鎮めるためのものであるが、もうひとつの作用として、下痢止めがある。医者に処方される際に「便秘になる作用もあります」と言って処方されることの多いこのリン酸コデインであるが、正露丸も効かないロシア以上の胃腸を所持する俺に効く唯一の下痢止めと言っても過言ではない。
正確には、万年下痢なので、コデインを飲むと、その便秘の作用と相まってなぜか丁度良い状態になる。という素晴らしい効果なのである。ウィリアム・バロウズの小説に出てくることもポイントが高い。
閑話休題。
そうこうするうちに、あっという間に30歳を過ぎた。
ということは、もうこの胃腸との付き合いは30年を超えるわけであり、30年も毎日己の胃腸と向き合っていれば、それはもう健康問題どうこうというよりはもう「道」すなわち「タオ」である。
脂っこいものを食せば下痢になる。これはもう宇宙自然の普遍的法則、そして根源的実在であり、衆目の前で漏らして迷惑をかけないというのは、道徳的な規範はもとより、美や真実の根源なのである。
30を過ぎた頃から「屁だと思ったら実だった」というちょっとした逆転現象が起きることが多くなって来たように思える。
ベテランだと思っていたウンコ我慢道も、まだまだ知らないことばかりである。
頑張って生きていこうと思う。
俺は成長した。
昔から極度の人見知りだった。
幼稚園のころから人見知りであまりよく知らない人と話すのがものすごく苦手だった。
特に年上の人と話すのが苦手でいつも冷や汗をかきながら対峙していたのを覚えている(対峙していたというのはそもそも緊張しゃべることができなかったので会話にはなっていなかった)
パーソナルスペースも広かった。
よくネットで女性に慣れていない人が写真を撮るときに肩に触ることができず
でも俺は男相手でもそうだった。
相手が友達だからと肩を組もうとしてくると内心では恐怖感じるので本当は嫌なのだが断ることもできずに
なすがままになっていた。
極度の緊張で心臓の鼓動が早くなり冷や汗が出てくる。
学生時代によく言われたのが一緒に遊ぶと(友達の友達みたいな感じでたまにあった)、あまりの人の違い様に
いつも「おまえ普段と全然違うな」とよく言われた。
普段コミュニケーションできない分、逆に友達の間であれば笑わせるのが好きだった。
調子に乗って友達を笑わせるつもりでギャグを言ったら予想以上に声が大きくてクラスメイトだが友達とまでは言えない人
に聞かれて驚かれたりすることもあった。
一日中そのことが頭から離れなくなって挙動がおかしくなったのは反省している。
やらざるを得ないので年上の人と話さざるを得ない。
正直上司と話す時などは今でも緊張しているので言葉が出てくるのに10秒以上かかることもある。
(え~、だのう~んだ言ってごまかしているが、頭の中は真っ白だ。そして出てくる言葉は頓珍漢)
俺は成長していると感じる。
人と会話できることがこんなにも喜ばしいことなのだと身をもって体験している。
子供のころに会話するのに失敗したあの人やあの人とも今ならお相手できるだろう。決してうまく話せる自信はないが。
誰かに大きな影響を与えるでもなく誰か他の人に貢献するでもなく、ましてや自分に対してすらなにもできない
できることなんて誰かが作ったものを消費すること。排泄物を生産すること。
才能のある人間は小学生中学生の頃からすでに違っていて、彼らは「持っている」。そんな人達に追い付くことも追いつく努力もできない。
何も出来ないから自分が少し得意な物をひけらかして悦に浸って現実逃避する。
そんなことは世界の半分以上の人がやろうと思えばできることなのに。自分にしかできないことだといつのまにか錯覚しているようだ。
現実逃避を続けて生きているという事と対峙しようとしない。そしてそのまま何もせず何も出来ないまま死んでいく。
お前らは、なにも、できない
そんなんでいいのか?
結局こんなもんだよなぁ
みんなで遊ぼう←いまここ
だと思うんだけどどうしたら雰囲気とか伝わるの
わざわざ言うと
デザインという企画付属部品の作成についてその基準を満たすかどうかという問題について
1.ださい
2.似てる
家紋とか色紙に書くサインとか決めるのであれば何の問題ないけど
みんなで参加するイベントの話なんだよ
せめてみんなになんか説明でもあったほうがいいんじゃないって
1.業界ではださくない
おとうさんが息子の絵をこれはいいものだって売りつけただけだよ
穢れと言っているのは全体またはロゴを指して
日常から完全に切り離された独自性のあるものを今回は必要としていたので
今回は適していない
日常的な素材がまじってたとか会社の人間関係についてが作成由来に混じっていたとか
人間としての経過経歴によるものでロゴと今回のイベントという選定からはずれていた
2.選定方法についても1と同じ
1.皆で共有するべきものはだれの手にわたってもその時点では清潔であるべき
利用にあたって目的と意味を同じくしていれば自由に消化できるもの
いわば業界を仕切っている血族の肉が共有物として掲げられている
2.選定方法についても1と同じ
禊が必要だとか言われてるけど粛清ということでボツにしてその事象を清める意味(撤回再選考)なのか
・デザインは今回の問題の烙印として最初の問題の3つを示す「コピー職人の証」に純粋化される
・デザイナーは私生活を企画デザインに持ち込んだ「コラ職神」として神格化される
・もし禊いで清められた純粋な「コラ職神によるコピー職印」をオリンピックで使うというのならそのを意図は何なのだろうか
お清めが必要といっている不浄派であれば
・デザインは多く因縁があるためそれらと対峙して解決しなくてはならない
・デザイナーは使用してはならない素材から遠ざからねばならない
・因縁と打ち勝ち使用すべき素材に絞られた結果出てきたデザインは先のそれとは異なっているはずである
ということなんだよね
これらをふくめてダメじゃんって騒いでるだけなんだけど
この「気に入らない」に同調する人がコメントを投げ合ってあつまった状態をみて
「穢れ」と「気に入らない」の違いを聞いてどうするの
「穢れが気に入らない」って言ってるんだよ
人が多く集まっているから一人で戦うには多勢に無勢なので相手団体の戦力自体を削ごうと
原動力である「穢れ」が「気に入らない」という原理的なものを分解に来たのかもしれないけど
よくわからない個人的な理由でおかしいという武器で同じ戦法を持ちだそうとしても
やっぱり数の差はうまらないとおもうよ
すでに数が集まっている「穢れ」って個人的な理由の戦力に対してこの武器で対抗できると見越すのは
いくつかの原稿を平行して執筆しようとしている。今までは何とか凌いてきていて、現在締切直前というものはない。締切無しの原稿もいくつかある。しかし業務上コマは進めねばならない。そう思って PC 上で原稿ファイルを開く。しかし何故か怖くてそれを見ていない。気付くと別のウィンドウを重ねて見えなくしてしまう。またそれに気付いて原稿の画面を表にするが、やっぱり見ていない。とにかく自分の書きかけ原稿を注視・精読できない。以前の増田でみた『ひと鍬入れる』みたいのが全然できない。ただ自分が恐怖心を感じていることだけは理解できる。
締切が近づいてくると別の恐怖心が芽生えてきて、やがてそれが原動力になって結局は完成することが多い。今まではそんな感じでやってきた。しかしこの戦法はメンタルへの負荷が大きすぎるので、何とか平常時から向き合えるようになりたいと思っている。思っているが実践できない事が多い。
実際のところ、こういう時の心理状況が理解できない。自分の感情なのに分からない。いったい何に怯えているのか。原稿を完成させるまでの道のりに恐怖しているのか。筆が止まることを恐れているのか。自分の能力のなさと対峙するのが怖いのか。これらの考察はどれもイマイチしっくり来ない。恐怖心の源はもう少し違うことのような気がする。しかし分からない。
また、よく進む原稿とまったく進まない原稿とあって、この恐怖心も均一ではない。自分の知識量とか見通しのよさ等によるのかもしれない。確かに見通しのたつ原稿は書きやすいような気がする。そう思ってたった今アウトラインに注力しようと考えてみたが、ものすごい勢いで脳みそが拒否してくる。いったい何なんだ…。
物書き、絵描き、音楽家、その他自分自身で考えて作品を仕上げていくような仕事をしてる方、なんでもいいのでアドバイスいただけませんか。何とかこの状況を打破したいです。
説法ありがとね。
ブコメの方見ると「穢れは神道だろ」ってコメだらけで。
常識なんだね。知らなかったよ。はずかし。
禊がフィルタリングってのもなるほどねって思った。
あなたの説法を読んでて思ったんだけど、
古代仏教の「不浄」「浄化」って概念も現代日本と同じものだったのかな?
釈迦が弟子に言った「お掃除して、心も綺麗にしなさい」の「お掃除」も「許可する行為のこと」だったんすか?
お寺さんと関わりがない生活なんで、「坊主は不浄をオーソライズするのが仕事」って言われてもピンとこないし、
「不浄」って概念が「認可されてないもの」って感覚もあんまり分かんない
(分かる部分もあるけど。ヘイトとか関係してると思う。その辺、昔と違ってお寺さんが機能してないから起こることもあるんだろうねえ)
あなたの説法の中にあった「浄財」って感覚も、明治期以降の新興宗教あたりのもんだと思ってたわ
じゃあ、托鉢とかは?あれもお米やお金を渡して、お願いして許可して貰う感じなの?
ならばお坊さんは「ありがと」ってお辞儀する必要ないよね。仕事でやってんだから。
それはまた別なの?
「いきものはうまれたときからけがれをまきちらしながらいきてるけがれたものだっておしえこむの?」
ってのは、
「そうなんじゃね?」って思うんだけど。
それも折込済みの「生」だと思ってるんだけど。
それもまた偏った見方だと思うから、(私が考える)仏教的には合致しないんだけども。
不垢不浄!
まあ、ルール在り来の「宗教」なんだから、勝手に考えちゃダメだよね。
ごめんなさい。
で、本来の話に戻るけど。
あなたが言うナマグサ坊主とやらは「お前等にとって分かり易い例を挙げてやんよ」ってことで「おしっこ」持ちだしたんじゃあないの?
仏教のルールから外れちゃうけど、「わかり易さ」を優先した結果じゃない?
仏教者からすると「排泄物は汚い」って感覚持ってないとしても、説法聞く側にしてみりゃ卑近な例なわけでさ。
とか言ってるけど、多分その坊さん自身が「排泄物なんて汚い」って思ってるから出てくる言葉なんだろうけど。
そんな段階で人に説法しちゃあいけないなとは思うね。
冗長で散漫な文章になってごめんね。
明日からアップデートでSクラスが解禁されるため、最後のカンストになるかもしれないので記念に。
・正直そんなに上手くはないと思う。自分で大量にキルして試合の主導権を握るのではなく、そういう人をサポートする立ち回り。
・仲間が10デスしてる場合も3デスとかザラ。でもキルも3程度。たまにマヌケな人やダイオウイカが噛みあうと多くなる。
・とにかく死なない立ち回りを心がける。死んで意味あるのはガチマッチでノックアウトする最後の足止めだけ。
・ギアは逆境1、スペシャル増加2(メイン1+サブ3)、スペシャル延長1(サブ3)、イカダッシュ1、メイン効率1(orスペシャル減少1 ※ヤグラの場合)
■基本的な立ち回り
・基本引きながら打つ。ジェットスイーパーカスタム(以下ジェッカス)はシューターでは最長で、かなり遠くまで届く。
ブラスターやローラーと対峙した場合、100%相手は近づいてくるので引いて撃つくらいが丁度よい。(B帯以下の人は射程を意識していない人が多いと思う)
・シューターでもプライムや96ガロンは射程が長く威力も高いので気をつける(正直苦手)開幕での相手武器のチェックは必ずする。
・引きながら打てるように常に足場は自分の色で染めておく。
・逆に近距離は弱い(弾の威力が弱くキルに時間が掛かる)ので自らは絶対に近づかない。高台から相手と撃ち合いになった場合も大抵負けるので逃げる。(ブラスターは特に)
遠くで撃ち合いになり、相手の射程が短い武器でダメージを受け後退した場合のみ、前進する。
・やむ終えず近距離になった場合は、ジェッカスでは撃ち負けるのでクイックボムで相手を回りこむように応戦する。囲まれてるならスーパージャンプで自エリアに一旦回避。死ぬより百倍マシ。
・チャージャーとも基本打ち合わない。こちらが先手をとっても遠距離だとA+のチャージャーは超反応で返り討ちに合う。
相手にチャージャーがいた場合、ガチエリアなら射程にはいらない死角でひたすら塗りに徹する。これが一番嫌だと思う。
もし撃ちあうなら左右にジャンプしながらキルする。(それでも変態には通用しない)
・ガチエリアは特にキルより、塗りに徹する。ジェッカスは綺麗に塗る能力は低いが、遠くまで届くため塗り性能は悪くない。
・ガチヤグラは特攻しない。開幕直後に乗ってもA+の相手が揃っている状態でまず押し込めない。ヤグラに乗るのは相手をある程度キルしてから。
■ダイオウイカの使い所
・アップデートで弱体化してよく弾かれるようになったが、逆に逃げずに撃ちあう人が増えたためキルできる機会が増えた気がする。
逃げられるのが一番イヤ。
・イカダッシュをつけると撃ち返された場合も左右に振って掻い潜ると案外イケる。
・スペシャル延長をつけると終了時間を相手が見誤って案外イケる機会が多い(気がする)
・フィールドが相手の色で染まっている場合は、A+ではほとんどキルできない。
・相手と対峙して一旦隅に逃げると相手が近づいてくるので、そこでダイオウイカ使うと決まりやすい。
・高台の死から相手の上に飛び降りる途中で使うと、ジャンプ扱いになり落下しながらキルできる。
・ヤグラでは自分のエリアの死守と最後のノックアウトのためにとっておく。
・ヤグラで攻めてる時もチャンス以外は自軍近くにいたらキレイに塗り固める。ダイオウイカ溜まったヤグラ上の味方にスーパージャンプ。
状況によっては着地前にダイオウイカになる。
▽シオノメ油田
中央エリア、自分側の奥の高台。相手にチャージャーやスーパーショット持ちがいる場合は、少し下がった斜めの傾斜の場所。
相手の弾は当たらないが、こっちは一方的にエリアを塗りつぶすことができる。ガロンの弾やボムの爆風でダメージを受けたら全快までこまめに回復。
▽Bバスパーク
中央の高台の真東、坂部分。相手にチャージャーがいる場合もまず射程にはいらないし、自分&相手側のエリアも塗れる。
中央箱の西側。ここも相手にチャージャーがいる場合、死角になる。相手側のエリアも塗りやすいしキルも狙える。
相手側の通路も射程の長いジェッカスなら確実に足止めできる。ここ覚えてからほとんど負けてません。
自分側のエリア反対側の高台。自分のエリアが攻めこまれた場合自分側の高台からいっても相手も意識が言っているため、
かなり押しかえしづらい。下の通路なんて問題外、無駄死にするだけ。最初にイカで移動しやすいように、塗りつぶしておく。
中央エリア、自分側西の高台カベ密着。ここもチャージャーの死角。エリアも塗りやすい。
苦手。エリア獲られてる場合は無理に攻めず、カベ越しにひたすら塗り塗り。
チャージャーがいない場合は裏取り防止も兼ねてエリア反対側の自分側の渡り坂。
初手ではダイオウイカ貯まるまで絶対おりない。チャージャーいたら、自分側奥の高台。
チャージャーいなければ、いつもチャージャーさんがいる例の場所。
いたらその横の低いカベを歩きながら中央を塗り塗り。ダイオウイカ貯まったら敵陣突入。
▽モンガラキャンプ場
相手エリアの右側。相手側にいないとダイオウイカが生かせない(笑)
必ず奥から塗り固め、無理だと判断したら素早く引く。生きてるだけで味方のスーパージャンプ着地点として
非常に役立つので。押し込んでる時はリスポーン近くまでなるべく自分の色に染めて足止めをする。
■ガチヤグラについて
それは不特定多数への性衝動だろうから妊娠してる妻のつらさへの思いやりとは少しずれる
他の女性への性衝動についてパートナーが理解する必要もないだろう
もちろんそれと対応して自分の子を宿していない妊婦に男性が特別気を使う必要はない
ただ自分の子を宿している女性に対してはせめて興味をももってあげるべきだと思う
妊婦にひどい言葉を吐く子供が居ない男性は自分の子供のときは別だと思ってるかもしれないが
実際は自分の子供であろうが男性に何も変化はないため態度や意見が変わることはない
あれ?何も変わらないなとただ興味ないがズルズルと延長されるだけ
それは男性の本質かもしれないから、そこらへんをこういうエントリでちゃんと教育や意識で改革する必要があると思う
でなければ男女で育てるのをやめるという極論になる
2000年、俺は東京にいた。
新たな生活。
そんな期待を抱いて俺は東京にやってきた。
淡い幻想は一瞬にして打ち砕かれ、
期待とは真逆の最低な日常を、一日、一日と俺はなんとか懸命に生き抜いていた。
5限の講義を受け終わった後、
ただあてもなく街の中を歩きまわり、
気づくと俺はタワーレコードの中にいた。
ひとつのポップが視界に入った。
ポップの内容は確かそんなものだったと思う。
地元が一緒でなんとなく惹かれたのか、
再生。
煩わしいサウンド。
下手くそな歌。
しかし、何かの気の迷いなのか、俺はそのCDを買ってみることにした。
あるいはバイト代が入ったばかりで、気が大きくなっていたからかもしれない。
正確な動機を思い出すことはできないが、
おれはそのCDをレジに持って行き、幾ばくかの金を支払いそのCDを手に入れた。
本当に暇さえあればずっと聴いていたと思う。
偶然にも気の合う友人ができ、
そして、あんなにも嫌っていた日常が楽しいものになっていった。
そして、日常生活が充実していくにつれ、
あの日々から15年。
仕事もそれなりに順調だ。
ナンバーガールのSAPPUKEI。
懐かしくなって久々にそのCDを聞いてみることにした。
轟音のギター。
やかましいドラム。
音痴な歌。
瞬時にあの日常が蘇ってきた。
気だるさ。惨めさ。
その瞬間、当時の感覚が生々しく蘇ってきた。
はっきり言って全く良い思い出ではない。
大きすぎる自我をかかえてのた打ち回り、なんとか毎日を必死に生き抜いていた。
常に周りと比較し劣等感に苛まれ、優越感を抱ける相手を必死に探し、
何とか自分を維持していた。
正直、思い出したくもない日々だ。
なんて最近思う。ヘロデ時代はローマとくねくねだったのに、後にユダヤはローマと絶望的な戦争をするようになる。
アメリカを宗主国とか言ってる人たちは、どこかで、この古代のユダヤの人たちが抱えていたパトスを抱えてるんだよ、きっと。
そしてこれも人間の業という奴かな。
国民国家というのは、ある国民がその中で様々な権利を享受する枠組みで、その外に一歩出たら基本戦争状態なんだな。
だから武器が必要で、ぶっちゃけいつでも戦争できる状態じゃないといけないわけ。日本がそれを免れてるのは、日本との戦争でかなりのコストを負担せざるを得なかったアメリカと、痛手を負った中国との絶妙な利害のバランスによるものなわけだよ。
アメリカがこの極東地域から手を引けば、日本は、かなり現実的な意味で核を持って中国と対峙することになるんだろうなと思う。そうなった時に、やっぱりアメリカを仲間にしといた方がお得だったよな、が見えてるから日本は安保を支持してんだろうなと思う。
お前があーだこーだ言って悩んでる「場所」は所謂ヘテロの世界だ。
俺らLGBTがちゃんと呼吸できる「場所」ってのはそこじゃない。
その「場所」は二丁目のような特殊なコミュニティーであるかもしれないし、
もっと狭小なサークルであるかもしれないし、インターネットの中かもしれない。
先ずはそこに潜ってから色々と考えろ。
人と違う事で苦しんでいる自分を美徳として生きている傾向があるから
そういう同種の人間がいる場所に一刻も早く降り立って、自分の内面と対峙する事をお勧めする。
ゲームの提案
こんにちは。自分は41歳の鬱病ニートです。一応まだ会社に籍はありますが、風前の灯です。年収は750万ですが、来月の給料は振り込まれないかもしれません。
さて、そんな自分が、有り余る暇と、借りてきた知識と、浅はかな理解を総動員して、以下、改憲について語ってみました。
しかし、しょせん居酒屋の政治談義レベルです。あちこちに穴があろうかと思います。偉そうに語りながら自ら政治的な活動を取ることは絶対にない、実行する立場で考えていない現実性のなさなど、大嫌いな民主党と同じです。立場の違いによって意見が異なる方も大勢いることでしょう。薬を飲んでいて集中力が持たないので、文章も精緻とは言いがたい。
以下の駄文をあなたの立場で好きにブラッシュアップして、トラバにぶら下げてみてほしい。それぞれの記事のブコメの侃々諤々も楽しみたい。それで、改憲についての理解を深めさせてほしい。
国民の基本的人権と国際平和を基準に、国体と国家権力の範囲を規定したものだと捉えています。
集団的自衛権の法整備について、”憲法解釈”で侃々諤々になっています。自分も、今の進め方では法案は違憲だと考えていますが、そもそもの問題は、憲法を不改常典のごとく扱うことだと思っています。
一般論として、人の作った物はなんであれどこかに不備があり、経年劣化も起こし、時代とともに実情に合わなくなっていきます。一神教の啓典の民のみなさんが、聖典と実情の辻褄合わせにいかに苦労しているかは、日々ニュースを見ていれば自明です(聖典を人の作った物とする点、信者ではない愚かな人間の考えですので敬虔な信者の方々はご容赦ください)。”憲法解釈”もまた、穏健派のイスラム法学者がクルアーンほかと現代の実情の辻褄合わせに「解釈」を以て臨むことに似ています。
両者に相通ずるのは、「解釈」とは、変えられない記述に対して現状を容認(その程度は議論によってはかられるものの)することを先ず目的とし、換骨奪胎を試み、不都合な記述の実効性をなくす点です。そのあたりを原典に対する欺瞞(あるいは冒涜)だとして攻撃するのが、イスラムで例えればいわゆる原理主義であり、憲法では護憲派と言われる人たちの一部だと認識しています。
しかし憲法は、一神教の聖典とは異なります。憲法は、自らが国民の意思によって改められることを認めています。不改の聖典ではないことを条文の中で表明しています。古びて時代に合わなくなったところは、十分な議論の下で速やかに更新し、実情に合わせて憲法の合理性を常に維持する。そのことで「解釈」の余地を減らし、国権を制限するという憲法の機能そのものの実効性を維持する。そのような合理性をもともと憲法は備えています。
”憲法解釈”による憲法の死文化と機能喪失を防ぎ、違憲状態の国権発動を防ぐためにこそ、改憲の提案とその議論は常に行われるべきです。それが本当の積極的「護憲」だと考えます。しかし、現在のような、翼賛体制でもない限り超えられないような鉄壁のハードルがあっては、投票(国民一人一人の意思の反映)を前提とした議論は起こり得ず、従って適切な更新も為されません。そして現に今、変えられないなら憲法を死文化してしまえとばかりに、相当無理のある”憲法解釈”が強行されようとしています。
あなたがたが第一に「護」りたいのは、憲法の機能そのものなのか。特定の条文なのか。はじめにそこを整理してほしい。
前者であるなら、上述の通り、改憲は積極的に認めるべきです。繰り返しになりますが、改憲は憲法の中で保障されている国民の権利のひとつです。いかなる思想があろうとも、これを否定することは前者の意味での「護憲」と矛盾すると考えています。
後者であるのなら、その条文の是非を問う投票を通して、国民に白黒はっきりしろと突きつけるべきです。そのための議論の中で、あなたたちの考えを訴えるべきです。条文を護るために改憲手続きそのものを否定し、国民投票をさせないというベクトルは、上述の通り自分の目からは憲法の意志に反すると映るし、主権者たる国民とその権利を軽視するものだと思っています。
さて、そこで提案です。
“解釈”による憲法の無効化を阻むためにも、いまここで、あなた方のサイドから憲法改正を訴えませんか?たとえば、現状の九条から解釈の余地を削り、よりあなたがたの望みに沿う条文にするとか。そして、「改正可能にする」という一点で改憲派と連携し、”解釈”と対峙しませんか?
もちろん、改憲派から出させる対案の中には、あなたがたが受け入れることができないものもあるでしょう。しかし、選ぶのは国民です。憲法がそれを保障しています。
後生大事に特定の条文だけを護っても、憲法そのものの実効性が失われれば無意味です。
護憲にもいろいろあるように、ひとくくりに「改憲派」といってもいろんな考えがあろうと思います。しかし、条文を改めてまで、なお憲法を維持しようとする一点では、護憲的とも言えます。そこについては、上述の通り、護憲派と連携する余地があると思っています。
あなたが改憲の後に実現すべきと考えている政策が、今の政権の”解釈”の末にあるものとたとえ一致したとしても、憲法の箍がはめられているか否かの違いは後の世に対して非常に大きなものがあります。国権を制限する憲法が機能を喪失している状態を容認してしまえば、いまの政権が暴走しなかったとしても(あるいは今の政権なら暴走しても容認できる、とあなたが考えるにしても)、後のあらゆる政権にその選択を許すことになります。
数年前、日本国民は民主党政権を選びました。同じように、後の世がどのような政権を選ぶかは分かりません。今のあなたにはとても支持できないような政権が生まれたとして、そこにも等しく暴走の余地が残されます。暴走する○○党政権(○○にお好みの政党を当ててください)。おそろしい。
政策的に結果オーライではなく、その手続きが法を逸脱することについてはNOを突きつけませんか?数が必要なら、護憲派も引き入れて。
民主主義とは、すなわち手続きでもあります。国民の付託を請けた行政のあらゆる意思決定が手続きを通して公にされ、それを国民が監視することが国民主権の根幹にあります。多少煩わしく、遠回りがあったとしても、それはいわゆる「民主主義のコスト」です。この先も日本が健全な民主主義国家であり続け、国際社会の中で世界に誇れる国であるために必要なことだと思います。